
大晦日。大つごもり。
先日発表された今年の漢字が「変」でしたが、
確かに夏から秋にかけての社会の変動は、見事なくらいに、短期間で
世の中を暗鬱な気分にしてしまいました。
だから、「変」なのでしょうか。
あるいは米国の新大統領に選ばれたオバマさんがしきりに「変革(チェンジ)」と
言っていましたが、
それに影響された「変」なのでしょうか。
私にとっても、今年は色々「変」がありましたが、
そんな中にあっても、
私にとっての今年の漢字は「学」であったように思います。
こういう時代だからこそ、「学」ぶことを疎かにしてはいけない。
こういう時代だからこそ、「学」ぶことで新しいものを生み出す。
そういうことを実感した年だったと思っています。

その中で、ベストワンは何だろうと、自分の書評とか読み返しました。
勝間和代さんの何冊かの本はインパクトがありました。
城山三郎さんの本にも多くの感銘を受けました。
川上弘美さんには毎度毎度、ほのぼのさせて頂きました。
でも、あえて一冊。
『オバマ語録』を今年のベストワン(まったく個人的な選択ですが)にします。
政治的なことはよくわかりませんが、オバマさんの強さは、
人に「夢」を与える強さだと思います。
そんなオバマさんの「変」革を「学」ばないといけないのではないでしょうか。
そういうことを考えつつ、
今年の記憶として、この本をベストワンにします。

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アメリカで初の黒人大統領が誕生した日、私は家で一本の古いアメリカ映画を見ていた。
映画の題名は「スミス都へ行く」(原題・Mr. Smith Goes to Washington)。監督フランク・キャプラ、主演ジェームズ・ステュワートによる、名作(1939年)である。
田舎の州から上院議員の穴埋めとしてワシントンに送り出された主人公の青年は、まわりの思惑に反して熱い思いで政治活動を始める。しかし、そんな彼の情熱がじゃまになった関係者たちは彼を議会から追い出そうと排斥運動にでて、主人公の素朴の夢も頓挫しかける。
田舎に帰ろうとする主人公が訪れるのが「リンカーン記念館」。リンカーンの巨大な坐像のそばにあるのがあの有名な「ゲティスバーグ演説」の碑である。主人公はその一句一句を確かめるようにみつめる。
余談だが、この「リンカーン記念館」の前でキング牧師の「私には夢があるI Have a Dream」の演説が行われたのである。
やがて、主人公は女性秘書のアドバイスを受け、自身の身の潔白を証明すべく、議会で延々と演説を始める。いつしかその姿は多くの人に感動を与え始める。J・スチュワートの熱演である。
ヒューマンドラマここに極まり、という感があるが、これこそアメリカ的といってもいい。
しかし、そういう夢に対する素朴な情熱を、現実のアメリカは見失っていったのも事実である。素朴な夢がいつのまにか世界のすべてであるといった驕りになっていく。
だからこそ、今回の若き指導者バラク・オバマ大統領の誕生が、アメリカにどういう未来をもたらすのか、期待が大きい。
何故、オバマ氏がここまで多くの人を魅了するのか。
その一因として、演説の巧さがあげられる。
今回の勝利演説の模様を映像でみた人も多いだろうし、その内容についても大きくとりあげられた。わかりやすく、情熱があり、夢がある。もしかしたら自分たちは本当に変わることができるかもしれないと聴衆に思わせる話術。
実際にはオバマ氏の政治的な力はまだ未知数だと思う。
しかし、彼に国を任せてみようとさせる力が、オバマ氏の演説にはある。よくそんなオバマ氏と比較して日本の政治家の話術のへたさが話されるが、語ることの強さ、素晴らしさの認識がどだい違いすぎるのである。映画「スミス都へ行く」を語るまでもなく。
本書は2004年の民主党全国党大会での演説以降世間の注目を浴びだして後のオバマ氏の多くの場での言動から言の葉をすくいとったものであるが、残念ながら大統領選挙戦での彼の主張はおさめられていない。
また、収められたそれぞれの言葉がほとんどワンフレーズのため、彼の本当の主義主張をとらえきれていないかもしれない。
それでも本書が魅力的であるとすれば、オバマ氏のもっている信念そのものが、映画の中のJ・スチュワートのように素朴であり、政治や国や人々に対し夢を持ち続けていることを思わせてくれるからだろう。
「私の仕事は、人々を励まして、この国の主役にすることです。政治はビジネスではありません。使命です」(2004年3月)や「民主主義は面倒なものですが、その多くは健全なものです」(2006年10月)といった言葉は青臭いかもしれない。しかし、今のアメリカは、あるいは世界は、そういう若々しいものに賭けてもいいのではないだろうか。
先の大統領勝利宣言でバラク・オバマ氏は最後にこう語りかけた。
「人々に仕事を戻し、子どもたちに機会の扉を開こう。繁栄を再建し、平和の大義を推進しよう。アメリカン・ドリームを取り戻し、我々は一つであるという根本的真実を再確認しよう。希望を持つことは息するくらい当たり前だ。皮肉や懐疑心に出会ったり、<できやしない>という人に出会ったりしたら、米国民の精神を要約する不朽の信条で応えよう。<私たちはできるのだ>」
これはアメリカの驕りの名残りかもしれない。しかし、それであったとしても、それがアメリカの国民だけでなく、私たちすべてが共有すべき思いでありたい。
私たちはできるのだ(Yes, we can)、と
(2008/11/09 投稿)

本好きにとって、一番困るのが本の置き場所ではないかと思います。
限られた場所で、増えていく本をどう整理していくか。
私の場合はもうダンボール箱にいれるしかなくて、
それでも何を仕舞いこむかで迷いだすと、もう前には進まなくなります。
まったく困ったものです。

映画の題名は『いつか読書する日』(2005年・日本映画)。
2005年度キネマ旬報ベストテン第三位に輝いた、緒方明監督作品です。
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主演の田中裕子さんがすこぶる、いい。
田中さんはこの作品で多くの映画賞の主演女優賞をもらっています。
共演の岸部一徳さんも相変わらず上手い。 どういう物語か。
キネマ旬報から引用します。
50歳になる大場美奈子(田中裕子)は牛乳配達と読書がいきがいの独身女性。
彼女の高校時代の恋人・高梨傀多(岸部一徳)は末期ガンの妻を看取ろうとして
いる。その妻が、自分の亡きあと二人は共に生きてほしいと願った。戸惑いながら
積年の想いが弾ける二人。しかしその幸福も束の間だった。・・・同じ町で、互いの
感情を秘めつつ人生を歩んできた男女の、静かに燃え上がる恋を描いた本格ドラマ。
坂の多い長崎の風景がきれいです。
長い坂を駆け上がって牛乳配達をする美奈子。
その先には美奈子が「絶対に知られてはいけない」と自らの想いを禁じた、
傀多の家があります。
すれちがいながらも、いつもからまりあうことをさけてきた二人の想いは、
傀多の妻の死によって交差します。
いままでしたかったこと 全部して。
三十余年の時間が一瞬にして氷解していきます。
この場面がたまりません。
物語は悲しい結末で終わりますが、それでいてどこか清々しい感情を
おぼえるのは、この燃え上がる一点があるからでしょう。
三十余年の時間を経て、結ばれた二人。
翌朝、傀多が目にしたのは、美奈子の壁一面に置かれた本でした。
その時、傀多も、そして観客である私たちも、
美奈子の思いがはっきりとわかります。
彼女が傀多を思い続けた三十余年という日々を、本は静かに語っているようです。 年の瀬に、いい映画を観ました。
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百貨店の売上げが厳しい。
2008年11月の全国の百貨店の売上状況は9ヶ月連続の前年割れで、しかも前年同月比でマイナス6.4%という低水準である。
従前から右肩下がりの傾向はあったが、今までなんとか支えてきた都市部の業績が急速に悪化しているのが深刻だ。そのため、各百貨店では新装改装を凍結する動きまで出ている。
従来「一人勝ち」と定評のあった伊勢丹であるが、やはり他と同様に苦戦が続く。公表されている11月の部門別の売上げをみても、「ファッションの伊勢丹」といわれながらも、衣料部門の落ち込み幅は大きい。
本書は、伊勢丹が百貨店の中でも「一人勝ち」といわれてきた秘密を「お買い場」や「ウォントスリップ」といった伊勢丹独自の言葉を核にして、その商法を読み取ろうとしている。
著者は「本書は伊勢丹を賞賛する本ではない。伊勢丹を例にとりながら、百貨店はもちろん、流通のあるべき姿を明確にするための本である」(141頁)と書いているが、実際には日本の流通業は、百貨店やスーパー、コンビニや専門店などといったように「業態論」に終始しすぎているような気がする。
つまり、多くの流通業が「お客さま第一主義」といいつつも、実は顧客のニーズをとらえきれていないのが現状だし、その障壁になっているのが「業態」ではないだろうか。
本書の中で伊勢丹のタータンチェック柄のショッピングバッグが出来上がったエピソードが紹介されている(205頁)が、その時生み出したティーンエージャーというマーケットはファッションだけにとどまらず、新しい文化を創出したはずである。
もし、百貨店が今後生き延びることができる業種だとすれば、やはりそういった未知なる文化をどう提案できるかにかかっているように思う。
その時、彼らはもう「百貨店」である必要はないかもしれない。
伊勢丹だけでなく、すべての百貨店の、新しい展開を期待している。
(2008/12/29 投稿)

本書の奥付けをみると、2008年10月19日初版とあります。
いわゆる「世界金融不況」にどかーんとはまった感じです。
おかげで百貨店の売上げも下がっていますし、伊勢丹だって厳しい。
そういう環境での刊行は、この本にとって不運だったと思います。
もう少し以前であったら、「一人勝ち」の秘密を読みたいと思う人は
多かったでしょうからね。
しかし、こういう考えもあると思います。
こういう環境の中で、伊勢丹の「すごいサービス」が生き残るとすれば
それこそ「本物」になれる可能性が大きい。
その時になってあわてないためにも、今から本書を読んでおく。
うーむ。
やっぱり、そううまくいかないかな。
![]() | 起きていることはすべて正しい―運を戦略的につかむ勝間式4つの技術 (2008/11/29) 勝間 和代 商品詳細を見る |


今年の勝間和代さんの活躍はめざましいものがある。
それを象徴するように週刊誌「AERA」(2008.12.12号)は「勝間勝代」特集だったが、その中でこんな文章を見つけた。「勝間本の愛読者や彼女の本の内容を実践する人たちを「カツマー」と呼ぶ。そんな言葉が流布するほど、ロストジェネレーションを中心とした一部の若者に絶大な支持が広がる。「人生を変えた」とまで言わせる魅力。それは「失われた10年」によってもたらされたレールなき時代の「道しるべ」になっているということだろう」(同誌31頁)
私は「カツマー」ではないが、勝間さんがその著作で繰り返し書いている「実践化」にはとても感銘を受けた。それはこの本でもいえることで、副題の「運を戦略的につかむ勝間式4つの技術」のうち一つでも、まずは自分自身がやってみることが大事だろう。 もちろん、そういったことに抵抗がある人もいるにちがいない。
ただ、勝間さんは自身が提唱していることをすべて実践しなさいとは書いていない。むしろ「マネして寄り添いながらどこかで離れてみて、そしてもう一度マネてみる」(240頁)といったことが重要だという。
まずは、やってみること。
それで自分に合わなければ、何が合わないのかを考え、修正してみること。
「カツマー」になる必要はない。
ただ、勝間本を読んでみようとする人は、何かを変えてみたいと思っているはずで、そのこと自体が勝間さんの言おうとしている「セレンディピティserendipity」(思いがけないものの発見)につながっているにちがいない。
機会を逃すことはない。
今年の集大成のように勝間さんはこう書いて締めくくっている。
「決して「勝間和代だけができた」「勝間和代だからできた」のではありません。ほんのちょっとした考え方の違い、習慣の違いであり、また、技術の違いで誰もができることだと確信しています」(325頁)
まずはページを開いてみてはいかが。
(2008/12/28 投稿)

