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プレゼント 書評こぼれ話

  前川恒雄といっても
  知らない人が多いかもしれません。
  図書館学を勉強した人なら
  知っているでしょうが。
  私は何故かこの人の名前だけは目にしていたことがあって
  なので
  その訃報には少し心が痛みました。
  4月10日のことです。
  前川恒雄さんは89歳でした。
  今日紹介する
  『移動図書館ひまわり号』は
  前川恒雄さんが図書館開設に向けて
  奮闘する話ですが
  それよりも現在の図書館の姿を牽引する姿に
  感動します。

    図書館は、人々が本と出合い本を利用することによって、
    自分の可能性を発見し育てていく所

  この本の一節です。
  図書館で働く人たち、
  図書館を利用する私たちが
  忘れてはならない言葉だと思います。

  ご冥福をお祈りします。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  追悼・前川恒雄さん - あなたに感謝                   

 新型コロナウイルスが急速に広がり始めていた2020年4月10日、一人の図書館学者が亡くなった。
 その後の4月23日の朝日新聞「天声人語」に「戦後日本の図書館のありようを大転換してくれた先人」と記されたその人こそ、前川恒雄、この本の著者であり、この本に描かれているように東京日野市立図書館の初代館長である。

 私たちが現在使っている公共図書館は本の所蔵数にしろ館の広さにしろ館内の明るさにしろ、なんとも快適な施設である。
 しかし、前川さんが日野市の図書館に関わるようになった昭和40年当時は図書館は暗くかび臭い印象がつきまとった施設であった。
 何しろ当時の図書館員は胸を張って自分の仕事が言えないほどであったという。
 前川さんが迎えられた日野市にしても、図書館があったわけではない。
 前川さんはじめスタッフが一から図書館作りを始め、その最初が「ひまわり号」と名付けられた移動図書館だった。

 移動図書館こそ「本当の図書館とは何かを、市民に肌で分かってもらうための唯一の方法」だった、とこの本に記した前川さんにとって、「本当の図書館」とは市民の求めに応じてしっかりと本を貸し出すところということだろう。
 今ではどこの図書館も当たり前のようにやっている「予約(リクエスト)サービス」も日本では前川さんたちの日野の図書館が最初だったそうだ。

 移動図書館から中央図書館の開館まで、この本に描かれているのは単に日野市の図書館の歩みではなく、この国の図書館の歩みでもある。
  
(2020/07/11 投稿)

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  「映像の魔術師」と呼ばれた
  映画監督の大林宣彦さんが82歳で亡くなったという
  ニュースがあった4月11日、
  偶然にも日本映画専門チャンネル
  2017年に制作された「花筐/HANAGATAMI」が放映されました。

  

  この作品で大林宣彦さんは
  その年のキネマ旬報監督賞を受賞しました。
  檀一雄の原作で
  随所に大林宣彦さんらしい映像のきらめきを感じる作品で
  戦争反対のメッセージを強く込めた
  作品でした。
  ただちょっとメッセージ性が強く出過ぎた作品のようにも
  感じました。

    戦争で亡くなった人を忘れないことが、
    平和とつくる方法。
    そういう映画をつくってきた。

  これは大林宣彦さんの言葉です。
  1970年代からずっと
  大林宣彦さんは若い映画青年たちの目標でもあったし
  トップランナーでもありました。
  今日は
  大林宣彦さんが最後に残した本、
  『戦争などいらない―未来を紡ぐ映画を(のこす言葉)』を
  再録書評で紹介します。

  大林宣彦監督
  たくさんのいい映画をありがとうございました

  ハイ! カット!

  

sai.wingpen  つないでいくことの大切さ                   

 平凡社「のこす言葉」シリーズは「人生の先輩が切実な言葉で伝える語り下ろし自伝」だが、その先輩たちが活躍している世界は、俳人あり歴史探偵あり冒険家あり児童文学者ありと、さまざまだ。
 大林宣彦さんは1938年(昭和13年)広島・尾道で生まれた映画監督だ。
 1977年39歳の時に「HOUSE/ハウス」で商業映画デビュー。その時にはすでに伝説の映画監督で、それまでにあの有名となった男性化粧品「マンダム」のCFを制作したのも大林さんだった。
 その後尾道を舞台にした「転校生」「時をかける少女」「さびしんぼう」の「尾道三部作」や同じ尾道を舞台にした「ふたり」などで人気監督となっていく。
 ただその作品数は多くない。それでも大林ファンは多い。
 2016年、肺がんで余命半年の宣告を受けながらも映画「花筐」を監督。この作品で2017年には多くの映画賞を受賞している。

