プレゼント 書評こぼれ話

  今日は昨日の続き。
  ロバート・ニュートン・ベックの『続・豚の死なない日』。
  続編なので
  主人公のその後が描かれているが、
  少年に書くことを教える
  女教師が少年の支えにもなっている。
  少年は教師の仕事を農夫だという。
  その一節から。

    先生は(中略)ほんとうの農夫なのだ。
    かたい決意ももって種をまいている。
    収穫するのはぼくたちだ。


  教師の仕事の尊さとは
  このあたりにあるのでしょうね。
  昨日と今日、
  二日間にわたって紹介したこの本、
  若い人たちに
  ぜひ読んでもらいたい作品です。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  空のどこかにあるものを忘れた人たちに読んでもらいたい                   

 この物語のタイトルを見てわかるように、この物語はアメリカで1972年の発表された『豚の死なない日』の続編である。
 原題は「空のどこかに」で、続編ながらこちらが発表された1994年という。
 父を亡くしたロバート少年のその後の話であるから、物語はつながっているが、作者はこの作品を書くのに実に20年の歳月が必要だったことになる。

 前作が父と息子を主とした家族の物語だとすれば、この続編は息子であるロバートの青春物語といえるだろう。
 何しろあのロバート少年にかわいい恋人までできるのだから。
 そういう華やかな側面はあるしろ、少年と母と伯母の小さな家族を取り巻く環境はさらに悪化していく。
 父が亡くなる半年前に「おまえひとりが頼り」と父から任された少年だが、わずかばかりの牝牛も牡牛も死んでしまう。さらには干ばつと、天候すら少年の味方ではない。
 父があと5年で自分たちのものになるといった畑も月々の支払ができず銀行に取り上げられてしまう。

 次から次へと少年に襲ってくる苦難の中で、少年は学校の女教師の勧めで詩を書くことを覚える。
 女教師は言う。「あなたが詩を書くたびに、あなたの心と精神がきたえられていく」と。
 その言葉の通り、少年を書くことでつらい現実と対峙することができる。

 そんな少年を励ます少女や隣人たち。
 結局住む家さえ手離すことになった少年だが、自分が幸せだとはっきり自覚する。
 貧しさは不幸かもしれない。
 しかし、少年のようにそれでも幸せだと感じることができることを、この物語は教えてくれる。
  
(2017/10/07 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今JIPC読書アドバイザーの受講を終えた人や
  埼玉に住んでいる本好きな人たちと
  毎月読書会をしています。
  だいたい毎月10人ほどが集まって
  自分の好きな本を紹介し合っています。
  そういう会に参加すると
  世の中には自分の知らないたくさんの本が
  あることに気づかされます。
  今日紹介する
  ロバート・ニュートン・ベックの『豚の死なない日』は
  先月の読書会で一人のメンバーが紹介していた本で
  話を聞いて読みたいと思いました。
  新しい本ではなく
  日本で最初に紹介されたのが
  1996年です。
  その後、白水uブックスの一冊に
  ラインナップされました。
  とっても感動しました。
  いつかしら私たちがなくしてしまったものが
  この作品にはあります。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  貧しさは不幸と同じではない、とこの小説は教える                   

 格差社会といわれる。しかし、昔から富める者もいれば食事にも事欠く人たちもいた。それなのに、どうして今の格差の問題は悲惨さが付きまとうのだろう。
 豚を殺す営みと少しばかりの畑を耕して生きている、この物語の家族を見ていてわかったことが一つある。彼らは貧しかったけれど、決して自分たちを卑下していなかったということだ。

 1972年にアメリカで発表されたこの物語はロバート・ニュートン・ペックの処女作だという。彼は44歳の時にこの作品を書き、たちまち時代の寵児となった。
 この作品はヴァーモンド州の田舎で育った彼の自伝的要素が高い。つまり、時代は世界恐慌の波に襲われていて、主人公のロバートはまだ12歳にもかかわらず、家の手伝いを余儀なくされている。

