06/30/2009 「さいたまブッククラブ」六月例会に行ってきました

「さいたまブッククラブ」の六月の例会に先日(6.27)行ってきました。
今回も新しい参加者が増え、総勢8名になって、
さらにパワーアップ。
では、今までの集まりはどうだったのか、
横にある「検索」機能を使って、「さいたまブッククラブ」って入力すれば
すぐにわかっちゃいます。

まず今回のトップバッターは皆勤出席のOさん。
今回の紹介本は『サーバントリーダーシップ』(グリーンリーフ著)。
新のリーダーとはサーバント(奉仕)の素質をもった人という内容だそうですが、
その本にヘッセの『東方巡礼』という作品がでてくるそうです。
その本もあわせて紹介。
そういう本からつながる、新しい読書の世界でいいですよね。
しかも、ヘッセというところが憎い。
座布団一枚。

『生命の子守唄』(越智敬子著)で、先月の例会でY青年が紹介された
飯田史彦さんの本と呼応し合う本です。
S奥さんのエラいところは、読んで、感動して、
そして著者に熱いレターを送るところまで実践されること。
著書からサイン本まで頂いている。いいな~ぁ。
ちょっと話が横道にそれますが、
今回私が紹介したのは『クマよ』(星野道夫著)だったのですが、
星野道夫さんもアラスカの写真集をみて、何もわからないまま、
アラスカの村に「行きたい」と手紙を出したんですよね。
そうして、小さな村から「来てもいいよ」という返信が届きます。
星野道夫さんとアラスカというのは、そういうたった一通の手紙が
始まりだったのです。
手紙って書く人の思いなんでしょうか。

紹介本は『貧困のない世界を創る』(ムハマド・ユヌス著)です。
ムハマド・ユヌスさんは2006年のノーベル平和賞を受賞した、
グラミン銀行の創設者。
この本のことは、Sさんご夫妻のブログ「静かに、健やかに、遠くまで」に
詳しく載っていますので、ぜひそちらをご覧下さい。

またまた話がそれますが、Sさんご夫妻のブログに載っている
「沖縄でのゴルフ体験記」面白いですよ。
いいな、沖縄、メンソーレ。
06/29/2009 新しい章へ

テンプレートは本でいえば、装丁みたいなもの。
少し雰囲気が柔らかくなったのではないでしょうか。
タイトルもすこし変えたのですが、気がつきましたか。
今までは「ほん☆たす by 夏の雨」。
今度「本のブログ ほん☆たす」と、どのようなブログなのかを
わかりやすくしました。

きちんと名前を掲載しました。
これが一番大きいかな。
以前読んだ茂木健一郎さんの『脳を生かす生活術』という本に、
「個人のグーグル時価総額」 という言葉があって、
「実名での価値」が予測不可能な社会の荒波を泳ぎ切る
唯一の基準になっていく
と書かれていました。
このことがずっと気にかかっていて、
現代は個人も含めて情報管理は極めて難しいのですが、
やはりきちんと「実名」を出すべきだと考えました。
特に、本の書評を書くということは、
そういうこともひとつの責任かもしれません。

この名前の由来となった、私の想いは変わりませんから、
bk1書店への投稿はこの名前を使うつもりです。
そのほか、かなりこのブログにも書評がたまってきましたので、
「検索」がしやすいようにページの上部にもってきたり、
新聞各紙のwebの読書欄にリンクできるようにもしています。

06/28/2009 マツタケの丸かじり :書評

一週間のごぶさたでした
わあー、このフレーズ懐かしいな。
玉置宏さんですよ。
「ロッテ歌のアルバム」ですよ。
若い人は知らないですよね、でも、おじさんは知っている。
悲しいような、得したような。
そうだ、そんなことはいいのでした。
何が「一週間のごぶさた」かというと、
東海林さだおさんの「丸かじり」シリーズの書評です。
今回は『マツタケの丸かじり』。
今回この本を選んだ理由は、文庫本の表紙です。
マツタケの下に若い女性が頬を赤らめている、この絵です。
うふふ、と思っちゃった。
エヘヘ、と考えちゃった。
選択が極めて不純ですよね。
でも、不純だろうと、この本の面白さは変わりません。
ちなみに書いておくと、この美女は「マツタケ」の項には出てきません。
「アイスクリーム」の項に出てきます。
グヤジー。
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今回は東海林さだおさんの「丸かじり」シリーズのおいしい食べ頃をお教えします。
まずは、紙と鉛筆をご用意下さい。
そうか、印刷しちゃえばいいのか。
失礼。
では、プリンターをご用意下さい。
あ、もちろん、わざわざ印刷する必要もないことはご承知下さい。重たいプリンターを運び込んだのに、ちっとも役に立たないと、あとで怒らないで下さいね。
06/27/2009 ロスジェネはこう生きてきた:書評

今回紹介しました雨宮処凛(かりん)さんの『ロスジェネはこう生きてきた』は、
今年創刊10年を迎えた「平凡社新書」の、
新装となった新書の一冊です。
本屋さんによく行く人ならもう気づいているでしょうが、
「平凡社新書」のデザインがこれを機会に変わりました。
そのあたりことが、平凡社のPR誌である「月刊百科」に書かれています。
まずは、新書編集長の松井純さんの言葉です。
創刊時の「自分を広げる、世界が変わる」という精神を受け継ぎながら、
「いろいろだから面白い」を合言葉に、ジャンルを超え、さまざまな知の
にぎわいに溢れた広場をつくっていきたいと思います。
えらいな、編集長というのは云うことがちがいます。
この「広場」ということですが、新書デザインを考えた菊池信義さんは、
こんなことを書いています。
編集部の人たちがつかみ取り、カッコ付きにして、シェイプアップした
多種多様な知を読者にプレゼンテーションする場所、それが広場です。
うまいな、デザイナーというのは云うことがちがいます。
とりあえずは、創刊10周年おめでとうございます。
これからも、頑張って下さい。平凡社新書。
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1955年生まれの私にとっては衝撃的な本だった。
あるいは、こう云い直してもいい。
そこそこの会社で正社員として働いてきて、なんとか人生の中盤以降まで安穏と生きてきた者にとっては、深く考えさせられる本だった、と。
ぜひ私よりも上の団塊の世代にも読んでもらいたい。あなたがたの子供たちは、これほどに傷つき、これほどに悩み、そして今「ロスジェネ」(ロストジェネレーションのこと)の名のもとに必死に生きようとしているのだということを、わかってもらいたい。
06/26/2009 図書館に行こう

今日はそれについて書いてみたいと思います。
6月20日付の朝日新聞の、「オピニオン」の頁です。
記事のタイトルは「売れ筋ばかりの図書館はいらない」。
ノンフィクション作家の佐野眞一さんのインタビュー記事です。
その中で、佐野さんは「売れ筋本」ばかりを揃える図書館に苦言を呈しています。
私も佐野さんの意見には全面的に賛成します。

本当にその本を図書館が何冊も購入する必要があるかということです。
図書館には読みたい人のニーズに応える必要がありますが、
でもそれは特定の本を複数購入することとは別の次元だと思います。
これは私たち予約をする側にも問題があります。
先の湊かなえさんの本でいえば、何十冊も保有している図書館であっても、
一年以上待たなければ貸し出しされない状態です。
一年待ってそれでも読みたいという人はいいですが、
旬の本はやはり旬なりの魅力があると思います。
佐野眞一さんは「本が好きだ、読みたいという情熱と、図書館にリクエストして半年一年
待ってもいいというのが、ぼくの中では結びつかない」と話しています。
そして、こうも話しています。ここは重要です。
図書館は宇宙に例えられますよね。本は散らばった星ですよ。
図書館での読書体験は、この星と星とをつないで星座を作ることだと思う。

