
作家城山三郎さんは2007年3月に亡くなりましたが、
その後も多くの著作が刊行され、
特に奥さんの容子さんとの日々、思いを綴った、
『そうか、もう君はいないのか』などはベストセラーにもなっています。
今回紹介した加藤仁さんの『筆に限りなし』は副題に「城山三郎伝」とあるように、
城山さんの伝記です。
その中で、面白く読んだのは、作家となってのち、
城山さんが「いつ書けなくなるかわからない」と、
作家稼業についてほとんど恐怖心といえるような感情を
もっていたことです。
書評にも書いていますが、
城山さんが「たくまし」かったかどうかでいえば、
よくわからないですが、
このエピソードは城山さんが失くしてはいけないと決めていた
世界を垣間見せてくれます。
それは、「家族」であり「平和」だったように思えます。
![]() | 城山三郎伝 筆に限りなし (2009/03/19) 加藤 仁 商品詳細を見る |


かつて城山三郎は自身の仕事について「歴史というより人間への興味」と語ったことがある。また、「その人の人生を旅する」という言い方もしている。
城山が描いた多くの「伝記文学」の対象となった人物たちは、描くことで城山自身が追体験できた別の人生である。
では、城山はどのような人生を自身のそれとは違うものと考えていたのであろうか。
1996年の対談「人間の魅力とは何か」(「失われた志」所載)でこう語っている。「たくましさというものが、自分に欠けてるというか、ない。だから、たくましい人、強い人、反骨を貫ける人というような人に、一番魅力を感ずるんだろうねえ」

せっかく新緑に光がはねる、いい季節なんですから、
本なんか読んでいないで、外に出ないと。
あ、これ、私でした。
すみません。
ということで、今日は今東京両国にある「江戸東京博物館」で開催されています、
「生誕80周年記念特別展 手塚治虫展 未来へのメッセージ」
に行ってきましたので、そのレポートです。


今から思えば、まだ60歳だったんですね。
手塚さんが生きていたら、どんな新しい作品を描いたのでしょうね。
で、生誕80周年ということで、
開かれているのが、この展覧会。
入場料は大人1300円ですから、少し高いかなと、思ったあなた、
そんなことありませんよ。
充実の1300円。おつりがきます、1500円払ったら。(うふふ)

最初は豊中時代の幼少の頃。
図鑑そのものの、手書きの昆虫図が展示されています。
私はこれを最初に見たのは、「手塚治虫記念館」(宝塚市)でした。
もう、びっくり。やっぱり手塚は天才なんだと、その時、
思いましたよ。
さらに、手塚の「医師免許証」、「愛用のベレー帽」とか続くなかで、
うれしかったのが、TV映画『マグマ大使』の着ぐるみがあったこと。
江木俊夫さん(フォーリブズですよ)が主人公の少年。
地球の平和が脅かされた時に、「マグマ大使~!」って、
笛を♪ピロピロピーって吹くんですよね。
すると、マグマ大使がやってくる・・・おっと、
先を急ぎましょう、ね。

もちろん『鉄腕アトム』の、あのイントロダクション映像が(提供 明治製菓もばっちり)
常時流れています。
そして、ああ、あの、あの、あの、カラーアニメ『ジャングル大帝』も、
あの時のまま、♪アア~、ア~って見れますよ。
私の気分は、もう「タイムトンネル」でゲス。
そして、あの雑誌『COM』創刊号もばっちり展示されています。

どのコーナーでもそうなんですが、
手塚の原画がいっぱい。
うれしいですよね、わくわくしますよね。
さらにうれしいのは、「再生」というテーマで、
手塚の死後描かれた滝沢直樹さんの『プルートウ』の原画が見れること。
もちろん、浦沢直樹さんといえば、「ケンジくん、遊びましょ」の
「20世紀少年」の作者でもあります。
さらに、さらに、あの「マーブルチョコレート」にも逢えちゃったりして。
しかも、「アトムシール」も見れます。
筒状の容器に「シール」がはいっていましたから、
なかなか取り出せなくて、
まずは中のチョコレートを全部出して、
取り出したシールは少し丸まっていて。
あの「シール」の「ウランちゃん」はなんて可愛かったんでしょう。

でも、私にとっては「過去からのメッセージ」。
ああ、地面いっぱいに「アトム」の絵を描いたのは、いつの頃だったか。


この展覧会、6月21日まで。
お近くの人はぜひ行ってみては、
いかが。

昨年(2008年)5月23日。
なぜよく覚えているかというと、
その日、酒田の街で大江健三郎さんの講演会があった日なんですね。
酒田にはちょっと縁があって、
それ以前2年ばかり、ちょくちょく出かけていました。
ちょうど、その縁が終わる、最後の日が、
大江さんが街に来た日だったんです。

雑誌に掲載されたら送ります、と言われ、
楽しみにしていたのですが、
やっと届きました。
それが庄内(酒田・鶴岡)のタウン誌『SPOON』です。
そして、実はこのタウン誌はこの号で休刊になるとのこと。
びっくりしました。


酒田とか庄内の魅力再発見を通して、地域の情報発信を
してきた雑誌なんです。
1997年には「全国タウン誌大賞企画賞」、
2006年には「庄内文化賞」ももらっています。
今回の最終号には、過去の誌面の一端が紹介されていますが、
本当に素晴らしい誌面作りに驚きです。
酒田の人たちの、文化度の高さ、ともいえると思います。
例えば、今回の号の大江健三郎さんのインタビュー記事もそうですが、
過去のインタビューの人たちのすごさといったら、
これが地方の雑誌かと思うばかりの、豪華な顔ぶれです。
山下洋輔、ねじめ正一、五木寛之、池田満寿夫、篠田正浩、小椋佳、
新井満、平岩弓枝、赤塚不二夫、山田洋次・・・
多士済々、というか、圧倒されます。
もちろん、そういう各界の著名人のインタビューもすごいけれど、
この雑誌の素晴らしいのは、
温かい心を感じられること。
例えば今回の号の記事にこんな文章があります。
「取材を始めて、まっさきに気づいたのは、
子どもたちが生き生きと笑っていること。
お店の看板が人の笑顔だということ。
そして、空に浮かぶ雲の表情が豊かなこと、でした」
私は、特に「お店の看板が人の笑顔」というところが好きです。
なかなかこうは書けないですよ。
「だから、この雑誌の主人公はこの街であり、
この街に暮らす人々なのだ、と思います」
地方の街というのは、大変厳しい状況です。
でも、街を愛する人がいるかぎり、
街は絶対よくなると思うんですよね。


その講演の妙録がこの最後の『SPOON』に掲載されているのですが、
大江さんは酒田出身の土門拳さんとのエピソードから
話し始めて、こんなことを話されています。
「人間が表現するということ、つまり、自分の中にあるものを、
形のあるものにして、表に出していくということは、
人間にとって、一番人間らしいことではないか、
と私は考えています」
大江さんのこの言葉の、人間を街に変えてみると、
雑誌『SPOON』が果たした役割が見えてくるように思います。
また、大江さんはこうも話された。
「注意ぶかくあること、
そして、傷ついている人に「どこが苦しいのですか」と
聞いてあげる勇気を持つことが、一番基本的な人間らしさだとすると、
人間が回復する力を持つことと、
自分の中の、あるものを表現していくことが重なり合って、
しだいに、一人の人間らしさが創り上げられていくのだ」
この言葉も、街の回復する力と呼応して、
重要だし、意味深いものだと思います。

