03/26/2023 こっちとあっち(文 谷川 俊太郎/絵 樋勝 朋巳) - 絵本の世界は「あっち」かな

絵本『こっちとあっち』は
クレヨンハウスから2023年2月に出たばかり。
奥付を見ると、
クレヨンハウスの住所が東京の吉祥寺となっています。
青山にあったお店が老朽化のため昨年の暮れに閉店となり、
その後吉祥寺に移転したためです。
もしかしたら、そういうこともあったのかもと思えてしまえるタイトル、
『こっちとあっち』。
それはあまりに深読みし過ぎかな。

16冊めとなる作品です。
このシリーズは谷川さんが現代のアーティストと組んで、
言葉と絵の楽しさを赤ちゃんにも感じてもらおうと取り込んでいるものです。
なので、言葉も絵もとてもシンプル。
「こっち」にいるぼくと、「あっち」にいるともだち。
時にけんかをしたり、仲直りしたり。
ともだちが「こっち」に来たり、
ぼくが「あっち」に行ったり。
それだけのお話ですが、
赤ちゃんの笑顔が浮かんでくるような絵本です。

つい考えてしまいました。
そうしたら、絵本のページが「あっち」に思えてきたので、
私も「あっち」で遊んでみようと思いました。

応援よろしくお願いします。
(↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 今日もクリックありがとうございます)


03/25/2023 仰げば尊し - 映画「陽のあたる教室」の話

卒業式といえば、「仰げば尊し」。
♪ 仰げば尊し わが師の恩
教えの庭にも はや幾歳
でも今でも歌っているのかな。
私は結構好きだけど、この歌。
名を成した人たちの評伝なんか読むと、
先生との出会いが運命を変えたみたいなことがよくあって、
まさに「わが師の恩」。
そんな先生を持った人は幸福だと思います。
今日はそんな先生を描いた
「陽のあたる教室」という映画の話です。

原題が「Mr. Holland's Opus」で、
直訳すると「ホランド先生の作品」ということになりますが、
「Opus」はホランド先生が音楽教師なので、
クラッシック音楽などの作品番号を指す言葉にあたります。
主人公のホランド先生を演じているのは
リチャード・ドレイファス。
映画「グッバイガール」(1977年)でアカデミー賞主演男優賞を受賞している
名優です。
この作品でも作曲家になりたいが
生活のために高校の音楽教師とならざるをえない男を演じていて、
さすがにうまい。
そんな教師ながら、次第に生徒たちに近づいていきますが、
初めての子が難聴だということに気付き、
次第に荒れていく様など、
学園ドラマというよりも家族を描いた作品ともいえる。

音楽教師をやめざるをえなくなったホランド先生を待っていたのは、
これまで先生に音楽の素晴らしさを教えてもらった
たくさんの教え子たちというのも泣かせる。
この教え子たち一人ひとりが
ホランド先生の「Opus」(作品)。
いい先生に教えたもらった子供たちは
なんて幸せなんでしょう。


応援よろしくお願いします。
(↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 今日もクリックありがとうございます)



鹿児島県指宿市の公立図書館の活動を通して
まちの人たちと図書館がどううまくつながっているのかを紹介した
ノンフィクション作品でした。
その中に市の指定管理者として図書館運営に携わった
NPO法人本と人とをつなぐ「そらまめの会」の奮闘する姿が
読者に勇気を与えてくれました。
そこにもたびたび出てきたのが、
その「そらまめの会」の皆さんが編著となった一冊の本、
『私たち図書館やってます!』です。

なので、最近出た猪野千香さんの本の方が、
その後の活動まで書かれているのですが、
この本は「そらまめの会」の人たち自身が実際やってきた活動のことが記された
生の記録といっていいでしょう。
セミの羽化観察会や高校生のおはなし会、
高齢者向けのサービスや図書館での写真コンテストなど
この人たちがいればこそ、ここが「奇跡の図書館」と呼ばれるようになったのが
よくわかります。
また、この本には以前書かれた「指宿図書館の歴史」や
図書館員によるブログ記事なども紹介されています。

猪谷千香さんの本は「ちくまプリマー新書」の一冊ですから
本屋さんで購入するのも容易でしょうが、
この本は鹿児島市の南方新社というところから出ているので、
なかなか本屋さんでは見つけられないかもしれません。
そういう時こそ、まちの図書館に訊いてみるといいでしょう。
図書館ならこの本を並べていると思います。
何故なら、この本は図書館のための本なのですから。

