プレゼント 書評こぼれ話

  先日(10.22)の朝日新聞夕刊に、
  詩人の長田弘さんが、「悦ばしい読書-自分の時間で読み継ぐ」という
  文章を寄稿されていました。
  少し内容を紹介しますね。
  冒頭こうあります。

    読書というのは、本を最初から最後まで読むこと、しっかり読みとおすこと、
    読み切ること、読みぬくこと、読み解くこと、なのだろうか。
    そうではない、と思う。

  長田弘さんは、「読みとおすのではなく、読みさす。読み切るのではなく、読み余す。
  読みぬくのではなく、読み継ぐ。読み解くのではなく、読みとどめる
」ことが
  大切だと書いています。
  ここでことわっておく方がいいですが、
  長田弘さんが言っているのは、
  ビジネス本などの重要なところしか読まないという読書法のことでは
  ありません。
  そして、

    いつの世にも読書というのは、その人の人生のスタイルのことなのである。

  と書いています。
  最後には、黒田清輝の『読書』という絵画のことにもふれています。
  そういう長田弘さんの文章に誘われて、
  今日は長田弘さんの『幸いなるかな本を読む人』という詩集の蔵出しです。
  この本は、私の書評詩のモデルとなった本なんです。
  興味のある方は、ぜひ手にとってみてください。

幸いなるかな本を読む人 詩集幸いなるかな本を読む人 詩集
(2008/07/25)
長田 弘

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sai.wingpen  秋になると本がおいしくなります                矢印 bk1書評ページへ

 本好きにはたまらない素敵なタイトルの、書名というのでもなく題名というのでもない、詩集a collection of poemsである。
 
 ここには、詩人長田弘が書いた、二十五冊の本に誘(いざな)われた二十五篇の詩が収められている。それは書評でも、感想でもない。どこまでいっても独立した詩なのだ。それは季節のありようにふれること、人の思いに揺さぶられること、事物の確たることに導かれること、と同じ、詩の成り立ちである。
 詩poemとはなにか。それは詩人の心の表象だし、我々の心を代理するものだ。

 詩人poetは書く。「わたしが本について、ではなく、わたしが本によって語られているという、どこまでも透きとおってゆくような感覚だった」(109頁「あとがき」)と。

 ここには本たちが背景、あるいは空気のようにといいかえたほうがいいような、のようにあるだけだ。
 この詩集は、詩の背景となった本たちの名前が註として記載されているが、まずは二十五篇の詩を味わってみることをお勧めしたい。そのうえで、詩人がどんな書物でこれらの言葉を紡いでいったのかを、もう一度、味わう。深く味わう。
 このように書いてみると、詩とは、ごく自然に繰り返している呼吸のように思えてくる。

 詩人poetは書く。「読書とは正解をもとめることとはちがうと思う。わたしはこう読んだというよりほかないのが、読書という自由だ」(108頁「あとがき」)と。

 言葉wordsを縦糸に、イメージimageを横糸にして織られた自由という刺繍。一冊の本が私たちにくれる、何にも囚われることのない自由。この詩集はそういう読書の本来の在り方を再認識させてくれる。

 読書の秋にふさわしいタイトルtの、詩集a collection of poemsである。
  
(2008/11/01 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今回の「書評の明日」は、
  赤木かん子さんの『お父さんが教える読書感想文の書きかた』の書評を
  読んでいただきたいと思います。
  先日紹介した「読書の実態・意識調査」にもありましたが、
  子どもの頃の読書体験は将来おとなになって
  とても役立ちます。
  やはり、本を読むことが自然にできるようになるのでしょうね。
  では、子どもにどうやって読書をすすめるか、
  やはりお父さんやお母さんが自ら本を読むことに
  尽きるのではないでしょうか。
  もちろん、そうでないこともあります。
  私の両親はあまり本を読まない人でした。
  でも、本は嫌いではなかったと思います。
  あるいは、私の娘たちはあまり本を読みません。
  父親がたくさん本を読むことは知っていますが、
  それにひっぱられて、ということはありません。
  それでも、娘たちは平均的な冊数ぐらいは読んでいます。
  奥さんもあまり読みません。
  まあ、一家にひとりくらい、
  「本好き」がいてもいいんじゃあないかな。

お父さんが教える読書感想文の書きかたお父さんが教える読書感想文の書きかた
(2009/09/01)
赤木かん子

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sai.wingpen  誰が読むのか               矢印 bk1書評ページへ

 この本に説明されている書き方で、書評を書いてみたいと思います。
 この本では原稿用紙三枚、つまり1200文字をめどに、三行ごとのブロックを二十に分けて書くことを推奨しています。
 まず、最初のブロック。これは、「題名」と「名前」ですから、とばしますね。
 次のブロックは三つ使います。つまり、九行で書くということですが、ここではなぜこの本の感想を書こうとしたのか、「動機」を書きます。
 今回の場合でいえば、「読書感想文の書きかた」に興味があったこととか、「お父さんが教える」という冠にひかれました。こういう本って、「お父さん」を巻き込むことはあまりありません。だから、書名としてはインパクトのあるつけかただと思います。

 次のブロックで、「最初の場面のあらすじ」を書きます。わずか三行ですから、全体のあらすじではなく、導入部分をうまくまとめたいところです。そして、「自分の感想」を書きます。ここで、四ブロックほど書きましょう。できたら、「あらすじ」と「感想」を交互に、となっていますが、そうなるとなかなか書きにくいですから、うまくまとめる必要があります。
 それに、「感想」といっても単に面白かったでは読む人を退屈させますから、例えばこの本でいえば、大きな活字で読みやすかったとか、原稿用紙の使い方まで書かれていて丁寧だった、みたいな「感想」がいいかもしれません。

 その次は、起承転結の「転」のように、話をすこし膨らませたり、「本に書かれたことをやってみる」ことです。
 この書評では、まさに「本に書かれたことをやって」います。
 最後は、「結」。文字通り、結論です。一番最初にもどって、「動機」と対のようになればいい、と書かれています。
 この本の場合でいえば、「読書感想文の書きかた」に興味があったのですが、確かに著者が三十分でマスターできると書いているように、なかなかうまくまとめられています。こういうパターン化したような説明も、「読書感想文」が苦手な子供には、きっかけとしてはいいのではないでしょうか。

 いずれにしても、「お父さん」がまず、本を読むことから始めることが大事です。
 がんばって、「お父さん」。
  
(2009/10/01 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  やっと、山崎ナオコーラさんのデビュー作にたどりつけました。
  2004年に文藝賞を受賞した『人のセックスを笑うな』です。
  山崎ナオコーラという変な名前の作家が
  いささか挑発的な題名の小説を書いたことは知っていましたが、
  どうも読む気になれませんでした。
  たまたま芥川賞を何度も落としているので、
  どんな作家だろうと気になって『』という作品を読んだのが
  山崎ナオコーラさんに出合うきっかけでした。
  その後、新刊がでるたびに読んできましたが、
  かなり気にいっています。
  だから、どうしても読みそこねたデビュー作『人のセックスを笑うな』を
  読みたくてしかたがありませんでした。
  作家を好きになるということは、
  全部の作品を読まないといけないということではありません。
  いつも読み始めがスタートです。
  そして、前に進むだけでなく、
  時にはこうして元に戻ってみる読み方も
  あっていいのだと思います。
  すっと読めます。
  ぜひ、みなさんも「山崎ナオコーラ」体験を
  してみてください。

人のセックスを笑うな (河出文庫)人のセックスを笑うな (河出文庫)
(2006/10/05)
山崎 ナオコーラ

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sai.wingpen  彼女の名前を笑うな             矢印 bk1書評ページへ

 現代文学の書き手たちのなかにあって、山崎ナオコーラはどのような場所にいるのだろうか。
 山崎ナオコーラはこの『人のセックスを笑うな』で第41回文藝賞(2004年)を受賞しデビューしたのだが、その刺激的な題名と人を小馬鹿にしたようなペンネームであたかも現代文学の最先端にいるかのごとく評価されているのだと思う。
 しかし、そのじつ、山崎ナオコーラはけっして主流にあるのではなく、彼女独自の世界感、あるいは文学感のなかにいるような気がしている。
 それは、すでにこのデビュー作から持ちえた、彼女の感性だといえる。

 美術専門学校に通う十九歳の主人公はその学校の講師である三十九歳の既婚のユリと関係をもっている。「関係をもつ」という奇妙な日本語には、二人のあいだには性行為が存在する、という事実をふくまれているのだが、もっと純粋な恋愛感情が少なくとも主人公にはある。
 きっかけや関係性はともかくとして、あるいは物語の進み具合からすると、あたかも年上の女性のきまぐれにふりまわされているようにも見えるが、主人公の心の揺れ動きはどの時代にあっても若い人たちが経験するだろう、乱暴に扱えば壊れそうな心情を、描いている。
 山崎ナオコーラは物語を書こうとしたのではなく、十九歳の青年の心の風景を言葉にしただけだ。

 そういう点で、山崎ナオコーラは現代文学の多くの書き手たちと一線を画している。
 めざすべき方向がちがうといってもいいし、彼女は物語ではこぼれてしまう心の在り処を実は読者にゆだねているようにみえる。
 作者は物語の後ろに隠れている。そういう照れのような思いが、一見ふざけてみえる「ナオコーラ」というペンネームに託されているのではないだろうか。

 「寂しいから誰かに触りたいなんて、ばかだ」と突き放しつつも、そういう寂しさを人一倍感じるものを作者自身が捨てきれないでいる。
 そういうものに共鳴する。これからも山崎ナオコーラは、私にとって気になる作家であるにちがいない。
  
(2009/10/29 投稿)

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鉛筆 「雑誌を歩く」の、第6号は、シナリオの専門誌。
 しかも、別冊。
 しかも、日活ロマンポルノ。
 雑誌「シナリオ」9月号別冊『作家を育てた日活ロマンポルノシナリオ選集』です。

シナリオ2009年9月号増刊 作家を育てた日活ロマンポルノシナリオ選集 2009年 09月号 [雑誌]シナリオ2009年9月号増刊 作家を育てた日活ロマンポルノシナリオ選集 2009年 09月号 [雑誌]
(2009/08/08)
不明

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鉛筆 高校から大学(その間に浪人生もありますが)にかけて、
 映画に夢中になっていた時期があって、
 雑誌も映画関係の本を読むことが多くありました。
 やはり、とっかかりは「スクリーン」ですよね。
 それであきたらなくなって、「キネマ旬報」に移っていくのですが、
 ときには「映画評論」とか、今回紹介する「シナリオ」とかを
 本屋さんの店頭で立ち読みしていました。

鉛筆 今回の「シナリオ」別冊は、
 かつて日本映画界で刺激的で蠱惑的な多くの作品を輩出した、
 日活ロマンポルノのシナリオ作品が10作品集められています。
 代表的な作品では、神代辰巳さんの『一条さゆり 濡れた欲情』(神代辰巳監督)、
 いど・あきおさんの『㊙色情めす市場』(田中登監督)とかがあります。
 考えてみれば、
 私が日活ロマンポルノに夢中になっていたのは、
 二十歳前でしたから、早熟といえば早熟かもしれませんし、
 若いエネルギーのはけ口みたいなところもあったのでしょうが、
 当時の荒っぽい暴力映画やのっぺりした日常映画ばかりの邦画界にあって、
 日活ロマンポルノの作品群の、なんと生き生きとしていたことでしょう。
 そこには、生身の人間がいました。
 哀しいくらいの暗さがありました。
 それでも生きていく強さがありました。
 日活ロマンポルノのすべての作品がそうだったとはいいませんが、
 そういう作品が綺羅星のごとく多かったということです。

鉛筆 この別冊の巻頭に、シナリオ作家の桂千穂さんが
 こんなことを書いています。
 
  人材を輩出した日活ロマンポルノは、日本映画のひとつの奇跡だったのかもしれない。

 本当にその通りだと思います。
 だから、私なんかは、
 もっと日活ロマンポルノ関連の本が出版されてもいいのにと
 「でておいでー」と日々念じています。

鉛筆 この雑誌の巻末には、
 「日活ロマンポルノ全作品リスト」もついていて、
 資料的にも貴重ですし、
 私なんか、「うん。うん。この作品観たな、そうか、17歳だったのか」みたいな
 思い出のアルバムをひろげている気分でした。
 なんといっても、私のベストワンは、
 神代辰巳監督の『恋人たちは濡れた』(1973年)かな。
 あるいは、田中登監督の『実録阿部定』(1975年)。

