プレゼント 書評こぼれ話

  東日本大震災から6年が経つということは
  福島原発事故から6年が経つということです。
  昨年来からたびたび報道されてきた
  原発避難者へのいじめの問題。
  最近では「原発避難いじめ」などといった
  言葉までできてしまっています。
  今日再録書評で紹介する
  松本猛さんと松本春野さんの『ふくしまからきた子』は
  2012年に出た絵本です。
  一時の風評でいじめられて子どもたちもいたでしょう。
  でも、時がそのことを解決したと思っていたら
  実際には全くそうではなかった。
  原発事故で避難を余儀なくされた人たちに
  一体どんな罪があるというのでしょう。
  もし、子どもたちがそのことでいじめを行っているとしたら
  大人たちは痛烈に反省しないといけません。
  子どもたちは
  大人たちの鏡です。
  子どもたちはきっと大人たちの言動を見ています。
  この絵本が
  この問題を解決する一冊になることを
  願っています。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  七代先の子どもたちへ                   

 自分の先祖を順番に並べたら、たかだか5人ぐらい前で江戸時代あたりの先祖になるのだろうか。
 私の前が父母で、その前には祖父祖母、その前が曾祖父母。このあたりになるとすでにどんな人だかわからない。
 人類の歴史などと大仰にいっても、その程度なのだ。
 本書の作者で、画家いさわきちひろの子どもである松本猛さんがこの絵本の終わりに、「七代先のことを考えて判断しなさい」というアメリカ先住民の言葉を紹介しているが、七代先とは言葉でいえば簡単だが、実は途方もないくらいの年数ということだ。

 ヒロシマやナガサキの原爆からでもせいぜい三世代前といえる。
 たったそれだけの年数なのに、この国は原子力発電を容認し、拡大していったわけである。そして、東日本大震災による東京電力福島原発での事故。
 それは、「まさか」であったのか、「やっぱり」であったのか。
 高度成長期のこの国は豊かさを国民にもたらしたが、その一方で「七代先のことを考える」ことはしなかったのだ。

 松本猛とその娘である松本春野の共作となったこの絵本は、原発事故によって福島から広島に避難してきた一人の少女と同級生となったサッカー好きの少年の物語だ。
 ひとり仲間にはいらない「ふくしまからきた子」、まや。
 彼女のことが気になるだいじゅ少年は家で彼女の事情をきいてみる。
 放射能、原爆、避難。ヒロシマとフクシマ。
 その夜、少年は母の背にしがみついて泣くまやの姿を見る。

 子どもたちに罪はない。
 「七代先のことを考え」なかった大人たちの責任だそのことをきちんと伝えていくことが、今の私たちの大きな課題といっていい。
 物語であれ、ノンフィクションであれ、本書のような絵本であれ、子どもたちに、「七代先」の子孫たちに、伝えていくことがどんな大事なことか。

 そういえば、この絵本で絵を担当した松本春野はいわさきちひろから二代めにあたる。祖母ちひろの柔らかなやさしさを受け継いでいるようなタッチの絵が、いい。
  
(2012/10/11 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  東日本大震災から6年。

  2011年3月11日午後2時46分。
  あの日皆さんは何をしていましたか。
  私は今でもあの日のことを
  くっきり思い出すことができます。
  東京にいた私でさえそうなのです。
  あの日東北にいた人たちの
  記憶はどんなにつらいものでしょう。
  6年という時間の厚みが
  どれほどのものかわかりませんが
  それぐらいで
  人びとの悲しみは消えないくらいのことは
  わかります。
  東日本大震災が私たちに残したものを
  次の世代につなげていく。
  それは忘れてはいけないことだと思います。
  今日は
  吉村昭さんの『三陸海岸大津波』を
  再読書評として紹介します。

  海に、こうべをたれて。

  

sai.wingpen  何度でも読み返したい一冊                   

 またあの日を迎えました。
 3月11日。
 これからも何度でもやってくる一日ではありますが、2011年のあの日から私たちにとってこの日は特別なものになりました。
 2011年3月11日午後2時46分、発生した地震とそのあとの大津波は今を生きる私たちにとって想像もしなかったものでした。
 死者の数は1万5千人を超え、今も行方のわからない人は2千人以上います。
 かつて三陸海岸を襲った大津波のことを記録したこの本を読むたびに、もしあの日作者の吉村昭氏が存命であればあの日の光景を見てどう思っただろうと考えてしまいます。
 だから警告していたのにと思ったでしょうか。それとも、もっと声を大にして叫んでいたらよかったと悔やんだでしょうか。

