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プレゼント 書評こぼれ話

  今日も
  昨日に続いて俳句の本の
  紹介です。
  坪内稔典さんの
  『俳句いまむかし ふたたび』。
  坪内稔典さんは1944年生まれで
  本書の中でも「後期高齢者」となったと
  書かれています。
  午前3時には目を覚ますともあって
  もしかしたこの本は
  シニアの人向けの
  生活術としても読めるのではと
  思えたりもして。
  いろんな読み方ができるのも
  本を読む楽しみのひとつです。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  美しい日本語ふたたび                   

 毎日新聞に連載されている「季語刻々」から400回分を選んで編まれたこの本は、タイトルでもわかるように2020年8月に出た『俳句いまむかし』の続編である。
 わずか1年で続編が編まれるのは、新聞連載が2010年からあってすでにかなりの記事の蓄積があるからだろう。
 もっともこの本の中には「マスク」という冬の季語に、コロナについての記述もあったりする。
 ネンテンさん曰く、「マスクは冬の季語だったが、コロナの日々の今年、マスクは季節を問わない日常品になっている」という風に。

 続編となったこの本でも先の本の編集、「一つの季語について、今と昔の句を挙げ、感想を書くというスタイル」を踏襲している。
 ネンテンさんは本書の「まえがき」で「季語は俳句を詠むことで、その都度に新しく作られている」と書いているし、短い感想の中でも、「チーズフォンデュやもつ鍋を季語にしたい」と書いていたりする。
 ちなみにそう書いた回は会津八一の「闇汁の納豆にまじる柘榴かな」を引用し、「闇汁は正岡子規や高浜虚子が詠んでできた季語」と説明している。

 「いま」と「むかし」の俳句を比べると、「いま」の俳句にカタカナ文字が多いことに気づく。くぼえみさんの「ユニクロの若草色へ日脚伸ぶ」という句には一瞬ハッとさせられた。おそらく私たちの日常は思った以上にカタカナであふれているだろう。
 そんなことも気づかさせられる一冊である。
  
(2021/12/17 投稿)

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  年の瀬は早いもので
  今年もあと2週間余りとなってきました。
  『歳時記』を開くと
  「畳替え」とか「日記買ふ」とか「賀状書く」といった
  年の瀬ならではの季語が並んでいます。

     賀状書くけふもあしたも逢ふ人に       藤沢 樹村

  年賀状に俳句をいれるようになって
  もう10年以上になりますが
  最近俳句から遠のいていて
  俳句脳になっていません。
  そこで、手にしたのが
  岩波文庫から秋に出た
  『久保田万太郎俳句集』。
  これでいい句が詠めたらいいのですが。

  じゃあ、読もう。  

  

sai.wingpen  あの有名な俳句はこんなにも切なかったのか                   

 湯豆腐のおいしい季節ともなれば思い出す俳句がある。
 久保田万太郎の「湯豆腐やいのちのはてのうすあかり」だ。
 久保田万太郎は明治22年に生まれ昭和38年73歳で亡くなっている。
 浅草生まれということもあって、浅草寺のそばにある浅草神社の境内に「竹馬やいろはにほへとちりぢりに」という句碑が立っている。
 久保田のことを調べると、作家や劇作家という肩書がまずある。そのあとに俳人と続き、万太郎自身は俳句は余技といったいたようだが、万太郎俳句を好む人は多い。

 岩波文庫の一冊となったこの俳句集では、万太郎の俳句902句が収められている。
 冒頭にあげた「湯豆腐」の句は万太郎の最晩年のもので、句集でいえば生涯の終わりに共に暮らした女性の死を読んだ十句のあとに続いている。
 「死んでゆくものうらやまし冬ごもり」、そのあとに「湯豆腐」の句を置いてみると、なんとも切ない「いのちのうすあかり」が実感として迫ったくる。
 俳句とはその句自体で鑑賞してもいいが、こうしてつながりで読むとまた違った風景が見えてくるようだ。

 万太郎の句は「竹馬」の作品でもそうだが、決して難解ではない。
 日本語の柔らかさをうまくリズムにのせているように思える。
 編者である恩田侑布子さんもまた俳人であり、その解説はわかりやすい。
 まず、恩田さんの解説を読んでから万太郎の俳句を読むのもいいかもしれない。
  
(2021/12/16 投稿)

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  昨日紹介した
  和田誠さんは谷川俊太郎さんとのコンビで
  多くの作品を残しています。
  和田誠さんは
  「谷川さんのテキストが絵描きにとって有難いのは
  過剰な説明がないこと」という文章を残しています。
  そういう点では
  今日紹介する
  谷川俊太郎さんの最新の詩集
  『虚空へ』は
  短い詩ですので
  過剰さはほとんどありません。
  もし、
  和田誠さんが生きていたら
  これらの詩にどんな絵を
  描いたのでしょう。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  蛍火のように点滅する詩                   

 詩は、できれば声に出して読む「音読」がいい。
 自分の声が耳に入って、リズムという循環を生む。
 そうは思っているが、谷川俊太郎の新しいこの詩集を、さて声に出して読んだとしても、その理解はある一面でしか生まないような気がした。

 詩集の「あとがき」で、谷川は「言葉数を多くすることで、暗がりから徐々に現れてくる詩がある。言葉数を少なくすることで、暗がりのなかで蛍火のように点滅する詩もあるかもしれない。」と書いている。
 だから、この詩集には短い行脚の十四行詩ばかりが収められている。
 まずその前に、谷川がいう詩から現れる光とは何だろう。
 蛍火のように点滅するものとは何だろう。

