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 中島みゆきが「アザミ嬢のララバイ」でデビューしたのが1975年。
 私が二十歳の頃だ。
 同じ年に「時代」が第6回世界歌謡祭でグランプリを受賞。
 「時代」は今に歌い継がれる「日本のうた」になる。
 当時大学生だった私は、中島みゆきの歌がFMで流れるたびにカセットで録音したものだ。
 その頃だった、友人から「暗い歌だな」と言われたのは。
 中島みゆきよりもっと暗い、山崎ハコにもハマっていた私は、
 決して中島みゆきを暗いとは思っていなかったが。

    

 それから半世紀近い歳月が経とうとしている。
 私が過ごしてきた時間とともに歩んでくれたように、中島みゆきの歌はあった。
 その時々で、同じ涙を流し、そっと目をふせ、時に励まされ、時に怒りにふるえた。
 その力は、中島みゆきが書いた詩の力といっていい。
 決して研ぎ澄まされた言葉ではなく、だから心を寄せあえる。
 中島みゆきの詩の力だ。
 
  「こんな言葉を 今どきわかる人がいるかしら
   言葉は変わる 暮らしは変わる」  (「終り初物」)

 それでいて、これは中島みゆきの歌でもある。
 メロディが詩からわきあがる瞬間を、この『中島みゆき詩集』を読みながら、
 何度感じただろう。

  「まわるまわる時代はまわる
   別れと出逢いをくり返し」  (「時代」)

 この詩からメロディを消すことは、
 私にはできなかった。
 もしかしたら、中島みゆきの詩を純粋に詩として読む世代が生まれるかもしれないが、
 私はメロディがわきあがる詩があっていいと思う。

 この詩集の「巻末エッセイ」は、
 同じ北海道出身の直木賞作家桜木紫乃が書いている。

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  いつからだったか
  憶えていないが
  俳句を詠みだしたのは随分昔になります。
  ところが、
  短歌にはほとんど興味が向かなくて
  わずか14音の違いなのに
  手も足もでないような感覚でした。
  最近永田和宏さんの本などを読んだり
  新聞の投稿欄などを見ると
  短歌はもしかしたら
  とっても自由に表現できるのではないかと
  思うようになりました。
  そこで手にしたのが
  歌人の高田ほのかさん監修の
  『基礎からわかるはじめての短歌』。
  新しいことへのチャレンジです。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  まずは始めてみること                   

 本のタイトルでわかるように、この本は短歌を詠んでみたいと思っている人のための「基礎からわかる」入門書だ。
 そもそも日本の詩歌には短詩と呼ばれる文学があって、短歌・俳句・川柳がその主なもの。
 入門書であるこの本でも、この3つの短詩の違いが簡単にまとめられている。
 歴史的に古いのは短歌で、昔は和歌と呼ばれていた文芸だ。
 3つの短詩のもっとも大きな違いは、その音数。俳句と川柳が五・七・五に対し、短歌は五・七・五・七・七と14音多い。
 この14音多いことが、短歌をより主観的にしているのではないだろうか。

 入門書であるから、まず「本書の使いかた」を読んでおくことが大事。
 テーマごとに「例歌」があって「解説」が書かれている。
 作者の名前のない「例歌」もあるが、一方で与謝野晶子や北原白秋といった有名歌人の歌も取り上げられたりする。
 その「使いかた」がわかったら、ページを進めてみよう。
 最初の章が「短歌の歴史とルール」。このあたりはしっかり学習したいところ。
 次に「短歌をつくるコツ」があって、ここでは「取り合わせ」や「オノマトペ」、「比喩」といったことが学べるようになっている。
 そして、いよいよ「短歌の作成」になる。特に「短歌づくりの手順」など、初心者でもなんとか短歌らしい歌が詠めそうな気がしてくる。
 最後が「短歌が楽しくなる習慣づくり」。
 この本は、そんな習慣づくりの第一歩といっていい。
  
(2022/06/09 投稿)

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  今日も
  昨日に続いて俳句の本の
  紹介です。
  坪内稔典さんの
  『俳句いまむかし ふたたび』。
  坪内稔典さんは1944年生まれで
  本書の中でも「後期高齢者」となったと
  書かれています。
  午前3時には目を覚ますともあって
  もしかしたこの本は
  シニアの人向けの
  生活術としても読めるのではと
  思えたりもして。
  いろんな読み方ができるのも
  本を読む楽しみのひとつです。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  美しい日本語ふたたび                   

 毎日新聞に連載されている「季語刻々」から400回分を選んで編まれたこの本は、タイトルでもわかるように2020年8月に出た『俳句いまむかし』の続編である。
 わずか1年で続編が編まれるのは、新聞連載が2010年からあってすでにかなりの記事の蓄積があるからだろう。
 もっともこの本の中には「マスク」という冬の季語に、コロナについての記述もあったりする。
 ネンテンさん曰く、「マスクは冬の季語だったが、コロナの日々の今年、マスクは季節を問わない日常品になっている」という風に。

