プレゼント 書評こぼれ話

  今日紹介する
  津村節子さんの『果てなき便り』は
  以前読んだ
  柏原成光さんの『人間吉村昭』に
  出ていました。
  吉村昭さんと津村節子さん夫婦のことは
  この本でも
  たびたび取り上げています。
  今回の本では
  特に吉村昭さんの弟さんが亡くなる場面に
  思わず涙がとまりませんでした。
  吉村昭さんの『冷い夏、熱い夏』に描かれた話の
  津村節子版ともいえる
  一文です。
  これだけでも
  読んだ意味がありました。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  僕は貴女を尊敬し、惚れています                   

 作家同士の、しかもそれぞれが著名な、夫婦というのも珍しいが、結婚前、またそのあととやりとりし合った手紙類が残っているというのも稀有だろう。
 夫吉村昭は2006年7月に亡くなっているからそれらは遺品ということになるが、妻津村節子がその手紙類を整理し、吉村没後8年にして『図書』に連載したエッセイをまとめたのが本書である。
 出版されたのが2016年6月であるから、吉村が逝って10年めにあたった。

 結婚前の手紙類は79通残っている。
 二人が結婚したのが1953年だから、当時恋人どうしが意思の疎通を行うとすれば手紙が主だっただろう。
 現代ではメールという手段になるだろうから、吉村たちのように亡くなった後も形として残るということも少ないかもしれない。
 吉村は若い時に結核の手術をし作家になることを目ざし、津村もまた普通の主婦になるのではなく作家として独り立ちしたいと考えていた。
 それでも、互いに引きつけ合う力は強かったのだろう。
 また吉村の弟のはたらきかけもあって、結婚に至る。

 しかし、作家になりたい気持ちはあっても現実には生活の糧を得なければならない。
 二人で行商をしたのも有名な逸話だ。
 そんな貧しい頃の手紙に、吉村は「夫婦つて美しいと思ふ」と記している。
 吉村は実に古風な昭和の男であったようだ。
 結婚後20数年経ってもなお、「僕は貴女を尊敬し、惚れています」といった一文がはいった手紙まで送っている。

 そんな吉村が死の直前に手渡した手紙は実に細かく死後のことを託した遺書のようなものであったというのも、吉村らしい。
 吉村昭という作家を知るのに、興味ある一冊になった。
  
(2018/02/22 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

   平昌オリンピックの
  スピードスケート女子500m金メダル
  小平奈緒選手のことを
  まずお祝いしたい。
  金メダル後の会見で
  小平奈緒選手はこんなことを言っていました。

    金メダルをもらうのは名誉なことですが、
    そのあと、どういう人生を生きていくかが大事になると思う。

  なかなか言えませんよ。
  すっかり小平奈緒選手のファンになりました。
  大拍手を。

  では、今日の本のこと。
  藤沢周平山形県鶴岡市の生まれで
  そのペンネームの藤沢というのは
  若くして亡くなる
  藤沢周平の最初の妻の実家があった
  町の名前が藤沢だったという。
  名前の周平は
  の一番上のお姉さんの長男が周といい
  その名をもらったといいます。
  今日紹介する
  『藤沢周平 遺された手帳』は
  タイトルの通り
  藤沢周平が残した手帳を
  娘である遠藤展子さんが読み解いています。
  最初に書いた
  藤沢周平のペンネームの由来も
  この本に書かれていました。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  藤沢周平の人柄はこんなところにでている                   

 1997年に亡くなって20年以上経つが、藤沢周平の人気は今も続く。
 同じ時代小説作家で昨年亡くなった葉室麟が66歳で早逝であった印象が強いが、藤沢にしても69歳での死であるからあまりにも若い。
 まだ何年も生き、そして多くの作品を残してくれただろうと思うと残念だ。

 そんな藤沢周平に遺された手帳が4冊あるという。
 年代でいえば、昭和38年のもの、そのあとの3冊は昭和46年から昭和50年にかけてのもので、この3冊には当時住んでいた東久留米市金山町であったことから「金山町雑記」と記されていたようだ。
 4冊の手帳に書かれた内容を藤沢周平の娘である遠藤展子(のぶこ・藤沢周平の本名は小菅だが彼女は結婚して遠藤姓になっている)がエッセイ風に読み解いているのが、本書である。

 昭和38年の手帳は、ちょうど展子が生まれた年のものであると同時に藤沢の最初の妻悦子が28歳で亡くなった年でもある。
 藤沢はまだ作家として名を成しているわけでもなく(藤沢が『暗殺の年輪』で第69回直木賞を受賞するのは昭和48年である)、まだ貧しい生活を営んでいる頃である。
 最愛の妻を亡くし、生まれたばかりの可愛い娘も実家に預けるしかない日々、そんな中、その手帳に記された「貧しいことを不幸だとは思わないが、やはり哀れだ」という一文は、藤沢周平の文学の根幹にあるかもしれない。

 藤沢は人気作家になってからも「先生」と呼ばれることを良しとしなかったという。
 ただ例外は彼が若い頃教師をしていた当時の教え子にだけは「先生」と呼ばれることを喜んだそうだ。
 そんなところにも藤沢周平の人柄がでている。
  
(2018/02/20 投稿)

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  先日芥川賞が発表されたが
  芥川賞を受賞できなかった作家の中で
  吉村昭ほど
  切ない未受賞作家はいないかもしれない。
  受賞しましたという報を受けて
  会見場に向かった吉村昭
  そこで手違いだったことを知らされる。
  落選である。
  こんなひどいことはない。
  それでも吉村昭は腐ることなく
  書き続け、
  文学史に名を残す作家になった。
  今日はそんな吉村昭の実像に迫る
  柏原成光さんの『人間 吉村昭』を
  紹介します。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  彼は磯野波平に似ていないか                   

