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プレゼント 書評こぼれ話

  今日4月30日は図書館記念日
  1950年のこの日に図書館法が公布されたのにちなんで
  制定されたそうです。

   図書館をもっと身近に 暮らしの中に

  そんな風に書かれたポスターを
  近くの図書館で見かけました。
  私は毎週一度は必ず図書館に行きます。
  昔は図書館の端から端まで
  みていたものですが、
  最近の図書館はとても便利になって
  コンピュータで検索してしまうことが
  多くなりました。
  これはこれでいいのですが、
  やはりじっくりと書架の本たちを
  ながめてみたいですよね。
  今日は、図書館記念日を祝って
  瀬尾まいこさんの『図書館の神様』を
  蔵出しで紹介します。

  じゃあ、読もう。  

図書館の神様図書館の神様
(2003/12/18)
瀬尾 まいこ

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sai.wingpen  神様がいっぱい                     矢印 bk1書評ページへ

 <小説の神様>と呼ばれた志賀直哉の代表作に『小僧の神様』という短編があります。もちろん、こうして神様だらけの文章から書き始めたのは、瀬尾まいこさんの素敵な物語『図書館の神様』に誘発されてのことです。(ちなみに志賀の名作といわれるこの短編を図書館で読もうとすると、児童書の棚から借り出す方が容易です。<小説の神様>も<図書館の神様>の気まぐれにはどうしようもないのかもしれません)

 志賀直哉が<小説の神様>と呼ばれる所以は、その冷静な視線ゆえです。
 たまたま私が図書館で借りた『小僧の神様』は講談社の青い鳥文庫のものですが、その解説(児童文学者の藤田のぼるさんが書いています)に志賀の文学の有り様がこう説明されています。
 「自分自身をも含めて客観的な目で描ききるところに、彼の文学の真価があります」そして、志賀のことを理性の作家と表現しています。
 では、そんな理性の作家あるいは<小説の神様>と呼ばれた志賀の書いた『小僧の神様』が面白いかというと、ちっとも面白くない。寿司を食べたいと思っている小僧さんに寿司を食べさせてあげる議員のA氏。食べさせてあげたという善行がA氏に「変なさびしい気持ち」をもたらす。寿司を食べれたのは神様のおかげかもしれないと思う小僧の気持ち、善い行いはしたもののどうもすっきりしない大人の感情、みんな志賀が書いている。
 国語の教科書的にはそれでもいいのでしょうが、読み物としてちっとも面白くない。それでも名作といわれているから、教科書に載ったり副読本として使われたりする。図書館にはもちろんあります。

 でも、今の子供たちにはこんな物語はつまらないんじゃないか。
 瀬尾さんの『図書館の神様』の方がよほど面白い。
 主人公の学校の講師(まだ正式には先生ではない、先生未満の人)が不倫していたり、教育に熱心でなかったり、どうも教育的にはよくないともいえる。
 それでも主人公の清という女性は本ということをを手がかりにして、どんどん成長していく。実らない愛も別れていく人たちも、清という主人公の心の成長で悲しくはあるけれど、つらくは描かれていない。こんな素敵な物語を若い人たちにぜひ読んでもらいたい。

 「うまい下手にかかわらず、知っている人の書く言葉はちゃんと心に響く」。
 これはそろそろ自分のしていることを自覚し始めた頃の、主人公清の気持ちですが、こういった自然な心の向き合い方が新しいものを求めていくように思います。
 もし本当に<図書館の神様>がおられたら、瀬尾さんのこの本こそ児童書の棚にこそっと並べられるのではないでしょうか。
  
(2004/02/29 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日は昭和の日
  そして、いよいよゴールデン・ウィークですね。
  私の予定は
  母の五〇日祭で大阪に帰省。
  (私の家は神式なのでそう呼びます。
  仏式でいえば四十九日ですね)
  母がなくなって
  もうそれだけの日数が経ちました。
  時間というのは
  「もう」なのか「まだ」なのか、
  受けとめ方ですね。
  例えば、昭和という日々のことを
  考えても、
  もうあれから22年経ったのかと
  思えます。
  母はその時、まだ62歳だったんだ。
  今日紹介する山崎ナオコーラさんの題名が
  『長い終わりが始まる』。
  なんとなく、時間ってそういう
  感じがしています。
  今日は書評詩ですが、
  山崎ナオコーラさんの本は
  詩としてイメージがしやすい。

  じゃあ、読もう。
  

長い終わりが始まる長い終わりが始まる
(2008/06/26)
山崎 ナオコーラ

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sai.wingpen  世界は、ジグソーパズルのよう。                矢印 bk1書評ページへ

 世界は、ジグソーパズルのよう。
 私は68億分の1の、小さな片(ピース)。

 いまだにどんな図柄の片(ピース)なのか
 自分でもわからない。

 どんな片(ピース)が隣にくるのか
 全然わかっていない。

 これ かな。
 あれ かな。

 合いそうだけど
 どこかしっくりこない。
 合わないけれど
 無理やり嵌め込みたい片(ピース)もある。
 でも、やっぱり合わない。
 合うわけはない。

 いつか
 私の図柄がはっきりして
 隣の片(ピース)もぴったり合うことがあるだろう。

 世界は、ジグソーパズルのよう。
 私は68億分の1の、小さな片(ピース)。

 山崎ナオコーラが2008年に発表した作品である。大学のマンドリン部に所属する女子大生小笠原を主人公にして、彼氏との拙いセックスや部員たちとの葛藤が描かれている。読み終わったあとの感想として浮かんだのが、大きなジグソーパズルの小さな一片。なかなかうまく嵌らない苛立ちは、おそらくその一片自身が感じているものかもしれない。
 山崎ナオコーラはそうやっていつも一片を探しつづけている。
  
(2010/04/29 投稿)

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  最近私のなかの気になるひとりが
  今日紹介する『相手に「伝わる」話し方』の著者、
  池上彰さんです。
  池上彰さんがお父さん役を担当していた
  NHKの「週刊こどもニュース」は時たま
  見ていましたが、
  最近池上彰さんをTVで見かけるケースが
  とても増えているように感じます。
  本屋さんにいっても
  池上彰さんの本がたくさん並んでいます。
  今、とても旬ではないでしょうか。
  なんといっても
  池上彰さんの話はとてもわかりやすい。
  ただ気をつけないといけないのは
  池上彰さんの話を聞いて
  単に受け売りではなく、
  自分でも勉強しないといけないということ。
  そうしないと自分の知識に
  ならないでしょうね。

  じゃあ、読もう。

相手に「伝わる」話し方 (講談社現代新書)相手に「伝わる」話し方 (講談社現代新書)
(2002/08/20)
池上 彰

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sai.wingpen  今日の会議、うまくいきますように              矢印 bk1書評ページへ

 聞き手を夢中にさせるように話す人がいる。その一方で、話下手な人がいるし、話すのが苦手だという人がいる。もっと話すのがうまくなれたら、あの会議も、今度のデートもうまくいくのに、一体何がちがうのだろう。
 そう思っている人なら、どうしても読んでみたい一冊かもしれない。
 しかも、著者はこの本を書いた時(2002年)よりももっと人気が高まっている池上彰さんなのだから。

 この本はその期待を裏切らない一冊である。なによりも読みやすい。
 それは、副題にもあるように、NHKの記者としての修行時代からニュースキャスター、そして著者を一躍人気ものにした「週刊こどもニュース」の物知りお父さん役まで、その時々「こんなことを考えながら話してきた」著者の姿を、読者が具体的に描けるからだ。まるで物語を読むようにして、話すことの難しさや話す上達法をわかるようになっていく。
 上から教え諭すのではなく、一つひとつのエピソードを共有しながら、著者はよりより話し方とはどんなことなのかを説明している。著者にはこの本を読もうとする読者の悩みが見えているのだと思う。これこそ、「相手への想像力があれば、自分の気持ちは伝わる」という著者の話し方の極意で書かれているといっていい。
 相手に「伝わる」話し方は、相手に「伝わる」書き方でもある。

 もちろん、「話し方」の方法論でもあるので、「わかりやすく説明するための五箇条」などテキストとしてのまとめ方もされているが、そのような読み方でなく、もっと素直に読む方が楽しいはず。
 話がうまい人の話だってそうです。素直に聞くことが大事。何かを吸収しようというのではなく、話を聞くというこの瞬間を楽しむことを、この本は教えてくれている。
  
(2010/04/28 投稿)

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  うまい俳句を詠みたいと
  いつも思っているのですが、
  たった17文字の世界なのに
  ちっとも上達しません。
  この17文字が曲者なんだと思います。
  今日紹介するのは
  美人の俳人として有名な
  黛まどかさんの『その瞬間』。
  「創作の現場 ひらめきの時」という
  副題でもわかるとうり、
  黛まどかさんの俳句を
  彼女自身が解説をした内容になっています。
  こういう作句の裏話的な創作秘話を読むと
  俳人というのも
  奥深いものだと感心します。
  私などまだまだ修行が足りません。

  じゃあ、読もう。

その瞬間  創作の現場 ひらめきの時その瞬間 創作の現場 ひらめきの時
(2010/02/11)
黛 まどか

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sai.wingpen  その瞬間に立ち会うということ              矢印 bk1書評ページへ

 俳句の世界では、作者自らが自作の句の創作の背景などを解説するという自解を試みることがしばしばあります。
 本書は『B面の夏』50句で颯爽と俳壇に登場し、女性俳句をリードしてきた黛まどかさんが自身の句に自解をつけまとめたものですが、「あとがき」のなかで黛さんは「句が生まれた瞬間の背景を披露し、自身の発見と感動が、言葉に結実するまでのプロセスを辿っている」と記しているように、黛まどかという人気の女性俳人を知るにはうってつけの一冊となっています。

