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 どんな人にも、当たり前だが、
 生まれた時には父も母もいる。
 しかも、その子にとっては唯一無二の父と母だ。
 そして、その親子の関係性もまた誰とも交換できないものといえる。
 梯久美子さんの『この父ありて 娘たちの歳月』は、
 9人の「書く女」たちの、父と娘の関係をひも解きながら、
 その時代もまた描いたノンフィクション作品である。

  

 9人の「書く女」。
 収録順に書き留めておくと、
 渡辺和子(随筆集『置かれた場所で咲きなさい』で知られる修道女で、彼女の父は二・二六事件で殺害された渡辺錠太郎)、
 齋藤史(歌人)、
 島尾ミホ(作家島尾敏雄の妻)、
 石垣りん(詩人)、
 茨木のり子(詩人)、
 田辺聖子(作家)、
 辺見じゅん(作家、角川書店創業者角川源義の娘)、
 萩原葉子(作家、詩人萩原朔太郎の娘)、
 石牟礼道子(作家)。
 9人の娘たちの父はさまざまだ。
 りっぱな人生を全うした父もいれば、なんとも悲惨な生活を送った父もいる。
 ましてや、彼女たちが生きた時代は戦争とその終わりの生きにくい時代であったから、
 父もまた思い通りには生きることがなかったと思える。
 そんな父のそばにいて、性の異なる娘たちはどう見ていたのか。
 梯さんはこの本の「あとがきにかえて」という文章に
 こう書いている。
 「この九人は、父という存在を通して、ひとつの時代精神を描き出した人たちだったといえるだろう。

 そして、この本の別の魅力は、
 9人の「書く女」たちが残した作品のブックガイドにもなっている点だ。
 この本を読めば、読みたい本が何冊も見つかるだろう。

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 2023年の年が明けて間もない1月10日、
 NHKのクローズアップ現代でノンフィクション作家の沢木耕太郎さんの
 インタビューが放送された。
 ほとんどテレビに出ない沢木さんを見ながら、
 やっぱりこの人、かっこいいなと呆然としていた。
 この番組では、沢木さんが9年ぶりに刊行した
 長編ノンフィクション『天路の旅人』についてのインタビューが主だったが、
 番組の最後には沢木さんからの若い読者へのメッセージなどもあって
 30分ながら満足のいく番組だった。

  

 『天路の旅人』は、
 第二次世界大戦末期、日本陸軍の密偵として
 中国の内蒙古から大陸奥深くへと潜入した25歳の青年、
 西川一三の8年に渡る旅を追体験するように描いた
 長編ノンフィクション作品。
 西川に自分と同じ匂いを感じたのだろう、
 沢木さんは生前西川に長時間インタビューをしている。
 しかし、沢木さんの都合などがあり、
 それが作品になるには25年という時間がかかったという。
 その間に西川本人も亡くなっている。
 残ったのは西川が生前に書き出版した本とインタビューの記録、
 そして西川の生原稿。
 これらをもとに、沢木さんはこの長編を書き上げる。

 「旅に同じ旅がないように、旅の一日に同じ一日があるわけではない。
 次の一日は常に新しい一日なのだ。
 これは本文中にある西川の思いとして書かれた一節だが、
 おそらくこれは沢木さん自身の思いと重なっているのだろう。
 西川が自由を求めた旅人であったように、
 沢木さんもまた止まることのない旅人であり続ける。

 先の番組の最後に
 沢木さんが語ったメッセージはこうであった。

   気をつけて、だけど恐れずに。

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今年にはいって間もなく、またしても悲惨な事件が起きた。
 福岡でのストーカー殺人事件である。
 被害者である女性は警察に相談し、警察は加害者に対し禁止命令で出していたという。
 こういう事件があるたびに語られるのが、
 「桶川ストーカー殺人事件」という単語である。
 この事件をきっかけに、ストーカー規制法ができた、云々と。
 しかし、
 この事件のことを詳しく知らないことに気づく。
 「桶川ストーカー殺人事件」とは何だったのか。
 当時週刊誌記者あった清水潔氏が、
 その事件を探り、殺人犯を捜し当て、担当していた警察の腐敗も暴いた
 この『桶川ストーカー殺人事件』(文庫化は2004年)を今読んでも少しも古びていない。

  

 「桶川ストーカー殺人事件」は、
 1999年10月26日の白昼、
 埼玉県のJR桶川駅前で21歳の女子大生が刺殺された事件だ。
 彼女は殺される前に親しい友人にこんな言葉を残していた。
 「私が殺されたら犯人は〇〇」。
 もちろん、本文には〇〇ではちゃんと実名が入っている。
 さらに、友人たちは、彼女はそのつきまとい男と警察に殺されたと
 取材をしていた清水氏に話す。
 このことをきっかけに清水氏は、この事件にどっぷりとはまっていく。

