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プレゼント 書評こぼれ話

  このブログを始めたのが昨年の12月4日。
  どうみてもくぎりがいいわけではない。
  まあ、それでもその日に始めたのだから、今さらそれをとやかく
  言っても仕方がありません。
  それに誰にとやかく言われることでもないし。
  今回紹介するのは、ブログの文章術の本、
  樋口裕一さんの『読ませるブログ』ですが、
  少しは六ヶ月という節目を意識して選びました。
  樋口裕一さんは著者略歴によれば、
  「小学生から社会人までを対象にした小論文指導に携わ」っている方ですから、
  標準的な文章の書き方が書かれています。
  私は特に「文章術」というのは勉強してきませんでした。
  では、どうしたかというと、
  やはり本を読むことで自然と身についたところはあります。
  あとはひたすら書くことです。
  こういう「文章術」を読んでも、やはり限界があると思います。
  いい日本語に自ら触れることが大切です。
  司馬遼太郎さんのことはしばしば(おやじギャグみたいですが)
  書いてきましtが、やはり良質な日本語だと思います。
  あとは開高健さんの、変幻自在な文章は参考になるでしょうね。

  さあ、あなたもブログを楽しんでみませんか。
  

読ませるブログ (ベスト新書)読ませるブログ (ベスト新書)
(2009/04/09)
樋口 裕一

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sai.wingpen  ブログは楽しい!                 矢印 bk1書評ページへ

 本のブログ「ほん☆たす」(http://hontasu.blog49.fc2.com/)を始めて、もうすぐ半年になる。
 なんとか頑張って、一日の休みもなく更新できたし、おかげさまで、訪問して頂ける読者も増えてきた。書評よりも「鉄道博物館探訪記」や「大江健三郎賞公開対談体験記」といった方が人気が高いのはご愛嬌である。
 著者自らお礼のコメントを頂戴したり、未知のブロガーから訪問頂いたり、多分五十四歳になる私が手習いで始めた小さな世界だが、私の想像以上に世界が広がっているのかもしれない。
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プレゼント 書評こぼれ話

  文章を書いている時、気にしていることは、
  一人よがりの文章になっていないかということです。
  思わず熱い文章を書いてしまうことのないよう、
  できるだけスカすようにしているのですが、
  なかなかそううまくいかない時もあります。
  今回紹介しました小宮一慶さんの、
  『あたりまえのことをバカになってちゃんとやる』の書評を
  書いていると、つい私も作者以上に熱くなってしまいそうで、
  結構難儀しました。
  著者が熱くなる分は一向に構わないのですが、
  それが書評となると、やはり冷静に読むことが必要です。
  今回の本の中で小宮一慶さんが肺ガンの告白をして、
  それに続く文章に思わずグッときて、
  その分だけ私の文章も熱くなってしまいました。
  この『あたりまえのことをバカになってちゃんとやる』には、
  名言ともいえる文章がいっぱい出てくるのですが、
  そのうちのいくつかを書きとめておきますね。

     自分という蛍が一番光り輝く仕事を選びなさい。

     散歩のついでに富士山に登った人はいない。

     よく働いた一日はよく眠れる。よく生きた一生はよく死ねる。

  こういう言葉の宝石がたくさんある本です。
  
あたりまえのことをバカになってちゃんとやるあたりまえのことをバカになってちゃんとやる
(2009/04/13)
小宮 一慶

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sai.wingpen  よく働いた一日はよく眠れる           矢印 bk1書評ページへ

 この本はこれまでの小宮一慶さんのものとは少し色合いが違います。
 それまで書いてこられた本は、たとえば「ビジネスマンのために」といった一連のシリーズのように、どちらかといえば働く人の「スキルアップ」を意識したものでした。それは、小宮さんが経営コンサルタントという職業ですから、当然といえば当然です。小宮さんの本で、仕事に対する考え方なり方法を変えた読者も多いと思います。
 今回の本も書名が示す通り、そういう面ももちろんありますが、仕事だけにとどまらない、もう少し広い、人生の指南書的な要素が強く出た本だといえます。
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05/29/2009    経営者の品格:書評
プレゼント 書評こぼれ話

  今回紹介しました『経営者の品格 -今こそ問われるリーダーの人間力』に
  登場する経営者は、
  松下幸之助であり本田宗一郎であり盛田昭夫であり、
  日本の一時代を築いた名将たちです。
  彼らの名前をみて、
  今さら彼らの時代でもないと思われる人もいると思います。
  確かに、彼らが経営をした会社とはいえ、
  この時代にあって迷走しているともみえます。
  だから、つい、もし彼らが今の時代に生きていれば、
  どのような戦略をもって経営にあっただろうと考えることは、
  実現しない空想ゆえに楽しくもあります。
  本書のなかで、堺屋太一さんが書いている文章で、
  ようやく稲盛和夫さんが登場します。
  稲盛和夫さんの著作は今でも多くのファンを魅了していますが、
  その理由も含めて、
  新しいリーダーたちはもっと学習し、
  そして強くならないとダメではないでしょうか。
  
経営者の品格―今こそ問われるリーダーの人間力! (プレジデント・クラシックス)経営者の品格―今こそ問われるリーダーの人間力! (プレジデント・クラシックス)
(2009/01)
城山 三郎三鬼 陽之助

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sai.wingpen  応援者の不在                   矢印 bk1書評ページへ

 第二次大戦後の日本は、いい意味でも悪い意味でも、経済がリードした時代でした。政治も文化も社会も、経済にひっぱられるようにして形成されていったと言っていいと思います。
 そのリーダー格であった経済が百年に一度という不況に陥ると、たちまちその他の機能もどのように打破していいのか見当がつかないというのが現在の、この国の構図です。
 そういう時に、戦後の経済界のリーダーであった経営者を描いたこういう本を読むと、例えば松下幸之助や本田宗一郎や盛田昭夫ならこの時代をどのように舵取りしただろうかと、想像してしまわないわけにはいきません。
 しかし、本当に現代は松下も本田も盛田もいないのでしょうか。どうもそうではなく、むしろ、不在なのは経営者を、時に励まし、時に叱咤し、時にエールをおくった応援者のような気がします。
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プレゼント 書評こぼれ話

  今日は昨日につづき、漫画関連の本の書評です。
  しかも、手塚治虫さんが主人公。
  福元一義さんの『手塚先生、締め切り過ぎてます!』。
  いろんな漫画関連の本を読むと、
  手塚治虫さんの原稿をもらうのに、たくさんの編集者が
  困ったようですね。
  そもそも手塚さんは作品の量がはんぱではないですからね。
  描く作業には時間的制約がありますが、
  それ以上にどんどん描きたいことが出てくるのでしょうね。
  やっぱり「神様」です。
  今NHKBSで毎週金曜夜10:00から『週刊手塚治虫』という番組が
  放映されています。
  毎週昔のアニメなどが楽しめて、欠かさず楽しんでいます。
  本当に興味のつきない「神様」です。

  みぎ手塚治虫さんの関連記事はこちら  ・「私の好きな作家たち 第五回手塚治虫」
                           ・「手塚治虫展」に行ってきました

手塚先生、締め切り過ぎてます! (集英社新書 490H)手塚先生、締め切り過ぎてます! (集英社新書 490H)
(2009/04/17)
福元 一義

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sai.wingpen  逆立ちをする神様                矢印 bk1書評ページへ

 手塚治虫さんは、誰もが認める、「漫画の神様」です。
 「神様」ですから一体どのような暮らしぶりであったのか、どのように創作をされていたのか、気になるのも仕方のないことで、おかげで数多くの「手塚伝説」が生まれていますし、こうして死後二十年経っても、まだそのお姿を描いた新刊が出てきます。
 本書は、手塚治虫公式ファンクラブの会報誌に連載されていた「アシスタントの日記帳」を加筆修正したものですが、連載時のタイトルが示す通り、著者の福元一義さんは長い期間、手塚さんの創作のサポートをされていました。
 つまり、本書は「神様」の側近による、「神様」手塚治虫さんの軌跡です。
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プレゼント 書評こぼれ話

  今回紹介しました大野茂さんの『サンデーとマガジン』は、
  副題に「創刊と死闘の15年」とあるように、
  1959年3月17日に同時創刊された2誌の、
  創刊準備からの2誌のエピソードが満載の一冊です。
  漫画家大好きな人だけでなく、結構経営的な観点からも
  楽しめるのではないでしょうか。
  私は『少年サンデー』と『少年マガジン』のどちら派であったかというと、
  両紙の間を結構行ったりきたりしています。
  私が週刊少年誌に最初に遭遇したのは、
  表紙のとれた『少年マガジン』であったのは、
  石森章太郎さんの『怪傑ハリマオ』を記憶していますから、
  よく覚えています。
  小学生の頃は、『少年サンデー』でしたね。
  赤塚不二夫さんの『おそ松くん』とか横山光輝さんの『伊賀の影丸』。
  中学時代からは『少年マガジン』。
  もちろん『巨人の星』『あしたのジョー』『愛と誠』と続く、
  梶原一騎世代。
  そのあとは、やっぱり『少年ジャンプ』や『少年チャンピオン』に
  はまっていきます。
  なんだか、時代にともに生きてますね。
  今回の書評で紹介しています、
  滝田誠一郎さんの『ビッグコミック創刊物語』の書評も書いていますので、
  こちらもあわせてどうぞお楽しみ下さい。
  