 そんな大林さんの「のこす言葉」の副題に「戦争などいらない」とあるのは、大林さんには自分たちの世代が「敗戦後の国づくりを任された世代」という自覚があるからで、しかし、それも決してうまくはいかなかった。
 だからこそ、自分は「映画をつくる」のだと語っている。
 映画を通じて、次の世代に「戦争なだいらない」ということを伝えていく。
 大林さんは「記録は風化するけど、記憶は人の心に刻まれる」という。
 なぜ記憶は風化しないのか、それは「リアリズムではないけど、嘘であるけど、リアリズム以上の「心のまこと」を持っている」からだと。

 大林さんたちの世代から渡されたたいまつを私たちは消さずに次の世代に渡せるか。
 そのことの大切さを思う。
  
(2019/08/21 投稿)

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  新型コロナウイルスのニュースの中に
  小さな訃報記事を見つけました。
  歴史学者山本博文さん死去。
  3月29日のことです。
  まだ63歳という若さでした。
  特に山本博文さんの著作を読んできたわけではないが
  その名前が覚えやすいので
  気になる歴史学者の一人だったのは間違いない。
  そこで今日は山本博文さんの著作から
  『江戸人のこころ』を
  紹介します。
  この本はさいたま市の図書館から
  電子書籍として貸出をうけました。
  電子書籍を読んだ感想はまた別の機会にして。
  今日の書評のタイトルに使った「ただ惜しむべきは」は
  滝沢馬琴が息子を亡くした際に
  知人への手紙に綴った文言です。
  きっと多くの人が
  山本博文さんの死にそう思われているのではないでしょうか。

  ご冥福をお祈りします。

  

sai.wingpen  追悼・山本博文さん -ただ惜しむべきは                   

 手紙を書いたのはどれくらい前だろうか。その逆もそうで、手紙をもらったのも随分前になる。
 ITが進んでメールでのやりとりが増えて、手紙を書くという習慣がうんと減っている。
 もしかしたら「恋文」などという言葉も死語に近いかもしれない。
 昔の文豪なら「夏目漱石書簡集」のように残された手紙でその人の心情などを追体験することもあったが、現代ではどうだろう。「村上春樹書簡集」といったものが出版されるとも思えない。
 この本の著者山本博文氏は東京大学史料編纂所で戦国時代以降の書状について研究し、そこで得た知見をわかりやすい語り口で多くの著作をものにしてきた。
 1992年には日本エッセイスト・クラブ賞も受賞している。

 山本氏はこの本の冒頭に「個人的には手紙を読むのがいちばん楽しい」と書いている。
 何故なら「過去の人物の心に迫ることができる」からだという。
 そんな山本氏が「歴史上の人物の感情がよく示されているものを選んで紹介」しているのが本書であるが、赤穂浪士で有名な大高源五や「南総里見八犬伝」の滝沢馬琴といった有名人だけでなく、その頃来日していた英国人にあてた遊女の「恋文」や大奥の女中にはいった名主の娘が親に小遣いをせがる手紙や天璋院篤姫の好物を国元に所望する手紙など多岐に及んでいる。
 討ち入りを前に母に宛てた大高源五の手紙など切ないが、山本氏のいうようにある面「楽しい」のは、歴史という流れに洗われたせいかもしれない。
 こういう本をきっかけに歴史に興味をもつようになれば、著者もどんなにかうれしいことだろう。
  
(2020/04/03 投稿)

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  日本経済新聞の「私の履歴書」
  その人の半生をたどるに
  とても役に立つ一級の読み物です。
  2月11日に届いた
  野村克也さんの訃報のあと
  すぐに「私の履歴書」がないかと知らべると
  さすが野村克也さんだけあって
  ちゃんとありました。
  それが今日紹介する
  『無形の力 私の履歴書』です。
  ここでいう「無形の力」とは
  「情報収集力」「分析力」「観察力」「判断力」といった
  目には見えない力で
  野村克也さんはそれらが大切だと
  書かれています。
  この本にはその他にもいい話がたくさんあるのですが
  一つ書き留めておきます。

    どんな道を進むにしても、
    人間は物事に必死に取り組む時期がないと、
    大成することなどありえないのだ。

  ご冥福をお祈りします。

  さようなら、野村克也さん

  

sai.wingpen  追悼・野村克也さん - 生涯現役の人生だった                   

 日本経済新聞の朝刊の人気コラム「私の履歴書」は功成り名を遂げた著名人、それは政治家や経済人に限らず作家や俳優、スポーツ選手と幅広い、が自身の手でその半生を描くものだ。多くの人はその時点でほとんどの評価が決まっていたりして、このコラムに掲載されることを目ざしている人もいるとか聞く。
 2020年2月11日に84歳で亡くなったプロ野球選手野村克也さんも2005年5月に新聞連載をしている。
 この本はその新聞連載を初出とする単行本である。

