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 長田弘さんのこの詩集、『世界はうつくしいと』に収められた数編の詩になぞらえば、
 こんな言い方ができるだろう。
 平和の話をしよう。

  

 この詩集の中の一篇、「なくてはならないもの」の一節が
 7月29日の朝日新聞書評欄に紹介された。
 紹介したのは、アメリカ政治外交史を専門とする東京大学名誉教授の西崎文子さん。
 これがその一節。
 「戦争をもとめるものは、/なによりも日々の穏やかさを恐れる。/
 平和とは(平凡きわまりない)一日のことだ
 西崎さんの記事のタイトルは「平和へのリアリズム」。
 そのなかで、「冷戦下の日本で憲法9条を信じ続けたのもこのような反骨者」で、
 「同時代を語り続けた詩人」として、長田弘さんが取り上げられ、
 先の詩が紹介されている。

 平和とは何か。
 おそらくそれは人それぞれ違う概念だろうが、
 長田さんがいう「(平凡きわまりない)」ということは
 確かにそうであろう。
 あの名作、アニメ「この世界の片隅に」で描かれていた世界も
 実に「(平凡きわまりない)」ものであった。
 そして、その平和を壊してしまうものとして、戦争がある。
 詩人はもしかしたら、ある怒りをこめて書いたかもしれない。
 穏やかであることを、平凡であることをないがしろにするなと。

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 詩人谷川俊太郎さんは1931年生まれ。
 というと、90歳をすでに越えていることになる。
 それでいて、いまだ多くの詩を書き、絵本のつくり、現役というのだから
 すごいというしかない。
 しかも、この『ハダカだから』という官能的な詩をいまだに書いているのだから
 普通の人ではないことが間違いない。

  

 これらの詩は2016年から2022年にかけて
 雑誌「Coyote」に連載されたというから、
 決して若い時の作品ではない。
 それでいて、悩ましく、赤裸々。(これにもハダカがはいっている)
 例えば、こんな詩。
 「ハダカだから/だからどうなの/どうってことないよ/ハダカだから」。
 これなどはまだおとなしい。
 「撫デタ そうっと/舐メタ ゆっくり/掴ンダ ぎゅうっと/からだハ 愛シイおもちゃdeath」
 さすがというか、怖くなるほどの官能。

 しかも、これらの詩に下田昌克さんの裸婦のスケッチがそえられているのだから、
 こちらを優先して読むのもアリかも。
 ちなみに下田さんは1967年生まれだから、まだまだお若い。
 官能現役世代といっていいけど、
 谷川さんの現役感にタジタジだったかもしれない。

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 「教養」という言葉を『広辞苑』で調べると、結構長い説明文がついている。
 「単なる学殖・多識とは異なり、一定の文化理想を体得し、
 それによって個人が身につけた創造的な理解力や知識。」と、
 この説明文そのものが教養的文章のようだ。
 NHK出版の「学びのきほん」シリーズの一冊である、
 青木亮人(まこと)氏の『教養としての俳句』には、こうある。
 「俳句を教養として学び、味わうこと」を目的としたこの本では、
 「俳句を通じて私たちの生き方がどのように変わり、いかに深まるのか」を
 解説している。
 よって、ここには季語の話はあるが、切れ字とか句つながりといったような
 俳句を詠む上のテクニックは書かれていない。
 そのあたりを注意して、本書を手にするのがいい。

  

 そのあたりを章のタイトルで読むと、
 「俳句とその歴史を知ろう」「「写生」って何?」「「季語」を味わう」、
 そして「俳句と、生きているということ」となる。
 こうしてみると、やはり最後の章に重きをおいた一冊ということがわかります。
 そして、それは「季語」を味わうということと密接につながっているのも理解できる。
 俳句とは、日常にあるがままをどう詠み、どう鑑賞するかということで、
 俳句を日常の生活に組み入れることで生活そのものが豊かになるとすれば、
 『広辞苑』のいう「文化理想の体得」になるのではないだろうか。

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 今日5月4日は
 自然に親しみ、その恩恵に感謝し、
 豊かな心を育むことを趣旨とした祝日、みどりの日

    体内の水の流れやみどりの日       和田 悟朗

 緑も鮮やかな公園のベンチで詩集を開くのも素敵かも。
 今日は昨日のつづき、のような一冊を紹介します。
 井戸川射子(いどがわいこ)さんの『する、されるユートピア』と詩集。
 井戸川さんは昨日紹介した『この世の喜びよ』で
 第168回芥川賞を受賞しましたが、
 それに先立つ2019年にこの詩集で
 第24回中原中也賞を受賞しています。

  

 芥川賞受賞作から先に読んだので
 この詩集を読むと、
 なるほど井戸川さんという作家の根っこはこういう世界なんだなと
 感じることがありました。
 それは芥川賞受賞時の「受賞のことば」の冒頭にある、
 「言葉を、すごく上手に使いたい」によく表れているように感じます。
 この詩集の中の詩の多くは
 まるでこれからフィクションとして生まれ出るような
 予感があります。
 その点では詩でありながら、幼い小説のように読めます。

 「受賞のことば」は、もしかしたこの詩集の先にあるもので、
 だからこそ井戸川さんはこう書いているのかもしれません。
 「あなたの前に、言葉として登場できて嬉しい。」と。

 この詩集と、芥川賞受賞作。
 そして、それらをつなぐ、作者自身の言葉のあれこれ。
 それらを砂の城のようにこしらえても
 波がさらっていくようで、こわい。
 しかし、井戸川さんの言葉がずっと強靭であろうとしています。

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 今日は勤労感謝の日
 昔の新嘗祭が起源といいますから、
 祝日としては年期がはいっています。
 もちろん、冬の季語にもなっていますが、
 言葉としては長いので
 作句をする時は、「句またがり」となる季語です。
 「旅に出て忘れ勤労感謝の日」(鷹羽狩行)のように。
 これなどは、
 坪内稔典さんの『俳句いまむかし』でいえば、
 「むかし」に分類されるかも。
 では、「いま」ならどんな句になるのか。
 『俳句いまむかし みたび』の中に見つけました。
 「バーモンドカレー勤労感謝の日」(塩見恵介
 随分、ちがうものです。

   

 この本はタイトルに「みたび」とあるように、
 『俳句いまむかし』シリーズの3冊目になります。
 初出は毎日新聞に連載されている「季語刻々」で、
 2010年5月からのものから400回分を選んだもの。
 同じ季語で「いま」の句と「むかし」の句を並べ、
 それぞれに稔典さんの短いコラムがつきます。
 選句も味わいがありますが、
 稔典さんのコラムがよくて、これが楽しい。
 ちょうどこの時期、世の中コロナ禍で、そんな中、
 稔典さんはこんなことを書いています・
 「コロナが落ち着いたらしたい、ということがどんどんたまっている。(略)
 行きたい、会いたい、見たい、食べたい、飲みたい、
 そして、存分にしゃべりたい、議論をしたい。

 1944年生まれの坪内稔典さん、まだまだお元気。

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