 三陸海岸には東日本大震災以前にもたびたび大きな津波が襲っています。
 その中でも被害の大きかった明治29年と昭和8年、それと昭和35年のチリ地震の際の津波を記録したのがこの作品です。
 初出は1970年の中公新書ですから、かなり以前の作品です。吉村氏もまだ40代前半でした。
 現地の図書館での資料探索から始まって、明治の津波を知る古老をたずね、昭和の津波ではその当時の被災状況を綴った児童の作文にまで目を通しています。
 そして、最後に紹介されていた「津波は、時世が変ってもなくならない、必ず今後も襲ってくる。しかし、(中略)死ぬ人はめったにないと思う」と古老の言葉は、実にあっけなく覆えられてしまうことになりました。

 そのことこそ、この本の重い教訓ではないでしょうか。
 これからも津波は襲ってくるでしょう。そして、油断をしていれば、また悲劇は繰り返されるのだと。
  
(2017/03/11 投稿)

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 東日本大震災から明日で6年。
 今日はその1日前にあたります。
 6年前の3月10日、
 海は穏やかだったでしょう。
 山は静かだったでしょう。
 鳥も樹々も今しばらく春を待っていたでしょう。
 そして、人たちもまた。
 たった1日。
 時がまわって
 私たちは未曽有の経験をすることになります。
 なくなった人たちの
 悲しみにくれた人たちの
 6年前の3月10日を想像するだけで
 つらくなります。

 先日(3月6日)、
 
生活クラブ生協川口ブロック浦和東支部主催の
 「大地を受け継ぐ」という映画の上映会と
 この映画の井上淳一監督の講演会に
 行ってきました。

  

 「大地を受け継ぐ」について
 少し書いておきます。
 この映画は福島で農業を営む樽川和也さんの家を
 11人の学生がたずねていくところから始まります。
 福島で農業といえば
 これまでにも多くの報道があったように
 東日本大震災の際に起こった
 福島原発事故による放射能汚染で
 樽川和也さんの畑も被害にあってしまいます。
 収穫まぢかだった8000株のキャベツを
 放棄せざるをえなかったといいます。
 農家の人にとって
 丹精込めて育てた野菜は子供同然だったでしょう。
 そんな中
 樽川和也さんのお父さんが絶望し、自ら死を選んでしまわれます。
 この映画は
 11人の学生たちを前にして
 樽川和也さんとお母さんが
 原発事故以降の理不尽な日々を
 淡々と語る姿を追った
 ドキュメンタリーです。

 ここには劇場映画で体験するような
 起承転結はありません。
 けれど、井上淳一監督はこの映画について
 こんなことを書かれています。

    言葉を撮ること - 言葉を語る彼を
    言葉に詰まる彼の沈黙を撮ること -で、
    言葉の向こう側にあるものが想像できるのなら、
    それこそが映画ではないか。

 上映後の講演会でも
 井上淳一監督は同じようなことを
 話していました。
 「樽川さんの沈黙の向こうに福島の人々の声があるのではないか」と。
 そして、
 「想像してみて下さい」と。

 福島市出身の詩人長田弘さんが
 こんなことを書いています。

    沈黙とは - 語られなかった悲しみのことだ。

 沈黙という言葉が
 つながっていきました。
 発せられないものであっても
 私たちは想像する力でその向こうにあるものを
 理解することができるのです。

 映画の中で
 「風評被害なんかではない。実際に被害はあるんだ」と
 語る樽川和也さんの言葉の
 なんと重いことか。

 あれから6年が経とうとしていますが 
 私たちは何も知らないのではないか。
 あるいは
 何も知ろうとしていないのではないか。
 そんなことを突き付けられた映画でした。
 大きな劇場では上映されないだろう
 映画ですが
 もし機会があれば
 ぜひ見て下さい。

 受け継ぐのは
 私たち一人ひとりなのですから。

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プレゼント 書評こぼれ話

  東日本大震災から5年を迎えて
  今回3日間にわたって
  震災関係の本を紹介しています。
  震災関係の本は
  絵本や児童書にもたくさんあります。
  図書館に行けば
  自分でさがすこともできます。
  震災の時に小学生だった子どもも
  中学生になっているかもしれません。
  中学生は高校生に、
  高校生は大学生に、
  大学生はもう働きだしているかもしれません。
  大人の5年と子どもたちの5年とは
  まったく時間の速さが違うような気がします。
  しかし、残念ながらこの子どもたちが
  大人になっても
  まだ福島原発の事故の収束は終わっていないでしょう。
  あの事故はそれほどの
  最悪のものだったのです。
  今日紹介するのは
  その原発事故から避難した
  3人の姉弟たちが綴った
  『福島きぼう日記』という本です。
  やはり、その後の彼らのことを
  知りたくなります。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  子どもは成長する                   

