プレゼント 書評こぼれ話

  いよいよ今日
  平昌冬季五輪が開幕します。
  オリンピックといえば
  誰もが金メダルを期待してしまいますが
  感動をくれれば
  それでいい。
  思い出に残る冬季五輪といえば
  私は1972年の札幌五輪ですね。
  トワエモアが唄った
  「虹と雪のバラード」は
  今でも歌えるのではないかしら。
  そういう記憶に残る
  五輪になればいい。
  今日は
  茨木のり子さんの詩集
  『倚りかからず』を紹介します。
  この詩集、何度読むことになるのかな。

  じゃあ。読もう。

  

sai.wingpen  新しい朝に詩を読む                   

 ドキュメンタリー映画「人生フルーツ」に感銘し、映画でその暮らしぶりを映し出されていたつばた修一さんと英子さん夫婦の本まで手にした。
 その中の一冊、『ききがたり ときをためる暮らし』を読んでいて、「倚りかからずに生きたい」と修一さんと英子さんが話しているという話が出てくる箇所がある。
 二人の生活は互いに「倚りかからず」ではないにしろ、この夫婦をひとつのかたまりだと考えれば、やはり「倚りかからず」生きていると思えてくる。
 もしかしたら、詩人茨木のり子さんが「倚りかからず」と書いたのは、できあいの「思想」とか「宗教」とか「学問」といった堅苦しいものではなく、もっとシンプルでわかりやすい、例えばつばたさん夫妻のような、暮らしぶりのことであったのかもしれない。

 茨木のり子さんのこの詩をもって、「精神の背骨が、ぴんと伸びている」と朝日新聞の「天声人語」に書いたのは栗田亘さん。
 1999年10月16日の朝の新聞だった。
 そのせいもあるだろうが、茨木のり子さんのこの詩集は大ヒットした。
 しかし、記事を書いた栗田さんは、やはり茨木のり子さんの言葉の力があればこその大ヒットだという。
 その詩集を手にすると、あまりにも有名になった「倚りかからず」だけでなく、心に反響するいい詩を発見するだろう。
 私は「木は旅が好き」や「店の名」、あるいは「水の星」が好きだ。

 特に「水の星」。
 その星に、茨木のり子さんのような人やつばたさん夫妻のような人たちがいる。
 「倚りかからず」に、背骨をぴんと伸ばして。
  
(2018/02/09 投稿)

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     目出度さもちう位成おらが春    小林 一茶

  この有名な俳句は
  小林一茶、57歳の時のもの。
  さて自分の春の目出度さは
  どれ位なのかわかりませんが
  今年最初の本の紹介なので
  中くらいではもったいないので
  特上の一冊を。
  丸谷才一さんの
  『七十句/八十八句』。
  あの丸谷才一さんの句集ですから
  目出度いような感じがします。
  ちなみに
  書評タイトルの
  「寝正月指折る癖の抜けきれぬ」は
  私の駄句。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  寝正月指折る癖の抜けきれぬ                   

 「枕もとに本積めばこれ宝船」。
 さすが希代の書評家でもあった丸谷才一さんならではの俳句ではないか。
 1995年に七十歳になった折に、その年の数だけ集めて「七十句」と名付けた句集の「新年」の部にはいっている句である。
 ちなみに、丸谷さんは「俳句」と呼ばず、父親がそうであったように「発句」と呼ぶ。
 そのことは「父から受けた、ただ一つの文学的影響」という。
 ただ丸谷さんが発句に夢中になるのは中年になってから。
 それでも「玩亭」という俳号をもちながら、「巧拙はもちろん気になるが所詮は小説家の余技」と謙遜するが、どうしてどうして冒頭の句の巧さ。

 もうひとつの「八十八句」は亡くなる年の八月に「七十句」以後の発句を編んだもの。
 その中から「新年」の句をひとつ紹介する。
 「新古今八百年まつる寝正月」。
 これなども丸谷さんらしい句であるが、全体の出来からいえば「七十句」の方がいいような気がする。
 やはり七十歳はまだまだお若いということかしら。

