プレゼント 書評こぼれ話

  今日「常用漢字表」が
  29年ぶりに改訂、告示されます。
  「常用漢字」って、
  日常生活で漢字を使う目安になるもので
  最初の制定は1981年だそうですから
  そんなに昔ではありません。
  今回の改訂で2136字になったそうです。
  ではどういう影響があるかというと
  新聞などは文字数が減るので
  情報量が増えると歓迎しています。
  従来であれば「完ぺき」と表記されていたものが
  「完璧」と表記できます。
  今日紹介する一冊は
  小宮一慶さんの『知的アウトプット術』。
  「書く」ことをテーマにした本です。
  
  じゃあ、読もう。

小宮式 知的アウトプット術小宮式 知的アウトプット術
(2010/10/20)
小宮一慶

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sai.wingpen  情報化社会は「書く」社会               矢印 bk1書評ページへ

 情報化が進んで、「書く」ということが減少すると思いきや、実はメールやブログといったように、むしろ「書く」ことが日常化しているようになっています。確かに手紙は書かなくなったけれど、それ以上にメールは書いているのではないでしょうか。
 29年ぶりに「常用漢字」が見直された背景にも、情報化社会の進展があります。
 「常用漢字」は日常生活で漢字を使う目安になるのですが、漢字そのものを手書きできるかはともかく、パソコンや携帯電話で書くことが増えた結果、難しい漢字でも目にすることが多くなったからです。
 例えば、「鬱」という漢字。手書きで書ける人はどれだけいるでしょう。でも、パソコンで「ゆううつ」と入力すれば「憂鬱」と変換されます。今回の「常用漢字」の改訂はそのような点がかなり考慮されています。
 情報化社会は「書く」社会でもあるのです。

 本書は経営コンサルタントの小宮一慶さんが「書く」をテーマにして書いた一冊です。
 とはいっても、小説家の皆さんが従来書いてきたような「文章読本」ではありません。そこは経営コンサルタントですから、「書くことを速くできる人は、仕事も速くできるようになります」とあるように、スキルアップのためのビジネス本になっています。
 「書く」ことが苦手という人は、この情報化社会に乗り遅れていくのは、冒頭にも書いたように、現代が「書く」社会だからです。それほどに働く現場には「書く」という場面がたくさんあります。「書く」ことをおろそかにすることは、ビジネス社会で生き残れないということです。

 小宮さんは「書く力」を身につけるためには、「読み手を意識」した「バリュー」(読み手にとって価値があること)と「インパクト」(その内容が相手の心に残ること)が大切だと書いています。
 「バリュー」とか「インパクト」と書かれてしまうとなんだか難しい気になりますが、これは「恋文」の書き方の極意でもあるのです。愛する人に手紙を書くとき、自然とこの「バリュー」と「インパクト」を大切にしているはずです。

 本書のなかにも出てきますが、「書く力」を高めるには「とにかくたくさん書く」ことです。
 自身のスキルアップのためにビジネス本をたくさん読むだけではなく、それを「書く」ことで自分のなかに取り入れることが大事なのではないでしょうか。
 情報化社会の今、「書く」社会になった今、この本は納得の一冊です。
  
(2010/11/30 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  先日「私の好きな作家たち」で
  三島由紀夫を取り上げましたが、
  三島由紀夫が割腹自殺をしたのが
  1970年でした。
  実は1970年は他にも大きなできごとがあって
  そのひとつが今日紹介する
  大阪万国博覧会
  今年は中国での上海万博が大盛況でしたが
  今から40年前の日本も
  今の中国のように熱気をはらんでいました。
  だから、今の中国が
  日本より40年遅れているというのでは
  ないですよ。
  まったく時代の様相がちがいます。
  では、40年前の万博って何だったのでしょう。
  当時の写真がふんだんにはいった
  この『EXPO’70パビリオン』で
  振り返るのもいいかもしれませんね。

  じゃあ、読もう。

EXPO’70パビリオンEXPO’70パビリオン
(2010/11/26)
橋爪 紳也

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sai.wingpen  未来を遠くすぎて                     矢印 bk1書評ページへ

