FC2ブログ
プレゼント 書評こぼれ話

  今日紹介する、鈴木しづ子さんの、
  『夏みかん酢つぱしいまさら純潔など』は、句集です。
  この本で私も初めて知ったのですが、
  鈴木しづ子さんは「娼婦俳人」とも呼ばれる、
  伝説の俳人だそうです。
  ちょっとこの呼び名はひどすぎます。
  書評のなかで、鈴木しづ子さんの経歴を書いてみましたが、
  なぜそこまで彼女は呼ばれたのか。
  時代ということだけだったのか。
  そうではなかったのか。
  案外、俳句の世界はそういう女性たちを嫌ったのかも
  しれません。
  ただ、彼女の句を読んで思うのですが、
  自身の日常を、そのままの言葉で詠んでいます。
  特に最初の句集『春雷』にはその傾向がつよい。
  作品の出来としては、さすがに第二句集である『指環』の方が
  いいと思いますが、
  素直さという点では『春雷』の方が好きです。
  鈴木しづ子さんの生死は不明ですが、
  生きているとすれば、今年90歳。

    コスモスなどやさしく吹けば死ねないよ

  そんな彼女の句のごとく、
  どこかでしずかに微笑んでいるかもしれません。
  
夏みかん酢つぱしいまさら純潔など夏みかん酢つぱしいまさら純潔など
(2009/08/20)
鈴木 しづ子

商品詳細を見る

sai.wingpen  女人擲つ刃のごとく霙かな             矢印 bk1書評ページへ

 はじめに、作者の鈴木しづ子について、巻末に記された詩人の正津勉氏の「鈴木しづ子というひと」という文章にそって、書いておきたい。
 鈴木しづ子は、「娼婦俳人」とも呼ばれる、伝説の俳人である。
 生涯に本書に収められた二冊の句集、『春雷』『指環』を上梓している。
 大正八年(1919年)に東京神田に生まれ、女学校卒業後、専修製図学校に入学し、その後製図工として工作機械の会社で働きはじめる。そこで俳人松村巨湫と出会い、俳句の道にはいっていく。
 時代は戦争へと大きく傾いていた。当時、婚約者がいたが、その生死もわからなくなる。「炎天の葉知慧灼けり壕に佇つ」は、敗戦の日に詠んだ句である。この時、しづ子、二十六歳。
 その後、東芝府中工場に転職し、昭和二十一年(1946年)、初めての句集『春雷』を上梓する。この句集には、「時差出勤ホームの上の朝の月」や「あきのあめ図面のあやまりたださるる」といった、働く女性の心象を詠んだ句が多く収められている。
 その後、しづ子はいくつかの恋に沈みこんでいく。本書に彼女の写真が一葉収められているが、すっきりした細おもての、現代風の美人である。恋にしづ子自身が魅了されていったのかもしれない。昭和二十四年には、岐阜市のダンスホールで働いていたという。その頃の句であろうか、「ダンサーになろか凍夜の駅間歩く」と詠んでいる。ダンスホールの暗い店内、ミラーボールの蠢く明かり、しづ子の伝説が始まる。
 朝鮮戦争が勃発したのはちょうどそんな頃(昭和二十五年)である。
 しづ子は黒人の軍曹と恋におちる。「黒人と踊る手さきやさくら散る」という彼女の句があるが、まだ、そういう女性を忌み嫌う時代でもあった。やがて兵士は戦場へと去り、戻ってきた時には重度の病気をかかえ、帰国していく。しづ子は傷心をかかえたまま、残されてしまう。
 そして、昭和二十七年、第二句集『指環』上梓。
 初めての句集からわずか六年で、しづ子は「娼婦俳人」とまで形容されるまでにいたってしまう。しづ子自身がまるでそのことを認めるかのように、この第二句集にこう綴っている。「前半生を了えてみてつくづく思うことは、けっきょく自分は弱かった-人生というものに完全に負けてしまった、ということ」。
そして、しづ子は失踪。今にいたるまで、その消息はわかっていない。「しづ子伝説」はこうして完成する。

 今回、本書ではじめて鈴木しづ子という俳人を知った。
 どういう評判であれ、少なくとも彼女が俳句でどれほど自身を癒されていたかがわかる。自暴自棄にように詠んだ句であっても、そうである。
 しづ子は時代に翻弄された女性かもしれないが、時に自身もまた彼女を翻弄している。しづ子の俳句は、証人のようにしてある。

 女人擲つ刃のごとく霙かな  夏の雨
  
(2009/10/02 投稿)

  芽 「ブログランキング」に参加しています。
     応援よろしくお願いします。
 
    にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ

レビュープラス