プレゼント 書評こぼれ話

  先日(3.29)東京押上に建設中の東京スカイツリーが
  東京タワーの高さ、
  333メートルを追い抜いたというニュースが
  出ていました。
  なにしろ世界一の高さをめざす
  東京スカイツリーですから、
  東京タワーが追い抜かれるのも仕方がありませんが、
  やっぱりちょっと淋しい感じがします。
  東京タワーはこの国の高度成長期のシンボルでした。
  それは映画『三丁目の夕日』にも描かれていた
  世界です。
  今回紹介する『サザエさんをさがして その5』のタイトルに
  『原っぱで夕焼けを見ていた頃』とありますが、
  そんな頃、東京タワーはめざすべき夢のようにして
  あったのではないでしょうか。
  今の東京スカイツリーに
  あの頃の昂揚感はあまり感じません。
  もし、長谷川町子さんが生きていたら、
  サザエさんに東京スカイツリーを
  描いたでしょうか。
  そんなことを
  ちょっぴり考えました。

  じゃあ、読もう。

   サザエさんをさがして』シリーズの書評はこのブログで全冊読めます。
   検索でさがしてみてください。

原っぱで夕焼けを見ていた頃 サザエさんをさがして その5原っぱで夕焼けを見ていた頃 サザエさんをさがして その5
(2010/02/19)
朝日新聞be編集グループ 編

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sai.wingpen  昭和が少し遠くなりました                     矢印 bk1書評ページへ

 長谷川町子さんの四コマ漫画『サザエさん』から毎回一つを取り上げて、「当時の世相や風俗を振り返る」というこのシリーズも、本作で5冊めになります。
 漫画『サザエさん』の連載が25年間にわたったことで、時代の風俗がたくさん描かれたことがこのシリーズの骨格になっていることは間違いありませんが、一人の書き手ではなく、朝日新聞の複数の記者のみなさんが書くことでシリーズのマンネリ化を防いでいるのだともいえます。
 今回のなかでも、「ウーマンリブ」があったり、本書のタイトルにも使われている「原っぱ」があったり、若い人には言葉すらわからなくなっているかもしれない「シミーズ」があったりと、さまざまな角度から「あの時代」が取り上げられています。
 記者のみなさんの興味が多岐にわたっているのが面白いし、それに長谷川町子さんが見事に応えた作品を残してくれているのがうれしい。
 思うのは、昭和も少し遠くになったことです。
  
(2010/03/31 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  先週は母の死やいろいろあって、
  蔵出し書評でなんとかブログを
  更新している有様でした。
  悲しいことの色々をなんとか終えて、
  はじめて読んだのが、
  ルイーズ・イェーツさんの『ほんやのいぬくん』でした。
  (訳は女優の本上まなみさん)
  どうして、この絵本が
  悲しみからの最初の本になったのでしょう。
  これも、本の神様のしわざなのかもしれませんが、
  どれだけこの絵本に救われたでしょう。
  起こったことは悲しかったりつらかったりしましたが、
  私には、本があるんだ。
  本がすべてを癒してくれるんだ。
  そんなことを、この一冊の絵本が教えてくれました。
  400字書評ですが、
  そんな素晴らしさがみなさんに伝わりますように。
  この絵本のおかげで、
  私は、もう大丈夫です。

  じゃあ、読もう。
    
ほんやのいぬくんほんやのいぬくん
(2010/02/27)
ルイーズ・イェーツ

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sai.wingpen  もう待つのはおしまいにして                     矢印 bk1書評ページへ

 本好きのいぬくんはある日本屋を始めることにします。開店の日にはお風呂にはいったり鼻をかんだりして身綺麗にして、お客さんの来店にそなえます。でも、誰もきません。たくさんの本を用意したのに-。
 英国の絵本作家ルイーズ・イェーツさんの絵本『ほんやのいぬくん』は、ここからがいいのです。誰もお客さんのこない本屋さんでしょんぼりするいぬくんですが、「たちなおりははやいのです! もう まつのはおしましにしよう」と大好きな本を読みはじめます。読んでいるとさみしいのを忘れてしまいます。
 本の世界は無尽にひろがって、さびしいいぬくんを慰めもし、元気づけもします。
 子供の絵本ですが、本による、とても素晴らしい「再生」のお話です。
 もし、あなたの心がくじけそうだったら、ぜひ手にとって読んでみてください。
 いぬくんのように、もうまつのはおしまいにしてみてください。
 この本はきっとあなたを「再生」させてくれるでしょう。
  
(2010/03/30 投稿)

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 朝日新聞日曜読書欄の、
 「百年読書会」(重松清ナビゲーター)が、
 昨日(3.28)の掲載をもって終了しました。
 最後は、ナビゲーターだった重松清さんが
 この1年を振り返るという企画でしたが、
 そのなかにこんな文章がありました。

   感想の文章に「書評句」を添えてくれた人、・・・

 あれ? これって私? ほかにもいたのかもしれませんが、
 少なくともこの「百年読書会」で取り上げられた12冊の本に
 「書評句」を書いてきた一人は(一人かもしれませんが)
 私です。うふふ。
 重松清さん、ずっと読んでいてくれたんだ。
 うれしい。ありがたい。
 そして、こうしてちゃんと書いていてくれて。

 だから、いうのではないですが、
 この企画はよかったですね。
 昔読んだ本、初めて手にした本、さまざまでしたが、
 これがなかったら大岡昇平さんの『俘虜記』や川端康成さんの『雪国』は
 読まずに終わったかもしれません。
 重松清さんも書いていますが、

   本を読むこと、本を読みながら生きるということは、
   未知の世界に足を踏み出すことの繰り返しなのかもしれません。

 ぜひ、またこういう企画をして欲しいものです。
 次は、ぜひ海外文学に挑戦してみたいなぁ。

 なお、この「百年読書会」への投稿総数は12814通。
そのなかで紹介されたのは573通だったそうです。

 この7月には一冊の本になる予定だそうです。
 楽しみにしています。

   さまざまな 本とめぐりて 花遍路  夏の雨

 おつかれさまでした。重松清さん。

   過去の書評句は「朝日新聞 百年読書会」のカテゴリーでお読みいただけます。

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 母が亡くなって、私の心のなかを
 吹き渡っていった風は、
 どんな花びらを文章にしていくのか
 今はわかりませんが、
 たとえば、17文字の俳句に
 そんな悲しみや後悔や思いがいつの日か
 込められるものでしょうか。

文藝春秋増刊 くりま 2010年 05月号 [雑誌]文藝春秋増刊 くりま 2010年 05月号 [雑誌]
(2010/03/17)
不明

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 今回紹介する、「文藝春秋増刊 くりま」5月号は、
 総特集として、「たった十七字で、人生のよろこびが倍増する」俳句、
 「俳句のある人生」です。
 この号では、なんといっても本邦初公開、
 「「朝日俳壇」入選句はこうして決まる」です。

   俳句好きなら一度は選句されて、赤飯炊いて祝いたい-。

 やっぱりそうなんだ。特集記事のリードの冒頭に記されています。
 私の場合でもそうでしたね。
 新聞を開いて、自分の俳句を見つけたときはそうでしたね。
 赤飯炊けばよかったなぁ。

 どれくらいの投稿があるかというと、
 毎週6000句らしいですよ。
 そこから、40句が選ばれるそうです。
 投稿する側として、
 どのように選考されているのか興味がありましたが、
 今回の「くりま」でよくわかりました。
 朝日俳壇に投稿してみようと思っている人は
 ぜひ読んでみてください。

 そのほか、あの『思考の整理学』を書いた
 外山滋比古さんの「俳句は「人生の整理学」である」という記事や
 「渥美清はなぜ放哉と山頭火に惹かれたのか」や
 俳人金子兜太さんインタビューなど、
 全ページ、俳句の話なのがうれしいですね。

 私が母のことを17文字にどのように
 綴られるのか、
 そんな日がいつか来るのでしょうか。

 じゃあ、読もう。

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プレゼント 書評こぼれ話

  母はこの28日、84歳の誕生日を迎えるはずでした。
  同じ日、結婚60周年を迎えるはずでした。
  その一週間前の21日、
  私たち子供は誕生パーティを病室で祝いました。
  母は、その夜、静かに息をひきとりました。
  重松清さんの『かあちゃん』という本のなかに
  こんな文章があります。

     どんな子どもも、ひとりぼっちでこの世に生まれてくることはありえない。
     世界中のすべてのひと。あらゆる時代の、あらゆるひと。例外などない。
     生まれてきた瞬間にいちばんそばにいてくれるひとは、
     どんな人間の場合も、母親なのだ。 
    (415頁)

  お母さん。
  ありがとう。
  いつもそばにいてくれて、ありがとう。
  今回の書評タイトルは、さだまさしさんの『償い』の歌詞から引用しました。

かあちゃんかあちゃん
(2009/05/29)
重松 清

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sai.wingpen  人間って哀しいね だってみんなやさしい           矢印 bk1書評ページへ

 さだまさしさんの『償い』という歌を知ったのは、ある裁判のなかでの裁判長の言葉からでした。その時裁判長は、交通事故を起こした加害者の長年の償いを歌詞にしたこの歌を例に、「せめて歌詞だけでも読めば、なぜ君たちの反省の弁が人の心を打たないか分かるだろう」と説諭しました。
 重松清さんがこの『かあちゃん』という連作小説を執筆するに際して、この裁判の話やさだまさしの歌のことを知っていたのかどうかはわかりませんが、やはりこの作品に書かれているのも「償い」という重いテーマです。
 二十六年前不幸な交通事故にまきこまれた父親とその上司。たまたま運転をしていたのが父親だったということで、その日を境にして「お母ちゃん」は笑顔まで捨てて、被害者への「償い」の日々をおくるようになります。
 ある日、成長し家庭をもつ息子のもとに、かつての被害者の上司の墓の前で「おふくろ」が倒れたという報がはいります。その時初めて息子は「お母ちゃん」の長い「償い」の日々を知ることになります。
 それは、「忘れない」という「償い」の方法でした。

