08/31/2009 反貧困―「すべり台社会」からの脱出:書評

下野する
という言葉。
辞書でみると、「与党から野党になること」とあります。
今回の衆議院選挙は結果として民主党の圧勝ということになりましたが、
残念なのは、今回の選挙が「No」の選挙だったことだということです。
今までの自民党政治に「No」をしたのは事実だと思います。
それが果たして民主党の「Yes」の票だったかはわかりません。
私たちはこれからしっかり民主党の政治を見ていかなければなりません。
あるいは、野党になった自民党の今後も見ていかなければなりません。
いつか、この政党をしっかりと「Yes」といえるような、
そんな選挙をしてみたいと思います。
今回紹介しました、湯浅誠さんの『反貧困』に、
「過ちを正すのに、遅すぎるということはない」とあります。
民主党には、国民の「No」を今後政策にきちんと反映してもらいたい、
と思います。
新しいこの国のため。
新しい政治の風を。
選挙だけでなく、
これからも私たちはしっかり見ていきます。
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朝目覚めたら虫になっていたのは、カフカの『変身』の主人公ザムザ氏だが、2009年8月の最後の朝目覚めたら、国会議員になっていた人も、ただの人に戻ったという人も、ザムザ氏のような驚きがあっただろうか。もっとも目覚めるということでなく、まんじりともせず、この朝をむかえたかもしれないが。
実際には、朝目覚めても虫に<変身>などするはずもない。まして、突然にこの国の様相が一変することもない。いくら民主党が政権を担える第一党になったからといって、この朝、私たちは突然に幸福になったわけではない。ただ、虫に<変身>しなかっただけだ。
本書は、「反貧困ネットワーク事務局長」の湯浅誠氏が2008年4月に刊行した、「貧困」の問題解決のために、その実態や問題を可視化した一冊である。
第一部の「貧困問題の現場から」では、貧困が広がった理由やどのような問題が起こっているのかが、実際の事例をレポートしながら書かれている。そのなかで副題に使われている「すべり台社会」のことを、「うっかり足を滑らせたら、どこにも引っかかることなく、最後まで滑り落ちてしまう」社会と説明がされている。
私たちには憲法で認められた最低限の生活を営む権利があり、それを支える社会保障制度は確かに存在する。しかし、制度に綻びがあって、少なからずの人がそこからもこぼれおちていっているのが現状である。。
湯浅氏はそこに問題があると指摘する。
第二部「「反貧困」の現場から」は、そういう問題を抱えた社会を変えていくための、主に湯浅氏の活動を中心に、どのような取り組みがなされているかが記されている。
湯浅氏は「貧困」を「自己責任論」に集約する意見に対して、本書でも「そうではない」ことを強調している。「貧困」とは「他の選択肢を等しく選べない」(82頁)状態のなかで生み出される、社会的な「問題」であるとしている。そこに湯浅氏たちの活動の意味がある。
湯浅氏たちの活動がどれほど浸透していったかはわからないが、「雇用保険の全労働者へに適用」や「最低賃金の引き上げ」、「製造現場への派遣の原則禁止」といった項目が政権与党民主党のマニュフェストに掲げられていることは、大きな一歩にちがいない。
あとは実現あるのみである。
本書の最後に湯浅氏はこう書いている。「過ちを正すのに、遅すぎるということはない。私たちは、この社会に生きている。この社会を変えていく以外に、「すべり台社会」から脱出する方途はない」(220頁)と。
私たちはザムザ氏のように、虫に<変身>などできない。虫に<変身>などしたくはない。
しかし、私たちのこの国が、住みやすい、生きやすい世界に<変身>することを願わずにはいられない。
(2009/08/31 投稿)
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08/30/2009 おでんの丸かじり:書評

今日は、選挙の日。
みなさん、このブログを読んだら、選挙に行きましょうね。
あの寺山修司さんも昔こんなことをおっしゃった。
書を捨てて、選挙へ行こう!
あ、これ、ウソですからね、
会社や学校で言ったりしてはいけませんよ。
それに書は捨ててはいけません。
捨てたら、必ず拾いましょ。
選挙に行くと、
立会い人という方が座っていますよね。
みなさん、「おれは見てるゾ」みたいな、
厳粛な顔をされている。
投票率をあげるためには、
あの立会人をかわいい女の子にしたらどうでしょうね。
アキバ系のコスプレなんかさせちゃって、
できれば、冷たいおしぼりが欲しいところ。
入り口で、「○×町の△□さん、いらっしゃーい」なんて、
「しばらくお見かけしなかったわね、隣町の投票場で浮気でもしてたんでしょ」
と、ツイとつねられちゃったりして。
「バカだな、そんあことするわけないじゃないか」
「今日は楽しんでいってね、、○×町の△□さん、三番テーブルへ」
というようなことは、決してないわけで。
やっぱり、立会人さんは厳粛なお顔がいいようです。
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サラリーマンというのは、日本語にすると、「給料(もらってます)男」になるのでしょうか。
これがビジネスマンだと、「仕事(がんばってます)男」になって、こちらの方が「ステキだわ」ということになります。
では、OLというと、「事務所(に行ってます)女」だということで、本当にそんなことでいいのかと憂ってしまいます。
やっぱりビジネスウーマンがいいのではないでしょうか。
BW。しかも、男女雇用均等の時代ですから、BMW。いいでしょ、なんだか高級外車みたいで。
そうそう、なにを書きたかったかというと、こんなことではなかった。
BMW(ビジネスマンウーマン)のみなさんが、会社で必ずお勉強すること、「PDCA」サイクルについて、書こうとしていたんです。
つまり、計画(PLAN)、実行(DO)、検証(CHECK)、改善(ACT)のサイクルのこと。
ね、習ったでしょ。
念仏唱えれば極楽いけますよ、みたいに、PDCA唱えれば業績あがりますよ、というアレ。
これって、東海林さだおさんの「丸かじり」シリーズにも使えるのか(使えなくてもいいのですが)、検証してみたのです。
結論をいえば、「丸かじり」シリーズでは「PDCA」サイクルは使えない。
正しいのは、「AAB」。
日本語でちゃんと書けば、週刊朝日(A)、朝日新聞社刊単行本(A)、文春文庫(B)。
これが、「丸かじり」シリーズの、公式サイクル。
たとえば、ここに取り出したる、一冊の文庫本。
これが、現時点(2009年8月30日)で、もっとも新しい「丸かじり」シリーズの文庫本の『おでんの丸かじり』。
この本の最後のページに公式サイクルが書かれています。
<初出誌>「週刊朝日」2003年10月17日号~2004年6月25日号(「あれも食いたいこれも食いたい)
<単行本>2006年2月 朝日新聞社刊
<文春文庫奥付>2009年6月10日 第一刷
これが、「丸かじり」の「AAB」サイクルです。
つまり、わたしたちが今読んでいる『おでんの丸かじり』は、5年前の光源みたいなもの。
おお、やっと届いてくれたかと、星にスリスリしているようなもの。
いいでしょ、こののんびり感。
「PDCA」みたいなセカセカしてない。
「丸かじり」シリーズで業績があがるか、ですか。
それは保証の限りではないですが、みんなニコニコしている職場というのも楽しいと思うけどな。
(2009/08/30 投稿)
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08/29/2009 ゲゲゲの女房:書評

