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 今年(2024年)元旦に起こった石川能登半島地震。
 あれから3ヶ月以上経っても、まだ倒壊した建物の映像などを見るたびに
 この国の復興の遅さに呆然とする。
 2011年3月に起こった東日本大震災、
 いやそれ以前の阪神淡路大震災からも何度も大きな災害にあいながら
 能登半島地震ではそれらの教訓が生かされていないように感じる。
 そんな時、手にした伊集院静さんの『続 大人の流儀』(2011年12月刊)。
 初出となる雑誌の連載が2009年12月から2011年11月で
 ちょうど東日本大震災が起こった2011年3月とも重なる。

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 伊集院静さんはその当時仙台で被災した。
 その時の様子を描いた文章がこの巻の巻末に載っている。
 タイトルは「星~被災地から見たこの国」。
 その中で伊集院さんはこう綴っている。
 「自分にできることはなるたけ正確に、何が起きたのかを書き残すこと」、
 「家族と近所の人の生命を守らねばと右往左往しながら記録する」と。
 そして、こんなことも書く。
 「私は被災者ではない。
 被災者というのは孤立しても生きようとして懸命になっている人。
 不幸にも生を絶たれた者と、その家族、友人のことを言う。
 しかし、伊集院さんがこの短い文章に書きとめてくれた内容こそ、
 大きな被害はなかったが実際そこで暮らしていた人としての体験そのものといっていい。
 政治家たちやメディアのありように、怒りをぶつける。
 その感覚こそ、大事にすべきことだろう。
 それこそ「大人の流儀」といえる。

 東日本大震災時の、貴重の記録を載せた一冊として
 この『続 大人の流儀』をもっと記憶されていい。

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 作家で歌人(しかもこのエッセイを執筆中のほとんどは会社員として)の
 くどうれいんさんが文芸誌「群像」に2020年から2022年にかけて連載された
 エッセイ23篇を収めたエッセイ集。(うち、1篇は書き下ろし)
 書名の『虎のたましい人魚の涙』は、そのうちのひとつのエッセイのタイトルで、
 「琥珀」の別名でもあるそうだ。

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 くどうさんのエッセイの心地よさは、
 さくらももこさんの漫画『ちびまる子ちゃん』に似ているように思う。
 くどうさんが「まる子ちゃん」に似ているというのではない。
 まる子ちゃんもまる子ちゃんのお父さんもお母さんも
 あるいはおじいちゃんもたまちゃんも花輪君もはまじも、みんないる
 「ちびまる子ちゃん」の世界観がそっくりあって、
 時にはまる子ちゃんの顔をして、時にはたまちゃんの顔が出たりする。
 はまじのようなおふざけもあったりする。

 くどうさんはこのエッセイの中で小学生の頃には
 体育館のすみっこで漫画『ちびまる子ちゃん』を読んでいたことを告白(?)している。
 だからというわけではないが、
 くどうさんは大人になった「まる子」に近いかも。

 このエッセイを連載中に
 『氷柱の声』が芥川賞の候補になって、
 その時のまわりの声や自身の苛立ちなどがエッセイに書かれていたりする。
 そして、このエッセイ集の最後には
 会社員と作家どちらをとるかという選択から書くことを選びとる、
 そんな心の綾も描かれている。
 そういう、誰にでもある葛藤を素直に描けるのが
 くどうれいんさんの魅力といえる。

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 最近、妙に涙もろい。
 ドラマを見ていても、人の話を聞いていても、あるいは思い出しては涙が出てくる。
 しかも、滂沱の涙。時に号泣。
 子供じゃあるまいし。これって、年のせい?
 大人なら、泣く前にしっかり話を聞けたりするものではないだろうか。
 大人って、何だろう。今さらながらに。

