fc2ブログ
プレゼント 書評こぼれ話

  昨日今江祥智さんの『ぼんぼん』という
  児童文学を紹介しました。
  その際に
  手塚治虫さんの「戦争漫画」と
  よく似た匂いがすると書きました。
  せっかくなので
  今日は2019年8月に書いた
  手塚治虫さんの『手塚治虫「戦争漫画」傑作選』を
  再録書評で紹介します。
  手塚治虫さんが宝塚歌劇のファンだったことは
  よく知られていますが、
  今江祥智さんの『ぼんぼん』にも
  戦時中の宝塚歌劇の最後の公演の様子が
  描かれています。

  じゃあ、読もう。 

  

sai.wingpen  「昭和」とともに生きた手塚治虫だから描けた「戦争漫画」                   

 手塚治虫は昭和3年(1928年)に生まれ、昭和が終わって間もない平成元年(1989年)2月、60年の短い、けれど激動の生涯を閉じた。
 ほとんど昭和とともに生きた人だったといえる。
 幼年期、少年期は戦中、そして昭和20年8月の終戦時には多感な青年前期で、すでに漫画に夢中になっていた。
 戦後手塚は売れっ子漫画家として数多くの名作を世に生み出すことになるが、少年期青年期に体験した戦争のことは、生涯忘れることはなかった。

 手塚の作品の膨大なことは、彼の漫画全集が全400巻に及んでいることからもわかる。
 そして、手塚は「戦争漫画」と呼べる作品も数多く描いている。
 この本はそんな手塚の「戦争漫画」から7つの短編を収録している。
 これらの作品が発表されたのは1968年から1979年にかけてで、発表誌も「少年ジャンプ」や「少年サンデー」など、手塚の主戦場ともいえる少年漫画誌であった。

 「戦争漫画」といっても、手塚の場合戦争を肯定するものではない。
 名作の誉れが高い「紙の砦」では戦争が終わったもののその直前の空襲で自分の夢をくじかれた少女の姿を切なく描いている。
 あるいは、「すきっ腹のブルース」では戦争が終わったものの食べるものがなくいつもすきっ腹を抱えている漫画家の卵を描いて、飢餓のために恋さえ実らせることのできない悲哀を描いている。
 また、戦争による環境破壊を描いた「ゼフィルス」など、手塚のこだわりを感じる。

 これらの作品は、昭和を生きた手塚だからこそ描けた「戦争漫画」だったような気がする。
  
(2019/08/09 投稿)

    芽 「ブログランキング」に参加しています。
     応援よろしくお願いします。
     (↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 今日もクリックありがとうございます)
 
    にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ

レビュープラス
プレゼント 書評こぼれ話

  漫画家藤子不二雄Aさんが亡くなって
  あらためて
  彼らが青春期を過ごした
  「トキワ荘」というアパートのことが
  気になりました。
  それで、たどりついたのが
  今日紹介する
  梶井純さんの『トキワ荘の時代』でした。
  この本では
  仲間たちから「テラさん」と慕われた
  寺田ヒロオという漫画家を中心にして
  当時のことが描かれています。
  寺田ヒロオさんが残した作品は
  「背番号0」「スポーツマン金太郎」「暗闇五段」などで
  とっても記憶に残っている
  漫画家の一人でした。
  この本は1993年に刊行されていますが
  漫画史の貴重な資料といえます。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  寺田ヒロオを覚えていますか                   

 「かつて豊島区椎名町(現南長崎)にあったトキワ荘は、手塚治虫をはじめとする現代マンガの巨匠たちが住み集い、若き青春の日々を過ごした伝説のアパートです。」
 これは、東京・豊島区にある「トキワ荘マンガミュージアム」のHPにある「開館にあたっての挨拶」の冒頭の文章です。
 「トキワ荘は、昭和57(1982)年12月に解体されました」が、漫画の聖地を残そうと活動され、2020年春に当時の外観や内装が忠実に再現されて、ミュージアムとして復活しました。
 行政の「ハコモノ」施策が問題化される中、「トキワ荘」がこうして新しい一歩を歩み始めたのは、いかに漫画という文化が日本に根付いているかのあかしともいえます。