鉛筆 たまには、こういうシナリオ雑誌も読むのもいいですよ。
 今回もていねいに。

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日から、「読書週間」です。
  今年のテーマは、「思わず夢中になりました」。
  あります、あります。
  読み始めたらとまらない。
  本の世界にのめりこむ。
  今日紹介する『図書館ねこ デューイ 』は、
  昨年の「読書週間」の際に書いた蔵出しです。
  ところが、先日(10.20)こんな新聞記事をみつけました。
  
   30代「忙しくて」本読めない? 4人に1人が「月0冊」

  これは、財団法人・出版文化産業振興財団が行った
  読書の実態と意識調査の結果なのですが、
  30代の人の、実に27.4%の人が月に一冊も本を読まないという
  結果だったんですね。
  でも、どの年代も、読まない人が20%を超えているというのも
  悲しいですね。
  「3冊以上読む」のは60代が最も多いのですが、
  やはり本を読むのは、時間が必要なのかもしれません。
  この調査では、子どもの頃に親から本を読んでもらったりした
  読書体験を持つ人の方が、
  たくさん本を読んでいる傾向にあるとしています。
  「読書週間」にかぎらず、
  本の素晴らしさを、もっとたくさんの人と
  わかちあえたら、
  どんなにいいでしょう。

図書館ねこ デューイ  ―町を幸せにしたトラねこの物語図書館ねこ デューイ ―町を幸せにしたトラねこの物語
(2008/10/10)
ヴィッキー・マイロン

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sai.wingpen  おもわぬ出会いがありました         矢印 bk1書評ページへ

 2008年の読書週間(10.27~11.9)のテーマは「おもわぬ出会いがありました」。まさにそんなコピーと同じ思いをこの本で味わうことができたのを、奇跡のように感じている。
 私は猫が好きではない。ただ「図書館ねこ」という言葉に興味をもっただけだった。書店に並んだ猫のデューイを描いた装丁が魅力的だったにしろ。むしろ今は「図書館ねこ」のデューイが優しい鳴き声で私を呼んでくれたのかとさえ思っている。このような「おもわぬ出会い」があるから、本を読むのは楽しいのである。

 「おもわぬ出会い」といえば、著者のマイロンさんと猫のデューイの出会いも物語のように劇的である。
 先に言っておくと、この本に書かれていることは事実である。
 事実は小説より奇なり、という使い古された言葉があるが、もしかするとある事実をごくつまらないちっぽけなことにしてしまうのも、夢のような物語にしてしまうのも、その人次第ではあると思う。そして、マイロンさんはデューイとの出会いを奇跡の物語にしてしまったのだ。

 アイオワ州の北東部にあるスペンサーは、トウモロコシ畑に囲まれた、小さな町である。マイロンさんはその町の公共図書館の女性館長だった(今はすでに退職されている)。
 1988年の寒い朝、彼女は図書館の返却ボックスの中で寒さに震えていた一匹の子猫に出会う。それがのちに「図書館ねこ」となるデューイとの出会いだった。
 彼(子猫は雄猫だった)は捨てられたのかもしれないし、寒い夜をしのげるように図書館の返却ボックスにいれられたのかもしれないが、いずれにしても小さな町ながらも公共図書館のありかたを真剣に考えていたマイロンさんと出会ったのは彼(もちろんデューイのこと)にとっても奇蹟だったに違いない。

 ここに書かれているのは、そうして命びろいをしたトラねこの話ではない。
 本書の副題にあるように、図書館に住むようになったデューイ(彼の正式な名前はデューイ・リードモア(もっと本を読もう)・ブックス。なんて素敵な名前だろう)が、小さな町を幸せにする話なのだ。
 映画の話をしているのではない。彼は何も魔法を使わないし、人の言葉を話したわけでもない。ただ毎朝図書館に来る人を優しく迎えただけであり、誰へだてなく擦り寄り、膝にのぼっただけなのだ。
 ではどうして町を幸せにできたのか。そのことをマイロンさんをこう書いている。「デューイは改めて、スペンサーが他とちがう町だと思い出させてくれた。わたしたちはお互いに気づかいをした。ささいなことを大切にした。人生は量ではなく質だということを理解していた」(170頁)
 繰り返すが、これはハリウッドの夢物語ではない。トウモロコシ畑に囲まれた小さな町に起こった真実なのだ。
 今の日本で都市と地方の格差の問題は深刻だ。
 でも、この本を読めば、私たちが何をしないといけないのかがわかる。自分たちの町に誇りをもつことだ。そして、同じようなことが著者のマイロンさんの生き方にもいえる。
 この本の魅力はもちろんデューイの可愛いさにおうことが多いが、アルコール依存症の夫との離婚やシングルマザーとしての子育ての困難さや乳がんの苦しみといった難題を幾重にも抱えながら、それでも図書館館長としての仕事をやりぬく彼女の、生き方の素晴らしさに誰もが胸打たれるにちがいない。

 マイロンさんは書いている。「いちばん大切なのは、あなたを抱きあげ、きつく抱きしめ、大丈夫だといってくれる人がいることなのだ」(318頁)。
 マイロンさんにとってデューイはそんな猫だったのだ。デューイにとってマイロンさんはそんな女性だったのだ。そして、スペンサーの町の人にとっても、デューイは、そんな奇跡のような「図書館ねこ」だったのだ。
 鼻の奥がツンとして涙を少し滲ませながら、表紙の絵のデューイにそっとつぶやいて本を閉じた。
 「おもわぬ出会いは、とっても素敵でした。ありがとう」
  
(2008/10/27 投稿)

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本 先日の土曜日(10.24)、毎月の恒例となった、
 「さいたまブッククラブ」の10月の定例会に行ってきました。
 今回の参加者は10名。
 男女別にいえば、7対3で、男子の勝ち。
 (勝ってどうするの?というつっこみはいれないでください)

 さて、今回は会の始まる前から、
 「本を読んで泣けるのか」みたいなことが雑談のねたにあがっていたのですが、
 それが見事に実感できる、いい会になりました。

本 まずはSさん(♂)。民主党のブレーンともいわれる、榊原英資さんの
 『大不況で世界はこう変わる!』。
 つづく、若いYさん((♂)は半藤一利さんや保阪正康さんの
 『あの戦争になぜ負けたのか』。
 政治とか国の話とかはやはり信念がないとなかなかできませんね。
 話が戦争とかになってしまうと、いいかげんな気持ちではできません。
 だって、前の戦争で犠牲になった人たちが現にいるわけですし、
 そういう人たちがいて私たちはあるわけで、
 そういうことを理解せずに、いいかげんには語れないと思います。

本 Oさん(♂)は、複数冊の紹介で、
 遠藤周作さんの『深い河』では、宗教について話が盛り上がりました。
 若いS君は無類の読書家なのですが、
 ここで「芹沢光治良」の名前がでてきたのには驚きとともに感服しました。
 S君は本当によく本を読んでいます。
 このあと、S君に事件が起こるのですが、そのことはまだ知るよしもありません。
 宗教といえば、今回Sご夫妻の奥様が紹介したのが
 五木寛之さんと帯津良一さんの対談集『生きる勇気、死ぬ元気』。
 考えてみれば、最近の五木寛之さんこそ、宗教作家といえるのではないでしょうか。

本 前回より参加のSさん(♀)は、石田衣良さんの『4TEEN』。
 こういう本だとやっぱりホッとします。
ペスト さて、この会の人気者、M嬢の今回の出し物ですが、
 出し物じゃないな、紹介本ですが、
 デフォーの『ペスト』。
 『ペスト』といえば、カミュじゃないですか。
 それをデフォーですからね。さすがM嬢。
 しかも、彼女が今回持参したのは、昭和26年の創元社版の
 カミュの『ペスト』上下2冊本。
 これには驚きました。
 私はカミュといえば新潮社とばかり思っていましたからね。
 いやぁ、よくぞ見つけてこられました。

本 さて、S君の番です。
 彼が紹介したのは、本田宗一郎とともに世界のホンダを作った
 藤沢武夫さんの『経営に終わりはない』。
 会社を去る本田宗一郎との最後の場面を朗読しようとして、
 S君、感極まりました。
 泣けてきました。
 そう、本を読んで泣けるのです。
 いいなぁ、若いって。
 いいなぁ、本って。

本 Sさんご夫妻のご主人は、今はまっているという
 山本一力さんの『あかね空』。
 ご夫妻のブログのなかでも、いい書評書いておられます。
 今回進行役をしていただいたOさん(♂)は、
 カフカの『審判』。
 丁寧な紹介で、私にはとっても懐かしかったです。

本 そして、私は雑誌「シナリオ」の別冊、
 「作家を育てた日活ロマンポルノシナリオ選集」。
 この雑誌のことは、また別の機会に。

本 気がつけば、窓の外はすっかり暗くなっていました。
 今回も充実の三時間近い会合でした。

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プレゼント 書評こぼれ話

  今回の東海林さだおさんの『ホットドッグの丸かじり』の文庫解説は、
  作家の角田光代さん。
  そのなかで、角田光代さんはこんなことを書いています。

   言葉を扱うということの、凄みというか、覚悟というか、
   そういうものを私はこの一編に感じて打ちのめされた。


  こういう文章が書ける角田光代さんもさすがですよね。
  それにくらべて、
  私の書評は毎回軟弱で、いやはや、
  こそこそ逃げたくなります。
  まあ、角田光代さんと比べること自体が
  無謀なので、
  今回も勝手きままに書かせてもらいました。
  ところで、
  今回の表題の「ホットドッグ」ですが、
  私は長い間、「ホットドック」とばかり思っていました。
  ク、ではなく、グ。
  もう、ぐうの音もでないという感じです。

ホットドッグの丸かじり (文春文庫)ホットドッグの丸かじり (文春文庫)
(2008/11/07)
東海林 さだお

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sai.wingpen  「丸かじり」三代記                矢印 bk1書評ページへ

 世襲はむずかしい。
 先の選挙でも世襲はだめだとか、まあそうはいっても今回はいいじゃあないかと喧しいものだったが、選挙が終わったら、しーん、としてしまった。
 なんだか、またこそこそと、ひそひそと、「お父ちゃん、世襲ゆずってね」なんてねだっているのだろうか。
 別に政治家だけが世襲問題で悩んでいるわけではなくて、先代がこつこつ地道にこしらえてきたものを二代目がはちゃめちゃにしてしまうなんていうのは、たくさん目にする。

 ここに饅頭屋があったとする。(どこにあるのかと聞かれても困るが、あるものは仕方がない)
 毎週毎週こつこつと、地味に、といっても、そこは先代も馬鹿ではなく、かなりの大手の流通経路にくいこんで、なじみのお客がたくさんついている。
 屋号は、「あれも食いたいこれも食いたい」。
 れっきとした老舗である。
 この饅頭屋の二代目もそこそこやり手である。
 世間でいう、馬鹿息子ではない。
 「父ちゃん、屋号が長すぎて、お客さんが舌かんじゃってる」みたいなことを、無口な先代に進言したにちがいない。
 そして、新たな流通経路までこしらえて、「父ちゃんの丸かじり」として、まとめて売り出した。
 もともと先代の味がいいから、売れないはずはない。
 しかも、新しい屋号がうけたから、二代目も成功した。
 だから、この饅頭屋は世襲に関しては問題なかった。
 さらに、三代目が才覚に富んでいて、「父ちゃん(これは二代目のこと)、これってパッケージを変えたらもっと売れるんじゃない」みたいなアイデア商売を始めた。
 流通経路も変え、価格も低価格戦略にうってでた。
 パッケージは専門業者にお願いした。さらに、有名人のあれこれに推薦文を依頼した。
 これが評判を呼んで、売れに売れた。

 いまでは「丸かじり」というだけで、みんなが「あれはうまい」というまでの認知を得るまでに急成長している。
 世襲がこれほどうまく成功した例は、近代日本経営史でもまれである。
 今日も、先代は毎週毎週こつこつと、二代目は先代の働きに感謝しつつ、数が集まるのを待って、さらに三代目はよしよしと舌舐めずりしている。
 それでも、お客は喜んでいるのだから、こんないいことはない。
 「丸かじり」三代記は、きっと、日本のベスト世襲として、国民栄誉賞をとるにちがいない。
  
(2009/10/25 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日紹介した船井幸雄さんの『学びのクセづけ』というのは
  いい題名です。
  私たちは一生勉強しつづけないといけない、と
  私は思っていて、
  私の家には相田みつをさんの、

   一生勉強一生青春

  なんていう言葉を額にいれて飾っています。
  飾っているだけでは仕様がないのですが、
  まあ、ないよりあった方がいいし、
  今回の書評にも書いたように、
  学生時代の頃のようなことだけが勉強ではないのですから、
  仕事上のことであったり、
  人とのつきあいであったり、
  そういうことすべてが「学び」だと考えれば、
  人間とはやはり学びつづけないといけないものなんでしょうね。
  そして、それが日々の生活のなかで
  自覚できることこそ、
  クセづけになるのだと思います。

