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プレゼント 書評こぼれ話

  今日から7月

    七月や少年川に育まれ     山根 真矢

  コロナ禍がなければ
  本来はオリンピックが開催されるはずであった
  7月ですが
  残念ながら
  延期となって
  さらにはまだまだどうなるかわかりません。
  一年前に
  まさかこんなことになるなんて
  誰も予想だにしなかったのではないでしょうか。
  気分を変えて
  今日は中公文庫から
  出たばかりの
  和田誠さんの『ことばの波止場』を
  紹介します。
  和田誠さんが亡くなっても
  こうして本が刊行されるのって
  うれしいな。

  じゃあ、読もう。 

  

sai.wingpen  和田誠さんはことばの感度が高かった                   

 この本は珍しい、イラストレーターの和田誠さんの講演録である。
 冒頭の「プロローグ」によれば、1994年の夏箱根で開催されたサマー・カレッジというセミナーでの講義録で、和田さんにとって講演は初体験であったらしい。
 主催者の一人であったクレヨンハウスの落合恵子さんに誘われたという。
 このセミナーの参加者は児童書に興味をもつ人や学校の先生など約600人。
 さすがにこれだけの聴衆となれば、和田さんでなくとも緊張する。
 講演時間は90分だが、和田はしっかりノートまで作って用意したそうだ。
 おかげで、単に講演録ではない、ちゃんと一冊の本として読めるものができたことになる。
 この講演のテーマは「ことば遊び」。
 和田さんの子供の頃から触れてきた、さまざまなことばとのことが語られていく。

 和田さんといえば、名著『お楽しみはこれからだ』シリーズがある。
 あの本は映画の名セリフを和田さんのイラストとともに紹介する映画エッセイだが、その当時はビデオやDVDなどはなく、ほとんど和田さんの記憶にたどって書かれたものだった。
 和田さんは言葉に対する記憶力が数段にすぐれた人だったのだろう。
 この講演でも子供時代に耳にしたり目にした「ことば」がたくさん出てくる。
 きっと「ことば」に対する感度が高い子供だったにちがいない。

 そして、回文や折句(歌の中に別のことばを折り込む)など、自身でも作って楽しんでいる。
 和田誠さんは、そういうことを楽しめる大人であったのだと思う。
  
(2020/07/01 投稿)

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  今日は
  沢木耕太郎さんの対談集
  「セッションズ〈訊いて、聴く〉」の3巻め
  『陶酔と覚醒』を
  紹介します。
  この巻に収められている
  登山家山野井泰史・妙子さんのことは
  この対談のあと
  沢木耕太郎さんは『』という作品を
  書くことになります。
  実はこの『』を読了できませんでした。
  それまで
  沢木耕太郎さんの本が書店に並ぶたびに
  購入していたのですが
  この『』のあと
  私は沢木耕太郎さんから
  少し距離をとることになりました。
  今でも
  読まれなかった『』は
  私の本棚に並んでいますが。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  「みる」ということ                   

 沢木耕太郎がデビューしてから50年になる。
 その間ノンフィクション作家として有名無名多くの人と会い、インタビューをしてきた。また、「対談」と銘打ったものも多くこなしてきた。
 全四冊となるこのシリーズは、沢木がかつて「対談」を行ったものを集めて編纂されている。

 「センションズ3」は、「陶酔と覚醒」というタイトルで、これは先の2つとかなり印象が異なる。
 ここでは行為をする「する者」の「陶酔」とそれを「みる者」の「覚醒」ということで、それは巻末の沢木による書き下ろしエッセイでも、2つの行為のことが語られている。
 ノンフィクションを描くということは「みる者」であるということだが、沢木の作品には自ら「する者」として参加し、それをさらに自身が見ているという構造になっていることがある。
 一人称で書かれたノンフィクションというのはそういうことだろう。

 この巻に収録されている対談相手は、山口瞳、市川崑、同業作家の後藤正治、海洋冒険家の白石康次郎、建築家安藤忠雄、森本哲郎、岡田武史、登山家山野井泰史、その妻妙子、そして角田光代である。
 対談ということでは後藤正治とのものや安藤忠雄のそれが面白かった。
 山口瞳との対談でもそうだが、沢木は教えられる側に立った時、対談が生き生きとしてくるのは、沢木の人としての魅力が醸し出すからだろう。
 そのあたりが、70歳を過ぎてもなお、いつまでも青年のイメージを損なわない理由ともいえる。
  
(2020/06/16 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日は
  沢木耕太郎さんの対談集
  「セッションズ〈訊いて、聴く〉」の2巻め
  『青春の言葉たち』を
  紹介します。
  冒頭の映画監督長谷川和彦さんは
  もう何十年も映画を撮っていない監督として
  今や伝説のようになっていますが。
  彼の作品に「青春の殺人者」という映画があって
  まさか今回のタイトルは
  そこから採られたのかと
  思いましたが、
  ちょっと考えすぎですね。
  今日の書評タイトルも
  沢木耕太郎さんの巻末エッセイから
  借用しました。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  「きく」ということ                   

 沢木耕太郎がデビューしてから50年になる。
 その間ノンフィクション作家として有名無名多くの人と会い、インタビューをしてきた。また、「対談」と銘打ったものも多くこなしてきた。
 全四冊となるこのシリーズは、沢木がかつて「対談」を行ったものを集めて編纂されている。

