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01/31/2009    書評:クマよ
プレゼント 書評こぼれ話

  このブログでたびたび紹介してきました、
  NHKBS2の「私の冊 日本の100」で視聴者の「私の一冊」を
  募集していました。
  そこで、はたと悩みました。
  たくさん本を読んできましたが、
  私にとって「これが私の一冊だ」といえる本って何だろうって。
  子供の頃に読んだ本、
  青春時代に読んだ本、(やはりこの頃読んだ本が印象深いですね)
  働き出してから読んだ本、
  子供ができて娘たちと読んだ本、
  そして、今。
  そんなことでずっと自分の一冊が見つかりませんでした。
  ある時、ふと今回書評を書いたこの本のことを思い出しました。
  そうなんだ。
  私はこの本にめぐりあって、この本に癒され、
  この本のままに抱きとめられたんだと思いました。
    いつか おまえに 会いたかった
  という思いは、
    いつか おまえに また会うよ
  という未来への希望をもっています。
  そう。
  星野道夫さんのこの本こそ、私の一冊。

  
クマよ (たくさんのふしぎ傑作集)クマよ (たくさんのふしぎ傑作集)
(1999/10)
星野 道夫

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sai.wingpen  私の一冊         

 「いつか おまえに 会いたかった」
 グリズリーの静かな表情をとらえた一枚の写真とともに、この言葉があります。
 私の一冊は、アラスカの自然と動物たちを撮り続けた写真家星野道夫さんの『クマよ』です。
 本を開くと最初に出会うこの言葉に深く心を打たれました。
 何千語、何万語という言葉で紡ぎ出される思いの世界を、星野さんは、たった十三文字で言い切ってしまわれた。そのことの凄さもまた胸にせまってくる十三文字です。
 つづくページにこうあります。「あるとき ふしぎな体験をした 町の中で ふと おまえの存在を 感じたんだ」。
 星野さんは若い頃本当にそう思われました。私たち人間とくまは全くちがう世界にいるのではなくて、同じ時間を過ごし、同じ空間にいるのだと。だから、星野さんはクマに会いたいと思います。そして、たどりついたのがアラスカでした。
 星野さんのどの文章でもそうですが、遠く離れていても、そしてそれが人間であれ動物であれ、相手のことを深く感じ合えるという思いは、とても大切なことだと思います。
 私が星野さんの写真に初めて出会ったのは、二〇〇六年の秋、私の職場でもあった福島の百貨店での展覧会場でした。その展覧会ではたくさんの人たちに助けて頂き、会場内で星野さんの本の「読み聞かせ」をしました。その時、読んだのがこの『クマよ』です。
 この本の最後にこうあります。「おまえの すがたは もう見えないが 雪の下に うずくまった いのちの 気配に 耳をすます」
 星野さんはもういないけれど、星野さんが残してくれた、たくさんの写真と文章はいつまでも私たちに生命の尊さを教えてくれているような気がします。
 
(2009/01/30 投稿)

プレゼント 書評こぼれ話

  私は日本の小売業がしばしば「業態論」に終始することを
  危惧しています。
  最近さかんに「百貨店」の衰退が言われていますが、
  「業態」という壁を突破しない限り、「百貨店」の再生はないかもしれません。
  「百貨店」をダメにしているのは「百貨店」自身だと思います。
  それはスーパーもそうですし、コンビニエンスもそうです。
  「ユニクロ」は専門店というくくりでしょうが、
  そういうものを超えたところに今の「ユニクロ」はあると思います。
  だから、顧客のニーズにこたえることができるのではないでしょうか。
  要は「売れる」か「売れない」か、です。
  小売業はもう一度マーケティングの原点に立ち返ること。
  これが、再生への近道だと思います。
  いかが。
  
挑戦 我がロマン (私の履歴書)挑戦 我がロマン (私の履歴書)
(2008/12/02)
鈴木 敏文

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sai.wingpen  毎日が瀬戸際                  矢印 bk1書評ページへ

 株式会社セブン&アイ・ホールディングスの最高責任者(CEO)である鈴木敏文氏が、日本経済新聞の人気コラムである「私の履歴書」に二〇〇七年四月連載したものを大幅加筆したのが、本書『挑戦 我がロマン』である。
 最近もコンビニエンスの年間売上げが百貨店を追い抜いたという記事が出ていたが、そのコンビニエンスの中でも最も規模が大きいセブンイレブンを日本に持ち込んだ鈴木氏の先を見通す手腕の評価は高い。
 さらには、それを発祥地のアメリカ流でなく、日本流の経営に変えた「仕事力」こそ、鈴木氏の経営の骨格であるといえる。
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プレゼント 書評こぼれ話

  映画にはまったのは高校一年の頃でした。
  雑誌「スクリーン」からはいって、そのうちに「キネマ旬報」を読むようになり
  いっぱしの映画青年きどりでした。
  その頃、えーっと、1970~80年にかけてでしょうか、
  年代書くだけで「青春」が戻ってきちゃいます。
  「キネマ旬報」には「読者の映画評」という投稿欄があって、
  今回の本の著者の秋本鉄次さんとか、
  「ゆとり教育」で有名になった寺脇研さんとか、
  常連採用者で、見ていてうらやましかったですね。
  その頃の秋本さんが今回の本のような作風だったのかは
  記憶定かではないのですが。
  高校卒業と同時に彼女は東京に行っちゃうし、
  「キネマ旬報」に掲載されていたまばゆいばかりの、
  東京の名画座群はおいでおいでしちゃうし、
  それで東京に出てきたんですよね。
  もう、私にとっては「みじかくも美しく燃え」みたいな
  青春でした・・・・

映画は“女優”で見る!―映画生活を楽しくするススメ (SCREEN新書)映画は“女優”で見る!―映画生活を楽しくするススメ (SCREEN新書)
(2008/06)
秋本 鉄次

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sai.wingpen  キャサリン・ロスは出てこないけど           矢印 bk1書評ページへ

 ねえねえ、おにいさ~ん。 (えっ、オレ?オレってもうオジサンなんだけどな)
 若くて、可愛い子、好きでしょ? (まあ、嫌いじゃないけど)
 いいお店があるんだけどな~ぁ。 (マジ? ホント?)
 甘い誘惑嫌いでもないし、表の看板みたら、「女優」。 (おーぉ、雰囲気でてるじゃない)
 店内にはいれば、それっぽく照明は暗く、その闇の中で蠢く影。 (いいんじゃあない)
 でも、なんだかおかしい。これって、もしかしてシワ? 煙草の火の向こうに浮かぶのは、・・・ギャーーーァ。
 こういうのを「看板に偽りあり」という。
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プレゼント 書評こぼれ話

  毎日暗いニュースが続きますね。
  負のマインドが消費の低迷につながっていて、
  それを解消するのは政治の力だと思うのですが、
  その政治も迷走状態ですから、さらにマインドは下がる一方です。
  こういう時だからこそ、何をしなければならないのかを
  経営者は考えてもらいたいものです。
  そして、それは経営者だけでなく、たくさんの人が自分ならこの局面に対し、
  何を考え、どう実行していくかを模索することが大切なんじゃないかな。
  こういう時代だから、もう一度経済の勉強をしようとか、
  読みそこねた本を読んでみようとか、
  自身を磨くこと
  図書館や本屋さんに行けば、先人たちの知恵があなたの来るのを待っていますよ。
  

「経理・財務」これでわかった! (PHPビジネス新書)「経理・財務」これでわかった! (PHPビジネス新書)
(2008/11/19)
金児 昭

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sai.wingpen  お金よりも人間が大事である              矢印 bk1書評ページへ

 「百年に一度」という不況の中で、企業の評価の「新たな物差し探る時」という記事が新聞に出ていた(1月26日朝日新聞朝刊)。その記事によると、「株主資本利益率(ROE)など、<世界標準>という印のついたウォールストリート流の物差しを突きつけられ、短期間に成果を出さないと」いけないといったような「株主に偏りすぎた配分のバランスを見直し、企業を評価する新たな物差しを探る時でもある」と書かれている。
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01/27/2009    書評:彼女について
プレゼント 書評こぼれ話