学びのクセづけ学びのクセづけ
(2009/06)
船井 幸雄

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sai.wingpen  与太郎の相談                     矢印 bk1書評ページへ

 落語の世界では、なんともしようもないくらいの馬鹿の見本のような与太郎とか熊さん八っつぁんがなにかと知恵者のご隠居さんとか大家さんに相談する場面がでてくる。教えを乞うているのだが、なかなか理解できなくて、そのずれが笑いを生む。
 「経営指導のプロ」とまで呼ばれる船井幸雄氏のこの本を読んで、目に浮かんだのがそういう落語の場面であった。さしずめ、私が与太郎で、船井氏がご隠居さんというところだろうか。

 「勉強」といえば、ランドセルかついで、学び舎にいって、先生のなんだかわからない講義を聴いて、試験の結果に一喜一憂し、なんとか卒業したものの、身についたものといえば何だったろうか、そういうものだとつい考えがちだが、船井氏は、「勉強する真の目的」は、「自己の魂の本質をより良く成長させ、人間性を高める」ことだという。
 つまり、本書でいう「学び」とは、資格を取得することや学術研究を修めることではなく、生きていくための根幹の知恵である。
 いうならば、幸せになるための方法、考え方の伝授である。

 それでは、幸せってなんですか、と与太郎だったら訊ねるだろうか。
 船井氏はお金儲けやえらくなることがそうだとはいわない。「幸せな人は、いまあることに目を向けます。つらいことがあったとしても、現実を受け入れ、生かされていること、恵まれていることに目を向けることができ、感謝の心を持つことができるのです」(145頁)
 そういう心持ちにはなかなかなれないけれど、だからこそ、人間は学んでいかなければならない。

 「へえ、そんなものですかね」と与太郎はなんとなく感心する。「だったら、あっしは幸せにちがいないから、学びのクセづけはいいや」と言って元気よく帰っていくのだろう。
 ご隠居さんのあきれた顔が目にうかぶようだ。
  
(2009/10/24 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今回紹介したスペンサー・ジョンソンさんの、『頂きはどこにある?』は
  表紙の雰囲気からもわかるとおり、
  あの『チーズはどこへ消えた?』による作者の最新刊です。
  覚えている人も多いと多いと思いますが、
  『チーズはどこへ消えた?』は当時(2000年)大ベストセラーになって、
  『バターはどこへ溶けた?』みたいな類似本がバンバンでました。
  裁判にもなったぐらいですから、
  世の中、チーズなのかバターなのか
  わからないくらいになっちゃて、それはそれは大変でした。
  まあ、もともとの本が童話みたいな寓話でしたから、
  そういう点でも類似本が出やすかったのだと思います。
  でも、そういう騒動があって、
  販売に支障がでたというより、宣伝効果として
  大きかったかもしれません。
  そういう本って、「どれどれ」っていう感じで
  読みたくなるでしょう。
  そういうベストセラーのできかたもあるのではないでしょうか。
  では、この『頂きはどこにある?』の類似本がでるかどうかですか、
  これはちょっと出ないと思います。
  まあ、せいぜい歳暮の季節になって、
  ご亭主が奥さんに、
  「頂き物はどこにある?」っていう程度だと思います。
  ちがうかな。
  
頂きはどこにある?頂きはどこにある?
(2009/09/08)
スペンサー・ジョンソン

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sai.wingpen  わたしがいるところ                矢印 bk1書評ページへ

 自分はどこにいるのだろう、と思い悩むときがある。
 山頂の素晴らしい風景を手にいれたとは思わないが、谷の厳しさにいるとも思っていない。他人のからみれば、あなたは山頂に住んでいますよと言うかもしれないし、可哀想に谷の生活ですかと同情されているかもしれない。
 だとしたら、いったい、自分はどこにいるのだろう。

 著者のスペンサー・ジョンソンによる前作『チーズはどこに消えた?』(2000年)は日本で370万部を売り上げた大ベストセラーだが、あれから9年経って、もう少し物語風の構成で書かれたのが本書である。
 今回のテーマは、人生や仕事における良い時期と悪い時期をどうコントロールするか。
 人生は山あり谷あり、とはずっと昔から言われつづけていることだから、その点では前作よりもとっつきやすいかもしれないし、書かれている内容も理解しやすいということでは、前作よりはおすすめかもしれない。

 この本のなかでは、谷に生きる若者が山頂で暮らしたいとあこがれ、すでに山頂に暮らす老人からさまざまな知恵を授かるのだが、山や谷というのはわかりやすいようでわかりにくい。
 谷に暮らす若者の両親は、自分たちの住んでいるところを谷だと認識していただろうか。あるいは、若者が思いを寄せる彼女にとってはどうだろう。
 案外、彼らは自分たちの住む世界を頂きだと感じていたのではないだろうか。若者の大きな間違いはそこにありはしないだろうか。

 メーテルリンクの『青い鳥』は幸せを招く青い鳥をさがすチルチルとミチルの物語だが、結局青い鳥は自分たちの家の鳥かごにいることに気づく。『頂きはどこにある?』に登場する谷の若者はいつまでも青い鳥を探し求める兄妹に似ている。
 彼は自分の居場所の頂きに気がついていないようにもみえる。そして、多くの人がその過ちに陥ってしまう。
 谷は谷のまま頂きにもなるし、頂きは谷にでもなりえる。
 谷にあるのはエゴと恐怖心だと、本書には書かれている。その惑いが頂きの風景を谷に変えてしまう。

 あなたはいま、どこにいるのだろう。
 それは山頂だろうか、谷だろうか。
  
(2009/10/23 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  二日つづけて、
  川上弘美さんのことを書いてきましたが、
  今日は川上弘美さんの、もっとも新しい本、
  『これでよろしくて?』の書評です。
  本屋さんの店頭で、
  川上弘美さんの本をみかけると、
  うれしくなってしまいます。
  まさか毎日出るはずもないのですが、
  なんだか川上弘美さんの新しい本がでていないか、
  いつもさがしている。
  そんな気分で本屋さんを歩いています。
  今回紹介した、『これでよろしくて?』は、
  もともとが「婦人公論」という女性向けの雑誌に掲載されていましたので、
  物語の内容もそういう読者を意識したものになっています。
  きっと男である私の読み方と、
  女性読者ではちがうだろうな、と
  思っています。
  そういう、男女の間の読み方の違い、
  感じ方の違いって、面白いですし、
  それはそれでいいのだと思います。
  女性のみなさん。
  ぜひ、お読みください。

これでよろしくて?これでよろしくて?
(2009/09)
川上 弘美

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sai.wingpen  ちちんぷいぷい                矢印 bk1書評ページへ

 川上弘美の作品はやわらかくて、あたたかい。
 少年の頃に、おとなへと変化していく男女の成長の違いを教わったことがある。いわゆる第二次性徴期といわれる十代前期において、女子は皮下脂肪が増え全体に丸みを帯びてくる、と習ったが。そういった女性ならではの、つつみこむようなものが川上弘美の文学にはある。そういう点では、現代の文学界のなかで、川上は極めて女性的な書き手であるといえる。

 この物語は、「家族小説」である。あるいは、「夫婦小説」といってもいいだろうし、「嫁姑小説」ともいってもいい。
 男二人女一人の兄妹の、長男に嫁いだ、主人公の菜月。義理の両親とは別居生活ながら、遠く離れてもいず、適度に行き来はある。結婚生活は八年めに入ろうとしているが、「何の不満もなかったけれど、とりたてて充実した感じもいだいていなかった」頃、菜月は不思議な女性の集まりに勧誘される。『これでよろしくて? 同好会』。会そのものはたわいもないおしゃべりの集まりであるが、菜月はどこか心が満たされていくのを実感している。

 夫の母、すなわち姑は弟の妻には何もいえない。いえない分、菜月に対してはっきりとモノを言う。しかし、この母にしても悪人ではない。たぶん、どこにでもいそうな、夫の母だろう。
 いや、それは男性の目からみた評価かもしれない。女性の目からすると、こういう姑、あるいは夫と義母の関係は許せないのかもしれない。それでも、この嫁姑の関係にしろ、嫁と夫と姑(あるいは小姑である妹)の関係にしろ、川上弘美が描くと、殺伐とはしない。
 それはどこかしら、昔、転んですりむいたひざこぞうの傷を母親が「痛くないのよ」と言いつつ、唾で湿らせてくれた、安堵のような、慈しみに似ている。

 菜月にとって『これでよろしくて? 同好会』がそうであったように、読む側は川上弘美のやわらかくてあたたかい文体、物語の運びにはまっていく。そして、菜月が夫や姑との関係の変化、あるいは彼女自身の変化に気づくことに心地良く満たされてゆく。
 菜月が最後に得た実感、「明日の献立は、明日考える。今日の献立は、今日考える。それでいい」、に、女性の豊かな抱擁力を感じる。
 川上弘美は、私たちの心の傷に、「ちちんぷいぷい、痛いの痛いの、とんでいけ」の魔法をかける。
  
(2009/10/22 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  昨日、「私の好きな作家たち」で
  川上弘美さんのことを書きましたが、
  そのなかで『真鶴』のことに少しふれました。
  その『真鶴』が、今月の文春文庫の新刊の一冊として、
  本屋さんの店頭に並んでいます。
  いやぁ、めでたいことであります。
  いい作品がこうして廉価な文庫本になるのはいいことです。
  そこで、今日は単行本刊行当時に書いた、
  書評の蔵出しです。
  表紙の装丁も好きです。
  しかも単行本では、函でもないんですが、
  函みたいなものでカバーがかかっていて、
  それはそれは素敵な装丁なんですよね。
  川上弘美さんの代表作といえば、
  多くの人が『センセイの鞄』というでしょうが、
  私はこの『真鶴』も好き。
  ぜひ、文庫本でもいいですから、
  読んでみてください。
  秋の日に、静かに。ゆっくりと。
  きっと、「雨だれ」のようにあなたの心にしみこんできます。

真鶴真鶴
(2006/10)
川上 弘美

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sai.wingpen  雨だれ                     矢印 bk1書評ページへ

  もう何年も雨だれの音を聴いていない。
 雨のなか、軒下から雫れる、静かなおと。てん、てん、ててん。あるいは、とん、と、ととんん。
 今は町の喧騒に消されているのだろうか。なにか大事な音を奪って、私たちは生きているのだろうか。切ないもの、願うもの、ふりかえるもの、そんな壊れそうな大切なものを私たちは忘れているのだろうか。川上弘美の「真鶴」はそんなことを考えさせてくれる、愛の物語だ。

 雨だれの音を連想したのは、作品につらぬかれている文体のせいだ。
 てん、てん、ててん。
 開いた頁に書かれた文章。「一緒にいても、たりないの。一緒にいても、せつないの」(222頁)。そんな雨だれの区切るような音の文体が、あまりにも切なく、忘れていた恋の感情を思い出させてくれる。ちょうど雨だれの音がそうだったと思い出すぐらいに。
 主人公は中年の女性文筆家。彼女には母と思春期を迎える娘がいる。夫は十数年前に理由もなく失踪した。その間彼女は妻子のある男性にひかれているのだが、いなくなった夫のことを忘れきれないでいる。どうして夫はいなくなったのか。未練が雨だれのように彼女の心を打ち続ける。

 書名の「真鶴」はそんな夫が残した日記に残された記号。そして、彼女はそれに魅かれるようにして真鶴へと向かう。
 彼女はひとりではない。「ついてくるもの」として書かれた女霊が主人公とからんでいく。そのことに違和感はない。
 過去の作品で何度も川上弘美は異界を描いてきた。この作品でも、潮がゆるやかに満ちるように主人公は女霊と会話している。もしかすると、川上がいくつかの作品で描いてきた異界とは女性特有の、月の性の周期かもしれないと漠として思う。その時、女性たちは男たちが理解できない異界にいるのだろうか。書き手である川上が異界にさまようから、描く女性たちも異界に近づく。それはあまりに大胆な発想だろうか。
 「遠いいつか、あなたとも、会えるのね」(266頁)。そうつぶやく主人公はやがて女という性(さが)を終えようとしている。
 異界を抜け出た母と、いま異界を抜け出ようとする彼女、そしてそれを受け継ぐものとしての娘を描くことで、男たちが知ることのない女性の世界が重層に描かれている。そして、それに寄り添う形で男と女の恋の物語が濃厚に薫りたつ。

 てん、てん、ててん。
 雨だれの音はどうしてあんなにも澄んでいたのだろう。まわりの音をすべて凝縮して、雨だれは空が明るむまで続いたものだ。
 川上が描いた長編小説は、そんな忘れていた雨だれのような恋の物語だ。ひざをかかえて静かに聴いている。
  
