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12/23/2008    書評:人生は愉快だ
人生は愉快だ人生は愉快だ
(2008/11/08)
池田 晶子

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sai.wingpen  あっちこっち (死と生)                     矢印 bk1書評ページへ

  池田晶子さんがなくなって、もうすぐ二年になろうとしている。
 それなのに、こうして新刊が出るのだから、考えれば凄いものである。
 なにしろ、池田さんの書くものといえば、「哲学エッセイ」といわれるものであるから、まずは難解だ。
 それでいて、こうして未発表の原稿が本になるというのは、多くの読み手を魅きつけるものが、池田さんの文章にはあるからだろう。
 だから、ここにいなくても本が出る。
 そして、言葉をたどって「生」とか「死」とかを理解しようとする。
 でも、それを書いた人はここにはいない。
 書き手は「あっち(死)」で読み手は「こっち(生)」にいる。
 では、「あっち」側にいってしまった池田さんが不幸かというと、その不幸と思うのは「こっち」側にいる私たちであって、しかも幸か不幸かの基準も「こっち」側の判断で、「あっち」にいる池田さんにとっては余計なお世話だろう。

 本書は三つの章に分かれている。
 まず第1章は「死(あっち)を問う人々」と題された、古今東西の思索者たちの「死と生の考察」を短文で書き綴ったものであるが、これはもう思考が「あっちこっち」にさ迷う。
 わかりやすく(多分)書かれているのだろうが、「当たり前のことは、当たり前だから、当たり前なのだと思っている。しかし、当たり前のことは、どうして当たり前なのかということを考え始めてしまう人が、どの時代にもごく一握り存在する」(34頁・「孔子」)というぐらいの、わかりやすさである。(なお、この引用文に入力誤りはない)
 第2章「生(こっち)を問う人々」は前章よりは読みやすいし、面白い。 何しろ女性雑誌「Hanako」の人生相談なのである。すこぶる歯切れのいい文章が続く。但し、池田さんの答えが相談者の満足を得たかどうかはわからないが。
 その気風のいい文章を少し引用しよう。
 「人間は、自分を主張するから人間なのではなくて、その自分とは何かを考えるから人間なのです」(202頁)。
 また。「精神の側、心や気持ちや知恵の側を価値とするなら、年をとることはそれ自体で価値となります」(210頁)。
 そして、これに続く文章がとてもいい。
 「Hanako」族だけでなく、老若男女の皆さん、寄ってらっしゃい、と云いたいくらい、いい。
 「なぜなら、年をとるほどに精神は、味わい深く、おいしくなってゆくものだからです。だから私はこの頃とみに、年をとることが面白くてしょうがない」。
 文句のつけようのない絶品の文章である。
 第3章は「人生の味わい-モノローグ」とつけられた数編のエッセイ。

 忘れてはいけないことは、これらの文章を書いた池田晶子さんはもう「こっち」にはいないということ。
 しかし、これらの文章は決して「あっち」の池田さんが書いたものでもないということ。
 では、誰が書いたのか。
 「こっち」にいた池田晶子さんが、私たちに残してくれた、贈り物かもしれない。
 「根源的な問いほど、自ら問い自ら答える以外はあり得ないのです」(14頁)「考える精神は、誰のものでもなく、不滅です」
 ありがとう、という言葉しかない。
 
(2008/12/23 投稿)

プレゼント 書評こぼれ話
  こういう本の書評を書くのは難しい。
  読むのも難儀でしたが、それを書評として書くのは、もっと難しい。
  できれば、自分というものを表現したいし、
  池田晶子さんの言いたいことを伝えたい。
  それが、できたでしょうか。

  池田晶子さんは彗星のように現れて、
  一瞬で消えてしまいました。
  池田さんの死を報じた新聞を読んだ時の驚きが
  まだ忘れられません。

  なぜ。

  でも、生きていくということはそういう「なぜ」の繰り返しなんでしょうね。