  こういう最後のドンデン返しがある物語の書評を書くのは難しい。
  結末を書くと「ネタバレ」になるし、
  一番おいしいところを書かずに書評を書いても、
  読んだ人には「なんのこっちゃ」ということになりますよね。
  よしもとばななさんの、最新作だというのに、
  bk1書店でも誰も「書評」を書いていないのは、そういうことかな。
  今回の書評を読んで、「なんのこっちゃ」と思った人は、
  ぜひ実際に本を読んでみて下さい。
  ばななさんはこの物語の、最後にこう書いています。
     「ものごとは最後の最後まで、なにがどうなるかわからないものだなあと
      私は思った

  たぶん、ばななさん、にやりとしてここ書いたんだろうな。
  
彼女について彼女について
(2008/11/13)
よしもと ばなな

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sai.wingpen  彼女をさがして                     矢印 bk1書評ページへ

 わたし、一人称。あなた、二人称。彼または彼女、三人称。
 子どもの頃、そう習った。
 「私が昇一と最後に会ったのはふたりが小学校に上がる直前くらいのときだったろうか」という書き出しで始まるよしもとばななのこの本は、一人称の小説だが、題名は『彼女について』。
 この彼女って誰なの? と、読んでいる途中で随分気になった。
 物語の最後で、この「彼女」の正体がわかるはず(きっと)だが、この物語が、母親が父親を殺してしまうという悲惨な過去を持つ由美子という「私」の一人称の物語ではなく、すっと視線をいれかえると、昇一という優しい青年の物語に見えてしまうあたり、不思議な構造をもった物語といえる。
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01/26/2009    書評:門
プレゼント 書評こぼれ話

  いよいよ漱石の三部作の最後、『』です。
  昨年公開された宮崎駿監督の『崖の上のポニョ』の主人公の名前、
  宗助が、この『門』の宗助からとられたっていうのは、
  もう有名な逸話ですから、たくさんの人が知っていると思います。
  そういう点では、やはり漱石の文学というのは、
  いつの時代であっても、多くの人に影響しているし、
  作品の根幹でつながっている小説とか映画とか、
  たくさんあるのではないでしょうか。
  今回の書評では、
  「働く」という中で自分の苛立ちのようなものを書いていて、
  四〇手前の自分の、姿とか、気持ちとかが、
  そういうことではよく出ている内容です。
  こうして、昔の書評を読めば、
  その時々の自分に会えるのも面白い。

門 (岩波文庫)門 (岩波文庫)
(1990/04)
夏目 漱石

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sai.wingpen  明治からつながる今    

 『それから』の代助と美千代の後日談ともいえるこの作品は、明治四三年の春から初夏にかけて朝日新聞に連載された。
 その当時の読者も、代助たちの未来として、野中宗助と御米夫婦の暮らしぶりを見ていたに違いない。
 その当時の不倫の果ての、罪の意識が二人の頭上に常にたれこめているのを、満足としたかまではわからないにしろ、漱石がこの夫婦をおびえの生活に書き記したことは、時代の風だったのだろう。
 今こういう男女を描いたとしても、宗助のように山門に立ち尽くすことはあるまい。しかし、男女の間の恋愛に、この夫婦のような不安があることはいつの時代でもいえることで、漱石文学がいつの時代でも新しいのは、そういう普遍的なものを描いたからだろう。
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01/25/2009    書評:それから
プレゼント 書評こぼれ話

  今日(1.25)、「朝日新聞」が創刊130周年を迎えたという。
  おめでたきかな。
  1879年(明治12年)、大阪で生まれました。。
  今日紹介する漱石の『それから』も、明治42年に「朝日新聞」に
  掲載された新聞小説です。
  新聞小説という文化が日本で始まったのは、
  明治19年の「読売新聞」での「鍛鉄場の主人」という作品だったらしいのですが、
  どうも諸説色々あるようです。
  漱石が教職を辞めて朝日新聞に移ったのは有名な話ですが、
  漱石の新聞小説の第一号が『虞美人草』(明治40年)。
  当時「朝日新聞」はまだ若々しい新聞だったでしょうね。
  だから、教師を辞めて新聞社に入るということが世間の驚きでもあったそうです。
  漱石はこんなことを書いています。
    大学を辞して朝日新聞に這入つたら逢ふ人が皆驚いた顔をして居る。
    中には何故だと聞くものがある。大決断だと褒めるものがある。
    大学をやめて新聞屋になる事が左程に不思議な現象とは思はなかつた。

  おめでたき日ですから、
  今日の『それから』は、1994年に書いた書評と、去年(2008年)に書いた書評を
  ダブルで掲載しました。
  成長してればいいのですが。
  はたして。

それから (岩波文庫)それから (岩波文庫)
(1989/11)
夏目 漱石

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sai.wingpen  詩のために       

 一九〇九年(明治四二年)の夏から秋にかけて書かれたこの小説は、先の『三四郎』の続編という位置づけになっていて、次の『門』と合わせて三部作とされている。
 漱石の作品群の中でも、一級品に属する作品だし、そのテーマといい決して古い印象はなく、現在的ですらある。
 まさに文学作品とは、こういう作品をいうのであろう。
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01/24/2009    書評:三四郎
プレゼント 書評こぼれ話
 
  関東地方は昨日春のような陽気でしたが、
  今日一転して冬の気候に戻りました。
  私の住んでいるS県S市でも、雪がちらちら舞いました。
  もともと大阪の片田舎で生まれましたから、雪そのものがあまり
  降らないところでした。
  東京に越してきた時は、雪がよく降るところだなと思った記憶があります。
  大学受験の時も確か雪が残っていました。
 
  昨日書いたように、今日から漱石の三部作の書評を書きますが、
  いずれも今から15年前に書いたものです。
  40を目前にした年です。
  最初は『三四郎』。
  実は、最近また読み返したのですが、三四郎の恋の行方が気になって
  仕方がなかったですね。
  だから、今書いたら、こういう書き方はしないだろうと思います。
  ですが、15年前の文章を基本的には触らずに書きます。
  書評のタイトルは今回新たにつけました。
 
三四郎 (岩波文庫)三四郎 (岩波文庫)
(1990/04)
夏目 漱石

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sai.wingpen  ここではない所をめざす羊たち          

 この小説の主人公、小川三四郎は二三歳の大学生で、身長は「五尺四寸五分」である。
 尺貫法の単位がわからないから、今の単位に直すのに辞典を使わないといけない。
 一尺が約三〇.三センチというから、だいたい一六五センチになる。さほど大きな青年ではない。広田先生は一七〇というところだろうか、三四郎よりはずっとスマートである。
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本私の好きな作家たち」の第四回めはいよいよ大御所の登場です。
 バーンと、「夏目漱石」さんでいきます。

漱石本 作家の名前というのは不思議なもので、姓と名があれば、どちらかに重点がいきますよね。
 例えば、漱石。夏目さんとは云わないですよね。
 太宰治は治って呼ばない。これは太宰です。
 最近の作家でいえば、松本清張さんと司馬遼太郎さん。
 松本清張は清張と名で呼ぶ作家。司馬遼太郎は司馬サンと姓で呼ぶ作家。
 私は前々から、これが不思議でしょうがない。
 で、好きな作家の漱石さん。


本 何が好きかといえば、顔がいい。
 かつてお札になったからじゃあ、ないですよ。
 よくよく見れば、漱石はかなりのダンディ。神経質そうだといえばそうだけど、
 あの髭がいい。
 真似してみたいところだけど、どうも私は髭が薄い体質らしい。
 お札には絶対ならない。ソンをした。

 四〇台の始めに、漱石の作品を全部読もうって挑戦したことがあります。
 その時に、すっかりはまりました。
 小説の面白さというのは、漱石に始まって漱石に尽きるんじゃないかと
 思ってしまうくらい、「読む」楽しみを味わえた。
 では、漱石の作品の中で一番好きな作品はと聞かれたら、
 今は『三四郎』って答えるかな。青春文学の傑作だと思います。

本 それと、漱石の誕生日は僕と同じ(2月9日)なんですよね。
 88年前の同じ日に、漱石が生まれた。
 そう思うと、ちょっとうれしい。
 そこで、明日から、漱石の有名な三部作『三四郎』『それから』『』の
 書評をどどーんと、
 三日続けてのせちゃいますからね。
 楽しみにして下さい。

本 そうそう、漱石の好きな人は、半藤一利さんの『漱石先生ぞな、もし』を
 読んでみるといいですよ。
 漱石の副読本としては、一級品というか、気楽に読めて楽しい。
 文豪のエピソードだけでなく、時代そのものを視る視点がしっかりしている、
 いい本です。

