プレゼント 書評こぼれ話

  今日は昨日のつづき。
  松浦弥太郎さんのブック・エッセイ集。
  松浦弥太郎さんは、
  雑誌「暮らしの手帖」の編集長であり
  書店経営者であり、
  文筆家でもあります。
  松浦弥太郎さんの文章は
  とても好きですね。
  あたたかいから。
  松浦弥太郎さんの文章を読むと
  私もそういう文章を書きたいなあと
  思います。
  でも、残念ながら
  人間ががさつにできているのでしょうね。
  とても松浦弥太郎さんのようには
  書けません。
  そんな文章の美味さも
  味わえる本です。

  じゃあ、読もう。

ぼくのいい本こういう本―1998‐2009ブックエッセイ集〈2〉ぼくのいい本こういう本―1998‐2009ブックエッセイ集〈2〉
(2010/08)
松浦 弥太郎

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sai.wingpen  本のご加護を - ブック・ブレス・ユー2                     矢印 bk1書評ページへ

 「ブック・ブレス・ユー」というのは、松浦弥太郎さんの造語でしょうか。
 アメリカでクシャミをするとそばにいる人が「ゴッド・ブレス・ユー(神のご加護を)」というらしい。それをもじって、「あなたに本のご加護がありますように」と、「ブック・ブレス・ユー」。
 松浦弥太郎さんのブックエッセイ集は、「そんな気分で、本から与えてもらった他愛ないぼくの仕合せやたのしみ」が綴られています。

 その「2」となる本書は、松浦さんが大好きな、というかもともと松浦さんは本屋さんであってこれは専門分野でもあるわけですが、ヴィジュアルブックについてのエッセイをまとめたものです。
 なかなかこの分野の本は、そしてそのほとんどは海外のものですので、馴染みがないのですが、松浦さんが紹介すると、なんだか面白そうだなと思ってしまうのですから、松浦さんの文章の魅力といっていいと思います。
 それは文章の巧さというより(もちろん松浦さんの文章はうまいですが)、本を愛する気持ちの発露が人をひきつけるのでしょう。

 「誰しも忘れられない人がいるように、自分にとって忘れられない本がある」と、松浦さんはいいます。「ぼくは長年、本屋なのだが、その前に一介の本好きであって、(中略)、ふと、それを誰かに聞いてもらいたくなる気分というのは、きっと読者もわかってくれる」はずと。
 わかりますよ、松浦さん。本の魅力はそんな、人に何かを伝えたいというものをもっていることではないでしょうか。本はそうして、人から人に伝わっていく。いい本はけっして消えることはありません。
 忘れられない人がいつまでも大切に心に残るのと同じです。

 松浦さんの、本についての文章がやさしくてあたたかいのは、やっぱり本を愛しているからだと思います。愛する人の手を、あなただって、邪険にはしないでしょ。それもこれも、「本のご加護」だと思いませんか。
  
(2010/09/30 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  みなさんは日記つけています?
  私は中学生の頃、つけたことがありますが
  今はつけていません。
  何故こんな話から始めたかというと
  今年の猛暑って
  日記にちゃんとつけていた方がいいんじゃないかと
  そう思った次第です。
  いやあ、それにしても
  暑かった。
  いったいどこまで続くのかと
  思いましたよね。
  それが「暑さ寒さも彼岸まで」の
  言葉通りに一気に涼しくなって
  秋本番になりました。
  さあ、いよいよ
  読書の秋ですね。
  ということで、
  今日と明日は松浦弥太郎さんの
  ブックエッセイ集を紹介します。
  暑かった夏よ、さようなら。
  読書の秋よ、こんにちは。

  じゃあ、読もう。

ぼくのいい本こういう本―1998‐2009ブックエッセイ集〈1〉ぼくのいい本こういう本―1998‐2009ブックエッセイ集〈1〉
(2010/08)
松浦 弥太郎

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sai.wingpen  会いたいな - ブック・ブレス・ユー1                     矢印 bk1書評ページへ

 会いたいな。松浦弥太郎さんに会いたいな。
 会って、本の話を聞きたいな。会って、松浦さんの声を聞きたいな。「はじめまして」とぺこんと頭をさげて、「それでは、また」とさよならしたいな。
 そんな気分になる、松浦弥太郎さんのブックエッセイ集です。

 この「1」では、雑誌「装苑」とイラストレーター大橋歩さんが出版した「アルネ」に掲載されたブックエッセイが収められたいます。
 ブックエッセイですから、この本読みたいなあの本読みたいなと思う本が何冊も紹介されていますが、この本の魅力はなんといっても松浦さんの、読書についての文章の数々ではないでしょうか。それはもう至言、本質をいいあてた言葉、といっていいと思います。

 いくつか紹介します。(どのページにあるかは書きません。ぜひ、あなたの手で、宝物を見つけるように探してみてください。)
 「本との出逢いはほんとうにすばらしい。今日、あなたと出逢ったことのようにすばらしい。・・・」。
 「読書と旅。このふたつは似ているように思う。どちらも出発があり、目的はあるようで無く、無いようであり。その一歩から始まるゆっくりとした時間。・・・」
 「読書という行為が、すんなりと自分の生活にあり続けている時、ささやかな安らぎと幸福を感じます・・・」
 本を読むということは、そういう素敵な言葉に出逢うことでもあります。そういった言葉を、なにかしらの形で心のとどめることでもあります。

 この「1」の「あとがき」めいた文章がまたいいのです。
 そのなかで、松浦弥太郎さんは、自身の考える親孝行(それはすなわち自身の信条です)についてこう記しています。「・・・人と喧嘩したり、争ったりしないこと。正直で親切であること。笑顔でいること」

 会いたいなあ。そんな松浦弥太郎さんに会いたいな。
  
(2010/09/29 投稿)

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  歌は世につれ、世は歌につれ、
  なんていう言い方をよくするけれど、
  個人の人生のその節目節目に
  歌の存在があるのは事実なんででしょうね。
  今、AKB48とかとか
  毎日TVに登場しているわけで、
  彼ら彼女らに熱狂する人たちは
  きっとその人生のどこかで
  そのことを思い出すにちがいありません。
  私たちの時代だってそうでした。
  花の中三トリオと呼ばれた
  森昌子桜田淳子山口百恵
  誰が好きかでなんだか女性観までが
  わかるようでしてね。
  えーと、私は、
  森昌子さんかな。
  彼女の伸びのある声がいいですね。
  そんな彼女たちを裏で支えていた
  雑誌編集者がいました。
  それが、今日紹介する本
  長田美穂さんの『ガサコ伝説』の
  主人公です。
  60年代、70年代の時代を
  読むのも楽しい一冊です。

  じゃあ、読もう。

ガサコ伝説―「百恵の時代」の仕掛人ガサコ伝説―「百恵の時代」の仕掛人
(2010/08)
長田 美穂

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sai.wingpen  唇をかみしめた時代                     矢印 bk1書評ページへ

 表紙の、短髪で大きなサングラスをかけた女性がこの作品の主人公、雑誌「月刊平凡」の編集者として多くのアイドルたちとともに時代を疾走したガサコこと折笠光子である。
 印象的なのは、顔の半分以上の表情を覆い隠すサングラスではなく、下唇を噛み締めたその口元だろう。ガサコはそのようにして時代と戦ってきたのだろうかと考えてしまう、写真である。

 歴史に「もし」というのはタブーだとはわかっている。それでも、「もし」の誘惑はついてまわる。このノンフィクション作品を読んだ後、頭をよぎったのは「もしテレビがなかったらどんな時代になっていただろう」ということだった。
 ガサコが働いた「月刊平凡」の創刊は1945年11月である。人々がまだ映画に酔いしれていた時代だった。当然テレビはまだ誕生していない。
 「もしテレビがなかったら」、その後私たちがアイドルと呼ぶ少年少女たちは生まれてこなかったにちがいない。スターはあこがれの存在として銀幕のなかにあった。
 しかし、50年代になってテレビの本格放送が始まり、60年代にはいるとたちまち私たちの生活にはいりこんでしまう。ブラウン管に映し出されるスターたちは手をのばせば届くところにいた。
 それに拍車をかけたのが「平凡」や「明星」といった芸能情報誌をいっていい。それらはテレビに映し出されないスターたちの素顔を私たちに提供してくれた。スターの時代からアイドルの時代は、テレビだけでは成立しなかったのではないか。

 この本で紹介されているガサコ(折笠光子)はある世界だけの有名人である。その世界とはアイドルに象徴される芸能のそれである。彼女のビジネス手法が現代の時代に通用するかどうかはわからない。しかし、テレビの勃興期隆盛期において、彼女の人との接し方が多くのアイドルたちの心の空洞を埋めたことは事実だろう。
 アイドルたちの笑顔の影には、ガサコのような多くの支えがあったにちがいない。

 本書は戦後の高度成長期において、ブラウン管のアイドルを支えた一人の女性の物語であり、「平凡」という雑誌の盛衰の物語でもある。同時に、表紙のガサコのように女性が下唇を噛みしめて働かなければならなかった時代の物語でもある。
  
(2010/09/28 投稿)

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  今日紹介する星野道夫さんの
  『アラスカたんけん記』は
  児童書に分類される一冊です。
  ページ数にしてわずか40ぺーじ。
  でも、星野道夫さんの入門書としては
  とてもいい本ではないかと思います。
  心が殺伐としてきたとき
  忙しいくて余裕がなくなってきたとき
  星野道夫さんの写真や文章に
  とても癒されます。
  また会いたいな、と思います。
  ぜひ、みなさんも
  星野道夫さんにふれてみて下さい。
  いのちとは
  こんなにあたたかいものだと
  実感できるのではないでしょうか。

  じゃあ、読もう。

アラスカたんけん記 (たくさんのふしぎ傑作集)アラスカたんけん記 (たくさんのふしぎ傑作集)
(1990/02/01)
星野 道夫

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sai.wingpen  旅の途中                     矢印 bk1書評ページへ

 手元にある星野道夫さんの年表をみると、この本のもとのなる作品が『月刊たくさんのふしぎ』(福音館書店)に発表されたのは1986年。星野道夫さんが34歳の時のことです。
 写真家星野道夫さんが一枚のアラスカの写真に魅かれて行ったこともない小さな村に手紙を書いたのは19歳でしたから、それから15年の歳月が流れています。
 この本のなかには、若い星野青年を虜にしたアラスカの写真と彼の訪問を受け入れるという小さな村からの手紙が掲載されています。(この本は児童書ながら、星野さんの姿であったり、キャンプ用具の写真などが収められていて、星野さんを知るうえでの貴重な一冊です)

 そのようにして、星野さんはアラスカに魅了され、1978年とうとうアラスカに移り住みます。「テントをかついで、アラスカたんけんの旅がはじまりました」。
 この本のなかの一章「氷河の海の旅」ではアザラシの親子の様子が紹介されています。
 もう一度、年表に戻ると、その「たんけん」は1979年のことではないかと思われます。その年の6月、星野さんはこの本にでてくるアラスカのグレンシャーベイというところを旅しています。
 星野さんが旅の途中とちゅうで書きとめていた日誌にこうあります。
 「6月26日 今日は本当にすばらしかった。かなりむずかしいだろうと思っていた氷上のアザラシのショットがカヤックで近づけて撮れたのだ」
 この場面は、この本のなかではこう綴られています。
 「写真をとろうと思い、ねむったところを見はからって、カヤックでゆっくりと近づきました。(中略)ぼくはカヤックにすわりながら、ただじっとアザラシの寝顔を見ているだけでした」
 1979年6月26日、星野道夫さんはアラスカの氷の上でじっと静かにアザラシの親子を見つめていた瞬間です。

