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プレゼント 書評こぼれ話

  東京オリンピックの延期が決定しました。
  新型コロナウイルスの
  世界的な広がりを考えれば
  仕方のないことかと思います。
  1年程度をめどに延期となっていますが
  選手のことを考えるなら
  開催日は早く決めてあげるべきなんでしょうね。
  今日は
  石井正己さん編の
  『1964年の東京オリンピック』という本を
  紹介します。
  書評にも書きましたが
  あの時のオリンピックは
  「筆のオリンピック」とも呼ばれて
  多くの作家たちが
  開会式や競技観戦、閉会式の模様を
  書き残しています。
  今、読むのも面白い。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  「二度やるのはバカだ」と書いた作家がいた                   

 「何かの理由で、東京オリンピックが中止になったら、さぞ快いだろうなと思うくらいである」。
 これは2020年のコメントではない。
 1964年の第18回東京オリンピックが開催される9月の週刊誌に掲載された、「憂鬱な二週間」と題された松本清張の文章の一節である。
 それから半世紀以上経って、この国にもう一度オリンピックがやってこようとしている。

 先のオリンピックは「筆のオリンピック」とも言われ、「おおぜいの小説家や評論家が、オリンピックについて、なにかを書いてきた」と、書き手の一人である菊村到が「やってみてよかった」という文章に書いている。
 冒頭の松本清張の否定的な文章ほどではないにしても、そのすべてがすべてオリンピックを歓迎している訳ではない。
 ただそういう言論の自由度さは今よりうんとあったような印象を、この本に掲載された多くの文章から感じる。
 何しろあの時はまだ戦争が終わって20年にもなっていなかった。
 そこからしたら、2020年の私たちは結構不自由な時代に生きているような気がする。

 この本で紹介されている執筆者はすでに鬼籍にはいっている人も多い。
 三島由紀夫、松本清張、開高健、丸谷才一等々。
 もちろん今でも現役の書き手もいる。
 大江健三郎、石原慎太郎。曽野綾子、瀬戸内寂聴等々。
 そんな彼らもさすがに年老いた。
 まさかこの国で二度めのオリンピックを見られるとは思わなかったのではないだろうか。
 先に引用した菊村到の文章の最後はこうだった。
 「やはりオリンピックは、やってみてよかったようだ。富士山に登るのと同じで、一度は、やってみるべきだろう。ただし二度やるのはバカだ」。
 きっと誰も菊村の文章を覚えていなかったに違いない。
 
(2020/03/26 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今の若い人からすれば
  パソコンもスマホも
  生まれた時からあったというかもしれません。
  ましてや
  テレビがなかった時代なんて
  考えもできないのではないでしょうか。
  私が生まれたのは昭和30年。
  もちろんテレビはありません。
  だからといって
  テレビが我が家に来たのも
  いつだったか覚えていません。
  昭和30年代であったことは
  間違いないのですが。
  今日は、
  「見たこともない昭和30年代」という副題のついた
  高野光平さんの
  『発掘! 歴史に埋もれたテレビCM』を
  紹介します。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  テレビがやってきた日を覚えていない                   

 「もはや戦後ではない」と綴ったのは、昭和31年(1956年)の「経済白書」でした。
 戦後ではなかったかもしれませんが、昭和30年代はまだまだ貧しかった。
 テレビの民間放送が始まったのは昭和28年(1953年)8月。当然そこからテレビCMが始まるのですが、本書ではほとんど誰も覚えていないようなテレビCMを掘り出していく。
 そこには決して華やかではないが、確実に変貌していく日本の社会が映し出されている。

 我が家にテレビが来たのはいつだったか、とんと覚えていない。
 大相撲でいえば胸毛の朝潮が横綱だった頃は叔父さんの家までテレビを見せてもらっていたことはよく覚えている。なのに、自分の家にテレビが来たのは覚えていない。
 だから、この本に出て来るテレビCMはほとんど知らない。
 けれど、子供向けのCM,それはおもちゃであったりお菓子であったりするのだが、を紹介する章の最後にこんな文章がある。
 「モノに囲まれて育った世代」と小タイトルが付き、「そんな彼らも還暦をすぎ、勤め人は定年を迎えているが、オタク第一世代でもある彼らは、年をとっても少年少女の心を持ち続けているように感じる」と。