酒田は本当にきれいな夕日が沈もうとしていました。
きれいなものに感動できる歓びを、
私はその時、強く感じましたし、
あれから1年近く経ちますが、
あの時の感動がやはりまだ、私の心の奥にあります。
タウン誌『SPOON』の休刊は残念だけど、
それでもそんな素晴らしい雑誌があったことは、
私の胸のうちに残るでしょうし、
酒田の人々にいつまでも記憶されると思います。

と言いたい。
またいつか、
と願いたい。

芥川賞を逃した、山崎ナオコーラさんの『手』。
芥川賞は選考委員のみなさんの「選評」が、
受賞作発表の『文藝春秋』に同時掲載されるので、
それを読むのも面白い。
やはり選考委員の好みとかあって、
私が信頼をおいているのが、村上龍さんと山田詠美さん。
しっかり読み解かれているように感じます。
池澤夏樹さんもいい。
川上弘美さんと小川洋子さんはまだなったばかりですから、
少し様子見かな。
その一方で、いつも期待はずれなのが、
宮本輝さん。
どうも世界観が違いますね。
作家としての宮本さんはそれなりに評価しますが、
但し、ある程度の作品まで、ですが、
読み手としてどうかな、と感じています。
みなさんも時間があれば、今回の芥川賞の『ポトスライムの舟』と
山崎さんの『手』を読み比べるのも
面白いと思いますよ。
![]() | 手 (2009/01) 山崎 ナオコーラ 商品詳細を見る |


どうして、これ、あ、山崎ナオコーラさんの『手』のことですが、芥川賞(第140回)をとれなかったんだろう、というか、津村記久子さんの『ポトスライムの舟』に負けちゃったんだろう。
二つの作品はたいへんよく似ている。
一方、津村さんの方、がワーキングプアの世界だし、他方、山崎さんの方、は「やる気が皆無」な世界だし、どちらにしても積極的に社会と関わっているという印象の少ない若い女性が主人公の作品だ。
でも、とってつけたような津村さんの主人公ではなく、あくまでも自然に描かれている山崎さんの方が、数歩、じゃんけんケンパ遊びでいえば、チョキで勝って、トントンとふたつ、前に進んだくらい、いいように思う。

お待たせしました、というかお待ちでなかったかもしれませんが、
先の芥川賞受賞作、津村記久子さんの『ポトスライムの舟』を
やっと読み終わりました。
久しぶりに芥川賞作品を読みました。
期待値が高いから、どうしても自分の評価は厳しくなりますね。
それに、作品評価というのは、
「いい」と思う人もいれば「もうひとつ」と思う人もいるし、
芥川賞にしても、ある程度、運とかもあったりするんじゃないかな。
私的には、積極的にどうこうというのは感じなかったですね。
主人公の名前が「カタカナ表記」なのも、意味があるのか、
理解できませんでした。
ちなみに題名の「ポトスライム」ですが、「ポトス」という
観葉植物の「ライム」という種類のこと。
光沢のある明るい葉です。
というわけで、
明日はこの作品と競った、
山崎ナオコーラさんの『手』の書評を書いてみます。
![]() | ポトスライムの舟 (2009/02/05) 津村 記久子 商品詳細を見る |


第140回芥川賞受賞作。
自分の年収が世界一周クルージング費用と同じであることに気づいた二十九歳の主人公が一念発起しながらも、なんやかんやに取り込まれ、あがき、あきらめ、またあがき、最後には突然支給された臨時賞与でクルージング費用にまで到達したしたものの、ほぼ行くことはあるまいで終わる物語である。

漫画家の「永島慎二」さんです。
この連載(うわーっ、かっこいい響きですね)も、
もう第九回 になるんですよね。
っていうフレーズは第十回の時にとっておけばよかった。

よく似た名前で水島新司さんがおられるが、水島さんは『ドカベン』や『あぶさん』といった
野球漫画の大家。
一方、今回の永島さんは、私的には青春漫画の大家。
何しろ、当時永島さんは「青年漫画の教祖」って言われてたくらいです。
永島慎二の漫画に、どれだけ青春時代を涙したものか。


漫画雑誌でいえば『COM』の頃。でも、あの雑誌で永島漫画に
触れた感じでもないのですが。
あ、少し、記憶がゆらいだ。
(こうやって書いていると記憶が蘇ることってあるんですよね)
町の小さな本屋さんだ、初めて会ったのは。
そこで、永島さんのコミック本を見つけたんだ。
そして、そのあと『漫画家残酷物語』に出会うんだ。
その多彩な漫画表現と鬱屈とした青春の描写に、
すっかりまいってしましました。
それって、太宰治の文学によく似ている。

高田馬場の芳林堂っていう本屋さんだったかな。
けっこう豪華な本でしたよ。
大江健三郎さんとか開高健さんとかはパチンコの景品でがんばったのに、
永島さんの漫画はちゃんと本屋さんで買ってたんです。
かなり倒錯してますが。

私にいわせれば、絶対おかしいんだけど、
だって永島漫画と梶原一騎さんって合わないというか、
真逆以外の何ものでもない。
『柔道一直線』といえばTVで放映されていましたね。
これはこれで別の話なんですが、
吉沢京子さんとか桜木健一さんとか出てました。

今回のおまけとして、
永島さんが亡くなった年に書いた書評を蔵出ししておきます。
![]() | 漫画家残酷物語―シリーズ黄色い涙 (1) (2003/06) 永島 慎二 商品詳細を見る |


書いておかなければならないことがある。

書店の平台にうず高く積まれた、今、話題の本が、
今回紹介する、村山由香さんの『ダブル・ファンタジー』です。
本の帯には「ほかの男と、した? 俺のかたちじゃなくなってる」
なんていうかなり刺激的な惹句がついています。
まあ、官能小説というほどのことはありませんが、
そういう描写もあります。
「本の話」という小冊子に掲載された著者のインタビューでは、
そういう描写も含めて書いたきっかけは、「自分の殻を破りたかった」と
村山由香さんは話しています。
また、小説の中で「乳首」と書いたのは初めて、
「乳首デビュー」と笑っています。
そういうことって、結構面白いですね。
そういう小説を、どのような書評にするか、
割と悩みましたね。
官能という仕掛けはあるけれど、
これは作品での仕掛けですから、そういうものをはずしても
なお語りかけてくるものを作品から吸い取らないと
書評としても読んでもらえないのではないかと思います。
![]() | W/F ダブル・ファンタジー (2009/01/08) 村山 由佳 商品詳細を見る |