サンデーとマガジン (光文社新書)サンデーとマガジン (光文社新書)
(2009/04/17)
大野茂

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sai.wingpen  ライバル                     矢印 bk1書評ページへ

 この五月にNHKで「ザ・ライバル」という特番が放映されました。
 再現ドラマとドキュメンタリーを取り合わせたこの番組の冒頭、「ライバルとは、好敵手でもあり、同志でもある」といった字幕が出ます。今年、ともに創刊50周年を迎えた週刊少年誌、『少年サンデー』(小学館)と『少年マガジン』(講談社)を記念して作られた番組ですが、創刊(実際にはその準備期間も含めて)から半世紀にわたり「ライバル」であり続けた二誌への、それは勲章みたいな一文でした。 この番組が本書刊行のきっかけでもあります。
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本 先月初めて参加させて頂いた、
 「さいたまブッククラブ」の五月の例会に、
 先日(5.23)行ってきました              みぎ4月の模様はこちらをどうぞ。

 コムナーレ
 場所は浦和駅西口にある「コムナーレ」9階。
 市民の広場的な、いい環境です。
 オープンスペースですが、いくつか市民の皆さんが
 お仲間で集まって話ができるようになっています。

本 さて、今回は先月よりもさらに参加された人が増えて、
 7人になりました。
 しかも、お若い青年(青年だからお若いのですが)やご夫婦での参加と、
 バリエーションに富んできましたね。

 一人一冊の紹介、そしてそれに関連しての話などしていると、
 2時間というのもあっという間に過ぎてしまいます。

本 さっそく皆さんが紹介してくれた本を書きとめておきますね。
 まず、主宰者のNさん(いつも運営ご苦労様です)。
 手塚治虫さんの『ガラスの地球を救え』。
 手塚さんの死後出版された本です。
 Nさんが「子供に読ませたい」と話されていましたが、同感です。
 20年前に手塚治虫さんが提言されたことを私たちはまだ実現できずにいます。

 次に、今回初参加の、若き青年Yさん。
 飯田史彦さんの『生きがいの創造Ⅱ』。
 私はよく知らなかったのですが、このシリーズは大変よく売れたそうです。
 生まれ変わりとか、魂の書といえばいいのでしょうか。
 こういう集まりでは、自分が読んでいない本の話などが聞けるのも
 楽しいですよね。
 特に、今の若い人たちがどのような本を読んで、どう感じているのかが
 直接聞けるのですから、私にとっては刺激に富んでいます。
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本    阿修羅は、相変わらず蠱惑(こわく)的だった。

 これは、司馬遼太郎さんの『街道をゆく』の「奈良散歩」の中の一節です。

本 ということで、今回は今すごい人気だという「阿修羅展」に行ってきました。
 阿修羅
 平日の午前というのに、すでに待ち時間が40分。
 これでもいい方かもしれません。
 何しろ噂では1時間以上待ちとか聞いていましたから。
 会場は東京・上野にある「東京国立博物館」。
 東京の人はいいですよね。
 混雑はあるとはいえ、こういう素晴らしい展覧会が
 1500円で、気楽に見れるのですから。


本 今回の「阿修羅展」は興福寺創建1300年記念ということで、
 国宝・八部衆像国宝・十大弟子像、といった現存14体が勢揃いしています。
 もちろん、メインは阿修羅像
 ちょっとその前に学習すると、興福寺創建1300年ということは、
 創建されたのは和銅3年(710年)だそうです。
 もちろん、私は生まれていません。
 懐かしい「平城遷都」という言葉が歴史の教科書みたいです。
 何しろ作ったのは、藤原鎌足の子、不比等ですから。
 覚えています?
 日本史で習ったでしょ。
 和銅といえば、日本最古の貨幣として「和同開珎」というのが出てきます。
 私の子供の頃は、これを「わどうかいほう」と習ったように思いますが、
 今は「わどうかいちん」と呼ぶそうです。
 これも今回の展示物に含まれています。

本 さて、阿修羅です。
 どこにあるかというと、
 会場の三つめのエリアに置かれています。
 ちょうど八部衆、十大弟子像のあと、
 なんか、わくわくします。
 その前に、司馬遼太郎さんの文章をもう一度見ておきましょう。
 阿修羅はもとは古代ペルシャの神だったのですが、
 次第に悪神になって「闘争してやまぬ者」といわれるようになります。

    しかしながら興福寺の阿修羅には、むしろ愛がたたえられている。
    少女とも少年ともみえる清らかな顔に、無垢の困惑ともいうべき
    神秘的な表情がうかべられている。

    顔も体も贅肉がなく、性が未分であるための心もとなさが
    腰から下のはかなさにただよっている。眉のひそめかたは、
    自我にくるしみつつも、聖なるものを感じてしまった心のとまどいを
    あらわしている。すでにかれーあるいは彼女ーは合掌しているのである。

 さすが司馬遼太郎さんの文章は美しく、的確です。
 私は司馬さんの『街道をゆく』は、そういう美しい日本語の訓練として
 読まれていいと思っています。
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プレゼント 書評こぼれ話

  いよいよ、この春出版された、池田晶子さんの「新刊」の3冊、
  『死とは何か』(毎日新聞社)『私とは何か』(講談社)そして『魂とは何か』(トランスビュー)の、
  最後の一冊です。
  今回は「幸福」について書きました。
  池田晶子さんのさまざまな文章を読むと、
  池田晶子さんが「生」とか「死」とかにこだわっていたとも思えません。
  もっと深いところの「生」を生きていたように思えますし、
  もっと淡々と「死」を迎えられたように思えてなりません。
  もちろん、違うかもしれませんが、
  彼女が教えてくれたことは、
  「生」とか「死」を超えたところにあるのではないでしょうか。
  今、池田晶子さんは何をしているのか。
  もちろん、愛犬と楽しく散歩しているにちがいない。
  どこで?
  私たちが知らない、「新しい世界」で。
  私には、そう思えてなりません。
  さあ、「哲学」しましょう。

魂とは何か魂とは何か
(2009/02/23)
池田 晶子

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sai.wingpen  「幸福」とは何か               矢印 bk1書評ページへ

 彼女は「幸福な人」であった。

 本書は、2007年2月に亡くなった文筆家池田晶子さんの、未発表原稿や書籍未収録原稿を三つのテーマにして編まれた三冊のうちの一冊です。
 本書には1999年に出版された『魂を考える』を大幅増補した作品を中心にして、自身の父のことや池田さんに大きな影響を与えた作家の埴谷雄高氏との交流録などが、そしてもちろん愛犬ダンディーのことも、収められています。
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プレゼント 書評こぼれ話

  2007年2月に亡くなった池田晶子さんの、
  この春新たに刊行された3冊の、今日は2冊目、
  『私とは何か』(講談社)の紹介です。
  昨日も書きましたが、この春出版社という枠を超えて、
  同じ菊地信義さんの装丁で出版された『死とは何か』(毎日新聞社)、
  『魂とは何か』(トランスビュー)ですが、
  では、どの本から読むのがいいかというと、
  これはなかなか難しい問題です。
  私は『死とは何か』『私とは何か』『魂とは何か』の順に
  読みましたが、別にそれにこだわることはないと思います。
  もし、今「私」に興味があるなら、『私とは何か』でいいでしょうし、
  「死」に関心があれば『死とは何か』でいいと思います。
  どちらかといえば、『魂とは何か』は少し難解ですから、
  少し池田晶子さんになれてからの方がいいかな。
  この『私とは何か』には書評にも書きましたが、
  池田晶子さんの小学生の頃の作文が所載されていますし、
  『死とは何か』には「肉筆原稿」が載っています。
  そういう興味で読むのもいいと思います。
  さあ、「哲学」しましょう。

  
私とは何か さて死んだのは誰なのか私とは何か さて死んだのは誰なのか
(2009/04/02)
池田 晶子

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sai.wingpen  「書く」とは何か                  矢印 bk1書評ページへ

 彼女は「書く人」であった。

 本書は、2007年2月に亡くなった文筆家池田晶子さんの、未発表原稿や書籍未収録原稿を三つのテーマにして編まれた三冊のうちの一冊です。
 日常の言葉で「哲学」を語り、「哲学エッセイ」という分野を確立した池田晶子さんならではの「産経新聞」に23回にわたって掲載された短文などが収められています。一般紙での掲載ですから「哲学」が前面に出ることはありませんが、池田さんの読みやすい文章は多くの読者を得たのではないでしょうか。
 池田晶子さんが「考える人」であると同時に、実は「書く人」であったという証(あかし)でもあると思います。
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プレゼント 書評こぼれ話

