プレゼント 書評こぼれ話

  今日は山本周五郎
  『大炊介始末(おおいのすけしまつ)』という
  短篇小説集を紹介します。
  この本を読むきっかけは
  書評にも書きましたが
  昨年の暮れに聴きに行った
  石田衣良さんの講演会で
  この作品のことが話されて
  ではと、手にとりました。
  石田衣良さんのオススメ以上に
  書評に書いた「ちゃん」という作品が
  よかった。
  この作品では終盤きゅんと鼻の奥が
  なんともいえなくなりました。
  熊本時代の宮本武蔵を描いた「よじょう」という作品も
  巧い。
  今年は山本周五郎にはまってみますか。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  生きていくというのも悪くはない                   

 山本周五郎が亡くなったのは1967年(昭和47年)2月14日だから、2017年は没後50年にあたる。
 その影響だろうか、テレビなどではドラマ化された多くの山本作品の再放送が企画されている。
 ずっと気になっていた作家もあって、それに直木賞作家の石田衣良さんが読むべき短編小説にあげていたのも山本作品であったこともあって、手にすることになった。

 新潮文庫のこの本では表題作である「大炊介始末(おおいのすけしまつ)」(これが石田衣良さんのオススメの短編の一つ)のほか、「ひやめし物語」「山椿」「おたふく」「よじょう」「こんち午の日」「なんか花の薫る」「牛」「ちゃん」「落葉の隣り」の10篇が収められている。
 新潮文庫のラインナップを見ると、山本周五郎が実に多くの作品を残しているかわかるが、この短編集がその中でどのようなところに位置しているかわからないが、私はとても感動した。
 まるで古典落語を聴いているような心地といえばいいのか、目にしているのは間違いなく言葉であるのに耳にすすっと入ってくるような感じは地の文だけでなくせりふの巧さもあるのだろう。

 なかでも私のオススメは「ちゃん」である。
 裏長屋に住む貧しい火鉢職人の重吉一家。腕は確かだが、お酒が入ると乱暴になる重吉と彼を支える女房のお直。さらには14の良吉を頭に、四人の息子娘がいる。末っ子の三つのお芳がかわいい。
 女房も子供たちも貧しいけれど、父をたて、健気に生きている。
 お直のいうこんなせりふ、「人間はみんながみんな成りあがるわけにはいきゃあしない、それぞれ生れついた性分があるし、運不運ということだってある」、が泣かせる一篇だ。

 こういう作品を読んだら、生きていくというのも悪くはないと思えるはずだ
  
(2017/01/18 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  正月元旦の朝日新聞
  今年が正岡子規生誕150年だと
  知りました。
  夏目漱石がそうだとは知っていたのですが。
  夏目漱石が昨年来のブームなのに
  正岡子規の方はそうでもないのは
  ちょっといけません。
  もしかしたら
  正岡子規がいなかったら
  小説家夏目漱石は誕生していなかったかもしれないのに。
  今日紹介する
  小森陽一さんの『子規と漱石 友情が育んだ写実の近代』は
  そんな正岡子規に焦点をあてた
  一冊です。
  正岡子規という偉大な人物に
  触れるには格好の一冊です。

  じゃあ、読もう。  

  

sai.wingpen  子規も漱石も生きていれば150歳                   

 漱石ブームが続いている。
 2016年が没後100年、そして49歳で亡くなったからその翌年の2017年は生誕150年にあたる。
 その一方で、もう一人2017年に生誕150年を迎える明治の偉人がいる。
 それが漱石の友人でもあり、近代文学を生み出したともいえる正岡子規である。
 漱石子規ともに1867年、慶応と呼ばれていた時代に生まれている。
 漱石は49歳で亡くなったが、子規はもっと短い34歳の生涯であった。

 本書はタイトルこそ漱石と子規二人の名前が入っているが、「子規論」といった方が誤解がない。
 もちろん、漱石が子規に与えた影響が大きいし、子規にとっても漱石の存在の意味するところ大であったが、この本では子規の短い生涯でなし得て様々な文芸についてのことがうまくまとまっている。
 子規入門書としては読みやすいし、うまくまとまっている。

 何よりも圧巻はやはり最後の章に書かれた漱石に宛てた子規最後の手紙の意味するところだ。
 その時漱石はまだロンドン留学中である。
 その手紙に子規は「僕ハモーダメニナツテシマツタ」という悲痛な声を上げている。
 この手紙と子規の『仰臥漫録』に描かれたものがリンクし、漱石への願いを遺したものという小森氏の説になんとも驚かされた。
 しかし、漱石自身がその手紙を、いや子規の存在を忘れなかったことは事実だし、ロンドンから日本に戻った漱石にとって、子規の思いを実現するべく小説家の道を歩みだしたというのも頷ける。

 いずれにしても子規と漱石が同じ年に生まれ、運命の出会いと友情を育んだということ自体、奇跡といっていい。
  
(2017/01/17 投稿)

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 いやあ、寒いですね。
 寒波襲来です。
 こんな季節は畑の作業もほとんどないので
 出かけることもまれなのですが
 こういう時候だからこそ
 見れる風景もあります。
 霜柱がこんなにも。

  20170112_083023_convert_20170114172131.jpg

 子どもたちにはぜひ見せたい
 冬の姿です。

    霜柱伸び霜柱押し倒す      右城 暮石

 まさにこの句の景ですよね。

 こちらはイチゴの畝に咲いた
 霜の花

  20170112_082928_convert_20170114172018.jpg

 なんとも幻想的な景。
 土と暮らす生活が
 どんどん少なくなってきて
 なかなかこういう光景は見なくなりました。
 こういう光景を見るだけでも
 菜園をやっている価値があります。

