08/31/2010 俳句燦々(森 澄雄):書評「追悼・森澄雄 - 墓、洗う」

先日の「さいたまブッククラブ」で
私が紹介したのが、この本。
森澄雄さんの『俳句燦々』
俳句は好きですが、
特に森澄雄さんの俳句のファンでもありません。
ただ、先日森澄雄さんが亡くなった時、
日本経済新聞の朝刊コラム「春秋」に紹介されていて
気になって手にしたのがこの本でした。
内容は書評のなかにも書きましたが、
もし「春秋」の記事を読まなかったら
読まなかったかもしれません。
本を読むきっかけとは
人との出会いとよく似ていて、
ちょっとした偶然が働くものです。
じゃあ、読もう。
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八月十八日、俳人の森澄雄さんが亡くなった。九十一歳の生涯だった。
本書は森さんが三年前の平成十九年の八月に「日本経済新聞」の掲載した「私の履歴書」と、その背景となったエッセイなどをまとめたものである。
森澄雄という俳人を知るには格好のテキストだろう。
「私の履歴書」の第一回は「俳句と戦争」と題されているが、森さんは自身の俳句の原点は「戦争」にあると書いている。
ボルネオの戦地で中隊二百人中わずか八人の生還者のひとりであった森さんは、「妻を娶ったら妻を愛し、子供が生まれたらそれをいつくしみ、小さい範囲でいいから友を大事にする、そういう平凡で素直な思いを自分の文学の根本にしよう」と決意する。
終戦後、森さんは俳人である一方、高校の教師として長く教壇に立った。しかし、「教師であったことはなかった」とふりかえる。しかも、「俳句を詠んでいるが、俳人として作ったことはない」とも書いている。
では、森さんの生涯は何だったのか。先の文章に続けて、「いつも人間としてどう生きるか-だった」と、森さんは書く。
妻がゐて夜長を言へりさう思ふ 澄雄
妻の忌は秋風の吹きはじめなり 澄雄
本書に収められている森さんの俳句を読むと、あまり技巧を凝らしたものではないことに思い至る。「俳人として作ったことはない」森さんが素直に人間をみつめた詠んだ俳句であるように感じる。
森さんの代表句でもある「除夜の妻白鳥のごと湯浴みをり」でわかるように、森さんはこの句で「白鳥夫人」を呼ばれるようになる奥さんを生涯愛しつづけた。
奇しくも森さんがなくなった日は奥さんの命日の翌日であったが、奥さんが亡くなって以後、「お経を上げるような気持ちで」俳句を詠み続けた。
ここにもまた、妻を先に亡くした夫の悲しみがある。
いくたびも水かけ洗ふ妻の墓 澄雄
終戦後、「妻を娶ったら妻を愛し」と誓った森澄雄は、その言葉どおり、白鳥のような奥さんを愛し続けた俳人であった。
そのことだけでも、これからも記憶されていい俳人だろう。
合掌。
(2010/08/31 投稿)

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08/30/2010 お菓子おいしくいただきました - 「さいたまブッククラブ」8月の例会に参加しました

初対面の人とか何人かの集まりでしてはいけない話題が
あるそうです。
それは、政治、宗教、野球だとか。
それぞれの信念なり信条なりひいきなりがありますから、
それはそれで剣呑になったりします。
あるいは、いくら時間があっても足りないということが
でてきます。

政治の本、宗教の本、野球の本、
たくさんあります。
もし、ブッククラブでそれらの本が話題になったらどうするか。

8月の定例会に参加しました。
今回の新しい人が3人も参加して、総勢16人の
賑やかな集まりになりました。
しかも、今回はお菓子にお茶までついての
リッチなバージョン。
私なんか、2個もお菓子食べちゃいました。
それで、今回もふたつの班にわかれての、
紹介となりました。

戦争の話、恋愛文学の話、地域再生のサクセスストーリー、
格差の話、女流作家のいくつか、
宗教の話、絵本、漫画、経済に政治、そして、
四畳半襖の下張り事件の話。
それと、俳句の話(これ、私です)。

何冊あるでしょう。
答えはたぶん、ゼロ。
みんな話していい。
ただ公平を規するという点では、あぶなさそうな本は
複数の人が読んでいる方がいいのでしょうね。

右派も左派も、正義も悪も、巨人も阪神もあるのだということを
心して読まないといけません。
芸術か猥褻か。
戦争か平和か。
「面白半分」ではいけません。

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08/29/2010 ★ほんのニュース★ 三浦哲郎さん死去 - 白い雪のなかをあなたを乗せた馬橇がゆく

この記事を書いています。
朝日新聞のネット記事から。

簡潔な文体に清冽(せいれつ)な叙情をたたえた小説「忍ぶ川」や、
味わいのある短編で知られる作家の三浦哲郎さんが、29日亡くなった。
79歳だった。

先日(8.23)、朝日新聞に5年ぶりの随筆集が刊行された
三浦哲郎さんの元気な様子がレポートされたばかりだと
いうのに。
その記事では長編小説『白夜を旅する人々』の続編に
意欲を燃やす三浦哲郎さんが紹介されていたのに。
『暁の鐘』と題される予定だったその続編、
不幸なきょうだいのはざまにあって、不自由な目で
力強く生きた姉の姿を描くはずであった作品を
描かないまま、三浦哲郎さんは逝ってしまわれた。

これであなたが探し求めた兄さんや姉さんにやっと会えますね。
あなたが残してくれた『忍ぶ川』に
どれだけ癒されたことでしょう。
三浦哲郎さん。
あなたの突然の訃報に接し、
この暑い夏だというのに
私には真っ白な雪原をしゃんしゃんしゃんと
鈴を鳴らしながら走っていく馬橇が見えるようです。
いまは静かにおやすみください。
合掌。


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08/29/2010 ぐりとぐら(なかがわ りえこ):書評「ぼくのぐりとぐら」

もうすぐ夏休みもおしまい。
宿題残っていませんか。
読書感想文できていないや、って
困っているみなさんに
今日は素敵な絵本のご紹介。
中川李枝子さんが文、大村百合子さんが絵の
絵本のなかの絵本、
『ぐりとぐら』です。
もうずっと読みつがれてきた名作です。
しかもいまでもたくさんの子供たちに
読まれています。
どうしてこの絵本が
長い間子供たちに愛されているのか
それをさぐるために
今回の書評は子供になった気分で
書いてみました。
本当に子供たちは
この『ぐりとぐら』の何にひかれているのでしょうか。
じゃあ、読もう。
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八月×日 あつい。あつい。アイス、二ほんたべました。
八月×日 あつい。あつい。きょう、「ぐりとぐら」というほんをよみました。ぐりとぐらは、のねずみです。ぼうしから大きなみみがでています。ひげもあります。ながいしっぽもあります。ぐりとぐらはよくにています。おかあさんが、あおいぼうしをかぶっているのがぐりで、あかいぼうしがぐらだとおしえてくれました。よーく、ほんをよむとわかるんだそうです。おかあさんはえらいから、おかあさんです。
八月×日 あつい。あつい。ぐりとぐらがみつけた大きなたまごはどれくらいおおきいのだろう。大きなふらいぱんもでてきます。おうちのだいどころにあるふらいぱんをもったら、おもくてたいへんでした。でも、おかあさんはちっともおもくなさそうでした。おかあさんは力もちだから、おかあさんです。
八月×日 あつい。あつい。ずっとあつい。アイスもいいけど、ぐりとぐらのつくった大きなかすてらもおいしそう。おかあさんに「かすてらたべたい」っていったら、「ぐりとぐらにもらいなさい」といいました。だって、もりのどうぶつたちがみんなたべてないんだもん。なみだがでたら、おかあさんがアイスをくれました。おかあさんはやさしいから、おかあさんです。
八月×日 あつい。あつい。おとうさんがおやすみなのでうみにつれていってくれました。おとうさんはくるまのうんてんがうまいです。でも、ぐりとぐらみたいに、たまごのからでできたくるまのほうがいいのになあ。おかあさんはかためでういんくしました。おかあさんは、ぼくをあいしているのかな。
(2010/08/29 投稿)

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08/28/2010 悦楽王(団 鬼六):書評「人間喜劇」

私のこのブログの読者の人は
いったいいくつぐらいの人なのでしょうか。
あまりそういったことを考えて
本を読んだり書評を書いたりしているわけでは
ありません。
ただ、今日紹介する団鬼六さんのような本になると
若い人、といっても
10歳くらいの人ということになるでしょうが、
なかなかわかってもらえないでしょうね。
いま、10歳くらいと書きましたが、
15歳くらいになると
こういう世界に興味をもってくるのは
仕方がないでしょうね。
自分がそうでしたから。
思春期とは実にやっかいです。
でも、この本の魅力は
悦楽ということではなく、
人間そのものの魅力です。
若い人たちがそういうことを知るのは
けっしてダメなことではありません。
じゃあ、読もう。
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昭和六年生まれの田舎中学で英語教師をしていた男が「鬼のように小説を書きまくってやる」と、一念発起して付けた筆名が「鬼六」。そして、彼はまさに鬼のようなおどろおどろしい小説を多作していく。団鬼六という名前が作品を生み出すが如く。
そんな団が「鬼プロ」というピンク映画のプロダクションをつくったのは昭和四四年で、本書はその「鬼プロ」の社員第一号となる元ボクサーの斉藤清作(彼はのちにたこ八郎という芸名で人気者になる怪優である)の出会いから、倒産にいたるまでの、馬鹿馬鹿しくも賑やかな時代を描いた物語である。
ここに登場する人物は、前述のたこ八郎だけでなく、男も女もみんながおかしい。おかしいというのは、少し普通ではないということだ。
そもそも団たちがやろうとしていた雑誌にしても異常性愛ともいわれるSMがメインで、それだけで眉をひそめる人がいるにちがいない。だが、まっとうでないものをまっとうな人間ができるわけではない。
おかしい人間たちが寄り集まって、おかしな雑誌をつくる。そのおかしな雑誌を普通の人々が買い求め、ひそかに耽読する。そんな構図を思うと、おかしいのは彼らなのか、普通の人々なのかわからなくなってくる。
有名写真家篠山紀信のことさえ知らなかった団、団のSM雑誌に編集者希望で入社しようと団の前でセックスを実演する男、早稲田大学を卒業まもなく編集部に見学にやってきた青年(彼はのちに石井隆として、団の代表作『花と蛇』のメガホンをとることになる)、夜な夜なこっそりと事務所に出入りしては近所の人たちと楽しい饗宴をおこなう男優(彼こそ『男はつらいよ』シリーズで人気を博した渥美清である)など、団のまわりにあつまるおかしな人々と彼らがくりひろげるおかしな世界ではあるが、それらを描く団の筆致はあたたかい。
「異常性欲者達を主体にした三年間の雑誌作りは自分の狂った時期だった」と団は書くが、団には後悔も反省もない。
「一つの仕事を成し遂げ、そして、終わらせたという」満足だけが、いま、あらためてわきあがるのである。
(2010/08/28 投稿)

