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プレゼント 書評こぼれ話

  今日は
  高田郁さんの「みをつくし料理帖」の2巻め
  『花散らしの雨』を
  紹介します。
  表題作となった作品は
  幼馴染の野江が怪我をしたと聞いて
  吉原に駆けつけるも
  会うことが出来ない
  澪と野江の悲しい逢瀬を描いて
  涙なしでは読めない作品です。
  このシリーズでは料理についての
  名言なんかもあります。

    食べる、というのは本来快いものなんですよ。
    快いから楽しい、だからこそ、
    食べて美味しいと思うし、身にも付くんです。

  これは澪が老女から教えられる言葉。
  こうして
  彼女は成長していきます。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  この巻も泣けます                   

 高田郁さんの人気シリーズ「みをつくし料理帖」の2作め。
 この巻でも四つの料理とともに四つの短編が収められている。
 巻末付録「澪の料理帖」に掲載されている料理名は「ほろにが蕗ご飯」「金柑の蜜煮」「なめらか葛饅頭」「忍ぶ瓜」で、最後の「忍ぶ瓜」は胡瓜の料理である。

 このシリーズはこのように「つる屋」という店の料理人澪の作る料理だけでなく、彼女の周りで起こるさまざまなことが笑いや涙、怒り、切なさといった感動をくれる。
 もちろんそれは主人公である澪の魅力でもあるのだが、彼女だけでなく彼女を取り巻く登場人物の魅力も大いに力をもっている。
 澪の心にひっかかる不思議な武士小松原、澪を助ける青年医師源斉、澪と暮す元は大坂の大きな料理店の元女将の芳、「つる屋」の主人種市といったように。
 そしてこの2巻めには、ふきという澪と境遇のよく似た少女が登場する。
 しかも、ふきが澪のもとで働き出してから何故か澪の考案した料理がことごとく敵対する登龍楼という料理店で出されてしまう。
 ふきを助けるための澪がとった行動。
 そのあたりがこのシリーズが読者をひきつけるのだろう。

 あるいは流行り病に倒れた長屋の女房おりゅう一家を献身的に支える姿、吉原の花魁となった幼馴染の野江が怪我をしたと聞けばこっそりとその部屋の窓に向かう姿。
 そして、そこに絡んでくる澪の小松原への想い。

 今回も泣かせるツボ満載で、読者もいつの間にか澪と一緒に涙を流している。
  
(2020/02/14 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日2月12日は
  作家司馬遼太郎さんの忌日。
  菜の花忌という。

    ゆるやかな海の明るさ菜の花忌     山田 みづえ

  なので
  司馬遼太郎さんの奥さん福田みどりさんの
  『司馬さんは夢の中』を
  再録書評で紹介します。
  この書評を書いたのは
  2005年ですが
  この頃には「菜の花忌」は
  歳時記に採られていませんでした。
  それから歳月を経て
  今私が持っている『俳句歳時記 第五版』にはちゃんと
  載っています。
  忌日の季語ですが
  きれいな季語だと思います。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  交々(こもごも)と                   

 司馬遼太郎さんが亡くなって24年が経つ。
 その死後も作品やエッセイ、講演録といった著作が数多く出版され、そういう点でも司馬さんがいかに稀有な作家であるかがわかる。
 また友人知人による作品論や挿話の類の発表も陸続と後を絶たず、司馬さんの世界の広さを実感する。その中でも本書は司馬さんに最も近いところにいた夫人が描いた回想録であり、多分これまで出版されてきた多くの司馬遼太郎読本とは一線を画した内容に仕上がっている。
 言い換えれば、司馬さんの本名である福田定一氏の素顔が垣間見れる回想録である。

 司馬さんとみどり夫人は新聞社で席を並べていた同僚だった。
 やがて、二人はトモダチからコイビトの関係になり(この本の中の「遠出しようか」という章ではコイビトとなった二人が夜の奈良の街をデートする初々しい挿話が語られている)、昭和三十四年一月、小さなホテルで写真もない「小さい小さい宴」だけの結婚式をあげる。
 いわゆる社内結婚だった。
 その後の新婚時代の司馬さんや「風邪恐怖症」だった司馬さんなど、国民的作家と呼ばれた司馬遼太郎にも当然そういった私たちと同じ生活があったことを知る。当たり前すぎることではあるが。