 星野道夫さんは1996年44歳の誕生日を前にして不慮の事故で亡くなります。しかし、この本を書いた34歳の星野さんには「まだまだ見たいもの、知りたいことがたくさん」ありました。
 亡くなるまでの10年の軌跡もまたすばらしいのです。
 この本がきっかけとなって、若い人たちがその後の星野道夫さんの足跡をたどってもらえればと願います。
  
(2010/09/27 投稿)

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  どうも私は林明子さんの絵が
  好きなようです。
  奇抜でもなく衒いもなく、
  まっとうで、しかも細部まで
  心遣いが感じられる、
  林明子さんの絵が。
  今日紹介する絵本『はじめてのおつかい』も
  そんな林明子さんの魅力が
  存分に楽しめます。
  この絵本のなかに、
  町内の掲示板が描かれていて
  そのなかに「えのきょうしつ」の
  ポスターがあります。
  「せんせいははやしあきこ」だそうです。
  微笑みとともに
  行きたくなってしまいました。

  じゃあ、読もう。

はじめてのおつかい(こどものとも傑作集)はじめてのおつかい(こどものとも傑作集)
(1977/04/01)
筒井 頼子

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sai.wingpen  仕合せになりたかったら                     矢印 bk1書評ページへ

 記憶というのはなんともあわあわとしていて、自分が子どもだった頃ともなればそのほとんどが形となってくれません。
 「おつかい」なんていうことも、きっとあったはずですが、とんと浮かんでこないのです。
 では、おとなになって子どもが生まれて、その子に「はじめてのおつかい」をさせたのはといわれても、なんともじれったいくらい覚えていません。
 恥ずかしい。

 昭和52年(1977年)に刊行された筒井頼子さん作、林明子さん絵の『はじめてのおつかい』は、高度成長期にあった日本の、きっと中流家庭と思われる家族の、小さな女の子が主人公です。
 名前はみいちゃん。いつつの女の子です。
 ある日、みいちゃんはままに「おつかい」を頼まれます。あかちゃんの牛乳を買うだけのことですが、みいちゃんにとっては大冒険みたいなもの。自転車だって猛スピードで走っていますし、坂道だってあります。お店やさんに着いても、相手にもされません。
 それでも、みいちゃんは一生懸命「おつかい」の役目を果たします。

 きっとみいちゃんはその日の夜には興奮して眠れないかもしれません。次の日は幼稚園で自慢をするかもしれません。でも、いつのまにかみいちゃんは「はじめてのおつかい」を忘れていくでしょう。
 だって、これからいっぱい「はじめて」のことがあるのだし、「おつかい」は何度でもするでしょう。
 冒険はもう冒険ではなくなっていきます。
 忘れることも成長のひとつ。
 でも、みいちゃんが大きくなって、この絵本をひらいて、「はじめてのおつかい」のことを思い出せたらどんなにいいでしょう。

 そして、この絵本を見ながら「はじめてのおつかい」を思い出せたら、その人も仕合せなのににちがいありません。
  
(2010/09/26 投稿)

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  文庫本にはとてもお世話になっています。
  軽くてどこに行くにしても便利です。
  廉価で手にはいります。
  そして、今日紹介する
  川上未映子さんの『乳と卵』のように
  読み落とした本にも
  こうして出会うことができます。
  この本のことはずっと気になっていて
  読まなくちゃ、読まなくちゃと
  思いつつ、うっちゃってきた本です。
  今回本屋さんで文庫本になった
  『乳と卵』と出会って
  やっと真剣交際? が
  できました。
  これも文庫本のおかげです。
  ちなみにこの本のタイトルですが、
  「ちちとらん」と読みます。

  じゃあ、読もう。

乳と卵(らん) (文春文庫)乳と卵(らん) (文春文庫)
(2010/09/03)
川上 未映子

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sai.wingpen  服は脱げても体は脱げない                矢印 bk1書評ページへ

 体とはまことに困難なものです。
 ここで体というのは、心と対峙するものとしていいたいわけで、風邪をひいて熱がでたらどんなに心が急いていてもやはり休むしかない、そのようなものとしてとらえてみたい。
 しかも、それが男の体、女の体ということにでもなれば、どんなに社会的な性差を云々したとしても、やはり男には女の体のことがわからず、女には男の体のいったい何がわかるといえるでしょう。
 理解はできるでしょう。ただ、理解と実際はちがいます。女の生理痛はどのような痛みなのか。男の射精はどのような快感なのか。
 体はまことに困難です。

 平成19年度下半期の第138回芥川賞受賞作、川上未映子さんの『乳と卵』を読むと、細やかな体についての表現がメタファーとして理解できたとしても、なかなか男性読者には実感できないのではないかと思いました。その分、女性読者には猛烈に体ごと納得される作品ではないでしょうか。
 ひと夏の三日間のできごと、登場人物は女性三人、といってもそのうちの緑子はまだ初潮をむかえていない少女です。
 饒舌な文体は暑苦しいほどですが、夏の暑さと三人のうだるような関係にうまく合っています。川上さんの言葉使いのうまさだと思います。
 緑子の母である巻子は豊胸手術をもくろんで、妹の住む東京に緑子を連れてやってきます。巻子と緑子の親子のあいだには会話がありません。ペン書きのメモで会話をしています。大人になろうとする少女の不安をこのような形にした、川上さんのたくらみといっていいでしょう。

 結局、この小説は少女から女性になる過程をえがいています。
 最後の母との和解も、おとなの体の受容だと感じました。なま卵のぬめり感も、ひょっとしたら、女性読者なら充分納得できるものかもしれません。
 芥川賞受賞後のインタビューで川上未映子さんはこんなことを話しています。「男、女にかかわらず体はどうしても変えられないということは不思議な感じがします」
 そんな川上さんですが、ある時期自身のキャッチコピーとしてこんな言葉をもっていたそうです。
 「服は脱げても体は脱げない」。なるほど。
  
(2010/09/25 投稿)

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  今年の初めに
  映画雑誌「キネマ旬報」の広告で
  「午前十時の映画祭」のことは
  知りました。
  このネーミングにまず唸ってしまいました。
  うますぎですよね。
  名画50本が週替わりに上映されるというのですから
  企画もいいですよね。
  思わずどんな作品がラインナップされているのか
  目を皿にしてみてしまいました。
  私個人的には、オリビア・ハッセーの
  『ロミオとジュリエット』があるのが
  うれしい。
  そこで、さいたまの上映館を探して、
  まず手始めにと『ローマの休日』を観ようとしたのですが
  なんと満席で観れなかったんですよね。
  エー、本当!?
  このことがトラウマになってしまって
  いまだに「午前十時の映画祭」に行けてないのです。
  今日紹介するのは、
  そんな「午前十時の映画祭」情報満載の本です。
  行けない分、この本で楽しんでみました。
  今日は400字書評

  じゃあ、「午前十時の映画祭」に行こう。

「午前十時の映画祭」プログラム (キネ旬ムック)「午前十時の映画祭」プログラム (キネ旬ムック)
(2010/07/31)
不明

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sai.wingpen  さあ、開演です                     矢印 bk1書評ページへ

 まもなく開演です。お目覚めできていますか。
 そんなアナウンスが聞こえてきそうな映画祭があります。
 「午前十時の映画祭」。
 かつてたくさんの観客を魅了した名画50本が週替わりで今年の初めから各地の映画館で上映されています。
 「ローマの休日」「エデンの東」「ベン・ハー」「レインマン」・・・・。
 そのなかのひとつぐらいは思い出の映画としてあるのではないでしょうか。
 本書は、そんな「午前十時の映画祭」のためのプログラムのムック本です。
 作品紹介や映画雑誌「キネマ旬報」に掲載された記事などで構成された紙面を見ているだけで、たまには朝早くから映画館に行きたくなります。
 名画座が少なくなった現在は、大きなスクリーンで名画を見ることは減少しました。だから、こういう企画はとても貴重だし、なにより楽しい。
 映画がみんなのものだった時代に戻れそうな気分になります。
 さあ、開演です。携帯電話の電源は切りましょう。
  
(2010/09/24 投稿)

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  今日は秋分の日
  秋彼岸です。
  俳句の世界では、単に「彼岸」といえば
  春の彼岸をいいます。
  つまり、春の季語。
  秋の季語にするためには、「秋彼岸」と
  いわなければなりません。
  受験生のみなさん、
  覚えておくといいですよ。
  さて、今日紹介する一冊は、
  秋彼岸とは少しも関係ありませんが、
  北山修さんの「最後の授業」。
  これはちょっと前にNHKでも放映されていましたから
  ご覧になった方もおられるでしょうが、
  授業風景を撮るのは
  現代のはやりかもしれませんね。
  TVというメディアの、
  新しい潮流になるのでしょうか。

  じゃあ、読もう。

最後の授業――心をみる人たちへ最後の授業――心をみる人たちへ
(2010/07/22)
北山 修

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sai.wingpen  さらば先生                   矢印 bk1書評ページへ

 私は、いわゆる団塊の世代の、弟、妹の世代にあたります。
 多くの若者たちの情熱の照射に頬を赤らめていた世代といえるでしょう。
 北山修氏がザ・フォーク・クルセダーズで「帰ってきたヨッパライ」を大ヒットさせた1967年、声変わりの始まった声でやはり大声で歌っていました。
 その後、作詞家となった北山氏が作った歌をどれだけ歌ったことでしょう。「戦争を知らない子供たち」「あの素晴らしい愛をもう一度」など、北山氏の作った歌は団塊の世代だけでなく、これから青春期にはいろうとする私たちにも大きな影響を与えました。
 しかし、やがて北山氏は「どこで誰が私を見ているのか分からない」と不安を抱くようになって、静かにマスコミの世界から遠ざかります。
 北山氏はそうして精神分析医の道をめざします。

 本書は九州大学で長らく教鞭をとった北山氏がその退官にあたって行った「最後の授業」を収録したものですが、単に活字になったというだけでなく、北山氏は「最後の授業」に自身が嫌ったTVカメラを教室に持ち込むという「実験」を行います。
 北山氏は「テレビというマスに向けたメディアは、見る側の心にたいへん大きな影響を与えている」といいます。同時に「テレビに出る側やテレビに関わる人たちみんなの心のあり方にも影響を与える」と。
 授業を放映するということは、北山氏の授業を聴講している学生たちに、「見る側」と「見られる側」という二重構造を作り出します。そうすることで、臨床心理士をめざす若者たちに、実際の経験をさせうることになります。
 教壇を去る北山氏の姿は、あの頃、私たちに多くの歌を提供していた時代と変わっていませんでした。北山修氏は、団塊の世代の仲間であり、その弟、妹世代にとっては、かっこいい兄貴のままでした。

 そういえば、北山修氏が作詞した「さらば恋人」にこんな歌詞がありました。「思わず胸にさけんだ/必ず帰ってくるよと」。
 北山教授もまたどこかの教壇に帰ってくるのだろうか。
  
(2010/09/23 投稿)