「わたしは当時十六歳であった」。ツルゲーネフの名作『初恋』の主人公ヴラヂーミルの告白部分の書き出しです。
よく知られているように、この物語は、十六歳の少年ヴラヂーミルが年上の令嬢ジナイーダに恋する物語です。少年が恋するジナイーダはわがままで勝気、そして彼女もまた恋にいきる女性でした。そんな彼女に翻弄されていく少年が彼女の恋の相手を目撃する場面は、ジナイーダを打つ鞭とともに衝撃的です。
恋の向こうにある、そしてそれはまだ踏み込めない、官能の世界に触れた瞬間でもあります。
大人たちの愛の世界は身悶えるほどに艶かしく、血のにじむほどに痛ましいもの。
題名の『初恋』という淡く初々しい印象を大きく切り裂き、私たちを大人への世界へと誘います。

さすが、重松清さん。泣かせてくれます。
今回の『ステップ』は、いいですよ。
私は、二度泣かされました。
最初は、亡き妻の小学校の同級生が出てくる「サンタ・グランパ」。
増えることのない母親の思い出にとまどう娘美紀。
彼女に新しい思い出をさがしてやろうとする主人公とまわりの大人たち。
そして、やっと見つけた亡き妻の小学生の頃の八ミリ映像。
音声のない映像だけの世界で小学生の母親が娘の名を呼ぶという仕掛け。
できすぎていますが、うまいですね、やっぱり。
ここを読んでいたのが電車の中だったのですが、
ふいに涙がでて、困りました。
もうひとつは、やはり最後の「ジャンプ」という作品。
死期の迫った義父と美紀との最後の場面。
これはもう泣けます。
義父が細くなった腕で美紀を抱きしめて言うんですよね。
「ほんとだぞ・・・美紀ちゃんがいてくれるのがいちばんの幸せだったんだぞ
・・・ずっと、ずっと、幸せだったんだぞ、じいちゃん・・・」
もう、涙、涙、です。
この「・・・」がなんともいえず、いいんですよね。
これが文章の中にはいることで、泣けますよね。
さすが重松。 脱帽です。
本当にいい作品です。
![]() | ステップ (2009/03) 重松 清 商品詳細を見る |


「朝は四本足、昼は二本足、夕は三本足。なーんだ?」
これは、昔スフィンクスが旅人にかけたというなぞなぞだ。
答えは「人間」。赤ちゃんの時は四つんばいで、やがて二本足で立つようになり、年老いて杖をつけば三本足になるから。
重松清の、妻を亡くした主人公とその娘の成長物語である『ステップ』を読んで、スフィンクスの謎かけと同じように、「家族」というものもまた変化していくのだということに今さらのように気づく。
物語にそくしていうなら、二人の家族から三人に増え、そしてまた二人になり、やがて三人へというように。

その書評としてまとめてみました。
平野啓一郎さんはご存知のとおり、『日蝕』で芥川賞を受賞されています。
だから、実作者による『小説の読み方』ということになります。
また、この本の副題が「感想が語れる着眼点」とあるように、
書評を書く人をある程度想定した「読書論」でもあります。
今回、書評の形にしましたが、ポイントは、
書評とは「読み方+書き方」です。
読ませる書評を書く前提として、巧く「読む」ことが大事です。
![]() | 小説の読み方~感想が語れる着眼点~ (PHP新書) (2009/03/14) 平野 啓一郎 商品詳細を見る |


書評とは何だろう、ということを「書評の明日」と題して、blogの中で何回か書いてきました。
今回取り上げる芥川賞作家平野啓一郎氏の『小説の読み方』は、『蹴りたい背中』(綿矢りさ)や『恋空』(美嘉)といった実作をテキストにして、本書の内容紹介を引用すれば、「小説をより深く楽しく味わうコツ」を解説し「読者がブログで感想を書いたり、意見を交換するうえで役に立つものばかり」の「読書論」です。
「ばかり」かどうかはともかくとしても、「小説を読むための準備―基礎編」は大変示唆に富んだ内容だと思いますし、著者のいう「四つのアプローチ」はこれから書評を書いてみようと思う人にも参考になるはずです。

ビジネスの世界は競争の激しい世界ですから、
色々な物事が洗練されています。
だから、できるだけビジネスの世界での知恵なりは
生活の場面に取り入れるべきだと思います。
もちろん、その逆もありますが。
例えば、ビジネスの世界で「決算書」の作り方、読み方を習いますが、
それも日常の生活の場面に取り入れる。
最近ではそういう資産管理をされている人も多いと思いますが、
そうすることで生活の場のマネジメントが高まるのではないでしょうか。
この『ビジネス思考力』という本は
大変わかりやすく書かれています。
だから、書評にも書いたように、
ビジネスマンだけでなく、多くの「普通のひと」が
読むといいですよ。
![]() | 小宮一慶の実践! ビジネス思考力 (2008/12/06) 小宮 一慶 商品詳細を見る |


著者が経営コンサルタントであり、また書名にあるように、この本が「ビジネスマン」向けに書かれたものであることはそうなのですが、著者がいう「思考力」を高める方法は広く生活全般に活かせるものだと思います。
だから、主婦の方が読んでもいいし、高校生たちがページを開いてもおかしくはない。
むしろ、そういうごくありふれた生活の場で、こういう「思考力」が自然と身につけば、おのずとビジネスの世界にも活きてくるのではないでしょうか。

勝間和代さんが朝日新聞土曜別刷「be」に、
「勝間和代の人生を変えるコトバ」という連載を始めた
話は以前書きました。
先日の土曜(4.18)は、
「やることより、やらないことを決めよ」でした。
まさに今回紹介しました「時間投資法」の基本中の基本。
「やることを増やしてたまったストレス」をどう解消するか、
「やらないことを決めること」で「ストレスマネジメントができるようになり、
家族との時間が十分に持てるようになりました」と
あります。
この箇所を引用したのは「ストレス」も「マネジメント」できるんだと
思ったからです。
「時間投資法」はストレスにも効きます。
![]() | 無理なく続けられる年収10倍アップ時間投資法 (2007/10/12) 勝間 和代 商品詳細を見る |


ビジネスマンと主婦。どちらが忙しいのでしょうか。
専業主婦のことを「三食昼寝付」と揶揄した時代もありましたが、さすがに今はそういう風に言う人もいなくなりました。まして、主婦の仕事を年収に換算すると一千万円を超えるという調査もあったりして、ビジネスマンもたじたじではないでしょうか。
そんななかで、「ワーキングマザー」を標榜している勝間和代さんは本書でこんなことを書いています。
「私はワーキングマザーとして、子どもの世話をする時間が必須のため、時間あたりの成果に対してすごくシビアにならざるを得ない状況でした。(中略)もし、同じようなクセをワーキングマザー以外の社会人が持っていたなら、現在の日本のように。労働生産性がOECD先進諸国中最低水準なんてことにはならないはずです」(82頁)
厳しい意見ですが、むべなるかな。

もちろん、おみやげは「赤福」。
家族が少ないですから、8個入りを買って帰りました。
その包装紙(底側)に正岡子規の俳句を見つけました。
到来の赤福もちや伊勢の春
この句が作られたのが明治33年。(子規がなくなるのが明治35年)

