12/29/2022 夏の約束(藤野 千夜):書評「普通に生きている人間の体温」

今月のはじめに
『団地のふたり』という作品を読んで
藤野千夜さんという作家に興味をもちました。
それで立て続けて何冊か読みましたが
藤野千夜さんは第122回の芥川賞作家でもあるので
今回は原点ともいえる受賞作
『夏の約束』を読んでみました。
芥川賞作品は必ず読んできていますが、
ほとんどその内容は覚えていませんでした。
少しはめげましたが、
それは仕方ないので
新しい作品を読んだつもりで
再読しました。
もう少し藤野千夜さんの作品を追いかけてみようかな。
じゃあ、読もう。

第122回芥川賞受賞作。(2000年)
芥川賞の受賞作は欠かさず読んできたはずだが、さすがに20年以上前の作品ともなれば、ほとんど内容は覚えていない。
記憶にあるのは、藤野千絵という、なんだか少し異質の作家が登場したという程度。
今回改めて作品及び芥川賞選考委員の選評を読むと、「ゲイ」と書かれていたり「ホモ」と書かれていたり、さすが時代を感じる。
まだLGBTQといった言葉すら認知されていなかった。
受賞してから20年以上経って、今読み返すと、もしかしてこの作品は時代を先取りしていたのではないかと思える。
物語はゲイのカップルとその周辺の、どうということない、ある夏の日常を描いたもの。
どうということない、はずがない。
主人公のマルオとその相手ヒカルは昼日中から堂々と手を組んで歩く恋人同士で、小学生にからかわれるのは当たり前。
マルオの友達たま代は性転換した女性(元男性)だし、だからといって、大きな問題が彼ら側から起こることはない。
あるとすれば、彼らの周りの側だろう。
異質になりそうな世界でありながら、そうならない。それこそがこの作品の面白さだといえるし、藤野千夜さんの魅力といえる。
この作品を受賞へと強く推したという三浦哲郎選考委員は選評で「この作品にごく普通に生きている人間の体温を感じて心が安らぐ」と書いているし、池澤夏樹委員も「気持ちのよい作品」と評している。
この作品から20年以上経て、この2人の選考委員が評価したことを、藤野千夜さんがずっと持ち続けていることもまた、素晴らしい。
(2022/12/29 投稿)

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09/29/2022 姫君を喰う話 宇能鴻一郎傑作短編集(宇能鴻一郎) - 芥川賞受賞作『鯨神』も読めます

宇能鴻一郎さんの再評価が高まっているという。
多分そのきっかけとなったのが、
昨年新潮文庫に入ったこの『姫君を喰う話 宇能鴻一郎傑作短編集』だろう。
池澤夏樹さん編の『あなたのなつかしい一冊』で、
フリーアナウンサーの近藤サトさんがこの作品を
「いまだ錆びない美しい言葉の旋律と、我を忘れるような傑作短編の数々」と絶賛している。

この回の芥川賞はいわくつきで、
吉村昭さんが一時受賞内定ということで発表会場に向かうが、土壇場で宇能さんの作品一本に決まったという。
その後の吉村さんの活躍、宇能さんのエンタメ系への移行を考えると、
選考というのがいかに酷なものかわかる。
宇能さんの受賞作について、選考委員の丹羽文雄氏は
「どんな風になっていくのか、私達とあんまり縁のないところへとび出していくような気がする」と
予言めいた選評を残していたのが印象深い。
ただこの作品にしろ、短編集に収録されている「西洋祈りの女」にしろ、
土俗的である意味伝承文学風な装いの作品は、やはり巧いといえる。

「花魁小桜の足」「ズロース挽歌」「リソペディオンの呪い」といった6作が収められている。

その中の宇能さんのこんな言葉が印象に残った。
「官能は古くならないですからね」
名言である。

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昨日発表された
第167回芥川賞直木賞の結果は
私としては大満足となりました。
芥川賞が高瀬隼子さんの『おいしいごはんが食べられますように』、
直木賞が窪美澄さんの『夜に星を放つ』。
高瀬隼子さんについては
このブログでも何度も書いていたように
今私の推しの作家ですし、
窪美澄さんはデビュー当時からずっと読み続けてきた作家でもあります。
しかも、今回の2つの作品については
すでに読了済みですから
受賞予感としては大当たり。
今日はまず
高瀬隼子さんの『おいしいごはんが食べられますように』を再録書評で
明日は窪美澄さんの『夜に星を放つ』を
紹介します。
何はともあれ
おめでとうございます。

第167回芥川賞受賞作。
第165回芥川賞候補作となった『水たまりで息をする』は受賞には至らなかったが、評価的には悪くなかったし、難しい題材ながら文学作品としてすっと心に届いた。
なので、高瀬隼子(じゅんこ)という作家は覚えておこうと思った。
それに続く作品が本作ということになる。
職場の中の微妙な人間関係を描いて、それはきっとどこの職場でもアルアルなのだが、高瀬さんが描くと独特なニュアンスの、人と人との息が届く距離感が巧みに浮かぶ上がってくる。
主人公の二谷という若い男は食べ物に関して、カップ麺で腹が満たされたらいい程度で、ほとんど興味をもっていない。
彼と同じ職場に芦川さんという若い女子社員がいる。体が弱いのか、仕事にさほど意欲を持っていないが、その態度がかわいくて、男の先輩社員らの受けがいい。
そんな芦川さんが苦手という、押尾さんという女子社員がいる。
彼女が二谷にこう声をかける。
「わたしと一緒に、芦川さんにいじわるしませんか」
ところが、二谷と芦川さんがいつの間にか関係を持ち、芦川さんは二谷のために手料理をつくる関係になっていく。
そればかりか、職場に手づくりのケーキやクッキーなんかも持ってくるようになり、職場での芦川さん人気はさらに高まる。
こういう関係って、ありそうだ。
押尾さんがそんな職場からはじかれていくのは仕方がないが、面白いのは食べ物に関心のない二谷だ。
芦川さんの好意を見えないところで拒絶している男。
多分日常の世界では覗きえない人との関係を、小説なら描けるんだと、高瀬さんは証明してくれている。
(2022/05/20 投稿)

