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プレゼント 書評こぼれ話

  今日で7月もおわり。
  参議院の選挙があったのは
  うんと昔のような気がしますが、
  あれも7月だったんだという感じです。
  ちっとも政治が動いたという気がしないのは、
  政治にうとい私だけでしょうか。
  どうもプロ野球のストーブリーグみたいな
  そんな動きしか伝わってこないのは
  どうしてでしょう。
  今日紹介するのは、
  池上彰さんの『見通す力』。
  政治家の人たちにも
  この「見通す力」をぜひ身につけてほしいもの。
  でも、うっかり「見通す力」を身につけたら
  政党離脱なんていうのも
  どうかと思いますが。

  じゃあ、読もう。

見通す力 (生活人新書)見通す力 (生活人新書)
(2009/10)
池上 彰

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sai.wingpen  池上彰さんの新しい魅力まであと半歩              矢印 bk1書評ページへ

 最近の池上彰さんんの活躍はめざましい。
 先日の参議院選挙の開票結果の報道番組にも登場していて、しかも視聴率もよかったという。池上さんといえば、ニュースを「わかりやすく」伝える人というイメージができあがって、安心できる人になっているのだろう、視聴者にとっては。
 それほどに現代社会が複雑になっているともいえるし、基礎的な知識が乏しいともいえる。クイズで何も答えられない「おばかタレント」が人気になる一方で、池上さんのような知識のある人が注目を浴びる。いったいこの国の今はどうなっているのかしら。

 本書はそんな池上彰さんが「わかる」あとの「これから」を見通すためにはどうしたらいいかを伝授した一冊である。
 「見通す力」とは、将来を予測する力のこと。
 確かに、「わかる」だけでは進歩がない。わかったことを何かの役に立てる必要がある。知識とは生かされて価値がうまれるのだ。
 そのためのテクニックとして、池上さんは「情報の収集」、「情報の選別」、「仮説の設定」、「仮説の検証」の四段階をあげている。
 今の池上現象は「情報の収集」「選別」までにとどまっているが、その先があることを忘れてはいけない。

 知ることは、明日起こることを予測できる一歩でしかない。
 池上彰さんの人気がやがて「これから」の方に移ったとき、またひと味ちがう池上さんに人気が高まるような気がする。
(2010/07/31 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  いよいよ、小学館の「永遠の詩」シリーズに
  中原中也の登場です。
  本当に久しぶりに中原中也の詩を読んで、
  涙がでそうなくらい、
  心がふるえました。
  若い頃、中也の詩がとても好きでした。
  青春の頃のそれは感傷かもしれませんが、
  黒のソフト帽をかぶった中也の写真は
  私にとってはアイドルでした。
  その写真もこの詩集のなかに
  あります。
 
  中原中也になりたかった。

  やはり詩とは若い人のものだと思います。
  あの感性はもう戻りません。
  ちょうど、
  喪った初恋のようなもの。

  ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん。

  じゃあ、読もう。
  
永遠の詩 (全8巻)4 中原中也永遠の詩 (全8巻)4 中原中也
(2010/01/25)
中原 中也

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sai.wingpen  青春時代に一度は読んでおきたい詩集              矢印 bk1書評ページへ

 「永遠の詩」全八巻の四巻めは、中原中也。四十一篇の詩が収められている。
 巻末のエッセイは、作家の川上未映子が担当している。

 彼の詩は感傷だ。
 ノスタルジアでもメルヘンでもなく、悲しみをことさらに、痛みを過剰に、嘆きを大きく、詠う詩人だった。だから、彼の詩はいつも青春のものだ。
 しかし、子どもの詩ではない。子どもから大人になる、途中駅にたちどまる汽車のようだ。蒸気をはきながら、いつでも出立の合図を待っている汽車のようだ。その合図はいつまでたっても響きはしない。
 彼、中原中也。

 どうして中也の詩はこんなにも感傷をもたらすのだろうか。
 「私の上に降る雪は/真綿のようでありました」(「生い立ちの歌」)と何度つぶやいたことがあるだろう。「汚れっちまった悲しみに/今日も小雪の降りかかる」(「 汚れっちまった悲しみに・・・・」)と何度ポーズをつくったことだろう。そして、すべては「ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん」(「サーカス」)のサーカス小屋の一夜の夢。
 中也の気取りを否定などしない。
 なぜなら、中原中也は青春と同義語。
 いつかは越えるのだけれど、誰もが通る道。
 彼の詩は永遠の青春だ。

 サーカス小屋の空中ブランコのように、高い梁で揺れているのは、過ぎた青春の思い。
 中原中也の詩にこうして再会できる。感傷かもしれないが、やはりうれしい。

 ちなみに、表紙の「私はその日人生に/椅子を失くした。」は「港市の秋」という詩の一節である。
  
(2010/07/30 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  私は「勉強」という言葉が嫌いではありません。
  春に亡くなった私の母は
  私のことを「この子は勉強が好きだ」と
  よく言っていました。
  まあ好きかどうかはともかく、
  常に何かを学びたいという思いはあります。
  今日紹介するのは、
  おなじみ小宮一慶さんの
  『ビジネスマンのための「勉強力」養成講座』。
  子どもの頃は早く大人になって
  「勉強」から解放されたいと
  よく思ったものです。
  でも、本当の「勉強」は
  大人になってじっくりするもの。
  いつだって「勉強」は大事です。

  じゃあ、勉強しよう。

ビジネスマンのための「勉強力」養成講座 (ディスカヴァー携書)ビジネスマンのための「勉強力」養成講座 (ディスカヴァー携書)
(2010/05/20)
小宮 一慶

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sai.wingpen  勉強は若い人だけのものではない                     矢印 bk1書評ページへ

 経営コンサルタントの小宮一慶氏氏の「ビジネスマンのための」と冠のついた著作は『発見力』『数字力』『解決力』『読書力』『社長力』『時間力』と、今までに六冊刊行されています。そして、今回は著者自身これが集大成と言い切っている『勉強力』ということになります。
 なるほど、『勉強力』がなければ、既刊の本も読むまでにはいたりません。だから、もしかしたら、この本を手始めにして先に刊行されたシリーズを読むのが正しい読み方かもしれないとも思えたりします。

 小宮氏は「社会人の勉強とは、仕事で自己実現していくための「手段」」だといいます。(少し注釈すると、小宮氏のいう「自己実現」とは「なれる最高の自分になる」ことです)
 氏の説に反論というほどではありませんが少し書き添えると、私は「勉強」とは仕事を離れたところでも自己実現できうるようにすることだと考えています。小宮氏の本をよく読むとそのことがよくわかります。小宮氏はけっして今の職場での地位の向上をいっているわけではありません。そのことは誤解しないでください。

 人生には多くのステージがあります。人それぞれ今いる場所はちがいます。できるならば、小宮氏のいうように、それぞれのステージにあわせた「勉強」を取り入れるべきでしょう。
 この本はどちらかといえば若いビジネスマンを想定して書かれた感がありますが、小宮氏にはぜひ今度、ビジネスマンとしての終わりに近づいた人、あるいは終えた人への、新しいキャリアの築き方などを書いてもらいたいと思います。
  
(2010/07/29 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日紹介する塩野七生さんの
  『日本人へ 国家と歴史篇』は
  以前紹介した『日本人へ リーダー篇』につづくものです。
    『リーダー篇』の書評はこちら
  この本の宣伝文のなかに
  「二十一世紀版<考えるヒント>」という言葉が
  使われていますが、
  「考えるヒント」というのは小林秀雄さんの
  有名なエッセイ集です。
  小林秀雄さんのものでも
  この塩野七生さんのものでもそうですが、
  ずばっと「考えるヒント」が書かれているわけでは
  ありません。
  ただ、こうして物事を考えていくのだという
  考えることの愉しさにあふれています。
  暑い夏には読み応えある一冊です。

  じゃあ、読もう。

日本人へ 国家と歴史篇 (文春新書)日本人へ 国家と歴史篇 (文春新書)
(2010/06/17)
塩野 七生

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sai.wingpen  考えることを他人にまかせるな                     矢印 bk1書評ページへ

 NHKの大河ドラマ「龍馬伝」を面白く観ている。幕末の政治の渦のなかで、若者達が翻弄されていく姿は痛々しくもある。かなりの脚色はあるだろうが、過ぎた時代のそれはやはりドラマチックだ。
どうしてだろうと考えていたところ、本書のなかに「歴史とは、何であろうと求めてやまない、心が狭く、恐怖に駆られやすく人間関係も上手くいかず、落ちついて待つことさえも不得手な、哀れではあっても人間的ではある人々の、人間模様に過ぎない」(「滞日三題噺」)という文章で納得できた
。それはこと幕末のことだけではない。歴史がもっている「人間模様」があるから、面白いのだ。そういう側面をはずしてしまえば、ただの年表になってしまう。

 そういうことを理解したうえで、塩野七生のエッセイを読むと、実は人間くさい文章だということに気づかされる。カエサルやアウグストゥスといった歴史上の人物だけでなく、小沢一郎にしても福田康夫といった現代の政治家さえもが、人間くさいのだ。言葉としての彼らの名前に、塩野は実にあざやかに「人生模様」を描いている。だから、塩野のエッセイは生々しい。
新鮮なのが美味しいのは食べ物だけでなく、文章も同じだ。

 この「国家と歴史篇」は「事業仕分け」や「密約」のことなど、今年の春に発表されたものまで掲載されている。何百年も遡るのも歴史として面白いが、数ヶ月前をきちんと見直すのも大切だろう。
 なにしろ、人間はとても忘れやすい動物だから。
  
(2010/07/28 投稿)

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 夏休み。
 いいなぁ、子どもたちは。
 暑いからプールとか海とか
 遊びまくっているんじゃないかな。
 でも、こんな時こそ、
 いい本を、できれば長い物語を
 じっくり読むのもいいと思いますよ。

 先日(7.20)の日本経済新聞の朝刊に
 面白い記事が出てたので紹介しておきます。

  子の読書量 親に比例  厚労省調査

 この記事によると、
 親が本好きだと子どもの読書量が増える傾向に
 あるんだとか。
 厚生労働省が調査した「母親と子供の読書習慣」調査によれば、

   子供の読書量は親にほぼ比例しており、同省は
  「親の読書習慣が大きく影響している」と分析している。


 この調査では、
 「一ヶ月の母親の読書量が1冊の場合、
 新聞
子供が1冊が17.4%、2~3冊が34.1%(中略)12冊以上が13.8%

 だそうです。
 その一方で母親が12冊以上の本好きだと
 「子供も12冊以上が55.7%」という結果でした。
 お父さんはどうなのか。
 お父さん、安心してください。
 「父親の読書量についても同様の傾向」だったそうです。

