プレゼント 書評こぼれ話

  今日紹介するのは、
  映画評論家・文筆家川本三郎さんの
  『いまも、君を想う』。
  町の本屋さんでもらった新潮社のPR雑誌「」を読んで、
  見つけた一冊です。
  「波」のなかには重松清さんと映画監督の西川美和さんが
  書評を書いています。
  重松清さんは「微笑みながらの逍遥である」と書き、
  西川美和さんは「人間同士のつながりの奥行きは、
  相手とどれだけ取るに足らない時間を過ごしたかで変わってくる
」と
  書いています。
  愛する妻を亡くした男の、
  これはぽつんと寂しい文集だが、
  ぜひ多くの男性に読んでもらいたいと思います。

  ところで、サッカーW杯ですが、
  岡田ジャパン残念でしたね。
  ああいう局面になると、
  サッカーというのは残酷なスポーツだと思います。
  最後はああいう結果になりましたが、
  勝敗ですから、
  誰かが駒野選手の役目を負わなければならない。
  結果は残念でしたが、
  駒野選手にはさらなる成長を
  期待したいと思います。

  じゃあ、読もう。

いまも、君を想ういまも、君を想う
(2010/05)
川本 三郎

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sai.wingpen  言葉にできることの幸せ             矢印 bk1書評ページへ

 この春五十年連れ添った妻を亡くした私の父は寂しい目をするようになった。
 日頃から賑やかだった母のことを時にはうるさく思ったことがあったはずだし、性格的には少しずれた感じもしないわけではなかったが、それでも母の死後、父は少しまた老けた。
 男というのは、連れ合いに先立たれるとこたえるようだ。
 けれど、その寂しさ、つらさを文章で表現することができる人はいい。そして、たとえば城山三郎の『そうか、もう君はいないのか』や江藤淳の『妻と私』といったように、多くの人の胸をうつ作品を残してきた。
 だから、七歳年下でまだ五十七歳だった奥さんを亡くした映画評論家で文筆家である川本三郎さんはまだ仕合せなのだと思う。こうして、亡き妻の追想記を綴れるのだから。書くことで二人の生きてきた日々をふたたびたどれるのだから。
 妻の思い出を綴ることもできず、何かに耐えるように私の父はじっと静かに瞑目している。

 川本さんは本作を「何もしてやれなかった家内への詫び状」と書いているが、「詫び状」どころか生前は口幅ったくていえなかっただろう「恋文」としかいいようのない、愛情にあふれた文章がつづく。
 愛情にあふれるとは、その人の魅力を最大限に表現することだ。読者は川本恵子という一人の女性の明るさ、強さ、あたたかさに魅せられていく。
 また、奥さんの癌が判明してからの川本さんの献身的な愛情に打たれる。
 病床でなんども夫に「迷惑をかけて、ごめんね」と詫びる妻の姿に、川本さんは「妻は夫に迷惑をかけていい」ことに、「三十年以上、一緒にいてやっとそのことが分かった」と書く。
 読む者の胸に悲しみがどんとくる。

 奥さんが亡くなられたあと、友人の画家から「幸せだった思い出を語るのが、亡くなられた方にとっていちばんうれしいことではないか」と言われたと川本さんは書いている。そして、「いま、なるべく「幸せだった」頃のことを思い出すように努めて」、こうして一冊の本にまとめた。
 私の父も、また、母との「幸せだった」頃のことを思い出しているのだろうか。語られない父の話は想像するしかない。
  
(2010/06/30 投稿)

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 本を読みたいのだけど
 何を読んだらいいのかわからないという人は多い。
 そういうときに役に立つのが
 書評
 多くのオンライン書店でもレビューの形で
 書評や感想を載せています。
 もちろん、新聞や雑誌にも書評欄はあって
 たくさんの本を紹介しています。

 リアル書店も本選びには欠かせません。
 オンライン書店ではどうしても一覧性という点では
 リアル書店に勝てないような気がします。
 だから、オンライン書店とリアル書店のどちらがいいかというと
 多分使い方が違うんだと思います。

 特に本という製品は、
 単に書かれている内容だけでなく、
 手触りとか重さとかが大切な要素だと思うんです。
 最近電子書籍のことが色々話題になっていますが、
 時代はきっとそちらに方向に進むんでしょうが、
 今の本という形態は絶対に残ると思います。

 若い人が本を選ぶ方法として、
 毎年発表される「課題図書」というのがあります。
 おそらくあれの議論は諸々あると思いますが、
 私はけっこう気に入っています。
 今回2006年に書いた書評として紹介する
 中山千夏さんの『どんなかんじかな』も
 この年の「課題図書」の一冊です。

 でも、私個人的にはどんどん仕事が忙しくなって
 読書数も減っていますし、
 オンライン書店のビーケーワンに投稿した書評も
 13本という惨憺たる状況です。
 仕事と生活のバランスが崩れてきているのは
 自分でもわかっていましたが
 どうしようもなかったですね。
 少ないなかで、川上弘美さんの作品はけっこうマメに
 書いています。

 そうそう、川上弘美さんの『真鶴』の書評を書いたとき、
 ネタバレの注意をbk1書店の編集部からうけたことがありました。
 書評を書くときに絶対してはいけないネタバレですが、
 どこまでがネタバレなのか、
 難しい判断ですが。

どんなかんじかなあどんなかんじかなあ
(2005/07/01)
中山 千夏

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sai.wingpen  翼をください                     矢印 bk1書評ページへ

 今年の夏の課題図書の一冊(小学校低学年向き)である。
 本のジャンルでいえば絵本にはいるのだろうか。でも、この本の結末は紹介したくない。やはり自分で読んで、主人公のひろくんの気持ちをかんじてもらいたい。
 小学校の低学年の子供たちにはすこしどきどきする、物語の終わりかたかもしれないけれど、子供たちには彼らなりのかんじかたがあるだろうから、押し付けでない読ませ方をしたい一冊でもある。

 作者は中山千夏さん。現在たくさんの活動をしている女流作家である。この本のような絵本の原作も多く手がけている。
 今回の作品は和田誠さんが絵を担当しているが、長新太さんや安西水丸さんといった、従来の絵本作家にはない絵描きさんたちとの競演は読者にとって二重の楽しみでもある。
 でも、今の子供たちにとって中山千夏さんはきっととても未知の人でもあるのだと思う。私にとって中山千夏さんは人気番組『ひょっこりひょうたん島』の博士の声を担当した人だ。
 私の家人は『じゃりん子チエ』のチエの声優だと言った。少しだけ時間がずれている。
 もしかした私より少し年嵩のいった人なら映画『がめつい奴』に出た彼女を知っているかもしれない。つまり、中山千夏さんは多くの世代の記憶に印象を与えた人でもある。そして、子供たちにとっては、とても素晴らしい絵本のぶんを書いた人になったといえる。

 この本には障害をもった子供たちが多く描かれている。
 障害だけでなく、神戸の大震災で両親を亡くした子供の気持ちも描かれている。
 子供の頃に両親を亡くしてしまうというのも、ある意味、心の障害だろう。そのような人たちが普段どのように見たり、聞いたり、感じたりしているのだろうか。
 主人公の少年はごくさりげなく彼らのことをかんじている。
 主人公の少年がとても素晴らしく思えるのは、そのような想像の翼を持っているからだ。少年はその翼で、目が見えないことや耳が聞こえないことや、両親がいなくなることをかんじようとする。少年は自由だ。少年は誰にでもなれる。

 相手の気持ちをかんじることさえできれば、私たちはもっとやさしくなれる。慈しみや労りの気持ちがあふれ出す。
 でも、この本の主人公のように私たちは不自由ではない。
 最後のページに描かれた主人公の姿を、どうか静かに見て下さい。彼が欲しかったにちがいない、翼のことを考えてみて下さい。でも、彼は誰よりも大きな翼を手にいれたから、こんなにも他人に優しくなれたのでしょう。少年が手に入れた翼。それは、想像力。
 最後のページに中山千夏さんはどんな文字も書かなかった。そこには和田誠さんの描いた少年がいるだけ。そして、私たちの翼が少し羽ばたいた、微かな音が聞こえるだけ。
  
(2006/08/30 投稿)

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 先日(6.26)、「さいたまブッククラブ」の6月例会に
 行ってきました。
 今回も新しい人があって、全員で15人の参加になりました。
 (それにしても増えましたね)
 これだけの人がいると、
 自分が紹介しようという本を話す時間が
 だいたい5分程度になってしまいますね。
 それで、その関連の話とかが5分ぐらいありますから
 (もちろん好きなこと話してかまいません)
 全部で10分。
 今回もふたつにわかれての進行になりました。

 関連の話ってどういうことかというと、
 今回Uさん(♀)が紹介してくれた本が
 ティナ・シーリグさんの『20歳のときに知っておきたかったこと』という
 スタンフォード大学の講義を収録した本だったんですが、
 そこから、今話題のマイケル・サンデルさんの
 ハーバード大学の人気講座の話になったりという具合です。

20歳のときに知っておきたかったこと スタンフォード大学集中講義20歳のときに知っておきたかったこと スタンフォード大学集中講義
(2010/03/10)
ティナ・シーリグ

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 15人も参加していますから、
 紹介される本もいろいろありますね。
 男と女。若さと老い。
 育った環境もちがいますから、
 どうしてもそうなってしまいますね。
 小説あり、禅問答入門あり、アリストテレスあり、
 作詞集あり、遺伝学あり、なんでもありです。
 本はそういう雑多のものを吸収してしまう力がありますね。
 時々、途方にくれますが、
 でも、それが本のチカラなんでしょうね。
 私が紹介したのは、
 昨日ブログに書いた『悲しい本』という絵本。

 さて、いよいよ来月からは
 新しい試みが始まります。
 課題図書を決めて、みんなで話し合おうというもの。
 お題? は宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』。
 みなさん、どんな話をされるのかな。
 きっと話が沸騰しそう。
 熱い夏になりそうです。

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プレゼント 書評こぼれ話

  いやあ、岡田ジャパン強いですね。
  決勝トーナメント進出おめでとうございます。
  ここしばらく、日本中がサッカーW杯の話でもちきり。
  正直ここまで強いとは思いませんでした。
  デンマーク戦の本田選手のシュートなんか
  まるで外国のチームの名シーンの再現みたいな
  すごさでしたね。
  守りも完璧。
  明らかに相手の強豪チームが
  攻めあぐねていましたものね。
  まだまだこれから日本中、ヒートするでしょうね。
  がんばれ! 岡田ジャパン
  今日紹介するのは、『悲しい本』という絵本ですが、
  岡田ジャパンはもちろん
  悲しくなんかありません。
  うれしい。
  ちょっと本の選択まちがったかなと
  少しばかり反省していますが、
  いい絵本です。

  じゃあ、読もう。
  

悲しい本 (あかね・新えほんシリーズ)悲しい本 (あかね・新えほんシリーズ)
(2004/12/10)
マイケル・ローゼン

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sai.wingpen  「悲しみ」に向き合うということ               矢印 bk1書評ページへ