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08/27/2010 永遠の詩 8 八木重吉:書評「悲しみをじっくり味わいたい詩集」

小学館刊行の「永遠の詩」全八巻も、
今回紹介する八木重吉の巻で最後です。
最後ですから、このシリーズの書評を書くにあたって
私なりに意図したことがあるので
書いておきます。
まず、書評タイトルですが、
全巻「○○○の詩集」となるように
しました。
それでシリーズの書評だという感じがでればと
思いました。
また、書き出し、と最後は、
同じ書き方で統一しました。
特に最後の一文は、
このシリーズの特長である
詩の一節が表紙デザインに使われているので
それを生かせるよう、
そして少し説明ができるように
したつもりです。
こうした詩集が色々でることは
いいことです。
多くの人に読んでもらいたいと思います。
じゃあ、読もう。
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「永遠の詩」全八巻の最終巻八巻めは、八木重吉。八十篇の詩が収められている。短詩詩人であった八木重吉ゆえの多さである。
巻末のエッセイは、作家の江國香織が担当している。
詩は悲しみだけをうたうのではない。
怒りも喜びも絶望も切なさも希望も勇気もうたうのが詩である。しかし、どこかで悲しみがひそんでいるのも詩の特長ではないだろうか。
本書の扉に八木のこんな言葉が記されている。「この貧しい詩を、これを読んでくださる方の胸に捧げます。そして、私を、あなたの友にしてください」。
私には「貧しい」が「悲しい」に見える。「私」は「悲しみ」に思える。
わずか29年の生涯であった八木重吉だが、こうして何年にもわたり多くの読者を魅了してきたものは、透きとおるような重吉の悲しみの表現ではないだろうか。
「雲」という、わずか四行の短詩がある。「くものある日/くもは かなしい//くものない日/そらはさびしい」
小学生にも書けるような語彙のつらなりながら、長い生涯を生きえても表現できない、研ぎ澄まされた感性がうかがえる。それは悲しさをしった人間だけのものである。
あるいは「春」という短詩。「桃子」と幼きわが子に呼びかけたあとで、「お父ちゃんはね/早く快くなってお前と遊びたいよ」とつづく。たったこれだけの詩に、重吉の万感の悲しみが満ち、あふれだしている。
詩は悲しみだけをうたうのではないだろう。
しかし、悲しみから逃れられない人間を救うのも、また詩である。
八木重吉の詩はそんなことを教えてくれる。
ちなみに、表紙の「雨があがるようにしずかに死んでゆこう」は「雨」という詩の一節である。
(2010/08/27 投稿)

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08/26/2010 雑誌を歩く 「文藝春秋」9月号 - 「文藝春秋」は雑誌の幕ノ内弁当だ

総合月刊誌「文藝春秋」ってどんな人が読むのでしょうか。
これだけ内容充実の雑誌を、
隅から隅まで読む人ってどんな人なんでしょうね。
今回の「雑誌を歩く」は、
恒例「芥川賞発表 受賞作全文掲載」の
「文藝春秋」(800円・文藝春秋)9月号です。
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今回は除きますが、
それ以外でも内容充実なんですよね。
まずは、巻頭随筆。
13年続いた阿川弘之さんの随筆が今月号をもって終了。
これだけでもすごい。
阿川弘之さんはもう89歳。
体力の限界を感じて、今月号で勇退ですが、
阿川さんのこの随筆は、
あの司馬遼太郎さんの「この国のかたち」のあとを受けて
始まったもの。
それが13年。
これだけでも、今月号の「文藝春秋」は買いですよ。
しかも、塩野七生さんの随筆も、「若者たちへ」というタイトルですから
これもいい。
おいおい、巻頭随筆だけでこんなに読ませていいんですか、
と言いたくなります。
先を急ぎます。

ノンフィクション作家佐野眞一さんの「この男を信じていいのか」という
ルポタージュ。
これも力作。
渡辺喜美さんと『二十歳の原点』の高野悦子との接点なんて
私のように若い時に『二十歳の原点』に影響を受けたものとしては
びっくり。
これだけで「文藝春秋」、よくやったと、肩を叩きたくなります。
こんなところで止まっていられません。
駆け足。

「Pk駒野 人生で一番長い0.4秒」。
さらに、「大相撲賭博調査団の全報告」。
こんなのはまだ序の口。
特別企画は、
「勝つ日本」40の決断
もう、これだけあればいいでしょ。って感じ。
くれぐれも言っておきますが、
メインの芥川賞全文掲載を除いて、これですよ。

「夏休みの宿題で人生が変わる」
「小沢一郎さん、代表選に立候補しなさい」
その他、定番の記事もあって、
だから思うのです。

私的には、いつか、
「文藝春秋」の隅から隅までゆっくりと読みきる、
そんな人生の段階になりたいものです。

「文藝春秋」9月号表紙の、坊主頭の奇妙なおじさんのことを
書くのを忘れました。
この人、司馬遼太郎さんの『胡蝶の夢』の主人公、
松本良順です。

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08/25/2010 詩ふたつ(長田 弘):書評「この詩集は電子書籍になりうるか」

今日紹介した、長田弘さんの詩集『詩ふたつ』には
クリムトの絵が挿絵のようについています。
私はクリムトといえば、
太腿をあらわににした、官能的な女性画が
すぐに頭に浮かぶのですが、
この詩集に紹介されているような
花や木々の素敵な絵も描いていたのですね。
もっと勉強しないと、
人生、損をしてしまいます。
詩を読むとか、
絵を見るとか、
生きていく上で何ごとかあるかといえば
ちっともないかもしれません。
おいしい食事をしながら友人と楽しい会話をする方が
うんと楽しいでしょう。
でも、詩を読んだり、絵画を見ることで
心の深みがうんと違ってきます。
ぜひ、手にしてみて下さい。
じゃあ、読もう。
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電子書籍の話題が喧しい。
ここまでくれば、そんなに遠い先ではない未来で紙の出版物と電子書籍とは逆転するような気がする。
しかし、あれは本と呼べるのだろうか。
本とは活字の持ち味、紙の手触り、重さ、大きさ、あるいはページを開いたときに立ち上がる匂いまでも含めて成り立っているものだと思う。
書かれている内容(情報)は同じであっても、単行本と文庫本では読後感がちがうことががありえるのも、それが本だからではないだろうか。
「黄金の画家」グスタフ・クリムトの樹木と花々の絵がページに散りばめられた長田弘の贅沢な詩集を手にして、まず思ったことは、果たしてこれは電子書籍になるうるのだろうかということだった。
大きな版形の、白い余白が際立つ詩、ふたつ。
「ことばって、何だと思う?/けっしてことばにできない思いが、/ここにあると指さすのが、ことばだ」とわずか三行の言葉のつらなりが一ページにあるだけ。見開きの、もうひとつのページはクリムトの樹木の絵。
それなのに、満たされる、この思いはなんだろう。
これこそ、本の不思議ではないか。
そういう不思議さを私たちは捨て去っていいのだろうか。
「花を持って、会いにゆく」と「人生は森のなかの一日」というふたつだけの詩を載せたこの詩集の「あとがき」で作者の長田弘は「亡くなった人が後に遺してゆくのは、その人の生きられなかった時間であり、その死者の生きられなかった時間を、ここに在るじぶんがこうしていま生きているのだという、不思議にありありとした感覚」と書いているが、同じような「不思議にありありとした感覚」は本にもあるような気がする。
詩人のまねごとをすれば、「本って、何だと思う?/けっしてことばにできない思いが/ここにあると開かれるのが、本だ」といいたい。
(2010/08/25 投稿)

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08/24/2010 乙女の密告(赤染 晶子):書評「乙女はアンネ・フランクが好きである」

