プレゼント 書評こぼれ話

  日野原重明さんの訃報に
  日本中が悲しみに視線を落としました。
  105歳という年齢を聞けば
  その死は納得がいくのですが
  日野原重明さんの場合だけは
  それでも惜しまれてならない。
  そんな感じです。
  私は日野原重明という人を
  よく知りませんでした。
  訃報に接して
  日野原重明さんが
  日本経済新聞の「私の履歴書」を書いていて
  その連載を主とした
  本があることを知りました。
  それが、この『人生、これからが本番』。
  日野原重明さんという人を
  たどるには
  いい本だと思います。

  ご冥福をお祈りします。
  
  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  追悼・日野原重明さん - あなたが教えてくれたこと                   

 先日(2017年7月18日)、医師で聖路加国際病院名誉院長だった日野原重明さんが亡くなった。105歳であった。
 確か瀬戸内寂聴さんだったと思うが、故人を偲んでのコメントで「この人は死なないと思っていた」というようなことを話していたが、そう感じていた人は多かったのではないだろうか。
 『人生、これからが本番』というタイトルがついたこの本を上梓した時(2006年)、すでに日野原さんは94歳だったのだから驚く。
 普通の人だったら終わっていてもいい年齢ながら、日野原さんは「これから」だという。
 そういう日野原さんに勇気をもらった人は多い。

 日野原重明という人はどんな人物だったのか。
 実は日野原さんは1990年に日本経済新聞の人気コラム「私の履歴書」に執筆をしている。
 その時、日野原さんは79歳。
 ここまでの半生で、日野原さんの人生を大きく変えた「よど号ハイジャック事件」(1970年に起こった事件で、この時日野原さんはこの飛行機に乗り合わせていた)はあったものの、その後日野原さんが人命救護で活躍された1995年の地下鉄サリン事件はもう少しあとだ。
 さらに2001年には『生きかた上手』という本がベストセラーになって、ここで「日野原ブーム」が起こる。そして2005年に文化勲章受章。

 そんな日野原さんの人生を見ていくと、人生には幾度となく「本番」と呼ぶべきイベントが訪れるのがよくわかる。
 それは日野原さんだからではなく、誰にも等しく訪れるものだ。
 人はいつか死を迎えるが、命の火が消えるまで、「本番」がやってくるかもしれない。
 日野原重明さんはそういうことを教えてくれた人だった。
  
(2017/07/25 投稿)

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  昨日(4月5日)の夕刻、
  詩人の大岡信(まこと)さんの訃報が
  速報で流れました。
  86歳だったそうです。
  私にとって
  大岡信さんは詩人であるよりは
  朝日新聞朝刊に連載していた
  「折々のうた」の著者としてありました。
  1979年1月25日、
  この日から連載が始まりました。
  このコラムで
  日本の短詩の魅力にはまった人も多かったと思います。
  連載が岩波新書としてまとめられて
  第一集が刊行されたのが
  1980年3月です。
  その「あとがき」で大岡信さんは
  新書予告の一文を再掲しています。

    和歌も漢詩も、歌謡も俳諧も、今日の詩歌も、ひっくるめてわれわれの詩、
    万人に開かれた言葉の宝庫。
    この常識を、わけても若い人々に語りたい。

  日本語の美しさはこの本から
  教えてもらったように
  今更ながら感謝しています。
  今日は追悼の意を込めて
  昨年7月に書いた
  『自選 大岡信詩集』を再録書評
  掲載します。

  心からご冥福をお祈りします。

  大岡信さん ありがとうございました。

  

sai.wingpen  詩人とは                   

 詩人大岡信(まこと)に注目したのは、昭和54年(1979年)から朝日新聞で始まった「折々のうた」以降だ。
 そういう人は多いだろう。
 短詩に大岡による短いコメントが付記されたこの連載は好評を博し、2007年まで連載された。新聞連載のあとには1年分がまとめられて岩波新書で出版された。
 そういう啓蒙的な活動に注目が集まってが、大岡は詩人である。
 こうして岩波文庫で、自選となるぶ厚い詩集が出るくらいであるから。

 しかし、正直にいえば大岡の詩はほんのいくつかを除いてほとんど今回が初めてといっていい。
 最近岩波文庫になった詩人でいえば、谷川俊太郎や茨木のり子、あるいは石垣りんといった戦後の詩人に比べて聞き知った詩は断然少ない。
 彼らの詩が時に平易すぎるような言葉で紡がれている一方、大岡の詩は極めて真面目な印象を受ける。
 それは、この文庫の解説を書いた三浦雅士の文章から引用すれば、「まず批評家として登場」したことが原因しているのだろうか。
 批評家としての言葉と詩人としての言葉のありようが違うのかもしれない。
 教科書的な、という感じさえする。