 物語はそのことを核にして、中学生の「いじめ」の問題へと移っていきます。
 友人でありながら首謀者松谷の言いなりに「いじめる」側にまわる啓太と本多。それを黙ってみていた女子生徒千葉。「いじめ」の実態に気がつかない新米教師水原。やがて、いじめを受けていた黒川は自殺未遂を起こし、転校をしていく。
 それぞれが祖母の認知症や親の不和、新たないじめの問題などを抱えています。
 そんな生活をそれぞれの「かあちゃん」の姿を重ねあわせながら(それにしても「とうちゃん」たちのなんという不甲斐なさでしょう)、彼らが「償い」とは何かという問題に直面していく姿を、重松清さんは巧みに描いていきます。

 「いじめ」の問題はこの物語に描かれたようにきれいに解決するものではないでしょう。
 それでも、重松清さんはそのことを書かざるをえなかったのではないでしょうか。それは一人の作家としての、子を持つ親としての、責務のような覚悟なのかもしれません。
 終盤近くに、「謝ることと償うことって、違うよね。『謝る』は相手にゆるしてもらえないと意味がないけど、『償う』は、たとえ相手にゆるしてもらえなくても・・・っていうか、ゆるしてもらえないことだから、ずっと償っていかなきゃいけないと思うの」(347頁)という台詞があります。
 私たち自身が自分の言葉で考えるべき問題です。

 母と子が、そして父もまた、この本のことを語りあえる世界を想像することも、きれいごとすぎるでしょうか。
  
(2009/07/11 投稿)
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プレゼント 書評こぼれ話

  生きるために
  人はいつも悲しい思いをするのだろうか。

天国はまだ遠く天国はまだ遠く
(2004/06/23)
瀬尾 まいこ

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sai.wingpen  二十一日間                     矢印 bk1書評ページへ

  「死のうと思っていた」。太宰治の第一創作集『晩年』の冒頭の作品『葉』の、有名な書き出しである。この一言で太宰の魔術にかかった人も多いのではないだろうか。誰もが、一度はそんな風に思いながら、けっして口に出せなかったことを、太宰はさりげなく書いた。そのことで、この人は自分のことをわかってくれる人だと思い込んでしまった。少なくとも、私にとっての太宰治は、そうだった。この文章のあとで、正月に麻の着物をもらったと続く。「これは夏に着る着物であろう。夏まで生きていようと思った」。臆病者の生き残るための、口実のようでもあるが、癒された。自分も生きてみよう。太宰の、たった数行の文章に救われた。

 『図書館の神様』の著者である瀬尾まいこの新作は、仕事も日常も嫌になった二十三歳の千鶴という女性が自殺を決意したところから始まる。まさに「死のうと思っていた」千鶴は、十数錠の睡眠薬をもって名もない鄙びた山奥の民宿にたどり着く。しかし、彼女は幸いにも死ぬことに失敗してしまう。街にも戻れない彼女は、山間の民宿で、宿の主人と奇妙な生活を始めることになる。

 舞台はどこだろう、海があり山があり、年老いた住民がいて、両親の突然の死でこの山間の村に戻ってきた民宿の主人がいる。そんな場所で、死に損ねた主人公は、やがて自分の心が死のうと思っていた頃とはまったく違うものになっていることに気がつく。何か事件が起こるわけでもない。感情の起伏があるわけでもない。季節は静かに進んでいる。それなのに、たくさんの時間が過ぎ去ったような錯覚に、主人公も、私たち読み手側も陥ってしまう。そんな著者の企みのような文章に、いつのもなにか癒されている自分がいる。

 「二十一日間。たった二十一日。一ヶ月にも満たない。だけど、その日々は緩やかで濃密だった。静かでめまぐるしかった」(166頁)

 主人公千鶴は、そんな奇跡のような二十一日間を経て、生きていくために街に戻っていく。もっと、もっと生きていけそうだと主人公は新しい生活に帰っていく。太宰のように、期間限定の生き方でなく、おそらく主人公は新しい自分を見つけたからこそ生きていく勇気がついたのだ。主人公を再生させたのは一反の麻の着物ではなく、豊かな自然であり、生き続ける勇気をもった人だけがもつ心の大きさだった。彼女にどんな日常がまっているのだろう。それがどんなものであっても、彼女はもう死のうと思うことはないにちがいない。
  
(2004/08/01 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

最後の授業 ぼくの命があるうちに最後の授業 ぼくの命があるうちに
(2008/06/19)
ランディ パウシュジェフリー ザスロー

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sai.wingpen  「最後の授業」が教えたもの                     矢印 bk1書評ページへ

 2008年7月27日の日曜の朝、何気なく新聞を開いて目に飛び込んできたのが、本書の著者ランディ・パウシュ教授の逝去の記事だった。<「最後の授業」47歳米教授逝く>という見出しとともに、在りし日の教授の写真がそえられている。以下、朝日新聞からの引用である。「がんで余命数ヶ月と告知されながらも、講義で自分の夢を語った米国の大学教授が25日、息を引き取った。講義は「最後の授業」の題名でインターネットに流れ、世界の600万人以上が受講したといわれ、その本が国際的なベストセラーになっている」
 その本が、「ぼくの命があるうちに」と副題のついた本書である。パウシュ教授はカーネギーメロン大学でコンピューターサイエンスを専門にし、「06年秋、膵臓がんを宣告され、07年8月には余命3~6カ月と告知された」(朝日)。そして、その宣告後の9月に行った講義が先の新聞記事にもあったとおり、全世界に配信され、感動の渦をまきおこしたのである。その講義を行うにあたって、教授やその家族に迷いがなかったわけではない。残された日々をどう生きていくか、講義よりもそのことを優先させるべきではないか。しかし、教授は決心をする。少し長くなるが、本書から引用する。「親ならだれでも、自分の子供に善悪の分別を教え、自分が大切だと思うことを伝え、人生で訪れる問題にどのように立ち向かうかを教えてやりたい。自分が人生で学んだことを話して、子供が人生を歩む道しるべのひとつにしてほしい。僕も親としてそう思うから、カーネギーメロン大学の<最後の講義>を引き受けた」(8頁)そして、この文章の最後にこう書く。「僕は教師だ。だから、講義をした」
 「最後の授業」前後の教授の心のメッセージをまとめた本書にあって、引用の中にあったように教授の残された三人の幼い子供にこめた思いがあふれた一冊であるということがその文章の端々にうかがえる。そして、ある意味個人的とも思われる内容でありながらも、実は極めて普遍的な、人間の知恵が語られてもいるということは書いておかなければならない。それは、夢の実現についての教授のいくつかのメッセージである。何しろ教授の「最後の授業」の題名は『子供のころからの夢を本当に実現するために』なのだから。教授は夢の実現について、こう書いている。「レンガの壁がそこにあるのには、理由がある。僕たちの行く手を阻むためにあるのではない。その壁の向こうにある<何か>を自分がどれほど真剣に望んでいるか、証明するチャンスを与えているのだ」(38頁)。そして、そのレンガの壁を壊すのに、どれだけ多くの人の愛と助けがあったかを、教授は書いている。
 余命数ヶ月と宣告された一人の人間でありながら、このように生きる知恵と肉親への愛を語る。それをなしえたパウシュ教授は特別な人であったのだろうか。妻を愛する気持ち、子供を思う感情、生きたいと願う力、それがあれば、教授のような生き方はできるかもしれない。いや、人間とはそんなに強いものではないとしても、教授が伝えようとしたメッセージを、少しでも考えてみる気持ちがあれば、生きる糧となるにちがいない。生きるとは、多くの苦難をともなうものだとしても、それを思う存分生ききるのが人間なのだから。そして、そのことをもっとも真剣に思ったのは、パウシュ教授自身だったことだけはまちがいない。
 確かにパウシュ教授は医師の宣告のとおり、その命をとじた。教授の授業は本当に「最後の授業」になった。しかし、教授の意思を継いだ人が、また生きるための授業を行うだろう。そのことを教授は願っていたにちがいない。最後に、本書の中の三人の息子にあてた一章の中の文章(235頁)を紹介して、この書評をおえる。ランディ・パウシュ教授の死を哀悼するとともに、残された人たちの心の平安を願って。
 「僕はいなくなるから、きちんと伝えておきたい。僕がきみたちにどんなふうになってほしかったかと、考える必要はないんだよ。きみたちがなりたい人間に、僕はなってほしいのだから」
  
(2008/07/29 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  母からたくさん手紙をもらいました。
  たくさん
  たくさん
  もらいました。

声に出して読みたい日本語声に出して読みたい日本語
(2001/09/12)
斎藤 孝

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sai.wingpen  母の手紙                     矢印 bk1書評ページへ

  映画の一場面のように記憶している思い出がある。小学校の教室。黒板に白いチョークで書かれた長い詩。おとこ先生が窓の側に静かに立っている。一人の生徒が立ちあがり、それを朗誦する。「雨ニモマケズ 風ニモマケズ…」僕の年代(四〇代の後半)の人の多くはそんな記憶を持っているのではないかしら(ちなみに宮澤賢治のこの詩は「声に出して読みたい日本語2」に収録されている)。

 そんな人たちが、斎藤孝さんの「暗誦・朗誦文化の復活」という問題提起に賛同し、大ベストセラーになったのだと思う。それはある意味において、僕たち自身が失ってきたものに対する反省の意味も込もっている。この本を手にした多くの人が、子供たちに藤村の「初恋」や寿限無を朗誦してあげたことだろう。著者がいうように、そんな記憶が子供たちに残れば、どんなに素敵なことか。

 僕が自分の娘たちに読み聞かせるものに、田舎の母から時たま届く手紙がある。母のつたない手紙を声を出して読むことで、母の思いやりが伝わってくる。文面は高尚でなくても心がこもる思いの深さ、その暖かさが娘たちに伝わってほしいという願いを込めて、僕は母の手紙を読む。

 「どうぞこれからも暑くなって来ますが 一層体に気を付けて 夫婦仲よく 明るく 楽しく暮らして下さい。お父さんも私も これからも子供の事を思い よろこばして下さる事 喜んで たのしく 生きていきます」(母の手紙 抜粋)
  