先日東京駅のそばの「丸善」に立ち寄ったのですが、
はいってすぐのところに、たくさんの勝間和代さんが表紙の「AERA」と
勝間本がワゴンにはいって並んでいました。
この書評の冒頭に書いた「AERA」がそれです。
丸の内の本屋さんのうまい訴求方法だと感心しました。
今回の書評では、かなり意図的に文字数を減らしました。
従来やや長い感じがしていましたので、大体200~300文字は少なく
しました。
簡略にして、どう伝えていけるでしょうか。
ご意見があればお願いします。

最新刊『旅する力』もたいへんよく読まれているようです。
沢木さんを好きだという人、多いのだと思います。

それから、一度も「もういいや」と思ったことがない、
私にとっては稀有な作家です。
きっかけは「深夜放送」でした。
先の『旅する力』ではTBSラジオの「パック・イン・ミュージック」の小島一慶さんの
話が出てきますが、私の中の記憶では林美男さんの番組のようでもあり、
文化放送の「走れ、歌謡曲」のようなでもあるのですが、
(どちらかといえば後者なのですが)
どなたかご存知の人がいれば、教えて下さい。

まさに新しい書き手の登場にもうしびれましたね。
とにかく沢木耕太郎さんは、(使い古された言葉ですが)「カッコよかった」です。
生きるスタイルがスマートでした。
『テロルの決算』、『一瞬の夏』、『深夜特急』・・・
どれもこれも題名がいいんですよね。
本屋さんの店頭の並んでいるだけで、わぁーって思いましたよ。
たくさんある沢木さんの著作の中で、一番を決めるのは大変ですが、
私のオススメは、作家の檀一雄さんの生涯を奥様の聞き書きの形にした『檀』かな。
この作品が、沢木ノンフィクションの最高峰だと思っているのですが。
今年新装版として出された文庫本の『テロルの決算』の書評を
蔵出ししておきます。
沢木耕太郎さんの魅力が少しでも伝われば、と思います。
![]() | テロルの決算 (文春文庫) (2008/11/07) 沢木 耕太郎 商品詳細を見る |


名前を見たり、聞いたりするだけで、どきどきというかそわそわというか、心がときめく書き手が何人かいる。ついネット書店を彷徨い、リアル書店に出かけてしまう、書き手である。
沢木耕太郎は、私にとって、そんな書き手の一人である。
沢木が同時期に描いた「1960」をテーマにした三部作(そして、それはいまだに完成しない三部作であるが)のうち、『危機の宰相』と『テロルの決算』が文庫本として今秋同時に刊行された。そのうち『テロルの決算』はすでに文庫本として出版されていたから、今回装丁も一新され、<新装版>ということになる。
そして、沢木はその《新装版》のための<あとがき>を新たに書き加えている。
『テロルの決算』自体は1978年に沢木の初めての長編ノンフィクションとして出版されたものである。
1960年に起きた、当時の社会党委員長であった浅沼稲次郎が十七歳の右翼の少年山口二矢(おとや)に刺殺された事件を描いたもので、単行本の<あとがき>に沢木はこう記し、それはそのまま単行本の帯にも使用された。
「ひたすら歩むことでようやく辿り着いた晴れの舞台で、六十一歳の野党政治家は、生き急ぎ死に急ぎ閃光のように駆け抜けてきた十七歳のテロリストと、激しく交錯する。その一瞬を描き切ることさえできれば、と私は思った」。
この時、昭和22年生まれの沢木はまだ二十代の若い書き手であり、作品以上に単行本の<あとがき>には青春の昂揚が感じられる。そして、その作者の昂揚はそのまま二十歳を過ぎたばかりの読み手であった私に熱く伝播した。
青春期には漫画『あしたのジョー』に代表されるような、燃え尽きたいという思いが強いのかもしれない。
今ここでこうしている自分ではない、そういうものへの憧れのような思い。若い沢木にもあったし、若い私にもあった。そして、沢木は常にそういう書き手として、私たちに多くの作品を提供してくれたからこそ、今もときめき書き手なのだ。
本作品が文庫本として収められた1982年時の<あとがき>で、沢木はこう書いた。
「私の「内部」とやらで、決着がついたものなど実はひとつもありはしなかったのだ。(中略)私は、私自身を検証するためにも、もう一度、この『テロルの決算』を読み返す必要があるのかもしれない」と。
沢木が三十五歳の時の文章である。
そして、今回《新装版》として出版された文庫本の<あとがき>に、六十歳になる沢木はこう書いている。
「私が何人かの夭逝者に心を動かされていたのは、必ずしも彼らが「若くして死んだ」からではなく、彼らが「完璧な瞬間」を味わったことがあるからだったのでないか。(中略)私の内部には、依然として「完璧な瞬間」の幻を追い求める衝動が蠢いているような気がする」
六十歳になった沢木耕太郎にとって、「1960」をテーマにした最後の作品『未完の六月』が多分永遠にやって来ない六月であるように、沢木の中ではまだ終わりきらないものがある。
そして、それは読み手である私にもある。もしかすれば、その「時」などけっして訪れないのかもしれないが、それを求めようとする沢木に、やはり読み手としてこれからもつきあっていきたい。
いずれくる、六月を信じて
(2008/11/12 投稿)
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世の中には、音楽、絵画、映像、文芸という風に多様な表現手段があるが、その中でも俳句というのは極めて不自由な表現手段といっていい。
五七五の十七文字の「定型」にしろ「季語」にしろ、制約が多い。
それでいて俳句の妙味はその不自由さにあるのも事実であるし、わずか十七文字の短詩とはいえ、その広がりは無限でもある。
特に「季語」については、寺田寅彦の「歳時記は日本人の感覚のインデックス(索引)である」という有名な言葉の通り、私たちの生活における季節感を脈々と受け継いできたという点において、日本人の至宝だといっていい。
試みに歳時記の秋の部を開いてみても「秋の声」という季語があって、「秋になると雨風の声、物の音などの響きすべてが敏感に、しみじみと感じられる」とある。
こういう感覚は誰に教わったわけではないが、日本人として肌身に理解しうる情感といえる。
このように季語だけでわかりあえること、それを「季語の本意、本情」というが、俳句の世界ではこの本意、本情にもたれすぎることを嫌うことが多い。
「月並み」な俳句とは季語にあわせていわずもがなのことを記したものだが、季語の持つ本意、本情をてこにして、どう描くかが俳句の世界に広がりをもてるかどうかだと思う。
わずか五文字(もちろんそれ以上のものもあるが)の言葉だけで、人に何かを伝えられるとすれば、これほど素晴らしいことはない。
重松清の「季節風」シリーズはそういう元来私たちが持っている季節感をうまく織り込んだ連作集である。
表題作の「少しだけ欠けた月」は離婚しようという父母との最後の夜を過ごす少年の話だが、歳時記には「名月」を過ぎたあと「十六夜」「立待月」「居待月」「臥待月」といったようにきれいな日本語がつづく。ただこの物語では「後の月」という季語を思ってみたい。
歳時記によれば「この頃はもうどことなく寒く、風物もまたもの寂びてきて」とある。そういう情景に、別れていく家族をはめてみると、作品に深みがでてくる。
それが重松清の<うまさ>である。
ここに描かれた12の物語は重松清の得意とする子供たちの忍耐や中年たちの悲哀で満ちている。 握りしめた拳、鼻にくるツンという感触、言葉を噛みしめる唇、思わず伝わる涙。
重松清という書き手がいかに私たち日本人のもっている感性を巧みに表現しうる作家であるかがわかる。
そして多分、重松は私たちの感性というのが季語としてあるように季節感と一体のものであるかということを充分に認識しているのに違いない。
それも重松の<巧さ>だろう。
これらの作品が季節感とどう連関するかで「月並み」な重松作品で終わるのか、あるいは作品集「季節風」の一篇として物語の深みまで読者を連れていくのかがわかれる。
いいかえれば、重松清の<巧さ>が影をひそめて作品としての<うまさ>だけを感じられた時に、これらの物語は広がりと深みをもつのだと思う。
歳時記をそばに読んでみるのもまた楽しい。
(2008/09/30 投稿)

「歳時記」というのはとても素敵な本です。
よく、「あなたは無人島に一人流されたとしたら、どんな本を持っていきますか」
みたいな質問がありますが、
「歳時記」などはいいですね。
読んでて飽きない。
でも、これも日本という国に四季があるからかもしれませんね。
南国の無人島で「初雪や」って詠むのは、
やはりつらいかな。
![]() | 僕たちのミシシッピ・リバー―季節風 夏 (2008/06) 重松 清 商品詳細を見る |


なめらかな曲線を描く硝子のフォルムの上部から細いすきまを通ってひたすら落ち続ける砂。
さらさら、さらさら。
同じ形をした下のフォルムの中で、静かに小さな砂山ができていく。
さらさら。さらさら。
そうして時を刻んでいく、砂時計。やがて、最後の砂の一粒がこぼれて、時がとまる。
この小さな道具がそのようにして一定の時間を刻んでいくことを誰が発明したのだろうか。
人はまた砂時計の上下を置き換えて、時を刻むことを始める。
さらさら、さらさら。
逆さになった砂時計はやはり同じだけの時を刻んで終える。
重松清の短編集『僕たちのミシシッピ・リバー』を読んで、そんな砂時計のことを思った。
友達、家族、恋人、過去、未来。重松清が得意とするどこにでもありそうな、普通の生活が夏の風景とともに描かれる、12の短編。
シリーズ「季節風」の夏篇である。
転校していく友人との夏休み最初の小さな冒険を描いた表題作の「僕たちのミシシッピ・リバー」をはじめ、がんに冒された父親と夏休みの宿題の工作をつくる少年の話(「タカシ丸」)や高校三年の最後の高校野球の予選に敗れた少年の話(「終わりの後の始まりの前に」)など、どこかで終わりを感じてしまう物語が多いのは、夏が燃える季節であるにもかかわらず、どこか喪失感をともなう季節であるからかもしれない。
それは、あたかも秋の前に散っていく病葉(わくらば)のようだ。
重松清は巧い書き手である。
そのような喪失感を描かせれば当代一かもしれない。
どの短編も鼻の奥がツンとしてしまうようで、まったく同じ経験などしていないのに物語に既視感を覚える。だから、すごく読みやすい作家でもある。
しかし、ひとつの物語を読み終え、次の物語にはいる頃にはまた同じだけの納得があり、最後には同じだけの鼻ツンがおこる。さらに次の物語でも同じだ。
まさに砂時計のようにつねに一定の感動がつづく。
そのことをけなしているのではない。書き手としてこれほど安定していれば何もいうことはない。重松から忘れていた何かをいつも教えられる。
しかし、重松のそのような巧さがどこかで何かを失っていきはしないか。
この短編集に収められた悲しみや悔しさや柔らかさはまったく同じものではない。
それでいて等分の感動を与えてしまう巧さは、いいかえれば不幸でもある。
砂時計の正確さや時を刻む美しさを誰も否定はしないだろう。
でも、いつか上下をひっくりかえすことに飽きてしまう。何度やっても同じ時間しか刻まないことに厭きがくる。
上から落ちる砂がいつまでも止まることがなければ、あるいはひっくりかえしても砂が落ちなかったら。
それはもはや時計ではないが、人の思いというのは等しく刻まれる時間のようなものではないことを、作者自身が一番知っているはずだ。
一味違う、「季節風」秋篇を楽しみにして待つ。
(2008/08/04 投稿)