月刊誌「文藝春秋」9月号に掲載された
第143回芥川賞の選評を読むと、
長文の選評がいくつかあります。
小川洋子さんと、池澤夏樹さんです。
こういう長い選評は
あまり見たことがないので、
この二人の、作品に対する思い入れは
よくわかりますが、
他の委員とのバランスを考えると、
やや不公平な感じもします。
そこで、私が信頼をおいている村上龍さんが
この『乙女の密告』をどう読んだかを
書き留めておくと、
題材そのものが苦手ということの他に、
物語の核となる「ユダヤ人問題」の取り上げ方について
違和感を持った
とあります。
もちろん、それは村上龍さんの意見ですから
それだけに頼ることはありません。
まずは、赤染晶子さんの受賞を祝して
それでそれぞれが、
この作品を読めばいいのではないでしょうか。
じゃあ、読もう。
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本を読んだ後、饒舌になるのは、大抵その本のことが気に入った気分のときではないだろうか。
第143回芥川賞の、選考委員たちの選評を読むと、今回受賞したこの『乙女の密告』に熱く語る選考委員が何人かいた。これは最近の芥川賞受賞作では珍しい。
第二次世界大戦で多くの犠牲をはらったユダヤ人たち。そのシンボル的な存在であるアンネ・フランクが残した日記。日本題で『アンネの日記』として多くの読者を得ている本をテクストにして、アンネを密告した者への謎にはまっていく主人公みか子。
みか子が在籍する京都の外語大学を舞台に、若い少女たちの心のせめぎ合いを描いた作品は、やや少女漫画的な舞台設定や早急な結論づけはあるとしても、読了後は饒舌になりたい人はいるだろうと思わせる、力のこもった作品である。
タイトルにも使われている「乙女」や、作中何度でもでてくる「乙女とは○○だ」という、「乙女」の考察にとても興味をもった。
例えば、「乙女とはトイレさえ群れをなして行く生き物なのだ」という鋭い洞察はなかなか男性にはわからない。「トイレは乙女の聖地である。ここでは最も頻繁に噂が囁かれる」とつづけば、男性の不可侵領域というしかない。
そういった「乙女とは」という定義がこの物語には満ちている。
現代社会においてけっして頻繁に使われることのなくなった「乙女」という単語であるが、だとすれば、これは現代の物語としてはあまりにも出来すぎだろう。
まして、みか子たちはもう大学生である。アンネは「乙女」だったかもしれないが、それは肉体的にも精神的にもそうであって、はたしてみか子たちは純粋に「乙女」たるえるかどうか。
状況設定は中学生でもよかったかもしれない。
ただ、このような自身の存在に関わるような重いテーマながら、この作品の最大級の賛辞として、読むことが楽しかったということはきちんと書いておきたい。
(2010/08/24 投稿)

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08/23/2010 あなたはいつもきれいだった - 「茨木のり子 初の回顧展」に行ってきました

詩人茨木のり子の、初めての回顧展開催の記事を見つけ、
たまらずに、昨日(8.22)、

群馬県高崎市の県立土屋文明記念文学館へ行ってきました。
茨木のり子とはいえ、
詩人の展覧会など小さなものかと思っていましたが、
なんのなんのとても充実した内容でした。


まずは、小学生の日記や子供の頃の写真が並びます。
そして、父のことを詠んだ「花の名」(抄)という詩が
展示されています。
いい男だったわ お父さん
娘が捧げる一輪の花
生きている時言いたくて
言えなかった言葉です
柩のまわりに誰もいなくなったとき
私はそっと近づいて父の顔に頬をよせた
ふいに悲しみがこみあげてきました。
この春になくなった、私の母のことを思いました。
父と母のちがいはあれ、
こんなにも素直に肉親のことを伝える言葉があることに
つきあげられました。
涙がでて、嗚咽がでそうになりました。

私の、なくなった母と同じ年だったのです。
それは単なる事実でしかありません。
でも、そのとるにたりない事実は、
茨木のり子が残した「わたしが一番きれいだったとき」にある
同じ風景を、母も生きたという事実です。

二十歳の着物姿の茨木のり子は、きりりとしています。
そして、詩誌「櫂」を始めた頃のおびただしい書簡。
昭和24年に結婚した茨木のり子の、二年後の日記に
こんな記述がありました。
彼、当直。
夕ぐれ近ずくと、たまらない淋しさに襲われて
パンものどを通らない
それは茨木のり子が最後に残した亡き夫への
挽歌「歳月」を彷彿させるものでした。

もうすでに50歳でした。
そんな彼女が残した韓国語の単語カード。
たくさんのハングル語。

夫の希望で購入された、そのスウェーデン製の椅子に
夫が座ったのは、わずか三ヶ月でした。
友人石垣りんからの2003年の誕生日によせられた手紙には
こうありました。
たくさん有難うございました。
たくさんすみませんでした。
たくさん齢をとつて下さい。
(フランスのルオー爺さんのように
ね)

茨木のり子の唯一の絵本『貝の子プチキュー』の
山内ふじ江さんの原画も展示されています。

「Yの箱」。
なくなった夫を詠った詩稿が収められていた、あの箱。
茨木のり子の『歳月』に収められた詩にであったばかりの私には
こんなに早く、本物の「Yの箱」に出あえるなんて夢のようです。
これはどこにでもある小さな箱ですが、
茨木のり子の愛がいっぱいつまった箱です。
茨木のり子は、いつもいつもきれいだった。
この箱にはそのきれいがつまっています。


なんと感動的な日曜日だったことか。
「自分の感受性くらい/自分で守れ/ばかものよ」
自作の詩を朗読する茨木のり子の、残された声が
深く心に残ります。

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08/22/2010 花さき山(斎藤 隆介・滝平二郎):書評「綺麗と奇麗」

斉藤隆介さんの絵本は
たぶん活字だけで読んでも
それなりに感動すると思います。
でも、こうして
滝平二郎さんの絵をセットされると
またまったく違うものになると思います。
それってどういうことなのでしょうね。
例えが悪いかもしれませんが、
漫才というのもそうではないでしょうか。
漫才の世界ではボケとツッコミとかいいますが
あの伝説の「やすし・きよし」の漫才を見ていると
横山やすしという天才芸人は
西川きよしからいたからより力を発揮できたのだと
思います。
斉藤隆介さんと滝平二郎さんの関係も
それによく似ている。
そう思いませんか。
じゃあ、読もう。
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滝平二郎さん絵の、きれいな表紙です。
この場合のきれいは、「綺麗」という漢字をはめたいと思います。糸辺でできあがっているように、織物のようにあでやかな美しさとでもいえばいいでしょうか。
あやという少女の着ている、赤や青や黄の花柄の着物にふれたくなるような、綺麗さです。
物語は山ンばの住む山に迷い込んだあやがその山いちめんに咲く花々のいわれを聞くところからはじまります。
あやのあしもとに咲く赤い花は、あやが咲かせた花だと、山ンばはいいます。新しい着物をねだる妹のためにあやがしんぼうした、そんな気持ちがその花を咲かせたと。
見渡すかぎりの赤や青や黄の花々は、みんな、「つらいのを しんぼうして、じぶんのことより ひとのことを おもって なみだを いっぱい ためて しんぼうすると、その やさしさと、けなげさ」で咲きだすのだと、山ンばはあやに教えます。
村にもどってそのことを村人に話しても誰も信じてくれません。ひとりあやは、花さき山のことを、山ンばの話を思い出すことがあります。
きっと、そんなときのあやの心は、きれいです。
この場合は、「奇麗」という漢字を綴りたいと思います。類まれな美しさとでもいえばいいでしょうか。人の心のきれいさは、どこにでもあるものではありません。誰もができるものではありません。
だから、奇麗。
綺麗な花の咲く花さき山のあることを信じられるのは、奇麗な人の心です。
自身を振り返れば、反省ばかりですが、きれいでありたいと思います。
そのきれいは、綺麗でしょうか。それとも、奇麗でしょうか。
(2010/08/22 投稿)

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08/21/2010 往きて還らず(団 鬼六):書評「団鬼六こそ「最後の文士」」

団鬼六(だんおにろく)。
男性にはお馴染みの名前かもしれない。
女性は知らない人も多いのではないでしょうか。
SM小説の大御所です。
あの、その、
縄で縛ったり、鞭で叩いたりする
あの、その、
SM小説のことです。
その大家が鬼六先生ということになります。
最近では『花と蛇』が映画化されて
名前だけは知っている人も多いと思います。
そういえば、その『花と蛇』の
パート3がもうすぐ劇場公開されるとか。
今回の主演女優が
小向美奈子さんだとかで、
男性週刊誌各誌がこぞって特集を組んでいます。
その、団鬼六さん。
私は結構好きです。
じゃあ、読もう。
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少し前には「文士」という呼び方があった。
文筆を生業(なりわい)にしている人を指してそう呼んだものだが、この言葉には単に職業をいうなにごととは少しばかり違った雰囲気があったものだ。
それを正確にいうのは難しいが、どこか職業を斜(はす)にみている気分といえばいいだろうか。それとも、正しい営みではない覚悟のようなものというべきか。履歴書の職業欄に書くべき何ものをももたない作家たちが「文士」たちだったように思う。
現代の作家たちはそんな「文士」からほど遠い。職業感として、会計士や○○商事の部長と同じところに、「作家」がある。きっと彼らは何のためらいもなく、履歴書に「作家」と書くにちがいない。
どちらかいいとか悪いという問題ではない。
ただ「文士」には人間をじっと凝視する何かがあったような気がする。
団鬼六はいわずと知れた官能小説の大家である。
本作は団の父親の物語として、戦争末期に体験した(と思われる)不思議な人間模様を描いた作品である。
団が得意とする官能場面は少しはあるが、それよりも普通では想像できない人間の姿が、団の加虐被虐のめくるめく世界と同位であることに、団鬼六という作家の世界観があることに納得させられる。
物語の舞台は特攻隊基地である鹿屋航空基地。特攻攻撃間近の滝川大尉は愛人八重子を基地そばの「すみれ館」という洋館に住まわせている。滝川は八重子に、自分が死んだら部下である中村中尉にお前を譲るという信じがたい提案をする。
そして、滝川は特攻隊として出撃。滝川の命令どおり八重子を愛人とした中村中尉だが、彼もまた特攻隊として出撃する前に後輩の横沢少尉に八重子を譲り渡す。
女の人格などあったものではない。現代の女性からみたら、三人の男たちだけでなく、八重子の存在もありえないだろう。
しかし、最後の男滝沢を追って前線まで彷徨い、最後には空襲の紅蓮の炎のなかで命を終える八重子のなんともいえない官能性は、なんとも艶かしい。
それを肯定するか否定するかはともかく、団鬼六という作家はそういう女性をこよなく愛しているといえるのではないだろうか。
団鬼六の、人間とは時に破滅を好み、滅びさることをよしとするものであるという、そういう姿勢はもっと評価されていい。そこには覚めた人間凝視がある。
団鬼六こそ、「最後の文士」といっていい。
(2010/08/21 投稿)

