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プレゼント 書評こぼれ話

  あの日から11年めの3月11日を迎えました。

  東日本大震災が発生した
  2011年3月11日も金曜日でした。
  東京の空は曇天として
  被災地となった東北の町々では
  まだ冷たい雪が舞っていました。
  今でもあの日見た空や揺れる電線といった光景を
  忘れることはありません。
  きっと
  それぞれにとって
  それぞれのあの日があるはずです。
  そのことを忘れないようにしたいと思います。
  このブログでも
  震災関連の本をたくさん紹介してきました。
  「3.11の記憶」というカテゴリーになっていますから
  忘れそうになったら
  開いてみて下さい。
  今日はその中から
  2014年1月に紹介した
  津村節子さんの『三陸の海』を
  再録書評で紹介します。

  今日は静かに祈ります。

  

sai.wingpen  海は静かに眠っている                   

 「津波は、自然現象である。ということは、今後も果てしなく反復されることを意味している」と書き、『三陸海岸大震災』や『関東大震災』で地震の危険性を警告していた吉村昭が亡くなったのは、東日本大震災が起こる5年前の2006年の7月だった。
 もし、吉村が生前東日本大震災を目にしていたとしても、「だからいわんこっちゃない」とは口にしなかったであろう。ただ、瞑目し、静かに涙したのではないか。
 吉村と三陸の海とは深いつながりがある。
 芥川賞の候補に何度も選ばれながら結局は受賞にはいたらない日々。再起をかけて取材したのが岩手県田野畑村だ。そこから生まれたのが『星への旅』で、この作品で第2回太宰治賞を受賞し、作家として実質的なデビューを果たす。
 その縁で吉村はその後何度となく「日本のチベット」とも呼ばれた村を再訪することになる。
 吉村の唯一となる文学碑が田野畑村にある。そこには「田野畑村の空と海 そして星空の かぎりない美しさ」と印されている。

 これらのことは吉村昭の妻で作家の津村節子が書いたこの本の中に書かれている。
 震災のあった2011年3月11日、津村はこれもまた吉村にとって思い出深い長崎にいた。
 その記述から書き起こされ、吉村とともに行商に行った三陸の町々のこと、吉村のデビュー当時の思いなどが綴られていく。
 田野畑の被災を聞いた津村は「村が心配で行きたい」といち早く村役場に電話をいれるのだが、村はまだ混乱状態で津村の希望は実現しなかった。
 強引に行くのではなく、落ち着くのを待つ。このあたりは津村の大人の対応といっていい。
 吉村が生きていてもそうしたかもしれない。
 興味本位で行くのではない。待つこともまた、祈りに近い思いだったに違いない。

 そんな津村が田野畑にはいることができたのは、2012年の6月だった。
 そこで津村は「吉村がいつも釣りをしていた突堤」が残っているかと淡い期待をするが、目にしたのは「コンクリートの残骸」で「漁港としての賑わいは、遠い昔の夢のよう」であったと、作品の後半、被災後の田野畑を描いた訪問記の中に書いている。

 この作品には深い慟哭はない。吉村の警告が生きなかった悔悟もない。
 ただ静かに、吉村が愛した田野畑をじっとみつめている。何故か、そんな津村の横に悲しそうに佇む吉村の姿がいつもあるかのように感じる。
  
(2014/01/11 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  先日の土曜の夕方、
  宮城県で大きな地震がありました。
  津波注意報が発令され、
  10年前の東日本大震災のことを思い出した人も
  多かったのではないでしょうか。
  たまたまその時
  私が読んでいたのが
  今日紹介する
  三浦英之さんの『災害特派員』。
  あの『南三陸日記』の著者によって書かれた
  10年前と向き合う一冊でした。
  この本の中で
  三浦英之さんはこう書いています。

    人を殺すのは「災害」ではない。
    いつだって「忘却」なのだ。

  私たちは地震のある国に住んでいることを
  忘れていけない。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  もう一つの『南三陸日記』                   

