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 植物学者牧野富太郎博士をモデルにした
 NHK朝の連続テレビ小説(通称 朝ドラ)「らんまん」も
 残すところあと3週となりました。
 朝ドラを毎回見るようになってもう何年、何作にもなりますが
 最近よくいわれる「神回」の回数が多い作品にように感じました。
 主人公の個性、夫婦愛、幼馴染や姉との関係、
 さらには長屋の人たちとの交流、アカデミアでの愛憎と
 物語が多岐にわたっていて、それを見事にドラマ化されています。
 終りが近づいてきたので、
 せっかくだかた牧野富太郎博士が自ら自身の半生を振り返った
 『牧野富太郎自叙伝』を読んでみました。

  

 ドラマでも描かれていましたが幼少期の頃番頭の持っていた時計を分解した話は
 「自叙伝」でも出てくるので
 本当にあったことのようです。
 ドラマでも気になった田邊教授(実際には矢田部教授)との軋轢も本当にあったようで、
 許しを懇願するため教授の自宅まで訪れたようです。
 その教授はドラマと同じように水泳中に溺死したそうです。
 と、ついドラマと比べてしまいます。

 奥さんであった寿衛子さんのことは「亡き妻を想う」という章で
 こう綴っています。
 「終生植物の研究に身を委ねることが出来たのは何といっても、亡妻寿衛子のお蔭」で
 「彼女のこの大きな激励と内助がなかったら」自分の生活は行き詰っただろうと。
 朝ドラの最後ではおそらくこの妻との死別がクライマックスになるのでしょう。

 牧野博士はこの本の中でも
 「草木は私の命」と書いています。
 「草木があって私が生き、私があって草木も世に知られたものが少なくない」。
 「自叙伝」であっても書かれていないことも多いでしょうが、
 牧野博士が何よりも草木を愛したことは真実だと思います。

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 「スラッガー」という言葉は「広辞苑」にも出ていて
 「野球で、強打者のこと」とある。
 大リーグでホームランを量産する大谷翔平選手も「スラッガー」といえるが、
 言葉が持つ雰囲気はもっと荒くれである。
 ノンフィクション作家木村元彦さんが書いた
 『江藤慎一とその時代』には「早すぎたスラッガー」という副題がついている。
 もしかしたら、「江藤慎一」という野球選手の名前を知らない若者も多いかもしれない。
 江藤慎一
 1937年生まれ、長嶋や王が絶頂を極めていた昭和30年から40年代にかけて、
 中日ドラゴンズのスラッガーとして活躍。
 その後パ・リーグのロッテに移籍。
 江藤はそのことでセ・パ両リーグで初めて首位打者となった選手である。

  

 どんなスポーツであれ、華やかな一面もあれば、
 何故かまわりと軋轢が生じて消えていくこともある。
 中日時代の江藤もまたそんな悲哀を味わっている。
 昭和30年生まれの私が記憶しているのは、
 やはり中日のユニフォームを着た江藤で、
 その後のロッテ、大洋、太平洋クラブライオンズに移っていったことは
 あまり記憶にない。
 今回この本を読んで、江藤慎一という「スラッガー」がどのように生まれ、
 プロという環境の中にある政治的な駆け引きに翻弄されていく姿を
 初めて知ることになる。

 江藤慎一は昭和51年(1976年)現役を引退。
 その後も野球にかかわるも、いつかその姿は静かにフェードアウトしていく。
 平成20年(2008年)に70歳で死去。
 平成22年(2010年)には野球殿堂入りを果たした。

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 映画「ケイコ 目を澄ませて」は2022年の日本映画において
 とても高い評価を得た三宅唱監督作品だった。
 その原案となった(原作ではなく)のが、
 小笠原恵子さんのこの『負けないで!』である。
 映画では惠子さん役を岸井ゆきのさんが熱演し、
 多くの女優賞を受賞した。
 映画では惠子さんが女子ボクサーとしてプロデビューし、
 デビュー戦に挑んでいく中での葛藤がメインとなっているが、
 この本ではそれ以前、
 惠子さんが聴覚障害者として育っていく中での自身の葛藤に
 多くの誌面が費やされている。

  

 惠子さんは生まれつき聴覚障害があった。
 ただ両親がそのことに気付くのは3歳を過ぎてから。
 さらに惠子さんの妹もまた聴覚障害があったことも
 惠子さんの成長過程には影響を与えたと思われる。
 入学した小学校でいじめを受けることになり、
 中学校ではついに不登校になっていく。
 高校生になると教師を殴ってしまうこともあったという。
 自身が書いた文章ではこれでも抑制されていたと思うが、
 おそらくどうしようもなく「ワル」だったのだろう。
 その当時の彼女にとって、自身の障害こそが「ワル」になる理由だったのだろう。

