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プレゼント 書評こぼれ話

  1923年(大正12年)の今日、
  9月1日、
  相模灘一帯を震源とする大地震が
  関東一円を襲いました。
  いわゆる関東大震災です。

    万巻の書のひそかなり震災忌      中村 草田男

  今日紹介する吉村昭さんには
  『関東大震災』という問題作もありますが、
  今日は短編集『帰艦セズ』の紹介です。
  吉村昭さんは
  若い時に結核になり生死の境を歩いたこともあって
  死をみつめる作品が多くあります。
  この短編集でも
  そんな視点で描かれています。

  じゃあ、読もう。

 

sai.wingpen  短編を書くことはまことに苦しい                   

 吉村昭さんが1988年に発表した、7つの短編を収めた短編集。
 昭和という時代が終わる寸前で、このあと間もなくして「自選作品集」が刊行されることになる、吉村さんの中期から後期が始まる頃の充実した時期の短編といえる。
 「あとがき」に「短編を書くことはまことに苦しいが、私の生きる意味はそこにこそある」と書いた吉村さんは、それがゆえに「絶えず神経を周囲に働かせて、格好な短編の素材はないか、探っている」と続けている。

 「鋏」は吉村さんがたびたび描いてきた篤志面接委員と元受刑者との心の綾を描いた作品。
 「鋏」というタイトルはこの元受刑者が包丁を使わず、いつもキッチン鋏を使っていたという、彼が犯した犯罪をほのかに浮かび上がらせておわるところが不気味である。
 「白足袋」は遺産をめぐる物語。
 「霰ふる」は能登半島の小さな村で起こった岩海苔採りの遭難死を取材した作品。
 「果物籠」は、戦時中に中学生を恐れさせた教練の教官との戦後になってからの邂逅を描いた作品。
 「銀杏のある寺」「飛行機雲」、そして表題作の「帰艦セズ」は、吉村さんが戦時中の事件を取材している中で生まれた短編で、特に「飛行機雲」は長編『大本営が震えた日』で描いた兵士の残された妻との交流を描いたもので、吉村さんが「私小説の部類に入る」と書いている。
 「帰艦セズ」も長編『逃亡』から派生した作品で、若い兵士が何故所属していた艦に戻らなかったか、その理由が一個の弁当箱の紛失だったという、あまりにも切ない戦争のひとつの悲劇を描いている。
  
(2021/09/01 投稿)

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  今日は
  ドイツの作家フェルディナント・フォン・シーラッハさんの
  『犯罪』という短編集を
  紹介します。
  ほとんど海外小説を読んでいない私ですが、
  この作品を読むきっかけは
  中公文庫の「吉村昭短編集」シリーズの解説を担当している
  池上冬樹さんにあります。
  池上冬樹さんは
  吉村昭さんの文体が
  ドイツのこの作家によく似ていると書いていました。
  私はまったく未知の作家だったので
  どんな作品だろうかと
  初めて読んでみました。
  それがなんととっても面白い。
  海外小説でも
  こんなにいい作品があるのだと
  あらためて感じました。
  それに、確かに吉村昭さんの文体に
  よく似ていると思いました。
  いい作家を知りました。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  読むのがやめられなくなる短編集                   

 ドイツの弁護士でもあるシーラッハ氏の、作家としてのデビュー作。
 11篇の短編が収められた短編集で、書籍タイトルのとおり、犯罪小説といっていい。
 本国ドイツで2009年発表され、ベストセラーとなり、日本での翻訳は2011年。
 日本でも話題となって、2012年本屋大賞「翻訳小説部門」で第1位になっている。

 11篇それぞれストーリーが面白いが、この作品の魅力はシーラッハ氏の文章力だろう。
 創元推理文庫版の「解説」で松山巌氏は、氏の文体を「短い一節で時空間の流れを畳み込むように表現する」と説明している。
 そのせいか、妻殺しであれ(「フェーナー氏」)であれ、偽証罪であれ(「ハリネズミ」)であれ、銀行強盗であれ(「エチオピアの男」)であれ、犯罪を扱っていながら、湿気がほとんど感じられない。
 いとも淡々と、事実が羅列されていく。