 俳句は誰もが知っているように、五七五、わずか十七文字で表現される文芸です。裏返せば、極端に少ない言葉で心の風景を描くことが、緊張を生む文芸だともいえます。
 作品だけ読めば、それがどのような背景をもって詠まれたものかはほとんど分かりようがありません。だから、読む側にとって自由にその句が味わえるといえます。
 自解を読むことは、その想像の幅を狭めることでもありますが、その一方で作者の作句にいたる心の在り様を伺い知ることで、よりその句への親しみが増すこともあります。
 自解を好むかどうかは読者の好みもあるでしょうが、私は自解を読むことで作品が幾重にも深みと広がりを持つのではと思っています。
 本書もその点では十分に楽しめた一冊ですし、女性の心の襞にも少しはふれることができたかもしれません。
  
(2010/04/27 投稿)

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  今日は勝間和代さんの『自分をデフレ化しない方法』を読んで、
  デフレについて考えます。
  そうはいっても
  床屋談義になってしまうでしょうが。
  勝間和代さんのこの本のなかで、
  日銀の白川総裁に関してこんな記述があります。
  「白川総裁は日銀内でもデフレ対策に積極的でない派の
   理論的支柱」
  その白川総裁ですが、
  先日(4.22)ニューヨークで
  「インフレ目標は時代遅れ」という趣旨の
  講演をしているのですね。
  きっと、勝間和代さん、
  怒っているでしょうね。
  こういうことって、なかなか「今」の時点で
  判断しにくいことだと思います。
  でも、やはり誰もが生活のしやすい
  そういう社会をつくりだすことを
  みんなで考えていかないといけないでしょうね。

  じゃあ、読もう。

自分をデフレ化しない方法 (文春新書)自分をデフレ化しない方法 (文春新書)
(2010/02/19)
勝間 和代

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sai.wingpen  この価格で本当にいいの?                     矢印 bk1書評ページへ

 先日(4.25)の新聞に「商品を値引きすると、買い物客はますます安さにこだわるようになる」という経済産業省の調査結果が紹介されていたが、そのため価格競争が一段と増し、デフレにつながっているという。
 モノの値段が安くなることは、確かに魅力的だ。そのために、どうしてそれがよくないのかと心理的なブレーキがかかってしまう。
 しかし、と本書の著者勝間和代さんはいう。「デフレはとても怖い慢性病です。多くの人々はモノが安くなっていることに気づいていても、それがデフレという恐ろしい病気で私たちの生活と社会をいかに破壊しているか気づいていません」と。

 病気になれば、その症状だけでなく発病の原因をさがしてその予防策を講じようとするものだが、どうも経済となるとその意識が途端に低くなるようである。
 デフレという言葉はなんとなくわかっているのだが、という程度にとどまってしまう。本書では「経済知識ゼロでもわかるデフレ」という章もあって、わかりやす解説されている。
 そもそも、デフレとは「物価下落が2年以上続いている状態」をいうのだが、それが進行していくとよくいわれるようにデフレスパイラルとなっていく。
 勝間さんはそのことで「社会的弱者」を生み、さらに格差が広がるとしている。本書はその警告であり、デフレ脱却のための提案でもある。

 では、私たちはそういった大きな経済の問題にどう対処すればいいのか。
 個人レベルにおいては、「収入の2割を貯める」や「資格マニアになるな」といった勝間流の「サバイバル術16カ条」が紹介されている一方で、国家レベルにおいては、「声を上げ続けること」としている。
 冒頭の記事ではないが、国家だけでなく企業も、単なる安売り競争ではなく、価格を維持しながらもお客様に支持される品質やサービスの向上に努めるべきだろう。そういう小さな変化がやがて大きなうねりとなって、国の方針を変えうるのではないだろうか。

 勝間さんのいう希望とは、私たちだけでなく、次の世代へとつづくものでもある。
  
(2010/04/26 投稿)

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  今日紹介した『オオカミのおうさま』は
  第15回絵本賞の受賞作です。
  文がきむらゆういちさん、
  絵が田島征三さん。
  書評のなかでは絵のことは書かなかったのですが
  田島征三さんの絵がとっても素晴らしい。
  筆づかいでオオカミの感情を表して、
  絵を見ているだけで
  心ときめく気がします。
  これこそ絵本の楽しみですね。
  少し絵本というジャンルの本がたまってきましたので
  先日からカテゴリーに「児童書・絵本」という
  ジャンルを増やしました。
  これからも絵本を楽しく読んでいきたいと思います。
 
  じゃあ、読もう。

オオカミのおうさまオオカミのおうさま
(2009/03)
きむら ゆういち

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sai.wingpen  オオカミなんて怖くない              矢印 bk1書評ページへ

 子どもたちは、オオカミが大好きです。
 怖いもの、ずる賢いもの、けれど最後には負けてしまうものの代表みたいなオオカミが大好きです。
 本作の文を書いたきむらゆういちさんの代表作『あらしのよるに』の主人公もオオカミですが、そういう普通のオオカミとは逆の性格だからこそ、たくさんの子どもたちに読まれたのではないでしょうか。
 普段はいばっていたり、強がっている人でも、やさしい気持ちがあることをあの絵本のオオカミは教えてくれています。
 この作品のオオカミもそうです。「ものすごく ドジで」、「かっこうを きにして」います。それがひょんなことからたくさんの仲間から慕われてますが、このオオカミはおうさまになんかなりたくありません。
 怖いオオカミのイメージとは少しちがいます。この少しちがうということが子どもたちには魅力なのでしょう。
 オオカミなんてちっとも怖くないや。子どもたちのすました顔が目に浮かぶようです。
  
(2010/04/25 投稿)

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  書評のなかにも書きましたが、
  今回紹介した嶋田忠さんの『カワセミ―青い鳥見つけた』は
  第15回絵本賞大賞を受賞しています。
  この賞は、全国学校図書館協会と毎日新聞が主催で
  「絵本芸術の普及、絵本読書の振興、絵本出版の発展に寄与する
  ことを目的に1995年に創設されたそうです。
  どうしても絵本というと
  子ども向けの絵と文というイメージがありますが、
  この『カワセミ―青い鳥見つけた』は
  そんなイメージとはまったく違います。
  大人でも十分楽しめます。
  というか、自分のしてきたこと含め、
  考えさせられます。
  私には、嶋田忠さんの「カワセミ」のように
  夢中になるものがあったかどうか。
  まさに大人にも十分読み応えのある
  一冊だと思います。

  じゃあ、読もう。

カワセミ―青い鳥見つけた (日本の野鳥)カワセミ―青い鳥見つけた (日本の野鳥)
(2008/11)
嶋田 忠

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sai.wingpen  いろんなもの見つけよう                     矢印 bk1書評ページへ

 先月の終わりに発表された第15回日本絵本賞。その大賞に選ばれたのが、本書『カワセミ 青い鳥みつけた』です。

 著者の嶋田忠さんはベテランの写真家で、この本は絵本というより、写真集という方が適切かもしれません。でも、コバルトブルーに輝くカワセミの写真につけられた嶋田さんの文章がとてもいいんです。子どもたちが川から突き出た石の上ですましているカワセミや川に勢いよくダイブしている写真に夢中になっているそばで、声にだして読んでみてください。
 それは単にカワセミの習性をつづったものではなく、嶋田さんがどうしてカワセミに夢中になっていったのか、カワセミの写真を撮るのにどれほど苦労したか、そしてどんな工夫で水中のカワセミの様子を写真におさめることができたのかが、平易な文章でつづられています。
 水中カメラが濡れないような専用ケースがあるのですが、嶋田さんは正直に「でも、高くて買えません」と書いています。嘘をつかない文章が子どもたちを夢中にさせます。

 この本を読み終わった子どもたちは、カワセミを見たいと思うでしょう。しかし、子どもたちの夢はカワセミだけではないはずです。プロ野球選手、漫画家、宇宙飛行士、写真家、会社員、いっぱいいっぱい。
 その夢を実現させるために、あきらめないこと、がんばること、工夫すること、そんなことに気づくのではないでしょうか。
 なにしろ、「青い鳥」は幸福のシンボルなのですから。
  
(2010/04/24 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日、4月23日は子ども読書の日
  もともとは5月5日をはさんで
  前後2週間が子ども読書週間だったんですが、
  2000年の「子ども読書年」を機に
  4月23日から5月12日までの3週間が
  「子ども読書週間」になったそうです。
  そして、2001年に施行された「子ども読書活動推進法」で
  4月23日が「子ども読書の日」と定められました。
  今年の「子ども読書週間」の標語は

   たんけんしたいな 本の森

  特にこの期間だけ本を読めばいいわけではないですが、
  こういう機会を契機にして
  本に親しむのもいいですね。
  というわけで、
  今日は絵本『としょかんライオン』の紹介です。
  ぜひ、子どもたちとご一緒に。

  じゃあ、読もう。

としょかんライオン (海外秀作絵本 17)としょかんライオン (海外秀作絵本 17)
(2007/04/20)
ミシェル・ヌードセン

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sai.wingpen  みんなの図書館                     矢印 bk1書評ページへ

 私が子どもの頃は、子どもの定義があるでしょうが十歳前後だとしたらかれこれ四十年以上前の頃ですが、図書館はとても怖い場所だったような記憶があります。
 薄暗くって、本の黴くさい匂いが漂っていて、時々きっとこちらをにらみつける気の強そうな司書さんがいたりして。
 ところが、今はすっかり雰囲気が変わりました。明るい採光、きれいな本。笑顔あふれる司書のおねえさん。
 なんと幸せところでしょう。一日いても飽きません。
 それに、やさしくて気立てのいいライオンがいたら、もっといい。
 だって、そこは、みんなの図書館なんですから。

 現代の図書館だって、たぶんまだまだ不満はある人はいると思います。
 勝手きままに走り回る子どもたち、それに注意もしないお母さんやお父さん。閲覧机を占領する学生たち。こっそり図書館の資料を切り取る人たち。愛想のない司書たち。読みたい本が所蔵されていなかったり、ベストセラーばかりがあったり。
 それに、やさしくて気立てのいいライオンもいません。
 みんなの図書館なのに、どうしてでしょう。