 司馬遼太郎さんにはいくつかの顔がある。
 歴史小説家としての顔、思索家としての顔、旅行家としての顔、そして詩人としての顔。特に司馬サンには詩人としての香りが色濃い。『街道をゆく』シリーズや『草原の記』に限らず、時に司馬さんの作品には過剰ともいえる詩的な表現がのぞく時がある。
 本書の中で夫人が描く生活の中の司馬さんも時に夢の中で生きているかのような横顔をみせる。
 そういうことでいえば、司馬さんはずっと夢を見続けた、少年みたいな人だったのかもしれない。

 夫人はそんな司馬さんをこう表現して本書を締めくくっている。
 「少年のような表情だった。意思とかかわりなく感情が、ごく自然に吹きこぼれてしまったような邪気のない表情だった。なんともいえない甘い雰囲気が漂っていた」
 その表情が司馬さんがいなくなってから後も夫人の胸にしばしば去来するのだという。
 切なくて、深い、夫婦の姿である。

 交々(こもごも)と思ひ出尽きぬ菜の花忌   (夏の雨)
  
(2005/02/27 投稿)

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  今日は建国記念の日
  昔の紀元節。
 
    いと長き神の御名や紀元節       池上 浩山人

  今日紹介するのは
  藤沢周平さんの『一茶』。
  一茶、そう俳人の小林一茶のこと。
  つまりは伝記小説ということになります。
  藤沢周平さんの作品に
  これがあるのは知っていて
  ずっと気にかかっていたのですが
  ようやっと読むことができました。
  一茶の俳句といえば
  ほのぼのしたものが有名ですが
  その生き様は
  結構ドロドロしています。
  もしかしたら
  一茶のイメージが変わるかも。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  一茶の物語に老いを考える                   

 生涯に2万句の俳句を詠んだといわれる江戸後期の俳人小林一茶の生涯を描いた藤沢周平氏が長編小説を読みながら、老いということを考えた。
 一茶は1763年信濃の国の柏原の農家に生まれたが、幼くして母を亡くし、父がその後迎えた継母とうまくいかず、15歳で江戸に奉公に出る。
 この物語はその出立の日の、父と子の別れの場面から始める。
 江戸での奉公もうまくいかず、一茶は俳人になるべき貧しい生活をおくることになるが、父の遺言により残された財産を義理の弟と折半する諍いのあと、故郷の地で65歳で終焉を迎える。
 当時65歳といえばりっぱな老人であったろうし、藤沢氏は一茶が最後に向かえた妻やをに「じいちゃん」と呼ばせている。
 一茶が最初の妻菊を娶ったのは52歳の頃。菊はまだ28歳であった。
 二人の間には何人か子供もいたが、いずれも幼くして亡くし、菊もまた失うことになる。
 この時一茶は61歳。
 この場面で藤沢氏は一茶をこう描く。「一茶は心の中にひろがる暗黒を、凝然とのぞきこんでいたのである」と。

 老いとは、この時の一茶のように喪うことで生まれる暗黒をのぞきこむことかもしれない。
 目が見えなくなり、肌の張りはなくなり、耳が聞こえなくなる。身体の機能の喪失だけでなく、生きていく中で関係をもった人たちもいなくなっていく。
 藤沢氏はこの作品で一茶という俳人を通して、そういう老いの残酷さを描いている。
 「ぽつくりと死が上手な仏哉」、一茶の晩年の句はそれでも老いを笑いとばすほど軽快ともいえる。
  
(2020/02/11 投稿)

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  昨日が「図書館」で
  今日は「図書室」。
  この違い、わかりますか。
  調べると、「図書館」というのは、独立した専用の建物で
  「図書室」は大きな建物の一室、
  というのがわかりやすかった。
  今日紹介する岸政彦さんの
  『図書室』は
  このタイトルだけで読んでみたくなっていました。
  我ながら「図書館」とか「図書室」に
  滅法弱いと思います。
  この作品で三島由紀夫賞の候補になったとか。
  受賞にはならなかったようですが
  いい作品だと思いました。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  映画化されてもいいのに                   

