
今回の書評タイトルは、
1970年に起こった「よど号ハイジャック事件」で
のっとり犯たちの声明文に書かれていた
内容からとりました。
当時ジョーこと矢吹丈は力石徹との
壮絶の闘いのあと、
自分を見失ってさまよっている時期でした。
しかし、社会は
そんなジョーを
また死んでしまった力石徹を
時代のヒーローにまつりあげていった時代でも
ありました。
もう漫画は単なる子供の娯楽ではなく、
時代を表現しうるカルチャーに変容していました。
むしろ、漫画家たちがそのことに
まだ気がついていなかったのでは
ないかしら。
今回紹介しました『ちばてつやとジョーの 闘いと青春の1954日』は
一気に読み終えてしまいました。
それほど読んでいて
気持ちがよかったということです。
『あしたのジョー』のファンだけでなく、
あの時代に興味にある方、必読です。
じゃあ、読もう。
![]() | ちばてつやとジョーの 闘いと青春の 1954日 (2010/01/07) ちば てつや高森 朝雄 商品詳細を見る |


おそらく今までに刊行された漫画作品のなかでも常に高い評価と人気を得るだろう『あしたのジョー』が、「週刊少年マガジン」で連載がスタートしたのは昭和42年(1967年)12月15日のことである。そして、作画を担当したちばてつや(原作は高森朝雄、つまり梶原一騎である)の何度かの病気休載をはさみながら、昭和48年(1973年)4月20日発売日の第252回の最終回を迎える。 その間、実に1954日。
本書はその5年におよぶ長い時間を漫画家ちばてつやが作品『あしたのジョー』とどのように関わり、いかにして作品を作り上げて、何を悩み喜んだかを、ちばの膨大のインタビュー記事や文章をコラージュしてできあがった「闘いの記録」である。
こうして日付けをみてみると、『あしたのジョー』の週刊誌の連載が始まったのは、私が12歳の時だったことに少なからず驚く。けっして、私は「ジョー」とは同時代で生きたとは言い難い。まだまだ幼かった。
もっとも漫画週刊誌の読書層は小学生高学年から中学生であったはずだから、けっして幼かったとはいえないが、このあたりから少なくとも「週刊少年マガジン」がターゲットとする読者層は高校生から大学生に移行し始めていた。そして、それが『巨人の星』や『あしたのジョー』を後世の名作に仕立て上げる土壌となったといえる。
「僕は、ジョーの日記をつけているような気持ちで、『あしたのジョー』を描いていたんです」。
本書の最初にページにちばのこんな言葉が書き付けられているが、本書の構成もそのような日付けをもった構成になっている。
なによりうれしいのは、週刊誌連載時の扉絵が収録されていることだ。これが全連載回分見れるのだから、貴重な資料といっていい。
また、連載開始に至るちばの心境、力石徹の死の場面の裏話、有名なラストシーンの誕生秘話など、ファンならずとも興味のつきない、ちばの証言が続く。
ジョーにほのかな恋ごころを寄せる乾物屋の紀子のことを覚えているだろうか。
最後にはマンモス西と結婚してしまう彼女だが、力石の死後心が荒廃するジョーが「真っ白に燃え尽きたいんだ」という名セリフをはいた相手も紀子だった。当然、原作の梶原一騎が設定したキャラクターだと思っていたが、実はちばの創作であったという。
『あしたのジョー』はあの時代がもっていた感性、そしてそれは今から考えれば実に若々しいものだが、の結晶として、ちばてつやという漫画家と高森朝雄という原作者、そして「週刊少年マガジン」という磁場があってこそ結実したことを、この本は教えてくれる。
(2010/06/08 投稿)

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