プレゼント 書評こぼれ話

  今日で3月もおしまい。
  この季節になると
  懐かしく思い出すのが
  庄司薫さんの
  『赤頭巾ちゃん気をつけて』。
  大学受験に失敗して
  なんとも気だるい春の昼下がり、
  この本にどっぷりとつかっていたっけ。
  そして、薫くんの友人小林がひたすら食べる
  桜餅のおいしそうなことといったら。

    三つ食へば葉三片や桜餅     高浜 虚子

  薫くんはこの俳句を
  知っていただろうか。
  三月最後にこの本を、
  再録書評で。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  まるで初恋の人にであったような                   

  第61回芥川賞受賞作(1969年)。
 年を重ねていくと思い出は増えていくと同時に引っ越しの数も、数えればもう何度しただろう。そのたびに本の置き場に困ることといったら。惜しみながら手元を去っていった本たちよ。それでも、どうしても手離すことができなかった本もある。
 その一冊が、庄司薫の『赤頭巾ちゃん気をつけて』。
 今手元にある中央公論社の単行本の奥付をみると、「昭和45年10月12日 28版」とある。初版が一年前の8月だから、発売後忽ち重版を重ねたことがわかる。価格はなんと360円。このたび、新潮文庫の一冊になったものは460円だから、40年という月日の長さをこんなところにも感じる。

 初めて読んだのは多分、中学から高校にはいる、春休みだったように思う。
 春の暖かな日差しのなかで、読んだ記憶がある。偶然の事故で足に怪我をおった主人公の薫君に、同級生の小林が訪れて長々と話をする場面。あのなかの小林が食べる桜餅に薫君以上に食欲をそそられたものだ。
 今回久しぶりに読んだが、やはりあの場面の桜餅のおいしそうなことといったらない。

 この物語にはきちんとした日付が刻まれている。1969年2月9日。東大入試が中止となった年。
 そして、物語とまったく関係ないが、偶然にもこの日は私の14歳の誕生日だった。
 自分の誕生日がどうだったかはちっとも覚えていないが、東京の山手線の駅から少し行ったところに住む受験生庄司薫君にとっては「ふんだりけったり」の一日だったことはまちがいない。
 でも、彼のこの一日が1970年代の若者に与えたインパクトははかりしれないものがあった。
 今ではすっかり大人、しかもシニア世代となった人々にとって、「女の子にもマケズ、ゲバルトにもマケズ」いかにいくべきかと、うろうろする薫君にどれほど共感したことか。

 時代が変わろうとしたまさにその時、ぴたっと寄り添うように文学がそこにあった。これは奇跡のような一冊だろう。
 この文庫に収録されている作者の庄司薫の「あわや半世紀のあとがき」に記された「不思議なものおもいで一杯なこと」という作者の思いに、涙がこぼれそうになった。
 薫君、君もあれから色々大変だったんだろ。よく頑張ったよな。
 なんだか、そんなことを思っている。
  
(2012/04/06 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日は
  第158回芥川賞受賞作2作のうちの
  石井遊佳(ゆうか)さんの
  『百年泥』を
  紹介します。
  もう一つの
  若竹千佐子さんの『おらおらでひとりいぐも』は
  すでに読み終えていて
  さてもう一作はどうかなと
  読んだのですが
  読み難さというか
  本の売れ行きでいえば
  若竹千佐子さんの方に完敗するでしょうね。
  きっと読みたいという気持ちが
  わかないのでは。
  でも、だからといって
  良くないわけではない。
  文学性ではこの作品の方が
  高いのではないかしら。
  そんなことを
  考えてしまった一作でした。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  これが「芥川賞」です                   