未知の本に出会うことではないでしょうか。
それは新刊に限ったことではありません。旧刊にもすぐれた本はたくさんあります。
それでも予算のたくさんある大都市の図書館はまだめぐまれています。
地方の図書館こそ限られた少ない予算で新しい本を購入しなければならない。
いえ、多くは購入だってままなりません。
私は大都市の図書館と地方都市の図書館の蔵書移動があっていいと思うのですが、
費用負担の問題で難しいのかもしれません。

この日「図書館満喫の退職生活」という投稿が偶然掲載されていました。
その投稿には、
「つましい年金生活を送る者にとって、図書館はぜいたくを満喫できる貴重な存在」
と書かれていましたが、売れ筋本ばかりではなく、
そういう人にもっともっと本を楽しんで頂く工夫を、
図書館側もしていかなければならないと思います。
そして、私たち利用する側は売れている本だけでなく、
知の森を歩く楽しみをもっと身につけて欲しいと思います。

田中共子さんの『図書館へ行こう』という本にしました。
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「私は十八歳のとき、大学受験に失敗し、浪人生活に入ったが、受験勉強そっちのけで、中之島図書館にかよってロシア文学とフランス文学に耽溺した」と、作家宮本輝は「精神の金庫」(『命の器』収録)という短文に書いている。
多分その十何年か後、同じように大学受験に失敗した私も大阪の淀屋橋にある中之島図書館に友人と通うことになる。しかし、宮本氏のようにロシア文学が並ぶ書架の前で「全部読んでやる」と決意することもなく、読書室にいた女の子といつか付き合い始めた友人をうらやましく思いつつもそんな勇気もなく、やがてこの図書館に通わなくなった。
06/25/2009 岸和田の血:書評

困った。
実に、困った。
今回の本の著者中場利一さんの生まれたところと、
私が生まれたところは、実に近いのである。
岸和田市磯ノ上町、ここまでは同じ。
あとは番地のちがい。
だから、この『岸和田の血』に出てくる、
忠岡駅や春木駅周辺(いずれも南海電車の駅名)は
当然ながら私には「あそこだ」とわかってしまうのです。
それなのに物語の舞台となった「レンガ場」を、
私は知らないのです。
「もぐりやろ」と中場さんに怒鳴られそうですが、
知らないから仕方がない。
しかも、中場利一さんは1959年生まれですから、
私と四つしか違わない。
多分小学校(きっと大芝小学校)では同じ頃通っていたことになる。
幸か不幸か(きっと幸でしょうが)、中学(この本にも出てくる春木中学)は、
私が卒業してからですから、
すれ違いでした。
中場利一さんが『岸和田少年愚連隊』を書いたことも知っていましたが、
読まなかったんですよね。
なんか照れくさくて。
でも、今回はずばり『岸和田の血』ですから、
もううわーっていう感じです。
岸和田の人はどう思っているのかな。
まさか岸和田市の推薦図書になっているとも思えないのですが。
今回の書評はそういう意味では、
書きにくかったです。
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私の故郷に「しこる」という方言がある。
暴れる、という意味だろうか。小さい頃、母によく「しこりな」と叱られたものだ。
どちらかといえば禍々しい感じのする意味不明のこの言葉に後年、司馬遼太郎の『街道をゆく』<河内みち>の中で出会った時には実にびっくりした。そして、その書かれている内容にはもっと驚いた。
司馬の作品から引用する。「醜(しこ)というのは上代語では醜(みにくい)というより強悍という意味につかわれるし、乙女らはのっぺりとした雅士(みやびお)よりもあらくれた醜男(しこお)のほうに性的魅力を感じたりする。(中略)河内の国の古い村ではそういう古語がいまなお日常語として生きているのである」
私にとって、なにげなく使っていた日常語「しこる」が上代から続く古語ということが少し恥ずかしくもあり、面映ゆくもあった。
06/24/2009 若いうちに読みたい太宰治:書評

まだまだ太宰治です。
今回紹介するのは先に紹介しました『女が読む太宰治』と同時刊行されました、
ちくまプリマー新書の『若いうちに読みたい太宰治』という本です。
書いたのは、『声に出して読みたい日本語』シリーズでおなじみの、
齋藤孝さん。
『女が読む太宰治』よりも読みやすいですね。
若い人にはこちらの方を薦めますね、やっぱり。
この本では太宰の18作品が紹介されていますが、
それぞれに「自習」のような「宿題」のような欄がついています。
例えば『人間失格』には、
「世間とは自分にとってどんな意味を持つのだろうか」みたいな
問いがみっつ。
これって、ご愛嬌。
太宰はそういうこと絶対しなかったような気がしますけれど。
それに、そういうこととうまく折り合いがつかない人が、
太宰に近づくのではないかしら。
あちらの世界で太宰はどんな顔してるのでしょうか。
なお、今回の書評のタイトルは、
太宰の『新樹の言葉』の一節からとりました。
この本で紹介されていました。
君たちは、幸福だ。大勝利だ。そうして、もっと、もっと仕合せになれる。
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生誕100年にわく太宰治であるが、最近の数多い太宰についての文章にあまり「私小説」という言葉が聞こえてこないのがうれしい。
「私小説」というやっかいな表現方法がかつてほど論じられなくなったということかもしれないし、こと太宰についてはそれ以上に「語り口」や「ユーモア」といった魅力が見直されているとみていいのではないだろうか。
中学生や高校生といった若い世代向けに書かれた本書でも「太宰治の小説は、太宰治の実話のような気がして、読者がそこに入り込んでしまうという魅力もあります」(146頁)といった表現程度にとどめられている。
決して太宰の人生を深追いしない。
06/23/2009 劇画漂流 下巻:書評

昨日に続き、今日は辰巳ヨシヒロさんの『劇画漂流』下巻の書評です。
書評の中で「劇画」についての辰巳ヨシヒロさんたちの
見解を紹介しましたが、特に、
辰巳ヨシヒロさんが自ら書いた「劇画工房」旗揚げ時の挨拶状の内容は
大変興味をひきます。
本書下巻でもその時のハガキがそのままコマの中で使われていますが、
小さくてなかなか読めません。
書評の中で引用したのは、佐藤まさあきさんの著作からのものです。
それ以外にも、この下巻には面白いエピソードがあります。
それはつげ義春さんがあの有名なトキワ荘を訪れる場面です。
つげ義春の世界と赤塚不二夫の世界が見事に
交差していきます。
わずか数コマのエピソードですが、漫画の歴史を思うと、
とても印象に残ります。
今回の下巻には、この作品が出来上がるまでの経緯を書いた、
辰巳ヨシヒロさん自身による「あとがき」(これもいいですよ)と、
マンガ研究家中野晴行さんの「解説」がついています。
漫画の歴史に興味のある人にとって、
この『劇画漂流』上下巻は貴重な作品になると思います。
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漫画家辰巳ヨシヒロとは何者か。
上下巻およそ900頁に及ぶ、自伝的青春劇画である本作を読めば、辰巳が、あるいは辰巳の仲間たちが成し遂げてきたことがよくわかる。本作にも登場する佐藤まさあき(2004年没)の『「劇画の星」をめざして』と題された<劇画内幕史>の中で、佐藤は辰巳のことをこう書いている。「彼なくしては、こんにちの劇画の発展はなかったと思う」と。
佐藤は表現方法として「マンガであることを離れ、劇画に移行していった」のは辰巳の『開化の鬼』が最初であろうとしている。この頃の辰巳の苦悩は本作上巻でよく描かれている。
06/22/2009 劇画漂流 上巻:書評