  今日から三日間にわたって、
  2007年2月に46歳という若さで亡くなった池田晶子さんの、
  この春刊行された3冊の本を紹介していきます。
  3冊の本というのは、今回紹介する『死とはなにか』(毎日新聞社)と、
  『私とはなにか』(講談社)、『魂とはなにか』(トランスビュー)です。
  この3冊はごらんのように出版社が違います。
  それでいて、池田晶子さんが記した自身の墓碑銘、

   さて死んだのは誰なのか

  を共通のサブタイトルとし、
  装丁も菊地信義さんの同じもので出来上がっています。
  こういう出版は極めて稀有です。
  しかも、「哲学書」なんですから。
  これは、池田晶子さんの人柄や著作に感銘した編集者の皆さんや
  たくさんの仲間の人たちが池田晶子さんからの
  「精神のリレー」に応えて、出来上がった、
  美しい本たちだといえます。
  「哲学」の本の書評を書くのは難しいし、
  私の中でこなれていないものもたくさん(ほとんど?)あります。
  でも、こんな美しい本たちなのですから、
  たくさんの人に読んでもらえたら、と願います。
  さあ、「哲学」しましょう。
  
死とは何か さて死んだのは誰なのか死とは何か さて死んだのは誰なのか
(2009/04/04)
池田 晶子

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sai.wingpen  「考える」とは何か               矢印 bk1書評ページへ

 彼女は「考える人」であった。

 本書は、2007年2月に亡くなった文筆家池田晶子さんの、未発表原稿や書籍未収録原稿を三つのテーマにして編まれた三冊のうちの一冊です。
 日常の言葉で「哲学」を語り、「哲学エッセイ」という分野を確立した池田晶子さんですが、本書は同時刊行された他の二冊と比べてその色合いがもっともよく出ているといえます。
 書かれている内容は「死とはなにか」「私とはなにか」といった、それぞれにたいへん重いテーマですが、それを読ませ、ともに考えるという池田さんの個性がよく出た文章が続きます。
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05/21/2009    いしぶみ:書評
プレゼント 書評こぼれ話

  映画『おくりびと』のことは、このブログでも書いたことがあります。
  今さらのように、「いしぶみ」の絵本を読んでみましたが、
  そういえば、と思い出すことがあります。
  それは五月の初めに長瀞に行った時のこと。
  あそこには荒川が流れていますが、映画の一場面にあったように
  私は河原を歩いたのです。
  そこでは、小さな子どもたちが何人も川に向かって、
  石を投げ込んでいましたが、
  私にはそれができませんでした。
  それは大人だからでしょうか。
  子どもだったら、大人の注意を振り切って、
  石を拾い、川に投げ込んでみる。
  それはとっても自然だと思います。
  おとなだから、そういうことがどうしてできないのでしょう。
  石が空を飛んで、水に小さな音をたてて落ちていく。
  うまくいけば、もう一度空中に跳ね上がるかもしれない。
  大人の目からすれば、ただそういうことだけれど、
  子どもにはそれは日常にはない、特別な空間なのでしょう。
  私はそれができなかった。
  もしかしたら、私はたくさんの「いしぶみ」を
  見落とし、聞き漏らしているかもしれない。
  小さな、石ころの声を聞きたいと思います。
  
いしぶみいしぶみ
(2008/08)
小山 薫堂

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sai.wingpen  耳をすましてください                     矢印 bk1書評ページへ

 第81回アカデミー賞外国語映画賞を受賞した滝田洋二郎監督の『おくりびと』に、銭湯を営む友人の母の死をみおくった主人公とその妻の、納棺師という夫の職業から生じていた二人の心のわだかまりが緩やかにほどけていく場面があります。
 最上川のほとりの河原。主人公が妻のために探す、石ころ。
 「何?」と訊ねる妻に主人公はそれが「石文(いしぶみ)」というものであることを告げます。「昔さ・・・まだ人間が文字も知らなかったくらいの大昔。自分の気持ちに似た石を探して、相手に贈ったんだ。もらった方は、その石をギュッと握りしめて、その感触や重さから遠くにいる相手の心を読み解く」(オリジナル・シナリオより)ものと、妻に教える主人公。
 最上川の風景と相俟って、印象に残る一場面です。
 「石文」に込めたものは、脚本家小山薫堂だけでなく、監督滝田をはじめとした映画『おくりびと』の俳優、スタッフたちの「伝えたい」という思いであったでしょう。
 そして、多くの観客が拍手と涙と賛辞をもって、その思いをしっかりと受けとめた。
 そんな映画であったのではないでしょうか、『おくりびと』という映画は。
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プレゼント 書評こぼれ話

  今回の書評のタイトル「他人と違う何かを語りたかったら、他人と違う言葉で語りなさい」は、
  スコット・フィッツジェラルトギャツビーを書いた人)が言った言葉だそうです。
  この関川夏央さんの『新潮文庫20世紀の100冊』の、
  村上春樹さんの『世界の終わりとハートボイルド・ワンダーランド』の解説文に
  紹介されています。
  本を読みたいんだけど、どんな本を読んでいいのかわからない。
  そんなことをよく聞きます。
  そういう人には、今回紹介したこの本なんかはうってつけかもしれません。
  関川夏央さんの解説を読んで、面白そうだと思ったら読んでみる。
  あるいは、自分の生まれた年で紹介されている本はなんだろう、
  お父さんの生まれた年はどうだろうって、
  そのようにして読書の幅を広げていくのも
  いいかもしれません。
  ちなみに私の生まれた年(1955年)で紹介されていた本は、
  石原慎太郎さん(現東京都知事)の『太陽の季節』でした。
  
新潮文庫20世紀の100冊 (新潮新書)新潮文庫20世紀の100冊 (新潮新書)
(2009/04)
関川 夏央

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sai.wingpen  他人と違う何かを語りたかったら、他人と違う言葉で語りなさい   矢印 bk1書評ページへ

 私は、どうやら、本という「製品」が好きなようである。
 その形状、手触り、ページから立ち上る芳香、といった諸々をふくめた、本としての「製品」のことである。
 新潮文庫が2000年に既刊の文庫に「20世紀の100冊」という、関川夏央の解説のついた特別カバーの文庫を刊行し始めた時、そのカバーが読みたくて、つい何冊か購入したのも、本という「製品」に対する私の嗜好癖がくすぐられたからだ。
 装いをちがえただけであっても、人は既読の本でも手にする。本という、不思議な魔力としかいいようがない。
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本 今回の「私の好きな作家たち」は、 
 「司馬遼太郎」さんです。
 司馬遼太郎
 私の気分としては、
 とうとう司馬サンかという気分です。
 先に書いておくと、
 私の中では、司馬遼太郎という人は、
 「歴史作家」ではなく、
 「思索家」、あるいは「詩人」みたいにしてあります。
 そういう気分の人なのです。

本 私が司馬サンの作品に出会うのは、
 かなり晩生(おくて)でした。
 たぶん、最初読んだのはやはり『竜馬がゆく』でしたが、
 私はすでに30歳を過ぎていました。
 司馬サンが『梟の城』で第42回直木賞を受賞したのが、
 昭和35年(1960年)ですから、
 本当ならもっとずっと早くに司馬サンの文学に触れてもよかったはずですが、
 何しろ若い時分というのは、
 「大衆文学」なんて低俗で、文学は「純文学」でないといけない、
 みたいな青臭い思い込みがあって、
 司馬サンに限らず直木賞作家はほとんど読んでいませんでした。
 いやぁ、まったくもって、恥ずかしい。
 まあ、若いということは、
 そういう間違いを平気でしてしまうことがある。

本 それはともかく、司馬サンの作品に30歳過ぎに出会って、
 そのあと『坂の上の雲』を読んで、
 ああ、この人はすごいと感じ入りました。
 ただ、司馬文学の難点は、あまりにも長いこと。
 だから、私にはまだ未読の司馬作品がたくさんあるのですが、
 私はついにそれを読むことがないまま、
 一生を終わるだろうという、
 どこか諦めに似た気持ちもあります。
 もちろん、今の読書時間をすべて司馬サンに振り向ければ
 読めないこともないけれど、
 私にとっての司馬文学は、そういう、どこかでまだ
 とっておきたい気分というものがあります。
 まだ、司馬サンの作品を全部読めていないのだぞ、
 しっかり生きるんだぞ、みたいな気分ですかね。

本 そのあと『街道をゆく』を読んで、
 司馬サンがもう小説は書かないといったあとの、
 随筆とか紀行文とかにはまったわけですが、
 今でも「もし司馬サンが生きておられたらどのような発言をされるのだろう」と
 思うことがあります。
 例えば、今の世界不況の問題であったり非正規社員の雇用の問題であったりです。
 おそらく司馬サンは声高に何かを述べるのではなく、
 歴史であったり社会であったり、そういう広い視野にたって
 発言されただろうなと思います。
 そして、その口調は軟らかだったに違いない、と。