 ただ「トキワ荘」は今に始まった伝説ではありません。
 むしろ、かつてそこで暮らした藤子不二雄さんや石ノ森章太郎さん、あるいは赤塚不二夫さんたちが現役で活躍していた頃より「トキワ荘」伝説はありました。
 そして、そのなかにあって、異彩をはなっていたのが、この本でも中心となって描かれている寺田ヒロオさんです。
 寺田さんの活躍時期は決して長くありませんが、昭和30年代に漫画を夢中になった人には忘れられない漫画家です。
 そして、もし寺田さんは「トキワ荘」にいなければ、漫画史も随分違った様相になったことでしょう。
「血わき肉おどるようなものはなにもなく、しかしさわやかな温かさによって忘れがたく記憶されている」漫画家寺田ヒロオを知ることは、「トキワ荘」を知ることでもあり、日本の漫画史にも欠かせないことなのです。
  
(2022/05/25 投稿)

    芽 「ブログランキング」に参加しています。
     応援よろしくお願いします。
     (↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 今日もクリックありがとうございます)
 
    にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ

レビュープラス
プレゼント 書評こぼれ話

  今日は
  手塚治虫さんの
  『手塚マンガでエコロジー入門』という本を
  紹介します。
  久しぶりに
  手塚治虫さんの漫画を読みましたが
  全然古びていないことに
  驚きました。
  なんといっても
  昭和の漫画の代表格で、
  漫画という表現形態は
  時代を超越するのだなと
  感心しました、
  解説は手塚治虫さんの娘さんである
  手塚るみ子さんが書いています。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  今でも古びない作品と思考                   

 「漫画の神様」とも呼ばれる漫画家手塚治虫さんが亡くなったのは、昭和が終わって平成に代わって間もない1989年2月9日でした。
 没後すでに30年以上になりますが、例えばこの本のように2019年に刊行されたアンソロジーになったり、今でも古びることがありません。
 ましてや、最近よくいわれるSDGs (エス・ディー・ジーズ・持続可能な開発目標)の先駆けともいっていい作品を数多く残していることが、この本に収められた作品を読んでわかります。

 本のタイトルにあるとおり、手塚マンガを通して「エコロジー」について考えることができるように構成されています。
 収録されている漫画は、「モンモン山が泣いている」「原人イシの物語」という2つの短編漫画、それと「ブラック・ジャック」から4篇、「三つ目がとおる」「鉄腕アトム」からそれぞれ1篇ずつの、計8篇です。
 それらの漫画の間に、手塚さんのエッセイ『ガラスの地球を救え』から抜粋された短文が編集されています。
 感心するのは、「ブラック・ジャック」や「鉄腕アトム」といった人気連載漫画の作品の中に、「エコロジー」を考える内容のものが何の違和感もなく描かれていることです。
 きっと手塚さんの心の底流に、人をおもう、自然をおもう、地球をおもう、そんな気持ちがあり続けたのだと思います。
 そのことがいかに大事かということを、漫画であれば、子供たちにも伝えられる。
 だからこそ、手塚マンガが決して古びないのです。
  
(2022/04/26 投稿)

    芽 「ブログランキング」に参加しています。
     応援よろしくお願いします。
     (↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 今日もクリックありがとうございます)
 
    にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ

レビュープラス
プレゼント 書評こぼれ話

  今日は
  テレビアニメの初期の頃から
  多くの作品の脚本を書いてこられた
  辻真先さんの
  『辻真先のテレビアニメ道』を
  紹介します。
  こういう本を読むと
  やはり小さい頃のことを思い出しますが
  いつも気になるのが
  我が家にテレビがやってきたのは
  いつだったかということ。
  幼児といっていい小さい頃は
  近所の叔父さんちにテレビを見せてもらいに行っていました。
  その記憶はあるのですが
  それがいつまでだったのか
  それがわからない。
  タイムマシンがあれば
  そんな時代に行ってみたいな。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  辻真先さんというとってもすごい人                   

