プレゼント 書評こぼれ話

  昨日キネマ旬報のベストテンの話を
  書きましたが、
  同じ頃マンガにも夢中になっていて
  「COM」なんかはよく読んでいました。
  ただ残念ながら「ガロ」は読まなかったな。
  だから、
  つげ義春とか白土三平のすごさに
  疎いまま過ごしてきた感があります。
  今日は「ガロ」以前の
  貸本マンガが全盛であった頃のことを描いた
  高野慎三さんの『貸本マンガと戦後の風景』を
  紹介します。
  書評にも書きましたが、
  私は貸本屋さんには行った記憶がありません。
  家の近くになかっただけだったのかもしれません。
  紙芝居は見たことは
  覚えているのですが。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  こういう時代だったことを忘れてはいけない                   

 現代のマンガ文化の隆盛は突然起こったものではない。
 マンガ史をたどれば、手塚治虫漫画に代表される優等生的なマンガ(それであっても酷評された歴史がある)がある一方で、暗いイメージをもったマンガも多く量産されていた時代があった。
 それが「貸本マンガ」である。
 著者は「貸本マンガを戦後史的な文脈のなかで捉え直そうと」、マンガ研究だけではなく歴史の側面にも光を与えようとしたのが、この本である。

 そもそも「貸本マンガ」とは何だったのか。
 その登場は1953年で、消滅したのは1968、9年だという。
 最盛期には全国で2~3万軒の貸本屋があったそうだ。
 貸本料金が「一冊10円、一日増毎5円」。
 私は1955年の生まれだが、残念なことに貸本屋の記憶が全くない。生まれた土地にもよるのだろうが、近所にはなかったのだろう。
 だから、そのシステムはよくわからないが、現代でいえばCDやDVDのレンタルショップ店に近いのだろうか。
 そういえば、コミックのレンタルもある。

 ただ一般に流通している小説やマンガではなく、貸本向けに描かれた作品が多かったようだ。初期の頃は紙芝居作家の作品も多くあったようだ。
 そののち、白土三平や水木しげる、あるいはつげ義春といった、のちのビッグネームが登場してくる。
 この本でもつげやその弟のつげ忠男、小島剛夕といった特異な漫画家の作品も取り上げられている。

 いずれにしても、こういう時代があって、マンガは現代に続いている。
 そのことを忘れてはいけない。
  
(2017/02/08投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日は
  赤田祐一さんとばるぼらさんによる
  『消されたマンガ』という
  問題作を紹介します。
  問題作といっても
  マンガ好きな人にとっては
  懐かしのマンガが起こした事件が
  たくさん収録されていて
  それはそれで面白い。
  なかに現在の自主規制の証言もあって
  最近の自主規制はスゴすぎみたいな
  裏話も載っています。
  例えば、「〇〇屋」の「屋」。
  あれがダメというのですから。
  八百屋ではなく
  青果店。
  そば屋でなく
  そば店。
  どうなんでしょうか、そこまでくると。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  それはマンガだったからなのか                   

 焚書というのは過去の歴史の事件かと思っていたが、「クールジャパン」と今では称賛されることの多いマンガの世界でも焚書はあったし、今もそれは残っている。
 この本はそんな「消された」マンガを集め、何故それらが「消された」のかを検証した問題作である。

 手塚治虫といえば「漫画の神様」と今でも称賛される漫画家だが、手塚はもしかしたらもっとも攻撃された漫画家の一人かもしれない。
 手塚などの活躍により昭和40年代にかけて大学生までもの漫画を読むと嘆かれた時代、手塚の作品を攻撃することは「見せしめ」としても効果があったのだろう。
 人種差別、歴史上の誤認、身体的障害、性や暴力表現、さまざまな場面で手塚は攻撃されていく。
 しかし、手塚はそれらに屈することはなかった。
 おそらく手塚自身が劇画という新しい表現に対峙しながら、漫画の攻撃とも戦い続ける。
 現代の漫画の隆盛はやはりそういった先人たちのおかげといっていい。