当時の赤福の八代目店主がお見舞いにと
「赤福」をおくったそうです。
かつて子規が伊勢を訪れたのが春。
それを懐かしんで詠ったのが先の句ということです。
「赤福」を味わった子規の喜びはいかばかりだったでしょう。
今回の写真は、私のおなかにおさまった後の「赤福」です。
やっぱりおいしかった。

もうひとつ赤福もちや伊勢の春

今回紹介しました団鬼六(おにろく)さんのことを知らない人はいるでしょうし、
ましてSM小説なんて読んだことがない人も多いでしょうね。
あの縄で縛ったり、ムチで叩いたりする物語。
そんな人のために、本書『ただ遊べ 帰らぬ道は誰も同じ』から、鬼六語録を
ひとつ紹介しましょう。
人間て、心のどこかに、美しいもの、汚れなきものが汚されていくのを
見てみたいっていう気持ちを持ってるんでしょうね。だから、そんなシーン
にゾクゾクっとくるわけです。 (20頁)
きっと、そんなことないっていう人も多いでしょうね。
それは仕方ありませんが、
だからといって、団鬼六を知らないのは惜しい。
渡辺淳一さんが読めて、団鬼六が読めないのはどうかと思います。
まあ、それはともかくとして、今回は、いつもの書評に加えて、
「100字書評」というものにも挑戦しました。
これは、今回紹介した祥伝社が募集していたので、
それように書いてみました。
SM作家団鬼六の珠玉の言葉の数々に「亀甲縛り」にあったようです。
心の果てまで鬼六氏の言葉に操られ、心がのたうちまわっています。
随喜の涙に咽びながら、今や囚われの一冊です。
何度もイカせてもらいました。
官能小説風も、難しい。
![]() | ただ遊べ 帰らぬ道は誰も同じ-団鬼六語録 (祥伝社新書148) (2009/02/27) 団 鬼六 商品詳細を見る |


団鬼六。いわずと知れたSM官能小説の大家だ。
その団が喜寿を迎え、これまでに発表した幾多の文章から珠玉の言葉を選び、編んだのが本書である。
団鬼六はそのおどろおどろしい筆名(昭和六年生まれの彼が一念発起して鬼のような気分で小説を書こうとしたところからつけられた)と特異な作品によって一般受けする作家ではないだろうが、本書に収められた言葉の一つひとつは心のままに正直であり、生命とはもろくもあるが強くもあることを実感させられる。
だから、こういう一冊で団鬼六を読んでみようという読者が増えることを期待する。

お楽しみ下さい。
まずは、朝から外宮をお参りしてきました。
本当は外宮から内宮の順にお参りするのがいいそうですが、
前日に内宮に参っちゃったしな。
これってルール違反?
心配になったので、受付の人にちゃんと確認しました。
笑いながら「そんなことないですよ」と云って頂いたので、
まずはひと安心。きっとそんなこと聞く人もいないんでしょうね、
受付の人の笑いをみたら、わかります。

上の写真は、外宮の「御正殿」。
玉砂利を踏む、しゃくしゃくという音が朝の気配に響きます。
私の好みでいえば、外宮も悪くない。
なんとなく、行きちがう人に静かに頭を下げあう雰囲気があったりして、
神の懐にいるのだなと思ったり、少し、します。

二見浦に行きことにしました。
電車でわずかなんですが、本数が少ないですから、
ちゃんと時間の確認をしてから行くといいですよ。
二見浦になにがあるかというと、
あの「夫婦岩」(めおといわ)があります。
下の写真が、それ。

なんとなく、どこかで見たことあるでしょ。
小学校の修学旅行で、ここまで来たことは記憶にあるんですが、
ほとんど覚えていませんでしたね。
でも、小学生に「夫婦岩」見せて、どういう教育をしようと
先生たちは思っていたんでしょう。
「君たちもやがては奥さんや旦那さんをもって」
「うそーっ、嫌だ」(小学生の声)
「この岩のように末永く仲良く・・・」
「信じられなーい」(小学生の声)
みたいなやりとりが、あの頃あったとも思えませんが。

大きな方の岩が「男岩」(おいわ)、小さい岩が「女岩」(めいわ)です。
二つの岩をつなぐ大注連縄(おおしめなわ)は長さ35メートルあるそうです。
上の写真にも写っていますが、ここでは「蛙」が重要なアイテム。
大神のお使いとして崇められているようです。
蛤のふたみに別れ行く秋ぞ
突然ですが、ここで芭蕉の句です。
ここでの「ふたみ」は、ここ二見という解釈もあるでしょうし、
蓋と身の二つの身という解釈もできるという句です。
まあ、それはともかくとしても、昔の俳人歌人たちにとって、
やはり伊勢というエリアは歌ごころを刺激させられる地だったんでしょうね。
で、私も一句。
夫にも妻にも同じ春の波

何か思い出すかとも思ったのですが、
何ひとつ記憶の網にかからないのが、自分でも
不思議でした。
ちっとも覚えていない、ということは、
私自身何も楽しいことなかったんでしょうか。
どうなんだろう。


駅そばの「まめや」さんで、一杯510円。
ご覧の通り、真っ黒いタレ。
でも、タレよりもうどんの触感にはびっくり。
腰がないというか、あえていうなら、高野豆腐を
うどん状にしたような。
うーん。当たっているような、そうではないような。
「お伊勢まいり」をされたら、ぜひ味わってみて下さい。