 もちろん野村克也さんは連載時の次点ですでに功成り名を遂げたプロ野球選手だった。
 現役を引退したのは1980年、三冠王をはじめてとして本塁打、安打数ともに球史に残る記録を持ち、引退後は弱小球団であったヤクルトを日本一のチームに育てるなど、連載の時点でもう十分すぎるぐらいの経歴をもっていた、
 連載が始まったのはその当時パリーグのお荷物球団だった楽天。
 野村さんの凄さは、この楽天での監督以降、つまり書かれなかった「私の履歴書」第2章があるということだ。

 楽天の監督時代、あのマー君田中将大投手を神の子にまで高めた手腕、後年の代名詞となる「ぼやき」も楽天監督時にマスコミの話題を集めた。
 さらには沙知代夫人が亡くなったあとの切なる想い(この履歴書には沙知代夫人との出会いのことも書かれている)など、この連載以降の「履歴書」も読みたくなる。
 野村克也さんの「生涯一補手」は有名な言葉だが、まさに生涯現役の人生だったといえる。
  
(2020/02/18 投稿)

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  評論家でエッセイストでもあった
  坪内祐三さんが亡くなりました。
  朝日新聞の記事からです。

    評論家の坪内祐三さんが13日、心不全で死去した。61歳だった。
    1958年、ダイヤモンド社元社長の坪内嘉雄さんの長男として生まれた。
    雑誌「東京人」編集者を経て独立。コラム、書評、評論など執筆活動を始める。
    夏目漱石や南方熊楠ら同年生まれの青春時代をたどる
    『慶応三年生まれ 七人の旋毛(つむじ)曲(まが)り』で講談社エッセイ賞を受賞した。

  私は以前坪内祐三さんの本にはまったことがあって
  それというのも年が近いこともあって
  時代の気分がとてもよく似ているように感じていたせいだと
  思います。
  61歳という年齢は
  亡くなるにしてはあまりにも早すぎます。
  現在もたくさんの連載をかかえていた坪内祐三さん。
  一番悔しかったのは
  坪内祐三さん自身でしょう。
  今日は
  2005年に書いた
  坪内祐三さんの『私の体を通り過ぎていった雑誌たち』の蔵出し書評です。

  ご冥福をお祈りします。

  さようなら、坪内祐三さん。

  

sai.wingpen  追悼・坪内祐三さん - 同じ時代の空気をまとって                   

  「同時代」という言葉は今でも使われているのだろうか。
 この大仰な言い方は、それでも時代の気分というものがあり、それを口にするだけでいくつかの時代の謎が解けていったような気がする。
 一九五八年生まれの坪内祐三は一九五五年生まれの私にとってまさに「同時代」の著作家であり、坪内の作品に書かれた内容以上に共鳴するのは、この「同時代」という言葉がもっている雰囲気によく似ている。

 坪内はこの本のことをこう書いている。
 「私が出会い、何らかの影響を受けた、あるいはその時代を象徴していた雑誌について、私の個人的体験を描きながら、一つの時代の精神史(とは少し大げさであるが)を書き残そうと思った」。
 坪内と「同時代」を過ごした者として、個人的な体験は大きく違うものの(坪内は東京の街の子であるが、私は大阪の郊外の小都市の子供であった)、この本の中で彼が紹介する雑誌の多くが懐かしく、これこそが「同時代」を生きた者だけが共感しうる思いだと、この本を読みながら何度ほくそえんだことだろう。

 坪内が中学時代に出会ったという映画雑誌『スクリーン』。この本の中の図版として紹介されている『スクリーン』の表紙はキャンデス・バーゲンである。
 それがいつの号かはわからないが、この表紙には見覚えがあった。
 当時坪内同様、映画に夢中になりかけた私もまた、彼女が表紙の『スクリーン』を買ったのは間違いない。そして、坪内と同じようにこの『スクリーン』に掲載されていた双葉十三郎や淀川長治の連載記事に夢中になっていたのも事実だ。

 坪内のこの本の魅力は、例えば子供の頃に使っていた机のひきだしからメンコとかおまけのシールとかを見つけた時の思い、だろう。
 ひきだしには子供の頃の宝ものがいっぱいつまっている。
 今では何の役にも立たないけれど、その一つひとつがあの頃の自分を思い出してくれる。
 思い出は、ほろ苦く、甘酸っぱい。
 それこそが「同時代」的な感傷かもしれないが、どうしようもなく惹かれてしまう。
 坪内は書き留めた雑誌たちは、確かに一つの時代の精神史を彩ったものだったに違いない。
  
(2005/05/24 投稿)

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