 夏休みに
 子どもばかりに本を読むことをすすめるのではなく
 お母さん、お父さんがしっかり本を読むことが
 大切なんですよ。

 もっとも私の娘たちは
 本好きな父親にちっとも影響されなかったなあ。

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プレゼント 書評こぼれ話

  いやあ、毎日暑い。
  どうしてこんなに暑いのかとぼやきたくなる。
  それでいて、
  TVのニュースで「猛暑」の模様を見るのが好きなんです。
  こういう暑さのなかで自分もがんばっているんだと
  つい、ふ、ふ、ふ、となってしまいます。
  そんななか、ついに
  昨年一年間の「朝日俳壇」採用句を集めた本が
  出版されました。
  このブログにも掲載のつど
  記事を書いてきましたが、
  あらためて一冊の本になって掲載されると
  うれしいですね。
  思わず、なでちゃったりして。
  ただ、家族は「それで?」みたいな顔をしているのは
  ちょっぴり悲しいですが。

  じゃあ、読もう。

朝日俳壇
朝日俳壇 2010
(2010/07)
不明

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sai.wingpen  鼻がのびる。                     矢印 bk1書評ページへ

 木の人形ピノキオの鼻はうそをつくとのびるが、私たちはどうも自慢すると鼻がのびるようだ。
 よく天狗になっていると揶揄されるが、天狗のように鼻が天をつく。けっして見たり聞いたりしても、気持ちのいいものではない。
 今回の書評はそんな天狗の鼻を書いてみた。

 「朝日俳壇」は「一年五十一週」朝日新聞に掲載されている人気コーナーであるが、毎週六千句以上の投句があるという。大串章、長谷川櫂、稲畑汀子、金子兜太の四人の選者が十句ずつ選ぶので、掲載されるのが毎週四十句という「狭き門」である。
 「俳句好きなら一度は選句されて、赤飯を炊いて祝いたい」といわれるほどであるから、俳句愛好者にとっては憧れの地だ。
 その一年間の掲載作品を集めたのが本書。
 新聞に載って、こうして本になる。
 俳句を趣味にするものにとってはたまらない。

 その「朝日俳壇」に私の句も採用された。今までにも何度か投句していたのだが、まったく選ばれない。そのつど、嘆息し、自分の才能のなさにしょげかえっていた。
 初めて掲載されたときも、やはりダメかと投句をやめようかと思っていた。だから、なにげなく開いた新聞に自分の句を見つけたときには心臓がぱくぱくした。
 そして、鼻がのびた。
 それから、この年に、あと二回掲載され、どんどん鼻がのびた。
 もちろん、不採用の句の方がうんと多いのだが。

 芥川龍之介の『鼻』の主人公禅智内供の鼻は、上唇の上から顎の下まで垂れ下がっているくらい長い。食事のときには小僧にその鼻をもちあげてもらわないと食べれないくらいだ。
 そんなみっともない姿になりたくはないが、本書に掲載されたわが句を見ながら、鼻をのばしている。

 やっぱり天狗の鼻はみっともない。
  
(2010/07/26 投稿)

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  表紙をみているだけで
  すっかりとりこになりました。
  今日紹介するのは、
  斎藤隆介さんの『モチモチの木』。
  絵は滝平二郎さん。
  斎藤隆介さんは、この絵本の最後で
  滝平二郎さんの絵について
  こんなことを書いています。

   格調高く、描写は適確で、情熱は沈潜し、
   しかもそれだからこそなつかしい無限の抒情が
   うたわれている。

  たしかにそのとおりです。
  きっと滝平二郎さんの絵がなければ、
  この『モチモチの木』は
  まったくちがう印象を
  与えるだろうと思います。
  世界の、たった一冊の絵本を
  大事にしたいと思います。

  じゃあ、読もう。

モチモチの木 (創作絵本 6)モチモチの木 (創作絵本 6)
(1971/11/21)
斎藤 隆介

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sai.wingpen  お父さんにも教えてくれないか、モチモチの木の話を          矢印 bk1書評ページへ

 表紙の、そしてそれは滝平二郎さんの手によるものなのですが、じさまの胸に抱かれる豆太の、こちらに向けた顔をみて、そういえばわが子の小さいときもこのように自信なげで人をうかがうような表情をしていたことを思い出しました。
 豆太はおくびょうな、五歳の男の子です。
 なのに、夜中に一人でトイレ(物語のなかでは「せっちん」と書かれています)にもいけません。
 豆太は庇護を求めているのです。父も母もなく、じさまと二人暮しの豆太は、じっとこちらを見つめることで、助けを求めているのです。
 小さい頃のわが子もそうだったのかもしれません。いい写真を撮ろうと一生懸命の父親の姿は、わが子からすれば自分から離れようとする父親にしか写らなかったのでしょう。
 だから、豆太のように、助けを求めていたんだと、今頃になってようやく気づきます。

 豆太が心底信頼をしていたじさまがある夜、それは家の前の大きなモチモチの木にひがともるという大事な夜でもあったわけですが、おなかが痛くて「クマのうなりごえ」をだしています。
 豆太は「こいぬみたいに からだをまるめて」暗い夜へと走り出しました。豆太は暗くて寒い夜がこわくてしかたありません。でも、大好きなじさんが死んでしまう方がもっとこわくて、夢中でふもとの村まで走ります。

 豆太の活躍でじさまの腹痛は治ります。じさまはいいます。「にんげん、やさしささえあれば、やんなきゃならねえことは、きっとやるもんだ」と。
 じさまの胸に抱かれながら、じっとこちらをうかがっていた豆太ですが、ちょっとだけ自信がついたかもしれません。
 子どもとは、そういうささいなことを経験することで、少しずつ大人になっていきます。
 やがて、人をうかがうような表情をしなくなります。
 きっと、私たちが知らないところで、ひかるモチモチの木を見たのにちがいありません。

 大きくなったわが子に、「モチモチの木ってどんなだった?」と聞いてみたいと思いますが、まだ聞けていません。
  
(2010/07/25 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  三浦哲郎さんは好きな作家です。
  芥川賞を受賞した『忍ぶ川』は大好きな作品ですし、
  三浦哲郎さんの「おふくろ」ものも好きです。
  そんな三浦哲郎さんの新しい本が出たので
  とてもうれしかった。
  いい作家、うまい作家には
  ずっと活躍してもらいたい。
  書評にも書きましたが、
  昭和50年の作品から平成21年の作品までの
  足掛け30数年の短い随筆が収められています。
  こういう随筆集が読めるなんて
  贅沢な気分になります。
  若い人にも読んでもらいたい。
  そして、ぜひ三浦哲郎さんの『忍ぶ川』の
  静かで燃えるような愛の世界を
  味わってもらいたいと思います。

  じゃあ、読もう。

おふくろの夜回りおふくろの夜回り
(2010/06)
三浦 哲郎

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sai.wingpen  「おかわり」                     矢印 bk1書評ページへ

 傷(いた)む、という言い方がある。
 たとえば、桃。あの産毛に包まれたピンク色をした表面についた、うっすらと茶色っぽいあばたのようなもの。そんな桃を見て、傷んできた、とよく言う。
 最後は腐っていくのだろうが、その少し手前の状態。そんな傷むは文章にもあると思う。
 発表された当時は強固な文章だったはずが、やがて傷みだして、何十年も経つと読むのも耐え難い文章に変化してしまうことはしばしばある。あとはジャムにでもするしかないか。

 久しぶりに刊行された三浦哲郎の随筆集『おふくろの夜回り』を読んで、この人の文章はちっとも傷んでいないと安堵した。
 本作に収められた最初の随筆「いびきの話」は、昭和50年(1975年)4月に雑誌に発表されたもので、30年以上前に書かれた文章である。それなのに全然傷んでいない。三浦の飼犬の大きないびきが筆者のそれと間違われて心外だという、たわいもない「いびき」の話だ。それなのに古臭くない。きっと今でもそんな誤解をうけて「甚だおもしろくない」と思っている人もいるのではないだろうか。

 話自体が新鮮というよりも、文章の質がいい。文章に傷みがないから話も新鮮なままなのだろう。こういう日本語を読むと、まことにおいしい。つい、「おかわり」とねだりたくなる。
  
(2010/07/24 投稿)

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  今日紹介するのは、
  小学館から刊行されている「永遠の詩」の
  第3巻、「山之口獏」です。
  このシリーズの特徴のひとつに
  詩の解説文が各詩ごとについていることです。
  でも、私は、まず詩を全部読みきるように
  しています。
  解説はすべての詩を読んでから
  あらためて読んでいきます。
  詩にはリズムがあります。
  やはりそのリズムを大切にしたいと
  思います。
  もちろん、どんな読み方をしようと
  それは読み手の自由です。
  詩を味わうのに
  理屈はいりません。

  じゃあ、読もう。

永遠の詩 (全8巻)3 山之口貘永遠の詩 (全8巻)3 山之口貘
(2010/01/25)
山之口 貘

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sai.wingpen  彼こそ詩人だといいたくなる詩集                     矢印 bk1書評ページへ

 「永遠の詩」全八巻の三巻めは、山之口獏。四十五篇の詩が収められている。
 巻末のエッセイは、作家の山本兼一が担当している。

 山之口獏について少し書く。明治36年沖縄に生まれた。19歳の時に絵を志して上京。しかし、夢破れる。二度目の上京は22歳の夏。手には詩稿をもって。現実は厳しく、「16年間、畳の上に寝たことはなかった」というほどの放浪生活をおくる。それでいながら、佐藤春夫や金子光晴といった日本文学史の綺羅星のような作家、詩人たちの知己をえているのが不思議だ。才能は才能をひきつけ、互いに認め合ったとしかいうしかない。35歳の時、ようやく定職につき、結婚もする。晩年、沖縄に帰郷し、熱い歓迎をうける。昭和34年、59歳で死去。

 本書の年譜につけられた晩年の家族とともにいる写真の山之口獏はほころびかけた口元を噛みしめるようであるのだが、傍らの夫人と娘には幸せな笑顔がこぼれている。この家族の幸福、この詩人の幸福が垣間見える、いい写真である。