 表紙を開くと、一人の男がふざけた顔をして笑っている。「じつは悲しいのだが、幸せなふりをしている」という男は、大好きだった息子エディーを亡くして本当はとても悲しい。だから、彼の本当の顔はとても暗い。目もうつろだ。
 本書は、そんな男の心の葛藤をクェンティン・ブレイクの巧みな絵とマイケル・ローゼンの詩的な文章(訳は詩人の谷川俊太郎)で描きながら、「悲しみ」についてまっすぐにみつめた絵本である。

 書名に「悲しい本」とあるように、男は息子の死にうちのめされて心の空白を埋めれないでいる。思い出すのは息子との楽しかった時間だけ。しかし、その時間はとまったままだ。次のページに息子はいない。
 男はなぜ「悲しい」のかと考える。
 「いろいろなことが、前と同じでなくなったせいで」男の心に「悲しみ」がすみついてしまったのだ、と思う。
 そして、それは男だけではない。「悲しみ」はいたるところ、どんな人にもある。「悲しみ」は「人をえらばない」のだと。

 愛する人を喪うことは悲しく、つらい。
 思い出だけは心の襞にまとわりついてくるが、もう新しいなにも生みだしはしない。そういった喪失感は誰にだってある。
 しかし、それがどんなに深いものであっても、この作品の男のように「私は消えうせてしまいたい」と思うほどであっても、人は「悲しみ」の先にあるものを見つけ出す。「悲しみ」があるから、その先にあるものの深さやあかりをしっかりと感じることができる。
 ちょうど最後のページでロウソクの灯りをみつめる男のように。
 その表情はけっして明るいものではないが、最初のページの虚けた笑いの表情ではなく、生きることに向かおうとする静かな強さを秘めたものになっている。
 
 「悲しみ」から逃げるのではなく、「悲しみ」と向き合うことの大切さを教えてくれるこの絵本は、「悲しい本」であるとともに「再生の本」でもある。
  
(2010/06/27 投稿)

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 オンライン書店ビーケーワンの特色のひとつに
 「書評の鉄人」のコーナーがあります。
 どのような選考がされているのかはわかりませんが、
 たぶん何本か書評を投稿して、
 それが充分に読みごたえがあれば、
 bk1書店の編集部から推薦があります。
 この「書評の鉄人」が始まったのが2005年

 鉄人第一号は「まざあぐうす」さん。そのあと「よっちゃん」さん、「平野雅史」さんと
 続きます。
 私はこの年の終わりに「書評の鉄人」に選ばれました。
 13人目の「鉄人」になります。
 いまでは「鉄人」の数も230人を超えましたから、
 私なんか初期も初期、そろそろ錆びついてきた「鉄人」というところですね。

 bk1書店の編集部では、
 「文芸書、人文書、ビジネス書を中心に書評を書かれています。
 まるで随筆のような、味わい深い文章です
」なんていう
 うれしいような、恥ずかしいような
 推薦文を書いていただきました。
 私は次のようなコメントを書きました。

  三田誠広の芥川賞受賞作で「僕って何」という小説があったけれど
  本を読んだり書評を書いたりするのは私にとっての「僕って何」であり、
  自分さがしだと思っている。五十歳を過ぎても本当の自分を見つけられなくて
  未だうろうろしているのだ。
  「もういいかい」「まあだだよ」
  私と本たちのかくれんぼはまだまだつづきそうだ。

 うーん。きどってますね。
 でも、正直「書評の鉄人」に選ばれたのは
 うれしかったですね。
 新しい「鉄人」のみなさんも、
 それぞれの書き方でがんばっていますから
 私も現役「鉄人」としてまだまだ書きますよ。

 でも、この年の書評投稿の数も50件
 「書評の鉄人」にしてはさびしいかぎりです。
 今回斎藤美奈子さんの『誤読日記』の書評を選んだのは、
 なんだか私らしい、
 bk1書店風にいえば、「随筆」のような作品かなということで
 選んでみました。

 この年にはベストセラーになった
 山田真哉さんの『さおだけ屋はなぜ潰れないのか?』の
 書評も書いていたりします。

誤読日記誤読日記
(2005/07/15)
斎藤 美奈子

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sai.wingpen  熱中症にご用心                     矢印 bk1書評ページへ

 今年の夏は暑い。まあ夏だから暑いのは当然だし、毎年そのようなことを言っているような気もするが、真夏日が何日間連続とか今夜も熱帯夜でとか報道されるとげんなりする。この時期熱中症という言葉をよく聞く。これは身体の外と内の熱さによって引き起こる体調の不調を総称した症状らしい。昔よく言われていた日射病は熱中症の軽度の症状で、重度になると死亡ということもあるから夏の暑さも侮れない。予防としては、暑い時の過度な運動を避けることとか爽やかな服装とか適度に水分を補給するとからしいので、緑陰読書でもした方がいいかもしれない。
 でも、読む本はちゃんと選ばないと、本の熱中症になりかねない。斎藤美奈子の『誤読日記』は175冊のさまざまな本の書評集なのだが、斎藤自身が書いているように「質はともかく量だけはたっぷり、飽きるほど」あるし、紹介されている本の選書はドラマの原作本があったり実用書があったりベストセラーがあったり「いかにもたこにもミーハー」で、それに斎藤自身の毒素が加わるのだからたまらない。決して涼しげな読書体験とはならないに違いない。そこで予防のために<斎藤美奈子熱中症>の特徴を整理しておこう。
 この症状にかかりやすい人だが、性格的にまじめな人とか引っ込み思案な人は気をつけた方がいい。斎藤の熱をそのまま受け止めかねない。だから、斎藤の著作がこれが初めてという人はもう少し無難な『読者は踊る』とか『趣味は読書。』といった作品で斎藤の口調とか毒素に慣れてからがよろしいかと思う。体力の弱い人や体調不良の人は読書体力をつけてからの方がいいだろう。熱中症は急に暑くなった時などに起こしやすいが、<斎藤美奈子熱中症>も同じ。斎藤美奈子を少しずつ馴れていくことが必要だ。
 でも、もし万が一<斎藤美奈子熱中症>にかかった場合は早めに頁を閉じるしかないかもしれない。または水分補給してからもう一度読み始めては。でも、この効果は保証の限りではない。○○本文
  
(2005/08/14 投稿)

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 ちょうど2年前の今頃、
 今回の「雑誌を歩く」で紹介する
 「サライ」7月号(650円・小学館)の大特集にあるように
 「宮沢賢治を旅」したことがあります。
 東北新幹線で新花巻駅を下車。
 まずは「宮沢賢治童話村」に立ち寄って、
 そのあと「宮沢賢治記念館」「イーハトーブ館」と立ち寄りました。
 そして、花巻市にはいって名物わんこそばを食べ、
 そのあと高村光太郎が彫ったという、
 賢治詩碑を見てまわりました。
 あれから、2年なんだ、と妙にしんとします。
 どうして、あのとき、
 私は宮沢賢治を旅しようとしたのか、
 宮沢賢治の命の旅に同行しようという気持ちが
 あったのかもしれません。

サライ 2010年 07月号 [雑誌]サライ 2010年 07月号 [雑誌]
(2010/06/10)
不明

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 今回の「サライ」は、そんな宮沢賢治を徹底解剖しています。
 題して、「美と慈愛を言葉で紡いだ、土と信仰の詩人
 宮沢賢治を旅する
」です。
 リード文から引用すると、
 「そして今、現代人は賢治から何を学ぶのか、
 その普遍かつ新鮮な教えに倣い、壮大な”宇宙”に近づく

 とあります。
 そして、この特集の巻頭言として
 詩人でもあり評論家でもある吉本隆明さんがこんなことを
 語っています。

   宮沢賢治は聖なる存在、「セイント」(聖人)である。
   それが僕の今の考えです。

 特集の第一部は「その生涯と宇宙」。
 豊富な写真と丁寧な記事でいいですね。
 有名な「雨ニモマケズ」は、綴られたいた手帖の写真とともに
 紹介されています。
 それに、私も行った「宮沢賢治記念館」に展示されていた
 愛用のチェロもしっかり紹介されています。
 第二部は「旅の軌跡、人生の足跡 イーハトーブを巡る」で
 賢治のふるさと花巻や盛岡が地図の便利帖つきで
 紹介されています。

 私もこれがあったらもっといろんなところを
 見てまわれたかもしれませんが、
 花巻をでて、そのあと盛岡市もみてまわりましたから
 結構思い出に残る旅ができました。

 今回の「サライ」7月号では、
 もうひとつ特集があって、
 「家での一杯が変わる。
 目からウロコの旨いビールの飲み方
」がそれ。
 そのヒントは本誌をお読みいただくとして、
 夏に旨いビールを飲みながら、
 宮沢賢治を読むなんて最高ですね。
 贅沢すぎる気がしますが。

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プレゼント 書評こぼれ話

  昨日記事を書いた「オルセー美術館展2010<ポスト印象派>」には
  7点のゴッホの作品が展示されています。
  そのなかでも「星降る夜」の素晴らしさといったら
  どう表現すればいいのかな。
  この作品を見るだけでも、
  今回の展覧会は値打ちがあります。
  そのほかにも、
  「自画像」や「アルルのゴッホの寝室」など名作がずらり。
  というわけで、
  今日はゴッホつながりの一冊です。
  いせひでこさんの絵本『にいさん』。
  ゴッホと弟のテオの兄弟愛は有名ですが
  この絵本はその物語が
  いせひでこさんの素敵な絵ととも
  描かれています。
  先日記事にした落合恵子さんの『絵本処方箋』で
  紹介されていて見つけました。
  ゴッホの絵に秘められた
  弟テオの愛情を
  この絵本で感じられたら、
  ゴッホの魅力も増すのではないでしょうか。

  じゃあ、読もう。    


にいさんにいさん
(2008/03)
いせ ひでこ

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sai.wingpen  星の歌をきいたゴッホ                     矢印 bk1書評ページへ

 この『にいさん』は印象派の画家ヴィンセント・ヴァン・ゴッホとその弟である画商テオドルス・ヴァン・ゴッホ(通称テオ)の物語を絵本の形で表現した、美しい物語である。
 作者のいせひでこは1990年からゴッホの足跡をたどりつづけて、すでに何冊かゴッホ関連の本を上梓している絵本作家である。

 ゴッホほど日本人に愛された画家はいないかもしれない。その情熱的な筆づかい、過剰な色彩、波乱に富んだ一生、狂気と正気、貧しい人を慈しみ、自身名声や富とは生涯縁のなかった男。
 そんな画家がどうしてこれほどの日本人に愛されるのであろうか。狂気のなかの詩情が胸をうつのだろうか。
 いせ自身は、こんな言葉をこの絵本のあとがきに記している。「光と影を追いながら、どれほど生と死について考えさせられてきたことだろう」。
 ゴッホの生涯が、残された絵画が、いせのようにこの国の死生観と交差するのかもしれない。

 ゴッホとテオの兄弟にはたくさんの書簡が残されている。その数、700通近くにのぼるという。
 兄は弟に悲痛な叫びをつらね、弟は兄に全身で応えようとした。
 いせは、そんな兄弟の子供時代の様子を、何枚かこの絵本で描いている。
 どんより低くたれこめる空の下で土になかになにやら見つけのぞきこむ「兄弟」。真っ青の一面の麦畑のなかでヒバリを追いかける「兄弟」。秋色に染まった森のなかで鳥の巣を手にする「兄弟」。
 やがて、ふたつの影はひとつづつの影に別れていく。すなわち、「兄」と「弟」のそれぞれの人生に。