漱石先生ぞな、もし (文春文庫)漱石先生ぞな、もし (文春文庫)
(1996/03)
半藤 一利

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01/22/2009    書評:昭和シネマ館
プレゼント 書評こぼれ話

  最近の映画館は驚くくらいきれいです。
  それにくらべれば、私が映画にはまっていた30年以上前の
  映画館は汚かったですね。
  便所くさくって、椅子が固くって、
  背の大きな人が前に座ると、スクリーンが見えなくて。
  それでも、あの空間が大好きでした。
  もちろん、その当時でも大きな都会のロードショウ館は
  そんなことがなかったでしょうが、
  学生の身分ではなかなかそういう場所には行けなかったですからね。
  この本の中に、当時映画館にはいるのに、
  「好きなときに入って、好きなときに出てくる」というような表現がありますが、
  確かにそんな時代でした。
  そうでないと席がとれない事情もありましたし、
  情報が豊かでなかったですから、上演時間の概念も
  あまりなかったように思います。
  「ぴあ」が創刊されてから、そういうことも少なくなったかもしれません。
  
昭和シネマ館―黄金期スクリーンの光芒昭和シネマ館―黄金期スクリーンの光芒
(2008/12)
紀田 順一郎

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sai.wingpen  瀬戸際の映画評論                     矢印 bk1書評ページへ

 はじめにことわっておくと、本書は情緒的な書名や著者である紀田順一郎氏所蔵の懐かしい映画パンフレット・チラシが満載であることで、ノスタルティックな映画エッセイ本だと思われるかもしれないが、実は極めて正当な作品論であり、監督論であり、俳優論である。
 あるいは、映画というメディアを通してみた時の、社会風俗論といってもいいかもしれない。
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プレゼント 書評こぼれ話

  書評にも「日付」があっていいのではないかという気持ちがあります。
  ですから、今日はどうしても「オバマ」を書きたい。
  新聞の夕刊紙に載っていた就任演説全文にも目を通しました。
  でも、それをどう「料理」するか。
  この本を今日読んだのはまったく偶然でしたが、
  この本が、言葉(あるいは詩)で出来ていてすぐ読めたということもありますが、
  これなら、「日付のある」書評が書けると思いました。
  それで書いたのが、今回の書評です。
  書評を書いていて、オバマ新大統領は決して谷川俊太郎さんの詩を知らないはず
  なのに、言葉というつながりを実感しました。
  それほどに谷川さんの言葉(あるいは詩)の力は強いのだと思います。
  
生きる わたしたちの思い生きる わたしたちの思い
(2008/07/30)
谷川 俊太郎 with friends

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sai.wingpen  生きているということ            矢印 bk1書評ページへ

 その日、ワシントンは零下二度だった。
 その凍てつく寒さの中、第44代アメリカ大統領となったオバマ氏は、その就任演説の最後にこう語りかけた。
 「アメリカよ。・・・希望と美徳をもって、凍てついた流れに再び立ち向かい、どんな嵐が来ようと耐えよう。私たちの子供たちのまた子供たちに、私たちは試練のときに、この旅が終わってしまうことを許さなかった、と語られるようにしよう。・・・そして、地平線と神の恵みをしっかり見据えて、自由という偉大な贈り物を受け継ぎ、未来の世代にそれを確実に引き継いだ、と語られるようにしよう」(朝日新聞・1月21日夕刊より)
 20分にわたる演説全体は期待以上の高揚を煽るものではなかったが、この最後の件(くだり)は深い示唆に富んでいる。
 ここでの言葉に、今ここに「生きている」私たちがなすべきことだという、心の諒解がある。
 それはアメリカ国民だけではない。
 地球という星に今「生きている」、私たちができうること。
 それは「未来の世代」に私たちが「生きた」ということをつなぐこと。
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プレゼント 書評こぼれ話

  この本は、先に読んだ豊崎由美さんの『正直書評。』で、
  絶賛されていたものです。
  あの豊崎さんが、「鬼の目にも涙。落涙二段構えのする
  不思議な読後感をお試しあれ
」と書いたくらいですから、
  少しは覚悟をきめて、読んだ物語です。
  ただ、残念ながら? 私は泣けませんでした。
  もしかして、あの豊崎さんよりも鬼かもしれないと、
  そちらの方が泣けてしまいます。
  それはともかくとして、実はこの本、
  今年初めて読む文学、小説なんですよね。
  たくさん読んでいるようですが、
  案外小説が少ないかもしれませんね。
  それで感性が鈍っているのかなぁ、と
  少し反省しています。
  
リンさんの小さな子リンさんの小さな子
(2005/09)
フィリップ クローデル

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sai.wingpen  穏やかな朝                  矢印 bk1書評ページへ

  「戦後」という言葉は曖昧だ。
 私たち多くの日本人にとってのそれは「第二次世界大戦」だろうし(そうではない若い人たちも増えてはいるが)、アメリカやフランスの人たちにとっては「ベトナム戦争」かもしれない。あるいは「イラン戦争」だと言う人もいるだろう。
 この世界に「戦争」が絶えない限り、「戦後」という言葉は人それぞれの悲しみをもったまま、語り継がれていくしかない。
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プレゼント 書評こぼれ話

  書評にも書きましたが、今回の本との出合いは、
  勝間和代さんの著作から興味をひかれたからなんです。
  昨日本田直之さんと田島弓子さんのセミナーの聴講記を書きましたが、
  あれも勝間さんオススメのスキルアップの方法です。
  本でもそうですが、単に読んだとか聴いただけではなかなか自分の中に
  残らない。あるいは、残らなくても、
  自分の人生の記録として、書きとめておくことは、
  大切だと思います。
  また昨日も書きましたが、「書き出す」というのはこの神田さんの本でも
  大きな成功法則なんですよね。
  私もぜひやってみようと思います。

非常識な成功法則―お金と自由をもたらす8つの習慣非常識な成功法則―お金と自由をもたらす8つの習慣
(2002/06)
神田 昌典

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sai.wingpen  ぼくの前に道はある                     矢印 bk1書評ページへ

  あの勝間和代さんが三十三歳の時に出会い、「もっとも影響力を受けた著者の一人」と言わしめた、神田昌典さんの本が、この『非常識な成功法則』である。
 全く個人的な話だが、勝間さんの本に出会って、この種の自己啓発本の読み方が少し変わったと自分では思っている。
 それは少しでもそれらの本に書かれている内容を実践してみようと考えるようになったことだ。
 五十三歳でも、素直になる時はある。
 わかった顔をしてても何も始まらない。あの勝間さんが影響を受けた本がどういう本なのか、それでたどりついたのがこの本だった。
 もちろん、二〇〇二年に発行された本だから、きっと多くの人は「いまさら」というかもしれないが、でも逆に考えれば、「今だから」こそ、成功の道は開けているかもしれないではないか。
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本 先日の金曜(1.16)の夜、東京駅のそばの丸善(私のお気に入りの本屋さん)の
 セミナーに行ってきました。
 以前から気になっていたのですが、今回初めて参加しました。
 ということで、今回は「セミナー聴講録」です。
セミナー
本 実は、ここでのセミナーは無料だとばかり思っていたのですが、
 その回の講演者の本を購入することが前提になっています。
 今回私が購入したのは、本田直之さんの最新刊
 『レバレッジ・マネジメント』。
 最近本田さんの「レバレッジ」シリーズにはまっていることもあって、
 私には興味のある一冊。
 しかも、今回は生(なま)の本田さんのお話も聴ける。
 うれしいなぁ。  (この本の書評も近いうちに書きますからね)
 とはいえ、セミナー初心者としては、やや興奮状態で、会場の丸善には
 開始の一時間前には着いていました。
 はやる心はありましたが、そこは大人ですから、表情には出しません。
 コーヒーを飲みながら、本田さんの新しい本をペラペラ。
 表面上は余裕です。(心の中では、そろそろ行った方がいいのではとか、席は
 どのあたりがいいだろうとか、焦っていましたが)

