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 満開の桜もいいですが、
 散り際の桜も風情があっていいものです。
 「花筏」という川面に散った桜を表す言葉もいいものです。
 菜園の横を流れる鴻沼川も
 桜が散って花筏となっていました。

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 そして、これは畑のジャガイモの芽に散りかかった桜の花びら。

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    しきりなる落花の中に幹はあり        長谷川 素逝

 この季節ならではの写真です。

 ホームセンターでは夏野菜の苗が出始めました。
 さっそく購入して13日の土曜日に植え付けを行いました。
 購入したのは、黄色い中玉トマト、赤いミニトマト、丸ナス
 菜園での提供の苗は白ナスを選択したので
 今年は別に丸ナスも育ててみることにしました。
 これらの野菜は長い期間栽培されるので
 元肥は溝施肥にしました。

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 そのあとに黒マルチを張って苗を植え付けました。

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 この日はエダマメの種も蒔きました。

 遅れていたスナップエンドウ
 ようやく花がつき始めました。

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 白い花は普通のスナップエンドウ、紫の花は紫莢のスナップエンドウ
 しかも、よく見ると、
 紫の莢がつき始めているではないですか。

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 次の野菜の植え付けが迫ってきて、
 果たしてどれだけ収穫できるものやら、
 菜園での夏野菜の苗の提供は今月下旬。
 さてさて、どうなることやら。

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 2019年10月に亡くなったイラストレーターの和田誠さんのたくさんの仕事の一つに
 「絵本」があります。
 絵本での大切なこととして、
 「まず絵がいいこと。上手じゃなくてもいいから、魅力的な絵。
 面白い流れがあること。物語であっても、感覚的なものであっても、
 あとは展開させるデザイン」と話しています。
 『ぬすまれた月』は、そんな和田さんが初めて手がけた自作絵本です。
 1963年のこと。

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 その時のことを和田さんは後年こう語っています。
 「画家がお話も作るというのが条件でした。ぼくはまだ駆け出しのイラストレーター。
 作と絵の両方をやるのは初めてで自信もなく(中略)ドキドキしながら参加した」と。
 本人はそう言いますが、そんなことはありません。
 この絵本はとてもうまく出来ていて、
 和田さんの言葉を借りるなら「展開させるデザイン」がずば抜けています。

 柱になるのが、空から月をとってきたお話。
 そんな大事な月がある時盗まれて、さまざまな人の手にわたります。
 ご存じのように月は時々で姿かたちを変えるので、
 そのあたりが物語を面白くさせています。
 こんな物語の前後に、月のかたちであったり変化がどのように起こるのかを
 巧みなイラストで説明していきます。
 そのバランスがとてもいい。

 最初の刊行以来、何度かリニューアルされながら読み継がれているのも、
 絵本としても魅力があるからです。
 そう考えると、和田さんにとって「絵本」はとっても大切な仕事だったに違いありません。

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 昨日紹介した
 東直子さんの『魚を抱いて 私の中の映画とドラマ』巻頭のエッセイは
 NHK広島発のドラマ「火の魚」でした。
 室生犀星の原作、渡辺あやさんが脚本を担当しています。
 エッセイの中で東さんはこんなことを書いています。
 「連続テレビ小説『カーネーション』などがとても好きで、
 映画やドラマに「渡辺あや」の名前を見つけると、ときめいてしまう。
 私も同じで、朝ドラ「カーネーション」(2011年)にはまって以降、
 渡辺あやというシナリオライターに「ときめいてしま」います。
 昨年日本映画専門チャンネルというCSで、
 渡辺あやさんが携わった映画やドラマを特集して番組があって
 ドラマ「火の魚」もその時に放映され今日ていました。
 今日は映画ではなくドラマですが
 「火の魚」の話です。

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 ドラマ「火の魚」はNHK広島放送局で2009年に制作されたドラマで、
 原作は室生犀星の短編小説で、脚本は渡辺あやさん。
 ドラマとしての評価が高く、その年の文化庁芸術祭大賞(テレビ・ドラマ部門)を受賞
 物語は犀星の『密のあわれ』という作品の表紙「金魚の魚拓」の製作をめぐる、
 犀星と装幀家栃折久美子との物語です。