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  今日紹介するのは、
  今話題の絵本『おおきな木』です。
  この絵本は1964年に出版されたそうですから
  もう40年以上も読み継がれてきたことになります。
  今回村上春樹さんが新訳で出版されたので
  話題になっているのだと思います。
  そのことで、またたくさんの人が
  この絵本を読むのだとしたら
  それはそれでとてもいいことだと
  思います。
  だって、本当にいい絵本なんですよ。
  きっとこの絵本を読めば
  いくつも意見が出ると思います。
  親と子で、
  恋人同志で、
  夫婦で、家族で
  この絵本のことを話し合うのも
  素敵です。
  あるいは昨日の自分と今日の自分は
  意見がちがうかもしれません。
  この本はそんな絵本です。

  じゃあ、読もう。

おおきな木おおきな木
(2010/09/02)
シェル・シルヴァスタインShel Silverstein

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sai.wingpen  贈り物                     矢印 bk1書評ページへ

 私たちは、生まれてから死ぬまでに、どれだけ「贈り物」をもらったりあげたりするのでしょうか。
 初めての「贈り物」は、お母さんの頬ずりかもしれません。お父さんのおっかなびっくりの握手かもしれません。それから、何度でもやってくる誕生日、小学校への入学式、初恋の人への片思い、結婚式、そして、子どもが生まれ、今度はあなたがたくさんの「贈り物」をする番に。還暦のお祝いだってあります。金婚式もあるかもしれません。そして、死を前にして、「さようなら」の頬ずりを「贈り物」としてもらう。
 もらったり、あげたり。私たちの一生はまるで「贈り物」のやりとりばかりしているよう。

 でも、残念ながら、ちっとも「贈り物」をもらえない子どもたちもいます。「贈り物」をあげないおとなたちもいます。「贈り物」をもらえばうれしいし、「贈り物」をあげればそれもまた気持ちのいいものなのに。
 「贈り物」って、でも、何でしょう。お金のかかるものでしょうか、時間をこめたものでしょうか。
 四十年以上も前に書かれたシルヴァスタインのこの絵本(今回翻訳をしたのは村上春樹さん)を読んで、本当の「贈り物」とは何だろうと考えさせられました。

 この本の原題は「The Giving Tree」(与える木)です。いっぽんの木と少年の、たくさんの時間が描かれています。
 子どもだった少年は木から「遊ぶ場」をもらいました。りんごももらいました。でも、きっと少年には「贈り物」をもらったという気持ちはなかったと思います。
 やがて、おとなに成長した少年は、仲良しだった木にお金をねだるようになります。お金をもたない木はそれでも自分のはっぱとりんごを売ってお金をつくるようにすすめます。そして、また月日が流れて、もっとおとなになった少年は、また木にねだります。
 木はいつも与えつづけるのです。ただの古い切りかぶになるまで。
 木が少年にした「贈り物」は無償の愛だったのでしょう。そのことに不満を感じる人もいると思います。おとなになってねだるだけの少年をみると余計にそう思います。
 そのように、この絵本はいろいろな読み方ができるでしょう。
 木になってみてください。少年になってみてください。
 そうすれば、何かわかるかもしれません。
 「贈り物」が何だってことが。

 訳者の村上春樹さんは「あとがき」のなかで、「あなたがこの物語の中に何を感じるかはもちろんあなたの自由です」と書いています。
 もしかしたら、この言葉は村上春樹さんからの「贈り物」かもしれません。
  
(2010/09/22 投稿)

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 三連休の初日、
 思い立って東京・練馬にある
 「ちひろ美術館・東京」に行ってきました。
ちひろ1 最寄りの駅は西武新宿線の上井草駅。
 閑静な住宅街のなかに
 「ちひろ美術館・東京」はあります。

 「ちひろ美術館」は、いわさきちひろが生前暮していた
 自宅を改築してできた、
 いわさきちひろの美術館です。
 いわさきちひろさんはおそらく知らない人がいないのでは
 ないでしょうか。
 子どもをテーマに柔らかな線と美しい水彩で
 多くの作品を描いてきた画家です。
 その作品の数は9400点を越えるそうです。
 黒柳徹子さんの『窓ぎわのトットちゃん』の表紙も
 いわさきちひろさんの絵が使われていました。

 そんないわさきちひろさんの、
 秋にちなんだ作品もたくさん展示されていますが、
 ちひろ3
 今回の訪問は今ここで展示されている
 「2000年代の日本の絵本展」を見たくて
 でかけました。
 あります、あります、
 たくさんの絵本の原画が展示されています。
 知っているところでは、
 長新太さん、あべ弘士さん、いせひでこさん、
 酒井駒子さん、荒井良二さん。
 特に私のお気に入りの酒井駒子さんの原画が
 見たくて。

 ただ今回の展覧会の目的というか意義というのは
 かなり重いもので、
 パンフレットから引用すると
 
  「戦争の世紀」と呼ばれた20世紀と決別したはずの私たちが、
  新たな世紀の入り口で経験したのは、アメリカの同時多発テロ
  事件、そして、それに続くイラク戦争の開戦でした。世界的にも
  大きな転換期を迎えたこの10年、絵本という表現とコミュニケーション
  の場に託された課題は大きかったと感じます。

 といったぐあいです。
 絵本は、絵本だからこそ、次の時代へ残す重要なメッセージを
 もっているのかもしれません。

 今回の展示で何人かの興味ある絵本作家に
 出会うことができました。
 いずれまた、そんな絵本をこのブログでも紹介したいと
 思います。

 ちひろ2
 展示場をでて、
 美術館内にある「ちひろの庭」にたたずむと、
 もう秋の気配でした。
 ちいさいけれど、素敵な庭に、
 いわさきちひろさんが描いた
 小さな女の子がいるようで、
 しばし時間を忘れました。



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プレゼント 書評こぼれ話

  今日は敬老の日
  
   おのが名に振り仮名つけて敬老日  長谷川双魚

  先日図書館で「敬老の日読書のすすめ」という
  リーフレットをみつけました。
  そこには「敬老の日におすすめする本」として
  26冊の本が紹介されています。
  例えば、
  田辺聖子さんの『老いてこそ上機嫌』とか
  まど・みちおさんの『100歳詩集』とか
  黒井千次さんの『高く手を振る日』とか。
  できれば、おじいちゃんおばあちゃんへの
  贈り物として本を贈るなら
  活字が大きい方がいいのでは。
  そんなことを考えれば、
  実は絵本なんかがいいのでは
  ないでしょうか。
  敬老の日にふさわしい絵本、
  今日はそんな一冊です。

  じゃあ、読もう。

おじいちゃんおじいちゃん
(1985/08)
ジョン・バーニンガム

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sai.wingpen  そこにいた人                     矢印 bk1書評ページへ

 私は祖父を知らない。うんと若くで、なくなった。私は祖母も知らない。私は生まれてまもなく、なくなった。母方の祖母も知らない。わずかに母方の祖父だけが私が二十歳を過ぎる頃まで生きていた。ただあまり親しくはなかった。
 英国の絵本作家ジョン・バーニンガムが描いた『おじいちゃん』という絵本は、「よくきたね げんきかい?」という、ちいさな女の子をむかえる「おじいちゃん」の言葉で始まる。ちいさな女の子は彼の孫なのだろう。
 「おじいちゃん」とちいさな女の子。世界がまるでちがう。
 彼はちいさな女の子のぬいぐるみのくまが女の子だって知らないし(もっとも誰も知らないだろうが)、ちいさな女の子とまじめにけんかをしたりする。
 世界がまるでちがう。彼にはたくさんの時間が過ぎて、ちいさな女の子にはまだまだたくさんの時間がある。

 ちいさな女の子は「おじいちゃんも あかちゃんだったこと あるの?」とたずねる。彼女にとって、彼は生まれたときからずっと「おじいちゃん」だったから。
 生まれたときから彼女のそばにいて、知らないことをたくさん知っていて、いつも大きなソファにすわって、自分をむかえてくれる。それが「おじいちゃん」だった。
 でも、ちいさな女の子も「おじいちゃん」がいつかいなくなる日がくることを知る。人間は死んでしまうのだと知る。
 主をうしなった大きなソファをみつめる小さな女の子は人間という無常を知るのではない。人間はいつかいなくなってしまうことを知るだけだ。

 私は祖父も祖母もほとんど知らずに育った。そのことを思うと、すこしさみしい。
  
(2010/09/20 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日は子規忌
  今回の書評のタイトルにあるように、
  正岡子規の忌日は、「子規忌」とか「糸瓜忌」とか
  「獺祭(だっさい)忌」とか色々いわれる。
  俳句の革新を進めた子規であるから、
  次の村上鬼城の俳句などは
  身がひきしまる。

   糸瓜忌や俳諧帰するところあり  村上鬼城

  それにしても、
  子規という人はなんとも
  魅力に富んでいる。
  こういう人がこの国にいたことは
  もっと評価されていいし、
  誇りに思っていい。
  今回も蔵出しですが、
  俳句のある書評もいい。

  じゃあ、読もう。

子規365日 (朝日新書)子規365日 (朝日新書)
(2008/08/08)
夏井 いつき

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sai.wingpen  糸瓜忌に寄せて                  矢印 bk1書評ページへ

 2008年夏、不意に腰を痛めた。屈めないどころか起き上がるのさえ痛みを伴った。数日して痛みは和らぐどころかいよいよ増して、ついに起き上がることさえ出来なくなった。自分ひとりでは何もできなく、わずか数メートル先の世界さえ遠くにある。
 かつて正岡子規はその著作『病床六尺』の冒頭に「病床六尺、これが我世界である。しかもこの六尺の病床が余には広過ぎるのである」と書いた。これは子規独特の痩せ我慢だったにちがいない。子規の性格からいって、たった六尺の世界に満足できるはずもない。
 しかし、脊椎カリエスという難病をかかえ「誰かこの苦を助けてくれるものはあるまいか」(同書)とまで書かざるをえない状態にあって、六尺といえども耐えざるをえない世界だったのだろう。ささやかな腰痛で「病床六尺のよう」といったとしても、所詮子規とは深刻さがちがいすぎる。

 その子規が亡くなったのが明治35年9月19日のこと。
 その最後のようすが司馬遼太郎の『坂の上の雲』に詳しい。もちろん司馬の創作がはいったうえであるが、文章の調べは哀切であり、悲しみをこらえた静けさをひめながら、筆がはしっている。
 子規の死を友人たちに伝えるべく根岸の子規庵を出た高浜虚子は十七夜の月が加賀屋敷の黒板塀を明るく輝かせているのをみる。「子規逝くや十七日の月明に  と、虚子が口ずさんだのは、このときであった。即興だが、こしらえごとではなく、子規がその文学的生命をかけてやかましくいった写生を虚子はいまおこなったつもりだった」(「坂の上の雲」より)。
 正岡子規、わずか34年の人生であった。

 短い人生ながら、その死から百年以上経ってもいまだに子規の光は衰えることはない。
 この夏井いつき氏の本にしても出版されたばかりだ。子規の何がこれほどまでに多くの日本人を魅了してやまないのか。それこそ六尺の世界を広すぎると感じた子規の根底にある明るさであったように思う。
 正岡子規はたぶんけっして完璧な人間ではなかっただろう。
 痛いとわめき、おいしいものをねだり、えらそうにふんぞりかえり、子規の顔など見たくないと思った人も多いにちがいない。それでいて子規がこれほどまでに愛されるのは、人として無邪気であったから。
 そして、その無邪気さは人間の根幹としてあるから。そう思いたい。