(2002/08/11 投稿)

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03/23/2010    同じ色の涙
プレゼント 書評こぼれ話

  母が
  桜の開花とともに
  逝ってしまいました。

  いくたびも
  いくたびも
  流れてくる涙は
  どうすれば とまるのでしょう。  

無名 (幻冬舎文庫)無名 (幻冬舎文庫)
(2006/08)
沢木 耕太郎

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sai.wingpen  同じ色の涙                     矢印 bk1書評ページへ

 さだまさしに「椎の実のママへ」という一枚がある。有名な「精霊流し」の誕生秘話ともいえる一曲で、さだの叔母さんであった<椎の実のママ>の一生を感動的な楽曲に仕上げたものである。沢木耕太郎の「無名」という作品を読んで、ひさしぶりにこの曲を思い出した。

 沢木耕太郎の「無名」は、沢木が自ら父の死を描いた作品である。肉親の死を描いているとわかっていながら、私はこの作品を読んで不覚にも涙をこぼした。病に倒れ、死が確実になったとはいえ、肉親にとってはそれが回避できるものであればそれに越したことはない。沢木の父もそうであった。余命宣告を受けたものの、自宅療法に変えたことで、父の表情に明るさが戻った。しかし、死は突然訪れる。<第七章 白い布>の冒頭、沢木は付き添っていた姉から一本の電話を受ける。「お父さん、もうだめみたい」…。私はその時不意に涙をこぼした。

 私は幸いにもまだ肉親の死に立ち会ったことはない。しかし、この時沢木の姉が口にした一言は、肉親の死に向かいあった者だけが持ちうるあらゆる感情を表現しているということは想像できる。肉親としての悲しさ、肉親としての無念さ、肉親としての切なさ。おそらくこの時の感情のままでは沢木は作品を残すことはできなかったにちがいない。肉親の死という題材は湿りけを帯びる。そのことが作品をひとりよがりのものにしてしまうことを、沢木を何よりもわかっていたはずだ。だから、沢木が「無名」というひとつの作品を書き上げるまで、実は五年近くの歳月を必要としたのだろう。

 さだまさしの「椎の実のママへ」という曲の最後にこんな歌詞がある。「椎の実のママが死んだ晩に/みんな同じ色の涙を流した/結局愛されて死んでいった彼女は/幸せだったと思っていいかい」父の死後、落穂拾いのようにして父の俳句をまとめあげようとした沢木も同じようであったにちがいない。そして涙がようやくにして乾いた先に、読者の心を強くうつこの作品が生まれたといえる。
  
(2003/10/12 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  三年前の今日(3.22)、
  作家城山三郎さんが亡くなりました。
  経済小説の巨匠として、
  多くの作品を残し、
  私たちのたくさんの感動をくれました。
  そんな城山三郎さんですが、
  奥さん容子さんが亡くなったあとの
  孤独というのはとても切ないですね。
  ところで、夫婦というのは
  どちらが先にいなくなるのが
  いいのでしょう。
  
  

父でもなく、城山三郎でもなく父でもなく、城山三郎でもなく
(2008/06/21)
井上紀子

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sai.wingpen  そうか、もう父母はいないのか                     矢印 bk1書評ページへ

  ひとくちに親子といってもその関係性は多様である。例えば父親と娘の関係と母親と息子のそれは同じではないだろう。父親を「クサイ」と毛嫌いする娘は類型として描けても、母親を同じように忌避する息子は型として表現しにくいように思う。父と息子、父と娘、母と息子、母と娘。同性異性の組み合わせだけでこれだけの親子がいて、さらに親を取り巻く環境や長男であったり次男であったりといった順列などを考えれば、親子の関係をこれだと定義づけることさえ困難な気がする。そうしたことが親を悩ませ、子を反発させる。「こんな子を生むのではなかった」「こんな親から生まれたくなかった」という憎しみは「この子のためなら」「あなた方の子供でよかった」という愛情とわずかばかりの差でしかない。いや、差すらないひとつの感情のような気さえする。本当に親子というのはやっかいだ。
 本書の著者井上紀子さんは昨年逝去された作家城山三郎氏の次女である。確かに多くのベストセラー作品を生み出した作家の娘として井上さんは恵まれた環境にあっただろうが、「あくまでも父は杉浦英一(城山三郎の本名)であって、私にとって城山三郎は表玄関の人であった」(5頁・カッコ内は書評子)と作家の娘ならでは悩みもあったにちがいない。本書はもちろん作家城山三郎の生前の個人的な生活を娘の視点で描いた面をもちながら、実は城山氏の夫人、著者からすれば母親である容子さんとの関係にも多くの紙数を割いた母と娘の書ともいえるのである。娘の父親でしかない私にとって、井上さんが書かれた母親との在り様が、すこぶる面白かったし、興味をひかれた。
 母親である容子さんが病に臥すようになる前、娘の井上さんと待ち合わせをする場面がある。「(母は)窓越しに視線を感じたのか、私の顔を見つけるや、それまでの表情のない顔がパッと一瞬にして色を戻した。否、戻そうとしていた」(118頁・「鈍・鈍・楽」・カッコ内は書評子)。短い文章ながら、ここに母親としての娘に対する強い競争心のようなものを感じる。待ち合わせた相手が息子であれば、母親はこういう表情をしなかったのではないか。同じ章には井上さんが容子さんの買い物の誘いを断る場面もある。そのことを「その時、なぜか心が震えた。身体ではなく、心が。今までにない感覚だった。何か大事なものを見捨ててきてしまったような」(114頁・同章)と井上さんは書く。これも娘ならではの感情かもしれない。けっして二人は仲が悪かったわけではない。むしろ互いに尊重し合う、いい親子関係だっただろう。ただ二人は母親と娘という親子だったということである。
 そのように父と娘、母と娘の姿を描きながらも、井上さんが近づけなかったのが夫婦としての城山さんと容子さんだったかも知れない。本書の題名のとおり「父でもなく、城山三郎でもなく」、杉浦英一氏は「全くの素の一人の人間」としての笑みを浮かべて亡くなった。「これは紛れもない、亡き母への微笑みだった。一人の男として愛する人のもとへ旅立つときの顔。まさに至福の顔そのものであった」(8頁)。その時、娘は父としてでも作家としてでもなく、恋人にさよならをしていたのかもしれない。そして、娘が近づけないほどに、城山さんと容子さんは父親でもなく母親でもなく、仕合せな夫婦だったにちがいない。
  
(2008/09/19 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日は春分の日
  昼と夜の時間が同じになる日って
  子どもの頃に教わりましたよね。
  これからぐんぐん昼が長くなっていきますよ。

    竹の芽も茜さしたる彼岸かな  芥川龍之介

  この春分の日をはさんで、彼岸といいます。
  昔、墓地の隣に住んでいたことがあります。
  春らしいうららかな日に、
  お墓にお参りする人の声が不思議と賑やかでした。
  部屋にはそんな人の声と、
  お線香の香りと、
  春の日差しがいっぱいで、
  結構好きでした。
  今日は、人気詩人金子みすヾさんの詩集。
  金子みすヾの詩は静かだけれど
  どこか春の気分を感じさせてくれます。
  
  じゃあ、読もう。

金子みすヾ詩集 不思議 (豊かなことば 現代日本の詩3) (豊かなことば現代日本の詩 3)金子みすヾ詩集 不思議 (豊かなことば 現代日本の詩3) (豊かなことば現代日本の詩 3)
(2009/10/23)
金子みすヾ

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sai.wingpen  みんなちがっていいんだよ                     矢印 bk1書評ページへ

 小学生から読めるように漢字にふりがなのついた、「豊かなことば 現代日本の詩」シリーズの一冊。没後50年にして全集が出版されて今や多くの人の心をつかんだ童謡詩人金子みすヾの詩集です。

 みすヾの代表作ともいえる『私と小鳥と鈴と』は「鈴と、小鳥と、それから私、/みんなちがって、みんないい」でおわる。
 この一節に、詩人金子みすヾの視点が凝縮されているように思う。私という人間だけではない視点。人間をとりまく、あらゆるものを見つめる視点があるから、彼女の詩は多くの人を支持をえている。もうひとつ、有名な詩『大漁』は、鰮の大漁ににぎわう浜の表情があって、その一方の海のなかで行われているだろう「鰮のとむらい」をおもう詩も、やはりそういうみすヾの複眼的な視点がよく生きている。

 そんなことをうたった詩がある。『みんなを好きに』。みすヾはこう、うたい始める。「私は好きになりたいな、/何でもかんでもみいんな。」
 きっと彼女にとって、この世界にある多くのものはまだ未知のものだったにちがいない。知らないからもっと知りたい。知らないから好きになりたい。好奇心が強い人だったのだろうか。表題作の『不思議』もそう。「私は不思議でたまらない、/誰にきいても笑ってて、/あたりまえだ、ということが。」

 私たちはおとなになるにつれ、「不思議」を「あたりまえ」ですまそうとする。「不思議」ということが恥ずかしいから。「不思議」がるのは子どもだから。本当はみすヾのように、素直に口に出せたらいいと思っているのに、いえない。
 金子みすヾの詩が人気を集めるのは、自分がうしなったものが彼女の詩にあるからだ。
 みすヾの詩がいいというのは、金子みすヾのように素直になりたかったという思いではないかしら。
  
(2010/03/21 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  俳句は17文字。
  短歌は31文字。
  いわゆる、短詩型の文芸です。
  今日紹介する八木重吉さんの詩も短い。
  今日の詩集の冒頭の『』という詩。

   木に眼が生つて人を見てゐる

  これだけ。
  わずか14文字。
  これは詩。
  なかなか難しいものです。
  すぱっと切り結んで、
  なおかつ詩としての余韻を残さないといけないとしたら
  本当に俳句とは何か、短歌とは何か、
  はたまた詩とは。
  そんなことを考えてしまいます。
  もしかしたら、
  日々浮かぶさりげない言葉が
  詩になるかもしれませんね。