 山之口獏はどんなに貧しいときにあっても詩を捨てなかった。彼にとって詩は希望だった。
 だから、「ものもらいの話」や「生活の柄」といった貧窮を詠った詩であっても、山之口の心はしんと立っている。へこたれず、なげかず、くじけず、しんと前を向いている。
 「生きる先々」という詩の一節。「僕には是非とも詩が要るのだ/かなしくなっても詩が要るし/さびしいときなど詩がないと/よけいにさびしくなるばかりだ」。

 路上で生活をしながら、山之口獏ならきっとこう答えたのではないだろうか。
 僕は「詩人です」と。

 ちなみに、表紙の「僕ですか?/これはまことに自惚れるようですが/びんぼうなのであります」は「自己紹介」という詩の一節である。
  
(2010/07/23 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  これまで小宮一慶さんの本は
  ずいぶんたくさん読んできました。
  だから、また同じことが書かれていると思うことは
  正直いうとあります。
  今回紹介した『結果的に幸せをつかむ人の「正しい考え方」』にも
  それはたくさんあります。
  だからといって、読んで損をしたとか
  思ったことは全然ありません。
  むしろ、再読はなかなかできないですから、
  新しい本で何度でも教えてもらうのは
  うれしいことです。
  人間って忘れやすいですからね。
  今回の本のなかで
  私が気にいったのは、
  英国のことわざとして小宮一慶さんが紹介していたこんな言葉。

   いったん始めれば半分終わったのと同じだ

  ね、いい言葉でしょ。

  じゃあ、読もう。

結果的に幸せをつかむ人の「正しい考え方」―あなたを支える36の言葉結果的に幸せをつかむ人の「正しい考え方」―あなたを支える36の言葉
(2010/05)
小宮 一慶

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sai.wingpen  いい言葉と出あうのは幸福だ                     矢印 bk1書評ページへ

 本を読むと、心にすっとはいる言葉にであうことはよくある。
 それは、ビジネス本にかぎらず、小説であれ、評論であれ、絵本であれ、そうである。それらの言葉をどう自分のなかに残していくか。ノートに書きとめたり、傍線をひいたり、付箋をつけたりする。そうでもしないと、言葉は鳥の影のようにさっと過ぎ行くばかりだ。

 そのようにつかまえた言葉はできれば活用したい。
 経営コンサルタントの小宮一慶氏の多くの著作のなかにも、活用したい言葉はたくさんある。たとえば、人生についての「正しい考え方」に導く名言(それはけっして有名な人が言ったものばかりではない、というのがこの本の魅力でもある)を集めた本書のなかにも書かれている、「散歩のついでに富士山に登った人はいない」などは、けっしてビジネスの現場だけでなく活用できる場がたくさんある。この言葉がいいのはとてもイメージがしやすいということだろう。
 また、これは小宮氏の著作のタイトルにもなっているが、「あたりまえのことを、バカになって、ちゃんとやる」。これはそれぞれの頭文字から「ABCの法則」と呼んでいい。これも、使いやすい。

 このように、ちょっと覚えているだけで、いろいろな場面で使える言葉がある。それらを使うことによって、生活に幅ができる。あるいは、自分の大切な言葉として、くじけそうなときに思い返す。
 いい言葉と出あうのは幸福だ。
 そういう幸福をこの本はくれる。
  
(2010/07/22 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  つかこうへいさんの逝去が報じられてまもなく、
  つかこうへいさんの遺書ともいえる文章が
  公表されました。
  今年の元旦に書かれたものだそうです。
  
  そこにはこう記されていました。

   思えば恥の多い人生でございました。
   先に逝くものは、後に残る人を煩わせてはならないと
   思っています。
   私には信仰する宗教もありませんし、
   戒名も墓も作ろうとは思っておりません。
   通夜、葬儀、お別れの会等も一切遠慮させて頂きます。
   しばらくしたら、
   娘に日本と韓国の間、対馬海峡あたりで散骨してもらおうと
   思っています。
   今までの過分なる御厚意、
   本当にありがとうございます。


  つか なんだか最高にかっこいいじゃないですか、
  つかこうへいさん。
  この文章を読んで、
  今日紹介した『娘に語る祖国』を
  久しぶりに再読しようと決めました。
  そして、
  つかこうへいさんのことを書こうと。

  じゃあ、読もう。


娘に語る祖国 (カッパ・ホームス)娘に語る祖国 (カッパ・ホームス)
(1990/10)
つか こうへい

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sai.wingpen  追悼・つかこうへい その二 - とどまる者として             矢印 bk1書評ページへ

 つかこうへいさんのペンネームの由来については諸説あるようですが、「いつか公平な世の中に」という言葉からとったという説は、感傷的な意味合いにおいて納得させうるものをもっています。
 つかさんが在日韓国人の二世だったということは広く知られています。
 1990年に刊行された、この『娘に語る祖国』は、1987年の韓国公演の模様を核にして、娘みな子ちゃん(この本が刊行された当時四歳の女の子だった彼女は今宝塚歌劇団のトップスターとなっています)に語りかけるかたちで、自身と韓国、そして日本について語った作品です。

 本書のなかでもペンネームの由来について語った章がありますが、そこでははひらがなの名前にした理由について書いたものにとどまっています。
 ひらがなにしたのは、漢字を読めない母にもわかるようにだったと、つかさんは書いています。
 そして、小学校に通って字を習いたいという母親を「恥ずかしいから」と反対したエピソードを綴っています。そんなに長い文章ではありませんが、その短い挿話のなかに、当時の在日韓国人の人たちが味わっていた苦悩や悲しみが凝縮されているように感じます。

 韓国での公演で成功をおさめたつかさんを乗せた飛行機が「朝鮮半島を抜け、真っ青な日本海上空」にさしかかった時のつかさんの胸に去来する思いが、この本の最後に書かれています。
 「みな子よ、きっと祖国とは、おまえの美しさのことです。(中略)そして、男と女がいとおしく思い合う意思の強さがあれば、国は滅びるものではありません」
 少し感傷的すぎる文章だと思います。
 しかし、つかさんのそんな感傷はけっして一時的な装飾的なものではないことを、死を目前にしてつかさんが書き残した文章を見て思いました。

 つかこうへいさんが最後に書き残した文章にはこうありました。
 「しばらくしたら、娘に日本と韓国の間、対馬海峡あたりで散骨してもらおうと思っています」
 つかこうへいさんは時代を駆け抜けた作家、演出家でした。けれど、最後にはふたつの祖国の真ん中でとどまる人になったのにちがいありません。それは、つかこうへいさんの積年の思いだったのではないでしょうか。

 ありがとう。つかこうへいさん。
  
(2010/07/21 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  劇作家で作家のつかこうへいさん逝去のニュースは
  7月13日の朝のニュースで知りました。
  一瞬、「えっ!」と声がでました。
  今日の書評のなかでも書きましたが、
  けっしてつかこうへいさんのファンというわけでも
  ありませんでしたが、
  やはりかなり驚きでした。
  それほどつかこうへいさんは
  私たちにはインパクトのある人だったと
  いえます。
  今日紹介した『蒲田行進曲』は
  映画で観ました。
  日本映画のなかで、
  もっと評価されていい作品だと思います。
  あのスピード感は、
  メガホンをとった深作欣二監督のものかと
  思っていましたが、
  直木賞をとった本作を読むと
  つかこうへいさんのものであったと
  あらためて実感しました。
  今日と明日、
  つかこうへいさんのことを書きます。

  じゃあ、読もう。

蒲田行進曲 (角川文庫 緑 422-7)蒲田行進曲 (角川文庫 緑 422-7)
(1982/08)
つか こうへい

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sai.wingpen  疾走する者として -追悼・つかこうへい                矢印 bk1書評ページへ

 先日亡くなったつかこうへいさんの、たくさんの作品のほとんどを読まずに、まして「劇作家で小説家ですが、天職は、やはり舞台の演出家」(『娘に語る祖国』より)と自身がいうのにその舞台を観なかった人間が、つかさんの何程をわかるといえるでしょう。
 おそらく、つかこうへいさんの小指の先ほどのこともいえないと思います。それでも、つかこうへいさんのことを書いておきたいという思いは捨てがたいのです。
 なぜなら、つかさんが生きた時代と同じ時代を生きたものとして、「つかこうへい」という名前は時代の表現者として人々を常に励ましつづけてきたからです。
 「つかこうへい」は70年代から80年代にかけての時代の記号そのものであったのではないでしょうか。

 本作は第86回直木賞受賞作ですが、のちに深作欣二監督で映画化(この時の脚本はつか自身が担当)され大ヒットしました。
 映画スターの銀ちゃんと大部屋俳優のヤス、そして銀ちゃんの元彼女の小夏。彼らが織りなすサディスティックな三角関係の物語に、読み手はたまらない快感を感じます。加虐と被虐の物語は、時に攻守反転し、被虐される側が加虐する側に転じます。その疾走感はたまりません。
 ヤスに対する銀ちゃん、小夏に対するヤスをみていると、まるで子どものだだっこです。それでいて、ヤスも小夏も母親のようにわがままな虐げにたえています。
 加虐とは愛を乞うもの、被虐とは愛に応えるものなのでしょうか。

 この物語が発表されたのは1981年(昭和56年)でした。時代はまだまだ高度成長の勢いのまま、走りつづけていました。しかし、この物語の舞台となった映画産業がそうであったように、高度成長とは反対に下降をしていくものを生み、やがて下流に内在していくことになります。
 つかこうへいさんはそんな時代にあって、愛の物語を描いたといえます。もちろん、それはその後の時代で量産される薄っぺらな物語とは一線を画していますが。
 愛と憎しみ。繁栄と貧困。光と影。それらは常に裏おもての関係にあります。
 そして、つかさんはそれらを描くのに走りつづけるしかなかったのかもしれません。とまってしまったら、ぱたんと倒れてしまう、そんな時代の胡散臭さに気づいていたのではないでしょうか。

 さよなら。つかこうへいさん。
  
(2010/07/20 投稿)

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 今日は海の日
 そして、いよいよ夏本番ですね。
 少年少女のみなさんは、待ちまった夏休み。
 いいなぁ。