 そんな子規の俳人としての作品はどうであったのか。
 有名な「柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺」以外に実際にはあまり読む機会も少ないかもしれない。もちろん俳人という冠がついているぐらいであるから子規はたくさんの俳句を残しているが、本書のように毎日なんらかのコラムをつけて紹介されていくと自然と子規俳句にふれられて、子規がいおうとした写生とはどのようなものであったのか、あるいは俳句という短詩のありようが少しでもみえてくるようで楽しい。
 また新聞連載時の意図としてあったように、俳人夏井いつきが書くことで実作者の視線が作品の鑑賞に深みをあたえてくれる。
 たまたま私の誕生日に紹介されている俳句は「手にとれば飯蛸笑ふけしきあり」といささかなさけない句ではあるが、子規の俳句のなかでもっとも好きな句のひとつが「鶏頭の十四五本もありぬべし」だ。
 これこそ写生の極みではないかと思っている。もちろんその好みは人によってさまざまだし、それでいいのだと思う。ただ、そのような句の多くがわずか六尺という病床から詠まれたものであるというのも感慨深い。
 そのように読めば、またちがう世界をもたらしてくれるから、子規の魅力は尽きることがないのかもしれない。
  
(2008/09/18 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  明日は子規忌です。
  そこで今日と明日、
  子規に関係した本を蔵出し書評で
  紹介しようと思います。

   帰り道団子二折り子規忌かな  夏の雨

  私の愚作ですが、
  東京根岸にある子規庵の近くに
  有名な羽二重団子のお店があります。
  最近は日暮里駅近くにも
  おしゃれな店ができていますが
  子規庵のそばの本店の風情が
  なんともいえずいいですね。
  子規忌がくれば、
  子規庵の庭の鶏頭もみごとに
  色づく秋本番にようやく近づいたと
  いえます。

  じゃあ、読もう。

柿喰ふ子規の俳句作法柿喰ふ子規の俳句作法
(2005/09/16)
坪内 稔典

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sai.wingpen  人みな病床六尺                矢印 bk1書評ページへ

 すばる舎より2004年刊行された『熱い書評から親しむ感動の名著』はbk1書店の書評投稿者の有志がそれぞれの作品を持ち寄ってできた、出版界ではかなり稀有な一冊であった。
 ありがたいことに私も小さな書評を掲載させて頂いた。私が採り上げたのは正岡子規の『病床六尺』で、亡くなった子規を遠い倫敦で悼む夏目漱石の俳句の一節から「秋の柩にしたがはず」(参考までに漱石の句を書き留めておく。「筒袖や秋の柩にしたがはず」。友人を喪った漱石の悲しみは伝わるいい俳句である)と題した。
 
 その書評の中で私が描きかったのは、ゲンコツのような強さを持った子規の姿だった。
 その短文にも書いたが、正岡子規は晩年わずか六尺(今で言う一メートル八十二センチ)の世界に生きたのである。その狭い世界から子規は力強く俳句や短歌などの革新を訴え続けたし、社会の矛盾やあるべき姿を描き続けたのである。
 私はそんな子規の姿に共感し、子規の『病床六尺』を「命のあかしの書」と書いた。

 坪内稔典のこの『柿喰う子規の俳句作法』はそんな子規にまつわる短文や中篇が二十四編収められた、子規の研究本である。
 研究本といった言葉は作者が嫌うだろうから言い直せば、子規大好き本である。
 子規の生涯を簡潔に綴った「子規の生涯」や著者のユニークな子規との出会い(もちろん作品としての子規との出会いであるが)を書いた「草花命、パチンコ命」、一転して真面目に子規を論じた「定型の力」など、著者の子規を見る視線が幅広い。
 正岡子規自身が俳句や短歌の実作者であり、文学論者であり、思索者であったことを思えば、ただ一点だけで正岡子規を語ろうとするのはやはり無理がある。一体いくつの角度から見れば子規の実像に迫れるのか。正岡子規ほど多面性をもった文人はいない。
 
 『病床六尺』の書評を書いた者として、著者に大いに教えられた子規の顔がある。
 それは著者がいう「正岡子規を読むと元気が出る」という一文に凝縮される。著者はその理由をこう書いている。「子規がいつも自分の弱点とか負の条件から発想しているから」と。さらに「子規は、病気という負の条件を引き受け、その条件を逆用して活かした。負を逆用して活かす子規に触れるとき、私たちは子規から元気をもらう」
 私たちがこれから進もうとする社会は決して平坦ではない。高齢化社会の中で多くの人々が子規と同様に病床六尺の世界に生きざるをえないかもしれない。あるいは会社社会からリストラという大義名分ではじき出されるかもしれない。
 負の条件は将来を暗くする。そんな社会だからこそ、正岡子規の生き方はもっと評価されるべきである。
 二十一世紀を生きる多くの子規たちに読んでもらいたい、元気な子規がここにいる。
  
(2005/11/14 投稿)

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  この本、今日紹介する
  ブルーノ・ムナーリさんの『木をかこう』を
  参考にして、
  ノートの端っこに木を書きました。
  幹があって、二本の枝にわかれて
  その枝がまたふたつにわかれて。
  幹から遠くなるほど、細くして。
  うーむ。
  上手く描けたかどうかはわかりませんが、
  木らしくはあるかな。
  でも、
  木を描いてどうするかって
  考えても、なんの答えもありません。
  ただ、
  ちょっと木を描いてみたかっただけで。
  きっとこの本を読んだら、
  あなたも木を描いてみたくなるんじゃないかな。

  じゃあ、かこう。

木をかこう (至光社国際版絵本)木をかこう (至光社国際版絵本)
(1985/01)
ブルーノ・ムナーリ

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sai.wingpen  須賀敦子さんが訳した児童書              矢印 bk1書評ページへ

 好きな作家の、思いがけない本を見つけてときは、胸がこくんこくんとなります。
 早く読みたくて、家にとんで帰ります。
 イタリアの造形家ブルーノ・ムナーリさんの『木をかこう』という本を見つけたときもそうでした。でも、ブルーノさんのことではないのです。この本を訳された人。
 須賀敦子さん。
 須賀敦子さんは『コルシカ書店の仲間たち』とか『遠い朝の本たち』といったとても柔らかい文章を書いた女性です。うつくしい日本語を書く人でした。
 とっても残念ですが、須賀さんは1998年に亡くなっています。
 そんな須賀敦子が訳者だと知って、本当に胸がこくんこくんとなりました。

 この本は木をかくために書かれたデッサンのようでもあります。子ども向けなので、子どもが木をかくことに悩んだときの教科書のようでもあります。
 とってもわかりやすくブルーノさんが教えてくれます。彼がしばしば書いているのは、「枝は、幹から遠くなるほど、だんだん細くなる」ということです。
 これは、「規則」なんだそうです。
 そういう「規則」でかかれたたくさんの木がこの本には載っています。
 「ほんとうに、いろいろなかたちに、木はそだちます。ぜんぜんちがうようにみえても、よくみると・・・規則は、おなじです」
 なんだか木のお話ではなく、私たち人間のお話をしているように聞こえます。

 須賀敦子さんはこの本をどんな気持ちで訳されていたのでしょうか、とつい考えてしまいました。
 日本という国を少し遠くから見た日々と、日本という国に戻ってうつくしい日本語で言葉を紡ぎだそうと決意した日々と、そういうなかで「枝は、幹から遠くなるほど、だんだん細くなる」という木の「規則」を須賀さんはどう感じていたのでしょう。
 須賀さんにとって、木は時間だったかもしれないし、人間だったかもしれない。あるいは、世界だったかもしれない。
 そんなことを思いながら、本を読み終えました。
  
(2010/09/17 投稿)

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  今日は漫画本の紹介です。
  以前第一巻の紹介はしましたが、
  川上弘美さんの代表作『センセイの鞄』の
  漫画本第二巻めです。
  この二巻で物語は終わります。
  原作は長い物語だという印象があったのですが
  案外短いのだなというのが
  谷口ジローさんの漫画を読み終わったあとの
  素直な感想でした。
  この巻にはしかも
  川上弘美さんと谷口ジローさんの対談の模様も
  付録としてついています。
  書評にそのことも書こうかと
  迷ったのですが、
  漫画本の書評ですので
  そのことには触れない方がいいかなと
  やめました。

   漫画「センセイの鞄」第一巻の書評はこちら

  じゃあ、読もう。

センセイの鞄 2 (アクションコミックス)センセイの鞄 2 (アクションコミックス)
(2010/02/27)
画・谷口 ジロー 作・川上 弘美

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sai.wingpen  ツキコさんは川上弘美に似ている                     矢印 bk1書評ページへ

 川上弘美の代表作『センセイの鞄』の漫画版の、これは第二巻。作画は、丁寧な絵をかく谷口ジロー。
 この二巻めは、原作でいえば真ん中あたりの「ラッキーチャンス」という章から始まる。ここから最終章の「センセイの鞄」まで。それと、『センセイの鞄の』のもうひとつの話である『パレード』が収録されている。

 最終章、センセイとツキコさんが肌を重ねる場面がある。
 原作でいえば、わずかに「はじめてわたしはセンセイに、強く激しく抱かれた。その夜はセンセイの家に泊まって、センセイの隣で眠った」とあるだけ。
 その場面を谷口は四コマで描く。頬を寄せるセンセイとツキコさん。次は裸で抱き合う二人。三コマめは強い抱擁。もちろん裸である。そして、最後のコマは布団のなかで眠るふたり。原作にある「抱かれる」が体を重ねるということなのかどうかはわからない。二人が裸になったなんてことは原作には書かれていない。
 読み手が原作からどのように受けとるかわからないが、想像の世界がこうして表現されることは、漫画であれ映画であれ、致し方ない。だから、読者は時に満足したり、不満を感じるのだ。

 谷口の作風が好きだから、川上の名作がこのような形で漫画になったことはうれしい。主人公のツキコさんが原作者の川上弘美さにすこし似ているのもうれしい。
 でも、原作がもっているあの雰囲気はどうしようもなく、川上弘美の世界だといっていい。そのことがわかったことも、やはり一番うれしい。
  
(2010/09/16 投稿)

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  本を読んだあと、
  必ず書評を書くように心がけています。
  どんなにつまらなかった本でも
  そのことは変わりません。
  そういうことでいえば、
  「読書ノート」のようなものです。
  ところが、どうしても書けないことが
  あります。
  そうやって書けなかった何冊かの本のことが
  気になっています。
  今日紹介する城山三郎さんの
  『そうか、もう君はいないのか』も
  そんな一冊でした。
  単行本として出たあと、読んだのですが
  書評を書けなかった。
  今回新潮文庫の一冊としてでて
  再読する機会がありました。
  最初に読んだ時であったら
  きっと書かなかっただろう内容に
  なってしまいました。
  それも、また、いいかな。

  じゃあ、読もう。

そうか、もう君はいないのか (新潮文庫)そうか、もう君はいないのか (新潮文庫)
(2010/07/28)
城山 三郎

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sai.wingpen  父が零した涙                 矢印 bk1書評ページへ