  じゃあ、読もう。

八木重吉詩集 素朴な琴 (豊かなことば 現代日本の詩 2) (豊かなことば現代日本の詩 2)八木重吉詩集 素朴な琴 (豊かなことば 現代日本の詩 2) (豊かなことば現代日本の詩 2)
(2009/11/27)
八木重吉

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sai.wingpen  父のいのち                     矢印 bk1書評ページへ

 小学生から読めるように漢字にふりがなのついた、「豊かなことば 現代日本の詩」シリーズの一冊。生涯に、といってもわずか29年のあまりにも短いいのちでしたが、二千以上の詩を残した八木重吉の詩集です。

 詩人八木重吉については少し説明が必要だろう。茨木のりこや吉野弘のように有名ではなく、高村光太郎のように広く知られてもいない。八木重吉は1898年(明治31年)、現在の町田市に生まれました。21歳のとき、基督教の洗礼を受けます。そのことから、戦後クリスチャン詩人として評価され、あの三浦綾子も八木の詩を絶賛したという。
 この詩集にも収められている『無題』という詩は、わずか一行の短詩ですが、こうあります。「神様 あなたに会ひたくなった」。

 24歳で、とみという女性と結婚します。そして、二人の子どもをもうけます。桃子と陽二。妻や子を詠った詩がいい。その詩のなかで重吉は自らの命を投げ出しても妻子の生を守りとおす決意を赤裸々に表現しています。
 たとえば、『陽二よ』という詩のなかの一節。「でも陽二よ/お父さんはおまへのためにいつでも命をなげだすよ」。
 たとえば、『桃子よ』。「だが 桃子/お父さんの命が要るときがあったら/いつでもおもへにあげる」。
 重吉にとっては、自らの命などちっとも惜しくはなかったのでしょう。自分の命は、小さな子どもたちの新しい息吹としてこの世に生まれた。だとしたら、自分の責務はその小さな命を守ることだと、重吉は思ったのだと思います。
 しかし、残念ながら、重吉はまだ小さき子どもたちを残して、わずか29歳の生涯を終えます。たくさんの詩を残して。

 八木重吉の詩の多くは短詩だといわれます。その短い言葉のつらなりに、木々や虫や子どもといった、ほんの小さな命をすくうような細やかさがあります。
 この詩集でも「水」をあつかった詩が多く収められていますが、ちょうどこぼれ落ちそうな水を両の手のひらで受けとめるようにして、八木重吉は命をそっとすくいとったのだと思います。
 そんな父のもとへ、桃子と陽二が旅立つのは、重吉の死からわずか10年あまりのことでした。
  
(2010/03/20 投稿)

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 最近、詩集を何冊か取り上げましたが、
 詩という文芸は、どちらかというと好きです。
 そういえば、「私の好きな作家たち」で
 詩人を書いたことがなかったので、
 今回は、中原中也について書きます。

 中原中也といえば、
 「汚れっちまった悲しみに/今日も小雪の降りかかる」という
 有名な詩がありますが、
 確かこの詩との最初の出会いが、
 「柔道一直線」というスポ根ドラマだったように思います。
 いくつか説明が必要ですが、
 まず、スポ根ドラマというのは、スポーツ根性ドラマの略で、
 この「柔道一直線」は梶原一騎さんが原作の柔道物語。
 漫画が原作で、桜木健一さんが主人公を演じていました。
 問題の中也の詩ですが、主人公のライバルとして登場する
 役名は忘れましたが、近藤正臣さん演じる青年が
 雪のなかでもんもんとする場面で、
 この「 汚れっちまった悲しみに」の詩の朗読がはいるのです。
 かなり記憶があやふやですが。

中原中也 中原中也は写真を見ればわかるように、
 とてもナイーブな感じがあります。
 そして、若くして亡くなっています。(わずか30歳です)
 詩人の繊細さを一身に引き受けた感があります。
 だから、あこがれに近いものを中也にもっていました。

 中原中也といえば、恋人だった長谷川泰子をめぐって、
 あの小林秀男と三角関係になるんですよね。
 それは中也にとってはつらい出来事だったでしょうが、
 後世のものからすると、
 そういう恋愛のごたごたも含めて、
 詩人とはそうあらねばと思いましたね。
 もちろん、そんなことはありませんが。

 でも、私のなかの理想的な詩人として、
 長く中原中也はありました。
 角川書店から出た『中原中也全集』を持っていた時期も
 ありましたが、
 何度かの引越しで処分してしまいました。
 結局、詩人にはなれませんでしたし、
 詩というものからも遠く離れました。

 それでも、
 時に「 汚れっちまった悲しみに/今日も小雪の降りかかる」という一節が
 くちびるからこぼれおちることがあります。
 中原中也は、
 私のなかではいつまでも
 永遠の詩人なのです。

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プレゼント 書評こぼれ話

  もうすぐ、作家城山三郎さんが亡くなって
  3年が経ちます。
  今月出た文春文庫の新刊に、
  城山三郎さんの『嬉しうて、そして…』が
  ラインナップにはいっていました。
  今日は2008年に書いた書評の蔵出しですが、
  その頃、私は城山三郎さんがいう
  「無所属の時間」を過ごしていました。
  その年、
  城山三郎さんの晩年の随筆とかを読んで
  大変勇気づけられました。
  あのとき、もっと真面目に
  城山作品を読み重ねたらよかったと、
  「所属の時間」を過ごすようになって
  今さらのように思います。
  文庫版の出版で手にしやすくなっています。
  ぜひ。

  じゃあ、読もう。

嬉しうて、そして… (文春文庫)嬉しうて、そして… (文春文庫)
(2010/03)
城山 三郎

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sai.wingpen  勇気をくれる人               矢印 bk1書評ページへ

 宮本輝の『星々の悲しみ』という短編の中に、十八歳の主人公が図書館のフランス文学とロシア文学の書架の前でそこに並んだ本すべてを読もうと決意する場面がある。
 少年は浪人生だった。大学に落ちて、彼の前には無限のような時間があった。そのような中での、若々しい決意である。この主人公は作者である宮本輝の分身であり、この挿話を氏は色々な場面で描いている。
 少年のそのような決意は五〇歳を過ぎた私には眩しすぎる。
 「無所属」の時間はあっても少年のような体力はない。あるいは野望もない。まして、今書店に行っても、図書館に出かけても、書架に並ぶ膨大な本の量に圧倒されるというのが実情である。そのような中で城山三郎にめぐりあえたのは幸運だったといえる。城山の著作は「無所属の時間」をもった私に勇気をくれる。そういう意味では万巻の書物と同じ深い意味を、今の私にくれる著者の一人である。

 本書は城山三郎の晩年の短文や随筆を集めたもので、「私の履歴書」(同名のものが日本経済新聞の人気記事にあるが、城山のこれは絶筆となった文章なので間違いのないように)、「政治とは」「経営とは」「人間とは」の四部構成になっている。
 先に本の全体感の感想を書けば、これらの短文の中には未発表作も数編あり、いいまとめかたをしているといっていい。
 特に「大きな体に小さい野心-大平正芳論」(未発表)は、城山の愛情が感じられるいい文章である。城山に大平氏の伝記を書いてもらいたかったと、夢みたいに思ってしまう。詮無い話だが。
 さらにこの本の<あとがき>は城山の娘である紀子さんによるもので、生前の氏の素顔が垣間見れる。そして、巻末には城山の「年譜」がつくという贅沢な仕上がりになっている。

 「政治とは」という章には第64回文藝春秋読者賞を受賞した「私をボケと罵った自民党議員へ」という櫻井よしことの対談も掲載されている。
 これは城山が個人情報保護法案に反対していた頃(2002年)のものだが、当時城山は七十五歳だった。七十五歳といえば、悪評高い<後期高齢者医療制度>も七十五歳以上のお年寄りが対象だが、あの政党にはそういう体質があるのかもしれない。その政党のある勉強会で城山は「指導者の覚悟について」という講演も行っている(本書所載)のだが、こういう時に使うことわざが「馬の耳に念仏」かしら。
 しかし、城山が特に政治家や政治に関してだけ厳しい批評家であったわけではない。
 本書の「経営とは」の章では、政治家に対すると同様の辛らつな文章が経営者に向けられている。しかし、それらはけっして城山が得意とするところではなかったはずだ。
 城山が私たちに残してくれた応援歌ともいえるさまざまな言葉は、常に人間をみつめ、温かく、優しい。そういう思いがあるからこそ、間違った方向に折れ曲がったものに対してきつく木槌を打ち続けたのだろう。

 そういう城山の人間に対する思いが「人間とは」という章でうかがえる。
 例えば「ゆるやかな離陸」と題された、自身の転機について書かれた短文の中にこうある。
 「ゆえに思う。漫然と生きていたのではその人に転機はないだろう。さらに思う。自分が何をしたいかわかっていれば、何歳になっても転機はあるだろう。人生に何を求めるのか。我慢強い問いかけの先に転機は訪れる。そのときは飛び込み、つかみ、育てなさい」。
 じつに勇気をくれる人である。
  
(2008/07/06 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今回の紹介する、
  山崎ナオコーラさんの『この世は二人組ではできあがらない』は
  いいですね。
  やはりこの作家はうまい。
  前作『あたしはビー玉』よりは、ずっといい。
  はやく「無冠の帝王」を返上してもらいたい。
  今回の物語では、主人公が住んでいるのが
  私が住んでいるのと同じ、
  さいたま市になっていて、
  さいたま図書館によく本を借りにいく設定になっています。
  うーむ。どこの図書館なんでしょうね。
  なんとなく、
  主人公が貸し出した『黒田三郎全詩集』なんかを
  のぞいてみたい気がします。
  今回の刊行を記念して、新潮社のPR雑誌「」で
  山崎ナオコーラさんは文芸評論家の川村湊さんと
  対談してしています。
  そのバトルの模様はネットでも読めますので、
  興味のある人は新潮社さんのWEBを開いてみてください。

  じゃあ、読もう。

この世は二人組ではできあがらないこの世は二人組ではできあがらない
(2010/02/24)
山崎 ナオコーラ

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sai.wingpen  人は二人で幸せになるのではない              矢印 bk1書評ページへ