 本好きの人にとっては
 各文庫の夏のキャンペーンがはじまって、
 興味しんしんではないですか。

 そこで今日は各文庫の夏キャンペーンを
 ぶらりと散歩してみましょう。

夏の文庫
 まずは集英社文庫
 今年のキャッチコピーは「世界をめぐろう。」。
 イメージキャラクターは多部未華子さん。
 彼女がいいんだなぁ。
 文庫にぴったり。
 夏にぴったり。
 そんな多部未華子さんと私も世界をめぐりたい。
 集英社文庫は人気漫画家さんとのコラボ表紙が好評で、
 今年もそろっています。
 一冊買うと、ハチストラップがもらえるそうです。
 これがまたかわいいのです。

 つづいて、新潮文庫
 今年も「新潮文庫の100冊」やってますっていう感じ。
 新潮文庫が「yonda?」のパンダをキャラクターにしてから
 もうかなり経ちますね。
 人気があるんでしょうね。
 二冊買うと、「yonda?のバンダナ」が必ずもらえるそうですが、
 ランチを包むのにいいかも。
 かわいいし。
 今年もシンプルな限定スペシャルカバーがいいですね。
 吉本ばななさんの『キッチン』もスペシャルカバー。

 最後は角川文庫
 テーマは「発見」。
 そして、一冊買うと、「ハッケンくんストラップ」がもらえます。
 こちらも、ハッケンくんのスペシャルカバーの限定版があります。
 どうも最近の文庫は限定カバーがはやりかも。

 こうして各文庫の夏が始まるわけですが、
 多部未華子さんが「yonda?のバンダナ」をまいて、
 「ハッケンくんストラップ」を持っている、
 そんなところが一番いいかもしれませんね。

 まずは本屋さんにでかけて、
 各文庫の夏のキャンペーンをゲットしましょう。

 今年の夏もいい作品にめぐりあえますように。

 じゃあ、読もう。

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プレゼント 書評こぼれ話

  先日読んだ「永遠の詩2 茨木のり子」の
  巻末エッセイのなかで天野祐吉さんが
  詩人茨木のり子さんの、
  生涯唯一の絵本『貝の子プチキュー』について
  書いていました。
  そこで、初めて茨木のり子さんに
  絵本があったことを知りました。
  今日紹介するのは、
  その絵本『貝の子プチキュー』です。
  手にして思ったのは、
  なんて美しい絵本かということです。
  まずそのことが絵本にとっては
  大事です。
  そして、読み進むうちに
  深く海底にもぐっていくように、
  生きることについて
  考えさせられます。
  子どもたちと一緒に考えてみるもの
  いいですね。

  じゃあ、読もう。

貝の子プチキュー (日本傑作絵本シリーズ)貝の子プチキュー (日本傑作絵本シリーズ)
(2006/06/21)
茨木 のり子

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sai.wingpen  絵本というものは、つくづく             矢印 bk1書評ページへ

 絵本というのは、字のごとく、絵のついた本であるが、詩人茨木のり子の生涯唯一の絵本を手にして思うことは、これはまちがいなく絵本なんだという不思議な感心だ。
 絵を描いたのは、山内ふじ江。
 山内ふじ江の絵がなければ、茨木のり子のこの作品はもっとちがった印象を読み手に与えたような気がする。あるいは、山内の絵があって初めて茨木のり子の絵本が成立したのだと。

 もともとは朗読のための童話だったというこの作品は、「さみしくなると エンエンエンと泣き」だす「ちいさな ちいさな 貝の子ども」プチキューの、切ない物語。
 ちいさな貝をどう描くかで、きっと絵本の表情も違ってきただろうが、山内は貝の姿をあえて擬人化することなく、それでいて子どもの動きと貝ならこういう動きをするだろうと思わせるぎりぎりのところで描いていく。それはほかの海の仲間、えびであったりいかであったり、かにであったりも同じである。
 茨木のり子が童話だからといって子どもに迎合するような結末を用意しなかったように、山内ふじ江も子ども向きの絵本だといって、簡単に絵筆を走らせることはなかった。

 海の青と夜空の青。それにはさまれるようにして、貝の子プチキューがどうなっているかは読んでもらうしかないが、読み終わったあと、もう一度表紙の海底の世界にもどれば、やはり絵本は文と絵がうまく合わさってできるものだということを実感する。
 なんときれいな世界だろう。茨木のり子が描いた世界は。山内ふじ江が描いた世界は。
  
(2010/07/18 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  前にも少し書きましたが、
  雑誌「暮しの手帖」にとても憧れていました。
  「暮しの手帖」があるところって、
  どこか知的で、
  むかし言葉ですがハイカラな感じがしました。
  お医者さんとか会計事務所にあるみたいな。
  私の家はそんなところとは
  別世界でしたから、
  「暮しの手帖」を読める家になりたいものだと
  子供心に思ったものです。
  今日紹介するのは、
  そんな「暮しの手帖」の創業者、
  大橋鎭子さんの自伝『「暮しの手帖」とわたし』。
  戦後の混乱期をひとりの女性が
  どう生きたか、
  そしてあんなに素晴らしい雑誌を
  どう作っていったか、
  興味がつきません。

  じゃあ、読もう。

「暮しの手帖」とわたし「暮しの手帖」とわたし
(2010/05/15)
大橋 鎭子

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sai.wingpen  女性はいつだって強い                 矢印 bk1書評ページへ

 「私たちは、いま、暮しのことを、女だけの領分とは考えていません。男も、子供も老人も、みんな、とにかく毎日暮しているのですから、その暮しを、すこしでもよくしてゆこうというには、男も、子供も、老人も、女のひとと一しょにやってゆかなければ、なかなかうまくゆかないものだ、と思っています」
 これは、昭和33年、雑誌「暮しの手帖」の「編集者の手帖」という編集後記に、本書の著者であり暮しの雑誌社の創業者である大橋鎭子さんが書かれた文章の一部です。
 戦後女性と靴下は強くなったといわれたのは昭和28年頃だそうですが、そうはいっても昭和33年といえば、まだまだ男性の地位が高かった時代といってもいいでしょう。そんななかで、この大橋さんの文章は時代の先を鋭く読みといた、いい文章です。こういう信念があったからこそ、雑誌「暮しの手帖」は多くの読者から高い支持をえてきたのだと思います。

 「暮しの手帖」といえば花森安治さんという名編集長がいたことは有名です。戦中から戦後をたくましく生きた大橋鎭子さんという出版人の半生を読むとき、やはり花森安治さんとの出会いはまず初めにあります。二人が出合わなかったら、「暮しの手帖」という雑誌は生まれなかったでしょうし、大きな視点でみれば戦後のありようも少し違ったかもしれません。
 大橋さんはそれを「運命的な出会いだった」といい、その頃まったく別な職業に就こうとしていた花森さんを「暮しの手帖」へと導いた、それは「タイミングと決断が大事」だということだとふり返っています。

 もちろんすべてが順調だったわけではありません。それは人気雑誌「暮しの手帖」であってもそうです。それなのに、大橋さんが綴る半生にはちっとも湿っぽいものもありませんし、暗澹となることもありません。きっと女性社長としてたくさんの苦労もあったはずなのに。
 そういう突き抜ける明るさが大橋さんのバイタリティにつながっているのではないでしょうか。
 「暮しの手帖」といえば、花森さんの功績が目立ちますが、大橋さんの明るさや思いやりが底流にあればこそ、昭和23年の創刊からずっとつづいているように思えます。
 現編集長の松浦弥太郎さんの「今日もていねいに。」という言い回しも、大橋さんのそんな気持ちが受け継がれているのでしょう。

 「ささやかな、それでいて心にしみてくる」というのは花森安治さんが「暮しの手帖」の人気記事「すてきなあなたに」が単行本になったとき書いた宣伝文ですが、大橋さんのこの本も、まったくそのとおりにできたすてきな一冊です。
  
(2010/07/17 投稿)

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第143回の芥川賞直木賞が決まりましたね。
 今回は両賞ともに女性が受賞。
 産経新聞から。

 芥川賞は赤染さん、直木賞に中島さん 女性2人、初候補で栄誉

 芥川賞は赤染晶子さんの『乙女の密告』、直木賞は中島京子さんの『小さいおうち』。
 中島京子さんはまだどの作品も読んでいないのですが、
 ちょっと気になる作家だったんで、
 俄然、私のなかでは大注目の作家になりました。
 読みたい作家がまた増えて、
 暑い夏になりそうです。

 赤染晶子さん、中島京子さん、おめでとうございます。

小さいおうち小さいおうち
(2010/05)
中島 京子

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プレゼント 書評こぼれ話

  久しぶりにみやにしたつやさんの
  「ウルトラマン」シリーズです。
  今回はしかもウルトラセブンもの。
  さらに同じ姿かたちのママが登場します。
  みやにしたつやさんの絵が素敵なのは
  同じかっこうをしていても
  ちゃんとお父さんとお母さんを
  書き分けられることです。
  そういえば、ウルトラの母が
  TVに初めて登場してきた時、
  少しどきどきしました。
  あの胸のふくらみ。
  女性を表現するのには、
  欠かせないラインなのでしょうか。
 
  じゃあ、読もう。

パパはウルトラセブン・ママだってウルトラセブンパパはウルトラセブン・ママだってウルトラセブン
(2001/05)
みやにし たつや

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sai.wingpen  「ウルトラセブン」一家に子ども手当は支給されるのかな           矢印 bk1書評ページへ

 子どもの頃のヒーロー「ウルトラセブン」に可愛い娘さんがいて、「パパ」と呼ばれているだけで微笑ましいのに、今度は第二子の誕生です。
 こんなうれしいことはありません。
 赤ちゃんがうまれるということは、「ウルトラセブン」には「すごくきれい」なおべんとうを作ってくれたり、笑顔で家族の帰りを迎えてくれるすてきな奥さんがいるということです。時には年令をちょっぴり若くごまかしたりしますが。
 どんなすてきな女性なのでしょう。
 ママは顔も姿もパパ「セブン」にそっくりで、「ママだってウルトラセブン」なのです。

 みやにしたつやさんの楽しい絵本は、今回は「ウルトラセブン」パパではなく、「ウルトラセブン」ママが主人公。きっと今回も多くの読者を夢中にさせてくれます。
 作者のみやにしさんはこんなことを書いています。「ママ、おかあさん、おかあちゃん。どのひびきにも 優しさがある。愛がある」って。
 だからでしょう、「ウルトラセブン」ママの目の表情が「ウルトラセブン」パパとはちがう描き方になっています。
 「ウルトラセブン」パパは力強く、ややつりあがった目。一方、「ウルトラセブン」ママは優しいまん丸な目。
 こういうちょっとした表情の描き方が、この絵本の楽しさをたしかなものにしています。

