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プレゼント 書評こぼれ話

  評論家でエッセイストでもあった
  坪内祐三さんが亡くなりました。
  朝日新聞の記事からです。

    評論家の坪内祐三さんが13日、心不全で死去した。61歳だった。
    1958年、ダイヤモンド社元社長の坪内嘉雄さんの長男として生まれた。
    雑誌「東京人」編集者を経て独立。コラム、書評、評論など執筆活動を始める。
    夏目漱石や南方熊楠ら同年生まれの青春時代をたどる
    『慶応三年生まれ 七人の旋毛(つむじ)曲(まが)り』で講談社エッセイ賞を受賞した。

  私は以前坪内祐三さんの本にはまったことがあって
  それというのも年が近いこともあって
  時代の気分がとてもよく似ているように感じていたせいだと
  思います。
  61歳という年齢は
  亡くなるにしてはあまりにも早すぎます。
  現在もたくさんの連載をかかえていた坪内祐三さん。
  一番悔しかったのは
  坪内祐三さん自身でしょう。
  今日は
  2005年に書いた
  坪内祐三さんの『私の体を通り過ぎていった雑誌たち』の蔵出し書評です。

  ご冥福をお祈りします。

  さようなら、坪内祐三さん。

  

sai.wingpen  追悼・坪内祐三さん - 同じ時代の空気をまとって                   

  「同時代」という言葉は今でも使われているのだろうか。
 この大仰な言い方は、それでも時代の気分というものがあり、それを口にするだけでいくつかの時代の謎が解けていったような気がする。
 一九五八年生まれの坪内祐三は一九五五年生まれの私にとってまさに「同時代」の著作家であり、坪内の作品に書かれた内容以上に共鳴するのは、この「同時代」という言葉がもっている雰囲気によく似ている。

 坪内はこの本のことをこう書いている。
 「私が出会い、何らかの影響を受けた、あるいはその時代を象徴していた雑誌について、私の個人的体験を描きながら、一つの時代の精神史(とは少し大げさであるが)を書き残そうと思った」。
 坪内と「同時代」を過ごした者として、個人的な体験は大きく違うものの(坪内は東京の街の子であるが、私は大阪の郊外の小都市の子供であった)、この本の中で彼が紹介する雑誌の多くが懐かしく、これこそが「同時代」を生きた者だけが共感しうる思いだと、この本を読みながら何度ほくそえんだことだろう。

 坪内が中学時代に出会ったという映画雑誌『スクリーン』。この本の中の図版として紹介されている『スクリーン』の表紙はキャンデス・バーゲンである。
 それがいつの号かはわからないが、この表紙には見覚えがあった。
 当時坪内同様、映画に夢中になりかけた私もまた、彼女が表紙の『スクリーン』を買ったのは間違いない。そして、坪内と同じようにこの『スクリーン』に掲載されていた双葉十三郎や淀川長治の連載記事に夢中になっていたのも事実だ。

 坪内のこの本の魅力は、例えば子供の頃に使っていた机のひきだしからメンコとかおまけのシールとかを見つけた時の思い、だろう。
 ひきだしには子供の頃の宝ものがいっぱいつまっている。
 今では何の役にも立たないけれど、その一つひとつがあの頃の自分を思い出してくれる。
 思い出は、ほろ苦く、甘酸っぱい。
 それこそが「同時代」的な感傷かもしれないが、どうしようもなく惹かれてしまう。
 坪内は書き留めた雑誌たちは、確かに一つの時代の精神史を彩ったものだったに違いない。
  
(2005/05/24 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日から11月
  来週には立冬ですから
  まさに晩秋。

    帰るのはそこ晩秋の大きな木     坪内 稔典

  和田誠さんの訃報から
  まもなく一ヶ月ですが
  幸いなことに
  和田誠さんにはたくさんの著作があるので
  会いたくなれば
  いつでも会える。
  そのことで悲しみが少しは癒えます。
  今日は
  和田誠さんの青春期ともいえるエッセイ
  『銀座界隈ドキドキの日々』を
  紹介します。
  こんなに面白い本を
  読んでこなかったなんて。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  友だち100人できるかな                   

 10月7日に83歳で亡くなった和田誠さんはイラストレーターという職業を持っているが、その活動はそれだけでなく、映画監督、翻訳、絵本作家、そしてこの作品のようなエッセイストと多岐にわたる。
しかもその分野において評価が高いのだから、すごいというしかない。
例えば、この作品で第9回講談社エッセイ賞を受賞しているように。
そんな和田さんだが、生まれてすぐに才能が開花したわけではない。
このエッセイは和田さんがどんなふうにたくさんの才能を持った和田誠になっていったかを描いた(と自身は思っていないだろうが)作品になっている。