 それは生きるという時間の中で照らされるものかもしれない。
 詩そのものに利益はないかもしれないが、詩がないとぎくしゃくしてしまう。
 そういう空白こそが、詩の持つ力ではないだろうか。

 そして、谷川が今回提示した詩の数々は「音」だけでなく、視覚をも求めてくる。
 短い言葉の羅列、行数の組み合わせ、なにより詩のタイトルにつけられた( )は、音ではなく見ることでしか理解されない。
 (詩につけられたタイトルは、例えば「椅子を引き」が印刷された時に「(椅子を引き)」となっている)

 谷川のこの詩集を読んでいると、詩を読む怖さのようなものを感じる。
 そんな怖さも含めて、詩の世界なんだろうが。
  
(2021/11/11 投稿)

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  今日は
  久しぶりに詩集の紹介です。
  『石垣りん詩集 表札』です。
  石垣りんさんの詩集は
  2015年に岩波文庫の一冊として刊行されていますし、
  その時も紹介しました。
  2004年に亡くなった詩人ですから
  新しい詩が生まれることもないのですが、
  この詩集を出版した田中和雄さんとの交流があって
  こうしてまた
  新しい詩集が編まれました。
  「表札」を冠した詩集を出すか20年迷い、
  自身の年齢を考え決心がついたと
  86歳の田中和雄さん。
  なんともうれしい
  詩人と編集者の関係ではなりませんか。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  自分の手で表札をかけるに限る                   

 詩を読むと、その詩人の生涯をたずねたくなる。
 小説家の場合もないことはないが、詩人の方が圧倒的にそういう気分になる。
 それは、この詩を書いた人はどんな暮らしをしていたのか、まるで詩がその扉を開くようでもあるのだ。
 石垣りんという詩人の場合は、もっとも顕著だ。

 14歳という若さ(若さというにはあどけなさ過ぎる年齢だ)で、日本興業銀行に就職。その時の初任給が18円だったという。
 21歳の時、太平洋戦争が始まり、空襲で家を焼かれて敗戦。
 25歳の彼女の給与で病身の父や義理の母や祖父、弟たちの生計を支えることになる。
 その当時に書いた詩がこの詩集にも収められているが、壮絶な貧困に言葉が血を吐くようでもある。
 組合の委員にもなり、「職場新聞に掲載された一〇五名の戦没者名簿に寄せて」という前書きのついた「弔詞」という詩に、戦争に対する悲痛な声を寄せている。
 48歳の時、代表作となる『表札など』を発表し、第19回H賞を受賞し、詩人としての地位を固める。
 彼女がりっぱなのは、55歳で定年退職するまで、銀行での仕事を全うしたことだろう。
 その余生を詩を書くことで過ごしただろうと誰もが思うはずだが、彼女はそうはしなかった。
 そのことの意味を誰か教えてくれないか。
 そして、2004年12月26日、永眠。享年84歳。

 この詩集には死の翌年に営まれた「さよならの会」で読まれた谷川俊太郎さんの「石垣さん」と茨木のり子さんの「弔辞」、そしてこの詩集を編まれた田中和雄さんの「石垣りん小伝」が収められている。
  
(2021/11/04 投稿)

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  ひところ
  日曜早朝のNHKEテレの「NHK俳句」を
  欠かさず見ていた時期がありました。
  その頃から
  岸本葉子さんは司会をされていて
  やはり心得があるので
  まとをえた進行に感心していました。
  その岸本葉子さんが
  初めての句集を出版されて
  それが今日紹介する
  『句集 つちふる』です。
  この「つちふる」のこと、
  書評ではあたかもよく知っていた季語のように書いていますが
  この句集を読んでから
  『歳時記』で調べました。
  黄砂といえば
  砂塵がまったりちょっと嫌なイメージですが
  「つちふる」とすれば
  きれいな響きになります。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  好きな句がすぐさま一山                   

 エッセイストの岸本葉子さんの初めての句集。
 とはいえ、俳句好きの読者であれば、岸本さんが毎週日曜の朝放送されているNHKEテレの「NHK俳句」の司会を2015年からされていることをご存じだろうし、その関係で俳句についてのエッセイや俳人の皆さんとの共著で初心者向けの俳句入門の本も数多く出版されている。
 「あとがき」によれば、2008年に句会に参加することから句作を始めたという。
 この句集にはそれから2020年までに句会等で詠んだ数多くの作品から349句が収められているという。

 肩書だけが人間のすべてではないが、岸本さんはいまや「エッセイスト」だけでなく「俳人」という肩書をつけてもいいのではないだろうか。
 この句集のどれひとつとっても、アマチュアというよりりっぱな詠み人、俳人だ。
 これだけの句があるから、好き嫌いはあるだろう。
 私ならこの句を採る(つまりは、「いいなぁ」と言いたくなる)という句の一山ぐらいすぐにできそうだ。
 例えば、この句。「缶コーヒーごとりと落つる余寒かな」。
 「缶コーヒー」という現代の飲み物に「ごとり」というややおおげさな擬音を使うことで「余寒」という季語をさらに生かした句など、好きだな、「いいなぁ」。
 こんなふうに自分の好きな句を見つければいい。

 ちなみに句集のタイトルになっている「つちふる」は、大陸から飛んでくる黄砂をいう春の季語。
 岸本さんは「つちふるや汀の線のかく歪つ」と詠んでいる。
  
(2021/09/30 投稿)

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