本 私が司馬サンを「詩人」だと思ったのは、
 司馬サンの『草原の記』の冒頭の一節を読んだ時からかもしれません。

   空想につきあっていただきたい。

 なんという、軟らかで、やさしく、奥深い言葉でしょう。
 司馬サンの文学なり歴史観なり、紀行文なり随筆なり、を読むと
 どこかこういう言葉の魔力のようなものを感じます。
 だから、私はもっともっと、
 司馬サンの文章の魅力を知りたいと常々思っています。
 本当は、そろそろ、本当に司馬サンの世界にはいらないと
 時間がなくなるかもしれない。
 でも、やはり、最後の最後まで、
 司馬サンはとっておきたい、そんな気分なのです。

本 最後に昔私が詠んだ俳句を紹介しておきます。
 日本経済新聞の「日曜俳壇」(黒田杏子選)に掲載された
 司馬サンの忌日「菜の花忌」という言葉にひかれて詠んだ、
 小さな自慢の作品です。

   菜の花忌三歩離れてついていく  (2000.3.19)
本 昨日(5.17)の日曜日、さいたま市中央区にある
 与野公園の「ばらまつり」に行ってきました。
ばらまつり1 ここは浦和と大宮のちょうど中間ぐらいにある街ですが、
 昭和52年に整備されたばら園にはたくさんのばらが植えられています。
 そして、毎年この時期に「ばらまつり」が開かれ、にぎわっています。

 ここはもともとは与野市といっていたところで、
 街のいたるところでばらをみかけます。
 写真は橋の欄干。みごとに咲いています。 ばらまつり2


本 ばらといえば、やはり薔薇と漢字表記の方が
 私は好きです。
 あの花のゴウジャスな感じが、薔薇という漢字にはよくでています。
 でも、やっぱり書けない漢字でもありますが。
 ばらまつり3
 ばらといえば、私は北原白秋のこんな詩を思い出します。

  ばらの木にばらの花咲く 何事の不思議なけれど

 どなたかのエッセイに書かれていて、それが記憶になって
 残っています。
 なんの衒(てら)いもない詩ですが、私たちがつい忘れてしまう
 そんな思いがこめれています。

本 あと、ばらといえば、加藤登紀子さんが唄った『百万本のバラ』。
 ある日貧しい絵描きが女優に恋してしまいます。
 それで彼は町中のばらを買って、女優の部屋の窓からみえる
 街の広場にそれを飾ります。
 でも、彼女は彼のそんな気持ちなどわからずに、
 また新しい街へと旅立っていく。
 切ないですよね。
 これなんかも、ばらだから、ドラマになると思うんですよね。
 そういえば、ばらの花言葉って、色によって違うそうです。
 ばらまつり4
例えば、赤は「模範」とか「貞節」。
 黄色は「嫉妬」、ピンクは「愛を待つ」。
 蕾は「愛の告白」だそうですから、
 貧しい絵描きは蕾のばらにすればよかったのかもしれません。

本 向田邦子さんの『夜中の薔薇』というエッセイには
 こんな楽しい話があります。
 向田さんは、シューベルトの『のばら』の一節、
  ♪童は見たり 野中のばら
 の「のなかのばら」をずっと「夜中(よなか)のばら」だと
 勘違いしていたというお話。
 確かに子どもの頃にまちがって覚えてしまった言葉なんかは
 大人になってもそう思い込んでいるところがありますよね。

本 喜劇俳優チャップリンの名作『ライムライト』にはこんなセリフが。

  人生はすべて願望だ。意味じゃない。
  薔薇は薔薇になろうと望んでいる。


 チャップリンとばらというのは、よく似合っています。
 あの名作『街の灯』は浮浪者チャップリンが目の不自由な少女に
 恋する話です。そのラスト。
 視力を回復した少女が今まで親切にしてくれていたのが
 浮浪者チャップリンだと気づく場面。
 チャップリンは一輪のばらの花をもっていました。
 それも、蕾。
 あれって「愛の告白」の意味だったですね。

本 ばらって奥が深い。

 ばらまつり5

 最後に、ばらの句を一句。

  雨の薔薇光の珠を沈めけり
05/17/2009    橋をかける:書評
プレゼント 書評こぼれ話

  今回の本は、美智子さんの『橋をかける』。
  美智子さんって親しそうに書いていますが、
  皇后美智子さまのことです。
  こういう貴なるお方の本の書評ということですが、
  文章表現とかやはり少しは上品になるように
  気をつけたのですが。
  ただ、書いていることはそのまま、私の思いです。
  書評にも書きましたが、美智子さまのお話の中に、
  ご自身が読まれた本がたくさん出てきます。
  その中に私の読書体験の初めである『ジャングルブック』のことも出てきます。
  それを、「モーグリ少年の住んでいたジャングル」というように
  話されている。
  そうだ、『ジャングルブック』の主人公はモーグリ少年だった。
  そのように思い起こされる。
  そのように語る人は、どのような立場であれ、
  読書人として愛されていいのではないか。
  そう思います。
  また、皇后美智子さまが新美南吉の「でんでん虫のかなしみ」という
  童話のお話もされている。
  これもいい。読んでみたくなる、そういう思いにさせるような
  思いのこもった話をされる。
  子供たちへの読書案内としても有効な、
  いい本です。
  なお、今回の書評タイトルの「痛みを伴う愛を知るために」は、
  皇后美智子さまの講演の最後にでてくる文章の一節です。
  
橋をかける (文春文庫)橋をかける (文春文庫)
(2009/04/10)
美智子

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sai.wingpen  痛みを伴う愛を知るために                 矢印 bk1書評ページへ

 この本には、皇后美智子さまが国際児童図書評議会の二つの大会でなされたふたつの講演と、それにいたる経緯を記した関係者の方たちの文章がいくつか収録されています。
 二つの大会とは、1998年のニューデリー(インド)大会と2002年のバーゼル(スイス)の大会です。
 ニューデリー大会の時の講演はビデオによるもので、この時話されたのが本書の書名ともなっている『橋をかける』です。
 この大会での講演がビデオによるものとなったのは、大会の直前でインドで核実験が行われたという政治的な事情があります。それで急遽ビデオ撮影となるのですが、撮影隊に気をつかわれる皇后美智子さまのお姿など、その間のエピソードをつづった、巻末の「文庫版によせて-皇后さまのご本ができるまで」(末盛千枝子)は読む者の興味をそそる内容です。
 「長年かけて準備して来たニューデリー大会に、ご自分の欠席が与えてしまうだろう傷を、最小限にくいとめようと努力」される皇后美智子さまのゆるぎのない姿、「いつも薄化粧で、(中略)そのことについて心配そうにお尋ね」になる細やかな女性としてのたしなみ、など、普段私たちが窺いしることのない皇后美智子さまの表情はとても美しい。
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プレゼント 書評こぼれ話

  今日はおとなの本を紹介します。
  杉本彩さんの(もうこれだけで、おとなでしょ)、
  『インテリジェント・セックス』(もっと、おとなでしょ)。
  映画でいうところの、R15ぐらいかな。
  この「R」って何かといえば、
  映画を観る際に鑑賞できる年齢制限のことで、
  レイティングシステム(rating system)の「R」のこと。
  昔は「成人映画」とか「成人指定」といっていましたね。
  18歳以下は観れない映画のことです。
  若い頃はそんな映画がどうしても観たくて、
  よく年をごまかして見てました。
  だって、17歳か18歳かなんてわからないですから
  ある時、チケット売り場で「おたく、いくつ?」と聞かれて、
  どぎまぎしながらいくつか年齢をごまかして答えたら、
  敵? もさるもの、
  「干支は?」って聞いてきて、
  「えーと、・・・・・・」と、すごすご退散した覚えがあります。
  アメリカの青春映画みたいな記憶です。
  まあ、ちゃんと規則は守らないと、って
  おとなの私はいいますが。
  その点、本の方が自由かもしれません。
  

インテリジェント・セックス (祥伝社新書145)インテリジェント・セックス (祥伝社新書145)
(2009/02/27)
杉本 彩

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sai.wingpen  ボギー、俺も男だ!              矢印 bk1書評ページへ

 ハンフリー・ボガートを男前だと思ったことがない。
 実際二枚目俳優といえば、ゲーリー・クーパーだとかクラーク・ゲーブルとか、あの手の類だろう。
 それなのに、ボカートをして「ダンディズム」の極みのように伝説化されたのは、映画『カサブランカ』(1942年)の影響が大きい。
 あの映画でのボカートは確かにカッコいい。静かで感情をおさえ、それでいて熱い。愛する女性(イングリッド・バーグマンがこれまた最高)との再会を果たすものの、彼女を助けるために自分を犠牲にする男。役とはいえ、ボカートかなり得したな。
 そして、彼の台詞がまたいいのだ。
 「君の瞳に乾杯」なんて云えますか。普通云えないですよ、キザすぎて。
 でも、彼が云うとサマになるから、これまた不思議。そして、流れてくる曲が「時の過ぎ行くままに」なんだから、普通の女性であれば、イチコロ。
 でも、映画ではそうならないのが、またいいんですが。
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プレゼント 書評こぼれ話