 あたらしい赤ちゃんが生まれて、四人家族となった「ウルトラセブン」一家に子ども手当は支給されるのでしょうか。
 でも、「ウルトラセブン」ママは、子ども手当よりも、パパも長女も赤ちゃんも、家族みんなが病気などしないで元気でいられることが、最高の幸せだと思っているのです。
 なんてすてきなんでしょう。
 だって、「ママもウルトラセブン」なんですから。
  
(2010/07/16 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  先の金子みすゞにつづく、
  小学館の「永遠の詩」シリーズの一冊です。
  今回は茨木のり子さん。
  このシリーズでは詩人の年譜が
  何枚かの写真とともに
  紹介されていますが、
  詩人の顔は好きですね。
  中原中也立原道造などは
  若い頃あこがれました。
  萩原朔太郎は好きではなかったですが。
  詩人の感性が
  容姿にでているような気がして。
  茨木のり子さんもいいですね。
  センスがいいですね。
  詩は顔かたちから生まれるのではないのに
  もしかして、なんて思いたくなります。

  じゃあ、読もう。

永遠の詩 (全8巻)2 茨木のり子永遠の詩 (全8巻)2 茨木のり子
(2009/11/25)
茨木 のり子

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sai.wingpen  姿勢を正して読む詩集                     矢印 bk1書評ページへ

 「永遠の詩」全八巻の二巻めは、茨木のり子。三十六篇の詩が収められている。
 巻末のエッセイはコラムニストの天野祐吉が担当している。

 茨木のり子の詩はいい。すっくと立つ、背筋がのびる詩が多い。何度読んでも、いつも新鮮で、いつも心があらたになる。
 代表作のひとつ、「わたしが一番きれいだったとき」は反戦詩といっていいだろうが、声高に反戦を叫ぶことはなくても、読むものに戦争がもたらす不幸を痛感させる。繰り返される「わたしが一番きれいだったとき」というリフレインに、その時代を戦争で奪われた詩人の苦味がこめられている。
 白くて細い手が固く握られて、強いこぶしになる。

 そういうつよさ、たとえば「自分の感受性くらい」や「倚りかからず」が茨木のり子の特長ではある。しかし、つよさをまとう意匠は先の「わたしが一番きれいだったとき」のように柔らかで、なめらかで、やさしい。「食卓に珈琲の匂い流れ」にもそれは通じる。
 そういう女性的な(ほめ言葉としての)表現は、亡き夫を偲んで詠まれた作品に結晶している。「夢」という官能的な詩の、切なさはどうだろう。「夢ともうつつともしれず/からだに残ったものは/哀しいまでの清らかさ」(「夢」)。夢のなかで亡き夫と交歓する詩人のうちにあふれだすものに絶句させられる。

 なんどでも、ここに、もどってこよう。
 と、思う。

 ちなみに、表紙の「自分の感受性くらい/自分で守れ/ばかものよ」は「自分の感受性くらい」という詩の一節である。
  
(2010/07/15 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  先日の日曜日(7.11)、
  一冊の本が私に届きました。
  それが今日紹介する、
  重松清さん編著の
  『百年読書会』です。
  たまたま私の感想が掲載されたので、
  ありがたいことに献本されました。
  うふ。
  このブログでも朝日新聞百年読書会」に
  投稿した書評はずっと掲載してきましたので
  もし読まれていない人は
  カテゴリーから「百年読書会」を
  ぜひ読んでみて下さい。
  私の投稿が採用されたのは、
  内田百さんの『ノラや』の回。
  この本でいえば、
  134ページに掲載されています。
  こういう本を読むと、
  まだまだ本好きな人はたくさんいるのだと
  勇気づけられます。
  もっとたくさんの人が本好きになればいい。
  そして、本で豊かな生活が広がればいい。
  そう願わずにはいられません。

  じゃあ、読もう。

百年読書会 (朝日新書)百年読書会 (朝日新書)
(2010/07/13)
重松 清

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sai.wingpen  本でたどる「もう一つの人生」                     矢印 bk1書評ページへ

 朝日新聞日曜書評欄に、一年にわたり掲載されていた読者の「紙上読書会」が一冊に本になりました。
 毎月一冊の課題図書に老若男女の読者がそれぞれの感想を投稿し、それをナビゲーターである作家の重松清さんが巧みにまとめていく、そんな企画です。
 こうして一冊の本になったものを読むとたくさんの読者(投稿の数は一万三千通近くに及び、新聞紙上で紹介されたのはそのうち五七三通だったそうです)がこの「読書会」に参加されているのを実感できますが、活字にはならなかったもっとたくさんの言葉があることに感動します。

 課題図書として選ばれた作品は、太宰治の『斜陽』(ちょうどこの「読書会」があったのが太宰や松本清張の生誕百年の年でもありました)や夏目漱石の『坊っちゃん』、向田邦子の『あ・うん』、開高健の『オーパ!』など十二冊になります。
 この企画に参加した者としてありがたかったのは、大岡昇平の『俘虜記』や内田百の『ノラや』といった名作といわれながら自身読む機会がなかった作品を読むことができたことです。こういったことがきっかけになって、名作を読めたのは貴重な体験でした。

 ひとつの作品でありながら、人それぞれいろんなことを感じ、感想を書く。そういうことを目にすると、あらためて本にはひとつの答えなどないのだと思います。
 それぞれはちがっていてもいい。
 十二歳の少女と九十七歳の女性の思いが重なることはないでしょうが、それでもそれらはどこかでつながっているはずです。あるいは、十代の私が読んだ作品は五十代の今読むとまったくちがう表情をしている。それも不思議ではありません。

 ナビゲーター役の重松清さんは本書の「あとがき」でこう書いています。
 「一編の小説との出会いが「もう一つの人生」との出会いであるとするなら、かつて心に刻んだ小説を年月を経て読み返すことは、「もう一つの人生」をさらにもう一つ増やすことにほかなりません。そして、同じ小説を読んだ別のひとの感想を知ることで、「もう一つの人生」はもっともっと広がっていくでしょう」
 だから、この本のなかに収められているのは、たくさんの人の想いであり、「もう一つの人生」なのです。たった一冊の本を媒介にして。

 私はこの「読書会」でずっと書評句を詠むようにしてきました。
 そして、おそらくこれが「読書会」での最後の一句になります。

  漱石も賢治もありや読書会
  
(2010/07/14 投稿)

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 「第17回東京国際ブックフェア」の開催を記念して
 行われた「読書推進セミナー」に今年も参加しました。

   昨年は茂木健一郎さん。昨年の講演の様子はこちらから。

 今年は政治学者の姜 尚中(かん さんじゅん)さん。
 ブックフェア3
演題は「読書の力-「自己内対話」が開く世界」です。
 姜 尚中さんといえば、『悩む力』でベストセラーにもなって
 気になっている著者のひとりなのですが、
 どうも私にはベストセラーに対する天邪鬼的志向があって
 読まないままになっています。
 ただ、なんとなく、この人は頭脳明晰なスマートな人だなという
 思いがあって、
 姜 尚中さんの講演ということで、
 飛びついて申し込みをしました。

 姜 尚中さんはベストセラー作家ですが、
 これほど人気があるとは思っていませんでした。
 会場は1600名の聴衆でびっしり。
 姜 尚中さん自身、これほどの多くの人を前にして
 足をふるえると会場をなごませていました。
 さて、演題にある「自己内対話」という言葉ですが
 これは丸山眞男さんの言葉らしいのですが、
 子供時代の思い出話から話をおこして
 読書との出会い、そしてそれがもたらす
 「自己内対話」について語られていきます。
 姜 尚中さんは小さい頃は永野鉄男という名で過ごしていて、
 講演のなかでも故郷である熊本の話になると
 「鉄ちゃん」と呼ばれていた自身が登場しました。

 姜 尚中さんは、
 十代後半に読書に目覚めたといいます。
 自分自身がわからなくなって、本を読むことにはまっていきます。
 その経験から、読書とはもう一人の自分を発見し、
 対話することだということに気づきます。
 そういうことを体験することで、
 他者と向き合うことを知る。
 自分と生きるということは他者と生きるということと同じだと。

 姜 尚中さんは最近『母-オモニ』という物語を上梓しましたが、
 姜 尚中さんのお母さんはずっと字を知らない人だったんです。
 だから、母は記憶をして生きるしかなかった。
 字を知っているということは、
 忘れることができる。
 たとえば、本を読んでそれを書きとめることで
 忘れることができる。
 このあたりは微妙ですが、あふれる情報の海で
 私たちの記憶には限界があります。
 姜 尚中さんが言われることにもそういうことかと思います。

 姜 尚中さんは65歳までに、
 今60歳ですから、あと5年のうちに
 小説じみたものを2つ書きたいと話されています。
 ひとつが『新・君たちはどう生きるか』といったもの。
 もうひとつがメルヘン。
 楽しみにまっていましょう。

 ちょっと知的な、
 いい講演でした。

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 今年も「東京国際ブックフェア」に行ってきました。
 残念ながら、昨日で開催期間の4日間は終了していますから
 この記事を読んで行きたいと思った人は、
 ぜひ来年行ってください。

ブックフェア 今年で第17回めとなる「東京国際ブックフェア」ですが、
 会場はおなじみ東京ビッグサイト
 広い会場が本好きの人で熱気むんむん。
 なにしろ、ここでは新刊とかも何割引かで購入できたりしますからね。
 私のお目当ては出版目録。
 今年は何冊ゲットできるかな。
 さあ、駆け足です。

 入り口は何カ所もありますが、
 メインに入り口近くには、
 PHPとか講談社文藝春秋角川グループとかつづきます。
 まずは、ざっと会場全体をおおまかに確認。
 今年も筑摩書房は充実していました。
 そのほかにも、中央公論新社のブースはよかったなあ。
 ところで、老舗新潮社が見当たらない。
 なんども行ったり来たりしたのですが、ない。
 大きな会場案内図にも、ない。
 どういう事情かはわかりませんが、
 出展しなかったようです。
 やはりこの国を代表する出版社は出て欲しかったですね。
 それでなくても、
 電子出版の脅威はこの会場でも実感できたのですから。
 同時開催されていたデジタルパブリッシングフェアの会場の方が
 熱気を感じられましたね。