 「私のことを好きではない読者にも、私の言葉を感じてもらいたい」(151頁)

 本の宣伝文句をそのまま引用すれば、山崎ナオコーラは「無冠の帝王」らしい。確かに芥川賞をするりと逃してしまった感はあるが、そのことにめけずに、山崎自身がいっているように、「文章の連なりの美しさを追求」した小説を書いていけばいい。
 そういう点では、この物語はとても美しい。

 主人公の栞(しおり)と紙川さんはともに1978年生まれ。「十歳上や十歳下の人たちとは、状況が違うことがなんとなくわかる」ロストジェネレーション世代である。
 二人は同じ大学で学び、なんとなく付き合いはじめるのだが、どこにでもあるような甘い恋愛生活をおくっているのでもない。うまく仕事につけなかった紙川さんも、内定した企業に入社せず漂いだした栞も、あやふやなまま関係をつづけている。
 それがこの世代だけのありようだとは思わない。彼らの戸惑いは若さの特権だ。
 どの世代だって、青春期には社会に立ち向かおうとするし、「まるで戦時下みたいなたくさんの死者が、自殺によって生まれているこの国で、私はまだ、自分が何をすればよいのか知らなかった」(35頁)という栞のように、ここではないどこか、いまでなないいつかを求めて、彷徨うものだ。
 山崎はこの作品を「素朴な社会派小説」と呼びたいようだが、純粋な意味での青春小説といっていい。

 冒頭の文章は、物語の後半に登場する、文芸誌の新人賞を受賞して作家デビューを果たした栞の思いであるが、もちろんそれは、「無冠の帝王」山崎ナオコーラの思いにちがいない。
 そして、この作品ではそれはしっかりと届いたといえるのではないだろうか。
(2010/03/17 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  先日、岸和田(大阪)の実家から荷物が届いて、
  そのなかに「だんじりせんべい」なるものが
  はいっていました。
  だんじり 
  このせんべい、形が「だんじり」になっていて、
  なんでもかんでも「だんじり」にすれば
  売れるんじゃないかという、
  岸和田の人が考えそうなお菓子ですが、
  岸和田には、「村雨(むらさめ)」という
  おいしい蒸し菓子があって、
  これは絶対お薦めです。
  機会があればぜひご賞味ください。
  そういえば、
  最近全国区になってきた産物として
  「水なす」があります。
  百貨店などでも売られていますが、
  あれなんか子どもの頃は、
  「また、なすか」とげんなりするほど
  食べたものです。
  それがいまでは高級品なんですから、
  驚きです。
  今日は、そんな岸和田が舞台の、
  中場利一さんの青春小説、
  『走らんかい!―岸和田だんじりグラフィティ』。
  おもろいで。ほんま。

  じゃあ、読もう。

走らんかい!―岸和田だんじりグラフィティ走らんかい!―岸和田だんじりグラフィティ
(2010/02/26)
中場 利一

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sai.wingpen  ソーリャ、ソーリャ、ソーリャ             矢印 bk1書評ページへ

 「ご出身は?」と訊かれて、「大阪、岸和田です」というと、大抵の人が「あのだんじり祭りの」とまなじりを開く。そのあとで、「毎年、一人は死人のでるけんか祭りですよね」とつづく。
 その次に多い反応は、「清原(元プロ野球選手)の出たところですよね」だろう。いずれにしても、言外に気性が荒い、とこちらを値踏みしているように見受けられる。
 それがどないしたんじゃい、岸和田の出で文句あるんかい。
 とは、もちろん言わない。「そんなんです、荒い土地ですわ」と苦笑いする。
 まだ、「中場利一の『岸和田少年愚連隊』に書かれてましたね」という人には出会ったことがない。あれほど、岸和田を一躍全国区に持ち上げた小説なのに、である。文化の程度の底が知れている。

 「気質は荒く、口も悪いが人情が厚く、人の裏表がない町」岸和田を全国津々浦々まで有名にした祭り「だんじり」が、ついに中場利一の小説となって登場したのが本作である。
 「だんじり」は四トン以上もある山車を綱で曳く荒々しい祭りだが、各町内会が祭りが終わった次の日から翌年の祭りのための準備にはいるといわれている。そんな町の青年団にやってきたヤマトはペンまわしだけが得意のおとなしい高校生なのだが、たちまち荒々しい人たちの洗礼を受け、生き生きと輝きはじめる。なんといっても、「だんじり」がある。
 
 「だんじり」は荒くれだ。
 いったん走り出したら、どんなことがあっても綱を離すなといわれている。ヤマトもそうだ。岸和田の町に越してきて、いろいろなできごとに遭遇しながらも、必死に走りつづける。
 綱から手を離すことはない。流血があろうと、転ぼうと、殴られようが、走る勢いは誰にもとめられない。それが「だんじり」だから。それが青春だから。

 この物語を読んで、やっぱり恐ろしい土地柄と感じる人もいるだろう。
 そんな人はすっこんでろ! こっちは岸和田の出じゃい。
 こんな熱気を楽しまんでどうするんや。
 ほらほら、油断してたら、死んでしまいまっせ。
 それが、生きてるってことではないやろか。
 ソーリャ、ソーリャ、ソーリャ。
  
(2010/03/16 投稿)

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  今日も、「豊かなことば 現代日本の詩」シリーズの一冊、
  石垣りんさんの詩集です。
  このシリーズは、岩崎書店さんからの刊行ですが、
  岩崎書店さんといえば児童書の出版社ですから
  小学生の子どもにも読みやすく
  編まれています。
  子どもの頃から、良質な詩を読むのは
  いいですよね。
  言葉の、さまざまな表情を
  感じとれるのではないでしょうか。
  このシリーズは全10冊あります。
  今日の石垣りんさんの詩集で紹介は3冊めですが、
  もう少し読んでみようと
  思っています。
  ただ、残念なのは、この10冊のなかに
  谷川俊太郎さんがはいっていないこと。
  どうしてなんでしょうね。
  きっといろいろな事情があるのでしょうね。
  おとなの世界だから。

  じゃあ、読もう。


石垣りん詩集 挨拶-原爆の写真によせて (豊かなことば 現代日本の詩 5)石垣りん詩集 挨拶-原爆の写真によせて (豊かなことば 現代日本の詩 5)
(2009/12/19)
石垣 りん

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sai.wingpen  ひとはどのようにして詩人になるのか        矢印 bk1書評ページへ

 小学生から読めるように漢字にふりがなのついた、「豊かなことば 現代日本の詩」シリーズの一冊。銀行員として働きながら詩人としての自身を確かなものとした石垣りんの詩集です。

 ひとはどのようにして詩人になるのでしょう。
 本書につけられた石垣りんの略年譜を読むと、12歳の時、「図書館に通って詩集を読み、自らも詩を書くようになる」とあります。そして、14歳には雑誌への投稿をはじめますが、同時にこの年齢で銀行に働きにでます。その後、職場で発行される機関紙などに詩を発表しつづけます。
 代表作ともいえる『私の前にある鍋とお釜と燃える火と』のなかで、石垣はこんなことを書いています。「炊事が奇しくも分けられた/女も役目であったのは/不幸なこととは思われない、/(中略)/お芋や、肉を料理するように/深い思いをこめて/政治や経済や文学も勉強しよう。」銀行員として働く一方で、炊事などもこなさなければならなかった生活であっても、石垣の詩への思いは強かったと思われます。それは男であるとか女であるとかいうことではなく、人間としての姿勢です。

 『定年』という詩があります。題名のとおり、石垣はりっぱに定年まで銀行を勤めあげました。その詩の、最後の一節。「たしかに/はいった時から/相手は会社、だった。/人間なんていやしなかった」。じつに痛快ですね。会社であるとか国家であるとか、そういうものに対して、人間として石垣はきちんと対峙してきました。表題作でもある『挨拶-原爆の写真によせて』や『原子童話』はそういった石垣のきりりとしたまなざしで描かれています。

 「精神の在り場所も/ハタから表札をかけられてはならない/石垣りん/それでよい。」(『表札』より)
 石垣りんは詩人になろうとしてのではなく、ひとりの人間であろうとしたのでしょう。
  
(2010/03/15 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日はホワイトデー
  バレンタインのお礼に男性からお返しをする日。
  普通はマシュマロとかクッキーとか、
  そういうあたりが妥当でしょうか。
  もちろん、もっと高級なものでも
  女性からするとうれしいでしょうね。
  もし、何を返そうか困っている人は
  彼女に読んでもらいたい
  一冊の本などはいかがですか。
  詩集なんか素敵ですよ。
  と、(かなり強引にもってきましたが)
  今日紹介する一冊は、
  詩人茨木のり子さんの詩集、
  『わたしが一番きれいだったとき』。
  もしかしたら、
  あなたに想いのいっぱいつまった
  チョコレートをくれた彼女こそ、
  一番きれいなときを
  迎えているかもしれませんね。

  じゃあ、読もう。
  

茨木のり子詩集 わたしが一番きれいだったとき (豊かなことば 現代日本の詩 7) (豊かなことば現代日本の詩)茨木のり子詩集 わたしが一番きれいだったとき (豊かなことば 現代日本の詩 7) (豊かなことば現代日本の詩)
(2010/01/26)
茨木 のり子

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sai.wingpen  頼りない生牡蠣のような感受性         矢印 bk1書評ページへ

 小学生から読めるように漢字にふりがなのついた、「豊かなことば 現代日本の詩」シリーズの一冊。『倚りかからず』で多くのファンをつかんだ茨木のり子の詩集です。

 「もはや/できあいの思想には倚りかかりたくない」ではじまる『倚りかからず』は、じつに強い詩です。詩人の芯がまっすぐに貫かれています。そのような茨木の心がどのようにできあがったのか、それは『汲む』と題された詩に表現されています。
 その詩のなかに、若い茨木を「どきんと」悟らせた「素敵な女のひと」が登場します。茨木はその人から、「大人になってもどぎまぎしたっていい」ことを学びます。「頼りない生牡蠣のような感受性」が大人になっても鍛えられなくてもいいことを知ります。
 やわらかく壊れそうな心のふるえを大切にしながら、茨木は大人の強さを身につけていったのでしょう。そういった成長のあと、美しく、切ない青春の日々を描きながらも、きっぱりと自分の行く末を表現した、表題作『わたしが一番きれいだったとき』。
 あるいは、「たった三世代くらいの推移を/つぶさに見ているにすぎないが/できることなら見定めたいのだ/世代そのものの成長ということの/ありや なしや を」と書く『四月のうた』。