今日は、水木しげるさんのカバー画も楽しい、
武良布枝(むらぬのえ)さんの『ゲゲゲの女房』という本を紹介します。
書評にも書きましたが、武良布枝さんは水木しげるさんの奥さんです。
水木しげるさんの本名は、武良茂。
水木しげるさんといえば、『ゲゲゲの鬼太郎』の原作者だというのは、
みなさんもご存知かと思いますが、
あの漫画はもともとは『墓場の鬼太郎』でした。
実は私はこの漫画の大ヒットは、「ゲゲゲ」にあると思っています。
このなんともいえない音(おん)の響きが、
大ヒットにつながったのではないでしょうか。
もしあれが、「サササ」だったらどうでしょう。
「パパパ」だったら、どうでしょう。
あれ以上のネーミングはなかったように思います。
お化けらしいけれど、怖くもない。
それが、あの「ゲゲゲ」ににはあるんですよね。
ところで、この本は来年3月からの
82作目のNHK連続テレビ小説の原作に決まりました。
武良布枝さんを演じるのは、松下奈緒さん。
どんなドラマになるのか、
これも楽しみです。
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著者の武良布枝さんは、人気漫画家水木しげる氏の「女房」です。
氏の代表作といえば『ゲゲゲの鬼太郎』、だから本書は『ゲゲゲの女房』。おかしなタイトルですが、わかりやすい、いい書名です。
水木しげる氏の著作のなかに『妖しい楽園』(2000年刊)という、氏の身辺雑記をつづった本がありますが、そのなかで氏は「父」や「母」あるいは「子供」については書いていますが、布枝夫人のことには触れられていません。
唯一、自身の結婚の事情を描いた「結婚」という短文のなかに「長い顔の女がホホ笑んでいる」という文章があるばかりです。水木氏が丸顔だから余計にそう見えたのか、漫画に登場する「女房」も「長い顔」をしています。
もっとも、本書口絵の「女房」の写真を拝見すると「長い顔」どころか、美人顔で、文章にも書かず、漫画でも揶揄するのは、おそらく水木氏の照れであろうと思われます。
「ゲゲゲ」どころか、ねずみ男の「ビビビ(美美美)」の女房とお呼びしたいくらいです。
本書は、そんな「女房」の、青春から今にいたる、一代記です。
今でこそ水木しげる氏といえば故郷の島根県境港市に「記念館」があるほどの人気漫画家ですが、布枝夫人と結婚した頃は四十前のまだ貧しい貸本マンガ家で、しかも戦争で左手をなくしていました。その男性がこれほどの成功をおさめると、布枝さんは考えたわけではありません。
見合いからわずか五日後に二人は結婚式をあげるのですが、これなどは現代では考えられないことかもしれない。
「恋愛に価値があると思っておられる方々には、これ以上の不運はないと思われるかもしれません」と、「女房」は書いていますが、すぐさま「最初に燃え上がった恋愛感情だけで、その後の人生すべてが幸福になるとは、とても思えません」と記しています。このあたりは、現代の「婚活」にいそしむ女性たちはどう受けとめるのでしょうか。
結婚はしたものの水木しげる氏の経済状況は好転するはずもなく、まして貸本マンガ界も不況にあえいでいました。
「伴侶とともに歩んでいく過程で、お互いが「信頼関係」を築いていけるかどうかにこそ、すべてかかっていると思うのです」と書く布枝さんは、困窮生活のなかで一所懸命絵筆をふるう水木氏を見てきた「女房」でしたし、漫画週刊誌ブームにのって人気漫画家の仲間入りをした水木氏ではあっても「目を見て話してくれることがなくなったことが、寂しくて」たまらないと感じる、女性らしい優しい「女房」でもあったわけです。
水木しげるご夫婦の物語は現代の成功物語かもしれません。しかし、「女房」の文章にはそんな奢りはありません。
『ゲゲゲの女房』とは、「普通では味わえないような、喜びも悲しみも、誇らしさも口惜しさも経験」したことを感謝する、おおらかな「女房」の物語です。
(2009/08/29 投稿)
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08/28/2009 あの子の考えることは変:書評

今日紹介するのは、本谷有希子さんの『あの子の考えることは変』という、
この間の芥川賞の候補作(残念ながら落選しましたが)です。
芥川賞の選評を読むと、
選考委員のみなさんは結構いい点をつけています。
あと一歩、ということなんでしょうね。
例えば、高樹のぶ子さんの選評では、
「一番はっきりと人間に触れることが出来た」としながらも、
「会話が反射神経で書かれていて文学の会話というより、舞台上の台詞に近い」と
推せない理由を書いています。
山田詠美さんは「目で読むおもしろさではなく、耳で聞くおもしろさのような気がする」。
これってちょっとおかしくありませんか。
芥川賞は「作品本位」で選ばれたというけれど、
これらの選評は、やはり本谷有希子さんが劇作家であることを前提にしたものに
思えて仕方がありません。
「作品本位」としながらも、その欠点をそうじゃないところから持ってきているような
気がします。
もちろん、作品の出来不出来でいえば、
書評にも書きましたが、肝心なクライマックスが安易すぎると思いますから、
この作品を強く推せるかどうか微妙ですが、
「耳で聞くおもしろさ」はあってもいいと思うけどな。
(注:文中の「芥川賞選評」は「文藝春秋」9月号を参照)
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今回の芥川賞は劇作家や外国人といった「異文化」からの書き手の登場で随分話題をよんだ。
結果、商社マンの磯崎憲一郎氏の『終の住処』が受賞したが、案外「異文化」という点ではもっとも「異文化」からの誕生だったといえるかもしれない。
選考委員の山田詠美氏は「芥川賞は一定レベルの文学作品を選ぶ賞」であり、「異ジャンルの書き手ということは評価する上で話題にもならなかった」としている。
昔よくいわれたような、作家になろうと苦節何十年ということ自体が、むしろ現代の感覚でいえば、「異文化」そのものではないだろうか。そのあたりの感覚から抜け出さないと出版社として、新しい書き手をすくいだせないような気がする。
女性二人の奇妙な同居生活を描いた本作は、劇作家本谷有希子氏の芥川賞候補作である。
二人の位置関係をスピード感のある会話で描いた導入部分はあざやかというしかない。
中学生時代からの同級生だった日田と巡谷。同じ上京組としてたまに連絡を取り合う程度の仲であったが、いつの間にか高井戸の清掃工場のでかい煙突が見える巡谷のアパートに転がりこんだ日田は、煙突から吐き出されるダイオキシンを吸い込んで棲息しているかのようであり、巡谷にいわせると「絶対素手では触りたくない、ちり紙みたい」な女性である。
この日田の、破天荒な人物像がこの物語に不思議な魅力を与えていて、まさに「あの子の考えることは変」なのだが、あの子のいる世界そのものが変ともいえるような感覚を読む側に与える。
そんな日田にひきづられるようにして、巡谷もまた、セックスフレンドの襲撃という奇妙な行動にはまっていく。
この二人を追い込んでいくのは、こちら側のぬべっとした世界だ。
「私、孤独じゃないってのがどんな感じなのか一瞬でいいから知りたいだけなんだ・・・!」と叫ぶ日田こそ、まっとうな世界の住人であり、日田や巡谷のような人間を取り除こうとするこちら側の世界こそ「変」なのかもしれないと、いつの間にか立場が逆転している。
それは、本谷有希子の、確信犯的な問題提起である。
クライマックの清掃工場のでかい煙突を二人で駆けあがる場面はいささか安っぽい映画ような仕掛けなのがいささか惜しまれるが、新しい書き手の魅力を堪能できる作品である。
(2009/08/28 投稿)
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08/27/2009 書評の明日 第十回 夏休み終了間近!まだ間に合う「読書感想文」下

「夏休み終了間近!まだ間に合う「読書感想文」」の二回めです。
テキストは、昨日と同じ、
吉岡日三雄さんの『読書感想文の書き方(高学年向き)』を
使います。
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あれから「読書感想文」書いた少年少女はいるのかな。
やっぱり、いないだろうな。
本当にしりませんよ、
「読書感想文」は怖いのだから。
では、本文にはいりましょう。
やっぱり本文がないと、いけません。当たり前です。
台所にふたがしてあるお鍋があって、
お、煮っころがしでもあるかと、ふたをとったら、
なーんもなかったら悲しいでしょ。
「読書感想文」も同じ。
本文がなければ、先生は悲しむ。
いや、先生は怒りだす。
「おれの、煮っころがし食べたの誰だ」みたいに怒りだす。
だから、本文がないといけない。

吉岡日三雄さんは、
○感動をはっきりさせる
○考えたことをまとめる
○自分をみつめる
○自分を発見する
と書いています。
それができれば、苦労しない。
そう、そのとおり。
「読書感想文」を書こうとすると、つい身構えてしまうことがいけないんです。
あなたはあなた。
あなた以上のことを書こうとしてもうまくいくはずがない。
自分のことを、本にゆだねて書くのが一番。

もしイジメにあっている子があの物語の「読書感想文」を書くとしたら、
友情なんて信用しない。
って、書けばいい。
あるいは、足の遅い人なら、
私(または僕)はメロスのように走れない。
って、書けばいい。
そういう視点で、書いていけば、自分にそくした文章が書ける。
でも、イジメにあっている子はこう思うかもしれない。
もしかしたら、メロスのように全力で走っていないかもしれないな、
友達を信じていないかもしれないな。
これ、これ。
物語を読んで、心に芽生えた思いを文章にすればいい。
先ほどの文章、「友情なんて信用しない」のあと、
どうして信用しないのか、自分の生活をそのまま書けば、
何文字分かは書けるでしょ。
そのあとに、心に芽生えた思いを書く。
ここで、とっておきのヒント。
この時に、「決めセリフ」をスパイスとして使う。
たとえば、
メロスはボルトみたいだ。
読んでいる人は、おお、なんだ、なんだ、となる。
そして、
「そうだな、メロスはボルトみたいだな」ってうなづく。
こういうスパイスがないから、
普通の「読書感想文」はレトルトカレーの夜食用としてしか
食用されない。
せっかくだから、ディナーにしないと。