 日本で初となる連続テレビアニメ「鉄腕アトム」が放映されたのは昭和38年(1963年)1月1日。うっすらとそれを見た記憶があるのだが、その頃には我が家にもテレビがあったのだろうか。
 10歳にも満たない子供はそこからどれほどテレビアニメを見たことだろう。
 「エイトマン」「スーパージェッター」「宇宙少年ソラン」…、「鉄腕アトム」からわずか2年あまりでカラー版で「ジャングル大帝」が放映されるのだから、子供とはいえ、時間が足りない。
 そんなテレビアニメ少年にとって、「辻真先」の名前は、それがどんな人なのか知らないまま、記憶に残った。
 何故かといえば、その当時の多くのテレビアニメの脚本に「辻真先」の名前があったから。
 この本は、働きはじめて58年という長きにわたってテレビアニメのシナリオを書き続けた辻真先さんが、書いた作品ごとにその当時の制作裏事情などを綴ったものだ。

 目次に並んだテレビアニメのタイトルだけで目がくらみそうになる。
 「ジャングル大帝」「ゲゲゲの鬼太郎」「もーれつア太郎」「タイガーマスク」「サザエさん」、まだまだあるが、辻さんはこれらの作品の第一話の脚本を担当したというからすごい。
 ちなみに辻さんは1932年生まれというから、まちがいなくテレビの創成期、テレビアニメの制作にどっぷりと関わっている。
 だから、あの当時のテレビアニメ少年にとって辻真先という人は、遠い親戚よりもうんと近い存在だったことは間違いない。
  
(2022/03/31 投稿)

    芽 「ブログランキング」に参加しています。
     応援よろしくお願いします。
     (↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 今日もクリックありがとうございます)
 
    にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ

レビュープラス
プレゼント 書評こぼれ話

  漫画「あしたのジョー」が
  「週刊少年マガジン」に連載が始まったのは
  昭和42年というから、
  私が12歳の時。
  人生最初で最後の日記を書き始めたのも
  その頃で、
  残念ながら感傷で捨ててしまって今はないが
  はっきり覚えているのは
  その日記に「あしたのために」とタイトルをつけたことだ。
  これは漫画「あしたのジョー」の影響だということは
  間違いない。
  つまり、連載の最初の頃から
  私も夢中になっていたということだろう。
  今日は
  その創作裏話といえる
  『ちばてつやとジョーの闘いと青春の1954日』を
  紹介します。
  2010年に出た本です。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  真っ白になるまで                   

 日本芸術院の新設分野「マンガ」で最初の会員として選ばれたちばてつやさんの推薦理由として「『あしたのジョー』で、原作をさらに深く解釈し、独自のエピソードや表現を加え、主人公が『真っ白になる』までを描き切り、スポーツマンガの大ヒット作という域を超え、同時代の若者文化を代表する作品に高めた」とあった。
 「あしたのジョー」はいうまでもなく、ちばさんの代表作で、原作は高森朝雄さん(もちろんこれは梶原一騎の別称)である。
 理由にある「原作をさらに深く解釈し、独自のエピソードや表現を加え」は、漫画原作者と作画を担当した漫画家との共同作業がどの程度のものかわからないと理解しにくい。
 「あしたのジョー」の場合は、どうだったのだろう。

 それを知るには、漫画「あしたのジョー」が「週刊少年マガジン」に連載の始まった昭和42年(1967年)12月から最終回の掲載があった昭和48年(1973年)月までの「1954日」を、ちばの日記形式でたどったこの本がわかりやすい。

 なんといっても、あの有名なラストシーンは、高森さんが書いてきた原作とは大いに違う。
 読者からすれば、すでに伏線として紀子という少女と矢吹丈の交流の場面があったと思っていたが、ちばさんにはあのシーンはまったく白紙だったという。
 あるいは、紀子という白木葉子に対するような少女の存在も原作にはなかったなど、芸術院の推薦理由そのままの事実が数多く出てくる。
 推薦文を書いた人もやっぱりこの本を読んでいたのかもしれない。
  
(2022/03/18 投稿)

    芽 「ブログランキング」に参加しています。
     応援よろしくお願いします。
     (↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 今日もクリックありがとうございます)
 
    にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ

レビュープラス