プレゼント 書評こぼれ話

  今でも
  本屋さんに行くと
  葉室麟さんの新刊が出ていないか
  さがす癖が抜けきれません。
  今日紹介する
  『河のほとりで』は
  2月に出た文春文庫の新刊ですが
  これから先にも
  まだ出るのでしょうか。

    歴史とは
    思い出という名の記憶を積み重ねること


  葉室麟さんの随筆の一節です。
  これからも
  葉室麟さんの「思い出という名の記憶」を
  追いかけていきたい。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  小説にはない、作者の本音がこぼれています                   

 平成29年12月、人気の絶頂にありながら早逝した葉室麟の随筆集である。
 文庫オリジナルということで今年2月に刊行された。その死で急遽刊行の運びとなったのか、以前から計画されていたものかどうかは知らないが、いずれにしても作者にとっては関係ない。
 自身の死はいつだって覚悟していただろうが、そのことで筆が感傷的になるはずもない。
 ただ読者としては、つい葉室の死に対する心構えを知りたくなるのも事実だ。

 例えば、葉室が初めて直木賞の候補になった回で『利休にたずねよ』で直木賞を受賞した山本兼一の『おれは清磨』の文庫解説の中で(この随筆集には新聞連載の随筆のほかにこのような本の解説や日々の雑感などが収められている)、同じ回の候補者に同じ年頃の歴史小説家が3人いたが、山本ももう一人も亡くなって、葉室だけが残ったと記されている。
 「残されたひとりとしての寂寥感」と葉室は綴っているが、何もそんなに急いで彼らのあとを追うこともなかったのにと、つくづく残念である。

 あるいはこんな一文。
 「ひとは常に「去る」覚悟をして生きねばならないのだろう」。
 これは新聞の連載随筆の一文で、2016年3月の記事だ。もちろん葉室に自身の死がわかっていたはずはないが、葉室には常に死への覚悟があり、だから書かずにはいられなかったにちがいない。

 死のことだけではなく、葉室の文学の本質として「恋する相手に献身の思いがありながら、決して口にすることがない」シラノ・ド・ベルジュラックを好きだと書いた随筆など、読み応え十分な作品に仕上がっている。
  
(2018/04/19 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  昨日小谷野敦さんの
  『忘れられたベストセラー作家』という本を
  紹介したので
  今日はベストセラーつながりで
  2009年に読んだ
  植田康夫さんの
  『本は世ににつれ ベストセラーはこうして生まれた』を
  再録書評で紹介します。
  この時の書評にも書いていますが
  私には
  「ベストセラーだから読む、という嗜好はない」。
  だけど、行列ができていたら
  ちょっと気になるタイプ。
  この列、なんですか、
  みたいなことは聞きたくなる。
  あなたはいかが。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  「行列ができるラーメン屋」にあなたは並びますか                   

 ベストセラーだから読む、という嗜好はない。また、逆にベストセラーだから読まない、という天邪鬼でもない。「行列ができるラーメン屋」に並んでまで食べるかといえばそこまでしない。そんな気分だろうか。
 ただ今どのような本が読まれているのかは気にかかる。へええと驚くこともあるし、同感と納得することもある。時にはあわてて「行列」に並ぶこともあるし、まったく無視することもある。
 私にとって、ベストセラーはそういうものでしかない。

 本書は副題の「ベストセラーはこうして生まれた」とあるように、戦後のベストセラーの「内容や売れ方を考察」した「ベストセラー史」である。
 今までにもこのようなベストセラー史は戦後の歴史をひもとく際に多数考察されてきている。本書でも当然戦後最初のベストセラーとなった『日米会話手帳』の誕生秘史(広く膾炙されて今では秘史ではなくなっているが)から書き起こされ、最近のベストセラー事情まで網羅されているのだが、筆者が「あとがき」で書いているように「前半を詳しく書き過ぎて、後半が走り書きとなった」印象はいなめない。
 戦後といっても一体いつの「戦争」のあとなのかわからない世代も増えてきている中では、むしろ平成以後のベストセラー史に焦点をあてた描き方もあったのではないだろうか。
 ただ、平成以後の出版界を見た場合に、時代と添い寝するようなベストセラーがあったかどうか。また昭和三十年代の神吉晴夫(カッパブックス創設者)のような志たくましい出版人がいるかどうか。そう見れば読み物としての平成の「ベストセラー史」が成立するかどうかはよくわからないのではあるが。

 そもそも本がその時代の「バロメーターの役割」に今もなりえているかどうかもわからない。
 むしろ、現代のように他の媒体によってベストセラーが作られている事情(本書ではテレビによる影響や最近のブログ等の新しいメディアによる影響にも言及されている)では、本は単に流行りすたりのある「商品」でしかないのかもしれない。
 風見鶏はもはや飾りでしかないのだろうか。
  
(2009/04/09 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  ベストセラー本を読むことは
  時代の流れにのるようなところがあって
  例えば
  今売れている
  若竹千佐子さんの『おらおらでひとりいぐも』は
  シニア生活をおくっている人にとって
  身につまされるようなところがあって
  やはり
  今読んでおくと
  共通の会話にもなる面もあったりする。
  だから、ベストセラー本は
  欠かさないという人も
  多いのではないだろうか。
  しかし、いつまでもベストセラーが続くことはない。
  いずれ売れなくなり
  書き手たちは忘れられていく。
  今日は
  そんな作品、作家たちを描いた
  小谷野敦さんの『忘れられたベストセラー作家』を
  紹介します。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  夏目漱石というのは、奇跡のような作家だな、やっぱり                   

