プレゼント 書評こぼれ話

  昨年の暮れ、
  葉室麟さんの突然の訃報に驚きました。
  まだ66歳ということを思えば
  どれだけ書きたいことがあったことでしょう。
  その訃報のあと、
  何冊かの単行本と文庫本が出ています。
  今日紹介する
  『玄鳥さりて』もそのうちの一冊。
  生涯60冊あまりの作品を残してくれましたから
  いつでも葉室麟さんの世界に
  ひたることができることを
  今は喜びとしなければならないでしょう。
  この作品も
  いいです。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  耐えるように生きる                   

 葉室麟さんの突然の訃報に呆然とするばかりで、そのあと年が明けて新刊の列にその名前を見ると心がぎゅっと痛む。
 この作品もそんな一冊で、まさにこのタイトルのとおり、「去っていった」感が強い。
 「玄鳥」というのは燕の異名で、その飛ぶ姿もまた葉室麟さんのようで潔い。
 この作品は2016年7月から翌17年3月まで「小説新潮」に連載されていたもので、葉室さんの遺作ではないが、この時期の刊行を考えると、亡くなる間際まで筆をいれておられたのではないだろうか。

 そういう風に読んでしまうからだろうか、この作品に葉室さんが願った人間の姿が祈りのように込められているような気がする。
 舞台は九州蓮乗寺藩。一人の少年が剣術道場で良き先輩にめぐりあう。その先輩、樋口六郎兵衛の堪えるような生きざまを描いたのが、この作品である。
 少年の名は圭吾。六郎兵衛のかわいがりぶりに衆道の噂まで立つが、六郎兵衛はそんな噂まで跳ね返すほど強い。
 しかし、その強さが彼にさまざまな困難をもたらすことになる。
 その一方で圭吾は成長とともに藩で出世の道を歩み出す。それは圭吾に人としての道を誤らせ、六郎兵衛さえも裏切っていく。
 自身の死を覚悟しながら、それでも彼は圭吾を助けるべく動き出す。

 「六郎兵衛はどれほど悲運に落ちようとも、ひとを恨まず、自らの生き方を棄てるようなこともなかった」。
 そのあと、葉室さんはこう書く。
 「闇の奥底でも輝きを失わないひとだった」。
 葉室麟さんが命をけずりながら書き続けた人がここにいる。
  
(2018/02/17 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  NHK大河ドラマ西郷どん」を
  楽しく見ている。
  なんといっても
  西郷隆盛役の鈴木亮平さんが適役で
  もしかした
  西郷隆盛とは本当にこんな顔、
  こんな背丈だったのではないかと
  思ってしまうぐらいだ。
  ドラマはまだ吉之助と呼ばれている
  青年時代だが
  司馬遼太郎さんの『翔ぶが如く』は
  晩年の西郷隆盛を描いている。
  今回はその三巻め。
  まだまだ先は長いでごわす。

  じゃあ、読みもおそう。(あれ、おかしい)

  

sai.wingpen  西郷隆盛とは、何者なのであろう                   

 文庫本にして全10巻の大長編のまだ3巻めである。
 明治維新を経てまだ誕生してわずかの明治政府は征韓論という国を二分する政策論議のあと西南戦争という大激震が起こる、その姿を描いた作品で、この3巻では後に「明治六年の政変」と呼ばれることになる十月十五日の廟議から始まる。
  歴史の本にあるように、征韓派はいうまでもなく西郷隆盛で、非征韓派は大久保利通である。
 一旦、大久保側に優位かと思われた議論ながら、結果は征韓派が勝利する。
 しかし、太政大臣三条実美の急病により代理となった岩倉具視がそれを拒否し、西郷は参議を辞任、鹿児島へと帰ってしまう。
 西郷のあとを追うように、多くの薩摩人が帰省する中、岩倉具視襲撃事件が翌明治七年一月十四日起こる。
 その犯人を追うのもまた薩摩人川路利良という大警視。
 3 巻で描かれているのは、時間でいえばおおよそこのような次第である。