想ひ出のかへることなし伊勢路かな
今回ちょっと用事があって、伊勢に来ました。(4.16)
三重県伊勢市です。
もちろん、あの「お伊勢まいり」の伊勢です。
名古屋から近鉄特急で1時間20分。
自宅のある埼玉からはやっぱり遠いですね。
でも、これは私が埼玉にいるからで、昔の京都に住んでいる人なんかは
そんな距離感はもたなかったんでしょうね。 平安時代の歌人・西行さんはこの伊勢に二度ばかり住んでいます。
何事のおはしますかはしらねどもかたじけなさに涙こほるる
なんていう歌も詠んでいます。
その「何事のおはします」内宮へは宇治山田の駅からバスで20分ぐらい。
着いてびっくりしたのは、平日だというのに観光客が多いこと。
皆さん、「お伊勢まいり」をするんですよね。
私は小学校の修学旅行以来です。
だから実に40年ぶりの「お伊勢」さん。 ちょっとここで学習すると、
伊勢神宮は日本人の心のふるさとといわれています。
(あ、これはもらったパンフレットをみて書いています)
正式名称は「神宮」。宇治の五十鈴の川上にある皇大神宮(内宮)
と外宮(げぐう)と呼ばれる豊受大神宮とかが有名です。
おまつりするのは「天照大神」(あまてらすおおみかみ)ですから、
すごいですね。
上の写真は内宮の第一鳥居。
この鳥居から奥はずっと深いですよ。
気候がいいので汗ばみます。生まれたての緑がきれい。
下の写真は、社殿の中心「御正宮」。
ここでは、二拝二拍手一拝。
それにしても、たくさんのおまいりの人たちはどこから来るんでしょうね。
日本人って宗教心がないとかいうけど、こういうあたりは律儀です。 先を急ぎましょう。まあ、急ぐ旅でもないのですが。
内宮をでて、「おはらい町」を散策します。
ここは門前町ですから、みやげもの屋さんとか並んでいます。
平日ですが、人は多い。
伊勢市の駅前なんかよりずっと多い。
その中ほど「赤福」のお店があります。
創業が1707年ですから、さすがの私も生まれていません。 いろいろあったようですが、やっぱり「赤福」はおいしい。
だから、ここで赤福を食べるのが楽しみでもありました。
下の写真、280円の名物「赤福」。
やっぱり美味しい。あんこの押さえ気味の甘さもちょうど。 それで、「赤福」のお店に前にある「おかげ横丁」にはいります。
ここは古い町並みですが、平成5年にできた新しい町。
地方の都市で最近「屋台村」なるものをよくみかけますが、
ここはそんな比ではありません。
もとの町並み「おはらい町」としっくり合っています。
これってとても大事なことだと思います。
もともとの町並みが壊れずに残っていたから、それに合わせることが
できたんでしょうね。
今はどの地方に行っても古い町並みが消えてしまって、
「屋台村」が浮いてしまっている。
なくなったものを元に戻すのは大変ですから、今後どのような町並みを
作っていくのか、それも地方の活性化の課題だと思います。 この「おかげ横丁」の一角に、伊勢を愛した俳人
山口誓子(せいし)の記念館があります。 しかも、無料。
おみやげばかりではなく、ここにはぜひ足を伸ばして下さい。
入り口に誓子のこんな言葉が。
俳句を志す人々へ
俳句は、感動があって、はじめて作られるのです。
感動が句作のきっかけです。
そんな誓子の句を紹介しておきます。
この家に福あり燕巣をつくる 誓子
この句の家は「赤福」のことらしい。
そして、この句のとおり、「赤福」のまわりでは、
生まれたばかりなのでしょう、
輝くような子燕たちが空を舞っていました。
今年初めての燕です。
そこで、私も一句。
子燕や初めて越ゆる五十鈴川

かなり違和感の残った、今回の一冊です。
新書のタイトルが『昭和マンガ家伝説』で、ぱらぱらと目次をくれば、
手塚治虫さんとか石ノ森章太郎さんとか
綺羅星ごとく漫画家たちの名前が続くので、
とても楽しみにしていたが、
著者の平岡正明さんのことを知らなすぎましたね。
私としては、とても懐かしい文脈を想定していたのですが、
「アナーキー」(これ自体懐かしい言葉ですが)とか、
「世界革命」とか「プロレタリア」とか頻出するのですから、
あまりにも想定外すぎたというしかありません。
それに、漫画評論を、特に本書のように作品論を、
ストーリーを追うような形で展開するのにも、
違和感を感じました。
つくづく本を読む時には書名だけで選らばないようにしないと。
でも、これはあくまでも私の事情ですから、
そういう漫画論を読みたい人はぜひ。
![]() | 昭和マンガ家伝説 (平凡社新書) (2009/03) 平岡 正明 商品詳細を見る |


評論家平岡正明による、かなりアナーキーな漫画評論である。ちなみに「アナーキー」とは広辞苑によれば「無政府状態。無秩序」とある。ここでは後者の意味で書いているが、「アナーキー」という語感もまた平岡的であろう。
なにしろ漫画評論でありながら「大衆は、資本側の生産力の不断の拡大と発展に慢性的に立ちおくれているのであって、自分たちが社会の発展にとり残されるから革命を起こすのである」といった文脈が縦横にはりめぐらされているのである。しかも、引用した文章は秋本治の『こち亀』を評したなかでの一節で、亀有は革命前夜かと勘違いしそうだ。

っていう言い方、埼玉にいてよくないと思いますが、
千葉の人が「東京ディズニーランド」じゃなくて「千葉ディズニーランド」だと
言いたい気持ちもわからないではないけれど、
どちらかというと関東地方というのがもうおかしくて、
東京地方と言った方がわかりやすいかもしれない、
そういう意味の東京は、です、
ここしばらく春を追い越して初夏のような陽気です。

本当に久しぶりに家族と美術館に出かけました。
といっても、家から歩いていける地元にある、
けれどすごくりっぱな美術館、「埼玉県立近代美術館」です。
今ちょうど「美術館に行こう! ディック・ブルーナに学ぶ
モダン・アートの楽しみ方」という企画展をしています。

この美術館は北浦和公園の中にあって、
公園入り口には写真のようにでーんと大きな
「ミッフィーちゃん」の看板が出ています。
わかりました?
ブルーナさんって、あのミッフィーちゃんを描いた人。
何はともかくはいってみましょう。
ちなみに、写真の左側に写っている人影は、
私の家族です。
アハハッハ。

「ディック・ブルーナ(1927-)は、オランダを代表する絵本作家であり、
グラフィック・デザイナー。あたたかみのある手書きの線、鮮やかな色づかい、
シンプルで大胆な構成の作品は世界中の人に愛されています。(中略)
さあ、ミッフィーと一緒に美術館に出かけて、アートに触れてみませんか。
小さな子どもから大人まで楽しめる展覧会です」
ね、ね、面白そうでしょう。
しかも、中学生以下は無料です。
大人はしっかり800円かかりましたが。
でも、ブルーナの絵本って、私の娘たちが小さい頃から、
本当にお世話になりました。
単純な線とシンプルな色合い(これってブルーナカラーっていうそうです)ですが、
余計に子どもの想像力が高まるように思います。
ちなみにブルーナカラーって何色だかわかります?
黒と白を除けば、六色。灰色、茶色、青、緑、黄色、橙。
すごいですよね。

まずは、「見てみよう」。
ここでは埼玉県立近代美術館が所蔵している作品が見れます。
ちょっと(かなりかな)モダンな作品が楽しめます。
次は「考えてみよう」。
ブルーナのかわいらしい絵本の主人公たちや、彼の装丁本が
みることができます。
そして、「作ってみよう」。
ここでは子どもたち(もちろん、大人もいますよ)が、
自由にぬりえや色紙を楽しむことができます。
そして、その一角にブルーナの絵本が置いてあって、
懐かしい一冊を見つけました。
それが、これ、『ふしぎなたまご』。
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娘たちに「覚えてる?」って聞いたら、2人とも覚えてました。
父も覚えてますとも。
しかも、この絵本は、あの石井桃子さんの訳だったんですね。
いやあ、最近石井桃子さんは私の中のブームですね。
ということで、この展覧会、
現役子どもだけでなく、もと子ども、もと父親母親も十分楽しめます。
「でも、埼玉でしょ?」
なになに、ここも東京地方だと思えば、
また楽し。