 話題のiPadはそこいらで見かけました。
 手にもしましたが、少し重いですね。
 どちらかといえば、どっしり感があります。
 漫画とかもきれいに見れます。
 ただ、持ち運びという点ではまだまだ改良の余地があります。
 でも、きっとかなり早い時期に電子書籍が
 広がるだろうなという予感を感じました。
 本当に出版社だけでなく、
 本屋さん、印刷屋さん、取次など、
 真剣に考えないといけないと思います。

 少なくとも、
 大手ではなく中小の出版社や町の本屋さんは
 苦境に立たされるのではないかな。 ブックフェア2

 本の特徴をいかした、そういう活動をしていかないと
 生き残れないかもしれません。
 そういう危機感が
 今年の「東京国際ブックフェア」には
 あったような気がします。

 明日は同時開催された、
 「読書推進セミナー」の姜尚中さんの講演を
 アップします。
 お楽しみに。

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日は参議院選挙の日。
  もう選挙に行きましたか。
  どの候補にいれようと、
  どの政党にいれようと、
  みなさんがみなさんの目でしっかりと
  判断して一票を投じるところから
  始まります。
  実は先日の塩野七生さんの『日本人へ リーダー篇』の記事に
  いくつかのコメントをいただきました。
  特定の政党の名前があったので、
  掲載を断念しました。
  その理由。
  ここは特定の政党のとやかくをいう場ではないと考えています。
  政治のありようは書きますが、
  政党の論議を書くつもりはありません。
  コメントを頂きながら、掲載せずに
  ごめんなさい。
  今日紹介したアレン・セイさんの
  『紙しばい屋さん』は絵本です。
  紙芝居屋さんが人気だった昭和30年代の初めの時代が
  すべてよかったとは思えません。
  現代だっていいことはたくさんあります。
  でも、人々の心が
  どこかぎくしゃくしているのも
  事実です。
  たくさんの人が将来をまかせられる
  そんな選挙結果になればいいと
  思います。

  じゃあ、読もう。

紙しばい屋さん紙しばい屋さん
(2007/03)
アレン セイ

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sai.wingpen  思い出は水飴のように                     矢印 bk1書評ページへ

 うっすらと紙芝居屋さんの記憶が残っている。ただ紙芝居を見た記憶ではなく、水飴や舐めながら割らずに型抜きをするお菓子などの、紙芝居屋さんで買った食べ物の記憶しかない。
 アレン・セイさんの絵本『紙しばい屋さん』の表紙のように、自転車の荷台に大きな木箱を乗せて、そこからまるで魔法のようにおじさんはお菓子をとりだしてくれた。
 念のために書いておくと、マレン・セイさんは1937年の横浜生まれである。16歳の時に渡米したというから、少年期には紙芝居に夢中になった世代である。そして、マレンさんはやはり紙芝居屋さんのお菓子の話を丁寧なタッチで描いている。

 山あいの小さな家に住んでいるおじいさんとおばあさん(このおばあさんが小津安二郎の『東京物語』に出てくる東山千栄子さんにそっくりなのが楽しい)。おじいさんの仕事は紙芝居屋さん。
 久しぶりに仕事で町にでることにしたのだが、町は街に変貌していて、おじいさんはとまどうばかり。
 おじいさんは子供たちの人気者だった頃のことや徐々に子供たちが知らんぷりをし出した頃のことを思い出していきます。
 時代は紙芝居屋さんだったおじいさんにひどい仕打ちをしたのは事実です。でも、この絵本はそんなひどい仕打ちで終わりません。
 いつの間にかおじいさんのまわりにはたくさんの元(もと)子供だった人たちが集まってきて、おじいさんに暖かい拍手をしてくれます。

 いまではほとんど見かけることのなくなった紙芝居屋さんですが、アレン・セイさんのまなざしはとてもやさしくあの頃の思い出を描いています。
 思い出は、昔紙芝居屋さんから買った水飴のように、甘いことに気づかされます。
  
(2010/07/11 投稿)

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 いよいよ明日、7月11日、
 オンライン書店ビーケーワン10周年を迎えます。

  おめでとうございます。

 この連載? も今回が最後です。
 2008年12月にこのブログを開設して、
 今はこのブログに掲載した書評はbk1書店にも投稿しています。
 bk1書店への投稿は、
 まだ「夏の雨」というハンドルネームを使っています。

 本を読まない人が少ない、減っているとよく耳にします。
 しかし、本好きの人はまちがいなくいます。
 そんな本好きの人に伝えたいことは、
 本は読むだけでなく、そのときどきのことを書き残してくださいと
 いうことです。
 本との出会いは一回きりかもしれません。
 そして、そのときのあなたも一回きりのあなたです。
 再読は昔のあなたに出会うことではなく、
 あたらしいあなたを発見することです。
 だから、読書ノートはとてもたいせつです。

 書評にこだわることはありません。
 あなた自身のメモだって構わないのではないでしょうか。
 そのうち、きっと誰かに伝えたい、
 そういう想いがでてきます。
 そんなとき、bk1書店に投稿すればいいのです。

 あなたが明日の「書評の鉄人」になることを、
 そして、bk1書店がこれから先も多くの本好きたちで
 にぎわうことを祈っています。

 今日は川上弘美さんの『大好きな本』の書評を
 掲載します。
 2008年に書いた書評ですが、
 私の書評に対する考えがよくでている作品かと思います。

大好きな本 川上弘美書評集大好きな本 川上弘美書評集
(2007/09/07)
川上 弘美

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sai.wingpen  明日に架ける橋                     矢印 bk1書評ページへ

 書評とは何だろう、って考える。
 それを書いた人にとっては(本を読んだという)過去の経験であり、それを読んだ人にとっては(本を読むという)未来への招待みたいなものだ。
 つまり、昨日であり、明日でもあるんだ、書評って。
 もちろん、それを読んでいる今もある訳だから、昔観たイタリア映画みたいに「昨日・今日・明日」と言い表せるかもしれない。
 もう少し素敵な表現をすれば、書評とは「明日に架ける橋」ともいえる。(懐かしいなぁ、「明日に架ける橋」って。サイモン&ガーファンクルの、1970年の名曲です。ちょっとその雰囲気のまま、この書評が書ければいいのですが)

 本書は、作家川上弘美さんの「初めての書評集」である。
 だから、この書評は書評を集めた本を書評しているわけで、「明日に架ける橋」がふたつも架かった、とても魅力にあふれた構図になるはずだ。
 しかし、見方をかえれば、先頭で渡されたリレーのバトンを、次の走者がばたばたして転んでしまうこともあるのだから、そう単純にはいかない。
 でも、この「本を勧めたい、という気持ちは」「強くあるから」、いい橋が架けられればいいのだが。

 この本で紹介されている本の数は144冊にのぼる。
 新聞の書評欄や文庫本の解説として書かれたもので、さすがにこれだけの書評を集めると単行本で400頁超の大部になる。さしずめ長編小説を読むようなものだ。
 もちろん、ひとつひとつは短文(特に新聞に掲載されたものは短い)なのだが、頁数だけでなく、気分的には心地よい長編小説を読んだ感じである。しかも、極めて川上弘美的な。
 新聞の書評欄というのは大概面白くないものだが(それは本の選定にも問題があるような気がする)、川上弘美さんが書かれた書評はすこぶる面白かった。勧めたいという性根がちがう、とでもいえばいいのだろうか。

 「私は少しびくびくしながら読んだ」(紅一点論)
 「いつも思うのだが、なぜ多くの人は恋愛などというしちめんどくさいことをするのか」(机の上で飼える小さな生き物)
 「ううううう、とつぶやきながら読みおわった」(兄帰る)
 「実を言えば、小説を読むとき、はんぶんくらいの場合は、びくびくしている」(停電の夜に)
 こういう言葉で書かれた書評(もちろんすべてがそうであるわけでもないが)の、書き手の心にそった豊穣な言葉のつむぎの、(毛糸の玉の感触を楽しみながらセーターを編んでいくような文章とでもいうか)なんという暖かさだろう。
 それは、彼女の創作群にもつながる、川上弘美さんがもっているひとつの世界観かもしれない。

 サイモン&ガーファンクルの曲の最後はこうだ。

 「荒れた海にかかる橋のように/君の心に安らぎを与えよう」。

 やはり、書評とは「明日に架ける橋」だ。
 少なくとも、川上弘美さんの書評はそうだ。そして、本を読むってことは素晴らしいということを堪能してもらいたい。
 そう思う、一冊である。
(2008/05/04 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  大相撲がいま揺れています。
  子供の頃からわりに相撲は好きなスポーツでした。
  先代の若乃花とか栃錦の時代は
  うっすらと小さい頃の記憶に残っています。
  大鵬柏戸、そのあと玉ノ島という素敵な横綱がいましたが
  急逝されました。
  輪島(そういえば輪島もプロレスに転向しましたね)、
  千代の富士、そして
  若貴の時代がピークだったのでしょうね。
  そんな大相撲が泥まみれになっているのは
  残念ですね。
  でも、多くのファンを裏切ってきたのですから
  やはりもう一度仕切り直すのがいいかと思います。
  今日は相撲の本ではなく、
  プロレスの話。
  日本テレビのプロレスアナウンサーだった倉持隆夫さんの
  『マイクは死んでも離さない』です。
  面白いですよ。

  じゃあ、読もう。

マイクは死んでも離さない―「全日本プロレス」実況、黄金期の18年マイクは死んでも離さない―「全日本プロレス」実況、黄金期の18年
(2010/01)
倉持 隆夫

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sai.wingpen  追悼・ラッシャー木村さん                     矢印 bk1書評ページへ

 拝啓 ラッシャー木村様
 日本テレビのプロレス中継のアナウンサーだった、そしてそれは必然的に「全日本プロレス」のジャイアント馬場やジャンボ鶴田の黄金期とも重なるわけですが、倉持隆夫さんのプロレス中継の裏話ともいえる本書のタイトル『マイクは死んでも離さない』を見て、思い出したのはやはりあなた、ラッシャー木村さんでした。
 なにしろ、あなたは「マイクの鬼」あるいは「ミスターマイク」と呼ばれた人でしたから。

 倉持さんのこの本のなかにも出てきますが、ジャイアント馬場の強さに翳りが見えはじめた頃、日本テレビに対抗してテレビ朝日がアントニオ猪木率いる「新日本プロレス」の中継を始めた頃、あなたは突然その雄姿をお茶の間のブラウン管に登場させます。もちろん、すでにあなたは日本最初の金網デスマッチを行うなど勇敢なプロレスラーでした。
 ただそれがあなたにとってよかったのかどうかわかりませんが、あなたはあの「力道山」にとてもよく似ていた。ともに相撲力士の出身だというだけでなく、黒いタイツのコスチュームといい、その容貌といい、失礼ながら青年期だった私には、子供の頃にみた「力道山」のまねごとに映りました。