このシリーズを読んだのは、この「夏の巻」からでした。
読んだ順でいうと、夏、秋、春、冬、ということになります。
この「夏の巻」では結構キツいこと、書いています。
でも、ここに書いたことは、実はシリーズ全体にいえることかもしれません。
というか、重松清文学全体の危うさではないかと思っています。
人間の、あるいは日本人の心のありようとして、
いくら時代が変わっても変わらないものがあると思います。
それが重松文学の魅力ですが、それを今後どう描いていくのでしょうか。
とても興味があります。
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重松清の、季節の風物を素材にした短編集の、本作は「春」の巻である。
ここに収められたのは12編の短編だが、春は「雛飾り」や「鯉のぼり」といった子供の節句が多い季節だから、重松の得意とする親と子の世界をたっぷり味わうことができる。
また、卒業入学といった人生での別れとか出会いを経験することが多い季節で、どうしても人の感情が揺れ動くので、それもまた重松の世界である。
そんななかで田舎(故郷)と都会という構図を描いた作品もいくつか描かれている。(「島小僧」「ジーコロ」「霧を往け」「お兄ちゃんの帰郷」)
「故郷は遠くにありて思ふもの/そして悲しくうたふもの」(小景異情)と詠ったのは、詩人室生犀星である。
今でこそ通信手段や交通手段が発達しているから、故郷といっても物理的には近いものかもしれないが、気持ち的には一旦離れた故郷は遠い存在である。
嫌な言い方をすれば、捨てるに近い思いであろうか。
重松清自身が岡山の出身ながら大学の時に東京に出てきた経歴があるから、どうしてもそのような思いが強く匂う作家である。私も大阪の地方都市から東京に出た人間だから、そのあたりの匂いに敏感なのかもしれない。
「ジーコロ」は東京の大学に入ったばかりの自身を回想する男の物語だ。
知った人など誰もいない東京での淋しさと不安でふさぎこんでいた青年に田舎の母から一通の手紙が届く。それは<元気ですか?>に始まる短い文面だが田舎への電話を求めるものでもあった。青年は下宿の電話ではなく、「なるべく遠くの、話し声が誰にも聞こえない」公園の電話ボックスまでいって、故郷に電話をかける。
題名の「ジーコロ」とは、ダイヤル電話の、回したダイヤルが戻る音である。
実は同じような経験を私もしている。私の場合は下宿に電話がなかった。携帯電話が普及した時代に電話がない世界は想像しにくいだろうが、30年前にはたしかにそんな世界があったのだ。ましては当時はテレホンカードもなかった。百円硬貨や十円硬貨を握りしめて、公園の電話ボックスに行ったものだ。(電話ボックスというのは不思議な空間で、かぐや姫が唄う「赤ちょうちん」という歌の中に「公衆電話の箱の中/ひざをかかえて泣きました」というフレーズがあるが、今でも泣ける一節である)
また「お兄ちゃんの帰郷」は、東京での淋しさにまけて田舎に逃げ帰ってきた兄を妹の視点から描いた作品である。
家族の立ち居地など出来すぎている印象は否めないが、田舎(故郷)というのはそういう甘さもふくめて故郷なんだと思う。
「霧を往け」も夢に破れ、東京で死んだ男の故郷を訪ねる作品だが、ここでも故郷の年老いた両親はつまらない死に方をした息子であってもどこまでも愛して、信じているものとして描かれている。
故郷は、単に生まれた土地をいうのではない。それは親と同義語なのだ。
いつでも、どんなときでも、自分をうけとめてくれるそんな存在なのである。だから、重松の故郷を描いた物語は、親と子の物語でもあるのだ。
犀星の詩もそのような甘やかな書き出しだが、実はそのあとこう続く。 「よしや/うらぶれて異土の乞食となるとても/帰るところにあるまじや」と。
犀星は重松よりも、あるいは私よりもうんと厳しい目で故郷を、自分自身を見つめていたのかもしれない。
(2008/11/13 投稿)

この書評の中でも書いていますが、
私が大学生の頃は、もちろん、携帯電話などありませんでした。
100円硬貨でかけられる、黄色い公衆電話が出た頃だったと思います。
故郷に電話するのは、たいがい、お金がなくなったというようなことでした。
故郷とは、そういう距離感にあるのではないでしょうか。
最近の若い人は、もしかして携帯電話があることで便利にもなったでしょうが、
そういう故郷の電話などは「ウザい」のではないのかな。
どこでもかかる携帯電話があることで、やはり私たちの時代とは、
意識というか、思いというか、
かなり違うのでしょうね。
![]() | サンタ・エクスプレス―季節風 冬 (2008/12) 重松 清 商品詳細を見る |


重松清の人気シリーズ「季節風」もこの「冬」の巻である『サンタ・エクスプレス』で完結である。
この機会に、全四巻の帯のコピーを書き留めておく。括弧内は文藝春秋のホームページに掲載されていたそれぞれの装丁の色のイメージ。
春 … 記憶の中の春は、幾度となく巡り来てひとびとの胸をうるおす (青<青春>)
夏 … 忘れられない一瞬を焼き付けた夏が、今年もまたやってくる (赤<朱夏>)
秋 … 澄んだ光に満ちた秋が、かけがえのない時間をつれてくる (白<白秋>)
冬 … 鈴の音ひびく冬が、いとしい人の温もりを伝えてくれる (黒<玄冬>)
そして、それぞれのコピーの終わりには、いつも「ものがたりの歳時記」と。
今回も十二篇の短編が、「焼き芋」や「クリスマス」や「お正月」といった冬の風物詩とともに描かれている。
しかも重松清らしさを失わずに。
それは先の「春」「夏」「秋」も同じである。
親がいて、故郷があって、子供がいて、都会にあこがれて、友人がいて、おとなになって。それぞれが喜びとか悲しみとか後悔とか憧れとかをひきずって。
でも、重松清らしさとはなんだろう。
重松清の文学の核とはなんだろう。
それはおそらく重松が信じている日本人の心の機微のようなものだと思う。あるいは、読み手である私たちが「そうだったよな」と思い返せる感情のようなものだと思う。
例えば、青春の男女のほろ苦い別離(わかれ)を描いた「コーヒーもう一杯」のこんな文章。
「十九歳の僕は、ひとの心は言葉や表情よりもまなざしにあらわれるということを、まだ知らなかった」(38頁)
例えば、故郷に一人残した母親を正月にたずねる「ネコはコタツで」に描かれる、故郷から届いた荷物を開封するこんな場面。
「親父さんが「ぎょうさん入れてやれ」と言うのか、おふくろさんがどんどん詰め込むのか、どっちにしても、そういうところが田舎で-親なのだ」(109頁)
例えば、家族四人の現代風の正月風景を描いた「ごまめ」の主人公の思い。
「昔-まだ香奈が小学生で、敏記は両親を「パパ、ママ」と呼んでいた頃、正月を家族で過ごすのはあたりまえのことだった。あたりまえすぎて、それがいつかは終わってしまうのだと考えもしなかった」(131頁)
これらの思いは次の世代には伝わらないかもしれないし、そうしていつか苦い思い出のようになっていくのかもしれない。
重松清が描く世界はいずれ理解されなくなるのだろうか。
それでも、春。巡り来る季節に人は夢みて。
それでも、夏。汗で涙を隠して。
それでも、秋。思い出にひたって。
それでも、冬。温もりを求めて。
四季はまちがいなく繰り返すにちがいない。
(2008/12/26 投稿)

このシリーズは基本的には「産経新聞大阪本社夕刊」に
毎週土曜連載されていたものですが、時折、単行本化にあたって
別の雑誌とかに発表されたものもはいっています。
この「冬の巻」では、「コーヒーもう一杯」がそう。
でも、これがいいんですよね。
私の大学時代はこの物語よりももっとみじめでしたが、
「わたし、東京っていう魔法にかかってたんだろうね、きっと」(58頁)
っていう、ヒロインの言葉に、じん、ときました。

そのまえに。映画の話を少し。
映画の世界でもクリスマスの名画がたくさんあって、
私のオススメは『素晴らしき哉、人生!』(1946年、フランク・キャプラ監督)です。
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この映画は今でもアメリカでは人気があって、クリスマスには一家で観る人が多い
とか聞いたことがありますが、本当かしら。
この映画ではジェームズ・ステュワート演じる青年実業家が資金に詰まって絶望して
迎えるクリスマスの夜が最大の見せ場になっています。
そんな彼を二級天使が励まし、救うっていうお話。
生きているって素晴らしいんだって、いう、もう題名そのものの人生賛歌です。
そういう映画をクリスマスの夜に観るのも素敵ですよね。

トルーマン・カポーティの『あるクリスマス』。
村上春樹さんの訳、山本容子さんの銅版画の挿絵という、おしゃれな本です。
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ときどき内容を的確に表現した本の帯に出合うが、これもそのひとつ。
帯にこう書いている。
<『あるクリスマス』の前年、トルーマン・カポーティは父を失っている。触れあうことの少ない父子だった。カポーティ自身、すでに酒とクスリに蝕まれていた。この作品の翌々年、彼はこの世を去る。最後にみる夢、だったのかもしれない>
これはカポーティの少年時代の、別れていた父と暮らすクリスマスの話なのだが、父は少年にサンタクロースなんていないと告げる。
それはある意味で、父にとって必要な宣言だったかもしれない。
しかし、少年の心は痛む。
それは、成長した大人の自分が、少年の日の自分を悲しんでいる構図だ。
大人になるということは、そんな風なものかもしれない。
少年は父と別れ、愛しいおばさんに聞く、サンタって本当にいるのって。
「もちろんサンタクロースはいるのよ。でもひとりきりじゃとても仕事が片づかないから、主は私たちみんなにちょっとずつ仕事をおわけになってらっしゃるのよ。だからみんがサンタクロースになっているの」
大人とは何だろうか。サンタなんていないと云わざるをえない存在であり、サンタを夢みていた少年の自分をいとおしむ存在なのだ。
なんて哀しいんだろう、大人って。
(1989/12/19)

これも古い「読書ノート」からの蔵出し の一冊です。
もう二〇年近い前のノートからです。
すごいな。
この本は本当に素敵な本のですが、文庫本にはなっていません。
残念ですが。


子供たちも大きくなって、昔サンタさんだった私も、今はすっかり
ご隠居サンタになってしまいました。
でも、子供たちへの贈り物を探して、夜の商店街を駆け回っていた頃が
懐かしくもあり、ほろ苦くもあります。

今日と明日は「クリスマス本」の紹介をしようと思います。
昔書き留めていた「読書ノート」から、
私がサンタだった頃読んだ本ということになります。
それで、今日はクリスマス本の名作、ディケンズの「クリスマス・キャロル」。
よいクリスマスを。

私にもサンタ来ないでしょうか。
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妊娠小説なんていう文学の括りを考えつく人もいるように、文学には色々な区分けができる。その中でも、クリスマス文学ともいえる世界は絶対あって、特に児童書・絵本の類にはこれが多い。
その中でもつとに有名なのが、文豪ディケンズが書いたこの「クリスマス・キャロル」だろう。
この物語は、単純明快だ。
人間嫌いのガリガリ亡者スクルージ爺さんは、クリスマスだというのに、たった一人で、クリスマスなんて何がいい、と拗ねている。その夜から、三人の幽霊が彼のもとを訪ねてくる。
第一の幽霊は彼に過去を、第二の幽霊は今を、そして第三の幽霊は未来を見せる。
純粋であった彼は、いつかお金を得、まわりの温かさや思いやりや不幸が見えなくなっていた。そして、誰に悲しまれることのない死を迎える。
やがて、スクルージ爺さんは目を覚ます。
そして、気がつく。人としての本当の生き方を。
理想的なクリスマス。人と喜びを分かち合い、神に感謝する。愛する人に贈るものは、物ではなく、愛しているという自分の気持ち。そんな簡単なことを、僕たちは忘れていないだろうか。
クリスマスキャンドルの小さな灯は、僕たちの心まで届いていない。
こんな一世紀以上も読み継がれてきた名作を読むと、心のどこかに安心がある。
物語に破綻がない。
そのことが物語をつまらなくしているとしたら、贅沢だろうか。
(1994/12/22)

