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プレゼント 書評こぼれ話

  今日は
  二十四節気のひとつ、小雪

     小雪といふ野のかげり田のひかり    市村 究一郎

  この節気、
  「歳時記」にはほとんど内容が書かれていなくて
  ただ「二十四節気の一つで、11月22日ごろにあたる」とだけ。
  実にそっけない。
  まあ字を読めばわかるでしょ、ぐらいな。
  そう雪がちらつくそんな候。
  今日は「俳句絵本」を
  紹介します。
  俳句を詠んだのはねじめ正一さん。
  絵を描いたのは五味太郎さん。
  クレヨンハウスが出版しています。
  タイトルは『みどりとなずな』。
  これは俳句の気分で読むのが
  いいのかな。
  それとも絵本を開くようにかな。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  俳句だって絵本になる                   

 「俳句絵本」です。
 書かれているのは俳句ですが、句集ではなく「俳句絵本」です。
 俳句が絵本になることよりも、俳句さえ絵本にしてしまう絵本の懐の深さに驚いてしまいます。
 俳句を詠んだのは詩人で『高円寺純情商店街』で第101回直木賞を受賞した作家でもある、ねじめ正一さん。
 絵を描いたのは絵本作家の五味太郎さん。
 五味さんといえば独特のタッチで数多くの絵本を描いてきた有名な絵本作家ですが、この絵本はそんな五味さんのタッチではなく、ねじめさんの俳句をじゃますることなく、それでいて俳句と寄り添いながら、絵だけ見てても俳句の世界に入れる、そんな世界観になっています。

 この絵本で詠まれている俳句は全部で30句。
 ねじめさんのお母さんの看護のさまが詠まれています。
 例えば、こんな句。「病院の母と二人の雛祭り」。
 ベッドで酸素マスクをつけている母を見るのは息子として辛いでしょうが、こうして俳句になればどこか突き抜けた感じがします。
看護の甲斐空しくお母さんは2017年9月に亡くなります。
 その時詠んだ句。「九月の酸素マスクの母が逝く」。
 こんな句が続きます。「みどりの名酸素マスクの紐に書く」。
 タイトルの「みどり」はお母さんの名前だったのです。

 では、「なずな」。
 お母さんが逝ったあと、ねじめさんに孫娘が生まれます。
 その子の名前が「なずな」。
 詠んだ句が「母逝ってなずな生まれる宇宙あり」。
 そんないのちの句に五味さんは色と形だけで応えている、そんな「俳句絵本」です。
  
(2019/11/22 投稿)

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  今日は立冬
  北の方からは初雪の便りも
  届くようになりました。

     立冬や昨日につづく朝かな     稲畑 汀子

  今日はこの句の作者稲畑汀子さんの
  『俳句を愛するならば』を
  紹介します。
  書評に書いた「俳句の作り方 十のないないづくし」を
  せっかくなので書き留めておきます。

    ① 上手に作ろうとしない。
    ② 難しい表現をしない。
    ③ 言いたいことを全部言わない。
    ④ 季題を重ねない。
    ⑤ 言葉に酔わない。
    ⑥ 人真似をしない。
    ⑦ 切字を重ねない。
    ⑧ 作りっ放しはいけない。
    ⑨ 頭の中で作りあげない。
    ⑩ 一面からのみ物を見ない。

  なるほど。
  納得の十条でした。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  俳句は新しい発見                   

 雑誌「ホトトギス」といえば、今では俳誌として有名だが、明治の時代愛媛松山で創刊されたそれを東京で引き継ぎ、編集に携わったのが高浜虚子だ。
 夏目漱石の名を一躍有名にした『吾輩は猫である』が載ったのも「ホトトギス」であったように初期の頃は文芸誌のような構成であった。というのも、虚子が一旦俳句の世界から遠ざかったことが要因でもある。
 そんな虚子が俳壇に戻ったのが大正になってからで、以降「ホトトギス」は俳壇で大きな位置を占めることになる。