先日講演記録を書きました「手塚治虫文化賞」で、
マンガ大賞を受賞された、辰巳ヨシヒロさんの『劇画漂流』を
やっと読み終えましたので、今日と明日、
その書評を書いてみます。
この本は漫画本です。
でも、上下二巻でしかも分厚い。
それに内容も面白く、読み応え十分な本です。
漫画というよりも、劇画が誕生するまでの歴史が
よーくわかる本です。
辰巳ヨシヒロさんは昔「COM」とかを読んでいた頃に
いくつか読みましたが、
社会の底辺で生きる人々を描いた、
暗い作風が印象に残っています。
だから、まったく未知の漫画家ではないのですが、
「劇画」の生みの親だというのは知りませんでした。
この上巻では手塚漫画ではない漫画を模索し始める、
主人公の苦悩がよく描かれています。
当時の彼らにとっては、映画の表現方法が
参考になったようですね。
でも、それもやはり手塚治虫さんが初めていたことです。
手塚治虫さんが雑誌の世界にいって十分な表現空間を持たなくなったことで
それがどんどん子ども向けになっていく。
辰巳ヨシヒロさんにとって、そういう手塚治虫は反面教師のような
存在であったかもしれません。
明日の下巻の書評では、
「劇画」とは何かを書いてみたいと思います。
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第13回「手塚治虫文化賞」マンガ大賞受賞作品。
漫画家辰巳ヨシヒロの上下およそ900頁にも及ぶ、渾身の自伝的青春漫画である。
考えれば、劇画ほど「漫画の神様」手塚治虫を苦しめたものはなかったのではないだろうか。劇画がその勢力を拡大するなかで、手塚の(子ども向け)漫画は時代遅れのレッテルを貼られ、もう手塚の時代は終わったとまで揶揄されるようになる。しかし、周知のように手塚は劇画の手法を取り入れながら大人が読みうる漫画作品を後年続々と発表していく。そのような劇画の歴史を扱った作品が手塚治虫の名前を冠とする賞を受賞するのであるから、文化とはなんと懐深い流れであろう。
06/21/2009 猫めしの丸かじり:書評

今日は二十四節気のひとつ、「夏至」です。
子どもの頃に習いましたが、
一年でもっとも昼が短い日です。
「夏に至(いた)る」なんて、美しい言葉ですよね。
夏至の季語を使ったいい俳句がありました。
夏至ゆうべ地軸の軋む音すこし 和田悟朗
なんだか、本当にそんな音が聞こえてきそうです。
それとまったく関係なく、
今回紹介している本は東海林さだおさんの、
『猫めしの丸かじり』。
いわゆる食べ物エッセイです。
「猫めし」とは何かについては書評に書きましたが、
奥の深い食べ物です。
東海林さだおさんのエッセイは本当に面白い。
梅雨どきの憂さ晴らしにはちょうどいいかもしれません。
ちなみにこの文庫本では料理愛好家の平野レミさんが
解説を書いています。
平野レミさんはイラストレーター和田誠さんの奥さん。
解説の中であの伝説? の愛猫シジミも登場します。
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恥ずかしながら、五〇も半ば近くに、ショージ君の面白さを初体験(えへへ)しました。
わが読書生活のなんと薄っぺらなことかと、今更悔やんでも仕方がないですが、なんともクヤジー。
でも、だんな(と、ちょっと時代劇風です)、こんなおいしいものを若いうちから知ってしまうと、いけませんぜ。
毎日毎日楽しくてしかたがないなんていけません。そんな生活が続くはずがない。
人間、時には苦労っていうものが必要です。
若いうちから贅沢はダメ。
おいしいのは最後にとっておかないと。
だから、五〇も半ば近くがショージ君適齢期。
読んではクスクス。見てはハハハハ。
人生の苦労なんて、とんでいけーー、なのです。
06/20/2009 俳句力:書評

先の『俳句表現は添削に学ぶ』(鷹羽狩行・西山春文)に続いて、
立て続けての、俳句の「学習書」である。
今回は櫂未知子さんの『俳句力』。
副題は「上達までの最短コース」。
たまたま本屋さんで二つの本が並んでいたので、読書が続きました。
私は『俳句表現は添削に学ぶ』から読んでいますが、
俳句をこれから始めたいという人は、
今回紹介した『俳句力』からの方がとっつきやすいと思います。
幅広く書かれていますので、
作句には役立つと思います。
この本では「直喩」のことにも触れられています。
「直喩」というのは「~のようだ」という表現ですね。
例えば、
やり羽子や油のやうな京言葉 高浜虚子
みたいな使い方です。
私が作句する時、この「直喩」をできるだけ避けていました。
安易になりすぎるというのが理由なのですが、
今度ちょっと挑戦してみようかと誘惑されてしまいました。
でも、本当にこれは創作としては危険なんですよね。
俳句とは安易に流れやすい文芸でもあるので、
十分注意が必要です。
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初めて俳句を詠んだのはいつだったろうか。
その時どんな句を詠んだのかももう覚えていないが、見様見真似でもう何年もぽつぽつと詠んでいる。でも、何かもうひとつ突き抜けることがない。
そういった心境のことを本書では「俳句五月病」と書かれている。少し引用すると、「五七五という定型にもすっかり慣れた、季語も実作を通してかなりマスターできた。調子の波はあっても、常にそれなりのレベルの作品はできるようになった。しかし、何かが足りない。「もう一歩」の壁を打ち破っていない」(53頁)ということになる。
本書は「初心者から句会の指導をなさっているかたまで、それぞれの段階における悩みを解決すべく」(155頁)、たいへんわかりやすく書かれた「俳句学習書」といえる。
06/19/2009 それぞれの太宰治

そして、今日、生誕100年を迎えます。
彼とは、そう、太宰治です。

関連本の出版もぞくぞくと出ています。

既存の文庫本は装丁を変え、
新たにラインナップに加える文庫本もあります。
文春文庫で出た時はなんかイメージが違うなぁと感じました。
私にとって、太宰治は新潮文庫でありちくま文庫ですね、やっぱり。
そういえば、新潮文庫の太宰作品の出版部数が
先日朝日新聞に出ていました。
第1位が『人間失格』で628万部、2位が『斜陽』で360万部、
私が初めて手にした太宰本である『きりぎりす』は64万部。
でも、これってやっぱりすごいですね。
まさに根強い人気です。
そして、生誕100年の今年、それがヒートアップしています。
関連本の話をすれば、
ちくまプリマー新書から出た『女が読む太宰治』『若いうちに読みたい太宰治』などが
人気を集めているようです。
ちょっと異色だなと思ったのが『人間失格ではない太宰治』(新潮社)でしょうか。
「爆笑問題」の太田光さんが編集されています。
とにかく、『走れメロス』ではないですが、「走れ出版社」状態です。

