fc2ブログ
 NHK大河ドラマの第62作めとなる「どうする家康」は、
 5月にはいって徳川家康の人生における最大の危機ともいえる、
 武田信玄との三方原の合戦が描かれている前半の山場。
 徳川家康ほどの有名人であっても、
 やはりその人生の節目節目に自身の行く末を決める場面があるものだ。
 そんな10の場面を軸にして
 家康の生涯を描いたのが本多隆成さんの『徳川家康の決断』。
 副題の方が、この新書の内容をよく表していて、
 「桶狭間から関ケ原、大坂の陣までの10の選択」とある。

  

 すでに何冊も家康について書いてこられた本多さんが挙げている
 「10の選択」とは、
 桶狭間の合戦、三河一向一揆、三方原の合戦、嫡男信康の処断、本能寺の変、
 小牧・長久手の合戦、石川数正の出奔、小田原攻めと関東転封、
 関ケ原の合戦、大坂の陣、となる。
 こうして並べていくと、
 巷間よくいわれる「鳴かぬなら鳴くまで待とうほととぎす」という句そのままの
 忍従の人生であったように思える。

 家康が自ら大きく動き出すのは、宿敵豊臣秀吉の死後とみていい。
 秀吉亡きあとの家康の振る舞いは強引とも見えるが、
 それは人生の終末を悟ったゆえの行いとみれば、
 実に人生をまっとうした武将であったともいえる。

 この新書、入門書というにしては
 最近の研究成果も解説されていて、
 すでに十分語り尽くされているかと思っていた家康でも
 まだまだ解明されることが残っているということに
 感慨を覚えた。

    芽 「ブログランキング」に参加しています。
     応援よろしくお願いします。
     (↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 今日もクリックありがとうございます)
 
    にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
 今日は昨日につづいて
 東海林さだおさんの本の紹介。

  

 食のエッセイスト、食の伝道師と声を大にしていいたい、東海林さだおさんの
 何がすごいかというと、
 かっぱえびせんを口の中に28本詰めたこと(本書「えびせん大実験」)ではなく、
 ちゃんと自分で料理するという点です。
 つまりは、男の鏡、女性がほれ込むこと間違いなし。
 そういう下心があるのかわかりませんが、東海林さんは今日も自炊。
 しかも、東海林さんの自炊は今に始まったわけではない。
 それは代表作である「丸かじり」シリーズとか読めば、わかること。

 この本、『自炊(ソロメシ)大好き』は、
 東海林さだおさんの過去の作品から「自炊」というテーマのものを
 再編集したアンソロジー。
 つまりは、おいしいところばかりの本。
 では、東海林さんはどんな料理を作ってきたか。
 「豆腐丸ごと一丁丼」「バター醤油かけごはん」「ウズラの親子丼」
 「簡単チャーシュー」「チャーハン」「タコ焼き」「カツ丼」、
 ほか多数。
 私のお気に入りは、ウズラの卵の目玉焼き。(これは絵もかわいい)

 こういう本を読むと、料理ができる人がうらやましい。
 「男子厨房に入るべからず」、なんて誰が言ったのか。
 これからの男子は厨房に大いに入るべし。
 東海林さだおさんを見習うべし。

    芽 「ブログランキング」に参加しています。
     応援よろしくお願いします。
     (↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 今日もクリックありがとうございます)
 
    にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
 「名言」を「広辞苑」でひくと、
 「名高いことば。すぐれたことば」と出ています。
 一部の人には、ここは「名言」を残してやろうという
 奢った気分を持つこともあるでしょうが、
 大抵の人はそんなことは考えないのではないかしら。
 ただ、その言葉を目にしたり、耳にした時、
 ああ、いい言葉だなと思ったら、
 それがその人にとっての「名言」になるのだと思います。

   

 「安西水丸の絵と言葉」とサブタイトルのついた
 この『一本の水平線』には、
 2014年に亡くなったイラストレーターの安西水丸さんの
 素敵なイラストと短い文が収められています。
 安西さんはそれらの言葉を
 「うまいこと話してやろう」とか「感動させてやろう」とは
 思っていなかったはずです。
 しかし、その何気ないつぶやきのような言葉に
 心がときめきます。
 まずは本のタイトルになっている「水平線」について。

