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プレゼント 書評こぼれ話

  今日は「百年文庫」の79巻め
  「」を紹介します。
  収録されている作者の中で
  もっとも有名なのは
  小林多喜二でしょうね。
  皆さんは小林多喜二の『蟹工船』という作品は
  文学史として聞いたことがあると思います。
  もちろん
  私も知っています。
  何年か前に
  再ブームが起こって
  映画化もされたほど。
  でも、今は人手不足で
  就職戦線もさまがわりしました。
  派遣社員の問題とか
  就職氷河期のこととか
  すっかり昔の感があります。
  一体どうなっているのか
  経済はそこまで変わってしまったのでしょうか。
  それとも
  団塊の世代の大量引退で
  様変わりしたのでしょうか。
  小林多喜二の時代というより
  小林多喜二を蘇らせた時代との
  かい離に愕然とします。
  一体何年経ったというのでしょう。

  じゃあ、読もう。

隣 (百年文庫)隣 (百年文庫)
(2011/06)
小林 多喜二、宮本 百合子 他

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sai.wingpen  隣人を愛せよ                   

 「百年文庫」は各巻に漢字一文字のタイトルをあてている、短編作品のみを収録している特異なシリーズである。
 79巻めには「隣」という漢字があてられている。
 収録されているのは小林多喜二の「駄菓子屋」、十和田操の「判任官の子」、そして宮本百合子の「三月の第四日曜」である。
 小林と宮本の名前が並ぶとプロレタリア文学かと思いたくなるが、けっしてそうではない。
 小林の作品は有名な「蟹工船」が書かれる何年も前のものだ。
 この巻にどうして「隣」という漢字があてられたのかわからないが、私にはこれらの作品に描かれた貧しい人々のいた時代そのものが現代という時代の「隣」のような気がして仕方がない。
 宮本の作品に出てくる集団就職の風景をすっかり忘れてしまったような顔をしているが、それは「隣」の時代の話ではないか。
 そんな「隣」のことを忘れてはいけないように思う。

 小林多喜二は言うまでもなく「蟹工船」に代表されるプロレタリア文学の旗手である。
 しかし、1924年に発表された(小林が特高の拷問で亡くなるのは1933年)「駄菓子屋」は貧しい駄菓子屋を営む一家の姿を描きながらも希望を失わない作品だ。
 物語の最後に届く姉からの手紙に綴られた「もう少しの我慢ですよ」という言葉は深い。

 宮本百合子の「三月の第四日曜」は、その前日に卒業式を済ませたばかりの少年たちが何万と東京に就職のために出てきた様子から書かれている。
 その中に主人公のサイの弟勇吉もいる。サイも何年か前にそうして東京に出てきた一人だ。
 サイにしても勇吉にしても、故郷に残った家族にしても生きることに精一杯である。そんな生活は戦争の足音が高まるなか、一層厳しくなっていく。
 この短編も最後が印象的だ。
 もうひとつの短編「判任官の子」の作者は十和田操。ほとんど未知の作家だ。この作品で芥川賞の候補になったという。1936年のことだ。
 ここでは当時の子どもたちの溌剌とした姿が活写されている。正しいことだけでなく、妬みや僻みといった子どもたちの残酷な一面もうまくとらえられている。
  
(2014/06/07 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  久しぶりの「百年文庫」です。
  ゴールデンウィークが終わって
  そのあとで「」というのも
  おかしな趣向になりました。
  ちなみにいえば
  秋の長い連休は
  シルバーウィークと呼ばれていて
  実は来年2015年の9月には
  5連休が実現しそうだとか。
  「百年文庫」の話に戻ると
  94巻めのこの巻には
  堀田善衞小山いと子川崎長太郎といった
  実力派作家の作品が
  収録されています。
  こういう作品を読むと
  現代の短編が薄っぺらに思えて
  仕方がないのも
  残念です。
  こういう短編を読めるのがうれしい
  「百年文庫」です。