最後の日付をご覧になればわかるように、この文章は十年以上前のもの。
なんと私はまだ三〇台だったことになります。
けっこう真面目に読書していたんだな、って感慨深い。
これって、サンタさんのプレゼント?
![]() | 人生は愉快だ (2008/11/08) 池田 晶子 商品詳細を見る |


池田晶子さんがなくなって、もうすぐ二年になろうとしている。
それなのに、こうして新刊が出るのだから、考えれば凄いものである。
なにしろ、池田さんの書くものといえば、「哲学エッセイ」といわれるものであるから、まずは難解だ。
それでいて、こうして未発表の原稿が本になるというのは、多くの読み手を魅きつけるものが、池田さんの文章にはあるからだろう。
だから、ここにいなくても本が出る。
そして、言葉をたどって「生」とか「死」とかを理解しようとする。
でも、それを書いた人はここにはいない。
書き手は「あっち(死)」で読み手は「こっち(生)」にいる。
では、「あっち」側にいってしまった池田さんが不幸かというと、その不幸と思うのは「こっち」側にいる私たちであって、しかも幸か不幸かの基準も「こっち」側の判断で、「あっち」にいる池田さんにとっては余計なお世話だろう。
本書は三つの章に分かれている。
まず第1章は「死(あっち)を問う人々」と題された、古今東西の思索者たちの「死と生の考察」を短文で書き綴ったものであるが、これはもう思考が「あっちこっち」にさ迷う。
わかりやすく(多分)書かれているのだろうが、「当たり前のことは、当たり前だから、当たり前なのだと思っている。しかし、当たり前のことは、どうして当たり前なのかということを考え始めてしまう人が、どの時代にもごく一握り存在する」(34頁・「孔子」)というぐらいの、わかりやすさである。(なお、この引用文に入力誤りはない)
第2章「生(こっち)を問う人々」は前章よりは読みやすいし、面白い。 何しろ女性雑誌「Hanako」の人生相談なのである。すこぶる歯切れのいい文章が続く。但し、池田さんの答えが相談者の満足を得たかどうかはわからないが。
その気風のいい文章を少し引用しよう。
「人間は、自分を主張するから人間なのではなくて、その自分とは何かを考えるから人間なのです」(202頁)。
また。「精神の側、心や気持ちや知恵の側を価値とするなら、年をとることはそれ自体で価値となります」(210頁)。
そして、これに続く文章がとてもいい。
「Hanako」族だけでなく、老若男女の皆さん、寄ってらっしゃい、と云いたいくらい、いい。
「なぜなら、年をとるほどに精神は、味わい深く、おいしくなってゆくものだからです。だから私はこの頃とみに、年をとることが面白くてしょうがない」。
文句のつけようのない絶品の文章である。
第3章は「人生の味わい-モノローグ」とつけられた数編のエッセイ。
忘れてはいけないことは、これらの文章を書いた池田晶子さんはもう「こっち」にはいないということ。
しかし、これらの文章は決して「あっち」の池田さんが書いたものでもないということ。
では、誰が書いたのか。
「こっち」にいた池田晶子さんが、私たちに残してくれた、贈り物かもしれない。
「根源的な問いほど、自ら問い自ら答える以外はあり得ないのです」(14頁)「考える精神は、誰のものでもなく、不滅です」
ありがとう、という言葉しかない。
(2008/12/23 投稿)

こういう本の書評を書くのは難しい。
読むのも難儀でしたが、それを書評として書くのは、もっと難しい。
できれば、自分というものを表現したいし、
池田晶子さんの言いたいことを伝えたい。
それが、できたでしょうか。
池田晶子さんは彗星のように現れて、
一瞬で消えてしまいました。
池田さんの死を報じた新聞を読んだ時の驚きが
まだ忘れられません。
なぜ。
でも、生きていくということはそういう「なぜ」の繰り返しなんでしょうね。

ものです。
私にも、何人か、そういう人がいます。
書評のすきますきまで、そういう「わたしの好きな作家たち」を書いていきたいと
思います。

どれくらい、好きだったかというと、昔書いた書評に少し書いています。
(この書評もかなり以前のもので元はもっと長い書評でした。「夏の雨」としての
投稿では、初期の部類です。娘にあてた手紙形式で書いています)
書評にあるとおり、大江健三郎さんを読み出したのは中学の終わりか高校の始め。
新潮文庫の『芽むしり仔撃ち』だったと思います。
そこからぐんぐん読みました。
大学生の頃は、パチンコ屋さんの景品に「全作品」(新潮社)があって、それを揃える
ために大学の授業にも行かず、そのパチンコ屋さんに日参したものです。
高田馬場の駅前にあった遊戯場でした。

あの本は何度も読みました。
その後有名になる息子の「光」さんの誕生という困難な状況をモチーフにしながら、
若い父親の閉塞感と希望が描かれた作品です。
その後の「光」さんを主人公とした一連の作品も好きです。
大江さんの魅力はあのこなれない文体にあるというのも変な書き方ですが、
物語を読み始めてもちっともおもしろくないのですが、いつの間にかどんどん
ひきずりこまれているのが不思議な感じがします。
でも、今はあまり「好き」ではありません。
最近の作品は読んでいない方が多いと思います。
なぜかというと、「最後の全集」と銘うった「大江健三郎小説 全十巻」を
頑張って買い揃えたのに、その後も作品を発表しているから、という
極めて「個人的な体験」からです。
![]() | 「自分の木」の下で (2001/06) 大江 健三郎大江 ゆかり 商品詳細を見る |


お父さんが大江健三郎さんの小説を初めて読んだのは、多分16歳くらいの、高校生の頃でした。
それからたくさんの水が橋の下を流れ、大江さんはノーベル賞作家になり、お父さんは君たちの父親になりました。大江さんも、お父さんも、幸せな大人になったということでしょうか。(笑)
もっともお父さんの方は大江さんのように熟した大人になったとはいえませんが。
そんなお父さんが君たちに伝えたいことは、この本の中で大江さんが書かれている言葉の一つひとつが、やはり現代の僕たちにとって最良の思想であり、日本語だということです。
ここに書かれていることのすべてが君たちに理解してもらえるとは思わないですが、大江さんの文章はいささかまわりくどいですし、でもここに書かれているのは良質の大人の意見です。
そして、これからの君たちの時代をあかあかと照らす、たいまつだと思えばいいでしょう。
(2002/05/19 投稿)
![]() | 読書は1冊のノートにまとめなさい 100円ノートで確実に頭に落とすインストール・リーディング (2008/12/05) 奥野宣之 商品詳細を見る |


ベストセラーとなった『情報は一冊のノートにまとめなさい』の著者奥野宣之の第二弾である。
前作が何故あんなに売れたのか、それにはノートを模した表紙の装丁の効果が大きかったのではないかと思っている。私たちってああいうノートを子供の頃からずっと使ってきたから、あの本自体をすごく「身近」に感じたのだと思う。
それに手書きの書名。「国語」とか「算数」とか、子供の頃のノートの雰囲気がよく出ていた。
そして、本の帯の「百円硬貨」のデザインも、「知的生産」という高度な情報管理術が「百円ぽっきり」で出来てしまいそうだという期待感をもたせた。
だから、思わず手にしてしまう。
それが前作のベストセラーの方程式だったのではないだろうか。
今回は「読書」がテーマ。
表紙の装丁デザインもほぼ同じ。やはり、つい、手にしてしまう雰囲気を持っている。
しかも、「確実に頭に落とす インストール・リーディング」ってある。こういう横文字に弱い人って多いのだろうな。
「インストール・リーディング」ってなんだ?
「パソコンにたとえれば、ただのデータ保存ではなく、インストールするようなもの」(6頁)とあるが、なんだかわかったようなわからないような読書法だが、これはすごく重要な表現方法なのである。
表現したいことをひとつの単語で言い切ってしまうことで情報の普及性が高まる。
「頭のまわりに毛がいっぱい生えていて、牙が鋭くて、恐い動物だよ」っていうより「ライオンがさ」っていうだけで物事が伝わる。それと同じ。
この本にはそういった<ネーミング方式>がほかにもあって、「ハブ本」(どんどんほかの本につながる本、という意味)とか「ねぎま式読書ノート」とか。
但し、後者はかなり苦しいネーミングだ。「焼き鳥の<ねぎま>のように、<引用>と<感想>がひとつ置きに出てくる」(99頁)読書ノートのことなのだが、ちょっとベタベタしそう。もう少しスマートに「ゼミナール式読書ノート」みたいな方がよかったように思うが。だって、「君、いい読書ノート作ってるね」「ええ、<ねぎま式>なんですよ」というのは、ちょっと、ね。
では、基本となる「インストール・リーディング」はどういう読書法かというと、「探書リスト作成(探す)」「指名買い(買う)」「マーキング(読む)」「読書ノート作成(記録する)」「検索テキスト作成(活用する)」という手順の極めてオーソドックスなものである。
もちろん、前作同様、基本的には一〇〇円ノートを使った情報管理であるから、一冊でまとめるとか「低コスト」という点はここでも活用されている。
そして、あまり肩肘張らないということが大事である。
著者も書いているが「読書ノートは<続けること>に意味がある」(84頁)のだから、本当は本書を参考にしながら自身の読書法を考え出すのが一番いいだろう。
「ねぎま式」にこだわる必要はない。
「自分なりにアレンジしつつ、ぜひ継続してみてください。そして、確かな効果を感じてください。実行すれば、きっとあなたの読書生活は変わるはずです」(211頁)。
いいこと書いている。
そういえば、子供の頃よく母親から言われたものである。
「ねえ、ノート持ったの?」
(2008/12/21 投稿)

「読書」というのは面白い習慣だと思います。
本を読む人、あるいは読書が好きな人は多いと思いますが、
本を読まない人、あるいは読書が苦手という人はもっと多いのではないでしょうか。
その理由として、「何を読んでいいのかわからない」というのも多いかもしれません。
この本では結構その「探す」ということに頁を割いています。
でも、そのことを書評に全く書いていませんが。
この本はそういうことも含めて、読書の基本が書かれています。
剛球でもありませんし、変化球でもありません。
まず、打てる(読める)という自信を持たせてくれる、やさしい一球です。
なんだかこの「こぼれ話」の方がいい書評になりましたね。
![]() | 風の棲む町 (1996/10) ねじめ 正一 商品詳細を見る |