  今回の小宮一慶さんの『どんな時代もサバイバルする会社の「社長力」養成講座
  (こう書くと長いタイトルですね)
  には、色々と教えられることが多かったですね。
  書評の中にも書きましたが、「本を読まない経営者」なんていうのは
  いるのでしょうかね。
  読んでいる方、気をつけて下さいね。
  これって結構皮肉に書いています。
  本も読まずに経営者ぶっている人なんてたくさんいます。
  趣味の読書の話ではありません。
  戦うための道具として、読書は重要だといっているのです。
  だから、「オレの趣味はゴルフで」とか「お酒が一番」なんていう人は
  経営をすべきではない。
  少なくとも、従業員を幸せにできないのではないでしょうか。
  それと、この本の中にこんな一節があります。
  「銀行に目を向ける暇があったら、お客さまと向き合うことです」
  その意味することすらわからない銀行もあるでしょう。
  季節まじかの小さな果実をとるのか、
  最盛期の大きな果実をとるのか、
  バカな銀行も、バカな親会社も、バカな株主も、
  そのあたりがわからない。
  それとこの本を「ビジネス本」として読むのではなく、
  「生き方」本として読むのもいいと思いますよ。
  この本の裏表紙にこうありました。

    正しい経営の神髄とは、よりよい人生の神髄と同じである  

どんな時代もサバイバルする会社の「社長力」養成講座 (ディスカヴァー携書)どんな時代もサバイバルする会社の「社長力」養成講座 (ディスカヴァー携書)
(2009/03/15)
小宮 一慶

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sai.wingpen  経済は人を幸せにするための道具            矢印 bk1書評ページへ

 「社長」というのは基本的に孤独です。
 現代のようにたいへん厳しい時代に、多くの「外的要因」「内的要因」に曝されながら、最終的にはたった一人で決断をしなければなりません。さらにいえば、社内の人がすべて味方であるとはかぎりません。
 そんなことはないといわれるかもしれませんが、そういわれる人はぜひ本書の「「和気あいあい」よりも「切磋琢磨」」の章(120頁)を読んでもらいたい。
 「社長」は長期的な視点に立って厳しく叱ることもしないといけない。どうでもいいような些細なことでも実践していかなければならない。その時になお、信念をもってことにあたれるかどうかだと思います。
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本 先月このblogでも書きましたが、
 「さいたまブッククラブ」の5月の例会(というのかな)の
 案内を頂きました。
                     みぎ4月の模様はこちらをどうぞ。

  ○日時    5月23日(土) 15:00~17:00
  ○場所    コムナーレ9階
           浦和駅東口をでると、パルコがでーんとあって、
           その9階です
  ○連絡先   主宰者「ブック太郎」さんに連絡して下さい
            メールアドレス exbillceedgates@jcom.home.ne.jp

本 私も参加しようと思っていますが、
 さて、どんな本について話そうか、只今思案中です。

プレゼント 書評こぼれ話

  今回は朝日新聞の「朝日俳壇」に採用されて記念として、
  2005年の蔵出し書評ですが、俳句の本の紹介をします。
  実は、私、わりと俳句の本(ほとんどが入門書の類ですが)を
  読んでいるのですが、
  「朝日俳壇」の選者で、私の俳句を選んで頂いた、
  長谷川櫂さんに敬意を表して、
  長谷川櫂さんの『一億人の俳句入門』という本にします。
  長谷川櫂さんというのは、サムシングブルーさんがコメントの中にも
  書いておられましたが、「週刊日本の歳時記」の中でも毎号記事を
  書いていましたし、NHK俳壇にも出演されています。
  俳句をする人というのはどうもお年寄りのイメージがありますが、
  長谷川櫂さんは私と同年代です。
  もちろん、それをもって若いともいえませんが、
  少なくとも長谷川櫂さんはエネルギシュな若々しい感じがします。
  現在、若い人向きの「子規論」を執筆中だとか、
  これもまた、楽しみです。
  
一億人の俳句入門一億人の俳句入門
(2005/10)
長谷川 櫂

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sai.wingpen  俳句はむずかしい              矢印 bk1書評ページへ

 俳句は詠む文芸である。
 鑑賞という意味の「読む」ではなく、創造するとか作るという意味の「詠む」である。
 俳句人口は何億ともいわれるが、それは創作を愉しむ人の数であって決して俳句の読者数を指すものではない。そういう意味では俳句は小説や詩あるいは短歌といったものとは大きく相違する。
 小説を読むのが好きな人であっても自分で書こうとはなかなかしない。しかし俳句の場合、作ることを前提に先人たちの作品を読むのであり、本書のような「俳句(を詠むための)入門」(注:かっこ内は書評子が追記)書が出版されている。
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プレゼント 書評こぼれ話

  二日間にわたって大江健三郎さんの「公開対談」の、
  きわめて個人的な記録を掲載しました。
  そんな中、とても感動的な「コメント」を頂きました。
  それで、できるならたくさんの人に読んでもらえるようにと、
  記事の中で紹介したいと思います。
  あわせて、私からの返信のようにして、2003年の蔵出しですが、
  大江健三郎さんの『「新しい人」の方へ』という作品の書評を
  掲載しておきます。

  sai.wingpen 夏の雨 様
     はじめまして。
     大江健三郎ファンクラブ掲示板からリンクをたどり、書評を拝読させて頂きました。

     以下、コメントとしては余りに長く…
     深いご見識の上、的確な言葉をお選びになる 夏の雨 様にお送り申し
     上げるのが、実に勝手なことと感じております。

     どうか、若輩者の
     ―「なんとか御礼を申し上げねば」と思っているのに、
     見識のなさゆえ、気持ちに言葉がついてゆかない― 
     そんな拙さゆえと、お見逃しを頂ければ幸いです。

     自身のことで恐縮なのですが…
     主人が城山三郎先生の大ファンで、何冊も御本を読み続けております。
     それゆえ、書評を拝読した途端、
     日々を共に過ごすがゆえに見えずにいた、主人の姿を見た気が致しました。
     泣かずにはいられませんでした…いえ、実際のところ、大泣きをしたのです。

     「生涯戦時中に負った心の傷を払拭できなかったように思える」
     「城山三郎は「気骨」のある作家だったといえるだろう」
     …書評の中のお言葉に、なぜか、郷里の母の言葉を想い出しました。

     「優しさは強さ」だと。

     沖縄に生まれ育ちました。

     戦争で夫を亡くした祖母、本土復帰の住民運動を通じて出会った両親と
     共に暮らし、生まれた時から広大な米軍基地を眼の前にした世代です。

     年の離れた末弟は、知的障害を持って生まれました。
     母は、大江健三郎氏の御本を支えに、母自身、細々と文を綴りながら、
     末弟の誕生後、10年以上家に戻らなかった父との結婚生活を続け、
     弟を育て、見守り続けていたように思います。

     最近、大江健三郎ファンクラブの皆様に励まして頂きながら、
     これまでどうしても読むことが出来なかった、大江健三郎氏の御本を
     何とか読了致しました。

     生まれて初めて読んだ大江健三郎氏の御本は「沖縄ノート」です。
     「本を読む」ということが、
     「自身の中で大きな波を描く」とでも表現すれば良いのか…。
     こんなにも打撃であったことは初めてであったように思います。

     正直に申し上げると、打撃になることが自身で何となく解っておりましたゆえ、
     これまで読む勇気を持てなかった、というのが本当のところです。

     ただ、弟達もそれぞれに成人し、主人に恵まれ、本州で幸せに暮らす今…
     「沖縄ノート」を読まずしては、どこか両親の娘でいられなくなるような気がして、
     本を手に取りました。

     書評を拝読し、母の言葉、故郷の家族のこと、友人のこと、恩師のこと…
  
     城山三郎先生の御本にご紹介があり、
     教えてくれた主人以上に自身が「猛烈ファン」になってしまい、
     図々しくもファンレターを差し上げ、個展に押しかけた際に、
     名乗ると同時に即座にハグを下さった加島祥造先生のこと。
     (お眼にかかった際、加島先生は、「沖縄出身」という言葉をキーワードにして、
     自身のことをご記憶されておられるように思えました。
     大戦の際に、自ら負傷の上、軍隊を除名されて終戦をご経験なさった加島先生が、
     一年前にただ一度、お手紙をやりとりしただけの自身のことを憶えておられた…
     そのことが、『「沖縄ノート」を読まなければ』と考えた、
     もう一つの大きな引き金になりました。)

     そして…大江先生のこと。
     大江先生のご家族の皆様のこと。
     本当にお優しくお心遣いを下さる大江健三郎ファンクラブの多くの皆様のこと。

     そして、誰よりも…主人のこと。

     様々なことが、書評を拝読させて頂いたことを中心に、輪を描くように思えました。
     更には、その輪を描く線上の点、一つ一つが幾重にも重なりいく輪の中心に
     思えました。
     そして、そこからまた、輪が描かれる…
     それは、どこまでもどこまでも終わらない、輪の重なりです。