最後はしっかり決めましょ。
ここをしくじると、幽霊のしっぽみたいになりますよ。
まず、定番を紹介すると、
私(あるいは僕)もメロスたちのようになります。
これは、どんな本でも使えますが、
あまりぴりっとしない。
言い方を変えてみましょう。
来年、私(あるいは僕)はメロスになっているでしょうか。
これなら、なれなくても責任ないし、夢があるし、応用がきく。
来年、私(あるいは僕)は何冊宮沢賢治を読んでいるでしょうか。
ほらね。

さっそく「読書感想文」を書いてみましょう。
「読書感想文」はたいへんだけど、
いつか本の感想を書くことが楽しみになることを、
おじさんは遠い空から祈っています。
来年、子どもたちは「読書感想文」好きになっているだろうか。
ほらね。
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08/26/2009 書評の明日 第九回 夏休み終了間近!まだ間に合う「読書感想文」上

夏休み終了間近の、緊急特番として、
今日と明日の二回、「読書感想文」について書きます。
テキストには、吉岡日三雄さんの『読書感想文の書き方(高学年向き)』を
使用します。
お持ちでない方は、なくても特に困りませんから、大丈夫ですよ。
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まだ宿題の感想文を書けてない、少年少女のみなさん。
今まで何をしてたんですか、と
おじさんは怒っています。
そして、そんな少年少女を野放しにしていた保護者のみなさん、
今まで何をしてたんですか、と
おじさんは嘆いています。
今まで遊んでいた少年少女が、わずか一週間で「読書感想文」が書けるか。
書けるはずがない。
そんなに「読書感想文」を甘くみてはいけません。
でも、書かないと、二学期になって、先生に百たたきにあっちゃうし、と涙ぐんでる
少年少女と保護者のみなさん。
せっかくこのブログまで来ていただいたのですから、
書かせてみせます。
どーん(と胸をたたく)、げほげほ(と咳き込む)、といったような
細かい芸も交えながら、頑張ってお教えします。

こういう初期の問題は本当は七月中に解決しておきたいところですが、
吉岡日三雄さんはこんなことをおっしゃっています。
「読書感想文は、本を読むこと、そして本を読んで自分が感じたこと、思ったこと、
考えたこと、学んだことなどを自分の言葉で文章として表現していくことです」
これは基本ですから、単にストーリーの紹介ではないんですよ、っていうぐらいは
覚えておきましょうね。
で、ここで重要なことは、まず「本を読むこと」。
そんなことわかってらーい、ってえらそうに言わないように、
今までなーんにも読まなかった少年少女に言われたくない。
あと一週間しかないんですよ、それで本を読んで、
原稿用紙何枚分かを書かないといけない。
本を読まないで、「読書感想文」は書けないのです。
読まずに書いたら、「捏造」(ねつぞう)ですよ。
捕まっちゃう。

でも、残りの日にちからいって、長編はあきらめましょう。
ここは短編。
それしかありません。
例えば、太宰治を読みたいと思っても、
『人間失格』はあきらめましょう。
『斜陽』も除外。
ここは、やはり『走れメロス』。しかも、「読書感想文」の定番中の定番。
あるいは、宮沢賢治。
『銀河鉄道の夜』も『風の又三郎』もいけません。
宮沢賢治の短い童話をさがしましょう。
あるいは「永訣の朝」なんていう詩なら、10分もあれば読めちゃう。
これは「捏造」ではありませんよね。
おすすめは、星新一のショート・ショート。
目安は一篇10分。
でも、秋になったら、ゆっくりとちゃんと読んでくださいね。

え、書けない。
そう、書けないのです。
本は読めても、「読書感想文」は書けない。
それが当たり前。
だから、ここで「書き出し」を伝授します。
いいですか、文章全般「書き出し」はすごく大切だということを忘れないように。
まず、読み手をひきつけないと。
読んでいる先生も忙しいのですから、「書き出し」で読んでみようかという気にさせる。
どんな本でも使える、「書き出し」を教えちゃいます。
太宰治の短編はおもしろい。
この一行だけ。
宮沢賢治なら、
宮沢賢治の童話はおもしろい。
ね、使えるでしょう。
でも、間違って、
宮沢賢治の「永訣の朝」はおもしろい。
って書いてはいけません。
悲しい詩ですから、後半の「おもしろい」を「かなしい」に変えれば
これで使える。
「書き出し」の効用として、
読み手を気持ちをひきつけるってさっき書きましたが、
もうひとつ大きな効用があって、
書き手のリズムを生み出すんですよね。
「書けない」と悩んでいる人は、この「書き出し」が書けない人と
思っていい。
だから、まず、原稿用紙にさっきの「書き出し」例を書いてみてごらんなさい。
なんか、書けそうな気がしてきませんか。

明日は、本文について伝授します。
それまで、まずは自分で書いてみること。
なにしろ、この世は、サバイバルです。
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08/25/2009 炎天(吉村昭句集):書評

先日の「さいたまブッククラブ」八月例会で、
私が紹介したのが、吉村昭さんの『炎天』という句集でした。
どうしてこの本を取り上げたかというと、
句集の書評がどこまでできるかということを
試してみたかった。
これってなかなか難しいですよね。
吉村昭さんは作家だから、彼の仕事にそくして書いてみましたが、
純粋に俳句だけであればなかなか書評として
書くのは難しいような気がします。
それと、やはりこういう句集のような本もありますよって
伝えたい気持ちもありましたね。
絵本とかは好きな人がたくさんいて、
いろんな形で評価されているようですが、
句集となると、
なかなかそれもままならない。
そうではなくて、やはりそういうことをうまく伝えてみたい
と、いうことがあります。
たまたま作家である吉村昭さんという大きなブランドがついているので、
句集にふれてみる、いい機会になればと思います。
追伸 たまたま今日(8.25)の朝日新聞「文化面」を読んでいると、
この句集の紹介記事が出ていました。
「人間吉村昭、222句に凝縮」と題された、
佐々木正紀さんの署名記事です。
さすがにうまい。とても参考になりました。
興味のある人はぜひ読み比べて下さい。
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作家吉村昭が、妻で同業の津村節子や知人の編集者、画家たち総勢八人で句会を始めたのは、1977年9月13日のことだった。第一回めの句会には、「鶏頭」「運動会」「月」「蜻蛉」「落鮎」と、秋らしい兼題が並んだという。
メンバーのなかに俳人の石寒太がいたことから、この句会は「石の会」と名付けられたようだが、石寒太をのぞく七人は俳句はほとんど素人同然で、吉村昭も学生時代に少しは俳文学を学んだ程度で、その頃に作った句が「今日もまた桜の中の遅刻かな」というものだから、いくらその後作家になったにしろ、俳句の程度といえば知れたものであったにちがいない。
本書は、そんな吉村昭の唯一の句集である。
句会のメンバーたちが中心となって編まれた吉村の還暦の祝いの句集『炎天』と、その後の句会での作品を「補遺」の形で収め、数編の俳句についてのエッセイが掲載されている。
08/24/2009 「さいたまブッククラブ」八月例会、そして「読書会」を考える

七月は会の夏休みでお休みでしたから、
今月は久しぶりの集まりでした。
今月も新しい人が、しかも若い青年とお嬢様と、お二人も増え、
総勢九名の参加でした。
しかも、日本経済新聞のK記者さんも「読書会」の取材でお見えになり、
ますます楽しくなってきました。

たぶん、全国各地でいろいろな集まりがあって、
参加されている人の多いと思います。
K記者も、「どうして今、読書会が流行っているのか」という観点から
取材に来られているのですが、
会そのものは色々な運営方法があって、交流会のような感じのところもあるでしょうし、
シニアのみなさんの余暇のようなものもあるかと思います。
ビジネス書だけを話す会もあるでしょうし、
一冊の本を互いに語り合う、そういう形もあると思います。
たまたま「さいたまブッククラブ」というのは、メンバーの性別も年齢制限もなく、
それぞれが「これは」という本を話すというスタイルだったということ。