 茨木のり子の詩集を読んだ子どもたちが、いつの日か、茨木のように強く生きることの見事さをわかる日がやってくる。そのとき、きっとその子どもたちは思い出すだろう。
 茨木のり子という詩人は「立居振舞の美しい/発音の正確な/素敵な女の人」(『汲む』より)だったということを。
  
(2010/03/14 投稿)

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 そもそもこの「雑誌を歩く」では
 さまざまな雑誌を紹介しようと目論んでいたわけなんですが、
 やっぱり自分のお気に入りに嗜好ってあるわけで、
 今日紹介する「一個人(いっこじん)」(680円・KKベストセラーズ)は
 二回めの登場となりました。
 なにしろ、4月号の特集は今年生誕100年を迎える
 映画監督黒澤明で、
 「黒澤明 全30作品を完全鑑賞」なのですから、
 これを取り上げないわけにはいきません。
 しかも、保存版特集というぐらいですから、
 これはもう資料としての価値も十分。

一個人 ( いっこじん ) 2010年 04月号 [雑誌]一個人 ( いっこじん ) 2010年 04月号 [雑誌]
(2010/02/26)
不明

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 生誕100年といえば、
 昨年は太宰治松本清張がそうでしたが、
 黒澤明という日本映画屈指の監督は
 太宰治と一つちがいだったんですね。
 いかに太宰治が早世したかわかります。
 だって、黒澤明といえば、
 私が若い頃(といってもかなり前ですが)
 まだ現役の映画監督でしたからね。
 もっとも作品的にはピークを過ぎていたという
 意見もありますが。

 さて、「一個人」の特集ですが、
 まずはじめに、若い頃画家志望だったという黒澤明
 「絵コンテの世界」がカラーでどーんと紹介されています。
 これがいいんですよね。
 絵コンテというのは、映画の設計図のようなもの。
 それを黒澤明は極彩色で見事に描いています。
 さらには、あの名作『七人の侍』の撮影現場の舞台裏に迫り、
 そして、いよいよ

   初監督作『姿三四郎』から遺作『まあだだよ』まで、
   映画史上に燦然と輝く巨匠の足跡をたどる

 「黒澤明全30作品完全鑑賞」です。

 以前、NHKBSで、すべて放映されたことがあって
 私もしっかり録画しちゃいましたから、
 もうこの「一個人」があれば
 鬼に金棒。
 ごぼうは金平。
 あなたの鑑賞のお供にどうぞ、です。

 黒澤明作品で私のお気に入りといえば、
 昔は志村喬さんが熱演した『生きる』でしたが、
 今は『椿三十郎』とか『蜘蛛巣城』とか
 娯楽時代劇がいいですね。
 黒澤明って、
 本質的にはアクション映画の監督っていっていいんじゃないかな。
 それが、ヒューマニズムで評価されると
 黒澤映画の面白さが半減するように思いますが、
 いかがですか。
 それと、群衆映画っていうのかな、
 たくさんの人間を描くのが巧い。
 これは手塚治虫さんの漫画にもいえることなんですが、
 画面いっぱいの人がそれぞれに個性をもって
 描かれています。

 今回の「一個人」でうれしいのが、
 「黒澤作品のポスター変遷図鑑」という特集。
 この特集だけでも、
 お宝ものといえます。

 そのほか、
 「出演者が語る黒澤明の実像」とか
 「黒澤監督のロケ地秘話」など
 すみずみまで楽しめる一冊です。
 今年は、黒澤明に目が離せないかも。

 じゃあ、読もう。

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プレゼント 書評こぼれ話

  人は生き、いつか死んでいく。
  それはどうしようもなく
  避けられないことだ。
  だとしたら、
  どのように別れ、
  いかにその別れの悲しみと
  向き合えるかだろう。
  病床にいる母のことを想う。
  その母をぼんやり見舞う、
  年老いた父のことを想う。
  今日紹介する重松清さんの『きみ去りしのち』を
  本屋さんで見つけたとき、
  本の神様が私に届けてくれた
  贈り物のように感じました。
  私にどんな心の準備をさせようと
  しているのか。

  おかあさん。
  もうすぐ桜が咲きますよ。

  じゃあ、読もう。

きみ去りしのちきみ去りしのち
(2010/02/10)
重松 清

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sai.wingpen  旅の途上                     矢印 bk1書評ページへ

 愛するひとを喪うということはどういうことなのだろう。
 心に深く穿たれる空洞をうめることに予習も練習もあるはずがないだろうが、そのことを知りたくて、重松清の『きみ去りしのち』という本を読んだ。

 九篇の物語は、最後の章をのぞいて、すべて「旅をしている」という書き出しで始まる(最後の章は「旅をしてきた」となっている)。
 旅をしているのは、一歳の誕生日を迎えたばかりの息子を突然死で亡くした主人公セキネと、別れた妻との娘の明日香。
 セキネは息子を喪った悲しみから逃げるように旅をしている。明日香は、余命わずかの母(セキネの元妻になるのだが)を喪う悲しみから逃れるように、セキネと旅をしている。
 喪った悲しみの正体を、これからなくなっていく命に重ねながら、二人は恐山、奥尻、オホーツク、阿蘇、奈良、出雲、与那国島、そして島原と旅をつづける。

 長い旅である。
 その旅の途中で、同じように愛するひとを喪った人たちと出会いながら、そして死のせまる元妻の恵美子と再会しつつ、セキネは死の意味を、喪失という感情を、引き受けていくことになる。
 重松清はこの作品のなかでさまざまな悲しみとそこから救われていくものを描き、そしてそれはじつに深い。立ちどまり、考え、そしてまた読みつづける。
 物語は島原の地で終焉をするが、悲しみと向き合うのは、喪失感を埋めえるのは主人公たちではなく、自分自身しかないことに思いいたる。

 愛するひとを喪うってことに私たちはどう向き合えるだろうか。
 誰しもが経験することではあるだろうが、どう向き合うかで、人は強くも優しくもなれるのかもしれない。
  
(2010/03/12 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日は先日紹介した『思考の整理学』の姉妹編ともいえる
  外山滋比古(しげひこ)さんの『忘却の整理学』。
  出版社(筑摩書房)も同じ、
  タイトルも似ている。
  『思考の整理学』が大ヒットしたから、
  こういうことになったのでしょうが、
  読み手としては紛らわしい感もありますね。
  書名のつけ方も、出版社の方はもう少し
  考えてほしいと思います。
  この本のなかで、
  外山滋比古さんが引用している
  英国の詩人ウィリアム・ブレイクの詩が
  気にいったので、
  紹介しておきます。

     朝、かんがえ
    ひるは、はたらき
    夕がたに食し
    夜は眠れ

  今日の書評のタイトルは
  この詩からいただきました。

  じゃあ、読もう。

忘却の整理学忘却の整理学
(2009/12/12)
外山滋比古

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sai.wingpen  夜は眠れ                     矢印 bk1書評ページへ

 ロングセラー『思考の整理学』のなかで著者の外山滋比古氏は、「思考の整理とは、いかにうまく忘れるか、である」と書いている。つまり、いろいろ思考に至る組み立てを述べているが、その根幹のひとつが「忘却」ということである。
 そして、『思考の整理学』では言い足りなかった「忘却」についてのエッセイをまとめたのが本書である。

 外山氏は記憶と忘却の関係は呼吸に似ているという。
 呼吸は「別々のはたらきではなく、反対の作用でありながら互いに助け合っている」ように、「記憶だけでは本当の記憶にならず、忘却という反対の作用によって記憶が深まり、活発になる」。それにもかかわらず、詰め込み式の勉強のすすめが横行し、「忘却」がいけないことだという風潮に何度も憤慨し、本書のほどんどがそのことへの反論といっていい。「忘却なくして自由は存在しない」とまで書いている。
 人間的な記憶と忘却の関係をもっと評価していい。

 そういう創造的側面をもった「忘却」の機能だけでなく、記憶を変化・変貌させるのもまた「忘却」であると外山氏はいう。
 私たちは過去の思い出をすべて記憶しているわけではない。思い出さない記憶など山ほどある。また、覚えていても時に美しく、時に苦くあるのは、「忘却」の編集によるものだとしている。
 思い出のアルバムは抜け落ちたページがあるからこそ手離せない。
  
(2010/03/11 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  お懐かしい、東海林さだおさん。
  「丸かじり」シリーズ全制覇から、
  久しぶりに読みました、東海林さだおさんの食べ物エッセイ。
  『偉いぞ!立ち食いそば』。
  その冒頭はこうです。
  
   男は誰しも偉業に憧れる。
   何か大きなことを成し遂げたい。
   成し遂げて人を驚かせたい。
   驚かせて尊敬されたい


  わかるな。
  これって、「丸かじり」シリーズ全制覇を成し遂げた
  私のことかと思いました。
  あれは、偉業だったんだ。
  それを東海林さだおさんは、こっそりご覧になって
  こっそり違う書き物でほめてくれたんだ。
  思わず涙がでましたね。
  ってことはありませんが、
  あいかわらず、
  東海林さだおさんの食べ物エッセイは
  面白く、
  今回も「ごちそうさま」でした。

  じゃあ、読もう。

偉いぞ!立ち食いそば (文春文庫)偉いぞ!立ち食いそば (文春文庫)
(2009/12/04)
東海林 さだお

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sai.wingpen  立ち食いそばの魅力満載!                     矢印 bk1書評ページへ