  じゃあ、読もう。

銀 (百年文庫)銀 (百年文庫)
(2011/09)
堀田 善衞、川崎 長太郎 他

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sai.wingpen  「銀」とはあるが黄金級                   

 黄金週間が終わって、漢字一文字をタイトルにしている「百年文庫」から「銀」というタイトルの巻を選んだのは偶然なのだが、黄金に続く「銀」みたいな読書体験になった。
 もっともここでの「銀」は海の銀波をあらわす色としてとらえられている。
 全100巻の「百年文庫」の94巻めにあたるこの巻には、堀田善衛の『鶴のいた庭』、小山いと子の『石段』、それに川崎長太郎の『兄の立場』の三篇が収められているが、どの作品も現代ではなかなか出合えない重厚な短編といえる。
 若い作家たちはこういう作品を読むことはあまりないのかもしれないが、ものの描写にしろ心情の描き方にしろ、現代のものよりうんと深い。
 あるいは現代の読者もこういう短編を読むことで、作り手側の質をもっと求めるべきではないだろうか。

 中でも、「広場の孤独」で第26回芥川賞を受賞した堀田善衛の『鶴のいた庭』は絶品である。
 日本海に面した港で今は没落したものの、かつては望楼まであった廻船問屋を営む生家のありし日の姿と、その家とともに命の残り火を閉じていく曾祖父を描いて、人生の流転ともいえる儚さをなんともいえない作品。
 タイトルにあるように二羽の鶴まで飼っていたというのがシンボリックだし、その鶴を飼育する「けっつあ老人」もかつての栄華を体現した存在として、うまく描かれている。

 小山いと子は「執行猶予」で第23回直木賞を受賞した実力派だが、この巻に収録されている「石段」はどちらかといえば純文学系の作品といえる。
 旅先の佐渡で出会った不躾で足の悪い男。そんな父を羞じる姉と弟。妻であり母である女の姿は見えない。
 そんな奇妙な家族と行き先々で一緒になる「私」はすっかり滅入ってしまう。帰りのバスにも同乗するはめになる。その途中、縁結びの神を祀る神社で男は突然バスを降りて、長い石段を昇り始める。どういう事情か、帰ってこない妻が早く戻ってくることを願って。足をひきずりながら石段を昇る父親。それを見つめる姉弟。
 「私」の視点はいつしか読者のそれに同化していく。
 最後の「兄の立場」を書いた川崎長太郎は私小説作家として人気が高い。貧しい一家の、それでも温かな兄弟の姿を描く短編である。

 「銀」とはあるが、黄金級の三篇といっていい。
  
(2014/05/09 投稿)

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  久しぶりの「百年文庫」です。
  どうも読みたい本が
  次から次へとあって
  「百年文庫」にまで至らずというのが
  実情で、
  それはそれでうれしいのですが
  せっかくの100冊読破という目標も
  先行きがあやしいばかり。
  反省しきりの
  第28巻は「」と題された一冊。
  収められているのは
  中勘助寺田寅彦永井荷風
  日本文学史でつとに有名な作家たち。
  こういう三人を読めるのは
  「百年文庫」の面白さ。
  それをうっちゃっていたなんて
  またまた反省しきり。
  でも、今回の巻は
  かなり難しい、
  読みにくい巻ではありました。

  じゃあ、読もう。


(028)岸 (百年文庫)(028)岸 (百年文庫)
(2010/10/13)
中勘助、寺田寅彦 他

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sai.wingpen  「此岸」と「彼岸」                   

 「百年文庫」というシリーズの特長の一つに、漢字一文字の書名が付けられていることがあげられる。
 第28巻めのこれには、「岸」とつけられている。
 けれど、中勘助の「島守」、寺田寅彦の「団栗」他二篇、永井荷風の「雨蕭蕭」を収めたこの巻に何故「岸」という漢字がつけられたのかわからない。
 どの作品も、水辺と接する「岸」が描かれているわけではない。
 だとすれば、「此岸」「彼岸」の「岸」ではないか。
 つまり、これらの作品は生と死のはざまにあるような作品群である。