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08/20/2010 永遠の詩 7 萩原朔太郎:書評「十代の頃に読みたかった詩集」

今日紹介するのは
萩原朔太郎の詩。
萩原朔太郎って現代国語で習いますよね。
それほど、日本の詩の現場では
重要な詩人です。
ところが、書評に書きましたが、
私はどうも縁がなかったようです。
文語体の詩が読みにくかったともいえるし、
こんなこといっちゃいけませんが、
顔は強面(こわおもて)。
どうも朔太郎のような顔は苦手で。
中原中也とか立原道造はいいのですが。
詩人の顔で詩を読んではいけません。
それはわかっているのですが。
でもなぁ。
じゃあ、読もう。
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「永遠の詩」全八巻の七巻めは、萩原朔太郎。五十八篇の詩が収められている。
巻末のエッセイは、詩人のアーサー・ビナードが担当している。
十代の頃に朔太郎の詩に出会いそこねた。二十代も朔太郎は横目で通りすぎた。三十代、四十代はもう朔太郎とは縁がないものとあきらめた。私にとっての萩原朔太郎はそんな詩人であった。
それなのに、こうして人生の半ばを過ぎて、朔太郎の詩を読むことができたが、十代で読んでいたらどう感じただろうと思うことしきりだった。
近代詩の旗手のようであった朔太郎の詩にちっとも心がふるえないのは、朔太郎の詩の感性があまりにも若すぎるからかもしれない。もはやそういった言の葉では何も語れないことを、私は知ってしまったのだろうか。
朔太郎の第二詩集『青猫』に収められた「薄暮の部屋」という詩。「恋びとよ」と繰り返されるこの詩の熱情に、もし十代の私であれば打ちのめされたかもしれない。
「恋びとよ/すえた菊のにおいを嗅ぐように/私は嗅ぐ お前のあやしい情熱を その青ざめた信仰を」と詠う詩人に心奪われたかもしれない。しかし、悔しいが、私はすっかり年を重ねた。
朔太郎の鋭い感性も日本語の美しさも、五十代の私にはとおい。
詩はだれのものか。
おおげさにいえば、詩は若いひとたちのものだ。
ちなみに、表紙の「ふらんすへ行きたしと思えども/ふらんすはあまりに遠し」は「旅上」という詩の一節である。
(2010/08/20 投稿)

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08/19/2010 マンガホニャララ(ブルボン小林):書評「まじめな漫画評論集」

今日紹介するブルボン小林さんの
『マンガホニャララ』は
なんだか怪しい作者と書名で
損をしているかもしれません。
書評にも書きましたが、
ブルボン小林さんと長嶋有さんは同一人物。
だから、昨日の記事と対になっている感じに
書評を仕上げました。
でも、表紙いいでしょ。
読みたい、の決め手は
この「忍者ハットリ君」のイラストです。
これがなければ、手にすること
なかったですね。
それにしても、
長嶋有さんは器用な書き手です。
そういう器用さが裏目にでないよう
ペンネームを変えているんでしょうね。
じゃあ、読もう。
![]() | マンガホニャララ (2010/05/27) ブルボン小林 商品詳細を見る |


いま何読んでると訊かれて、「マンガホニャララ」とは答えにくい。なんじゃそれ、といわれるにちがいない。誰が書いているの、と追加質問がはいる。とても「ブルボン小林」とはいえない。だから、「芥川賞作家でもあり第一回大江健三郎賞作家でもある、長嶋有が名前を変えて執筆した本格的漫画論」と答える。なんとなく、納得してもらえそう。
日本はすっかりマンガの国である。
1955年生まれの私が子供の頃はマンガはまだまだ文化的認知とはほど遠い存在であった。それが今ではマンガなくしてこの国の未来は語れないほどの文化となった。
1972年生まれのブルボン小林にとってはすでにマンガは文化として確立していた。生活のなかにあることが当然であり、しかも進化しつづける創作の世界であった。
以前劇画家のさいとう・たかを氏の著作を読んだ時、初期の劇画作家たちは映画の手法に近づこうとしていたと書評に書いたことがあるが、ブルボン小林たちの世代は映画表現を凌駕したマンガ文化を持っていたといえる。
本書にはたくさんのマンガが語られているが、ブルボン小林はマンガについてこう書いている。「高みからバカにしながら読みたいわけではない。自分と同じ地平で、馬鹿にしたりされたり、ときには座り直したり、寝そべって弛緩したり、そんな風に読めるのがいい。いいというか、それこそ漫画だと僕は思う」(213頁)
だとしたら、本当はこういったマンガ論などなくてもいい。
しかし、今や文化になったマンガにはブルボン小林のような応援者が必要だろう。それほどにマンガは深く表現されてきた。
たとえば、『ドラえもん』について、「願望充足、未知との存在との出会い、異世界へのファンタジーなど子供が絵本に求めた要素のすべて」をこの作品が一気に超えてしまったという見解などは秀逸である。だとしたら、絵本論と同様の地平でマンガは論じられるべきだろう。
こう書いてみると、なるほど、このマンガ論は正統な評論だなと思う。
もしかしたら、本当の著者は「長嶋有」(ブルボン小林の別名)ではないか。
(2010/08/19 投稿)

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08/18/2010 エロマンガ島の三人(長嶋 有):書評「おみやげは何がいいかな」

夏休みが明けて、
エロマンガ島に行ってきました
なんて言ったら、
職場の顰蹙(ひんしゅく)をかうのは
まず間違いない。
だから、こういう書名は
実に困る。
困るのだが、こういう書名だから、
読んでみようかという
愚かな、私みたいな読者もいる。
ということで、
今日紹介するのは長嶋有さんの
『エロマンガ島の三人』。
ね、題名でぐっとひかれたでしょ。
そんなことない?
うそだー、絶対うそ。
この書名で間違いなく
17人の人は、特に男性読者は、
読む気になったはずだけど。
それほどにタイトルは大事。
でも、この書名でそっぽを向いた読者も
23人はいたかもしれませんね。
じゃあ、読もう。
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いま何読んでると訊かれて、「エロマンガ島の・・・」とは答えにくい。だから、「芥川賞作家でもあり第一回大江健三郎賞作家でもある、長嶋有を」と答える。なんとなく、納得してもらえそう。
長嶋有の異色短編集である。
表題作の「エロマンガ島の三人」はゲーム雑誌に連載されていたもので、エロマンガという名前の島でエロマンガを読むというくだらない企画がとおった雑誌編集者の佐藤と少しトロそうな同僚久保田、そしてゲーム会社の代理という肩書きで送り込まれてきた日置という男性三人が楽園とも思えるエロマンガ島で過ごす数日を描いたもの。
なんとなく怪しい感じのする(実際怪しいのだが)日置の存在と佐藤が東京に残してきた交際中の鈴江の存在が物語に緊張を与える。
どこか別の惑星に漂着した男たちの物語のように思える。
同収録の「青色LED」は本作の後日談を描いた、書き下ろしである。
ちなみに、「エロマンガ島」であるが、実在する。
Sfといえば、本書に収録されている「女神の石」「アルバトロスの夜」はその範疇にはいる。
前者は破壊の行われた地球に生き延びた四人の男と一人の女の物語。この男女比であればどのようなことが行われるかは定番的発想だろう。
後者の「アルバトロスの夜」は駆け落ちしてきた男女が深夜のゴルフ場に迷い込んでプレイしていく物語。主人公の父は元プロゴルファー、連れの彼女の父親はその筋のやばいお方。追われていく立場がワンホールのプレイが終わるたびに落ちる照明で克明になっていく。
そのほか、「ケージ、アンプル、箱」は官能小説。著者自身、「ぜんぜん「濡れない」実に乾いた感触」と書いているとおり、官能小説としての魅力には乏しい。
こう書いてみると、なるほど、この短編集は長嶋有の異色作品集だなと思う。
もしかしたら、本当の著者は「ブルボン小林」(長嶋有の別名)ではないか。
(2010/08/18 投稿)

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08/17/2010 直筆原稿版 オーパ!(開高 健):書評「ページを繰ってはため息ばかり」

夏休み明けに
アマゾンに行ってきました
と書ければ、
素敵なんですが、
今日紹介するのは、
開高健の『直筆原稿版オーパ!』。
アマゾン釣り紀行である。
この本のことは書評に書いたとおりですので、
ここでは書評に書けなかったいくつかを補足として
書いておきます。
まず、書評のなかで引用した
佐野真一さんの文章ですが、
これは7月3日に日本経済新聞に掲載された
「開高健 色あせぬ作家の粋」という記事のなかで
紹介されていたものです。
それと、本書の解説を書いた重松清さんの文章を
書評のなかで絶賛しましたが、
何がいいかというと、
開高健の『オーパ!』が連載された
「PLAYBOY日本版」(1978年2月号)をきちんと
評価している点です。
こういう書評を書けたらいいのにと
思いました。
じゃあ、読もう。
![]() | 直筆原稿版 オーパ! (2010/04/26) 開高 健高橋 昇 商品詳細を見る |


