04/03/2010 会社の品格 (小笹 芳央):書評

昨日は「社長」の話でしたので、
今日は「会社」の話。
「会社」というより
さまざまな働く場として読んで頂けたらいいと
思います。
働くというのは
どういう形であれ誰もが経験することです。
その場がやはりよければ
とても働きやすいはずです。
それは、誰が考えるということでなく
一人ひとりがそのことを考えていくべきなんでしょうね。
今日紹介する小笹芳央さんの『会社の品格』の書評は
2008年に書いた蔵出し書評ですが、
今でも十分通じるのではないでしょうか。
じゃあ、読もう。
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「カイシャ」に入って、三十年近くなる。幸か不幸か、「カイシャ」の盛衰を身をもって味わってきた。リストラでやめていった先輩たち、自ら新たな職を求めて去った同僚たち。何年後には元に戻すと説明されて下げられた給料は訳のわからない制度の変更でうやむやになり、株価の下降に青色吐息する経営陣とその周辺の様子に本当にこの会社は大丈夫なのかと思いつつ、それでいてやめる勇気もなく、「カイシャ」は度重なる経営陣の交代のあと何とか潰れずに残った。
それで、自身はといえば、いつの間にか、子会社とはいえ何百人と社員のいる会社の経営を任される立場になった。いわゆるサラリーマン経営者である。元従業員、そして今経営者という立場で「会社の品格」をどう見るか。本書はそのための一つのヒントたりえたか。
本書は「会社の品格」を、「組織の品格」「上司の品格」「仕事の品格」「処遇の品格」という社員視点の4つから検証している。
なぜ社員視点なのかは、本書の中でも説明されているが「社員こそ、本来の会社の関与者だから」(6頁)という考え方が根底にある。そのことに異論はない。「カイシャ」という人格を監視抑制できるのは確かに社員の視点が大きな要素であり、それは著者もいうように社員こそが最大の投資家であり、顧客だということだ。
その一方で、本書は「経営者の品格」についてわずかな紙数しか割いてはいない。元従業員であった立場でいえば、実は「会社の品格」をおおいに左右するのは「経営者の資質」そのものであると考えている。著者のいう社員視点の考え方で「会社の品格」が保持できたとしても、それ以前の品格の成り立ちとして、経営者が品格に対しどのような考え方をもつかは大変重要な課題だと思う。
そのアプローチなくして「会社の品格」は語れない。
その一方で、経営者の立場でみた場合、「社員の品格」はどうなのかと問いたい。
「経営者の品格」と同様「社員の品格」についてもわずかな説明がなされているが(実際このふたつは同じ章立てになっている)、変革をおそれて旧態依然のことを良しとする社員が果たして「会社の品格」に対し警鐘を鳴らすことができるだろうか。そういう社員に誰がしたとばかりに経営や上司ばかりにその責任を押し付けることこそ問題があるような気がする。
つまり「カイシャ」というのはそれぞれが人間である経営者と社員から成り立っているところに危うさも、希望もあるといえる。すべてにおいて完璧な人間など多分ほとんどいないだろう。そういう人間たちが「カイシャ」を経営もし、社員として「カイシャ」を動かしてもいるのだ。
品格のある人もあればない人もいる。それはどの立場であってもそうだ。(もちろん、経営する側からいえばそれをすべて肯定するのではなく、経営は常に品格をもたないといけない責任があることを否定しないが)だからこそ、あえて本書でわずかしか書かれなかった項目にこそ、「会社の品格」にかかわる大きな問題があるような気がする。なぜなら、「会社」を構成するのは、人間そのものだから。
(2008/01/29 投稿)

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