 では、そういった漫画に対する攻撃は減ったかというと、歴年体で編まれたこの本では2000年以降の作品でも「消された」ものがあるという。
 そのなかには漫画家の他の作品からのトレース問題などネット時代ならではの指摘や攻撃も生まれている。

 進化ということはすべてが許されることではない。
 言葉や表現は進化することで差別的な言い方を抑制してきた。それは評価すべきことだろう。
 その一方で過剰な抑制は自由な発想を縛ってきたのも事実だ。
 マンガという媒体を通して、そのことを考えてみるのもいい。
  
(2017/01/11 投稿)

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  年末に
  本棚の整理をしたことは
  以前書きましたが
  その時ひょっこり見つけたのが
  上村一夫の『凍鶴』。
  なんといっても
  今年は酉年
  なんともぴったしの一冊です。
  上村一夫
  昨年没後30年を迎えましたが
  私には
  いつまでも心に残る漫画家です。
  青年期、
  上村一夫の漫画に
  どれほど胸ときめかしたことでしょう。
  ちなみに
  私の持っているこの文庫本には
  上村一夫の親友
  阿久悠が巻末エッセイを書いています。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  酉年に読んでおきたい漫画                   

 「昭和の絵師」と呼ばれた漫画家上村一夫が亡くなって、昨年(2016年)で30年経った。
 亡くなったのが昭和61年。
 昭和も遠くなったものだ。
 この作品は『同棲時代』で人気漫画家となった上村がビックコミック誌上に1974年から80年にかけて不定期に連載したものだ。

 時代は中国との戦争が拡大し始めた昭和の初め。貧しい田舎からわずかなお金で「置屋」に売られてきた「仕込っ子」つるの半生を描いている。
 全14話のうち「仕込っ子」時代を描いたのが7話までで、8話以降は美しい芸者「おつる」の話となっている。
 この、まだ胸も膨らむ前の少女がつると呼ばれたのは「故郷で子守をして」いて「凍えた足をぬくもらせるためにいつも片足で立っていた」、そう鶴のように、だから。
 そういう貧しい時代が昭和の初めにはあった。

 「置屋」を舞台にしているから、意に染まない男との交わりといった女たちの哀しい姿が描かれているが、上村の描く女性の美しさといったらどうだろう。
 上村にはそういう女性の美しさを掘り当てる才能があったのか、少女時代のつるは特別の美少女として描かれてはいない。
 年を経て、経験を重ね、つるは「おつる」となって、美しい女性へ変貌する。
 それは蝶の変身に似ている。
 上村漫画の醍醐味はそういった女性の変化の美しさともいえる。

 やや唐突に物語が終わりを迎えるのは残念であるが、脂ののった時期の上村漫画を楽しめる作品だ。
  
(2017/01/07 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  お待たせしました!
  松田奈緒子さんの漫画
  『重版出来! 8』の登場です。
  この漫画を知ったのは
  この春放映されていたテレビドラマにはまったおかげで
  その時の脚本家が野木亜紀子さん。
  実は今再び
  野木亜紀子さんが脚本を書いたドラマにはまっています。
  そう、『逃げるは恥だが役に立つ』。
  TBSの火曜夜のドラマです。
  主人公の新垣結衣さんが素敵素敵。
  相手役の星野源さんもいい味出してる。
  星野源さんといえば
  NHK大河ドラマ「真田丸」では
  徳川秀忠を熱演しています。
  ああいう頼りない感じ、
  なかなかできません。
  野木亜紀子さんの脚本で
  「重版出来!」の続編も見たいなぁ。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  エモいぞ、この巻                   

 「泣き言や文句だけ言って許されるのは子供だけだ。どんな状況でも知恵を出しあってやりぬくのが大人の仕事だろ」。
 さすがにお仕事マンガと言われるだけのことはある。このセリフに痺れてしまった。
 第8巻の「第四十六刷(話)」の中に出てくる。
 続くのはこんな言葉、
 「やれることを全部やって天命を待つ。それ以外ないだろう」

