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 「最期は本名で迎えたい」と、50年前の連続企業爆破事件で指名手配されていた男が
 名乗り出て、その後まもなく病死したニュースに、
 年明け早々日本中が騒然となった。
 事件を起こした時、男は二十歳。亡くなったのが70歳だから、
 50年間逃げ続けたことになる。
 私よりわずか一歳年上だった男、そんな男には自身の二十歳はどう見えていたのだろうか。
 そんなことを思っていて、久しぶりにページを開いた本がある。
 宮本輝のエッセイ集『二十歳の火影』だ。

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 宮本輝が『蛍川』で第78回芥川賞を受賞したのが1978年。
 この時宮本は30歳になったばかり。
 その前後に書いたエッセイを集めたのがこの本で、1980年に出版されている。
 幼い頃に見た富山の風景や事業に失敗していく父の姿、
 そんな父の死後残された莫大な借金、それから逃れるようにして送った貧しい生活、
 そんな自身の青春の姿が綴られていて、
 ここには宮本文学の原型があるように思える。
 表題作である「二十歳の火影」には、70歳で亡くなる晩年の父の姿を見つめる
 二十歳の作者の姿が描かれている。
 若い女と暮らす自堕落の父、その部屋にかかっていた赤い長襦袢。
 それらを見たあと、二十歳の作者は「暗い哀しい気分」に浸りつつ、
 「いまにも炸裂しそうな何物かをじっと押し殺してもいた」。

 宮本輝だけではないだろう。
 「最期は本名で迎えたい」と願った男もまた、
 男なりの「二十歳の火影」を思い出すこともあったのではないだろうか。
 それは、男にとって、どんな揺らぎで映ったことだろう。

 今日69歳の誕生日を迎えた私が思い返す二十歳も、うんと遠くなった。

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 漫画家さくらももこさんが亡くなったのは2018年8月なので、
 もう5年になる。
 代表作でもある「ちびまる子ちゃん」のテレビアニメが現在も放映中ということもあって
 亡くなっていることが信じられない。
 それにさくらさんは1965年生まれだったから、
 まだまだ現役であってもおかしくない。
 そんなさくらさんのエッセイを久しぶりに読んでみたくなった。
 何しろ、彼女のエッセイはあまりに面白く「平成の清少納言」といわれたこともあったとか。

  

 この『もものかんづめ』は1991年(平成3年)3月に出た初めてのエッセイ集。
 テレビアニメ「ちびまる子ちゃん」が始まったのが1990年で、
 その主題歌「おどるポンポコリン」も大ヒット。
 その流れそのままにこのエッセイ集も200万部を超える大ベストセラーに。
 そして、このエッセイ集、平成から令和に変わった今読んでも面白い。
 私なんか、ちゃんと数えていないが、200回ぐらいは笑っただろう。
 中でも自身の結婚の際のエピソードを綴った「結婚することになった」の巻だけでも
 20回は笑った。
 父の馬鹿さ度数が半端ではない。
 それでいて、最後にはしっかりホロリとさせてくれるのだから、
 「おぬしも役者じゃのう」と言いたくなる。

 たださくらさんは単に楽しい話だけを書いていたのではない。
 自身のありもしないゴシップを掲載した女性誌に対し、シニカルに批判した
 「週刊誌のオナラ」というエッセイを読むと、
 さくらももこさんの別の一面がうかがえる。
 もっとも、表も別もみんなひっくるめてさくらももこさんだが。

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プレゼント 書評こぼれ話

  9月ももうおわり。
  今年もあと三か月。
  ということは、NHKの大河ドラマ「どうする家康」
  あと二か月と少しでおしまいということなので、
  急いでもう少し家康関連の本をと思い出したのが
  司馬遼太郎さんの「街道をゆく」シリーズの最終巻、
  『濃尾参州記』のこと。
  確か、司馬遼太郎さんの最後の旅となったこの巻は
  徳川家康のことが書かれていたはず。
  本棚から取り出して、
  久方ぶりに司馬遼太郎さんの旅を味わうことにしました。
  家康、やっぱり憶病だったのですね。
  この巻は短いですから、読みやすい一冊。
  読みますか?
  どうする読者。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  未完となったシリーズ最終巻                   

 司馬遼太郎さん(以下、司馬さんと書く)の『濃尾参州記』は、シリーズ「街道をゆく」の第43巻にあたる。
 この旅の執筆中の、1996年2月12日司馬さんは逝去する。ため、この旅は未完となった。
 当時連載していた週刊誌には7回で中断、その後、その年の秋単行本として刊行される。