(2006/11/18 投稿)

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本 「私の好きな作家たち」の第十三回は、
 朝日新聞朝刊の連載小説『七夜物語』が好調の、
 川上弘美さんです。
 新聞小説の切り抜きなんか今までしたことがなかったのですが、
 今回はじめて、毎日チョキチョキ、ぺったん、しています。

本 川上弘美さんが好きな理由は、
 川上弘美ズバリ、その容姿です。
 ほんわかした顔といい、すらりとした身長といい、
 もういうことありません。
 川上弘美さんが作家デビューする前、
 高校の生物の先生だったことは有名な話ですが、
 背が高くって、白衣がお似合いだったでしょうね。
 アンニョイな感じで教室の窓から落ちゆくポプラの葉などを
 見つめていたんでしょうか。
 うわー、いいな、いいな。
 私も教えてもらいたかったな。
 山田先生と呼ばれていたのかな。
 (山田は川上さんの旧姓です)
 弘美先生と呼ばれていたのかな。
 なんだか、こちらの顔までリトマス試験紙になってしまいそうです。

本 川上弘美さんにはまったのは、
 やはり『センセイの鞄』からです。
 第115回芥川賞を受賞(1996年)した『蛇を踏む』も読んでいますが、
 それほど感心しなかった。
 それが、『センセイの鞄』でぐんときた。
 その気持ちをどう書けばいいのか、
 手触りがいい、そう、あえていうなら、
 こころ触りがよかったといえます。
 でも、川上弘美さんは案外この『センセイの鞄』の大人気で
 戸惑っているんじゃないかとも思います。
 『蛇を踏む』みたいな作品の方がお好きじゃないかと。
 『センセイの鞄』のあと書かれた『龍宮』などは、
 振り子がふれるように異世界に振れた短編集でした。
 だから、読者は『センセイの鞄』のような世界を求めるでしょうが、
 川上弘美さんは、ぷーんと向こうの世界で遊んでしまう。
 このあたりが、川上弘美的でおもしろい。

本 川上弘美さんの作品は、
 ずっと「おっかけ」していますが、どれが一番かといえば、
 『センセイの鞄』をのぞくと、『真鶴』でしょうか。
 読者に媚びず、自身の世界観をみごとに表現した傑作だと
 思います。
 『センセイの鞄』余話のような、『パレード』も好きな作品です。

パレードパレード
(2002/04/25)
川上 弘美

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本 最後に、
 『センセイの鞄』ですが、あの本の再読ができずにいます。
 再読するのが、
 自分のなかで怖い。
 今もっている印象が壊れるのが、ずっと怖いまま、
 再読できずにいます。
 そういう本って、みなさん、ありませんか。

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プレゼント 書評こぼれ話

  星野道夫さんの新しい写真集が出版されるのを
  知った時には、本当にびっくりしました。
  星野道夫さんが亡くなったのは1996年ですから、
  もうたくさんの水が流れ、星は動いています。
  でも、こうして、私たちは新しい星野道夫さんからの贈り物、
  『カリブー 極北の旅人』を
  手にできるわけです。
  なんと幸福でしょう。
  そして、それは星野道夫さんの幸福でもあります。

    浅き川も深く渡れ

  これは星野道夫さんが小学生の卒業文集に書き残した言葉ですが、
  星野道夫という生き方を象徴しているように思えてなりません。
  星野道夫さんにとって、44年という生涯はけっして短いものではなかった。
  星野道夫さんは、その生涯をとても深く渡っていったのでは
  ないでしょうか。
  私にはそう思えてなりません。
  ぜひ、みなさんもこの写真集を手にして、
  カリブーの躍動感とアラスカの自然を満喫してください。
  そして、かれらとつながる
  私たちを感じてください。
  それが、星野道夫さんの願いだったのではないでしょうか。

カリブー 極北の旅人カリブー 極北の旅人
(2009/08/26)
星野 道夫

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sai.wingpen  空をささえるもの                矢印 bk1書評ページへ

  天にのびた おまえの大きな角は
  まるで 落ちてくる 空を 支えているようだ

  おまえの太い四本の足が
  アラスカの凍土を駆けめぐる時
  おまえはどのような衝動に
  突き動かされているのだろうか

  休養せよ

  おまえの仲間たちの長い隊列が
  緑の谷を越える時
  おまえには 何が見えているのだろうか
  先頭を行く 仲間の声か
  群れから堕ちていく 弱き友か
  生まれくる 新しい生命か

  おまえは 走る
  おまえは 闘う
  おまえは 渡る

  おまえが残した 大きな角に
  アラスカの大きな空の匂いが するようだ

 1996年に不慮の事故で逝去した写真家星野道夫があれほどの情熱を傾けながらも生前一冊の本としてまとめることができなかった幻の写真集が刊行された。被写体は「マイナス五十度までに下がる極北の自然の中で」「唯一そこに適応したシカ科の動物」、カリブーである。
 アラスカの大地を移動するカリブーの群れは毎年同じルートをたどるとはかぎらない。その出会いを求めて何日もテントに閉じ込められる星野の様子は、この写真集の巻末に収められて「カリブーの撮影日誌」で窺い知れる。やがて、群れと遭遇する歓喜。
 星野が残したカリブーとアラスカの写真の数々は、そのような歓びの贈り物であるとしかいいようがない。
  
(2009/10/19 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今回の東海林さだおさんの『伊勢エビの丸かじり』の書評で書きましたが、
  書評にしろ作文にしろ、
  タイトルというのはすごく大切。
  書名もそうですよね。
  まず、タイトルでどれだけ人を魅きつけるか。
  だから、けっしておろそかにしてはいけません。
  私は書評を書く際に、
  割とタイトルがまず頭に浮かぶということがあります。
  お、これいけるじゃない、
  みたいな感じです。
  書評を書き終わって、
  タイトルが決まらずに四苦八苦することもあります。
  それでタイトルを決めてから、
  文章を書き直すこともあります。
  ですから、かなりタイトルには気を遣う方だと思います。
  今回の場合でいえば、先にタイトルが浮かびました。
  そのあとで、文章を書いていきました。
  ね、「丸かじり」シリーズの書評も、
  これで一生懸命書いているんですよ。

伊勢エビの丸かじり (文春文庫)伊勢エビの丸かじり (文春文庫)
(1998/05)
東海林 さだお

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sai.wingpen  「タイトル」の妙               矢印 bk1書評ページへ

 何冊も東海林さだおさんの食べ物エッセイの「丸かじり」シリーズを読んできて、そろそろ書くネタを尽きてきたかと思いきや、大事なことを忘れていました。
 ハンカチ、定期券、ちり紙、財布、全部確認したのに、弁当箱を忘れていました、ぐらい大事なこと。 それを今回書こうと思う。
 それは愛。
 ちがった、それは「タイトル」。

 「丸かじり」シリーズは三十数編のエッセイから成り立っているわけですが、それぞれに「タイトル」がついているわけです。
 この面白さ、工夫、鋭さを今まで論じなかった、私がバケツでした。
 ちがった、ウカツでした。
 どれくらい面白いかというと、「シロ」と呼ばれる真っ白な犬がいて、その尾まで白いくらいに面白い(尾も白い)のですが、この「伊勢エビの丸かじり」から見てみましょうね。
 「ザ・イナリ」(うむ。この冠詞なジじゃないか)
 「牛丼の出世」(なに。牛丼は出世するのか)
 「麺の連休」(やや。それは三連休か、四連休か)
 「裸のうどん」(いやーん)
 みたいな、名作秀作が続くのです。
 極めつけは、「幕間の幕の内の内幕」。
 早口ことばみたいにして遊んでいたら、三回めで舌を噛み、四回めで入れ歯がはずれ、五回目でもういいや、ということに気がついて、黙読しました。
 でも、黙読すると、乱視になってしまいました。

 このように、東海林さだおさんは「タイトル」をつけるのが、実にうまい。
 まず、これでお客(読者ともいいますが)をひきつける。
 もしかして、かわいい子いるかも、みたいに思わせるテクニックは、歌舞伎町の金髪お兄様より数段うわて。
 しかも、入店(読み始めともいいますが)して、階段踏み外したり、出てきた女の子の実年齢が五倍というようなことはない。
 正真正銘、かわいい子ぞろい。
 これが、ちっともつまらない「タイトル」だったら、お客(読者ともいいますが)は入店(読み始めともいいますが)してくれない。
 お子様の作文だって、同じこと。
 「遠足に行きました」ではどうも。
 「運動会の話」なんてとんでもない。
 「遠足の出世」「裸の運動会」みたいな「タイトル」ぐらいつけないと先生は読んでくれない。
 では、この書評のタイトル、「タイトルの妙」はどうか。
 ちっとも面白くないから、「名は鯛をあらわす」ぐらいにしておけばよかった、と反省しています。
  
(2009/10/18 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日は昨日のつづきのような、
  実際には昨日紹介した『炎情』よりも先に書かれた、
  工藤美代子さんの『快楽(けらく)』という、
  熟年世代の性を扱った、ノンフィクションの蔵出し書評です。
  昨日も書きましたが、
  私は男女とはまったく別のもの、
  と思っています。
  だから、わかりあえることは実際には難しい。
  でも、理解ならできるかもしれない。
  そう思っています。
  たまたま私もシニアと呼ばれる年齢に近づいていますから、
  この『快楽』、あるいはつづく『炎情』の問題は、
  まったく人ごとではなくなっています。
  更年期に近づく女性たちのことをどこまで
  理解できるか。
  彼女たちの悩みをわかることはなくとも、
  少なくとも理解だけはできうるような
  人でありたいとは思います。
  もちろん、若い女性のことも
  わかりたいと思っていますが。

快楽―更年期からの性を生きる快楽―更年期からの性を生きる
(2006/03)
工藤 美代子

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sai.wingpen  あなたのことがわからない            矢印 bk1書評ページへ

 月刊誌『婦人公論』に掲載されて好評だった、工藤美代子の女性の性についてのレポートである。
 性といってもここに登場するのは更年期を迎えた女性の性と、今まであまり語られることのなかった領域である。
 性(あるいはセックスという男女間の交わりをさす行為という表現をした場合)そのものがやはり他人の目にふれるにはあからさますぎるということもあるだろうし、対象が齢を重ねた女性ともなればさらに語られることが少なくなる。
 そもそも更年期という言葉のとらえかたが曖昧ということもあるが、仮に老年といわれる齢の入り口を総称するとすれば、更年期からの性とは老年期の性であり、やはりある意味目をそらせてしまいがちな話でもある。

 子供にとって性は未知の領域であり、それゆえに興味の的になることはままある。それならば、老齢期の男女にとっての性は通り過ぎてきた道ゆえの未練の対象ともいえる。
 夢が過度になりすぎるように、思い出も積もり葉のように深い。いや、思い出になどしたくないという思いがあるからこそ未練が深くなる。高齢化社会に突入したこの国の男女の悲痛な叫びは、子供の性の問題以上に深刻かもしれない。

 今回工藤の取材は医療関係の取材を除くと、彼女の友人であったり知人であったりと書き手と近い場所にいる更年期の女性たちが多い。それが作品の奥行きを狭めているという見方もできるだろう。しかし、それほどまでに更年期の性の取材が難しいものであることもよくわかる。
 女性たちに「あなたの性はもう終わりましたか」という問いは悲しすぎる。いつまでも心ときめきたいと多くの女性は思うだろう。そのときめきには性のことも含まれているに違いない。
 では、男性はどうなのか。多くの性が男性を主体としたものであってもやはり女性同様に老齢期のそれは語られることは少ない。女性に性交痛の問題があるように、男性にとっては勃起不全の問題が残る。

 男は女の何をわかるというのだろうか。
 女は男の何を理解できるというのだろうか。
 更年期以降の問題だけでなく、幾つの年令であっても、男と女は互いにパートナーである異性のことがわからないのだ。そして、もしかしたら老齢期の向かう自分自身のことさえわからないのかもしれない。
  
(2007/01/31 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  私は、男性と女性の性差はある、と思っています。
  これはどうしようもない事実です。
  基本的には男性は女性になれないし、
  女性は男性になれません。
  では、どうすればいいか。
  それは互いの理解だと思います。
  そして、理解のために、
  今回紹介する、工藤美代子さんの『炎情』のような
  作品も読んでおくのはいいことだと思っています。
  多分この本の主要な読者層は、
  熟年の女性でしょうが、
  ぜひ男性の方も読んでみるといいです。
  女性がどのような感情をもっているか、
  それを知ること、理解することは、
  とても大切なことではないでしょうか。
  でも、こういうことは男性ももっと積極的に
  発言してもいいのにな、と
  思わないでもありません。
  
