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プレゼント 書評こぼれ話

  昨日映画監督の是枝裕和さんの
  『希林さんといっしょに。』という本を
  紹介しましたが
  その中で脚本家向田邦子さんと樹木希林さんの
  交際の話もでてきました。
  脚本家と女優といえば
  橋田壽賀子さんと泉ピン子さんも
  関係性が深い。
  橋田ドラマには泉ピン子さんが欠かせられないですものね。
  今日は
  その橋田壽賀子さんの「私の履歴書」である
  『人生ムダなことはひとつもなかった』を紹介します。
  残念なのは
  書評にも書きましたが
  泉ピン子さんのことをもっと
  聞きたかったな。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  橋田壽賀子という女の一生                   

 この本は、日本経済新聞朝刊の人気コラム「私の履歴書」に2019年5月に連載されたものの単行本化。
 2019年5月といえば元号が令和に改まって最初に迎えた月で、やはり新聞の編集部としてはそれにふさわしい人をと考えたに違いない。
 その点橋田壽賀子さんは昭和58年(1983年)に日本中を熱狂させたNHK朝ドラ「おしん」を始めとして平成にはいって始まったTBSの「渡る世間は鬼ばかり」が国民的ドラマになるなど時代をつなげていく脚本家として見込まれたのだろう。

 橋田さんは大正14年(1925年)生まれで、連載時には94歳。
 その最初に「夫の死」と題された、1989年に死別した夫岩崎嘉一さんの死の直前の様子が描かれ、最後に「本名、岩崎壽賀子。94歳。脚本家。天涯孤独。」という言葉が記されて、半生が綴られていく。
 まさのドラマの導入部のような書き方で、こんな風に書かれると続けて読みたくなる。
 読者(橋田さんにとっては視聴者)の心理がさすがによくわかっておられる。

 そんな橋田さんにもっとも影響を与えたのが石井ふく子プロデューサーだろう。
 橋田さんは石井さんからテレビドラマのあり方を学んだという。
 そのきっかけが昭和39年(1964年)4月、そう前回の東京オリンピックのあった年、に放送された「愛と死をみつめて」だった。橋田さん、38歳のこと。

 この履歴書には「おしん」の話が何回分かあるが、面白かったのは主演の田中裕子さんが撮影中橋田さんとは話さないどころか目も合わさなかったと記されていること。
 今だから話せる撮影裏話なのだろう。
 できれば、橋田さんとのコンビが多い泉ピン子さんについてももっと書いて欲しかったが。
  
(2020/01/15 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今年最初の紹介本を
  この人の評伝から始めたいと思います。
  作曲家古関裕而さん。
  前回の東京オリンピックのマーチを作曲した人。
  そして、
  今年4月からのNHK朝ドラのモデルとなる人。
  書いたのは刑部芳則さん。
  本のタイトルは
  『古関裕而 - 流行作曲家と激動の昭和』。
  この本は
  単に古関裕而さんの評伝というだけでなく
  戦争から敗戦、
  そして高度成長していく昭和の歴史も
  描いていて
  読み応えある作品に仕上がっています。
  それにしても
  古関裕而さんの作った歌の多彩なこと。
  感動ものです。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  あなたは古関裕而を覚えていますか                   

 今年(2020年)は東京で開催される2回めのオリンピックの年だ。
 前回の東京オリンピックの開会式の入場行進の時に流れた「心も浮き立つような」オリンピック・マーチを覚えているだろうか。
 それは忘れていても、毎夏流れる高校野球の「栄冠は君に輝く」は聞いたことがあるだろう。
 いずれの曲も、作曲したのは古関裕而。
 古関さんは明治42年(1909年)に福島に生まれた。
 亡くなったのは平成元年(1989年)8月18日。享年80歳。

 今年は古関さんと関係するオリンピックがまたやって来るだけではない。
 春からのNHK朝の連続小説ドラマにその生涯を描いた作品「エール」も放映されることになっている。
 著者の刑部芳則氏の本職は日本近代史を教える先生だが、このドラマの風俗考証も担当するそうだ。