 ドラマでは室生犀星は村田省三となっていて原田芳雄さんが演じています。
 栃折久美子は折見とち子になっていて、尾野真千子さんがとても上手い。
 渡辺あやさんの朝ドラ「カーネーション」のヒロインも尾野真千子さんでしたが、
 このドラマはそれに先行していたんですね。

 年老いて気難しい作家の原稿を受け取りにくる編集者の折見。
 彼女につらくあたる老作家ですが、
 次第に二人の心がつながっていきます。
 老作家は新しい本の装幀に「金魚の魚拓」を使うことにし、
 彼女に魚拓することを強いります。
 生きた金魚を殺すところから魚拓作りは始まります。
 そんな彼女にガンが見つかり、老作家にところに来ることはなくなります。
 折見の病院を訪ねてくる老作家。
 尾野真千子さんの視線のなんと柔らかなことでしょう。
 そして、原田芳雄さんの意地っ張りな表現にも愛情を感じます。

 このドラマは映画とはちがって
 60分にも満たないですが、
 とても余韻の残る、いい作品です。
 やっぱり、渡辺あやさんにときめきます。

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 歌人でもあり作家でもある東直子さんの名前を
 近頃書店の店頭でよく見かける。
 つまりは、多くのファンがいる歌人・作家ということだろう。
 そんな東さんが自身で観て、心を揺さぶられた映画やドラマについて
 自身によるイラストと短歌、そしてエッセイを収録したのが
 本書『魚を抱いて 私の中の映画とドラマ』である。

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 エッセイが綴られた作品は21篇。
 例えば、こんな作品。
 「2001年宇宙の旅」「ビッグ・フィッシュ」「トニー滝谷」「いつか読書する日」、
 ドラマでは「火の魚」「あまちゃん」「平清盛」(大河です!)など。
 そんな映画やドラマに誘発されて詠まれた短歌はどんなものか。
 朝ドラで人気が高い「あまちゃん」でいえば、
 「何度でも生まれかわって海になる棘を育てて咽喉を鍛えて」とある。
 紹介されている作品と短歌の、この距離感がなんともいえない。
 それはイラストでもそうだ。
 むしろ、一番わかりやすいのがエッセイともいえる。
 そのあたりのことを、東さんは
 「それぞれの作業は脳の使いどころが違うようで」と書いている。

 東さんはまた映画館で過ごした時間をこう表現している。
 「映画館独特の、少し甘い匂いのするあたたかな薄闇は、非日常へ誘われる心の旅」だと。
 映画好きならではの同じ匂いがする、こんな言葉がうれしいエッセイ集だ。

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 詩人石垣りんの詩篇の紹介とそれに添えられたエッセイを集めた『詩の中の風景』は、
 詩人生前の1987年から92年の長きにわたって「婦人之友」に連載されていたもの。
 53篇の詩の紹介は、
 佐藤春夫にはじまり谷川俊太郎茨木のり子といった同世代の詩人に至るまで
 見事に選びとられている。
 目次に並んだ詩人の名前を眺めているだけで、
 この国は豊かな言葉を生み出す風土を持っていたと感じいる。

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 このエッセイで初めて知る詩人もあって、
 そのうちのひとりが大関松三郎
 大正15年生まれの大関は戦争で亡くなっていて、
 詩人としての才能は小学生の頃に書いた手書きの詩集だったという。
 石垣は大関の詩集『山芋』から「虫けら」を紹介していて、
 添えられたエッセイにこんな一節を綴っている。
 「かなり評判になった本でもたちまち絶版、廃刊になってしまう。
 濁流のようなものの勢いを感じます。」
 こういう文章を辛辣と世間ではいうかもしれないが、
 石垣りんの魅力はそこにあって、
 だからこそ時代を見つめる視点に揺るぎがない。

 また、別のエッセイでこんな文章を見つけたりする。
 「私は自分の言葉が欲しかったのだろうと思います。
 これだけは言いたい、これを言うからにはどんな目に会ってもいいと。
 もし、時代が今でも石垣りんを欲しているなら、
 この世界は彼女が生きた時代とそう変わっていないのだろう。
 もっと自由であれ、と石垣りんの声が聞こえてきそうだ。

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