 豚を殺す生業の父の身体には豚の匂いが染み込み、父はそのことを母にあやまったことさえあるという。
 その時、母は父に「誠実な仕事の匂い」ときっぱり言ったという。
 そんな両親に育てられたロバートだからこそ、貧しさの意味も働く意義もよく理解する少年に育った。

 この物語で父は息子に生きることの大きな意味を何度も教えている。
 そういう父が昔はいたし、そういうことを描く物語も多くあったように思う。
 ある日少年が飼っていた子豚を食べるものが尽きて処分することになる。
 父は少年に教える。「これが大人になるということだ。これが、やらなければならないことをやるということだ」と。
 そうやって少年は何度も苦しみや悲しみと向き合って、成長していく。

 そして、最後にはその父をも亡くしてしまう少年。
 その時、少年は気づくことになる。「父さんは金持ちではなかった。しかし決して貧しくはなかったのだ。(中略)父さんは豊かな人生を送った」のだと。
 こういう物語もまた少なくなっているのも残念だ。
  
(2017/10/06 投稿)

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  昨日の本棚の続きのような話から。
  今日紹介する椎名誠さんの
  『家族のあしあと』に先立つ
  『岳物語』を再読しようと
  本棚を探したが
  どうしても見つからない。
  遠い記憶では結構感動したいい作品だったので
  手離すことはないと思ったが
  どうしてもない。
  それとこの本に関していえば、
  「あとがき」で椎名誠さんは
  映画「エイリアン」のことを書いていて
  第一作を監督したリドリー・スコット
  「エイリアン」創生の話として
  「プロメテウス」という映画を作った。
  椎名誠さんはこれがヒントになったという。
  実はこの「エイリアン」4作品と「プロメテウス」を
  CSテレビで観たばかりだったので
  これには驚いた。
  運命ですなぁ、まったく。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  シーナ少年、ふんばる                   

 この本の著者椎名誠さんは1944年(昭和19年)生まれである。
 この作品では椎名さんの少年時代の話が楽しく描かれている。
 ただ楽しいというのは語弊があるかもしれない。
 もともと東京世田谷の大きなお屋敷のような家にいたが、四、五歳の頃に酒々井に移住、そして小学生の頃に幕張へと転居した椎名さん。しかもどうやら自分には異母兄弟もいるようで、父は厳格、母の親戚もなにやら事情がありそう。
 そんな少年時代を送った椎名さんの話が楽しいというのはおかしいはずなのに、どうしてだろう、椎名さんの書く文章の弾むような快活さはどうだろう。

 椎名さんはこの作品や名作『岳物語』シリーズで「家族という、まあ基本はあたたかく強いつながりであるはずの集団は、実はあっけなくもろい記憶だけを残していくチーム」ということを書こうとしたと、「あとがき」に記している。
 なんともシニカルだが、きっと椎名さんは自分が少年だった頃の家族、自分が親になってからの家族を経験して、そのことに気がついたのであろう。
 だが、椎名さんはそのことを悲しんではいない。
 悩んでいるかどうかはわからないが、少なくとも、少年時代には「家族がそろってみんな嬉しそうに笑って寛いでいる風景」はあったが、実はそんな素敵な風景は「人生のなかでもそんなに沢山はない」ことに、大人になって椎名さんは気づく。

 おそらく明るく描かれている椎名少年の時代であるが、そこには家族の難しさが内包されている。
 ページを閉じたら、じんわり滲んでくる。
  
(2017/09/28 投稿)

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  417年前の今日、
  すなわち1600年9月15日
  天下分け目の関ケ原の戦いが起こりました。
  今、この時間に
  石田三成が、徳川家康
  丁々発止の戦いをしていたと思うと
  不思議な気分になります。
  先日、今ロードショー公開されている
  原田眞人監督の「関ケ原」を
  観てきました。
  原作は、もちろん、司馬遼太郎さん。
  石田三成を岡田准一さん、
  徳川家康を役所広司さん、
  伊賀の女忍者初芽を有村架純さん
  といった配役で
  戦闘場面などは見応えがありました。
  ただ、人間関係が多岐にわたるので
  二時間あまりの映画では
  難しいようにも思えました。
  NHKの大河ドラマで
  「関ケ原」やってくれないかなぁ。
  今日は「関ケ原」の日なので
  司馬遼太郎さんの『関ケ原・下』を再録で。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  いよいよ決戦、そして三成は                   