 今からちょうど40年前の1970年、この国に3つの大きな出来事があった。
 ひとつは「われわれは明日のジョーである」と声明文を残し北朝鮮に亡命したよど号ハイジャック事件(1970.3.31)であり、ひとつは「諸君は武士だろ!」と自衛隊市ヶ谷駐屯所のバルコニーで絶叫してその後割腹自殺した三島由紀夫事件(1970.11.25)である。
 そして、もうひとつはこの本で紹介されている、「人類の進歩と調和」をテーマに開催された日本万国博覧会(1970.3.15~9.13)だ。
 高度成長期だったあの時代によど号を乗っ取った若者も、自衛隊に奮起を促した三島由紀夫も、彼らなりの危機感があのような事件を引き起こしたと思われる。
 しかし、大衆は繁栄と未来を信じ、大阪千里丘陵に広がる万博会場へと押しかけた。その数、実に6421万8770人。単純計算でいえば、国民の2人に1人が万博に行ったことになる。
 誰もが人類の未来を信じていた。繁栄を夢みていた。誰もそこから落ちこぼれないはずだった。
 のに。

 記憶がぼんやりしている。
 よど号の白い機体と三島由紀夫のカーキ色の制服はよく覚えているのに、何故か万博の記憶がさだかではない。
 1970年、私は中学を卒業したばかりの15歳の少年だった。地元大阪で開催された万博に確かに一度行ったはずなのに、そのことをまるで覚えていない。
 「月の石」でにぎわう「アメリカ館」も「光の木」の「スイス館」もまるで覚えていない。
 それなのに、こうしてあの当時のパビリオンの姿を収めた「公式メモリアルガイド」を見ると、懐かしさでいっぱいになる。ほとんどの案内嬢のユニフォームはミニスカートだし、来場者の容姿はどこかスマートではない。なのに、みんながその繁栄に満足しきっているように見える。そして、それはきっと記憶から消えている私の姿でもあっただろう。
 あの時、埋められた「タイムカプセル」には輝かしい明日しかはいっていなかった。

 あれから40年。
 万国博覧会で夢であったさまざまなものが現実となった。しかし、輝かしい未来は手にすることができただろうか。物は進化したが、心はどこにいってしまったのだろう。
 過去は否定しない。1970年、この国に絶望した二つの事件のはざまで、万国博覧会は見事な成功をおさめた。それは事実だ。ただ、あの万博会場にあふれた未来に対する希望や手ごたえはどこに消えてしまったのか、と思うだけだ。
 この本に掲載された40年前の未来を私たち自身が裏切ってしまったのだとしたら、単に懐かしさではなく、40年の間に喪ったものを、この本で見つけ出せればいいのだけれど。
  
(2010/11/29 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日紹介する
  長谷川義史さんの『大阪うまいもんのうた』は
  先日行った児童書専門店「クレヨンハウス」で
  見つけた絵本です。
  楽しくなって、
  つい大阪弁で書評を書いてみました。
  
   どうでっしゃろ。
  ぶたまん
  書評の中にぶたまんの話を書きましたが、
  私のなかではぶたまんといえば
  蓬莱の551のぶたまん
  今回はおまけに
  ぶたまんの写真もおつけします。
  たまたま最近手にはいった、
  貴重なぶたまんでっせ。
  味をおみせできないのが
  残念ですが。

  じゃあ、読もう。

大阪うまいもんのうた (クローバーえほんシリーズ)大阪うまいもんのうた (クローバーえほんシリーズ)
(2009/09/03)
長谷川義史

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sai.wingpen  うどん、忘れたらあかんやんか             矢印 bk1書評ページへ

 大阪の実家に帰る時、いっつも乗り換え駅の難波(なんば)で豚まんを買(こ)うたもんや。
 大阪では肉まんなんていわへん。豚まんや、豚まん。
 うっとこのおかあちゃんは、この春死んでしもうたけど、「ほんまにあんたは豚まん好きやね」と大きな口あけて笑ってたもんや。
 ちゃうで、おかあちゃん。おとうちゃんとおかあちゃんが仕事で大阪に行ったとき、いっつもみやげが豚まんやったやろ。だから、大阪っていうたら、豚まんしか浮かべへんようになってしもうたやねんか。
 「そんなことあらへん。北極のキャンデーも買うたし、ヒロタのシュークリームも買うてあげたわ」
 そうやな、でも、大阪でていってもづぼらやにも行ったことあれへんし、ましてやかに道楽なんてしらへん。もしかして、道頓堀、おかあちゃんと歩いたことなかったんちゃうやろか。
 ほんま、なに食べたんやろ。