炎情―熟年離婚と性炎情―熟年離婚と性
(2009/06)
工藤 美代子

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sai.wingpen  心の奥底の炎                     矢印 bk1書評ページへ

 ノンフィクション作家工藤美代子さんの、熟年離婚をテーマにした、ノンフィクション作品である。
 熟年というあいまいでもっともらしい世代用語に違和感をおぼえるが、ここでは年齢が四十代から六十代の男女の、結婚して二十年以上を経た夫婦の離婚模様を描いている。
 発表誌が主婦層が読者の『婦人公論』であったこともあるだろうが、ほとんどの逸話の主語は女性である。夫の、浮気、無理解、いびつな嗜好癖、暴力。どうも男性の旗色はよくない。
 もちろん、わがまま、身勝手、貪欲、といった女性の姿も描かれているが、やはり熟年離婚というのは、未成熟な男性側に原因が多いのかもしれない。というよりも、著者が書いているように「高齢化社会となった現代において、女性の生き方の選択肢が増え」、夫や家庭に耐えずとも女性の生活が成立する社会的な背景が大きいのだろう。

 しかし、耐えるという意味であれば、夫である男性側にも言い分はあろう。それでも、男性が主語になりにくいのは、離婚後の生活不安が男性の場合大きいといえる。家事ができない、となれば、外部での経済活動以上に自立できないということである。
 男性側の誤解は、外部での経済活動がすべてに優先していると考えている点にある。
 炊事、洗濯、掃除、といった家庭内部での生活活動ができないということは、つまりはそれらをこなす妻に依存をせざるをえない体質をもったままであるということだ。そのことに夫たる男性はなかなか気がつかない。

 本書には多くの性の事例も掲載されている。性そのものがすべてではないにしろ、少なくとも女性の多くは「愛のある性」を求めているのであろう。もっとやわらかくいえば、「ぬくもりのある性」だろうか。その点でも男性は大きな間違いをおかしているかもしれない。「子孫繁栄のための性」「快楽としての性」であれば、妻たちの心の奥底の炎はみえてこない。
 性の営みは本来豊かなものでありながら、ここでの事例はなんとも殺伐としている。だから、離婚にいたったともいえるが、どうもそうではない温みがみえてこないのはどうしてだろう。あまりに性の情報が豊かになりすぎたせいだろうか。

 長寿社会がもたらしたもの、あるいはこれからもたらすだろうものに、男も女も真摯に向き合わないと互いに不幸である。そして、その解決の道はけっして離婚ばかりではないと思うのだが。
  
(2009/10/16 投稿)

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鉛筆 ものごとには約束事があります。
 たとえば、この「雑誌を歩く」という企画では、
 基本的にひとつの雑誌を紹介する、と
 私のなかでは決めていたのですが、
 先日の「COURRiER Japon (クーリエ ジャポン)」編集部訪問の際に
 最新号をタダでもらった(献本)ので、
 やはりなんか書かないと具合がよくありません。
 子供の頃、母親がご近所で戴き物をすると、
 やっぱり何かお返しをしていました。
 「先日はありがとうございました。これ、つまらないもので」
 みたいな感じで話していました。
 だから、今回は「COURRiER Japon (クーリエ ジャポン)」11月号の
 紹介です。

COURRiER Japon (クーリエ ジャポン) 2009年 11月号 [雑誌]COURRiER Japon (クーリエ ジャポン) 2009年 11月号 [雑誌]
(2009/10/10)
不明

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鉛筆 今号の表紙は、
 音楽家の坂本龍一さん。
 特集のテーマが、「森と地球の未来」ということで、
 森の緑をバックにして坂本龍一さんが
 ちょっと考える人ぽく座っています。
 世の中、ぜんぶ秋、なのですが、
 この緑の基調はどうでしょう。
 うまく秋の紅葉のイメージを取り入れたかったところですが、
 ちょっとテーマ的には無理だったかも。
 副題にこうあります。
 「サステナブルな文明へ」。
 うむ。なんだ? サステナブルなって?
 そこで調べました。
 「持続可能な」という意味みたいですね。
 最近でこそ、日本国内でも
 「エコ」とか「地球温暖化」みたいな議論が
 さかんに行われていますが、
 では、世界ではどんな議論になっているのかというと
 よくわからないところがあります。

鉛筆 そこで、世界中の雑誌から注目の記事を
 セレクトする「COURRiER Japon」が探してきて、
 なんといっても、これが持ち味ですからね、
 で、坂本龍一さんと作り上げたのが、今号というわけです。
 イギリスの「ニュー・サイエンティスト」という雑誌からは
 「地球の温度が4℃上がったら・・・」、
 スペインの「エル・パイス」からは、
 「肉1㎏で自動車は250km走れる!?」といった興味ある記事が。
 たまたまなのか、
 イギリスの雑誌の紹介が多い。
 小さい国土、海に囲まれた国土、といったように
 日本とよく似た環境ですから、
 イギリスでは環境問題がどう報じられているのか、
 知っておくことは大事でしょうね。

鉛筆 今号はほかにも、
 「鳩山政権を世界が採点!」(これはおもしろかった)
 「ゴールドマンサックスの錬金術」(・・・ぶつぶつぶつ)
 という小特集があります。
 できるなら、目次のなかでも、
 記事の元となる雑誌名か国名を
 いれてほしいような気もしますが。

鉛筆 今回もていねいに。



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プレゼント 書評こぼれ話

  今日紹介する、小宮一慶さんの
  『「1秒!」で財務諸表を読む方法【実践編】』みたいな本の書評は、
  やはり書きにくいですね。
  書評でもふれましたが、
  会社で少しはそのようなことをしたことがありますが、
  もちろん経営コンサルティングでもありませんし、
  奥の世界がよくわかりませんから、
  どうしても専門的なことは書けません。
  ただ、小宮一慶さんもけっしてプロ向けに書いているのでも
  ないでしょうし、
  書評もそういう想定で書いたつもりです。
  会社を数字で「読む」ことは面白いですし、
  最低この本に書かれていることは
  理解、あるいはなんとなくでもいいでしょうが、
  わかっている方がいいと思います。
  書評とは読んで実際にその本を読んでみたくなるものですが、
  今回の書評で、
  そういう気持ちになれたら、いいのですが。

「1秒!」で財務諸表を読む方法【実践編】「1秒!」で財務諸表を読む方法【実践編】
(2009/09/04)
小宮 一慶

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sai.wingpen  まずは一里塚                 矢印 bk1書評ページへ

 昔、仕事の関係で財務諸表の分析をかじったことがあります。そのときに気づいたのは、自社(私の場合は子会社でしたが)の財務諸表を使って、「強み」「弱み」をみるわけですが、単年度の数値だけではダメで少なくとも数年間の動きをみないといけないということでした。
 それと、同業他社の数値を比較しないと、判断を間違ってしまうということです。
 経営コンサルティングの小宮一慶氏のこの本のなかにも、多くの日本有数の大企業の財務諸表が紹介されていますが、世界のトヨタの数値と比べても仕方がありません。
 まして、業種によっては、固定資産をたくさん保有する業種もありますし、そうでないものもあります。財務諸表を読むときは、同業種比較は絶対です。
 それと、自社の規模と近い会社の方がよりわかりやすいでしょう。
 従業員10人、売上高何千万円の会社が、大手上場企業の財務諸表と比較してもあまり有効ではありません。これはあくまでも自分たちの将来目指す姿として、参考程度にするのがいいでしょう。

 では、小宮一慶さんのこの本がまったく効果がないかというと、そんなことはありません。
 まず、会社を数字で読む癖は必要です。
 営業の人は誰にでも販売をしてもいいということではありません。「売掛金」は確かにそれだけで基本的には「売上」計上されますが、もし回収できないと、つまり現金化されないと、損金になってしまいます。少なくとも、販売する相手先の「安全性」ぐらいは読み解きたいものです。
 それと、業務改善を行う際に、どのように優先順位をつけるかという判断基準として活用できます。  「当座比率」がどうこうというのはなかなか個人ではできないでしょうが、「原価率」を改善すべきなのか「経費率」に手をいれるべきなのか、は判断できるのではないでしょうか。

 小宮一慶氏はある講演会で「経営とは、(過去の分析ではなく)未来に向かってはたらきかけるもの」と話されていました。財務分析はそのために活用しないといけません。
 この本は財務分析の一里塚。
 安住することなく、興味があればより深い本を求めるといいのではないでしょうか。
  
(2009/10/14 投稿)

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勉強 先週の火曜日(10.6)、小宮一慶さんの
 『「1秒!」で財務諸表を読む【実践編】』刊行記念の
 講演会を聴きに、
 おなじみ丸善丸の内店に行ってきました。

勉強 今回の講演会の対象となった『「1秒!」で財務諸表を読む【実践編】』が
小宮サイン会 割と実務にそった本なので、
 もしあてられたらどうしよう、
 みたいにいささかおっかなびっくりで
 参加したのですが、
 相変わらず小宮一慶さんのファンは多くて、
 会場にはたくさんの人が来ていました。
 電卓を持って参加しないといけないな、と
 思っていたのですが、
 鞄の中にない。
 しまった、忘れてきてしまった。
 計算問題でたら、どうするんだ。
 ノートの端で計算するしかないか。
 席は後ろの方がいいかもしれない。
 でも、講師からは後ろの席はよく見えるというし、
 穴場の一番前の列のはじっこにしよう。

勉強 でも、そんな心配は杞憂でした。
 小宮一慶さんはそんな鬼教師ではなかった。
 「あなた、答えなさい」みたいなことはなかった。
 まず、はじめに
 財務諸表の「作り方」と「読み方」は根本的にちがう、
 という話からはいりました。
 その上で、
 ここは重要ですから、紙と鉛筆のご用意を。

   経営とは未来に向かって働きかけるもの

 とおっしゃってた。
 よく財務諸表の分析といいますが、
 所詮財務諸表は過去の数字ですから、
 「自己資本比率が小さいからダメなんだ」みたいな評論家口調になるだけで、
 将来の数字として生きてこない。
 そのことを、小宮一慶さんは危惧されているわけです。

勉強 その後、今話題のJALの数字などを使いながら
 講演がつづいたのですが、
 途中、小宮一慶さんと目が合った。
 あてられちゃう。
 しかも、なんだか前の講演会のことを覚えているようで、
 私のこともなんとなく記憶にありそう。
 「そうですよね、加藤さん」と、小宮一慶さん。
 うん???
 加藤さん???
 誰だ?? 私は宮内ですが。
 でも、確かに小宮一慶さんはしっかと私を見ている。
 しかたなく「そうです」と答えました。

勉強 講演のあとのサイン会で、
 「宮内です」と自己紹介すると、
 小宮一慶さんは「すみません。間違えました」と、
 その分ていねいに(多分)サインをしてくれました。
 しかも、家に戻ると、
 小宮一慶さんからメールがはいっていて、
 「先ほどは失礼しました」とあるではありませんか。
 いやぁ、これには驚きました。
 今やベストセラー作家である人から、
 わざわざお詫びのメールが届いていたのですから。
 こういう心くばりが大切なんでしょうね。

勉強 講演会の内容は、
 『「1秒!」で財務諸表を読む【実践編】』でいえば、
 第2章の「安全性分析」あたりまで。
 明日の書評で、本のことは紹介します。

勉強 しっかりとサインを頂いて、帰りました。
 今夜も満足。

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日は、体育の日
  もともと、10月10日がそうだったのですが、
  今や祝日も彷徨う時代でうから、今年は12日。
  何故、10月10日が体育の日だったかというと、
  東京オリンピックがこの日開催されたんですよね。
  昭和39年(1964年)、10月10日。
  テレビの前で多くの国民が世紀の瞬間に酔いしれていました。
  45年前の今日、東京オリンピックが開催されました。
  当時としては過去最多の94の国と地域が参加。
  入場行進の最後に国立競技場に姿をみせた、
  日本選手団の姿にやはり胸がはずむ思いでした。
  日本という国が大きく変動しようとした瞬間だったかもしれません。
  この大会のあと、
  小学校で作文を書かされて記憶があります。
  この時の最終聖火ランナーが当時19歳の坂井義則さんで、
  私は自分の名前の一文字が同じでうれしい、みたいな
  たわいもないことを書いたように思います。
  書くことがほかになかったんでしょうかね。
  今日紹介する『死ぬのによい日だ』は、その年(実際には前年ですが)の
  ベスト・エッセイを集めた本ですが、
  やはり上手な書き手による、いい文章は参考になります。
  今なら、もう少し、
  うまい作文が書けると思うのですが。
  どうでしょう。

死ぬのによい日だ―’09年版ベスト・エッセイ集死ぬのによい日だ―’09年版ベスト・エッセイ集
(2009/08)
日本エッセイストクラブ

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sai.wingpen  浜の真砂は尽きるとも              矢印 bk1書評ページへ

