03/29/2023 月の満ち欠け(佐藤 正午) - 直木賞の性格を揺るがす事件のような作品

正直にいうと、
やっと読めた直木賞受賞作です。
それは図書館で借りる多数の順番待ちということでもあるし、
自分の中では佐藤正午さんという作家が
直木賞というのが
どうもしっくりこなかったこととも関連する。
佐藤正午さんが直木賞を受賞したと聞いて
とても驚いたのは私で、
デビュー当時何冊か佐藤正午さんの作品を読んだことがあって
まさか直木賞作家になるとは
信じられなかった。
受賞作である『月の満ち欠け』も
純文学といってもいい出来に仕上がっていたから
読んだあともなんだかしっくりこなかった。
直木賞は新人賞ではなかったのかとつい頭をひねる
そんな作品だろう。
じゃあ、読もう。

第157回直木賞受賞作。(2017年)
佐藤正午さんが受賞されて、正直驚いた人も多かったのではないだろうか。
何しろ佐藤さんといえば、『永遠の1/2』でデビューしたのが1983年。この作品で「すばる文学賞」を受賞した当時気鋭の新人作家だった。
あれから30年以上経つ。その間も作品を書いてこなかった訳ではない作家だから、選考委員の一人浅田次郎委員のいう通り「熟練の作品」であり、「他の候補作とのちがいは相当に歴然」なのも、至極当然だろう。
だからといって、何故この時に佐藤さんが受賞するのか、これは直木賞という文学賞の性格を余計に曖昧にした事件のように感じた。
作品は「生まれかわり」をテーマにしているが、作品の長さを気にしなければ、内容的には芥川賞向きのような思えた。
さらにいえば、これは多分一読者の偏りといっていいだろうが、村上春樹さんの初期の頃の文体にとてもよく似ていた。
村上春樹さんが『風の歌を聴け』で「群像新人賞」を受賞したのが1979年だから、佐藤さんはほぼ同世代の作家といえる。
時代の匂い、時代の風がよく似ているということだろう。
選考委員の中には「後味が悪い」とか「不気味な作品」と選評に書く人もいたが、決してそんなことはなかった。
ただ、2016年公開された新海誠監督の『君の名は。』に、あれは時空を超えた「入れ替り」だが、とてもよく似ていた。
つまり、「生まれかわり」であろうが、「入れ替り」であろうが、愛する人とはどこかでつながっているということだろう。
(2023/03/29 投稿)

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直木賞候補は『じっと手を見る』『トリニティ』についで、すでに3回めで
『ミクマリ』で第8回女による女のためのR-18文学賞大賞を受賞したのが2009年だから、
窪さんの作家としての実績もすでに10年以上。
『ふがいない僕は空を見た』で第24回山本周五郎賞を受賞したのが2010年だから、
直木賞という新人賞は、窪さんには少し遠くなったかもしれないと、正直にいえば、
この『夜に星を放つ』での受賞はないかもと観念していたところ。
それがそれが、これまでずっと窪美澄さんの作品を読み続けて読者として
こんなにうれしいことはありません。

本のタイトルがしめすように、この短編集には星座をちりばめた作品5編が収められている。
発表年度もさまざまで、もっとも古いのが2015年に発表された「銀紙色のアンタレス」。
実はこの短編は2016年に刊行された『すみなれたからだ』に既に所載のもの。
一番新しいのが2021年に発表された「真夜中のアボカド」と「星の随(まにま)に」。
2つの作品にはコロナ禍でのマスク越しの恋愛や営業自粛でぎくしゃくした家族が描かれて、
ひと夏の純な少年の恋を描いた「銀紙色のアンタレス」とは随分違うところにきたと思わせられる。
それは窪さんがこれまで描いてきた作品の変化ともいえるし、
逆に窪さんがこれまでもずっと描き続けてきた、人と人との距離の取り方そのものといえる。
窪さんが変わってのではなく、私たちの世界がその距離の取り方を変えてきているような気がする。
そういう時代の変化をこの短編集で味わうのもいい。


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05/24/2022 炎環(永井 路子):書評「大河ドラマ見るなら欠かせない一冊」

今回の
NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」を見るまで
鎌倉時代成立のことなど
ほとんど知りませんでした。
源頼朝、源義経、北条政子の名前ぐらいは
知っていましたが
政子の妹、いわゆる阿波局が
頼朝の異母弟である全成と結婚したことなど
まったく知りませんでした。
さらにいえば
その頃を舞台とした歴史小説が
直木賞をとっていたことも
知りませんでした。
今日は
直木賞受賞作
永井路子さんの『炎環』を
紹介します。
大河ドラマをご覧の方なら
必読の一冊です。
じゃあ、読もう。

