03/14/2023 追討・大江健三郎さん - あなたは私の青春そのもの

3月3日、88歳で亡くなった。
人は誰でもいつか亡くなる。
それはわかっているが、
やはり自分の青春期にとても影響を受けた作家の一人である
大江健三郎さんがいなくなるのは
とても、とても寂しい。

「わたしの好きな作家たち」として
何人かの作家たちのことを書いたことがある。
その最初の作家が大江健三郎さんだった。
その時の記事をここで改めて紹介したい。
大江健三郎さんを読み出したのは中学の終わりか高校の始め。
新潮文庫の『芽むしり仔撃ち』だったと思います。
そこからぐんぐん読みました。
大学生の頃は、パチンコ屋さんの景品に「全作品」(新潮社)があって、それを揃える
ために大学の授業にも行かず、そのパチンコ屋さんに日参したものです。
高田馬場の駅前にあった遊戯場でした。
私は大江さんの最高傑作は『個人的な体験』だと思います。
あの作品は何度も読みました。
その後有名になる息子の「光」さんの誕生という困難な状況をモチーフにしながら、
若い父親の閉塞感と希望が描かれた作品です。
その後の「光」さんを主人公とした一連の作品も好きです。
大江さんの魅力はあのこなれない文体にあるというのも変な書き方ですが、
物語を読み始めてもちっともおもしろくないのですが、いつの間にかどんどん
ひきずりこまれているのが不思議な感じがします。
でも、今はあまり「好き」ではありません。
最近の作品は読んでいない方が多いと思います。
なぜかというと、「最後の全集」と銘うった「大江健三郎小説 全十巻」を
頑張って買い揃えたのに、その後も作品を発表しているから、という
極めて「個人的な体験」からです。 (2008/12/22)

私にとっての大江健三郎さんに違いありません。
実はあれだけ買い揃えた大江健三郎さんの本は
数冊だけはありますが
すべて売ってしまいました。
いつだったか、古本屋さんに持っていった時、
「今は大江の本は売れないんだよな」と店主がぼやいていたのが
今でも耳に残っています。

今はあなたの本も数冊しか持っていない私ですが、
それでも私にとって若い時にあなたの作品に出会えてことが
やはり記憶から消えない邂逅であったと思います。
ありがとうございました。
ご冥福をお祈りします。

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漫画家の松本零士さんが2月23日亡くなられました。
85歳でした。
ここ何年か藤子不二雄Aさんやさいとう・たかをさんといった
漫画の一大ブームを作ってきた巨匠たちが
次々と他界されていって
彼らの漫画とともに大きくなったものとして
さみしくて仕方がありません。
松本零士さんの訃報に接し、
近くの図書館が所蔵している松本零士さんの本に
どんなものがあるのか調べてみました。
そして、見つけたのが
この『遠く時の輪の接する処』という本でした。
ご遺族のコメントにも出てくるこの言葉、
松本零士さんにとって
深い意味があったのだと思います。
松本零士さん、
長い間お疲れさまでした。
そして、たくさんの素敵な漫画ありがとうございました。
ご冥福をお祈りします

『宇宙戦艦ヤマト』や『銀河鉄道999』で多くのファンを魅了してきた、漫画家の松本零士さんが2月23日亡くなられました。85歳でした。
訃報に松本さんの漫画制作だったスタジオがコメントを出していて、その中に「漫画家松本零士が星の海に旅立ちました(略)『遠く時の輪の接する処で、また巡り会える』と松本は常々申しておりました」という一節があります。
この「遠く時の輪の接する処」という言葉そのものがタイトルになった、松本さんの著作にあります。
それが、2002年に東京書籍から出ている、この『遠く時の輪の接する処』です。
この本は1996年8月から10月にかけて「西日本新聞」に連載されたものに加筆した、松本さんの自伝です。
昭和13年福岡に生まれた松本さんがどのような生い立ちであったか、軍のパイロットであった父のことや貧しい生活のことが綴られています。
漫画家を目指し上京したものの作品が描けない日々、のちに松本さんの名を高めることになる漫画「男おいどん」そのままの悲惨な生活、そんな中でも夢見ていたアニメ制作のこと、そして大ヒットとなる「宇宙戦艦ヤマト」との出会い。
漫画家松本零士さんのことを知るには欠かせない一冊です。
この中に病気で亡くなった親友との別離の場面が綴られています。
松本さんが亡き友に寄せた弔文にこう書いたそうです。
「遠く時の輪の接する処で、また親友として巡り会おう。俺はそう信じている」
そして、今、松本さんも旅立たれた。
私たちもいつかまた、「時の輪の接する処」で松本さんと会えるにちがいない。
(2023/03/02 投稿)

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レビュープラス

元福音館書店の社長で多くの絵本を出版されてきた
松居直(まついただし)さんが
11月2日96歳で亡くなられました。
その訃報を知ったのは5日の朝刊で
ちょうどその日
図書館に予約していた松居直さんの
『私のことば体験』という新刊が貸し出しできますと
連絡がはいりました。
まるで松居直さんから早く読んでみてと
いわれたみたいで、
すぐに読みました。
この本は2022年9月に出たばかりで、
松居直さんの娘さんである小風さちさんが
「あとがきにかえて」という文章を載せています。
この文章がとてもいいのです。
その最後に小風さちさんはこう締めくくっています。
「ことば」という宝物を大切に守り、携え、
多くの良き人々に巡り合うことができた父の旅は、
どんなにか豊かで、楽しいものであったことでしょう。
そしてそのことを、父は今、どれほど感謝していることでしょう。
松居直さん
たくさんの素敵な絵本をありがとうございました。
ご冥福をお祈りします