朝日新聞日曜の「書評欄」が4月から新しくなりました。
筒井康隆さんの連載が始まったりしています。
なかでも、一冊の本を一般の読者の人たちが読み解く、
「百年読書会」というのが目新しいですね。
ナビゲーターは作家の重松清さん。
ちょっとその趣旨を朝日新聞から引用すると、
「名作とは、世代を超えて読み継がれると同時に、
一人の人生の中で何度でも出会えるもの。
当読書会に冠した「百年」は「長いお付き合い」という
思いを込めた数字」
とあります。
第一回めの4月は、太宰治の『斜陽』。
すでに新聞には二回掲載されています。
と、いうことで、私も「百年読書会」に参加(投稿)しました。
文字数が400字という制限つきですので、
結構難しい。
今回は、私として、新しい試みもいれました。
「書評句」という短詩を詠んでいます。
今回の俳句をごらんになって、『斜陽』の冒頭の場面が
思い浮かんだでしょうか。
投稿は今月20日までらしいですよ。
興味のある方はチャレンジしてみては。
いかが。
なお、来月は深沢七郎さんの『楢山節考』。
なんとなく、投稿内容が浮かんできそうなのが
難点の、課題本ではありますが。
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山桜 満ちてスウプに 浮かぶ船 (書評句)
太宰治はよく「破滅型」作家と称される。しかし、それは単に滅びることを求めるのではなく、再生を願う、強い現状否定の表れであったと思われる。
ここではないどこか、今ではないいつか。
太宰が求めたものはいつもそういう思いであった。太宰文学が青春期の若者たちに圧倒的支持を得るのはまさにそういう心持ちの共鳴であろう。
そういう点では敗戦後の没落貴族を描いた『斜陽』は、価値転換のあとの、太宰にとっては脱皮後の新しく明るい作品として読むことができる。
弟直治の自殺という抜け殻を描くことで、主人公かず子の最後の手紙は新しい命とともに強くある。だからこそ『斜陽』』は太宰文学にとっては瑞々しい命にあふれた作品であり、太宰自身も再生を実感しただろう。
しかし、新しいものもやがてはありふれたものとなり、太宰はそれをまた否定していくことになるのだが。
滅びの前の燃え立つ一作である。
(2009/04/13 投稿)

集まりに参加してきました。


そうなんです。私も何それーっ? て感じだったんですよね。
たまたまいつものさいたま私立中央図書館で告知のチラシを見つけたんですよね。
代表者は「ブック太郎」さん。ますます怪しいな。
で、会の趣旨は「各自が読んだ本の書評を中心に、参加者の交流を図ることを
目的として、このクラブを開催しています」らしい。
けっこうまとも。
でも、どんな人たちが集まっているかわからないし、
最近多い元気なシニア人たちの集まりもそれはそれで腰がひけるし。
(といっても、どちらかといえば私はその領域に近いのですが)
それで、事前に主宰者の「ブック太郎」さんにメールしてその問題はクリアして
いたのですが、いざ、当日を迎えて、それでもどうしようか、
迷っていたのですが、
(ここ大切ですから、よーく聞いて下さいね。
こういう集まりにしろ、講演会にしろ
初めて参加するってことはとっても気が重いと思います。
でも、何か自分を変えたいという人は、その最初の重い扉を開けないと
自分って変わりようがないんですよね)

最近の勝間和代さんの活躍は、さらに拍車がかかったというか、
昨年にも増して、露出度が高くなっています。
アグレッシブな女性、という印象が増しているんでしょうね。
TVでは、今毎週木曜の夜(10:25~)NHK教育の「知る学」で、
カリスマバイヤー藤巻幸夫さんの巻で進行役をされていますし、
朝日新聞の土曜別刷「be」では、「勝間和代の人生を変えるコトバ」という
新連載が始まりました。
4.11は「努力は、かけた時間によって測定できる」でしたね。
おもわず、切り取りしちゃいました。
今さら勝間本でもないか、と思っている方がいれば、
今さらでもけっして遅くありません。
そのためにもオススメなのが、今回書評で取り上げた、
『勝間和代 成功を呼ぶ7つの法則』かもしれません。
たぶん、勝間現象に好悪あると思いますが、
読まずに語れないのですから。
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勝間和代、ヌードになる !? といっても、勝間和代さん自身が本書の最後のページに書いているように、あくまでも「精神的なヌード写真集」である。
うまい比喩ではあるが、いささかときめく。
裸になるということは自分の肉体をさらすということであるが、本書でも勝間さんの著作だけでなく、(ある程度の)私生活まで明らかにされている。
「勝間和代」とは何者であるか、まだ未知の読者にはお薦めの一冊である。

書評家豊崎由美さんの『勝てる読書』は、ちょっと期待した本でした。
なにしろ、あの豊崎さんが子供(14歳が子供かどうかの議論はあるでしょうが)向けに
どんな話を展開するのか、
とっても気になるところ。
豊崎さんの書評がお気に入りの人はそう思ったと思います。
で、結果はというと、
今回の書評に書きましたが、豊崎さんらしくないといえばないし、
やっぱり豊崎さんが並みの書評家ではないといえるし、
むずかしいところでした。
私的には、いつもの豊崎さん風言語世界はまっとうして欲しかったですが。
そんな一冊ですが、豊崎さん、倉橋由美子さんに関して、
いいこと書いていますよ。
「倉橋由美子は新しい!
新人作家と出会うように倉橋由美子と邂逅してください」(210頁)
この人、いい人なんですよ、きっと。
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豊崎由美といえば、歯に衣を着せない辛口な書評で人気のある書評家だが、本書の表紙折り返しの著者からの<Message>に「本はあなたとわたしとつながっています」とことのほか淑やかである。
トヨザキ、熱ある? と心配しながら読み始めたのであるが、まあ最初のうちはそれでもいつものトヨザキ調は健在なのだが、章を読みすすむうちに、いつものトヨザキは影をひそめ、優等生由美ちゃんに大変身してしまうのであります。

先日「2009年本屋大賞」が発表されましたね。
今年は湊かなえさんの『告白』。
私は未読です。
「本屋大賞」の過去の受賞作で読んだのは、ほとんどないと
自分では思っていましたが、
確認したら小川洋子さんや恩田陸さんやリリー・フランキーさんや、
ちゃんと読んでいました。
「行列ができるラーメン屋」に並んだみたいです。
この賞は全国の書店員さんがいちばん売りたい本を選出するというもの。
設立の経緯を読むと「売り場からベストセラーをつくる」とあります。
ということで、グッドタイミングで、今回の書評は、
「週刊読書人」の編集主幹である植田康夫さんの、
『本は世につれ』というベストセラー研究本。
残念なことに「本屋大賞」には触れていませんでした。
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ベストセラーだから読む、という嗜好はない。また、逆にベストセラーだから読まない、という天邪鬼でもない。「行列ができるラーメン屋」に並んでまで食べるかといえばそこまでしない。そんな気分だろうか。
ただ今どのような本が読まれているのかは気にかかる。へええと驚くこともあるし、同感と納得することもある。時にはあわてて「行列」に並ぶこともあるし、まったく無視することもある。
私にとって、ベストセラーはそういうものでしかない。

こうして書評を書いていて思うのですが、
本を読み、書評に書くことで、私はずいぶん救われているというか、
元気をもらっているのだと実感することがあります。
今回の茂木健一郎さんの『脳を活かす生活術』という書評は、
書き出しというか書き始めるまで、どういう展開になるか、
自分でもわかりませんでした。
というか、今回掲載した内容とは違う話を書きたかったのですが、
書き終ってみたら、
自分でも驚くくらい、未来に向いた書評になっていました。
「希望にみちた」なんて、つい書いちゃった。
でも、こうして書いている私という脳は、
やはりすごく満たされているのでしょうね。
なんだか、
うれしくなってきました。
ちょっと単純ではありますが。
![]() | 脳を活かす生活術 (2009/02/28) 茂木 健一郎 商品詳細を見る |


