04/07/2010 黒田三郎詩集 支度:書評

今日紹介する黒田三郎は、
1919年生まれの詩人です。
1980年になくなっていますが、
今でも人気のある詩人ではないでしょうか。
現代日本の詩の範疇として、
はずせない一人なんだと思います。
岩崎書店のこの「豊かなことば 現代日本の詩」は、
いつも書評のはじめに書いているように
小学生から読めるように企画されたシリーズですが、
黒田三郎の詩を読んで、
小学生がどのように感想を抱くのか
聞いてみたい気がします。
案外、娘ユリとの攻防? は
楽しく読める詩なのかもしれません。
じゃあ、読もう。
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小学生から読めるように漢字にふりがなのついた、「豊かなことば 現代日本の詩」シリーズの一冊。とりたてて何があるわけでもない、そんな日常の生活から詩の可能性をさぐった黒田三郎の詩集です。
それは黒田三郎にかぎったわけではないが、詩人はときに肉親の姿を詩の世界に封じ込めます。黒田三郎の場合、娘ユリのことをうたった作品群は秀逸です。
『九月の風』は入院中の妻を見舞った際のユリとの帰路を詠んでいます。「妻はもう白い巨大な建物の五階の窓の小さな顔だ/九月の風が僕と小さなユリの背中にふく」。二人の親子ですが、まるで恋人のように描かれています。あるいは『夕方の三十分』も同じです。妻のいない夕方の情景ですが、黒田と幼いユリのたわいもない会話は、恋人同士の痴話げんかのようでもあります。だから、最後の「それから/やがて/しずかで美しい時間が/やってくる」という言葉がいきてきます。
黒田三郎の詩を読んで感じることは、自身の姿さえも冷静にみつめる詩人の姿です。詩人黒田三郎は自分自身さえ詩にしていきます。そこにはまるで別個の人格があるようです。
先の娘ユリの詩のなかに登場するどうしようもない父親を、詩人は静かにみつめています。あるいは、『たかが詩人』のように、「たかが」という言葉に客観視された自分自身があります。それは、この詩集の最後に収録されている『遺書』という詩にも感じます。
詩人は肉親だけでなく、やがて自分の身も食べ尽くしてしまう悲しい怪物です。
(2010/04/07 投稿)

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