 私は、それでも図書館が好きです。
 子どもの頃にように、もう怖くもありません。とぼしい予算のなかで図書館のみなさんがいろんな工夫をしてくれています。
 それに、図書館にいると、やさしくて気立てのいいライオンだけでなくて、海から顔をのぞかせるクジラにも、野原を走るオオカミにも、昔のとっても偉い人にも、未来のかわいい少女にも出会うことができます。
 だって、そこは図書館なんですから。

 この絵本を読んで、そんなことを思いました。
  
(2010/04/23 投稿)

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 NHKの朝の連続ドラマ「ゲゲゲの女房」が
 この春から始まりました。
 武良布枝さんの原作はすでに読んで、
 このブログでも書評を書いています。
   興味のある方はこちらを。

 今回の「雑誌を歩く」は、
 「Pen(ペン)」(600円、阪急コミュニケーションズ)5/1号です。

Pen ( ペン ) 2010年 5/1号 [雑誌]Pen ( ペン ) 2010年 5/1号 [雑誌]
(2010/04/15)
不明

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 理由は表紙を見れば、おわかりの通り、
 「水木しげる大研究」が大特集なんですよね。
 本屋さんで雑誌のコーナーを散策していたら
 目に飛び込んできた鬼太郎ファミリー。
 思わず、手にしていました。

 特集のリード文はこう。
 
  今年、米寿と画業生活60年の節目を迎える、
  日本漫画界の巨匠にして鬼才、水木しげる。
  (中略)
  代表作品の詳細解説や、ルーツが詰まった故郷・鳥取県境港市の
  現地取材を敢行。そして単行本未収録の幻の童話作品も完全収録
  した大特集です。

 わー、すごいな。
 思わず、「オイ、鬼太郎」と目玉のおやじの声をまねしちゃいました。

 ところで、水木しげるさんですが、
 野球界でいえば、なんとなく野村監督ぽくないですか。
 手塚治虫さんや横山光輝さんが王、長嶋みたいで、
 常に脚光をあびていたスターの陰にいながら、
 最後は栄光を手にしているみたいで。
 こんなにも長い間、愛される漫画家も珍しいです。

 特集のひとつに、
 「なぜ鬼太郎は、これほど人気があるのか」という記事があって、
 そのなかで、鬼太郎が昭和29年神戸の街頭紙芝居として
 世の中に登場したとあります。
 この年に生まれた、もう一人? のヒーローが
 あのゴジラ。
 それはともかくとして、鬼太郎は初期と現在では
 その表情がまったく違うんですよね。
 「こんなにも違う! 鬼太郎の顔の変遷をたどる」を読めば、
 水木しげるさんの苦労のあとがよくわかります。

 水木漫画のもうひとつの代表作が『悪魔くん』。
 私たちの世代はTVで実写版をみていました。
 その悪魔くんですが、三人いることを
 この雑誌で知りました。
 名前が、松下一郎、山田真吾、埋れ木真吾。
 おもわず、「エロイムエッサイム」って叫びました。

 そのほかにも、
 「妖怪で町おこし! 境港が元気な理由」とか
 「60年ぶりに描かれた、幻想的な童話の世界」とか
 「Pen」5/1号は水木ワールドが十分に堪能できます。

 ちなみに、
 鳥取県の県庁所在は鳥取市ですから
 お間違いのないように。

 じゃあ、読もう。

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プレゼント 書評こぼれ話

  4月にはいって、新入生とか新入社員が
  みなさんのまわりにも来たのではないですか。
  どんな職場でも、最初に挨拶のこと、
  注意されるのではないでしょうか。
  今日紹介した松浦弥太郎さんは、
  「きちんとした挨拶をすること」が
  とても大事だと書いています。
  でも、挨拶って
  「おはようございます」って単に声に出せばいいものでは
  ありません。
  松浦弥太郎さんは「挨拶上手」という言い方を
  していますが、
  挨拶というのは、
  「私は元気ですよ、あなたはどう?」みたいな
  意味を含んでいると思います。
  もちろん、
  「今日元気がないんだ。君は?」だっていいんですよ。
  そういう自分の信号のようなものを送るのが
  挨拶
  私はそう思っています。

  じゃあ、読もう。

松浦弥太郎の仕事術松浦弥太郎の仕事術
(2010/03/05)
松浦 弥太郎

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sai.wingpen  「勝間和代」さんにおススメしたい一冊              矢印 bk1書評ページへ

 著者の松浦弥太郎さんは雑誌「暮しの手帖」の編集長です。でも、どうやら「成功者でもなく、億万長者でもなく、何か特別な知恵や技術をもっているわけでも」ないそうです。ですので、「仕事術」なんて生意気な使い方だと思っているようです。
 たしかに、「術」というよりは、もっと広い、仕事についての「考え方」の本だといえます。

 編集長という職業についていながら、「情報は、なるべく遮断していく」と松浦さんは書いています。そのわけは、多様な情報に振り回されて自分の軸がぶれないようにするためだそうです。パソコンの電源も無意識にいれることをやめることを推奨しています。
 そんなことをしていたら、刻々と変化する時流に乗り遅れてしまう、という声が聞こえそうですが、松浦さんの「仕事」に対する考え方はそういう物事の捉え方に首をかしげています。

 松浦さんは、「仕事の目的」をこう考えています。
 ひとつは、「自分の行いが、人の役に立つこと」。
 もうひとつが「自分の中にある何かが、人の幸せを与える」こと。
 これは特に松浦さんだけの考え方ではないでしょう。多くの人がそう思っています。
 ところが、残念ながら、その目的をめざすための筋道がすっかりちがってしまうのは何故でしょう。いいかたを変えれば、その目的を達成するための優先順位がちがうといえます。
 松浦さんはまず第一に「きちんと挨拶を行うこと」が大事だとしています。
 色々なビジネス本の「仕事術」がありますが、「挨拶」を第一にあげているのは少ないのではないでしょうか。あるいは、「笑顔を忘れないこと」。
 やはり、そういうことをおろそかにしてしまうと、いくら目的が同じであっても、最後にたどりつくところはちがってしまうのではないでしょうか。

 がむしゃらな「仕事術」もあっていいと思います。松浦さんのこの本にも、結構厳しいことも書かれています。
 でも、時にはゆっくりと立ち止まって、自分のやり方を見つめ直すことも大切です。
 松浦さんではないですが、そんな時間を持つことが「バランスを保つために不可欠」なのだと思います。
  
(2010/04/21 投稿)

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  書評のなかにも書きましたが、
  今回紹介した『勝間和代&小宮一慶のエコノトーク』という本のなかで
  勝間和代さんと小宮一慶さんのお気に入りの
  映画の話がでてきます。
  勝間和代さんは、
  『ペイ・フォワード』と『フォーエバー・フレンド』。
  小宮一慶さんは、
  『鉄道員(ぽっぽや)』『刑事ジョン・ブック 目撃者
  『火垂るの墓』『8月のシンフォニー』、
  そして『男はつらいよ』。
  好きな映画は本棚をのぞくように
  その人の歩んできた歴史とか性格とかが
  なんとなくわかります。
  私は、斉藤耕一監督の『約束』という映画が好きですね。
  韓国映画の『8月のクリスマス』もいい。
  『シュリ』もいい。
  あまり何本かにしぼれないですね。

  じゃあ、読もう。
  
勝間和代&小宮一慶のエコノトーク勝間和代&小宮一慶のエコノトーク
(2010/03/12)
勝間和代小宮一慶

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sai.wingpen  ビッグな二人がついに                     矢印 bk1書評ページへ

 表紙の写真がいい。
 なんといっても今若者たちのカリスマ的存在の経済評論家勝間和代さんと多くの経営者の支持を集める経営コンサルタント小宮一慶さんのツーショットにワクワクしてしまう。
 昔でいえば、大鵬と柏戸。あるいは長嶋と王のツーショットに匹敵する。でも、勝間和代さんは女性だから、吉永小百合さんと石原裕次郎さんといえばいいかな。
 なんだか、週刊明星の表紙みたいになってしまいましたが、それぐらい豪華な組み合わせといいたい。

 書名の「エコノトーク」はあまり聞き馴れない言葉ですが、エコノミー(経済)とトーク(話)とを合せた二人の造語らしい。
 トーク(話)とあるように肩肘のはらない経済に関するこぼれ話のようなもので、もともとは共同通信社が全国の新聞社に配信している経済コラム。しかも、連載の開始が2008年10月で、あのリーマン・ショックで世の中がひっくり返ってしまった時期と同じなのがおもしろい。
 まさに世界同時不況のあと、アメリカのオバマ大統領の誕生、民主党の勝利による日本の政治の変革、そしていつまでたっても変わらない不況感、と2010年1月までの大変動の時代をウォッチしているわけで、それだけでも二人の運の強さというものを感じます。
 だって、なかなか時代の当事者にはなれない。

 本書の前半はそんな二人の対談で、これもなんだか週刊明星ぽいです。
 でも、話の内容は「経済とは」ですから二人とも大真面目。対談の後半は「人生とは」で、二人の人生に対する心意気が熱く語られます。
 最後には、二人の好きな本と、これはなかなか珍しいですが、好きな映画の話。小宮一慶さんがあげた映画のなかに『男はつらいよ』があったのはなんとなく納得してしまう。
 もしかしてこの二人、何をしても憎めない寅さんとしっかり者の妹さくらの取り合わせに近いかも。
  
(2010/04/20 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  詩集をこんなにも集中的に
  読んだのは
  ほんとうに久しぶりのことです。
  今回紹介する『長田弘詩集』で、
  岩崎書店から刊行されている
  「豊かなことば 現代日本の詩」全10巻は
  すべて読み終えました。
  詩集なんかはなかなか読む機会が
  少ないと思います。
  でも、詩はあらゆる文芸の原点に
  あるものではないでしょうか。
  言葉がこの世界にはじめて
  生まれたとき、
  きっと人々が最初に作り出したのは
  詩だったように思います。
  疲れたとき、
  悩んでいるとき、
  そっと包みこんでくれるような
  詩を読んでみるのも
  いいと思います。
  今回の10冊の詩集たちが
  そんなきっかけになればと思って、
  書評を書いてきました。