 けれど、そんな大岡がいなければ、現代の日本語はもっと小さな世界になっていたかもしれない。
 自ら歌うことはなかったが「折々のうた」で大岡が為したことの意味は大きい。
 詩人はただ歌うのではなく、詩のこころを広めることも使命である。

 最後に書き留めておくと、大岡の詩では「はる なつ あき ふゆ」がいい。
   
(2016/07/15 投稿)

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  絵本作家のディック・ブルーナさんの
  訃報には驚きました。
  89歳の人生で
  どれだけの作品を残したでしょう。
  私の娘たちも
  小さい頃はブルーナさんが描いた作品に
  夢中になっていたものです。
  ぜひブルーナさんの作品を紹介したいと思って
  せっかくなので
  石井桃子さん(この絵本ではいしいももこと平仮名表記)が
  訳された絵本と思い
  『ちいさなうさこちゃん』にしました。
  もちろんブルーナさんの絵本は
  たくさん出ていますので
  子どもの頃に読んだという人も
  ぜひもう一度読んでみて下さい。

  ご冥福をお祈りします。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  追悼・ディック・ブルーナさん - これからも愛され続けるだろう、うさこちゃん                   

 世の中には有名なウサギがたんといます。
 『不思議な国のアリス』に出てくる白うさぎやビアトリクス・ポターの児童書に登場するピーターラビットなどは中でも有名。
 彼らに負けないくらい有名なのが、もしかしたらディック・ブルーナのこの絵本に出てくる
 「ちいさいうさこちゃん」かもしれません。
 このうさぎの絵がついたお弁当箱やお道具入れを持っていた子どもたちもたくさんいたのではないでしょうか。

 この絵本を描いたディック・ブルーナさんが2017年2月17日に亡くなられました。
 89歳でした。
 ブルーナさんはオランダのデザイナーで絵本作家です。
 もちろんオランダだけでなく世界中の子どもたちに愛された絵本作家ですが、日本でもブルーナさんが描いたうさこちゃんやミッフイーは知らない人がいないのではないでしょうか。
 ブルーナさんの絵の素晴らしさはなんといってもぱっと目をひく色です。
 これは「ブルーナカラー」と呼ばれているそうで、赤や黄色、緑、青といった色が鮮やかに使われています。
 それと造形の線。うさこちゃんを見ればわかるように、とてもシンプルだけど、強い線といえると思います。
 この色と線が、赤ちゃんからも愛される魅力ではないでしょうか。

 この絵本の奧付を読むと、1964年6月発行とあります。そして、2010年に改版されています。
 つまりこの絵本が日本で刊行されてから半世紀以上経ちます。
 それでも今も読み継がれているのですから、すごいというしかありません。
 そして、ブルーナさんにこう言いたい。
 ありがとう、ブルーナさん。
  
(2017/02/26 投稿)

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  自民党の強さだけが目立った
  参議院選挙。
  そんな選挙結果にざわざわしていた昨日(7月11日)、
  突然永六輔さん死去の報が流れました。
  たまたま図書館にいたので
  永六輔さんの大ベストセラー『大往生』を
  その場で再読しました。
  この新書を読んだのはもう20年以上も前のことです。
  この本を書いた時、
  永六輔さんは60歳。
  なんと現在の私よりも若かった。
  この本の最後に
  中村八大さんとの最後の作詞となった
  こんな歌が載っています。

    あなたがこの世に生まれ
    あなたがこの世を去る
    私がこの世に生まれ
    私がこの世を去る
    その時 涙があるか
    その時 愛があるか
    そこに幸せな別れが
    あるだろうか

  永六輔さんは亡くなったけれど
  それは83歳の永六輔さんが示してくれた
  死の順番だと思います。
  ずっと普段着だった永六輔さん、
  永六輔さんが作った歌は
  これからもずっと歌い継がれていくと思います。

  ご冥福を心からお祈りします。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  追悼・永六輔さん - 先に往っただけ                   

 独特の語り口で多くの人に愛された永六輔さんが亡くなった。83歳だった。
 永さんの肩書は放送作家、作詞家、ラジオのパーソナリティ、著述家など実に多彩だった。
 私が永さんのラジオ番組をよく聴いていたのはちょうど永さんが尺貫法に異を唱えていた頃で、1970年代後半でしょうか。
 テレビのない学生生活で、部屋の中の娯楽はラジオだった時代です。