 東海林さだおさんの食べ物エッセイの魅力は、なんといっても偉ぶらないところでしょう。
 例えば、高級フレンチレストランなんかにもサンダル履きで(たぶん)行ってしまう。そこで、「ここは高級フレンチレストランですのでサンダル履きではご案内できかねます」なんて慇懃に断られても、「あ、そう」と未練もなく、立ち食いそばに行ってしまうところがある。
 おいしかったら、なんでもいいんだもんね。東海林さんがそう云うかどうかはともかくとして、そういうところが東海林さんの人間の大きさでもあるわけです。
 それで、立ち食いそばが高級フレンチレストランに劣るかというと、東海林さんの舌にかかれば、どんなフランス料理よりもコロッケそばの方がおいしそうに見えるし、断然肩肘はらない楽しい食事が楽しめるのです。
 本書の「立ち食いそば全制覇」が偉業かどうかはともかく、読んだ後コロッケそばが食べたくなること間違いありません。
  
(2010/03/10 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日紹介するのは、
  以前甥っ子の結婚式の時に書いた
  『祝婚歌』の詩人、吉野弘さんの詩集です。
  子どもから読めるように
  漢字のふりがなもついています。
  子どもに『祝婚歌』の世界が理解できるかどうかは
  わかりませんが、
  もしお子さんがこの詩集を読まれるとしたら
  ぜひお父さんが読んであげてください。
  そして、子どもが誕生したとき、
  自分はどんな気持ちだったかを
  話してあげてください。
  もし、今のあなたがその気持ちを
  忘れているとしたら、
  お子さんよりも
  きっとお父さんであるあなたの方が
  吉野弘さんの詩心に感銘するかもしれません。

  じゃあ、読もう。

吉野弘詩集 奈々子に (豊かなことば 現代日本の詩 6)吉野弘詩集 奈々子に (豊かなことば 現代日本の詩 6)
(2009/12/19)
吉野 弘

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sai.wingpen  酸っぱい苦労                     矢印 bk1書評ページへ

 小学生から読めるように漢字にふりがなのついた、「豊かなことば 現代日本の詩」シリーズの一冊。「祝婚歌」で結婚の詩をゆるぎないものにした吉野弘の詩集です。
 表題作となった「奈々子に」は、初めての子供に贈った、父親の愛情がいっぱいつまった詩で、冒頭の「赤い林檎の頬をして/眠っている 奈々子。」からとろけるような慈しみを感じます。最後は「お前にあげたいものは/香りのよい健康と/かちとるにむづかしく/はぐくむにむづかしい/自分を愛する心だ。」となります。
 その奈々子さんがどのように成長したのかわかりませんが、満員電車で老人に何度も席をゆずり、とうとう最後には「固くなってうつむいて」しまう、詩「夕焼け」に描かれる娘の姿にだぶってしまいます。吉野はその娘をこう書きました。「やさしい心に責められながら/娘はどこまでゆけるだろう。」と。
 成長はやはり「酸っぱい苦労」がふえることなのでしょうか。
  
(2010/03/09 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  私が中学生の修学旅行で
  東京に来たときは、
  ちょうど霞ヶ関ビルができたばかりで
  東京タワーではなく、
  そちらに行きました。
  そのあと、東京に高層ビルがにょきにょき
  建つなんて、あまり想像しませんでした。
  大学生になって上京して、
  何度か父母は東京見物と称して、
  わが息子の生活状況を見にきましたが、
  どこに行ったのかよく覚えていません。
  皇居は行ったように思います。
  浅草はもう少しあとかもしれません。
  水上バスに乗って、
  浜離宮を散策したこともありました。
  そういえば、あたらしい都庁ができたばかりの頃、
  父母を連れて行ったこともありました。
  父母にとっての東京は
  どんな街に見えたのでしょう。

  じゃあ、読もう。


東京見物東京見物
(2009/12/18)
和田 誠

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sai.wingpen  あたらしい東京見物                     矢印 bk1書評ページへ

 和田誠さんが子どもの頃に読んだという、講談社の絵本『東京見物』に倣って、現代の東京の風景を22枚描いたのが、この本です。
 うれしいことに、和田さんが読んだという昭和12年の『東京見物』も復刻版としてついています。和田さんの本では表紙は東京タワー、昭和12年版では小学生ぐらいの兄妹を連れたお母さんが大きく描かれています。場所は日本橋。もちろん、その当時の日本橋は高速道路でふさがれた息苦しい風景ではありません。

 皇居の二重橋であったり、国会議事堂であったり、和田さんは昭和12年版に描かれていた東京を同じようにたどっていきます。
 ほとんど同じ構図で描いた場所もあります。清洲橋はそのひとつ。ふたつの絵を比べると、同じだけど周りの風景や空の色や隅田川を往く船がやっぱりちがう。そのちがうものが時間というものかもしれません。

 和田さんが最後に選んだのが、葛飾柴又の駅前にある寅さん像です。昭和12年版では荒川を越える葛飾は東京にはいっていません。東京という街は少し広くなったのかもしれません。
 寅さんは、渥美清さんが演じた映画『男はつらいよ』の主人公ですが、ふるさとをもっとも愛した映画のヒーローに「寅さんは東京のヒーローなんですね」と和田さんは書いています。でも、案外東京のヒーローは、この本の終わりのほうで和田さんがちいさく描いた、ゴジラではないでしょうか。ゴジラに破壊されても、東京はりっぱに復興するのですから。

 あたらしい「東京見物」は、和田誠さんの絵満喫の小旅行でもあります。
  
(2010/03/08 投稿)

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 あっという間に、終わってしまいましたね。
 バンクーバー冬季オリンピック
 予想どおり、女子フィギュアスケートが特出した大会だったように
 思いましたが、
 いかがでしたか。
 こんなこといってはなんですが、
 バンクーバーってどことなく、ハンバーグみたいだと思いません?
 しかも、晩(ばん)食うハンバーグ。
 そんなこと思うのは、
 私だけなんでしょうね、やっぱり。

 それで、今本屋さんに行くと、
 たくさんのバンクーバー冬季オリンピックの総集編の
 雑誌が出ています。
 その表紙のほとんどが銀メダルの浅田真央さん。
 これもどうかと思うのですが、
 やっぱり真央ちゃんでないと売れないんでしょうね。
 今回の「雑誌を歩く」は、
 そのなかの1冊、「Number (ナンバー ) 」(文藝春秋)3/18号。
 「バンクーバー五輪総集編」。

Sports Graphic Number ( スポーツ・グラフィック ナンバー ) 2010年 3/18号 [雑誌]Sports Graphic Number ( スポーツ・グラフィック ナンバー ) 2010年 3/18号 [雑誌]
(2010/03/04)
不明

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 先ほど書いたように、今たくさんの五輪総集編がでていて
 たくさんの真央ちゃんが表紙を飾っていますが、
 表情としてはこの「Number (ナンバー )」が一番いいんじゃないかな。
 生き生きとしています。

 ところで、「Number (ナンバー )」ですが、
 スポーツグラフィック誌としてはしっかり読者をもっていて、
 運動オンチの私でも
 時に、お、この記事読みたいな、とか
 え、この写真いいな、みたいに思うことがあります。
 写真と記事の一体感がいいんですよね。
 それに、記事のタイトルが読欲をそそります。
 えーと、読欲というのは、食欲みたいなもの。
 そんな言葉があるのかどうか、わかりませんが。
 たとえば、今号でいえば、
 「浅田真央 折れなかった心
 「キム・ヨナ 驚異的な加点の理由
 「織田信成 ミスに納得している自分がいる
 みたいな。
 ね、ちょっと読みたくなったでしょ。

 みんなが真央ちゃん真央ちゃんといいますが、
 やはり今回の大会では、
 キム・ヨナさんの方が一枚上だったと思います。
 たぶん、五輪をふくむ今シーズンの出来では
 キム・ヨナさんがうまくピークを持ってきたんではないでしょうか。
 もし、オリンピックが昨年だったら、
 あるいは来年だったら、違った結果になったんじゃないかな。

 私は女子モーグルの上村愛子さんの試合後の涙が
 印象に残りました。
 真央ちゃんの涙とはまったく意味あいの違う涙でしたよね。
 「Number (ナンバー )」の記事でいえば、
 「かなわなかった表彰台 上村愛子 がんばったことが伝わったかな」。
 そのなかで、
 上村愛子さんはこんなことを話しています。

   みんな心配してくれているけど、元気だよ、と言いたい。

 いい言葉ですよね。

 さまざまなドラマがあった、バンクーバー冬季オリンピック。
 四年後にはどんな感動を見せてくれるんでしょうね。

 じゃあ、読もう。

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日紹介する、
  正木ゆうこさんの『一句悠々』で、
  昨年春秋社さんから出版された
  正木ゆうこさんの本すべて読んだことになります。
  興味のある人は、検索機能でぜひ見つけ出してください。
  本書で紹介されている俳句のなかで
  今の私の心にちょっと触れた
  句を書きとめておきます。

    迎火は母送火は父のため   高橋睦郎

    今生の汗が消えゆくおかあさん  古賀まり子

  俳句というわずか17文字の世界であっても
  深い悲しみが表現できるのですね。
  正木ゆうこさんも「あとがき」に書いていますが、
  それぞれが自分だけの愛唱句ノートを
  つけるのも面白いですよね。

  じゃあ、読もう。

一句悠々―私の愛唱句一句悠々―私の愛唱句
(2009/12)
正木 ゆう子

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sai.wingpen  読むと詠む                     矢印 bk1書評ページへ

 俳句は詠む文芸です。
 日常生活のさまざまな場面でふとよぎった思いを、心の記録として書きとめるには、他のどのような文芸よりも秀でているのではないでしょうか。何しろ五七五、わずか十七文字の詩形は、そういうことに適しています。だからこそ、子供であれ老人であれ、俳句の面白さを満喫できるのだと思います。
 ごく自然に詠めてしまうので、もっとうまくなりたいと思うようになるのは自然です。そのためには、詠むだけでなく読むことが大事になります。秀句をたくさん読むことが詠む技術を高めます。
 本書は俳人正木ゆうこさんの、副題にあるように「私の愛唱句」ですが、人口に膾炙している句だけでなく、新しい俳人たちの句も多く紹介されています。こういう本を読むことで、俳句の伝統的な表現方法や新しい手法を読みとることができます。それが詠むことの上達につながります。
 いい俳句を詠むことは、読むことから始まります。
  