 そんな兄ゴッホをいせはこう描いた。
 「きみ(ゴッホ)はみえない翼をひろげる。/世界には何も怖れるものはないかのように-/きみは自分を解放した。/ひまわりの声をきき、麦のことばをきき、星の歌をきいたにいさん」
 この絵本を製作しているあいだテオの「にいさんは、ぼくのすべて、ぼくだけのにいさんだったのです」という言葉が心を離れなかったといういせが、最後に麦畑で遊ぶ「兄弟」の姿を描いて終ったのは「兄弟」への深い愛があったからだと思える。
  
(2010/06/24 投稿)

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 開高健の作品に
 『見た・揺れた・笑われた』というのがありますが、
 それをもじると
 「行った・見た・満足した」ということになるのかな。

 先日(6.20)、梅雨の晴れ間に
 東京・六本木の国立新美術館
 「オルセー美術館展2010 <ポスト印象派>」を
 見てきました。
 オルセー
 なにしろ、あのサルコジ仏大統領
 「これらの絵画がまとめてフランスを離れることは二度とない」と
 言わしめたぐらいですから、
 これは見るしかありません。
 オルセー美術館の至宝の絵画が115点
 しかも、その半数以上が日本初公開なのですから、
 生まれて初めて実物を目にするということなんですよね。
 すごいな。

 でも、こういう大きな展覧会ともなれば
 人・人・人で、
 絵画を見たのか人の頭を見たのかわからないのが普通。
 そこで、今回は考えました。
 朝一番で会場入りすること。
 もっともそんなことは誰もが考えることで、
 開館前には早くも長蛇の列。
 そこで、入館してからはまず人もまばらのコーナーから
 見て回りました。
 もう名画が独占状態です。

 ゴッホの「星降る夜」の詩的さ、
 モネの「ロンドン国会議事堂、霧の中に差す陽光」の静けさ、
 セザンヌの静物画の緊張、
 アンリ・ルソーの「蛇使いの女」の幻想、
 もう、まったく
 あるわ、あるわ、ぞくぞくあるわ。
 美術のお勉強です。
 私の大好きな、スーラの「グランド・ジャット島の日曜日の午後」の習作には
 全部が見たいと、ため息がでました。

 今回の展覧会で
 もっとも魅かれたのが、
 エドゥアール・ヴュイヤールの「ベッドにて」と「眠り」という作品。
 色彩といい構図といい、
 しばらく足がとまりました。
 ヴュイヤールナビ派の一人だそうですが、
 このナビ派というのはゴーギャンに強い影響を受けた
 若い画家たちの集団です。
 ナビというのは、ヘブライ語で「預言者」という意味。
 ヴュイヤールのこの作品には、現在のデザインやイラストに
 つながる先見性を感じます。

 この展覧会、これだけの作品があって、
 1500円ですから、
 絶対お薦め。
 もう一回行ってもいいと思っています。

 じゃあ、美術館に行こう。

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 2004年が明けて早々、
 オンライン書店ビーケーワンが出版社のすばる舎
 共同企画した「熱い書評プロジェクト」が動きだしました。
 これはbk1書店に投稿していた書評者66人
 自分の好きな本について書評を書いて、
 それをまとめて一冊の本にしようというプロジェクトです。

 その66人の書評者のなかに、うれしいことに選ばれました。
 最初連絡をもらったときにはびっくりしました。
 まさか、っていう感じですね。
 それで、事前に書評を書きたい本の調査があって、
 私が選んだのは正岡子規の『病床六尺』。
 書評の長さは約2000字程度。
 私の書評は今だいたい800字から1000文字程度かと思いますが、
 2000文字というのは結構書きごたえがありました。

 どうして正岡子規を選んだかどうかは
 もう忘れてしまいました。
 書評のタイトルは「秋の柩にしたがはず」と、
 子規の友人だった夏目漱石が留学中のロンドンで
 子規の訃報に接したときに詠んだ俳句、
 「筒袖や秋の柩にしたがはず」からとりました。

 何回か出版社と原稿のやりとりをして、
 最終的に私の書評は、
 『熱い書評から親しむ感動の名著』の巻頭の作品に
 選ばれました。
 でも、残念ながら、この本は
 あまり売れなかったのではないかな。
 素人の書評家に書かせるというのは面白い企画だったと思いますが、
 やはり選ばれた本が雑多すぎたかもしれません。
 それに66人というのは、
 いかにも多すぎたのではないでしょうか。
 もう少し少数の書き手で、テーマを絞り込めば、
 もっとすっきりした本ができあがったかもしれません。

 ただ私には一冊の本ができあがるまでの
 編集部さんのご苦労はよく理解できました。
 なにしろ、私だけでも何度もなんども書き直しをしましたから
 これが66人なのですから、
 大変だったと思います。

 この本のなかの私の書評はさておき、
 せっかくみんなで作った一冊なので、
 今回紹介しているような書評を書いた次第です。

 この年の芥川賞には綿矢りささんの『蹴りたい背中』と
 金原ひとみさんの『蛇にピアス』という若い二人の女性が
 W受賞しています。
 綿矢りささんの作品には「あなたが蹴りたいのは誰の背中ですか。」、
 金原ひとみさんの作品には「がんばれなどとは死んでも言えない」という
 書評を書いています。

 2004年の投稿数、46件
 どんどん読書数が減ってきているのが気になった年でも
 ありました。

熱い書評から親しむ感動の名著熱い書評から親しむ感動の名著
(2004/04)
bk1with熱い書評プロジェクト

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sai.wingpen  書きあぐねている人のための書評入門               矢印 bk1書評ページへ

  どうして書評を書くのか、時々考えることがある。誰かに何かを伝えたいという思いがない訳でもないが、それ以上に本を読んだその時そのときの自分自身を残したいという思いの方が強い。その本がもたらしてくれる色々な思いを文章にして書きとめることで、その本を読んだ<今>の自分自身もまた残っていく。そういう意味では、書評は私にとって日記であり、自分史なのだ。

 白い頁がある。そこに自分自身を書いてみなさいと云われても戸惑うばかりだ。白紙から作り上げていくことの労力は半端なものではない。自分とは一体何だろう。誰もがわかりたいと思いながらも、白い頁に肖像画を描けないでいる。そこに、本を置いてみる。本という被写体を描くことで、実は自分自身を書くことになる。文章に書けなければ、その時どきに読んだ書名だけでもいい。二十歳の時に読んだ『門』と三十歳の時に読んだ『門』とは違うはずだ。『門』と書かれた書名の向こうに、その時そのときの自分自身がいるはずだ。

 そこから、書評まではもう一歩だ。その本を読んだ際の自分の生活や体調を書いてみるといい。「二十歳になった。漱石の『門』を読んでみようと思った」とか「妻と喧嘩した。むしゃくしゃして、本棚にあった漱石の『門』を思わず投げつけた。軽そうな本を無意識に選んでいたかもしれない」とか。書評は自由だ。そこに本がありさえすれば、無限に広がる世界だ。

 「文学は、何をどのように描いてもいいものです。批評はまたこれをどのように論じてもいいもの−ときには論じないことで最大の肯定か否定かを示すもの−なのです」

 かつて開高健はある短文(『エピキュリアンの悲しみ』)にこう書いた。そのことを実証するように、オンライン書店bk1に書評投稿している六十六人がそれぞれのスタイルで書いた書評を集めたのがこの本である。年令も職業もまったく違う六十六人ゆえの個性豊かな書評集にできあがった。ここには六十六冊の本と同時に六十六人の人たちの熱い思いがあり、<今>がある。そして、六十七番目の書評子は、もしかしたらこの本を読んだ<あなた>なのかもしれない。
  
(2004/04/26 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日は24節気にひとつ、夏至
  昼間の時間が一番長い日です。
  一番短い冬至からどんどん日が長くなって、
  この日を境にまた短くなっていきます。

   夏至の日の手足明るく目覚めけり  岡本眸

  さて、このブログを楽しんでくれている人は
  気がついているかもしれませんが、
  最近絵本の紹介をいくつか書いています。
  人生の半分を、たぶん、過ぎた大人が
  絵本を読んでいるのですから
  変わった嗜好かもしれません。
  でも、今回紹介する落合恵子さんの
  『絵本処方箋』にもあるように
  絵本には年齢制限はありません。
  気軽に読めて、しかも深く考えさせられる。
  大人たちよ。
  子供たちから絵本を奪い返せ。

  じゃあ、読もう。

絵本処方箋絵本処方箋
(2010/05/07)
落合 恵子

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sai.wingpen  おとなだぞってふんぞりかえっているひとに                     矢印 bk1書評ページへ

 詩人の長田弘さんが『読書からはじまる』という本のなかで、「大人になってからは子どもの本を読まないというのだったら、その本に親しむことのないままになる」 と書いていたが、本書のなかで著者で子どもの本の専門店クレヨンハウスの主宰者である落合恵子さんもよく似たことを書いている。
 すなわち、「「子どもの本」と呼ばれるものに、年齢制限はない。完成度の高い「子どもの本」は、子どもから楽しめる本、だといえる」。

 本書は絵本の書評集といっていい。ただ普通の書評集とちがって、いろいろな気分にあわせてそのための一冊が選ばれている。
 たとえば、「自分の弱さに腹が立ったら」、そんなときには斎藤隆介作、滝平二郎絵の『モチモチの木』はどうだろう、みたいな薦め方である。だから、書名に「処方箋」とはいっている。
 「本書は、疲れた大人に向けての絵本入門書とも言えるだろう」と、落合恵子さんは「後書き」に書いているが、このあとにこうつづけている。「本が「あなた」が抱えた問題や悩みをすべて抜本的に解決してくれるものではないにしても、たまには絵本を開いて、「違う景色」の中を遊泳してみないか?」と。

 そんな73の「違う世界」を落合恵子さんのわかりやすい書評で「遊泳」すると、絵本の世界とは実に多様だということに気づく。
 死の問題、家族の在り方、自分の見つけ方、社会との関わりなど、おとなでも一筋縄ではいかない色々なことが絵本という媒体のなかに描かれている。
 おとなたちは子どもの未来をどうのこうのと心配するが、こういう絵本にふれないおとなたちこそ、悩み多きまま、何ひとつ解決できないのではないだろうか。
 子どもから一冊といわず、何冊か借りて読んでみたいと思わずにはいられない、おとなのためのすばらしい絵本入門書である。
  
(2010/06/21 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話
  あじさい
  紫陽花(あじさい)が見頃ですね。
  今日は父の日です。

   父の日をベンチに眠る漢(おとこ)かな  中村苑子

  この中村苑子さんの句ではありませんが、
  母の日と比べると
  どことなくうっちゃられている感じがしないでも
  ありません。

   父の日やサッカー観戦ただひとり  夏の雨

  娘たちから父の日の贈り物を
  もらったことは何度かあります。
  まあもらえるだけでも喜ばないといけませんよね。
  今年もねだっているのですが、
  果たしてくれるかどうか。
  なんだかサンタさんにおねだりする
  子供のようですね。

