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 文章が谷川俊太郎さんで、絵が樋勝朋巳さんの
 絵本『こっちとあっち』は
 クレヨンハウスから2023年2月に出たばかり。
 奥付を見ると、
 クレヨンハウスの住所が東京の吉祥寺となっています。
 青山にあったお店が老朽化のため昨年の暮れに閉店となり、
 その後吉祥寺に移転したためです。
 もしかしたら、そういうこともあったのかもと思えてしまえるタイトル、
 『こっちとあっち』。
 それはあまりに深読みし過ぎかな。

  

 この絵本は谷川俊太郎さんの「あかちゃんから絵本」シリーズの
 16冊めとなる作品です。
 このシリーズは谷川さんが現代のアーティストと組んで、
 言葉と絵の楽しさを赤ちゃんにも感じてもらおうと取り込んでいるものです。
 なので、言葉も絵もとてもシンプル。
 「こっち」にいるぼくと、「あっち」にいるともだち。
 時にけんかをしたり、仲直りしたり。
 ともだちが「こっち」に来たり、
 ぼくが「あっち」に行ったり。
 それだけのお話ですが、
 赤ちゃんの笑顔が浮かんでくるような絵本です。

 自分にとっての「あっち」とはどんな世界なのか、
 つい考えてしまいました。
 そうしたら、絵本のページが「あっち」に思えてきたので、
 私も「あっち」で遊んでみようと思いました。

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プレゼント 書評こぼれ話

  野球のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)での
  日本チーム(侍ジャパン)の優勝、おめでとうございます。
  一次ラウンドから昨日のアメリカとの決勝戦まで
  日本中に感動を与え続けてくれたメンバーに感謝します。
  日本中で「にわかファン」が増殖したと思いますし、
  私もそのうちの一人ですが、
  「にわか」であってもこれだけ感動するのですから
  「根っから」ファンはたまったものではなかったでしょうね。
  まさに、号泣!
  しからば、野球についての本の一冊ぐらいは
  読んだことあるのではないかと探してみました。
  ありました、ありました。
  絵本ですが、
  長谷川集平さんに素敵な一冊がありました。
  『ホームランを打ったことのない君に』。
  ドンピシャなタイトルでしょ。
  2014年6月に書いたものの、再録書評になります。

  野球の素晴らしさに、拍手!

  

sai.wingpen  ホームランを打てる人生なんてそうそうあるものではない                   

 ホームランを打ったことがない。
 たぶんホームランを打ったことのある人の方がうんと少ないのではないだろうか。
 ホームランを打てる人の条件、まず野球をやったことがある人、バッティングにセンスがある人、相手投手の調子がよくない時、あるいは風の強さ。
 だから、ホームランを打った人はとってもうれしいはずなのに、ちょっと照れくさい。笑いがこみあげてくるはずなのに、それを奥歯で噛みしめている。
 でも、そんなことどもも、あくまでも想像。
 だって、ホームランを打ったことがないのだから。
 それは人生でもそうかもしれない。
 ホームランを打てる人生なんてそうそうあるものではない。

 長谷川集平さんの絵本はいつも何かを考えさせる。
 大きなことのはずなのに、けっして声高に語るのでもない。絵も派手ではない。
 静かに、大切なことを話しかけてくれる。
 この絵本はホームランを打ったことのないルイ少年が町でかつて野球がうまかった仙吉にホームランの何事かを教えてもらう話だ。
 仙吉は交通事故にあって野球ができなくなって、今はリハビリ中。
 けれど、ルイにホームランの魅力をやさしく伝える。
 仙吉は野球ができなくなったことを愚痴ることもしない。ただ、野球の素晴らしさを話し、ホームランの美しさを語るだけだ。
 それでいて、静かに、だ。
 仙吉を別れたルイはそのあとでゆっくりとバットを振り続ける仙吉の姿を見る。

 仙吉がどうしてバットを振り続けるのかをルイは知っている。
 ホームランを打つために、だ。
 けれど、そのホームランは野球の世界だけのホームランだけではないことにルイは気づいたかもしれない。
 そんなことを長谷川集平さんは声高にはいわない。
 長谷川さんの文と絵で、読者である私たちがわかるだけだ。
 ホームランを打つことは難しい。
 でも、ホームランを打ったことのない悔しさとか寂しさとかはホームランを打ったことがない者だけがわかることではないだろうか。
 そのことを大事にしているなんていえば、負け惜しみに聞こえるだろうか。
  
(2014/06/29 投稿)

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レビュープラス
プレゼント 書評こぼれ話

  今日は春分の日で、お休みの人も多いと思います。
  それに彼岸の中日にもあたります。

    お彼岸のきれいな顔の雀かな       勝又 一透

  亡くなった人たちを思い出すのも
  こんな日なのかもしれません。
  この前の日曜(3月19日)に紹介した
  シルヴァスタインの『ぼくを探しに』という絵本のこと、
  実はずっと以前、
  訳者である倉橋由美子さんが亡くなった2005年に
  当時のbk1という書店サイトに
  書評を投稿していたのを見つけました。
  18年前の文章ですが、
  ブログには初めて載せることになります。
  50歳になったばかりの私が
  18歳のことをこんなふうに思い出していたのか、
  それが懐かしく、
  お彼岸の今日、紹介してみることにしました。