 夫婦にはふたりにしかわからない世界がある。家族にもその家族にしか共有できないものがある。人それぞれに他人にはいりこめない世界があるように。だから、連れあいを喪ったものの哀しみは、どんなに推し量ったとしてもわからないのかもしれない。
 春に妻、私にとっては母だが、を失った父を見ていると、父の哀しみはどんなに深いのだろうと思う。それは母をなくした子の哀しみともまったく別のものだ。
 父と母は、夫婦であった。子供もしらない、二人だけの世界をもっていた、夫婦であった。
 なくしたものは片手でも、片足でもない。ともに生きた記憶であり、同じようにときめいた鼓動だ。
 夫婦とは、そういうものなんだろう。

 経済小説の第一人者だった城山三郎さんが愛する妻容子さんの死後、書き綴った手記は、そんな夫婦の姿を情愛と愛惜の感情で描く。
 二人の出会いは運命的であったといえる。偶然休館だった図書館を訪れる二人。しかも、彼女は本に興味があったというよりも時間つぶしのために来たという。本を読まない人が図書館を訪れる確率などそう多くはないはずだ。どんな純愛小説よりも物語的である。
 そうしてできた夫婦という形。城山さんも容子さんも、そういった素敵な出会いを生涯大切にしてきたのではないだろうか。

 最愛の妻に突然襲った病魔。しかもガン。城山さんはこう綴る。「最愛の伴侶の死を目前にして、そんな悲しみの極みに、残された者は何ができるのか。私は容子の手を握って、その時が少しでも遅れるようにと、ただただ祈るばかりであった」
 この文章を目にしたとき、私は母の病室に連日通いつめた父の姿を思った。
 病室にいてもほとんど会話することのなかった父だが、余命宣告を受けた母のそばにいて、何を祈っていたのだろう。
 こんなことがあった。ある日、母の好物をいただいたことがあった。それを病室の母に食べさせたいと父は一人、病院に向かって歩きだした。老いた父にはけっして近くはない距離だったが。
 勝手に一人で行ってはいけないと叱る息子に、「食べさせてあげたかった」と父はちいさく泣いた。
城山さんのような文才もない父だが、その涙は城山さんの死にいこうとする妻への思いと同じであったにちがいない。
  
(2010/09/15 投稿)

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  本の魅力を存分に味わいたい、
  そんな本好きな人にぴったりなのが
  今日紹介する柴田光滋さんの
  『編集者の仕事―本の魂は細部に宿る』です。
  「本の魂は細部に宿る」という副題が
  いいですよね。
  本についてのたくさんのいい話が書かれていて、
  例えば、スピンの話。
  スピンというのは栞に代わる紐状のあれ。
  新潮文庫についている、あれ。
  そのスピンですが、
  その長さは本の対角線を延長して
  2~3センチ長いものだと、書かれています。
  つまり、それくらいがちょうどいい長さといいます。
  ね、少しわくわくするでしょ。
  読書の秋に最適な本です。

  じゃあ、読もう。

編集者の仕事―本の魂は細部に宿る (新潮新書)編集者の仕事―本の魂は細部に宿る (新潮新書)
(2010/06)
柴田 光滋

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sai.wingpen  本はシーラカンスになるのか                     矢印 bk1書評ページへ

 本屋さんの平台に積まれた本の、上から何冊目かの本を抜き出して、上下左右をきちんと見て傷みがないか確かめる。そうして買った本の表紙をそっとなでる。ゆっくりとページを開いて鼻を近づける。ほのかな印刷の匂いが立ち上がり、うっとりとなる。
 これから読むこの本にはどんな世界が書かれているのだろう、どんな知識が詰まっているのだろう。
 わくわくしながら、最初の扉を開く。
 私にとって、本とはそういうものだ。

 長年新潮社で編集にたずさわった著者が「編集者の仕事のあれこれ」を惜しげもなく書いた本書は、本好きの人にとってはたまらなく面白い一冊だろう。
 本という「もの」の魅力とそれに携わる多くの人の知恵と経験を再確認するという点では、「電子書籍元年」といわれる今こそ丁寧に読まれて然るべきだ。
 私はいずれ、しかもかなり早いうちに、読書が電子書籍で行われるだろうと考えている。なにしろ便利である。音楽業界がレコードからたちまちダウンロードのそれに変化したように。
 しかし、本というのは電子書籍とはまったく別物である。読めればいいというものではない。
 著者は「たしかに内容は第一です。しかし、だからと言って形はただあればいいというものではないでしょう」と書いているが、私もそう思う。著者の言葉を続けると、「書籍の編集とは、言わば一次元である原稿を獲得し、その内容にふさわしい本という三次元のモノに仕上げて読者に届ける作業」となる。私たちは本という「三次元のモノ」を楽しんでいるのだ。
 オビから最後の奥付けにいたるまで、それは愉しみに満ちている。

 だとすれば、電子書籍に対抗するものとして、より読者を楽しませ満足させる本づくりや販売の方法が求められるように思う。
 本はシーラカンスとなって生き残るのだろうか。それとも、より素晴らしい惑星を求めて旅立つのだろうか。
  
(2010/09/14 投稿)

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  今日紹介する江國香織さんの
  『ホテル カクタス』は、
  先月の読書会で若い女性の参加者が紹介して
  くれた本です。
  江國香織さんの本にこういう一冊が
  あるなんて知りませんでしたから、
  紹介されて読んでみたいと思った本です。
  この本は書評には書かなかったのですが、
  画家の佐々木敦子さんが挿画を担当されていて、
  しかもすべて油絵で描かれたものだそうですが、
  その絵を見ているだけでも
  心がゆったりするというか、
  いつもの世界を忘れさせてくれる、
  そんな気がします。
  絵が描ける人はなんて幸せなんだろうって
  思います。
  あなたなら、どんな『ホテル カクタス』を
  描きますか?

  じゃあ、読もう。


ホテルカクタス (集英社文庫)ホテルカクタス (集英社文庫)
(2004/06/17)
江國 香織

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sai.wingpen  君は本当はきゅうりなんだろ?                矢印 bk1書評ページへ

 アパートなのに、「ホテル カクタス」。登場するのは、「帽子」に、「きゅうり」に、数字の「2」。しかも、作者は江國香織とくれば、興味がわく。
 興味がわく、というのは、一体どんな物語が「ホテル カクタス」という書名のついた本のなかで展開されているのだろうという、誘惑めいたものだ。
 本がおいで、おいでと誘っている。

 そのアパートは、「ある街の東のはずれ」にある。
 たぶん地図では探せない「ある街」だ。しかし、読者はカメラのズームがすうと寄っていくように、その「ある街」にたどりつく。そこで、「灰色の、石造りの」アパートの前にいることに気づく。
 読書の、気持ちいい導入部である。もう、いま住んでいるところには引き返せない。
 そして、耳をすませば、「帽子」と「きゅうり」と、数字の「2」の気の合った友達たちの楽しそうな声が聞こえる。
 そう、彼らは「もの」であると同時に「声」ももっている。「もの」が話しをするかなんて思わないこと。だって、ここは「ホテル カクタス」なのだから。

 彼らは「もの」なのだが、そっくりの人を誰もが知っているのではないだろうか。
 数字の「2」は優柔不断で神経質で、他人がアルコールを飲んでいても片意地になってグレープフルーツジュースなんか飲んでいるような人。ほら、思い出した。「帽子」だって「きゅうり」だって、そう。私たちのそばに彼らはいる。ただ、人間の姿をしているから気がつかないだけだ。
 不思議なありえない世界なのだが、童話ともちがう、どこにでもありそうな日常に思えてくるのは、江國香織の巧さだろう。
 どこにでもありそうな? 
 江國香織はそんなどこにでもありそうな日常を描きながら、非日常を描いてきたようにも思える。この「ホテル カクタス」はその反対。非日常を描きながら、どこにでもありそうな日常が潜んでいるのだ。

 そういう世界もおわりがきてしまうことは、読書の常。
 地図では探せない「ある街」から帰らなければならない。私たちはそこに留まることはできないのだ。人間だから。
 でも、もしかしたら、「ホテル カクタス」が懐かしくなって、思わず隣の人に「君は本当はきゅうりなんだろ?」と問いかけたりするかもしれないが。
  
(2010/09/13 投稿)

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  秋といえば行楽のシーズン。
  今年はまだまだ暑いですから、
  秋というには早すぎますが。
  でも、これから涼しくなって
  紅葉がひろがれば、
  やっぱり旅に出たくなりますよね。
  どうも私は動きがにぶくて、
  気持ちはいっぱいあるのに、
  なかなか旅にでることができません。
  だから、旅が好きな人は
  うらやましいと思います。
  ゆっくり電車に揺られていく
  旅もいいな。
  今日紹介する、林明子さんの
  『こんとあき』の表紙がいいですよね。
  絵本は表紙でぐっとひきつけられることって
  よくあります。
  この『こんとあき』もそんな一冊です。

  じゃあ、読もう。
  

こんとあき (日本傑作絵本シリーズ)こんとあき (日本傑作絵本シリーズ)
(1989/06/30)
林 明子

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sai.wingpen  旅に出たいな。                 矢印 bk1書評ページへ

 旅に出たいな。
 できたら、大切なひとと。
 『こんとあき』は、そんなことをつぶやきたくなる絵本です。

 表紙は駅のプラットホーム。真ん中に、この物語の主人公ふたりが立っています。
 あきはちいさな女の子。こんはきつねのぬいぐるみ。こんはあきが生まれた時からずっと一緒にいます。
 二人の後ろには、定年をむかえた夫婦でしょうか、奥さんが楽しそうに笑っています。この二人はきっと、あきとこんよりもずっとずっと長く一緒にいます。
 こんとあきがこんの生まれたさきゅうまちへの旅を楽しみにしているように、この初老の夫婦もこれからの旅を楽しみにしているようです。

 電車の旅はちいさなあきにとっても、ぬいぐるみのこんにとっても、スリルいっぱいの冒険です。 お弁当を買おうとしてあやうく乗りそこねたり、おかげでこんのりっぱなしっぽは電車のドアにはさまれてぺちゃんこになってしまいましたが、親切な車掌にあったり、すてきな車窓の光景に夢中になったりしました。

 目的地のさきゅうまちでもあやうく、こんが大きな犬に連れ去られそうになります。
 そんなこともありましたが、あきはこんを助けてどんどん歩きます。さきゅうまちにはあきのおばあちゃんが住んでいるのです。
 やがて、ちいさなあきは大切なたいせつなぬいぐるみのこんを助けて、おばあちゃんの家にたどりつくのです。

 旅は人を強くしてくれます。前にすすむ勇気をくれます。旅とは前にすすむことです。
 旅は人をやさしくしてくれます。それが成長ということかもしれません。
  
(2010/09/12 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  日記をつけている人なら
  今年の夏は「暑い」「暑い」と
  毎日書いたのだろうと思います。
  9月になってもまだ暑い。
  できれば、早く秋の風が吹いて
  早く日暮れとともに
  小さな灯りの下で読書に明け暮れたいと
  思うのが、
  本好きの習性ではないでしょうか。
  そこで、一足はやく、
  みなさんに読書の楽しみを満喫していただこうと
  恋愛小説を紹介します。
  2008年の夏に書いた蔵出しですが、
  山田詠美さんの『風味絶佳』。
  やはりいい恋愛小説ほどおいしいものは
  ありません。
  食欲の秋は恋愛の秋でも
  あるんでしょうね。
  ぜひ『風味絶佳』を読んで、
  満喫してみてください。

