03/22/2009 書評:無名

ちょっと個人的に色々あって、
新しい書評を書くのがつらくて、蔵出しします。
文学、あるいは本は、
人を救うのことができるのでしょうか。
そんなことを思っています。
![]() | 無名 (幻冬舎文庫) (2006/08) 沢木 耕太郎 商品詳細を見る |


さだまさしに「椎の実のママへ」という一枚がある。有名な「精霊流し」の誕生秘話ともいえる一曲で、さだの叔母さんであった<椎の実のママ>の一生を感動的な楽曲に仕上げたものである。沢木耕太郎の「無名」という作品を読んで、ひさしぶりにこの曲を思い出した。
沢木耕太郎の「無名」は、沢木が自ら父の死を描いた作品である。肉親の死を描いているとわかっていながら、私はこの作品を読んで不覚にも涙をこぼした。病に倒れ、死が確実になったとはいえ、肉親にとってはそれが回避できるものであればそれに越したことはない。沢木の父もそうであった。余命宣告を受けたものの、自宅療法に変えたことで、父の表情に明るさが戻った。しかし、死は突然訪れる。<第七章 白い布>の冒頭、沢木は付き添っていた姉から一本の電話を受ける。「お父さん、もうだめみたい」…。私はその時不意に涙をこぼした。
私は幸いにもまだ肉親の死に立ち会ったことはない。しかし、この時沢木の姉が口にした一言は、肉親の死に向かいあった者だけが持ちうるあらゆる感情を表現しているということは想像できる。肉親としての悲しさ、肉親としての無念さ、肉親としての切なさ。おそらくこの時の感情のままでは沢木は作品を残すことはできなかったにちがいない。肉親の死という題材は湿りけを帯びる。そのことが作品をひとりよがりのものにしてしまうことを、沢木を何よりもわかっていたはずだ。だから、沢木が「無名」というひとつの作品を書き上げるまで、実は五年近くの歳月を必要としたのだろう。
さだまさしの「椎の実のママへ」という曲の最後にこんな歌詞がある。「椎の実のママが死んだ晩に/みんな同じ色の涙を流した/結局愛されて死んでいった彼女は/幸せだったと思っていいかい」父の死後、落穂拾いのようにして父の俳句をまとめあげようとした沢木も同じようであったにちがいない。そして涙がようやくにして乾いた先に、読者の心を強くうつこの作品が生まれたといえる。
(2003/10/12 投稿)
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