 あなたが今やすっかり有名な父親になってしまったアニマル浜口や寺西進とリングに登場したとき、当時眩く輝いていたアントニオ猪木の前でどれほどにこっけいに見えたことでしょう。マイクをとって、猪木にどなるあなたは、吠える犬ほど弱いの喩えではありませんが、ちっとも強く見えませんでした。それなのに、あなたの登場をどんなに待ち望んだことでしょう。
 まるで、その頃のプロレスは連続活劇ドラマを見ているように面白かった。
 もちろん倉持さんやテレビ朝日の古舘伊知郎アナの名実況があればこそだったでしょうが、あなたの姿をあれから何十年も経ちながら忘れることができません。
 おそらく「おい、猪木!」と叫んだあなたの声はブラウン管では「※■▲○、#※■!」にしか聞こえませんでした。それなのに、あなたの姿には常に悲壮感さえ漂っていました。

 そんなあなたの訃報に驚きを禁じえません。
 この5月24日にあなたは突然逝ってしまわれた。まだ68歳でした。
 倉持さんのこの本をあなたが読まれたかどうかはわかりませんが、テレビの世界にあってプロレスが全盛期であった時代を知るには恰好の一冊だと思います。
 ただ、私には『マイクは死んでも離さない』というタイトルにもっともふさわしいのは、あなた、ラッシャー木村さんだったとしか思えません。

 どうか、安らかに。
 私の、ラッシャー木村様。
  
(2010/07/09 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  いよいよ参議院選挙が近くなってきましたね。
  今回の選挙はどうももうひとつ盛り上がっていない
  ような気がします。
  先の衆議院選挙では民主党が圧勝したわけですが
  政権をとってからの迷走ぶりに
  有権者が政治に対して不信感をつのらせたとしか
  思えません。
  政治家のみなさんはその点は充分に反省してもらいたいものです。
  そうはいっても、
  私たち有権者はやはり選挙を有効に使わないといけなくて、
  きちんと見極めることです。
  だから、選挙には行きましょうね。
  今日紹介した塩野七生さんの
  『日本人へ リーダー篇』は
  政治だったりリーダーだったり
  そのあたりのことがわかりやすく書かれた一冊です。
  ただ、こういう本の読み方は
  読み手自身の軸をきちんと持つことが
  大事です。
  しっかりとした目を養うこと。
  何よりそれ、です。

  じゃあ、読もう。

日本人へ リーダー篇 (文春新書)日本人へ リーダー篇 (文春新書)
(2010/05/19)
塩野 七生

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sai.wingpen  選挙に行く前に                     矢印 bk1書評ページへ

 月刊誌「文藝春秋」に連載されている人気時事エッセイである。本書にはそのうちの、2003年6月号から2006年9月号分までが収められている。
 ちなみに2003年といえば、小泉純一郎総理の頃で、念のために書きとめておくと、与党といえば自由民主党の時代である。ここから7年の間に、日本のリーダーは現在の菅総理まで含めて5人も変わっている。

 本書のなかで塩野七生はこんなことを書いている。「危機の時代は、指導者が頻繁に変わる。首をすげ代えれば、危機も打開できるかと、人々は夢見るのであろうか。だがこれは夢であって現実ではない」(「継続は力なり」)。
 この文章が初出誌に掲載された内容から推測すると、2003年の9月前後の文章だと思われるが、当時小泉総理の人気は絶大なるものがあったように記憶している。それなのに、塩野がまるでその後の政治の世界を予言するような文章を書いていたことに驚く。
 総理が変わるたびに、一時的に与党の支持率があがる。それは、もちろん、期待をこめた数字であるが、その後のおそまつな政治のなりゆきに支持率は下降をつづける。そして、また、総理を変えることで、支持率をあげる。
 なんだかすべてが選挙のための人気投票としか思えない。
 政治家は選挙に明け暮れ、本来の政治ができていない。政治のできばえの評価ではない。

 先に引用した文章は予言めいて刺激的だが、それよりももっと重要なことがその前に書かれている。「誰が最高責任者になろうと、やらねばならないことはもはやはっきりしている」と、塩野はいう。 

 いまの日本がやらねばならないことは、大きな観点でいえば分散されることはないはずである。
それなのに、政治の争点がはっきりしないのはどういうことだろうか。
 やらねばならないことの自分たちの立ち位置を明確にすることで、支持率が落ち、選挙に戦えなくなるからだろうか。これではまるで仕事もせずに給料をさげるなんてとんでもないといっているダメな労働者と同じである。
 政治家だけが問題ではない。彼らを変えうる力をもっているのは、有権者である私たちのはずである。
より正しい判断を選択できるよう、本書を読んで政治とは何か、リーダーとは何かを考えてみるのもいいにちがいない。
  
(2010/07/08 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日は七夕
  東京・渋谷の駅前には大きな笹が飾られ、
  おもいおもいの短冊に願いが込められています。
  昔の人は、星をみて
  叶わなかった願いを物語にしていたんでしょうね。
  今日は詩集の紹介です。
  金子みすゞさんです。
  金子みすゞさんは、1903年山口県に生まれました。
  もう100年前の詩人ということになります。
  長い間誰もが忘れさっていた詩人でもあります。
  見直されたのが1984年。
  なんと長い月日だってことでしょう。
  そして、今では多くの人が金子 みすゞさんの詩を
  愛唱されています。
  稀有な詩人です。
  星をながめながら、
  詩を読む。
  それもいいですね。

  じゃあ、読もう。
永遠の詩 (全8巻)1 金子みすゞ永遠の詩 (全8巻)1 金子みすゞ
(2009/11/25)
金子 みすゞ

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sai.wingpen  色鉛筆でなぞりたくなる詩集                     矢印 bk1書評ページへ

 詩集というのはもっとも電子書籍になりにくいかもしれない。単に詩を読むのではなく、詩集を読むということで。
 詩を読むことは言葉のつらなりを、言葉のありようを感じることだが、詩集を読むということは、本としての手触り、ゆるやかな重さ、活字の大きさ、詩の配列といった詩にまつわる諸々を感じとることのような気がする。
 だから、同じ詩人の同じ詩であっても、編まれた詩集によって、その感じ方は変わってくるのではないだろうか。

 小学館から刊行された「永遠の詩」シリーズ全八巻を手にして、いい詩集だなと気分が少し弾んだ。
 有山達也と中島美佳による、表紙のデザインもいい。表紙にかかげられた詩の一節も目をひく。詩があって、その鑑賞解説がページの下段にあるのも親切だ。数枚の写真がはいった年譜も詩人の人生をたどるにはちょうどいい。
 こういう詩集があれば、ゆっくりと珈琲をのみながら読んでみたくなる。読むというより、味わうという方が適切だろうか。

 全八巻シリーズの最初が「金子みすゞ」である。
 いまや詩集のシリーズ化からははずせない人気詩人といっていい。
 金子の詩は「鈴と、小鳥と、それから私、/みんなちがって、みんないい」(「私と小鳥と鈴と」)に代表されるように、そのまなざしはやわらかく温かい。何度読んでも、ほっとする。
 色鉛筆で言葉のつらなりをなぞれば、もっと素敵になるだろう。鈴には何色を、小鳥には何色を、そして私、そう金子みすゞには何色が一番似合うだろうか。そんなことを想いながら、詩集を読むのも楽しい。

 ちなみに、表紙の「きょうの私に/さよならしましょ。」は「さよなら」という詩の一節である。
  
(2010/07/07 投稿)

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 2008年夏、私は会社をやめましたが、
 その直後に書いた書評が
 今回紹介した城山三郎さんの『無所属の時間で生きる』でした。
 会社をやめるということは、
 それまで所属していたものからの離脱ですが、
 私は特にそのことでどうのこうの迷うことは
 ありませんでした。
 むしろ、所属されることにいささか疲れていたともいえます。

 本というのは、そういう所属の世界とは
 まったく反対の地平にあるものではないかな。
 そこには自由な世界があって、
 時には恋愛の、時には若者の、時にはビジネスの
 時には歴史の時空さえ、超えるもののように思います。
 そこでは誰もが自由です。
 強いヒーローになることもできるし、地味な脇役の気持ちだって
 想像できます。
 城山三郎さんがいった「無所属の時間を生きる」とは
 まるで本の世界を楽しむことそのものだったのではないかと
 今ならそう思えます。

 2008年は自由な時間がたくさんできましたから
 本も読みましたし、せっせとbk1書店に投稿もしました。
 けっして私は物語のいい読み手ではないと思っています。
 読んだ本をふりかえっても
 物語が多いわけではありません。
 特に最近の若い世代の物語については
 ほとんど知らないということもあって、
 いささか反省もしています。
 やはり文学の世界でも、つながりということがあると思います。
 村上春樹さんや吉本ばななさんが出てきて、
 彼らにつながる文学シーンがあるのではないでしょうか。

 そして、この年の終わり、12月にブログを開設しました。

無所属の時間で生きる (新潮文庫)無所属の時間で生きる (新潮文庫)
(2008/03/28)
城山 三郎

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sai.wingpen  城山三郎、応答せよ!              矢印 bk1書評ページへ