 ベストセラーというのは、「売れた本」のことをいうが、ではその「売れた」はどのくらいの部数のことをいうのだろうか。
 最近では『漫画 君たちはどう生きるか』が200万部という驚異的な数字を出したそうだが、その原作といえる吉野源三郎の小説の初版は1937年というからロングセラーでもある。
 この本の場合は特異的で、多くのベストセラーは一時的な盛り上がりはあるが決して長く続くわけではない。
 だとしたら、その書き手もまた忘れ去られていくのは必然で、どんな作家たちがいたか興味がわいた。

 章立てのタイトルがよくなくて、まず第一章では「「新聞」が生み出した人気作家」となっていて。続いて「発表媒体による「値打ち」とある。
 一体どんな切り口でベストセラーを論じているのかこれではわかりにくい。
 第四章の「終戦後のベストセラー史」で、この構成が時代区分だということに気づく。
 それならもっとわかりやすい見出しをつければいいのに。
 わかりにくい見出し同様、戦後だけ見てもすべてのベストセラー本を追いかけたわけでもなさそう。

 「売れた」定義が曖昧だからそうなるので、だったら年間ベストセラーを追いかける方がうんとわかりやすい。
 そうであっても、作家たちの「あの人は今」を提供するのではないし、そういえばこういう本があったな、こういう作家がいたなという程度になってしまう。
 「売れる」本よりも「読まれる」本を目指すというのは、負け犬の遠吠えなのか。
  
(2018/04/06 投稿)

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  これはずっと残しておきたいと
  思った本は
  割とマメにビニールのカバーをつけていた頃があります。
  今日紹介する
  須賀敦子さんの『遠い朝の本たち』も
  そんな一冊です。
  私が持っている本は
  1998年6月の第五刷のものですから
  20年前に読んだ本ということに
  なります。
  久しぶりに読んでみて
  いいなと思いました。
  美しい文章は美しい心から生まれるのでしょうか。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  またお会いしましたね、そう言いたくなる本                   

 文筆家須賀敦子さんが亡くなって、今年20年になる。
 1998年3月20日、69歳という、今では早逝といえる年齢であった。
 それから一ヶ月足らずで出版されたのがこの本で、その当時の帯には「著者が最後まで手を入れ続けた」とある。
 16篇の随筆はそれぞれ本にまつわる物語だが、どれもどちらかといえば翻訳調の文体で、思考が重なるように組み立てられている。
 自身の人生の終りを迎え、自分をこしらえてくれたであろう本の物語を、須賀さんはどのような思いで「手を入れ続けた」のであろうか。
 それを思うと、この作品の重さや質の高さがわかるというものだ。

 どれほど生前に読まれていようと、亡くなれば消え去っていく作家が多い中、須賀さんはそういう浮き沈みと関係なく、いつまでも愛され、読まれ続けている作家であるのは、須賀さんの文章の硬質性にあるのではないかと思っている。
 いつまでも腐らない文章は変わらずに人の心に染みていく。

 本にまつわる随筆の、その冒頭に置かれた「しげちゃんの昇天」は須賀さんの幼馴染の早すぎる死を描いて胸を打つが、それであってもけっして情意的に書かれた文章ではない。
 だから、最後にしげちゃんの「小さいころからの彼女の愛称」であるところの「しいべ」と綴られる時、不意を突かれたように感情が波をうつ。
 そして、これは編集者の力だろうか、この本の最後の「赤い表紙の小さな本」で再び「しいべ」が登場し、この本全体が巧みに閉じられている。

 これからも須賀敦子さんの本は「遠い朝の本」のように、読まれ続けるのであろう。
  
(2018/04/04 投稿)

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  昨日
  昭和48年刊行の
  『24時間利用法』という本を紹介しましたが
  これなんかりっぱに古本と
  いっていい。
  しかも昭和の匂いがぷんぷん。
  その続きのような一冊を
  今日は紹介します。
  岡崎武志さんの
  『ご家庭にあった本』。
  副題が
  「古本で見る昭和の生活」というぐらいですから
  懐かしい。
  といっても昭和のうんと初めの本もあったりします。
  結構、昭和の本って面白いかも。

  じゃあ、読もう。

 

sai.wingpen  本箱の隅っこの昭和                   

 古本は安いというイメージがあるが、確かに本を売ろうとすると安く買い叩かれるが、けっしてそんなことはない。
 場合によっては当時の定価よりうんと高い値段がついていたりする。
 その一方で、投げ売りのような一冊100円みたいな価格がついていたりする。
 読む側との需要と供給が歴然としている世界だろう。
 そんな古本の世界から昭和の生活を振り返ろうとした一冊が、この本。

 書いたのは、古本といえばこの人、岡崎武志さん。
 この本の初出が「月刊教員養成セミナー」の連載だということにまずは驚く。(他にも日本経済新聞の連載も入っている)
 「教員養成セミナー」なる雑誌があることもびっくりだし、教員になろうとする人に古本がしかも昭和を振り返るのは、どういう編集意図であったのだろう。
 しかも岡崎さんは教育とかの本を取り上げているわけではなく、「大人の男」とか当時の「東京」とか「旅と娯楽」とか「暮らしの片すみ」とかのジャンルがほとんどで、唯一「科学とリクツ」という項目が教員をめざす人には近いだろうか。
 昭和を知ることで人間の深みがでるのかどうかわからないが、そんな世界を楽しんでいる保護者は多いということかしら。

 一つどうしても書いておきたいのが昭和50年の『ジャズ日本列島50年版』を紹介したエッセイのこと。
 これはあの『二十歳の原点』を書いた高野悦子の描いた多くの文章の中でも秀逸だろう。
 その最後の一節、「死は選ばなかったものの、無数の高野悦子が、六〇年代末から七〇年代にかけて、全国の学生街のジャズ喫茶にたむろしていたのではないか」に、じんと来た。
  
(2018/01/13 投稿)

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