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プレゼント 書評こぼれ話

  今年(2024年)元旦に起こった
  石川県能登半島地震でもそうですが、
  被災地に向かう道路が寸断されると
  救援や避難が遅れることが明らかになりました。
  それは2011年3月に起こった東日本大震災の時もそうで
  あれから13年経っても
  災害時に道路が使えなくなるという問題は解決されていないように思います。
  そんな悔悟の意味も込めて
  今日は稲泉連さんの『命をつなげ 東日本大震災、大動脈復旧への戦い』という本を
  再録書評で紹介します。
  道であれ、電気であれ、水道であれ
  私たちの命をつなぐ、とても大切なインフラです。
  いつか、その大きな課題が解決されることを願います。

  じゃあ、読もう。

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sai.wingpen  あの時道を開いた人たちがいた                   

 災害があるたびに、インフラのことが問題になります。
 停電しています。ガスの供給がストップしています。断水です。
 電気、ガス、水道。これらは生活インフラと呼ばれるものです。
 そもそもインフラとは「インフラストラクチャー」の略で、「産業や生活の基盤として整備される施設」という意味。
 生活基盤も欠かせないし、大切ですが、道路というインフラも大事です。
 送電線が直すにしても、その事故現場に行けないとなると、直るものも直らない。
 道は生活の血流のようなものですから、血が流れないことには命が途絶えてしまいます。

 2011年3月11日に起こった東日本大震災でも、その道が消えてしまいました。
 この作品は地震と津波で壊滅的な状況に陥った国道45号線復旧に挑んだ人たちの姿を描いたノンフィクションです。
 国道45号線は青森市と仙台市を結ぶ「約510キロメートルにわたって三陸沿岸を貫く基幹道路」です。
 この本にはその国道45号線の全図が収められていますが、見事に三陸沿岸に沿って作られた道だということがわかります。
 東日本大震災では津波の被害が大きかったことは、震災のあとの報道でよく知っています。
 道路に横たわる大型の船。瓦礫と化した多くの家屋。
 それを取り除かなければ救援活動も復旧活動もままなりません。
 国道ですから国土交通省の管轄になりますが、実際には地元の建設会社もその安全維持にさまざまに関わっています。
 この作品では国道45号線復旧に関わったたくさんの人の姿を三つの場面で描いていきます。

 中でも印象に残るのは、釜石市の事例です。
 第三章の「地元住民が作った「命の道」」がそれです。
 ここでは地元住民が命をつなぐために、自ら「道を作る」姿が描かれています。
 あの日、あの時、多くの涙が流されました。
 肩を落とす被災者の姿を多くの報道で見ました。その一方で、生きるために、道を作った人たちもいたのです。
 災害報道はどうしても被災者に目がいきます。それは正しい。
 しかし、それだけではなく、命をつなぐために、多くの人が知恵と力を寄せ合っていたことも忘れてはなりません。

 文庫本では国土交通省技監の徳山日出男氏の解説もわかりやすく、一読に値します。
  
(2015/01/11 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  あの日から13年めの3月11日を迎えました。

  東日本大震災。

  2011年3月11日14時46分、
  東北地方の沿岸部を襲った大地震と大津波。
  多くの人が犠牲となりました。
  あれから13年。
  そして、今年(2024年)の元旦には
  石川県能登半島で大きな地震があって、
  また大きな犠牲者がでました。
  2か月が経った今でもまだ断水が続く地域や
  避難生活を送る多くの人たちがいます。
  私たちは何度そんな悲しい光景を見ないといけないのでしょう。
  それでも、私たちを明日へと押し進めてくれる力があるとすれば
  それは先人が遺してきれた記憶であり、
  力ではないでしょうか。
  吉村昭さんがこの『三陸海岸大津波』という作品を残してくれたことで
  私たちはどんなに励まされたことでしょう。
  もう一度あの日のことを
  そして、それから続いた日々のことを思い起こす
  今日はそんな日であればと願います。
  今日はもう何度紹介したでしょう、
  『三陸海岸大津波』の再録書評です。

  今日は静かに祈ります。

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  sai.wingpen  何度でも読み返したい一冊                   

 またあの日を迎えました。
 3月11日。
 これからも何度でもやってくる一日ではありますが、2011年のあの日から私たちにとってこの日は特別なものになりました。
 2011年3月11日午後2時46分、発生した地震とそのあとの大津波は今を生きる私たちにとって想像もしなかったものでした。
 死者の数は1万5千人を超え、今も行方のわからない人は2千人以上います。
 かつて三陸海岸を襲った大津波のことを記録したこの本を読むたびに、もしあの日作者の吉村昭氏が存命であればあの日の光景を見てどう思っただろうと考えてしまいます。
 だから警告していたのにと思ったでしょうか。それとも、もっと声を大にして叫んでいたらよかったと悔やんだでしょうか。

