05/21/2009 いしぶみ:書評

映画『おくりびと』のことは、このブログでも書いたことがあります。
今さらのように、「いしぶみ」の絵本を読んでみましたが、
そういえば、と思い出すことがあります。
それは五月の初めに長瀞に行った時のこと。
あそこには荒川が流れていますが、映画の一場面にあったように
私は河原を歩いたのです。
そこでは、小さな子どもたちが何人も川に向かって、
石を投げ込んでいましたが、
私にはそれができませんでした。
それは大人だからでしょうか。
子どもだったら、大人の注意を振り切って、
石を拾い、川に投げ込んでみる。
それはとっても自然だと思います。
おとなだから、そういうことがどうしてできないのでしょう。
石が空を飛んで、水に小さな音をたてて落ちていく。
うまくいけば、もう一度空中に跳ね上がるかもしれない。
大人の目からすれば、ただそういうことだけれど、
子どもにはそれは日常にはない、特別な空間なのでしょう。
私はそれができなかった。
もしかしたら、私はたくさんの「いしぶみ」を
見落とし、聞き漏らしているかもしれない。
小さな、石ころの声を聞きたいと思います。
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第81回アカデミー賞外国語映画賞を受賞した滝田洋二郎監督の『おくりびと』に、銭湯を営む友人の母の死をみおくった主人公とその妻の、納棺師という夫の職業から生じていた二人の心のわだかまりが緩やかにほどけていく場面があります。
最上川のほとりの河原。主人公が妻のために探す、石ころ。
「何?」と訊ねる妻に主人公はそれが「石文(いしぶみ)」というものであることを告げます。「昔さ・・・まだ人間が文字も知らなかったくらいの大昔。自分の気持ちに似た石を探して、相手に贈ったんだ。もらった方は、その石をギュッと握りしめて、その感触や重さから遠くにいる相手の心を読み解く」(オリジナル・シナリオより)ものと、妻に教える主人公。
最上川の風景と相俟って、印象に残る一場面です。
「石文」に込めたものは、脚本家小山薫堂だけでなく、監督滝田をはじめとした映画『おくりびと』の俳優、スタッフたちの「伝えたい」という思いであったでしょう。
そして、多くの観客が拍手と涙と賛辞をもって、その思いをしっかりと受けとめた。
そんな映画であったのではないでしょうか、『おくりびと』という映画は。
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