応援よろしくお願いします。
(↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 今日もクリックありがとうございます)



野球のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)での
日本チーム(侍ジャパン)の優勝、おめでとうございます。

一次ラウンドから昨日のアメリカとの決勝戦まで
日本中に感動を与え続けてくれたメンバーに感謝します。
日本中で「にわかファン」が増殖したと思いますし、
私もそのうちの一人ですが、
「にわか」であってもこれだけ感動するのですから
「根っから」ファンはたまったものではなかったでしょうね。
まさに、号泣!
しからば、野球についての本の一冊ぐらいは
読んだことあるのではないかと探してみました。
ありました、ありました。
絵本ですが、
長谷川集平さんに素敵な一冊がありました。
『ホームランを打ったことのない君に』。
ドンピシャなタイトルでしょ。
2014年6月に書いたものの、再録書評になります。
野球の素晴らしさに、拍手!

ホームランを打ったことがない。
たぶんホームランを打ったことのある人の方がうんと少ないのではないだろうか。
ホームランを打てる人の条件、まず野球をやったことがある人、バッティングにセンスがある人、相手投手の調子がよくない時、あるいは風の強さ。
だから、ホームランを打った人はとってもうれしいはずなのに、ちょっと照れくさい。笑いがこみあげてくるはずなのに、それを奥歯で噛みしめている。
でも、そんなことどもも、あくまでも想像。
だって、ホームランを打ったことがないのだから。
それは人生でもそうかもしれない。
ホームランを打てる人生なんてそうそうあるものではない。
長谷川集平さんの絵本はいつも何かを考えさせる。
大きなことのはずなのに、けっして声高に語るのでもない。絵も派手ではない。
静かに、大切なことを話しかけてくれる。
この絵本はホームランを打ったことのないルイ少年が町でかつて野球がうまかった仙吉にホームランの何事かを教えてもらう話だ。
仙吉は交通事故にあって野球ができなくなって、今はリハビリ中。
けれど、ルイにホームランの魅力をやさしく伝える。
仙吉は野球ができなくなったことを愚痴ることもしない。ただ、野球の素晴らしさを話し、ホームランの美しさを語るだけだ。
それでいて、静かに、だ。
仙吉を別れたルイはそのあとでゆっくりとバットを振り続ける仙吉の姿を見る。
仙吉がどうしてバットを振り続けるのかをルイは知っている。
ホームランを打つために、だ。
けれど、そのホームランは野球の世界だけのホームランだけではないことにルイは気づいたかもしれない。
そんなことを長谷川集平さんは声高にはいわない。
長谷川さんの文と絵で、読者である私たちがわかるだけだ。
ホームランを打つことは難しい。
でも、ホームランを打ったことのない悔しさとか寂しさとかはホームランを打ったことがない者だけがわかることではないだろうか。
そのことを大事にしているなんていえば、負け惜しみに聞こえるだろうか。
(2014/06/29 投稿)

応援よろしくお願いします。
(↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 今日もクリックありがとうございます)


レビュープラス
03/22/2023 東京あたふた族(益田 ミリ) - わたしもそうだったかもと思わせるエッセイ集

もう50年経つ。
出てきた当初は地元大阪の学生たちばかり住む学生寮だったから
そんなに違和感がなかったが、
もちろんあの頃の東京と今の東京は随分違う。
50年前の東京で自身がどんな気分で暮らしていたか
あんまり覚えていないが、
益田ミリさんの『東京あたふた族』というエッセイ集に収められている
「上京物語」というエッセイのいくつかに
なんだかふと自身が東京に出てきた頃の気分が浮かび上がるようであった。

26歳で上京し、すでに人生の半分近くを東京で過ごしていることになる。
「上京物語」というエッセイには
まだ仕事さえ見つかっていない彼女が
それでもめげることなく、実に豪快に東京での日々を過ごす様子が
描かれている。
益田ミリさんのコミックエッセイの原点がそこにあるように感じた。
また別のエッセイ(「のび太と遊んだ空き地」)には
こんな記述もある。
「東京では標準語で生活しているが、わたしの中にはいつも関西弁のリズムが刻まれている。
(略)とはいえ、わたしは東京も好きだった。」
なんだか、わかる。その気持ち。

朝日新聞に今でも連載中の「オトナになった女子たちへ」というエッセイの
2019年から2022年5月にかけてのものも収められている。
女子ではないが、
私は益田ミリさんの作品が好きだ。

応援よろしくお願いします。
(↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 今日もクリックありがとうございます)