 これら二つの句集を収めたこの文庫には、歌人の岡野弘彦さんと俳人の長谷川櫂さんと巻いた歌仙も収められていて、その解説として岡野さん長谷川さんお二人の対談もある。
 歌仙を巻くとあるが、これはなかなか高等な文芸で五七五と七七という歌で相互に繋いでいくもの。
 お二人の対談を読まないと中々その面白さがわからない。
 そんな会で丸谷さんがあの朗らかな笑顔で詠んでいたのかと思うだけでめでたくもなる。
  
(2018/01/03 投稿)

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  昨日
  尾崎真理子さんが丁寧に描いた
  詩人谷川俊太郎さんの半生
  『詩人なんて呼ばれて』を
  紹介しましたが、
  このブログも9年も続けていると
  谷川俊太郎の本も
  たくさん紹介していて
  せっかくなので
  今日は
  岩波文庫から出た
  『自選 谷川俊太郎詩集』を
  再録書評で紹介します。
  谷川俊太郎さんの詩を
  読むには
  最適の一冊です。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  「どきん」となった岩波文庫                   

  岩波文庫は、昔ほどではないにしろ、他の文庫本にはない格式のようなものがある。
 それがブランドの持つ強みだろう。
 他にさきがけて作られた文庫本(創刊は昭和2年。今でもその当時岩波茂雄を記した「読書子に寄す」という文章が巻末に載っている)ということもあるが、精選されたラインナップが岩波文庫の品格になっている。
 流行作家であろうとベストセラーであろうと、時間という評価をくぐららないと、岩波文庫にはならない。
 そこに、谷川俊太郎の自選詩集がはいったのであるから、これは驚きとも感動ともいえる。

 谷川俊太郎は幸福な詩人である。
 二十歳の時の処女詩集『二十億光年の記憶』の刊行以来、八十一歳になる今日まで詩人であり続けたのだから。そして、こうして岩波文庫の一冊として収められたのだから。
 「六十年以上詩を書き続けて」きた谷川はこの文庫本の「まえがき」に、「この機会に自分の年齢による変化の跡をたどってみるのもいい」と書いているが、やはり他の文庫本にはない高揚感のようなものを、谷川なりに感じたともいえる。

 「ときどき昔書いた詩を詠み返してみることがある/どんな気持ちで書いたのかなんて教科書みたいなことは考えない/詩を書くときは詩を書きたいという気持ちしかないからだ」というのは、本書に収録されている「夕焼け」という詩の一節である。
 だから、この詩集、谷川が今までに書いてきた二千数百におよぶ詩から精選された一七三篇の詩が収められている、にあるのは、その時々の「詩を書きたいという気持ち」の発露といっていい。
 「二十億光年の孤独に/僕は思わずくしゃみをした」(「二十億光年の孤独」)と書くのも、「限りなく無力な/巨人になりたい」(「美しい夏の朝に」)と書くのも、「うんこよ きょうも/げんきに でてこい」(「うんこ」)と書くのも、谷川俊太郎という詩人の生み出した言霊だ。

 これから詩を読んでみたいと思う人、谷川俊太郎の詩の業績に触れてみたい人、かつて谷川にあこがれ読んだ人、それぞれにとって、岩波文庫の一冊となったこの詩集はうれしい。
 谷川の良き理解者山田馨氏による解説も丁寧にできている。
  
(2013/04/13 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  思えば
  私が映画雑誌「キネマ旬報」の
  「読者の映画評」で取り上げられたのは
  アーサー・ペン監督の
  「奇跡の人」であった。
  その映画評の骨格には
  谷川俊太郎さんの「うつむく青年」という詩があったことを
  今でもはっきりと
  覚えています。
  その詩集『うつむく青年』が刊行されたのは
  1971年.
  私が16歳の時で
  だとすれば
  刊行されて間もないこの詩集を
  私は読んだはず。
  詩人谷川俊太郎さんは
  私にとっては
  そんな詩人。
  今日は
  谷川俊太郎さんのこれまでの歩みを
  尾崎真理子さんが描き出した
  『詩人なんて呼ばれて』を
  紹介します。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  桂冠なき詩の王                   