  じゃあ、読もう。


風味絶佳風味絶佳
(2005/05/15)
山田 詠美

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sai.wingpen  暑い夏の日にはスポーツ観戦もいいけれど、恋愛小説はもっといい     矢印 bk1書評ページへ

 もう随分むかしのことになるが、冬にアイスクリームを食べている人がいると聞いて妙に感心したことがある。
 今ではごく当たり前の生活場面だが、当時はアイスクリームといえば夏のお菓子であり、それを寒い冬に食べるのはどういう気持ちのきまぐれだろうとも思ったし、冬に出回ることの少なかったアイスクリームを食べられるという贅沢さに垂涎の気持ちがなかったともいえない。
 夏に食べるアイスクリームはすでにまわりの暑さで緩やかに溶けかかっているのだが、冬のそれはしゃきっとしまってまさに氷菓そのものであり、匙で強くかき出してようやく口の中で溶けだす。このうまさにやはりむかし思った感心がいまでもわきだす。
 夏でも同じだ。猛暑の中できんと冷えた部屋の中で、炊き上がったばかりのご飯と今火から下ろしたばかりの焼き魚、それに湯気をあげる味噌汁でもあれば、これほどの贅沢はないと思いたい。

 山田詠美の恋愛短編集『風味絶佳』はそんな贅沢な気持ちを満喫させてくれる一冊である。
 著者の「あとがき」によれば「肉体の技術をなりわいとする人々」を描きたいと思い「職人の域に踏み込もうとする人々から滲む風味を、私だけの言葉で小説世界に埋め込みたいと願った」とある。
 言葉どおり、本書に収められた六つの物語には、建設会社でとび職めいたことをしている青年(「間食」)、ごみの収集作業員の男(「夕餉」)、ガゾリンスタンドで働く青年(「風味絶佳」)、引越し業者の中年間近の男性(「海の庭」)、下水管の洗浄作業員(「アトリエ」)そして火葬場で働く父(「春眠」)というように世間的にいえば特殊な仕事に関わっている男たちが登場する。多分「春眠」の登場人物のように父親が火葬場で働くということをどこか知られたくないと思う気持ちがあったとしてもおかしくはない。それはどこかで蔑みがあるからだ。 しかし、著者は彼らの仕事のもつ「たたずまい」を「風味豊か」であると書く。
 蔑みがあればその蔑みを逆に力にしようとするもの。それが著者のいう「たたずまい」を醸し出すのかもしれない。

 著者はいわずと知れた恋愛小説の優れた書き手である。
 そのような「たたずまい」を持った男たちを使って、みごとに恋愛模様を紡ぎだしている。
 著者のいう「私だけの言葉で小説世界に埋め込」んだ六つの結晶がここにある。
 例えば、本短編集の中でも秀逸である「夕餉」という物語では結婚生活に破綻した<私>とごみ収集作業員の<紘>の恋愛が描かれている。朝ごみを収集してまわる<紘>のたたずまいに魅かれ家を出た<私>だが、男と生活していくうちにどんどん強くなっていく。優柔不断であった良家の主婦が「私は、男に食べさせる」と言い切るまでに成長していく。
 恋愛は女性を強くする。さらにいえば、この作品ではごみ収集という男を描くことでごみから溢れ出すねばねばした汁(じゅう)の感覚が淫靡でもある。きれいごとではない大人の恋愛が匂い立つようだ。まさに山田詠美の恋愛、世界観である。

 「夕餉」の中にこんな場面がある。「紘の腕の中の空気は馥郁としている。まるで餡パンの中の隙間みたいだ。天然酵母の香りに酔っ払いながら、私は焼き上がる。(中略)それまで、私は、自分の体がそうなるのを知らなかった。きちんと下ごしらえをされれば、私の体だっておいしくなる。欲しがられてると感じる。なんだか泣きたい気持。」
 「馥郁」(ふくいく)とは<よい香りがただよっている様>を表す言葉だが、この言葉がいい。
 「夕餉」だけでなく、六つの恋愛ともに「馥郁」としている。冬にアイスクリームを食べるように、夏に炊きたてのご飯を食べるように、なんとも贅沢な、至福の時間であった。
  
(2008/08/21 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今年の7月下旬、小さな訃報に驚いた。
  女優の早乙女愛さんが米国のシアトルで
  7月20日に死亡したという記事である。
  早乙女愛さんを記憶している人は
  少なくなったかもしれない。
  彼女こそその芸名のしめすとおり、
  梶原一騎の名作『愛と誠』の映画化にあたり
  オーデションで主役に抜擢された人だった。
  原作の漫画から抜け出たように
  彼女は初々しくかわいかった。
  私にはその印象のままの早乙女愛さんだったが
  すでに51歳だったという。
  もし、梶原一騎のあの原作がなければ
  きっと彼女はまったく違う人生を
  歩んでいたにちがいない。
  そのことも、なぜか心に残った。
  ご冥福をお祈りします。
  今日は、梶原一騎の奥さんが書いた
  漫画原作者梶原一騎のもうひとつの顔を描いた
  『スタートは四畳半、卓袱台一つ』。

  じゃあ、読もう。

スタートは四畳半、卓袱台一つスタートは四畳半、卓袱台一つ
(2010/01/07)
高森 篤子

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sai.wingpen  飛雄馬&ジョーの女房                 矢印 bk1書評ページへ

 夫婦にはいろいろな形がある。
 春から始まったNHKの連続ドラマ『ゲゲゲの女房』(原作武良布枝)は高視聴率で終盤を迎えているが、漫画家水木しげるとその妻の、夫婦としてのありように好感がもたれているのだろう。
 その水木しげるが少年漫画雑誌の連載で人気漫画家になっていく同時期に、水木よりも数段人気を得た漫画原作者がいた。
 『巨人の星』『あしたのジョー』『タイガーマスク』などの原作を手掛けた梶原一騎(高森朝雄という筆名も彼)である。
 本書は若くしてまだ無名の梶原一騎と結婚し、その後一躍スター原作者となった彼と離婚し、数多くのスキャンダルと闘病で満身創痍となったその男のもとに再び戻った妻高森篤子が綴った、夫婦の物語である。
 『ゲゲゲの女房』ならぬ、『飛雄馬&ジョーの女房』だ。

 著者である高森篤子は夫梶原一騎のことを「私にとっての主人とは、夫であり師であり、そして父親的存在だった」と書いている。
 夫婦同等であるという考え方をもった人からすると、そんなことはありえないだろうし、だから夫がダメになっていくのだと考えるかもしれない。
 梶原一騎の強面(こわもて)な印象は、本書のなかに描かれている家庭内での怖い父親で裏打ちされる。例えば、幼い子供におしっこを教えようとする場面などは強烈である。おまるに座ったままおしっこの出ないわが子に苛立った梶原は子供の頭にカップラーメンをぶっかけてしまう。そのような仕打ちであっても妻の篤子は、梶原のことを「悪ガキのよう」とむしろ愛情いっぱいに描いている。
 篤子にとって、どのような夫であれ、梶原は「師」であり「父親」であり、従わなければならない存在であった。

 そのことは不幸であるかもしれない。しかし、篤子はそれよりも「夫」としての梶原に愛情をもっていたし、梶原の愛情を感じとっていた。さらに、『巨人の星』などの名作誕生の、「四畳半、卓袱台一つ」の、同じ時間と場所に立ち会った同志であった。
 「理想の夫婦になる前に、あの人は逝ってしまった」と篤子は書いているが、「理想の夫婦」など求めてえられるものではない。
 梶原一騎夫婦の姿は、水木しげる夫婦とはまったく違う。どちらが幸福でどちらが不幸ということではなく、それもまた夫婦という形だろう。
  
(2010/09/10 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  昨日村山由佳さんの『アダルト・エデュケーション』を
  紹介しましたが、
  今日も女性による性愛物語です。
  窪美澄さんの『ふがいない僕は空を見た』。
  この作品は第8回「女による女のためのR-18文学賞」大賞受賞作。
  官能小説とか性愛小説というのは
  男性の書き手が多かったのですが、
  最近では女性が積極的に性愛を
  表現する機会が増えています。
  そのことは大いに歓迎すべきことです。
  だって、女性の気持ちいい感情は
  やはり女性でしかわかりませんからね。
  それに、女性にだって性を楽しむ
  あるいは性を真剣に考えることは
  大事なことです。
  男性の視点ではなく女性が本気になって
  性を考え、表現することは
  今後も増えてくるように思います。

  じゃあ、読もう。
  

ふがいない僕は空を見たふがいない僕は空を見た
(2010/07)
窪 美澄

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sai.wingpen  父の不在                     矢印 bk1書評ページへ

 本書冒頭の、第8回「女による女のためのR-18文学賞」大賞を受賞した作品『ミクマリ』の「ミクマリ」とは、主人公の少年の家の近くにある「水分(みくまり)神社」からとられている。水分神社は子守りの神様といわれているらしいが、これはみくまり、みこもり、こもりと転訛したものだという。
 物語の終わりちかく、父親が出て行ったあと、少年と助産院を始めたばかりの母親がその水分神社に詣でた思い出が描かれる。
 「何をおいのりしているの?」とたずねる少年に母親はこう答える。「子どものことだよ」「ぜんぶの子ども。これから生まれてくる子も、生まれてこられなかった子も。生きている子も死んだ子もぜんぶ」。
 『ミクマリ』を起点にして本作品集で描かれる五つの短編もまた、たくさんの「子ども」が描かれている。かつての子、生まれてこない子、いじめられた子、親から見捨てられた子、母親の庇護から抜け出せない子、そして生まれてこようとする子。ぜんぶの子ども。

 『ミクマリ』は高校生の少年卓巳と人妻あんずの異常な性を描いた作品だが、一度は普通の高校生にもどることを決意した卓巳があんずのもとに自ら進んでもどるきっかけがある。(そのことがたくさんの事件をもたらし、あとの作品のなかで描かれている)
 それが、隣町のショッピングセンターのベビー用品売り場で見かけた、異常性愛の相手あんずである。卓巳はベビー用の靴下を手にしたあんずに、単に遊び相手ではない、恋愛対象としての感情を持つことになる。
 卓巳は自身が父親になった(これは彼の勘違いなのだが)ことで、初めて相手を深く愛することになる。

 子どもは母の胎内から生まれてくる。しかし、母はひとりで生むのではない。男と女の性があって、受胎し、生まれてくるものだ。女は母となり、男は父となる。
 主人公の少年が性愛の相手に子どもができ、自分が父親になったと勘違いしたことをのぞけば、この短編集では父親の存在はしずかに、そして作為的に排除されている。
 しかし、それは逆にいえば、父親の存在とはという疑問を問いかけることにもなる。

 父親が不在なのにもかかわらず、子どもがまた生まれてくる。
 まるで女たちがたった一人でこの世界を作ろうとしているかのように。そして、それがぜんぶの子どものためであるかのように。
  