 勝手な想像だが、吉村昭の愛読者は男性の方が多いのではないかと思う。
 その作品の気骨さだけでなく、吉村の眼光鋭い風貌ながら、浮かべる微笑は軟らかく、そういうところはなかなか男性には真似できない。
 真似ができないから、憧れる。
 それは妻への接し方も同じだ。吉村の妻といえば、同業の津村節子だが、彼女に対する愛情は細やかで深い。それでいて、亭主然としている。
 さらにいえば、「しきたり好き」なのも、男性の好みではないか。
 吉村は敗戦の日と関東大震災の日には必ずすいとんを作ったという。あるいは季節ごとの行事の習わしは頑固に守ったそうだ。
 保守的であるが、それを維持するのも難しい時代にあって、やはり男性は吉村のような男に憧れるのではないか。
 そういえば、漫画「サザエさん」に登場する波平にどことなく似ている。

 吉村昭の生前、仕事を通じて交流のあった、元筑摩書房の編集者だった著者が、その交流から描くのではなく、吉村が残したたくさんのエッセイから、その生涯と人間像をまとめたのが本書である。
 吉村はエッセイには本当のことしか書かないといっていたそうだし、そこに描かれたのは小さい頃のことだけでなく、芥川賞をとれなかったことや代表作となる『戦艦武蔵』を書くに至る経緯など、実にうまく、まとめられている。
 この一冊の本を上梓するまで、著者は吉村の作品だけでなく妻の津村節子のものまで細かくたどったに違いない。
 まさに、ここには一人の「人間」が描かれている。
  
(2018/01/18 投稿)

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  偶々、
  佐野洋子さんの『役にたたない日々』と
  今日紹介する
  ちばてつやさんの『屋根うらの絵本かき』を
  続けざまに読んだのですが
  このお二人とも
  中国からの引揚者でした。
  生まれた年も近く、
  ともに10歳にも満たない年で
  過酷な日々を過ごしたことになります。
  それでも
  生きていれば
  一人は絵本作家に
  また一人は漫画家になるのですから
  いのちとは
  本当に尊い。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  ちば漫画はこうして生まれた                   

 絵本作家佐野洋子さんは1938年生まれ。終戦の後、2年中国の大連で飢えとともに過ごし、日本へ引きあげてきた。その年、四歳の弟が死に、翌年兄を亡くしている。佐野さんは「栄養失調だったんだと思う」と書いている。
 よく似た体験を、この本の著者漫画家ちばてつやさんも過ごしている。
 ちばさんは1939年生まれ。満州の奉天で終戦を迎えた。
 この自伝ではその時の辛い思い出が何ページかにわたって描かれている。
 書名の「屋根うらの絵本かき」はその混乱期に一人の中国人によって匿われた時の生活シーンからとられている。

 ちばてつやさんといえば、「あしたのジョー」や「のたり松太郎」といった少年向けの作品で有名だが、この自伝ではそういった作品にかかるエピソードも描かれている、少女漫画も私は好きだ。(この自伝ではあまり取り上げられていないのが残念だが)
 ちばさんの描いてきた漫画で自分の子供時代を振り返れば、老成していたようなちば漫画であったが、あの「あしたのジョー」を描いていた時ちばさんはまだ30歳になったばかりだったことに驚いてしまう。

 そんなちばさんだが、母親にはいつまでも頭があがらなかったそうだ。
 そういえば、佐野洋子さんも「あの敗戦の混乱期をどうにか切り抜けたのはなりふりかまわぬ小母さんパワーだった」と書いているが、ちば漫画の原点も、幼い子どもを抱えながら中国から引きあげてきたお母さんの力が大きかったのだと思う。
 この本には、ちばさんの自伝エピソード漫画も数編収録されている。
  
(2017/06/22 投稿)

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  最近世の中を騒がしている中学生がいます。
  藤井聡太四段、
  将棋界に彗星の如く現れた
  スーパー中学生です。
  昨日デビューから一気に23連勝まで駒を進めました。
  すごい。
  私は将棋のルールもほとんど知らないのですが
  対局の場面なんかを見ていると
  かっこいいですよね。
  そこで
  今日は蔵出し書評
  大崎善生さんの『聖の青春』を
  紹介します。
  村山聖という
  将棋に青春をささげた男の物語です。
  この書評、2002年に書いたもの。
  15年前なんだ、
  感慨深い。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  一度だけ彼を見た                   

  村山聖(さとし)。将棋界の最高峰であるA級に在籍したまま亡くなった。
 この物語は「わずか二九歳で他界した稀有な天才棋士村山聖の青春の物語である」。
 将棋をまったく知らない私でさえ、村山の短い生涯に感動した。
 それは、云ってみれば青春という言葉が持っている、恥ずかしいほどの純粋さに胸が震えたといえる。

 村山は幼い頃に大病を患い、以後闘病生活を余儀なくされた。
 その入院時代に将棋を覚えた。そして、名人になるのだという、そのことだけを支えに生き急いだ。
 目標に向かってひたすらになることこそ青春時代の特権であるとしたら、村山の生涯はそのことだけについやされたといえる。
 しかし、彼が仕合わせだったというのは生き残った者たちの驕りだろう。なぜなら、村山自身がもっともっと生きつづけることを願ったはずだから。

 平成一〇年の夏、彼はその生涯を閉じるのだが、私は多分たった一度その姿を見ているかもしれない。
 NHKの将棋番組でぷっくらと太った棋士の姿。あれが村山だったに違いない。
 それは私が見た、たった一度の彼だった。
  
(2002/07/21 投稿)

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