  じゃあ、読もう。

長田弘詩集 はじめに・・・・・・ (豊かなことば 現代日本の詩 10) (豊かなことば現代日本の詩 10)長田弘詩集 はじめに・・・・・・ (豊かなことば 現代日本の詩 10) (豊かなことば現代日本の詩 10)
(2010/02/26)
長田 弘

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sai.wingpen  わたしという一冊の本                     矢印 bk1書評ページへ

 小学生から読めるように漢字にふりがなのついた、「豊かなことば 現代日本の詩」シリーズの最後の一冊。本のエッセーもたくさん書いている大好きな詩人、長田弘の詩集です。

 好きな詩人はなんとなく安心します。新しい発見もあるのですが、帰郷をした気分が安心を生みます。
 いつかみた風景、いつか聴いた音。ふるさと。学生時代の親友。そして、昔読んだ一冊の本。
 この詩集の冒頭の詩。『アイということば』。「アイ/ひとが最初におぼえることば/(中略)/アイ/愛ということば」。そんなことをずっと昔に考えていたことを思い出させてくれる詩です。きっと私だけではない、たくさんの若者たちが「アイということば」にひかれ、悩み、傷つき、喜んだことでしょう。そのことを詩人はみごとに表現しています。

 有名な『世界は一冊の本』という詩。冒頭の「本を読もう。/もっと本を読もう。/もっともっと本を読もう。」という一節に、心の芯がふれます。
 詩人が詠う本は、私たちが手にする印刷物の本をいうのではないでしょう。この世界にあるものすべてが、本だというのです。
 表紙があって、ページがつづいて、それが綴じられているもの、栞があって、ルビがあって、挿絵があって、裏表紙でとじられるもの。それらがすべて、本だというのです。
 「人生という本を、人は胸に抱いている。/一個の人間は一冊の本なのだ。/記憶をなくした老人の表情も、本だ。」と。

 だから、長田弘という詩人もまた一冊の、そして未完の、本です。『最初の友人』や『記憶』、『父の死』といった詩は、長田弘という本の最初のページに書かれた詩、あるいは最初のページに刻印された記憶をたどって書かれた詩です。誰もがそんなページをもっているはずなのに、そのことを忘れています。
 詩を詠むように、詩にいざなわれながら、そんなページを開いてみるのもいいかもしれません。わたしという一冊の本の。
  
(2010/04/19 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  春だというのに
  ヘンな天気がつづきます。
  昨日の朝は東京は、
  雪の朝でした。
  41年ぶりの椿事だそうです。
  そんな不安定な気候ですが、
  先日(4.15)の朝日新聞天声人語」に
  こんな記事が掲載されていました。

   とりわけ今年の4月の「とまどい」は、
   思春期の少年少女を思わせる。
   行きつ戻りつ、大人の扉ならぬ「季節の扉」を
   なかなか開けられない。

  うまい表現です。
  そして、最後にこうあります。

   英国では「三月の風と四月の雨が美しい五月をつくる」とも
   言うそうです。

  今日紹介する、みずかみかずよさんの詩と
  通じるような言葉です。

  じゃあ、読もう。
  
みずかみかずよ詩集 ねぎぼうず (豊かなことば 現代日本の詩 9) (豊かなことば現代日本の詩 9)みずかみかずよ詩集 ねぎぼうず (豊かなことば 現代日本の詩 9) (豊かなことば現代日本の詩 9)
(2010/02/26)
みずかみ かずよ

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sai.wingpen  君たちは何を見るのだろう                     矢印 bk1書評ページへ

 小学生から読めるように漢字にふりがなのついた、「豊かなことば 現代日本の詩」シリーズの一冊。また一人知らない詩人を見つけました。1988年、「ありがとう」の言葉を残して逝ったという、みずかみかずよの詩集です。

 この詩集の書名にもなっている『ねぎぼうず』は、「地底から打ちあげられたロケット」というたったこれだけの詩です。それなのに楽しくなるような詩です。ほほうと感心してしまう詩です。詩人の事物を観る確かな目を感じますし、自由な発想に脱帽します。
 脱いだ帽子からもんしろちょうが飛び出しますように。
 
 みずかみかずよは昭和10年(1935年)に福岡で生まれました。詩を書き始めたのは19歳の時。以後、同人誌などの活動を通じて詩作に励みます。45歳の時に彼女の詩が小学校の国語の教科書に採用されます。
 そのなかの一つ、代表作でもある『金のストロー』は「雨にうたれて/林はみどりのしずくにすきとおる」と始まり、雨がやんだあと、「お日さまが/金のストローで/みどりのしずくをすいあげた」で終わります。
 しずくがみどりなんてことはありません。でも、詩人の目にはそれは「みどりのしずく」なのです。雨がやんだあとに空からさす光の筋を「金のストロー」と表現した心と、それは共鳴しています。
 そういう柔らかな感性がみずかみかずよの特徴です。

 みずかみかずよの詩を習った子どもたちはいったいどのような目で、空を、木を、花を、虫を見たのでしょうか。
 子どもたちの柔らかい心に、みずかみかずよの詩は、どのように見てもいいんだよ、でもしっかり観るんだよ、と語りかけているかのようです。
  
(2010/04/18 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今回の書評のなかに書いています、
  城山三郎さんの声の録音ですが、
  新潮社から講演CDとして
  発売されています。
  たまには本を離れて
  作家たちの生の声を聞くのも
  いいんじゃないでしょうか。
  講演とその講演記とは
  やはりちがうものなんでしょうね。
  講演自体はそこで実際しゃべっている総体として
  楽しめばいいでしょうし、
  講演記は何度でも繰り返し読み返すことが
  できます。
  いわば、
  講演はフローで
  講演記はストックのようなもの。

  じゃあ、読もう。
  

逆境を生きる逆境を生きる
(2010/02/26)
城山 三郎

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sai.wingpen  城山三郎の声                     矢印 bk1書評ページへ

 本書のもととなった1995年の福岡の高校での講演の様子は音声として残っている。そこで68歳の城山三郎の声を聞くことができる。
 低くもなく、甲高い声でもない。落ち着いて、歯切れがよく、ゆっくりと話す。おとなの声とはこういう声をいうのだろう。
 原稿はあっただろうが、ほとんどいい間違いはない。淀むこともない。齢(よわい)を重ねたことの重みが声として、言葉としてこぼれだすという雰囲気を醸し出している。

 もちろん、そういった講演をもとにして、こうして文章として再構成されて、読むこととして何の違和感もなく、城山三郎の作品として読めるわけであるが、話し言葉としての一つひとつの間(ま)のようなもの、まさにそれは城山三郎の息づかいなようなもの、が失われてしまうのは残念だ。
 あるいは、聴衆の静かな笑いであったりささやかな身じろぎであったりに反応する城山三郎の言い回しが消えてしまうのも、講演を聴くことと活字を読むことの違いだろう。
 行間を読むということは、そういうことも含まれる言葉かもしれない。

 『逆境を生きる』というタイトルが本書にはつけられているが、城山三郎の代表作ともなった『落日燃ゆ』の広田弘毅と『男子の本懐』の浜口雄幸を核にして城山の多くの作品の裏話がつめこまれていて、幅広い読み方ができる内容になっている。
 そういう点では、城山三郎のめざした生き方そのものがコンパクトにまとめられている本といえる。城山三郎がなくなって三年が経つが、こういう本が出版されることで、新しい読者が生まれるとしたら、これほどうれしいことはない。

 音声の記録では、講演の最後に「ご参考に少しでもなればと思ってお話を申し上げました」といって壇上を下りた城山三郎に、聴衆のたくさんの拍手が、それも静かで落ち着いた拍手が、おくられていたことを書きとめておきたい。
  
(2010/04/17 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  本好きな私にとって、
  今日紹介した渡邊十絲子さんの『新書七十五番勝負』ような書評であるとか
  読書全般について書かれたジャンルの本を読むのは
  とっても気持ちいい。
  暗い気分のときの清涼剤。
  弱ったときの栄養ドリンク。
  元気回復の素みたいなものといえます。
  人によってはお酒とかカラオケとか
  いろいろな方法があるでしょうが、
  私はまちがいなく
  本で助けられます。
  だから、
  本が手放せません。
  きっと、こんな感じは
  本好きな人ならわかってもらえるのじゃないかな。

  じゃあ、読もう。

新書七十五番勝負新書七十五番勝負
(2010/01/16)
渡邊十絲子

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sai.wingpen  本を読むことで幸せになりたかったら                     矢印 bk1書評ページへ

 新書好きの人だけでなく、もっとひろく本好きの人にお薦めなのが、詩人渡邊十絲子さんの『新書七十五番勝負』である。
 「本の雑誌」連載分の新書の書評に少しの書き下ろしを加え、さらに新書についての愛情こもった三つの小論文でできあがっていて、まるまる一冊、新書ばかりの本といっていい。それでいて、本の匂いが漂うようなたたずまいなのだ。

 この本の良さはたくさんあるが、まずなによりも取り上げているそのラインナップが素晴らしい。
 そのうち実際に私が読んだ新書は数冊にもかかわらず、いい新書を紹介してもらったと思わせる力が渡邊さんの書評にはある。
 それは多分、取り上げられた本たちの良さもあるだろうが、渡邊さんの書評自体に文章としての味わいがあるということだろう。

 つぎに(というより、こちらの方が素敵なのだが)、その文章が本への愛情にあふれていることだ。
さすが「暇さえあれば書店に通い、新書の棚の前をうろうろ」している著者だけあって、本に対する愛情がはんぱではない。
 「本から本へと、読書の道は鎖のようにつながっていく。そこに人の言葉が道しるべのようにあらわれる。本を読むことの幸せと不思議を思った」(57頁)なんていう文章には、思わずぎゅっとハグしたくなった。
 本の良さがわかっている人にしか書けないこんな文章が随所にちりばめられているのだ。

 本を読むことで幸せになりたかったら、この本を手にすべし。きっと満足する。
  
(2010/04/16 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  作家、劇作家であった井上ひさしさんの
  座右の銘はこうであったそうです。