 そんな彼女の考え方を変えたのが、ボクシング。
 ボクシングと出会うことで、彼女は障害もまた乗り越えられることを実感したはず。
 彼女をプロのボクサーに育てたジムの会長との出会いなど
 惠子さんは決して一人ではなかったはず。
 映画とは違う、「ケイコ」誕生までのこの作品は、
 映画を観てからでも「よし!」と感じさせてくれる。

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 NHKのドラマといえば、朝の連続テレビ小説(通称朝ドラ)と大河ドラマが双璧だろう。
 昨日、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」に関連して
 永井路子さんの『北条政子』を紹介しましたので、
 今日は現在放送中の
 朝ドラ107作めとなる「舞いあがれ!」に関連した一冊を紹介しましょう。

 その前に「舞いあがれ!」について。
 主人公は空が大好きなヒロイン舞(福原遥)。
 空を飛ぶという夢に向けての彼女の奮闘が描かれるというもの。
 始まったばかりでまだまだどうなるかわかりませんが、
 出足は好調です。
 今は大学の人力飛行機のサークルにはいったばかりの舞の姿が放送中ですが
 サークルの先輩の由良(吉谷彩子)と
 「アメリア・イヤハートって知ってる?」という会話をした回がありました。
 さすがに女性パイロットを夢みる二人ですから
 アメリア・イヤハートのことを知っていましたが、
 あまり知られてはいないのではないでしょうか。
 そこで、図書館でアメリアの本があるかと調べて見つけたのが、
 リチャード・テームズが書いた
 『アメリア・イヤハート それでも空を飛びたかった女性』です。

   

 この本は国土社から1999年2月に
 「愛と勇気をあたえた人びと」という児童向けの伝記シリーズの一冊として
 刊行されました。
 アメリア・イヤハート(1897年~1937年)は
 1928年に女性として初めて大西洋横断飛行をなしとげたアメリカ女性です。
 リンドバーグが単独の大西洋横断飛行を成功させたのは1927年ですから、
 まさに画期的な出来事でした。
 ただ、この時の飛行では彼女は操縦をしたわけではありませんでしたが、一躍時の人となります。
 その後、自身で操縦かんを握ることにもなりますし、女性の社会進出のリーダーにもなっていきます。
 そして、1937年世界一周飛行の途中で、彼女は飛行機ごと消息をたちます。
 アメリアはまだ40歳でした。

 リンドバーグのことはよく知られていますが、
 アメリア・イヤハートのことはそれほど知られていません。
 今回の朝ドラが契機となって
 そんな素晴らしい女性がいたことが
 多くの人に知られたら、どんなにいいでしょう。

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日は
  1984年に亡くなった漫画家ちばあきおさんの評伝
  『ちばあきおを憶えていますか』を
  紹介します。
  書いたのは
  ちばあきおさんの息子さんの千葉一郎さん。
  この本の副題に
  「昭和と漫画と千葉家の物語」とあります。
  ここでいう「千葉家」の著名人は
  漫画家のちばてつやさん。
  ちばあきおさんはちばてつやさんの弟です。
  表紙の漫画は
  ちばあきおさんの代表作「キャプテン」。
  この漫画を見たら
  ちばあきおさんのことを
  思い出す人もいるでしょうね。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  もちろん、覚えていますよ                   

 のちに「漫画の神様」と称されることになる手塚治虫が「新宝島」を出版したのが、1947年(昭和22年)だった。戦後漫画はそこから始まったといっていい。
 それから70年以上経ち、漫画世代もすでに何世代も経過したことになる。
 この本のタイトルにある「ちばあきお」は、昭和18年生まれで漫画家としてデビューしたのは24歳であるから決して早くない。まして、「キャプテン」や「プレイボール」といった作品で人気漫画家になるのは、30歳間近の頃だ。
 彼より早い世代の漫画家というと、兄ちばてつやがいる。
 兄てつやとは4歳違いだが、兄は20歳にして人気漫画家であったから、その違いは年齢の差以上に大きいといえる。

 ましてや、兄てつやには「あしたのジョー」という名作があり、その当時はあきおはまだ兄てつやのアシスタントでしかなかった。
 兄てつやを愛読した世代にとって、あきおは「ちばてつやの弟」でしかなかったかもしれない。
 もちろん、あきおの作品をリアルタイムで読んだ世代にとっては、ちばあきおは独立した漫画家だっただろうし、そういう点ではちばてつやとちばあきおとは全く世代の違う漫画家といっていい。
 ただ、あきお自身はそう考えたかどうか。
 やはり意識として、「ちばてつや」というビッグネームの重しがあったのではないだろうか。

 のち、あきおは酒におぼれ、漫画を描けなくなっていく。そして、41歳の時自死する。
 兄てつやの数多くの作品群に比べ、あきおの作品は少ない。
 けれど、彼の作品を愛するファンは多い。
 「ちばあきおを覚えていますか」はこの本の著者で息子一郎の思いだろうが、きっと「もちろん忘れてませんよ」という世代の人はたくさんいるだろう。
  
(2022/06/08 投稿)

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