 大阪出身の長谷川義史さんいうて、おもろい絵書きはる絵本作家がおってな、その長谷川さんが大阪のうまいもんを楽しい絵にしてくれはってん。大阪人としてはうれしいこっちゃ。
 なにしろ長谷川さんの絵ちゅったら、うまいんかへたんかちっともわからへん。でも、なんちゅうか力というか、生きてるちゅうか、そんなわくわくするもんがあるんや。
 こんな絵みたら、北海道や東北の寒い国の子も沖縄や九州の暑い国の子も、東京のすました子も、みんなうれしゅうなるんとちゃうやろか。
 何しろ大阪でっせ。馬鹿にしたらあかんで。

 で、もって、ちょっとだけ文句いいたいんやけど、なんで、うどんがないねん。きつねうどんがなんでないねん。
 長谷川さん、食べへんかった?
 よう考えたら、おかあちゃんに連れられて大阪でていっても、いっつもうどんばっかしやったわ。づぼらや知らへん、かに道楽も知らん。いっつも難波の百貨店の大食堂でうどんばっか、食べてたわ。それでも、帰りには豚まん買うてくれたから、大阪にでるのは楽しかったわ。なあ、おかあちゃん。

 大阪行ったら、豚まん食べてや。それで、幸せになってや。陽気になってや。
 ここ、どこやと思てるねん。くいだおれの街、大阪やで。そんで、豚まん死ぬほど食べて、どこわるいんや。
  
(2010/11/28 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  男と女は根本的にはちがう性だと
  思っています。
  男女同権とかいろいろいわれますが、
  根本的にちがう性であることを
  忘れてはいけないのではないでしょうか。
  性犯罪というのは
  男から女だけに起こるものではありません。
  この小林美佳さんの『性犯罪被害とたたかうということ』にも
  書かれていますが、
  女から男にだって起こりうるものです。
  ひとつだけいえることは
  暴力をもって、あるいは無言の圧力をもって
  その人が所有する性を犯してはならないと
  いうことです。
  そのことでその人がどれだけ傷つくかと
  いうことです。
  こういう本こそ、
  恋人と、家族と、友人達と
  共有して欲しいと思います。

  じゃあ、読もう。


性犯罪被害とたたかうということ性犯罪被害とたたかうということ
(2010/10/20)
小林美佳

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sai.wingpen  加害者、被害者、そして支援者          矢印 bk1書評ページへ

 前作『性犯罪被害にあうということ』で自身の性犯罪被害を実名とその容姿を公けにして話題を呼んだ小林美佳さんの、本書はその後の活動報告である。
 活動報告とはいっても、小林さんは被害者の会のようなもを専属的にしているわけではない。ごく普通に働く女性として生活をしている。ただ、彼女が少しだけ他の女性と違うとすれば、彼女はかつて強かんされ、心と体に深い傷を負ったということだ。
 そのことを公表することで、彼女は多くのマスコミの取材を受け、彼女と同じように性犯罪被害にあった人たちと思いを同じにしている。
 この本では、そんな小林さんの、ためらいながらも歩きつづける様子が描かれている。

 性犯罪は他の犯罪と同様に、加害者と被害者が存在する。強盗であれ殺傷であれ、被害者の体に及ぼす影響だけでなく、精神に加えられる負担は大きい。
 今回の本のなかでは、前作の出版以降に始まった裁判員制度の問題も取り上げられているが、性犯罪は他の犯罪以上に被害者の精神的苦痛、自分が悪くないのにもかかわらず自分を責めてしまうような、がある様子が描かれている。事件から何年も経ちながら、他の性犯罪裁判に立ち会うことに恐怖を感じる小林さんの苦痛は、その表れでもある。
 加害者が捕まってどのような刑を受けたとしても、被害者の苦しみは軽減しない。それは心の問題も含め、もっと違った姿になるだろう。

 小林さんは「被害者自身が、被害当事者の支援者になる」と書いている。この時、支援とは心の支えになるということだろう。ただ、被害者をもっとも支援できうるのは被害者であることという構図は極めてわかりやすいが、それだけでは小さな世界にとどまる。
 支援とは、被害者の心を想像し、ともに苦しみ、ともに生きることではないだろうか。
 著者の二冊の本はそのような支援のありかたの喚起になっているのだと思う。

