09/20/2023 眠る盃(向田 邦子) - 懐かしい文章だけど新しい

1979年に刊行された。向田さん、50歳の時。
亡くなる亡くなるのが2年後の1981年だから、本当にあっという間の印象がある。
それでいて、今でもこうしてページを開くと、すべてが懐かしい。
時代を越えて読み継がれるというのは、
いつ読んでも新しいし、いつ読んでも懐かしい。

ずっと間違えたまま覚えていた回想の話だが、
これなどもどんな読者でも必ずあるような失敗談で、
だからこそ共感をもって読んでもらえるのだろう。
このエッセイ集はこの表題作に限らず、名作ぞろいで、
「字のない葉書」はのちに絵本にもなっている。
ただあらためて読み返すと、
三女の疎開にあたって字のない葉書をもたせる挿話の前段に、
父が筆まめであったことがさりげなく書かれている。
そして、そこには父への愛が恥じらう如く、小さく綴られていたりする。

小学生の時に飲んだ怪しい飲み物「ツルチック」とその後のエピソードを綴った「続・ツルチック」がいい。
特に「続・ツルチック」の最後の一文には痺れた。
何が書かれているか、ぜひ読んでもらいたい。
昔、東京の街中でライオンを見たという「中野のライオン」も好きだ。
その中で、向田さんはこんな文章を残している。
「記憶や思い出というのは、一人称である。/単眼である。」
そんな記憶を複数の人のものにしたのが、
向田邦子さんだろう。

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08/24/2023 戦争というもの(半藤 一利) - 半藤さんが遺してくれたもの

私が参加している読書会は各自がオススメの本を紹介するタイプ。
毎月一度の開催ですが、
この8月、初めてテーマを決めて本を紹介する方法にしました。
そのテーマが「戦争と平和」。
さすがにトルストイの同名の本を紹介するメンバーはいませんでしたが、
エッセイ、絵本、詩集、歴史書、児童書と多彩な本が集まりました。
その中に、「歴史探偵」を自認していた半藤一利さんの遺作となった
この『戦争というもの』がありました。

亡くなる直前まで雑誌「歴史街道」に連載していた作品で、
雑誌連載時には「開戦から八十年-『名言』で読み解く太平洋戦争」という
タイトルがついていました。
これはエッセイですが、その内容は雑誌連載時のタイトル通りです。
中には、これが「名言」と思えるものもありますが、
それは半藤さんもわかっていて、
「許しがたい言葉にこそ日本人にとっての教訓がつまっている」と書いています。

沖縄戦の司令官だった大田実少将のこの言葉。
「沖縄県民斯く戦へり。県民に対し後世特別の御高配を賜らんことを」。
これを踏まえて、半藤さんは
「大田少将の最後の訴えは、いったいどこへいったのでしょうか。」と嘆いています。
そんな「名言」の数々を
死を前にして半藤さんは残してくれたのです。
それを私たちにつなげていくように、というのが
半藤さんの強い遺志だったのだと思います。

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08/10/2023 東京の戦争(吉村 昭) - 忘れてはいけないこと

生まれた頃から「事変」と称する戦争が続いていて、
昭和20年の敗戦まで戦争とともに生きてきたという。
ただ吉村さんは年齢が少し満たなかったおかげで入隊もせず、
疎開もせずに東京に残っていたという。
「日本人が過去に経験したことのない大戦争下の首都」で、
庶民はどのような生活を送っていたのかを書いておくことに意味があると綴ったのが、
この『東京の戦争』である。
2001年に刊行されている。
そのあと、2006年に吉村さんは亡くなっているから、
戦争の記憶としてこの一冊が残された意義は大きい。

「人それぞれの戦い」「進駐軍」「父の納骨」など
16篇の回想記から成り立っているが、
その一篇一篇がまるで短編小説のような雰囲気だし、
実際ここに書かれた事実がいくつかの短編となって遺されてもいる。
吉村さんは戦時中に母を亡くし、終戦後間もなくして父も亡くしている。
23歳であった兄も戦争で亡くし、東京大空襲の際には多くの死体を目にしている。
それは吉村さん固有の経験というより、
当時の多くの日本人がそうであったといえる。
そんな中でも、普段と変わらない生活を多くの人たちが営んでいた光景も描かれる。

誰もが忘れかけている時代だからこそ、
何度も読み続けていきたい。

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08/04/2023 桃を煮るひと(くどう れいん) - んめとこだげ、け

その中に、「著者に会いたい」というコーナーがあって、
新刊とその作品と著者のあれこれがコラム風にまとめられている。
合わせて、著者の近影も載っている。
7月22日のそれに、この『桃を煮るひと』が取り上げられ、
著者であるくどうれいんさんの近影まで載っていて、
ちょっとうれしくなった。
作者の写真をネットで検索することはないが、
たまたまこうして目にすると、うれしい。

気になっている作家だし、
エッセイの、ほんわかだけどとても現代的で、
しかもその視点がとても大きく感じる文章も好きだ。
それはこの食べ物エッセイでもある『桃を煮るひと』でも感じる。
もともとは日本経済新聞での連載が主だから、
ひとつひとつは短いが、とてもおいしいものを食べた気持ちになる。
口当たりがいいのだ。

このタイトルは著者が祖母からよく言われた言葉で、
「おいしいところだけ食べなさい」という意味。
このエッセイの最後にこうある。
「いずれすべて朽ちる。そうであればなるべくおいしいところを選んだほうがいい。」
文章も同じだろう。
くどうさんのエッセイは「んめとこだらげ」。

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07/28/2023 安西水丸 東京ハイキング(安西 水丸) - やっぱり好きだな、水丸さんのスケッチ

いつの間にか、たくさんの時間が過ぎました。
でも、こうして新しい本が出版されるのですから、
水丸さんが大好きという人は今も多い。

まず興味をひいたのは、この本を出した出版社のこと。
淡交社は京都の出版社で、調べると主に茶道や京都関係の本を出版しています。
そこと水丸さんのつながりがよくわからなかったのですが、
この本のもとになった連載は、
淡交社が出している「なごみ」という雑誌で、
2013年の1年間にわたって行われました。
その時のタイトルが「メトロに乗って 東京俳句ing」。
つまり、この本では東京の街が大好きだった水丸さんの気ままな散歩と
おなじみのイラストと
そして水丸さんの俳句が楽しめます。

海が好きだったとことから「swim(泳ぐ)」から取られたそうです。
この本で水丸さんが「ハイキング」するのは、
飛鳥山、谷根千、目黒、赤坂、深川、四谷、月島、上野、竹芝、
神保町、築地、人形町。
水丸さんが歩いた頃からすでに10年経って、
街の表情も変わったでしょうが、
きっと水丸さんなら、それでも街を愛してやまなかったと思います。

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