『脳を活かす勉強法』『脳を活かす仕事術』につづく、脳科学者茂木健一郎の<脳を活かす>シリーズの三作めである。
今回は、「よりよく元気に生きていく」ための、生活全般における脳の活かし方であり、先の著作よりも幅広い読者層に向けられたものといっていい。
最後は「希望」や「愛」の領域まで話が進むのであるが、「元気」な人はその理由に気づくだろうし、「元気」でない人はそれを解決する糸口が見つかるかもしれない。
そんな「気づき」の一冊である。

今回の書評は昨日書いた「石井桃子追悼講演」のテキストだった、
石井桃子作『幼ものがたり』です。
書評の最後に講演会で聴いた菅原啓州さんの言葉を使わせてもらいました。
昨日の講演会の記録で書ききれなかったのですが、
興味をもった話を追記しておきます。
菅原氏は講演についてはほとんどされないということで、
その理由として「講演(これは本ができるまでの裏話ということ)は、
編集者の職業倫理に反する」と話されていました。
「家」に喩えられて、家をつくった時にでる切れ端やごみやいろんなものは
すべて片付ける。つまり、できた「家」がすべて。
本も同じで、できた「本」がすべて、という考え方。
たしかにそうですよね。
だから、今回勇気をもって講演されたんだと思います。
ところで、この『幼ものがたり』には浦和とか三室、針ケ谷といった
地元ならではの地名が出てくるのですが、
私はまだ石井さんの家がどのあたりだったのか
よくわからないでいます。
![]() | 幼ものがたり (福音館文庫) (2002/06/14) 石井 桃子 商品詳細を見る |


児童文学者石井桃子は百一歳という長寿をまっとうし、昨年(2008年)春亡くなった。その石井が七十四歳のときに書いた自伝的物語がこの『幼ものがたり』である。
書かれている内容がほとんど小学にあがるまでのことがらであることを思えば、石井の記憶力といえばいいのだろうか、創作力といえばいいのだろうか、老いてもなお彼女が現役の作家であったといえる証左ではないだろうか。(石井はこのあとも『幻の朱い実』という作品を書き、読売文学賞を受賞する)

さいたま市は今は大きな都市ですが、少し前までは
大宮市とか浦和市とか与野市とか、別々の街だったんですよね。
私がこの街に大阪から越してきたのは、
上の娘がまだ幼稚園でしたから、もう20年以上前。
何度か引越しをしましたが、大きなエリアでいえば、
さいたま市の中でうろうろしていたことになります。
街の姿はやはり20年も経つと変わりますが、
変わるのはいつも中心地で、ちょっとはずれると
あまり変わらないという印象があります。
それとも、私が気がつかないだけかもしれません。

児童文学者の石井桃子さん。
石井桃子さんというと、『ノンちゃん雲に乗る』という有名な物語を
思い出す人も多いでしょうね。
(『ノンちゃん雲に乗る』は川上弘美さんがNHKの「私の1冊日本の100冊」で
紹介していましたね)
そのほかにも石井さんの業績はたくさんあって、
『くまのプーさん』や『ピーターラビット』の翻訳とかもされています。
だから、石井桃子さんファンはたくさんいると思います。
ところが、私は、当然お名前も作品名も知っていましたが、
読んだ記憶がありません。自分でも不思議なくらい。

そんな私ですが、先日、さいたま市立中央図書館の主催で
「石井桃子追悼記念講演会」が開催されるのを知って、
その講演会に行ってきました。
もう少し詳しく書くと、
石井桃子さんは昨年(2008年)4月に101歳で亡くなられました。
ですから、この4月は一周忌なんですよね。
それで、「追悼講演」。
題して、「2つの作品をめぐる3つの物語」。
講演の趣旨を案内文から紹介すると、
「さいたま市出身の石井桃子さんの幼少時の記憶がつづられた『幼ものがたり』、
読売文学賞受賞の『幻の朱い実』の2作品を取り上げ、その出版にたずさわった
方々から、石井桃子さんが1冊の本を作り上げるまでの様子をうかがいます」
ってあります。
地元の図書館ならではの、いい企画ですね。

桜といえば、俳句の世界ではたくさんいい句があります。

タイトルにつけた、
さまざまの事おもひ出す桜かな
は、芭蕉の句です。
毎週購読していました「週刊 日本の歳時記」も、
今週号「行く春」で、ついに50巻完結しました。
その巻頭エッセイで詩人の大岡信さんは、
「軽やかさと華麗さ」。私自身がいつも心にいだいている
短詩型文学のある種の好ましい性質
というようなことを書かれています。

行ったのは上野公園。

横の写真は上野の桜です。
それにしても、たくさんの人、人、人・・・。
上野は桜の数も多いけれど、人の数も半端ではありません。
精養軒横のレストランのテラスで食事をしたのですが、
庭の桜も楽しめて、ここはいいスポットでした。
不忍池をまわって(池のまわりの桜もよかったです)、
旧岩崎邸庭園に行きました。
三菱の創設者岩崎家の本邸です。
ここの洋館は明治29年に英国からやってきた建築家コンドルさんが

作ったもの。
横の写真がそれです。
中の広い芝生の庭に桜の木が二本。
そこだけ光が集まっているみたいでした。
桜を静かに愛でるなら、うってつけです。

神田明神に行くまでの途中で
湯島三組坂にある「古代手打ち蕎麦」屋に寄って
珍しい古代蕎麦を賞味しました。
食べるのに夢中で写真を撮るのも忘れましたが、
こんな蕎麦は初めての体験でした。
色が黒い。
腰がしっかりしてて、大根のおろし汁とよく合う。
絶品。ぜひ一度お試しあれ。

最後は神田明神の桜を見てました。
小さな旅、桜の旅でした。

私の好きな句をひとつ。
杉田久女の、
花衣ぬぐや纏(まつ)わる紐いろいろ
豊かな色が見える、いい句です。

ビジネスマンにとって、売上げ とは「売価×数量」とは
基本中の基本だと思います。
だから、売価を上げるのか、数量を増やすのか、の
選択は極めて重要です。
売価を下げると数量は増えるでしょうが、
一旦下げた売価を元に戻す、あるいはそれ以上にあげるのは
至難の業です。
今回の勝間和代さんの『利益の方程式』にもありますが、
利益を上げるためには、いかに売価をあげるかということを
考えるべきだと思います。
実は、この本のユニークな点は「利益の方程式」に、
「顧客獲得コスト」をいれている点です。
ITに詳しい勝間さんならではの視点ではないでしょうか。
と書いてきたら、この「こぼれ話」の方が
よっぽど書評らしいことに気付きました。
おかしいなものですね。
![]() | 勝間式「利益の方程式」 ─商売は粉もの屋に学べ!─ (2008/04/04) 勝間 和代 商品詳細を見る |