 毎年おなじみとなった、日本エッセイスト・クラブ篇のベスト・エッセイ集の最新刊である。
 最初の集『耳ぶくろ』が刊行されたのが1983年だから、もう27年つづいている。石川五右衛門ではないが、「浜の真砂は尽きるとも」と見得をきりたくなる。つづく言葉は「世にエッセイの種は尽きまじ」である。
 今回の集では、表題作となっている「死ぬのによい日だ」をはじめ、全55篇のエッセイが収められているが、書くことを生業としている、いわゆる作家とか随筆家といった人たちの割合が27年前と比べると、随分少なくなっている。書くことで自分自身をみつめなおすといったような、趣味でエッセイを書く人たちが増えているのだろう。こういうところにも高齢化社会の影響、もちろん、いい影響であるが、がでているといえる。

 表題作の「死ぬのによい日だ」は料理研究家丸元淑生さんの死へと向かう闘病の姿をご子息である康生さんが描いた短い文章ながら、父の食に対する心構えとゆるやかに訪れる死への旅立ちが温かな目線で語られている。「生まれ変わるとしたら何になりたい?」という妻に、「生まれ変わりたくない。パパは疲れたよ。もう休みたい」と答える病床の淑生さんの姿に、男子の一生とはかくも大変なものかと、ひどく胸を衝かれた。
 女優の十勝花子さんが「転ぶ老女」という文章に綴った、人とのつながりを求めて故意に転ぶ老女の姿などを読むと、丸元康生さんの文章とは肌合いのちがう、人生というものが儚さというだけでは表現できないアクのようなものを感じる。
 その一方で、三浦しをんさんのおばあさんのような明るい、ほほえましい老いを見させてもらい、ほっとする(「祖母とわたし」)。

 人生にこれが正解も、これがまちがいもない。
 人それぞれ、たった一篇の、小さな物語があるだけかもしれない。
  
(2009/10/10 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  東海林さだおさんの『ナマズの丸かじり』を読んでいて、
  今回紹介したように、読書と食事はよく似ていることに
  ふと気がつきました。
  ですから、よくブログで、
  あっちのラーメンがおいしかったの、
  こっちのトンカツが分厚かったの、
  みたいな評価は、
  私のような本の書評ブログとよく似ていることになります。
  姉妹都市契約でも交わそうかな。
  食事した人も、
  本を読んだ人も、
  まあ勝手に、あのラーメンはどうの、
  この本はどうの、というわけですが、
  やっぱり好みが合うというのが一番かもしれませんね。
  ラーメンが嫌い人はラーメンを食べません。
  哲学嫌いな人は哲学書を読みません。
  食事も好き、本が好き、という人は、
  多分、東海林さだおさんの「丸かじり」を読むんでしょうね。

ナマズの丸かじり (文春文庫)ナマズの丸かじり (文春文庫)
(1996/08)
東海林 さだお

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sai.wingpen  読書の反省                     矢印 bk1書評ページへ

 -本を読み終えたあと、大抵の人は、今読んだものについて、なんらかの感慨を持つ。
 どういう感慨かというと、大した感慨ではない。
 「おもしろかった」とか「つまらなかった」とか、そういった程度の感慨である。
 どうです? ここまでの文章。
 これ、東海林さだおさんの「食後の反省」(『ナマズの丸かじり』所載)の冒頭部分のパクリなんです。
 著作権とか愛知県とかの侵害になるのかどうかはわかりませんが、読書と食事とはかくも似ているということでしょうかね。
 だから、ということもないですが、もう少しつづけます。
 -何を読んでも「おもしろかった」も「つまらなかった」もない人というものはいるものなのだ。
 「高かった」「安かった」という感慨もある。
 読後、反省のようなものをする人も多い。
 (パクリはここまで)
 どうです? やっぱり読書と食事は似ているでしょ?
 特に、値段の高低なんかそうで、「この値段はどこからつけたのか」みたいな憮然たる態度で本を閉じることもままあるわけです。
 昔は一流シェフ(ちがった。著者でした)だったかもしれないが、それがこれじゃあなあ、なんて思ったりするわけです。
 文庫本になるまで待っとけばよかった、いやいや、ブックオフでいいか、いやいやバザーでいいか、みたいな無茶なことを思うわけです。
 これが無名の新人シェフ(ちがった。著者でした)だったら、おおこの新人なかなかやるな、と相手を褒めつつ、「その新人を見つけたのは俺だしな」みたいな納得感がたまらないわけです。
 いつの間にか一流スカウトみたいになっています。
 ついでだから、サングラスでもかけちゃおか。
 「きみ、いい線いってるよ」と、閉じた表紙をなぜてみたりします。
 それに著者の顔写真でもあれば、自分を指差し、「おれ、おれ」みたいに発掘した自分を売り込みにかかります。
 これで、若い女の子だったりしたら、もうムフフとしてしまって、「赤い糸の伝説ってあるんだな」と一人ご満悦であります。
 もちろん、著者の方は所詮顔写真ですから、顔を赤らめたりはしませんよ。
 でも、こういう読者ばかりでなくて、「重たかった」とか「軽かった」みたいな、肉体系の読者もいます。
 でっかい写真集なんかを仰向けになりながら見ている人なんか、読み終わった後、腕が痺れてビリビリしています。
 それでも、「いやあ、いい筋肉ついた」と、満足するわけです。
 こういう人が、薄い文庫本なんか読むと、「バカにするな」と突然その文庫本を放り投げたりします。
 そのうち、この「薄文庫本投げ」がオリンピック競技に採用されて、12m43㎝が世界記録になったりします。
 投げられた文庫本はどうなるか。
 ぴひゃーって飛んでいって、著者の顔写真を下にべちゃってグラウンドに落下します。泥濘だったら、著者の顔写真が泥まみれになる。
 もちろん、著者の方は所詮顔写真ですから、泥まみれになっても、笑っています。
 そういうことが、本を読み終えたあと、起こるわけです。
 もっとも東海林さだおさんの「丸かじり」シリーズだけは、いつも満腹になって、反省もなく終わることになります。
  
(2009/10/11 投稿)

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えんぴつ 「雑誌を歩く」という企画の第1号で取り上げたのは
 「COURRiER Japon(クーリエ・ジャポン)」(講談社)という雑誌でしたが、
 その編集部に先日(10.8)おじゃましました。
 あの雑誌は、レビュープラスさんからの献本でしたので、
 ブログに感想を書いたのだったら、
 一度編集部をのぞいてみませんかというお誘いを受けて、
 「行きます、行きます」と、背広とか新調して(これは冗談)、
 夜の音羽村(講談社は東京音羽にあります)まで出かけました。

えんぴつ 当日は、私を含めブロガーの人が5人集まりました。
 ほほー、こういう人たちのことをブロガーというのか。
 と、すっかりブローカーみたいな気分で、
 お仲間を拝見してしまいました。
 どういう人種かというと、
 どこにでもいる、普通の人。
 まあ、街を歩いていても、誰も「あの人、ブロガーだ!」なんて
 指差すことはないでしょうね。

えんぴつ 講談社さんには、
 大江健三郎さんの講演会におじゃまして以来になります。
 あの時は、旧館の方でしたが、今回は新館の方。
 レビュープラスさんの方がお二人と、
 講談社の雑誌宣伝部のFさんが迎えてくれて、
 いざ出陣。
 講談社。雑誌編集部。とくれば、
 私なんかすぐ「たけし軍団」の「フライデー編集部襲撃事件」を
 思い出してしまうのですが、
 今回は、襲撃でありません。
 念のため。

えんぴつ 編集部にはいると、
 「デスク、鳩山が政権を取りました」
 リンリンリーン(電話の音)
 「何だと」とデスクのだみ声。
 部屋にはタバコの煙が充満。
 カチャカチャカチャ(FAXの音)
 「麻生がコメントをするそうです」
 「ア、ソウ」
 みたいな戦場風景をつい想像してしまうのですが、
 最新号の校了が終わったばかりだそうで、
 意外にも数人の人が楽しそうに歓談しているだけ。
 なーんだ。普通の職場じゃない。
 奥の席から、出迎えてくれたのが
 「COURRiER Japon(クーリエ・ジャポン)」編集長の古賀さん。
 優しそうな、ムーディな紳士。
 でも、こう見えても、きっとよく切れるんだろうな。
 カミソリ古賀とか呼ばれているのかな。

えんぴつ 古賀編集長自ら、編集部の隅々まで案内してくれました。
 「COURRiER Japon(クーリエ・ジャポン)」という雑誌は、
 世界中の雑誌から編集方針にそって記事を選んでいるので、
 版権とか翻訳には慎重を期しているそうです。
 だから、
 安全・安心。
講談社 机の配置も世界地図を模した形という、
 古賀編集長のこだわりがあるようですが、
 私にはどう見ても、普通の事務所の机の配置にしか
 見えなかったのですが。
 一番奥の部屋には、
 壁一面の最新号の各ページが貼られていて、
 最終のレイアウトだとか校正がはいっているようです。
 写真は、そこで説明してくれる古賀編集長の雄姿。

えんぴつ このあと、
 会議室にはいって、
 ブロガーのみなさんと編集長、副編集を交えての懇談。
 雑誌ができあがるまでの工程を聞いたり、
 読者層の話(「COURRiER Japon」は意外に女性層が多い)や
 編集時の苦労話などをお聞きしました。
 「COURRiER Japon」編集部が企画した『ディス・デイ「希望の一日」』が
 今年のルーシー賞を受賞したそうです。
 この時、古賀編集長の鼻が少し伸びてました。(そんなことないか)

えんぴつ この後、10月10日発売の「COURRiER Japon(クーリエ・ジャポン)」11月号を頂いて
 みんなで記念撮影。
 こうして音羽村の夜は更けていきました。

 今回はありがとうございました。
 講談社「COURRiER Japon(クーリエ・ジャポン)」編集部のみなさん。
 レビュープラスさん。
 そして、ブロガーのみなさん

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日は、昨日の『人生という名の手紙』につづく、
  ダニエル・ゴットリーブさんが書いて、
  口調が穏やかな児玉清さんが監修した、
  『人生という名の先生』。
  書評のなかにも書きましたが、
  どうもこの書名はいただけないですね。
  あまりにも似すぎてまぎらわしい。
  本屋さんに行っても、困る。
  いっそのこと、「パート2」みたいにしちゃった方が
  よかったかも。
  でも、それに相乗りして、書評のタイトルも
  前作とほぼ同じにしたのは、ご愛嬌。
  もし、どちらか一冊を読むとしたら、
  どちらを勧めるか。
  2冊はなしよ。って、追い詰められたら、
  どうするか。
  感動という点では、前作『人生という名の手紙』。
  じっくり考えるとしたら、この『人生という名の先生』。
  でも、
  やっぱりよく似ていて、
  どちらがどちらかわからなくなりそう。

人生という名の先生人生という名の先生
(2009/05/13)
ダニエル・ゴットリーブ

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sai.wingpen  ビタミンH                     矢印 bk1書評ページへ

 前作『人生という名の手紙』とよく似た書名がついているが、趣きはまったくちがう。原題ではそれがよくわかる。
 前作『Letters to Sam』は、30代に交通事故で四肢麻痺の障害者となった精神分析医の著者ダニエル・ゴットリーブ氏が、自閉症の孫サムに宛てた手紙を通して、生きることを問いかけるものであったが、本作『Learning from the Heart』は、さまざまな「心」の問題を、時に自身の経験を交えながら、説ききかせる書である。
 『Learning from the Heart』を直訳すれば「心から学ぶこと」になるのだろうが、日本語訳書名の『人生という名の先生』よりは、うんと本書の内容をよく表しているように思う。同じ著書ということはあるだろうが、出版社のこだわりが結果として、曖昧な書名にしてしまっているように思う。

 前作の書評を書いた際に「ビタミンL」というタイトルをつけた。それは、あの本が人生(life)全般にヒントに与える「ビタミン本」という意味でつけたものであったが、今回は「ビタミンH」としたいところだ。つまり、心(Heart)を勇気づける本として、そう呼んでもいい。
 本書では「幸せを目指すのではなく、体験する」「傷は治すのではなく治るもの」などといった30のテーマにそって書かれているが、大きなテーマは「今の自分自身を受け入れる」ということであろう。
 四肢麻痺となった著者は自分一人ではトイレにもいけない重度の障害者である。そのことによるストレス、悲しみ、不満、怒りを氏は隠そうとはしない。立ち上がりたい、歩きたい、ひとりでトイレにいきたい。しかし、氏はそれらを叶えることができない。だとしたら、氏には絶望しかないのであろうか。本書のなかで、「わたしはこの障害のおかげで、今のようになれた」とまで言い切れるほど、自身の現実を受け入れている。