     「自らは一人ではない」

     そんな、心からの感謝を捧げずにはいられない、
     しかしながら、時として見失いそうになる…とても大切なことに、
     ―自らは確かに、「優しさという強さ」の描く数えられぬほどの円に…ご縁に…
     抱かれている、そのことに―
     気付かせて頂いた想いです。

     そして…
     そんな想いが、「本を読む」という、
     表面上はたった独りのように見える行為の中で生まれてくる。
     なんだか逆説的で、不思議なことのようにも思えます。

     「本を読む」ということは、
     「強制も束縛もなく、ただ自らの心に沿って読む」
     そのことは、もしかしたら…
     自らこそを抱く円を振りかえり、おのずから再構成させることなのかもしれません。

     ならばそれは、
     優しさという強さ、眼には映らぬ骨――
     すなわち「気骨」の創造、それ以外の何ものでもない、と。

     そんな、様々なことを…
     本を読む母の背中や主人の横顔を想いながら、胸に抱きました。

     そして、「本を読む」ことは、時に辛いこともあるかもしれないけれど…
     やっぱり素晴らしいことなのだと、そう思います。

     お恥ずかしいまでに弱虫の自らゆえ、
     「沖縄ノート」の次に「個人的な体験」を読みたい…そう思いながら、
     またしても打撃になることが少し怖くもあり、二の足を踏んでいました。
     おかげさまで、迷わずに済みそうです。

     どのように読めばよいか…その指針を下さる、書評を、ようやく拝読出来た…
     そんな、とても幸せな気持ちです。

     「インターネットで読む」その喜びもまた、頂戴しております。
     重ねての御礼を申し上げます。

     最後になりまして恐縮ですが、
     湿度も気温も上がり続ける時節…
     どうぞ日々、お元気にお過ごし下さいませ。
                                         しおしお  
sai.wingpen

「新しい人」の方へ「新しい人」の方へ
(2003/09/19)
大江 健三郎

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sai.wingpen  娘に伝えたいもうひとつのこと            矢印 bk1書評ページへ

 この本の前作『「自分の木」の下で』は、著者の大江健三郎さんの言によれば「想像しなかった、多くの読み手にめぐまれ」た好著でした。
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プレゼント 書評こぼれ話

  大阪万博が開催されたのは、1970年3月14日。
  当時私は大阪府下にある小さな町に住む、
  15歳の少年でした。
  ところが、どうもあまり万博の記憶がありません。
  開会日の模様はTVで観たようにも思うし、
  当然会場まで足を運んだのですが、
  どうもイマイチ明快な記憶ではないのはどうしてなのか、
  自分でも不思議な気分です。
  ちょうどこの時期でいえば高校に入学したてで、
  そのことに夢中になっていたとも思えないのですが、
  それはそれなりに、
  新しい環境になれるのに必死だったのかもしれません。
  また会場に行っても、あれだけたくさんの人であふれていましたし、
  アメリカ館で「月の石」を見ることもできず、
  小さなパビリオンをいくつかまわっただけのような気がします。
  それゆえに自分にとっての「70年万博」もとても気になるのです。
  今回の三田誠広さんの『堺屋太一の青春と70年万博』は、
  そういうこともあって楽しく読めました。
  
堺屋太一の青春と70年万博堺屋太一の青春と70年万博
(2009/03/24)
三田誠広

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sai.wingpen  堺屋太一って何                矢印 bk1書評ページへ

 本作の主人公である堺屋太一が代表作となる『団塊の世代』を発表した1976年の翌年、著者である三田誠広は『僕って何』という小説で芥川賞を受賞している。
 『団塊の世代』という小説は、戦後のベビーブームが生んだ人口の塊である1947年から1949年生まれの人々を中心とした未来予測小説であり、その中で堺屋は多人口が引き起こす様々な歪みに警鐘を鳴らしていたのであるが、「団塊の世代」当事者たる1948年生まれの三田誠広は当時「ここにいる僕とは何だろう」と迷い、まだ社会や人間関係にふりまわされて自己を確立できないでいる若者を描いていたというのは、今振り返れば、数奇な巡りあわせともみえる。
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本 さて、今日は昨日のつづき、
 今日は昨日の未来昨日は今日の過去、なんてつまらないことを書いているから
 いつも「講演記録」が長くなってしまいます。
 反省しながら、つい書いてしまう。
 さて、本当にさてです、今日は昨日の「公開対談」のつづきです。

本 その前に昨日の前編を読んでいない人はここをクリックして下さい。
 そこまで、昨日書いたこと。
 今日は「第3回大江健三郎賞」を受賞した、安藤礼二さんの
 『光の曼荼羅』に書かれている折口信夫(1887-1953)について、まず書きます。
 折口
 写真は折口信夫です。
 ちなみに、この人「おりくち」なのか「おりぐち」なのか、
 安藤礼二さんは「おりくち」って話されていました。
 名前は「しのぶ」。
 日本の国文学、民俗学の第一人者で、歌人としても有名です。
 歌人としては「釈迢空」(しゃく ちょうくう)という号で詠っています。
 私、この折口信夫に痛い思い出があって、
 大学生の頃に、もう30年以上も前ですが、
 中央公論の文庫、いわゆる中公文庫ですが、
 そこから折口信夫の全集が刊行されたんですね。
 何を血迷ったか、折口を読もうと、文庫にしては結構高かったのですが、
 毎月きちんと買い続けました。
 でも、まったく読めなかった。
 そして、学生生活の終わりに新井薬師(東京中野区)の駅前にあった
 古本屋さんに売ってしまいました。
 安藤礼二さんも言ってましたが(やっと講演記録にもどった)、
 「最初は何が書いてあるかわからなかった。でも、自分のなぞを解いて
 いくことで見えてきた」
 そうです。このあたりが私のような凡人とのちがいなんでしょうね。

本 これは今回の「公開対談」で、
 大江健三郎さんが求めた「独学」というテーマと関係するのですが、
 わからないことをそのままにするのではなく、
 自分で解いてみることは、とても大事だと思います。
more open !?
朝日俳壇本 今朝(5.11)の朝日新聞の「朝日俳壇」に
私の俳句が掲載されました。
 「朝日俳壇」で選ばれるのが夢でしたから、うれしいですよね。
 採用されたのは、このblogの「伊勢紀行」にも書いた、

   燕の子初めて越ゆる五十鈴川

 選んで頂いた、長谷川櫂先生、ありがとうございます。


本 少し顛末を書いておきますね。
 俳句を自分で詠み始めてから、もう十数年なりますね。
 詠んだり詠まなかったりといった、ぐうたらぶりですが、
 「朝日俳壇」に載るのはやっぱりなかなか難しい。
 ここ数ヶ月、毎週一句投句していたのですが、
 ボツ、ボツ、ボツ、ボツ・・・
 宛先が間違っているのだろうかとか、手書きでないといけないのかとか、
 私はパソコンで印刷しているのですが、
 やっぱり結構へこたれます。
 投句したものが、いつ選考対象になるのかもわかりませんし。
 ちなみに、今回選ばれた句は、4月20日にポストに投函したもの。
 で、今日新聞に載ったのですから、3週間めということになります。
 以上、これから、投稿しようという人に、
 参考になれば、と思って書きました。
本 第3回の「大江健三郎賞」が先月決まりました。
 今回はそれを記念して行われた、
 大江健三郎さんと受賞者の安藤礼二さんの「公開対談」に行ってきましたので
 その報告です。

本 その前に「大江健三郎賞」について少々。
 「大江健三郎賞」は講談社創業100周年、大江さんの作家生活50周年を
 記念して。2006年に創設された賞なのですが、
 この賞には他の賞にはない特徴があって、賞金がでません。
 そのかわり、外国での刊行があるんですよね。
 で、その第1回めの受賞者は、長嶋有さんの『夕子ちゃんの近道』。
 第2回が岡田利規さんの『わたしたちに許された特別な時間の終わり』。
 そして、今回、第3回めが安藤礼二さんの『光の曼荼羅 日本文学論』です。
 そういえば、この賞はまだほかの賞にはない特徴があって、
 それは選考者が大江健三郎さんひとりだということ、
 それと選評として「公開対談」を行うこと、
 ということなんです。
 つまり、今回私がひょこひょこ出かけた「公開対談」は、
 賞の規約に設けられた、正式なイベントなんですね。
 うわぁー、責任重そう。(そうでもないか)

 それに、私は安藤礼二さんの受賞作を読んでいない。
 なにしろ、私の目的は、
 生(なま)の大江健三郎さんを見ること、
 この一点に絞られているのですから、かなりミーハー。
 青年の頃から読み続けた作家である、
 (このblogでも「私の好きな作家たち」の第一回にとりあげましたね)
 大江健三郎さんを生(なま)で見れるのですから、
 安藤礼二さん、ごめんなさいね。