開高健はさまになる。
小説を書いても、ルポタージュを書いても、写真になっても、声を聞いても、これぞ開高健だと感じいる。
もちろん、その字も、である。
丸っこく、人懐っこい文字は開高健の風貌にどこかしら似ている。芥川賞を受賞した頃の痩身の開高ではなく、まん丸に肥満したその風貌に。
字はその人の、一体何に似るのであろうか。
今年は開高健生誕80周年にあたる。生きていてもまだ80歳。現役作家だとしたら、どれほどの作品を残しただろうかと惜しまれてならないし、作品ができなかったとしても開高がいることで現代の文学界のありようは少しは様相がちがったものになったのではないだろうか。
そんな開高であるが、生誕80年を記念してということだろうか、直筆原稿版の出版が相次いでいる。本書はそのひとつ、釣り紀行の名作『オーパ』の直筆原稿版である。
編集部の解説によれば、この原稿の「のち著者自身による加筆・修正がなされたため、現行本とのあいだにには異同が」あるということだが、今回の原稿にはそういった加筆・修正のあとは見られない。どの時点で彼が手をいれたのか興味は残るが、それを詮索しても仕方がない。
開高健の書誌的な研究をするつもりもない。
原稿を見て、ほとほと感心するのは、ほとんど書き直し、書き損じがないことだ。この原稿に先立つ取材ノートがあったのだろうが、原稿用紙一枚分、なんの修正もないページがたくさんある。それはもう感動としかいいようがない。
ノンフィクション作家の佐野真一氏が開高健について「原稿用紙の前でうなりながら、彫刻家のように一字、一字を彫塑する文学者として以外の開高は、私にとって開高ではない」と書いているが、本書につづられた原稿を見て、彼は本当に「原稿用紙の前でうな」っていたのだろうかと思ってしまうほど、原稿はきれいだ。あるいは、「うなりながら」ここぞとばかりに一気呵成に「一字、一字を彫塑」したのだろうか。
本書には作家の重松清さんの「解説」がついているが、これまた最近の重松清さんの文章でも群をぬいた名文である。この「解説」を読むだけでも、価値ある一冊だ。
(2010/08/17 投稿)

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08/16/2010 鳩を抱く少年 - 37年前の詩

国会図書館にでかけた話は先日書きましたが、
親切な図書館員さんのおかげで
1973年の「高三コース」(学習研究社)4月号に
たどりつくことができました。
もう37年前の雑誌を所蔵していたのは
都立多摩図書館。
都立ではたった一館の所蔵でした。
いくつかのやりとりがあって、
先日その写しを送っていただきました。
ありがとうございます、都立多摩図書館さん。


たしかに1973年の「高三コース」の
「前登志夫の文芸ノート」の詩のコーナーの
三席に掲載されていました。
この詩には思い出があります。
当時思いを寄せる女の子がいて
その子になかなか気持ちを伝えられず、
たまたまその子が「高三コース」を読んでいるということを
聞き及んで、
もしそこに私の名前があったら、
私のことに気がついてくれるのではと投稿した思い出です。
ところが、採用されたのは
卒業したあとの4月号。
結局、彼女はこの詩をみることはありませんでした。
しかも彼女は東京にひっこしてしまいましたし。

この詩は永遠に届かなかった
ラブレターのようなもの。
どんなに悔しい思いで、
4月号に掲載された詩をにらみつけたことでしょう。
あれから、37年。
まことにぶざまな青春だったと思いますが、
こうしてこの詩は私の手元にもどってきました。

「鳩を抱く少年」
走りぬける冬の風に 一枚の落ち葉でさえ
もう一度 復活しようとさえするのに
その白いことを忘れた 鳩は もう舞えない
皮膚を突き刺す 白い粉に 身を震わせた灰色の鳩
その姿に 鏡の中の少年が重なる
・・・と鳩は白くなり
・・・と少年は醜くなる
雪は天上で舞い 地上で雨となり 鳩を凍らす
冷たくなった短い翼を 鳩はもう一度 打ち震わそうとする
だが 黒いかたまりとなって 短い翼は
白く変わった肉体から ころげおちる
夢・・・雪は天上で舞い 地上で雨となり
白い鳩は 冷たい氷と化し しなびた土のころがる
少年は 雪の涙をながして ガラスの鳩を拾いあげる
足もとに 寒気がしがみついて ひざをかこむ
ああ この冷たさ
ああ この輝き
澄きとおった硝子の光輝
雪の涙は熱湯となり 雪崩のように 鳩を埋める
少年の涙は止まらず 雪時雨
あのよだかでさえ星になれたのに
この鳩は星にもなれず 水となり 地下へ還る
天上で見下ろすよだかの星と
地上で見上げる鳩の流水
雪は天上で舞い 地上で雨となり
地下で りゅうりゅうと波うつ翼となった

「全体の構成と、主題のつかみ方に弱いところがあるが、
何か清々しい愛情と夢が漂っているのがよい」

風に吹かれて、ここにいます。

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08/15/2010 さよならをいえるまで(マーカ゛レット ワイルド):書評「さよなら、母さん」

今年の春に亡くなった母の
この夏は新盆でした。
久しぶりに大阪の実家に帰っても
母がずっと座っていたところには
当然のように母はいませんでした。
母の死後すっかり老けた父が
母のいないことを、寂しいと言っていたのが
胸にじんとしみました。
口数の少ない父が
精一杯つぶやいた愛のひとことでした。
母が生きている時に
聞かせてあげたかった。
それも叶わぬことです。
こんなことは古臭いことかもしれませんが、
父も昔風の男なのです。
それを誰が咎めることができるでしょう。
母さん、よかったね。
息子として、
そう言ってあげたい。
今日紹介するのは、
愛するものを亡くした者の気持ちを
哀切に描いた絵本『さよならをいえるまで』です。
じゃあ、読もう。
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母の、最期の病室。
ほとんど意識のなくなった母は、医師と看護師たちの懸命の治療を受けていました。父と息子とその妻と、そして孫娘たちが懸命に母を呼びました。
「おかあちゃーん」「おばあちゃーん」
母にはその声が聞こえていたのでしょうか。聞こえていて、どうしてこたえてくれなかったのでしょう。母は生きることをやめてしまった。本当はもっとずっと長く生きていたかっただろうに。本当はもっとずっと話をしたかっただろうに。
母の死を医師が告げたその時から、もう葬儀の準備が始まりました。
そして、あわただしく送りの儀式が続いたのです。
絵本『さよならをいえるまで』には愛する犬ジャンピーを事故でうしなったハリー少年の切ない気持ちが描かれています。
ハリーは死のことがわからないほど幼くはありません。いなくなった愛犬ジャンピーと寂しそうな父の様子に何があったのか「もう、きづいて」いたのです。
でも、ハリーは死の事実を受け入れませんでした。「うそだ!」「いやだ!」のひとことで、事実を消してしまおうとします。
そんな言葉でジャンピーがもどるはずはありません。
ところが、ジャンピーはある日の真夜中そっとハリーのところにもどってきました。
次の日もまどってきました。ただ、すがたは「なんだか ぼんやり」となって。
そして、その次の日も。
でも、ジャンピーの「そのすがたは、冬のきりのように おぼろげで、そのからだは、冬のようのように つめたくて」、もうすぐ本当の別れがちかづいていることはハリーにもわかりました。
そんジャンピーを抱きしめて、ハリーがそっと口にしたのは「さよなら」でした。
誰もが愛するもののいなくなることをうけとめたくありません。
でも、いつか、「さよなら」をしないといけないのです。
「さよなら」をすることで、愛するものを自分のなかにしまいこむことができるのかもしれません。
愛するものと生きた、思い出として。
あの時、母に「さよなら」って言えたかどうか、私は少しも覚えていません。
だから、あらためて母にいいます。
「さよなら、母さん」
(2010/08/15 投稿)

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08/14/2010 あたまわるいけど学校がすき―こどもの詩 (川崎 洋・編):書評「私も昔、子どもだった。」

今日紹介する、川崎洋さん編集の
『あたまわるいけど学校がすき』は
読売新聞に<こどもの詩>として
掲載されていたものです。
先月のさいたまブッククラブで
Mさんが紹介してくれた一冊です。
その時に紹介してくれた詩が
ママって/パパとけっこんしたの?/
そしたら/ママは/おうじさまに/あえなかったんだ
読書会が一気になごみました。
私が気にいったのは、「フー」っていう詩。
今日はとてもつかれました/「フー」
先生は 何をしてすぐ/「フー」と言いますが
うちの おじいちゃんは/トイレから出ただけで/
「フー」と言います
あんなことで/「フー」と言うなんて/
びっくりしますわ
最後の「びっくりしますわ」が効いています。
夏休みに、こういう世界に
ふれてみるのもいいかもしれません。
じゃあ、読もう。
![]() | あたまわるいけど学校がすき―こどもの詩 (中公新書ラクレ) (2002/03) 川崎 洋 商品詳細を見る |


私たちは、これはおとなの私たちということですが、子どもだったことを時に忘れています。
ある日突然おとなになんかなりっこないのに、自分が子どもだったそのことを忘れて、いつも偉そうにおとなの言葉で話そうとします。
誰もが子どもだった何年かを経て、おとなになるというのに。
本書には読売新聞の「こどもの詩」欄に掲載された214篇の詩が収められています。選者は詩人の川崎洋さん。
それぞれの詩に川崎さんの、おじゃまにならない、短い感想がついています。
例えば、「お母さんも子なら/どこの国でも/いいよ」という小学三年生の女の子の詩に書いた川崎さんの感想は「お母さんにとって、これ以上うれしい言葉はないでしょう」といったぐあい。
投稿した子どもたちは川崎さんの感想を読んで、新聞に掲載されて以上に喜んだのではないでしょうか。それほど、川崎さんは優しい言葉を添えてくれます。
掲載詩には、まだ字が書けない幼児のものもあります。お母さんやお父さんやおじいさん、おばあさんが書きとめたものです。
そういう字も書けない子どもたちの感性の方がおとなに近づいていく中学生のものよりも素直で、予想外の世界を見せてくれます。
久しぶりにエプロンをつけた母をみて、「なんかママ きょうは/おかあさんみたいね」と書いたのは4歳の女の子ですが、こういう発想は大きくなると生まれてきません。ママとおかあさんは同じだということをいつからか身につけてしまいます。
詩は常識的な視点では生まれてこない。柔らかな、手にするとこわれてしまいそうな、そういった感性が詩を生み出す。
言葉で飾るのではなく、心のありようを表現するものとして言葉がある。詩ができる。
ここには、そういった詩の誕生の原点があるような気がします。
私も、ずっと昔、子どもだったはずです。少し、泣き虫の。
(2010/08/14 投稿)

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08/13/2010 「書評の鉄人列伝」にふたたび掲載されました

bk1書店の「書評の鉄人列伝」に
私(「夏の雨」というハンドルネームですが)を
紹介いただきました。

「書評の鉄人」はもうすでに230人以上超えていますが、
二回めの紹介をいただいたのは
私で3人目。

ありがたいことです。
そういうことで、
本の世界が広がるのはいいですね。


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08/13/2010 雑誌を歩く 芸術新潮 8月号 - 夏はゲゲゲだ!