(2010/03/06 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  本を読むのにも、
  TPOがあります。
  今日紹介する、外山滋比古(しげひこ)さんの
  『思考の整理学』を読んだのは、
  家人が手術をしている数時間の間でした。
  これは、実にきつかった。
  やはり、そういう時間では
  いくら人気のある本とはいえ、
  この手の類はむずかしいですね。
  では、どんな本が手術の終了までの時間に
  あうかどうかですが、
  東海林さだおさんの爆笑エッセイもまずいし、
  重松清さんの小説も涙腺がゆるみそうで
  ちょっと無理かな。
  手塚治虫さんの『ブラック・ジャック』は
  臨場感がありすぎますよね、さすがに。
  ちょっと軽めの、
  エッセイとか随筆がいいのでは、というのが
  私の見解なんですが、
  みなさんならどうしますか。
  やはり、静かに目を閉じて
  無事を祈るのがいいのでしょうね。

  じゃあ、読もう。

思考の整理学 (ちくま文庫)思考の整理学 (ちくま文庫)
(1986/04/24)
外山 滋比古

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sai.wingpen  綻びのない思考とは                     矢印 bk1書評ページへ

 本書は、「ものを考えるということはどういうことか」について書かれた、極めてオーソドックスな入門書といっていい。
 最初の出版が1983年、文庫版が出てからももう20年を超えている。それが近年爆発的に読まれているという。最初に出版された80年代初頭の風景を思い出しても、そこには携帯電話もインターネットも見事に何もなかった時代である。本書のなかで、「コンピューター」という章があるが、けっして現代の風景を先取りしたものではないだろう。それでも、本書がこのように長く読み継がれてきた理由として、外山滋比古氏の文章が大変平易で読みやすいことを挙げていいだろう。それは章立てについてもいえる。
 「ものを考えるということ」の見本として、外山氏の文章ができあがっているといってもいい。つまり、良質な文章は年数を経ても綻びはしないのである。そして、思考もまた同じではないだろうか。
  
(2010/03/05 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  勝間和代さんの著作なり講演に接すると、
  もしかして勝間和代さんは政治家を目指しているのかと
  思えてしまうときがあります。
  今日紹介する『チェンジメーカー』に
  そのことに触れた箇所があったので
  書き留めておきます。

   私も「なぜ政治家を目指さないのか?」という質問を
   よく受けます。これまでの仕事を辞めることの損失と、
   これから政治家になることによって得られる便益とを
   比較してみると、少なくとも私にとっては、損失が
   はるかに上回ります。(55頁)

  こんなこと書くから、香山リカさんに嫌がられるんですね、
  きっと。
  政治とは損失がどうのこうのという問題とは
  違うと思います。
  だから、いずれ勝間和代さんは
  志高く、政治の道に進むんじゃないかな、と
  私は思っているのですが。
  要は、志(こころざし)ですよ、勝間さん。

  じゃあ、読もう。

チェンジメーカーチェンジメーカー
(2010/02/09)
勝間 和代

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sai.wingpen  変革は前進あるのみ                矢印 bk1書評ページへ

 昨年アメリカの大統領にオバマ氏が就任したときには、他国のことながら、さすがあの国はいいところもあるではないかと感心したものだ。彼らは「CHANGE(変革)」を選択したのだ。
 その風にあおられるようにして、この国の政権も変わった。
 もし、アメリカがオバマ氏を選ばなければ、この国の政権も変わらなかったかもしれない。そのとき、機運としては「CHANGE(変革)」はあったはずだ。
 しかし、残念ながら、政権が変わったはずなのにこの国の政治は旧態依然とした「金と政治」の議論であり、審議拒否である。
 一体何が変わったのだろう。
 この国ばかりではない。オバマ大統領の支持率さえ急激に下がっている。やはり、「CHANGE(変革)」などありえないのだろうか。
 勝間和代のいう「チェンジメーカー」とは、「日本をより良い方向に変えるため、世界をより良い方向に変えるため」の「変革者」のことである。
 本書のもととなった週刊誌連載が始まったのが2009年の初めであるから、おそらくオバマ大統領の就任により、多くの人たちが「CHANGE(変革)」の可能性を信じていたはずだ。
 そういう点では、週刊誌連載時には希望に満ちた文章だったろう。
 しかし、残念ながら、この国においてはその希望は明らかに萎みつつある。
 本書のなかで、勝間和代は「政治家に政治を預けるな」や「「シルバー資本主義」を打ち破ろう」といったように、政治や経済の変革に声高に熱く語っている。
 画一的に語ることがすべてではないにしても、共感できる点も多い。
 しかし、「CHANGE(変革)」に失敗は許されない。変革の失敗は過度の失望を生む。
 「CHANGE(変革)」を信じて初めて投票に行った若者たちは、現状の政治の状況をどうみるだろう。変革がすべてよい選択であるとは思っていない。しかし、少なくとも変革がなされないとき、次善の策は用意しておかなければならない。それこそ変革の技ではないだろうか。

 そして、成功体験を持たせることも肝心だ。無為徒労は変革の弊害となる。どのような小さいことであれ、「CHANGE(変革)」の芽を出すこと。これこそ、「変革者」の使命である。
 勝間和代のいうように、誰もが「チェンジメーカー」となりうる可能性はある。そのためにも「CHANGE(変革)」は失敗させてはいけない。後退させてはいけない。
  
(2010/03/04 投稿)

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03/03/2010    食卓の教科書
 今日は、雛祭り
 今年は、忙しさにかまけて、
 とうとうお雛様を出せませんでした。

   昼空に月あり桃の節句なり  宮津昭彦

 今日の本は、昨日紹介した小川糸さんの『食堂かたつむり』に
 ひっぱられたということでもないのですが、料理本です。
 食糧学院という専門学校から頂きました。
 この学校は、東京栄養食糧専門学校東京調理師専門学校
 それに東京ホテルビジネス専門学校を運営しているのですが、
 その創立70周年の記念事業の一環として
 発刊されたのが、この『食卓の教科書』という本。
 創立70周年ですから、
 専門学校としても老舗校なんですよね。
 『食堂かたつむり』で紹介されている料理は
 なかなか素人にはできませんが、
 この本では定番中の定番料理が栄養価とともに
 紹介されています。
 さすが栄養士の専門学校です。

料理本

 なにしろ、最初の紹介が「白飯」なんですから、
 なんだか私にもできそう。
 そういった料理が、
 「主食・汁物」「生・和え物」「蒸し物」「煮物」・・・
 と続きます。
 私の料理経験といえば、
 学生時代の下宿生活の頃ですが、
 炊飯器もなく、フライパンと鍋ひとつの
 四畳半暮らしで、
 ほとんど料理らしきものは作りませんでしたね。
 唯一できるのが、たまご焼き。
 これでは、やっぱり「教科書」は必要ですね。

 昨日の書評でも書きましたが、
 「料理ができる人は幸せ」です。
 残念ながら、その幸せを私は取りこぼしてきたようです。

 そうそう。
 雛祭りといえば、
 ちらし寿司に蛤汁。
 こちらもちゃんとこの『食卓の教科書』に紹介されています。

 じゃあ、作ろう。

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日紹介する本は、
  最近柴崎コウさん主演で映画化されたり、
  関連本がたくさんでたりで
  人気急上昇の、小川糸さんの『食堂かたつむり』。
  薦めてくれたのは、
  私の下の娘。
  「これ、おもしろい。久しぶりに感動したよ」
  って、貸してくれました。
  次の日には
  「情景が浮かびやすいんだ。
  それに過去の話が少ないから、話が複雑でなくていい」
  と、感想までくれました。
  ぶっきらぼうに。
  父親の私としては
  とってもうれしく、
  それだけでも価値のある一冊になりました。
  
  じゃあ、読もう。


食堂かたつむり (ポプラ文庫)食堂かたつむり (ポプラ文庫)
(2010/01/05)
小川糸

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sai.wingpen  幸福のレシピ                矢印 bk1書評ページへ

 料理ができる人は幸せだ。なぜなら、食べる人に自分の気持ちを伝えることができるのだから。
 料理ができる人は幸せだ。なぜなら、食べてもらいたい人がいるのだから。
 料理ができる人は幸せだ。なぜなら、食べた人から「ごちそうさま」と感謝されるのだから。

 そんな幸せが料理ができない読者にも伝わってくるのが、この『食堂かたつむり』だ。
 恋人に裏切られ、祖母のぬか床だけを残して、すべてを失った主人公倫子。おまけに彼女は言葉までなくして、大嫌いな母親の住む田舎に戻るしかなかった。彼女がただひとつできたのは、料理をつくること。そのことが傷心の彼女を立ち直らせる。
 倫子のお店「食堂かたつむり」の最初のお客様は、一年中喪服を着ているという元お妾さんの老女。愛する彼の死後、彼女はずっと悲しみに沈んでいる。そんな彼女に倫子が考えたメニューが、「林檎のぬか漬け/牡蠣と、甘鯛のカルパッチョ」など9品。込められた思いは、「この世にはまだまだ知らない世界が無限に広がっていること」。
 そして、奇跡のように、老女はやがて喪服を脱ぎ捨てる。

 「食堂かたつむり」の料理は願いが叶うという評判がたち、このあともたくさんの料理とたくさんの人たちが描かれて物語は進む。自身の生い立ちも母親とも確執も、失恋の痛手も、失った言葉も、料理をつくることで倫子は乗り越えていく。
 この物語はたくさんの料理ひとつひとつが、主人公の願いであり、祈りである。
 文字で綴られた料理なのに、とてもおいしく、それでいて、にじんだ涙のしょっぱさがある。その塩加減がまたいい。

 料理ができる人は幸せだ。なぜなら、きっとこの物語で紹介された極上の料理を作ってみようと試せるのだから。
 そのとき、どのような願いが込められるのだろう。
  
(2010/03/02 投稿)

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