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 漫画家・鳥山明さんが3月1日、68歳で亡くなったという訃報が
 先日の金曜日、全世界に衝撃をあたえました。
 どれほど大きな悲しみであったか、
 朝日新聞では昨日の土曜日の一面での扱いでしたし、
 関連記事は海外ニュースや社会面にも載っていました。
 鳥山明という名前を知らない人がいても
 鳥山さんが描いた「Dr.スランプ」や「ドラゴンボール」といった作品名を聞けば
 知らない人はいないのではないでしょうか。

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 訃報の中で初めて知ったのですが、
 鳥山明さんは1955年4月5日生まれ。
 私とまったくの同世代にあたります。
 私たちの世代でいえば、やはり手塚治虫漫画に憧れていたのでしょう。
 今、漫画は日本を代表する文化ですが、
 ここに至るまで何代もの世代があるように思います。
 鳥山さんや私のような昭和30年世代にとって
 漫画といえば手塚治虫石森章太郎の時代。
 そして、「巨人の星」や「あしたのジョー」へと続きます。
 雑誌でいえば、「少年サンデー」や「少年マガジン」となるでしょう。

 それに続くのは「少年ジャンプ」の創刊とともに
 永井豪本宮ひろ志らの登場でしょう。
 鳥山明さんが「少年ジャンプ」に「Dr.スランプ」の連載を始めたのは1980年。
 鳥山さんが25歳の時ですから、漫画家のデビューとしては早くありません。
 その後、「Dr.スランプ」はテレビアニメとなり、大ブームとなります。
 放送が始まったのが1981年。
 私が鳥山明という漫画家を知ることになったのは、この時が最初で、
 なんときれいな線の絵を描く漫画家だろうと思いました。
 また、そのキャラクターの個性にも魅きこまれました。
 この年、私にも娘が生まれ、その娘が成長するのと歩調を合わせるように
 鳥山明さんの漫画はその後「ドラゴンボール」などのヒット作を続けていきます。
 なので、私にとってというよりも
 私の娘世代の方が鳥山明さんの漫画に親しんだかもしれません。

 その後、鳥山明さんのあとを追うように
 多くの若い漫画家が世にでていきます。
 その意味では鳥山明さんという漫画家は
 手塚治虫から世界に羽ばたく漫画世代へとつなげる
 おおきな役割を果たした人だといえます。

 きっと多くの人がこれからも鳥山明さんの漫画を楽しみにしていたと思います。
 とても残念ですが、
 鳥山明さんの残したものは日本の漫画において
 大きな遺産だということはかわりません。

 鳥山明さん
 ありがとうございました。

 ご冥福をお祈りします

 ばいちゃ。

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 「世界のオザワ」と評された、指揮者の小澤征爾さんが
 2月6日に88歳で亡くなりました。
 クラシック音楽のことを知らない人でも、
 そのお名前や晩年の白髪長髪で指揮する姿は広く知られていると思います。
 訃報のあと11日の日曜日の朝日新聞朝刊2面に
 親交のあった作家村上春樹氏の「小澤征爾さんを失って」という長文の
 寄稿が載っていました。
 著名な人の逝去のあと、親交のあった人が新聞に寄稿することがよくありますが、
 今回のように朝刊2面全部に載るということはとても稀なことで、
 そのことで小澤征爾さんの大きさを改めて知ることになりました。

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 この『おわらない音楽』は、ちょうど10年前の2014年1月に
 日本経済新聞の人気コラム「私の履歴書」に掲載された
 小澤征爾さん自身による半生記です。
 「私の履歴書」は毎月その執筆者が違いますが、やはり年はじめの1月は
 大物有名人による執筆の場合が多く、
 さすがに小澤征爾さんはビッグネーム扱いだったのだと思います。

 小澤征爾さんのことをほとんど知らないものにとって、
 小澤征爾さんというのは「天才」と思いがちですが、
 この「履歴書」を読むかぎり、決してそんなことはありません。
 連載の最初の回で、こんな文章が書かれています。
 「だいたい指揮者という商売は、自分一人ではどんな音だって出せない。
 演奏家や歌い手がいて初めて音楽が生まれる。宿命的に人の力がいるのだ。
 だからこそ、この「履歴書」は、「どんな人に支えられてきたか」、
 そんな恩人を紹介するものだと綴っているのです。
 そして、確かにここには恩師である斎藤秀雄先生や兄弟子である山本直純さんをはじめ
 たくさんの人が登場します。
 「世界のオザワ」は人の輪で生まれたといえます。

 「履歴書」の最後に、小澤征爾さんが綴った
 「僕はもっともっと深く、音楽を知りたいのだ。」という言葉に
 より切なさを感じます。

 小澤征爾さん、お疲れ様でした。
 そして、ありがとうございました。

 ご冥福をお祈りします

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 「天は二物を与えず」とよくいわれます。
 確かにその通りだと思うこともよくありますが、その逆、
 時に天は二物を与えることも目にすることもあって、なんとも羨ましい。
 昨年(2023年)12月30日に73歳で急逝された
 歌手・八代亜紀さんも天から二物を与えられた人でした。
 八代亜紀さんには歌手以外にも「画家」としての顔もあって、
 それは趣味として絵を描く以上の実力を備えたものでした。
 この『みんな、こどもだった』は、そんな八代さんの「抒情画物語」で
 大きなキャンパスで描いた作品ではないですが、
 八代さんはこんな風な絵も描いていたのだと、
 胸をつかれるような一冊でもありました。

