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 スコット・フィッツジェラルドの『グレート・ギャツビー』を
 初めて読んだのはいつだったろうか。
 たぶん新潮文庫版だったと思うが、
 ロバート・レッドフォードがギャツビーを演じた映画のシーンが
 表紙カバーになっていた。
 映画が封切られたのは1974年だから
 そのあとだろう。
 それにその時は映画に合わせて、
 『華麗なるギャツビー』というタイトルだったような。
 今、持っているのは
 2006年に村上春樹さんが翻訳した版で
 もちろん『グレート・ギャツビー』というタイトルになっている。

    

 久しぶりに読み返して、
 ギャツビーが長年思い続けた一人の女性のために
 彼女の住む対岸でばかみたいなパーティーを繰り返しているシーンは
 もちろん覚えていたが、
 結末はすっかり忘れていた。
 その結末はここでは書かないが。
 今回ギャツビーや彼の想い人であるデイジーやその夫トム以上に
 トムの愛人の夫で
 しがない修理工の男が気になって仕方がなかった。
 この修理工が結末に関係するが、
 ちっともグレートでない修理工がもしかしたら
 読者にもっとも近い人物像かもしれない。

 この本には村上春樹さんによる
 ちょっと長めの「訳者あとがき」がついていて、
 そこでフィッツジェラルドが死ぬまで
 「ヘミングウェイこそが現代文学の巨星」と考えていた挿話が
 書かれている。
 そう思ったのも頷けるが、
 村上春樹さんのようにずっと
 フィッツジェラルドを愛した読者もいることもまた
 真実だ。

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 明日、8月6日は77回めの広島原爆の日
 
    子を抱いて川を泳ぐや原爆忌       林 徹

 世界は核戦争の恐怖を孕みながら、この日を迎える。
 一体、人間は何を歴史から学ぶのだろう。
 やりきれない気持ちで、またこの日を迎える。

  

 井上ひさしさんの『父と暮せば』は1994年に発表された戯曲だ。
 井上さんのこまつ座で公演され、その後もたびたび演じられてきた。
 2004年には黒木和雄監督で映画化もされている。
 舞台は昭和23年(1948年)初夏の広島。原爆が投下されて3年になろうとしている。
 主人公は図書館で働く23歳の美津江。
 雷が怖くて家に飛び込んだ彼女を、父の竹造が迎える。
 物語が進むにつれ、竹造がすでに亡くなった存在であることがわかってくる。
 竹造は、美津江の恋のときめきから生まれた存在なのだ。

 美津江は原爆で父だけでなく多くの友人たちを失って、そこに負い目を感じている。
 自分が幸せになるわけにはいかない。
 そんな美津江を父竹造はきつく叱る。
 「あよなむごい別れがまこと何万もあったちゅうことを覚えてもろうために
 生かされとるんじゃ」
 おそらく、これは井上ひさしの生の声だろう。
 竹造はそのあとに「図書館もそよなことを伝えるところ」と言う。
 図書館に収められた本こそ、それを伝えるものだと、井上の声が聞こえてきそうだ。

 戯曲を読みなれない人もいるかもしれない。
 けれど、文庫本でわずか100ページ余りの作品だ。一気に読める。
 こういう作品を先人が残してくれたのだ。
 それを伝えるのも、残された者たちの役目だと思う。

 今日紹介した井上ひさしさんの『父と暮せば』は
 このブログで何度となく取り上げてきました。
 井上ひさしさんが伝えたかったことを
 これからも読み、
 そして語り続けていきたいと思います。

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 「事前の警備に遺漏なかりしも、臨機の処置に欠くるところ有り」
 これは昭和35年(1960年)10月12日に起こった、
 社会党党首浅沼稲次郎が17歳の少年山口二矢(おとや)によって刺殺されるという事件のあと、
 その時の警備責任者だった丸の内署署長寺本への国家公安委員会からの訓告の一節である。
 この訓告を記したあと、このノンフィクションの作者沢木耕太郎はこう続けた。
 「しかし、この時、どのような「臨機の処置」が可能であったのか、後になって寺本はある口惜しさと共に思い起こすことになる。」

 日本中に衝撃が走った安倍晋三元首相射殺事件のあと、一冊の本を書棚から取り出した。
 沢木耕太郎の『テロルの決算』。

  

 昭和35年に起こった浅沼稲次郎社会党党首刺殺事件を描いたノンフィクションである。
 刺殺犯である山口二矢について書いてみたいと、沢木は長く思っていたという。
 この作品が書かれたのは、事件から18年後の、昭和53年(1978年)。
 ニュージャーナリズムの旗手と呼ばれていても、沢木もまだ20代の若い書き手で、
 彼にとっても初めての長編ノンフィクションとなる。
 事件当日の山口少年の動向、そしてどのように事件が起こり、何故それが止められなかったか、
 克明に描かれているのは、沢木の取材力もあるだろうが、
 やはり歳月の大きさがあるだろう。
 犯人の山口二矢が犯行後送られた少年鑑別所で自死しているが、
 取り調べ調書の記録が残っていて、彼の動機なりが明らかになっている。
 さらに、沢木は犯人の少年の育った家庭環境も描いていくが、
 それ以上に殺された浅沼稲次郎を描き切ることで、作品に奥行きが出たことは間違いない。
 17歳の少年と61歳の野党政治家の、
 二つの人生はきっとこの事件の一瞬以外に交差することはなかったはずだ。

