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 9月10日(土曜)の朝日新聞朝刊の
 「多事奏論」という記者によるコラム欄に
 「ハァちゃんが残したもの 泣き虫だっていいんだよ」というタイトルの
 コラムが載っていました。
 書いたのは河合真美江さんという大阪編集局の記者。
 政治のことでも国際社会のことでも、
 ましてや経済のことでもない。
 ここに書かれていたのは。2007年7月に亡くなった臨床心理学者河合隼雄さんが最後に書いた
 自伝風の物語『泣き虫ハァちゃん』のこと。
 ハァちゃんというのは、河合隼雄さん自身のことです。

   

 この物語は兵庫県丹波篠山市に生まれた自身の思い出話が少年物語のようにして綴られています。
 六人兄弟の五番めとして生まれたハァちゃんは幼稚園児になっても、すぐ泣いてしまう泣き虫。
 兄弟たちにもからかわれ、自身も引け目を感じている。
 そんなある日、お母さんが「男の子も、泣いてもええんよ」と教えてくれる。
 やさしいお母さん、おもいやりのあるお父さん、ハァちゃんをからかっても面倒見のいい兄弟たち。
 そして、学校に行きだしたハァちゃんには信頼できる先生や心が通える友達もできる。
 河合さんの描く世界はいいことばかりではありません。
 先生に告げ口する同級生もいたり、なじめない先生もいる。
 きっと誰もが経験したことのある、子ども時代です。

 朝日新聞の記事はこう結ばれています。
 「今あらためて、隼雄さんの本を開いてみてはどうだろう。
 かちかちになった心がほどけていくような言葉に出会えるはずだ
 2007年に出た、決して新しいものではない本だが、
 それでも忘れないでこうして紹介してくれたおかげで、私もハァちゃんに出会えて、
 少しは心がほどけたような気がします。

 最後に、岡田知子さんの挿絵も素敵だったことを
 書き足しておきます。

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 私の本棚で一番古い本は
 昭和39年(1964年)9月に刊行された
 『少年少女世界の名作文学/第14巻/アメリカ編5』です。
 出版元は小学館で、当時の値段で480円。
 これは全50巻もので、この巻が最初の配本だったように思います。
 この巻に収録されているのが
 バーネット作の『小公子』『小公女』『秘密の花園』、
 そしてホーソンの『ワンダーブック』。
 訳者はそれぞれ違いますが、
 責任編集として村岡花子さん(NHK朝ドラ「花子とアン」のモデル)が
 「解説」を書いています。
 その中の『小公子』の「解説」にこうあります。

  日本でも明治の半ばごろには、若松賤子(しずこ)女史によって訳されています。 
  女史の訳筆には一種独特の口調があって、
  それがまた当時の人びとには魅力があったのでしょう。

 前段が長くなりました。
 梶よう子さんの『空を駆ける』は、
 日本で初めて『小公子』を紹介した若松賤子さんの生涯を描いた歴史小説です。

   

 若松賤子は筆名で、本名は巌本カシ
 1964年生まれの会津藩の出身。幕末の頃の会津の娘ですから、波乱の幼少期を過ごします。
 幼い彼女が身を寄せたのが、のちにフェリス女学院となる横浜の寄宿学校。
 そこで彼女は明治期の女性としては珍しいアメリカの教育を学びます。
 そして、女性の地位を高める意識に目覚め、
 夫となる巌本善治とともに女子教育の道を進んでいきます。
 その一方で、翻訳や創作活動にも勤しむようになります。
 アメリカの作家バーネットの『小公子』はそうして彼女によって翻訳されます。
 彼女が亡くなったのは、明治29年(1896年)2月。まだ31歳の若さでした。

 梶よう子さんの作品を読んだのは、これが初めてですが、
 主人公の女性のために生きる姿や創作者としての苦悩など決して難解にならず、
 読み応えある長編小説に仕上がっていました。

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日は彼岸の入り
  単に「彼岸」というと、春の彼岸をいいます。
  なので、秋の彼岸は「秋彼岸」。

    戻りたる家の暗さも秋彼岸       岡本 眸

  昨日正岡子規の忌日でしたので
  今日は再録書評
  伊集院静さんの『ノボさん 小説 正岡子規と夏目漱石』を
  紹介します。
  正岡子規が亡くなったのは
  明治35年(1902年)9月19日で
  今年没後120年になります。
  わずか34年の短い一生でしたが
  その功績が今にのこるほど
  多くのことを生み出した
  見事な一生でもありました。