  じゃあ、読もう。

おとうさんはウルトラマン―おとうさんの休日おとうさんはウルトラマン―おとうさんの休日
(1999/05)
みやにし たつや

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sai.wingpen  1966年9月4日 おとうさんはレッドキングとたたかった         矢印 bk1書評ページへ

 絵本『おとうさんはウルトラマン』シリーズの作者みやにしたつや(本名・宮西達也)さんは1956年生まれですから、「ウルトラマン」のTV放映が始まった時は10歳の少年でした。おそらく多くの子どもたちと同じように、TVの前で「ウルトラマン」の活躍に胸躍らせていたにちがいありません。
 成長して子ども時代の自分をふりかえったとき、「ウルトラマン」は単なる子ども時代のヒーローではなく、もっと密接に自分の生き方に投影されたものだったのではないでしょうか。
 「ウルトラマン」はたしかにとても強かった。でも、彼にも悩みがあったはずだ。「ウルトラマン」にだって失敗があっただろう。そんなことを考えると、「ウルトラマン」は巨大なヒーローではなく、自分とそうちがわない等身大の姿がうかびあがってきます。

 せみとりをする「ウルトラマン」、ほめられれば毎日のように同じ料理をつくる「ウルトラマン」、休日には息子を遊ぶ「ウルトラマン」。
 たくさんの怪獣とたたかってきた「ウルトラマン」ですが、きっと普段の生活ではそんなどこにでもいる父親だったにちがいありません。みやにしさんはそう思うことで、自分自身の「ウルトラマン」にやっと出あえたのではないでしょうか。

 今回の巻には「おとうさんのしゃしん」と題された作品が収録されていますが、ここで描かれている怪獣との闘いの記録は、TVの放映日にあわせたものになっています。
 たとえば、「1966年7月24日 宇宙忍者バルタン星人はつよかった」は、その日放映された第二話にあわさっています。そのような工夫が、読むものを、特にみやにしさんと同世代の読者にはたまらない魅力になっています。
 ちなみに、1966年9月4日に「ウルトラマン」とたたかった怪獣は誰でしょう。同じ日にはやさしい怪獣ピグモンとも出会っていますというのが、ヒントになるでしょうか。
  
(2010/06/20 投稿)

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 オンライン書店ビーケーワン
 他のオンライン書店、たとえばアマゾンとかの違いは
 レビューという形ではなく、
 書評という形式をとっていることでしょうか。
 特にbk1書店で本を購入しなくても
 書評は投稿できます。
 文字数制限は今は3000字。
 大長編? 書評も投稿可能です。
 もちろんネタばれとか、極端に短いものとか、誹謗中傷は
 ダメです。
 編集部の人がきちんと読んでいるようです。

 投稿した次の日には
 基本的には掲載されます。
 掲載されたときには、
 「この書評をいいと思った・・・はい・いいえ」という
 評価アンケートみたいなものがはいります。

 私の書評のなかで、
 この評価アンケートの「はい」が61票もはいった作品が
 片山恭一さんの『世界の中心で、愛をさけぶ』です。
 2003年7月22日の投稿です。
 よく調べていませんが、
 おそらく私の書評のなかでもっとも支持された作品だと思います。
 もっとも私の書評がよかったというより、
 それだけこの『世界の中心で、愛をさけぶ』が読まれていたと
 いうことでしょう。
 この書評のなかで書いた甥っ子のD君ですが、
 一浪してこの春、大学生になりました。
 この時、彼がこの『世界の中心で、愛をさけぶ』を読んだのか
 どうかはわかりませんが、
 案外大学生になった今、読むのもいいのではないでしょうか。

 この年(2003年)の冬、
 新井満さんの『千の風になって』の書評(2003.12.23)で
 続編のような「冬はダイヤのように-D君の課題図書、冬。」
 書いています。
 2003年の投稿数、77件

世界の中心で、愛をさけぶ世界の中心で、愛をさけぶ
(2001/03)
片山 恭一

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sai.wingpen  悲しくても乗り越えないといけないこと−D君の課題図書          矢印 bk1書評ページへ

 D君へ。
 今年は冷たくて長い梅雨がいつまでも続きます。山間の、君の住む小さな町もどんよりとした雨雲が張りついたままです。中学生になって初めての夏休みを迎えようとしていた終業式の日の夜、君のお父さんは突然亡くなりました。君はその悲しみも今後の不安も、まだ実感する余裕すらないかもしれないですね。でも、いつか梅雨空が消え去って夏の日差しが差し込むように、君もお父さんのいない深い悲しみにふいに襲われるかもしれません。

 でも、D君、考えてみて下さい。(人の死は多くの人に考えるということを教えてくれる尊厳なものです)その時、君が感じる悲しみは誰にも理解できない程深いものでしょう。でも、君のお父さんが死の直前に感じただろう悲しみはどれほどつらいものだったでしょうか。お父さんはまだ四十三歳でした。君は背丈が大きくなったといっても、まだ中学一年になったばかりです。お父さんはこれから君と過ごせただろう日々のこと、君が素敵な彼女を連れて歩いたり進学や就職に悩んだり、やがて美しい人と結婚するだろうその日に、父親として君のそばにいてあげれない悔しさにどんなにつらい想いだったことでしょう。

 「好きな人を亡くすことは、なぜ辛いのだろうか」。片山恭一の「世界の中心で、愛をさけぶ」は恋人の死をめぐっての、高校生の純粋な愛の世界を描いた小説です。中学生の君にはまだわかりにくい作品かもしれません。あるいは今の君にはつらい内容かもしれません。でも、悲しくても乗り越えないといけないことがいっぱいあるのだということを君にもわかってもらいたいし、乗り越えるということ自体が今の君の大きな課題だと思います。悲しみから逃げてはいけません。悲しみは乗り越えないといけないのです。

 「ずっと以前になくしたものが、ある朝ふと、もと置いた場所に見つかることがある。きれいな、昔あったままの姿で。なくしたときよりも、かえって新しく見えたりする。まるで誰か知らない人が、大切にしまってくれていたかのように」(205頁)

 D君。君もいつかお父さんの死が君に教えようとした大切なことをわかる日がくるにちがいありません。そして、それがいつもより長い梅雨の年の、中学生最初の夏休みのはじまりの日だったことを、悲しみの想いを封じ込めてなつかしく思い出す日が来るでしょう。
  
(2003/07/22 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  先日(6.16)の日本経済新聞の朝刊に
  今年上半期のヒット商品番付が掲載されていました。
  西の横綱には「3D(3次元)」、東の横綱はなし。
  その番付で目をひいたのは、
  前頭筆頭にはいった「もしドラ」。
  これはドラえもんの道具じゃないですよ。
  今日紹介した経営学者ドラッカーの著作を題材にした
  岩崎夏海さんの青春小説、
  『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら 』を
  ちぢめて、こう呼ぶのだそうです。
  ドラッカーとかマネジメントととかビジネスマンには
  ぐっとくる題材をうまく料理しましたね。
  そのあたりがヒットにつながったのだと思います。
  今日紹介するのは、
  ドラッガー先生の入門編としては読みやすい
  『プロフェッショナルの条件』です。

  じゃあ、読もう。

プロフェッショナルの条件―いかに成果をあげ、成長するか (はじめて読むドラッカー (自己実現編))プロフェッショナルの条件―いかに成果をあげ、成長するか (はじめて読むドラッカー (自己実現編))
(2000/07)
P・F. ドラッカーPeter F. Drucker

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sai.wingpen  何によって憶えられたいか                     矢印 bk1書評ページへ

 経営学者ドラッカーの人気は根強い。
 何度も繰り返し読んでいるファンも多いなかで、初めて読みましたというのはいささか恥ずかしい感じがしないでもない。だから、副題にあるように、こそっと「はじめて読むドラッカー」でしたと書いておく。
 本書には「自己実現」のためのヒントがたくさんある。特に人生の半ばを過ぎたものにとっては、「自己実現への挑戦」の章はおさえておきたい。企業の寿命よりも働く人間の寿命の方が長くなった現代において、「第二の人生をどうするか」は重要な課題である。その方法もドラッカーは説明している。
 ドラッカーが少年の頃に先生から問いかけられた質問はずしりと重い。
 いわく、「何によって憶えられたいか」。
 誰も答えられなかった生徒たちに先生はこう教えたという。「五〇歳になっても答えられなければ、人生を無駄にしたことになるよ」。
 五〇歳を過ぎて、果たして私は答えられるだろうか。心許(こころもと)ない。
  
(2010/06/18 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日紹介したミタリ・パーキンスさんの
  『リキシャ★ガール』は、
  今年の「青少年読書感想文全国コンクール」の
  課題図書の一冊です。
  小学校高学年向けです。
  ですから、とても読みやすい物語です。
  でも、
  書かれている内容は色々なことを
  考えさせてくれます。
  まず、物語の舞台のバングラデシュですが、
  この国がどこにあるのか
  正直にいうと
  私もよく知りませんでした。
  インドの東側にある北海道の2倍くらいの
  大きさの国です。
  そのほか、貧困に立ち向かう施策など
  大人が読んでも
  充分に面白いし、ためになる一冊です。
  夏休みまではまだ少しありますが、
  ぜひ読んでもらいたい。
  そんな気持ちで書評を書きました。

  じゃあ、読もう。
  
リキシャ★ガール (鈴木出版の海外児童文学―この地球を生きる子どもたち)リキシャ★ガール (鈴木出版の海外児童文学―この地球を生きる子どもたち)
(2009/10)
ミタリ パーキンス

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sai.wingpen  あなたの幸福度は何点?                     矢印 bk1書評ページへ

 物語の舞台はバングラデシュ。書名の「リキシャ」は、そのバングラデシュで利用されている自転車で人を乗せる車をひっぱって移動につかう乗り物のことです。
 明治の頃の日本では人力車という乗り物がありましたが、その自転車版ともいえます。
 この物語では「リキシャ」が重要な役割をしていますが、ここで書かれているのは昔の話ではありません。現代のバングラデシュの物語です。
 今や電気自動車が走ろうかという日本にいて、「リキシャ」を移動手段にしている国のことを想像するのは難しいかもしれません。でも、世界にはまだまだ貧困にあえいでいる国はたくさんあります。また、同じ国のなかで戦争状態に近い国もあります。あるいは、この日本という国もそうです。けっして誰もが裕福ではありません。たくさんの人が歩いているのは大きな都会の話です。小さな地方にいけば、年老いた人たちだけの過疎のような町がいくつもあります。
 ものごとすべてはひとつの視点では判断できません。たくさんのことから、それでも正しいといえること、それを見つけ出さなければなりません。

 物語の主人公はナイマという十歳の少女です。ナイマのお父さんは「リキシャ」の運転手をしています。「リキシャ」を買ったときの借金を返すために毎日毎日働きづめです。
 そんな父親を楽にしてあげたいと優しいナイマは思います。そして、名案が浮かびました。日頃からお母さんに「行動をおこす前に立ちどまって考えなさい」といわれていたことも忘れて、ナイマは思いついた計画を実行してしまいます。このことで、ナイマの一家はさらに苦境においこまれてしまうのです。
 物語はそのあと、ナイマの勇気ある行動で家族に幸せがもどってきますが、ナイマのお父さんは「リキシャ」の運転手であることに変わりはありません。
 でも、ナイマはそのような貧困のなかでも「本当の幸せ」とはどういうものかを手にいれましたし、貧しくても懸命に生きようとしている人とも出会いました。

