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 とうとうここまで来た、そんな感じ。
 はじまりがあれば、終わりはある。
 沢木耕太郎さんの長い旅行記もこの文庫版『深夜特急』第6巻が最終巻。
 第13章「使者として」と一対をなすような
 つまりそこで描かれた妻ある男性の愛人に対して、
 ここではその妻の姿を描く第16章「ローマの休日」、 
 ポルトガルの岬でついに「旅の終り」をつかまえることになる第17章「果ての岬」、
 そして旅の終わりとなるパリからロンドンの行程を描く
 第18章「飛光よ、飛光よ」で構成されている。

  

 この巻の沢木さんは
 いかに旅を終えようかと模索し、悩む。
 それだけでなく、旅の意義と向き合うことになる。
 それは、自分自身との対話といっていい。
 この旅で得たものもあれば、喪ったものもある。
 それこそが年を重ねるということだろう。
 そもそもこの旅行記に『深夜特急』とつけたのは、
 刑務所から脱獄することの隠語「ミッドナイト・エクスプレス」からだが、
 当時26歳だった沢木さんは
 何から脱獄しようとしたのだろうか。
 そして、旅を終えたあと、
 沢木さんは自由を得たのだろうか、それとも
 ふたたび収監されたのだろうか。

 1992年9月に綴った「あとがき」で
 沢木さんは最後にこう記した。
 「恐れずに。しかし、気をつけて。」と。
 すでに70代後半にさしかかった沢木さんは
 今ならこう言うそうだ。
 「気をつけて。だけど、恐れずに。」と。

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 沢木耕太郎さんの文庫版『深夜特急』第5巻
 この旅の目的のひとつでもある役割を果たす
 トルコの旅を描いた第13章「使者として」、
 そこからギリシャで過ごす第14章「客人志願」、
 そして地中海からの手紙形式で綴られた第15章「絹と酒」から
 構成されている。

  

 文庫版第5巻と第6巻からなる単行本「第三便」は
 1992年10月に刊行されている。
 単行本「第一便」および「第二便」が出たのが1986年5月だから、
 「第三便」の出版まで実に6年の歳月がかかったことになる。
 「第二便」の帯には「第三便は今秋(つまり1986年)刊行予定」とあるから
 出版社としては、かなり想定外だったに違いない。
 その理由について、沢木さんは多くを語っていない。
 「この六年が、この「第三便」には必要だったのだという気さえする。」とだけ。

 読者としても、この6年はやはり長い時間だった。
 私がこの『深夜特急』の「第一便」を読んだのが三十代のはじめ。
 だから、「第三便」が出ると耳にした時、どんなにうれしかったことか。
 実際それを本屋さんで手にした喜びを今は思い出すことはないが、
 きっと頬ずりしたのではないだろうか。

 「デリーからロンドンまで、2万キロの道のりを乗り合いバスで旅する」、
 それがこの長い旅の目的だったが、
 実は沢木さんにはもうひとつの目的があった。
 それはトルコ・アンカラで女性にあって美術展のカタログを渡すこと。
 沢木さんはただ頼まれた「使者」に過ぎないのだが、
 どうして沢木さんの旅にはこんな短かい恋愛小説のような挿話が似合うのだろう。
 それを大いに膨らませるのではなく、
 ひとつの風景として描いていることこそが、
 『深夜特急』の魅力といえる。

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 6月になると気になる作家がいます。
 太宰治です。
 十代の頃夢中になって読んだ作家の一人で、
 新潮文庫、角川文庫、太宰の作品が出るたびに読んでいました。
 今も私の本棚にはちくま文庫版の『太宰治全集』全10巻が残っています。

 今日6月13日は、太宰治の忌日である桜桃忌
 この日は太宰が愛人山崎富栄と玉川上水に身を投げたとされる日で
 『歳時記』ではこの日をもって桜桃忌としています。

    東京をびしよ濡れにして桜桃忌       蟇目 良雨

 ただ、その遺体が見つかった6月19日を桜桃忌ということもあり、
 この日が太宰の39歳の誕生日ということもあって
 最近ではこちらを指すことの方が多いのではないでしょうか。

