05/18/2009 「ばらまつり(与野公園)」に行ってきました

与野公園の「ばらまつり」に行ってきました。

昭和52年に整備されたばら園にはたくさんのばらが植えられています。
そして、毎年この時期に「ばらまつり」が開かれ、にぎわっています。
ここはもともとは与野市といっていたところで、
街のいたるところでばらをみかけます。
写真は橋の欄干。みごとに咲いています。


私は好きです。
あの花のゴウジャスな感じが、薔薇という漢字にはよくでています。
でも、やっぱり書けない漢字でもありますが。

ばらといえば、私は北原白秋のこんな詩を思い出します。
ばらの木にばらの花咲く 何事の不思議なけれど
どなたかのエッセイに書かれていて、それが記憶になって
残っています。
なんの衒(てら)いもない詩ですが、私たちがつい忘れてしまう
そんな思いがこめれています。

ある日貧しい絵描きが女優に恋してしまいます。
それで彼は町中のばらを買って、女優の部屋の窓からみえる
街の広場にそれを飾ります。
でも、彼女は彼のそんな気持ちなどわからずに、
また新しい街へと旅立っていく。
切ないですよね。
これなんかも、ばらだから、ドラマになると思うんですよね。
そういえば、ばらの花言葉って、色によって違うそうです。

例えば、赤は「模範」とか「貞節」。
黄色は「嫉妬」、ピンクは「愛を待つ」。
蕾は「愛の告白」だそうですから、
貧しい絵描きは蕾のばらにすればよかったのかもしれません。

こんな楽しい話があります。
向田さんは、シューベルトの『のばら』の一節、
♪童は見たり 野中のばら
の「のなかのばら」をずっと「夜中(よなか)のばら」だと
勘違いしていたというお話。
確かに子どもの頃にまちがって覚えてしまった言葉なんかは
大人になってもそう思い込んでいるところがありますよね。

人生はすべて願望だ。意味じゃない。
薔薇は薔薇になろうと望んでいる。
チャップリンとばらというのは、よく似合っています。
あの名作『街の灯』は浮浪者チャップリンが目の不自由な少女に
恋する話です。そのラスト。
視力を回復した少女が今まで親切にしてくれていたのが
浮浪者チャップリンだと気づく場面。
チャップリンは一輪のばらの花をもっていました。
それも、蕾。
あれって「愛の告白」の意味だったですね。


最後に、ばらの句を一句。
雨の薔薇光の珠を沈めけり
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