   「わたしはイラストレーションを描く時にホリゾン(水平線)をよく使います。
   紙の上にホリゾンを一本引くと、絵に安定感が生まれるからです。

 以下、いくつか。

   「人間は、どのように生きるかよりも、これだけはしたくない
   というものを持って生きる方が恰好いいですね

   「こんな風に生きたいと思ったことがある。
   絶景ではなく、車窓の風景のような人間でいたいということだ。

 安西水丸さんの絵はどうしてクールに見えるのだろう。
 何度見ても、飽きるということがない。
 そして、その言葉もまた、人をひきつけるのは何故だろう。
 安西さんの言葉にも、
 まっすぐな「一本の水平線」があるからだろうか。

    芽 「ブログランキング」に参加しています。
     応援よろしくお願いします。
     (↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 今日もクリックありがとうございます)
 
    にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
 向田邦子さんは昭和4年(1929年)生まれながら、実に多くの写真が残されている。
 戦争が終わって、世の中が高度成長期にはいろうとする
 昭和30年代には私の家にはまだカメラはなかったほどだから、
 そういう感覚で見た時、
 向田さんがいた場所はかなり進んでいたのではないだろうか。
 9歳年下の妹、向田和子さんが編著となった『向田邦子の青春』の巻末についた
 年表を読むと、
 昭和27年向田さん23歳の時に雄鶏社と出版社に入社し、
 「映画ストーリー」という映画雑誌の編集部に配属になっている。
 そのあたりがやはり陽のあたる場所だったのだと思われる。

   

 それと、妹の和子さんもこの本のエッセイに書いているが、
 向田さんの洋裁の技術の高さが
 見られることの意識の高さにつながっているような気がする。
 すらりと立ってカメラに向かう向田さんに少しばかり自慢気な表情を認めるのは
 私だけだろうか。

 その一方で、長女としての向田さんの責任の強さは
 和子さんのエッセイから読み解くことができる。
 中でも、「親以上にあなたを思うことはできないから」と姉邦子にいわれた言葉を
 和子さんは忘れることはないという。
 その逆もまた真実で、向田さんが亡くなった時、
 和子さんは言葉を失うほどつらかったが、それ以上に
 「母の悲しみを越えるものではない」と気づく。
 そういう大事なことを教えたのも
 姉向田邦子という人だった、と妹和子さんは綴っている。

    芽 「ブログランキング」に参加しています。
     応援よろしくお願いします。
     (↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 今日もクリックありがとうございます)
 
    にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
 三島由紀夫は『仮面の告白』で産湯の時の盥(たらい)の記憶があると書いているが、
 凡人にはとうていそんなことはない。
 では、いつの頃の記憶からあるかといえば、
 幼稚園に行ったあたりだとうっすらと覚えている。
 小学生ともなれば、もう少しはっきりしてくる。
 それは誰しもそうかもしれず、この本の著者益田ミリさんもそうみたいだ。
 「全部は覚えていなくても、胸が熱くなるようなあの楽しかった感覚がずっと残り続けている」という益田さんが、
 「短いこども時代の思い出をもとにした物語」を綴ったのが、
 2022年6月に刊行されたばかりの『小さいわたし』だ。

  

 微笑ましいのが、
 本当の「小さな」益田さんは両親のことを
 「お父さん、お母さん」と呼んでいたそうで、
 「パパ、ママ」と呼ぶのが憧れで
 この物語ではそう変えているということ。
 子供の頃というのは、そういう呼び方ひとつ憧れがあって
 ピアノなんかもそうだろう。
 この本の中でも
 「小さいわたし」がピアノに憧れ、ピアノ教室に通うエピソードが出てくる。
 ところが、憧れで始めたピアノが続かない。
 誰にもそんな経験はないだろうか。

 小学入学からたった1年間の「小さいわたし」を描いた物語は
 大好きだった担任の先生のよその学校への異動で終わる。
 そんな「小さいわたし」に
 益田さんはこんなメッセージをおくっている。
 「いっしょうけんめい遊んでくれてありがとう。キミのおかげで、おとなになってもときどき幸せな気持ちになれるんだよ。」

 ふと、思い出したことがある。
 「ドラえもん」でのび太くんが優しかったおばあちゃんに会いにいくエピソード。
 のび太くん、あの時「小さい」のび太くんに会っているんだ。

    芽 「ブログランキング」に参加しています。
     応援よろしくお願いします。
     (↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 今日もクリックありがとうございます)
 
    にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