 稲畑汀子さんは高浜虚子の孫にあたる。
 父親が虚子の子年尾で、虚子のあとを継いで「ホトトギス」主宰となり、汀子さんはその父のあとを継いで主宰、そして現在は汀子さんの息子である稲畑廣太郎さんが次の主宰となっている。
 稲畑汀子さんは名誉主宰である。
 こうして名前だけを連ねても虚子の世界がいかに大きかったかわかるし、「ホトトギス」の影響の深さも想像できる。
 汀子さんはかつて「NHK俳壇」の選者でもあり、そのテキストにも連載記事を綴っていた。
 それがこの本の「選句という大事」と「句会の力」で、これに「ホトトギス」に綴った「俳句随想」が合わさって編まれている。
 そういうことでいえば、これこそ「ホトトギス」の本髄といえるかもしれない。

 汀子さんは「俳句は理屈ではない」という。
 「興味を持って物を見る心をいつも若々しくしていなければ俳句はできないだろう」と続ける。
 この本にはそんな汀子さんが作った「俳句の作り方 十のないないづくし」が載っている。
 きっと作句の参考になるに違いない。
  
(2019/11/08 投稿)

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  昨日は猛暑も一段落して
  二十四節気の処暑
  納得いったという人も多かったのでは。
  雨があがって
  蝉の鳴き声がやかましいくらい。

     たちまちに蜩の声揃ふなり     中村 汀女

  この俳句の季語は「蜩(ひぐらし)」。
  秋の季語。
  単に「蝉」だと夏の季語になるので
  気をつけないといけません。
  こういうように
  季節をよく見、感じるところに
  俳句の面白さがあるように思います。
  今日は堀本裕樹さんの
  『ひぐらし先生、俳句おしえてください』という
  俳句入門書を
  紹介します。

  じゃあ、読もう。

  
sai.wingpen  小説仕立てだが、いたって真面目な俳句入門書                   

 俳句の入門書は多い。
 有名な俳人がそれぞれの観点から入門書を手がけている。
 そんな中でも、この本は異色かもしれない。
 まずは小説仕立てになっている。次に俳句雑誌(「NHK俳句」)に連載されていたので各単元が短いこと、それに季節がうまく取り込まれている。
 著者の堀本裕樹さんは1974年生まれで、俳句結社の主宰でもある。さらには小説家又吉直樹さんや歌人の穂村弘との共著もあって、気鋭の俳人だ。

 物語には二人の人物が登場する。
 一人は萩谷ひぐらしという俳句の先生。もう一人が山吹もずく君という、ひぐらし先生のところに押しかけた弟子志望の若者。(実はこの二人の名前が俳句の世界でいう、季重なりという季語が二つはいっているという珍しい名前)
 ひぐらし先生のところに俳句の勉強に来るもずく君は料理が得意で、先生のところに来るたびに季節の料理をこしらえるのも、この入門書の「おいしい」ところ。
 どんな料理が書かれているかといえば、栄螺のつぼ焼きに始まり、鮎の塩焼き、牡丹鍋、田楽、鱚の天婦羅、といった具合。
 どれもがお酒との相性がいい料理というのもおかしい。

 もちろん俳句の入門書であるから、歳時記とはどんなものかに始まって「切れ」や「写生」。「一物仕立て」に「取り合わせ」といった俳句特有のもの、「地名の活かし方」「間違いやすい文法」「比喩表現」など細かいところにまで目が届いている。
 最後は句会、吟行まで描かれる。
 たくさんの名句も場面場面で紹介されていて、読みやすさ勉強の楽しさ、どれをとっても秀逸だ。
  
(2019/08/24 投稿)

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  昨日
  万里小路譲さんの
  『孤闘の詩人 石垣りんへの旅』を
  紹介したので
  今日は岩波文庫の『石垣りん詩集』を
  再録書評で紹介します。
  これを読んだのは2016年ですから
  もう3年前になります。
  驚いたのは
  昨日の本の書評にも引用した
  「定年」という詩、
  この『石垣りん詩集』でも
  紹介していました。
  気にかかる詩は同じなんですね。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  私は金庫のある職場で働いた。                   

 詩人は特別な人ではない。
 現代詩の詩人たちを辿ると、それはよくわかる。彼らは時に市井の人として生き、時に詩人として俊悦な言葉を口にした。
 そういう彼らに強く魅かれる。
 茨木のり子の人生を辿ると、確かに彼女は詩人としての領域は濃いが最愛の夫を亡くしてからのハングルへの傾倒などを見ていくと、言葉への固執はありながら、何かを喪った時に我々が陥る「自分探し」に近いものがあったのではないかと思う。
 それが顕著なのは、石垣りんではなかったか。

