いやあ、びっくりしました。
 何がって
 第155回直木賞の受賞者です。
 昨年の12月に
 埼玉県の「図書館と県民のつどい」で
 講演された
 埼玉県出身の荻原浩さんが
 『海の見える理髪店』で
 見事受賞。
 いやあ、あの時の講演の関係者の人たちも
 うれしいでしょうね。
 もちろん、
 私たち聴衆も
 直木賞作家の創作の秘密を
 先取りしたのですから
 得した気分。

  あの時の講演会の様子はこちらから.。

   

 芥川賞は
 村田沙耶香さんの『コンビニ人間』。
 やっぱり山崎ナオコーラさんは
 ダメでしたか。
 今から
 選考委員の選評が楽しみです。

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 いやあ、やりましたね。
 昨夜発表のあった第153回芥川賞・直木賞のことです。

    ピース又吉直樹「火花」が芥川賞 お笑いタレント初

 これは日刊スポーツのWEB記事。
 どうしても、又吉直樹さんの扱いが
 大きくなるのは仕方ありません。
 ちゃんと書くと
 芥川賞又吉直樹さんの『火花』
 羽田圭介さんの『スクラップ・アンド・ビルド』のW受賞。
 直木賞東山彰良さんの『流(りゅう)』

 皆さん、おめでとうございます。

 芥川賞の選考結果で
 選考委員の一人山田詠美委員は
 又吉直樹さんの作品について
 「切実なものが迫ってくる感じ。欠点も多々あるが、何か強いものを感じた」と
 話したそうです。
 さらに、又吉直樹さんが芸人だという点についても
 「彼がどういう職業かは関係なくて知らなかった世界を読めた」と
 言っています。
 まっとうなコメントですね。
 私なんかピースの漫才をあんまり見たことがないので
 又吉直樹さんが漫才師であっても大企業のエライさんであって
 同じだと思います。
 肝心なことは
 作者として作品をどう作り上げていくかということです。

 今日は、又吉直樹さんの芥川賞受賞祝いで
 『火花』の書評を再録しておきます。



sai.wingpen  これは、いい作品だ                   

 作者には属性がある。
 男、女、若い、中年、初老、会社員、契約社員、無職、もちろん作家。
 それが大手商社の人事マンであっても構わないし、まして人気漫才師であっても、小説を書いてはいけないということはない。
 又吉直樹という現役の漫才師が純文学を書いて、「文学界」という作家志望の人ならそこに掲載されることを一度は夢見る文芸誌に掲載され、話題となる。
 何故、話題となったのだろう。
 又吉が漫才師であったからか。
 まるで、漫才師などは文学ともっとも遠いところにでもいるかのような騒ぎ方だ。
 きっとそんな騒ぎ方をされている本は読みたくないと思っている人もいるだろうが、読まないとあるいは損をする作品かもしれない、これは。

 若手漫才師の「僕」はたまたま同じ現場で仕事をした先輩漫才師「神谷」に弟子入りをすることになる。
 「弟子入り」といっても、「漫才師とはこうあるべきやと語ることと、漫才師を語ることとは、全然違うねん」、そんなことを語る神谷のあとをついてまわって、お酒を飲んだり、神谷の彼女の部屋に転がりこんでばかりいる。
 「僕」も神谷も売れないことには変わりない。
 しかも、神谷は「僕」の先輩ゆえに、いつも出費は神谷だ。
 いつしか、少しは名前が売れ出した「僕」のコンビ。その一方で、神谷のコンビは芽が出ない。

 立場が逆になり、「僕」はとうとう神谷をこき下ろすことになる。
 「徳永やったら、もっと出来ると思ってまうねん」という神谷に「ほな、自分がテレビ出てやったらよろしんやん」と毒づく「僕」。
 漫才の世界の話ではあるが、そこにはもっと深い世界がある。
 その世界を男二人のせめぎあい。それは昔見たアメリカン・ニュー・シネマの主人公たちのような世界観。
 例えば、「真夜中のカウボーイ」のような。

 やがて「僕」たちのコンビも絶頂を知らないまま、コンビ解散となってしまう。
 「一度しかない人生において、結果が全く出ないかもしれないことに挑戦するのは怖いだろう」、そのことに気づいて、やっと「僕」は自分の人生を手にいれたことを知る。

 漫才師は漫才だけをすればいい、と神谷ならいうだろうか。
 いい作品なら書けば、もう作家だ。
  
(2015/05/13 投稿)

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 平成27年7月5日、日曜日
 午後1時15分。
 なんだか事件記事みたいな
 時間の刻み方ですが、
 埼玉県さいたま市の浦和にある
 さいたま市立中央図書館の来館者が
 1000万人に到達した瞬間です!