    痰一斗糸瓜の水も間に合はず        正岡 子規

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  坂の上の<明るく、のびやかな>雲                   

 正岡子規、享年34歳。夏目漱石、享年49歳。
 いずれも今の感覚でいえば早逝である。
 それでもこの二人がいなければ日本の近代文学は今とはまったく違うものになっただろうほどに、二人が遺したものは大きい。
 天才ともいえる二人と自身を比べること自体無謀だが、彼らの年齢以上に生きながら一体自分は何をしてきたかと思わないでもない。
 人は、いくつまで生きたかどうかではない。どのように生きたか、だ。
 しかも、この二人が青春期深い交わりをしたことを思うと、なんという芳醇な日々であったろう。
 そんな二人の姿を描いて、伊集院静のこの小説は、なんとも明るく、のびやかだ。
 かつて司馬遼太郎が同じ時代を描いた名作『坂の上の雲』のように、生きる力を与えてくれる。
 もしかしたら、私たちもまだこんな明るさに満ちた生き方ができるかもしれない。
 
 「ノボさん」というのは正岡子規の本名升(のぼる)の愛称だ。
 この小説の導入部からしていい。「ノボさん、ノボさん」と声をかけられる若者の姿。「どこに」と問われて、「べーすぼーるの他流試合に出かけるんぞな」と答える若者こそ、21歳の子規の姿である。
 上野公園にある野球場は「正岡子規記念球場」と称されているが、子規は若い頃野球に熱中していた。べーすぼーるが野球と翻訳されたのは子規の本名升から、野(の)の球(ぼーる)とされたという説があるくらい。
 子規という人のことを思うと、この時代に野球というまだほとんどの日本人が知らなかったスポーツに熱中する若者の、溌剌とした命の息吹を、晩年「病床六尺」の生活を強いられたにもかかわらず生涯持ち続けたといえる。

 子規がその死後100年以上経ちながら、今でも多くのファンを持つのは、その明るさといっていい。
 伊集院の筆は子規と漱石のさまざまなエピソードをうまく散りばめてつつ、おそらくもっとも力を注いだのは、いかに明るく描くことかではなかったかしら。
 その明るさがあるから、子規も漱石も生き生きと動いている。
 小説は子規の死で終わる。
 その最後に伊集院は「ただ自分の信じるものに真っ直ぐと歩き続けていた正岡子規が何よりもまぶしい」と書いた。
 視線をあげれば「まぶしい」、そんな明るさを感じる青春小説だ。
  
(2014/01/03 投稿)

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レビュープラス
 たまたま読んだ作品が気に入って、
 その作者の作品を読み続けるようになるというのは、
 おそらく多くの本好きの人なら経験しているだろう。
 私にとって、乗代(のりしろ)雄介という作家がそんな一人だ。
 きっかけは、芥川賞こそ獲れなかったが、
 第34回三島由紀夫賞を2021年に受賞した『旅する練習』だった。
 それから、乗代さんの作品を気にするようにしている。

   

 この『パパイヤ・ママイヤ』は、2022年5月に刊行された新刊である。
 これは二人の17歳の少女たちのひと夏の物語で、青春文学といっていい。
 奇妙なタイトルは二人のSNSでのハンドルネーム。
 パパイヤは、アル中ぎみの父親が嫌いな少女のネーム。つまり、パパ嫌(イヤ)。
 ママイヤは、自由奔放な母親が嫌いな少女のネーム。つまり、ママ嫌(イヤ)。
 そんな二人がお互いの素性も知らないまま千葉の木更津の川にある干潟で出会うことになる。
 意気投合する中で、見つけたものもあれば失くしたものもある。
 その過程で、二人は自分の将来を探し出していく。
 特に彼女たちが大きな旅をするわけではないが、不思議と、この二人が旅をしているように感じるのは、
 もしかしたら青春期そのものが旅のようであるからかもしれない。

 十代の読者なら、この物語をどう読むだろうか。

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 松本清張の名前を知ったのは、小学6年の頃でした。
 昭和40年頃でしょうか。
 何故、覚えているかというと、松本清張を読んでいる同級生がいたからで、
 え、それって大人の読み物なのにすごいなと圧倒されたものです。
 しかも、まだ文庫本にはなっていなくて、
 同級生はカッパノベルス版で読んでいたような気がします。

    

 この『ゼロの焦点』は雑誌連載のあと昭和34年(1959年)に刊行されていますから、
 松本清張の作品としても初期の推理小説です。
 新婚間もない夫が仕事先の金沢で消息とたつところから始まります。
 妻は行ったこともない金沢に向かいますが、結婚したといっても、夫のことをほとんど知りません。
 何故夫は失踪したのか?
 夫の過去を調べ始めた妻は、夫は終戦後間もない時期をアメリカの駐留軍がいたところで
 警官をしていたことを突きとめます。
 果たして、そのことと夫の失踪は関係しているのか。
 そもそも夫は生きているのか。
 そして、次々と起こる関連殺人。
 犯人が明らかになった時、
 読者は犯人は時代そのものではなかったかと思うことでしょう。

 昭和30年前半は、まだ終戦後の混乱の影が色濃く残っていたのでしょう。
 松本清張はその影の悲劇性を、推理小説として見事に結実させています。
 清張作品の中でも、傑作という評価の高い作品です。

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