 世代論という大枠ではこれは当たっているように思う。
 テレビという機械が家の中に入ってきて、貧しいがゆえに、そこに映し出されるCMの世界は憧れでもあり、希望でもあった。
 「経済白書」ではなく、消えていったテレビCMがそれを明らかにしてくれている。
  
(2020/02/13 投稿)

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  先日是枝裕和さんの
  『希林さんといっしょに。』という本を
  紹介しましたが、
  今年2冊目の樹木希林さん関連本です。
  『老いの重荷は神の賜物』。
  実は是枝裕和さんの本を読んで
  まだ観ていなかった
  是枝裕和監督作品「歩いても歩いても」を
  レンタルで観ました。

  

  この映画の樹木希林さんの母親役が
  よかったし、
  原田芳雄さんの父親もうまかった。
  結構胸に応えるいい映画でした。
  樹木希林さんには
  関連本もたくさんありますが
  いい映画もいっぱいあります。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  希林さん節目の2012年の講演録                   

 この本は2018年9月に75歳で亡くなった樹木希林さんが2012年12月に慶應丸の内シティキャンパスで行なった講演をまとめたもので、2019年9月に出たもの。
 希林さん関連本が売れるとなって、各出版社も自社で持っている情報を絞りだした努力はわからないではないが、なんだか絞り切った雑巾をまだ絞るのかという感も否めない。
 希林さんの話は雑巾ではないが。

 希林さんの年表をたどれば、2012年は映画「わが母の記」が封切られ、この作品の演技で第36回日本アカデミー賞最優秀主演女優賞を受賞した記念すべき年でもある。
 その一方で、全身がんも公表されて、このあたりから希林さんの早すぎる晩年と言っていいかもしれない。
 タイトルにもなっている「老いの重荷は神の賜物」は、そんな人生の岐路にあった希林さんがこの講演の冒頭に朗読したヘルマン・ホイヴェルスの「最上のわざ」に出てくる一節から採られている。

 希林さんはこの文章を長岡輝子さんの朗読から知ったと講演でも語っている。
 希林さんの魅力はそういう言葉の掬い取りが見事で、この2012年はまだ70歳にもなっていないのだが、希林さんが「老い」といえばそうなのかと思えてしまう。
 そういえば希林さんはまだ30歳の頃からおばあさん役をやっていて、希林さんにとっては若いとか老いとかは関係なかったのであろう。

 さすがにこの講演の時はまだ元気感を感じる。
 希林さんの人生をたどるという意味ではでは貴重な講演録ではある。
  
(2020/01/24 投稿)

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  今年もあと2日。
  明日の大晦日に対して
  その前日の今日は小晦日
  冗談のようだが
  ちゃんと歳時記にも載っています。

    さし来る日かくも斜めや小晦日        岩田 由美

  なので、
  こちらも大急ぎで今年の大河ドラマ「いだてん」について
  書いておきます。
  オリンピック前年にあたる今年
  かつて日本人が始めて参加したオリンピックや
  前回の東京オリンピックの話などを描いた作品だけに
  興味しんしんで
  毎回楽しませてもらいました。
  視聴率は今までも大河ドラマで最低となる不名誉な記録となりましたが
  どうも来年のオリンピックへの関心が低いのではと
  心配になります。
  昭和39年の前年の暮れの紅白歌合戦には
  渥美清さんが聖火ランナーに扮して会場入りしたそうです。
  そして、最後には「東京五輪音頭」を全員で歌ったとか。
  今年の紅白はどうなるのかな。
  そんなことを泉麻人さんの
  『1964 前の東京オリンピックのころを回想してみた。』を読んで
  考えさせられました。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  あれから56年                   