 三陸海岸には東日本大震災以前にもたびたび大きな津波が襲っています。
 その中でも被害の大きかった明治29年と昭和8年、それと昭和35年のチリ地震の際の津波を記録したのがこの作品です。
 初出は1970年の中公新書ですから、かなり以前の作品です。吉村氏もまだ40代前半でした。
 現地の図書館での資料探索から始まって、明治の津波を知る古老をたずね、昭和の津波ではその当時の被災状況を綴った児童の作文にまで目を通しています。
 そして、最後に紹介されていた「津波は、時世が変ってもなくならない、必ず今後も襲ってくる。しかし、(中略)死ぬ人はめったにないと思う」と古老の言葉は、実にあっけなく覆えられてしまうことになりました。

 そのことこそ、この本の重い教訓ではないでしょうか。
 これからも津波は襲ってくるでしょう。そして、油断をしていれば、また悲劇は繰り返されるのだと。
  
(2017/03/11 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日紹介する絵本、
  松本猛さんと松本春野さんの
  『ふくしまからきた子』は
  3度めの紹介となる再録書評です。
  最初書いたのが2012年10月、
  原発事故から半年経った頃。
  その次が2017年の3月。
  そして、今回2023年。
  東日本大震災から昨日で12年。
  ということは福島の原発事故から12年ということです。
  事故が起こった頃は
  多くの人が原発に反対していました。
  それが最近、
  ウクライナの戦火によるエネルギー危機や
  地球温暖化へ危機感などで
  またぞろ原発の再稼働などが臆面もなく出てきています。
  私たちがこれからも安心して暮らせるように
  いろんな議論が必要でしょうが、
  どうか、ふたたびこの絵本の子のような
  悲しい思いだけはさせないで欲しいと思います。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  七代先の子どもたちへ                   

 自分の先祖を順番に並べたら、たかだか5人ぐらい前で江戸時代あたりの先祖になるのだろうか。
 私の前が父母で、その前には祖父祖母、その前が曾祖父母。このあたりになるとすでにどんな人だかわからない。
 人類の歴史などと大仰にいっても、その程度なのだ。
 本書の作者で、画家いさわきちひろの子どもである松本猛さんがこの絵本の終わりに、「七代先のことを考えて判断しなさい」というアメリカ先住民の言葉を紹介しているが、七代先とは言葉でいえば簡単だが、実は途方もないくらいの年数ということだ。

 ヒロシマやナガサキの原爆からでもせいぜい三世代前といえる。
 たったそれだけの年数なのに、この国は原子力発電を容認し、拡大していったわけである。そして、東日本大震災による東京電力福島原発での事故。
 それは、「まさか」であったのか、「やっぱり」であったのか。
 高度成長期のこの国は豊かさを国民にもたらしたが、その一方で「七代先のことを考える」ことはしなかったのだ。

 松本猛とその娘である松本春野の共作となったこの絵本は、原発事故によって福島から広島に避難してきた一人の少女と同級生となったサッカー好きの少年の物語だ。
 ひとり仲間にはいらない「ふくしまからきた子」、まや。
 彼女のことが気になるだいじゅ少年は家で彼女の事情をきいてみる。
 放射能、原爆、避難。ヒロシマとフクシマ。
 その夜、少年は母の背にしがみついて泣くまやの姿を見る。

 子どもたちに罪はない。
 「七代先のことを考え」なかった大人たちの責任だそのことをきちんと伝えていくことが、今の私たちの大きな課題といっていい。
 物語であれ、ノンフィクションであれ、本書のような絵本であれ、子どもたちに、「七代先」の子孫たちに、伝えていくことがどんな大事なことか。

 そういえば、この絵本で絵を担当した松本春野はいわさきちひろから二代めにあたる。祖母ちひろの柔らかなやさしさを受け継いでいるようなタッチの絵が、いい。
  
(2012/10/11 投稿)

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  あの日から12年めの3月11日を迎えました。

  東日本大震災
  2011年3月11日14時46分、
  東北地方の沿岸部を襲った大地震と大津波。
  多くの人が犠牲となりました。
  あれから12年。
  今度はトルコで大きな地震があり、
  ここでもたくさんの犠牲者が出ています。
  私たちが暮らすこの地球という星は
  大きな生命体としてあるということを
  世界規模で私たちに何かを教えようとしているのでしょうか。
  12年という歳月は
  起こった事実を記憶の向こう側に押しやることではないはずです。
  もう一度あの日のことを
  そして、それから続いた日々のことを思い起こす
  今日はそんな日であればと願います。
  今日は2015年のこの日に紹介した
  『あの日 生まれた命』という本の再録書評です。

  今日は静かに祈ります。

  

sai.wingpen  希望をつなごう                   

 2011年3月11日に発生した東日本大震災による死者・行方不明者は2万人を超える。
 それだけではない。もっと多くの人が津波で家を失った。さらに、福島原発事故による放射能汚染で、長年住んだ土地を追われた人もいる。
 そういった被災者の人たちにとって、あの日はどんなにつらい記憶であろう。
 しかし、その一方で、あの日に命を授かった子どもたちも、いる。
 東北の被災地で110人以上の子どもたちが、あの日に生まれている。
 この本は、あの日に生まれた子どもたち18人とその家族のその後を取材したNHKの番組を書籍化したものである。