 2011年3月11日に起こった東日本大震災。その翌日には被災地に入った新聞記者は、それから程なくして宮城県南三陸町に赴任し「災害特派員」となった。
 そこで彼が見聞きした被災地の様子や被災者の人たちの姿をのちに一冊の本にまとめられていく。
 それが『南三陸日記』だ。書いたのは、朝日新聞の記者である三浦英之さん。

 あれから10年。
 被災地の人々にも10年という月日が流れたように、記者である三浦さんにも同じだけの月日が流れていった。
 それだけの時間を経た今だから書けること、あの時に「描ききれなかった、もう一つの『南三陸日記』」というきっかけはあったとしても、三浦さんにとっては「個人的な取材体験を綴った「手記」」であり、あの時現地の人たちと生活を共にした「回想録」でもある。
 だから、『南三陸日記』に象徴的に登場する震災直後に生まれて少女とその家族の話は本書にも登場するし、新米記者として初めて宮城県に赴任した三浦さんを励ましてくれた恩人で、津波で亡くなった消防士とのことなども描かれている。
 その一方で、「災害特派員」の勤務のあと三浦さんが米国留学で学んだ「ジャーナリズム」の話など刺激的なものもある。

 10年という月日は、あの直後に生まれた赤ちゃんを10歳に少女に成長させただけではない。
 三浦さんとともに被災地を駆けまわり取材し続けたライバル紙の記者はガンで亡くなった。
 あるいは、当時の環境とはまったく違うところにいる人もいる。
 それぞれが迎えた、震災からの10年。
 本書は三浦さんの「回想録」だけでなく、それぞれの人にとっての「回想録」でもある。
  
(2021/03/23 投稿)

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 昨日(3月13日)の朝日新聞朝刊に
 作家の川上弘美さんが寄稿された
 「生きている申し訳なさ」という文が掲載されていました。
 「二十七年前、「神様」という短いお話を書いた。」という文章で始まる長文の
 東日本大震災10年にあたっての寄稿です。
 
  その「神様」を、東日本大震災の一週間後に書き直したものが
 「神様2011」である。



   『神様2011』は福島第一原発の事故に誘発されて書かれたもので、
 川上弘美さんはもしかしたら住んでいた東京を離れるしかないかもと感じながら
 これを書いたといいます。

   あれから十年。(中略)
   「神様2011」を書いた震災の一週間後は、
   自分は原発事故の「当事者」だと思っていた。
   けれどいつの間にかわたしは「当事者」ではなくなり、
   「傍観者」となっていたのである。

 それは川上弘美さんだけではないでしょう。
 震災があった日、東北で大きな津波被害を受けた人たちだけでなく
 あの日の夜帰宅困難となって暗い街を歩き続けた人も
 それからあと緊急地震速報のアラーム音に震えていた人も
 あの時「当事者」だったのです。
 しかし、いつの間にか「傍観者」となってしまった。
 もしかしたら、そういう意識もなくなっているかもしれない。

 そして、川上弘美さんはこう思うようになります。

   解決できないことをこまぎれに考えつづけること。
   たぶんわたしにできるのは、それだけなのだ。

 川上弘美さんの『神様2011』の書評はこちらからお読み頂けます。      再読する

*   *   *   *   *   *   *

 今日は日曜日なので
 東日本大震災関連の絵本の話を書こうと思っていたのですが
 昨日新聞で川上弘美さんの寄稿文を読んだので
 そのことを書きました。
 東日本大震災から10年。
 だからと言って、すべてが元に戻ったわけでも
 鎮魂が終わったわけでもありません。
 地震大国のこの国で生活する限り、
 またいつか大きな災害がこないとも限らない。
 そのいつかのために
 私たちは東日本大震災のことを忘れないでいよう。
 それが
 生き残った私たちの使命だと思います。