 書名の「1964」とは、副題にあるように「前の東京オリンピック」が開催された1964年、つまり昭和39年のことである。
 著者の泉麻人さんといえば、東京とかサブカルチャーをテーマに長年書き続けているエッセイストで、泉さんが生まれたのが1956年ということで私とほぼ同じ年代ということもあって経験していることも近似値なので、いつもアルバムをひっくり返すように楽しませてもらっている。
 もちろん泉さんは東京生まれで、私が生まれた大阪近郊の街とはかなり環境も違うが、昭和30年代後半はちょうどテレビが普及してきて、そういう点では全国どこであっても同じ経験をした少年少女が多いのではないだろうか。

 1964年の社会や世相を回顧しているこの本を開けば、例えばNHKで放送していた「なんでも考え、なんでも知って、なんでもかんでもやってみよう」の「ものしり博士」とかこの年の6月に始まった「少年忍者 風のフジ丸」とか「忍者部隊月光」の話など、もっともっとせがみたくなる話題ばかりだ。
 あるいは相撲中継でよくあった「分解写真」のこと。「”分解写真の相撲”のマネを弟とよくやったもの」というのは、そっくり私にも当てはまる。

 この当時のことを描いたNHKの大河ドラマ「いだてん」でも描かれていたが、この年の東京は日照り続きで深刻な水不足だったようだが、私にはその記憶はまったくないのは大阪ではそんなことはなかったのだろうか。
 あるいは、10月10日に全校体育があったともあるが、これも記憶にない。
 この日は土曜日で、テレビ観戦したことは記憶にあるが。
  
(2019/12/30 投稿)

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  グルメというのは
  食通とか美食家という意味です。
  今日紹介する
  『かきバターは神田で』の著者
  平松洋子さんは
  この本を読めばわかるように
  まちがいなくグルメですが
  そういう気どった言葉ではなく
  おいしんぼという方が
  ふさわしい気がします。
  それに
  美食家でもありますが
  美文家でもあって
  その文章のおいしいことといったら
  たまりません。
  おいしい料理をどのように
  おいしく表現するか
  かなりの腕がないとできません。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  平松洋子さんのおいしさの秘密                   

 本作は「週刊文春」に2016年8月から2018年4月まで連載されていて、つまりは好評連載で、それでいていきなり文春文庫オリジナルという、なんとも贅沢な食べ物エッセイである。
 平松洋子さんといえば、今や女東海林さだおともいえる存在であるが、東海林さんのように毎回「丸かじり」ではなく、上品さに時々ガブリと戴く豪快さを合わせもった筆力に、ファンは多い。
 平松さんの味にはずれは少ない。

 食べ物エッセイというだけあって、人を描く際にも食べ物の話題は欠かせられない。
 しかもそれが不自然でないのだから、平松さんの筆の巧さという以外にない。
 例えば、石牟礼道子さんのことを綴った文章。
 おそらく石牟礼さんが亡くなったあとの追悼の意味を込めてのコラムだろうが(この文庫で唯一残念なのが、連載時の日付がないこと)、そこでも生前石牟礼さんからご馳走になった炊きこみごはんのことが綴られている。
 石牟礼さんの食べ物の随筆を読みながら、最後には「あきれたことに、読みながら猛烈におなかが空いてくるのだ」となる。
 平松さんの食い意地がはっているのではない。
 石牟礼さんの文章のおいしさを表現するのに、こんなすばらしい褒め言葉はないだろう。
 平松さんにとって、食べ物はこの世界を語るのに欠かせない思いなのだ。

 「ぬるい味噌汁」というエッセイがいい。
 町のちいさな定食屋で体験した話。注文した定食についていた味噌汁のぬるいこと。文句のひとつもいえばいいのだが、忙しく働く店の人の姿に何もいえない平松さん。
 平松さんの文章がおいしいのは、こんな優しさが隠し味になっているからだ。
  
(2019/12/20 投稿)

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