 そして、これらの短編は単に犯罪を描いただけではない。
 そこには必ず人間の秘めた姿がある。
 冒頭の「フェーナー氏」は妻殺しの犯罪ながら、妻に蔑まれながらも耐えてたえて行ったもの。法はそんな彼を裁くが、彼を裁いているのは彼自身といえる。
 11篇の短編の中では「チェロ」という作品がいい。
 豪腕な父との生活を嫌って家を出る姉と弟の物語。しかし、二人には過酷な生活が待っている。病にかかり、死の前にあった弟を手にかけてしまう姉。その姉もまた拘置所で自殺してしまう。そして、あの父もまた、二人のあとを追う。
 悲しみの色濃い作品である。
  
(2021/08/06 投稿)

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  最近吉村昭文学にはまっている。
  吉村昭さんの作品を初めて知ったのは
  随分以前のことで
  私が高校生あたりのことだったと思う。
  今日紹介する『花火 吉村昭後期短編集』のような
  中公文庫シリーズでいえば
  初期篇あたりだから
  かなり初めの頃から吉村文学にはまっていたことになります。
  もう少し読み続けるつもりです。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  吉村昭の後期短編を堪能しました                   

 本書は中公文庫による吉村昭の短編集の、「初期1」「初期2」「中期」に続く4冊めにあたる「後期」篇である。
 これまでの3冊は、「自選」とあって、吉村が生前自ら編んだ「自選集」からのアンソロジーだったが、後期は吉村の逝去(2006年没)直前までの作品が収められているので「自選」ではない。
 純粋に本文庫の解説も執筆している文芸評論家の池上冬樹さんのよる編集となっている。

 この「後期」篇には短編11作と掌編5作が収録されている。
 そして、今までの短編集の中でももっともバリエーションに富んだ作品群となっている。
 吉村の得意とする歴史小説としても読みごたえのある「船長泣く」は大正末期の漁船の漂流を描いたものだし、巻末の「死顔」はいうまでもなく吉村の遺作となった生と死を描いた重厚な短編である。
 その一方で原稿用紙10枚ほどの掌編小説群、「観覧車」「西瓜」などは中間小説誌に発表されたもので、堅物と思われがちな吉村がこういう作品も書いていたことに、少々安堵した。

 中でも気にいったのは、平成10年に「文學界」に発表された「遠い幻影」で、幼い頃の記憶をたどる話ながら、単にノスタルジックな物語になるのではなく、ノンフィクション作家のごとく厳密に調査する姿勢に感服した。
 「死が訪れるまでの間に、曖昧な事柄をすべて明確にしたいという心理」と自ら分析しているが、吉村文学の魅力はそのあたりにあるような気がする。
  
(2021/07/28 投稿)

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  ここしばらく
  吉村昭さんの作品を読む機会をつくるようにしています。
  吉村昭さんの感情を抑え気味の文章が
  60歳半ばを過ぎた
  今の自分に合っているのかもしれません。
  吉村昭さんが亡くなったのは
  2006年7月31日。
  もうすぐ命日を迎えます。
  今日紹介する『死顔』は
  吉村昭さんが死の直前まで推敲を重ねていた短編です。
  新潮文庫版にはそのほかにも
  自身の若い頃過ごした湯治場の一景を描いた「ひとすじの煙」、
  「死顔」と同じテーマとなる兄の死を描いた「二人」、
  介護の果てに夫と殺した女性の出所後の姿を描いた「山茶花」。
  明治期の条約改正の一挿話の「クレイスロック号遭難」が
  収められています。
  書評は2011年(もう10年も前です)に書いたものの
  再録書評です。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  悲しみの刻                   

 2006年に亡くなった吉村昭さんの遺作短編集です。
 最後の遺作となった作品が『死顔』というのも不思議な予感のものを感じますが、この作品は吉村さんの次兄の死を題材にしたもので、同じ題材を扱った『二人』という短編もこの短編集に収められています。