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 昨年(2023年)11月に亡くなった作家伊集院静さんに
 『大人の流儀』という人気シリーズがあったことを思い出し、
 もしかしたら、大人としてのあるべき姿がわかるかもしれないと
 2011年に刊行された(雑誌連載は2009年から2011年初め)シリーズ一作めを読んだ。
 その中に、こんな一節を見つけた。
 「人はそれぞれ事情をかかえ、平然と生きている。
 これは「妻と死別した日のこと」と題された、
 前妻夏目雅子さんの死の当日の様子を描いた一文の最後に記された文章だ。
 大人とは、どんな事情があるにしろ、「平然」としているものなのかもしれない。

 それでも、この巻の巻末に収められた「妻・夏目雅子と暮らした日々」と副題がついた
 「愛する人との別れ」というエッセイを読むと、
 当時の伊集院静さんだって「平然」ではなかったように見える。
 このエッセイを書いたのは、夏目雅子さんが亡くなって25年経ってのこと。
 だから、「時間が解決する」とも記されている。
 大人とは、時間をうまく味方につけることなのではと、思ったりする。

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 くどうれいんさんが気になりだしたのは、
 『氷柱の声』は第165回芥川賞候補になった時だ。
 そのあと、2023年に出た食のエッセイ『桃を煮るひと』も面白く、
 調べると食べ物についてのエッセイがすでにあるとわかった。
 それが、この『わたしを空腹にしないほうがいい』。
 もともとは俳句ウェブマガジンに連載していた食べ物エッセイかつ
 2016年夏のひとときの自身の心象風景を書き留めた読み物で、
 2017年に私家版として出版物としたもの。
 それが評判となり、2018年に書籍として出ることになった。

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 それぞれの短文のタイトルになっているのは、
 俳句マガジンでの連載ということもあってか、俳句になっている。
 最初の文につけられたタイトルは「芍薬は号泣するやうに散る」。
 学生時代に短歌にのめり込んだその感性が、
 俳句やエッセイ、さらには小説にもつながっているのだろう。

 それになにより「空腹」になると、怒り出したり、悲しくなったりする質だから、
 つまるところ、「わたしを空腹にしないほうがいい」と書くほどだから、
 食べること、料理することが大好きで、
 その愛が詰まったエッセイだといえる。
 「菜箸を握るのが楽しいと思えることは、きっとすこやかに生きていくうえで
 武器になると信じている。
 こんな文章に、料理を愛する人なら大いに共感することだろう。
 くどうれいんさんこそ、くいしんぼうバンザイ!

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 「投資」とは「広辞苑」によると、
 「利益を得る目的で、事業に資金を投下すること。出資」とある。
 続いて出てくるのが、
 「比喩的に、将来を見込んで金銭を投入すること」とあって、これには例がつく。
 「息子に―する」。
 元「暮しの手帖」の編集長の松浦弥太郎さんといえば、
 丁寧な生き方を推奨するエッセイを多く発表していて、
 金銭的な「投資」とは随分遠いところにいる人というイメージがある。
 そんな松浦さんが2021年に『僕が考える投資について』という本を出しているのが意外で
 手にとってみた。
 やはり、松浦さんの「投資」の場合、「広辞苑」に出てくる「比喩的」に相当していて、
 その対象は「自分自身」であった。
 なので、この本はお金の本というよりは、「自己実現」のための本といえる。

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 「お金とは増やすものではなく、有意義に使うこと」で、
 「まず考えるべきことは、自分はどんな人間になりたいのか」だと、
 松浦さんは書いている。
 つまり、「生き方としての投資があることを伝えたくて」この本を作ったそうで、
 松浦さんと「利益を得る目的」の「投資」とに違和感をもっていた読者は、
 そう書かれているので、ちょっとほっとしているのではないだろうか。

 松浦さんがこの本で書かれている内容は、
 金銭的な増加にたちまち直結することはないかもしれないが、
 じわっと効いてくるかもしれない。
 そういう意味では、この本を読むのも「投資」といえるだろう。

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