何ヶ月か前にメンバーのMさん(女性)が初めて参加した時に言っていた言葉が
印象に残っているのですが、
「本の話ができる人が自分のまわりにいない」ということです。
今回初参加のS青年もよく似ていて、
彼は「本で語り合いたい」と言っていました。
では、私はどうなのかといえば、
私も同じですね。
仕事の話やゴルフの話で会話が成立するのであれば、
「本の話」でも、何人かが集まっても、それだけで話ができるんじゃないかという
興味ですね。
現代の「読書会」のブームが若い人を中心にして、
「自分を高める」ためのものにシフトしているのであれば、
それも方法として否定はできないですが、
本というのはもっと幅広い世界だと思います。
そういう世界を知ることが、「読書会」の魅力ではないでしょうか。


Sさんが『ブッダ』(ディーバック・チョプラ著)
を紹介されていましたが、
そのあとで、宗教の話がでたり、
チョプラという著者の話がでたりする。
あるいは、Mさんが紹介した「昭和13年の地図帖」。
国の話になったり、昔の表記にびっくりしたりする。
ちなみに、それが横の写真。
表記が右から書かれています。
Sご夫妻の奥さんは、『三式簿記の研究』(井尻雄士著)を紹介された時には、
さすがに驚きましたが、これだって話がはずむ。
ご主人は『エリゼ宮の食卓』(西川恵著)という本で、
名前も知らないワインがでてきたり、
フランスの外交と日本の外交の話がでてくる。
Oさんの『回想十年』(吉田茂著)では、やっぱり選挙に行かないとうなづいたり、
主宰者のNさんの『まんがで読破 死に至る病』では、
マンガで哲学が語れるかみたいな話になる。
そのあとで、新人のO嬢が杉浦日向子さんの『百物語』と、
これは本当に漫画で、
それだって話が成立する。
S青年(この人はあとで知ったのですが、
私が行った大江健三郎さんの講演に、参加されていたとか)は、
『紫苑の園/香澄』(松田けいこ著)の不思議な世界を話される。
後で知ったのですが、
この著者はあの『銭形平次』を書いた野村胡堂の娘さんで、
知っていたら、銭形平次の世界にはまったかもしれない。
残念。

丸であっても三角であっても、赤であっても黒であっても
いいので、
そういう世界があることを「読書会」のような場で広がればいいのでは
ないでしょうか。
たまたまbk1書店の書評を読んでいて、
和田浦海岸さんが『多読術』(松岡正剛著)の書評のなかで、
石垣りんさんの「私の前にある鍋とお釜と燃える火と」という詩を引用されていました。
この詩の最後の一節がいい。
それらなつかしい器物の前で
お芋や、肉を料理するように
深い思いをこめて
政治や経済や文学も勉強しよう、
それはおごりや栄達のためでなく
全部が
人間のために供せられるように
全部が愛情の対象あって励むように。

「読書会」は本をなかだちにして、その世界の広がりを知ることだと
思います。

吉村昭さんの句集『炎天』。
内容は、明日のブログに書きます。
それにしても、今回Mさんが持参した「尋常小学地理書附図」というものの裏に
書かれていた「茂木菊夫」という名前。
昭和13年の「茂木菊夫」君が、その後、どんな人生をおくられたのか、
気になって仕方がありません。
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08/23/2009 ダンゴの丸かじり :書評

うかつでした。
漢字で書くと、迂闊。
パソコンでないと、書けない漢字です。
何が迂闊だったかというと、
東海林さだおさんの「丸かじり」シリーズの、
文春文庫の装丁が、私が大好きな和田誠画伯の手になるものだと、
気がつかなかったこと。
これを迂闊といわずして、なんといえばいいのか。
そういえば、文庫の書名文字は、和田誠画伯があみだした、
「小学生でも書けそうだけど、ちょっとやそっとでは書けない、レタリング」手法。
もう、そのことだけで、気がつくべきでした。
本当に、和田誠画伯の装丁はうまい。
今さら褒めても仕方がないでしょうが。
でも、この『ダンゴの丸かじり』の表紙は、
ダンゴの下に美女が舌なめずりしている絵なんですが、
この美女、本書のなかでは、たらこくちびるを舐めているだけの人。
ああ、それなのに。
和田誠画伯の手にかかれば、絶世の「ダンゴ美女」に変わる。
うかつの日曜でした。
ごめんなさい、和田誠画伯。
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コミュニケーションっていう言葉、いつの頃から使いだしたか。
正確にはわからない。
もちろん、英語圏の人は、ずっと昔から使っていた。
でも、日本では、そうではなかった。
織田信長は使わなかった。水戸黄門も使わなかった。
私の子供の頃も使わなかった。
うーん、困った。
08/22/2009 「王様のブランチ」のブックガイド200 :書評

今日は土曜日。
もし、それだけでソワソワしているあなたは、本好きですね。
何故かというと、
今日紹介した、松田哲夫さんの『「王様のブランチ」のブックガイド200 』の
書評を読めば、わかります。
「王様のブランチ」って見たこと、あります?
全国ネットだとばかり思っていたのですが、
そうでもないみたいですね。
見れない地域の人たち、ごめんなさい。
でも、この本、『「王様のブランチ」のブックガイド200 』を読めば、
なんとなく雰囲気わかるんじゃあないかしら。
それに、最近の本の広告によく使われているでしょ。
広告宣伝として、かなり浸透してきて、ブランド化しちゃってます。
私はこの番組の優香さんが好きですね。
はしのえみさんのお姫様も好き。
あ、見れない地域の人たち、ごめんなさい。
ついでに書くと、
この番組より少し前で放映している、
NHKBSの「週刊ブックレビュー」もいいですね。
あ、BS見れない人たち、ごめんなさい。
ここに出ている、中江有里さんが好きです。
なんか、女性ばかり好きみたいですが、
本が好きなんですよ、本が。
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土曜日の朝、本好きな人は予定をいれない。
NHKBSの「週刊ブックレビュー」を見て、そのままTBSの「王様のブランチ」の「本コーナー」にチャンネルを切り替える。児玉清の上品な語り口を堪能して、松田哲夫の熱いおしゃべりに満足する。そして、「ちょっと本屋さんに行ってくるわ」と、ズック靴をひっかけて出かける。まして、その日、二つの番組が紹介してくれた本たちが素敵だとくれば、人知れず笑みがこぼれる。
そんな土曜日の朝がいい。
08/21/2009 栗林忠道 硫黄島からの手紙:書評

文春文庫の「いい男感想文」キャンペーンも、
あと2回となりました。
夢で終わるか、35万円・・・・・。
ということで、締め切り間際に書いたのが、
今回紹介しました、『栗林忠道 硫黄島からの手紙』です。
半藤一利さんが「解説」を書いています。
クリント・イーストウッド監督の映画(2006年)で観られて人も
いるんじゃないですか。
何しろ、人気グループ嵐の二宮和也君がいい演技してましたからね。
私もあの映画は観ました。
かなりよかったなぁ。
この『栗林忠道 硫黄島からの手紙』は、あの映画で渡辺謙さんが演じた、
栗林中将が本土の家族に宛てた手紙をまとめたものです。
昔の男って強かったのですね。
実は、手紙を読み終わって、
栗林中将の年譜を見ていて、愕然とした一節がありました。
それは、「1945年3月26日、戦死。享年53」のあとの、
「1945年9月22日、洋子、腸チフスのため死去。享年16」という、一行。
洋子さんというのは、栗林中将の長女です。
おそらく栗林中将はその死に際して、家族のことをどんなに思ったことでしょう。
子供たちの成長をどんなに願ったことでしょう。
それなのに、長女はわずか半年後に、
しかも戦争がようやく終わったというのに亡くなってしまう。
戦争というものの酷(むご)さを感じます。
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「男には『意思』の鞏固と云う事が何よりも大切である」
これは、太平洋戦争最大の激戦地といわれた硫黄島の戦いで総指揮をとった栗林忠道中将(戦死後、大将)が息子太郎の二十歳の誕生日にあてた手紙のなかの一節である。
硫黄島への赴任時からすでに自らの死を覚悟していた軍人栗林中将ならではの言葉であり、男としての栗林忠道の生き方そのものでもある。
そして、それは自らがいない世界に生きる息子への、強い愛情に裏打ちされた、父親としての言葉といっていい。
父親として、そういう力強い言葉を、現代の男たちは持つことがあるのかと、これは私のこととしてもいささか心許ない。子供たちがプイと顔を逸らせ、すいと席を外すことが既視感にようにはっきりと見える。これでは最初から勝負になりようがない。
あるいは、妻に対してはどうか。何度もなんども妻に疎開を勧める栗林中将の細やかな配慮さえ、私には自信がない。
どこかで、ごまかし、逃げようとしている。
その点、栗林忠道は、「楷書」の「いい男」だった。相手に正しく伝えることを身上としていた。だから、栗林中将の言葉は、強い。
「下手な而かもうそのつづけ文字を書かず、正確に書くこと」と、誤字脱字にうるさかった「楷書の男」栗林らしい手紙を子供たちに書きおくってもいる。
最初から負けることが自明でもあった硫黄島の戦いでも、栗林は逃げることをしない闘将として、その生涯を閉じた。
そんな栗林であるから、こんな手紙が胸をうつ。息子に宛てた、また別の日の手紙だ。
「父としてはお前の前途を見届け、確実に幸福の生涯に踏み出したところを見て取る迄生き度いのは人情だが、それは戦局と自己の運命と到底許されない」
この中の「生き度い」というのは栗林忠道の本音であったにちがいない。それでも、それをぐっと噛みしめるざるをえなかった彼は、終生、「楷書」をつらぬいた「いい男」だった。
(2009/08/20 投稿)
レビュープラス
08/20/2009 俘虜記:書評