  

 久しぶりに『人間失格』を読みました。
 随分長い間読んでこなかったのは、
 若い時に読んだ感動が薄れるのではないかと少し怖れていたのかもしれません。
 昔多いに感銘を受けた作品ほど再読しにくいのは
 そういうこともあってでしょう。
 でも、そろそろいいか、と自分の中で解禁した感じです。

 作品冒頭の「私は、その男の写真を三葉、見たことがある。」は
 よく覚えています。
 だからといって、作品の細部まで覚えているかというとそうでもない。
 今回再読して、あまりいい作品とは感じませんでした。
 というのも、作品の途中途中で文体が変わるのはどうしたことでしょう。
 最後には精神病棟にいれられる主人公ですが、
 それは太宰の生涯の前期あたりの姿と重なります。
 つまり、太宰は死を前にして思い出すことといえば、
 あの頃までの自身だった、あとは付け足しだったのかもしれない。
 そんなことを思いました。

 初めてこの作品を読んだ時、
 私もきっとこう思ったはず。
 私もまた、人間失格だと。
 それはそれで青春の読書の形だったと、今は思いますが。

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 沢木耕太郎さんの文庫版『深夜特急』第4巻は、
 いよいよシルクロードの旅が始まる。
 第10章「峠を越える」ではパキスタンのバスの凄まじい運転を体験し、
 続く第11章「柘榴と葡萄」はアフガニスタンのカブールで過ごした
 ヒッピー宿での暮らし、
 そして第12章「ペルシャの風」ではイランで自身の旅を見つめ直す姿が
 描かれている。

  

 沢木さんの『深夜特急』の旅は
 いつも意気揚々としているわけではない。
 時に自分の行動にげんなりし、疲れきりぐったりすることもある。
 そんな中、第12章のカブールの街角で見かけた
 アリとフォアマンのヘビー級の試合。
 調べるとこの試合が行われたのが1974年10月30日。
 この時、沢木さんのイランの街角の電気店のテレビの前にいた。
 私はどこにいたのだろう。
 長い旅のささやかなシーンではあるが、
 その試合が奇跡的なアリの逆転勝利ということもあって
 とても鮮やかに描かれている。
 沢木さんの作品の魅力はこういう一滴の水のような清涼さといえる。

 そして、この巻の最後に
 沢木さんはこんな言葉を引用し、書き留める。
 「若いうちは若者らしく、年をとったら年寄りらしくせよ。
 その言葉に引きずられながらもあらがう、
 ここにはそんな青年の姿がある。

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 沢木耕太郎さんの文庫版『深夜特急』第3巻は、
 インド・カルカッタの喧噪を描いた第7章「神の子らの家」と、
 冷たい雨に閉じ込められたカトマンズでの時間を
 手紙を綴るようにして書かれた第8章「雨が私を眠らせる」、
 そして、ふたたびインドに戻って死者の火葬を見ることになる
 第9章「死の匂い」で構成されている。

  

 あれは私が映画に夢中になり始めた頃であったが
 「カトマンズの恋人」という映画を観たことがある。
 調べると1969年公開のフランス映画で、
 当時人気のあったルノー・ヴェルレーが主演している。
 ヒッピーと呼ばれた若者が大勢カトマンズを目指していた時代で
 映画もそういう若者を描いていたと記憶する。
 沢木耕太郎さんが旅行記『深夜特急』のもととなる
 ユーラシアへの長い旅に出たのが1973年だから、
 まさにその頃のインドやカトマンズにはヒッピーや
 貧しい旅行をする若者たちがたくさんいたのだろう。
 だから、『深夜特急』の中には、
 そんな若者の姿がたくさん描かれている。
 しかも、彼らはけっして溌剌としている訳ではない。
 ある者は疲れ暗い眼をし、ある者はただじっと蹲っている。
 彼らの姿は反面沢木さんの姿でもあったのだろう。

 『深夜特急』はそんな若者の姿を赤裸々に描いていて
 だからこそいつまでも読み継がれる「青春の一冊」になっているように思える。

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