本 今回のセミナーは、「レバッレジ」の本田直之さんと『ワークライフアンバランスの仕事力』を
 上梓されたばかりの田島弓子さんのジョイントだったのですが、
 このお二人、ご夫婦なんですよね、知ってました?
 ということで、いよいよ夫婦(みょうと)漫才、あ、失礼、
 ご夫妻(ふさい)のセミナーが始まります。
 その前にもう一度会場の雰囲気を書いておきますと。、
 大体140~150名ぐらいの聴衆がいましたね。しかも、皆さん、若い。
 多分、私(53歳)は年齢ベスト5位にははいっていたんじゃないかな。
 男性と女性では、6対4ぐらいかな。
 女性は若くて、きれいで、できる人っていう感じでしたね。
 まあ、あんまし、セミナーとは関係ありませんが。
 ということで、セミナーが始まります。
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01/17/2009    14年めの朝
本 阪神大震災から14年めの朝を迎えました。
私は、仕事の関係で、震災のあった年(1995年)の前の春から、
大阪にある豊中市という街に住んでいました。
あの日」のことを当時の「読書ノート」にはこう記しています。
僕がこのノートを書いているのは3月25日(1995年)。
心の中にある白い風景をどうしようもないまま、今までのことを
書こうと思う
」という書き出しで始まります。
    
    1月17日(火)。この日、僕は東京に出張の予定だった。だから
    いつもより早く起きるつもりだった。その少し前、正確にいうと
    午前5時46分頃、地震が起きた。マグニチュード7.2の、いわゆる
    阪神大震災である。グラッときて、布団から出てあわてて子供たち
    の部屋に行こうとするが、歩けないくらいの揺れである。リビング
    の食器棚が倒れる。食器が割れ、本が本棚から飛び出す。割れた
    食器、倒れた棚を片付ける。少し落着いたところで、会社に出る。
    出張にはまだ間に合うぐらいに考えていた。地下鉄が止まっていた
    ので会社まで歩く。会社の事務所は何箇所が天井が落ち、机の
    引き出しが飛び出していた。
    (中略)
    でも、実際には僕はこの日ほとんど何もわかっていなかった。神戸
    で何が起きているのかも、何人の人が亡くなったのかも。その日、
    僕は何も知らなかった。これが、死者5500人となった大震災の
    始まりの一日だった。子供たちと一緒に眠る生活が始まる。


本 まあ、一部割愛しているからわかりにくいかもしれませんが、
自身の中では「あの日」の光景がまだ残影としてあります。
道路に噴出していた水道管、会社まで歩く途中で会った人、つながらない電話・・・
もし、人生に断層があるとしたら、私には「あの日」はやはり
ひとつの断層だったように思います。
幸いにも私のまわりで亡くなった人がいたわけではありません。
でも、人はある日突然大切なものを喪うのだという思い。
それを「あの日」知ったのだと思います。

本 村上春樹さんの『神の子どもたちはみな踊る』は、そんな阪神大震災を
 モチーフにして書かれた短編集です。「あの日」から7年後にその短編集の
 書評を書いています。蔵出し です。

神の子どもたちはみな踊る神の子どもたちはみな踊る
(2000/02)
村上 春樹

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sai.wingpen  人は悲しみを表現できるまでにどれだけの時間があればいいのだろうか        矢印 bk1書評ページへ

  この本には95年の阪神大震災を核とした六つの短編が収められている。震災のあったその年の3月に地下鉄サリン事件が起こったことを、皆さんは覚えているだろうか。村上春樹さんはあの悲惨な事件に誘発されて「アンダーグランド」というノンフィクションの快作を発表している。そして、同じ年に起こった阪神大震災のことを描くのは、それよりももっと後のことになる。その違いこそが、村上春樹さんが故郷神戸の悲劇を描くことの心の迷いを如実に表しているように思う。やっと彼自身の心の傷が癒えようとしている。

 六つの短編は「かえるくん、東京を救う」を極北とする春樹ワールドとあの名作「ノルウェイの森」に連なる「蜜蜂パイ」の間を揺れているようでもある。そして、神戸の痛みとその癒しは「蜜蜂パイ」の最後の言葉に集約される。「これまでとは違う小説を書こう(中略)誰かが夢見て待ちわびるような、そんな小説を」。

 そこには村上春樹さんの決意のようなものが感じられる。それは神戸の人たちへの激励の言葉でもある。
  
(2002/07/16 投稿)

本 いよいよアメリカの第44代大統領オバマ氏の就任式が近づいてきました。
 アメリカだけでなく、全世界が彼の「チェンジ」に大きな期待を寄せています。

 そんな中、最近TVのドキュメンタリー番組で、「I have a dream」(私には夢がある)
 で有名な黒人指導者キング牧師が、暗殺される前日(1968.4.4)に行った演説の
 映像を見ることができました。
 その演説が、とても素晴らしい。
 こういう内容です。

    …前途に困難な日々が待っています。 でも、もうどうでもよいのです。
    私は山の頂上に登ってきたのだから。

    皆さんと同じように、私も長生きがしたい。
    長生きをするのも悪くないが、今の私にはどうでもいいのです。
    神の意志を実現したいだけです。 神は私が山に登るのを許され、
    私は頂上から約束の地を見たのです。

    私は皆さんと一緒に行けないかもしれないが、 ひとつの民として
    私たちはきっと約束の地に到達するでしょう。

    今夜、私は幸せです。心配も恐れも何もない。
    神の再臨の栄光をこの目でみたのですから。

 キング牧師はこの時、40年後のアメリカにおいて、黒人の大統領が誕生する
 ことが、「約束の地に到達する」ことが、見えていたのでしょうか。

本 この演説の中で、私がもっとも気になった箇所は、実は他にあります。
 それは「私は皆さんと一緒に行けないかもしれない」という、
 まるで死を予感させるようなところです。
 でも、こういう文章を以前どこかで読んだことがある。

 そして、思い出しました。

本 それは司馬遼太郎さんの『二十一世紀に生きる君たちへ』という短文に
 書かれていたこんな文章です。

    私の人生は、すでに持ち時間が少ない。例えば、二十一世紀というもの
    を見ることができないにちがいない。
    (中略)
    ・・・ただ残念にも、その「未来」という町角には、私はもういない。

 この文章は司馬さんがなくなる七年前(1989年)に、子供たち向けに書かれた
 ものですが、残念ながら、司馬さんは本当に二十一世紀を見ることなく、
 亡くなりました。(1996年)

 キング牧師司馬遼太郎さん

本 生まれた場所も境遇も全く違う二人ですが、
 よく似た思いを未来の私たちに託してくれています。
 二人につながっている思いは、次なる明日の子供たちへの深い愛であり、
 伝えきったものだけがもつ、澄んだ心です。

 そんなことを、キング牧師の演説を見て、
 そして、オバマ大統領の就任式を前にして、
 思いました。

二十一世紀に生きる君たちへ (併載:洪庵のたいまつ)二十一世紀に生きる君たちへ (併載:洪庵のたいまつ)
(2001/02/12)
司馬 遼太郎 (しば りょうたろう)

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01/15/2009    書評:カイシャ意外史
プレゼント 書評こぼれ話

  本というのは、面白いもので、
  一冊の本の中にはいくつもの読み方や感じ方がはいっています。
  今回書評を書いた『カイシャ意外史』も、
  社史というものを核にして読ませるビジネス本なのですが、
  本の読み方を教えてくれる箇所もあるのです。
  少し長いですが、引用しますね。

    本を手にとるとき、「後ろ→前、後ろ→前」を繰り返して見る。まず奥付で
    「いつ発行されたか。何回増刷・改訂されたか」を見、近くにある「著者略
    歴」に目を通す。次に目次で「全体の構成と内容」を見る。そして「あとが
    き」で、その本が生まれるまでのいきさつを読み、「序文」で目的や趣旨
    を知る。索引があればそれをチェックし、それから本文に入るが、社史の
    場合はその前にもう一段階あって、「資料編」を見る。(113頁)

  この中の、「後ろ→前、後ろ→前」という、極意がいいですね。
  ぜひ、参考にしたいと思います。

カイシャ意外史―社史が語る仰天創業記カイシャ意外史―社史が語る仰天創業記
(2008/11)
村橋 勝子

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sai.wingpen  経営者のみなさん、がんばって             矢印 bk1書評ページへ

  「百年に一度の経済危機」といわれる中、昨年(2007年)下半期から大手企業の業績予想が相次いで下方修正されてきた。
 それと歩調を合わさるかのように、新規採用者の内定取消し、非正規雇用者の解雇、大型投資案件の中止と、企業経営者のあわてぶりは目を覆いたくなる。
 自らが自身の足元の土をすくい、立てない状況を生み出しているように見える。
 むしろ、こういう時代だからこそ、自分たちの立ち居地をもう一度固める必要があるだろうし、自分たちの企業とは何だったのかを再考すべきだろう。
more open !?
01/14/2009    書評:海辺のカフカ
プレゼント 書評こぼれ話

