FC2ブログ
プレゼント 書評こぼれ話

  昨日
  東京・上野にある東京都美術館で開催されている
  「コートールド美術館展 魅惑の印象派」展のことを
  書きましたが、
  その日今日紹介するこの本を
  予習のように読んでいました。
  それが原田マハさんの
  『原田マハの印象派物語』です。
  巻末にある対談に
  こんな言葉が出てきます。

    人生でただ一度しかない展覧会

  展覧会は一期一会だとありました。
  つまり
  展覧会というのは絵の配置にしろ
  会場の設営にしろ
  その展覧会でしかないものだというのです。
  そういわれれば
  確かにそう。
  そのたった一度の展覧会だからこそ
  名画たちもまたそれ以上に
  輝くのでしょう。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  いい展覧会を見終わったあとのような                   

 「とんぼの本」は、1983年に創刊された新潮社のビジュアルブックのシリーズの総称です。
 とんぼの特性のように、軽やかで幅広い視野をもった本でありたい、という思いから名づけられたといいます。
 ビジュアルブックですから写真図版が多用され、しかも写真集のように奇麗です。
 重厚感はありませんが、さまざまなジャンルの入門的な役割を果たしています。

 そんなシリーズの一冊として刊行されたこの本は、タイトルでもわかるように、今やアート小説の第一人者でしかも多くのファンをもつ原田マハさんが印象派絵画の魅力を美しい作品図版とともに綴ったものです。
 しかも単なる解説ではなく、原田マハさんによる印象派7人の画家たちのショートストーリーが添えられています。
 ビジュアルブックだけれど、短編集としても楽しめるようになっています。

 印象派7人の画家。
 モネ、マネ、ドガ、ルノワール、カイユボット、セザンヌ、そしてゴッホ。
 ある画家はまだ芽が出るまでの姿を、ある画家は死の直前に絵筆を持つ姿を、ある画家はその妻の視線から、ある画家は自分は正気であるという姿を。
 中でも、あまり知られていないカイユボットはその絵とともに魅力を感じました。
 現在では画家というよりも貧しかった印象派の画家たちを支援し続けたパトロン的な存在ながらも、その絵の構図は思わずハッとさせられる。

 巻末には原田マハさんと三菱一号館美術館館長である高橋明也氏との対談もおさめられています。
 いい展覧会を見終わったあとのような、極上の一冊です。
  
(2019/11/20 投稿)

    芽 「ブログランキング」に参加しています。
     応援よろしくお願いします。
     (↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 今日もクリックありがとうございます)
 
    にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ

レビュープラス
プレゼント 書評こぼれ話

  今日は
  開高健の『開高健のパリ』を紹介します。
  開高健は1989年12月9日
  58歳で亡くなっています。
  没後30年ということもあって
  この本は今年9月に出たばかりです。
  もちろん、開高健の過去のエッセイ類です。
  表紙の

    若きの日に旅をせずば、
    老いての日に何をか語る

  は、開高健が好んで使った
  ゲーテの言葉だそうです。
  旅の果てに
  開高健はどんな夢を
  見たのでしょうか。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  歓喜にあふれたパリのこと                   

 今年(2019年)没後30年、来年(2020年)生誕90年。
 ということで、出版社の集英社の「開高健 The Year」と銘打った広告を見た。
 その広告で出版案内されていたのが、この本だ。
 表紙の絵はモーリス・ユトリロ。
 開高は1961年刊行された『現代美術15 ユトリロ』でユトリロの絵にキャプションを書いていて、この本ではその時の収録されていた開高の文章とユトリロの絵、それと開高がパリについてふれたエッセイ類が収められている。
 それと角田光代さんが「解説」を書いている。もしかしたら現在の読者にとっては、開高健というよりも角田さんがどんな「解説」を書いているのかという方が興味があるかもしれないが。

 開高には『青い月曜日』や『耳の物語』などで何度も描かれる戦争時と敗戦後の飢えと孤独の時間があった。
 そんな時彼は日本から脱出することを夢のように願っていたという。
 だから、「はじめてパリへいったときは信じられなかった」という。
 「歓喜が噴水のようにこみあげてきて、ホテルでおとなしく寝ていられなかった」と、1977年に書いたエッセイに記している。
 開高が初めてパリを訪れたのは1960年のことだ。