 「日本人の幸福度は65点」という「幸福度調査」の結果があります。
 残念ながら、これは世界のなかでもけっして高い数字ではありません。豊かさと幸福度はけっして同じではないのです。
 バングラデシュという貧しい国のナイマよりも自分が幸福であるかどうか。そして、それがもし幸福だとしたらどうしてなのでしょう。あるいは、ナイマの方が幸福だと考えたなら、なぜそう思うのか。
 そのようにして問いかけることが大事ではないでしょうか。
  
(2010/06/17 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日紹介する河合隼雄さんの
  『泣き虫ハァちゃん』は
  本屋さんの文庫新刊のコーナーで見つけました。
  新潮文庫の今月の新刊です。
  表紙の絵がすこぶる目をひきました。
  書評のなかでは書けなかったのですが、
  挿絵を担当しているのは
  岡田知子さん。
  本のなかにも何点も挿絵があるのですが
  本当に心が温かくなるような絵です。
  表紙の、今にも泣き出しそうな少年は
  小さい頃の私にも似ています。
  私も泣き虫でした。
  今でもあまり変わりませんが。
  谷川俊太郎さんの詩が収載されていて、
  それに対抗したわけではありませんが、
  今日は書評詩にしてみました。
  ところで、
  岡田ジャパン、頑張りましたね。
  本田選手のゴールに
  「泣き虫ハァちゃん」だけでなく
  たくさんの人が泣いたんじゃないかな。
  次も頑張れ!

  じゃあ、読もう。

泣き虫ハァちゃん (新潮文庫)泣き虫ハァちゃん (新潮文庫)
(2010/05/28)
河合 隼雄

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sai.wingpen  ぼくたちの秘密基地                  矢印 bk1書評ページへ

  それは草深い、あまりおとなが通らない
  場所にあった

  ぼくたちは そこを
  秘密基地と 呼んだ

  袋菓子
  漫画本
  こわれたラジオ

  ぼくたちは そこで
  秘密の指令を 発信した

  おとなになんか なりたくない

  あれから何十年も過ぎて
  ぼくたちは いまだに
  そこで 秘密の暗号を解読している

  母のひざまくら
  色褪せた写真
  投函できなかったラブレター

  ぼくたちは 秘密基地で
  子どもにもどる研究をしている


 本書は2007年7月に亡くなった心理学者河合隼雄さんの遺作となった作品です。子供時代の自身を回顧する自伝的物語ですが、残念ながら、小学校四年生までの未完となりました。
 題名のとおり、何度も泣く場面が登場しますが、泣く意味合いが少しずつ変わっていくのがわかります。あるいは、たくさんの兄弟や学校の仲間たちに囲まれながらも、ふと孤独を感じるなど、成長の過程がよく描かれています。
 本書の巻末には谷川俊太郎さんの詩「来てくれる 河合隼雄さんに」が収載されています。
  
(2010/06/16 投稿)

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 2002年の話をつづけます。
 この年の秋、村上春樹さんの『海辺のカフカ』が刊行されて、
 その記念としてオンライン書店ビーケーワンでは
 書評コンテストを実施しました。
 今回紹介した書評は、その時私が応募したもの。
 選考の結果、「優秀賞」に選ばれています。

 その時の選考会の様子が残っています。

 (大西絢子さん・新潮社) 物語に出てくるキーワードを一つ一つ
              読み解こうとする人が多いなかで、「夏の雨」さんは
              『海辺のカフカ』全体を”ねじりパン”に喩えていて、
              暖かみを感じました。
 (斎藤bk1書店店長)   ねじりパンというのはイメージ沸きましたね。

 自分でもこの「ねじりパン」というのはうまい切り口だと、
 ほくそえんでいるのですが、
 村上春樹さんの長編小説は最近の『1Q84』でもそうですが、
 いくつかの物語がからまりあいながらできあがっている
 イメージがありますよね。
 砂糖のまぶしかたが作品によってちがうのでしょうが。

 この2002年は日韓共催のワールドカップがあった年。
 石垣りんさんの『略歴』という本の書評で
 「ワールドカップも終わったことだし、詩でも読もうか」なんていう
 タイトルをつけています。
 この2002年にbk1書店に投稿した書評は116件でした。

海辺のカフカ〈上〉海辺のカフカ〈上〉
(2002/09/12)
村上 春樹

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sai.wingpen  おいしいねじりパンの作り方                     矢印 bk1書評ページへ

 村上春樹の新作「海辺のカフカ」を、ゆっくりと時間をかけて読んだ。パン生地がふっくらと焼きあがっていく時の暖かな匂いが身体の隅々に染み込んでいくような、読書の時間を過ごした。そして、たぶん、僕は少し無口になった。

 章立てされた物語のストーリーを語ることに意味はない。奇数章は記憶を求める<田村カフカ>という十五歳の少年の、偶数章は記憶を失った<ナカタさん>という初老の男の物語である。具象と抽象。現実と夢。癒しと暴力。ふたつの物語は、それぞれにねじれて絡み合う。そして、ひとつの長い物語になっていく。ちょうどねじりパンみたいに。

 できあがったねじりパンには、ふたつの材料が使われている。ひとつは哲学の方法である。ここでいう哲学とは、生きていくための技術みたいなものだ。長い物語の中で交わされる登場人物たちの多くの会話は、ソクラテスの対話法の実践ともいえる。鷲田小弥太の「はじめての哲学史講義」(PHP新書)によると「ソクラテスの対話法は、説得術であるとともに、真の認識へと人々を誘う教育術でもある」という。特に奇数章で語られる多くの会話が、十五歳の少年が未来に向けて生き続けるための教育術であるといえる。物語を読み終えた時、僕たちは生きることの意味を、少し考えている。

 もうひとつの材料は、村上春樹流の比喩の使い方である。直喩と隠喩。多くの比喩が対話法の哲学の狭まで、パン生地を膨らませるためのイースト菌の役目を担っている。これがあればこそ、物語は豊かで柔らかに完結しているといえる。困難な主題が多くの人たちに読まれるのは、この材料の力が大きい。

 村上春樹はこの長い物語の最後にこう書いた。「本当の答えというのはことばにできないものだから」(下巻・413頁)もう十五歳の少年ではない僕にとってできあがったねじりパンは少しつらい味だった。ことばにされない答えを見つけるのに、僕はやや年をとりすぎたかもしれない。
  
(2002/09/29 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  いよいよサッカーのワールドカップ南アフリカ大会
  始まりましたね。
  韓国の初戦を見ましたが、
  いやあ、韓国強いですね。
  結構いいところまでいくんじゃないでしょうか。
  アルゼンチンのメッシ選手は
  得点こそなりませんでしたが、
  さすがにスーパースター。
  あんな選手が岡田ジャパンにいたら
  どんなに楽でしょうか。
  そして、今夜
  岡田ジャパンの初戦カメルーン戦ですね。
  勝って欲しいですね。
  勝ってください。
  勝てるかな。
  みんなで応援しましょう。
  そうそう、今日紹介した池上彰さんの
  『わかりやすく〈伝える〉技術』も
  サッカー以上に面白いですよ。

  じゃあ、応援しよう。

わかりやすく〈伝える〉技術 (講談社現代新書)わかりやすく〈伝える〉技術 (講談社現代新書)
(2009/07/17)
池上 彰

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sai.wingpen  この本はわかりやすい文章読本でもある              矢印 bk1書評ページへ

 何かと話題の多い「事業仕分け」だが、あれをみているといかに高いプレゼンテーション能力が求められているかがわかる。
 説明時間が短時間すぎるという批判があったり、事前に仕分け人たちがその事業について学習しているということはあるにしろ、限られた時間のなかでどのように仕分け人たちにその事業が必要であるかを伝えなければならない。
 事業の「廃止」であったり、規模の「縮小」といった結論をだされた事業であっても、もしかするとプレゼンテーションがもっとうまくいけば、導きだされた答えはちがったものになったかもしれない。
 おそらく今後は政治やビジネスの世界だけでなく、広く一般的にプレゼンテーション能力に長けた人が優遇される時代がくるのではないだろうか。

 元ニュースキャスターの池上彰氏の最近の活躍もそのような事情と密接に関わっているように思う。池上氏自身も「私がテレビでわかりやすさについて心がけていたことは、決して特殊な業界の話ではありません。基本的で応用のきくことだと思います」と書いているが、それほどに「伝える」ということは今や私たちに必要な能力として欠くことのできないものになっている。
 本書では池上氏のテレビ時代のエピソードなどを織り込みながら(人に何かを話す時には抽象的な概論ばかりを話すのではなく、具体的なエピソードを交えることで、聴衆を飽きさせない効果がある)、わかりやすい説明の仕方や図解の方法、さらには具体的なパワーポイントの作り方(パワーポイントは説明用のコンピュータソフトだが、これを使いこなせることがビジネス現場では非常に高まっている)まで丁寧に「<伝える>技術」が説明されている。

 ここに書かれていることはビジネスの現場だけのことではない。
 たとえば、人にわかりやすい文章を書きたいと思っている人にも、多くのヒントがある。
 特に「「日本語力」を磨く」という章は必読の価値がある。無意味な接続詞のことや、文章を生かすための「マジックワード、人をひきつける「キーワード力」など、文章を書く際にも有効である。
 「人の心をつかむ話し手になってください。あなたらしい、個性的な話し方を生み出してください」と池上氏は最後にまとめているが、当然、「話し手」は「書き手」に読み替えることができるし、「話し方」は「書き方」と読むことができるのである。
  
(2010/06/14 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  私には2人の娘がいます。
  もう2人とも働いていますが、
  今日紹介した瀬田貞ニさんの『きょうはなんのひ?』を読んで
  小さい頃の娘たちのことを
  思い出しました。
  あの頃は可愛かったといえば、
  今はどうなのと叱られそうですが、
  そうはいっても小さい頃の
  彼女たちの笑顔はとびきりでした。
  この本は絵本ですから、
  絵を担当された林明子さんの功績も
  大きいと思います。
  登場する家は30年前の日本の家庭ですが、
  たぶん少しめぐまれた暮らしだと思います。
  ピアノがあったり、ミシンがあったり。
  そんな当時の暮らしぶりを振り返るのにも
  いいかもしれません。

  じゃあ、読もう。
  
きょうはなんのひ? (日本傑作絵本シリーズ)きょうはなんのひ? (日本傑作絵本シリーズ)
(1979/08/10)
瀬田 貞二

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sai.wingpen  忘れ物を届けにきました                     矢印 bk1書評ページへ

 表紙を開いて、最初のページの女の子の表情が最高にいい。
 赤いランドセルをしょって、これから学校に行こうとしているまみこちゃんは小学一年生ぐらいでしょうか。彼女が両親のためにしかけたかわいいいたずらが、そしてそれはとっても素敵な贈り物でもあるのですが、楽しくて仕方がない、そんな笑顔です。
 このページを見たときに、私の娘たちが小さかった頃のことがパアーッとひろがりました。私の娘たちも、まみこちゃんのように、輝く笑顔をたくさんくれました。