 特にその色が濃いのは、寺田寅彦の「団栗」だろう。
 寺田寅彦といえば、夏目漱石を弟子として、文章も巧みな物理学者である。また漱石の『吾輩は猫である』の寒月のモデルと言われてもいる。
 「団栗」は小説というより随筆になろうが、若くして亡くなった妻の生前の姿を描いて切ない。
 植物園で無心に団栗を拾う妻の姿を描き、つと「団栗を拾って喜んだ妻も今はない」と文章を置く巧さ。
 愛する者を喪う悲しみが、寺田の文章ではあまりにも簡に描かれて、それゆえに深さを知ることになる。
 科学者であった寺田にとって、生きることと死ぬことは生命体が連続しないだけだったといえる。ただし、感情的にはいつまでも続いていく。
 文学者寺田寅彦はそのことをはっきりとわかっていたのだろう。

 同じく夏目漱石と縁のある中勘助。彼の代表作『銀の匙』が漱石の推薦を受け新聞に掲載され好評を博したのは有名だ。
 しかし、中は人気作家の道を歩くことはなかった。
 「島守」は野尻湖に浮かぶ弁天島で隠遁生活のように暮らした日々を描いた作品だ。
 人と会うのもめったになく、ほとんど息だけをしているような生活は、生きながらにして「彼岸」にいるようでもある。
 中が何故文壇を嫌ったのか不勉強でわからないが、当時の彼を突き動かしていたのは生きることと死ぬことの未分明でなかっただろうか。

 もう一篇は永井荷風の「雨蕭蕭」。1921年(大正10年)に発表された作品である。
 旧知のヨウさんという資産家が古式の芸を若き娘に託そうとするも叶わない顛末で、ここでは江戸から明治へと続いてきた芸事が消えていく一瞬が描かれている。
 これも「此岸」から「彼岸」へとつづく短編といっていい。
  
(2014/02/26 投稿)

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  今回の「百年文庫」は
  「」と題されているが、
  安部公房カミュという
  (もう一人はサヴィニオ
  かつて私が大好きだった作家の短編が
  収録されていて、大満足の巻。
  二人の作家に夢中になったのは
  高校2、3年から大学生の時。
  いずれも新潮文庫
  ほとんどの作品がそろえられた。
  同じ頃、倉橋由美子も大好きでした。
  いまもそうなのかどうか知りませんが、
  安部公房の作品は
  新潮文庫でほとんど読めました。
  そのほとんどの挿画が
  奥さんでもあった安部真知さんでした。
  カミュもそうですね。
  文庫シリーズの装丁も印象的でした。
  もう、うんと昔の話です。
  でも、
  安部公房カミュ
  今も若い読者を獲得している点では
  普遍性の高い文学といえます。

  じゃあ、読もう。
  


壁 (百年文庫)壁 (百年文庫)
(2011/05)
カミュ、サヴィニオ 他

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sai.wingpen  解けないがゆえの快感                   

 安部公房が亡くなって今年20年になる。
 晩年にはノーベル賞の候補にもなっていたという安部だが、今もその人気は高い。全集だけでなく、研究書も多数刊行されている。
 具象でありながら抽象ともいえる多くの作品に夢中になった時がある。『箱男』『砂の女』『壁』…、解けない数式が面白いのと同じような感覚だ。
 そんな安部の短編『魔法のチョーク』を収める、百年文庫76巻めのタイトルは「壁」。
 不条理文学の雄、カミュの『ヨナ』とギリシャの作家サヴィニオの『「人生」という名の家』とともに、魅力的な巻となっている。

 安部公房の『魔法のチョーク』には難しい表現は何もない。
 貧しい画家のアルゴン君がある日偶然に「魔法のチョーク」を手にいれる。このチョークで描かれてものは全て本物の物体になる。リンゴ、コーヒー、パン、ベッド。ところが、魔法のチョークで描かれたものは太陽の光があたるとたちまち消滅する。
 アルゴン君は部屋の窓を塞ぎ、チョークが生み出す世界に籠る。食べるものが充たされたが、誰もいない。
 そこでアルゴン君は一人の美女までチョークで生み出してしまう。いつも間にかアルゴン君は創造主になってしまった。しかし、…。
 アルゴン君の行為は愚かだ。けれど、この作品が書かれた1950年はまだ戦争の傷跡が癒えない頃。誰もが「魔法のチョーク」をもって愚かにも戦争を行ったことを認識できたはず。そういう警告を含め、平易な文章に深い意味が隠されている作品だ。