(2010/09/09 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日紹介するのは、今話題の
  村山由佳さんの『アダルト・エデュケーション』。
  何が話題かというと、
  女性の性愛のタブーを超えて描かれたということで。
  先日(8.26)の朝日新聞夕刊にも
  村山由佳さんの写真とともに
  関連記事がでていました。
  実はその記事の横に「私の収穫」という
  囲み記事があって、
  写真家の藤原新也さんがコラムを書いています。
  タイトルは「長野の女王」。
  今、インターネットの世界で話題を集めている
  女の子らしいのですが、
  そのなかで藤原新也さんは、
  「長野の女王」は母親から
  「もらうべき愛情をたった一カ所どこかでもらい忘れた」と
  書いています。
  私は「長野の女王」と呼ばれる少女のことは知りませんが、
  なぜか隣の記事の村山由佳さんの小説との
  奇妙な符合を感じました。
  だれもがどこかで
  もらい忘れた愛情がある。
  だから、そのことを埋めようとしているのでは
  ないでしょうか。

  じゃあ、読もう。

アダルト・エデュケーションアダルト・エデュケーション
(2010/07/22)
村山 由佳

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sai.wingpen  ア・ラ・カルト                     矢印 bk1書評ページへ

 「ア・ラ・カルト」という言葉は「献立表によって」という意味の、客が自分の好みで自由に選べる一品料理をさすフランス語だ。
 同性愛、SM、姉弟の愛、不倫、といった12篇の過激な内容をそろえた村山由佳のこの本はまさに「ア・ラ・カルト」。
 あなたがお好きなものから召し上がれ。
 今夜はじっくり味わいましょう、と誘いたくなる短編集だ。

 そのいずれもが女性作家が書いた小説にしては過激で、その性愛場面や女性の昂ぶりに男性読者も満足するだろう。しかし、その満足は女性読者にとっては少しちがうものかもしれない。
 これは想像でしかないが、女性読者は賛同にちかい満足を得るのではないだろうか。
 けっして彼女たちが欲望に飢えているということではなく、言葉にできなかったものがこうして物語として紡がれることに。性が男性のものだけではなく、女性にとっても重要なものであることに。

 「哀しい生きもの」という作品は10歳以上も年下の作家と関係をもったクラブの女性の物語だが、そのなかで作家である男性は主人公の女性にひとつのラテン語を教える。
 「すべての生きものは、交わりのあと哀しい」
 なんと、奥深い言葉であろう。この短編はこの言葉がすべてを物語る。
 そして、物語は「どうせ哀しくなるだけとわかっていても、だから私たちはまた交わろうとするのだ」という一文で終わる。
 12篇の物語はこの文章に尽きるような気がする。

 物語に作者の「あとがき」が必要かどうかはあるとしても、この短編集につけられた村山由佳の「あとがき」はいい。
 そのなかで、村山由佳は「恋愛に、年甲斐や分別など邪魔なだけだ、とつくづく思う。幾つになってしても、恋はひとつ残らず特殊で、予測不可能で、無数の<初めて>に溢れている」と記している。
 男性である私もそう思う。
 ぜひ、女性の読者に読んでもらいたい一冊である。
  
(2010/09/08 投稿)

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 運動がからきしできません。
 小さい頃は体育の時間が嫌でたまりませんでした。
 運動会などは地獄の苦しみでした。
 走れば、かならずビリでしたから。
 鉄棒もできません。跳び箱もだめ。
 自転車だって乗るまでには時間がかかりました。

 大人になっても運動は苦手。
 ゴルフ、とんでもない。
 水泳、泳げるかしら。
 テニス、したことありません。
 そんな私ですが、今回の「雑誌を歩く」は
 「Number 761号」(550円・文藝春秋)を取り上げます。

Sports Graphic Number (スポーツ・グラフィック ナンバー) 2010年 9/16号 [雑誌]Sports Graphic Number (スポーツ・グラフィック ナンバー) 2010年 9/16号 [雑誌]
(2010/09/02)
不明

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 「Number 」という雑誌はスポーツ関連の雑誌ですので
 あまり読んだことがないのですが、
 運動オンチの私にも興味があるいい特集をする雑誌ですが、
 今週号はいいですね。
 題して、

   アスリートの本棚。 -読書が彼らを強くする

 ね、本好きの人にぴったりでしょ。

   スポーツ選手が本を手に取る理由は様々である。(中略)
   本は彼らに何を与えるのだろう。

 まずは、サッカー日本代表の、長谷部誠選手。
 長谷部さんは年間100冊も本を読むというのですから
 りっぱな読書人です。
 紙面で紹介されている自宅の本棚の写真にも
 たくさんの本が並んでいます。
 あの村上春樹さんの『1Q84』もありました。
 そんな長谷部選手が薦めるのが
 松下幸之助さんの『道をひらく』というのも面白い。

 つづいては、読書家でも知られている
 陸上の為末大選手。
 為末選手は「本を読んだら早く走れるか」という質問に
 「はい」と答えているけど、
 私はちっとも速く走れません、念のため。
 その為末選手はこんなことをいっています。

   感じたことを正確に表現するには語彙が豊富な方がいい。
   そのためには幅広い読書が役に立つ。

 同じようなことを元マラソン選手の増田明美さんも
 作家の三浦しをんさんとの対談でいっています。

 そのほか、紹介されているアスリートは、
 野球の小久保選手、フェンシングの太田選手、柔道の福見選手など
 たくさん。
 アスリートたちもしっかり読書をしているんだなと感じました。
 そんなアスリートのみなさんのお気に入りは
 やっぱり東野圭吾さん。
 運動ができる人も
 運動ができない人も
 東野圭吾さん大好きなんですね。

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プレゼント 書評こぼれ話

  作家・三浦哲郎さんの突然の訃報から
  一週間が経ちました。
  多くの新聞で三浦哲郎さんの死を悼む文章が
  掲載されました。
  そのなかで、朝日新聞に載った出久根達郎さんの短文の
  書き出しはこうでした。

   リアルタイムで『忍ぶ川』を読んだ時の興奮を、忘れない

  『忍ぶ川』が発表されたのは昭和35年。
  私が初めて『忍ぶ川』を読んだのはいつだったでしょうか。
  おそらく二十歳前後の時ではなかっただろうかと思いますが、
  いつまでも記憶に残る作品です。
  極端にいうと、
  今まで読んできたたくさんの本のなかでも
  屈指の作品だといってもいいと思います。
  今回再読してみて、
  その美しさに心がみたされました。
  これまでも。
  そして、これからも。
  三浦哲郎さんを知らない人にも
  『忍ぶ川』を読んだことのない人にも
  ぜひとも読んでもらいたいと
  願います。

  じゃあ、読もう。
  

忍ぶ川 (新潮文庫)忍ぶ川 (新潮文庫)
(1965/04)
三浦 哲郎

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sai.wingpen  追悼・三浦哲郎 - 馬橇の鈴の音が静かに                     矢印 bk1書評ページへ

 昭和三十五年下半期の第四十四回芥川賞の選評は読むと、受賞作である三浦哲郎の『忍ぶ川』について「古い」という表現が目立つ。
 「一口に云えばいかにも古めかしい」(中村光夫)、「私小説系統の作品で、古いと云えば古い」(石川達三)、「古めかしい感じがし」(宇野浩二)と、新しい文学の台頭がはじまった時代背景があるとはいえ、各選考委員ともその「古さ」に抵抗があったように感じる。
 もちろん、それがすべて否定ではなく、だからこそ芥川賞受賞につながったのだが、舟橋聖一のように「今はやりの新人の作というと、晦渋で汚れたものの多い中では、古さこそ、新しさでもある」という評もある。
 秀逸なのは川端康成の評であろうか。「幼くて、古いが、純な感銘があった」と書き、そのあとで「自分の結婚を素直に書いて受賞した、三浦氏は幸いだと思える」とつづく。

 三浦哲郎の兄姉の不幸は多くの作品に残されている。芥川賞受賞作で三浦哲郎の代表作でもある『忍ぶ川』にもそのことはふれられている。
 三浦の生家のそのような暗さは彼自身のありかたにも濃厚に作用したはずだし、生涯そのことからのがれられなかったと思える。
 しかし、三浦はそのような不幸に甘んじることはなかった。作品で何度もなんども書きながら、兄姉の悲しみや絶望を思い、そのことで人間の本質に迫りつづけた作家であったといえる。
 そのはじめに『忍ぶ川』がある。
 もっというならば、作品のなかの登場人物の名でいえば、小料理屋忍ぶ川で働く志乃との出会いがなければ、三浦哲郎はまったくちがった旅路を歩いたかもしれない。

 もう何度めになるだろう。三浦哲郎の突然の訃報に暗澹たる気持ちになって久しぶりに『忍ぶ川』を読んだ。
 けっして「古い」という印象はない。純愛とは、こういうどうしょうもない純な気持ちから生まれてくるにちがいないと思う。
 まして、この物語にでてくる三浦の父も母も、兄姉のなかで唯一生き残った目の不自由な姉もなくなり、そして、いま、その主人公さえ逝ってしまったという事実の前で、こうして作品だけがいつまでも美しく気高く残るのだという感慨にしたっている。

 『忍ぶ川』に、雪深いふるさとで「ささやかすぎる」結婚式をおえた新しい夫婦が、「地の底のような静けさ」の果てから聞こえてくる鈴の音に耳を傾ける場面がある。
 裸のまま部屋を抜け出して外をみやる二人。「まひるのようにあかるんだ雪の野道を、馬橇が黒い影をひきずってりんりんと通った」と三浦は書いているが、その黒い影こそ、三浦の不幸な血であったかもしれない。
 三浦は志乃にであって救われた。『忍ぶ川』を書いて救われた。志乃もまた三浦にであって救われた。そして、私たちもまた、すくわれる。

 これからも何度でも『忍ぶ川』を読むだろう。三浦哲郎に会いに。志乃に会いに。雪の野道をはしる馬橇の、りんりんという音を聞きに。
 合掌。
  
(2010/09/06 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  先日我が家に、
  小学1年生の女の子がお父さんとお母さんに連れられて
  遊びにきました。
  そこで、彼女に今日紹介しました
  レオ・レオーニの『あおくんときいろちゃん』という絵本を
  読んでもらうことにしました。
  書評を書くのに、
  参考になるかなと少し思って。
  でも、彼女は「つまんない」って
  なげだしてしまいました。
  「面白くないの?」とたずねると、
  「長いんだもの」と少女は答えました。
  ちょっと予想外でした。
  一緒に来ていた妹と遊びたいのか、
  私のたくらみを見破ったのか、
  彼女は早々に読むのをやめてしまいました。
  彼女が悪いのではありません。
  この絵本が悪いのでもありません。
  おとなの私の邪まな気分が
  よくなかったのです、多分。

  じゃあ、読もう

あおくんときいろちゃん (至光社国際版絵本)あおくんときいろちゃん (至光社国際版絵本)
(1984/01)
レオ・レオーニ

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sai.wingpen  等しく人であれば                     矢印 bk1書評ページへ

 絵本の名作です。
 作者はレオ・レオーニという人はアメリカの美術家ですが、こういう絵本を読むと、日本であるとかアメリカであるとかそういう国の概念を忘れてしまいそうです。
 人種や言葉や生まれではなく、等しく人間であれば、この絵本の素晴らしさに共感できるのではないかと思います。