 ずっと読み返したいと思っていた沢木耕太郎の初期の名作で、私が持っている一冊は刊行時に購入したもの。
 まさか、この時の事件のような、あるいはそれ以上の射殺事件が
 昭和から平成、そして令和と時を経た今、起こるとは誰も思っていなかっただろう。
 安倍晋三元首相射殺事件が何故起こり、どうして防げなかったか、解明されるまでには時間がかかるだろうが、
 沢木がこの『テロルの決算』で描いたような、濃密なノンフィクションが生まれることを期待したい。

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 今日は祝日、昭和の日

   名画座の三本立てや昭和の日    原田 紫野

 昭和30年生まれの私には
 4月29日は「天皇誕生日」という気分がまだ濃い。
 もちろん、この時の「天皇」は昭和天皇のこと。
 昭和の時代は64年まであったので
 私が30代半ば前となります。
 ということは、私の人生ほぼ半分が昭和ということです。

 今回「わたしのなつかしい本たち」で紹介するのは
 宮本輝さんの『春の夢』。

  

 私が持っている文春文庫版は1988年2月刊行となっていますから
 昭和が終わる1年前のもの。
 ちなみに単行本は1980年12月に出版されています。
 私の読書生活を振り返ると、
 30代の読書に宮本輝さんの作品は欠かせない。
 新刊が出るたびに図書館で借り、
 文庫本になれば購入と
 出る作品のたびにはまったものです。
 今までの生活の中で
 多くの本を手放しましたが、
 何故か宮本輝さんの文庫本は本棚に残っています。

 今回再読した『春の夢』は
 とても印象的な動物が登場します。
 主人公の青年が父親の残した借金から逃げるように
 独り暮らしを始めたアパートの柱に
 まちがって釘を打ち込んだ
 一匹のトカゲです。
 貧しさで時には自暴自棄になりながらも
 彼を支える美しい娘。
 青年は時にその娘の不純さえ疑います。
 柱に打ちつけられたトカゲは
 まるで運命に翻弄される青年のようです。
 宮本輝さんの作品の底流には
 いつも生と死という抗い難い
 宿命のようなものが描かれていたように思います。

 先日「歳時記」を開いていると
 「春の夢」という季語があることに
 気がつきました。
 「華やかだがはかない人生のたとえに用いられる」と
 解説にありました。

    古き古き恋人に逢ふ春の夢        草村 素子

 私のとっての宮本輝作品こそ
 「古き古き恋人」のようなものかもしれません。

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 さいたま市の図書館には
 図書館好きの人が集まった「友の会」があります。
 そこから季刊で「友の会だより」が出ていて
 今年(2022年)最初の号に
 「再読の愉しみ」という文章を、
 Sさんという女性が寄稿されていました。

   ページを繰る毎に展開される高揚感は新しい本を読む最大の愉しみですが、
   ここ十数年前から何冊かの本を再読しています。

 という文章で始まり、

   私の目下の読書生活は“新しい本”対“再読本”が半々といったところ。

 と綴っています。

 これは別の話ですが
 「本の雑誌」の昨年の10月号の特集の中に
 「夢の定年後読書!」という記事があって、
 新井久幸という人が
 「最愛の青春小説で魂の若返りを図りたい」と書いています。
 新井さんが挙げていた本が
 宮本輝さんの『青が散る』とかで
 私の本棚にも30代の頃に夢中になった
 宮本輝さんの文庫本がずらりと並んでいたりします。

 本棚にある
 わたしのなつかしい本たち。
 さいたま市のSさんのように
 「再読の愉しみ」を味わうのもいいかもしれないと
 最近特に感じています。
 そこで、ブログに「わたしのなつかしい本たち」というカテゴリーを
 作ることにしました。
 読書生活の半分がそんな本になるかどうかはわかりませんが、
 読み返すことで「魂の若返り」ができるかもしれません。

 今回はその1回め。
 森下典子さんの『日日是好日(にちにちこれこうじつ)』。

  

 ただ、これは「なつかしい」というほど
 昔に読んだものではありません。
 2019年の12月に読んだばかりですから
 まだ新鮮。
 でも、なんだかまた読んでみたくなった一冊。

   人は時間の流れの中で目を開き、
   自分の成長を折々に発見していくのだ。

 これは「まえがき」にある文章。
 それに呼応するように、終わり近くにこんな文章が綴られています。

   気づくこと。一生涯、自分の成長に気づき続けること。

 「再読」をすることで、
 自分の成長に気づくこともあるかもしれません。

 今日は、私の67歳のBirthday。

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