プレゼント 書評こぼれ話

  昨日「月光仮面」の本でしたので
  当時人気を二分した
  「怪傑ハリマオ」の本を
  今日は紹介します。
  二宮善宏さんの『「怪傑ハリマオ」を追いかけて』。
  「怪傑ハリマオ」もまた
  宣弘社の制作した番組です。
  昭和30年代にもし宣弘社がなかったら
  どんなにつまらない時代だったでしょう。
  言い方を変えれば
  宣弘社が創ったヒーローたちがいたから
  あの時代には希望があったともいえます。
  さあ、思う存分
  「怪傑ハリマオ」を楽しんで下さい。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  これであなたも怪傑ハリマオ                   

 「月光仮面」になるよりももっと簡単にヒーローになる方法があった。
 タオルを二枚用意します。
 まず一枚を頭にかぶります。普通にほっかぶりすればいい。
 そして、もう一枚は長いまま、頭のタオルの間に差し込めば出来上がり。
 もちろん、サングラスがあれば完璧ですが、なくても気分はヒーロー。
 そう、僕らのハリマオ!

 「怪傑ハリマオ」が放映されたのは昭和35年4月。それから1年余り続くことになる人気番組は毎週火曜夜7時半から日本テレビ系で放映された。
 提供は森下仁丹。制作は「月光仮面」を創った宣弘社。
 主人公のハリマオを演じたのは、青森出身の俳優勝木敏之。主題歌を歌ったのは三橋美智也。
 「♪真っ赤な太陽燃えている~」、そんな三橋の高い声で合わせて颯爽と登場した勝木ハリマオだが、これだけの人気番組の主役でありながら、その後ほとんどブラウン管にも登場しなくなる。

 本書ではその後の勝木の足どりを描きつつ、しかし、興味本位の「あの人はいま」ではなく、番組「怪傑ハリマオ」を創った男たちの今に至る思いを描いていく。
 主題歌を創った作曲家、作詞家、番組に流れたCMを唄った歌手、もちろん番組を創ったスタッフの面々。
 「月光仮面」だけが戦後の、またはテレビ黎明期のヒーローではない。
 「怪傑ハリマオ」もまた、子どもたちを夢中にさせてくれたヒーローだった。
 そんなヒーローたちがいたから、私たちは戦後を戦い抜けたといっていいのではないだろうか。
 放映からまもなく60年である。
  
(2017/11/24 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  昨日『タケダアワーの時代』という
  本を紹介しましたが
  その時間帯の最初が
  昭和33年の「月光仮面」。
  そこから
  輝かしい「タケダアワー」が始まるのですが
  「月光仮面」の意味は
  それだけにとどまらなかったのでは
  ないでしょうか。
  当時オンタイムで
  「月光仮面」を見ていた人たちも
  齢を重ねて70代、60代です。
  日本の今を作った人たちですね、きっと。
  せっかくなので
  今日は再録書評
  樋口尚文さんの
  『「月光仮面」を創った男たち』を
  紹介します。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  これであなたも月光仮面                   

  まずは白い布を二枚用意します。
 慶事用の白い風呂敷があればいいですが、なければタオルでもいいでしょう。そのうちの一枚で頭を覆い、後ろで結んで下さい。もう一枚で顔の半分を覆います。ちょうど昔の学生運動の闘士のようにです。
 次にサングラスですが、お兄さんご愛用のものを拝借できればいいですね。昔は駄菓子屋さんで売っていたものですが、今はどうでしょう。でもこれは絶対に必要ですから、なんとか都合をつけて下さい。
 あとはマント。これも大振りの風呂敷がいいですね。バスタオルでもいいですが、片手でパッと翻る素材の軽さが欲しいところです。
 そうそう大事なアイテムを忘れていました。額の三日月。これはボール紙で工作しましょう。もちろん、もう少しこだわりたい人は白いTシャツ、白いタイツに身をつつんで下さい。白いタイツはお姉さんのパンストでもいいですが、お父さんの駱駝のズボン下はやめましょう。
 さあ、これであなたもりっぱな<月光仮面>です。街の平和を守りに行きましょう。

 そうして遊んだ人も多いのではないでしょうか。昭和三三年に登場した「連続テレビ映画」『月光仮面』はそれ程のインパクトを当時の子供たちに与えました。
 本書は「『月光仮面』というそれ自体は安づくりの貧しさ漂う番組が、メディア変遷の歴史においていかに大きな意義を持ち、ここで培われた人びとの出会いがいかにテレビの新たな潮流を生み出したか」を考察したものですが、著者の樋口尚文氏は昭和三七年生まれですから、「月光仮面再放送世代」になります。
 実はこの「再放送」という仕組みがテレビ黎明期においては極めて重要な点です。
 当時のテレビ受信機の普及の状態からして、テレビが提供した情報がひろく人々の記憶につながるのは、この「再放送」(これも当時の番組制作事情によるものだったと思われます)がもたらした影響が大きいと思われます。そして、そのことはある一定の世代を大きく括ってしまう要素ももっていました。