 親として、子どものそんな笑顔にどれだけ救われたことでしょう。娘たちが成長して、いつのまにか、そんな素敵なことも忘れているなんて。
 子どもは生まれてから数年間で親孝行のすべてをしてしまう、そんな話を聞いたことがあります。赤ん坊の頃のちいさな手、笑顔、泣き声、そのすべてが愛しかった。小学生にはいった頃の走りまわる姿もかわいかった。
 成長して生意気になって親に反抗したりしたりすねてみたりしたけれど、それまでにいっぱい幸せをもらっていたことを忘れていたのは、こちらです。
 ごめんね。

 この絵本は1979年に刊行された、もう30年以上前の本です。
 描かれているまみこちゃんのお家のようすはすこし時代を感じますが、まみこちゃん家族の幸福は今でもあります。ただみんながそのことを忘れているだけ。
 もしかして、この絵本はそんな大切な忘れ物を届けてくれたのかもしれません。
  
(2010/06/13 投稿)

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 オンライン書店ビーケーワンがまもなくサービス開始から
  10年を迎えるそうです。
  いつもお世話になっているbk1書店なので、
  書評を読みながら、私とbk1書店の思い出を
  振り返ってみたいと思います。

  まずはbk1書店ですが、
  2000年7月11日にサービスを開始したそうですが、
  私がbk1書店と出あったのは、2002年4月。
  サービス開始から2年になろうというところです。
  このブログにも書いたことがありますが、
  もともと私はワープロを使って「読書ノート」を書いていました。
  書き始めたのは、1989年ですから、もう20年以上前になります。
  時代はまだパソコンよりもワープロ全盛でした。
  親指シフトのワープロ使った人も多いと思いますが、
  そんな時代です。
  2台使ったでしょうか。
  いよいよ2000年にはいって、ワープロ専用機ではなく
  パソコンが家庭にも普及し始めた頃です。
  まだまだパソコンで「読書ノート」のシートを作る自信もありませんでしたし、
  ブログなんていうのもなかったのではないでしょうか。
  その当時、ブログを知っていたら、
  bk1書店には出会えなかったかもしれませんね。

  ともかく、なんらかの形で「読書ノート」の代わりになるものを
  探していました。
  その時、見つけたのがbk1書店でした。
  書評の投稿を募集しているという内容だったと思います。
  しかも投稿すると、何ポイントか、本が購入できる特典が付与される
  ということだったと思います。
  (ちなみに今はこのサービスはありません)
  そして、初めて投稿したのが、
  川上弘美さんの『センセイの鞄』(2002.4.27投稿)。
  (残念ながら、この作品をはじめ当時の頃の書評は
  今のbk1書店では全文を読むことができません)
  この時使ったハンドルネームが「夏の雨」です。
  このハンドルネームは今でもbk1書店への投稿には使っていますが、
  宮本輝さんの『朝の歓び』という作品の一節、
  「あなたが春の風のように微笑むならば、私は夏の雨になって訪れましょう」から
  とったものです。

  自分の文章が
  活字となってインターネットに掲載されるというのは
  今もそうですが、
  とてもわくわくします。

  私の書評はかなり私的でもあって、
  個人的な事情をまぜながら、本の紹介や感想を書いていることが
  よくあります。
  おかげで、日記風に読み返すこともできます。
  (もともと、私の「読書ノート」はそのようにして書いていました)
  2002年11月24日に投稿した同じ川上弘美さんの
  『あるようなないような』という本の書評を読むと、
  あの頃の私が浮かびあがってきます。
  それができるのも、bk1書店のおかげかもしれません。

あるようなないようなあるようなないような
(1999/11)
川上 弘美

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sai.wingpen  川上弘美を病室で読んだ日                     矢印 bk1書評ページへ

 十一月も終わりに近づくと、背中をとんとんと押されているように慌ただしくなる。街にクリスマスツリーが何本もにょきにょきと立ち並び、山下達郎の切ないメロディが流れる。今年もあとわずか。今年もきつかったなあと思ったり、何も変わらないやとため息をついたり。そして、今年の一〇大ニュースの投票が始まったりする…。

 今年。年明け早々、生まれて初めての入院をした。大腸にポリープが、ふたつ出来ていた。何人かの人にそのことを云うと、よくできるんだよと澄ました顔で反応されるのがこそばゆい感じだった。なにしろこちらは、生まれて初めての入院なのだ。真剣に入院の支度をした。ちょうど明日から修学旅行に行く小学生みたいな気分である。「うたのしおり」の代わりに、川上弘美の本を二冊、パジャマの下に入れた。「神様」と「おめでとう」。その時は気にしなかったが、今からすると入院するのにふさわしい書名であった。

 病室に一〇日いた。昼はそうでもないが、夜になるとじわじわと寂寥感が広がってきた。これが入院というものかと、すこし悲しくもあった。そんな僕に川上弘美の文章はほかほかした日溜りのようであった。四角ではなく丸いような。フロージングではなく畳のような。夜ではなく昼、そう夕暮れが近い冬の午後三時四〇分のような。そこだけが暖かい幸福な時間だった。同室のカーテンがひかれたもう一人のベッドから、携帯電話でメールしている淋しい音がカチカチとした。

 この本は九九年に刊行された川上弘美の、第一エッセイ集の文庫本である。彼女の文章を読むと、あの病室の淋しい音を思い出す。あの音は自分の存在を世界に伝えようとしていたにちがいない。川上弘美も、そう感じる瞬間(とき)があったはずだ。「時が過ぎて、わたしの文章の癖みたいなものも多少変わって、今読むと気恥ずかしいようなところもあるのですが、あの頃の空気がなつかしくもあります」(文庫判のためのあとがき)。

 生まれて初めての入院の間に、四十何回めかの誕生日を迎えた。今年もあと一ヶ月となったが、あの病室の空気がなつかしくもあります。
  
(2002/11/24 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日は入梅
  立春から135日めあたりがそれにあたるそうです。

   樹も草もしづかにて梅雨はじまりぬ  日野草城

  作家・戯曲家の井上ひさしさんが亡くなって
  もう二ヶ月あまり経ちます。
  人が亡くなっても、
  季節はまちがいなく移ろい、
  花は紫陽花(あじさい)の季節になりました。
  そのことは当然なのですが、
  何故か不思議な感じがします。
  人の一生とはなんでしょうか。
  どんなにすごい人生であっても
  草花の移り変わりにまさることは
  ないのかもしれません。
  今日紹介するのは、
  井上ひさしさんの最後の戯曲『組曲虐殺』です。
  表紙の装丁は和田誠さん。
  
  じゃあ、読もう。
  
組曲虐殺組曲虐殺
(2010/05/06)
井上 ひさし

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sai.wingpen  井上ひさしさんの映写機                 矢印 bk1書評ページへ

 先日TVで井上ひさしさんの元気な姿を拝見しました。もちろん、残念ながら、生前撮影された昔の映像ではあったのですが。
 番組(NHK教育テレビの「ETV特集」)のタイトルには、井上ひさしさんの最後の戯曲となった『組曲虐殺』の一節、「あとにつづくものを信じて走れ」が使われていて、タイトル通り、井上さんがこの戯曲の主人公小林多喜二にどのような思いを託したのかを関係者の話を交えながら構成されたものでした。
 その番組のなかで小林多喜二のことを井上さんがどんなに描きたかったかが紹介されていましたが、同時に、それは井上さんの早世した父親に重ねる姿としてもとらえられてもいました。

 井上ひさしさんの父修吉は作家になることを夢みていた文学青年でした。そして、小林多喜二とも同時代の人でした。作家になることを願いながらも志なかばで亡くなった父のことを井上さんは終生忘れませんでした。
 小林多喜二を描くことは暗い昭和を描くことであったし、多喜二の無念を書くことでもあったでしょう。
 しかし、井上さんは時代の悲劇としての多喜二を描こうとしただけでなく、作家になるという夢を果たせなかった父親に代表される、多くの人たちの悔しさを、たくさんの戯曲を通じて描いてきたのかもしれません。

 舞台の終盤近く、主人公の多喜二はこんな台詞を口にします。
 「体ごとぶつかって行くと、このあたりにある映写機のようなものが、カタカタと動き出して、そのひとにとって、かけがえのない光景を、原稿用紙の上に、銀のように燃えあがらせるんです。ぼくはそのようにしてしか書けない」
 多喜二の台詞なのですが、井上さんのこれが思いだったと思います。
 カタカタと動き出した井上さんの映写機は、父親を映し出し、井上さん自身をうつしだし、やがて多くのそれにつづく人々を浮かびあがらせたのではないでしょうか。
  
(2010/06/11 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  つぼにはまる、という言い方があります。
  笑いのつぼにはまって、
  笑いがとまらなくなって困ったという人は多いと思います。
  みやにしたつやさんの絵本「ウルトラマン」シリーズも
  まさにそれ。
  つぼにはまってしまいました。
  しかも、今回紹介する
  『帰ってきたおとうさんはウルトラマン』には
  人気者バルタン星人が登場します。
  赤ちゃんバルタン星人のかわいいことといったら。
  飼ってみたいと思っても、
  大きくなったらやっぱり怖いですよ。
  まあ、番犬、いえ番怪獣としては
  心強いでしょうが。

  じゃあ、読もう。

帰ってきたおとうさんはウルトラマン帰ってきたおとうさんはウルトラマン
(1997/05)
みやにし たつや円谷プロダクション

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sai.wingpen  今度は「バルタン星人」                 矢印 bk1書評ページへ

 「バルタン星人」は、初代「ウルトラマン」シリーズの第二話に登場し、数多いウルトラ怪獣のなかでも絶大な人気をほこっている宇宙人だ。
 「ふおっふおっふおっ」という独特な鳴き声? とセミの顔を模したユニークな頭と体とのバランスのすこぶる悪い巨大なハサミをもった「バルタン星人」の、何が子供たちに受けたのかよくわからないが、私も子供の頃に「「ふおっふおっふおっ」と鳴いたものだ。
 「バルタン星人」自身は地球征服をねらったものではなく、地球に移住しようとしただけだが、その人口は20億以上ということで、仕方なく「ウルトラマン」はそれを阻止、戦うことになる。

 つまり、「バルタン星人」は極めて多産星人なのだ。そこに目をつけたのか、みやにしたつやさんの「帰ってきたおとうさんはウルトラマン」は、「ウルトラマン」父さんの奮闘だけでなく、「バルタン星人」父さんの切ないおとうさんぶりの、二本立てである。
 怪獣と闘い、時にはおちこむ「ウルトラマン」父さんは子供の顔を見たら明日への活力がみなぎるのだが、「バルタン星人」父さんはおちこんで家に帰る途中にお酒を飲んで憂さ晴らし。そんなだらしない「バルタン星人」父さんだが、子供の前では見栄坊だったりする。

 「バルタン星人」父さんは、「ウルトラマン」父さんよりももっと人間らしい。きっと作者のみやにしさんは「バルタン星人」が大好きだったのだろう。そう、みやにしさんも「ふおっふおっふおっ」と鳴いたにちがいない。
  
