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01/17/2009    14年めの朝
本 阪神大震災から14年めの朝を迎えました。
私は、仕事の関係で、震災のあった年(1995年)の前の春から、
大阪にある豊中市という街に住んでいました。
あの日」のことを当時の「読書ノート」にはこう記しています。
僕がこのノートを書いているのは3月25日(1995年)。
心の中にある白い風景をどうしようもないまま、今までのことを
書こうと思う
」という書き出しで始まります。
    
    1月17日(火)。この日、僕は東京に出張の予定だった。だから
    いつもより早く起きるつもりだった。その少し前、正確にいうと
    午前5時46分頃、地震が起きた。マグニチュード7.2の、いわゆる
    阪神大震災である。グラッときて、布団から出てあわてて子供たち
    の部屋に行こうとするが、歩けないくらいの揺れである。リビング
    の食器棚が倒れる。食器が割れ、本が本棚から飛び出す。割れた
    食器、倒れた棚を片付ける。少し落着いたところで、会社に出る。
    出張にはまだ間に合うぐらいに考えていた。地下鉄が止まっていた
    ので会社まで歩く。会社の事務所は何箇所が天井が落ち、机の
    引き出しが飛び出していた。
    (中略)
    でも、実際には僕はこの日ほとんど何もわかっていなかった。神戸
    で何が起きているのかも、何人の人が亡くなったのかも。その日、
    僕は何も知らなかった。これが、死者5500人となった大震災の
    始まりの一日だった。子供たちと一緒に眠る生活が始まる。


本 まあ、一部割愛しているからわかりにくいかもしれませんが、
自身の中では「あの日」の光景がまだ残影としてあります。
道路に噴出していた水道管、会社まで歩く途中で会った人、つながらない電話・・・
もし、人生に断層があるとしたら、私には「あの日」はやはり
ひとつの断層だったように思います。
幸いにも私のまわりで亡くなった人がいたわけではありません。
でも、人はある日突然大切なものを喪うのだという思い。
それを「あの日」知ったのだと思います。

本 村上春樹さんの『神の子どもたちはみな踊る』は、そんな阪神大震災を
 モチーフにして書かれた短編集です。「あの日」から7年後にその短編集の
 書評を書いています。蔵出し です。

神の子どもたちはみな踊る神の子どもたちはみな踊る
(2000/02)
村上 春樹

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sai.wingpen  人は悲しみを表現できるまでにどれだけの時間があればいいのだろうか        矢印 bk1書評ページへ

  この本には95年の阪神大震災を核とした六つの短編が収められている。震災のあったその年の3月に地下鉄サリン事件が起こったことを、皆さんは覚えているだろうか。村上春樹さんはあの悲惨な事件に誘発されて「アンダーグランド」というノンフィクションの快作を発表している。そして、同じ年に起こった阪神大震災のことを描くのは、それよりももっと後のことになる。その違いこそが、村上春樹さんが故郷神戸の悲劇を描くことの心の迷いを如実に表しているように思う。やっと彼自身の心の傷が癒えようとしている。

 六つの短編は「かえるくん、東京を救う」を極北とする春樹ワールドとあの名作「ノルウェイの森」に連なる「蜜蜂パイ」の間を揺れているようでもある。そして、神戸の痛みとその癒しは「蜜蜂パイ」の最後の言葉に集約される。「これまでとは違う小説を書こう(中略)誰かが夢見て待ちわびるような、そんな小説を」。

 そこには村上春樹さんの決意のようなものが感じられる。それは神戸の人たちへの激励の言葉でもある。
  
(2002/07/16 投稿)