生家の「斜陽館」をめぐる旅や作品『津軽』にちなんでの旅など
あの手この手。こちらも「走れ鉄道」状態です。
映画界もそうですね。
『斜陽』に『ヴィヨンの妻』、さらには『パンドラの匣』、
来年には『人間失格』も映画化されるとか。
NHKも負けてはいません。
先日(6.17)「歴史秘話ヒストリア」という番組で
太宰を取り上げていました。
とにかく みんな走る、走る。
せっかくだから、一緒に走ろうかという気分になったりして。

太宰最後の様子を『新潮日本文学アルバム 太宰治』から引用しますね。
昭和23年6月13日夜半、(山崎)富栄の部屋に二人の写真を
飾って間に合わせの仏壇をしつらえたあと、降りしきる雨の中
を太宰と富栄は近くを流れる玉川上水に入水した。
(中略)
入水一週間後の6月19日早朝、投身推定箇所より2キロほど
下流で二人の遺体が発見された。奇しくもその日は、太宰治、
満39歳の誕生日に当たっていた。
「桜桃忌」は俳句の世界では夏の季語です。
俳人たちはどう詠んでいるのか。
手元の「歳時記」を開いてみます。
黒々とひとは雨具を桜桃忌 石川桂郎
若者が墓と肩組む桜桃忌 石河義介
石川桂郎さんの句にこんなのもあります。
太宰忌の蛍行きちがひゆきちがひ
なんだか太宰と富栄の魂のような作品です。

乳のみ子の乳房ほしがる桜桃忌
これは私の句。
なんとなく、太宰を考えていたら、こういう情景が浮かんできました。
元気で行こう。
絶望するな。
では、失敬。 『津軽』より
06/18/2009 現金は24日におろせ! :書評

今回は毎度おなじみの、小宮一慶さんの新刊、
『現金は24日におろせ!』です。
副題が「これからの時代を生き抜く本当のマネー術」ですが、
書評にも書いたように、決して「お金」の本ではありません。
人生の指針を考える本という方が合っています。
最近小宮一慶さんは続々と本を出されていますが、
一番新しいのが『一流になる力』(講談社)で、まさに
今回紹介した『現金は24日におろせ!』の最後の章とリンクしています。
それと、今回の書評の中で、『鉄人28号』の話を書いていますが、
これは横山光輝さんの漫画で、アニメにもなりました。
アニメは昭和38年(1963年)です。
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グリコがスポンサー。
昔は菓子メーカーが子どもアニメのスポンサーを多くしていましたね。
ちなみに『鉄腕アトム』は明治製菓。
この『鉄人28号』もアニメ草創期には欠かせない作品です。
主題歌はこんな歌詞(作詞:三木鶏郎)で始まります。
ビルのまちに ガオー
夜のハイウェイに ガオー
その二番の歌詞がこうです。
ある時は 正義の味方
ある時は 悪魔の手先
いいも わるいも リモコンしだい
この「リモコン」を「価値観」に変えてみると、
小宮一慶さんが書きたかったことがわかると思います。
![]() | 現金は24日におろせ! (2009/05/26) 小宮 一慶 商品詳細を見る |


『現金は24日におろせ!』という書名を見て「うむ。どういうことだろう」と興味をひかれる人と、「ははん、多分ああいうことを書いているんだろうな」と直感的にわかる人がいると思います。書名から受けるこの印象で、あなたのマネー感覚がわかるのではないでしょうか。
企業で働く人の多くは毎月25日が給料日です。そして、この日は銀行の窓口が大変混雑する日でもあります。つまり、お金をおろすのに会社のお昼休みの時間をめいっぱい使うことになります。経営コンサルタント小宮一慶氏はそういう時間コントロールではだめだと言います。そして、それがひいてはお金のコントロールもおろそかにする原因になるとしています。
本書はそのように一見お金の本のようですが、時間管理の本でもあり、生活術の本でもあり、大きくいえば「人生読本」でもあるのです。
06/17/2009 経営を見る眼:書評

今回紹介した伊丹敬之さんの『経営を見る眼』は、
2007年に出版された「経営入門書」です。
このあと、日本だけでなく世界的規模の不況になり、
経営を取り巻く環境は当時とは様相が一変しています。
ただ、この本の副題に「日々の仕事の意味を知る」とあるように、
この本が教えてくれることは、
こういう時代だからこそ、もう一度多くの人が、
理解し、考えないといけないことだと思います。
ちなみに、伊丹敬之さんは企業家でも経営コンサルタントでもありません。
大学の先生です。
「学問」と「現場」は違うという人はいるかもしれませんが、
私は「学問」で精錬された知恵は使わないと損だと思っています。
それに本書ができるまでには社会人学生との議論も
参考にされているようで、
「現場」に近い目線ではないでしょうか。
「学問」もより「現場」の声を聞く、
仕組みづくりが必要だと思います。
![]() | 経営を見る眼 日々の仕事の意味を知るための経営入門 (2007/06/29) 伊丹 敬之 商品詳細を見る |


企業とは、良きにつけ悪しきにつけ、縦のピラミッドでできている。
小さな企業ではそのピラミッドの数が少なく、大企業ではそれが無数にあると思えばいい。けれど、経営者を頂点にして、底辺に広がる三角形であることは事実だ。
そして、そのピラミッドは組織を構築する数だけある。中間管理職の多くはそれぞれのピラミッドの頂点だ。
人は大小にかかわらず、まずその頂点を目指す。最初は小さなピラミッドでもやがてはより大きなピラミッドの頂点を目指す。あるいは、唯一の経営者をめざす人もあるだろう。
本書は「企業組織の中でマネジャーやさまざまな立場のリーダーになることをめざしている人たち」、すなわち「働く人の側に立っ」た、経営入門書である。
06/16/2009 ヘンな事ばかり考える男、ヘンな事は考えない女:書評

今回は、今文春文庫でキャンペーン中の、
「いい男感想文」に応募した書評を紹介します。
なにしろ、この「いい男感想文」、
毎月最優秀作には35万円が出るのです。
すごいな、欲しいな、唾のみこんじゃいました。
どうして35万円かというと、
文春文庫は35周年なんですよね。
早く100周年にならないかな。
そうしたら、賞金100万円ですものね。
でも、それまで生きていないでしょうね、残念ながら。
それで、どの本の感想文にしようかと考えて、
選んだのが東海林さだおさんの、
『ヘンな事ばかり考える男、ヘンな事は考えない女』。
実は東海林さだおさん、初体験だったのですが、
面白いこと、面白いこと。
抱腹絶倒の連続です。
しかも、うまい。
だから、どんどん読んでしまいます。
本気で書評のタイトルではありませんが、
ショージ君に活路がありそうな気がしています。
![]() | ヘンな事ばかり考える男、ヘンな事は考えない女 (2002/01) 東海林 さだお 商品詳細を見る |

なーんだ。
と、ショージ君を読んで、ホッとしている。
「いい男は?」と問いかけられて、ハタと困っていたところだ。
坂本竜馬のように颯爽とした男か、はたまた天才科学者湯川学のような知性派か、作家でいえば吉行淳之介さんのスマートがいいなあ。
しかし、です。
こちらは、メタボで老眼、それに最近やや物忘れ激しく。
きどった文章を書こうとすると、うんうんうん、キーボードのUとNしか触れない。
それで、「いい男」を書こうとするのだから、こりゃあ、無理というもの。
そう、ショージ君に出会うまでは。
06/15/2009 俳句表現は添削に学ぶ:書評