日本海に面した山形県酒田市は風の強い町である。
だから。同じ県でありながら新庄のように雪は深く積もらない。しかし、それゆえに大きな災禍をもたらしたのも事実である。
昭和五十一年(1976年)、雨まじりの風が強く吹いた十月二十九日、「世界一の映画館」とまで評された「グリーン・ハウス」を火元とした火災により酒田の町は甚大な被害うけることになる。
特に「本町通りから日和山公園へ向かう先を眺めれば、市街と周辺の町から中町商店街へ繰り出した大勢の人びとで黒山の人だかり。これはお祭りではない。休日の酒田のメインストリートの姿であった」(仲川秀樹著『メディア文化の街とアイドル』276頁)とまで語られる中町商店街を主とした町の中心部を喪失してしまう。
ねじめ正一の『風の棲む町』はその酒田の中町商店街を舞台にして、歴史的な大火から復興にかける街の人々を、十七歳の拓也という少年を主人公にしてみつめた物語である。
おそらく本作を執筆するに際して、ねじめ氏は周到な取材をされたのだと思う。冒頭の大火の場面の臨場感がそれを証明している。
なかなか現場にたどりつけない主人公の拓也。拓也の両親が経営する至山堂書店の罹災のあらまし。女性従業員の聞き書きのような語り口をはさんで、街の崩壊の様子が描かれていく。
そして、その後、街が復興をめざす中で、住民たち同士の葛藤があり、行政への不満が噴出していく。
あるいは復興にかけずりまわる拓也の父を中心にして、一家の葛藤が描かれる。
街はやがて新しい商店街として生まれ変わった。
しかし、「大学か。何をやりたいかわからないのに、とりあえず大学か-」と思う、大学受験に失敗した拓也の心境にそれは似ている。
何をやりたいかわからないのに、とりあえず復興ありきだったのだろうか。
物語は、常務として父親の書店を切り盛りする三十五歳の拓也を描きつつ、商店街から活気がなくなったことを言葉少なに語りながら終わるのだが、それは酒田市の中心市街地の問題だけでなく、多くの地方都市が近年陥った問題でもある。
ただ、もし酒田の街に機会があったとすれば、あの大火の後だったにちがいない。あの時が千載一遇の機会だったかもしれない。
ただ街に風が吹かなかったのだ。
だから、明日の風を読めなかったのだ。
しかし、現在も多くの酒田の人たちが街の活性化につとめている。
彼らは風を必死になって読もうとしている。
前掲の『メディア文化の街とアイドル』は酒田のそんな現在の取組みを紹介したものだが、その中でこんな記述がある。
「大火の火元という状況もあり<グリーン・ハウス>を論じるにはデリケートな部分も多いかもしれない。しかしメディア文化の街を説明するのに<グリーン・ハウス>を抜きには語れない。あれから時も経過し、再び<グリーン・ハウス>にスポットをあてる時期に入ったという認識が、著者にはある」(前掲書46頁)。
この考察は重要だろう。
かつて地方都市の中心市街地はそれぞれの都市の「文化」の発信地であった。それは東京を頂点として都会の「文化」を醸し出しながら、多くの人々を魅了してきた。
しかし、今、地方都市の中心市街地が取り戻さないといけないのは、都市にない独自の「文化」である。
もし、酒田の人々が「グリーン・ハウス」というシンボリティックな映画館を乗り越えられるとしたら、他の地方都市にはない、新たな街の創造が実現するかもしれない。
ねじめ氏が物語の中で主人公の父親に「本は文化だ。本がよく売れる町は、文化もそれだけ高いのだ」と語らせたことは、酒田の街の将来の姿を暗喩しているようにも思える。
風が棲む町は、人が住む町なのだ。そして人が生きていく町なのだ。
風は明日へ吹いていくはずだ。
(2008/12/20 投稿)

酒田の街には何度も行ったことがあります。
風の強い街です。そして、以前の書評でも書きましたが、
多くの地方都市と同様に、「寂しい街」です。
しかし、今年の晩春の夕暮れのことでした。
多くの人が街の中心部に歩いてきます。
正装した中年のご夫婦。
若い人の群れ。
多くの車。
どうしたのだろうと思いました。
たまたま車に見知った人がおられたので、
「何があるのですか」とお尋ねしました。
「大江健三郎さんの講演があるのです」とその人は教えてくれました。
大江さんの講演をこんなにも多くの人たちが愉しみにしている。
酒田ってそんな素敵な街なんです。
ぜひ新しい街づくりに成功して欲しいと思います。
なお、この書評を書くに際しては『メディア文化の街とアイドル』(仲川秀樹著)を
参考文献にしています。
![]() | メディア文化の街とアイドル―酒田中町商店街「グリーン・ハウス」「SHIP」から中心市街地活性化へ (2005/07) 仲川 秀樹 商品詳細を見る |
![]() | シニアの読書生活 (MG BOOKS) (MG BOOKS) (2008/10/24) 鷲田 小彌太 商品詳細を見る |


先日あるところでこんな質問を受けました。
「あなたは何歳で死ぬと思っていますか?」
直球の質問です。
私にはあまり長寿の願望はありませんが、質問をした人は百歳までは生きたいと話されていました。
そして、そんな自分を想像して生活設計をしないといけない。それは自身のキャリアアップのことでもあるし、生活資金のことでもある。
たしかに私には長寿の願望はないけれど、もし自分の意に添わずに、齢を重ねたらその時にはたと困るのではないか。
考えさせられる質問でした。
はてさて。
この本の序章にはこんなタイトルがついています。
「七〇歳、死ぬまでに一〇〇冊、読むべき本を求められた」。
でも、先ほどの話ではありませんが、もしかしたら一〇〇冊では足らないかもしれません。一〇〇冊というのは一年もあれば読んでしまうでしょうから。
ではどうしたらいいのか。本書はそういう人のための本なのです。
つまり、シニア(といっても何歳からそう呼ぶのでしょうか。今の長寿社会では六〇歳といっても若い感じがします。年金をもらえるあたりがシニアなのかもしれません)期であっても「読書欲さえあれば、人間は精神的満足を、心の平和をうることができる」(15頁)と著者は書いています。
私もそう思います。そして、それは当然シニア期だけでなく、若い時であっても壮年期であってもそうだと思います。
読書とはおそらく人類が手にいれた最高の娯楽であるし、知の蓄積でもあるのではないでしょうか。
若い人たちが本を読まなくなったということは、もともと読書がもっていたそういう特徴が他の媒体や行為に奪われているからだと思います。
著者も書いているように「読書には、思考の集中と持続が必要」(50頁)でしょう。現代のような高速の時代でこれを求めるのはやはりなかなか難しいと思います。
だから、若い人が読書をしないことはやむをえないかもしれません。
しかし、読書はある意味、習慣です。
もし、シニア期を迎えてその習慣がなかったら、なんと味気ない日々になるでしょう。
だからこそ、若い人にも多くの本を読んでもらいたいと思うのです。
本がもっている魅力を若いうちに知ること、そして読書を習慣にすること、それは未来のあなたを変えうる力になるでしょうし、未来のあなたの生活をより充実したものにするはずです。
ですから本書には「シニアの読書生活」という書名がついていますが、本当は「シニア期を快適に生きるための若い人向けの読書生活」というのが相応しいのではないでしょうか。
「あなたは何歳で死ぬと思っていますか?」
まだまだ読みたい本がある限り、死ぬことなんか考えていられないというのが答えかもしれません。
(2008/12/19 投稿)

書評の中で書けませんでしたが、本書の中でこんな文章がありました。
「私は高齢社会と高速社会の生き方の基本は、二つある、と主張している。
一つは、仕事で生きるである。二つに、読書で過ごすである。
定年後も、第二、第三の仕事を続けよう、
とともに、読書のある人生を生きよう、である」(29頁)
私のまわりにもたくさんのシニアの人たちが定年後も活発に活動をされています。
実に頭がさがります。
私はシニアになるにはもう少し先ですが、そんな私以上に真剣に
<今>を見ているし、<明日>を見つめているような気がします。
そんな人たちにたくさんの激励をもらっているのだから、
頑張らないと。
そう思っています。
それと書評の題名にもしました質問の答えですが、
あれから自分の中では「八十歳」と思うようにしています。
ただし、小声で答えます。
![]() | ブルー・オーシャン戦略 競争のない世界を創造する (Harvard business school press) (2005/06/21) W・チャン・キムレネ・モボルニュ 商品詳細を見る |


サブプライムローン問題に端を発して、9月の米証券大手リーマン・ブラザーズの破綻などの<世界金融危機>は、11月に発表されたトヨタ自動車の一兆円を越える営業利益の業績見込みの下方修正を経て、瞬く間に実体経済に深刻な影響を及ぼしている。
米国の大手自動車メーカーである、いわゆる「ビッグスリー」(フォード、クライスラー、GM)は公的資金による救済を求めているが、まだ決着をみていない。(2008年12月18日現在)
そういうなかで、米議会に支援を求めた「ビッグスリー」の経営トップたちが自家用ジェットでワシントン入りしたことが多くの人々の失笑をかったのは、米国の企業がもっている経営感覚をよく表している寓話のようで興味深かった。
ある議員が「豪華自家用ジェットがワシントンに乗り入れ、そこから降りて来た人たちがブリキのコップを手に持って、経費削減と経営合理化を行いますと言うのは大層な皮肉だ」だと語っていたが、皮肉を通り越して愚かというしかない。
「未知の市場空間を創造し、差別化と低コストを同時に実現するための戦略を説き明かした画期的な書」(表紙袖カバー)である本書の、巻末資料としてつけられた「ブルー・オーシャン創造の歴史的形態」の中で、その自動車産業が取り上げられている。
それによれば、フォードの、今や伝説化しているともいえる「T型フォード」の創造こそ、「ブルー・オーシャン」の典型であったとみなされている。
そして、フォードの隆盛の中で、次にGMが放った戦略(快適性やファッション性へのシフト)もまた新たな「ブルー・オーシャン」であったとしている。確かに本書で説明されている「ブルー・オーシャン戦略の六原則」のひとつである「市場の境界を引き直す」ための要因として「機能志向と感性志向を切り替える」があり、当時のGMの戦略はまさにそれに当てはまる。 しかし、その後の日本車の進出等紆余曲折はあるにしても、なぜ彼ら「ビッグスリー」は現在のような困窮に陥ってしまったのだろうか。
それは「ブルー・オーシャン戦略」とて永遠に有効な戦略ではない証である。
そのことを著者はこう言い切るのだ。
「とはいえどのようなブルー・オーシャン戦略も、いずれは模倣されるだろう」(246頁)。
そして、模倣された側は新たな青い海に乗り出すのではなく、競争のある既知の市場空間である「レッド・オーシャン」で企業という船を漕ぐことになる。まさにその典型的な事例として、今の「ビッグスリー」があるように思える。
では、どのようにして、いつ、新たな「ブルー・オーシャン」に挑むのか。
著者の答えはこうである。「戦略キャンパス上の価値曲線に目を光らせておく必要がある」(246頁)と。
つまり、企業とはつねに自分の位置を確認し続けていかなければならないし、将来を見通す力を持ち続けなければならないということだろう。先に挙げた巻末資料の単元の末節で「紹介してきた企業(書評子注・ビッグスリーのこと)はほぼ例外なく、ブルー・オーシャンを創造した功績によって、時代を超えて人々の記憶に残っている」(257頁)。
しかし、今回の最大の危機がどのような決着をみるにしろ、彼らが青い海に漕ぎ出せるかどうかの保証は何もない。
彼らのかつての「ブルー・オーシャン」が経営学の歴史の教科書に封印されてしまうのか、それとも新たな市場が展開されるのか、興味深い。
そして、それと同様のことが日本の自動車メーカーや多くの産業についてもいえる。
そういう意味で、この本は「経営戦略」の書であるが、今を読み解く最適の一書でもある。
(2008/12/18 投稿)

この本はあの勝間和代さん推奨の一冊です。
そして、この本を読みに際しては、本田直之さんの「レバレッジ・リーディング」の
手法を初めて試みました。
では、どのように読んだかというと、
まず300頁近くあるこの本を「1時間で読もう」と決めました。
そのためには、読まない箇所はどんどん増えました。
途中でノートをとったりしましたが読了するまでにはやはり
2時間半ぐらいかかりました。
それでも私にとっては驚異的な時間かもしれません。
ただやはり読み心地はよくないです。
読み飛ばしたところに、とても大切なことが書いているんじゃないかという
「恐怖心」がずっとつきまといました。
この感情を押さえ込まないと私の「レバレッジ・リーディング」は成功しないでしょうね。
多分。
![]() | 日本史のおさらい (おとなの楽習) (2008/05) 山田 淳一 商品詳細を見る |