 角田さんは開高健を若い時にはすでに「完成」した作家であるとともに、「外」に向かった求めた作家だと書く。
 初めてパリを訪れたあと、開高はさまざまな外国の地を踏むことになる。
 しかし、もしかしたら「歓喜が噴水のようにこみあげ」てきたのは、最初のパリだけだったかもしれない。
 開高はその溢れんばかりの歓喜を求めて、旅を続けることになったのではないだろうか。
  
(2019/10/31 投稿)

    芽 「ブログランキング」に参加しています。
     応援よろしくお願いします。
     (↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 今日もクリックありがとうございます)
 
    にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ

レビュープラス
プレゼント 書評こぼれ話

  開高健が生まれたのは
  1930年で
  来年2020年生誕90年となる。
  亡くなったのが1989年で
  今年2019年が没後30年。
  1989年1月に元号が変わっているので
  亡くなったのは平成になります。
  それらの年がどんな年であったか、
  そういう時に役立つのが
  「年表」。
  今日は珍しい本というか「年表」を
  紹介します。
  岩波ブックレットの一冊で
  中村政則さん森武麿さん編の
  『年表 昭和・平成史 新版』です。
  お手元において
  じっくり楽しんでみて下さい。

  じゃあ、読もう。

  


sai.wingpen  「年表」は面白い                   

 「年表」を見る、あるいは読むのが好きだ。
 その形は色々あるが、「年表」といいつつ論文や解説となっているものより、シンプルなものの方がいい。
 その点、この本はいい。
 激動の昭和から平成まで、西暦でいえば1926年から2019年までを「1年1頁」でまとめている。
 1頁でおさまるはずもない年もあったであろうし、そんな例外の年がある。
 その1つが1945年(昭和20年)、つまり終戦の年。
 この年は8月14日までと、8月15日からとに分かれている。
 もう一つの例外が1989年。
 つまり、昭和の最後となった、といっても1月7日までだが、1989年と、平成となった1989年である。

 もちろん、「1年1頁」だから、多くの情報がもれているのも仕方がない。
 芥川直木賞などの文学賞やその年のベストセラー、あるいはヒット曲、プロ野球の優勝チーム、自分の好きな世界の情報がはいっていないとつらいが、どうしても気になるようであれば自ら書き加えればいい。
 同じように、自分のこと。
 「年表」があれば誰しも自分の生まれた年はどんな年であったか、まずは知りたいもの。
 私であれば1955年(昭和30年)。いわゆる「神武景気」で、政治的には「55年体制」が始まった年でもある。
 また、「東京で「原子力平和利用博覧会」、以後各地で開催(2年で約260万人来場)」と、この本には記載がある。
 こうして読むと、やはり「年表」って面白い、って思いませんか。
  
(2019/09/25 投稿)

    芽 「ブログランキング」に参加しています。
     応援よろしくお願いします。
     (↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 今日もクリックありがとうございます)
 
    にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ

レビュープラス
プレゼント 書評こぼれ話

  ずっと読みたかった本、
  樹木希林さんの『一切なりゆき~樹木希林のことば~』。
  なんといっても
  表紙の樹木希林さんの表情がいい。
  こちらまで
  幸せな気分になる。
  こんな表情はなかなかできない。
  書評にも書きましたが
  この表紙写真で
  だいぶ得したのではないだろうか。
  葬儀の際に
  娘の内田也哉子さんが挨拶した言葉も
  載っていて
  それもまたいい。
  さすがよく読まれているだけのことはある。
  あなたのお気に入りのことばを
  見つけてください。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  この表紙の樹木希林さんを見ているだけで幸せになる                   