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 東日本大震災から
 10年という節目の年になった今年、
 震災のあった3月11日だけでなく
 それと前後して
 テレビでも震災関連の報道が多くありました。
 あの日東北の太平洋沿岸を襲った
 津波の映像は
 今見ても生々しく
 被災者の人にとってはやはりつらかったと思います。

 あれから10年。
 出版の世界でも
 震災関連の本がたくさん出版されてきました。
 やはりあれだけの大きな災害ですから
 小説などのフィクションよりも
 ノンフィクションの作品の方が
 強いインパクトを与えたように思います。
 今回節目の年に
 どんな作品を再読しようかと考えた時に
 すぐに浮かんだのが
 今週ここで書いてきた
 『南三陸日記』(三浦英之)『三陸海岸大津波』(吉村昭)、
 そして、今日紹介する
 佐々涼子さんの
 『紙つなげ! 彼らが本の紙を造っている』でした。

  

 出版業界もこの10年で大きく様がわりしています。
 なんといっても
 電子書籍は雑誌や漫画本で大きく躍進しています。
 東日本大震災の際に
 一冊の「少年ジャンプ」を大勢の子どもたちが回し読みしたという
 ニュースがありました。
 まだ媒体としての紙が強かったのだと思います。
 佐々涼子さんの『紙つなげ!』の中にも
 こんな一節があります。

    大人にもこの時期、本が必要だった。

 あれから10年、
 コロナ禍の時代でまた本を読む人は増えたといいます。
 けれど、コロナ後の新しい世界では
 また違った様相になるのではないでしょうか。

 記録として
 やはり本より映像の方が数段強い。
 けれど、
 活字の余白を埋めていくのは
 人々の想いです。
 つなげていかなければならないのは、
 そんな人々の想いだと思います。
 次の10年、
 私たちはどんなふうであるでしょうか。

 佐々涼子さんの『紙つなげ! 彼らが本の紙を造っている』の書評は
 こちらからお読み頂けます。       再読する

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 今夜の
 「金曜ロードSHOW!」(日本テレビ系)で
 昨年3月に公開された
 若松節朗監督の「Fukushima 50」が地上波初
 ノーカットで放送されます。

  

 原作は
 門田隆将さんの『死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発』。
 描かれているのは
 2011年3月11日の東日本大震災の際に発生した
 東京電力福島第一原子力発電所の事故と
 それを最小限に食い止めようとした人たちの姿です。

 当時の福島原発所長吉田昌郎さんを演じているのは
 渡辺謙さん。
 その時の当直長伊崎さんを演じているのは
 佐藤浩市さん。
 その他、吉岡秀隆さん、緒形直人さん、安田成美さんなど
 オールキャストで演技陣を固めています。
 あの時無謀にも現地に向かった総理大臣役は
 佐野史郎さん。
 いい役なのかそんな役まわりなのか、どうでしょう。
 私は現場のたたき上げの職員を演じた
 火野正平さんがよかった。

 この作品は
 第63回ブルーリボン賞で作品賞を受賞していて
 もうすぐ発表される
 日本アカデミー賞でも優秀作品賞に選ばれるなど
 評価も高い一方で
 つっこみ方が足りないなどの批判もあります。
 私はうまく出来た作品だとは思いましたが
 もっとザラザラした感じが出ればよかったのにと
 感じました。
 きれいに撮られ過ぎているような気がしました。
 極端なことをいえば
 白黒画面で見せた方がもっと緊迫した印象が
 残ったのではないでしょうか。

 福島の原発事故は
 終ったわけではありません。
 今でも故郷に戻れない人たちがたくさんいます。
 あるいは
 事故処理だってまだまだ未処理です。
 あれから10年経っても
 厳しい状況は変わっていない。
 そんなことを思いながら
 今夜9時からの放送を見るといいかもしれません。

 門田隆将さんの『死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発』の
 書評はこちらからお読み頂けます。       再読する

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