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05/13/2022 カクテル・パーティ(大城 立裕):書評「沖縄初の芥川賞受賞作」

5月15日に
沖縄は本土復帰50年を迎えます。
今放映中の
NHK朝の連続テレビ小説「ちむどんどん」は
今まさに復帰前の沖縄が描かれています。
ドラマの主人公たちが使っているお金は
ドル。
そんな時代から50年経ちました。
今日は
沖縄で初めての芥川賞受賞作となった
大城立裕(おおしろ たつひろ)さんの
『カクテル・パーティ』を紹介します。
この作品が書かれた頃は
まだ沖縄は占領下でした。
芥川賞はある意味
時代の目撃者でもあったといえます。
じゃあ、読もう。

第57回芥川賞受賞作。(1967年)
作者の大城立裕(おおしろ たつひろ)は、芥川賞の「受賞のことば」という短文で、ある大先輩から「ぼくらの明治以来の夢をかなえてくれた」と握手を求められ、会う人ごとに「沖縄のひとみんなの誇りだよ」と言われたと書いている。
この頃まだ占領下にあった沖縄(沖縄返還が実現したのは1972年)で、沖縄初の芥川賞ということで、島全体が沸いたことでしょう。
沖縄が置かれていた政治的社会的な問題下で、当時の選考委員の選評もややとまどいが見える。
「現実の問題と、作品の価値とは全く別のもの」(永井龍男)、「沖縄に同情して選んだのでもない」(川端康成)、そして中でも舟橋聖一の一文がもっともわかりやすい。
「あくまでも作品本位で選んだことは、私も証明しておきたい。が、いかに弁明したところで「芥川賞海を渡る」底の、一般の通俗的印象は、避け難い」
以上、文学史的な覚書として書いておいた。
物語は前章、後章という二部構成になっている。
前章では占領下の沖縄の米軍基地のカクテル・パーティに集まった、沖縄人(主人公)、日本人、中国人、アメリカ人の何気ない、しかしそこに過去と現在の痛みを隠した、大人の会話がはずむ。
後章では一転して主人公の沖縄人の娘がアメリカ兵に強姦された事件で、四人のそれぞれの立場が露呈していく。
中国で日本兵が犯した罪、沖縄でアメリカ兵が犯した罪、それらが二重構造になっている。
ラスト、占領下の司法制度の中で不利な戦いとわかっていながら、告訴を決めた主人公。
そのまなじりの強さは、大城さんは終生持ち続けることになる。(大城さんは2020年10月逝去)
(2022/05/13 投稿)

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04/07/2022 ブラックボックス(砂川 文次):書評「作家の熱量」

芥川賞は単行本で読んだとしても
受賞作が全文掲載される
総合誌「文藝春秋」は買うようにしています。
というのも、
選考委員たちの「選評」も
同時掲載されるからです。
例えば、
今日紹介する
第166回芥川賞受賞作
砂川文次さんの『ブラックボックス』については
小川洋子委員が
「真正面から文学にぶつかっていった作品」と絶賛しています。
その他の候補作の選評なり
読めるのは「文藝春秋」しかないので
これからも
発表のたびに購入するでしょう。
じゃあ、読もう。

第166回芥川賞受賞作。(2022年)
受賞が決まったあと、作者の砂川文次さんがかつて自衛隊に勤務していたことで話題となったが、漫才師であろうが女子大生であろうが専業主婦であろうが小説を書くのだから、元自衛官が書いたとしても何の不思議もない。
ただやはりどこかで迷彩服を着た短髪の男が原稿用紙に向かう姿を想像してしまうのだろうし、2016年に文學界新人賞を獲った『市街戦』にしろ先に芥川賞候補作になった『小隊』にしろ、自衛隊での経歴が作品を生み出してきたことは否めない。
今回の受賞作では自衛隊という組織の影響は消えている。
自転車便のメンセンジャーである主人公に自衛隊員の影はない。
しかし、何故か、雨の中を駆ける主人公の体から発せられる体臭なりに、それに近いものを感じる。
つまりは、国を守る、あるいは被災地を救援する自衛隊の姿は、ある意味人間としての基の姿を喚起させるものがあるのではないだろうか。
本作は中編ながら、二部構成でできている。
メンセンジャーとして生活していくしかない主人公の姿を描いた前半と、その彼が暴力事件を起こして刑務所に収監される後半。
前半の疾走感は、当然後半閉鎖された空間での話だから失われる。
それでも、その中で主人公の暴力性は外に出ようととして発揮される。
「遠くに行きたかった」という主人公の思いは、刑務所内での話ではないだろう。その肉体を突き破るようなそんな力を彼は持て余しているのだ。
それはおそらく、作者が持っている熱量ともいえる。
(2022/04/07 投稿)

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