今年(2008年)も残り少なくなってきた。
全体的にはあまりいい年であったとは思えないが、NHKにとっては久しぶりに快哉の年ではなかっただろうか。
近年低迷を続けてきた日曜夜八時の大河ドラマだが、今年「篤姫」(宮崎あおい主演)で大ブレークした。先日最終回を迎えたが、平均視聴率24.5%だったと新聞各紙は報じていた。
デイリースポーツによれば、《NHKには「わかりやすい」「親しみを持てる」「毎回、感動できる」など視聴者の声が殺到》したとある。特に若い女性の支持が高かったという。
とすれば、このドラマを見て、徳川幕府の最後をもう一度学習した人も多かったのではないだろうか。
ただ残念なことに、この本には「篤姫」は登場しない。
大人のための新しい教科書「おとなの楽習」シリーズの一冊。
以前同シリーズの「世界史のおさらい」の書評で書いたことだが、「著者の経歴や著者の既刊行本ぐらいは記載してもらいたい」というのは本書でも同じで、この書評を書くにあたって著者の山田淳一氏を調べたのだが結局わからずじまい。
仕方がない。
再版の際にはぜひ出版社の方には検討してもらいたい。
今回それは措くとして、この本はとても面白い「授業」だった。
中学や高校の時に日本史の授業を受けたはずだが、ほとんど記憶がない。「1192年 イイクニ作ろう鎌倉幕府」みたいな、暗記することに精一杯だったということだろうか。
あれから四十年近くなって、そのことを悔やんでも仕方がないが、後ろに試験もないから記憶しなくてもいいのがうれしい。
まえがき的な「日本史だって考える科目です。」にあるように、このような楽しい「授業」は「暗記するだけのつまらない科目だった日本史が、生きた知識に変わるはず」(7頁)。
もちろん、この本には色々な欠如がある。
空海も篤姫もでてこない。鎌倉仏教の記述もない。
これだけの頁数で、しかも著者の面白い話もありで、日本史が収まりきるはずがない。
しかし、この本をきっかけに日本史をもっと勉強したいという「きっかけ」になるのだとしたら、それこそ著者や出版社が望んでいることだと思う。
NHKの大河ドラマ「篤姫」はあまり知られていなかった薩摩藩家老小松帯刀を一躍有名にしたが、そういうことを「きっかけ」にしてあの激動の時代をもう一度勉強してみたいと思った人も多い。
この本であれ大河ドラマであれ、そういう「きっかけ」が勉強のはじまりには必要だろう。
まえがき的な文章にこうある。「歴史は過去の人間だけでなく、今の人間の姿も写しています。過去に愚かなことをやった人間がいれば、それを笑うだけではなく、現代に置き換えて考える。それはきっとあなたの生活を良くする第一歩になります」。
まさに「きっかけ」こそが、その「第一歩」だろう。
(2008/12/17 投稿)

「篤姫」の話です。
私の周りの人でもあの番組を見ている人がたくさんいました。
それでも、私は見る習慣はつけなかったのですが、
とうとう終わりから五、六回めにしてついに見てしまうはめになりました。
ドラマの舞台的には「大政奉還」など江戸時代の最後に間に合いましたが、
きっと最初の「篤姫」の青春時代は面白かったのじゃないでしょうか。
そう思うと、残念です。
では、来年の大河ドラマ「天地人」を見るか。
予告編では面白そうでしたが、はてさて。

「書評」といわれるものが、自身の人生あるいは生き方にどのように有効であるのか、
そのことも含めて考えていきたいと思っています。
「書評」から本の紹介という側面をはずすことはできないでしょう。
しかし、もしかしたら、私たちが従前から知っている「書評」とはまったくちがう形が
あるかもしれません。
それは「本」という光源から「書評」というものを通して、自身をみつめていく
そういう方法です。
ですから、本を読み終わった時、単にページを閉じるのではなく、書くという行為を
もって、その時々の自身を書きとめておくことを、ぜひお薦めします。


記事がでていました。
作家の大江健三郎さんの「定義集」という連載記事
なのですが、
今日は「評伝的に人を見る力-新しく批評を書き始める人に」
という題で書かれていました。
少し長くなりますが、引用しますね。

読者を失っている、というのはこの国の文化的常識です。私が新しい批評家に期待
するのは、より広い場所で(つまり私ら旧世代の、純文学への頭の固い信条などは
相対化する若々しい自由さで)文学と読者との関係を再建してくれることです。
ほとんど常に、個人的なきっかけで自分としての「文学」に出会った読み手が、その
詩人、作家、思想家を読み続ければ、かれは「読む人」になったのであり、さらに考
える人、そして受けとめたものを自分で表現する人になります。
(中略)
かれは職業としての批評家にならなくても、「読む人」であり続けるでしょうし、文学
あるいは文化についての確かな能力をやがて自覚することがあるはずです。(この
能力は、考える力、書く力として蓄えられ成熟します。)

力強くて、それでいて想像力が広がる言葉です。
そして、大江さんが書いているように「読む人」は考える人にもなり、表現する人にも
なりうるのです。
なんて素晴らしいのでしょう。
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世の中の、多くの人が休んでいたゴールデンウィーク。毎年のことながら、たった1日の休暇しかとれなかった僕が、唯一心を休めることができたのが、川上弘美さんの新刊「パレード」を読み終えた時だった。
名作「センセイの鞄」の番外編ともいえるこの作品は、主人公のツキコさんがセンセイに語る<昔の話>だが、どうしてそんなたわいもない話に心の中がほっかほっかするのだろう。
誰にもある<昔の話>。
忘れていた、遠い記憶を思い出させてくれる、そんな小さな物語。
忙しさにかまけて、僕自身が目をつむっていた、あったかさに出会えた、素敵な本でした。
(2002/05/07 投稿)

蔵出し。
今回も昔書いた書評です。だから、また短いです。
理由は「センセイの鞄」の時に書いたとおり。
なぜ、今回この本を選んだかというと、
今朝(12月15日)のNHKBSの「私の1冊 日本の100冊」は、
川上弘美さんのオススメ本だったから。
今月にはいって、同じ局の「週刊ブックレビュー」でも川上弘美さんにお会い?
しましたから、私的にはとても素敵な12月です。
今朝の番組で川上弘美さんが薦めていたのは石井桃子さんの「ノンちゃん雲に乗る」。
なんだか川上弘美さんらしい、一冊でした。
その中で川上弘美さんはこんなことを話していました。
「読むというのは一種の習慣というか、癖なので、
その習慣をつけると、人生の宝物が増えるんじゃないかな」
そんなんだ。
そういう宝物を、私も川上弘美さんの物語からたくさんもらっているんだと思います。
川上弘美さんは何故この「ノンちゃん雲に乗る」を選んだか、と自問して、
「好きだから」といって、笑顔になりました。
その笑顔もまた、川上弘美さんらしい笑顔で、とても素敵でした。
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この本の、長くて、ユーモアのある書名が気になった人は、もしかしたら、すでにこの本で著者が云おうとしている何パーセントかを修得しているかもしれない。
実は、この本、多くの人が経験する「あがり」といる悩みを克服するためのものなのだ。
著者である金井英之氏は数多くの「話し方教室」を開催されていて、すでに何冊も「話し方」の本も出版されている。ただ、それらのほとんどが書名に「上手な話し方」といった表記があるが、本書にはない。
「大阪のオバチャンは、なぜ人前でもあがらないのか?」。
実体験があるかどうかはともかく、「大阪のオバチャン」パワーは全国に知れ渡っている。誰もが「そうだよな」と思うし、そういえば「どうしてだろう」と気になってします。この書名はそういう力を持っている。
関西人的にいえば、「つかみ」はOKということだ。
ちなみに、「大阪のオバチャン」に限らず関西人は、この「つかみ」をとても大事にする人々である。
関西人はつかみに命をかけている。
そもそも「あがり」とは何か。
「私たちは、人前で失敗をして恥をかき、自尊心が傷つくことを極度に恐れます。この感情が極度に高ぶって理性を失ってしまうことを”あがり”といいます」(28頁)と金井氏は書いている。
では、人前でも無敵な「大阪のオバチャン」に「自尊心」がないのかというと、そんなことはない。
そのあたりを金井氏は「天真爛漫な明るい人柄」ということですませているが、もっともこの本は「話し方」の本で「大阪のオバチャン」研究本ではないから仕方がないのだが、彼女たちの「自尊心」というのは「笑い」をいかにとるかという点に比重があるように思える。会話が弾まないことの方がよほど「自尊心」が傷つくのではないか。
だから、会話を弾ませるためには過剰なサービスをする。時には人前で失敗することも、サービスのひとつなのである。そういう点では確かに「大阪のオバチャン」は会話の天才かもしれない。
というよりも、「大阪のオバチャン」は会話が好きなのだろう。
だから、金井氏が「あがり」克服の第一にあげている「集中力」が高まるにちがいない。
では、「大阪のオバチャン」はどのようにして、人の心をつかむのか。
本書の第三章「聞き手の印象に残る話し方」に書かれているが、まずは「切り出し」である。
先ほど書いた「つかみ」と同じ意と思っていい。
「切り出し一〇秒は、その後の一〇分にも勝る」(126頁)と書かれているが、これがいかに重要か、本書の書名に興味を持った人はすでにそのことを修得しているはず。
まずは聞いてみよう(この本でいえば読んでみよう)と相手に思わせることが大事なのである。
聞く気のない人を相手にしていても、会話が楽しいはずはない。
「大阪のオバチャン」は会話が好きだから、彼女たちには楽しくない会話など存在しないのだ。
この本にはこのように「話し方」がうまくなるコツがたくさん書かれているが、もしかしたら「大阪のオバチャン」とお友達になるのが一番手っ取り早いかもしれない。
もっとも、そのときには「オバチャン、話をしよう」と切り出してはいけない。
まずは「オネエサン、べっぴんやな」である。
(2008/12/14 投稿)

私の母は、八十一歳になる、コテコテの「大阪のオバチャン」です。
ちなみに、この「コテコテ」を広辞苑で調べてみると、
「濃厚なさま」という意味で載っています。
もっともその前に括弧つきで「(嫌になるほど)」と書かれているのが面白いですが。
で、母でことです。
母はともかく元気なのです。
まず声が大きい。
とても八十一歳に思えないほど、声がとびきり元気なのです。
そして、書評にあるように、会話が好きです。
電車に乗っていても全く知らない人にも話しかけます。
「おねえちゃん、きれいなベベ(服のことです)着てはるな」と言って声をかけます。
声をかけられた若い人は「はあ」と困った顔をします。
相手がオバチャンでしたら、話が弾んできます。
不思議なものです。
母の話は面白いのです。
具体性に富んでいるというか、物語性にあふれているというか、
つい引き込まれてしまうのです。
つくづく「大阪のオバチャン」の力を感じます。
この書評はそんな母の姿を考えながら書きました。
私は人生の半分を過ぎましたが、母にとってはまだまだひょっ子なんでしょうね。
「しっかりしいや」
母の声が聞こえるようです。
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この本を読んでからどれくらい経つだろうか。
読後の、せつない気分がまだ心のどこかにあって、それが時々たまらなくなる。
きっとそんな切なさを捜して、あれから何冊も川上弘美の本を読んできた。
「神様」もよかった。
「おめでとう」もよかった。
でも「センセイの鞄」の世界にはまだ遠かった。
それでいて、この本に戻るのも怖くて。
もし、あの時の切なさがなくなっていたら、次はどこに帰ればいいのだろう。
そんな時、新作「パレード」の記事を見た。
それで、少し勇気がでた。
新作を読む前に、もう一度、「センセイの鞄」を読んでみようって。
それで、またお酒を少々飲みたいな
(2002/04/27 投稿)