あの、ひゅう~どろどろの、あれ。
ということで、今回の「雑誌を歩く」は
おばけ、妖怪といえばこの人、といわれるくらい
すっかり定着した漫画家の水木しげるさんを特集した
「芸術新潮」(1400円・新潮社)8月号です。
![]() | 芸術新潮 2010年 08月号 [雑誌] (2010/07/24) 不明 商品詳細を見る |

ゴッホとかマネとか、日本でいえば魯山人とか、
そういう、つまりは芸術を紹介する由緒ただしい雑誌ですが、
その雑誌についに水木しげるさんが登場したことに
驚きました。
水木しげるさんが「芸術新潮」になじまないとかいうことではなく
水木しげるさんも「画業60年」にしてようやく
認められるようになったことがうれしい。
漫画の地位もゴッホと同じくらいのところまできたことが
うれしい。

「水木しげる その美の特質」。
美ですよ、美。
思わず、ビビビのねずみ男みたいになってしまいました。
彼の作品の、いったい何が、どのようにすごいのか?
その怒濤の人生にアプローチしつつ、
マンガ家という枠におさまりきらない
「アーティスト、水木しげる」の底知れないパワーに
迫ります!
このリード文だけ読んでもすごいでしょ。
なにしろ、水木しげるさんは「アーティスト」ですぞ。

「水木しげる 10の傑作」。
お馴染み、鬼太郎とか悪魔くん、河童の三平とかが紹介されていますが、
なにしろ「芸術新潮」のことですから、
きちんと原画での紹介となっています。
つまり、印刷される手前の原画で紹介されているのがいいですね。
その呉智英さんが「マンガを超えるマンガ」という別の特集記事で
「マンガ史における水木しげるの位置づけ」として
こんなふうにまとめられています。
①紙芝居、貸本、雑誌と、現代マンガの3世代をすべて経験
②いまだに現役作家
③絵が誰にも影響されていない
④「歴史の重層性」と「マージナル(周辺)な者への眼差し」

とくに、戦後を通じて描いてきたことの功績は大きいでしょうね。
今、NHKで放映されている「ゲゲゲの女房」が人気があるのは
あそこには私たちが通りすぎてきた時代が
あるからだと思います。
そのことは、水木しげるさんの漫画全般に
いえることではないでしょうか。

水木しげるさんと哲学者梅原猛さんの対談とか、
水木プロ訪問記、そしてすっかり有名になって
故郷境港の様子とか、満載。


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08/12/2010 永遠の詩6 宮沢賢治:書評「祈るようにして読みたい詩集」

世の中、お盆です。
死者がもどってくるという風習は
けっして嫌いではありません。
先祖を大切にすることは
やはり大事にしないと。
今日紹介した宮沢賢治にも
そういった死者を悼む気持ちが
強く感じられます。
宮沢賢治の詩は童話のように
読みやすいということは
ありません。
童話だって、宮沢賢治が言おうとしたことは
とても奥深いと思いますが、
それでも詩に比べれば
まだ読みやすい。
その点、宮沢賢治の詩は
難解だといえます。
でも、難解な分だけ
彼の本源的なものがよくでている。
そうともいえるのではないでしょうか。
じゃあ、読もう。
![]() | 永遠の詩(6) 宮沢賢治 (2010/03/25) 高橋 順子宮沢 賢治 商品詳細を見る |


「永遠の詩」全八巻の六巻めは、宮沢賢治。三十一篇の詩が収められている。
巻末のエッセイは、あの椎名誠が担当している。
この詩集の特徴のひとつは掲載された詩に鑑賞解説がついていることだが、宮沢賢治の代表作「雨ニモマケズ」の解説の書き出しにこうある。
「この詩を、中学校の教科書で読み、暗誦させられた」(執筆は高橋順子)。同じような経験をした人は多いのではないだろうか。私の場合は小学六年生だった。この詩の全文をクラス全員が暗誦させられた。いま、そのことに感謝している。
暗誦は、詩を読むひとつの楽しみだ。ただし、なかなかできるわけではない。授業のなかの、なかば強制的な教えだったが、あの時、覚えなかったら、この「雨ニモマケズ」もきっと私のなかにとどまることがなかったかもしれない。
宮沢賢治の詩には、そしてそれは賢治の童話にもいえることだが、敬虔な祈りがある。有名な「永訣の朝」は何度読んでも、死にゆく妹トシをみつめる賢治の深い悲しみと祈りに胸ふさがれる。それは死を扱った作品だからではなく、生からつらなる死という大きなものをじっとみつめた賢治の魂にうたれるからではないだろうか。
たぶん何度も刊行された宮沢賢治の詩集だろうが、本詩集の冒頭の詩が童話『双子の星』にある「星めぐりの歌」というのはうれしい。銀河鉄道の発車の合図のようだ。
ちなみに、表紙の「ホメラレモセズ/クニモサレズ/ソウイウモノニ/ワタシハナリタイ」は「雨ニモマケズ」という詩の一節である。
(2010/08/12 投稿)

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08/11/2010 <わかりやすさ>の勉強法(池上 彰):書評「勉強って何だろう」

夏休みにはいっています。
前の職場がそういった休みの少ないところでしたから、
かたまった休みがとれる職場に
あこがれていました。
でも、いざそういう休みがあっても
やっぱり事前の計画がないと
ぽわんぽわんって
消えていくんですよね、
毎日が。
休みだからって
TV三昧とかお昼寝三昧ではなく、
なんかきちんと日頃できない
勉強をしたいもの。
勉強するのは、
子供だけではもったいないですよ、
お父さん。
ということで、
今日紹介するのは、
池上彰さんの『<わかりやすさ>の勉強法』。
AKB48全員の名前を
覚えるのもいいかもしれません。
じゃあ、読もう。
![]() | <わかりやすさ>の勉強法 (講談社現代新書) (2010/06/17) 池上 彰 商品詳細を見る |


本書の「あとがき」に見出しがついています。「勉強って何だろう」と。
そのなかで著者の池上彰さんは「社会人になってからの勉強」には「仕事に必要な勉強」と「知識欲からの勉強」の二つがある、と書いています。
本書に書かれている「勉強法」はどちらかといえば後者の方です。池上さんの場合は、ご存知のようにNHKの記者として「仕事に必要な勉強」をしているうちに、自然と「知識欲」につながっていったようですが。
勉強ということを単に「仕事」のためだけにするのはもったいないように思います。すぐに役立つものではないけれど、自分という人間を高めることが大事なのではないでしょうか。
そのようなことに触れて、同じ「あとがき」のなかでこうあります。
「勉強するということは、知識欲を満たす純粋な楽しさと同時に、自分が成長しているという実感を与えてくれます。それは年齢に関係ありません。五〇歳でも、六〇になっても七〇になっても、前の日よりも自分が成長していることが実感できる喜び、それが実は勉強ではないか」と。
これには私も同感です。
だから、本当は「勉強」をするということが大切で「勉強法」は二の次なのです。ただ、同じように勉強をするとしたら、やはりきちんと自分の身につく、そんな方法が必要になってきます。
本書でも、ノートのとりかたやファイルの仕方など、池上さんは自身の「勉強法」を教えてくれていますが、実はそういうことをすっかりマネすることはありません。むしろ、自分の生活のなかでどのようなスタイルをとれば一番身につくかを考えていくべきだと思います。
ただ、池上さんが新聞の活用について多くの紙面を割いていますが、新聞をきちんと読む癖はどのような勉強をするにしても欠かせないでしょう。
昔、夏の暑い盛りに縁台をだして新聞を読んでいたおじさんがよくいましたが、あのおじさんたちは案外物知りだったものです。情報が今よりうんと少ない時代に、あのおじさんたちはしっかりと情報をとる方法を身につけていたのかもしれません。
(2010/08/11 投稿)

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08/10/2010 君は「国会丼」を知っているか - 「国会図書館」に行ってきました

夏休みといえば、図書館。
図書館といえば、蝉しぐれ。

なんだか、学生にもどった気分です。
そこで、昨日(8.9)、東京永田町にある
国会図書館に行ってきました。
お向かいさんは国会議事堂。
それだけで、なんだかすごいでしょ。

二つの目的がありました。
ひとつは、30数年前に書いた、
私の詩を探すこと。
高校時代に好きだった女の子がいて、
その子に読んでもらおうと雑誌に投稿した詩が
あります。
確か、その子がその雑誌を読んでいると耳にして投稿したのですが、
残念ながら採用されたのが卒業のあと。
なんとも悔しい、「高三コース」(学習研究社)。
えーと、採用されたのは1973年4月号のはず。
その、幻の詩を探しに、
国会図書館まで出向いたわけです。

手続きが必要。
自分の氏名とか住所とかを登録すると、
カードがでてきて、それがないと入館できません。
なんだか面倒くさそうですが、
そんなことはありません。
5分もあればできますから、ご安心を。
いざ、入館して、検索機で該当の雑誌を探したのですが、
残念ながら、所蔵なし。
国会図書館にもなければ、
私の思い出の詩に二度とお目にかかれないのか。
そこで、係りの女性の人にたずねました。
親切な彼女は都内の図書館を検索。
そして、ついに見つけました。
都内に一箇所、
1973年の「高三コース」を所蔵している図書館がありました。
国会図書館のお姉さまのなんと親切なこと。
やさしいお姉さまに助けられて、
私は37年前の思い出にたどりつけました。
詩が届いたら、またこのブログに書きますね。
それまでお楽しみに。