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 2000年に刊行されたこの本の巻末で、
 八代亜紀さんの「画家」としての略歴も載っています。
 もちろん、そのあとも展覧会での入選数は増えていっています。
 何よりも、絵筆を握る時、歌手であることから解き放たれる時間があったことでしょう。
 天が与えた二物は、それがあればこそ、もう一方も輝ける、
 そんな効果があったのだと思えます。

 この「抒情画」集は、昭和の家族の一年間の日常を描いたものです。
 そのはじめに八代さんの「この本によせて」という一文が載っています。
 その中の一節。
 「やさしさとは何でしょう。
 慰めること、信じること、叱ること、いたわること。
 つまり、相手のことを想うことです。
 八代さんが若くしてクラブ歌手を目指したのは、
 両親の暮らしを早く楽にしてあげたい、その一心だったといいます。
 あるいは、クラブ歌手時代にクラブで働く女性たちの多くの涙も見てきたといいます。
 八代さんの歌が、絵画が、たくさんの人の心に届いたのは、
 八代さんがもっていた「相手のことを想う」心だったのだと、
 画家八代亜紀さんが描いた「抒情画」を見て、そう感じました。

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 歌手の八代亜紀さんが2023年12月30日に亡くなったという訃報が届いたのは、
 年が明けて間もない1月9日のことでした。
 まだ73歳、人生もまだたくさんの時間があっただろうし、
 これからも多くの歌で魅了しただろうと思うと、淋しくなります。

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 八代亜紀さんにはたくさんの名曲があります。
 1980年に日本レコード大賞を受賞した「雨の慕情」もそうですが、
 私はなんといっても「舟唄」(1979年)です。
 大げさかもしれませんが、八代亜紀さんの名前は「舟唄」とともに
 人々の記憶に残ったのではないでしょうか。
 八代亜紀さんが2001年に発表した自伝的エッセイ『素顔』の中で
 この2つの歌のことをこう綴っています。
 「圧倒的な大衆性のある「雨の慕情」という一曲と、
 文芸作品とでもいうべきような「舟唄」という二つの記念碑的な歌」と。

 そして、多くの人の記憶にあるのが、
 映画「駅 STATION」で使われた「舟唄」でしょう。
 映画「駅 STATION」は1981年の秋に公開された倉本聰さん脚本の名作で、
 主演は高倉健さん。
 ひとりの男が大晦日の寒い夜、倍賞千恵子さん演じる女がいる小さな飲み屋で
 静かにお酒を呑んでいます。
 そこに八代亜紀さんの「舟唄」がテレビから流れてくるという場面。

   お酒はぬるめの燗がいい/肴(さかな)はあぶったイカでいい

 この映画のことも八代亜紀さんは『素顔』の中に書いていて、
 高倉健さんに「これは『舟唄』の映画でもあるんですよ」といわれたそうです。

 この『素顔』という自伝的エッセイは、
 1950年生まれだった八代亜紀さんが50歳の頃に書いたものだが、
 クラブ歌手になろうと上京したものの売れない時代が続いたことや
 八代亜紀になる前の、本名橋本明代という少女時代のこと、
 流行歌手になってからのスランプなど、
 まさに八代亜紀さんの「素顔」が綴られた、貴重な一冊です。

    思い出だけが 行き過ぎる
    涙がポロリと こぼれたら
    歌い出すのさ 舟唄を

 阿久悠さんの切ない歌詞が八代亜紀さんという歌い手によって
 見事に結晶した名曲を
 今夜も聴きながら、多くの人が涙するのでしょう。

 八代亜紀さん、
 たくさんの名曲を聴かせて頂き、ありがとうございました。

 ご冥福をお祈りします

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 写真家・篠山紀信さんが2024年の年が明けて間もない
 1月4日に83歳で亡くなられました。
 あの独特な髪型とにこやかな笑顔、
 そして素晴らしい写真の数々。
 まさに時代を写し取ってきた写真家といえます。

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 この『篠山紀信 写真力』は
 2012年から2014年にかけて全国で巡回開催された
 「篠山紀信展 写真力 THE PEOPLE by KISHIN」の公式カタログです。
 東京での開催は2012年10月3日から12月24日。
 私も11月はじめに行きました。
 2012年11月12日のこのブログに展覧会の感想を書いています。
 その中の一節。

   私たちがどれだけ篠山紀信さんが撮り続けた人物写真と身近にあったかを
   実感できる写真展です。
   それは時代そのものといっていい。

 展覧会はいくつかのパートにわかれていて
 最後は2011年3月に起こった東日本大震災の被災者の人たちの写真。

   誰もが撮るような写真ですが絶対に私たちには撮れない写真ってすごい。
   そこに写っているのは、 悲しみであり、無念であり、後悔。
   それでいて、明日をじっとみつめている人たち。
   こんな写真を撮る、篠山紀信さんて、やっぱりすごい。

 と、私は書きました。
 このカタログの最後に載っている篠山紀信さんのインタビュー記事の中で
 この被災された人について、篠山紀信さんはこんなことを語っています。

   日常に起こりえない理不尽や不条理を体験している人たちで、
   いわゆる一般人とは全然違う。

 そして、この人たちの写真を撮るにあたって、カメラにすべて任せたといいます。
 篠山紀信さんの写真が、時代とともにあった、それは証(あかし)だと思います。

 このインタビューの最後に、
 篠山紀信さんは自身についてこう語っています。

   子供なんですよ、僕は。純粋無垢で健康な。
   その目さえ持っていれば写真はずっと撮り続けられる。

 篠山紀信さん、
 たくさんの素晴らしい写真をありがとうございました。

 ご冥福をお祈りします

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