プレゼント 書評こぼれ話

  昨日「赤塚不二夫」展での
  編集者武居俊樹さんと赤塚りえ子さんの
  トークショーのことを
  書きましたが、
  その中で赤塚不二夫さんが生前しきりに
  武居俊樹さんがいなかったら
  あれらのギャクマンガができなかったと
  語っていたことも
  話されていました。
  武居俊樹さんにとって
  赤塚不二夫という漫画家に出合ったことは
  自身の人生さえも
  変えたのだと思います。
  それぐらい
  編集者と作者の関係は密なもの。
  今日紹介する
  川崎昌平さんの『重版未定2』でも
  それはよくわかります。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  編集者という仕合せな仕事                   

 弱小出版社の編集部員の仕事をコミカルに描いて、見事「重版出来」まで版を重ねた前作に続く、これがその続編。
 主人公は前作と同じ弱小出版社・漂流社の編集部員。
 いきなり「転職」というタイトル章で始まるこの巻だが、彼だって「売れる本も編集したいと思っています」(というのが、この巻のサブタイトル)。
 売れ残った本を「断裁」する現場に立ち会い、これではいけないと一念発起した主人公、「売れる本より残る本をつくります!」と新しい企画に挑戦することに。

 企画を進める過程で、さりげなく出版業界の業務や「取材」の極意を入れ込むあたり、お仕事漫画らしい描き方になっている。
 中でも主人公が見つけてきたライターに言うセリフが決まっている。
 曰く、「編集者が信じなかったら誰が著者を信じるんですか」。
 作品を生み出すのはライターで、編集者はあくまでも黒子なんだろうが、ライターが作品を生み出す力を与える重要な役割も持っているのは、しばしば耳にすること。
 もちろん、だからといってライターの存在意義まで否定することではない。

 ところが、この物語ではとうとうライターは執筆に頓挫してしまう。
 さあ、そうなると出版はどうなるのか。
 ここから主人公がとったような行為が本当に行われているのかわからないが、いずれにしても編集者の仕事は大変だとわかる。
 ただいえることは、そんなきつい仕事以上にいい本が生まれた時の満足感はほかでは味わえないものなのだろうということ。
 仕合せな仕事なんだろうな、きっと。
  
(2017/10/04 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今から思えば
  どうも私は働くということでは
  自覚が足りなかったような気がする。
  本が好きだからとか
  書くことが好きだからとか
  だから漠然と出版関係の仕事につきたいなと
  思ったりしていたのですが
  それは単なる憧れで
  本当ならどんな業界なのか
  どんな仕事なのかを
  研究しないといけなかったんでしょうね。
  就職とは関係ない年齢になって
  ようやくそんなことに
  気がつくなんて。
  今日紹介する
  川崎昌平さんの『重版未定』が
  昔に出ていたら
  よかったのに。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  編集者という仕事は大変だ                   

 この本のジャンルはといえば、やはり漫画になるのだろう。
 では、よく似たタイトルの松田奈緒子さんの『重版出来!』と同じお仕事漫画かというと、確かに業界漫画ではあるが、『重版出来!』が大手の出版社から出ている漫画雑誌の人気連載なのに対して、こちらは弱小の出版社で編集の仕事をしている著者は好きが高じて同人誌として作成したものだ。
 それがきっかけとなって、こうして河出書房新社という大手出版社から刊行された。
 しかし、描かれている内容は創業者一族の資産にもたれかかってなんとか赤字経営が続けられているような弱小出版社の、そしてきっとそのような出版社の方が多いのだろうが、編集者の身につまされるお仕事である。
 編集者という仕事は大変だ。

 出版社の数はどれくらいあるかというと、この本によれば2015年時点で3489社だという。こんなにあるのと驚くが、これでも1992年からすれば1000社近く減っているのだそうだ。
 出版不況といわれる昨今、それでもこんなに出版社があるとすれば、どうしても玉石混交にならざるをえない。
 ではこの本はどうかといえば、出版業界に就職したいと思っている人は一度は目を通しておく方がいい。
 そのハードな仕事ぶりに恐れをなすかもしれないが、著者はけっして残酷物語を描いたのではない。
 そういう過酷な仕事のなかにも出版業界で働くことの矜持を描きたかったのではないだろうか。

 きっとそんなことありませんと著者の漫画なら言いそうだが。
  
(2017/09/08 投稿)

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  今話題の呉座勇一さんの『応仁の乱』。
  今日はそちらではなく、
  石ノ森章太郎の「マンガ 日本の歴史」の22巻め、
  「王法・仏法の破滅―応仁の乱」を紹介します。
  実はこの「マンガ 日本の歴史」シリーズは
  かつて全巻読んだことがあります、多分。
  とてもよく出来たマンガで
  この当時石ノ森章太郎
  萬画ということを
  提唱していました。
  マンガという表現手段は
  あらゆる事象を表現できる万画というのが
  石ノ森章太郎の主張でした。
  こうして歴史書であっても
  マンガで表現できるという
  熱い思いがあったのでしょう。
  今は誰もがそう思っているのではないでしょうか。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  マンガから始めても悪くない                   

 今年(2017年)の上半期の出版界のニュースといえば、中公新書の『応仁の乱』(呉座勇一 著)の大ヒットもそのひとつ。
 そもそも中公新書は数多い新書レーベルの中でもいたって真面目で昔ながらの知的入門書の色彩が濃い新書で、しかも取り上げられているのが日本史の中でも極めて地味な応仁の乱。
 乱が始まったのは1467年ということで、今年550年めということもあるのか、この新書が売れに売れている。
 しかも、出版元の中央公論新社には石ノ森章太郎が描いた大作「マンガ 日本の歴史」シリーズもあって、その22巻めが「王法・ 仏法の破滅―応仁の乱」で、ならばということで本屋さんの店頭に2冊が同時に並ぶことになった。
 ならばと手にとったのが、石ノ森章太郎のマンガの方で、これがなかなか読み応えがあった。