 文部科学省の調査によると、東日本大震災の影響で転校した小中高生や幼稚園児は2015年5月現在で1万9522人だという。
 そのうち、一番多いのは福島県で1万3906人。
 今だに東電の福島原発事故の影響が続いていることがこの数字でも読みとれる。
 震災が起こった3月11日は季節的には卒業シーズンだった。
 小学校を卒業した子どもたちは離ればなれになって、新しい町の中学校に通い出したはずだ。
 あれから5年が経って、その子たちも今では高校生になっている。
 5年とはそんな時間の長さなのだ。

 この本はあの日福島県の南相馬市小高区に住んでいた3人の姉弟の避難生活を彼らの日記形式で綴られたものだ。
 3人の住む南相馬市小高区は福島第一原発から20キロメートル圏内。
 震災と原発事故があった時、門馬千乃(ゆきの)さんは小学校の卒業をまじかに控えた6年生、弟の健将(けんすけ)くんは4年生、その弟の海成(かいせい)くんは2年生。
 震災の日の日記に千乃さんは「もしかして、ここで私たちも死んでしまうのかなと思った」と記している。
 おそらくこの日の東北の子どもたちの多くがそう思っただろう。
 しかし、この3姉弟たちはその後原発事故の避難を始めることになる。福島市から会津若松市へ。飼っていたペットの犬も連れていくことができなかった。
 彼女たちの父親は市の職員だったので一緒に避難すらできない。
 そんな中で3人の姉弟は知らない土地で揺れ動く思いを日記に綴っていく。

 彼女たちの日記の記述が明るくなるのは、新しい学校になじみだした頃だ。
 特に目を見張ったのは末の弟海成くんの日記かもしれない。
 最初はほとんどあった事実だけを記していた海成くんだが、9月ぐらいになると文章自体がしっかりとしてくる。
 9月12日の日記から。「小高の家からひなんしてから半年がたちました。あいづでの半年間は、短く感じました」
 子どもの成長の速さに驚いてしまう。

 この3人の姉弟があれから5年どう成長したのかわからないが、きっと素敵な中高生になっているのだろうな。
  
(2016/03/13 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  昨日は東日本大震災から5年ということで
  被災地はあらためて
  悲しみの涙が流された。
  日本経済新聞の朝刊コラム「春秋」には
  石巻市の大川小学校に残された
  児童たちによる卒業制作の壁画の話が
  紹介されていた。
  大川小学校では84人の児童らが犠牲になった。
  その壁画には宮沢賢治のこんな言葉が
  記されているという。

    世界が全体に幸福にならないうちは個人の幸福はありえない

  その言葉を頂戴すれば
  「東北が全体に幸福にならないうちに日本の幸福はありえない」ので
  ないだろうか。
  それはあまりに理想すぎるだろうか。
  今日紹介する
  石井光太さんの『津波の墓標』を読むと
  真実ということすら
  わからなくなる。
  つらい5年めを迎えた。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  真実の光と影                   

 悲しみは同じではない。
 東日本大震災の被災時の状況などを耳にするたび、そう思う。
 死者15894人、行方不明2561人。この数の、きっと数倍の悲しみがあの日とあの日に続く日々にはある。
 しかも、震災から5年経っても今なお避難生活をおくっている人が17万人以上いる。
 この作品は2011年3月11日に起こった東日本大震災のあと、ほぼ2カ月半を被災地で過ごした著者が現場で見聞きしたいくつかの話を記している。
 著者には被災地での取材活動の中ですでに『遺体―震災、津波の果てに』という良質の記録作品がある。その中で書き記されなかった多くの人たち、悲しみを、この作品で掬い取る形になっている。
 著者はいう。「一つひとつがまったくちがう意味と重みを持つものになるだろう」と。

 東日本大震災の報道で海外メディアは口々に東北の人たちがまじめでおとなしく淡々と避難生活を送っていたかのように報じた。
 しかし、実際にはそうではない負の面もあったことを、この作品では取り上げている。
 それは商店や住居からの強奪だけではない。ATMからなくなった現金は6億を超えると記されている。
 被災地だから善ばかりが語られることはない。真実を知ることと、悪を過大に解釈することは違う。
 まして、なくなったお金にしろ被災者が盗んだものとは限らない。
 あの混乱の中、被災地にもぐりこんだ多くの人たちがいただろう。
 たくさんの遺体をカメラにおさめて記念撮影する人たちの様子も、ここには書かれている。
 人の行為のすべてが善なのではない。
 大きな厄災は時に人間の本質をさらけ出す。

 それは報道する側も同じだ。被災から数カ月もすれば復興の明るいニュースが目立ってきた。視聴者や読者がそれを欲していることもある。それもまた事実だろうが、報道する側に選ばれた事実である。
 震災から5年経った報道も同じだ。明るいニュースの影でいまだに歯を噛みしめている人たちがいることを、忘れてはいけない。

 真実とはなんと空しいことか。
 もはや数字だけが信頼できる、そんな殺伐としたものを感じる。
  
(2016/03/12 投稿)

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