本 ということで、5月9日、東京音羽にある講談社まで出かけました。
 大江講演1写真は講談社の表玄関。
 さすが、100年にわたり日本の文化の担い手だった会社の
 風格がありますよね。
 今回の会場はこの中の講談社のホール。
 このホールもりっぱでしたよ。
 歴代の社長のみなさん(おそらく)の、大きな肖像画が
 壁に並んでいます。
 ちょうど国技館にある、横綱の写真みたいに。
 この日は、安藤礼二さんの大学(多摩美)の生徒さんも
 参加されていて、老若男女とりどり、400名ぐらいは
 いたでしょうか。
 いいですよね、若い人たちがこういう講演に参加されるのは。
 日頃、そういう環境にいる安藤礼二さんがうらましい。

本 だいたい私の「講演記録」は前口上が長すぎますよね。
 早速講演にはいりましょう。
more open !?
05/10/2009    楢山節考 :書評
プレゼント 書評こぼれ話

  今日は「母の日」。
  そんな日に、母を捨てる物語の書評ですが、
  あまり気にしないで下さい。
  なにしろ、たまたま
  朝日新聞日曜の書評欄「百年読書会」(ナビゲーター重松清)の、
  5月の課題本が、深沢七郎さんの『楢山節考』だったもので。
  それにこの物語は孝行息子の物語でもあるのですから。
  『楢山節考』は昭和31年(1956年)に発表された作品です。
  私もかなり、ずーっと以前読んだことがありますが、
  今回久しぶりに読んでみました。
  そういうことからすると、こういう企画もいいかもしれませんね。
  この『楢山節考』は、いわゆる姥捨伝説をテーマにしたもので、
  映画化も2回されていますから、
  そのことで内容を知っている人も多いと思います。
  一度めは木下恵介監督で1958年映画化されています。
  この時の主人公おりん役は田中絹代さん。
  二度目は今村昌平監督で1983年。
  おりんは坂本スミ子さんが演じました。
  今村作品はカンヌでも賞をとっていますので、
  こちらの方が有名かもしれません。
  残念ながら、私は今村作品は観ていません。
  木下作品は全編スタジオ撮影で、しかも歌舞伎調の雰囲気を
  もった意欲作でした。
  作品が発表された当時よりも現在の方が、
  高齢者社会が進んでいますから、この作品のテーマは
  より重くなっていると思います。
  ただ、今回の書評にも書きましたが、
  この作品をそういう問題だけで読み解くのはどうかと思います。
  もっと生命力にあふれた作品です。
  文庫本にして100頁に満たない作品ですので、
  「母の日」に読んでみて、
  母のこととか子どものこととか考えてみるのもいいかもしれません。
  今回も冒頭に「書評句」を載せています。
  
楢山節考 (新潮文庫)楢山節考 (新潮文庫)
(1964/07)
深沢 七郎

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sai.wingpen  人間として               

 楢山よ おっかあつつめよ 初雪で  

 「矜持」という言葉がある。英語にすれば「pried」でしょうか。この物語の主人公おりんは村の掟にしたがって山に捨てられていく老婆だが、名前のように「凛」とした姿が印象深い。
 何故おりんは死を恐れないのだろう。それを考えていくうちに、「矜持」という立ち居のいい言葉にぶつかった。おりんは死を恐れることで村の蔑み唄になりたくなかった。見事な死を全うすることで村の尊敬を得たかった。唄となって残ることもふくめて。だから、おりんにとっては、丈夫な歯をもつ老いも許されないことなのだ。
 老いには老いの姿がある。死には死の、避けられない姿がある。
 この物語ではおりんに対比させるように、死を怖れる銭屋の又やんという人物を登場させているが、その姿があわれなゆえに一層おりんの「人間としての矜持」が光を放っている。
 この物語のおりんは悲劇という言葉さえ寄せつけない「人間」である。
  
(2009/05/10 投稿)

プレゼント 書評こぼれ話

  今回取り上げた茂木健一郎さんの『プロフェッショナルたちの脳活用法』は、
  書評にも書いているように、多くの「生きる知恵」を教えてくれる、
  いい本です。
  この本を読むと、多くの「自己啓発の本」で書かれていることが、
  単に経験知ではなく、脳科学に裏打ちされていることがわかります。
  勝間和代さんであったり、本田直之さんであったり、小宮一慶さんであったり、
  今人気の書き手のみなさんが実行していることの多くが、
  脳科学の分野でも説明がつくのではないでしょうか。
  単にやみくももするのではなく、脳がもっている、
  そういう特徴を理解していると、
  さらにスキルアップが高まるのだと思います。
  だから、最近の茂木健一郎さんの活躍に
  もう感服しっぱなしなんですね。
  私にとっての「ミラーニューロン」、
  これは「鏡に映したように他人と自分を表現する」ということですが、
  ひらたくいえば「よき師匠」「よき先生」みたいもの、
  に、茂木さんがなっているのかもしれません。
  
プロフェッショナルたちの脳活用法 (生活人新書)プロフェッショナルたちの脳活用法 (生活人新書)
(2009/04)
茂木 健一郎NHK「プロフェッショナル」制作班

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sai.wingpen  セキュアベースな一冊              矢印 bk1書評ページへ

 本書はNHKの人気番組『プロフェッショナル 仕事の流儀』をベースとした、「脳科学の最新の知見と、プロフェッショナルたちの貴重な証言が融合して生み出された、脳を活かすための指針の書」(5頁)で、単にTV番組からの抜粋ではなく、まことに刺激とヒントに満ちた一冊だ。
 番組で紹介されたプロフェッショナルたちの勇気と示唆に富んだ発言も多く収められているが、七対三の割合ぐらいで、茂木健一郎の脳科学の論考の方が多いかもしれない。そのあたりが従来のダイジェスト版的な色合いの出版物とはちがう、この本の良さでもある。
 もちろん、それは茂木だけでなく、この本に携わった人たちの「編集力」として評価されていい。本書に「成功というドラマは、多くの人々を巻き込んだ共同作業」(219頁)という表現が出てくるが、この一冊もまたその言葉にふさわしいといえる。
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プレゼント 書評こぼれ話

  勝間和代さんの『会社に人生を預けるな』という本は、
  とてもうまい書名をつけたものだと感心しています。
  同じ光文社新書で『お金を銀行に預けるな』という作品があるとはいえ、
  雇用情勢が悪化しているこの時期に、
  『会社に人生を預けるな』はうますぎます。
  これなら絶対売れますね。
  『週刊読書人』という新聞があって、
  その4月3日号で、この『会社に人生を預けるな』の特集をしていて、
  勝間和代さんのインタビュー記事が掲載されています。
  その中で、書名について勝間さんはこんなことを話しています。

   本当は「リスク管理入門」みたいな題名が一番近いと思いますね。
   ただ、そんなタイトルにすると、何のことかよくわかりませんし、
   誰も読みたいとは思わないでしょうから。(笑


  そのとおりですね。この書名を見ただけで、
  しかも「勝間本」ということで、
  若い人が飛びつきそうですよね。
   
  
会社に人生を預けるな リスク・リテラシーを磨く (光文社新書)会社に人生を預けるな リスク・リテラシーを磨く (光文社新書)
(2009/03/17)
勝間和代

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sai.wingpen  勝間本・リテラシー              矢印 bk1書評ページへ

 本書は「リスク」について「終身雇用制」という大きなキーワードを核に縷縷論じられているのだが、副題にある「リスク・リテラシー」の後ろ半分の、「リテラシー」という言葉にも「リスク」に劣らない重要な意味がある。
 もともと「リテラシー」(Literacy)というのは、「読み書き能力」という意味だが、他の言葉と組み合わさって「使いこなす能力」というふうに解釈される言葉である。例えば「メディアリテラシー」などはインターネットが普及して、しばしば耳にするようになった言葉だ。
 ちなみに「メディアリテラシー」とは「メディアが発信する大量の情報に対して、その真偽を見抜き、正しい情報を活用する能力」ということになろうか。ここでいう能力とは、この言葉の意味する文脈をみればわかるとおり、情報の受け手である側に求められる能力である。このことはきちんとおさえておく必要がある。
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プレゼント 書評こぼれ話

  今回紹介した『だれでも詩人になれる本』の著者は、
  ほとんどの人がご存知の、やなせたかしさん。
  言うまでもなく、『アンパンマン』の著者です。
  『アンパンマン』があまりにも有名になりすぎて、
  そのほかのやなせさんの作品が小さくなるのも
  どうかと、私は思っています。
  私の娘たちがまだほんの子供だった頃、
  やなせさんの『やさしいライオン』をよく読んだことを
  覚えています。
  今、思い出しましたが、
  上の娘が幼稚園の頃、「アンパンマン音頭」というのを
  習っていましたね。
  もう20年以上、昔のことです。
  そのほかにもやなせさんは作詞もされていて、
  あの『手のひらを太陽に』もそうです。
  これは私が小学6年の時の運動会の時、
  団体で踊って記憶があります。
  こういう記憶っていつまでも残りますね。
  今回の書評詩の書き出しは、この本の中にでてきます。
  引用しますね。

