10/01/2023 セミ(ショーン・タン/訳 岸本 佐知子) - もしかして周りにセミをこしらえていないか

B級映画ながらいまだ根強いファンをもつカルト映画といっていい。
もともとは1958年公開のホラー映画「ハエ男の恐怖」で
人間が誤ってハエ男に変わるという、怖い作品なのだ。
ハエも怖いけれど、セミだってかなりグロテスクだ。
表紙のスーツにネクタイをしたセミ男の姿は
どうみてもかわいいとはいえない。
そのセミがニンゲンの世界の、高いビルの一角で
データ入力の仕事をして17年になるという。
欠勤もしないし、ミスもしない。
それでもニンゲンはセミに感謝もしないし、昇進もさせない。
ニンゲンの同僚はセミを馬鹿にするし、
会社にはセミ用のトイレもない。
しかも、セミには住む家もなくて、会社の隅っこで暮らすしかない。
そして、セミは17年めで定年を迎える。

不思議な世界を描いた作品だ。
定年を迎えたセミは会社の屋上で脱皮して、
りっぱな羽をもった赤いセミになる。
空にはそんなセミがたくさん飛んでいる。
人間たちがニンゲンでないことで虐待することは
セミにかぎらず今やたくさんの事例が証明している。
ニンゲンとは自分とは同じものではないということ。
人種であったり国であったり性別であったり言語であったり。
私たちはたくさんのセミをこしらえていないだろうか。

岸本佐知子さんの訳がいい。

田尻久子さんの『これはわたしの物語』で紹介されていて
読んでみたいと思った本たちでした。

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09/30/2023 扉の向こうには、すべての時間があった―― - 映画「すずめの戸締まり」の話

やはり2016年に公開された「君の名は。」でした。
昭和世代にとっては、今さら岸惠子ではあるまいしとハスに見ていましたが、
映画はあれよあれよという間に大ヒット。
さすがの昭和世代も気になって観ました。
正直、とてもよかった。
エンターテインメントで、青春映画で、恋愛映画。
ここから新海誠監督の過去の作品を観まくりました。
中でもよかったのは「秒速5センチメートル」(2007年)。
そっくりそのままの埼京線とか大宮駅の構内とか
新海アニメの魅力をあらためて感じました。
「言の葉の庭」(2013年)もよかった。
ここまで来ると、「君の名は。」まであと一歩。
「君の名は。」のあとの作品「天気の子」(2019年)も
公開間もなく映画館で観ました。
しかし、最新作「すずめの戸締まり」は映画館で観る機会をなくしていたのですが、
先日DVDが解禁されたので
さっそくTSUTAYAでレンタルしました。
今日は映画「すずめの戸締まり」の話です。

新海誠監督の長編アニメーションです。
2011年の東日本大震災の悲劇を真っ向から向かい合った作品といえます。
主人公は鈴芽という女子高生。
宮崎で叔母と2人で暮らしていますが、
それというのおも鈴芽が幼い頃大きな地震でお母さんを亡くしたからです。
そんな鈴芽には他の人と違う能力があって、
それが廃墟にある災いの扉を見ることができるということ。
日本各地にある災いの扉を締めて回っている「閉じ師」の青年、草太と出会って
扉を締める旅に出ることになります。
そして、たどりついたのが鈴芽の故郷の東北の地。
鈴芽は扉の向こうで幼い自身を見つけるのです。

大きな悲劇をもたらした事実をどう描くのかは
難しい問題だと思います。
この映画の場合、扉の向こうからミミズと呼ばれる怪のものが
天災を引き起こすという設定は
ファンタジーに近づけ過ぎた感じがします。
観ていて、既視感があって、
それはジブリ映画の「もののけ姫」(1997年)でした。
「もののけ姫」に出てきたシシ神とミミズがオーバーラップしました。
だとしたら、鈴芽は「もののけ姫」のアシタカでしょうか。

私たちを新海ワールドに連れていってくれるのか
楽しみです。

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09/29/2023 90年代の若者たち(島田 潤一郎) - 二十歳は美しかったか

「正統的・支配的な文化でなく、
その社会内で価値基準を異とする一部の集団を担い手とする文化」と長い説明がつく。
簡単にいえば、メインとする文化でないものを指すのだろうが、
ではそもそもメインとなる文化とは現代において何をいうのか。
もしかしたら、現代人にとってはもはやサブでしか文化は構成されていないのではないか。


島田潤一郎さんが別レーベルの「岬書店」として刊行した一冊。
大手出版社を「カルチャー」そのものだとすれば、
「ひとり出版社」そのものが「サブ・カルチャー」ともいえる。
そんな島田さんが自身の1990年代の生活を綴ったのがこの作品で、
1976年生まれの島田さんからすれば、
90年代は20歳をはさんだ多感な季節であったことは間違いない。