今日は新聞休刊日。
なので、毎週月曜に朝日新聞朝刊に掲載されている
「朝日俳壇」は、昨日日曜の掲載でした。
以前その「朝日俳壇」の採用されたと歓喜しましたが、
やっぱりその後はボツ・ボツ・ボツ・・・。
これはつらい。
そこで、今回の鷹羽狩行さんと西山春文さん共著の
『俳句表現は添削に学ぶ』です。
勉強になりました。
俳句を詠むのは大変です。
わずか十七文字が浮かばない。
この時、指は重要ですよ。
五・七・五って折らないといけませんからね。
できる時は、パッと浮かびます。
そこからがよくないということが、この本を読んでよくわかりました。
お酒でいう、醗酵が足りないのです。
ひらめきは大事だけど、作品として完成させるには、
冷静にならないといけません。
修行が足りませんね。
反省しながら、この書評を書きました。

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以前、俳人の黛まどか氏と脳科学者茂木健一郎氏の対談集『俳句脳』という本の書評で、「俳句とは、読むのに難儀で詠むことにたやすい文芸」と書いたことがある。
その本の中では黛氏も俳句が「基礎練習や助走なくしていきなり」創作が楽しめる表現方式だと述べていたが、実はそのことの裏返しとして、俳句の難しさがあるし、俳句の奥深さがあるといえる。だから、本当は「読むことにたやすく詠むのに難儀な文芸」なのだと言い直すべきかもしれない。
06/14/2009 私の好きな作家たち 第十一回 村上春樹

『1Q84』がすごく売れています。
あっという間に100万部ですから、すごい、すごい。
そこで、新作発表を記念? して、
「私の好きな作家たち」の第十一回めは、村上春樹さんでいきますね。

おそらく現役の作家で、ずっとその作品を読んでいるというと、
村上春樹さんになるでしょうね。
村上春樹という名前を聞くだけで、腰が浮いてしまうというか、
これは読まずにいられない、って思ってしまう。
小説だけでなく、エッセイ、翻訳、どれもいい。
でも、まさかこんなにエラくなるとは
思ってもいませんでしたね。
神宮球場がなかったら、村上春樹はいなかったのでしょうか。
そう考えると、すごいな、神宮球場って。

でも、たぶん私が一番最初に読んだのは『羊をめぐる冒険』。
だから、ちょっと遅れてそれまでの数冊を読んだことになります。
『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』が、新潮社の
「純文学書下ろし特別作品」で出た時は、ちょっと驚きましたね。
もうこのシリーズ(純文学書下ろし特別作品)に書いちゃったの、みたいな。
この時期並行して短編集もどんどん出ます。
今でも大好きですし、もしかしたら一番好きかもしれない、
『中国行きのスロー・ボート』。
そして、どんどんエッセイもでましたよね。この頃。
『村上朝日堂』『日出る国の工場』とか。
文章の書き方まで、村上春樹に似てくるのですから困ったものです。
やれやれ。

あの時本屋さんに並んだ、赤と緑の表紙の美しかったとことといったら。
光輝いていましたよ。
あの作品のあと、「漱石の再来」だとか「国民的作家」なんていわれるように
なりましたが、私としてはそんなことはどうでもいい。
ただ村上春樹の作品を読みたい、それだけでしたね。
だから、今回の新作『1Q84』も売れることはいいことですが、
あまりにも熱狂しすぎて、バカげているように思います。
このままだとノーベル賞にたどりつくかもしれませんが、
それはそれでいいことですが、
『中国行きのスロー・ボート』あたりの繊細さが恋しい。
どうも最近の村上春樹さんはタフに感じます。

最近の『キャッチャー・イン・ザ・ライ』や『長いお別れ』といったように、
村上春樹訳による新訳がどんどんでていますが、
やはりレイモンド・カーヴァーですよね。
『ぼくが電話をかけている場所』なんていうタイトルそのものが、
村上春樹です。

大江健三郎もフィッツジェラルドもチャンドラーも読んでない人に
村上春樹の本の書評はかけない
なんていうことを書いている文章を目にしましたが、
音楽やお酒や外国もそうかもしれないと思います。
本当はそういうことを全部含んで村上春樹さんの魅力なんでしょうね。
『ねじまき鳥クロニクル』(1994)は少し難解でした。
というか、あの作品あたりから、村上春樹さんが書こうとする
心の闇みたいなものが鮮明に出てきたように思います。
もっと簡単にいえば、村上春樹はすごくおしゃれな作家ですが、
根っこにはどうしようもない闇が最初からある。
初期の「羊男」なんていうのはまるでメルヘンみたいですが、
やっぱりすごく怖い存在だと思うんですよね。

またいずれ村上春樹さんのことは書くでしょうから、今回はここまで。
やれやれ。
06/13/2009 映画『劔岳 点の記』を観てきました


試写会は久しぶりです。
昔はよく行きましたね。
特に高校生の頃は、毎週行っていたかもしれません。
せっせと試写会の応募ハガキを書いていましたよ。
当たるようにイラストなんか描いたりしてました。
その当時は「中ノ島ホール」(大阪です)なんかでよくしていました。
で、今回は浦和にある「ユナイテッド・シネマ浦和」での試写会。
今や映画館で試写会をする時代なんですね。

この試写会は「東京新聞ショッパー」という情報誌さんと、
先ほど書いた「ユナイテッド・シネマ浦和」さんの企画です。

話題の映画が先行で(しかも無料で)観れるだけじゃなくて、
「東京新聞ショッパー」さんからはトートバック、
「ユナイテッド・シネマ浦和」さんからはブックカバーを
頂いちゃいました。
しかも、ですよ、
そういうプレゼントが色々はいった袋の中に、
「当選おめでとうございます」なんていう紙片がはいっていたのです。
なんと、それが本のプレゼント。

こんなにもらっちゃっていいのかな。
そんなに日頃いいことしてるとも思えないのですが。

今回の最後に、短評を書いておきましたが、
前振りで書きますね。
『劔岳 点の記』は「伝説の活動屋」といわれる木村大作さんが、
その長い映画人生で初めて監督をした作品です。
原作は新田次郎さん。
この映画、撮影期間2年、撮影日数200日以上というから、
大作といっていい。
お金かかっていますよ、きっと。
この『劔岳 点の記』の宣伝コピーが、
誰かが行かねば、
道はできない。
というものですが、まさに木村大作監督もそういう気分だったのでしょうね。
これは友人に聞いた話ですが、
あの高倉健さんの映画はほとんど木村大作さんが撮影したとか。
06/12/2009 「できる」と思えば「必ずできる!」心理学:書評
書評こぼれ話
今回紹介しました和田秀樹さんの、
『「できる」と思えば「必ずできる!」心理学』は、
常々、私の中で「どうして前に進めないのだろう」という疑問があって、
それで見つけ出した本です。
前に進めないのは、
失敗することが怖い、恥ずかしい、という気持ちがあるんでしょうね。
あるいは「厚かましい」というのもそうかもしれません。
しかし、一体誰に「恥ずかしい」のでしょうか。
誰に「厚かましい」のでしょうか。
書評の中でも書きましたが、最近私はそれらは「能力」だと
考えています。
「能力」であるなら、私たちは「学習」し、「訓練」し、「習熟」することが
できるのではないか、と考えています。
本を読むことも確かに一つの「行動」です。
そして、その書評を書くのも、次の「行動」です。
あるいは、こういう本の中で紹介されていることを信じて、
一つでも同じようにやってみる。
うまくいかないかもしれない。
その時「やっぱり自分にはできない」と諦めるのではなく、
別の方法でやってみる。
そういうことが大切なんでしょうね。
「じゃあ、お前はどうなの?」と聞かれると、
いささかつらいのですが、
そういう悩み多き人間が書いた文章として、
今回の書評をお読み下さい。
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どうして一歩、前に踏み出せないのだろう。
そう思うことがしばしばあります。多くの人がそういう悩みを抱えているのではないでしょうか。
精神科医和田秀樹さんの本書は、そういう人の悩みや迷いを解明し、前に踏み出すための勇気を与えてくれる一冊です。
しかし、前に踏み出すのは、著者ではありません。
私自身だし、前に出ることを怖れているあなたです。
だから、本書を読んでも何もしないのであれば、この本は何も価値を生み出さないでしょう。
この本を読んだから「できる」のではありません。まず、「できる」と思うことから始めて、この本を開いてみて下さい。
06/11/2009 ヨンイのビニールがさ:書評

