08/20/2009 俘虜記:書評

朝日新聞日曜書評欄の「百年読書会」(重松清ナビゲーター)の、
8月の課題図書は、大岡昇平さんの『俘虜記』。
これは、しんどかった。
戦後文学の名作だということは昔から知識として知っていましたが、
読むのは初めて。
文庫本にして500ページ弱。
しかも、そのほとんどが人物描写であったり心理描写で、
最近の会話主体の作品とは大違い。
よくぞ選んで頂きました、というか、
勘弁してよ、重松清先生、という恨みとぼやきで、
まるで小学生の夏休みの宿題状態でした。
でも、こういうことでもないと、
おそらくこういう作品を読む機会もないだろうと、
読みきりました。
戦後まもなくして、こういう作品が書かれ、
また多くの読者を魅了したということに驚きます。
娯楽といえば、ほとんど何もない時代だったからでしょうか。
あるいは、活字そのものを渇望していた時代だったからでしょうか。
今ならなかなかこういう作品が読まれ、
まして後世に残ることもないような気がします。
今回も書評句とともにお楽しみ下さい。
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はじめての 「俘虜記」読み終え 夏の果て
戦争はいつ終わったのか。
戦後の文学史のなかで重要な位置をもつ、大岡昇平の『俘虜記』を読んで、愚かしい政治を持った悲しみと憤りを感じる。特に、戦争終結の時期において。
『俘虜記』は大岡昇平の従軍体験を基にして、戦場での敗走と俘虜となるまでの短編「捉まるまで」をはじまりとした俘虜収容所内での様子を描く連作集だが、そのなかの一篇「八月十日」という短編は終戦を向かえた俘虜たちの姿を描き、連作のなかでも読みやすい作品であり、かつ描かれている事実は極めて重要である。
そのなかで、大岡ははっきりこう書く。「我々にとって日本降伏の日附は八月十五日ではなく、八月十日であった」と。
終戦後わずか五年にして、記録としての戦争が見事に描かれた一文である。この五日間は何であったのかという憤怒のごとき怒りが尾高という兵士の奇行の向こうに透けて見える秀作といっていい。
(2009/08/16 投稿)
レビュープラス
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