 詩人というと宮沢賢治や中原中也といった早熟の才能を持ちながらも早逝した人物たちを思い浮かべる。
 しかもどちらかといえば生前は世の中に認められず、出した詩集も数冊みたいな。
 そんな詩人などもはやいない。
 詩を書くから詩人であったとして、詩をもって生活の糧にできる人などいやしない。
 ところが、谷川俊太郎だけはどうもちがうようだ。
 谷川の収入のうち詩を書いて得たものあるいは詩集の印税がどれくらいあるのか知らないが、谷川のどんな活動、有名なところでいえば絵本やチャーリー・ブラウンの翻訳といったものがあるが、それらも詩人谷川俊太郎の仕事に分類されるものだ。
 つまり、谷川俊太郎は1952年に『二十億光年の孤独』で鮮烈なデビュー以降、ただ一人詩人であり続けた、稀有な人なのだ。

 この本は『ひみつの王国』という作品で石井桃子の生涯を隈なく描き出した尾崎真理子が谷川へのロングインタビューを媒介に谷川の半生だけでなく戦後詩のありようまで見事に書き留めた一冊である。
 谷川の半生といえば三度の結婚と離婚、そのうちの一人が佐野洋子である、さらには父親谷川徹三との微妙な距離など興味深いところも、インタビューでは正面から尋ねている。

 本作の読み応えでいえば、第5章の「無限の変奏」ははずせない。
 ここではバブル経済破たん後の、詩壇だけでなく文芸全体が陥った倦怠が整理されている。
 そんな章の一節が、もしかしたらこの本のすべてを物語っているやもしれない。
 「谷川俊太郎は1950年にデビューした時から、桂冠なき詩の王として、ここまで在り続けてきたのだ」。
  
(2017/12/15 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  この秋、
  近くの公民館で開催された
  俳句入門の講座に参加して
  句会もどきのようなことを体験しました。
  俳句は詠むことも大事ですが
  読むことも
  もっと大事だと
  教えられました。
  そんな時歳時記で見つけたのが
  「銀杏ちる兄が駆ければ妹も」という
  安住敦の俳句でした。
  なんとなく
  心に染みてきて
  もしかすると
  この人の俳句は自分に合っているのかもと思い
  手にしたのが
  今日紹介する
  『安住敦の世界』です。

  じゃあ、読もう。

  
sai.wingpen  しみじみと味わいたい安住敦                   

 どの世界でもビッグネームがあります。
 例えば、野球でいえば長嶋とか王、イチローといった人たち。
 俳句の世界では松尾芭蕉とか小林一茶、正岡子規といった俳人が思い浮かびます。しかし、同じ創作の世界でも小説家とちがって世界が狭いような印象は否めません。
 俳句は読むというより詠む芸術だからでしょうか。
 俳句の本を探すといっても、俳句の作り方のような本はすぐ見つかりますが、なかなか一人の俳人の句集となると目につくことは難しい。

 この本は1994年6月に刊行された「昭和俳句文学アルバム」として編まれた一冊で、戦後久保田万太郎主宰の「春燈」創刊に尽力し、長年その編集に携わった安住敦(1907~1988)の代表句200句と彼の評伝とその作品を収めています。
 安住敦といっても知らない人も多いでしょうが、「てんとむし一兵われの死なざりし」とか「しぐるるや駅に西口東口」「恋文のごとく書き溜め牡丹の句」といった句を詠んでいます。
 山本健吉はこう評したそうです。
 「一人の生活者のつつましく生きる姿が彷彿と、あざやかに、あたかも一篇のすぐれた私小説のやうに浮び上がつてくる」と。
 どうも私が安住敦の俳句に魅かれるのもそのあたりかもしれない。

 「アルバム」とあるから安住敦の色々な、吟行や何かの集会の写真が多いが、表情が写真として掲載されているが、詩人や歌人、あるいは小説家とはまた違った雰囲気を醸しだしているのも興味をひかれる。
 俳句とはげに奥が深い。
  
(2017/11/30 投稿)

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