 氏と比べても、私たちはあまりにも何かを求めすぎている。
 お金がない。もっと欲しい。地位が低い。もっと認められたい。おいしいものが食べたい。いい服が着たい。まるで常に飢餓である。
 そういう心のありようが、自ら幸福を遠ざけていないか。
 今あるそのままを受け入れることで、そんな窮屈な生き方から解放されるとすれば、あなたはどちらを選ぶだろう。
 その答えが、この本のなかに、ある。
  
(2009/10/09 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  私は声が大きい。
  実家の人たちも、みんな声が大きい。
  気性が荒い、大阪の漁師町の出身だからだろうか、
  普通に話していても、まるでケンカをしているようで、
  恥ずかしい。
  だから、児玉清さんを尊敬している。
  児玉清さんの、静かで、ゆったりとした
  話し方にあこがれている。
  児玉清さんが紳士にみえる。
  こちらは、どうしようもないガキである。
  なんとかしたい。
  NHKBSの「週刊ブックレビュー」なんか見ながら、
  いつもそう思っている。
  そんな児玉清さんが監修している本が、
  今回紹介する、ダニエル・ゴットリーブさんという精神分析医さんが
  書いた『人生という名の手紙』である。
  今年の春に、続編的な『人生という名の先生』が出版されたので、
  今日と明日、
  二回つづけて、紹介します。
  今日は、まず、2008年10月に書いた
  『人生という名の手紙』の蔵出し書評です。

人生という名の手紙人生という名の手紙
(2008/06/20)
ダニエル・ゴットリーブ

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sai.wingpen  ビタミンL                     矢印 bk1書評ページへ

 人生にヒントや勇気をくれる本はたくさんある。
 物質が豊かになっていくのに比例するようにして心の問題がクローズアップしてきたのは、科学や医学の領域の学問としての深化が進んだせいだろうか、あるいは物質がある程度充足してようやく心の問題に手が届くようになったせいだろうか。それとも物質の豊かさが心の問題を生んでいるのだろうか。
 いずれにしても書店の棚の一角はなんらかのこれらの本でうまっている。そして、今日もまた誰かの心に勇気をあたえてくれる。

 それらの本を「心のビタミン本」と呼びたい。
 例えばビタミンAは活動(action)を活発にするビタミン本といいたいように。ビタミンBは頭脳(brain)を活性化し、ビタミンEは仕事(economy)を勇気付け、ビタミンFは家族(family)をひとつにする。マルチビタミンとしてLがあって、これは人生(life)全般にヒントを与える。
 もちろんこれらの「心のビタミン本」は弱ってきたなという症状の時だけでなく、日頃から服用することである一定の効果があるだろうが、あくまでもビタミンという補助剤なので実際の効果はあなた自身の心の有り様次第であることを忘れないようにしないといけない。
 また過度の服用は効果の錯覚を及ぼす恐れもあるので、気をつけたいところである。

 本書もそのような「心のビタミン本」の一冊である。それもマルチビタミン、L(life)といったところだろうか。
 精神分析医でもある著者(ダニエル・ゴットリーブ)が自身のお孫さんに宛てた手紙の形式をとって、人生とは、人間とは、を教えてくれるものである。
 「心のビタミン本」には本書のように手紙形式をとるものが少なくない。父から娘へ、娘から父へ、夫から妻へ、妻から夫へ・・・。手紙という伝達手段が心に伝わりやすいのかもしれないし、書くほうも表現しやすいともいえる。
 ただ本書の場合、差出人であるゴットリーブ氏は精神分析医であるとともに三十代での交通事故により四肢麻痺となり車椅子の生活を送っていること、そして氏のメッセージの相手であるお孫さんのサム君は生後まもなく自閉症の診断を受けた少年であること、が他の同様の「心のビタミン本」との違いだろうか。
 そのようななかで、ゴットリーブ氏がたびたびサム君に伝えようとしていることは「素直さ」である。「自分の弱さを、隠さず素直に見せられたら、世界はもっと安全な場所になると、わたしは心から信じている」(90頁)「<わからない>と認めれば、何かすばらしいことが起こるきっかけになるから」(128頁)といったように。
 そして大切なのは、そういった「素直さ」は著者やサム君のように障害をもった人だけに求められるものではないということだ。
 私たちも見栄やプライドという心の障害をもっていることには変わりはない。
 多くの場面でその障害がじゃまをしていないだろうか。恥かしいと躊躇し、どうして自分なのと落胆し、どこかに差別の目をもって人と接する。それは人間として「素直さ」をなくしているからではないだろうか。
 ゴットリーフ氏はそのことを何度もなんどもサム君を通して、私たちに問いかけている。

 サム君に送った氏の最後の一通の中にこんな文章がある。
 「わたしが君に伝えたいのは、ずっと愛してきた人の目をじっとのぞきこんだ時に、心に湧き上がってくる感情だ。哀しさと悲しみと親密さが入り混じった、その感情のダンスを、なんとかして伝えたいと思う」(243頁)。
 著者は「感情のダンス」さえ隠そうとする人間の心の貧しさを嘆き、だからこそ「素直になりなさい」といいたかったにちがいない。
 心の太鼓を打ち鳴らすのは、もちろん、私たち自身である。
  
(2008/10/27 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  子供の頃、我が家の新聞は「毎日新聞」だった。
  なぜ覚えているかというと、
  加藤芳郎さんの『まっぴら君』があったからです。
  あの四コマ漫画が、子供の私に面白かったかというと、
  多分ちっとも面白くなかったはずで、
  しかも加藤芳郎さんのタッチというのは、硬質で、
  たとえば手塚治虫さんの丸っこく柔らかいものとは
  かなり違っていましたから、
  なじみがあるはずもなかったはずなのに、
  当時の朝刊の四コマ漫画『フクちゃん』(横山隆一)よりも
  ものすごく記憶に残っています。
  それは、書評のなかにも書きましたが、
  ちょっと大人ぶっていただけかもしれません。
  今日、紹介する清水勲さんの『四コマ漫画』には
  たくさんの図版が載っているのですが、
  あの谷内六郎さん(週刊新潮の表紙絵で有名)とか、
  柳原良平さん(サントリーの広告で有名)とかが
  四コマ漫画を描いていたことを知りました。
  へえー、と思わずうなってしまいました。

四コマ漫画―北斎から「萌え」まで (岩波新書)四コマ漫画―北斎から「萌え」まで (岩波新書)
(2009/08)
清水 勲

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sai.wingpen  四コマ漫画に歴史をみる              矢印 bk1書評ページへ

 漫画表現の多様性についてはすでに多くの評論で論じられているし、なによりも漫画を愛好するたくさんのファンの数がそれを証明している。
 本書は、一枚絵漫画「カートゥーン」とストーリー漫画「コミック」という代表的な漫画表現に属さない短いコマ漫画を、特に四コマ漫画を主として、江戸時代の『北斎漫画』から現代にいたる一九〇年の歴史をたどる興味深い評論である。
 歴史としての面白さだけでなく、『北斎漫画』から大正期の『のんきな父さん』(麻生豊)、戦中の『轟先生』(秋好馨)、手塚治虫のデビュー作となった『マアチャンの日記帳』、戦後の『サザエさん』(長谷川町子)、『まっぴら君』(加藤芳郎)、そして現代の『ののちゃん』(いしいひさいち)、「萌え」系の『らき☆すた』(美水かがみ)といった作品が図版として七六点も収められているのがうれしい。
 それは単に漫画論というより、まるで思い出の玉手箱のようである。

 四コマ漫画の大きな活躍の舞台は新聞であった。
 その新聞は大抵一家に一紙で、『サザエさん』(朝日新聞)を読んでいる家の子は『フクちゃん』(横山隆一・毎日新聞)や『ほのぼの君』(佃公彦・東京新聞)は読んでいない。だからといって、友達と新聞の四コマ漫画について情報を交換するほど熱心でもない。それでいて、ある月から購読紙を変えることがあって、今まで楽しみにしていた漫画が読めなくなるのが少し淋しかったりした。
 大人のように新聞を読んでいるという、少し背伸びをした風が、新聞の四コマ漫画にはあった。

 本書の後半で、昭和五〇・六〇年代の「雑誌四コマ」の時代が取り上げられている。そのなかに、二人の天才漫画家として紹介されているのが、いしいひさいちと植田まさしである。
 二人に共通していたのは、類まれなユーモアなセンスで、しかも笑いにひねりが加えられていた。そういう点では万人向けではなく、商業雑誌上で実力が発揮される型であったと思うが、この二人はその後、『ののちゃん』(いしいひさいち・朝日新聞)、『コボちゃん』(植田まさし・読売新聞)と一般紙に進出していく。
 そして、見事に開花してみせるのだが、このことは私たちの生活に漫画という表現形式がごく当たり前のように入ってきたことを証明している。

 今『サザエさん』で昭和をよむ試みが朝日新聞紙上で続いているが、単に漫画という以上にそこに描かれた風俗や世相が文化を読み解く資料となりえている証であろう。
 新しい四コマ漫画の描き手たちにもそういう視点を持ちつづけてもらいたい。
  
(2009/10/07 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  朝日新聞日曜書評欄の「百年読書会」(重松清ナビゲーター)の、
  10月の課題図書は、松本清張さんの『砂の器』。
  まったく重松清さんは毎回重量級の本を課題図書にしますね。
  今回も500ページ近い文庫本が上下2冊。
  こりゃあ大変だと早めに読み始めたのですが、
  さすがに推理小説で、中断するのが困難なくらい、
  あっという間に読めてしまいました。
  今回、きっと感想を書く人のなかには、
  野村芳太郎監督で映画化された作品(1974年)との比較を
  書く人が多いと思います。
  それほどあの映画の印象は強い。
  先に映画を観た人は、
  原作を読むとかなり違和感を感じるのではないでしょうか。
  今年、松本清張さんは太宰治と同じく、
  生誕100年ということで、何かと話題になっていますが、
  たくさんの作品がありますから、
  それぞれの人の好みがあるんでしょうね。
  私はやっぱり『点と線』かな。
  今回も書評句つきで、お楽しみください。

砂の器〈上〉 (新潮文庫)砂の器〈上〉 (新潮文庫)
(1973/03)
松本 清張

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砂の器〈下〉 (新潮文庫)砂の器〈下〉 (新潮文庫)
(1973/03)
松本 清張

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sai.wingpen  失った風景            

 秋ふかし 犯人を追ふ 読者かな

 いくら作品の評価が決まっているとはいえ、さすがに推理小説の場合、犯人であるとか結末とかを書くのは控えたい。今年生誕100年を迎えた松本清張の代表作といえども、未読の読者はこれからも増えつづけるだろうから、同じことだ。
 東京蒲田駅の操車場で殺された一人の男が残した言葉の特徴、東北弁と「カメダ」という言葉。この謎ときが面白い。刑事たちもこれに振り回されるのであるが、この作品が発表された昭和36年はまだ日本の言葉が地方ごとにくっきりと色分けできる特色をもっていた時代でもあったのだろう。TVの発展で言葉の景色そのものも変わってしまった風がある。その点でも、この作品は推理小説でありながら、新進芸術家たちの発言や地方の風景、刑事たちの移動手段など時代が様変わりする過渡期を描いているとみていい。
 そして、それは過去を切り捨てたいと願った犯人の心象風景とも似ている。
  
(2009/10/04 投稿)

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足 昨日、知人の女性(しかもきれいな)のyoukoさんが始めた、
 埼玉県飯能にある、「珈琲よつば」に行ってきました。
 同行は、おじさん四人組で、
 「珈琲よつば」を経営する彼女がそのことを喜んだかどうか、
 それは疑問ですが。

足 「珈琲よつば」といっても、
よつば 知っている人は知っているし、
 知らない人は知らないわけですが、
 ここから、HPに飛べますし、
 ここから、経営者のyoukoさんのブログに飛べます。
 youkoさんのすごいところは、
 一念発起して、自宅の一部を改造して、
 自分のお店を持つという、
 「自分の夢」を叶えたこと。
 おじさん四人組は、あっぱれの拍手をおくったわけであります。

足 お店は先月中旬にオープンしたのですが、
 我々おじさん四人組は、すわ駆けつけたかったのですが、
 大安吉日の昨日になったわけです。
 なにしろ、まだ営業時間が限られていますので、
 予約をしていきました。
 場所は埼玉県の飯能市の住宅街の中ですから、
 しっかり予約して、場所の確認をして
 行って下さいね。
 うっかりすると、見逃してしまいそう。
 きどるわけでもなく、
 お家(うち)のお客さまをお迎えします、みたいな雰囲気です。
 庭木がごく自然に茂って、
 お店というより、youkoさんのお家訪問みたい。