 石垣りん。大正9年(1920年)東京に生まれる。先の茨木よりは6歳年上になる。2004年12月、84歳で死去。
 代表作として「私の前にある鍋とお釜と燃える火と」「表札」「定年」などがある。いずれの詩も、伊藤比呂美が編んだ岩波文庫版のこの詩集に掲載されている。
 石垣の場合、茨木よりもさらに市井の人という印象が強い。
 高等小学校を卒業後、日本興業銀行に事務見習いとして入行。そして、55歳の定年までりっぱに勤めあげるのである。

 「ある日/会社がいった。/「あしたからこなくていいよ」」とあるのは、「定年」という詩の冒頭である。
 この詩は「たしかに/はいった時から/相手は会社、だった。人間なんていやしなかった」で終わる。
 石垣には親たちの生活を背負っているというハンデがあった。だから、会社の言葉である「定年」という一言で働く場を取り上げられることに忸怩たる思いがあったのだろう。
 石垣の視点は、常にそうあった。
 「自分の住むところには/自分で表札を出すにかぎる。」という言葉で始まる「表札」のなんと凛々しいことか。
 市井の人であったからこそ、石垣も茨木も凛としていた。
 「表札」の最後、「精神の在り場所も/ハタから表札をかけられてはならない/石垣りん/それでよい。」

 石垣と茨木はしばしば行き来するほど仲がよかった。
 茨木が谷川俊太郎とともに石垣を見舞ってから三日後、石垣は生きることを止めた。
 石垣の死から1年少しで茨木も没する。
 生きることとは死も含んであることを、彼女たちは知っていた。
  
(2016/03/26 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日は
  万里小路譲さんの
  『孤闘の詩人 石垣りんへの旅』を
  紹介します。
  この詩論では
  茨木のり子石垣りんの比較も考察されています。
  本文から引用します。

    家の貧困・窮乏が石垣りんの反骨精神を育んでいったが、
    一方、茨木のり子においては医師の家に生まれ経済的な豊かさが
    知的な内省を育んでいったと考えられる。

  対照的な二人の詩人が
  それでもまるで互いに共鳴しあったのは
  不思議なような気がします。
  この二人の女性詩人がいなければ
  現代詩の様相は
  まったく違ったのかもしれません。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  彼女が闘ったものとは                   

 詩人石垣りんの代表的な詩48編を読み解きつつ、この詩人がどのような人生を送ったのか、詩論と詩人論、それに評伝が合わさったような重厚な論考である。

 石垣りんは1920年に東京に生まれ、2004年84歳で亡くなった。
 彼女は今では考えられないが、小学校を卒業して14歳で日本興行銀行に就職、以来55歳で定年退職するまでそこで働き続けた。なので、「銀行員詩人」と呼ばれることもあった。
 この本の著者万里小路譲氏は、「あとがき」でなぜ石垣りん論を書こうと思ったかを自問し、こんなことを書いている。
 「不幸な境遇を生きたひとの熱情と気概を知りたいひとには、知ってほしい。どんな思いを抱いて生きたのかを。」と。
 ひるがえって、ではなぜ私は石垣りんの詩を読もうとするかといえば、14歳で仕事について55歳の定年までを全うした彼女の生き方とそのことがどういう感情を彼女にもたらしたのかを知ろうとして、と答えたい。
 だからか、石垣の「定年」と題された詩篇にひかれる。

 「ある日/会社がいった。/「あしたからこなくていいよ」//人間は黙っていた。/人間には人間のことばしかなかったから。」

 「定年」は当然ある日突然いわれるものではない。
 石垣もそれはわかっていただろうが、働きたいという思いがある「人間」を「会社」は人間の言葉でなくやめさせてしまう。
 石垣にはそれが理不尽であったのだろう。
 石垣の詩にはこの詩篇に限らず、理不尽なものへの反骨が感じられる。
 その強さが魅力ともいえる。

 本稿は石垣りんの詩論であるが、彼女と交友のあった茨木のり子を論じた章があって、それもまた興味深かったことを記しておく。
  
(2019/07/19 投稿)

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