 この巻では主人公のマンガ編集者・黒沢心(こころ)が初めて担当した新人漫画家中田伯の
 初めての単行本刊行にいたるエピソードが中心となっている。
 先のセリフもその中で出てくる。
 黒沢だけでなく、若い営業マン小泉くんや書店員の熱い努力で、この巻のおしまいには涙がこぼれそうになってしまうこと間違いない。
 今年(2016年)の新語大賞の2位になった言葉でいえば、「このマンガ、いつも以上にエモいな」となる。
 (注)「エモい」とは接した人の心に強く訴えるかける様子を表わしているらしい。

 それだけでなく、一人暮らしを始める黒沢の日常生活を描いた「第四十三刷 ON・OFF!」なんかも楽しめるエピソードだ。
 色々見て回って黒沢が暮らし始めるのが谷中だというのもいいし、その理由が肉とネコだというのもいい。
 これだけ読んでも多分何のことかわからないでしょうから、ぜひ読んでみて下さい。

 次の9巻が出るのは来春らしいので、しばらくはこの巻を何度か読み返すしかない。
  
(2016/12/10 投稿)

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  今日紹介する
  藤子不二雄A(正しくは丸の中にA)の
  『まんが道』を読んでみようかと思ったのは
  岡崎武志さんの『ここが私の東京』を
  読んでからだ。
  その中の一篇に
  この作品が取り上げられていた。
  全14巻の作品だから
  1巻ずつ紹介しようかとも考えたが
  一気にした方がいいかと思って
  今回は全14巻の紹介ということにします。
  漫画だから、というのは偏見で
  漫画だからこそ、というのが正しい。
  どうしてかというと
  子どもの頃に教わった多くは
  漫画からだったように思います。
  全14巻の漫画を読むのは大変でしょうが、
  できれば若い人たちには
  ぜひ読んでもらいたいと思います。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  学校図書館に置いて欲しい全14巻                   

 昭和30年代40年代に子どもだった人にとっては石ノ森章太郎は絶対石森章太郎だし、藤子不二雄はFでもAでもなく、たった一人の漫画家なはずだ。
 藤子不二雄が藤本弘(代表作は「ドラえもん」)と安孫子素雄(代表作は「怪物くん」)という二人の共同ペンネームだということは「オバケのQ太郎」時代から有名だった。
 ただどういう分担で二人が創作活動を分けているのかは子どもながら不思議だった。
 二人が名前を分けたにはそれなりの理由があったのだろうが、やはり作風の違いが一番だったのではないだろうか。
 極端な言い方をすれば、藤本はいつまでも少年漫画にこだわり、安孫子は青年漫画を志向したともいえる。
 そんな安孫子だから、二人の「まんが道」が描けたのだし、その作品の完成度が非常に高くなったのであろう。
 もっというなら、藤子不二雄でなければこの『まんが道』はできなかったと思う。

 中公文庫コミック版として全14巻となる漫画を最近の漫画出版で図るとけっして大長編にはならない。
 しかし、14巻すべてを読み終わるとまるで教養小説を読了したような気分になる。
 なお、書誌的にいうと14巻めはなるほどそれまでの続きのような描かれ方がされているが、13巻で「まんが道」正編が終わっているような気がする。
 13巻の最後のページに「なろう!なろう!あすなろう!明日は檜になろう!」という井上靖の『あすなろ物語』の一節が記されているのでもわかる。

 この漫画は戦後富山の高岡から漫画の神様手塚治虫にあこがれて漫画家を目指そうと上京してくる二人の若者の姿を描いているが、青春ドラマという要素だけでなく戦後の漫画黎明期の若い漫画家たちの姿や漫画の出版事情もうかがえる。
 織物が縦糸と横糸でできあがるように、この漫画もより重厚により華やかに織りあがった作品といえる。
  
(2016/11/03 投稿)

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