今日は、入梅。
立春から127日めにあたる日をそのように呼んでいたそうです。
そろそろ全国的に梅雨入りでしょうか。

梅雨というのは、梅の実が熟する頃なので
「梅の雨」と書かれるとか。
またカビがはえやすい時期でもあるので
「黴雨(ばいう)」と呼んだりします。
雨といえば、こんな童謡を思い出します。
あめあめ ふれふれ かあさんが
じゃのめで おむかい うれしいな
ピッチピッチ チャップチャップ ランランラン
これは「あめふり」という童謡で、北原白秋さんの作詞。
今の人に「じゃのめ」といってもわからないでしょうが、
これは蛇の目傘。
今回紹介する『ヨンイのビニールがさ』は韓国の絵本なんですが、
なんとなくこの「あめあめ ふれふれ」を歌っていた、
子どもの頃を思いだします。
本好きにとって、雨に閉じ込められ、
じっと本を読むというのは素敵な時間でもあります。
そんな時には、絵本なんかも
いいかもしれませんね。
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この本は、物語を書いた人や絵を描いた人の名前でわかるように、韓国の絵本です。
まだ暮らしぶりがそれほど豊かではなかった、もちろん今はたいそう豊かになりましたが、1980年の初めに書かれました。
だから、ビニールがさといっても、どことなくごわごわしていますし、柄の部分も木でできています。おしゃれだとか便利だということでなく、むしろ布製の傘が買えない貧しい人たちが使っていました。
あるいは、道も舗装がされていません。ですから、雨が降ると、水たまりができ、やがて泥んこになってしまいます。そんな時代のお話です。
それは韓国という別の国だからではありません。私たちのこの国でも、何十年前はそうでした。そのことを忘れてはいけません。
06/10/2009 「父」手塚治虫の素顔:書評

今日は時の記念日。
時間といえば、手塚治虫さんの漫画に『ふしぎな少年』という作品があって、
これを原作にしたTVドラマが昔NHKで放映されていました。
調べてみると、このドラマが放映されたのが1961年から1962年。
私の6歳の頃の作品です。
太田博之さんが主人公の少年を演じていました。
若い人は太田博之さんといっても知らないと思いますが、
今風にいえば「イケメン」俳優のはしりではないかしら。
その少年が、
時間よとまれ
というと、本当に時間がとまってしまうというドラマです。
よく、「時間よとまれ」って遊んだものです。
今回は、そんな手塚治虫さんの素顔に迫る、
息子さんの手塚眞(まこと)さんの『「父」手塚治虫の素顔』です。
「時間よとまれ」って本当に願ったのは、締め切りが迫った
手塚治虫さんご自身だったのでしょうね。
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「漫画の神様」手塚治虫は今年生誕八十周年を迎えます。
当然存命であれば、八十歳の誕生日を迎えるということで、あるいは「八十歳の手塚治虫氏、新作発表 いまだ意気軒昂」なんていうニュースがあっても不思議ではなかったと思います。
しかし、残念ながら、手塚治虫は二十年前、まだ六十という年齢で亡くなってしまいました。
手塚治虫を失ったことは悲しい。でも、「漫画の神様」は私たちにいつまでも古びない多くの作品と、「その作品とともに育ち、それに親しんできた」たくさんの子どもたちを残してくれました。
そのことに感謝します。
06/09/2009 女が読む太宰治:書評

太宰治が好きです。
正確にいえば、好きでした、になるのかもしれませんが。
以前、「私が好きな作家たち」にも書きましたが、
若い頃、お決まりのように太宰にハマりました。

今回紹介するのは12人の女性による太宰論、
『女が読む太宰治』です。
この中で、雨宮処凛(あまみやかりん)さんが、
自身の高校時代の記憶としてこんなことを書いています。
高校で太宰ブームが起こった時のことです。
「休み時間と言えばエロ本とオナニーの話しかしていなかった
彼ら(男子生徒のこと)が、突然眉間に皺を寄せたかと思うと、苦悩した
顔で「人生」なんかを語り始める。」
するどい、女子生徒だったんですね、雨宮処凛さんは。
まあ、私もそういう状況だったと思います。
太宰の魅力は色々あると思いますが、
なんといっても「太宰だけが私のことを理解してくれる」みたいな、
大きな誤解が彼の文学の魅力だと思います。
それが若者の孤独に合う。
太宰がもてたのも、そういうところかもしれません。
母性本能がくすぐられるのでしょうね。
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今年生誕百年を迎えた「太宰治」が本屋さんにあふれている。
彼の著作の新装版だけでなく、「○○太宰治」「太宰治△△」といった関連本まで多種多様である。太宰がどうのこうのではなく、出版社、編集者の企画力の力比べの様相だ。
案外マーケティング事例として、このブームをのぞいてみるのも面白いかもしれない。
本書は「ちくまプリマー新書」から出版された太宰関連本二冊のうちの一冊(もう一冊は齋藤孝著『若いうちに読みたい太宰治』)である。女性の視点からみた太宰治という点では、たくさんの関連本の中でも食指が動く一冊といっていい。
06/08/2009 「手塚治虫文化賞」贈呈式に行ってきました 【後編】

パチパチパチ。あ、これ、拍手の練習です。
よし。大丈夫。いよいよ、100万円の贈呈式です。
まずは、「マンガ大賞」のよしながふみさん。
きれいなお嬢様。辰巳さんとのW受賞を素直に喜んでおられました。
次に、同じく「マンガ大賞」の辰巳ヨシヒロさん。
辰巳ヨシヒロさんといえば、「劇画」の名付け親みたいな人。
壇上で、高々と両手をあげて喜んでおられました。
そして、おっしゃったのが、
うれしくて、うれしくて、ルンルン
という言葉。受賞の喜びが素直に出た、いい言葉でした。
辰巳さんは若い頃にまだ東京進出前の手塚さんとも会われています。
その時のことは「至福の3時間」だったそうです。
今回受賞された『劇画漂流』の中にもその時のエピソードが出てきます。
次は「新生賞」の丸尾末広さん。
若い頃に作品をみてもらおうと色々な人に作品を送ったが、
返事があったのは手塚治虫さんと寺山修司さんだったそうです。
最後は「短編賞」の中村光さん。
とってもお若いお嬢さんです。
よしながふみさんもそうですが、
こういう若い才能ってマンガでは当たり前なんでしょうかね。
パチパチパチパチ。
みなさん、副賞の100万円もらって、
ちがった、
正賞のアトムのブロンズ像に感激されていました。
私の拍手も練習の成果がありました。