 最初のページに、青いしみのような絵があります。「あおくんです」と、文がそえられています。
 でも、これはなくてもいいのかもしれません。
 これはみずです、だっていいかもしれないし、涙のあとです、だってかまわない。
 言葉が物語をつくるのではなく、もっと自由に、読み手は物語をつくっていいように思います。
 だから、あおくんといちばんなかよしのきいろちゃんは、お花の花びらだと読んでもかまいません。あおくんときいろちゃんがあまりになかよしで、みどりになるのも、花に水をあげることで葉っぱで一枚できました、なんていう読みかただってあっていいと思います。

 大人は子どもをしばらない。言葉は想像力を限定しない。
 子どもってもっと自由だっただったでしょ。レオ。レオーニのこの絵本は、そんなことを思いださせてくれます。
 だから、この絵本は、読みきかすのではなく、子どもたちに自由に読ませてあげてください。
 大人の私たちが気がつかない、あるいは忘れさった、ひろい世界を子どもたちは実感できるような気がします。
  
(2010/09/05 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  私は聖人君子ではないから、
  AV(アダルトビデオ)の類は
  たくさん見ました。
  特に初期の代々木忠監督作品は
  好きでしたね。
  ビデオの普及はAVなくしてなかったんじゃないか、
  というのが私の持論なんですが、
  そういうこっそり見れますよっていう
  広告の仕方というのは
  モノの普及には欠かせないように
  思います。
  もちろん、そういうあやうい世界が広がることで
  私たちが知らない世界が暗躍するのでしょうね。
  暗躍ってすこし過激ですが。
  今日の一冊はそんなAVの世界をルポタージュした作品。
  本橋信宏さんの『新・AV時代』。
  そんなの嫌い! っていう人も
  書評だけでも読んでみてください。

  じゃあ、読もう。

新・AV時代新・AV時代
(2010/06/24)
本橋 信宏

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sai.wingpen  顔を伏せるな                     矢印 bk1書評ページへ

 まっとうなことだけが活字になるわけではない。
 いかがわしさも、読み手がいるかぎり活字にもなるし、本にもなる。
 本作は「AV」と呼ばれるアダルトビデオの製作者たちの世界をルポタージュした作品だが、おそらくその世界にまったく興味のない人も大勢いるだろう。その人たちからすれば、ここで描かれる「悩ましき人々」はいかがわしい世界の住人ということになる。
 しかし、別の世界から反対側をみれば、追従とおべっかの嘘ばかりの世界に生きる人々こそいかがわしいということになる。

 お前たちが唾棄する世界こそ、本当はもっとも垂涎となる欲望の世界だ。
 顔を伏せるな。目を閉じるな。
 カメラの前で蠢く裸身は、お前たちの欲望が生み出した世界だ。
 AV製作者の声だけでなく、著者の声もそれに共鳴する。

 タイトルに「新」とはついているが、書かれていることはけっして新しいことではない。最終章の記述でさえ、2002年のことだ。思わず、本の奥付の日にちを確認したが、2010年6月の発行である。これはどういうことだろう。
 最近のAV事情がどうなっているのか詳しく知らないが、競争の激しい業界ゆえに、さらに進化あるい衰退があることを想像するのは容易である。
 それなのに、何故、今「新」とつけて、出版されたのか。
 いかがわしさは、映像の世界だけにあるのではないのではないだろうか。
 理解できないことに、本当はいかがわしさが込められているような気がする。
  
(2010/09/04 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  最近の政治情勢をみていると
  ため息ばかり。
  この国の政治家はこの国の将来を
  どう考えているのでしょうか。
  政治家とは国民の幸せを考え、
  それを実践していくのが仕事でしょ。
  陣取り合戦やお山の大将ごっこを
  しているわけではありません。
  もしかして、政治家とは
  みんな俺の方見てるんだ。
  俺っていい男なんだ、
  歴史に名前なんか残っちゃったりして、
  みたいな馬鹿げた自意識過剰で
  仕事しているわけではないですよね。
  正しいことをしてよ。
  正しい考えをもってよ。
  今日紹介するのは、
  おなじみ小宮一慶さんの『ぶれない人』。
  みなさん、じっくり考えてください。

  じゃあ、読もう。

ぶれない人 (幻冬舎新書)ぶれない人 (幻冬舎新書)
(2010/07)
小宮 一慶

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sai.wingpen  「正しい」とは何だろう                     矢印 bk1書評ページへ

 好きなことをして、人のためになり、お金を稼げたらどんなにいいだろう。
 そんな人もいるだろうが、多くの人は働くことに不満や不平をもっている。会社に行くのがつらい、職場でも楽しくない。でも、生活のためには働かなくてはいけないし。
 そう感じている人にぜひ読んでもらいたい一冊が、この本である。本書には出世できる方法も書かれていないし、仕事が捗る方法も書かれていない。
 書かれているのは「正しい生き方」となるヒントである。
 「良い仕事をすることを目的にしている人は、「結果として」儲かる」ように、楽しく仕事をすることをしている人ほど「結果として」良い仕事ができるようになるのではないだろうか。

 本書には「正しい」という言葉がたくさんでてくる。ただこの「正しい」がくせものだ。何が「正しい」か、人それぞれに考え方がちがうし、おかれた環境でも捉え方はちがってくる。
 筆者の小宮一慶氏は、「正しい考え方」のヒントは「歴史上における偉大な人物の生き様や、論語、仏教聖典、聖書をはじめとする優れた書物にあるのではないか」という。当然そのような原典にふれることは重要である。ただ時間のない人は、本書のようなサブテキストを読んで、原典にあたることを薦めたい。

 人は「悪い」と思って行動を起こすことは少ない。ほとんどの人がそれが「正しい」と考え、実行しようとする。その始まりにおいて間違いもあるはずだ。その時、その人に「間違っている」と気づかせる勇気を持とう。
 初めは「正し」くても途中で道を踏み外すことだってある。その時、どう気づくか、いかに修正していくかだろう。
 何度でも、本書を読むことで、間違った生き方をしないようにしたいものだ。

 小宮一慶氏の「大志があれば、楽しく、力強く、迷いなく人生を歩むことができます」という言葉に何度でももどってこよう。
 大志をもつのは、他人ではない。自分自身なのだから。
  
(2010/09/03 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  夏休みが終わって
  新学期がはじまるって
  子どもの頃はとても嫌でした。
  そんなこと、ありません?
  会社勤めして、あまり長期間の休みがありませんでしたから
  子どもの頃のそんな思いはしなくてよかったのですが
  逆に夏休みが欲しいと思ったものです。
  おとなというのは、
  子どもの頃をことをすっかり忘れてしまうもの。
  夏休みが終わって
  嫌そうでつらそうな子どもたちがいれば
  自分が子どもだった時のことを
  思い出せばいい。
  「父さんは学校が大好きだったよ」
  というのも、いいけれど、
  嘘はいけませんよ。
  今日は、そんなお父さんに、
  みやにしたつやさんの『パパはウルトラセブン みんなのおうち』。

  じゃあ、読もう。

パパはウルトラセブン みんなのおうち―HOME SWEET HOMEパパはウルトラセブン みんなのおうち―HOME SWEET HOME
(2003/07)
みやにし たつや

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sai.wingpen  想像の翼                     矢印 bk1書評ページへ

 「ウルトラセブン」は単身赴任してたんだ。これには驚かされました。でも、そう思えなくもありません。そして、故郷に帰れば、すてきな奥さんとかわいい娘と生まれたばかりの息子がいる。怪獣を想像するより、こちらの方がうんと楽しくありませんか。

 みやにしたつやさんの「ウルトラ」シリーズの絵本は、想像する楽しみを教えてくれます。
 あのヒーローに奥さんがいたら、子どもがいたら、どんな家族だったろう。みやにしさんはとても幸福な家族を描きましたが、想像の翼はいろいろな家族を描くことができると思います。
 子どもたちと怪獣園(これは地球でいえば動物園のようなもの)にでかけたり、「ウルトラマン」のおじさんが息子を連れて遊びにきたり、「ウルトラ」同窓会にでかけたり(当然そこでは地球でも仕事はきつかったなんて愚痴ります)、もう自由に想像すればいいのです。

 絵本は子どもたちだけのものではありません。
 おかあさんもおとうさんも絵本を楽しめばいいのです。そして、楽しい話をいっぱい子どもたちとすればいいのです。
 そんなきっかけをみやにしさんの「ウルトラ」シリーズは与えてくれます。
 「パパ、小さい頃にウルトラセブンに夢中だったんだ」
 目を輝かせて話すおとうさんに子どもたちは家族のために全力でたたかう「ウルトラセブン」を重ねあわせることでしょう。
  
(2010/09/02 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日から9月。
  といっても、今年の猛暑はまだしばらく
  続きそうですが。

   茶畠のひかり手強き九月かな  飯島晴子

  仕事をしながら、本をたくさん読めますね、と
  よく聞かれます。
  たくさんといってもまだまだもっと読む人がいますから
  自分がそれほど多読家ともいえませんが、
  月に一冊読むのがせいぜい、という人に比べると
  多いでしょうね。
  今、通勤におよそ1時間あまりかかっています。
  その時間をずっと読書をしているわけでは
  ありませんが、
  たとえば、今日紹介した
  松浦弥太郎さんの『いつもの毎日。』であれば、
  1日の通勤時間内で読んでしまいます。
  それが、私の「いつもの毎日。」です。

  じゃあ、読もう。

いつもの毎日。いつもの毎日。
(2010/07/21)
松浦 弥太郎

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sai.wingpen  いつもとちがう日を楽しみたくて                     矢印 bk1書評ページへ

 私はモノに特にこだわるタイプではありません。服装でもどちらかといえば身につけていればいい、といった超原始的な考え方です。だから、ファストファッションであっても抵抗があるということはありません。
 年齢を重ねる程、少しは高級な服をまとい、贅沢な食事をし、豊かな空間で過ごすべきだという考え方があることは知っていますが、いやいや人間とは所詮中身が大事なのだ、という青臭い意見をいまだに信じている雰囲気がないでもありません。

 そんな人間が『暮らしの手帖』編集長の松浦弥太郎さんの衣食住のモノに対するこだわりを著した本書を読んで感じたことは、なんと豊かな生活をされているのだろうという感心です。
 松浦さんが紹介されている服なり時計なり靴なり文具なりが、おそらく結構イイモノ(値段の高そうなという意味ですが)だと想像はつくとしても、どれだけの価値があるのかは実際にはよくわかりません。
 ただ、松浦さんの生活が豊かだと感じるのはそういうことではなくて、それらのモノに囲まれた松浦さんの心のありようが豊かだと思うのです。

 イギリスのブリック製の傘をさしているから松浦さんは豊かなのではありません。「きれいな雨音を聞きながら歩いていると、雨の日が明るくなります」と感じるから、松浦さんは豊かなのです。
 もちろん、どのような傘であっても雨音は聞こえるでしょう。たまたま松浦さんはブリック製の傘をさしているだけです。100円のビニール傘であったとしても、同じです。でも、松浦さんは「きれいな雨音」を聞きたいと願います。そのことが、ブリック製の傘につながっているだけです。

 「他人の目に答えを求める意識を捨て、まずは自分がどう思うのか、自分がどうしたいのか」、一番大切なのは「自分を知ること」だと、松浦さんはいいます。つまり、あなたが「きれいな雨音」を聞きたいかどうかです。
 「いつもの毎日。」だけど、ちょっとした心づかいで、いつもとちがう毎日が手にはいるかもしれない。この本はそんなヒントをくれます。
  
(2010/09/01 投稿)

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