 第158回芥川賞受賞作(2018年)。
 ご存じの通り、今回の芥川賞は石井遊佳(ゆうか)さんのこの作品と若竹千佐子さんの『おらおらでひとりいぐも』の2作受賞であった。
 選考の経緯は「文藝春秋」3月号に掲載された「選評」である程度わかるが、奥泉光委員によれば若竹さんの作品は「選考委員のほぼ全員がこれに票を投じて、開始早々に受賞」が決定したようだ。
 ならば、若竹さん一本の受賞でいいものを、石井さんのこの作品も受賞作にするというところが芥川賞の不思議なところで、石井さんの作品は出来とすればいうところはないが「芥川賞」(とあえて「」付きで書くが)としては物足りなかったのではないか。
 そして、2作が決まって宮本輝委員は「納まるべきところに納まったという安堵感があった」と選評に書いた。
 この安堵感こそ、石井さんの作品が持っている「芥川賞」独特の文学性が生み出した賜物であろう。

 芥川賞には時に(というかかなりの割合で)意味が不明な作品がある。
 この作品もそうでインドで日本語教師として暮らす女性が百年に一度という大洪水にあうことで、その泥の中から人間の業のようなものが噴出してくる。
 若竹さんの作品が言葉の洪水であるとしたら、この作品は事象の洪水とでもいえばいいのだろうか。

 何人かの選評に「マジックリアリズム」という言葉が出てくる。「神話や幻想などの非日常・非現実的なできごとを緻密なリアリズムで表現する技法」らしいが、こんな言葉が選考会の席で飛び交っているところが「芥川賞」だろう。
 なんとなく青臭い文学青年っぽいでしょ。
  
(2018/03/23 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  第158回芥川賞の発表から一週間。
  多くの書店で
  この本、
  若竹千佐子さんの『おらおらでひとりいぐも』が
  品切れになっている。
  本屋さんでうろうろしている間に
  何人もの人が
  この本を求めていたのを目撃しました。
  しかも、その誰もがシニアの女性たちでした。
  私はこの作品を文芸誌「文藝」冬号で
  読みましたが、
  活字が小さい分、余計に煩雑に感じたので
  読むなら単行本をオススメします。
  若竹千佐子さんは
  「文藝賞」の「受賞の言葉」で
  こんな風に語っています。

    プレ婆さんの私としては、目指すのは青春小説とは対極の玄冬小説。
    老いの積極性を描きたい。滅びの美しさを描きたい。
    そうやって一人生きる私の老いを乗り越えたい。


  才能ある新しい作家の誕生です。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  『定年後』読んでる男性が桃子さんに敵うはずはない                   

 第158回芥川賞受賞作。(2018年)
 読了してまず感じるのが、言葉の圧倒的な力。
 タイトルの示す通り、東北弁と標準語が交じり合った文章は、そういえば宮沢賢治の詩「永訣の朝」の気分によく似て、それは確かに賢治の『虔十公園林』の引用があったり、賢治への愛情を感じるように仕込まれている。
 それにして、作者が63歳の主婦ということで、彼女の身体の中にこれだけの言葉がその歳月とともに重ねられ、ここにおいてそれが極まり、迸ったという感覚は、読んでいて恐ろしくもある。
 それは自身の中の言葉と会話する主人公の75歳の桃子さんとて同じことで、まさか女性には、どこかの国の童話ではないが、「王様の耳はロバの耳」と言葉を封じ込めていた革袋が破裂する瞬間があるのやもしれん。
 それを思うと、男性は女性には敵うはずもない。

 75歳の桃子さんには、75年分の日常があって、それは今豊穣な言葉で綴られる。母との確執、故郷からの脱出、高度成長期の東京、そして夫との出会い、子供の誕生、夫の死、子供の離反、老い、圧倒的な老い。
 それでもいま、桃子さんは「おらおらでひとりでいぐも」と生命を言葉に変える、そんな生き方を選択、そう選び取る力を生きていく。

 先走るが、この作品の最後の場面で「文藝賞」の選考委員である町田康氏は桃子さんの死を感じたようだが、まさか「あしたのジョー」ではあるまいし、やはり桃子さんの生命の強さを感じるべきではないか。
 それにしても、最後の場面が三月三日の雛祭。主人公の名前が桃子さん。
 なんという企みであろう。
 この作者、並みの主婦ではあるまい。
  
