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 詩人石垣りんの詩篇の紹介とそれに添えられたエッセイを集めた『詩の中の風景』は、
 詩人生前の1987年から92年の長きにわたって「婦人之友」に連載されていたもの。
 53篇の詩の紹介は、
 佐藤春夫にはじまり谷川俊太郎茨木のり子といった同世代の詩人に至るまで
 見事に選びとられている。
 目次に並んだ詩人の名前を眺めているだけで、
 この国は豊かな言葉を生み出す風土を持っていたと感じいる。

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 このエッセイで初めて知る詩人もあって、
 そのうちのひとりが大関松三郎
 大正15年生まれの大関は戦争で亡くなっていて、
 詩人としての才能は小学生の頃に書いた手書きの詩集だったという。
 石垣は大関の詩集『山芋』から「虫けら」を紹介していて、
 添えられたエッセイにこんな一節を綴っている。
 「かなり評判になった本でもたちまち絶版、廃刊になってしまう。
 濁流のようなものの勢いを感じます。」
 こういう文章を辛辣と世間ではいうかもしれないが、
 石垣りんの魅力はそこにあって、
 だからこそ時代を見つめる視点に揺るぎがない。

 また、別のエッセイでこんな文章を見つけたりする。
 「私は自分の言葉が欲しかったのだろうと思います。
 これだけは言いたい、これを言うからにはどんな目に会ってもいいと。
 もし、時代が今でも石垣りんを欲しているなら、
 この世界は彼女が生きた時代とそう変わっていないのだろう。
 もっと自由であれ、と石垣りんの声が聞こえてきそうだ。

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 「現代詩の長女」とも呼ばれる詩人茨木のり子さんには
 すでに『茨木のり子集 言の葉』という全3冊にまとめられたエッセイ集がある。
 それらの中からと、そこに収められいない、言葉についてのエッセイをまとめたのが
 この『言の葉さやげ』である。

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 書名にある「さやげ」は「広辞苑」では「さやぐ」という動詞として出ている。
 意味は「ざわざわと音がする。ざわめく」で、
 この本の「あとがき」でこの言葉を『古事記』のなかの唄、
 「木の葉さやぎぬ 風吹かむとす」から採ったと記されている。
 ただ、茨木さんは長い間「木の葉」を「言の葉」だと思い込んでいたようだ。
 「さやげ」は、その「さやぐ」の命令形ではなく、
 「さやげよ」という願望形のつもりと記していて、
 茨木さんの言葉に対しての祈りのようなものを感じる。

 この本では2つの章に分かれていて、前半の章では「言葉」全般について、
 後半の章では「詩」と谷川俊太郎井伏鱒二金子光晴といった「詩人」についての
 エッセイが収められている。
 前半の章の中に「美しい言葉とは」と題されたエッセイがあって、
 これはどうしても書き留めておきたい、こんな文章が綴られている。
 「政治家の言う「小骨一本抜かない」「衿を正す」などは、なんらの実体も感じさせない点で下の下である。
 言葉は浮いてはならないのだ。
 この文章が書かれたのは1979年。
 だとしたら、政治家というのはいつの時代であっても
 浮いた言葉を使う人たちだと、ただ吐息がでて、「さやぐ」こともない。

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 師走が近づくと、喪中はがきが届きだす。
 年を重ねていると、届く喪中はがきも多くなる。
 父を亡くしました、母を亡くしました、というのが圧倒的に多いが
 中には妻や夫を亡くしましたというものもある。
 一枚のはがきながら、そこにどれほどの哀しみが詰まっていることか。
 今年子供の頃から大変可愛がってくれた叔父と叔母夫婦が亡くなった。
 ともに90歳を超えて長寿であったことがせめてもの慰めであったが、
 やはり愛する人、親しい人を亡くすのは悲しいし、切ない。

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 イギリスの神学者ヘンリー・スコット・ホランド
 42行の詩1篇を収めただけの『さよならのあとは』は、
 1ページに1行や2行印字され、あとは余白と
 絵本作家の高橋和枝さんの小さなイラストでできあがっている。
 それだけの本なのに、
 どうしてこんなに心を揺さぶられるのだろう。

 詩の内容もそうであるが、
 実はこの本が生まれた経緯も胸打たれる。
 この本は「ひとり出版社」夏葉社を立ち上げた島田潤一郎さんが
 亡き従兄を思って、この詩を本にしたくて
 2012年に自身の出版社の最初の一冊として出版したものだ。
 この本の最後の「あとがきにかえて」という短い文章に島田さんは
 「早世した愛する従兄」に「ありがとう」と綴っている。

 亡き従兄がどれだけ自分を愛してくれていたか、
 そのことに気がついた時島田さんはきっと悲しみから立ち上がったのでしょう。
 喪中はがきは悲しいけれど、おそらく残された人たちもみな
 ゆっくりと立ち直っていくことを願っています。

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 長田弘さんのこの詩集、『世界はうつくしいと』に収められた数編の詩になぞらえば、
 こんな言い方ができるだろう。
 平和の話をしよう。

  

 この詩集の中の一篇、「なくてはならないもの」の一節が
 7月29日の朝日新聞書評欄に紹介された。
 紹介したのは、アメリカ政治外交史を専門とする東京大学名誉教授の西崎文子さん。
 これがその一節。
 「戦争をもとめるものは、/なによりも日々の穏やかさを恐れる。/
 平和とは(平凡きわまりない)一日のことだ
 西崎さんの記事のタイトルは「平和へのリアリズム」。
 そのなかで、「冷戦下の日本で憲法9条を信じ続けたのもこのような反骨者」で、
 「同時代を語り続けた詩人」として、長田弘さんが取り上げられ、
 先の詩が紹介されている。

 平和とは何か。
 おそらくそれは人それぞれ違う概念だろうが、
 長田さんがいう「(平凡きわまりない)」ということは
 確かにそうであろう。
 あの名作、アニメ「この世界の片隅に」で描かれていた世界も
 実に「(平凡きわまりない)」ものであった。
 そして、その平和を壊してしまうものとして、戦争がある。
 詩人はもしかしたら、ある怒りをこめて書いたかもしれない。
 穏やかであることを、平凡であることをないがしろにするなと。

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 詩人谷川俊太郎さんは1931年生まれ。
 というと、90歳をすでに越えていることになる。
 それでいて、いまだ多くの詩を書き、絵本のつくり、現役というのだから
 すごいというしかない。
 しかも、この『ハダカだから』という官能的な詩をいまだに書いているのだから
 普通の人ではないことが間違いない。

  

 これらの詩は2016年から2022年にかけて
 雑誌「Coyote」に連載されたというから、
 決して若い時の作品ではない。
 それでいて、悩ましく、赤裸々。(これにもハダカがはいっている)
 例えば、こんな詩。
 「ハダカだから/だからどうなの/どうってことないよ/ハダカだから」。
 これなどはまだおとなしい。
 「撫デタ そうっと/舐メタ ゆっくり/掴ンダ ぎゅうっと/からだハ 愛シイおもちゃdeath」
 さすがというか、怖くなるほどの官能。

 しかも、これらの詩に下田昌克さんの裸婦のスケッチがそえられているのだから、
 こちらを優先して読むのもアリかも。
 ちなみに下田さんは1967年生まれだから、まだまだお若い。
 官能現役世代といっていいけど、
 谷川さんの現役感にタジタジだったかもしれない。

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