朝日新聞日曜書評欄の「百年読書会」(重松清ナビゲーター)の、
8月の課題図書は、大岡昇平さんの『俘虜記』。
これは、しんどかった。
戦後文学の名作だということは昔から知識として知っていましたが、
読むのは初めて。
文庫本にして500ページ弱。
しかも、そのほとんどが人物描写であったり心理描写で、
最近の会話主体の作品とは大違い。
よくぞ選んで頂きました、というか、
勘弁してよ、重松清先生、という恨みとぼやきで、
まるで小学生の夏休みの宿題状態でした。
でも、こういうことでもないと、
おそらくこういう作品を読む機会もないだろうと、
読みきりました。
戦後まもなくして、こういう作品が書かれ、
また多くの読者を魅了したということに驚きます。
娯楽といえば、ほとんど何もない時代だったからでしょうか。
あるいは、活字そのものを渇望していた時代だったからでしょうか。
今ならなかなかこういう作品が読まれ、
まして後世に残ることもないような気がします。
今回も書評句とともにお楽しみ下さい。
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はじめての 「俘虜記」読み終え 夏の果て
戦争はいつ終わったのか。
戦後の文学史のなかで重要な位置をもつ、大岡昇平の『俘虜記』を読んで、愚かしい政治を持った悲しみと憤りを感じる。特に、戦争終結の時期において。
『俘虜記』は大岡昇平の従軍体験を基にして、戦場での敗走と俘虜となるまでの短編「捉まるまで」をはじまりとした俘虜収容所内での様子を描く連作集だが、そのなかの一篇「八月十日」という短編は終戦を向かえた俘虜たちの姿を描き、連作のなかでも読みやすい作品であり、かつ描かれている事実は極めて重要である。
そのなかで、大岡ははっきりこう書く。「我々にとって日本降伏の日附は八月十五日ではなく、八月十日であった」と。
終戦後わずか五年にして、記録としての戦争が見事に描かれた一文である。この五日間は何であったのかという憤怒のごとき怒りが尾高という兵士の奇行の向こうに透けて見える秀作といっていい。
(2009/08/16 投稿)
レビュープラス
08/19/2009 ロマンポルノと実録やくざ映画:書評

今回も、昨日に引き続き、映画の本です。
昨日が洋画、今日は邦画です。
樋口尚文さんの『ロマンポルノと実録やくざ映画』。
70年代に映画青年であった私としては、
「日活ロマンポルノ」の関係本がもっと出版されていいと
思っているのですが、
あ、イヤラしい意味ではないですよ、
「ロマンポルノ」の秀作群の評価ということです。
だから、この本が出版されるのを楽しみにしていましたが、
それに特化しているものではないので、少し残念。
それはいいとして、
やはりあの名作『八月の濡れた砂』(1971年)がとりあげられているのが
うれしいですね。
私たちの世代で、映画好きな人はみんな観たんじゃないかな。
私も何度も観ました。
さすがに今観ると、ぼやーとしている感じもないわけではないですが、
ラストの、海に浮かぶ白いヨットをゆらゆらと俯瞰する場面と、
それに重なって流れる、石川セリの主題歌には、
今でもぐっと来ますね。
書評タイトルにもしました「山科ゆり」さんは、
「ロマンポルノ」はたくさんの女優さんたちが登場しましたが、
そのなかのひとり。
樋口尚文さんも取り上げているように、
なかなか素敵な女優さんでした。
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![]() | ロマンポルノと実録やくざ映画―禁じられた70年代日本映画 (平凡社新書) (2009/07) 樋口 尚文 商品詳細を見る |


昭和33年(1958年)にピークとなった映画観客数は、翌年の皇太子ご成婚などによるテレビの急速な普及や娯楽の多様化により、その後凋落の一途をたどることになる。洋画の興行収入が邦画のそれを上回るのは昭和50年(1975年)だが、そこに至るまでにすでに邦画各社は満身創痍の状況であった。
そんななかにあって製作されたプログラム・ピクチャー110本をとりあげ、70年代の映画作品が表現しようとしたものの検証を試みたのが、本書である。
08/18/2009 ロードショーが待ち遠しい:書評

今日は、藤森益弘さんの『ロードショーが待ち遠しい』という、
楽しい映画の本を紹介します。
副題が「早川龍雄氏の華麗な映画宣伝術」となっていますが、
早川龍雄さんというのは、ワーナー・ブラザースの宣伝部の人です。
私は映画業界の人間でもないので、
早川龍雄さんがどれくらいの有名人なのかは知りませんが、
ちょうど早川さんがワーナー・ブラザースに入社した(1963年)以降、
しばらくして、私も映画の魅力に取りつかれましたから、
この本に出てくる映画の数々が懐かしかったし、
もう夢中で読み進みました。
ちょうど、高校入学した頃ですから、1970年あたりでしょうか、
洋画は「アメリカン・ニュー・シネマ」の後期の頃でした。
この『ロードショーが待ち遠しい』という本のなかでも、
何度もでてきますが、『俺たちに明日はない』(1968年公開)などは、
本当に何度も何度も観ましたね。
高校時代の友人にH君というのがいて、
毎年年賀状にその年に観た映画の題名を全て書いてくるんですよね。
彼で100本以上は観ていたように思いますが、
いつもすごいなぁと羨ましくもあり、感心したりしていました。
だから、私にとっての映画とは、
いつも青春の、甘酸っぱい匂いのするものです。
今回の書評のタイトル「映画に愛をこめて」は、
映画ファンならおわかりのとおり、
名匠トリュフォー監督が映画に捧げたオマージュのような作品、
『アメリカの夜』(1974年)のサブタイトルから拝借しました。
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若い頃なりたかったもののひとつが、映画会社の宣伝マンだった。
映画ファンなら一度は夢みた職業ではないだろうか。なによりも好きな映画がタダで思う存分観れそうな気がした。そうして、自分の好きな映画を宣伝し、映画館を満員にする。そんなことを考えると、胸の奥が震え出しそうな気分になれた。もちろん、今では若かりし頃のあさき夢みしだが。
この本は、そんな夢の職業についた男の物語である。
08/17/2009 「CREA (クレア) 9月号/読書の魔力」を読む

それが「CREA(クレア)」9月号です。
特集記事が「読書の魔力」、まずこれで、ぐっと。
これにつけられたコピーが、
「眠れぬ夜は時間を忘れて溺れたい!」、これで、ずずーっ。
思わず、手が伸びました。
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実は全然知らないのです。(編集部さん、ごめんなさい)
目次のなかに「アラサー」という言葉が出てくるので、
三十歳前後の女性誌なんでしょうが、
俺は男だ! だし、
「プレイボーイ」「平凡パンチ」はともかく、女性誌とはまったくご縁もなく、
それでいて、この磁力は、ひとえに、
「読書の魔力」であり、「溺れたい!」にあります。
溺れたい! ですよ。これはなかなか言えません。
一度は口にしたいけど、恥ずかしいったらありゃしない。
でも、溺れたい。

これがまた重厚な内容。
さすが発行元は文藝春秋だけのことはある、総力戦です。
まずは、編集部の熱きメッセージをご覧ください。
世間じゃもっぱら「読書の秋」と言うけれど、
クレアはここに、「読書の夏」を提案いたします!
おお、いいぞ、もっとやれー。
バケーションへと向かうジェット機のシートで、
お洒落なリゾートホテルのプールサイドで、
エアコンを効かせた快適な自分の部屋で、
心ゆくまでページをめくり続けるのはいかが?
そんなのいいに決まってるじゃないですか。
「アラサー」って優雅じゃのう。
本とマンガは、いつだって人生の力強い味方。
あなたをワンランク上の知的な女に変えてくれます。
男はどうなるんじゃい、という嘆きは一旦置いておくとして、
本誌のラインナップがすごいの一言。