 それにしても
 この寒さ。
 土日に大学入試のセンター試験だった受験生の皆さん
 お疲れさまでした。
 毎年のこととはいえ
 受験生にとっては一度きりにしたい試験ですものね。
 でもですよ、
 試験はこれからの人生、
 まだまだたくさんあるんですよ。
 かく言うこの私も
 この日曜(1月15日)に試験を受けてきました。
 大学入試?
 まさか。
 日本農業検定2級の試験。
 去年3級に合格したので
 今年は2級に挑戦しました。

  CIMG1792_convert_20170114172209.jpg

 どうだったかですって。
 聞かないで。
 試験が終わったあとは
 脳内酸素が欠乏して
 あわわ状態。
 菜園家も試験には弱い。
 さてさて、どうなることか。

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プレゼント 書評こぼれ話

  自分が関西出身だからでしょうか
  関西弁のイントネーションにはとても敏感で
  遠くでも
  耳にはいると
  飛んでいって
  「関西出身?」と聞いてみたくなる。
  まったく余計なことです。
  今日紹介する
  ジョン・クラッセンの『みつけてん』は
  これぞ関西弁。
  なにしろ訳しているのが
  長谷川義史さんですから
  正真正銘関西弁。
  わざわざ近づいて聞くこともない。
  せやけど
  関西弁ってええよね、
  好きやねん。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  なあなあ、はよ、読んでや。                   

 言葉とは、なんとも面白い。
 ジョン・クラッセンの人気シリーズ第3弾となったこの作品の原題は「WE FOUND A HAT」。それが長谷川義史さんが訳すと、「みつけてん」。
 気分が躍り出すようなわくわく感が生まれる。
 それは本文の訳でもそうで、それはこのシリーズの特長にもなっているのだが、関西弁のなんともいえないもっそり感が、主人公の二匹のカメには似合っている。
 「かっこええで」とか「ねよか」なんて具合に。

 お話は二匹のカメが帽子を見つけるところから始まる。
 ところが、帽子はひとつ。
 カメは繰り返すが、二匹。
 「どっちか かぶったら、どっちか かぶられへんなぁ。そんなん あかんなぁ」となる。
 そこで二匹はこの帽子を「みつけんかった」ことにして、帽子から遠ざかる。
 でも。
 気になる。

 夕日を見てても、考えるのは帽子のこと。
 寝ても、帽子が頭から離れない。
 一匹のカメは相手のカメが寝たことを確かめて、そろりと。
 でも。
 もう一匹のカメは自分が見ている夢を実況中継。
 どんな夢?
 それはこの絵本を読んでみて下さい。

 この絵本は関西弁が大好きな人に読んでもらうと気分がでるやろな。
 そしたら、めちゃうれしんちゃうか。
 なあなあ、はよ、読んでや。
 読者まで関西弁にしてしまう、この絵本は強力でっせ。
  
(2017/01/15 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  昨日
  詩人吉野弘さんのエッセイ集
  『詩の一歩手前で』を
  紹介しましたが
  書評にも書いたように
  あれはもともとあった『遊動視点』という
  エッセイ集の後半部分。
  前半部分は
  『くらしとことば』として
  文庫本化されています。
  そちらの方は
  2015年12月に読んでいます。
  私も忘れていたほどですから
  皆さんも
  お忘れかと思い
  今日は再録書評で載せておきます。
  年をとると
  1年が過ぎるのが早くって。
  とんでもありません。
  みんな同じだけの時間が
  過ぎていくだけ。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  紐の結び目                   

 詩人吉野弘さんといえば、「二人が睦まじくいるためには/愚かでいるほうがいい」と始まる有名な『祝婚歌』という作品があります。今でも結婚式にはこの詩を詠む人も多いと思います。
 この詩にはこれから新しい家庭を築こうという若い人への温かなメッセージを感じます。
 ここから始まって、子どもが生まれる。そうしたら、「お父さんが/お前にあげたいものは/健康と/自分を愛する心だ」と詠われた『奈々子に』を読めばいい。
 そして、年を重ねていけば、『夕焼け』という詩に詠まれた、満員電車の中で何度も自分の席をゆずる少女の心に触れるといいでしょう。「やさしい心の持ち主は/他人のつらさを自分のつらさのように/感じるから。」
 吉野弘さんの詩は一生ものだということがよくわかります。

 この本はそんな吉野弘さんのエッセイ集『遊動視点』が文庫化されたものです。正しくは元の本の前半部分は、この文庫にあたります。
 エッセイでも吉野さんの詩がもっている温かはそこかしこにあふれています。
 「紐の結び目をほぐそうとして、中々ほぐせないことがある。」という文章で始まる、「紐をほぐす」というエッセイがあります。その終わりの一節はこうです。「愛情という名の紐だけは、できれば一生結びっぱなしでありたい。その結び目を苦労してほぐすなんて、ごめんこうむりたい気がする。」
 まるで詩『祝婚歌』のエッセイ版を読んでいるようです。
 そのあと、「ただ、思い通りにゆくかどうか。」とあるのは、少し醒めた詩人の一言でしょうか。

 あるいは「会釈・挨拶・いい会話」というエッセイには詩人の心がよく表れている文章があります。
 「言葉が乱れていると感じられことの実体は、心が不在ということ」とあるのは、席を替わりながら恥ずかしげにしている『夕焼け』の少女が持っていたものの不在が、言葉の乱れにもつながっているといわれているような気さえします。

 日常のこと、家族のこと、言葉のこと、そこには暮らしと寄り添った吉野弘さん自身の、温かな心があります。
  
(2015/12/30 投稿)

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