    難しいことをやさしく、
   やさしいことを深く、
   深いことを愉快に、
   愉快なことをまじめに


  まるで井上作品を集約したような言葉です。
  ここ何日間か井上ひさしさんの作品を
  集中的に読んできました。
  今日は直木賞を受賞した『手鎖心中』ですが、
  井上ひさし文学の原点のようなものを
  感じます。
  笑いは生きていくうえにおいて
  大事な要素だと思います。
  そのことを井上ひさしさんは徹底的に
  書いてきたのだと思います。
  亡くなったことを契機にすることは
  不謹慎かもしれませんが、
  この機会にあらためて
  井上ひさしさんの文学に
  ふれてみるのもいいのではないでしょうか。

  じゃあ、読もう。

手鎖心中 (文春文庫)手鎖心中 (文春文庫)
(2009/05/08)
井上 ひさし

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sai.wingpen  ここから始まる                     矢印 bk1書評ページへ

 井上ひさしさんは、この『手鎖心中』で第67回直木賞(1972年)を受賞した。38歳の時である。
 すでにテレビの脚本や戯曲で売れっ子であった井上さんだが、江戸の戯作者の姿をコミカルに、しかもシニカルに描いたこの作品は、井上さん自身の将来へのの決意表明のような作品とも読める。

 主人公は材木問屋の若旦那栄次郎。彼は「人を笑わせたり、人に笑われたりする」のが何よりも好きで、それが高じて絵草紙作家になりたいと願っている。そのために自ら勘当は願い出たり、お上のお咎めの手鎖の刑を受けるように仕向けたりと、まことに馬鹿馬鹿しいかぎりである。最後には吉原の遊女との心中まで図ってしまう。
 そんな物語のなかに井上さんは「笑い」の本質を見とどけようとしている。

 たとえば、栄次郎の仲間が「戯作」について、「心が、正と負、本気と茶気、しかめっ面と笑い顔の間を往来する-、そこから、いや、そこからだけ、戯作の味わいみたいなものが湧いてくるんじゃないか」と語っている。
 ただのくすぐりではなく、二物がぶつかって初めて人の心がほぐれる「笑い」が生まれる。これは、おそらく井上さんの「笑い」に対する考え方だろう。
 そして、それは終生変わらなかったのではないだろうか。
 ただ、この作品がそんな「笑い」への問いかけであったとして、戯曲であれ小説で作品を描くつづけるうちに、もっと深い「笑い」に深化していった。
 戦争であれ原爆であれ平和であれ、深刻なテーマを描きつつ、「笑い」はそれらを真面目に考えるための武器となっていった。

 この物語の終盤で、井上さんはこんな風に書いている。
 「世人の慰みものに命を張ってみよう。(中略)茶気が本気に勝てる道をさがしてやる」。
 これこそ、井上さんの作家としての決意であったにちがいない。井上さんはそのことをずっと追いかけてきた。
 小説にしろ戯曲にしろ、何を難しく語ることがあろう。所詮は「世人の慰みもの」ではないか。しかし、たとえそうであったとしても、いやだからこそ、世人がわかる言葉でほんとうのことを語りたい。
 井上ひさしさんの文学はそうであったのだと思う。
  
(2010/04/15 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  4月12日の朝日新聞夕刊に
  論説委員の山口宏子さんが
  井上ひさしさんの「評伝」を書いていました。
  題名は「奇想と笑い 多彩な山脈」。
  書き出しはこうです。

   作品群を改めてみると、質と量の迫力に圧倒される。
   戯曲は60を越え、小説も多数。エッセーや対談は数え切れない。
   一作一作が高い峰。それがどこまでも続く。雄大な山脈のようだ。

  たしかに井上ひさしさんはたくさんの著作を
  私たちに残してくれました。
  では、その半生はどんなものであったのか。
  そう思った人におススメなのが、
  今日紹介する『本の運命』です。
  この本で井上ひさしさんがどのような
  半生をおくってきたかわかるかと思いますが、
  何よりも本との出会い、図書館との出会いが
  井上ひさしさんには重要だったように思います。
  書架の前で本を手にする井上ひさしさんの
  表紙もいいです。

  じゃあ、読もう。

本の運命本の運命
(1997/04)
井上 ひさし

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sai.wingpen  本のちから                     矢印 bk1書評ページへ

 先日亡くなった井上ひさしさんの遅筆は有名だった。
 開幕寸前まで脚本が出来上がらず、小屋主や演出家とトラブルになったことも何度かある。それは約束を違えた側が悪いにしろ、いい作品を書きたいという井上さんの矜持があったにちがいない。
 そのことを悪びれもせず、自ら所蔵していた13万冊の本を寄贈した場所に「遅筆堂」(山形県川西町)と名付けたのも井上さんのユーモアだったといえる。

 山形県川西町は井上さんの生まれ故郷である。
 この『本の運命』ではそこを出発点にした、井上さんの半生が綴られている。
 小説家志望だったという父とは五歳の時に死別する。そこから井上さんの苦労が始まるのであるが、けっして井上さん自身がみじめな青年期をおくったわけではない。なぜなら、いつもそばに本があったから。
 だから、この本は井上さんの半生記でもありながら、本への賛歌にもなっている。

 「いい本というのは寿命がとっても長い。繰り返し繰り返し、集められたり、散ったりしながら、そのたびにその人の文脈に組み込まれていく」と井上さんは本書のなかで書いているが、「人の文脈に組み込まれ」たという点においては、井上ひさしという人間がその実例そのものであったといえる。
 いい本で出来上がった人間だったからこそ、井上ひさしという書き手は、いつもいい小説を書こうとし、いい戯曲を作りあげようとした。
 そして、そんな自分を作り上げてきた本を生まれ故郷の人たちに戻すことで、新しい人たちの誕生を願った。
 「いろんな知恵が、本という形に纏められ、逆にこんど人間がそれをうまく次の世代へ伝えていく道具となる。本はそうやって、人の寿命をはるかに越えて生き延びていく」。
 井上さんは本のことが大好きだった。

 1987年に「遅筆堂文庫」を開設した時の、井上さん自筆の「堂則」がこの本のなかに掲載されている。そのなかの最後に、井上ひさしさんはこう書いている。
 「読書によって、過去を未来へ、よりよく繋げんと欲す」。
 井上ひさしさんは、本の力を、読書の力を、終生信じた人であった。
  
(2010/04/14 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  昨年の初秋の頃、
  映像をしていた友人から
  井上ひさしさんで何か撮れないだろうかと
  訊かれたことがある。
  あまりうまく答えられなかったが、
  友人は井上ひさしさんの農業への関心と
  東南アジアの劇的な空間をつなげて
  作品にできないかと考えていたようである。
  映像にする際には
  井上ひさしさんのインタビューも必要だから
  「井上ひさしさんに会えるなんて、すごいな」と
  内心うらやましくもあった。
  その後、その話は立ち消えになったようだが
  井上ひさしさんの体調不良も原因だったのかもしれない。
  今日紹介する『父と暮せば』という戯曲は
  宮沢りえさんと原田芳雄さん主演で
  映画化(黒木和雄監督作品)もされている。
  この映画もいい。
  今回井上ひさしさんの戯曲として初めて読んだが、
  書評のなかで少し紹介した
  前口上がいい。
  もう井上ひさしさんがいないなんて
  まだ信じられない。

  じゃあ、読もう。  

父と暮せば父と暮せば
(1998/05)
井上 ひさし

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sai.wingpen  幕はおりたが-追悼・井上ひさし                     矢印 bk1書評ページへ

 劇作家、作家の井上ひさしさんが亡くなった。
 どのような文豪であれ、やがては命がつき、作品だけが永遠の生命をもつのだが、井上さんの場合、まだまだ趣向をこらした新しい作品がでてくるものとばかり思っていただけに、フイであった。
 突然、幕が下りた。

 一時期井上さんの戯曲を何作も読みつづけたことがある。『きらめく星座』、『泣き虫なまいき石川啄木』、『頭痛肩こり樋口一葉』、『人間合格』・・・。
 本物の舞台を観ないまま戯曲だけで語ることは井上さんも望まなかっただろうが、(この『父と暮らせば』のあとがきに井上さんは「劇場の機知」という短文を掲載している。そのなかで、「舞台でしかつくることのできない空間や時間」にいかに苦心していたかを書いている。この『父と暮らせば』は登場人物たちの広島弁がとても魅力なのだが、井上さんがこの作品で悩んだのはそれよりも主人公の娘の分身としての父親であったという)それでも井上戯曲はおかしく、切なく、それでいて明るい言葉の空間を読む者にさし示してくれた。

 井上ひさしという作家を後世の人たちがどのように評価するのかわからないが、この作品に寄り添って書けば、「人間のかなしいかったこと、たのしいかったこと、それを伝えるんが」仕事だった人だったのではないか。
 本作はヒロシマの原爆がもたらした悲しみを戯曲にしたものだが、「あの地獄を知っていながら、「知らないふり」することは、なににもまして罪深いことだと考えるから書くのである」と書いた井上さんは、小説や戯曲を通して、「伝える」ことをなりわいとした言霊のような人であった。

 井上ひさしという人の幕はおりたが、きっといつかふたたび誰かが「伝える」ために幕をあげる。
 そのことを井上さんは楽しみにしているだろう。

 合掌。
  
(2010/04/13 投稿)

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 日曜の朝はすこしゆっくり起きる。
 そんな朝、テレビのニュースを見て驚きました。
 目がどんと覚めました。

   作家・劇作家 井上ひさしさん死去

 もちろん日曜の朝刊にはでていない。
 しかも月曜の朝刊は
 新聞休刊日でお休み。
 こうなれば、インターネットで見るしかない。
 朝日新聞のWEBから。

   軽妙なユーモアをたたえた優れた日本語で
    「吉里吉里人」「國語元年」など多くの小説や戯曲、エッセーを書き、
    平和運動にも熱心に取り組んだ作家・劇作家で文化功労者の井上ひさしさんが
    死去したことが11日、わかった。75歳だった。