足 私は珈琲と、本日のスペシャルの「柿のバターケーキ」を頂戴しました。
 よつば2
 さすが「珈琲よつば」というだけあって、
 おいしい珈琲でした。
 おじさん四人組は、珈琲とかさやま紅茶とか飲みつつ、
 ケーキをぐちゃぐちゃにしながら、
 最近の雇用情勢、経済のありかたについて、
 真剣に議論してました。(嘘です)
 そのうち、8席の店内も満席になって、
 立ち去ったわけです。

足 しまった。
 今回は本の話は何ひとつ書いていないと焦りつつ、
 扉をあけると、庭に大きな柿の木が。
 そして、そこにはみごとに柿の実が。
 「あの柿の実のジャムでさっきのケーキを作ったのよ」と、
 youkoさんは、やさしく教えてくれました。

足 そこで最後に、一句。

   柿の木の実りごほうびよつばかな  夏の雨

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日の東海林さだおさんの『キャベツの丸かじり』の書評のなかで、
  新聞紙と食べ物の関係について言及(おおげさですね)しましたが、
  ひとつだけ書かなかったことがあります。
  それは、食事の最終段階というか、
  おトイレの話。
  おいおい、日曜日にそんなこと書くなよな、くそっ、
  と思った、あなた。
  その、くそ、です。
  ちがった大便の話。
  しかし、これは歴史の真実だから、
  書いとくに越したことはない。
  昔のおトイレには、新聞紙が常設されていたという真実。
  なーんだ、そんなの、
  とうさん、毎日持ってはいってるよ、というのではなく、
  トイレットペーパーの代用として、
  新聞紙を使っていたのです。
  ええー、ってびっくりしたあなた。
  お若いのう。
  この国はそれぐらい貧しかった。
  でも、お尻にもニュースをつけて? いたほど、
  活字には熱心な国でありました。

キャベツの丸かじり (文春文庫)キャベツの丸かじり (文春文庫)
(1994/11)
東海林 さだお

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sai.wingpen  新聞紙の効用                矢印 bk1書評ページへ

 東海林さだおさんの食べ物エッセイ「丸かじり」シリーズの魅力は、細部へのこだわりと具象性にあります。
 この『キャベツの丸かじり』に収められた「懐かしののり弁」という章にこんな文章、
 「弁当包みは、布製のやつなんかではなく、新聞紙でなければならぬ。その新聞紙は、弁当を開いたとき、醤油のシミがついてなければならぬ」。
 これこそ、紙は細部に宿る、醤油のシミは新聞紙に宿る、の見本のようであります。
 この文章だけで、新聞紙のはしっこに、弁当箱の醤油またはおつゆのシミがにじみでていたときの切なさが、シミジミわきおこるのであります。
 「まったく、かあちゃん、また汁物を弁当のおかずにしたな」と、ぼやきたくもなるのです。
 さらに、弁当箱の横にあった、地図帖なんかの端も、醤油のシミで濡れて、ぼわぼわになっているのに、怒りが爆発します。
 「だから、おでんなんかおかずにするなといったのに」

 この弁当箱の例をみるまでもなく、新聞紙と食べ物とは実に長い間、蜜月の時代を過ごしていました。
 相性がよかった。
 たとえば、焼きいもと新聞紙。
 あのほっかほっかの焼きいもは新聞紙でくるまれて、はじめてこれから寒い季節がやってくるのだなという風情がでるというもの。
 しかも、この場合は政治面ではなく、文化面あたりの新聞紙の方が似合う。
 「枯れ葉よ~」とシャンソンがあれば、もっといい。
 秋といえば、サンマ。
 これだって、新聞紙にぼーんと放り投げられて、くるくるって丸められて売っていた。
 おお、サンマを一匹買ったぞ、という気分になる。
 この時はTV面か、社会面がいい。
 「だんなを出刃包丁でさした」とか、「隣家の煙が目にしみたから」みたいな、事件ものが似合う。
 まるまるぼーんといえば、新聞紙とタクアンもそういう関係にあった。
 これは、教育面がいい。
 なにしろ、タクアンのことは「こうこう」(孝行)というではないか。

 このように、新聞紙と食べ物は、相思相愛だったのだ。
 それなのに、最近ではどうも不仲説がながれていて、一部ではすでに破局か、とまで噂されている。
 弁当箱を新聞紙で包みますか。
 焼きいもを新聞紙で包みますか。
 サンマは。タクアンは。
 すべて、NOなのです。
 いったいどうしてこんなことになってしまったのかを丸かじりレポーター諸氏が追求したところ、どうも食べ物さんの浮気が原因らしい。
 新聞紙さんの容姿がみすぼらしい、貧しくみえて仕方がない、そういうあたりが原因のようだ。
 あるいは、包み紙が包み紙として成立したことやビニール袋の台頭がめざましいことも考えられている。
 それでいて、英字新聞はまだまだオシャレということで人気がある。
 弁当箱に、ニューヨーク・タイムズ。
 焼きいもに、ル・フィガロ。
 サンマに、プラウザ。
 タクアンに、人民日報。
 たしかに、グローバルではありますが。
  
(2009/10/04 投稿)

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鉛筆 「雑誌を歩く」の第4号は、
 『暮しの手帖』です。
 実は、『暮しの手帖』という雑誌は
 ずっと以前からあこがれのような気分があって、
 この雑誌を購読している家に生まれたかった。
 育ちたかった、とずっと思っていました。
 私のなかでは、
 『暮しの手帖』がある家というのは、質素だけれど明るくて、
 お父様は茶色のベストが似合い、
 お母様はいつも身奇麗で、
 時にふたりはモーツアルトなんか聴きながら、
 静かにご本を読んでいらっしゃる、
 そんなイメージがあります。
 今でもあります。
 だから、我が家には『暮しの手帖』はありません。

暮しの手帖 2009年 10月号 [雑誌]暮しの手帖 2009年 10月号 [雑誌]
(2009/09/25)
不明

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鉛筆 表紙をめくると、こんな言葉が書かれています。

   これは あなたの手帖です
   いろいろのことが ここには書きつけてある
   ・・・・・
   すぐには役に立たないように見えても
   やがて こころの底ふかく沈んで
   いつか あなたの暮し方を変えてしまう
   そんなふうな
   これは あなたの暮しの手帖です


 いいな、いいな、やっぱりいいな。
 『暮しの手帖』というのは、昭和23年(1948年)に、
 花森安治さんと大橋鎮子さんとで創刊された総合家庭雑誌で、
 今は松浦弥太郎さんが編集長をされています。
 隔月刊で、今回紹介する42号は、秋号(10-11月)にあたります。

鉛筆 まずは、目次を拝見。
 「料理」「健康」「暮らし」「服飾」「アート」「コラム」と、大項目があって、
 今回の「料理」は、
 「鍋のおさらい」(いいですね、これから鍋料理がおいしい季節ですものね)
 「きほんのおせち三品」(お、もう正月ですね)
 「おなじみ料理100のコツ」とつづきます。
 この「おなじみ料理100のコツ」がいいですね。
 私は料理できない、ダメおやじなのですが、これは読んでも楽しい。
 たとえば、ハンバーグ。

   挽肉は、できるだけ新鮮なものを使います。

 いいですね。でも、この知識をぼそっと食卓でもらしでもしたら、
 「それなら、あなた作ればいいでしょ!」
 なんと、怒られそうですが。

鉛筆 今回の号で目をひいたのが、
 「林芙美子の建てた家」という、小特集。
 林芙美子さんというのは、『放浪記』や『浮雲』といった作品でおなじみの、
 昭和中期の人気作家。
 「私は宿命的に放浪者である。私は古里を持たない」と書いた林芙美子さんが
 困窮と放浪の果てに手にいれた、終の住処をたずねての訪問記です。
 写真も文章もいい。
 林芙美子ファンならずとも、一度はたずねてみたくなります。

鉛筆 その次のページには「フックの研究」がつづきます。
 フックというのは、
 ほら、あなたのお家にもありますよね、モノをつりさげる道具。
 私、結構、アレが好きなんですよね。
 せっかく取り付けたのに、モノをさげると、ずずずって落ちてきたことって
 経験ありません?
 ああいう、ちょっとダメなところもいいですし、
 それほど、目立たないところも好きです。
 自分を見ているようで。

鉛筆 やっぱり『暮しの手帖』のある家に
 育ちたかったな。
 今日もていねいに。(これは、松浦弥太郎さんの言い回しを拝借しました)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日紹介する、鈴木しづ子さんの、
  『夏みかん酢つぱしいまさら純潔など』は、句集です。
  この本で私も初めて知ったのですが、
  鈴木しづ子さんは「娼婦俳人」とも呼ばれる、
  伝説の俳人だそうです。
  ちょっとこの呼び名はひどすぎます。
  書評のなかで、鈴木しづ子さんの経歴を書いてみましたが、
  なぜそこまで彼女は呼ばれたのか。
  時代ということだけだったのか。
  そうではなかったのか。
  案外、俳句の世界はそういう女性たちを嫌ったのかも
  しれません。
  ただ、彼女の句を読んで思うのですが、
  自身の日常を、そのままの言葉で詠んでいます。
  特に最初の句集『春雷』にはその傾向がつよい。
  作品の出来としては、さすがに第二句集である『指環』の方が
  いいと思いますが、
  素直さという点では『春雷』の方が好きです。
  鈴木しづ子さんの生死は不明ですが、
  生きているとすれば、今年90歳。

    コスモスなどやさしく吹けば死ねないよ

  そんな彼女の句のごとく、
  どこかでしずかに微笑んでいるかもしれません。
  
夏みかん酢つぱしいまさら純潔など夏みかん酢つぱしいまさら純潔など
(2009/08/20)
鈴木 しづ子

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sai.wingpen  女人擲つ刃のごとく霙かな             矢印 bk1書評ページへ

 はじめに、作者の鈴木しづ子について、巻末に記された詩人の正津勉氏の「鈴木しづ子というひと」という文章にそって、書いておきたい。
 鈴木しづ子は、「娼婦俳人」とも呼ばれる、伝説の俳人である。
 生涯に本書に収められた二冊の句集、『春雷』『指環』を上梓している。
 大正八年(1919年)に東京神田に生まれ、女学校卒業後、専修製図学校に入学し、その後製図工として工作機械の会社で働きはじめる。そこで俳人松村巨湫と出会い、俳句の道にはいっていく。
 時代は戦争へと大きく傾いていた。当時、婚約者がいたが、その生死もわからなくなる。「炎天の葉知慧灼けり壕に佇つ」は、敗戦の日に詠んだ句である。この時、しづ子、二十六歳。
 その後、東芝府中工場に転職し、昭和二十一年(1946年)、初めての句集『春雷』を上梓する。この句集には、「時差出勤ホームの上の朝の月」や「あきのあめ図面のあやまりたださるる」といった、働く女性の心象を詠んだ句が多く収められている。
 その後、しづ子はいくつかの恋に沈みこんでいく。本書に彼女の写真が一葉収められているが、すっきりした細おもての、現代風の美人である。恋にしづ子自身が魅了されていったのかもしれない。昭和二十四年には、岐阜市のダンスホールで働いていたという。その頃の句であろうか、「ダンサーになろか凍夜の駅間歩く」と詠んでいる。ダンスホールの暗い店内、ミラーボールの蠢く明かり、しづ子の伝説が始まる。
 朝鮮戦争が勃発したのはちょうどそんな頃(昭和二十五年)である。
 しづ子は黒人の軍曹と恋におちる。「黒人と踊る手さきやさくら散る」という彼女の句があるが、まだ、そういう女性を忌み嫌う時代でもあった。やがて兵士は戦場へと去り、戻ってきた時には重度の病気をかかえ、帰国していく。しづ子は傷心をかかえたまま、残されてしまう。
 そして、昭和二十七年、第二句集『指環』上梓。
 初めての句集からわずか六年で、しづ子は「娼婦俳人」とまで形容されるまでにいたってしまう。しづ子自身がまるでそのことを認めるかのように、この第二句集にこう綴っている。「前半生を了えてみてつくづく思うことは、けっきょく自分は弱かった-人生というものに完全に負けてしまった、ということ」。
そして、しづ子は失踪。今にいたるまで、その消息はわかっていない。「しづ子伝説」はこうして完成する。

 今回、本書ではじめて鈴木しづ子という俳人を知った。
 どういう評判であれ、少なくとも彼女が俳句でどれほど自身を癒されていたかがわかる。自暴自棄にように詠んだ句であっても、そうである。
 しづ子は時代に翻弄された女性かもしれないが、時に自身もまた彼女を翻弄している。しづ子の俳句は、証人のようにしてある。

 女人擲つ刃のごとく霙かな  夏の雨
  
(2009/10/02 投稿)

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