 小説というのは当然文字だけで書かれているのだが、いい作品は読む者が文字から映像化しやすいものをいうのかもしれない。
 社会学者でもある岸政彦氏のこの中編小説を読んでそう思った。

 主人公は一人暮らしの中年の女。幼い頃は母親と猫と暮す、決して裕福とはいえない生活ながら、彼女は「幸福な子ども時代」であったと振り返る。
 そして今もまた「平和で平穏」だと思っている。
 そんな彼女が最近思い出すのは、十一歳の頃よく通っていた古い公民館にあった図書室のこと。そこで出会った同い年の男の子のこと。
 そこでの二人はまるで本で出来た繭の中で温められているかのように、二人だけの世界を生きている。
 ついに二人は地球最後の日まで迎えることになる。
 生き残るのは二人だけ。
 いつか来る地球最後の日の練習のために大晦日の日、缶詰を大量に買い込んで二人だけで淀川の河川敷をめざす。
 その堤防に立った時、二人はこう呟くのである。「地球やな」「うん、地球や」
 二人はもはや地球に残った人類最後の男女であるに違いない。
 二人だけで成長し、やがて子供、しかも女の子まで産み育てる。
 まるで手塚治虫の漫画の世界のようでもある。
 これが子供二人のたわいない遊びであることは十分承知しているが、まるでこうして人類はまた新しい一歩を始めるに違いないとも思えてくる。

 岸氏の筆は過不足なく子供の時間を描いている。
 そういうことを経験した子供が大人になれば、どんな生活であろうと「平和で平穏」と思えるのかもしれない。
  
(2020/02/01 投稿)

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  昨日紹介しました
  高田郁さんの『みをつくし料理帖』は
  時代小説というジャンル。
  そして、今日紹介する
  奥山景布子さんの『葵の残葉』は
  歴史小説というジャンル。
  こう並べるとよくわかりますが
  歴史小説は史実に即したストーリーです。
  一方、時代小説は
  作者の創作。
  どちらがいいとかいうことではなく
  これは好みの問題でしょう。
  ただ、よく二つのジャンルがこんがらかって
  はて、と悩んでしまうことが
  ありますが。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  時代に翻弄された兄弟たち                   

 「私は、その男の写真を三葉、見たことがある。」、これは太宰治の『人間失格』の有名な書き出しだ。
 奥山景布子(きょうこ)さんが2017年に発表したこの歴史小説は三葉ではなく一葉ではあるが、一枚の写真から始まる。
 明治11年に撮られた写真。写っているのは、尾張徳川家十四代当主、徳川慶勝。一橋徳川家十代当主、徳川茂栄。会津松平家九代当主、松平容保。桑名久松松平家四代当主、松平定敬。
 この四人は美濃高須藩の松平家に生まれた兄弟である。
 ならば、兄弟の旧交を温めているかといえば、この兄弟の運命ほど時代に翻弄されたものはなかったであろう。
 会津藩の松平容保の名が最も有名であるが、幕末の時代彼が時代の矢面に立ったその時、兄二人は彼と敵対もしくは関わらずの態度をとっていた。
 さらにいえば、容保の弟の定敬に至っては箱館戦争にも関わるほど旧幕府軍側に加担していた。
 そんな四人の数奇な運命を描いたのだから興味が尽きない。

 写真好きで長州征伐の際にも写真機を持ち込んだという慶勝、その慶勝のあとを受けて尾張藩の当主となったもののその兄に追われるように転々とする茂栄、そして幕末の悲劇を一身の受けたような容保と定敬。
 いくら兄弟とはいえ、おそらく互いに憎悪を募らせていたはず。
 時代の過酷さを感じる。
 だからだろうか、四人が収まった一葉の写真には笑顔もない。
 憮然とした彼らの表情が幕末の時代をよく伝えているような気がする。
  
(2020/01/23 投稿)

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