 「濃尾参州」とは、美濃と尾張、そして三河の国をさす。
 よって、この旅は織田信長の桶狭間の戦いから始まる。相手はいうまでもなく今川義元。
 しかし、司馬さんがこの旅で描こうとしたのは、信長でも義元でもなく、おそらく徳川家康だったはず。
 徳川家の祖といわれる徳阿弥のことを記し、連載はいよいよ「家康の本質」とまで書き進んだが、ここで未完となる。
 もちろん、司馬さんはこれまでにも『覇王の家』や『関ヶ原』で徳川家康を描いているが、
 この「街道をゆく」で風景から見える家康と三河衆の気質をどう描いたか、やはり気にかかる。

 「家康の本質」の冒頭、司馬さんはこう書いている。
 「若いころの家康は、露骨に憶病だった。ときに茫々と思案し、爪を噛みつづけた。」
 これは、決して家康を卑下したものではない。
 何故なら、その直前にこうある。
 「智者は、性、憶病と考えていい。」
 いうまでもなく、この「智者」は家康のことだ。
 そして、この章の中盤にこんな文章をある。
 「三河者の律義さが、家康一代をつらぬく一大資産となった。」

 もし、司馬さんがこの旅を続けていたらと、どこまでも想像が続くが、おそらく家康とその家臣たちとの不思議と明るい関係が描かれたのかもしれない。
  
(2023/09/28 投稿)

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レビュープラス
 とうとうここまで来た、そんな感じ。
 はじまりがあれば、終わりはある。
 沢木耕太郎さんの長い旅行記もこの文庫版『深夜特急』第6巻が最終巻。
 第13章「使者として」と一対をなすような
 つまりそこで描かれた妻ある男性の愛人に対して、
 ここではその妻の姿を描く第16章「ローマの休日」、 
 ポルトガルの岬でついに「旅の終り」をつかまえることになる第17章「果ての岬」、
 そして旅の終わりとなるパリからロンドンの行程を描く
 第18章「飛光よ、飛光よ」で構成されている。

  

 この巻の沢木さんは
 いかに旅を終えようかと模索し、悩む。
 それだけでなく、旅の意義と向き合うことになる。
 それは、自分自身との対話といっていい。
 この旅で得たものもあれば、喪ったものもある。
 それこそが年を重ねるということだろう。
 そもそもこの旅行記に『深夜特急』とつけたのは、
 刑務所から脱獄することの隠語「ミッドナイト・エクスプレス」からだが、
 当時26歳だった沢木さんは
 何から脱獄しようとしたのだろうか。
 そして、旅を終えたあと、
 沢木さんは自由を得たのだろうか、それとも
 ふたたび収監されたのだろうか。

 1992年9月に綴った「あとがき」で
 沢木さんは最後にこう記した。
 「恐れずに。しかし、気をつけて。」と。
 すでに70代後半にさしかかった沢木さんは
 今ならこう言うそうだ。
 「気をつけて。だけど、恐れずに。」と。

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 沢木耕太郎さんの文庫版『深夜特急』第5巻
 この旅の目的のひとつでもある役割を果たす
 トルコの旅を描いた第13章「使者として」、
 そこからギリシャで過ごす第14章「客人志願」、
 そして地中海からの手紙形式で綴られた第15章「絹と酒」から
 構成されている。

  

 文庫版第5巻と第6巻からなる単行本「第三便」は
 1992年10月に刊行されている。
 単行本「第一便」および「第二便」が出たのが1986年5月だから、
 「第三便」の出版まで実に6年の歳月がかかったことになる。
 「第二便」の帯には「第三便は今秋(つまり1986年)刊行予定」とあるから
 出版社としては、かなり想定外だったに違いない。
 その理由について、沢木さんは多くを語っていない。
 「この六年が、この「第三便」には必要だったのだという気さえする。」とだけ。

 読者としても、この6年はやはり長い時間だった。
 私がこの『深夜特急』の「第一便」を読んだのが三十代のはじめ。
 だから、「第三便」が出ると耳にした時、どんなにうれしかったことか。
 実際それを本屋さんで手にした喜びを今は思い出すことはないが、
 きっと頬ずりしたのではないだろうか。

 「デリーからロンドンまで、2万キロの道のりを乗り合いバスで旅する」、
 それがこの長い旅の目的だったが、
 実は沢木さんにはもうひとつの目的があった。
 それはトルコ・アンカラで女性にあって美術展のカタログを渡すこと。
 沢木さんはただ頼まれた「使者」に過ぎないのだが、
 どうして沢木さんの旅にはこんな短かい恋愛小説のような挿話が似合うのだろう。
 それを大いに膨らませるのではなく、
 ひとつの風景として描いていることこそが、
 『深夜特急』の魅力といえる。

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