プレゼント 書評こぼれ話

  今日紹介する
  太田俊明さんの『姥捨て山繁盛記』は
  昨日紹介した
  楠木新さんの『定年後』の
  まるで応用編のような作品です。
  どこがと言われれば
  今日の書評を読んで下さいとなるのですが
  太田俊明さんのように
  明確に目標を持っていると
  定年後も
  充実していたのではないかと思います。
  もし65歳までに受賞しなかったら
  どうされていたのか、
  きっと太田俊明さんの中では
  そんなことは考えにも及ばなかったのでしょうね。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  定年後の新人にエールを                   

 第8回日経小説大賞受賞作。
 実は作品よりも作者の太田俊明氏の経歴に興味を持って読んでみようかと思った。
 東京大学在籍当時野球部の遊撃手として東京六大学野球で活躍したとか、卒業後総合商社やテレビ局といったさすが東京大学出身と思わせる華やかな職歴に興味を持ったのではない。
 太田氏は60歳の定年とともに会社を辞めて小説を書き始めたのだ。
 しかも日経小説大賞に的を絞って、1年に1作のペースで65歳までチャレンジすると決めていたという。
 前年の第7回では最終候補に残るも受賞に至らず、この第8回で見事受賞となった。
 太田氏、63歳である。

 受賞式のスピーチで太田氏は「定年後の新人にエール送れれば」と語ったそうだが、この作品の主人公西澤亮輔は大手家電 メーカーに勤める59歳。まもなく60歳の定年を迎えるが雇用延長制度を活用して定年後も働くつもりだった。
 ところが認知症の症状が出て、早期退職を余儀なくされる。
 絶望の末、死に場所を見つけるつもりで甲府の山奥の施設に入居することになる。
 そこにはシニア世代の人たちがまるで眠っているかのようにうずくまっていた。
 けれど亮輔はそこでダム建設に反対する桝山太一と偶然に知り合い、その人柄に魅かれ、太一ととも新しい村づくりにのめり込んでいく。

 死に場所を探していた男が次第に生きていく力を回復していく。
 亮輔のそんな姿を見ていくと「定年後」の過ごし方の一つのヒントになるだろう。
 いや、作者の太田氏の生き方こそ、ひとつの指針である。
  
(2017/06/16 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  作家でも好き嫌い、
  あるいは食わず嫌いもあったりしますが
  何故か好みの作家が出てくるものです。
  私はといえば
  村上春樹さんとか
  川上弘美さんは結構追いかけて読んでいます。
  それに
  今日紹介する花房観音さんも
  その一人。
  きっと花房観音さんの作品は
  全部読んでいるんじゃないかな。
  今日は今年の2月に刊行されたばかりの
  『わたつみ』を
  紹介します。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  これは官能小説ではないけれど                   

 花房観音が『花祀り』で第1回団鬼六大賞を受賞したのは2010年であるから、彼女の作家歴も長くなった。
 もともとが官能小説としてのデビューで今でも花房観音といえば官能小説の書き手と見られるし、過去の作品を読むと確かに官能小説が多いことは間違いない。
 しかし、確実に彼女は官能小説というジャンルではおさまらなくなっている。
 もちろん作品の中に描かれる官能描写は相変わらず上手いが。

 この作品のタイトル「わたつみ」を漢字で書くと綿津実、日本神話に出てくる海の神様と、物語の中で説明されている。実際、「わたつみ」を漢字変換すると「海神」となる。
 この作品の舞台がこの名前をもった海産物加工工場である。
 地方都市のその工場に、東京での生活に挫折して33歳の京子が働きだす。
 小さな町のことだ。訳ありの京子の過去を興味本位に探る女もあらわれたりする。

 小さな町であっても誰もが同じではない。
 同床異夢という言葉があるが、京子のまわりで働くそれぞれが別々の思いで、男に魅かれ、男に裏切られ、男に棄てられていく。
 そんな女たちを見て、東京で夢に、男に、裏切られてきた京子が最後に気づくのは、「生きるために、食べるために、働くことーそれ以上に確かで大切なものはない」ということだった。

 官能小説家が官能小説を書かなくなったら、普通の人に戻るのではない。
 あたりまえの小説家になるだけだ。
 花房観音は着実にその道を歩いている。
  
(2017/06/07 投稿)

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  今日紹介する
  今村夏子さんの『あひる』は
  第155回芥川賞の候補作となった
  表題作を含む3篇を収録した
  短編集です。
  いつもの書評サイト「本が好き!」から献本
  頂きました。
  読みたかったからうれしい。
  第155回芥川賞候補作は5篇で
  この『あひる』で4篇を読んだことになります。
  つまり、
  受賞作の村田紗耶香さんの『コンビニ人間』、
  崔実さんの『ジニのパズル』、
  山崎ナオコーラさんの『美しい距離』、
  そしてこの作品。
  さすがにこういう回は
  私も初めてです。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  ただそれだけを、書く                   

 思い出せば、第155回芥川賞の候補作は選考委員の宮本輝氏が選評のタイトルに「佳品揃い」と記したように充実していた。
 もちろん、受賞作である村田紗耶香さんの『コンビニ人間』は過去の受賞作と比べても遜色のない名編だし、高樹のぶ子選考委員がその選評すべてをその作品に捧げた『ジニのパズル』も読むごたえある問題作だった。
 そして、メジャーの文芸誌ではないところから候補作に選ばれたこの作品も、多くの選考委員から高い評価を得た。
 中でも小川洋子選考委員は「受賞に至らなかったのは残念」とまで記した。
 その選評の冒頭にこうある。「飼っていたあひるが死ぬ。ただそれだけのことが文学になる、という不思議に、『あひる』は気づかせてくれる」。