  今朝(2008/01/14)のNHKBS2の「私の冊 日本の100」は、
  日本画家千住博さんの紹介する、村上春樹さんの『海辺のカフカ』でした。
  千住博さんといえば、「ウォーターフォール」(下図)のシリーズで有名ですが、
    
               千住博

  初めて作品を見た時は、思わず足がとまりました。
  品(ひん)があって迫力があって、「貴麗」(きれい)と書きたくなる作品です。
  そんな画を描く千住さんですが、『海辺のカフカ』を読んで、こう話しています。

     最後は希望

  実は、この『海辺のカフカ』は私にも印象深い小説です。
  というのも、この物語の書評を書くに際して、
  私はタイトルを「おいしいねじりパンの作り方」としました。
  この書評タイトルがすごく気に入っています。
  もしかしたら、このタイトルで、村上春樹さんが描こうとした
  作品世界を、言い尽くしているかもしれない。
  タイトルであってもこちら側の伝えたい意図を込めることが
  できるのではないかということです。
  今日は、以前の蔵出しですが、
  一挙に上下二冊の書評をお楽しみ下さい。
  いきますよ。
  では。

海辺のカフカ (上) (新潮文庫)海辺のカフカ (上) (新潮文庫)
(2005/02/28)
村上 春樹

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sai.wingpen  おいしいねじりパンの作り方                   矢印 bk1書評ページへ

  村上春樹の新作「海辺のカフカ」を、ゆっくりと時間をかけて読んだ。パン生地がふっくらと焼きあがっていく時の暖かな匂いが身体の隅々に染み込んでいくような、読書の時間を過ごした。そして、たぶん、僕は少し無口になった。

 章立てされた物語のストーリーを語ることに意味はない。奇数章は記憶を求める<田村カフカ>という十五歳の少年の、偶数章は記憶を失った<ナカタさん>という初老の男の物語である。具象と抽象。現実と夢。癒しと暴力。ふたつの物語は、それぞれにねじれて絡み合う。そして、ひとつの長い物語になっていく。ちょうどねじりパンみたいに。

 できあがったねじりパンには、ふたつの材料が使われている。ひとつは哲学の方法である。ここでいう哲学とは、生きていくための技術みたいなものだ。長い物語の中で交わされる登場人物たちの多くの会話は、ソクラテスの対話法の実践ともいえる。鷲田小弥太の「はじめての哲学史講義」(PHP新書)によると「ソクラテスの対話法は、説得術であるとともに、真の認識へと人々を誘う教育術でもある」という。特に奇数章で語られる多くの会話が、十五歳の少年が未来に向けて生き続けるための教育術であるといえる。物語を読み終えた時、僕たちは生きることの意味を、少し考えている。

 もうひとつの材料は、村上春樹流の比喩の使い方である。直喩と隠喩。多くの比喩が対話法の哲学の狭まで、パン生地を膨らませるためのイースト菌の役目を担っている。これがあればこそ、物語は豊かで柔らかに完結しているといえる。困難な主題が多くの人たちに読まれるのは、この材料の力が大きい。

 村上春樹はこの長い物語の最後にこう書いた。「本当の答えというのはことばにできないものだから」(下巻・413頁)もう十五歳の少年ではない僕にとってできあがったねじりパンは少しつらい味だった。ことばにされない答えを見つけるのに、僕はやや年をとりすぎたかもしれない。
  
(2002/09/29 投稿)
下巻はこちら。
more open !?

本 年が明けてから、何度か開高健さんの話を書いたので、
 その勢いで、「私の好きな作家たち」の、第三回は「開高健」さんでいきます。

本 開高健さんを初めて読んだのは、あまり記憶にないのですが、
 やはり大江健三郎さんを読んだのと同じ頃、
 高校生の頃だったように思います。
 あの頃、私の中で気鋭の作家といえば、開高大江は常にセットでしたね。
 ちなみに二人の芥川賞受賞歴は、開高が昭和32年下半期に『裸の王様』で、
 大江が翌年昭和33年上半期に『飼育』で受賞されています。
 私が開高を知った時は、もうすでに真ん丸い、人懐っこい顔をされていましたが、
 芥川賞受賞の頃は、びっくりするくらい痩せて神経質そうな顔をしています。
 人間はいかに変わるか。

本 そういえば、受賞作の『裸の王様』とか初期の『パニック』『巨人と玩具』などの作品は
 大江以上に精錬された都会的なセンスにあふれています。
 それはそれで魅力的なのですが、
 なんといっても受賞後の『日本三文オペラ』とか『ロビンソンの末裔』などの圧倒的な
 筆力は、文学の面白さを教えてくれました。
 続く、『青い月曜日』などの自伝的作品も何度も読みました。
 だから、開高と奥さん牧羊子さんの出会いなどは、完全に人ごとなのですが、
 いとこの恋愛事情よりよくわかっている感じです。

本 話はぐっと飛びますが、開高健が亡くなった時、弔辞を
 あの司馬遼太郎さんが読んでいます。
 すごく違和感がありました。多分司馬さんにもあったと思います。
 あれって、牧羊子さんが無理やりお願いしたんじゃないかって
 今でも思っています。
 司馬さん自身がその弔辞の中で、「いかにも縁うすきかかわり」って
 言っています。
 別に司馬さんに弔辞を読んでもらわなくても、開高健の偉業は
 色あせらなかったと思うのですが。
 ちなみに、この弔辞は、司馬さんの『十六の話』という本に収められています。

本 開高健の話はサントリーの広告の話とか、
 『輝ける闇』『夏の闇』とかいった名作とか。
 『オーパ!』の釣りの話、食の話、いろいろ尽きないのです。
 また、機会があったら、書きたいと思います。
 尽きないことが、開高健の魅力でしょう。

本 最後に、2002年に書いた書評を蔵出ししておきます。
 当時から「悠々として急げ」って書いているのが、
 我ながらおかしいですが。

開高健  新潮日本文学アルバム〈52〉開高健 新潮日本文学アルバム〈52〉
(2002/04)
不明

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sai.wingpen  巨人と玩具                     矢印 bk1書評ページへ

 開高健が亡くなって、13年経つ。
 たくさんの水が橋の下を流れて、開高の豊饒な容姿も、図太い声も、あっけらんかんとした関西弁も、遠く下流まで流れて行った。新潮日本文学アルバムの、このシリーズの最終刊行となったこの本で、久しぶりに開高の人なつこい笑顔を見ると、この作家を失ったことの日本文学の痛みを思わずにはいられない。
 さて、開高の文学とは何であったかということを考えると、ベトナム戦争に代表される<巨大なもの>と釣りや美食に描かれた<ささやかなもの>との間を、何度もなんども行ったり来たりしていたような気がする。それは、人生そのものを築きあげようとした人間の苦悩ともいえる。開高の、そんな真摯な姿を忘れないでいたい。
 諸君、「悠々として急げ」。
  
(2002/05/13 投稿)

01/12/2009    書評:親子で映画日和
プレゼント 書評こぼれ話
  
  高校時代から大学時代にかけて、
  私は「映画大好き」少年であり、青年でした。
  高校の頃は友人たちと学校が終わって試写会に行くのが楽しみでしたし、
  大学生の時には、「名画座」を何軒もはしごするのが日常でした。
  今回の本にも、その頃の映画館の様子が描かれています。
  著者の永千絵さんは1959年生まれですので、
  少し私の方が年上ですが、「同時代」を生きた匂いがあります。
  渋谷の映画街を描いた箇所などは、私自身よく通った街でしたから、
  懐かしかったです。
  名画座だった「全線座」という活字を見ただけで、
  わぁーっという感じになります。
  書評には「家族」の場面をメインに書いていますが、
  映画のそんな話もたくさん出てくる、
  素敵な一冊でした。

   親子で映画日和

  sai.wingpen  いやぁ、家族って本当にいいもんですね          矢印 bk1書評ページへ

 たまたま読んだ本が想像以上に面白かったという経験はありませんか。
 雑誌「スクリーン」でお馴染みの「近代映画社」が昨年創刊した「SCREEN新書」の一冊で、帯の「あるようでなかった、映画の新書です。」にひかれて手にしたのが、この本だった。「映画の新書」ということに興味をもっただけで、すでに刊行されているいくつかのラインナップのどれでもよかった。
 しかもどちらかといえば、親と子と映画といったテーマにも魅力を感じなかったのだが、この本は期待以上に面白かったというか、読むのがとまらなくなった。