 井上ひさしさんの著作は
 直木賞を受賞した『手鎖心中』(1972年)からかなり読んでいます。
 特に戯曲は一時期かなりはまりました。
 でも、私たちの世代では
 なんといっても「ひょっこりひょうたん島」でしょうね。
 NHKで平日の夕方に放映されていた人形劇の原作が
 井上ひさしさん(山元護久さんとの共作)なんですよね。
 もちろん、子どもの頃は
 井上ひさしさんの名前も知りませんでしたし、
 井上ひさしさんもまだ有名ではありませんでした。
 でも、今から思えば、あの設定は当時(1964年)としては
 かなりユニークだったと思います。

 井上ひさしさんは
 良質の戯作者だったと思います。
 まじめだが肩肘をはらない。
 笑いを忘れず、しかも下品ではない。
 知識人に書くのではなく、ごく普通の人に
 わかりやすく書かれていました。
 常に普通の人の視点を忘れなかった作家です。

 最後に、「ひょっこりひょうたん島」の
 こんな歌詞で、井上ひさしさんとお別れします。

    苦しいことがあるだろさ 悲しいこともあるだろさ
    だけど僕らは挫けない 
    泣くのは嫌だ 笑っちゃおう


 ご冥福をお祈りします。

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日も昨日につづいて
  R18の本の紹介です。
  昔、こっそり書いていたものの
  蔵出しになります。
  昨日は石田衣良さんでしたが、
  今日紹介する『愛妻日記』は重松清さん。
  どちらも直木賞作家というだけでなく
  出す本出す本が話題になる、
  人気作家でもあります。
  石田衣良さんの『sex』でもそうですが、
  重松清さんの『愛妻日記』でも
  表現は過激です。
  私はそれでもこういう官能小説を書かざるを得なくなる
  作家の業(ごう)のようなものを
  強く感じます。
  子供たちの涙を描きながら、
  大人たちの性もえがく。
  それはもしかしたら
  人間の営みとして
  ひとつの根っこのようなものかもしれません。
  
  じゃあ、読もう。


愛妻日記愛妻日記
(2003/12/13)
重松 清

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sai.wingpen  夫婦という距離                     矢印 bk1書評ページへ

 直木賞作家重松清の、初の官能小説集である。
 物語の運び、語彙の豊かさ、文章の組立て、そのいずれもが上手な書き手であるから、性の表現も豊穣であり、過激である。官能小説としても満足できる作品集だ。
 それでいて、平野甲賀の装丁、重松清という作者名、「愛妻日記」というソフトな書名、講談社という大手出版社名、とくれば、この本のことを知らない人は、読んでいる私がこの本でどれほど興奮し欲情しているかはわからないだろう。それはこの作品の中で描かれた、密室の中で秘儀を繰り返す六組の夫婦の愉しみに似ている。

 六つの物語はいずれも夫のゆがんだ性の発露によって展開する。しかしながら、それらは異常な性の行為なのだろうか。この本の宣伝コピーは「奥様には隠れて読んでほしいのです」とあるが、むしろ性の喜びを共有できないことの方が不思議な気がする。夫婦とはある意味で、この作品の夫婦たちがそうであるように、性の共犯者であるはずなのに。

 ならば夫婦とは何だろう。男と女はどうして同居という煩わしい形態をとってまで夫婦という関係を結ぶのだろうか。
 いつも一緒にいたいという感情の底には、性の関係を夫婦という自分たちの空間の中で行い続けたいという欲望があったはずだ。しかし、夫婦生活を続けるうちに、夫婦が行なう性の営みに何の刺激もなくなっていく。その果てには「饗宴」という作品に描かれたように、互いの肉体の衰えにおぞましさまで感じるようになっていく。
 それは何故か。夫婦の関係こそどのようなタブーもない性の営みができうるはずなのに。夫婦の間の性だからこそゆがんだ行為さえも認めあえるはずなのに。何故夫婦は変化のない性を繰り返すのだろうか。

 重松清は「妻に対する夫のゆがんだ…でも、だからこそまっとうでありうるはずの情欲を描いた」と書いている。その上で「小説の書き手として、これらの物語を僕は欲していたのだろう。今後も夫婦や家族の物語を書きつづけたいから、性から逃げたくなかった、のかもしれない」と続ける。
 だから、読み手である私たちも夫婦の性から逃げないでいよう。そして、そのことを手がかりにして夫婦という関係のありようを考えてみるのも重要なことかもしれない。
  
(2004/01/18 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日紹介するのは
  R18の本ですから、
  大人の人だけ読んでください。
  そうはいっても
  作者があの石田衣良さんですから
  若い人も読みたいだろうな。
  しかも書名が『sex』だしな。
  こそっと読みますか。
  堂々と読みますか。
  うーん。
  カバーぐらいはかけた方がいいかな。
  私は大人ですから、
  表紙むきだしでしたが。
  せめてどういうことが書かれているか
  引用したいくらいですが、
  やっぱりもう少し大人になってからが
  いいのかな。
  でも、
  読みたい若い人の欲望は
  誰にもとまらないだろうしなぁ。
  だから、今日も書いちゃいます。

  じゃあ、読もう。

sexsex
(2010/03/11)
石田 衣良

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sai.wingpen  ページを繰る指先が濡れる                     矢印 bk1書評ページへ

 人気作家石田衣良による官能短編集である。
 収録されている12篇の短編は登場人物も背景もまったく違う。同じなのはどの作品もセックスがテーマだということだけである。
 本書の「あとがき」で作者は「欲望だけでなく、社会の仕組みや経済や個人の在りかた(ときに差別や暴力や支配)など、人にかかわるすべてがあらわれてしまう」と書き、「だから、セックスはおもしろい」と続くのだが、おそらく書き手からすると、だから書きたくなるといいたいのだろう。
 ただ官能小説であるからには読み手をいかに興奮させるかが重要になる。その点ではひたすら官能描写がつづく「夜あるく」がいい。ただ欲望だけが蠢いている。
 先の「あとがき」の最後にこうある。「いい本といいセックスをたのしんでください。どちらも大人の生活には欠かせない大切な時間です」。なるほど。本のページを繰るさまは、確かに、愛撫の指先に似ているかもしれない。
  
(2010/04/10 投稿)

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 本好きな人にとっての最大の悩みは
 おそらく所蔵スペースの問題じゃないかな。
 大きなお家(うち)の人はともかく、
 普通は本のためのスペースは限られているもの。
 私ん家も昔は本棚二本が限度。
 何度かの引越しで泣く泣く処分した本は数限りなくあります。
 そんな個人的な話だけでなく、
 図書館だって同じような事情があるようで、
 昨日(4.8)の朝日新聞夕刊にこんな記事がありました。

   国会図書館 満杯寸前

 記事によると、国会図書館は「所蔵スペースの確保に苦心して」いて
 「あと7年で満杯になりそうだ」とあります。
 どうしてそういうことになったかというと、
 そもそ国会図書館には国立国会図書館法という法律があって
 そのなかで「国内で発行された出版物は、発行者が国立国会図書館に
 納める
」ように義務づけられているんですよね。
 ということで、昨今の出版点数の増加で
 どんどん納本数が増えているんだとか。
 それと本の大型化が進んでいることもあるらしい。
 特に行政関係の出版物がA4判に統一されたことも一因だとか。

 国の図書館ですから、
 私のように引越しのつど処分なんてできないし、
 なかなか難しい問題ですね。
 記事の最後にはこうあります。

   本や雑誌、新聞の電子データ化も進めているが、
    凝った装丁など、紙でなければ伝えられない資料がある。

 本当にそうですよね。
 最近世の中電子書籍のニュースが多いですが、
 やはり紙は紙なりの味わいがありますからね。
 国の財政事情も逼迫していますが、
 ぜひ所蔵スペース確保のために
 ここは予算の確保をお願いしたいものです。

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プレゼント 書評こぼれ話

  岩崎書店の「豊かなことば 現代日本の詩」シリーズの
  これが第一巻めです。
  このシリーズに高村光太郎がはいるのは
  どうかと思いたくなるほど、
  高村光太郎という詩人は
  私が子どもの頃から有名な人でした。
  多くの人に愛された詩をたくさん書いています。
  今回の書評のなかにも
  何編かの詩の一節を載せていますが、
  そのほかにも
  「あれが阿多多羅山、/あの光るのが阿武隈川。」(『樹下の二人』)
  も、よく口にしました。
  二年ほど前に福島に暮らしていたことがあって、
  この詩の気分のまま、
  この一節がなんどもリフレインしました。
  この詩のままの風景でした。

  じゃあ、読もう。

高村光太郎詩集 道程 (豊かなことば 現代日本の詩1) (豊かなことば現代日本の詩 1)高村光太郎詩集 道程 (豊かなことば 現代日本の詩1) (豊かなことば現代日本の詩 1)
(2009/10/23)
高村光太郎

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sai.wingpen  詩の魅力                     矢印 bk1書評ページへ

 小学生から読めるように漢字にふりがなのついた、「豊かなことば 現代日本の詩」シリーズの一冊。最愛の妻智恵子のことをうたった『レモン哀歌』や子どもの頃に一度は出会う『道程』などで有名な高村光太郎の詩集です。

 まず、表題作ともなった『道程』について。学校の授業で習ったことがあると思いますが、あの「僕の前に道はない/僕の後ろに道は出来る」という有名な一節ではじまる詩です。ここぐらいまでなら、いまでも空(そら)でいえます。愛唱歌ということではないですが、詩とはそもそもこの詩のようにいくつになってもふと口について出てくる、そういうものだったのではないでしょうか。
 記憶することで、詩人の魂と共鳴しあえるもの。

 それは、妻智恵子のことを詠んだいくつもの詩についてもいえます。「智恵子は東京に空が無いといふ、/ほんとの空が見たいといふ。」の『あどけない話』にしても、多くの人がこの詩のはじまりを知っていると思います。何度もなんども耳にし、目で見、そして自分の口でうたったから。
 繰り返すことで、詩は自分のうたになります。
 あるいは、有名な『レモン哀歌』。「そんなにもあなたはレモンを待ってゐた」で始まるこの詩を何度読んだことでしょう。レモンを齧りながら、一瞬意識を取りもどす智恵子の姿にどれほど胸うたれたことか。そういう心のさまが、今も私にはあります。