 あの日に生まれた子どもを持つ親の多くが「大きな悲しみを前に、3月11日がわが子の誕生日だということを言えなくなっ」たという。
 普通であれば当たり前のようにして祝う誕生日会を前日にしたり、部屋のカーテンを閉め切って行ったりしたこともある家族もいる。
 あの日に生まれたことは、親のせいでもないし、ましてや子どもたちのせいでもない。
 そういう生に対する負い目のようなものを、あの日は感じさせる程、悲しみは大きかったということだ。
 けれど、どのような形にしろ人は死ぬことから逃れられない。と同時に、誕生があるからこそ人間として生きるということだ。
 誕生と死は、命あるものとして避けられない営みなのだ。
 だから、あの日を生まれた命は、それ以前やそれ以後生まれた命と何も変わることのない命だ。
 あの日生まれたことを責め続けた親たちも、成長する我が子の姿とともに、そのことを自覚していく。
 さらには、あの日生まれた意味を見つけていく姿は、あの日の震災で傷ついた被災者たちの姿を重なっているような気がする。
 あの日生き残った意味を多くの被災者たちは理解し、復興への思いにつなげているに違いない。

 「多くの命が失われた中で、そうした子どもたちは私たち社会の希望であり、未来だ」という、あの日誕生した一人の少女の出産に携わった医師の言葉が紹介されている。
 この子どもたちは特別ではない。
 生まれてくる新しい命そのものが特別であり、希望であり、未来なのだ。
 そのことは、等しくある。
  
(2015/03/11 投稿)

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  あの日から11年めの3月11日を迎えました。

  東日本大震災が発生した
  2011年3月11日も金曜日でした。
  東京の空は曇天として
  被災地となった東北の町々では
  まだ冷たい雪が舞っていました。
  今でもあの日見た空や揺れる電線といった光景を
  忘れることはありません。
  きっと
  それぞれにとって
  それぞれのあの日があるはずです。
  そのことを忘れないようにしたいと思います。
  このブログでも
  震災関連の本をたくさん紹介してきました。
  「3.11の記憶」というカテゴリーになっていますから
  忘れそうになったら
  開いてみて下さい。
  今日はその中から
  2014年1月に紹介した
  津村節子さんの『三陸の海』を
  再録書評で紹介します。

  今日は静かに祈ります。

  

sai.wingpen  海は静かに眠っている                   

 「津波は、自然現象である。ということは、今後も果てしなく反復されることを意味している」と書き、『三陸海岸大震災』や『関東大震災』で地震の危険性を警告していた吉村昭が亡くなったのは、東日本大震災が起こる5年前の2006年の7月だった。
 もし、吉村が生前東日本大震災を目にしていたとしても、「だからいわんこっちゃない」とは口にしなかったであろう。ただ、瞑目し、静かに涙したのではないか。
 吉村と三陸の海とは深いつながりがある。
 芥川賞の候補に何度も選ばれながら結局は受賞にはいたらない日々。再起をかけて取材したのが岩手県田野畑村だ。そこから生まれたのが『星への旅』で、この作品で第2回太宰治賞を受賞し、作家として実質的なデビューを果たす。
 その縁で吉村はその後何度となく「日本のチベット」とも呼ばれた村を再訪することになる。
 吉村の唯一となる文学碑が田野畑村にある。そこには「田野畑村の空と海 そして星空の かぎりない美しさ」と印されている。

 これらのことは吉村昭の妻で作家の津村節子が書いたこの本の中に書かれている。
 震災のあった2011年3月11日、津村はこれもまた吉村にとって思い出深い長崎にいた。
 その記述から書き起こされ、吉村とともに行商に行った三陸の町々のこと、吉村のデビュー当時の思いなどが綴られていく。
 田野畑の被災を聞いた津村は「村が心配で行きたい」といち早く村役場に電話をいれるのだが、村はまだ混乱状態で津村の希望は実現しなかった。
 強引に行くのではなく、落ち着くのを待つ。このあたりは津村の大人の対応といっていい。
 吉村が生きていてもそうしたかもしれない。
 興味本位で行くのではない。待つこともまた、祈りに近い思いだったに違いない。

 そんな津村が田野畑にはいることができたのは、2012年の6月だった。
 そこで津村は「吉村がいつも釣りをしていた突堤」が残っているかと淡い期待をするが、目にしたのは「コンクリートの残骸」で「漁港としての賑わいは、遠い昔の夢のよう」であったと、作品の後半、被災後の田野畑を描いた訪問記の中に書いている。

 この作品には深い慟哭はない。吉村の警告が生きなかった悔悟もない。
 ただ静かに、吉村が愛した田野畑をじっとみつめている。何故か、そんな津村の横に悲しそうに佇む吉村の姿がいつもあるかのように感じる。
  
(2014/01/11 投稿)

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