06/27/2010 悲しい本 (マイケル・ローゼン):書評「「悲しみ」に向き合うということ」

いやあ、岡田ジャパン強いですね。
決勝トーナメント進出おめでとうございます。
ここしばらく、日本中がサッカーW杯の話でもちきり。
正直ここまで強いとは思いませんでした。
デンマーク戦の本田選手のシュートなんか
まるで外国のチームの名シーンの再現みたいな
すごさでしたね。
守りも完璧。
明らかに相手の強豪チームが
攻めあぐねていましたものね。
まだまだこれから日本中、ヒートするでしょうね。
がんばれ! 岡田ジャパン。
今日紹介するのは、『悲しい本』という絵本ですが、
岡田ジャパンはもちろん
悲しくなんかありません。
うれしい。
ちょっと本の選択まちがったかなと
少しばかり反省していますが、
いい絵本です。
じゃあ、読もう。
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表紙を開くと、一人の男がふざけた顔をして笑っている。「じつは悲しいのだが、幸せなふりをしている」という男は、大好きだった息子エディーを亡くして本当はとても悲しい。だから、彼の本当の顔はとても暗い。目もうつろだ。
本書は、そんな男の心の葛藤をクェンティン・ブレイクの巧みな絵とマイケル・ローゼンの詩的な文章(訳は詩人の谷川俊太郎)で描きながら、「悲しみ」についてまっすぐにみつめた絵本である。
書名に「悲しい本」とあるように、男は息子の死にうちのめされて心の空白を埋めれないでいる。思い出すのは息子との楽しかった時間だけ。しかし、その時間はとまったままだ。次のページに息子はいない。
男はなぜ「悲しい」のかと考える。
「いろいろなことが、前と同じでなくなったせいで」男の心に「悲しみ」がすみついてしまったのだ、と思う。
そして、それは男だけではない。「悲しみ」はいたるところ、どんな人にもある。「悲しみ」は「人をえらばない」のだと。
愛する人を喪うことは悲しく、つらい。
思い出だけは心の襞にまとわりついてくるが、もう新しいなにも生みだしはしない。そういった喪失感は誰にだってある。
しかし、それがどんなに深いものであっても、この作品の男のように「私は消えうせてしまいたい」と思うほどであっても、人は「悲しみ」の先にあるものを見つけ出す。「悲しみ」があるから、その先にあるものの深さやあかりをしっかりと感じることができる。
ちょうど最後のページでロウソクの灯りをみつめる男のように。
その表情はけっして明るいものではないが、最初のページの虚けた笑いの表情ではなく、生きることに向かおうとする静かな強さを秘めたものになっている。
「悲しみ」から逃げるのではなく、「悲しみ」と向き合うことの大切さを教えてくれるこの絵本は、「悲しい本」であるとともに「再生の本」でもある。
(2010/06/27 投稿)

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