 この長編が明治の英雄西郷隆盛を描いているのは間違いない。
 すでに先の2巻でも西郷の性格なりが数多く点描されているが、この3巻でもそうだ。
 「西郷とは、何者なのであろう」と、あらためて司馬はこの3巻で問うている。
 「かれは本気で正義が通るものだと思っていた」うんぬんと続く、その評価は高い。
 また別のページには「西郷が同時代人にも後代のひとびとにも形容しがたいほどの詩的情感をもって敬愛」と書く。

 西郷に対して大久保という巨魁がいるが、司馬はやはり西郷という詩的情景を愛していたような気がするが、結論を求めるには先はうんと長い。
  
(2018/02/06 投稿)

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  今日は節分
  もともと四季それぞれにある分かれ目のことだが
  今は2月のこの日のことをいう。

    節分や海の町には海の鬼     矢島 渚男

  歳時記冬の部も今日まで。
  明日の立春から春の部となる。
  節分といえば、鬼。
  鬼といえば
  パッと浮かぶのが
  団鬼六のこと。
  亡くなったのが2011年だから
  もう7年になる。
  せっかくなので
  今日は
  団鬼六の『往きて還らず』を
  再録書評で紹介します。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  団鬼六こそ「最後の文士」                   

  少し前には「文士」という呼び方があった。
 文筆を生業(なりわい)にしている人を指してそう呼んだものだが、この言葉には単に職業をいうなにごととは少しばかり違った雰囲気があったものだ。
 それを正確にいうのは難しいが、どこか職業を斜(はす)にみている気分といえばいいだろうか。それとも、正しい営みではない覚悟のようなものというべきか。履歴書の職業欄に書くべき何ものをももたない作家たちが「文士」たちだったように思う。
 現代の作家たちはそんな「文士」からほど遠い。職業感として、会計士や○○商事の部長と同じところに、「作家」がある。きっと彼らは何のためらいもなく、履歴書に「作家」と書くにちがいない。
 どちらかいいとか悪いという問題ではない。
 ただ「文士」には人間をじっと凝視する何かがあったような気がする。

 団鬼六はいわずと知れた官能小説の大家である。
 本作は団の父親の物語として、戦争末期に体験した(と思われる)不思議な人間模様を描いた作品である。
 団が得意とする官能場面は少しはあるが、それよりも普通では想像できない人間の姿が、団の加虐被虐のめくるめく世界と同位であることに、団鬼六という作家の世界観があることに納得させられる。
 物語の舞台は特攻隊基地である鹿屋航空基地。特攻攻撃間近の滝川大尉は愛人八重子を基地そばの「すみれ館」という洋館に住まわせている。滝川は八重子に、自分が死んだら部下である中村中尉にお前を譲るという信じがたい提案をする。
 そして、滝川は特攻隊として出撃。滝川の命令どおり八重子を愛人とした中村中尉だが、彼もまた特攻隊として出撃する前に後輩の横沢少尉に八重子を譲り渡す。
 女の人格などあったものではない。現代の女性からみたら、三人の男たちだけでなく、八重子の存在もありえないだろう。
 しかし、最後の男滝沢を追って前線まで彷徨い、最後には空襲の紅蓮の炎のなかで命を終える八重子のなんともいえない官能性は、なんとも艶かしい。
 それを肯定するか否定するかはともかく、団鬼六という作家はそういう女性をこよなく愛しているといえるのではないだろうか。

 団鬼六の、人間とは時に破滅を好み、滅びさることをよしとするものであるという、そういう姿勢はもっと評価されていい。そこには覚めた人間凝視がある。
 団鬼六こそ、「最後の文士」といっていい。
  
(2010/08/21 投稿)

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  今日紹介するのは
  荻原浩さんの
  「ユニバーサル広告社」シリーズの3作め、
  『花のさくら通り』です。
  そもそも荻原浩さんのこのシリーズを読んでみようと思ったのが
  昨秋テレビ放映されたドラマの原作ということで
  それならばと
  最初の『オロロ畑でつかまえて』から順に読んできて
  ようやくドラマ原作に
  たどりつけました。
  ところが、
  岡田惠和さんの脚本と
  あまりの違うので
  びっくりしました。
  ここまでちがっていいものなのか。
  ドラマを見た人は
  ぜひこの原作を読んでみて下さい。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  ガハハがクスリになってしまったが                   