本だけにこだわらず、マンガもあり、というのが、いいじゃあありませんか。
ちなみに、NHKBS「週刊ブックレビュー」でおなじみの中江有里さんの推薦本は、
『ぼくと1ルピーの神様』、『思い出トランプ』(向田邦子著)、『ツ、イ、ラ、ク』(姫野カオルコ)。
この次に、「クレア読者500人がアンケートで選んだ東野圭吾作品ベスト20」。
もちろん、その結果はここで書きませんので、知りたい方は「CREA」で。
まだまだ、こんなもので終わりませんよ。
「アラサー女子のための司馬遼太郎ガイド」、
「山崎豊子の豊穣なる世界」、「向田邦子に学ぶ凛とした生き方」、
「キーワードで読む松本清張推理小説案内」、
うわーっ、もう何冊読むというのじゃ、って感じです。
さらに「恋愛小説文庫処方箋」まであって、
人生のすべてが読書でまかないえる感じです。

マンガの特集までついてます。
「マンガでいちばん惚れた男BEST100」なんて真剣にやっちゃったり、
ちなみに私が「マンガでいちばん惚れた女」の一位は、
『巨人の星』の薄幸の美女、日高美奈さん。
関係ありませんが。
さらに「女子のための「手塚治虫」入門」だってやっちゃいます。
いやあ、本当にここに紹介した本やマンガを全部読んじゃったら
すごいことになっちゃうでしょうね。

女性がこんなに充実しているのに、男性諸君は大丈夫ですか。
「CREA(クレア)」をこっそり買って、心の筋力つけた方がいいのではないですか。
相手は「溺れたい!」ですよ。
「よっしゃーあ、俺が溺れさせたるワイ」の気合が必要でしょう、やっぱり。
がんばれ、男性諸君!
誰ですか、そこでこっそりスタミナドリンク飲んでるのは。
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08/16/2009 今朝の朝日俳壇に載りました

また載せて頂きました。
明日は新聞休刊日なんですね。
だから、毎週月曜の「俳壇」は今日が掲載日になったようです。
素麺の力尽きたり鍋の中
今回も選んで下さったのは、長谷川櫂先生。
ありがたいことに、今年3回めの採用です。
二度あることは三度ある。
でも、三度あることは四度ある、
かどうかはわからない。
頑張ろうっと。

お忘れなく。
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08/16/2009 タコの丸かじり:書評

今日の「丸かじり」は、
シリーズ第一作『タコの丸かじり』です。
これを記念して、(というほどでもありませんが)
「カテゴリ」に「書評:「丸かじり」シリーズ」を設営しましたので、
過去の記事を読みおとしたみなさんは、どうぞご利用下さい。
今回の『タコの丸かじり』を読みますと、
初期のものらしく、
やや現在の「丸かじり」と相違している点がいくつか散見できます。
三件ですが。
①挿絵が現在よりも一点多い。
②文章が現在よりも少し長い。
③それぞれのタイトリが現在よりも少し重々しい。
なんだ、昔の方がよかったじゃないか、と
お思いのあなた。
1987年ですよ、この一冊目の連載時期は。
その頃、コーヒーはいくらだったか、
煙草はいくらだったか。
それらと比べれば、どうってことありません。
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太初、タコありき。
これ、「丸かじり」の常識であります。
タコがなければ、つづくキャベツもなく、トンカツ、ワニもなく、どら焼きも生まれなかったのであります。
だから、タコはえらいのであります。
そう、これが「丸かじり」シリーズの記念すべき、はじまりなのであります。
08/15/2009 彼の名はヤン:書評

今日は、64回めの「終戦記念日」です。
私はプロフィールにあるように、
昭和30年(1955年)生まれですから、
戦後生まれです。
ちょうど「戦後は終わった」と経済白書に書かれた年でもあります。
ジローズの「戦争を知らない子供たち」という歌が流行ったのが、
1971年ですから、ちょうど高校生の頃です。
戦争が終わって 僕等は生れた
戦争を知らずに 僕等は育った
おとなになって 歩き始める
平和の歌を くちずさみながら
北山修さんの作詞した、この歌をどれだけ歌ったでしょう。
「戦争を知らない子供たち」もすっかり大人になって、
本当は「知らない」ではなく、「知ろうとしなかった」世代なのかなぁ、と
思わないでもありませんが、
やはりこの国がかつて戦争の当事者だったことは忘れてはいけないと思います。
それは、私たちの世代だけでなく、
もっと若い世代の人もそうですし、子どものみなさんだってそうです。
本の世界では、そういう子ども向けの本にも
戦争がもたらす悲しみや痛みを描いた作品はたくさんあります。
今日紹介した『彼の名はヤン』というのも、
児童書です。
子どもの本であっても、深く考えることはできます。
もしかしたら、児童書だからこそ、
やわらかな眼差しで問題提起しているかもしれません。
今回は2006年の蔵出しです。
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夏が来る。そして、またいつもの「終戦記念日」がやってくる。戦後五十年以上経つというのに、やはり重苦しい儀式は続く。
犠牲になった命は尊い。戦争はしてはいけない。平和が一番だ。それらはすべて正しい。それを否定する勇気はない。しかし、多くの人は世界のどこかで起こっている戦争をとめられはしないし、いとも容易に人の命をまるでちっぽけな虫のように殺めてしまう。
一体夏が来るたび、私たちは何を祈っているというのか。
08/14/2009 「芥川賞選評」を読む

本屋さんの店頭に並びました。
今回の受賞作、磯崎憲一郎さんの『終の住処』は、
「文藝春秋」より先に新潮社から刊行されていて、
私もすでに読みおわりました。

私の書評でもおわかりように、
どうも自分ではもうひとつ納得できる作品ではなかったのですが、
芥川賞の選者のみなさんは、この作品をどう捉えているのか、
今日は「文藝春秋」に掲載された「芥川賞選評」を読んでみたいと思います。
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村上龍さん。
(村上龍さんが『限りなく透明に近いブルー』で芥川賞を受賞した時の
騒動はすごかったですね)
村上龍さんは、今回の受賞作を「感情移入できなかった」と評しています。
なるほど、なるほど。
「わたしはいくつかの死語となった言葉を連想しただけだった。ペダンチック、ハイブロウ」と、
続きます。
この「ペダンチック」という死語を使われている選者が、もう一人いました。
初期の作品の完成度では抜群の、宮本輝さん。
ちなみに芥川賞の選考委員としては、どうも私と波長が合わないきらいがあるのですが、
宮本輝さんは、「鼻持ちならないペダンチストここにあり、といった反発すら感じたが」と
書いています。
ただし、このあとに、磯崎憲一郎氏のこれからの可能性にも言及されていて、
これはこれで、今回は宮本輝さんと意見が一致しました。
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08/13/2009 なまけもののあなたがうまくいく57の法則:書評

今回紹介するのは、
本田直之さんの『なまけもののあなたがうまくいく57の法則』です。
これは前作『面倒くさがりやのあなたがうまくいく55の法則』に続くものです。

「面倒くさがりで「なまけもの」とくれば、
なんだか最悪なイメージですが、
そういわれたら否定できないのがつらいですよね。
だから書名としては、うまいタイトルをつけたものだと
感心します。
そういえば、本田直之さんを一躍有名にした「レバレッジ」シリーズも、
タイトルとしてはうまいですよね。
この『なまけもののあなたがうまくいく57の法則』の前段で、
「組織におけるなまけものと働き者」というフレームが出ているのですが、
そのなかで、経営者は「無能ななまけもの」に位置づけられています。
「無能」かどうかはともかくとして、
「なまけもの」であることは必要かもしれません。
自ら動いても下が育ってきません。
だとしたら、「なまけもの」に徹するのも悪くありません。
そして、見えないところで「働き者」であること。
そういう心がけが、経営者には必要なんではないでしょうか。
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![]() | なまけもののあなたがうまくいく57の法則 (2009/07/16) 本田 直之 商品詳細を見る |


本書は「なまけもののあなたがうまくいく57の法則」という長いタイトルですが、「動機付け」と「継続性」の「工夫力」の本です。
もちろん、この本には、レバレッジシリーズで有名な著者本田直之氏の厳選された57のノウハウが収められていますが、本田氏に負けじと58番目、59番目の「工夫」をするのは、「なまけもの」の読者自身です。
08/12/2009 クライマーズ・ハイ:書評