 特に『死顔』は癌で入院していた病床で何度も推敲していた作品で、そのあたりの事情と吉村さんの死の直前の様子を綴った夫人で作家の津村節子さんがつづった「遺作について」もこの文庫版に併録されています。
 その文章の中で津村さんは「遺作となった「死顔」に添える原稿だけは、書かねばならなかった」と綴っています。その理由はその短文全体で推しはかるしかありませんが、この作品そのものが吉村さんの死とつながっているといった思いが夫人にはあったのでしょう。
 それにしても自身の死の予感にふれながら、吉村さんはどんな心境で兄の死と自身の死生観を描いた『死顔』と向き合っていたのか。そのことを思うと、作家というのも残酷な職業だといえます。

 吉村さんの死生観と書きましたが、『死顔』の中で吉村さんは死についてこう書いています。
 「死は安息の刻であり、それを少しも乱されたくない」と。だから、死顔も見られたくないと。
 その死生観そのままに、吉村さんは次兄の死の知らせのあと、「行かなくてもいいのか」と訊ねる妻の言葉に「行っても仕様がない」とすぐさま駆けつけようとしません。
 その姿を冷たいというのは簡単ですが、吉村さんにとってその刻は次兄の家族たちのみが持つ「悲しみの刻」であり、いくら弟とはいえ自分が行けばそれが乱れると思ったにちがいありません。
 次兄の死を描きながら、そしてそれを推敲しながら、吉村さんは自身の死を思ったことでしょう。そして、妻や子供たちの「悲しみの刻」にも思いを馳せたのではないでしょうか。それでも何度もなんども推敲する。それこそ、吉村昭という作家の強さだと思います。

 吉村さんはかつて最愛の弟の死を描いた『冷い夏、熱い夏』という作品を残しています。吉村さんの数多い作品の中でも名作と呼んでいいでしょう。そして、最後の作品が次兄の死を描いた『死顔』。
 吉村さんの悲しみを想わざるをえません。
  
(2011/09/26 投稿)

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  先日来
  吉村昭さんの作品を読んでいて
  とても気持ちのいい読書体験ができました。
  ちょっとしばらく
  吉村昭さんの作品を読み続けてもいいかもと
  今回また短編集を手にしました。
  『碇星』という
  後期の短編集です。
  この短編集では
  定年を迎えた男たちの姿を描いた作品がいくつかあって
  おそらく男性読者にとっては
  切ない物語になっているかもしれません。
  それでも
  吉村昭さんが描くと
  湿っぽくならないのがいいですね。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  生と死をみつめた短編集                   

 2006年7月に79歳で亡くなった吉村昭が1999年に発表した短編集。
 表題作である「碇星」をはじめとした8つの短篇が収められている。
 吉村の長い作家活動の中でいえば、後期に属するもので、「死」や「老い」が色濃く出た作品が多い。

 表題作の「碇星」は、定年を迎えたもののそれまでの会社での技能を認められて嘱託として会社での居場所を見つけた男の物語だ。
 彼の技能というのは社員が死去した際の葬儀等の取り仕切り。つまり、会社の葬儀係として彼は会社に残る。
 そんな彼のもとにかつての上司から、自分が亡くなった時に葬儀の面倒を見てもらいたいという依頼がくる。
 かつての上司は棺に窓をいれないで欲しいという。というのも、自分は碇星だけを見てこの世を去っていきたいと願っている。
 碇星というのは、カシオペア座のことだという。
 葬儀係として生き場所を見つけた主人公と星をめざして死に行こうとする男の対比が切ない。

 「飲み友達」「喫煙コーナー」「受話器」も仕事を終えて行き場所のない男たちの姿が身につまされる。
 その一方で夫の定年とともに妻という役割も終えてしまう女性がいる。それが「寒牡丹」という作品に描かれる夫婦の姿だ。

 一番胸を打つのは、やはり「花火」という作品だろうか。
 吉村が若い時に結核に冒されながらも当時日本でまだ多くの執刀事例がなかった胸郭成形術で命を長らえた話は有名だが、その執刀医である醍醐医師の死を描いて、自身の生を静かに見つめた心に残る一篇である。
  
(2021/07/01 投稿)

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