04/30/2010 図書館の神様(瀬尾 まいこ):書評

今日4月30日は図書館記念日。
1950年のこの日に図書館法が公布されたのにちなんで
制定されたそうです。
図書館をもっと身近に 暮らしの中に
そんな風に書かれたポスターを
近くの図書館で見かけました。
私は毎週一度は必ず図書館に行きます。
昔は図書館の端から端まで
みていたものですが、
最近の図書館はとても便利になって
コンピュータで検索してしまうことが
多くなりました。
これはこれでいいのですが、
やはりじっくりと書架の本たちを
ながめてみたいですよね。
今日は、図書館記念日を祝って
瀬尾まいこさんの『図書館の神様』を
蔵出しで紹介します。
じゃあ、読もう。
![]() | 図書館の神様 (2003/12/18) 瀬尾 まいこ 商品詳細を見る |


<小説の神様>と呼ばれた志賀直哉の代表作に『小僧の神様』という短編があります。もちろん、こうして神様だらけの文章から書き始めたのは、瀬尾まいこさんの素敵な物語『図書館の神様』に誘発されてのことです。(ちなみに志賀の名作といわれるこの短編を図書館で読もうとすると、児童書の棚から借り出す方が容易です。<小説の神様>も<図書館の神様>の気まぐれにはどうしようもないのかもしれません)
志賀直哉が<小説の神様>と呼ばれる所以は、その冷静な視線ゆえです。
たまたま私が図書館で借りた『小僧の神様』は講談社の青い鳥文庫のものですが、その解説(児童文学者の藤田のぼるさんが書いています)に志賀の文学の有り様がこう説明されています。
「自分自身をも含めて客観的な目で描ききるところに、彼の文学の真価があります」そして、志賀のことを理性の作家と表現しています。
では、そんな理性の作家あるいは<小説の神様>と呼ばれた志賀の書いた『小僧の神様』が面白いかというと、ちっとも面白くない。寿司を食べたいと思っている小僧さんに寿司を食べさせてあげる議員のA氏。食べさせてあげたという善行がA氏に「変なさびしい気持ち」をもたらす。寿司を食べれたのは神様のおかげかもしれないと思う小僧の気持ち、善い行いはしたもののどうもすっきりしない大人の感情、みんな志賀が書いている。
国語の教科書的にはそれでもいいのでしょうが、読み物としてちっとも面白くない。それでも名作といわれているから、教科書に載ったり副読本として使われたりする。図書館にはもちろんあります。
でも、今の子供たちにはこんな物語はつまらないんじゃないか。
瀬尾さんの『図書館の神様』の方がよほど面白い。
主人公の学校の講師(まだ正式には先生ではない、先生未満の人)が不倫していたり、教育に熱心でなかったり、どうも教育的にはよくないともいえる。
それでも主人公の清という女性は本ということをを手がかりにして、どんどん成長していく。実らない愛も別れていく人たちも、清という主人公の心の成長で悲しくはあるけれど、つらくは描かれていない。こんな素敵な物語を若い人たちにぜひ読んでもらいたい。
「うまい下手にかかわらず、知っている人の書く言葉はちゃんと心に響く」。
これはそろそろ自分のしていることを自覚し始めた頃の、主人公清の気持ちですが、こういった自然な心の向き合い方が新しいものを求めていくように思います。
もし本当に<図書館の神様>がおられたら、瀬尾さんのこの本こそ児童書の棚にこそっと並べられるのではないでしょうか。
(2004/02/29 投稿)

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