06/07/2009 「手塚治虫文化賞」贈呈式に行ってきました 【前編】

行ってきました。
もちろん、私が受賞したのではありません。
完全にヤジ馬です。
でも、拍手の練習はちゃんとしておきました。
パチパチパチ。
うん。完璧な拍手。

「日本のマンガ文化の発展、向上に大きな役割を果たした手塚治虫氏の業績を
記念し、手塚氏の志を継いでマンガ文化の健全な発展に寄与すること」を
目的に創設された、格式ある賞なんですね。
その年に刊行された作品の中からもっとも優れた作品に「マンガ大賞」が贈られます。
1997年の第1回「マンガ大賞」は、藤子・F・不二雄さんの『ドラえもん』。
その他に、斬新な表現や画期的なテーマに贈られる「新生賞」、
すぐれた短編に贈られる「短編賞」があります。


よしながふみさんの『大奥』と辰巳ヨシヒロさんの『劇画漂流』。
「新生賞」は丸尾末広さんの『パノラマ島綺譚』、
「短編賞」が中村光さんの『聖☆おにいさん』。
みなさん、おめでとうございます。
選考経緯とか作品の内容とかは、
4月19日や6月5日の朝日新聞をご覧になって下さい。
よーくわかります。
ということで、その贈呈式が雨の金曜、
浜離宮朝日小ホールで行われました。
贈呈式というぐらいですから、何か贈呈されるわけで、
何かというと、正賞がブロンズ像、副賞が100万円。
いいな、いいな。
100万円もいいけれど、正賞のブロンズ像がいいんですよね。
アトムをかたどった像なんですよね。
会場はもちろん関係者の方たちもたくさんおられましたが、
一般の読者の招待もあって、およそ300名ぐらいいたかな。
開演間近になってはいってこられたのは、
藤子不二雄Aさんではありませんか。
そうそうそう、『怪物くん』とか『忍者ハットリ君』とかの巨匠です。
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なんか始まる前からテンションあがりました。

06/06/2009 もう一度読みたい昭和のマンガ

題して、「もう一度読みたい昭和のマンガ」。
うわーっ、なになに、と興味深々で読みました。
調査の方法は朝日新聞の「アスパラクラブ」というところで
アンケートを実施したとあります。
回答者は3630人。男の人が2304人、女の人が1326人。
年齢は50代の人が一番多くて、次が40代。
こういうのって、結構アンケート結果に響きますよね。

ジャンジャジャーーーン。
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『あしたのジョー』でした。
おっと、そうきましたか。
なんとなく手塚治虫さんの『鉄腕アトム』かなって思いましたが。
(ちなみに『鉄腕アトム』は第5位)
第2位が『サザエさん』で、第3位が『いじわるばあさん』と、
さすが朝日新聞の読者アンケートだけあって、長谷川町子さんが続きます。
そして、第4位が『巨人の星』。
なるほどなるほど。

『宇宙戦艦ヤマト』(6位)『カムイ伝』(7位)『ベルサイユのばら』(11位)
『おそ松くん』(17位)『のらくろ』(35位)・・・
『ドラえもん』が18位なのは昭和のマンガというイメージではないのかも。
大和和紀さんの『あさきゆめみし』『はいからさんが通る』が25位、26位と
続きます。
おっと、『鉄人28号』が30位なのは意外に低い。
それでいったら、石ノ森章太郎さんの『サイボーグ009』も28位では低すぎる。
というか、石ノ森章太郎さんがこれ一冊だけというのがおかしいような。

ただ、同じ梶原一騎さんの原作(『あしたのジョー』は高森朝雄で書いていました)
では、ほんのわずかで『巨人の星』をあげるかな。
学習したのは、やはり『巨人の星』です。
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ただ、作品の出来では、ラストシーンも含め、『あしたのジョー』が数段
上回るように思います。
思い出しましたが、中学生の頃につけていた日記に、
「明日のために」って表題をつけていたのは『あしたのジョー』の影響ですね。
「明日」はどんなものだろう。
誰もがそんなことを思いながら、あのマンガを読んでいたのかもしれません。
あなたなら、何を選びますか。
06/05/2009 働き方―「なぜ働くのか」「いかに働くのか」:書評

今回紹介しました、稲盛和夫さんの『働き方』という本を読んで
いろいろ考えさせられました。
書評の中にも書きましたが、今雇用状況は極めて悪化しています。
「働く」ということは憲法の中でも「すべての国民は、勤労の権利を有し」と
定められています。
しかし現実には二人に一人しか求人がないという状況です。
そういう中で「働くことの意義」といわれても、
どうしようもない人もいると思います。
誤解を恐れずに書けば、
私も「無所属の時間」を過ごすようになって、
まもなく一年になろうとしています。
仕事がないのですから、どうしようもありません。
ただ、だからといって何を嘆くことがありましょう。
仕事がないことが全人格を否定するものではないのです。
今回の書評を読んで、甘いと感じる人もいると思います。
しかし、私は稲盛和夫さんのいう、
思いは必ず実現する
は、正しいと信じています。
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稲盛和夫氏の著作に、「経営の神様」松下幸之助氏の講演会に初めて参加した時のエピソードが度々出てきます。まだ京セラを創業したばかりの頃です。
有名な「ダム式経営」の話をされた松下氏に、「どうすれば余裕のある経営ができるのか、具体的な方法を知りたい」という質問がでます。そのときの松下氏の答え「それは思わんとあきまへんなぁ」に、会場には失笑がもれたとその場にいた稲盛氏は記憶しているのですが、氏自身は「身体中に電撃が走る」ほどに、その答えに感銘を受けるのです。
「思わなければ何も実現しない、このことは仕事のみならず、人生における鉄則でもあるのです」(82頁)と、このエピソードにつづいて本書に書かれています。さらに、重ねて稲盛氏はこう続けます。
「思いは必ず実現する」。
06/04/2009 奇縁まんだら 続:書評

今回は瀬戸内寂聴さんの『奇縁まんだら 続』を紹介します。
「続」とあるように、「正」もあります。
すでに、このブログでも紹介しましたね。

この『奇縁まんだら 続』も日本経済新聞に連載されていたものです。
単行本では「円地文子」「萩原葉子」「島尾敏雄」の三人の「奇縁」が、
書き下ろしで収められています。
今回の「続」の書評では、横尾忠則さんの挿画の素晴らしさを
できるだけ書くように心がけました。
うまく伝わったか、どうか。
話は変わるのですが、瀬戸内寂聴さんでどうしても
書いておきたいことがあります。
5月22日の朝日新聞に掲載された、本についての瀬戸内寂聴さんのコメントです。
「国民読書年」の特集記事の中にありました。
瀬戸内寂聴さんは、子供時代に本に夢中になった話をされています。
文学の力というものに、圧倒的に魅了された。
それは人に教えられたのではなく、本そのものが教えてくれた。
と書いています。だから、
子供の頃からの読書習慣は大事だし、本の選択は子供に任せればよいと言います。
そのうえで、ここからがいいですよ、こう言います。
読書の究極の恵みは、
自分を識(し)り、他者を理解する力を与えられることだ。
瀬戸内寂聴さんがいう「他者を理解する力」は大事です。
そういうことを考えながら、『奇縁まんだら』(正・続)を読むと、
また面白いのではないでしょうか。
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今回は書きこぼさないうちに、「正・続」二冊の横尾忠則の挿画について、まず書いておく。
正編には五十三点、続編には五十四点の挿画が収められているが、これが実にいい。本から切り取って飾っておきたくなるくらいにいい。
横尾忠則自身、この正続二冊で紹介される瀬戸内寂聴の「奇縁」の人々に面識があったのかどうかはわからないが、ああきっとこの人はこのようであったのだろうと思わせる生気を感じさせるものが、彼の絵にはみなぎっている。
06/03/2009 書評の明日 第七回 井上ひさし氏と丸谷才一氏の解説文を読む