 『月光仮面』でいえば、リアルタイムでそれを見た世代と樋口氏のように「再放送」で見た世代ではおそらくひと世代の隔世があるでしょうが、「再放送」という仕組みによって二つの世代は「同時代」の感覚をもつことになります。
 テレビの情報が続々と製作される時代に変化していくうちにこの「再放送」の仕組みが薄れてきます。そうすると「ウルトラマン世代」と「帰ってきたウルトラマン世代」というように、世代も細かく分類されていきます。
 そういう点からも『月光仮面』は幸福なヒーローであったといえます。(ちなみに『月光仮面』といえばアニメ番組を思い出す世代がいますが、これはまったく異質な世代といっていいでしょう)

 では、なぜ『月光仮面』があれほどまでに人気を高めたのでしょう。
 その謎を樋口氏は「空き地とつながるテレビ空間」に答えがあるのではと見ています。
 当時の子供たちにとっての遊びの空間は「空き地」であり、その延長として『月光仮面』が活躍する「テレビ空間」があったとしています。
 「大人たちが野球やプロレスの「中継」に熱中するのと同じフェーズで子どもたちに「観戦」されていた「実況的」イベントだったのではないか」と論じています。
 この遊びの空間としての「空き地」をどうみるかは重要な点だと思います。

 冒頭<月光仮面>に変身したあなたはどこに行くでしょう。少なくとも「空き地」に類した空間がない限り、誰もあなたの<月光仮面>を見てくれません。あるいは、誰かが扮した<どくろ仮面>と戦うこともできないでしょう。昭和三十年代というのは、戦う場として、あるいは演じる場としての「空き地」という空間を保有していた時代であったといえます。それは昭和三七年に放送が始まった『隠密剣士』の忍者・忍術路線へとつながります。
 そして、そのような遊びの風景がくずれていくのは昭和四一年から始まる『ウルトラマン』かもしれません。だって、誰がエレキングになれますか。
 子供たちは敵の怪獣を求めて「子供部屋」という空間には入っていったのではないでしょうか。
 さあ、<月光仮面>に扮したあなたは、誰と戦いますか。
 「誰なの、ママの自転車白く塗ったのは」という声をふりきって、疾風(はやて)のように出かけましょう。
  
(2008/10/19 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日は
  友井健人さんや泉麻人さん、
  あるいは樋口尚文さんといった面々が
  執筆陣に名をつらねる
  『タケダアワーの時代』を
  紹介しますが、
  こういう手の本になると
  いいたいこと
  注文つけたいこと
  山積みなんです。
  まず、もっと図版をいれて欲しかった。
  タケダアワーで放映された
  番組を年表のようにして
  一覧化して欲しかった。
  視聴率とか
  出演者とか
  何年から何年まで放映されていたとか。
  ああ、それにしても
  この時間帯が懐かしい。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  タケダ、タケダ、タケダ~                   

 経営危機に陥っている東芝が提供していた「サザエさん」の番組から降りるという噂が最近広まった。
 昔は1社が独占して番組の提供を行うという事例はたくさんあったが、東芝に限らず、企業の負担が大きいせいか、ほとんど見かけなくなった。
 広告の方法、番組の作り方がテレビ創世記の頃とだいぶ違ってきているのは、情報化社会ゆえの変化と考えるしかない。
 そうはいっても、1社が提供していた番組、その多くは曜日も時間帯も固定されていて、視聴者としては懐かしくもある。

 そのひとつが、本書のテーマである「タケダアワー」。
 提供企業は武田薬品。放送していたのはTBS。放送時間帯は日曜夜7時。つまりゴールデンタイムである。
 昭和33年から17年間、「タケダ、タケダ、タケダ~」のコーラスにのせて始まるこの時間帯に放映された数々の名作たち。
 「月光仮面」「豹の眼」(個人的にはこの番組がとても好きで夏休みなどで再放送されたものもよく見ていた記憶がある)「隠密剣士」、そして「ウルトラQ」「ウルトラマン」「ウルトラセブン」さらに「柔道一直線」と、名前をあげているだけで、この時間帯に釘付けになっていたことがよくわかる。

