06/30/2010 いまも、君を想う(川本 三郎):書評「言葉にできることの幸せ」

今日紹介するのは、
映画評論家・文筆家川本三郎さんの
『いまも、君を想う』。
町の本屋さんでもらった新潮社のPR雑誌「波」を読んで、
見つけた一冊です。
「波」のなかには重松清さんと映画監督の西川美和さんが
書評を書いています。
重松清さんは「微笑みながらの逍遥である」と書き、
西川美和さんは「人間同士のつながりの奥行きは、
相手とどれだけ取るに足らない時間を過ごしたかで変わってくる」と
書いています。
愛する妻を亡くした男の、
これはぽつんと寂しい文集だが、
ぜひ多くの男性に読んでもらいたいと思います。
ところで、サッカーW杯ですが、
岡田ジャパン残念でしたね。
ああいう局面になると、
サッカーというのは残酷なスポーツだと思います。
最後はああいう結果になりましたが、
勝敗ですから、
誰かが駒野選手の役目を負わなければならない。
結果は残念でしたが、
駒野選手にはさらなる成長を
期待したいと思います。
じゃあ、読もう。
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この春五十年連れ添った妻を亡くした私の父は寂しい目をするようになった。
日頃から賑やかだった母のことを時にはうるさく思ったことがあったはずだし、性格的には少しずれた感じもしないわけではなかったが、それでも母の死後、父は少しまた老けた。
男というのは、連れ合いに先立たれるとこたえるようだ。
けれど、その寂しさ、つらさを文章で表現することができる人はいい。そして、たとえば城山三郎の『そうか、もう君はいないのか』や江藤淳の『妻と私』といったように、多くの人の胸をうつ作品を残してきた。
だから、七歳年下でまだ五十七歳だった奥さんを亡くした映画評論家で文筆家である川本三郎さんはまだ仕合せなのだと思う。こうして、亡き妻の追想記を綴れるのだから。書くことで二人の生きてきた日々をふたたびたどれるのだから。
妻の思い出を綴ることもできず、何かに耐えるように私の父はじっと静かに瞑目している。
川本さんは本作を「何もしてやれなかった家内への詫び状」と書いているが、「詫び状」どころか生前は口幅ったくていえなかっただろう「恋文」としかいいようのない、愛情にあふれた文章がつづく。
愛情にあふれるとは、その人の魅力を最大限に表現することだ。読者は川本恵子という一人の女性の明るさ、強さ、あたたかさに魅せられていく。
また、奥さんの癌が判明してからの川本さんの献身的な愛情に打たれる。
病床でなんども夫に「迷惑をかけて、ごめんね」と詫びる妻の姿に、川本さんは「妻は夫に迷惑をかけていい」ことに、「三十年以上、一緒にいてやっとそのことが分かった」と書く。
読む者の胸に悲しみがどんとくる。
奥さんが亡くなられたあと、友人の画家から「幸せだった思い出を語るのが、亡くなられた方にとっていちばんうれしいことではないか」と言われたと川本さんは書いている。そして、「いま、なるべく「幸せだった」頃のことを思い出すように努めて」、こうして一冊の本にまとめた。
私の父も、また、母との「幸せだった」頃のことを思い出しているのだろうか。語られない父の話は想像するしかない。
(2010/06/30 投稿)

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