 久しぶりに読んだ高村光太郎ですが、あらためて詩の魅力を感じた一冊となりました。
  
(2010/04/08 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日紹介する黒田三郎は、
  1919年生まれの詩人です。
  1980年になくなっていますが、
  今でも人気のある詩人ではないでしょうか。
  現代日本の詩の範疇として、
  はずせない一人なんだと思います。
  岩崎書店のこの「豊かなことば 現代日本の詩」は、
  いつも書評のはじめに書いているように
  小学生から読めるように企画されたシリーズですが、
  黒田三郎の詩を読んで、
  小学生がどのように感想を抱くのか
  聞いてみたい気がします。
  案外、娘ユリとの攻防? は
  楽しく読める詩なのかもしれません。

  じゃあ、読もう。

黒田三郎詩集 仕度 (豊かなことば 現代日本の詩 4) (豊かなことば現代日本の詩 4)黒田三郎詩集 仕度 (豊かなことば 現代日本の詩 4) (豊かなことば現代日本の詩 4)
(2009/11/27)
黒田三郎

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sai.wingpen  悲しい怪物                     矢印 bk1書評ページへ

 小学生から読めるように漢字にふりがなのついた、「豊かなことば 現代日本の詩」シリーズの一冊。とりたてて何があるわけでもない、そんな日常の生活から詩の可能性をさぐった黒田三郎の詩集です。

 それは黒田三郎にかぎったわけではないが、詩人はときに肉親の姿を詩の世界に封じ込めます。黒田三郎の場合、娘ユリのことをうたった作品群は秀逸です。
 『九月の風』は入院中の妻を見舞った際のユリとの帰路を詠んでいます。「妻はもう白い巨大な建物の五階の窓の小さな顔だ/九月の風が僕と小さなユリの背中にふく」。二人の親子ですが、まるで恋人のように描かれています。あるいは『夕方の三十分』も同じです。妻のいない夕方の情景ですが、黒田と幼いユリのたわいもない会話は、恋人同士の痴話げんかのようでもあります。だから、最後の「それから/やがて/しずかで美しい時間が/やってくる」という言葉がいきてきます。

 黒田三郎の詩を読んで感じることは、自身の姿さえも冷静にみつめる詩人の姿です。詩人黒田三郎は自分自身さえ詩にしていきます。そこにはまるで別個の人格があるようです。
 先の娘ユリの詩のなかに登場するどうしようもない父親を、詩人は静かにみつめています。あるいは、『たかが詩人』のように、「たかが」という言葉に客観視された自分自身があります。それは、この詩集の最後に収録されている『遺書』という詩にも感じます。

 詩人は肉親だけでなく、やがて自分の身も食べ尽くしてしまう悲しい怪物です。
  
(2010/04/07 投稿)

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 母の入院、そして死とかで
 「さいたまブッククラブ」への参加が
 二ヶ月続けて欠席となってしまいました。
 それに、先月の終わりにでた、
 雑誌「AERA」(3/29号)に掲載されていた
 読書会の記事をブログに書けなかったので
 書いておくことにします。
 なにしろ、その記事のなかで、
 わが「さいたまブッククラブ」も紹介されていましたので。

 記事のタイトルは、
 「20代、30代に広がる友達でも同僚でもない関係 読書会は新しい居場所」。
 雑誌記事
 リード文にはこうあります。

   年配の人のものというイメージのあった読書会に、
   20代、30代の参加者が急増している。
   会社以外のつながりがほしい人たちの居場所になりつつある。

 なるほど。新しい居場所ですか。

 記事では全国のたくさんある読書会のなかから、
 わが「さいたまブッククラブ」も紹介されていて、
 主宰者のNさんが取材にこたえています。
 以下、記事の抜粋です。

   Nさん自身、会社に勤めながら、09年3月から
   地域の人たちに呼びかけて読書会を始めた。十数人と
   少数だが、自衛隊の是非を問うような議論に発展した
   こともある。

 なんか「自衛隊」って書かれちゃうと、
 堅苦しい感じがして、少し違うのですが、
 たまたまあの時はそういうふうに話がいってしまっただけで、
 新しく入りたいと思っている人のために書いておきますが、
 もっと和気藹々としていますよ。

 ただ、記事にもありますが、
 今の読書会ブームの背景に「勉強本」ブームがあって
 そのことに固守してしまうのはどうかな、と
 私は思っています。
 本というのは、本当に無限の世界で
 そのなかからどう考えるかということを通じて、
 自身の生活を豊かにしていく営みだと思います。
 その豊かさを共有しあうのが、
 読書会のひとつのありようではないでしょうか。

 記事では読書会を通じて
 結婚にまで至った人たちの取材もありましたが、
 まあ人が集まる場ですから、
 そういうこともあるのかなということで、
 そのことが特別扱いされることでもないでしょう。
 ちなみに、「さいたまブッククラブ」では
 そういうケースに至っていません。
 それって、幸せなことなのか、
 不幸なことなのか、
 私にはわかりませんが。

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プレゼント 書評こぼれ話

  母が亡くなって2週間が経ちました。
  咲き始めだった桜は、
  ようやく満開になりました。
  今年は花見などできないだろうと思っていましたが
  なんだかたくさんの桜を見ることができました。
  さくら
  千鳥が淵の桜や
  六本木の桜や
  浦和の公園の桜や。
  昨日は近くの川べりに咲いている桜を
  見ながら歩きました。
  有名な名所だけでなく
  ご近所の桜を愛でるのもいいですね。
  今日紹介する武鹿悦子さんの詩は
  そんなこっそり見つけた
  桜の木に似ています。
  ふふふ、とうれしくなります。

  じゃあ、読もう。

武鹿悦子詩集 たけのこ ぐん! (豊かなことば 現代日本の詩 8) (豊かなことば現代日本の詩)武鹿悦子詩集 たけのこ ぐん! (豊かなことば 現代日本の詩 8) (豊かなことば現代日本の詩)
(2010/01/26)
武鹿 悦子

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sai.wingpen  春にであえて                     矢印 bk1書評ページへ

 小学生から読めるように漢字にふりがなのついた、「豊かなことば 現代日本の詩」シリーズの一冊。知らない詩人をひとり見つけました。野原でちいさく咲いている黄色い花を見つけたみたいにうれしい、武鹿悦子の詩集です。

 武鹿悦子さんの詩は教科書にもたくさんの詩が採用されたそうですし、日本童謡賞やサトウハチロー賞などの受賞歴もありますから、知らなかったのは私だけかもしれません。手のひらにつかまえたバッタのように、こころのなかでつんつん飛び跳ねるような詩の連続にうれしくなります。
 言葉は簡単ですが、詩人の心は自由です。春のスキップのようです。

 『あくしゅ』という詩。その前半部分。「あくしゅは/てと ての でんわ/ことばが つたわる/ことばが つながる」。少しも難しい言葉はありません。漢字ひとつない詩です。それでも、握手(あくしゅ)って、こうだよなと、うなづいてしまいます。そういう力が武鹿さんのたくさんの詩にあふれています。
 そして、握手を電話だと想像できることの素晴らしさ。固いおとなの頭ではなかなか浮かんでこないことです。それが子どもの手のようにやわらかく、魔法使いのように鮮やかに、言葉がことばをつないでくれます。もうどの詩をとってもそうなのですが、『おへそ』では、おへそがお母さんと別れた痕だと書いて、最後にこうつづきます。「涙がひと粒はいるだけ/ほろりと/くぼんで」。なんとかわいいおへそでしょう。

 この詩集の収められた56編の詩は、できるなら声にだして読んでみたい。きっと花の木に群がる小鳥のように、たとえば『うぐいす』に書かれたように「うちゅうが 一しゅん/しん、とする」にちがいない。
 この詩集と春にであえてよかったなあ。
  
(2010/04/05 投稿)

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 歳時記をひらくと、
 桜はもちろんのこと、それに関する季題が
 たくさんあります。
 たとえば、花冷え
 たとえば、花曇り
 昨日もどちらかというとしっかりしない天気で
 ぱあっと春の陽射しでもありませんでした。

 そんな土曜の午後、
 美術館
東京・六本木にある国立新美術館
 「ルノワール展」を観てきました。
 東京での開催は4月5日までなんですが、
 なかなか出かける機会がなくて、
 閉会直前になってしまいました。
 まあいろいろ個人的にもありましたから、
 絵画にふれるのもいいでしょう。

 なにしろルノワールは「幸福の画家」とも
 呼ばれた人ですから、
 今の私にはちょうどいいかもしれません。
 ルノワールといえば、
 豊満でふくよかな女性画をたくさん描いていますが
 私の亡くなった母もルノワールの描く女性に近かった。
 綺麗とかいうことでなく、
 豊かさという点で。
 ルノワールの描く女性たちには
 生命の生み出る力があります。
 生きていく喜びの発露があります。
 今回の展覧会で、たくさんのルノワールの女性画に接することが
 できます。
 そういうものに触れたかったのです。

 それ以外にも多くの肖像画や
 花の絵も展示されています。
 ルノワールはこんな言葉を残しています。

  絵というものはぼくにとって、愛すべきもの、
  愉しくて美しいものでなければならないんだよ。
  そう、美しいものだ!