 これらの番組に関わったのは、広告代理店宣弘社の面々。
 あの銀座のネオンで戦後その名を轟かせ、「月光仮面」や「怪傑ハリマオ」を生み出したプロダクションでもある。
 本書は宣弘社で「タケダアワー」を担当していた人やTBSの関係者などの聞き書きで、当時の熱気を再現した貴重な資料でもある。
 なによりも、これらの番組で大きくなってきたんだという感慨がある。
  
(2017/11/22 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日紹介する
  指南役さんの『「朝ドラ」一人勝ちの法則』ですが
  読むまでは
  NHKの朝の連続テレビ小説のことかと
  思っていたのですが
  もちろんそれもありますが
  書評にも書いた通り、
  これはドラマ作りの本。
  いくつか書き留めておきましょう。
  
    視聴者が登場人物に感情移入できて、
    物語を楽しめる最適人数が8人なのだ。


  これは「マジックナンバー・エイト」と
  いうらしい。

    映画作りにおけるクリエイティブとは、
    どれだけ過去の作品を知っているかと同義語である


  なるほど。
  最後に
  ソニーのウォークマンのCMから。

    10代で口ずさんだ歌を、人は一生、口ずさむ

  確かに。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  ドラマの作り方教えます                   

 もったいないな、どうしてこんなタイトルをつけたのだろう。
 成程、ここ数年テレビのドラマが不調で、そんな中、NHKの朝の連続テレビ小説、通称「朝ドラ」だけは好調で、それは本書のタイトル通りだし、そもそもの出版の企画も「朝ドラの本」であったみたいだから、このタイトルは間違っていない。
 しかし、この本を執筆した草場滋さんを代表とするメディアプランナーである「指南役」のメンバーたちは、もっと違うことを書きたかったのではないか。
 それは元気のない連ドラのことでもあるが、そしてそれはここでも表現されているが、そういった元気のいい「朝ドラ」と元気のない「連ドラ」をひとまとめてにして、どのようなドラマが人をひきつけるのかといいことではないだろうか。
 せめて、「ドラマの作り方教えます」みたいな、サブタイトルがあってもいいのに。

 この本にこうある。
 「ドラマがヒットする際に最も重要なのは、脚本である」。
 ただ、これは「テレビドラマ」の場合で、「映画は監督」「舞台は役者」と区分けされているようだ。
 しかし、そうはいっても、映画にしてもドラマにしても舞台にしても総合芸術であることには違いがない。
 脚本も重要だが、「朝ドラ」を見ていると美術や音楽、小道具に至るまで実に丁寧にできている。作品をつくる上での予算が民放の「連ドラ」とは多いに違うような気がする。

 それはともかく、この本はドラマをつくりたいと思っている若き脚本家の卵の皆さんには必読の一冊である。
  
(2017/11/10 投稿)

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  今日紹介する
  『チラシ大全集 part2 1970~1979』は
  神保町ブックフェスティバル
  購入したもの。
  去年、part1を購入し、
  自分が映画に夢中になったのは
  Part2の年代だと
  去年深く反省して
  今年買うことができた。
  書評にも書きましたが
  どのページを開いても
  懐かしく、
  この映画あったな、
  この映画見たよな、
  と思わず涙が浮かんできそう。
  まさに青春でした。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  映画に夢中だった頃                   

  60年あまりの人生が長いか短いかはおくとして、振り返って映画に明け暮れた期間は15歳から20歳までの5年ばかりだと思う。
 それを短いといえばそれまでだが、少なくとも私にとっては濃厚な蜜月期であったことはまちがいない。
 そのきっかけの1本は1970年封切りの「去年の夏」だったことは覚えている。
 映画のチラシを集めてこの本で、1970年にどんな映画が封切られていたかをみると、出てくる出てくる、もうすべてが懐かしい作品ばかりだ。
 この年私は15歳。
 映画館の暗闇にどんな逃げ場を求めていたのだろう。

 オリビア・ハッセーの「ロミオとジュリエット」のリバイバルは1972年で、そのチラシが掲載されているページには「ラスト・ショー」のチラシがあったりして、うれしくなる。
 この本は私にとって「想い出の玉手箱」のようなもので、どのページにも思い出がつまっている。

 1974年には「ペーパー・ムーン」や「アマルコルド」が公開され、このあたりが私の洋画との蜜月のおわりあたりだろうか。
 東京の名画座で古い映画や邦画にはまっていって、ロードショーから離れていったのは入場料とのこともあったからだろうか。
 しかし、その5年間のなんという濃密だったことか。

 この巻の最後の1979年にはR・スコット監督の「エイリアン」が登場する。
 今ではそれをテレビで視聴できるのだから、なんともありがたい時代になったものだ。
  
(2017/11/08 投稿)

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