『打ちのめされるようなすごい本』についている、
二つの解説を読むことで、書評とは何かを、
もう一度考えてみたいと思います。
二つの解説と書きましたが、ひとつが井上ひさし氏。
そして、もうひとつが丸谷才一氏です。
特に丸谷さんについては、何回かこの連載でも書いてきましたが、
このブログで参考にした『蝶々は誰からの手紙』は、この解説の中でも
丸谷さんが「お読みいただけると有難い」と自信をもって薦めています。

少し解明できたのではないかと思います。
丸谷さんは「比較と分析」という言葉を使っておられますが、
そのためにも広い視野が書評を書く人に望まれると思います。
それと、自身の得意とする分野を持つことも大事です。
本を論じるのに、本だけでなく、その他の言語で読む解くと、
書評という読み物の視野が広がると思います。
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2006年5月に逝去した米原万理さんは、ロシア会議の通訳だけでなくエッセイ小説などの書き手としても高い評価を得た女性でした。そんな彼女はたくさんの本を読み、そしてたくさんの書評を私たちに残してくれました。この本は書評家米原万理さんの書評の集大成です。
しかも、単行本では井上ひさし氏が解説を書き、今回の文庫版には丸谷才一氏の解説まで加わりました。井上、丸谷両氏が絶賛した書評とはどのようなものか。
二人の解説から、書評とは何か、米原万理の魅力とは何か、が見えてきます。
06/02/2009 人生はロングラン―私の履歴書:書評

今回紹介するのは、森光子さんの、
『人生はロングラン―私の履歴書』です。
森光子さんの舞台『放浪記』2000回公演の達成は、
最近の明るいNEWSの一つです。
その時に、森光子さんの「私の履歴書」を読む、というのも
読書の面白さだと思います。
あの記念すべき公演で森光子さんが紹介された自身の川柳、
あいつよりうまいはずだがなぜ売れぬ
は、この本でも書かれています。
今回の書評タイトル「おかみさん、時間ですよ」は、
もちろん森光子さんのTVでの人気番組だった『時間ですよ』(久世光彦演出)の、
台詞からとりました。
私にとっての森光子さんはあの『時間ですよ』の銭湯のおかみさん。
その時、すでに森光子さんは50歳だったわけですが、
とてもそんな年齢には見えなかったですね。
その時の挿話も、今回紹介した『人生はロングラン―私の履歴書』に
ちゃんと出てきます。
![]() | 人生はロングラン―私の履歴書 (2009/04) 森 光子 商品詳細を見る |


女優の森光子さんのおめでたい話がつづく。
今年(2009年)の5月9日、自身の89歳の誕生日に主演する『放浪記』の舞台が2000回という前人未踏の公演記録を達成し、さらには女優として初めての「国民栄誉賞」の受賞も先ほど決定した。
そんな森光子さんが日本経済新聞の人気記事である「私の履歴書」に連載(新聞掲載は2007年12月)した文章に加筆して出版したのが本書である。
まことに今が読み頃、旬の一冊といえる。
06/01/2009 あ・うん:書評

今日から6月。

別名、水無月。
気候はちょうど梅雨なのに、水が無い月なのは、
陰暦の別名だからです。
今でいえば7月頃にあたります。
まさに梅雨が明けて水も涸れるところからきています。
写真は、ご近所の「額の花」。
額紫陽花(がくあじさい)ともいいます。
雨に打たれても見とれてしまう、好きな花です。
朝日新聞日曜の書評欄「百年読書会」(ナビゲーター重松清)の、
6月の課題本は向田邦子さんの『あ・うん』。
これはTVドラマとして1980年にNHKで放映されてもいますが、
今回はシナリオではなく小説版ということです。
ちなみに小説の『あ・うん』の発表もやはり1980年。
向田邦子さんはどちらを先に書いたのでしょうか。
この作品は1989年に降旗康男監督により映画化もされています。
主人公の門倉修造役が高倉健さん、水田仙吉役は板東英二さん、
そして、仙吉の妻たみ役が富司純子さん。
富司純子さんといえば、もちろん『緋牡丹博徒』のお竜さん。
いやあ、綺麗でしたよ、お竜さん。
さらにいえば、寺島しのぶさんは娘さん。
かなり私は好きですね。
閑話休題。横みちにそれすぎました。
向田邦子さんの『あ・うん』です。
この作品は仙吉と門倉の友情物語でもあるし、
仙吉の妻たみに寄せる門倉の恋の物語でもあるわけです。
「百年読書会」にどのような感想が寄せられるのかわかりませんが、
やはり門倉の秘めた恋についてのものが多いような気がします。
もしかしたら、向田邦子さんの恋そのものが、
門倉の恋だったのかもしれませんね。
越えてはいけない恋。
そういう辛さみたいなものを、向田邦子さん自身持っておられたのではと
思います。
今回も書評句を載せていますが、
ひらがなの「あ」から「ん」までの文字で物語ができている、
そういう思いで詠みましたが、
もちろん題名の『あ・うん』は、
神社の鳥居に並んだ狛犬「阿(あ)」と「吽(うん」からきています。
「あ」ははじまりの音、「うん」は最後の音。
宇宙の深い意味がある言葉のようです。
ついでに、今回紹介しました文春文庫の表紙は、
中川一政さんによるもので、そのことを向田さんは、
本書の「あとがき」に書いています。
その「あとがき」の最後に向田邦子さんはこう書いています。
夢は見るものだなと、五十を過ぎた今、思っている。
叶わぬ夢も多いが、叶う夢もあるのである。
こう綴った1981年の夏、向田邦子さんは亡くなるのである。
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あとうんに はさまれしもの 無邪気かな
落語のことを話芸というが、それでいえば向田邦子の作品こそ文芸といっていい。
軽妙で洒脱、それでいて艶がある。思わずうまいと膝を打つ。
それはこの作品で造形された人物たちの姿、会話だけでなく、人物たちの間に漂う微妙な関係の隅々まで行き渡っているし、時々の、たとえば「オットセイに寄りかかられたようだ」みたいな喩えの上手さといったら、絶妙である。
さらにいえば、向田の作品の中の小道具の使い方の巧さはどうだろう。本作は太平洋戦争前の日常を描いているが、冒頭に出てくる風呂の「ブリキの煙突」や「炭火のいけた瀬戸の火鉢」など、小道具で時代を描いた見本ともいえる。
そういう向田空間があって、二人の男と一人の女の、やじろべえのような関係が鮮やかに読む者の心に深く染み込んでくる。
堪能という言葉がもっともよく似合う作品である。
たれか落語の演目にしないだろうか。
(2009/06/01 投稿)
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