  もしも、なんにもかけなくなったら、動物園にいくか、ちいさな子供たちを
  ぼんやりと眺めなさい。なにかをかならず教えてくれます 
(35頁)

  そこから、浮かんだ書評詩です。

あなたも詩人 だれでも詩人になれる本あなたも詩人 だれでも詩人になれる本
(2009/02)
やなせ たかし

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sai.wingpen  もしも、なんにもかけなくなったら              矢印 bk1書評ページへ

  もしも、なんにもかけなくなったら、
  動物園に行こう

  檻に閉じ込められたライオンを哀れむのではなく
  堀に仕切られたサルを蔑むのでもなく
  野生はなくても
  勝手きままに 吼え
  食べ 小便してる
  動物たちを ぼんやり眺めていよう

  もしも、なんにもかけなくなったら、
  小学校に行こう

  校門の固く閉ざされた門の前で
  うろうろしてたら 怪しまれるから
  校庭を見下ろす丘に登ろう
  規則正しい子供たちの行列に
  あくびがでても
  きっと誰かが いまに 駆けだすだろう

  もしも、なんにもかけなくなったら、
  詩集を読もう

  すでにかかれた たくさんのことに
  げっぷがでたら
  それが
  わたしの 詩
  自分だけの 詩

 本書は今年(2009年)九十歳になるやなせたかしさんが、三十年以上前に書かれた『詩とメルヘンの世界 もしも良い詩がかきたいなら』(1977年)を再編改訂したものです。
 氏の『アンパンマン』が国民的人気を経た今も、基本的には「詩に対する考え方は変わっていない」とやなせさんは「あとがき」に書かれています。
 やなせさんのいう詩とは「こころのありよう」です。
 そうだとしたら、書名のように「だれでも詩人になれる」かもしれません。ただ自分をごまかさなければ。
  
(2009/05/07 投稿)
足JTB時刻表』が通巻1000号になり、大変売れているそうです。

JTB時刻表 2009年 05月号 [雑誌]JTB時刻表 2009年 05月号 [雑誌]
(2009/04/20)
不明

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 ということで、今回は「鉄道博物館」に行ってきました。
 なんだか、毎日遊びまわっているようで、
 実際そうなのですが、
 たまたま今ここで「時刻表」のコレクション展が開催されていて、
 これものぞいてきました。
 ね、「本のある生活」でしょ。

足鉄道博物館」は平成19年10月オープンした博物館ですが、 鉄道1
 鉄道マニアなら一度は行ってみたいスポットでしょうね。
 大宮駅(埼玉県)からニューシャトルでひと駅。
 入場料がおとな1000円。
 もうおつりがくるくらい、楽しい博物館です。
 1階にある「ヒストリーゾーン」は、
 幅45m、長さ150mの敷地に、実物の車輌が所狭しと
 並んでいます。
 いやあ、圧巻。
 というより、わくわくしてきます。
 私は別に鉄道マニアではないですが、
 昔の車輌にはいったり、汽車をみあげたり、
 地下から車輌の底をのぞいたり、
 童心に帰るってこういうことなんでしょうね。
 スキップしたくなりましたもの。

足 たまたま行った時間が、鉄道模型ジオレマの実演にあったので、
 少し並びましたが、しっかり見ましたよ。 鉄道3
 模型の街を、列車や新幹線が次々と走ります。
 鉄道模型にはまる人の気分がわかったような
 気になります。
 楽しいんです、第一に。
 でも、やはり男の子の方が人気ありそう。
 鉄道って、メカニックで重厚。
 なにより強そうですよね。
 そのあたりが、男の子にとってはあこがれなのでしょうか。

足 時間がお昼の12時になると、
 展示場の中心にある、「C57形式蒸気機関車」が汽笛とともに
 ゆっくりとまわり始めます。
 この汽笛は、またいいんですよね。
 ポォーーー
 実際の音らしいのですが、身体全身に響きます。
 蒸気機関車の魅力のいくつかは、この音にあるのではないかな。
 郷愁というか、私たちがどこかに忘れてきたものを思い出させてくれます。
 ポォーーー

足 それで、「時刻表」のコレクション展に立ち寄りました。 鉄道4
 「時刻表」といってもいくつかあって、
 この5月で1000号をむかえたのは『JTB時刻表』。
 ちなみに前号999号は『銀河鉄道999』が表紙で、
 これは完売していました。
 もうひとつが『JR時刻表』で、こちらも今年の7月には
 通巻555号になるそうです。
 では、『JTB時刻表』の第1号がいつ出来たかというと、
 大正14年4月。
 当時は『汽車時間表』となっていました。
 コレクション展では歴代の表紙がずらっと掲示されています。

足 本当は「鉄道博物館」内の「日本食堂」で食事をしたかったのですが、
 人、人、人・・・で断念しました。
 でも、この「鉄道博物館」は実際楽しい。
 子ども連れも多かったですが、おじいちゃんおばあちゃん連れも
 多かったですね。
 昔の方が鉄道に対する愛着があったかもしれません。
 なにしろ、鉄道が夢と未来を世界に運んでくれた時代だったですから。

足 実は、驚いたことに「伊勢紀行」「長瀞紀行」に続いて、
 ここでも「つばめ」と出会いました。
   鉄道5
 それが、写真の「つばめ」のヘッドプレート。
 特急つばめは昭和初期に東京~大阪間を走っていたそうです。
 当時は8時間余かかったそうですよ。
 現代と隔世の感がありますが、
 それでも空を飛ぶ燕のように、スマートだったのでしょうね。
 ちょっと素敵な、
 「つばめ」との出会いでした。

 時待たず今年の燕巣立ちかな
05/05/2009    立夏 -長瀞紀行
足 今日(5.5)は二十四気のひとつ、「立夏」です。
 「夏に立つ」とか「夏来る」という言い方もします。
 四季の中でも、あらゆるものが最も生き生きしている季節ですね。
 室生犀星さんに「五月」という、いい詩があります。
  
   悲しめるもののために
   みどりかがやく
   くるしみ生きむとするもののために
   ああ みどりは輝く

 さすが詩人ですね。

足 そんななか、埼玉県の北西部にある景勝地、
 
長瀞 長瀞(ながとろ)に行ってきました。(5.3)
 埼玉に暮らし始めて、よくよく数えてみると、
 もう20年以上経っているのに、
 長瀞は初めてなんですよね。
 埼玉も地図を見れば、広い。
 私が住んでいる「さいたま市」なんて、
 埼玉の入り口、ひょっ子みたいなもの。
 長瀞はずんと奥にあります。
 秩父方面っていえばいいのかな。

 長瀞に何があるかというと、
 「ライン下り」が楽しめるんです。
 連休中ということで、観光の人たちも多かったですね。
 長瀞駅でチケットを買って(一人1550円)、
 バスで出発地点まで連れていってもらいます。
 長瀞2そこから、約30分、川を下ります。
 今はちょっと川の水が少ない頃だったのか、
 流といっても、子どもの水遊びみたいに、
 ちゃぷちゃぷって感じです。
 でも、まわりの木々の緑がいいですね。
 木々の緑っていうのは、一年中でたぶん今が一番いい。
 息づいているというか、輝いている。
 船頭さんの巧みな棹さばきが見てて、気持ちがいい。
 もう水にはいっている気の早い人もいました。
 到着地点は石畳と呼ばれる岩石段丘。

足 この石畳から駅へ向かう筋が、
 お土産さんとかが固まっていて、ここにも
 たくさんの人が出ています。 長瀞3
長瀞4








 お昼は、その一角にある「丹一」というお店で、
 「鮎めし」を食しました。
 一人前、2100円。
 写真は二人前ですね。
 このお店で、燕を見かけました。
 燕のことは、先日の「伊勢紀行」でも書きましたが、
 この時期の燕は、初々しい。
 黒も白も、まっさら。好きですね。
 燕は飛ぶ姿勢もいい。すきっとしていて、
 ナイフのような感じ。
 そうそう、燕で思い出しました。
 先日の「伊勢紀行」から戻ってきて、「歳時記」を
 調べたんですが、「」は春の季語、「子燕」は夏の季語
 今日から「夏」ですから、使い方が難しいですね。

足 食事が終わって、
 次に目指したのは、宝登山(ほどさん)。
 ロープウェイで頂上を目指します。
 長瀞5山麓から山頂まで約5分で着きます。
 ここは蝋梅が有名なところらしいのですが、
 今はつつじがきれい。
 それも白いつつじが目をひきます。
 先ほどの燕でもそうですが、
 生まれたてのものはどうしてこんなに
 人をひきつけるのでしょうね。

足 そんな感慨で山を下りました。
 小さな旅でしたが、一足早く、初夏を楽しみました。
 満足、満足。
 今回の旅で出会った燕の写真とともに、
 一句。

 長瀞6

   長瀞の急流下れば燕の子