 著者の永千絵さんは、「息子ふたり、ダンナひとり、猫と同居中」の映画エッセイスト。そして、あの永六輔さんの長女。
 だから、息子さんのお弁当に悪戦苦闘するごく普通の主婦のようでもあるし、父親六輔さんの薫陶を受けた独特な世界観(そして、それはすごくノーマルな考え方でもある)をもった女性でもある。
 しかも学生の頃から学校の行事よりも映画が好きで、「同じ映画は何度観ても泣けるという特技」があって、「映画が始まって5分で泣いた」(一体どんな映画だったのだろう)という記録まで持っている、映画が大好き女性なのである。

 そんな著者が書いたこの本は、映画評論ではなく「映画エッセイ」という体裁で、映画にまつわる家族の思い出や親と子の微妙な関係が、まるで良質のホームドラマを見ているように綴られている。
 特に、2002年に亡くなった母親との最後の日々を綴った「観に行くのがあたりまえだった『若草物語』」や、母親の死を契機にした死生観を書いた「生と死について考えさせてくれた『アザーズ』」などは、母親とたびたび映画館に足を運んだ長女(著者)なりの、肉親への訣別の仕方が描かれて、深く考えさせられる。
 冷酷だと思える心の割切りをする一方で、「母が死んで、年寄りを見る目が変わった。頑固だったり傲慢だったりする年寄りもたくさんいるけれど、母が重ねていくことのできなかった年を経てきた彼らが羨ましい」(55頁)と書く著者の目は涙に濡れながらも、澄んでいる。

 もし、映画評論家水野晴郎(2008年6月死去)さんが生きておられたら、こうおっしゃるにちがいない。
 「いやぁ、家族って本当にいいもんですね」
(2009/01/12 投稿)


プレゼント 書評こぼれ話

  今回紹介した本には、書評で書いたように、
  「きれい」になるための37のヒントが載っています。
  そのひとつに、「毎日、本を読む」というのもあります。
  その単元のまとめにこう書かれています。
    一日一ページでも、10分間でも、
    読書をする習慣をつけましょう。
    本に書かれた知識以上の
    「教養美」が身につきます。

  ね。
  本を読むってすごいでしょ。
  読めば「きれい」になるのですよ。
  もっとも、私は今までに「イケメン」などと
  言われたことはありませんので。
  念のため。
  
「きれい」だと言われる女性が気をつけていること「きれい」だと言われる女性が気をつけていること
(2008/10/29)
アダム 徳永

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sai.wingpen  きれいになるカメ                     矢印 bk1書評ページへ

 水野敬也氏の『夢をかなえるゾウ』は昨年(2008年)の年間ベストセラーの堂々二位(ちなみに一位は「ハリポタ」の最終巻)。2007年8月の発売にもかかわらず大健闘である。
 関西弁を話す不思議な神様ガネーシャの功績大だが、夢を実現したいという読者の心理を物語風に仕上げて、いつの間にか「もしかして」と思わせた水野氏こそ「夢をかなえ」た一人にまちがいない。

 『夢を-』では、それぞれの人の夢をどのように実現させるかが描かれていたが、この本はもっと絞り込んで「きれい」になりたいと思っている女性をターゲットにして書かれた「自己啓発本」である。
 「あいさつを大切にする」とか「親切を趣味にする」とか「自分をほめて、運命を変える」といった、「きれい」になるための三十七のヒントが紹介されている。
 もしかして、あのガネーシャが女性の部屋に住みついたのかと勘違いしてしまいそうな、どこにでもありそうで、いまさら恥ずかしくていえないような、それでいてなかなかできない訓戒がそろっているのである。

 著者は、女性の支持が絶大だというカリスマ・セラピストの、アダム徳永氏。
 というよりの、あの「スローセックス」を世に知らしめた先生といった方がわかりやすい。
 「本書を指針にして、毎日を磨いていけば、遠からずあなたにほんとうの美しさが舞い降りる」(178頁)と、「あとがき」に書く先生が言いたいのは、要するに、セックスでも「きれい」になるでも、ガツガツするな、ということだろう。
 案外、ガネーシャ仕立ての神様キャクターを生み出せば、しかも「スローセックス」指南付きであれば、もっと面白い本になったかもしれない。
 その時の題名は「きれいになるカメ(かも?)」でいかが。
 
(2009/01/11 投稿)

01/10/2009    書評:文芸誤報
プレゼント 書評こぼれ話

  前回に引き続き、今回も書評集の紹介です。
  前回と今回の書評集でおもしろいなあと感じたのは、
  だいたい同じ時期に書かれた書評ですから、同じ本の書評が
  何冊もあるんですよね。
  例えば、渡辺淳一さんの『鈍感力』とか筒井康隆さんの『巨船ベラス・レトラス』とか。
  同じ本でありながら、斉藤美奈子さんと豊崎由美さん、お二人の評価が
  若干ずれていたりするんですよね。
  それが面白い。
  まあ読書の楽しみっていうのは、人それぞれの評価があっていい、
  ということだと思うし、
  Aという人がいいと思っても、自分にはちっとも理解できないっていうことは、
  よくあります。
  もちろん、その逆も。
  あるいは若い時の自分はすごく感激したのに、
  年を重ねたら、面白くなかったみたいなこともあります。
  もちろん、その逆も。
  そういう自由度があるから、
  読書は楽しいのだと思います。
  
文芸誤報文芸誤報
(2008/11/20)
斎藤 美奈子

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sai.wingpen  ペンで蠅をつかむ                  矢印 bk1書評ページへ

 一年間の出版点数が八万点を超えているそうだ。
 ということは、日々二〇〇点あまりの新刊が出版されていることになる。一冊の本の売れ数が増えない(つまりは読まれない)から、点数を増やすことで売上げを維持しようということだろうが、そのおかげで内容の薄い企画や同人誌レベルの文学が横行しているような気がする。
 また、それだけの新刊本から何を読めばいいのか、迷うのも事実だ。
 こういう時代だからこそ、「書評」に求められるものは大きい。

 本書は2005年から2008年にかけて約三年半、「週刊朝日」に掲載されていた(一部は「朝日新聞」での書評もあるが)、主に文芸書を中心にした、斉藤美奈子の書評集である。
 紹介されているのは二〇〇冊を超えるが、冊数だけでいえば、これでも今の出版事情ではたった一日分の出版量である。
 ため息が出る。

 最近、新進気鋭の書評家豊崎由美の「正直書評。」を読んだせいか、さしもの斉藤美奈子もおとなしく、つつましく、大人に見えてくる。それでいて、ちくり度も、ねっちょり度も一日の長を感じる。
 いまや大家の風情である。
 例えば「小説とも随筆ともつかぬこういう本が昔よくあったよなあと思うが、教養がない私には固有名詞が出てこない」(85頁・『パリの詐欺師たち』書評から)といったような箇所を読むと、絶対斉藤は固有名詞がわかっているに違いない、と思える。わかっていながら「お前だよ、お前」と特定のものを罵倒している。
 こういう技は斉藤の極致である。

 本書の最後にはこの本の書評まできちんと掲載されている。
 その中で、斉藤は「この本は、文芸批評でも何でもなく、ジャーナリスティックな興味と二人連れの俗なレビューの集積」と書き、「個々の作品評価はあまり信用せぬが花であろう」と評価しているが、斉藤美奈子、ズルすぎて、巧すぎる。
 今やペンで蠅をつかむが如き妙技である。
(2009/01/10 投稿)


01/09/2009    書評:正直書評。
プレゼント 書評こぼれ話

  今回の書評は意に反して、少々下品になってしまいました。
  著者の豊崎由美さんの影響が、モロにでてしまいました。
  本を読んでいて面白いのは、著者が憑依(ひょうい)してくる瞬間でしょうか。
  だから、つい、その書評まで著者の文体に近くなる。
  この書評では紹介できませんでしたが、
  豊崎さんは「銀の斧」には「図書館で借りられたら読めばー?」、
  「鉄の斧」には「ブックオフで100円で売っていても読むべからず?!」って、
  書いています。
  それでは、この本の評価は?
  三本の斧、まとめて、「福袋」にしちゃいますか。

正直書評。正直書評。
(2008/10)
豊崎 由美

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sai.wingpen  ぐびぅつ。あ、失礼。げっぷでました。         矢印 bk1書評ページへ

