09/22/2023 日暮れのあと(小池 真理子) - 円熟の短編集

2020年1月。
そのせいで、7つの短編を収めた『日暮れのあと』という短編集に
死の匂いが濃いのだろうかと思ったが、
実際書かれたのは2015年や2018年2019年のものもあり、
藤田さんの死とは直接関係しないようだ。
それでいて、2023年に発表された表題作「日暮れのあと」は、
老いとまっしぐに向き合う女性が描かれ、感動は深い。

彼が話しだした交際相手というのが64歳になる現役の風俗嬢というのを聞いて、
雪代は不思議な感動を覚える。
72歳になる雪代は「日が沈んでも月が昇る。星が瞬く。」、そんな当たり前のことに
あらためて気づかされる。
愛する人と別れてもなお、人は生きていく。
その生はけっして暗く、悲しいだけではない。
そんな強い思いを感じさせてくれる作品だ。

若い青年に女装させるしか愛させない女性との奇妙な生活を綴る「アネモネ」など
どの作品をとっても巧い。
「日暮れのあと」もそうだが、
そこに描かれていることを実際私たちが経験することはまれだろう。
それでいて、何の違和感もなく物語の中に入り込める。
まさに円熟の短編集である。

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「映画史家」とあって映画評論家とはなっていない。
個々の作品の鑑賞を主眼としてではなく、
歴史のなかの大きな潮流として「ヤクザ映画」が論じられている。

1910年代に江戸後期に実在した国定忠治などを題材に作られはじめ、
1930年代には長谷川伸原作の股旅ものは多く撮られる。
戦争を挟んで、1950年代にヤクザ映画も復活。
そして、1960年代空前のヤクザ映画ブームとなる。
おそらく初期の頃のヤクザ映画は時代劇の流れの中で作られたもので、
実際私たちがヤクザ映画ですぐさま頭に浮かぶのは
鶴田浩二、高倉健の二大スターを輩出した東映任侠映画だろう。
世代でいえば、戦後の団塊の人たちが熱狂したといえる。
ただ、このブームも10年ほどで終焉を向かえ、
1970年代に「仁義なき戦い」(1973年)が作られ、「実録ヤクザ映画」へと
シフトしていく。
しかし、社会はヤクザを排除する動きを強め、
映画のジャンルとしてのヤクザ映画もかつてのようなブームは影をひそめる。

ヤクザ映画を否定するのではなく、存在した意味を評価する姿勢がうかがえる。
惜しむらくは、藤純子や江波杏子、あるいは「極道の妻たち」シリーズなど、
女性が活躍したヤクザ映画の考察があってもよかったように思うし、
これだけの労作であるから主な作品を年表形式で俯瞰したかった。

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09/20/2023 眠る盃(向田 邦子) - 懐かしい文章だけど新しい

1979年に刊行された。向田さん、50歳の時。
亡くなる亡くなるのが2年後の1981年だから、本当にあっという間の印象がある。
それでいて、今でもこうしてページを開くと、すべてが懐かしい。
時代を越えて読み継がれるというのは、
いつ読んでも新しいし、いつ読んでも懐かしい。

ずっと間違えたまま覚えていた回想の話だが、
これなどもどんな読者でも必ずあるような失敗談で、
だからこそ共感をもって読んでもらえるのだろう。
このエッセイ集はこの表題作に限らず、名作ぞろいで、
「字のない葉書」はのちに絵本にもなっている。
ただあらためて読み返すと、
三女の疎開にあたって字のない葉書をもたせる挿話の前段に、
父が筆まめであったことがさりげなく書かれている。
そして、そこには父への愛が恥じらう如く、小さく綴られていたりする。

小学生の時に飲んだ怪しい飲み物「ツルチック」とその後のエピソードを綴った「続・ツルチック」がいい。
特に「続・ツルチック」の最後の一文には痺れた。
何が書かれているか、ぜひ読んでもらいたい。
昔、東京の街中でライオンを見たという「中野のライオン」も好きだ。
その中で、向田さんはこんな文章を残している。
「記憶や思い出というのは、一人称である。/単眼である。」
そんな記憶を複数の人のものにしたのが、
向田邦子さんだろう。

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09/19/2023 これはわたしの物語(田尻 久子) - これも読みたい、あれも読みたい

熊本で「橙書店 オレンジ」という本屋の店主である。
その一方で、すでに『みぎわに立って』『橙書店にて』など
数冊の著作ももつ文筆家でもある。

本のことを綴った数編のエッセイで出来ている。
そのエッセイの中のひとつ、「本をすすめる」で
「私が書いている文章を「書評」だと言ってしまえばおこがましいし、
書評家や研究者の方々に失礼な気がする。」と書いているが、
なんのなんの、田尻さんの文章は
とても丁寧で、その本への目線がやさしい。
いってみれば、おいしい珈琲を頂いたような文章である。
香りが深く、味わいが濃い。

意外に海外文学(田尻さんは「翻訳文学」と書く)が多いことに気がつく。
これもエッセイの中のひとつ、「国境を越える蝶」の中で
「私は自身を持って翻訳小説をおすすめする。
翻訳物には「当たり」が多いと思っている。他国で刊行されている時点で、
その本にはすでに多くの読者がいるはずだから。」と書いている。
そして、翻訳者への感謝の言葉が続く。

「文章はつたなくとも、すすめた本を読んでほしいという気持ちは確か」と。
そして、「ここに登場する本を一冊でも読みたくなってくださいますように。」と。
きっと、そんな本がこの本から見つかりますよ。

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09/18/2023 これがシカクマメだ! - わたしの菜園日記

昭和世代には敬老の日といえば、9月15日。
それが9月の第三月曜ということに改定されて
どうもしっくりこない。
敬老の日のわが周囲みな老ゆる 山口 青邨
あと何年かしたら老人がほとんどという時代になって
敬老の日でなく、若者の日なんて出来たりするかもしれません。

まだ夏日、時々猛暑日。
それでも、稲刈りがあって季節は確実に動いているのですが。
今年も近所の田んぼの稲も刈られて稲架(はざ)にかけられていました。

稲架を組むうしろ真青に日本海 森田 かずを

ついにシカクマメが収穫できました。
まず、こちらが大きくなってぶらさがっている莢。

採り頃の大きさになっています。
そして、こんなにとれました。

こうしてみると、やはり風変わりな豆です。
シカクマメの特長は、なんといってもこの莢の形状。
4枚の翼状のひだがついています。
中がどうなっているか。

縦に切ったこちらが断面。
その周りにあるのが、横に切った断面。
忍者の使う手裏剣みたい。
このシカクマメ、沖縄では「うりずん豆」と呼ばれているそうです。
収穫した日、天ぷらにして頂きました。
インゲンをやさしくしたような味でした。
珍しい野菜の栽培ほど楽しいことはありません。
どんな花が咲くか、
どんな実がつくか、
シカクマメには十分楽しませてもらいました。

今年も花芽をつけてきました。

知らべるとニラの花は夏の季語。
まあ、この残暑ですから、今咲いてもちっともおかしくありません。
足許にゆふぐれながき韮の花 大野 林火

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