 そもそもこの「マンガ 日本の歴史」は石ノ森章太郎が四年がかりで取り組んだ一大プロジェクトで、全48巻にも及んでいる。
 この22巻めが発行されたのが1991年だから、今から思えばマンガ文化の質を高めた、実に上質な出版物に出来上がった。
 だから、歴史をこのシリーズから学び始めたとしても決しておかしくない。
 いや、むしろいきなり中公新書より、ここから始めた方がいいかも。

 さて、応仁の乱である。
 室町時代後期の、京都を舞台にした11年に及ぶ内乱で、中学・高校の歴史で勉強したはずだが、日野富子という名前ぐらいは覚えている程度。
 今回その舞台背景をマンガで読んでも、どうもピンとこないのは、ヒーローがいないからではないか。
 みんながみんな欲の塊で、しかも愚かに見えてしまうのは、マンガだからか、それともそういう歴史だったか。
  
(2017/07/27 投稿)

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  昨日キネマ旬報のベストテンの話を
  書きましたが、
  同じ頃マンガにも夢中になっていて
  「COM」なんかはよく読んでいました。
  ただ残念ながら「ガロ」は読まなかったな。
  だから、
  つげ義春とか白土三平のすごさに
  疎いまま過ごしてきた感があります。
  今日は「ガロ」以前の
  貸本マンガが全盛であった頃のことを描いた
  高野慎三さんの『貸本マンガと戦後の風景』を
  紹介します。
  書評にも書きましたが、
  私は貸本屋さんには行った記憶がありません。
  家の近くになかっただけだったのかもしれません。
  紙芝居は見たことは
  覚えているのですが。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  こういう時代だったことを忘れてはいけない                   

 現代のマンガ文化の隆盛は突然起こったものではない。
 マンガ史をたどれば、手塚治虫漫画に代表される優等生的なマンガ(それであっても酷評された歴史がある)がある一方で、暗いイメージをもったマンガも多く量産されていた時代があった。
 それが「貸本マンガ」である。
 著者は「貸本マンガを戦後史的な文脈のなかで捉え直そうと」、マンガ研究だけではなく歴史の側面にも光を与えようとしたのが、この本である。

 そもそも「貸本マンガ」とは何だったのか。
 その登場は1953年で、消滅したのは1968、9年だという。
 最盛期には全国で2~3万軒の貸本屋があったそうだ。
 貸本料金が「一冊10円、一日増毎5円」。
 私は1955年の生まれだが、残念なことに貸本屋の記憶が全くない。生まれた土地にもよるのだろうが、近所にはなかったのだろう。
 だから、そのシステムはよくわからないが、現代でいえばCDやDVDのレンタルショップ店に近いのだろうか。
 そういえば、コミックのレンタルもある。

 ただ一般に流通している小説やマンガではなく、貸本向けに描かれた作品が多かったようだ。初期の頃は紙芝居作家の作品も多くあったようだ。
 そののち、白土三平や水木しげる、あるいはつげ義春といった、のちのビッグネームが登場してくる。
 この本でもつげやその弟のつげ忠男、小島剛夕といった特異な漫画家の作品も取り上げられている。

 いずれにしても、こういう時代があって、マンガは現代に続いている。
 そのことを忘れてはいけない。
  
(2017/02/08投稿)

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  今日は
  赤田祐一さんとばるぼらさんによる
  『消されたマンガ』という
  問題作を紹介します。
  問題作といっても
  マンガ好きな人にとっては
  懐かしのマンガが起こした事件が
  たくさん収録されていて
  それはそれで面白い。
  なかに現在の自主規制の証言もあって
  最近の自主規制はスゴすぎみたいな
  裏話も載っています。
  例えば、「〇〇屋」の「屋」。
  あれがダメというのですから。
  八百屋ではなく
  青果店。
  そば屋でなく
  そば店。
  どうなんでしょうか、そこまでくると。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  それはマンガだったからなのか                   

 焚書というのは過去の歴史の事件かと思っていたが、「クールジャパン」と今では称賛されることの多いマンガの世界でも焚書はあったし、今もそれは残っている。
 この本はそんな「消された」マンガを集め、何故それらが「消された」のかを検証した問題作である。

 手塚治虫といえば「漫画の神様」と今でも称賛される漫画家だが、手塚はもしかしたらもっとも攻撃された漫画家の一人かもしれない。
 手塚などの活躍により昭和40年代にかけて大学生までもの漫画を読むと嘆かれた時代、手塚の作品を攻撃することは「見せしめ」としても効果があったのだろう。
 人種差別、歴史上の誤認、身体的障害、性や暴力表現、さまざまな場面で手塚は攻撃されていく。
 しかし、手塚はそれらに屈することはなかった。
 おそらく手塚自身が劇画という新しい表現に対峙しながら、漫画の攻撃とも戦い続ける。
 現代の漫画の隆盛はやはりそういった先人たちのおかげといっていい。

 では、そういった漫画に対する攻撃は減ったかというと、歴年体で編まれたこの本では2000年以降の作品でも「消された」ものがあるという。
 そのなかには漫画家の他の作品からのトレース問題などネット時代ならではの指摘や攻撃も生まれている。

 進化ということはすべてが許されることではない。
 言葉や表現は進化することで差別的な言い方を抑制してきた。それは評価すべきことだろう。
 その一方で過剰な抑制は自由な発想を縛ってきたのも事実だ。
 マンガという媒体を通して、そのことを考えてみるのもいい。
  
(2017/01/11 投稿)

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