 「センションズ2」は、「青春の言葉たち」(このタイトルからし沢木らしいといえばいえるが)とあるように、10人との「対談」でそれぞれが生きた青春のときめきのような対談が収められている。
 映画監督長谷川和彦、武田鉄矢、立松和平、吉永小百合、尾崎豊、周防正行、棋士の先崎学、漫画家の福本伸行、俳優大沢たかお、劇団主宰者上村良介。
 このシリーズには巻末に沢木のエッセイが収められていて、この巻では「「きく」ということ」というタイトルで、インタビューと対談の違いについても書かれている。
 沢木は「インタビューが訊ねる人と答える人が固定化された一方向のもの」であり、対談は訊ねると答える、その役割が一定でなく「双方向」のものだと、そのエッセイの中に書いている。
 そういう点からすれば、やはり同世代が相手だと「双方向」のやりとりがうまく稼働している。

 沢木は1947年生まれだが、同じ年生まれの立松和平との対談、1946年生まれの上村良介との対談などは、うまい対談になっているように感じた。
 その一方で、1965年生まれの尾崎豊とのそれは対談というにはうまく回っていなく、インタビューとしても沢木が少し苛立っているのではないかと感じる場面もある。
 尾崎豊の発言を読んでいると、多分尾崎自身の中で消化されない言葉がもやもやしているように思えた。
 その点では尾崎豊の言葉こそ「青春の言葉たち」だったかもしれない。
  
(2020/06/13 投稿)

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  突然ですが、
  「古文書」と「古記録」、
  どう違うかわかりますか。
  日記など具体的に伝えるべき相手が想定されていないものを
  「古記録」といい、
  発信者と受け取り手がいるものを
  「古文書」というそうです。
  なるほどな、
  昔の文献すべて「古文書」というと思っていましたが
  違うんですね。
  そんなことを歴史の授業で
  聴いたかな。
  きっと私がまじめに授業受けてなかったせいですね、きっと。
  今日は
  磯田道史さんの
  『歴史とは靴である』という本を
  紹介します。
  上に書いたお話しは
  磯田道史さんの授業で出てきます。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  私も受けたかったな、この授業                   

 この本は「17歳の特別教室」と題されたシリーズの一冊。
 エッセイを書いたりテレビに出たり、著作が映画の原作になったりと、今や人気の歴史家磯田道史さんが訪問したのは、鎌倉女学院高等学校。この女子高は明治37年創立で、鎌倉という立地にあって中学では「鎌倉学」を学ぶという。
 そんな学校で磯田さんは「歴史と人間」や「歴史の「現場」」について、「授業」をした、それを書籍化したのが、この本である。

 タイトルの「歴史とは靴である」は、表現方法としては「暗喩」ということになるのだろうが、磯田さんは何故「靴」なのかをこう説明しています。
 「歴史的にものを考えると、前より安全に世のなかが歩けます。歴史はむしろ実用品であって、靴に近いものではないか」と。
 つまり、「歴史」を「靴」に喩えるのは突飛なように見えるし、こういう表現方法を使うと、聴いている(読んでいる)人は、「さてどういうことか」と考える。
 もちろん、磯田さんには、「靴」に喩えるだけの根拠が先のようにあるわけで、適当につなげた訳ではない。
 だから、こういう「AはBである」という表現方法が印象に残りやすい。
 授業を受けた高校生にも覚えやすかったのではないだろうか。

 本書に磯田先生の講義を熱心に聴く高校生たちの写真が収められているが、磯田先生は時に冗談を交えたり、わかりやすい例をしめしたり、案外大変だったのではないだろうか。
 そんな先生の熱血ぶりも伝わってくる授業だった。
  
(2020/06/12 投稿)

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  今日は時の記念日
  「歳時記」によれば
  この日が時の記念日になったのが
  大正9年とあるから
  結構昔からある記念日である。

    時の日や数字をもたぬ砂時計     柏木 まさ

  「数字をもたぬ砂時計」って
  まるで
  沢木耕太郎さんのエッセイ集なんかの
  タイトルに使えそうなフレーズです。
  なので、今日は
  沢木耕太郎さんの「対談集」、
  『達人、かく語りき 沢木耕太郎セッションズ〈訊いて、聴く〉』を紹介します。
  多士済々とは
  こういう方たちのことを
  いうのでしょうね。
  書評タイトルは
  巻末に収められた沢木耕太郎さんのエッセイの
  タイトルです。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  「あう」ということ                   

 沢木耕太郎がデビューしてから50年になる。
 その間ノンフィクション作家として有名無名多くの人と会い、インタビューをしてきた。また、「対談」と銘打ったものも多くこなしてきた。
 全四冊となるこのシリーズは、沢木がかつて「対談」を行ったものを集めて編纂されている。
 「対談は言葉を用いて自由に話のやりとりをする」ものだが、それをあえて「セッション」として名付けたところに、互いに高め合う、そんな意味が込められているのかもしれない。

 「センションズ1」は、「達人、かく語りき」とあるように、さまざまな分野の先駆者10人との「対談」が収められている・
 吉本隆明、吉行淳之介、淀川長治、磯崎新、高峰秀子、西部邁、田辺聖子、瀬戸内寂聴、井上陽水、羽生善治。
 吉本や吉行、あるいは淀川ともなれば、若き沢木にとってはやはり格が違うというか、教えを乞うような感じは否めない。
 「対談」というのがいえるとすれば、高峰秀子と井上陽水あたりだろうか。
 高峰の場合はさすが受け答えがうまく、おそらく彼女が訊き上手ということもあるし、聴くのもうまい。こういう人との対談が面白くないはずがない。
 井上陽水との「対談」は、沢木が1947年生まれで陽水が1948年生まれだから、同世代の仲間うちのおしゃべりのような感じ。
 それでいて沢木のことや陽水のことがよくわかる。こういう「対談」はやはりいい。
 最後に収められている羽生善治とのものは、どちらかといえば「インタビュー」だろう。

 巻末には沢木による書き下ろしエッセイが収録されている。
  
(2020/06/10 投稿)

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