今日、8月12日は、「日航ジャンボ機墜落事故」という、
乗員乗客524名のうち520名の方が亡くなられた大惨事が起こってから、
24年めの夏になります。
1985年8月12日の夕刻、
お盆の帰省や夏休みを過ごした東京から大阪へ向かうジャンボ機が墜落した、
いつまでも記憶に残る、痛ましい事故です。
この事故があった時、私は大阪に住んでいました。
犠牲者の方のなかには近辺に住んでいた人もおられたように記憶しています。
あるいは有名な歌手の方や経済人も犠牲になられたということもあって、
あの事故の衝撃を忘れることができません。
記憶すること。忘れないこと。
夏とともにめぐる悲しみと鎮魂のなか、
二度とああいう痛ましいことが起こらないことを願います。
今日は、この事故をもとに、新聞記者たちが翻弄する姿を描いた、
横山秀夫さんの傑作『クライマーズ・ハイ』を紹介します。
単行本が出版された当時(2003年)に書いた書評の蔵出しです。
この作品は昨年の夏映画化もされました。
映画も観ましたが、
やはり原作の圧倒的な力には及ばなかったように感じました。
それほど読了後の印象が強い作品です。
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![]() | クライマーズ・ハイ (文春文庫) (2006/06) 横山 秀夫 商品詳細を見る |


今回の本は今年(2003年)の出版界の話題の一冊、横山秀夫氏の「クライマーズ・ハイ」。阪神タイガースが十八年ぶりのリーグ優勝で話題を呼んだ今年(2003年)のプロ野球だが、阪神が十八年前に優勝した85年の夏に起こった日航ジャンボ機の墜落を題材にしたこの本は、多くの人の心に残る感動の作品である。
08/11/2009 どんとこい、貧困!:書評

今日は、「派遣村」村長としてすっかり有名になった、
湯浅誠さんの『どんとこい、貧困!』。
書評にも書きましたが、この本は理論社の「よりみちパンセ」という
中高生向き以上に書かれてシリーズの一冊です。
「派遣切り」であるとか「ワーキングプア」であるとか、
昨年の金融恐慌以来、目にする機会が増えました。
格差も問題も含めて「貧困」の問題はけっして容易なものではありません。
この本の冒頭で「イスとりゲーム」の話がでてきます。
みなさんもやったことがあると思いますが、
いくつかのイスのまわりを歩きながら、
合図とともにイスを取り合うゲームです。
湯浅誠さんは、座れないのはその人のせいではなくて、
今の社会にそのイスが足らないっていうんですよね。
これからはもっとイスが減っていくような気がします。
だから、「貧困」というのは、
今がそうではないだけで、いつなるとも限らない問題でもあります。
高齢者の問題でもそうですが、
今現実にそういう問題に直面しないとわからないことがあります。
夏休みとかお盆休みを利用して、
家族で話し合うのもいいかもしれません。
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![]() | どんとこい、貧困! (よりみちパン!セ) (2009/06/25) 湯浅 誠 商品詳細を見る |


「貧困」と「貧乏」はちがう、と著者の湯浅誠氏はいう。「貧困」とは「頼れる人もいなくて、将来も見えてこないような状態」(64頁)であり、単にお金がないことだけを指すのではないとしている。
まず、このことを押さえておかなければ、「貧困」の問題は見えにくくなる。
「中学生以上すべての人」に書かれたこの本は、読者対象が広いぶん、たいへんわかりやすく、丁寧に「貧困」の問題を解説している。中学生だけでなく、おとなの人、とりわけ「勝ち組」といわれるグループを目指そうという若いおとなたちに読んでもらいたい一冊である。
08/10/2009 タヌキの丸かじり:書評

今日は日曜、おっと違った、
月曜、月曜、。
というわけで、今日は、月曜の「丸かじり」書評です。
月曜といえば、たいていの人は仕事はじめで、
嫌われちゃう曜日ですが、
理髪店は休みのところが多いのじゃないかな。
ですから、理髪店の人だけおいで、みたいな意地悪は、
私はしません。
みーんな、おいで。
それに、お盆休みにはいっているところも多いのじゃあないかな。
どちらみち、仕事ないでしょ。
だから、みーんな、おいで。
ゆっくり、「丸かじり」でお笑いください。
でも、よく考えたら、月曜って損ですよね。
単に日曜の隣にいるだけで、
世間の人から嫌われる。
密かに引越しを工作している噂も聞かないではありませんが、
そうなると、火曜が嫌われることになる。
だから、火曜は水曜とか木曜と組んで、
「月曜固定化プロジェクト」なるものを立ち上げたとか。
そんなこと、ないか。
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「タヌキの丸かじり」、おいしくいただきました。
満腹です、といいつつ、楊枝で歯をしこしこ磨いていて、ふと、頭をよぎったこと。
この本の初出となった連載時の、総理大臣って誰だったけ。
えーと、連載は1998年9月から1999年5月。
眉毛おじさん村山さんは神戸の震災の時だったし、ライオン丸小泉さんはもう少し後だよなって、満腹になった頭で考えたのですが思い出せません。
みなさん、覚えています?
答えは、ブッチホンこと、小渕さん。
ね、いま、みなさんも「そーなんだ」って顔したでしょ。
「そーなんです」。
答えをきいても、わからない人が数人(もっといるかも)いるくらい、政治のことなんて覚えちゃいないものです。
08/09/2009 原爆詩集 八月:書評
書評こぼれ話
今日、8月9日は長崎原爆忌。
日曜恒例の「丸かじり」シリーズはお休みいただいて、
今日は『原爆詩集 八月』という本を紹介します。
2008年の蔵出しです。
この本は詩集ですが、前回紹介した『夕凪の街 桜の国』が漫画だったように、
この国の多くの文芸は原爆を悲惨さを実に多く
描いてきました。
世界で唯一の被爆国として、
そのことは大切にしなければならないと思います。
もちろん、その一方で戦争当事者の国であったことも
忘れてはいけないのですが。
あの時から64年が過ぎ、
その時のことを語れる人も少なくなっています。
しかし、私たちには「想像力」という力があります。
犠牲になった人たちの悲しみや怒り、嘆きを「想像する」ことは、
二度とこういう悲惨なことを起こさない抑止になるはずです。
本を読む、ということは、
そういう力を養うことでもあります。
私は、そういう力を信じたいと思います。
※「丸かじり」は明日掲載します。
さて、どんな丸かじりになるやら。
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時間はいつもたった一度きりです。
それでも、時間は過ぎ去ったものを慈しみ、来るべき明日を夢みるようにできあがっています。それは、誰の人生にも同じように与えられているはずです。
1945年8月も同じでした。
でも、あの日、8月6日のヒロシマでは多くの人が過去も未来も、そして生きている現在(いま)も一瞬にしてなくしてしまわれました。
彼らはもう父の名も母の名も呼ぶことはなく、夫の声も妻の声も我が子の声も聞くことはありませんでした。彼らはもう詩をよむこともありませんでした。
そのことを誰が望んだでしょう。望みもしないことをされたというのに、彼らにはそのことさえ口にすることはできませんでした。
08/08/2009 読書からはじまる:書評

本には、特に文庫本や新書には、
よく見ると、いろいろなシンボルマークがついていて、

それはそれで、面白いテーマかもしれません。
今日紹介した長田弘さんの『読書からはじまる』は、
「NHKライブラリー」というシリーズ出版からの一冊ですが、
このシンボルマークは、何だと思います?
写真で大きくしておきましたが、
実はこれ、
夏目漱石の『道草』の草稿に落ちたインクの染み、
なんだそうです。
それだけで、うれしくなってしまいました。
そういうものをシンボルにしている本だから、
思わず頬すりすりしたくなります。
それに、たくさんの本のお話を書かれている
詩人長田弘さんの本でもあって、
二重の喜びです。
本好きな人ならこういう気持ち、わかってもらえると思いますが、
村上春樹さん風にいうなら、「小確幸」。
小さいけれど、確かな、幸せ。
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この本は、詩人長田弘さんの、いくつかの講演草稿をもとにして書き下ろされた、読書についての論考集です。
この本の最後で長田さんは「自分の心のなかに失いたくない言葉の蓄え場所をつくりだすのが、読書です」(214頁)と書いています。そういう豊かな言葉がさししめすとおり、この本のなかには読書だけでなく、言葉の問題、生活のなかにある時間や場所、私たちの記憶のことどもが、八篇の論考として収められています。
特に心をひかれたのは、子どもの本に関しての、「子どもの本のちから」と題された一篇でした。
08/07/2009 立秋/「国宝の美」を読む