再録。
これが、私の、bk1書店への、記念すべき? 第一作です。
すごく短いですが、投稿した時はもっと長かったと思います。
bk1書店のシステムの都合だと思うのですが(もしちがったらごめんなさい)、
その頃投稿した作品はエッセンスだけ残して短くなっています。
残念ですが。
何しろ2002年の投稿ですからね。もう六年も前の頃です。
もともと「読書ノート」はつけていました。
そのために当時高価だったワープロまで買っちゃったくらいです。
でも、時代がワープロからパソコンに変わって、
自分の「読書ノート」をどうしようかと迷っていた時に、bk1書店が
読者の書評を受け付けていたことを知って、投稿を始めたんです。
そして、これが最初の投稿になった訳ですが、
しかも川上弘美さんの『センセイの鞄』というところが、
自分らしいというか、ちっとも変わらないな、という気がします。
そういうことを味わえるのも、こうして書評として書きとめているから。
そういう習慣のない人には、ぜひ、「読書ノート」を書くことをお奨めします。
もうひとつ書いておくと、書評の中で『センセイの鞄』を再読しようかな、と
書いていますが、実はまだ再読できていないんですよね。
何故。
この書評に書いたままなのです。
いつか。いつか。
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JR酒田駅は日本海に面した歴史ある港町にしては、思いのほか小さな駅だ。
改札を出ると駅前ロータリーがあって客待ちのタクシーが何台か止まっている。
駅前にはかつて大手スーパーがあったらしいが、今は更地のままぽっかりと置き座りになっている。その向こう側にこの物語にも登場する「東急イン」の看板がみてとれる。タクシーに乗って中心街に向かう。
「最近どうですか」と聞くと「よくないのぉ」と運転手は静かに答える。語尾の<のぉ>が特徴的な話し方だ。
駅前からこの物語に紹介されている「日本一のフランス料理店」レストラン欅のある中心市街地まで車で走ると五分くらいだが、街のおおよその表情はつかめる。
寂しい。
どこの地方都市もが陥っている衰退がここにもあることがわかる。
それゆえに、この物語で紹介された「世界一の映画館」や開高健や丸谷才一といった文人が絶賛したという「フランス料理店」がここ酒田にあったというのが不思議に思える。
「レストラン欅」のあるビルの側に、これも本書の中に登場する「清水屋デパート」が今も街の中心にある。しかし、ここにはもうこの物語の主人公佐藤久一が作った大食堂「ル・ポットフー」はない。というより、この「清水屋デパート」は酒田大火のあと、現在の地に建替えられたものだと聞いた。
酒田の天気はめまぐるしく変わる。
海の向こうに暗雲があったかと思うとものの数分で街は雨になり風が強く吹く。強い風にも酒田の人は動じない。よく吹く海風だ。
昭和51年10月の酒田の大火の際にも強い風が吹いていた。
その火事が残したものは街に少なからずダメージを与えた。
現在の、小さな街でありながら広い道路幅は延焼というものを招いた反省の上からできあがったものにちがいない。それがいっそう街の表情を殺伐とさせている。
同じだけの人がいるとすれば、狭いところであれば<賑わい>にうつり、広いところであれば<閑散>に見える。
地方都市が今後の都市整備の中で考えなければいけない視点だ。
この本の読み方はいくつもあるだろう。
主人公佐藤久一の人間としての魅力や彼の残した光あるいは影の人間ドラマとしての側面以外に、この本は街のありようについてなんらかのヒントを与えてくれている。
佐藤久一はある意味破天荒な人物であったかもしれないが、彼の根っこにあったのは故郷酒田への思いであったことがわかる。
佐藤久一は単に「世界一の映画館」や「日本一のフランス料理店」を作りたかったのではない。彼はそれを日本海に面した小さな街酒田に作りたかったのだ。
今そういう思いをもった久一のような人物が地方都市には必要なのかもしれない。
レストラン欅での食事は所用があって出来なかったが、清水屋デパートに面した商店街に紺地に染められた暖簾がさがっているのが目にはいった。
そこにはいくつかの酒田の方言が白く染められていた。
「もっけだの」は「どうもありがとう」の方言らしい。
久一の声がどのようなものであったか知らないが、この本を閉じた時、静かに「もっけだの」とつぶやく久一の声が聞こえるようでもあった。
(2008/04/21投稿)

再録。
これは「佐々木なおこ」さんからコメント頂いた本の書評です。
この本には「佐々木なおこ」さんもbk1書店で書評を書いています。
実はこの書評を書いた後、酒田市にある「レストラン欅」で食事をする
機会がありました。
とても落着いた雰囲気のお店でした。
お昼の食事でしたが、ゆっくりとした時間が流れていました。
お店の人は、この本が注目をされたおかげで、遠いところからも食事
に来られる人が増えましたと話されていました。
すてきな笑顔の女性でした。
「もっけだの」と言ってお店を去りたかったのですが、
やはり恥ずかしくて出来ませんでした。
でも、この本は、映画になったらいい映画になると思うのですが。
だれか映画にしてくれないだろうか。
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書評とは何だろう、って考える。
それを書いた人にとっては(本を読んだという)過去の経験であり、それを読んだ人にとっては(本を読むという)未来への招待みたいなものだ。
つまり、昨日であり、明日でもあるんだ、書評って。
もちろん、それを読んでいる今もある訳だから、昔観たイタリア映画みたいに「昨日・今日・明日」と言い表せるかもしれない。
もう少し素敵な表現をすれば、書評とは「明日に架ける橋」ともいえる。(懐かしいなぁ、「明日に架ける橋」って。サイモン&ガーファンクルの、1970年の名曲です。ちょっとその雰囲気のまま、この書評が書ければいいのですが)
本書は、作家川上弘美さんの「初めての書評集」である。
だから、この書評は書評を集めた本を書評しているわけで、「明日に架ける橋」がふたつも架かった、とても魅力にあふれた構図になるはずだ。
しかし、見方をかえれば、先頭で渡されたリレーのバトンを、次の走者がばたばたして転んでしまうこともあるのだから、そう単純にはいかない。
でも、この「本を勧めたい、という気持ちは」「強くあるから」、いい橋が架けられればいいのだが。
この本で紹介されている本の数は144冊にのぼる。
新聞の書評欄や文庫本の解説として書かれたもので、さすがにこれだけの書評を集めると単行本で400頁超の大部になる。さしずめ長編小説を読むようなものだ。
もちろん、ひとつひとつは短文(特に新聞に掲載されたものは短い)なのだが、頁数だけでなく、気分的には心地よい長編小説を読んだ感じである。しかも、極めて川上弘美的な。
新聞の書評欄というのは大概面白くないものだが(それは本の選定にも問題があるような気がする)、川上弘美さんが書かれた書評はすこぶる面白かった。勧めたいという性根がちがう、とでもいえばいいのだろうか。
「私は少しびくびくしながら読んだ」(紅一点論)
「いつも思うのだが、なぜ多くの人は恋愛などというしちめんどくさいことをするのか」(机の上で飼える小さな生き物)
「ううううう、とつぶやきながら読みおわった」(兄帰る)
「実を言えば、小説を読むとき、はんぶんくらいの場合は、びくびくしている」(停電の夜に)
こういう言葉で書かれた書評(もちろんすべてがそうであるわけでもないが)の、書き手の心にそった豊穣な言葉のつむぎの、(毛糸の玉の感触を楽しみながらセーターを編んでいくような文章とでもいうか)なんという暖かさだろう。
それは、彼女の創作群にもつながる、川上弘美さんがもっているひとつの世界観かもしれない。
サイモン&ガーファンクルの曲の最後はこうだ。
「荒れた海にかかる橋のように/君の心に安らぎを与えよう」。
やはり、書評とは「明日に架ける橋」だ。
少なくとも、川上弘美さんの書評はそうだ。そして、本を読むってことは素晴らしいということを堪能してもらいたい。
そう思う、一冊である。
(2008/05/04 投稿)

昨日「春一番」さんから、以前bk1書店に投稿した、川上弘美さんの
『大好きな本』についてコメント頂いたので、再録しておきます。
投稿時とは若干文章の組み立てを変えています。
段落が多くなった程度ですが。
実はbk1書店に投稿し始めてから、かなり経つのですが、何度か
文章の構成の仕方を変えています。
文章というのは、ある意味、生き物ですから、構成を変えるだけで
雰囲気もちがってきます。
書くということは、そういうことも含めて楽しい習慣です。

ただ、すでに放映済(12月3日)なのですが、どうしても書いておきたいんですよね。

リンボウ先生お奨めの一冊は、田中冬二さんの『青い夜道』という詩集なんですね。
しかも、昭和四年に刊行された本なんですが。
みなさん、、田中冬二さん(1893-1980)という詩人、知ってました?
私は、今回初めて知りました。
この番組の中でも何篇か、、田中冬二さんの詩が紹介されていたのですが、
これが、また、いいんですよね。
ちなみに、ひとつ書いておきますね。
「くずの花」という題名の詩です。
ぢぢいと ばばあが
だまつて 湯にはひつてゐる
山の湯のくずの花
山の湯のくずの花
どうです? これだけの短い詩なんですが、静かな風景がにじんできませんか。
それでいて、湯の音が聞こえてきそうではありませんか。
リンボウ先生は「こんなに美しい日本語があるだろうか」って言ってましたが、
日本語というのは饒舌な言語ではなく、寡黙が似合う言語かもしれませんね。

彼の詩集(昭和四年刊行 第一書房版 絶版)についてなんです。
リンボウ先生がとてもいいことを言っていました。
「なんて綺麗な本だろうって思いました。
詩集っていうのはやっぱり、単なるデジタル、文字データではなくて、
こういう本というオブジェ全体がひとつの芸術になっているというのが、
日本における詩集のスタイルなんですよね。
一種の美術品なんですよね、詩集って」
リンボウ先生が「オブジェ」って言葉を使った時、鳥肌がたつような気分でした。
何かがわかったというか。
私たちが日頃何気なく手にしている本というのは、そういう観点で見たとき、
ものすごく違ったものに見えてくる。
それがこの「オブジェ」という言葉に凝縮されているような気がします。
だから、どんなにITが普及しても、本のもっている形とか匂いとか手触りとかは
絶対になくならないと思うんですよね。
そんなことを考えさせられた、番組でした。
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それは、NHKBS2で毎週月曜から金曜の朝八時から放映されている、
「私の1冊 日本の100冊」
という番組です。
わずか10分足らずの番組ですが、様々な分野で活躍されている人たちが、自分の心に残った一冊を紹介しています。
もちろん、私が読んだ本の場合もありますし、まったく未知の本の時もあり
ます。
まして、人それぞれの思いがありますから、毎朝(といっても、私は録画しておいて夜見ているのです
が)楽しみにしています。
今までどんな本が紹介されていたかは、NHKのサイトでも見ることができます。

この本は、ひとつも文字のない絵本です。
例えば、何人かの小人がいて、一人の小人をたどっていくと、あれれ、いつの間にか、天井を歩いているではないですか。
二次元から三次元へ。世界がねじれていきます。
いわゆる「だまし絵」なんでしょうね。
季里さんはそんな不思議な本と小学生の時に出会います。
彼女がすごいのは、本当にそんな世界があるだろうかとトランプを使って、それを確かめようとするのです。
さらに、この季里さんの回がすごいのは、文字のない絵本に彼女は「音」をつけるんですよね。
例えばページの左側で小人がドアをあけている。それで「ギィーー」と。歩く。「こつこつ」。遊んでいる。「ひゃあら、ひゃあら」みたいに。
それが音楽になっていくんですよね。
番組では「音による朗読」って言ってましたが、これってもしかしたら、季里さんという一人の人が「ふしぎなえ」という本を読んで、心に感じたことのあらわれではないかと思ったんですよね。
そして、それは書評ではないか、って。