 樹木希林さん。女優。75歳で亡くなったのが2018年9月15日だから、間もなく一年になる。
 この1年、出版不況に陥っている出版社・書店にとって、樹木希林さんはどれだけ救世主だったかしれない。
 本屋さんの平台に並んだ樹木さん関連本。出しても出しても読まれていったのではないだろうか。
 その先駆けとなった一冊が文春新書のこの本だ。
 2019年上半期で一番売れた本で、すでに140万部突破という。この本を含めた樹木さん関連本全体なら一体どれくらい売れたのだろうか。
 そんなことに一番驚いているのは、樹木希林さんではないだろうか。

 この本は樹木さんが生前様々な媒体で語ってきたことを落穂拾いのように集めたものだ。
 一つひとつの「ことば」は短く、やさしい。そのおかげでとても読みやすい。
 それでいて、心を鼓舞されて気持ちになる。
 樹木さんの魅力とは、多分人と比べないことだろう。
 だから、古着を着ても平気だし、自分で繕ったりもする。他人から見られて恥ずかしいというのではなく、自分にとってそれが快適であるかが基準になる。
 だから、幸福も他人がいう幸福でなくてもいい。自分が幸福だと思えればいい。
 「幸せというのは「常にあるもの」ではなくて「自分で見つけるもの」。
 やっぱり素敵なことばだ。

 この本がたくさん読まれた一因には、表紙の樹木さんの表情もはいっているだろう。
 映画のポスターの撮影用として撮られたものだが、樹木さんはこれを「顔施」と言っていたそうだ。
 確かに何かあたたかなものをもらったような気分になる。
  
(2019/08/17 投稿)

    芽 「ブログランキング」に参加しています。
     応援よろしくお願いします。
     (↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 今日もクリックありがとうございます)
 
    にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ

レビュープラス
プレゼント 書評こぼれ話

  今日は終戦記念日

    いつまでもいつも八月十五日      綾部 仁喜

  先日半藤一利さんの
  平凡社の「のこす言葉」シリーズを読んで
  半藤一利さんの
  『日本のいちばん長い日』というノンフィクションを
  読んでこなかったことに
  今頃になって残念なことをしたと
  思った次第です。
  今ここしかきっと
  読むチャンスはないだろうと
  今日の終戦記念日に間に合わせようと
  読みました。
  これを読むと
  今日という日の重さも
  少しはちがってくるかもしれません。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  真実を明らかにする難しさ                   

 「…堪へ難キヲ堪へ忍ヒ難キヲ忍ビ以テ万世ノ為ニ太平ヲ開カムト欲ス…」、昭和20年(1945年)8月15日正午、世にいう「玉音放送」の一節である。
 これをもって日本は終戦を迎える。
 しかし、実際にはこれに先立つ7月には「ポツダム宣言」が発せられ、日本はすでに死に体であったのだが、徹底抗戦をとなえる陸軍の力の前にそれを受け入れることができないまま、8月6日の広島、続く9日の長崎と原子爆弾による攻撃を受けても国として決断ができなかった。
 もし、7月の時点で敗けを認めていれば、何十万という尊い命が犠牲にならなかったはずだから、決められなかった者たちの責任は重い。
 それでも8月15日をもって終戦にいたるそのことだけでも、もしかしたらこの国が滅んでいたか戦後のありようが変わっていたかもしれない、敗戦を認めない者たちの動きがあったことも事実だ。
 もし彼らのクーデターが成功していたら、この国はどうなっていただろう。

 「日本のいちばん長い日」となった昭和20年8月14日正午から翌15日正午までの24時間を、おそらくこの作品が最初に書かれた昭和40年頃にはまだ当時の関係者が生存していたのであろう、多くの証言で描かれていく。
 最初の刊行時には「いろいろな事情」から「大宅壮一編」となっていたが、実際の著者半藤一利氏が文藝春秋を退社した際に自身の名義に戻したのが、この作品となっている。
 その際には最初の刊行時に書けなかった事実も描かれたようだが、歴史の真実とは10年20年では明らかにならないのかもしれない。

 この作品は終戦にいたるノンフィクションであるとともに歴史の真実を描くことの困難さも明らかにしている。
  
(2019/08/15 投稿)

    芽 「ブログランキング」に参加しています。
     応援よろしくお願いします。
     (↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 今日もクリックありがとうございます)
 
    にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ

レビュープラス