 確かにこの作品は飼っていたあひるが死ぬことを描いているが、そこにはぬめっとした手触りのようなものがある。
 あひるを飼うというだけあって、主人公たちが暮らす家は草のにおいがみちていて、どこかに置き忘れてきたような気配が立ち込めている。
 読後感として今村夏子さんという人はお年を召された方かという印象があったのだが、1980年生まれということに驚いた。
 この静謐さはどこから生まれてくるのだろう。

 小川洋子氏がいうように「ただそれだけのこと」ゆえに芥川賞としていささか小品すぎたということもあるのだろう。だが、もし『コンビニ人間』と同じ回の候補でなかったら、小品すぎるということだけでは落選とはならなかったかもしれない。
 それほど完成度が高い作品である。
  
(2017/06/06 投稿)

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  今日紹介する
  川上弘美さんの「東京日記」も
  5冊めとなりました。
  最初が『卵一個ぶんのお祝い。
  2005年の出版ですから
  もう10年以上前のこと。
  そして、
  今回が『赤いゾンビ、青いゾンビ。
  門馬則雄さんの不思議な挿絵も
  健在です。
  こういう感覚派の文章は
  川上弘美さんならではで、
  ここでも「不思議な中毒性」を
  感じます。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  三行半のような日記                   

 初出といってもこれは「WEB平凡」とあるから本でも雑誌でもない。
 それでも見る時は活字であるから、初出というのだろう。
 何しろ人気コンテンツで、書籍化もこの本で5巻め。よく続くものだ。
 小説ではない。エッセイに近いかもしれない。いや、単なるメモだという人もいるだろう。
 唐突だが「三行半(みくだりはん)」という言葉がある。江戸時代に行われていた夫から妻への離縁状のことで、だいたい三行と半分、文が書かれていたという。
 それに近いかもしれない。誰を離縁するということでもないが。

 この本の「あとがき」で、川上弘美はこの本は「たいがい、ほんとうのこと」を書いているとカミングアウトしている。
 それを本当と思うかどうかは読者次第だろうが、私は「まさかね」と少々怪しんでいる。
 本書のタイトルにもなっているゾンビの話は9月の某日、雨の日に乗ったタクシーの運転手がよく喋るということ(これはきっと本当)で、降りる時にタクシー料金を生まれてはじめてまけてもらった(これもきっと本当)。だけど、青いゾンビにはなりたくないとかそんな話するだろうか、タクシーの運転手と。(このあたり怪しいのだが、段々自信がなくなってきた)

 何しろ東京の日常生活だから、本当が嘘みたいに見えてもおかしくないし、嘘が本当に見えても納得がいく。
 それをすくいとる能力が川上弘美の場合抜群に高いのだろう。
 それでなくても、時々異界をさまよっているふうだし。
  
(2017/06/02 投稿)

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  今日は昨日のつづき。
  村上春樹さんの最新長編小説
  『騎士団長殺し』の第2部、
  『騎士団長殺し 第2部 遷ろうメタファー編』を紹介します。
  ちなみに「遷ろう」は「うつろう」と読みます。
  私、読めなかった。
  村上春樹さんのメタファー表現は
  これまでにもたくさん議論されていますが
  この作品でも
  溢れんばかり。
  探していくと
  1ページに必ず1個以上あるかも。
  この長い小説を
  読むのに苦労をしなかったといえば嘘になりますが
  村上春樹さんは
  「不思議な中毒性」を持った作家ですから
  やめるにやめられない
  困った作家なのです、
  私にとって。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  蓋は閉じられた                   

 村上春樹の1000ページを超える長編小説の、第2部のサブタイトルはこうある。
 「遷ろうメタファー編」。
 ここでも、メタファーとは何か気になるところだし、ここにその答えは書かれている。
 「ただのつつましい暗喩」、あるいは「優れたメタファーはすべてのものごとの中に、隠された可能性の川筋を浮かび上がらせることができます」と。
 「騎士団長殺し」という一枚の絵に描かれていた人物たちが次々と主人公の前に現れる。
 彼らはイデアであり、メタファーでもあるのだ。

 あるいは、もしかしたら、この長い作品自体がメタファーではないかと思いたくなる。
 何故なら主人公の前に顕れたイデアも、不思議な隣人のもしかしたら娘かもしれない少女の行方不明にからんで主人公が体験すること自体が意味あるものとは考えにくい。
 何かを浮かび上がらせるメタファーそのものといっていい。

 そういう冒険譚に付き合う必要は何もない。
 けれども、いったん開いた蓋から読者は逃れられない。そして、都合よく閉じた話はうまくできた夢物語のようにも思えるが、それでも主人公が最後に言うように「この世界には確かなことなんて何ひとつないかもしれない」し、「少くとも何かを信じることができる」のではないだろうか。
 これこそが、メタファーが示したことのような気がする。

 蓋は閉じられたのだ。

 ところで主人公の「とても興味深い」隣人の免色であるが、私にはあのフィッツジェラルドの描いたギャツビーのように思えて仕方がなかったのだが。
  
(2017/05/31 投稿)

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