 永さんが岩波新書にこの『大往生』を書いたのは1994年。200万部を売る大ベストセラーになりました。
 老いや病気、あるいは死を永さんは町の無名の人たちの言葉を拾い集めて、読者の視点で描いてくれました。
 この本の中でも紹介されていますが、「子供叱るな/来た道だもの/年寄り笑うな/行く道だもの」は、永さんが犬山の寺の門前の掲示板から写したもので、永さんのラジオ番組でも聴いた記憶があります。
 とても印象深い言葉です。

 作詞家としては坂本九さんの名曲「上を向いて歩こう」や「見上げてごらん夜の星を」が知られています。「遠くへ行きたい」も永さんの作詞です。
 作曲は盟友中村八大さんといずみたくさん。二人に作詞を提供する困難を感じて作詞家を断念したと、この本には書かれています。
 「まえがき」で永さんはこの本を90歳で亡くなった父に捧げると記していますが、子や孫に見守られながら逝った父を「これ以上の死に方はない」と敬意を払っている。
 永さんには先達の人から順番に死んでいくこと、その姿を残されて者たちにしっかり見せることという強い思いがあったのでしょう。

 「大往生」というのは、死ぬことではない、と永さんは書いています。
 「往生は往って生きること」だと。
 永六輔さんは、先に往っただけのこと。
 それが永六輔という人の心情だったのですから、まさに「大往生」です。
  
(2016/07/12 投稿)

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  昭和の大女優原節子さんが
  今年の9月5日に亡くなっていたという報には
  驚きました。
  そのあと、追悼企画でNHKBSプレミアムが
  原節子さんの主演された
  小津安二郎の「東京物語」を放映していました。

  

  この映画を観るのは
  何度めでしょうか。
  いつ見ても、原節子さんは綺麗だし、
  小津調と呼ばれる画面は
  なんとも美しい。
  原節子さんと小津安二郎
  二人の間には恋愛感情があったという噂があります。
  その真実はわかりませんが
  この『殉愛 原節子と小津安二郎』の著者
  西村雄一郎さんは
  愛があればこそ
  これほどにこの映画の原節子さんは
  美しかったのではと
  しています。
  あまりにも美しすぎる愛。
  そんな伝説を残して
  原節子さんは逝ってしまいました。

  ご冥福をお祈りします。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  追悼・原節子さん - 私、猾いんです                   

 「永遠の処女」と呼ばれた昭和の大女優原節子さんが2015年9月5日に亡くなっていたことが公表され、師走の街を驚かせた。
 原節子さんは昭和37年の「忠臣蔵 花の巻・雪の巻」(稲垣浩監督)を最後に銀幕から忽然と姿を消したので、現役時代の原さんの姿を知っている世代も少なくなっている。
 それでも、原さんの姿が私たちに鮮明に残っているのは、世界の映画史の中でも屈指の名作といわれる小津安二郎監督の「東京物語」(昭和28年)への出演があるからだろう。
 私も原さんの姿を初めて銀幕で観たのは小津作品だったと思う。
 原さんのどちらかといえば大づくりの容姿は端正の美しさとはいい難い。けれど、観るものを惹きこむ力は強い。私も、なんて美しい人だと思った。

 原さんは何故銀幕から姿を消したのか。そして、何故隠遁生活のような暮らしを送ったのか。さまざまな憶測は、謎が深い分、飛び交う。
 映画評論家西村雄一郎さんのこの本はそんな原さんの姿を興味本位で描いてはいない。
 では何故西村氏はこの本を書くに及んだか。その動機を西村氏は「小津映画六作に登場した時の、原節子のあの官能的といっていいほどの異常の美しさは何だろう」、それを検証したかったという。
 西村氏がとった手法は、「映画を見直し、資料を吟味し、現地を自分の足で歩き、関係者にウンタビューし、想像力を駆使」したものだ。
 答えは、この本のタイトルに出ている。

 西村氏はこう書く。
 「『東京物語』は、小津が原節子に宛てたラブレターだ。原節子は人生を賭けてそれに答えた。それこそが、まさに「メロドラマ」なのである」
 もちろん、真実は、原さんが亡くなった今、誰も知り得ることはできない。
 還暦を迎えた誕生日のその日亡くなった小津安二郎、彼の業績を顕彰する碑に原節子という芸名でなく本名の「会田昌江」で基金した原節子。

 「東京物語」の終盤、原さんが演じた紀子は、こんな台詞をいう。
 「私、猾いんです」。
 小津安二郎との関係を問われれば、やはり「私、猾いんです」と原さんは答えたかもしれない。
 原節子さんを知らない若い読者にはぜひ読んでもらいたい、愛の一冊だ。
  
(2015/12/16 投稿)

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