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どこから行っても遠い町どこから行っても遠い町
(2008/11)
川上 弘美

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sai.wingpen  「奥さん奥さん」と魚屋さんは呼びかけた。   矢印 bk1書評ページへ

 街を歩いていて、時々こんなことを思う。
 自分の視界の中にいるたくさんの人。向こうから歩いてくる中年の男性。談笑する若い男女。難しげに仕事をしている紳士。大きな口で笑う女性。
 たくさんの人が、私という視点を介して、生きている。
 しかし、視点が別の人のそれになれば、私という存在も点景にすぎないことに気づく。
 人は時に主役であり、時に脇役であり、時に点景にもなりうるのだ。
 そんなことを、時々思う。
 川上弘美の連作短編集『どこから行っても遠い町』を読んで、またそんなことを思った。

 この本には、「奥さん奥さん」と呼びかける魚屋さんがいる、「東京の東にある小さな商店街」を舞台にした、十一の短編が収められている。
 登場人物も、語られる時間も、物語の内容も、ほとんど関連していない。
 連作といっても、そういう点では、独立した短編集の風合いである。
 だから、最初から順に読むのではなく、思いのままに、開いた作品から読み始めるのも面白いだろう。そんな風合いである。
 唯一連作であるといえば、これらの物語の舞台が、「たこ焼き」で焼酎を呑ませる居酒屋のある、「東京の東にある小さな商店街」ということだけであろうか。
 どの物語も、その一点だけは踏みはずさない。

 そして、ある物語の中で、点景のように描かれている人物が、別の物語では主人公として、あるいは重要な脇役として描かれていくことで、連作短編集『どこから行っても遠い町』としての作品の幅と深みが、読み進んでいくうちに増してくる。
 そういう風合いもある。
 連作第一作(もちろんあなたは自由に読んでかまわないのだが)「小屋のある屋上」は、男二人が不思議な関係性を持ちながら同居しているという魚屋さんの物語(この作品に登場する「ピカソとコクトーのポスター」という小道具が実に雰囲気を出していて、川上弘美のこういう巧さが彼女の世界観につながっているのだと思う)であるが、そこに登場する死んだ真紀さんが語り部となって登場するのが、連作最終話(もちろんあなたは自由に読んでかまわないのだが)の「ゆるく巻くかたつむりの殻」という具合である。
 そういう人と人との関わりのような述懐を、川上弘美は表題にもなっている「どこから行っても遠い町」という作品の中で、主人公である商店街の印刷工場の経営者の高之という男性に、こう語らせている。
 「おれが決め、誰かが決め、女たちが決め、男たちが決め、この地域をとりまく幾千万もの因果が決め、そうやっておれはここにいるのだった」(264頁)と。

 私は自分にとってはいつも主人公かもしれない。
 しかし、ある人からみたら、私は単なる点景だろう。
 それでも「捨てたものではなかったです、あたしの人生」(294頁・「ゆるく巻くかたつむりの殻」)といえるような生活は不思議と落ち着く。
 本作は、そういう風合いの、連作集である。

                                            (2008/12/03 投稿)

プレゼント 書評こぼれ話
  川上弘美さんの本の書評は書きにくい。
  なぜかというと、川上作品の魅力って、物語性よりも、作品そのものがもっている
  もわもわ感というかやわらかな感というか、そういうものに、ついついのめりこんで
  しまうからである。
  で、今回の作品も書評を書くに際して、どう書こうかと悩んでいたわけです。
  たまたま新潮社のHPに川上さんのインタビュー記事(「そして人生はつづく」って
  いう題です)が掲載されていて、それを読んで、今回の書評にまとめあげました。
  でも、そのインタビューには、ほかにも興味ある川上さんの発言があるんですよね。
  それは「商店街」についての話。
  川上さんはこんな風に話してます。
  「商店街というのはある程度の人口がないと成立しない。いまは地方がたいへんで、
  たくさんのいい商店街がシャッター通りになってしまっています。
  むしろ大都市東京の中に小さな商店街が残っている」
  これはこれでとても重要な視点だと思うんですよね。
  本当はこのことも書きたかったんですが。
  少し残念です。