(2010/06/10 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日紹介するフランス文学、
  フィリップ グランベールさんの『ある秘密』は
  先月の「さいたまブッククラブ」で
  Iさん(♀)が紹介してくれた一冊です。
  「さいたまブッククラブ」では各自が自由に
  読んで気になった一冊を紹介する形式をとっていますが
  当然私の読んでいない本も
  たくさん紹介されることになります。
  できれば、そこで紹介された本の何冊かは
  読んでみたいと思うのですが、
  なかなかそれができなくて。
  今回は、表紙の装丁にまずひかれました。
  狭く暗い石の路地を駆けていく二人の少年と一匹の犬。
  まるで、その向こうに「秘密」があるかのようです。
  なかなかこういう本に出会えることは
  まれです。
  読むきっかけをいただいた、
  「さいたまブッククラブ」のIさんに感謝します。

  じゃあ、読もう。
  

ある秘密 (新潮クレスト・ブックス)ある秘密 (新潮クレスト・ブックス)
(2005/11)
フィリップ グランベール

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sai.wingpen  年老いた父より頭ひとつ分だけ背が高くなる日            矢印 bk1書評ページへ

 ひとりっ子の少年は、自分よりハンサムで、たくましい兄を夢想する。そして、美しい肉体をもった父と母の、完璧な恋愛物語に、それは少年のこしらえたものなのだが、目をうるませる。
 なにもかも理想の家族だったし、少年はそのことに満足をしていた。「子供の時間」が過ぎていく。
 やがて、少年は15歳の誕生日をむかえる。そして、少年は「ある秘密」を知ることになる。

 2004年にフランスで刊行され、その年「高校生の選ぶゴングール賞」を受賞した本作は、作者フィリップ・グランベールの自伝的小説だという。
 作者が生まれたのは1948年、あの戦争の傷はまだ多くの人の心に癒えない時代である。
 悲しみや憎しみ、裏切りや助け合い。時代の坩堝(るつぼ)のなかで、人々は「秘密」をこしらえ、うけいれざるをえない。この物語では、そんな時代の悲しい「秘密」が徐々に明らかにされていく。
 隠された悲劇を戦争のせいにすることはたやすい。しかし、ここに描かれるのは、戦争以上に暗い人間の情感だ。

 父と母の罪深い恋愛と、夢想ではない真実の兄を知ったあと、少年はもう強い兄を恃む弱虫ではない。彼は「秘密」の正体を知ることで、大人への階段を確実に一歩のぼりだす。
 やがて成長し、自分が「年老いた父さんより頭ひとつ分だけ背が高い」ことに気づく。
 この物語は、そんな少年の成長物語だが、「秘密」をかかえもった人たちの悲しみの物語でもある。
 もしかすると、人は「秘密」をあばくことで成長するのではなく、「秘密」を共有することで大人になっていくのだろうか。そんなことを、ふと、考えさせる物語である。

  (2010/06/09 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今回の書評タイトルは、
  1970年に起こった「よど号ハイジャック事件」で
  のっとり犯たちの声明文に書かれていた
  内容からとりました。
  当時ジョーこと矢吹丈力石徹との
  壮絶の闘いのあと、
  自分を見失ってさまよっている時期でした。
  しかし、社会は
  そんなジョーを
  また死んでしまった力石徹を
  時代のヒーローにまつりあげていった時代でも
  ありました。
  もう漫画は単なる子供の娯楽ではなく、
  時代を表現しうるカルチャーに変容していました。
  むしろ、漫画家たちがそのことに
  まだ気がついていなかったのでは
  ないかしら。
  今回紹介しました『ちばてつやとジョーの 闘いと青春の1954日』は
  一気に読み終えてしまいました。
  それほど読んでいて
  気持ちがよかったということです。
  『あしたのジョー』のファンだけでなく、
  あの時代に興味にある方、必読です。

  じゃあ、読もう。

ちばてつやとジョーの 闘いと青春の 1954日ちばてつやとジョーの 闘いと青春の 1954日
(2010/01/07)
ちば てつや高森 朝雄

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sai.wingpen  そして、最後に確認しよう。われわれは、"明日のジョー"であると。          矢印 bk1書評ページへ

 おそらく今までに刊行された漫画作品のなかでも常に高い評価と人気を得るだろう『あしたのジョー』が、「週刊少年マガジン」で連載がスタートしたのは昭和42年(1967年)12月15日のことである。そして、作画を担当したちばてつや(原作は高森朝雄、つまり梶原一騎である)の何度かの病気休載をはさみながら、昭和48年(1973年)4月20日発売日の第252回の最終回を迎える。 その間、実に1954日。
 本書はその5年におよぶ長い時間を漫画家ちばてつやが作品『あしたのジョー』とどのように関わり、いかにして作品を作り上げて、何を悩み喜んだかを、ちばの膨大のインタビュー記事や文章をコラージュしてできあがった「闘いの記録」である。

 こうして日付けをみてみると、『あしたのジョー』の週刊誌の連載が始まったのは、私が12歳の時だったことに少なからず驚く。けっして、私は「ジョー」とは同時代で生きたとは言い難い。まだまだ幼かった。
 もっとも漫画週刊誌の読書層は小学生高学年から中学生であったはずだから、けっして幼かったとはいえないが、このあたりから少なくとも「週刊少年マガジン」がターゲットとする読者層は高校生から大学生に移行し始めていた。そして、それが『巨人の星』や『あしたのジョー』を後世の名作に仕立て上げる土壌となったといえる。

 「僕は、ジョーの日記をつけているような気持ちで、『あしたのジョー』を描いていたんです」。
 本書の最初にページにちばのこんな言葉が書き付けられているが、本書の構成もそのような日付けをもった構成になっている。
 なによりうれしいのは、週刊誌連載時の扉絵が収録されていることだ。これが全連載回分見れるのだから、貴重な資料といっていい。
 また、連載開始に至るちばの心境、力石徹の死の場面の裏話、有名なラストシーンの誕生秘話など、ファンならずとも興味のつきない、ちばの証言が続く。

 ジョーにほのかな恋ごころを寄せる乾物屋の紀子のことを覚えているだろうか。
 最後にはマンモス西と結婚してしまう彼女だが、力石の死後心が荒廃するジョーが「真っ白に燃え尽きたいんだ」という名セリフをはいた相手も紀子だった。当然、原作の梶原一騎が設定したキャラクターだと思っていたが、実はちばの創作であったという。
 『あしたのジョー』はあの時代がもっていた感性、そしてそれは今から考えれば実に若々しいものだが、の結晶として、ちばてつやという漫画家と高森朝雄という原作者、そして「週刊少年マガジン」という磁場があってこそ結実したことを、この本は教えてくれる。
  
(2010/06/08 投稿)

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 図書館で借りる本には当然返却期限があります。
 それを221年も返さなかった人がいて、
 最近ようやく返却して、話題になっています。
 ワシントン
  初代米大統領、本221年借りっぱなし 延滞金免除

 これは、5月22日付の朝日新聞の記事。
 記事によると、
 アメリカの初代大統領ジョージ・ワシントンがニューヨークの図書館から
 借りた本が5月19日に返却されたそうです。
 その間、なんと221年。
 さすがに、アメリカ。
 規模がちがいます。

   ワシントンが借りたのは、スイスの外交官が書いた「国民国家の法律」。
    当時はニューヨークが米国の首都で、ワシントンは同年4月に大統領に就任したばかり。

 もし、延滞金を請求されていたら、
 2700万円になったそうですから、
 怖いですよね。

 そのことが昨日(6.6)の「天声人語」にも取り上げられていて、
 天声人語子は最後にこう書いています。

   時空を越える本の力を思う▼図書館で背表紙をたどれば、
   知らないこと、していないことの多さが身にしみる。未知と
   未体験の海に見え隠れする若い日の夢や憧れ、果たす
   あてなき約束の数々。

 確かに図書館の書架の森を歩いていると、
 目の眩むばかりの人類の知恵と財産に圧倒されます。

でも、みなさん、図書館の本は期日通りに返しましょうね。
 その本と出会うことを待っている、たくさんの人がいますよ。

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 先日の記事で、
 朝日俳壇への投句がボツの連続と嘆いたばかりですが、
 今朝(6.6)の「朝日俳壇」に採用されました。
 採用された句は、

  遺伝子をのぞきみるかなところてん

 選んで頂いたのは、金子兜太さん。
 しかも、「」まで頂きました。

  十句目宮内氏。ところてん(食用)で成立。寒天では駄目。

 普通「評」は選ばれたうちの上位三句ぐらいなのですが、
 私のは十句目。
 それなのに、こうして評をもらったことに感謝です。

 今日は、絵本『パパはウルトラセブン』の書評記事もあります。
 そちらもどうぞ。

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プレゼント 書評こぼれ話

  『おとうさんはウルトラマン』という絵本が
  あまりにも楽しかったので、
  今度は『パパはウルトラセブン』という
  絵本を読んでみました。
  今回も作者はみやにしたつやさん。
  表紙絵をみるだけでも
  楽しいでしょ。
  でも、どうして子供の頃のTV番組は
  こんなにも懐かしいのでしょうね。
  それだけ夢中になっていたということでしょうか。
  だとしたら、
  娘たちにとっての「ウルトラマン」や「ウルトラセブン」って
  なんだろう。
  アラレちゃんかな。
  ちびまる子ちゃんかな。
  そんな話はしたことありませんが、
  今度じっくり聞いてみたい。
  そんな気がします。

  じゃあ、読もう。

パパはウルトラセブンパパはウルトラセブン
(1999/11)
みやにし たつや円谷プロダクション

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sai.wingpen  アンヌ隊員に愛をこめて               矢印 bk1書評ページへ

 「ウルトラマン」と「ウルトラセブン」のどちらが好きかと聞かれたら、ためらうことなく「ウルトラセブン」と答えます。
 アンヌ隊員の魅力にとりこになる年齢ではなかったですが、「ウルトラセブン」のTV放映は1967年(昭和42年)で、私も中学生になっていました。
 どちらかといえば「セブン」の哀愁ただよう雰囲気がそろそろわかる年齢に近づいていたともいえますし、まだまだウルトラアイ装着の変身シーンが単にかっこよかっただけだったかもしれません。

 そんな「ウルトラセブン」でも、家に帰ればかわいい女の子が待っているとしたら、どんな父親だったでしょう。
 そのような奇抜な発想で描かれたのが、みやにしたつやさんの『パパはウルトラセブン』という絵本です。作者でわかるように、『おとうさんはウルトラマン』のシリーズの一冊です。
 「ウルトラマン」の時は男の子で「おとうさん」、「ウルトラセブン」は女の子で「パパ」。二人? の感じをよくとらえています。

 この「ウルトラセブン」は、娘の教育問題でお母さんと争ったり、怪獣から嫌われても平気なのに娘に嫌われると落ち込んだりします。ときどきとおくをみつめて悩んだりしても「ウルトラセブン」はたたかいつづけます。愛しい娘のため、妻のため、家族のため。
 やっぱり「ウルトラセブン」はか絵本になってもかっこいいし、どこか切ない。
 思わず、「セブン、セブン、セブン」って唄ってしまいました。
  