 司馬遼太郎が描く関ケ原の戦いも、ついにこの下巻で戦闘が始まる。
 時に慶長5年(1600年)9月15日。東西合わせて10万の兵が美濃関ケ原で天下をかけての一戦が始まる。
 小説であるから文字だけによる表現ではあるが、まるで映像を見ているかの如く、司馬の文章は小気味よい。
 形勢が動くたびに西の将石田三成、東の将徳川家康の感情が動くさまを見事に描いている。

 ひと昔前、徳川家康は経営者に人気の武将の一人だった。
 調略により秀吉恩顧の大名を次々と自陣の味方につける様など現代の経営に通じるところがあるのだろうが、三成の「義」がどうして評価されないのか切なくなる。
 もちろん人間の営みが「義」や「規則」だけで出来上がっているわけではないだろう。
 だから多くの大名から三成が嫌われるのもわからない訳ではない。
 しかし、天下分け目の戦いに自身の憎だけで東軍についた福島正則などの大名には一体どんな未来が見えていたのであろう。
 もっとも未来が見える人間だけが時代を動かすのではないだろう。
 未来も見えない有象無象の衆こそが時代を作っていくのであろうか。

 敗残の将となって自領に逃げた三成をお咎めの罰を覚悟しながらかくまう農民与次郎。
 彼を配することで司馬は三成の「義」を否定しない。
 与次郎が生きる世界こそが司馬が願ったものかもしれない。
 天下を狙っていたもう一人の武将黒田如水を最後に登場させることで、三成の戦った意味が明らかになって、長い物語は完結する。
  
(2016/11/19 投稿)

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  岩波文庫で読む芥川龍之介作品の
  第二弾である。
  今回は『蜜柑・尾生の信 他十八篇』。
  この本を選んだのは
  「蜜柑」を読みたかったからだ。
  この短編を読むのも
  何十年ぶりだが、
  書評にも書いたように
  クライマックスの印象は
  今回読んでも
  鮮烈でした。
  こうして見ていくと
  芥川龍之介って
  いい作品書いていますね。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  暮色に黄色い蜜柑が                   

 芥川龍之介の数多い短編の中で「蜜柑」は好きな一篇だ。
 それをいつ、何の機会に読んだのか、国語の教科書でもあったのだろうか、記憶ははっきりしない。
 それでも、この作品の終盤、主人公の少女が汽車の窓から放った蜜柑の黄色い色彩は鮮明に覚えているのは、この作品の衝撃性だし、芥川の文章力といっていい。
 原文ではこうだ。
 「暮色を帯びた町はずれの踏切りと、小鳥のように声を挙げた三人の子供たちと、そうしてその上に乱落する鮮な蜜柑の色とー」、そして語り手である「私」の心に、「切ない程はっきりと」この光景が焼き付けられるのは、読者も同じである。
 このクライマックスにかけて、それまで語り手の「私」の精神を悩ませた少女の傍若無人さは、ここで一気に逆転する。
 それこそ、蜜柑の持っている視覚的効果だろう。
 子供の頃の私の心に、深く刻んだ、蜜柑の黄色。きっとその鮮烈さはいつの時代であっても古びない。

 岩波文庫のこの集では、他に芥川最初の小説「老年」、人の前でついはめをはずし命まで落としてしまうことになる「ひょっとこ」、盗みを働いて男を捕まえて初めて知る人間の哀れを描いた秀作「猿」、そして表題にもなっている「尾生の信」(表題にはなっているが芥川の作品にこういうものがあったのは知らなかったし、表題になるような短編とも思えなかった)など、全部で二十編の短編が収められている。

 芥川龍之介は巧い書き手であると、改めて感じた。
  
(2017/09/14 投稿)

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