 これにつづく言葉がいいんですよね。

  人生には厭なことが多すぎるんでね、
  これ以上厭なものなんかこしらえたくないんだよ。

 なんとなくルノワールの魅力が
 理解できそうではないですか。

 この展覧会、4月17日から
 大阪中之島の国立国際美術館で開催されるそうです。
 ぜひ機会があれば。

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プレゼント 書評こぼれ話

  昨日は「社長」の話でしたので、
  今日は「会社」の話。
  「会社」というより
  さまざまな働く場として読んで頂けたらいいと
  思います。
  働くというのは
  どういう形であれ誰もが経験することです。
  その場がやはりよければ
  とても働きやすいはずです。
  それは、誰が考えるということでなく
  一人ひとりがそのことを考えていくべきなんでしょうね。
  今日紹介する小笹芳央さんの『会社の品格』の書評は
  2008年に書いた蔵出し書評ですが、
  今でも十分通じるのではないでしょうか。

  じゃあ、読もう。

会社の品格 (幻冬舎新書)会社の品格 (幻冬舎新書)
(2007/09)
小笹 芳央

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sai.wingpen  「会社」にいるのは人間という存在            矢印 bk1書評ページへ

 「カイシャ」に入って、三十年近くなる。幸か不幸か、「カイシャ」の盛衰を身をもって味わってきた。リストラでやめていった先輩たち、自ら新たな職を求めて去った同僚たち。何年後には元に戻すと説明されて下げられた給料は訳のわからない制度の変更でうやむやになり、株価の下降に青色吐息する経営陣とその周辺の様子に本当にこの会社は大丈夫なのかと思いつつ、それでいてやめる勇気もなく、「カイシャ」は度重なる経営陣の交代のあと何とか潰れずに残った。
 それで、自身はといえば、いつの間にか、子会社とはいえ何百人と社員のいる会社の経営を任される立場になった。いわゆるサラリーマン経営者である。元従業員、そして今経営者という立場で「会社の品格」をどう見るか。本書はそのための一つのヒントたりえたか。

 本書は「会社の品格」を、「組織の品格」「上司の品格」「仕事の品格」「処遇の品格」という社員視点の4つから検証している。
 なぜ社員視点なのかは、本書の中でも説明されているが「社員こそ、本来の会社の関与者だから」(6頁)という考え方が根底にある。そのことに異論はない。「カイシャ」という人格を監視抑制できるのは確かに社員の視点が大きな要素であり、それは著者もいうように社員こそが最大の投資家であり、顧客だということだ。
 その一方で、本書は「経営者の品格」についてわずかな紙数しか割いてはいない。元従業員であった立場でいえば、実は「会社の品格」をおおいに左右するのは「経営者の資質」そのものであると考えている。著者のいう社員視点の考え方で「会社の品格」が保持できたとしても、それ以前の品格の成り立ちとして、経営者が品格に対しどのような考え方をもつかは大変重要な課題だと思う。
 そのアプローチなくして「会社の品格」は語れない。

 その一方で、経営者の立場でみた場合、「社員の品格」はどうなのかと問いたい。
 「経営者の品格」と同様「社員の品格」についてもわずかな説明がなされているが(実際このふたつは同じ章立てになっている)、変革をおそれて旧態依然のことを良しとする社員が果たして「会社の品格」に対し警鐘を鳴らすことができるだろうか。そういう社員に誰がしたとばかりに経営や上司ばかりにその責任を押し付けることこそ問題があるような気がする。
 つまり「カイシャ」というのはそれぞれが人間である経営者と社員から成り立っているところに危うさも、希望もあるといえる。すべてにおいて完璧な人間など多分ほとんどいないだろう。そういう人間たちが「カイシャ」を経営もし、社員として「カイシャ」を動かしてもいるのだ。
 品格のある人もあればない人もいる。それはどの立場であってもそうだ。(もちろん、経営する側からいえばそれをすべて肯定するのではなく、経営は常に品格をもたないといけない責任があることを否定しないが)だからこそ、あえて本書でわずかしか書かれなかった項目にこそ、「会社の品格」にかかわる大きな問題があるような気がする。なぜなら、「会社」を構成するのは、人間そのものだから。
  
(2008/01/29 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  先ごろ発表された「新入社員のアンケート調査」(明治安田生命)で
  「将来目指す役職」という項目があって、
  トップが「役職には興味がない」(46.7%)ということだったらしい。
  「社長」になりたいと思っている人はわずか7.9%。
  そんなものなんですかね。
  その一方で、「一生同じ会社に勤めたい」という人は
  51.9%もあったりして、
  氷河期といわれた就職戦線を戦ってきた
  新入社員のみなさんは、
  大きな夢というより、
  安定を求めているのだと
  感じますね。
  冬がおわれば、春になるように
  今が不況だからといって
  それがいつまでもつづくことはありません。
  もっとも、
  逆もあって今好調だからといって、
  それが未来永劫つづくことはありません。
  今日紹介する小宮一慶さんの『社長の教科書』を読んで
  どうぞ、
  夢は大きく
  はばたいていってください。

  じゃあ、読もう。

社長の教科書―リーダーが身につけるべき経営の原理原則50社長の教科書―リーダーが身につけるべき経営の原理原則50
(2010/02/19)
小宮 一慶

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sai.wingpen  「社長」ぐらいは目指そうよ                     矢印 bk1書評ページへ

 まずはじめに書いておくと、著者である小宮一慶さんは「社長」について本書のなかでこんなふうに書いています。「経営者は何も偉いから経営者なのではなく、そういう役割なのです。社長という役割であって、特権階級でも何でもありません」(247頁)。
 つまり、この本は『社長の教科書』となっていますが、けっして二代目社長や虎視眈々と社長の椅子をねらっている重役たちのために書かれたものではなく、「社長」という役割を学ぶためのものだということです。
 ちょうど経理や財務を志す人が簿記や税務を勉強するように、「社長」というものもその「役割」にそった勉強が必要なのです。

 よく「一流の選手だからといって一流の監督になれない」と言われますが、「社長」も同じことがいえるでしょう。営業でトップの成績をおさめたからといって、いい「社長」になるとは限りません。営業で常に二番手、三番手だった人でも、「社長」の役割についてきちんと学んだ人はよき経営者になる可能性はあります。ここはとても大事なことだと思います。
 何故、彼らに差が生じるのか。それはリーダーとしての役割をいかに学び、理解したかだと思います。

 小宮一慶さんは、経営の本質とは次の三つだと書いています。
 企業の方向付けと資源の最適配分、そして人を動かす、です。
 本書はそれら三つについて、「社長」が果たすべき役割をわかりやすく丁寧に書かれたものですが、これから「社長」をめざす二代目社長や幹部社員だけでなく、若い人たちにも読んでもらいたい一冊です。
 繰り返しになりますが、「社長」とは会社をより良き方向に導く、そんな役割を担った役職だということです。それが理解できれば、本書で小宮一慶さんがいわんとしていることの大部分が理解できるのではないでしょうか。
  
(2010/04/02 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日から4月

   人の上に思ひおよべば四月来る  榎本好宏

  今年社会に出る人にとっては
  初出勤の、緊張の1日かもしれません。
  そんなわけで、今日は蔵出し書評
  山口瞳さんの『諸君! この人生、大変なんだ』を
  紹介します。
  書いたのも、もう6年も前になりますので
  少し内容が古くなっていますが、
  本質はあまり変わっていないんじゃないでしょうか。
  書評のなかにもありますが、
  毎年新入社員の型が日本生産性本部から公表されていて
  今年2010年の新入社員のタイプは「ETC型」だそうです。
  「性急に関係を築こうとすると直前まで心の「バー」が開かないので、
  スピードの出し過ぎにご用心
」だとか。
  当たっているでしょうか。

  じゃあ、読もう。

新装版 諸君!この人生、大変なんだ (講談社文庫)新装版 諸君!この人生、大変なんだ (講談社文庫)
(2003/09)
山口 瞳

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sai.wingpen  新入社員諸君!一度は山口瞳を読んでおけ!             矢印 bk1書評ページへ

 社会経済生産性本部が毎年その年の新入社員のイメージを短い言葉で命名しているが、今年(二〇〇四年度)の新入社員は「ネットオークション型」だそうだ。昨年は「中高年に使いこなしきれない」という意味で「カメラ付きケータイ型」だったらしいが、今年はネットオークションという言葉そのものがわからない中高年も多いのではないだろうか。社会経済生産性本部によると「ネット上で取引が始まり、よいものには人気が殺到しさっさと売れる一方で、PR不足による売れ残りも多数。一方でブランド名やアピールに釣られて高値で落札(採用)したものの、入手後にアテが外れることもある」という意味だそうだ。

 ネット上での取引ってどういうことかと首をひねられる人もいるだろうが、最近の就職活動はインターネットを使って行なわれる。一次試験なども会社に出向くことなくネットで行い、合否が戻ってくるような仕組みの会社もある。だから、就職活動にはパソコンは必携のものになっている。私が就職した七〇年代終りの頃は就職解禁日といわれた十月一日に人気企業のビルのまわりを大勢の学生が取り囲んだものだから、就職活動も大きく変わったといえる。

 若い人たちのことをとやかく言う中高年は多いが、新入社員の意識は結構シビアである。冒頭の社会経済生産性本部が新入社員を対象に行なっている調査によれば、「就労意識」調査で「これからは終身雇用ではないので会社に甘える生活はできない」と答えた新入社員が九二%もいたという。また「いずれリストラされるのではと不安だ」と答えた新入社員が四〇%もいる。そんな時代だといってしまえばそれまでだが、やはり若い彼らに明るい未来を指し示めしてあげれない今の社会はどこか間違っているようで、先輩社員として気が重い。

 こんな時代に山口瞳がいれば、どんな言葉を新入社員たちに発しただろうかと考える。かつて山口瞳は毎年四月一日の新聞広告で「新入社員諸君!」で始まる文章を書き続けた。この文庫版にも載っている。「あわてず、おそれず」「細心かつ大胆」「初心忘るべからず」といった表題がついているが、そのどれもが山口瞳らしいユーモアとウエットにとんだ短文で、洋酒会社の広告とはいえ、多くの若者たちが励まされたことだろう。山口瞳がそんな文章で若者たちを勇気づけていた時代とは違った様相の社会になってしまったが、山口瞳が言おうとした意味合いは変わらないはずだ。

 新入社員諸君! でも、残念なことに山口瞳は九五年に逝去した。会社の中にも山口瞳的な先輩社員は少ないだろう。だから、せめて一度は山口瞳の本を読むのも必要だ。山口瞳が言い続けたことはある意味では永遠の教えでもあるのだから。この人生、大変なんだ。
  
(2004/04/04 投稿)

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