そして、その表現の仕方は、人それぞれ、どのようなものであってもいいのではないか。
その書評が、新しい人に届くとすれば、そして、その新しい人がその本を読んでみようかとすれば、どのような形であれ、それはりっぱな書評ではないか。
季里さんの紹介していた「私の1冊」は、そんことを考えさせてくれました。
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沢木耕太郎の『深夜特急』にはいつも困惑させられる。
まず最初は、『深夜特急』の第一便と第二便が刊行された時(1986年)である。
その時、すでに沢木は数々の話題作を提供する書き手であったから、一体いつこの人は旅に出たのだろうという困惑であった。(本書ではその旅立ちまでの経緯が詳細に書かれている)
次は、当初予定されていた第三便がいつまでも出版されなかった時である。当時もう出ないのではないか、という噂も囁かれていたように記憶する。
それが最初の刊行から実に六年を経て(1992年)、約束通り書店の店頭に並んだ時には、飛びつくようにして購入したことを覚えている。(その時の経緯も本書で書かれている)
そして、今回の最終便である。
書店の店頭で平積みされている本書を見たとき、自身の目を疑った。
この装丁は、もしかして…。
でも、『深夜特急』はずっと以前に旅を終えたはずだったのでは。
表紙を開いていいものか、読んでいいものか、私の中には困惑と躊躇いがあった。
『深夜特急』の揺れに酔い、若々しい沢木の行動力にあこがれ、それでも旅に出ることのなかった私にとって、『深夜特急』にふたたび乗ることはできるのだろうか。
あれからたくさんの水が橋の下を流れていって、今の私には乗車切符はなかったはずだ。書店の店頭で逡巡した。
でも、もしかしたら、まだ間に合うかもしれない。
いつもそうやって沢木の『深夜特急』は私を驚かし、それでいて心の豊饒をくれたではないか。
発車のベルをもういちど聞いてみたい。
沢木の旅にもういちどつきあってみよう。
もちろん、この本は沢木の二十六歳の旅の本ではない。
旅そのものは過去に出版された三冊の本で終わっている。
この本は、沢木のあの長くて豊かな旅の前後の物語であり、自身の旅をもう一度ふりかえる物語である。
今までにもきれぎれにそれらの事情を沢木は書いてきたはずだし、目にもしてきたはずだ。
しかし、こうして一冊の本にまとめられた時、旅をする二十六歳の青年の事情だけでなく、作家沢木耕太郎の原点をしっかりと留め得たように感じる。
二十台で出会い、今でも魅力ある書き手である沢木耕太郎は、このようにして生まれてきたんだなという感慨である。若い私はこの青年が紡ぎだす豊饒な言葉にいつも酔いしれていたのだ。
本書のカバー袖に沢木はこのようなことを書いている。
「良くも悪くも取り返しがつかない。それは、もうそのような旅は二度とできない、ということを意味します。私の『深夜特急』の旅も、たぶん「取り返しのつかない旅」だったのです」
しかし、だからこそ、沢木は本書を書くことで、もう一度その「取り返しのつかない旅」に出たかったのではないか。誰よりも、彼自身がもっとも強く、発車のベルを聞きたかったのではないか。
旅は人生によく譬えられる。
例えば、本書の序章である「旅を作る」の中に出てくる<旅>という言葉を<人生>に置き換えたら、それはそのまま「人生を作る」という、上質な、そしてきわめて深い人生論になる。
その中で沢木は「夢見た旅と余儀ない旅」と書いている。
それを<人生>と読み替える。
「夢見た人生と余儀ない人生」。
こうして過ごしてきた今までの人生とは「夢見た」それであっただろうか。問う私がいる。
たくさんのことを沢木に教えてもらいながら、それでも自分の人生は「余儀ない人生」であったのではないか。
本当にもう遅いのか、「夢見た人生」を生きるのは。
まだ間に合うのではないか、「夢見た人生」を生きるのは。
沢木耕太郎の『深夜特急』最終便の発車ベルはまだ鳴ったばかりだ。
(2008/12/10 投稿)

この書評を書きながら、自身の中の熱が高まっていくのを実感しました。
本を読むのに夢中になる。
そして、その書評を書くのでさえ夢中になる。
沢木耕太郎さんは、私にとって、いつもそういう書き手だったと思います。
書評には書けませんでしたが、本書の中でポール・ニザンの『アデン ア
ラビア』という本について書かれた箇所があります。(145頁)
その冒頭の一節。
《ぼくは二十歳だった。それがひとの一生でいちばん美しい年齢だなどと
だれにも言わせまい》
実は私もこの一節を読みたくて、この本を買った思い出があります。
二十歳前後の、まだ迷うような(今でも迷っていますが)生活の中で、この
一節に強く魅了されました。
沢木さんはもちろん私よりも先輩ですが、そういうことを共有できる書き手
であることが、私にはいつまでも気にかかる作家だといえるのだと思います。

ずっと以前(1998/11)、覚書のようにして書いた雑文がありますので、それを
書いておきます。



◆新聞各紙の朝刊一面にコラムがある。
日経が「春秋」朝日が「天声人語」読売が「編集手帳」毎日が「余禄」
と様々だが、ここだけは毎日欠かさずに目を通すという読者は多い。
わずか600字程度の文章に、話題性や季節感、批判、提案などが
盛られている。それが毎日のことだから、担当記者の苦労は尽きない。
◆有名な「天声人語」の謂れは「天に声あり、人をして語らしむ」という
中国の古典からとられている。何しろ大学の入試にもよく出題される
というくらいだから、名前も格調高い。入試直前に新聞を朝日に変えた
という人もいるだろう。
騙されたと思うなかれ。
限られた字数でどう表現するかということは、どれだけ問題点をうまく
捉えることができるかということだ。日々の新聞でその訓練をしている
と思えばいい。
◆私の「夏の雨」という名前は、宮本輝の「朝の歓び」という小説の一節
から拝借した。
「あなたが春の風のように微笑むならば、私は夏の雨となって訪れましょう」
各紙のコラムのように文章も上手くはないが、せめて夏の雨のように
読む人を暖かく包めるような内容でありたいと、願いをこめた。
◆私の文章が、大学入試に採用されることは勿論、ない。
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ついに。ようやっと。やっとこさ。どうやらこうやら。いまさらながら。
色々な修飾語はあるけれど、なんとか、自身のブログを完成させました。
ブログ名は「ほん☆たす」。
五十三歳の手習いです。
では、この本の書名どおりに「1時間」で作れたかというと、どっこいそううまくはいきませんでした。
もちろん、この本が誇大表示ということではありません。
何種類かのブログ作成本も読みましたが、どの本でも「1時間」が目安になっている。そうなれば、作り手側の私に問題があるにちがいない。
正直にいうと、私がこの本を手にしてから優に四ヶ月はかかっている。
ブログを作成したいと思って、最初のクリックをするまでに三ヶ月近くかかった。
何故かといえば、「自分にはできないんじゃないか」「失敗したらどうしよう」という不安から抜け出せなかったのです。
そういった不安をとりのぞくすべがどの本にも書かれていない。
こういう本は作り手のそういった不安をまず除去するところから書いて欲しいものです。
それと、ブログにはたくさんの会社が参入しているので、どこから参加したらいいのか、よくわからない点。
これが私には結構高いハードルだった。
この本でも各社のブログサービスの特徴比較をしてくれているのだが、結局はやってみないとわからない。
私の場合も最初のサービス会社で挫折し、最後はすでにブログをしている人に「どこがいいの?」と聞いて再挑戦することになった。できれば、周りの人でブログをよく知っている人がいれば安心。そういうこともできたら書いて欲しかった。
ということで、ブログ会社に登録(これは書かれているように簡単)して始められる状態になるわけですが、ここまでならこの本の通り、1時間で作成可能です。
ただし、私の場合A型のこだわりなのか、どのテンプレートにするかで半日悩み、紹介文を半日書き直し、といった連続でここでも何日間か消耗してしまいました。
そこから、ブラグインって何。HTMLって何。トラックバックって何。何、何、何、の山がでーんと聳え立って、ここでも挫折しかかりました。(実は今でもあんまりよくわかっていないのですが)
それでも、なんとか完成(といえるかどうかの判断はお任せするとして)できたのは、この本のおかげ(とまでは言わないけど、ヒントはたくさん頂きました。こちらが理解できなかっただけです)と、ブログ作成に悩んでいた頃読んだ勝間和代さんの本のおかげ。
特に勝間本ではしきりにブログの作成を勧められていたので続ける「勇気」をもらいました。
これからブログを作成しようという人にはぜひ勝間和代さんの本をまず読んでみることをお奨めします。
最後に、少し宣伝のようにして書けば、私のブログにはここでの書評を掲載していますが、ちょっぴり隠し味もいれましたので、一度ご賞味下さい。
(2008/12/07 投稿)

ブログは簡単だというけれど、初めてだとやはり難しい。
というか、ややこしい。
もちろん、これは著者の中村有里さんの責任では全くない。
むしろ、カラー版の素敵な本です。
ただポケット版ということで、目が老いてくると、いささかしんどい。
でも、持ち運びには便利。
(何しろ結構長い間、この本にはお付き合いいただいたから)
書評の中で、勝間和代さんの本についてかなり褒めまくっているが、
勝間さんの「読書進化論」などを読めば、いかにブログが大切か、
わかっていただけるかも。
それと、勝間さんのもっともいいたいことは、
実行あるのみ。
なんとか、かんとか、私もがんばっている。
※でも、この記事も昨日投稿して、間違って消したんだよな。
やれやれ。
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最近、私の感度が鈍ったのか、出版界の潮流が変わったのか、ノンフクションは元気がない。
最近の大宅賞の受賞作名をみても、どうもぴんとこないのである。
かつて、児玉隆也、柳田邦男、立花隆、沢木耕太郎、上前淳一郎、伊佐千尋、近藤紘一、山際淳一、そして佐野眞一…綺羅星のような書き手がいて、あれほどきらめくような作品がそろっていたノンフィクションなのに、である。
ただ残念なのは、こうして名前を並べてみて、今は彼岸の人が何人もいることだ。
それほどまでにノンフィクションの書き手は過酷な作業を余儀なくされているようで、痛ましい。
本書の中で佐野が書いているような「脳みそに汗をかき」、目と耳と足をフル活動させなければ良質な作品が書けないとすれば、それもまた痛ましい作業であるといえる。
本書は実作者佐野眞一によるノンフィクションを書く技術論であるが、それは同時にノンフィクションとは何かということの考察でもある。
佐野は冒頭こう書いている。「すべて事実をもって語らしめる文芸というのが、私のノンフィクションの解釈である」(3頁)。
ここで佐野が「文芸」という単語を使っているのが興味深い。
例えば、本書で佐野は自身の作品『巨怪伝』の書き出しの場面に言及しているが、正力松太郎の評伝である作品で長嶋茂雄のあの「天覧試合」を描いた、そのことが「文芸」たる所以だと思う。
そこに嘘はない。嘘はないが、それをどう書くか、どこで描くかで、作品の深みが違うものになる。
ノンフィクションに嘘は描けない。
そして、事実と事実をつなげるものは書き手の想像力でなければならない。
ノンフィクションで許されるのはそのことだけだろう。
佐野がいう「ノンフィクションとは、固有名詞と動詞の文芸である」(126頁)は、極めて単純化されているが、この文芸の本質をよくついている。
しかし、ある意味、佐野が書く、そういうノンフィクションの書き方はすでに方法論として成熟している。
では何故、現在ノンフィクションに元気がないのか。
それは書き手のこだわりの希薄に起因していないだろうか。
塊のようなこだわりを持った書き手が少なくなっているような気がする。初期の柳田邦男は航空事故に発して人間の意識の有り様にこだわった。沢木耕太郎は「敗れざる者たち」に代表される未完の思いを何度も描いた。そして、佐野眞一は戦後という時代を自分に問うように書き続けた。
ノンフィクションが輝いていた時代は書き手たちがこだわりをもっていた時代であった。
そういう数多くの書き手が競うことでより良質な作品群を生み出し続けたのではないか。私はそう考えている。
本書を読んで新しい書き手が誕生することを期待する。
そして、それはノンフィクションだけでなく、フィクションも含めた、大きな「文芸」の世界の復興につながるはずである。
(2008/12/07 投稿)

佐野眞一さんといえば『カリスマ』とか『東電OL殺人事件』とか面白い
ノンフィクションをたくさん書いています。
『だれが「本」を殺すのか』も刺激があっていい。
ところが、最近の作品は私も全然読んでないのですね。
少し反省しています。
書評を書くに際して、過去の大宅賞受賞作を調べてみたのですが、
やはり最近の作品はほとんど読んでないんですよね。
これも反省しています。
だから、書評タイトルの「がんばれ」は自分に向けてですよね、全く。