(2010/06/06 投稿)

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 絵画を観るのは好きです。
 できたら、本物が観たい。
 そんな人には朗報ですが、
 今年はどうも空前の「印象派イヤー」だということです。
 先日も「ルノワール展」を観にいきましたが、
 今度は「オルセー美術館展」が始まりました。
 どうして、そういうことになったかというと、
 同館の改修工事ということで、絵画の名作たちが
 どどどどんと日本にやってきたそうです。

Casa BRUTUS (カーサ・ブルータス) 2010年 06月号 [雑誌]Casa BRUTUS (カーサ・ブルータス) 2010年 06月号 [雑誌]
(2010/05/10)
不明

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 そこで今回の「雑誌を歩く」は
 表紙にゴッホの自画像画がどどどどどんとでている
 「Casa BRUTUS(カーサ ブルータス)」(マガジンハウス・980円)6月号を
 散歩しちゃいます。
 特集は「きちんと知りたい! 印象派とオルセー美術館の楽しみ方」。
 そうなんです、きちんと知りたい。
 教えて、教えて、というわけで、
 さっそく教えてもらいました。
 どうして「印象派」っていうのでしょう。
 ちゃんと本誌のなかにその答えが載っています。
 モネの「印象 日の出」が世に出たときに、
 批評家のルイ・ルロワという人が「単なる印象を絵にするなんて何事だ」って
 皮肉たっぷりに言ったのが始まりだとか。
 そういった基礎知識が満載なんですよ。
 なにしろ、、「今さら人に聞けない印象派Q&Aや
 印象派を巡るニッポン&フランスの旅など。今まで見たこともない
 強力なラインアップでお届けします
」と
 自信のほどをうかがわせてくれます。

 もうひとつ、豆知識。
 これは日本経済新聞で教えてもらったのですが、
 「ポスト印象派」って以前は「後期印象派」と呼んでいたのですが、
 (確かに昔そう習いましたよね)
 「印象派」の「後半期」ではなく、
 「印象派」の「後」に生じた別の動きをいうのだとか。
 ちょうどゴッホとかセザンヌがここにくくられます。
 なんか今日は勉強できますね。

 「Casa BRUTUS(カーサ ブルータス)」に戻ると、
 「ニッポン印象派MAP」という記事があって、
 実は日本で印象派の作品を所蔵している美術館は全国に60、
 作品の数では549点もあるそうです。
 いかに日本が「印象派」の作品が好きかというのが
 わかりますよね。

 そのほかにも、先日始まった「ポスト印象派展」から
 「徹底解説 オルセーの見るべきオルセーの至宝マスターピースBEST50」が
 紹介されています。
 この展覧会は8月16日まで。
 六本木の国立新美術館で開催されています。

 絶対いこっと。

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プレゼント 書評こぼれ話

  この頃俳句はうまく詠めません。
  朝日俳壇への投稿もボツの山です。
  詠み手である私自身が納得していないのですから、
  採用されるはずもありません。
  原因は、なんとなくわかっています。
  詠むのに力みがでています。
  いい句を詠もうと頭でつい考えてしまいます。
  そうではなく、
  ふっと浮かんでくる句の方が、
  いい句のことがよくあります。
  今日の磯辺勝さんの『巨人たちの俳句』の
  書評のタイトルではありませんが、
  余白にふっと浮かんだ句。
  いい俳句が詠みたい。
  でも、そういうことから
  逃れられたら一番いいのでしょうね。

  じゃあ、読もう。  

巨人たちの俳句 源内から荷風まで (平凡社新書)巨人たちの俳句 源内から荷風まで (平凡社新書)
(2010/04/16)
磯辺 勝

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sai.wingpen  余白に書かれた俳句               矢印 bk1書評ページへ

 文豪夏目漱石の俳句はかなり有名である。漱石自身も俳句が好きだったようで、松山の知人にこんな手紙を書いている。「近年俳句を作らず作らうとしても出来かね候。道後の温泉へも浸らねば駄目と存候」。
 漱石のような人であっても、「作らうとしても出来かね」ることがあるのだ。
 それを思うと、俳句という文芸がもっている特質のようなものが見えてくる。
 作為ではなく、心の余白に書かれるもの。そのようにして俳句を詠んでいる人は多いのではないだろうか。そして、そのようにして詠まれたものこそ、佳句になるようにも思える。

 本書は、小説家永井荷風、社会主義者堺利彦、民族学者南方熊楠、歌舞伎役者二世市川団十郎といった、それぞれの分野で功をなした巨人六人が残した俳句を通じて、彼らの人生や交遊を読み解こうとする意欲作だ。
 彼らの俳句をたどろうとして、むしろ彼ら巨人たちの生き様にひかれ過ぎたふうもないではないが、自身俳人でもある著者の磯部勝は「俳句を、生きてゆくうえでのマチの部分、生活のなかの間合いとして生かし、その人の私的なものを表現する手段としてこそ、意味があるのではないだろうか」と書いている。
 巨人たちが残した俳句は、けっして名句だと限らないが、彼らの人生の余白に書きとめられた本音のようなものだといえる。残そうという意思もなく、飾ろうとする野心もない。

 本書に紹介されている、昭和二十八年の永井荷風の句「かたいものこれから書きます年の暮」には、俳句の形式はとっているものの、荷風の心からこぼれおちた意思のようなものを感じる。しかも、正面きって言うには気恥ずかしい思いが、この句には込められている。
 分野は異なれ、六人の巨人たちはそのような素朴な俳句を残したのである。
 余白に書かれた俳句には、人生の素直さがにじんでいる。
  
(2010/06/04 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日紹介する辰濃和男さんの
  『ぼんやりの時間』のなかに
  こんな文章があります。

   すぐれた政治家は本質的に、すぐれた自然観の
   持ち主なのだと思う。政治家は、一本の草の花
   の繊細な美しさに陶然とする人であってもらい
   たいし、一匹のアリの動きに命の充実を感じる
   人であってもらいたいと私は思う。

  昨日突然の辞任表明をした鳩山総理に代わる
  新しいこの国のトップが
  まもなく決まるのでしょうが、
  アリとはいわなくても
  国民一人ひとりに
  命があることを、
  そしてその命には等しく血が流れていることを
  わかってもらえる政治家になってもらいたいと思います。
  単に自分たちの数のために
  総理を選ばないでもらいたい。
  そう願っています。

  じゃあ、読もう。

ぼんやりの時間 (岩波新書)ぼんやりの時間 (岩波新書)
(2010/03/20)
辰濃 和男

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sai.wingpen  蟻は歩きだすとき、まずどの足から動かすか             矢印 bk1書評ページへ

 こういう書名で、しかも著者の年齢が80歳ということになれば、老人の繰言のように聞こえてしまうかもしれない。
 企業戦士という言い方を今はしないのかもしれないが、大なり小なり、働く現場では「ぼんやり」などといった言葉は通用しない。せいぜい「いいよな、引退した身分の人は」と愚痴られるのが関の山だろう。
 ところが、この「ぼんやり」を「スローライフ」と言葉を変えれば、いささか様相が違う。現代的な生き方として多くの人の支持を受ける。
 言葉というのは、かくのごとく、奇妙である。
 かつて朝日新聞の人気コラム「天声人語」を長年担当してきた著者が「スローライフ」という言葉を知らないはずはない。しかし、著者は本書では「スローライフ」という言い方を終始使っていない。カタカナ表記のその言葉では表現しきれないものを、「ぼんやり」という日本語に込めたような気がする。

 本書はあわただしい現代に反旗を翻し、「ぼんやり」という言葉でしめされる時間の価値感を評価しようという思索的エッセイである。その材料として、串田孫一やキャサリン・サンソム、深沢七郎などのさまざまな書物がテキストになっている。
 著者はいう。「「動」や「働」や「がんばり」が大切だと考えるときは、「静」や「休」や「ぼんやり」もまた、いかに大切であるかを考えねばならぬ」、と。
 つまり、著者は現代社会における利便性や効率性をまったく否定している訳ではない。ただ、それだけでは人間として豊かになれないのではないかと警鐘を鳴らしている。

 著者が紹介して挿話のなかで最も感銘を得たのが、画家熊谷守一のそれだった。
 熊谷は都内の草庵で「蟻は歩きだすとき、まずどの足から動かすか」とぼんやり蟻を見ていたという。蟻がはっていることすら見向きもしなくなった現代に、それをじっと見つめつづける時間をもてることの、なんという贅沢だろう。
 そして、それはかつてフランス大統領であったミッテランの「詩のないエコロジーなんて、鉄製のなつめやしをオアシスに植えるようなものです」という言葉と、不思議に共鳴しあう。

 私たちは足元の蟻さえ見なくなった。
 あの働き者の蟻以上にせかせかと動いている私たちは、どこに行こうとしているのだろう。自分の足が左右どの足から動いているのかさえ知らないでいる。
 たまには、それさえやめて投げ出してみるのもいいではないか、と本書は教えてくれる。
  
(2010/06/03 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今回紹介する渡辺淳一さんの
  『鈍感力』がベストセラーになったとき
  読もうかどうしようか悩んだのですが、
  書評家豊崎由美さんに影響されたわけでも
  ないのですが、
  渡辺淳一さん自身がかなり鈍感なような気がして
  結局読まずにいました。
  文庫化されてのをきっかけに
  読んでみましたが、
  なかなか面白かったですね。
  渡辺淳一さん自身が「鈍感力」があるのだと
  思いました。
  だって、豊崎由美さんなんか
  けっこうキツイこと書いてますものね。
  何いわれようと自分の信じていることを
  貫くってすごいですよね。
  鳩山総理にそんな信念があるのか。
  その信念をつらぬくための「鈍感力」があるのか。
  かなり疑問のような気がします。

  と、今朝記事をアップしたのですが
  その鳩山総理が辞意を表明したそうです。
  「鈍感力」はなかったということでしょうか。

  じゃあ、読もう。

鈍感力 (集英社文庫)鈍感力 (集英社文庫)
(2010/03/19)
渡辺 淳一

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sai.wingpen  正しい鈍感力とは                     矢印 bk1書評ページへ

 平成19年(2007年)、当時自民党の支持率が低迷するなか、小泉純一郎前総理が「目先のことに鈍感になれ」と使って一躍脚光を浴び、たちまちミリオンセラーになった渡辺淳一の『鈍感力』が文庫化された。
 それにしても、あれからわずか3年、いったい何人の総理がこの国の舵取りをおこなったのだろう。そのたびに期待はあれどもたちまち馬脚を露わし、国民を失望させてきた。政権が変われども、同じである。
 今回の文庫化にあたり、渡辺氏は「政界などで問題を起こしながら平然としている政治家」を「鈍感力のある政治家」と呼ぶのは正しくない、「長い人生の途中、苦しいことや辛いこと」など「気が落ち込むときにもそのまま崩れ」ない「したたかな力を鈍感力」というのだと改めて書いている。
 ただし、一国の総理は、国民の悲しみ、政治のありよう、この国の未来に、鈍感であってはならない。正しい「鈍感力」をつけて、ことにあたってもらいたい。
  
(2010/06/02 投稿)

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