暦のうえでは、秋、ということになります。
だから、今日からは「暑中見舞い」ではなく、
「残暑見舞い」。
とはいっても、まだまだこれからが暑さが厳しいですから、
皆さん、体調には気をつけて下さい。

秋の航一大紺円盤の中 (中村草田男)
此秋は何で年よる雲に鳥 (松尾芭蕉)
これから徐々に、風景の色も深まってきますから、
季節を感じながら、読書や俳句を楽しむのもいいかもしれません。

「国宝の美」という、週刊朝日百科の新しいシリーズが
今週創刊されました。
うーむ。

私は、この手のものにすごく弱い。
創刊号が大抵安い、
(「国宝の美」も400円というサービス定価)、
付録とかおまけとかついている、
(「国宝の美」には「国宝鑑賞の手引き」がついている)
それにやっぱりそのシリーズの目玉がでてくる。
(「国宝の美」では興福寺の阿修羅像)
阿修羅像が、じっと私をみつめているようで。
欲しいな、いいなぁ。
本屋さんの店頭で、
どうする? どうする? と百回くらい悩んで、
ついに買っちゃぃました。

最後まで揃うことはなかなかなくて、
最近では「日本の歳時記」は全巻揃えましたが、
あとは沈没の山。
それなのに買いたくなる。
「ウルトラマン」の分冊が出たときは、本屋さんの前で
苦渋の選択で日が暮れました。

阿修羅像の魅力と付録にひかれて購入したのですが、
「刊行のことば」として、山本勉さん(大学教授)が、
国宝についてこんなことを書いているのが印象に残りました。
国宝とは、日本におけるそんな無数のかたちの代表にほかならない。
それらは、すぐれたすばらしいかたちをもっているだけでなく、
この国に連綿と続いてきた、かたちをつくる歴史、あるいはかたちを享受する
歴史をたどる起点にふさわしいものであるはずだ。

この国は、そういう心の襞に根ざすものを大切にする文化をもっていました。
そういうものをなくしては、いけない。

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08/06/2009 夕凪の街 桜の国:書評

今日、8月6日は広島に原子爆弾が落とされた日。
そのあと、9日には長崎にも。
いろいろな主義、主張があるでしょうが、
やはりああいう悲惨なことは二度とあってはいけないと思います。
そして、そういうことは、
きちんと次の世代に伝えていくことが必要です。
今日紹介したこうの史代さんの『夕凪の街 桜の国』は漫画です。
漫画ですが、心が震える作品です。
映画にもなりました。(原作の方がずっといいです)
若い人たちが、そのようにして、きちんと平和を描くことが大事だし、
そういう本があることもやはり伝えていくべきだと思います。
この本は今は文庫(双葉文庫)にもなって、
手にはいりやすいですから、読んでみて下さい。
今日の書評は2005年の蔵出しですが、
これをきっかけにして、みなさんのなかの、
ヒロシマ、ナガサキを考える、きっかけになれば
いいと思います。
折り鶴に込めし鎮魂原爆忌 (本田幸吉)
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大江健三郎が『夏の花』の作家原民喜を紹介する短文の中で、原が文体について書いたこのような文章を紹介している。(「原民喜と若い人々との橋のために」1973年)
《明るく静かに澄んで懐かしい文体、少しは甘えているようでありながら、きびしく深いものを湛えている文体、夢のように美しいが現実のようにたしかな文体…私はこんな文体に憧れている。だが結局、文体はそれをつくりだす心の反映でしかないのだろう》
原はヒロシマで原爆に被災し、その中で彼でしか描けなかった小説を書いてきた作家である。
大江はこの短文で原のことを「若い読者がめぐりあうべき、現代日本文学の、もっとも美しい散文家のひとり」と書いた。
その時から三十年以上経って、私たちは「若い読者がめぐりあうべき、現代日本マンガの、もっとも美しい」作品を持つことになった。
08/05/2009 終の住処(芥川賞受賞作):書評

先日発表された第141回芥川賞を受賞したのが、
今日紹介しました、磯崎憲一郎さんの『終の住処』(ついのすみか)です。
私はいつも、芥川賞作品は「文藝春秋」に掲載されたものを、
その「選評」とともに読むのを基本にしているのですが、
今回は先に単行本がでましたので、「文藝春秋」発売前に
読んでしまいました。
「文藝春秋」がでたら、またその「選評」の感想を
書こうと思います。
今回の受賞者磯崎憲一郎さんは、
44歳の商社マンということで久しぶりの大人の作品と
話題になっていますが、
作品自体に明るさがあるかというと、けっしてそうではなく、
いまひとつとっつきにくさを感じました。
むしろ、作品の中の主人公の仕事についての描写の方に
活力があります。
案外この作者は「経済小説」などを書けば、
面白いかもしれません。
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文学は時代の風見鶏であるのか。
著者が意図しようとしまいと、時代はしばしば文学に風見鶏であることを強いることがある。それが芥川賞というこの国でもっとも有名な文学賞であればなおさらで、作品がすでに強く時代の風を受けている場合もあるし、掲げられて初めて時代の風を感じることもある。
第141回芥川賞を受賞した磯崎憲一郎の『終の住処』を読み終わった時に感じた、ある種の徒労感もまた、風見鶏が指し示す時代の風なのだろうか。
08/04/2009 Black Jack 17 (秋田文庫):書評

漫画の書評ってあるかといえば、
もちろん、これはやっぱりあります。
今日は2003年の蔵出しですが、
手塚治虫さんの『Black Jack(ブラック・ジャック)』の書評です。
書評というのは、
別に文字で書かれた散文だけでなく、
絵本だって書けますし、詩文でも書けます。
そして、漫画も。
読んだものが心にどう響いたか、
それを誰かに伝えたい、あるいは自分の中で残しておきたいと思えば、
表現手段として、それは可能だと思います。
だから、本当は「漫画ばかり見て」というのは正しくはありません。
漫画を読んで、何を思ったのかということを引き出してあげれば
いいのではないでしょうか。
ちなみに、今週の「bk1書店」の<書評フェア>は、
「書評を通じて、天才・手塚治虫の全貌に迫る」という企画です。
一度、のぞいてみてはいかが。
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手塚漫画の魅力を、この巻の解説者である里中満智子さんは「社会性」「ストーリー性」「あぶないお色気」「暗さ」「重さ」「キャラクターの多彩さ」と分析している。
里中さんは、一ページあたりのストーリー展開のスピードに言及して、それが手塚治虫の本来のリズムだと感嘆する。自身が漫画家であるだけに、手塚の文体の魅力がよく見えているのだろう。
里中さんはそんな職業的な専門的解説の中で、さりげなくこんな一文を書いている。「ピノコのあぶないお色気も、手塚作品の底に流れる主旋律の一本だ」(259頁)そのさりげなさの中に、里中さんのピノコに対する愛情のようなものを感じる。
08/03/2009 学問:書評

今日はまず、書評のおける「ネタバレ」について書きます。
少し前に書評家豊崎由美さんの、
「ガター&スタンプ屋ですが、なにか? わたしの書評術」という、
雑誌「本が好き!」(光文社)の連載記事のことを書きましたが、
そのなかで、豊崎由美さんは「ネタバレ」書評のことも書いていて、
彼女はこう定義づけしています。
知って驚いたり、悲しんだりする読者の初読の快感の権利を奪う書評
どうです?
これから、書評を書いてみようと思っている人には
参考になるのではないでしょうか。
今回紹介した、山田詠美さんの『学問』を読み終わって、
書評にも書きましたが、すごい仕掛けをみつけた時に、
それをどう書こうかと考えました。
結局今回のような形になりましたが、
これで、もし、みなさんが「読んでみたい」と思われたら、
書評として、よく書けたといえるかもしれません。
それはともかくとして、
本当にいい小説ですよ、これ。
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男というのは時になんとも要領が悪いもので、山田詠美の『学問』という小説が「女性のためのオナニー小説」(豊崎由美・「波」7月号所載)であるとか「女子の性欲あるいは自慰というテーマ」(斉藤美奈子・朝日新聞2009.7.28)とか書かれてしまうと、興味は募るものの、いざそれらを言葉として表現しようとすれば、ふんと知らんぷりでもしているしかない。
よくぞここまで書いてくれたという女性読者の満足とそれを言葉に出来ない男性読者の不機嫌があわさったような評価にでもなるのであろうか。