   おめでとうございます 

  20150705_171542_convert_20150705183225.jpg

 日頃この図書館にはとてもお世話になっていますから
 我がことのように
 うれしい。
 本当はその瞬間に立ち会いたかった、
 もっといえば
 1000万人めの来館者に
 なりたかったなぁ。
 さすがに、それは無理でしたが。

 さいたま市立中央図書館
 平成19年11月29日の開館ですから
 およそ7年半にして
 大きな数字にたどり着いたわけです。
 図書館員の皆さんの
 日頃の努力の賜物です。
 これからも
 市民の愛される図書館として
 がんばって下さい。

 もちろん、
 これからもバンバン利用させてもらいます。

   おめでとうございます。

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 冷たい雨の降る
 1月15日の東京の夜。
 第152回芥川賞直木賞が決定しました。

     第152回芥川賞に小野正嗣さん、直木賞は西加奈子さん

 直木賞には
 西加奈子さんの『サラバ!』(これは上下本の大作)に
 決まりました。

サラバ! 上サラバ! 上
(2014/10/29)
西 加奈子

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 西加奈子さんといえば
 独特の大阪感をもった女性ですが
 その経歴をみて
 びっくり。
 イランで生まれて
 大阪の堺市に育ちました。
 おおーっ。
 我が故郷の近くじゃないか。
 高校は泉陽高校
 『みだれ髪』の歌人与謝野晶子はこの高校の出身。
 脚本家の橋田壽賀子さんもここを出てる。
 なんだか迫力あるな。
 そんな西加奈子さんですが
 今若い人には人気も高い。
 ですので、
 今回の直木賞受賞はたくさんの西加奈子ファンを
 満足させたんじゃないでしょうか。

 一方の
 芥川賞ですが、
 小野正嗣さんの『九年前の祈り』に決定しました。
 小野正嗣さんはフランス文学者としても
 書評家としても
 評価の高い先生です。
 すでに3回芥川賞の候補になって
 今回が4度目の正直の
 受賞になりました。
 めでたい。

 今回もちゃんと
 受賞者が出て
 本屋さんもほっとしてるでしょうね。
 しかも、
 西加奈子さんの受賞作は
 上下本ですから
 受賞作を読みたいという人は
 普通の時よりも
 倍購入することに
 なりますものね。

 西加奈子さん、
 小野正嗣さん、
 おめでとうございました。

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 先日(8月13日)の朝日新聞朝刊一面に
 興味深い記事が出ていました。

   夏目漱石が親友の俳人・正岡子規にあてた書簡が
     東京都内の古書店で見つかった。

 しかも、その書簡には未発表句が2句もあったという。

 書簡は1897年(明治30年)のものだそうで、
 見つかった俳句の一つは、

    京に二日また鎌倉の秋を憶(おも)ふ

 で、
 これは病気の奥さんを思って詠んだものらしい。
 ちなみに、
 夏目漱石には
 すでに岩波文庫で『漱石俳句集』なる一冊がでているくらいで
 正岡子規から教えられ、
 さらには病床の子規を励まさんと数多くの俳句を
 詠んだことで知られている。

漱石俳句集 (岩波文庫)漱石俳句集 (岩波文庫)
(1990/04/16)
夏目 漱石

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  『漱石俳句集』の1897年の俳句には

    菫ほどな小さき人に生まれたし

 という有名な句もある。
 さらには、

    来て見れば長谷は秋風ばかりなり

 という句もある。
 実は今回見つかったもう一つの句が

    禅寺や只秋立つと聞くからに

 で、この句の前書きに
 「円覚寺にて」とある。
 たぶん、この時期漱石はしばしば
 鎌倉を訪れていたのでしょう。
 記事は最後にこんな風に書かれている。

    漱石と子規は東大予備門で出会い、友情を結んだ。
    漱石は子規から俳句の教えを受け、
    留学中も子規に俳句を送っていた。
    生涯に約2400の俳句を残したという。


 夏目漱石正岡子規
 明治の、近代日本の大いなる魂が
 俳句という文芸で交差し合ったことの
 不思議さを、
 今回の記事はよく伝えている。
 正岡子規が亡くなったのは1902年(明治35年)の9月19日。
 子規の訃報を英国で聞いた漱石は
 こんな句を詠んで
 友を偲んだ。

    手向くべき線香もなくて暮の秋

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