 古関さんは明治から平成にかけて生きた人だが、作曲家として活躍したのは昭和である。
 しかも、オリンピックのような平和な時期だけでなく、戦時中にもいわゆる「軍歌」をも作曲したし、敗戦後間もない時には「長崎の鐘」といった名曲まで生み出している。
 この本の中に昭和18年に作られた「若鷲の歌」の歌詞が載っている。
 「若い血潮の「予科練」の 七つ釦は 桜に錨」で始まる「軍歌」だ。
 その歌を昭和30年生まれの私はスラスラと歌えたのだ。
 それだけ古関さんのメロディが覚えやすいということだろう。

 それにこれは迂闊だったが、早稲田大学の応援歌「紺碧の空」の作曲もまた古関さんだった。
 作曲家の名前を知らないまま大声で歌っていたなんて恥ずかしいかぎりだ。
 きっと今年は古関さんの数々の名曲を耳にする一年になるだろう。
 古関さんは全国の学校の校歌なども311曲作ったという。
 もしかしたら、それを知らずに今も子供たちは大きな声で歌っているかもしれない。
  
(2020/01/03 投稿)

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  今日紹介する
  岩瀬達哉さんの
  『血族の王 松下幸之助とナショナルの世紀』は
  単行本として2011年7月に刊行され、
  2014年に新潮文庫に入った
  比較的以前の一冊です。
  それを何故今読んだかというと
  大型書店の新潮文庫の棚の平台に
  今でも平積みされていて
  たまたま目に留まって
  こんな本が出てるんだと
  読みたい気分が全開になったのです。
  内容的には
  有名な松下幸之助神話は知っていましたが
  裏の顔はほとんど知らないことだらけで
  面白かったです。
  人間、いい面もあれば
  悪い面もある。
  そういうことですね。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  私たちの世代はやっぱり「ナショナル」                   

 今や「ナショナル」というブランド名も「松下電器産業」という会社名も知らない世代が増えているに違いない。
 現在の「パナソニック」のことだ。
 それでも、もしかしたら「経営の神様」の名前を問われたら、松下幸之助氏の名があがるかもしれない。それほど彼の名前は揺るぎない。
 多くの著名人は毀誉褒貶にまみれるものだが、松下幸之助氏はそういう地平から遠いところにあるとずっと思ってきた。
 実家が破産し、わずか9歳で大阪へ丁稚奉公に出る少年。そこで才知に長けた才能を発揮し、大実業家となる。
 そして、多くの言葉を残した。小学校さえ満足に出ていないのに。

 しかし、そんな松下幸之助氏にも負の顔があった。
 ノンフィクション作家岩瀬多達哉さんがそれを暴いたというよりも、実際には多くの関係者には周知であった事実をきちんと正伝として描いたということだろう。
 特に第二夫人とその子供の存在は、表の幸之助氏しか知らない読者には驚きだろうし、自身の孫を後継者とすべく画策する姿は、晩節を汚す経営者にありがちなものである。
 松下氏はそういうことから遠い存在であると思っていたから、その事実はかなり衝撃的だった。

 松下幸之助氏は1989年に94歳で亡くなったが、さすがのそれだけの人生であるから、いかに大部な労作であってもすべてを描くことは難しい。
 起業後事業を拡大していくあたりが表現として手薄の一方で、戦後公職追放を受けたあたりのことは盟友野村吉三郎の手帳などを参考に詳しく描かれている。

 いずれにしても「パナソニック」の源流は松下幸之助氏をたどるしかないのだから、日本の経営の歴史から消えることはないだろう。
  
(2019/12/21 投稿)

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  昨日
  西尾典祐さんの
  『城山三郎伝 昭和を生きた気骨の作家』という評伝を
  紹介しましたが
  同じように「城山三郎伝」とうたった本を
  以前、といってももう10年も前ですが
  紹介しています。
  今日はその本、
  加藤仁さんの『筆に限りなし 城山三郎伝』を
  再録書評で紹介します。
  城山三郎さんが亡くなったのが
  2007年.
  それから2年ほどして加藤仁さんの本が書かれて
  西尾典祐さんの本は2011年ですから
  もう少し新しいということになります。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  気骨のある人                   

 かつて城山三郎は自身の仕事について「歴史というより人間への興味」と語ったことがある。また、「その人の人生を旅する」という言い方もしている。
 城山が描いた多くの「伝記文学」の対象となった人物たちは、描くことで城山自身が追体験できた別の人生である。
 では、城山はどのような人生を自身のそれとは違うものと考えていたのであろうか。
 1996年の対談「人間の魅力とは何か」(「失われた志」所載)でこう語っている。「たくましさというものが、自分に欠けてるというか、ない。だから、たくましい人、強い人、反骨を貫ける人というような人に、一番魅力を感ずるんだろうねえ」