もしその人がいなければ、ある世界の様相が随分ちがっただろうと思うことがあります。
松居直(まついただし)さんは間違いなくそんな一人です。
もし松井さんがいなければ、戦後の児童文学、特に絵本の世界はまるでちがったのではないでしょうか。
『ぐりとぐら』や『だるまちゃんとてんぐちゃん』といった、今でも読み継がれる絵本にも出会えなかったかもしれません。
この本はそんな松井さんが月刊誌「母の友」に2009年から2011年にかけて連載した自伝風エッセイです。
のちに福音館書店を立ち上げ多くの絵本や児童書の出版に携わることになる松居さんの本との出会いは、寝る前に母が読んでくれた絵本だといいます。
その時のことを松居さんは「日本語の最高のことばの世界を、幼児期に耳から聞いたということ。これがかけがえのないことだった」と書いています。
それとよく似たことを松居さん自身が子を持って体験しています。
まだ1歳になったばかりの子供が先日読んであげたばかりの絵本をまた読んでとねだったというのです。
字が読めなくとも、絵と声で面白い世界を感じ取ったのでしょう。
この本では幼少の時から大学、それからふとした出会いで金沢の小さな出版社に就職し、やがて福音館書店として子供の本の出版に携わっていく姿だけでなく、その後石井桃子さんやかこさとし(加古里子)さんなどの絵本作家との出会いと交流も綴られています。
本の最後に、松居さんはこんな文章を綴っています。
「子どもの本の出版というのは未来志向だと思うんです。どういう人間に育つように絵本を、あるいは本を、児童文学を、子どもたちに渡していくかということ。」
この本は、もしかしたら松居直さんから私たちに渡されたバトンなのかもしれません。
(2022/11/08 投稿)

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レビュープラス

79歳だった。
近年は難病に冒され、ベッドで闘病生活をしている
痩せた猪木の映像を見ることが多く、悲しかった。
最盛期のアントニオ猪木はどんなに素晴らしかったことか。
なんといっても、かっこよかった。
スピード、闘志、技のきれ、どれをとってもかっこよかった。

ボクシング世界ヘビー級チャンピオンモハメド・アリとの
異種格闘技戦。
1976年(昭和51年)6月26日。
この試合を私はどこで見たのだったのか、
思い出そうとするのだが、それがでてこない。
しかし、この試合をテレビの実況中継で見たことは間違いない。
マットに寝転んでキックを出す猪木。
それを嫌がるアリ。
なんとも無様な試合であったが、最後まで見続けたということは
やはりそこに何か大きな期待があったからだろう。
それは青春の夢によく似ていた。

プロレスラーとして大きな曲がり角にあったといえる。
その年のアントニオ猪木の試合を描いたのが、
柳澤健さんの『1976年のアントニオ猪木』だ。
けれど、この本にはその年の猪木だけでなく、
それ以前のプロレスラーとして覚醒していく姿も
その年のあとの猪木についての様々な毀誉褒貶も
描かれている。
美と強さを兼ね備えた男が快感に打ち震えつつ、
怒りに身を任せたまま善悪の境界、
倫理の境界を軽々と超えていく。
そんな猪木のエロティックなプロレスに
70年代のティーンエイジャーたちは強く反応した。
柳澤さんが描いたそのまま、
それが十代後半の私だった。

アントニオ猪木とはどんなスターであったのか、
どれほどかっこよかったのか
本の向こう側の思い出の白いマットを
縦横無尽に動き回るアントニオ猪木の姿が浮かんで仕方なかった。
アントニオ猪木さん、
あなたはかっこよかった。
ご冥福をお祈りします。

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10/09/2022 追悼・絵本画家 山脇百合子さん - 『ぐりとぐら』の挿絵、ありがとうございました

絵本画家の山脇百合子さんが
9月29日に亡くなられました。
80歳でした。
『ぐりとぐら』が初めて刊行されたのは1963年。
以来、今でも読み継がれているロングセラーの絵本です。
文を書いたのは
百合子さんの実姉の中川李枝子さん。
『ぐりとぐら』の表紙には
「なかがわりえこ と おおむらゆりこ」と
子供でも読めるようにひらがな表記になっています。
百合子さんはこの頃は旧姓の大村です。
結婚して山脇百合子になりました。

多く使われています。
『いやいやえん』の挿絵もそうで、
その頃は百合子さんはまだ高校生だったそうです。
美術部に所属していたとはいえ、
大胆な起用です。
挿絵のお礼がチョコレート一枚というのも
ほほえましい。

「らくがきでしたが、きっと子どもはこの絵が好き」だと
感じたといいます。
『ぐりとぐら』がいつまでも愛されるのは
百合子さんの絵の魅力も大きな要因なんでしょう。
ちなみに
ぐりとぐらは野ネズミの双子のきょうだいで
青い服が「ぐり」、赤い服が「ぐら」です。

すてきな絵をありがとうございました。
ご冥福をお祈りします

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