  個人的な話だが、会社を辞めた。会社員として働いていたときは、あれもしたい、これもしたいと思っていたことが、実際目の前に大きな時間の塊となってあらわれると、そのあまりの大きさに茫然となっているというのが正直なところだ。組織に所属していた時に望んでいたものは何だったのだろう。なぜ、前に出ることができないのか。見上げれば天さえも望めない圧倒的な壁の前で足をすくませている。そんな自身が疎ましい。そのような時に、城山三郎氏のエッセイ集『無所属の時間で生きる』という書名が目にとまった。
 「無所属の時間」とは、「どこにも属さない一人の人間として過ご」す時間のことだが、城山氏はその時間を「人間を人間としてよみがえらせ、より大きく育て上げる時間」と書く。城山氏がこのエッセイを書いたのが七〇歳の頃、氏の人生においての晩年に位置する(氏は二〇〇七年の三月に逝去)。その人生の多くを組織に所属しないで生きた作家人生だが、それは氏が邂逅した多くの経済人の生き様を通して到達したひとつの境地であったものと思われる。
 但し、このエッセイに書かれた多くのことは、いまだ無常の世界でない。氏の地元茅ヶ崎のことを書いても、恩師との交流を描いても、日常の些細な事柄を描写しても、文章は生真面目であり、すっくと背筋が伸びている。これは氏が持ち続けた個性にほかならない。おそらくそのような生き方そのものは窮屈であったかもしれないが、氏の真摯な姿勢は、「無所属の時間」をもった多くの人たちにとって(もちろん、その中には書評子自身もはいるのだが)、ひとつの大きな指針になるような気がする。
 読んでいてうれしかったのは「アラスカに果てた男たち」と題するエッセイの中に「星野道夫」の名前を見つけた時だ。アラスカの写真を撮り続けた(そして、何よりも上質な文章を書き続けた)星野について、城山氏は「ごく親しい人のことのように」と書く。氏と星野の間に交流があったのかは知らないが、なんという優しい表現だろう。氏が描いた経済と星野が表現しようとした自然。まるで合致しない世界でありながら、氏は同じ地平に立っている。そして、星野の世界もまた「無所属の時間」であったという。そうなのだ。「無所属の時間」とは、立ちはだかる壁ではなく、目の前に広がる豊沃な大地なのだ。まずは歩きだせ。
  
(2008/06/23 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日紹介した『文学のレッスン』のなかで
  著者の丸谷才一さんは、
  批評について、
  「学問とエッセイが重なったところが批評である」という
  評論家川村二郎さんの説を紹介しています。
  そういう点で今日書いた書評は
  けっこうきつかったですね。
  文学を体系的に勉強してこなかったものとして
  学問の部分が大きく欠落しているので、
  今回のような本の書評は難しいというのが
  本音です。
  だから、本当はもっと肩すかし的に
  書かないといけなかったですね。
  それはともかくとして、
  やはり丸谷才一さんの本はいいですね。
  もちろん、表紙の装丁は盟友和田誠さんです。

  じゃあ、読もう。

文学のレッスン文学のレッスン
(2010/05)
丸谷 才一湯川 豊

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sai.wingpen  おいしく文学をめしあがるために                     矢印 bk1書評ページへ

 本格的に文学を学んでこなかったものにとって、いくら「閑談的文学入門」といわれても本書、丸谷才一の「文学講義」はやはり難解である。
 ただ、インタビュー形式(聞き手は湯川豊)なので、そこは丸谷才一の語りのうまさについつい引き込まれる。ちょうど落語の名人の噺に聞きほれるように、である。

 演題は「短編小説」「長編小説」「批評」「エッセイ」「詩」など八つのジャンルである。
 たとえば、「短編小説」でいえば、日本人が短編小説を好むのは盆栽趣味とかお雛様好みといった縮み志向と関係しているのではないかという説などはまことに面白い。最近の日本文学の事情でいえば、芥川賞の作品が見栄えがしないように短編小説がちっとも面白くないのは、日本人の縮み志向がなくなってきた表われではないかとつい考えたくなる。
 こうなると、単に文学の問題ではなく、日本人論にも発展するのではないかしら。

 また、長編小説の評価として、丸谷は作中人物、文章、ストーリーの三点をあげているが、そういった評価でみた場合、村上春樹という現代日本文学の長編作家の頂きはまだまだ正しい読み方がされていないのかもしれない。この本のなかでは丸谷が村上春樹について触れていないのは残念であるが、村上の作品が海外で高い評価を得られているのは本来長編小説がもっている重厚さなのかもしれない。
 そう考えれば、実は日本人というのは縮み志向から抜け出したのではなく、バブル後遺症をひきずって、バブル的な空疎な膨らみのままきているではないか。
 そして、それは最近の巷にあふれる長編小説にもいえることで、読み手としてはぴっしり身のしまった蟹の肉をちびりちびりと楽しむように、おいしい短編小説に舌鼓をうちたいものだとつい嘆きたくなるのであるが。
  
(2010/07/05 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日紹介した絵本『わたしは とべる』を見て、
  みなさんは何か気がつきましたか。
  この絵本の絵を担当しているのは、
  マリー・ブレアさんといって、
  ディズニーランドの「It's a small world」の
  キャラクターデザインを担当しています。
  娘にこの絵本を見せて、
  同じような質問をしました。
  いくつかヒントをあげましたが、
  娘(ああそうそう、二十歳は少し前に過ぎたということに)は
  答えがわかると、
  うれしそうな顔をしてくれました。
  娘たちは小さかった頃、
  「It's a small world」が大好きでした。
  マリー・ブレアさんの絵の魅力なんでしょうね。
  小さいお子さんをお持ちのお父さん、お母さん。
  きっとお子さんが喜ぶ、
  素敵な絵本です。

  じゃあ、読もう。

わたしは とべる (講談社の翻訳絵本クラシックセレクション)わたしは とべる (講談社の翻訳絵本クラシックセレクション)
(2005/09/23)
ルース クラウス

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sai.wingpen  まだ、とべる                     矢印 bk1書評ページへ

 シンガーソングライターの山崎ハコが『飛・び・ま・す』という歌でデビューしたのは1975年のことだった。彼女の迫力のある声と「今 私は旅立ちます/ひとつの空に向かって 飛びはじめるのです」という歌詞に突き動かされるようであった。私が二十歳の時である。
 山崎ハコが歌ったのは、ここにある地点から違う地点への移動を願うものであり、移動を意思するものの決意のようなものだった。
 若さとは、常に、ここではないどこか、今ではないいつか、を夢みる。
 山崎ハコの歌が、若かった私(歌っていた山崎はもっと若かったのだが)に深い共感をもたらしたのはそういうことであったと、あれから三十年以上たって、そう思う。

 あのディズニーランドの「It's a small world」のキャラクターデザインを手がけたマリー・ブレアの絵とルース・クラウス文(詩人の谷川俊太郎が訳)による絵本、『わたしは とべる』は、山崎ハコの『飛・び・ま・す』とはまったく違う世界といっていい。
 この絵本に登場する少女は、小鳥が飛べるのだから自分だって飛べるのだと思っている。つまり、彼女はここの地点から移動することを願ってはいない。今あるがまま、彼女は自由なのだ。
 彼女は「わたしは なれる なんにでも/それが わたし」と微笑む。
 なんとうらやましいことか。

 彼女の天真爛漫な笑顔に比べたら、二十歳の頃の私は何を深刻に考えていたのだろう。あの時、
この絵本のちいさな女の子のように、自分は「とべる」んだと、どうして思えなかったのだろう。
 違う世界を願うのではなく、いま、ここで、自分は「とべる」と思えることの大切さを、この絵本の少女にあらためて教えてもらった。
 まだ遅くはない。「わたしは なれる」はずだ。「なんにでも」。
 ちいさな子ども向けに絵本に教えられることは、まだたくさんある。
  
(2010/07/04 投稿)

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 2007年というのは
 ある意味私にとっては重要な年になりました。
 私が本に親しみだしてから、
 それがいくつの頃かはさだかではありませんが、
 もっとも本に接するのが少なかったのが
 この年になってしまったからです。

 この年、
 オンライン書店ビーケーワンに投稿したのが
 わずか5冊
 実際にはもう少し読んでいましたが、
 文章にすることはなかなかできませんでした。
 今日紹介する山口瞳さんの『「男性自身」傑作選』の
 書評のタイトルが「読む訓練」というのも
 今から思えば、
 読めないこと書けないことの苛立ちがあったと
 思います。

 人がストレスを発散させる方法は
 いくつもあると思います。
 典型的なのはお酒。
 あるいはショッピングという人もいます。
 私は本がストレス解消でもありました。
 嫌なことがあっても、
 本を読むことでそのことを忘れられる。
 別の世界に遊ぶことができますものね。
 だから、仕事が大変だとか
 生活が不規則だとか(この年、私は単身赴任をしていました)
 そういうことで、本が読めなくなることはなかった。

 たぶん、それとは逆に
 この年は色々な面で充実していたのかもしれません。
 生活そのものが一篇の物語のような
 ものだったのかも。
 それでも、本を読めない苛立ちは
 あったと思います。
 やはり、そういう生活は自分という個には
 なじまない。
 じわじわとそう思うようになっていたんだと思います。

 そして、私は翌2008年、仕事をやめることにしました。

山口瞳「男性自身」傑作選 中年篇 (新潮文庫)山口瞳「男性自身」傑作選 中年篇 (新潮文庫)
(2003/05)
山口 瞳

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sai.wingpen  読む訓練                     矢印 bk1書評ページへ

 最近本が読めない。
 これは、イタい。長編どころか短編さえも読めない。仕事が忙しくなっているのは事実だが、新幹線や飛行機といった移動中でも読めなくなっている。以前神戸の大震災の時にもそんな経験をしたが、それ以外は本を読むことで仕事の悩みだとか人間関係のごちゃごちゃとかをなんとか解消してきたはずなのに、ここにきてどうしたことか。
 何故本が読めないのか。第一に本を読むことが面白くない。本はきちんといつもと変わらず、いっぱいいいことを云っているはずなのに読み手である自分自身が反応しない。本に対して失礼だ。だから、何冊も途中で頁を閉じた。どのようにして本を読んでいいのか、戸惑っている。どうも本の読み方を忘れてしまったようだ。焦った。焦ったけれど、本を開いても心がほどけていかないのだからどうしようもない。これは人生の危機である。おおげさでなく。
 その時、もしかして山口瞳なら読めるかと思った。週刊誌の読み物程度だったらなんとか読めていたので、週刊新潮に掲載されていた山口の『男性自身』なら読めるかもしれない。恐るおそるである。それに山口が元サラリーマンだったことも、山口ならと思った理由の一つだ。考えてみれば仕事は面白い。この歳になっていうのもおかしいが、仕事は苦痛ではない。(若い頃は嫌で嫌で仕方がなかった。人生の半ばを過ぎた頃から、もしかして仕事っていうのは面白いものかもしれないと思い出した。だから言うのではないが、若い諸君、遊びだけではいけない。仕事もがんばりなさい)そのあたりの事情が、山口の作品から感化されるかもしれない、と思った。
 結果的には読了した。なんだ、読めるじゃないか、と思った。人生の先輩にちょっと叱られた感じさえした。「人生は短い。あっというまに過ぎてゆく。しかし、いま目の前にいる電車にどうしても乗らなければならないというほどに短くない」(245頁)山口を読んでよかった。でも、まだ恐る恐るである。
  
(2007/03/12 投稿)

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