 カミュはいうまでもなく『異邦人』や『ペスト』といった作品で時代の寵児となった作家。
 1957年にはノーベル文学賞を受賞したが、そのことを「過去の作家に対するはなむけ」と批判する人もいたらしい。
 収録作の『ヨナ』はそんな時期に書かれて作品で、画家としての栄光に包まれた主人公のヨナがいつしか時代に取り残されていく悲劇を描いたもの。
 わずか46歳で亡くなったカミュだが、文学史に残した功績はいまだ消えることはない。
 もうひとつの作品『「人生」という名の家』はサヴィニオという未知の作家のものだが、意外に面白かった。主人公が迷い込んだ家は実は彼の「人生」そのものだったという構成は不思議な感覚を残す。

 いずれも作品も解けない数式のような、読書の快感といえる。
  
(2013/07/05 投稿)

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  今日は「百年文庫」の83巻め、
  「」を紹介します。
  町と村の違いって分かりにくいですが
  それぞれの都道府県の条例で定めている
  町としての要件があるようです。
  単に人口が少ないとかということでは
  ないようですね。
  私の故郷は
  れっきとした町ですが
  気分的には村ですね。
  親戚の家が固まってありますし。
  山の中にあるような
  村ではないのですが
  どちらかというと
  村。
  今日紹介するこの巻は
  いままで読んだ「百年文庫」の中でも
  一、二の面白さ。
  オススメの一冊です。
  村って、こわいですよ。

  じゃあ、読もう。

村 (百年文庫)村 (百年文庫)
(2011/07)
黒島 伝治、杉浦 明平 他

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sai.wingpen  人間という、おもしろいものたち                   

 この国は高度経済成長を経て、いつの間にか誰もが中流という意識を持つようになった。同時に、「村」という共同体意識も薄まったといえるが、実態はまだ「村」とか「家」という意識が根底にあるような気がする。
 実際、私の生まれたところはずっと「町」だったが、時々人々は自分たちの住むところを「村」と呼ぶことがある。
 田畑を耕す者もほとんどいないが、「村」という共同体が残っているのだ。
 「百年文庫」の83巻は「村」。
 物語の舞台が「村」である、黒島伝治の『電報』『豚群』、葛西善蔵の『馬糞石』、杉浦明平の『泥芝居』の四篇が収められているが、これがめっぽう面白い。
 「村」という狭い共同体の中で、他人の足をひっぱったり、噂が充満したり、欲に走ったりと、生の人間が蠢いているから、面白いのだといえる。

 葛西善蔵は『子をつれて』を代表作とする破滅型の私小説作家である。太宰治と同郷の青森の出身だ。
 この巻に収められた『馬糞石』はそんな作家の作品のつもりで読まない方がいい。小さな生活に縛られた私小説ではなく、もっとダイナミックなおろかな人間が描かれている。
 死んだ馬の腹から奇妙な石が見つかる。何気なく、若い獣医に譲ったものの、その石は大変な価値があるという噂が村中を駆け巡る。あわてたのは、死んだ馬の持ち主三造。あの手この手を使って、その石を取り返そうとする。
 その滑稽さは、欲にあおられたものだ。しかも、村の噂が三造の気持ちをさらにあおりたてる。

 小さな共同体である「村」では、他人の口ほど怖いものはない。
 黒島伝治の『電報』もそうだ。資産家の子供ぐらいしか上の学校に進まなかった時代、裕福でもない家の子が中学受験というだけで、口さがない村人たちの餌食となる。
 受験に賛成していた父親も母親もやがて村中の悪口に心がくじかれていく。

 ここに収められた作品が面白いのは、作者がけっして当事者でないからだ。だから、冷ややかな目で人間だけを描けているといっていい。
 その顕著な作品が杉浦明平の『泥芝居』といえる。杉浦の目は「村」とは離れたところにある。その分、冷静に欲に振り回される人間を見ている。
 杉浦の場合もそうだが、この巻の作者たちは冷ややかに「村」を見ているだけではない。むしろ、その目は暖かく、だから作品の質も高い。
  
(2013/06/13 投稿)

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