  

sai.wingpen  十八歳のぼくを探しに                   

 作家倉橋由美子さんは、2005年6月10日に亡くなった。69歳だった。
 かつて倉橋文学に夢中になったことがあるだけに、やや呆然となった。倉橋さんの死もそうだし、その年齢にも。
 倉橋文学にはまっていた頃、私はまだ大学生だったし、倉橋由美子自身もまだ若い新進気鋭の女流作家だった。その時の印象が強かっただけにあまりに唐突とした訃報だった。

 倉橋由美子の作品で最初に読んだのはやはりデビュー作『パルタイ』(60年)だった。
 『パルタイ』は倉橋が明治大学在学中に書いた作品だが、この作品によって「女流文学賞」を受賞し、彼女は一躍当時の文学界において脚光を浴びることになる。
 作品は難解だった。
 あの頃の私がどこまでその作品を読みきれたか自信はないが、18歳前後の私はそういった難解なものに強く惹かれていた。
 当時私が愛したのは、倉橋以外に安部公房、高橋和巳、大江健三郎、開高健、といった作家だったが、彼らはあまりにも生真面目に文学を捉えていた。
 彼らの時代には文学は政治と同じ磁場にあったし、彼ら自身がそれを強く意識していた。
 
 同様に、彼らは文学の主題としての性の問題に頑迷なくらい拘った。
 そういう点で、私にとって倉橋は大江と同様に時代の旗手だった。
 『パルタイ』に続く『婚約』『暗い旅』『聖少女』『スミヤキストQの冒険』。
 このように倉橋の初期の作品名を書き記すだけで、甘酸っぱい思い出の果汁が滴ってくる。
 18歳の私は倉橋の何に夢中になったのだろう。 
 それはあまりにも時代的な磁力のようなものだったと思う。
 その証拠に私はある頃から倉橋の作品をまったく読まなくなる。
 倉橋の初めての翻訳、そしてベストセラーになったこの『ぼくを探しに』も話題作の『大人のための残酷童話』も読んでいない。
 私にとって、倉橋由美子は10代終わりから20代初めにかけての作家だった。

 この『ぼくを探しに』はシルヴァスタインのイラストと詩のような文章で描かれた絵本のような作品である。
 倉橋の翻訳とはいえ、私にとっては私が知っている倉橋由美子と直接に結びつかない。
 もし倉橋らしさをこの本から探すとすれば、最後の数ページに書かれた倉橋による「あとがき」だろう。
 絵本のあとがきにしてはあまりにも生真面目な文章はいかにも倉橋らしい硬質なものだ。
 その文章の中でさりげなく置かれた言葉が印象に残った。
 「この世界を言い表す言葉を探すこと」。
 倉橋由美子にとって、それは終生変わらぬ文学の主題だったのかもしれない。
  
(2005/07/03 投稿)

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 大江健三郎さんが亡くなったあと、
 多くの追悼の記事がでました。
 大江さんの文学は難解な部類にはいるのでしょうが、
 みんな大江さんのことが好きだったのが
 それらの記事でよくわかります。
 その大江さんと同い年生まれ(1935年)で
 ともに大学生の時にデビューし、
 大江さんとしばしば比較された女性作家がいました。
 それが、この『ぼくを探しに』という絵本の翻訳者、
 倉橋由美子さん。
 倉橋さんのデビュー作は『パルタイ』(1960年)で、
 もしかしたら大江さん以上に難解だったかもしれません。

  

 この『ぼくを探しに』は
 1977年に日本で出版された絵本で
 もしかしたら倉橋さんの著作の中でも
 おおいに売れた一冊になったのではないかと思えるほど
 ロングセラーになりました。
 原作はシカゴ生まれの作家シルヴァスタインで、
 この作品のほか村上春樹さんが翻訳した『おおきな木』などで
 知られた人です。
 この『ぼくを探しに』はとてもシンプルな絵で
 丸い、けれど少し欠けている「ぼく」が
 足りないものを探していく世界を描いています。
 単純だけど、奥深い。
 そんな絵本の翻訳を倉橋由美子さんにお願いした
 編集者のセンスに拍手をおくりたい。

 単純な言葉なんて、倉橋さんでなくともと思われた人は
 ぜひこの絵本の最後にある、
 倉橋さんの「あとがき」を読んでみて下さい。
 きっと、難解な倉橋由美子さんの片鱗を見つけることができます。

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 絵本作家の飯野和好さんはここ数年、
 日本の神話をたびたび絵本化してきました。
 アマテラスやスサノオといった神々を
 子供を対象にした絵本で見事に表現しています。
 飯野さんの絵柄や作風が神話の世界に合っていたともいえます。
 それらの神々よりもっと前、
 『古事記』の最初に描かれているのが
 この絵本『国生みイザナギイザナミ』の物語です。
 男神イザナギと女神イザナミが協力し合って
 日本の島々を作ったというのは聞いたことがあるでしょう。
 なかなか難解な文章が続きますが、
 飯野さんの絵がその難解さを程よく溶かしてくれます。

  

 日本の島々を作った二人はそのあと
 土の神や風の神といった私たちのまわりにあるものを
 次々と作っていきます。
 そして、火の神を作った時にイザナミはやけどで
 黄泉の国に行ってしまいます。
 そのあとイザナギの救出劇があるのですが、
 内容的には結構ハードですから、
 子供たちに読み聞かせる時は、怖がらせないようにする必要があります。
 でも、子供ってこういう怖い話が案外好きですから
 冒険ものを読むように話すといいかもしれません。

 こうしてイザナミと別れたイザナギは
 このあとアマテラスなどの三人の神をさずかることになります。
 飯野さんの神話ワールドはこうして
 先に刊行されていた絵本たちとつながっていきます。

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