「国会丼」を食べること。
「国会丼」って何?
誰もがそう思いますよね。
答えは、東海林さだおさんの「丸かじり」シリーズ最新刊、
『いかめしの丸かじり』にあります。
そこで紹介(「新国会丼」発見!)されていたのが、
国会図書館の食堂にしかないという
「国会丼」と「新国会丼」。
東海林さだおさんの文章の最後を引用すると、
「国会図書館に行ってきた」
と人に言うと
「何を調べに?」
と訊かれて、
「ゴハン食べに」
とはなかなか言えません。
とありますが、
そのなかなか言えないことをしちゃったわけです。
ありました、ありました。
「国会丼」500円。

牛丼半分に、カレーが半分。それに半熟たまごがのっかっています。
これが何故「国会丼」かというと、
「牛丼が与党でカレーが野党。まん中の半熟卵が国民。
これらを混ぜ合わせることが『審議』になる」
と、東海林さだおさんがレポートしてくれています。
なるほど。わかったようなわからないような。
で、お味はというと、
今の政治のように美味しくはない。
牛丼が、と書きかけて、
それじゃあ与党がまずいのかといわれそうですが、
全体的な味として、けっして美味しいとはいえない。
ただ半熟卵はがんばっていました。

「国会丼」のある図書館でもありました。

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08/09/2010 まちんと (松谷 みよ子・司 修):書評「幼い少女がねだったものは」

今日は長崎原爆の日。
原爆忌使徒のごときに身灼きをり 小林康治
広島も長崎も何の意味もなく
原爆の被害をうけました。
戦争だからという理由で、
あんなにも多くの人たちが
亡くなっていいはずはありません。
もし、広島と長崎に意味があるとすれば、
原爆の悲惨さと戦争の残酷さと
人類の愚かさを
のちのちまで語りつづけることだと思います。
この国にはその責務があります。
そのことをずっといい続ける、
責任があります。
今日紹介するのは、
松谷みよ子さん(文)、司修さん(絵)による
原爆の絵本です。
彼らが伝えたことを
書評にして広げる。
ちいさなことですが、
大事なことだと、私は思っています。
じゃあ、読もう。
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八月は「戦争」の季節です。
新聞や雑誌、それにTVといったたくさんのメディアが「戦争」の記憶をたどり、私たちは「戦争」を二度と繰り返さないことを誓い、死んでいった多くの死者に祈りをささげます。
風化させてはいけない記憶。
それがこの国の八月です。
ヒロシマの原爆を主題にしたこの絵本は1978年に刊行されました。そして、今でも多くの子どもたちに読みつがれています。
表紙の大きな瞳をした少女は原爆にあって死んでしまいます。まだ三つにもならないのに。死の間際、口にいれてもらったトマトを、「まちんと まちんと」をいってねだりながら。
「まちんと」とはまだうまく舌のまわらない少女(そんなにもこの子は幼かったのです)が、「もうちょっと」とねだった言葉です。
お母さんは廃墟になった町をトマトをさがして歩きました。そして、ようやくみつけた一個を持って戻ったときには、少女はもう死んでいました。
この絵本を読んで、こわがる子どももいるでしょう。
燃えさかる炎、不気味な黒い雨、とける腕、死んだ赤ん坊を抱く母親。みんな、みんな、目を覆いたくなります。
おとなでも胸ふさがれるような悲惨な絵がつづきます。子どもにとっては見たこともない光景です。
でも、その「こわい」という感情を大事にしてほしいと思います。
「戦争」はどんな思想のうえに立ったとしても、まずは「こわい」ものです。そして、「こわい」「戦争」はたくさんの悲しみをつくります。
その思いを生涯忘れないでもらいたい。
作者の松谷みよ子さんはこの作品に寄せてこんな言葉を書いています。
「戦争を語りつぐということは説明することではないのだと。ともすれば私たちは説明し、教えようとしているのではないでしょうか。実感の重みこそ求められているのに」
「まちんと、まちんと」といいながら死んでいった少女はトマトだけでなく、今消えてなくなる命をねだったにちがいありません。
もうすこし、生きていたい、と。
(2010/08/09 投稿)

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08/08/2010 いかめしの丸かじり(東海林 さだお):書評「「ヤッホー」と「バカヤロー」」

お待たせしました。
東海林さだおさんの「丸かじり」シリーズの
最新刊『いかめしの丸かじり』の登場です。
何しろ一年一冊の刊行ですから、
本屋さんで再会したときには
うれしくて、思わずハグしちゃいました。
夏に読むと、
暑くてもおいしいもの食べにいっちゃうもんね。
そんな気分になります。
それとも、半日ぐらい
冷蔵庫にいれて
冷やし「丸かじり」として
読むのもいいかも。
(よくありません)
最近はやりの「食べるラー油」をつけて
読むのもいいかもしれません。
(よくありません)
まあ、とにかくめしあがれ。
じゃあ、食べよう。
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夏です。
暑いです。
猛暑です。暑いです。
夏といえば、山に海。
夏山登山なんて最高ですね。
思わず、「ヤッホー」って叫びたくなります。
あなたもそう思ったでしょ。
でも、「ヤッホー」って何だろうなんて考察は誰もしない。
生まれた時から山に向かえば、「ヤッホー」って叫んでいる。これは人間のDNAに組み込まれているにちがいない。
広辞苑によると「互いの所在を明らかにし、あるいは歓喜を表すときに発する」とあります。
あれは、歓喜なんだ。
だったら、おいしいものを食べた時にも「ヤッホー」と叫べばいいはずだけど、そんな人、見たことありません。
その「ヤッホー」ですが、東海林さだおさんの「丸かじり」シリーズで紹介されている食べ物にしたらどうなるのでしょう。
山岳警備隊なんかがとんできて、「山ではヤッホーって決まっています」なんて叱られるのかな。
ええい、構いません。
やってみましょう。
まずは、タイトルにも使われている「いかめし」。
いきますよ。なんかドキドキするな。
「イカメシー」
北海道の山々にすいこまれそうな響きですね。
次は、「オムライス」にしましょう。
「オムライスー」
なんか迫力に欠けます。なにしろ、オムライスって山じゃなくて、丘っぽいし。
もっとやってみますね。お次は「蛸」。なぜか、今回の『いかめしの丸かじり』には蛸ネタが多い。蛸ネタが多いから、イカに気をつかってタイトルに「いか」を使ったのでしょうか。
「タコー」
どうもいけない。「ターコ」。これもいけない。
「柴漬け」は「食べたい」の方が合いそうです。
「タベターイ」。いけますね。
山に向かって「タベターイ」、そうしたらこだまが「イイヨー」。
どんどん叫んでみます。
「トウモロコシー」(これは「モロコシー」の方が様になる)「イナリズシー」「シュウマイー」「シュンギクー」「オデンー」
どうも、「タベターイ」に優るものはない。
でも、「ヤッホー」の歓喜が足りないのが気になるところ。
やっぱりここは「丸かじり」でしめましょう。
なんか文字数にして、合わない気はしますが。
自信がないな。
「マルカジリー」
お、なんだかいい感じです。「マルカジリー」「オモシロイ」(これはこだま)「マルカジリー」「モットヨミタイ」(これもこだま)「マルカジリー」「もっと読んで」(これは東海林さん)
ところで、
海ではなんと叫ぶか知ってます?
「バカヤロー」。多分。
(2010/08/08 投稿)

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08/07/2010 俺の後ろに立つな―さいとう・たかを劇画一代(さいとう たかを):書評「怖くて立てません」

毎日暑い日が続いていますが、
今日はもう立秋。
秋ですよ、秋。この暑いのに。
今日からは「書中見舞い」ではなく「残暑見舞い」。
この暑いのに。
話はまったく変わりますが、
私はさいとう・たかをさんがあまり好きじゃない。
好きとか嫌いではなく、
苦手といった方がいいかな。
あの名作にして大作『ゴルゴ13』も読んだことはありますが
夢中になったことはない。
『無用ノ介』はいいかな。
今、思い出しましたが、
子どもの頃に、漫画週刊誌に連載されていた漫画の
扉絵を切り取って保存していたことがあります。
『あしたのジョー』とか『巨人の星』とか。
そのなかに『無用ノ介』があったなあ。
そんなずっと昔から、
さいとう・たかをさんは巨匠だったのです。
すごい。
だから、私ごときがとやかくいうことではなく、
しっかりと『俺の後ろに立つな―さいとう・たかを劇画一代』で
劇画家さいとう・たかをの謎にせまりましょう。
じゃあ、読もう。
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「劇画」といえば「さいとう・たかを」といえるほど、劇画界におけるさいとう・たかをの位置づけは大きい。その第一人者が「劇画」について書いたとなると、どのような内容なのか興味がわく。
漫画の神様手塚治虫に吸い寄せられるようにして、漫画家をめざした若者は多い。昭和30年前後のことだ。のちに彼らは伝説となる東京「トキワ荘」に集結する。すなわち、手塚治虫、赤塚不二夫、藤子不二雄、石森(のちの石ノ森)章太郎、などなど。
その一方で、貸本ブームにのって大阪で活躍している若者たちもいた。辰巳ヨシヒロ、佐藤まさあき、松本正彦、そしてさいとう・たかを。彼らは「手塚漫画」では表現できないもの、それはより映画的なものを目指そうとしていく。やがて、彼らもまた東京へと集結。
そして、昭和34年、「劇画」が誕生する。
さいとうたちが目指したものは「漫画」ではなく「映画」だったように思える。
映画を描きとめようとしてたどりついたのが「劇画」で、それが「漫画」という表現方法に近かったということではないだろうか。つまり、「劇画」は「漫画」から生まれたものではなく、「映画」から生まれたものではないかということになる。
今ではその「映画」ともまったくちがう独自の文化である「劇画」が生まれてきたともいえる。さいとうは本書のなかで「劇画独自の手法による劇画の特性を生かすための劇画作品」(59頁)という言葉を使っているが、それだけの特性が現代の「劇画」にはあるし、さいとうのような作り手側にもはっきりとした意識がある。
やはり、日本の誇れる文化といっていい。
本書では、さいとうの生い立ちと劇画家として独立していく姿をまとめた「原風景」、劇画の特性を語った「劇画」、さいとうの大好きな映画のことを綴った「シネマ」、そして、さいとうならではの「流儀」「持論」といった章にわかれている。できれば、辰巳たちとの大阪貸本時代のエピソードをもっと読みたかったが、いまだ口にはできないものがあるのではないかと推測する。
さいとうたちが次の「漫画」を激論していた時代。彼らも若かったが、日本という国もまだ若かった。時代はまだ動き始めたばかりだ。
(2010/08/07 投稿)