 直木賞作家荻原浩さんの記念すべきデビュー作でかつ小説すばる新人賞を受賞したのが『オロロ畑でつかまえて』だ。1997年のことだ。
 その抱腹絶倒のユーモア小説に多くの読者が笑撃を受けたはずで、零細(というより潰れかけ)の広告制作会社ユニバーサル広告社を描いた第2作『なかよし小鳩組』も笑撃波劣らず、快調にシリーズ化していく。
 そして、その第3作めとして2012年に刊行されたのが本作である。

 第1作が過疎の村、第2作がヤクザの組、そして今回は寂れた商店街。
 寂れたといってもまだここは都内の某所のようで、無論新宿や池袋の賑わいはないにしろ、まったくシャッター通りにはなっていないようだ。
 そこに都落ちのように引っ越してきたのが、いつものユニバーサル広告社。
 石井社長をはじめ、主人公たる杉山や村崎、猪熊女史は健在で、彼らがその寂れた商店街をいかに再生させるかが物語となっている。
 ただ残念なことにその笑撃度は前2作よりも数段劣っている。
 ガハハという笑いが、クスリぐらいになったといえる。

 その理由は焦点(笑点ではなく)がぼけたせいではないだろうか。
 杉山たちユニバーサル広告社の面々というより、この商店街の和菓子屋の後継者が主人公なのか、あるいは街に鎮座する寺の跡取り青年の恋の話が核なのか、そのあたりがはっきりしないことで笑えなくなっているように感じた。
 せっかくユーモア小説の王道シリーズを歩きだしたのだから、ここは一直線に爆笑道を進んでもらいたかった。
  
(2018/02/02 投稿)

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  今日紹介する
  干刈あがたさんの『ウホッホ探検隊』を
  本屋さんで見つけた時
  思わず、
  わぁ、なつかしいと吸い寄せられました。
  干刈あがたさんという作家のことを
  知らない人もたくさんいるでしょうが
  書評にも書きましたが
  もしかしたら
  今回芥川賞を受賞した
  若竹千佐子さんの『おらおらでひとりいぐも』よりも
  うんと昔に
  強く、しなやかに
  女性の生きる姿を描いた
  女性作家だったのではないかと
  思います。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  光はいまも届いています                   

 そのペンネームが「光よあがた(辺境)にも届け」という希いからつけられたという干刈あがたが亡くなったのは1992年9月。すでに20年以上の歳月が過ぎた。
 49歳という若さでこの世を去った彼女がもし生きていたら、どのような作品を書いたのであろうか、あるいは何度も候補になりながらもその手に届かなかった芥川賞の第158回受賞作である若竹千佐子さんの『おらおらでひとりいぐも』を読んだら、30年以上前から私は「ひとりいぐも」だったわよと笑うのではないか。

 芥川賞の候補作にもなったこの作品が発表されたのが1984年。
 すでに離婚という別離の形態が広まっていた時期ではあるが、それを前向きに描いたこの作品に勇気づけられたシングルマザーはたくさんいたかもしれない。
 物語の主人公である友江は15年間ともに暮らした夫との生活を打ち切ることにする。
 二人の間には小学校を卒業する太郎とその弟次郎がいるが、友江は彼ら二人と歩き出すことを決める。
 下の息子に「お母さんは、自分自身として立ち直りたい」と話す友江こそ「おらおらでひとりいぐも」も先駆者ではないか。

 新しい家族の姿に「離婚ていう、日本ではまだ未知の領域を探検するために、それぞれの役をしている」と長男に言わしめているが、現代であれば「イタい」と呼ばれそうな役作りであるかもしれない。
 それでも、この家族はそう生き方を選択したのだ。探検隊として。

 この時代に今また干刈あがたの作品を河出文庫に加えてくれた出版社と素敵な解説を書いてくれた道浦母都子に感謝したい。
  
(2018/01/31 投稿)

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