  「文学賞メッタ斬り!」でつとに有名になった豊崎由美さんの、気の弱い人には少々過激な、書評集である。
 ご本人も書いているが、「トヨザキ=毒舌」のイメージが強い。
 しかし、この書評集の中で紹介されている一〇〇冊近い本のほとんどは「親を質に入れても買って読め!」の「金の斧」の評価なのでございます。
 「四十七歳・未婚・子無し・金欠のくせして上機嫌なオバちゃん」(3頁)である豊崎さんは、その評判に相違して、とても心お優しいお方なのですよね、ですよね。

 つーか、言葉が乱暴なだけで、おっと失礼、お言葉が跳ねまわっているだけなんですよね。心根の優しさがそれでも出てきてしまう。
 特に「外国文学」にはめっぽうお優しくて、そのほとんどが「金の斧」。 トヨザキも青い目には弱いか。
 というか、「外国文学」はいいものしか読んでおられないのではないか。 最初から長身・金髪・青い目・イケメン、選んでる? って感じ。まさかーっ。

 この書評は先にも書いたように評価を、イソップの「木樵とヘルメス」から採っている。
 えー、知りません? 沼から美女の神様が現れて「この斧はお前の斧かい」っていうお話。
 金の斧? いいえ私の斧ではありません。銀の斧? いいえめっそうもございません。では、この鉄の斧? はい。なんという正直なやつだ。ご褒美にすべての斧をお前に授けよう、っていうあれ。
 シャイなトヨザキさんは自ら書名に「正直書評。」(おまけにこの。は断定の気持ちという念のいれよう)とおつけになったくらいですから、金銀どっさりおもらいになったのでしょうか。

 ぐびぅつ。
 あ、失礼。これ、げっぷ。
 げっぷの勢いで書いちゃうと、ぜひ豊崎さんに勝間和代さんのご本を評してもらいたい。せめて、本の表紙に顔を載せるのやめなさい、ぐらいはいうのかな。
 ぐびぃつ。
  
(2009/01/09 投稿)


  
本 オンライン書店「bk1(ビーケーワン)」の一番の"ウリ"は、
 なんといっても「書評」の充実でしょうか。
 多くの書店サイトでも「レビュー」のコーナーはありますが、
 「bk1(ビーケーワン)」さんは早くからその点には力をいれていました。
 今だに「レビュー」ではなく「書評」っていうのも、
 私は好きです。

本 毎週一度販売部の方が一週間に投稿された書評をまとめているのが
 「書評ポータル」というコーナーです。
 その中でも、「今週のオススメ書評」は、
    最近1週間の投稿分から「これは!」という書評をご紹介します。
    書評も本も読み応えあり。オススメです!

 という厳選ものです。

 大体一週間に8本ぐらいの書評が紹介されています。
 ここに取り上げられると、ちょっとした"特典"がつきます。
 どんな"特典"かは、ぜひみなさんも書評を投稿して、確かめて下さい。

 それで、今週はお正月休みがあったので、
 「今週のオススメ書評」は20本の大判振る舞い。

 ということで、今回私の書評『サンタ・エクスプレス』(重松清著)も
 選ばれました。

本 新年早々、お年玉をもらった気分で、うれしい。
 大人だって、お年玉もらうとうれしいものなのです。

本 今年もせっせと「書評」、書かせて頂きます。

01/07/2009    続・悠々として急げ

本 今日は書評を書こうと思っていたんですが、
 今朝(1/7)の「朝日新聞」を見て、また開高健さんの話を書きたくなりました。
 昨日たまたま、開高健さんの「悠々として急げ」っていう言葉を紹介しましたが、
 その開高健さんの記事が翌日に出る。
 なんか運命を感じますね。
 こういうのに弱いんです、私。

開高健
「朝日新聞」朝刊の「文化面」の記事です。

 「没後20年 開高健の代表作『夏の雨』直筆原稿、再現し出版

とあります。
開高健さんの独特な丸っこい文字そのままに原稿用紙408枚が、本として出版されるという記事。
仕掛けたのが、開高さんのかつての担当編集者だというのもいい。

本 そうか。開高健さんがなくなって20年か。
 あ。
 もしかして。
 私の20年前(1989年)の「読書ノート」に何か書いているかも。
 で。

本 ありました。
 20年前の私はちゃんと書いていました。

     一人の作家が死んだ。五八歳だった。
     僕はその作家の作品集を学生時代に高田馬場のパチンコ店
    で揃えた。多分、買ったより以上のお金を使った。
    それから何年もして、作家の講演を聴きに大阪のデパートに
    行った。作家はまるまると太って、しぶとい大阪弁で、アマゾン
    の話をした。どこかの本に書かれていたような気がした。
     作家はこだわっていた。だから、何度も何度も同じ話を繰り返し
    た。そして、やがて筆は朽ち、文字は凝固していくように思えた。
    だから、彼は世界の果てに釣りをしにいくしかなかった。でも、
    見えてくるのはやはり同じものだった。それでも、彼は作家で
    あろうとした。
     開高健。作家。昭和五年、大阪に生まれる。昭和三三年、
    「裸の王様」で第三八回芥川賞。平成元年、十二月死去。
    代表作に「青い月曜日」「輝ける闇」「夏の雨」「オーパ!」他多数。
    (1989/12/13)

本 なんだか、開高健さんをまた読みたくなりました。




01/06/2009    悠々として急げ

本 「歳時記」を開くと、日本語は美しいといつも納得します。
 例えば、門松(最近見なくなりましたね)を立てておく期間は
 「松の内」っていいますよね。
 「歳時記」にはそれ以外に、
 「注連(しめ)の内」なんていう言葉もあるんですよね。
 「松の内」のような広がりはないけれど、つつましい美しさを感じます。
 関東ではだいたい今日(6日)までが「松の内」。(関西では15日ぐらいだとか)

本 正月気分のままに、10年前の「読書ノート」を開いてみました。
 1999年1月3日のノート。

    昭和という時代が終わって、もう10年が過ぎた。そして、新しい
    世紀が目の前にある。ノストラダムスによれば、今年の7月に地
    球は滅びるらしい。世紀末である。僕は今年44歳になる。なんだ
    か10年前には想像もしなかった世界だ。
    ・・・・・・
    欲しいものはたくさんある。革製の書斎椅子が欲しい。冬のスーツ
    は去年我慢したから、今年こそ。夏のスーツだっている。男だって
    お洒落が必要だ。欲望渦巻く、44歳!


本 なつかしいなぁ。
 そしてなんだか、10年前の自分が切なくなります。
 多分、その時、10年後の自分自身なんて想像もしなかったにちがいありません。

    悠々として急げ

 作家開高健がよく使った言葉です。
 10年前の自分に言ってあげたいし、今の自分にも言い聞かせる。

 そんなことを思う、「注連の内」でした。

01/05/2009    書評:本を読む本
プレゼント 書評こぼれ話

  この本は勝間和代さんのお薦め本の一冊。
  でも、結構読みごたえがあったというか、
  「読書」はそこまでしないといけないの、といいたくなるような本でした。
  そのあたり、私は極めて凡人なのでしょうね。
  しかも「書評」まで堅苦しくなったみたいで、
  なんと影響されやすいんだろうと反省もしています。
  ただ、これからレポートとか論文を書こうとしている人には
  参考になるかもしれませんよ。
  なお、私はほとんど机にむかって本は読みません。
  
本を読む本 (講談社学術文庫)本を読む本 (講談社学術文庫)
(1997/10)
モーティマー・J. アドラーC.V. ドーレン

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sai.wingpen  たまには机に向かって本を読む            矢印 bk1書評ページへ

  原題の「How to Read a Book」が示すとおり、これは極めて高度な読書「術」の書物であり、「読むに値する良書を知的かつ積極的に読むための規則」(4頁)が書かれた本である。
 だから、日本語訳書名の『本を読む本』という、どことなく情緒的なものを期待した人に応えるものではない。
 また、小説や詩といった「文学」の読書方法については一単元が設けられているものの、ほとんどは「教養書」といわれるジャンルの読書「術」であると思った方がいい。(但し、わずか一単元ではあるが、「文学」の読み方について、「文学は、経験を創造し、そこから読者は学ぶのである」(203頁)といったような視野に富む見解があり、これはこれで見逃すべきではない)