余談から書く。
就職活動に必要な応募書類といえば、「履歴書」「職務経歴書」だが、これらは自分を売り込む重要なツールである。
なかでも「職務経歴書」は今まで経験した職務内容を記載する書類で、自分に何が出来て、どのような実績があるかを的確にまとめるのが大事だといわれている。
しかし、実際に書いてみるとわかるが、なかなかうまく書けないのである。現実にはある程度の期間仕事をしてきたわけだから、なんらかの実績があるはずなのに、自分で文章にまとめるとなるとこれが書けない。自分の「売り」を書くことに抵抗が出てしまう。
そもそも終身雇用であった日本的風土に自分を売り込むという思考がなかったから、なじみがうすいのだろうか。それとも日本人の照れ性のあらわれだろうか。
2008年4月に刊行された本書の「はじめに」で書かれている内容は、こういうふうにして職務経歴をまとめあげるということがよくわかる、見本のような文章である。
勝間はその中で「また自慢話かとうんざりされる方もいらっしゃるとは思いますが」と書いているが、「職務経歴書」をうまく書けない人は勝間の売り込み方が「自慢話」に見えてしまうのではないだろうか。勝間の反人気のありようはこういう点ではないかしら。
そういう意味では、反勝間は日本的な従来型思考であり、勝間容認派は米国的な現代風思考と大きく分類できるように思える。

そんな疑問を丸谷才一さんの『蝶々は誰からの手紙』をテキストにして
何回か、みてきました。
前回までに丸谷さんがいう書評とは、「紹介(ダイジェスト)+批評性」
をもったジャンルだということを書きました。
また丸谷さんのいう「批評性」とは、「対象である新刊本をきつかけにして見識と趣味を披露し、
知性を刺激し、あはよくば生きる力を更新すること」というのも紹介しました。

そのあたりを見てみたいと思います。
紹介する書評も『蝶々は誰からの手紙』に所載されていたものです。
しかも、すごく短い書評です。
テキストを見ながら、自分で入力してみたのですが、
文字数にして300文字程度しかありません。
こんな短い書評で、「紹介(ダイジェスト)+批評性」が表現できるか。
私が「紹介」だと思うところは斜め文字に、「批評性」だと思うところは下線を
つけました。
紹介されているのはローリー・リン ドラモンドの
『あなたに不利な証拠として 』です。
![]() | あなたに不利な証拠として (ハヤカワ・ポケット・ミステリ) (2006/02) ローリー・リン ドラモンド 商品詳細を見る |
河野多恵子は谷崎潤一郎をしのぐかもしれない。
わたしはかねがねさう考へてゐたが、この、短篇小説仕立てといふか、短篇連作といふ
か、それとも一種の長編小説と見立てても差支へない、エルモア・レナード絶賛の警察小
説(ローリー・リン・ドラモンド『あなたに不利な証拠として』)を読んで、細部だけならあの大
家よりこの新人のほうが上かも、と思つた。
同じ市警に勤める五人の女性警官を扱う五篇だが、とにかくすごい筆力。たとへば『銃の
掃除』などは二人称を上手に使ひこなして、おや、ビュートル『心変わり』をずいぶんよく勉
強したなと驚かす。

わずか300文字の書評ですから、「紹介」はほとんどないといってもいいですね。
わかるのは、「女性警官」が出てくる短編集なんだな、ぐらい。
書き出しの2行は、本来なら無駄にみえてしまう。
ところが、この2行があるおかげで、
この小説は「細部」が面白いんだなってわかります。
しかも、河野多恵子と谷崎潤一郎の個性がさりげなくわかる仕掛けまである。
後半もそうですが「知性を刺激」されます。
これだけの短評に、そういう要素をいれることは
なかなかできるものではないですね。
さすが、丸谷大兄。

「紹介」というのは内容にこだわる必要がないこと、
「批評性」というのは、広い見識をずらずら並べるのではなく、
「読ませる」工夫が必要だということ。
「知性を刺激」させる「批評性」があれば、
その本を読みたいと思わせる書評になるのではないでしょうか。

世の中、只今「絵本週間」らしい。
4月2日の「国際こどもの本の日」をはさんで、
前後2週間がそれにあたるそうです。
へえー、と思われた人に、もうひとつ。
4月2日は、あのアンデルセンさん(人魚姫とか書いた童話作家)の
誕生日なんですよ。
一日遅くなりましたが、アンデルセンさん、おめでとうございます。
というわけで、今回の書評は絵本です。
といっても、そこは54歳のオジサンですから、
和田誠さんの絵本『ねこのシジミ』を選びました。
和田誠さんの書かれたものですが、
これはれっきとした絵本。
本当に久しぶりに絵本を開きました。
たまたまこの絵本のシリーズは「イメージの森」というのですが、
その表紙裏にこんな文章を見つけました。
絵本はもう子どもたちだけのものとはいえません。
絵本というメディアは、大人の感性をも刺激する、
新鮮で、不可思議な魅力をもっているのです。
そうですね。
殺伐とした世の中だから、絵本を開いてみるのも
いいですね。
せっかくの「絵本週間」。
みなさんも、子どもにもどって、
絵本を開いてみませんか。
![]() | ねこのシジミ (イメージの森) (1996/09) 和田 誠 商品詳細を見る |
しあわせなまいにち
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イラストレーターの和田誠さんちの飼い猫の名前は「シジミ」。「とってもちいさくて、貝のシジミのからのもよう」によく似ていたから、ついた名前です。
シジミのことは和田さんのライフワーク的業績でもある「週刊文春」の表紙画を集めた『表紙はうたう』という画集の中にも「猫に思い入れが深いのは家族に加わっていた年月が長いせいだろう。(中略)長男が小学生の時に公園で拾ってきたシジミが思い出深い」と書いています。ということは、シジミは「週刊文春」にも登場した、有名な猫でもあります。(「週刊文春」の表紙を飾ったシジミは写実的に凛々しく描かれていますが、この本ではとても優しそうな柔らかい表情です)

今回の『漱石のマドンナ』の書評の中で、
著者の河内一郎さんのことを、
松本清張さんの作品になぞって書きましたが、
平均寿命がどんどん伸びているこの国で、
河内さんのような生き方は大変参考になります。
会社人としての人生を終え、
その後、若い頃からずっと興味があった漱石の研究をする。
まさに人生後半期の、新しい開花だと思います。
作品の評価というより、
そういう著者の生き方はとても参考になります。
そして、そういう著者の熱意に
読み手としても応えたいものです。
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松本清張の出世作『或る「小倉日記」伝』(第二十八回芥川賞)は、森鷗外の不明の小倉時代を薄幸の主人公が執念をかけ追求する物語だが、かつて坂口安吾は「その文章は実は殺人犯人をも追跡しうる自在な力があり」と評したことがある。
そういう点では、本書もまた「漱石が熱愛した女性」を求めて、ミステリー仕立てで読む者を魅了する。
しかも、本作筆者の略歴を読むと、ごく普通の会社員として38年間勤めあげた上で、「高校時代からつづけてきた漱石研究」を続けているという執念は、清張の物語の主人公を彷彿させる。