(2018/01/24 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日で8月もおわり。
  今年の夏は雨ばかりで
  いろんなところに影響が出たのではないか。
  海の家とかの営業も大変だったのではと
  心配するが
  きっと想像以上の打撃ではないだろうか。
  今回の芥川賞受賞作を受けて
  本屋さんの売上はどうだったのだろう。
  結構地味な作品だから
  販促は大変だったのではないか。
  ということで
  今日は
  第157回芥川賞受賞作
  沼田真佑さんの『影裏』を
  紹介します。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  小説を読むのは難しい                   

 第157回芥川賞受賞作。(2017年)
 小説の読み方は自由だ。たとえその作品が名の通った選者たちによって選ばれた作品であったとしても、まして選者たちが全員認めた作品であるわけでもなく、それが読者にとって理解されない、理解という堅苦しい言葉でなく受容できないとすれば、それはそういう縁だったというしかない。
 選考委員の選評を読むと、否定票を投じた委員たちも、この作品の書き手の「うまさ」を認めているが、それさえあまり納得がいかない。
 そもそもが「わたし」として表現される人物像がよくわからない。
 それはあえてゲイであることを誘導させる小細工のような気がするし、ここにその必然があるわけではない。
 むしろ、主人公をそう描くことで読者に現代風という仕掛けを施したということではないか。
 同じことが東日本大震災の扱いにもいえないか。

 ではこの作品にまったく魅力がないかといえば、そうではない。
 奥泉光委員がこの作品を「ハードボイルドふうの味わいのある作品」とし、「これは序章であって、ここから日浅と云う謎の男を追う主人公の物語がはじまるのではないか」と書いているが、確かにその通りである。
 だとしたら、この作品自体直木賞での受賞の方は相当であったかもしれない。しかし、桜木紫乃ほどの巧さはない。

 島田雅彦委員の選評に付けられたタイトル、「賞は結局運次第」はこの作品を指しているのか、受賞からもれた作品なのか、どちらなのだろう。
  
(2017/08/31 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  昨日第156回芥川賞受賞作
  山下澄人さんの『しんせかい』を
  紹介したので
  今日は芥川賞関連の一冊を。
  小谷野敦さんの
  『芥川賞の偏差値』。
  毒舌という言葉がありますが
  この本の小谷野敦さんも
  ズバズバ書いております。
  思わず、
  こんなこと書いちゃって怒られないのって
  心配するくらい。
  まあズバズバ書いたから
  正しいということはないですが。
  小気味いいことは
  間違いない。
  私もこんな風に
  云ってみたいけど…。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  文学の評価は難しい                   

 「偏差値」というのは、「集団の平均値よりもどれくらい上または下に偏っているかを、標準偏差を目盛りとして表すものである」と調べると出てくる。
 わかったようなわからないような説明だが、そういう「偏差値」に悩まされて人は成長していくともいえる。
 この本でいえば、芥川賞の「受賞作の中での偏差値」とある。
 点数の方がわかりやすいと思うが、文学には似合わないと著者はいう。
 じゃあ、「偏差値」が合うかというと、さてどうだろう。

 著者の小谷野敦氏は比較文学者だが、小説家でもある。
 かつて2度芥川賞の候補にもあがっているが、受賞には至っていない。
 そういう感情って、「偏差値」に影響しないのだろうか。
 それは措くとして、この本のいいところは一番近い第156回芥川賞の、山下澄人氏の『しんせかい』(偏差値は48だが)まで網羅していることと、受賞作の表紙画像が初書籍化当時のものを使っている点だろう。

 なんといっても表紙画像を見るだけで、帯に「芥川賞受賞」という文字が躍っているのが目につく。
 この本で見ると、第10回受賞作『密猟者』(寒川光太郎)で、すでにその文字が見える。
 そういう点では、芥川賞という賞が宣伝効果を持っていることは事実だし、読書をするかどうかの判断基準のひとつとして、芥川賞に限らず賞の効果はあるのだろう。

 芥川賞と直木賞の人気の差であるが、小谷野氏は受賞発表の掲載誌の違いをあげている。
 文学なんかに興味もない人も雑誌「文藝春秋」は読む。一方の「オール讀物」は読まない。
 なるほど。そうかもしれない。
  
(2017/04/14 投稿)

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