 それでは、著者はどのような「読む」という「技術」を奨めているのであろう。
 一言でいえば、書き手と対話を行う「積極的読書」である。
 それは単に情報を得るだけのものではなく、読み手に「理解」という段階(さらにいえば、書き手の意見に対して批評できる段階)までを求めるものだ。最終的に、そして確かに本書の最後の文章でもあるのだが、「すぐれた読書とは、われわれを励まし、どこまでも成長させてくれるもの」(255頁)だとすれば、読者の側になんらかの結果が残らないといけない。
 それが著者のいう「積極的読書」である。

 そして、その読書のレベルを四つにとらえている。
 順に「初級読書」「点検読書」「分析読書」そして「シントピカル読書」(比較読書法と書かれているが、この段階では自己への知識の注入よりも他者への知識の抽出に近くなる)である。
 「積極的読書」とはこのうち第三レベルの「分析読書」からだといっていい。
 だとすれば本来「書評」とは「点検読書」までを読み手に代わって行うものであり、読み手は良き「書評」を経ることで「分析読書」にそのまま進むことが可能になるうるかもしれない。
 もちろんそうなれば、「書評」の書き手はよくよく心しなければならないのだが。

 たまには、机にむかって「読書」するのもいいかもしれない。
  
(2009/01/05 投稿)


  
01/04/2009    書評:数学のおさらい
プレゼント 書評こぼれ話
  
  「数学」というのは子供の頃から苦手というか、
  嫌いでした。
  予備校のテストで全く解けなくて、あれで完全自信喪失というか
  「数学」的な才能がないことを自覚したことを覚えています。
  まあそれで生きていくことに支障があったかというと、もちろんありませんでしたが、
  案外世界を狭くしたかもしれませんね。
  だから、今でも「数学」が得意な人をみると、尊敬というか、憧れというか、
  そういう気持ちになります。
  小川洋子さんの『博士の愛した数式』という作品も
  もしかして「数学」がわかっていれば、
  もっと違う読み方ができたのではないかと今でも思っています。

数学のおさらい (おとなの楽習)数学のおさらい (おとなの楽習)
(2008/05)
土井 里香

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sai.wingpen  数学嫌いなあなたを癒してくれる一冊           矢印 bk1書評ページへ

 このシリーズの惹句は「なんで中学生のときにちゃんと学ばなかったんだろう…」だが、おそらく多くの人がその筆頭にあげるのが「数学」ではないだろうか。だから、大人のための新しい教科書シリーズ「おとなの楽習」の、堂々たる第一冊目。
 反省と後悔と再挑戦の気持ちで読み始めたが、やはり「数学」の壁は頑強であった。
 たぶん「数学」が好きな人にはどうってことのないことが書かれているのだろうが、冒頭から「単項式」とか「次数」とか、「数学」嫌いにはもう渦巻き状態である。

 しかし、もう私はこどもではない。
 解けなくても、理解不能でも、どんどん進むことができる。
 「通分」「約分」の森を抜け、「素数」の風をよけ、「二次方程式」の谷を渡る。そして、巻末の「おわりに」という湖にいたる。
 ここは穏やかな場所。もう数式はない。
 著者の土井里香さん(今回も著者のことを調べた。学生時代に数学を勉強されているようだが、やはり詳しい略歴は出版社できちんとフォローしてもらいたいという注文は以前同シリーズの書評でも書いたとおり)もこう書いている。
 「数学の解答は、あくまでも解答例です。命にかかわったり人を傷つけることにつながらなければ、正解にたどり着けなくても自分を責める必要はありません。そこに至るまでにどんなふうに考えたかということこそ、数学の本質なのです。正解は後からついてくるおまけです」(155頁)。
 「おまけ」というのが実にいい。

 「数学」嫌いな人でも、めげない一冊である。
 「なんでおとなになってもちゃんと学べないんだろう…」という反省つきではあるが。
  
(2009/01/04 投稿)


  
プレゼント 書評こぼれ話
  
  冒頭の文章をどう書くかで書評のトーンも変わってきます。
  今回の書評では、最初に『モモ』を書いたことで、最初書こうとしていた
  ことが変わりました。
  本田直之さんの考え方をほとんど紹介できませんでしたが、
  教えられる点も多かったことは書いておきたいと思います。
  ただ、昨年の金融危機から起こったことは、成果主義がもたらした弊害も
  あったのではないかと思っていることも事実です。
  効率だけを求める時代は終わったのではないでしょうか。
  新しい心の有り様、生活の有り様を考えていきたいと思います。


レバレッジ時間術―ノーリスク・ハイリターンの成功原則 (幻冬舎新書)レバレッジ時間術―ノーリスク・ハイリターンの成功原則 (幻冬舎新書)
(2007/05)
本田 直之

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sai.wingpen  モモ、再び                     矢印 bk1書評ページへ

  ミヒャエル・エンデの『モモ』(1976年・岩波書店)は、時間どろぼうに盗まれた時間を人間に取り返す一人の女の子の物語だが、その中にこんな一節がある。
 「時間とはすなわち生活なのです。そして生活とは、人間の心の中にあるものなのです。人間が時間を節約すればするほど、生活はやせほそって、なくなってしまうのです」

 こういう言葉のあとで、本書にあるような「時間も投資」的な言葉がやや違和感を持つのは仕方がないかもしれない。
 本書では人だれにも等しい二十四時間という時間をいかに有効に活用するかを教え、そのことで生まれた時間を「再投資」することで成果をあげることを示す。
 『モモ』が発表されて三十年以上経って、成果を求める生き方が何よりも優先してしまう時代になったことを痛感する。
 モモが取り返した時間は決して「再投資」されるものではなかったはずである。

 こういう時間術が成果をあげるのであれば、多くの人はそれをめざすだろう。
 なぜなら成果とは欲望の実現であり、欲望は常に上へ上へと向かうものだから途切れることはない。
 『モモ』の最後に、エンデの「みじかいあとがき」が載っている。その中でエンデは『モモ』の物語は過去に起こったように話したが、将来起こることとして話してもよかったというようなことを書いている。

 しかし、エンデが懸念した以上のことが起こっているような気がする。
 私たちは時間を失っているのではなく、生活そのものをなくしたのではないか。
 心の中の何かをなくしたのではないか。
 だとしたら、今度モモが取り返すとすれば、心そのもののような気がする。
 時間をお金ではなく、もっと温かいものとしてとらえる見方こそ、新たな時代を迎えた今、必要かもしれない。  
(2009/01/03 投稿)


  

01/02/2009    元旦の新聞
新聞本 元旦の新聞が好きです。
 郵便受けからはみだしそうな、あれです。

 何故好きかというと、元旦の新聞には出版社の広告が、
 どん、と出ているからです。
 今年どんな本に出会えるのか、わくわくさせてくれます。

本 今年の広告はどうだったでしょうか。
 朝日新聞の元旦の新聞からいくつか拾いました。

    新潮社  百年後だって、人間はきっと変わらない。

 「新潮文庫」の全面広告です。
 今年は太宰治と松本清張の生誕100年ということで、文壇ではすれちがいだった
 そうですが、ともに今でも愛されている二人をうまく表現しています。

    岩波書店  いちばん古く、いつでも新しく。

 昨年は岩波新書が創刊されて70周年ということで、全面広告で今までの
 ヒット作品を年表仕立てにしています。
    こうした閉塞した時代だからこそ、「文化の配達人」たらんとした創業者の初心
    に立ち返り・・・
 心意気はさすが岩波です。

    小学館  本を読んであげるは 抱きしめてあげるに 似ている。

 四世代の女性が並んだ写真にそえられたコピーですが、
 「本は愛を伝える。」というのもあります。学習雑誌の小学館らしい広告です。

    集英社  人は、本と向き合いながら 自分と向き合っている。

 姜尚中さんが読書している写真がしぶいというか、独特な雰囲気を醸し出して
 います。
 「次に進むべき道を指し示すのは、胸に刻まれた一行の言葉だと思う。」という
 コピーもいいですね。

 最後は、講談社。今年のベスト広告かな。

 ずばり。

     本が、読みたい。

     ときどき無性に読みたくなるのは、なぜだろう。
     しばらく読まないと不安になるのは、なぜだろう。
     (中略)
     ゆさぶったり、ぎゅっとしめつけたり。
     読書は心のストレッチなのかもしれない。
     心は、ふだんから動かしてないと、
     動かなくなってしまう。さびついてしまう。
     (中略)
     本は心の欲求なんだ。

本 いずれにしても、各出版社さんには今年も頑張ってほしい。

 楽しみにしています。