和田さんは1936年生まれ。1959年に多摩美術大学を卒業して、西銀座にあったデザイン会社ライト・パブリシティに就職をする。
タイトルに「銀座界隈」とあるのは、この会社で働いていた9年間を描いたものだからだ。
ここで働きながら、和田さんの名前を一躍有名にする「ハイライト」という煙草のパッケージを生み出すことになったりする。

そして、そんな業績以上に和田さんを和田誠に成長させたのは交友関係の広さだろう。
このエッセイにどれだけの有名無名に関わらず人の名前が登場するかわからないが、例えば寺山修司であったり横尾忠則であったり谷川俊太郎であったり篠山紀信であったり田島征三であったり、枚挙にいとまがない。
ただ残念なのは、まだここには妻となる平野レミさんは登場しない。

交友関係だけでなく、NHK「みんなのうた」の第1回めの歌のアニメーションを担当したり、森山良子さんの名曲「この広い野原いっぱい」の作詞にまつわるエピソードなど、昭和30年代から40年代にかけての歴史の証言としても、この本は面白い。
  
(2019/11/01 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  台風19号が明日にも
  関東に接近しそうということで
  ベランダにある細々としたものを片付け、
  今頃どのあたりかと
  ネットを開くと
  イラストレーター和田誠さん死去のニュースが
  入っていました。

    イラストレーターで映画監督やエッセー執筆など多彩な活動で知られた
    和田誠(わだ・まこと)さんが7日、肺炎のため死去した。83歳。

  私にとっては超大型台風並みの訃報に
  ただただ呆然としています。
  和田誠さんのイラストにどんなに影響を受けたことか、
  そのきっかけは
  今日再録書評で取り上げた
  『お楽しみはこれからだ』だったといえます。
  和田誠さんの映画の似顔絵は
  映画好きな和田誠さんならではの
  愛を感じる作品です。
  もちろんそれだけではありません。
  和田誠さんは絵本も
  本の装幀もたくさんあります。
  それらにはいつも和田誠さんの愛があったように思います。
  なんだか、つらいです。
  追悼の記事に『お楽しみはこれからだ』なんて
  言っていいのかと思いましたが、
  いいんですよね、和田誠さん。

  ずっと、
  ありがとうございました。

  ご冥福をお祈りします。

  

sai.wingpen  追悼・和田誠さん - お楽しみはこれからだ、って言ってよ、和田さん                   

 映画ファンなら必読の一冊。
 といっても、かなり古いから若い人は知らないかも。
 1975年6月30日発行とあって、私が持っているのは1976年4月の第6刷。一年足らずでかなりの数売れているのがわかる。
 そもそもこの本は映画雑誌「キネマ旬報」での連載がもとになっている。
 連載がスタートしたのは1972年10月。
 この年の「キネマ旬報読者賞」はこの連載に贈られたが、それが栄えある第1回受賞となった。

 和田誠さんはイラストレーターだが、映画の造詣が深い。
 絵も描けて、映画の話ができる。
 そこで、映画に登場した名セリフをイラスト付きで毎号4ページ書いていくのだから、しかも「キネマ旬報」は月2回の発行だから、結構大変な作業だ。
 しかも当時はビデオやDVDなんてないから、和田さんの記憶だけで書かれているわけで、それだけでもう頭がさがる。

 この本にはとても影響を受けた。
 まず、何かの折の言葉の端々で「お楽しみはこれからだ」(これはもともと「ジョルスン物語」の名セリフ)を使わせてもらってし、和田さんの手書きの文字のイラストは結構真似たもの。今でもそれなりの感じで書くことができる。
 ただ俳優たちの似顔絵はとても描けない。
 和田さんの場合、単に似ているだけでなく、映画の気分そのものが描けているからすごい。

 第1巻めにあたるこの本の中の私のお気に入りのセリフは、フェリーニの名作「道」の、こんなもの。
 「どんなものでも何かの役に立つんだ。たとえばこの小石だって役に立っている。空の星だってそうだ。君もそうなんだ」。
 有名な、そしてとってもいいセリフだ。
  
(2017/08/02 投稿)

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 雪原を走り抜ける蒸気機関車、
 雪に埋もれた駅舎のホームに立って駅長が鳴らす警笛は
 悲しげに長く遠く冬の空を駆けのぼっていく。
 そんな名シーンが胸を打つ。
 1999年に封切られた、浅田次郎さんの直木賞受賞作を原作にした
 名匠降旗康男監督の映画「鉄道員 ぽっぽや」で涙した人は多いのではないだろうか。