 本文では被害女性がどのように犯人と出会い、
 犯人がどのようにして彼女を脅迫していったかが綴られる。
 さらに、全く動かない警察に対し、清水氏自身が犯人を特定していく。
 殺人犯は逮捕されるが、
 実際彼女につきまとっていた男は行方不明(その後、死亡が確認)。
 さらには警察に助けを求めた彼女を、警察は裏切っていた事実も判明していく。

 確かにこの事件のあと法律ができた。
 しかし、ストーカー行為がなくなるわけではない。
 「桶川ストーカー殺人事件」は法律のきっかけとなったが、
 この事件の本質はそれだけではない。
 法律があっても防げないなら、もう一度、最初の事件に戻ってみるのもいい。

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 昭和49年(1974年)8月28日に神奈川県平塚で起こった事件を
 憶えている人も少なくなっただろう。
 のちに「ピアノ殺人事件」と呼ばれるようになった、
 隣人間での騒音に起因した殺人事件である。
 団地の上階に住む男が、
 階下のピアノの音や窓サッシの開閉時の音がうるさいと
 二人の幼い命とその家の主婦を殺めた事件だ。
 男は音に敏感な質だったようだし、
 近隣の人からも孤立していたようだ。
 男は裁判の結果、死刑を言い渡されるのだが、
 死をのぞむ男の意思で控訴されず、死刑が確定したが、
 まだその実行はなされていないという。

  

 上前淳一郎氏による『狂気 ピアノ殺人事件』では、
 その事件のあらまし、男の歩んできた半生、裁判の様子、
 男と同様に騒音に苦しむ支援者たちの運動など
 ノンフィクション作家上前氏の筆は冷静にたどっている。
 書かれたのは、事件から3年余り経った昭和53年(1978年)4月から6月にかけてで、
 雑誌連載のあと同じ年の夏に単行本化されている。
 上前氏はスポーツ、芸能、経済、事件など
 幅広い題材を描いてきたノンフィクション作家で、
 ちょうどこの作品を書いた頃は気鋭の新進作家だった。
 だから、殺人を犯した男だけを非難するのではなく、
 冷静に何故事件が起こってしまったのかを描いている。

 何故この作品を読もうと思ったかというと、
 最近これに類する隣人トラブルや音に起因する異議申し立てのような事柄が多く、
 それは周辺とのコミュニケーション不足がもたらす不幸のように
 感じたからだ。
 良質なノンフィクション作品は多くのヒントをもたらしてくれたはずなのに。
 隣人を選べない不幸は、令和の時代にあっても消えることはない。
 
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 まだ高橋伴明監督の映画「TATTOO<刺青>あり」(1982年公開)の余波にいる。
 この映画を観てから、昭和54年(1979年)1月26日に実際に起こった
 昭和の犯罪史に残る「三菱銀行人質事件」の犯人の狂気が
 どのように生まれ、どうなされていったのか気にかかって仕方がない。
 映画では犯人梅川昭美が銀行に押し入るところで終わっているが、
 もちろんこの事件や犯人の風体が多くの人に記憶されるのは
 銀行に押し入ってからの
 犯人の狂気が世間の人たちの常識を超えていたからだ。

  

 福田洋氏による『三菱銀行人質強殺事件』は
 1982年(奇しくも高橋監督の映画公開と同じ年度)に
 『野獣の刺青-三菱銀行42時間12分の密室ドラマ!』として刊行され、
 1996年に現代教養文庫の「ベスト・ノンフィクション」の一冊として
 あらためて出版されたもの。
 ノンフィクションとはいえ、「主要登場人物の内面は、かなりの造型を加えてある」と
 福田氏自身がしたためている。
 この「主要登場人物」とは、すなわち射殺されその内面の動機が解明されなかった
 犯人梅川だろうし、
 この事件にかかわった警察関係の人だろう。

 とはいえ、「事件の発生、推移、結末、および犯人、捜査側の動きは、事実に従った」とあるから、
 やはりノンフィクションに分類されていいのだろう。
 なので、この作品の半分以上は事件発生後の動向だが、
 高橋監督の映画以上のインパクトをもたらすものではない。
 もしかしたら、フィクションとノンフィクションの、
 それは揺れ幅の違いに由来するのかもしれない。

 私にとって、この事件は記憶の中で蠢いている。

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