第52回直木賞受賞作。(1955年)
鎌倉時代の初めの頃を描いた「四章から成る長編でもなければ、独立した短編集でもない」と作者自身の言葉が残っている。
では、この4つの物語はどうなのか。
作者の言葉が残っている。
「一人一人が主役のつもりでひしめきあい傷つけあううちに、いつの間にか流れが変えられてゆく―そうした歴史というものを描くため」と。
四つの物語の主人公はこうなっている。
最初の「悪禅師」では源頼朝の異母弟の全成、次の「黒雪賦」では頼朝を補佐しながら最後は滅ぼされる梶原景時、「いもうと」は北条政子の妹でのちに全成の妻になる保子(彼女の名前はあまりよくわかっていないようで、現在放映中の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では実衣となっている)、そして最後の「覇樹」は北条義時が描かれている。
この作品の直木賞選委員の選評で「鎌倉時代を知る作家には、折角の知識も、それほど高く評価されなかったが、少なくともその知識を気楽に扱えるだけ、消化し、自分のものにしていることは事実である」という今日出海氏の評や「この作者は史料の勉強家で、史料のなかから小説の題材を発見するのにすぐれた資性を持っている」という松本清張氏の評など、新しい歴史小説作家の登場に発表当時多くの期待が集まっていたことは間違いない。
そして、実際今読んでも面白い。
決してメインではない人物を描きながら、作者が言うように、確かに歴史はそういう人たちによって作られたことを忘れてはならない。
(2022/05/24 投稿)

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03/08/2022 恋(小池 真理子):書評「胸がバクバクするくらい、すごい名作」

小池真理子さんの
『月夜の森の梟』を読んで
感銘を受けたので
だったらと
小池真理子さんが直木賞を受賞されて作品も
読んでみようかと手にしたのが
今日紹介する『恋』。
読んだ時期が
1972年のあさま山荘事件から50年にあたるのと重なり、
この物語もまた
まさにその事件と重なることがあって
結構自分の中では
今回の読書体験は
心に深く染み込みました。
心がばくばくする読書体験は
あまりありません。
そんな一冊になりました。
じゃあ、読もう。

第114回直木賞受賞作。(1996年)
1972年2月28日、雪の軽井沢で起こった連合赤軍によるあさま山荘事件は犯人逮捕の瞬間を迎えていた。それと時を同じくして、同じ軽井沢の別荘で起こった女子学生による男性射殺事件。この長い物語は、何故その事件が起こったのかを描くミステリーである。
この回の直木賞は五木寛之委員によれば「ほとんど満票と言っていい支持」だったそうで、田辺聖子委員は「軽井沢の風のようにすぎてゆく人生の一瞬を見る思いのする佳篇」と絶賛している。
2022年はあさま山荘事件から50年となる。
だとしたら、小池真理子さんが描いたこの物語の事件からも50年となる。
犯人となった女子学生布美子は、物語の冒頭の1995年に45歳で亡くなっている(つまり、この物語は病気で死を覚悟した彼女がその直前に語った秘密の出来事という構成である)が、彼女を事件へと誘った大学助教授片瀬と妻雛子は、もしかしたら、まだ存命であるかもしれない。
物語の、虚構の世界の登場人物ながら、彼らにとって50年という時間はどれだけのものだったろうか、とつい考えてしまう。
同時に、この衝撃的な作品を読んだ読者にとっても、流れた歳月はどうであっただろう。
田辺聖子さんがいうように、それは「人生の一瞬」であったかもしれないが、人生とはそんな一瞬があればこそ成り立っているのかもしれない。
主人公布美子が知らないまま逝ってしまった、その最後の謎を知った時、胸に感動の大きな波が立ち上がるようであった。
すごい作品だ。
(2022/03/08 投稿)

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10/12/2021 心淋し川(西條 奈加):書評「これは女たちの物語でもある」

第164回直木賞を受賞した
西條奈加さんの
『心淋し川』を
作品を読むまでずっと
「こころさびしがわ」と読むのだとばかり
思っていました。
正しくは
「うらさびしがわ」。
広辞苑によれば
この「心」の「うら」には
「表に見えないものの意」とあります。
「心淋しい」は
「なんとなく淋しい」という意味だそうです。
ただ西條奈加さんのこの作品は
そういう意味だけでなく
生きる強さも感じます。
じゃあ、読もう。

第164回直木賞受賞作。(2020年)
6つの作品からなる連作短編集で、「際立った力量」(林真理子委員)、「圧倒的な安定感」(桐野夏生委員)など選考委員のほぼ全員高い評価を受けての受賞となった時代小説だ。
中でも角田光代委員の「悲しみと情けなさとが詰まった生のいとしさを、この作品は静かな筆致で描いている」という評は、短い文章ながらこの作品を言い得ている。
物語の舞台は江戸・千駄木町の一角にある心(うら)町。
そこを流れる小さな川が心(うら)川。その両脇に立ち腐れたように固まって四つ五つ建っている長屋の住人たちが物語の主人公である。
心川から流れ込んだ窪地には、雨水とともに塵芥が淀んでいて、そんなところに住み人たちだから、皆一様にさまざまな過去と今を抱えている。
そんな街に差配(世話人)としている茂十が、6つの短編の狂言回しのようにしているが、最後の「灰の男」ではその茂十の過去が明かされ、全体が大きな長編小説のようにして締まっている構成になっている。
6つの作品で選考委員たちの評価が高かったのは「閨仏」だ。
心町にある長屋に四人の器量の悪い女たちが住んでいる。彼女たちは六兵衛という男の妾でもあるのだが、中で一番年かさの「りき」という女が主人公。
ある日六兵衛が持ってきた張形で、りきは仏のようなものを彫ってみる。
そこから四人の女たちの運命が変わっていく。
この作品を桐野夏生委員は「すっとぼけた話も書けるのだから、作者はなかなか強か」と評している。
生きることに強かなのは、この物語の登場人物たちだろう。
(2021/10/12 投稿)

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