 実際に城山三郎は「たくましさ」を欠いた作家であったのだろうか。
 本書はノンフィクション作家加藤仁による、人間杉浦英一(城山の本名)、作家城山三郎の、伝記ノンフィクションである。著者は「あとがき」の中でこう記している。「生前に会う機会もなかった私のような第三者が、実在した人物の精神世界をノンフィクションという手法で描くのは、至難の業であった」と。
 しかし、幸いにも城山は実に膨大な「メモ」をその生涯において残していた。著者はその「城山メモ」を丹念に拾い集めることで、その骨格を得、それを関係者のインタビューで肉付けしていく。その結果として、「外面的に大胆な行動が見うけられなくとも、その精神世界の振幅ある動きをとらえられた」としている。

 そのようにして出来上がった「城山三郎伝」から浮かびあがってくる城山は、生涯戦時中に負った心の傷を払拭できなかったように思える。
 このことは本書の第二章「「商い」の父、「皇国」の息子」に詳しいが、海軍特別幹部練習生として入隊したものの城山にとっては「大義の集団であるはずの軍隊による「手ひどい裏切り」」(46頁)は、その後の人生観、人間観に大きく影響した。
 だからこそ、城山は「高潔」であることを自身の評価基準とし、自身もまたそのように生きようとしたようにみえる。
 著者はこう書いている。「城山には”気骨””志””高潔”といったイメージがつきまとうようになり、「城山三郎」そのものが作品として確立された感さえある」(243頁)

 作家城山三郎に「たくましさ」が欠けていたかどうかはわからない。
 しかし、少なくとも、城山は「たくましさ」を欠いた人間にはなるまいと、自身を作り上げていったように思う。
 そういう意味では、城山三郎は「気骨」のある作家だったといえるだろう。
  
(2009/04/30 投稿)

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  今日は
  西尾典祐さんの
  『城山三郎伝 昭和を生きた気骨の作家』を
  紹介します。
  この評伝の中に
  城山三郎が60歳の時に作った
  人生訓のようなものが載っている。

    ① 年齢に逆らわず、無理をしない。
    ② いやなことをせず、楽しいことをする。
    ③ 眠いときに寝、醒めたら起きる。好きな物だけ食べる。但し午後八時まで。
    ④ 義理、面子、思惑をすてる。つまり、省事で通す。
    ⑤ 友人をつくり、敵をふやさない。

  大作家の人生訓というより
  普通のサラリーマンの定年後の信条のようで
  このあたりが
  城山三郎の魅力のように
  思えてなりません。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  もっと城山三郎を                   

 作家の評伝を読みたいというのは、作品を描いた人物がどのような人生を生きたのかという興味からだといえる。
 ただあまりそれがかち過ぎると、太宰治がいい例かもしれないが、作家の人生と作品が重なり過ぎることもある。
 太宰の場合は極端すぎるかもしれないが、作品と同じくらいに太宰の人生もまた多くの人の知るところとなっている。
 その点、この本で描かれる経済小説の開拓者ともいえる城山三郎の場合、作品と彼の人生とは重なることは少ないが、軍国少年であった彼を失望させた軍隊という組織への抵抗は戦争が終わったあとも城山の中に残り続けた。
 城山の評伝を重厚なものに書き上げた西尾氏は作品の終りに城山の作品を「昭和に生きた人々を、一個人ではなく、なんらかの組織の関係者として描いた」とまとめている。

 城山三郎は昭和2年に名古屋に生まれた。亡くなったのは平成19年3月、享年79歳。
 本文だけで300ページを超える評伝で、城山が「輸出」という作品で文学界新人賞を受賞するまでの少年時代学生時代を描いているのが100ページ強で、残りの3分の2は作家としての城山の歩みといっていい。
 城山の人生を読むと、破天荒なところはほとんど見られない。どちらかといえば実に全うな社会人だったように思える。
 だからこそ、彼が描いた経済人や政治家は、城山の読者の視点に合っていたのかもしれない。何故なら、城山こそ、城山作品をもっとも愛した読者のような気がする。

 城山三郎はまだまだ読まれていい作家だと思う。
  
(2019/11/14 投稿)

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