 続編となったこの本でも先の本の編集、「一つの季語について、今と昔の句を挙げ、感想を書くというスタイル」を踏襲している。
 ネンテンさんは本書の「まえがき」で「季語は俳句を詠むことで、その都度に新しく作られている」と書いているし、短い感想の中でも、「チーズフォンデュやもつ鍋を季語にしたい」と書いていたりする。
 ちなみにそう書いた回は会津八一の「闇汁の納豆にまじる柘榴かな」を引用し、「闇汁は正岡子規や高浜虚子が詠んでできた季語」と説明している。

 「いま」と「むかし」の俳句を比べると、「いま」の俳句にカタカナ文字が多いことに気づく。くぼえみさんの「ユニクロの若草色へ日脚伸ぶ」という句には一瞬ハッとさせられた。おそらく私たちの日常は思った以上にカタカナであふれているだろう。
 そんなことも気づかさせられる一冊である。
  
(2021/12/17 投稿)

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  年の瀬は早いもので
  今年もあと2週間余りとなってきました。
  『歳時記』を開くと
  「畳替え」とか「日記買ふ」とか「賀状書く」といった
  年の瀬ならではの季語が並んでいます。

     賀状書くけふもあしたも逢ふ人に       藤沢 樹村

  年賀状に俳句をいれるようになって
  もう10年以上になりますが
  最近俳句から遠のいていて
  俳句脳になっていません。
  そこで、手にしたのが
  岩波文庫から秋に出た
  『久保田万太郎俳句集』。
  これでいい句が詠めたらいいのですが。

  じゃあ、読もう。  

  

sai.wingpen  あの有名な俳句はこんなにも切なかったのか                   

 湯豆腐のおいしい季節ともなれば思い出す俳句がある。
 久保田万太郎の「湯豆腐やいのちのはてのうすあかり」だ。
 久保田万太郎は明治22年に生まれ昭和38年73歳で亡くなっている。
 浅草生まれということもあって、浅草寺のそばにある浅草神社の境内に「竹馬やいろはにほへとちりぢりに」という句碑が立っている。
 久保田のことを調べると、作家や劇作家という肩書がまずある。そのあとに俳人と続き、万太郎自身は俳句は余技といったいたようだが、万太郎俳句を好む人は多い。

 岩波文庫の一冊となったこの俳句集では、万太郎の俳句902句が収められている。
 冒頭にあげた「湯豆腐」の句は万太郎の最晩年のもので、句集でいえば生涯の終わりに共に暮らした女性の死を読んだ十句のあとに続いている。
 「死んでゆくものうらやまし冬ごもり」、そのあとに「湯豆腐」の句を置いてみると、なんとも切ない「いのちのうすあかり」が実感として迫ったくる。
 俳句とはその句自体で鑑賞してもいいが、こうしてつながりで読むとまた違った風景が見えてくるようだ。

 万太郎の句は「竹馬」の作品でもそうだが、決して難解ではない。
 日本語の柔らかさをうまくリズムにのせているように思える。
 編者である恩田侑布子さんもまた俳人であり、その解説はわかりやすい。
 まず、恩田さんの解説を読んでから万太郎の俳句を読むのもいいかもしれない。
  
(2021/12/16 投稿)

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  昨日紹介した
  和田誠さんは谷川俊太郎さんとのコンビで
  多くの作品を残しています。
  和田誠さんは
  「谷川さんのテキストが絵描きにとって有難いのは
  過剰な説明がないこと」という文章を残しています。
  そういう点では
  今日紹介する
  谷川俊太郎さんの最新の詩集
  『虚空へ』は
  短い詩ですので
  過剰さはほとんどありません。
  もし、
  和田誠さんが生きていたら
  これらの詩にどんな絵を
  描いたのでしょう。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  蛍火のように点滅する詩                   

 詩は、できれば声に出して読む「音読」がいい。
 自分の声が耳に入って、リズムという循環を生む。
 そうは思っているが、谷川俊太郎の新しいこの詩集を、さて声に出して読んだとしても、その理解はある一面でしか生まないような気がした。

 詩集の「あとがき」で、谷川は「言葉数を多くすることで、暗がりから徐々に現れてくる詩がある。言葉数を少なくすることで、暗がりのなかで蛍火のように点滅する詩もあるかもしれない。」と書いている。
 だから、この詩集には短い行脚の十四行詩ばかりが収められている。
 まずその前に、谷川がいう詩から現れる光とは何だろう。
 蛍火のように点滅するものとは何だろう。

 それは生きるという時間の中で照らされるものかもしれない。
 詩そのものに利益はないかもしれないが、詩がないとぎくしゃくしてしまう。
 そういう空白こそが、詩の持つ力ではないだろうか。

 そして、谷川が今回提示した詩の数々は「音」だけでなく、視覚をも求めてくる。
 短い言葉の羅列、行数の組み合わせ、なにより詩のタイトルにつけられた( )は、音ではなく見ることでしか理解されない。
 (詩につけられたタイトルは、例えば「椅子を引き」が印刷された時に「(椅子を引き)」となっている)

 谷川のこの詩集を読んでいると、詩を読む怖さのようなものを感じる。
 そんな怖さも含めて、詩の世界なんだろうが。
  
(2021/11/11 投稿)

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