大学の文芸研究会というサークルで悶々としていた青年。
90年代は音楽の時代だったと書く青年は、
アルバイトはするものの自身の未来の尻尾さえつかめない。
そう、これは島田さんの「私的すぎる90年代サブ・カルチャー史」だ。
それでいて、誰もが20歳の頃に島田さんのような生活をしていたのではないか。
そんな既視感もないではない。
「僕は二十歳だった。それがひとの一生でいちばん美しい年齢だなどと だれにも言わせまい。 」
久しぶりに、ポール・ニザンの『アデンアラビア』のこんな言葉を思い出した。

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09/28/2023 濃尾参州記 街道をゆく43(司馬 遼太郎):書評「未完となったシリーズ最終巻」

9月ももうおわり。
今年もあと三か月。
ということは、NHKの大河ドラマ「どうする家康」も
あと二か月と少しでおしまいということなので、
急いでもう少し家康関連の本をと思い出したのが
司馬遼太郎さんの「街道をゆく」シリーズの最終巻、
『濃尾参州記』のこと。
確か、司馬遼太郎さんの最後の旅となったこの巻は
徳川家康のことが書かれていたはず。
本棚から取り出して、
久方ぶりに司馬遼太郎さんの旅を味わうことにしました。
家康、やっぱり憶病だったのですね。
この巻は短いですから、読みやすい一冊。
読みますか?
どうする読者。
じゃあ、読もう。

司馬遼太郎さん(以下、司馬さんと書く)の『濃尾参州記』は、シリーズ「街道をゆく」の第43巻にあたる。
この旅の執筆中の、1996年2月12日司馬さんは逝去する。ため、この旅は未完となった。
当時連載していた週刊誌には7回で中断、その後、その年の秋単行本として刊行される。
「濃尾参州」とは、美濃と尾張、そして三河の国をさす。
よって、この旅は織田信長の桶狭間の戦いから始まる。相手はいうまでもなく今川義元。
しかし、司馬さんがこの旅で描こうとしたのは、信長でも義元でもなく、おそらく徳川家康だったはず。
徳川家の祖といわれる徳阿弥のことを記し、連載はいよいよ「家康の本質」とまで書き進んだが、ここで未完となる。
もちろん、司馬さんはこれまでにも『覇王の家』や『関ヶ原』で徳川家康を描いているが、
この「街道をゆく」で風景から見える家康と三河衆の気質をどう描いたか、やはり気にかかる。
「家康の本質」の冒頭、司馬さんはこう書いている。
「若いころの家康は、露骨に憶病だった。ときに茫々と思案し、爪を噛みつづけた。」
これは、決して家康を卑下したものではない。
何故なら、その直前にこうある。
「智者は、性、憶病と考えていい。」
いうまでもなく、この「智者」は家康のことだ。
そして、この章の中盤にこんな文章をある。
「三河者の律義さが、家康一代をつらぬく一大資産となった。」
もし、司馬さんがこの旅を続けていたらと、どこまでも想像が続くが、おそらく家康とその家臣たちとの不思議と明るい関係が描かれたのかもしれない。
(2023/09/28 投稿)

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レビュープラス

編者である池澤夏樹さんが「このシリーズも三冊目」と書いている。
最初に出たのは『わたしのなつかしい一冊』(2021年)で、
2冊目が『あなたのなつかしい一冊』(2022年)。
そして、この『みんなのなつかしい一冊』。2023年に出た。
毎日新聞の土曜日の「今週の本棚」でまだ続いているから、
来年にはどんなタイトルがつくかしらん。

池澤夏樹さんが編者で、寄藤文平さんが絵を担当している。
各冊、50人の著名人によるブックガイド。
この人がこんな本を懐かしんでいる、あの人が好きな本はまだ読んでないな、
そんな本たちがずらり。
しかも、毎回寄藤さんの素敵なイラストがつく。
今回の本では、
平原綾香さんが星新一の『ねらわれた星』を、
くどうれいんさんが長野ヒデ子の『せとうちたいこさんデパートいきタイ』を、
土井善晴さんが今江祥智の『ぼんぼん』を、
神田伯山さんが三遊亭円丈の『師匠、御乱心!』を、といったぐあいに
絵本あり児童書あり社会科学あり海外文学ありと
いつもながらみなさん、とっておきの一冊をガイドしてくれている。

読みたいと感じた(!)本があれば、
きっとその本こそあなたの「なつかしい一冊」になると思う。
ところで、来年のシリーズ4冊めのタイトルだが、
『かれらのなつかしい一冊』でどうだろう。

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