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08/06/2010 永遠の詩 5 石垣りん:書評「男性がひゃつとなる詩集」

男性にとって
石垣りんさんの詩は少しこわい。
たとえば、有名な「私の前にある鍋とお釜と燃える火と」を
読むと、とうてい
女性にはかなわないなと思えてくる。
女性は強いのだ。
今日紹介するのは、
小学館の「永遠の詩」シリーズの
石垣りんさんの詩。
このシリーズも後半戦にはいりました。
このシリーズは前にも書いたかもしれませんが、
有名な作家さんたちが巻末にエッセイを
書いていて、
今回はあの重松清さん。
でも、なんだか重松清さんも石垣りんさんの前では
どうもタジタジのような印象ですね。
そういうこともあわせて読むと
面白い。
じゃあ、読もう。
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「永遠の詩」全八巻の五巻めは、石垣りん。四十篇の詩が収められている。
巻末のエッセイは、作家の重松清が担当している。
石垣りんに「定年」という詩がある。この詩を読むと胸をぎゅっと鷲づかみにされるような気になる。
その冒頭、「ある日/会社がいった。/「あしたからこなくていいよ」」にぎゅっとなる。
石垣りんが日本興業銀行の事務見習いとして就職したのは14歳(!)の時。定年退職したのは、55歳の時。実に40年以上の歳月を銀行員として働いていた。
石垣が定年を迎えたのは1975年(昭和50年)で、まだその当時は55歳の定年があったのだろう。女子行員として働くことの厳しさを石垣は目の当たりにしてきたにちがいない。そして、家庭の事情もあって、生涯独身であった石垣だが、「生きていることの さびしさ。」(「二月の朝風呂」)も正直に詩にしている。
長年勤めたところであっても、会社はやはり「あしたからこなくていいよ」という。そのことを石垣は「定年」の最後でこう詠っている。「たしかに/はいった時から/相手は会社、だった。/人間なんていやしなかった」。
だから、石垣りんは、ひとりの女性として、一人の人間として、こう言わざるをえなかったのではないだろうか。
「石垣りん/それでよい。」(「表札」)
どんな時代であっても働くことに失望し、ときに絶望することもあるだろう。
そんな時、石垣りんの詩にふれてみるといい。
すっくとあることの素晴らしさを彼女の詩は教えてくれるにちがいない。
ちなみに、表紙の「私の目にはじめてあふれる獣の涙。」は「くらし」という詩の一節である。
(2010/08/06 投稿)

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08/05/2010 シナリオ無頼―祭りは終わらない (中島 丈博):書評「まだまだ祭り」

先日(8.3)映画評論家今野雄二さん逝去の
ニュースには驚きました。
今野雄二さんはスマートな語り口で
人気の映画評論家でしたね。
まさにTV時代の映画評論家だったと思います。
今日紹介する中島丈博さんは
脚本家。
中島丈博さんの作品が好きな人も
多いのではないかな。
初期の頃、
そしてそれは私の青春期とも重なるのですが、
よくよく見れば中島丈博さんの
脚本だったということはよくありました。
特に、今回の『シナリオ無頼』の書評にも書きましたが、
中島丈博さんの『祭りの準備』は
とても印象深い作品でした。
映画評論家今野雄二さんのご冥福を祈りつつ、
そういう青春の映画に思いを
はせています。
じゃあ、読もう。
![]() | シナリオ無頼―祭りは終わらない (中公新書) (2010/02) 中島 丈博 商品詳細を見る |


本書の巻末に著者である脚本家中島丈博さんの「作品リスト」が載っている。最初の作品がシナリオ界の巨匠橋本忍との共作である『南の風と波』(1961年)だが、私自身の映画遍歴と重なるのが、1972年以降に日活ロマンポルノ時代以降となる。
1973年には斎藤耕一監督の『津軽じょんがら節』の脚本にも参加(同じ年には日活の小沼勝監督の『古都曼荼羅』も書いている。主演は山科ゆり)、74年には藤田敏八監督の『赤ちょうちん』(これは秋吉久美子という70年代に突出した女優の代表作だが、これに関連した「始末記」が本書には書かれていて、これはこれで面白い裏事情であった)、そして、『アフリカの光』(神代辰巳監督)『祭りの準備』(黒木和雄監督)という、75年の二本は同時代的に観ている。
特に『祭りの準備』は中島の自伝的作品というような宣伝がされていたように記憶している。だから、中島は高知の四万十川河口の出身とばかり思っていたが、本書で京都の出身だと知ることになる。
それはともかく、映画『祭りの準備』は青春期の私にはその時期特有の苛立ちであるとか迷いであるとかが差し迫って、共鳴しながら観た。主演の江藤潤のぼんやり感もよかったし、竹下景子の白い裸身にときめいた。
なによりも『祭りの準備』という題名が好きだった。
青春期をとっくに過ぎてみればなんということはないが、あの当時は青春とは祭りだと思わないわけではなかった。その祭りに自分が参加できるのかどうかはわからないが、今は準備中なんだ、だから何もできなくてもしかたがない。祭りはまだこれからだ。そうやって、さまよっていた。(このあと、吉田拓郎が『祭りのあと』(岡本おさみ作詞)の楽曲を出したときは切なかった)
本作は、家族との確執、作品の裏話など中島の「波乱に富んだ来し方」を綴った回想記であるが、副題に「祭りは終わらない」とあるように、中島自身、祭りという言葉にこだわっている。
誰しもが青春に祭りの昂揚、はちゃめちゃ、混乱などを重ねる。しかし、中島がそうであるように、人生の終盤にさしかかってはじめてわかることがある。人生そのものが祭りなんだと。
吉田拓郎で表現しきれないもの。案外それは北島三郎の『まつり』なのかもしれない。
(2010/07/01 投稿)

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08/04/2010 母 - オモニ(姜 尚中):書評「私とつながる「母」なるものへ」

先日行った東京国際ブックフェアの
記念講演は姜尚中さんでしたが、
そのなかでも、姜尚中さんは
今日紹介した『母-オモニ-』の話を
たくさんされていました。

印象的だったのは、
その頃の町の様子を「ゴーリキの『どん底』」のようだったと
話されたことです。
昭和30年前半には
日本のいたるところで
そんな貧しくもどっこい生きているような
場所がたくさんありました。
この『母-オモニ-』にも
TVが初めて家にやってくる場面がありますが、
今ではあたりまえなことが
当時はそうではなかった。
そういう時代だったのです。
この『母-オモニ-』は
姜尚中さんのお母さんへの想いだけでなく
この国が大きく成長する
時代を読むにもいい一冊です。
じゃあ、読もう。
![]() | 母~オモニ (2010/06/04) 姜 尚中 商品詳細を見る |


母をはげしく憎悪した時期がある。
自己中心的でわがままで気性の激しいそんな母を心底嫌だと思ったことがある。
それがいつの頃か、母を「母」として受け入れられるようになった。きっかけがあるわけではない。気がつけば、母への憎悪や嫌悪はまったくなくなっていた。それどころか、ただ母への感謝があるばかりだったし、尊敬の気持ちさえあった。
人生のなかばで、ようやく私は「母」と出逢えた。
政治学者姜尚中の話題作『母-オモニ-』の冒頭、こんな文章がある。
「とりわけ、息子たちにとって、母は「女」ではなく、あくまでも母でなければならない。息子から「男」になり、「女」と交わり、父親になってからも、息子たちは、母が「女」であったことを認めようとはしない。それほど、母という言葉は、息子たちの心を尋常ならざるものにしてしまうのだ」
姜尚中のいうように「母は「女」ではなく、あくまでも母でなければならない」としたら、母とはいったい何だろう。
自分をこの世に生み出したものとして、自分の全存在がそこを始まりとしているとすれば、自分自身の欠点はそれを生み出した母のせいではないか。母を嫌った若い頃、なんのことはない、私自身への憎悪があったのだと思う。
母は私とつながるものとして憎しみの対象になっていたのだ。
姜尚中の場合、それが二重の構造となっている。
つまり、「母」ということ、「在日」ということ。
いずれも、姜尚中につながるものとして「憎しみ」の対象となっていたのではないだろうか。あるいは、「在日」の問題もすべて「母」に包括される構造だったかもしれない。
私がそうであったように、姜尚中も大学時代を東京で過ごす。それは、つながりを断ち切りたいという思いだったにちがいない。
やがて、姜尚中は日本名である「永野鉄男」という名を捨てる。「在日」の問題を解決することで、彼のなかでは「母」ははっきりと「オモニ」になっていく。
この自伝風物語は母と息子の関係だけでなく、日本に住まざるをえなかった朝鮮の人たちの苦悩と葛藤も描かれている。
戦後の嵐のような生活のなかで彼らがどれほど虐げられ、それでもしっかりと生きてきたかは、生涯文字を知らなかった姜尚中の母の姿と重なる。
それでも、文字を知らなかった彼の母は息子姜尚中に二本の肉声のテープを残した。本書の最後に描かれるそのテープに、不覚にも泣いた。
母。その偉大なるもの。私とつながる「母」なるもの。
(2010/08/01 投稿)

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