  

 この作品だけではない。
 高倉健さんとタッグを組んだ名作がずらりと並ぶ。
 「駅 STATION」「居酒屋兆治」「ホタル」「あなたへ」。
 その降旗康男監督が5月20日に亡くなった。
 84歳だった。

 映画監督といえば、
 黒澤明小津安二郎といった世界的な監督として讃えられる巨匠もいる。
 そんな巨匠にはならなかったが、
 降旗康男監督は高倉健という名優と木村大作という名カメラマンとともに記憶に残る作品を撮り続けた。
 訃報を聞いて、家にあった「鉄道員 ぽっぽや」の映画をもう一度観た。
 やっぱり高倉健さんがいい。
 元キャンディーズの田中好子さんも出ていた。
 高倉健さんも田中好子さんも、もういないんだ。
 そして、降旗康男監督も旅立った。

 昨日(5月30日)の朝日新聞朝刊の
 「天声人語」に降旗康男監督のことが載った。
 最後にこう綴られていた。

   いわゆる巨匠然とした映画人ではなかった。
   それでも弱く、はかなく、寂しい人間たちに寄せる共感は
   限りなく深い。
   ごく普通の人々の胸にしみわたる作品が
   数多く残された。

 映画は難しい顔をして観るのではない。
 観終わった時に、ふっと心のどこかが温かくなっていればいい。
 降旗康男監督の作品には
 そんな心に灯るあかりがある。

 ご冥福をお祈りします。

 今頃、天国で高倉健さんと
 どんな映画を撮ろうか相談しているのじゃないか。

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   ショーケンが死んだ!

 普通なら俳優萩原健一さんが3月26日に急逝したと
 書くところだが、
 彼の場合はやはり冒頭の言葉が似合う。
 私の中で彼はずっとショーケンだった。
 68歳とあまりにも若い過ぎる死に
 呆然となるが、
 人気ドラマ「太陽にほえろ!」で
 演じていたマカロニ刑事の殉職シーンが強烈だったので
 なんだかその死のシーンと重なるようである。
 確か立ちションをしていて暴漢に襲われたはず。
 最後のセリフは「かあちゃん…暑いなぁ…」だったとか。

 ショーケンはグループサウンズ全盛の時から
 その存在は抜きん出ていた。
 ザ・テンプターズの楽曲も好きだったが
 やはりなんといっても
 グループ解散後の
 俳優としての活動が抜きん出ていた。
 俳優としての本格デビューは
 斎藤耕一監督の「約束」(1972年)で
 この映画は私の生涯のベストスリーに入るほどの作品で
 共演の岸恵子さんとの
 切なすぎる恋愛映画だが
 チンピラを演じるショーケンの存在感が光った。

  

 ショーケンというのは
 どこかで幼児性を持っていて
 時々幼児言語ともいえる高い音を発するのも
 その表れのよう気がする。
 彼が女性にもてたのもうなずける。

 この映画を皮切りに
 「股旅」(1973年・市川崑)や
 「青春の蹉跌」(1974年・神代辰巳)と
 70年代の映画界を席巻した。
 特に「青春の蹉跌」ではその年のキネマ旬報最優秀主演男優賞を受賞。

  

 「約束」もそうだが、
 「青春の蹉跌」も何度見ただろうか。
 私の青春の映画に
 ショーケンは欠かせない俳優だった。

 そのあと、
 先の「太陽にほえろ!」や「前略おふくろ様」「傷だらけの天使」などの
 テレビドラマでも大活躍をする。
 あの当時を生きた人なら
 「傷だらけの天使」の冒頭シーンの
 トマト丸かじりを試したみた人も多いのではないだろうか。

 そんな全盛期を経て
 ショーケンはそのあと数度の逮捕や離婚等を経験する。
 それでも多くのファンは彼を見放さなかった。
 ノンフィクション作家本田靖春
 いしだあゆみさんとの離婚前に
 ショーケンにインタビューをしていて
 それは『戦後の巨星 二十四の物語』のひとつとして
 収められている。

  

 本田靖春
 ショーケンは「捨てがたい「人生の景色」を見せ続けてくれ」た役者だといい、
 「よけいなお世話だが、
 再起をはかる彼に励ましの言葉をかけてやりたい
」と
 インタビューのゲストに迎えたという。

 誰もがそんな風に感じる、
 彼は稀有な役者だったのだ。

  ショーケン、ありがとう。

  ご冥福をお祈りします。

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