 あなたはけっしてひとりではない。
  
(2010/11/27 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  本との出会いはさまざまです。
  本屋さんであったり、図書館であったり
  書評であったりします。
  特に私の場合は新聞の広告で知ることは
  よくあります。
  最近見つけたのが、
  小林美佳さんの『性犯罪被害とたたかうということ』。
  この本には前作といえるものがあって
  それが今日紹介する
  『性犯罪被害にあうということ』です。
  『性犯罪とたたかうということ』を読む前には
  できればこの『性犯罪にあうということ』を
  読んでもらいたいと思います。
  今日の書評は2008年の秋にかいたものの蔵出しです。
  明日は、新しい本『性犯罪被害とたたかうということ』を
  紹介します。
  ぜひ、男性にも読んでもらいたい
  二冊です。

  じゃあ、読もう。

性犯罪被害にあうということ性犯罪被害にあうということ
(2008/04/22)
小林 美佳

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sai.wingpen  勇気、たぶんそれだと思います                矢印 bk1書評ページへ

 「二十四歳の夏、私は見知らぬ男二人にレイプされた」という衝撃的な書き出しで始まるこの本を読み終わって、ふいに中上健次(1992年死去)の初期の短編小説『日本語について』(1968年)の冒頭の一節が頭によぎった。
 そこにはこうあった。「日本語をまったく理解できない外国人に出あった時、あなたはいったい日本語をどの単語から教えるのだろうか?(中略)勇気、たぶんそれだと思います」中上健次のこの小説を読んだのはいつだったろうか。大江健三郎の影響が強いこの短編小説の、なぜか、この冒頭部分が記憶の片隅に残っていた。「勇気、たぶんそれだと思います」という一文に胸をつかれた、のだと思う。

 小林美佳さんのこの本を読んだ時の素直な気持ちは、その勇気だった。
 性犯罪被害というのは多くの場合、男性が女性に強いるものだが、被害者はえてしてその犯罪の有無そのものを隠そうとする。自分さえ黙っていれば誰にも気づかれない。事故にあったようなもの。いずれ嵐は去っていく。そのように語られることのない犯罪の、向こう側に立ち去った加害者はほくそえみ、こちら側に残された被害者は、語られないことで心に傷を残したままでうずくまる。
 この本でもレイプの内容(もちろんそれもひどいが)よりもそのあとの小林さんの心の戸惑い、苛立ち、自暴自棄の姿の方が傷ましい。というよりも、被害者であることですべてを正当化し、被害者であることですべてを憎悪していく小林さんの姿に、なんともいえない浅ましさを感じたのも事実である。そこまでいえば、あなたに何も言えないではないか。そのような歯がゆさが、頁の中盤あたりまでつづく。

 しかし、終盤小林さんの心はどんどん澄んでいく。
 そして、「被害者<面>をしていた自分を客観的に見られる日が、いつか必ず来るはず。いつか必ず、自分が感じられなかったことを、自分のこととして感じることができるはず」(182頁)と書くまでに至る。
 これは性犯罪を受けた被害者の、周辺にいた人の言葉ではない。まさに性犯罪そのものをうけた被害者自身の言葉だということを理解しなければいけない。
 小林さんがいう「自分が感じられなかったこと」というのは自分のまわりでうろたえ、嘆き、無視しようとする多くの人たちの心のことだ。被害者である自分自身が拒否していた多くのことだ。それを「自分のこととして感じる」までになる。

 小林さんは自身が「願うたったひとつの、とても強力な被害者への支援」として「理解」ということを書いている。
 小林さんの勇気とは、実は自身の体験をあからさまにしたことでも、本の表紙に自身の顔を載せたことでもなく、自分自身を「理解」したことのような気がする。そのとき、彼女の勇気の強さを実感する。

 中上健次の小説『日本語について』は、冒頭の問いかけを最後に繰り返して終わるのだが、もしかしたら、こう答えるべきなのかもしれない。
 「理解、たぶんそうだと思います」
  
(2008/11/03 投稿)

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 その時、私は15歳の高校一年でした。
 それなのに、その日のことは記憶のなかに
 彼が着ていたカーキ色の制服とともに刻まれています。
 三島
 彼、三島由紀夫が自衛隊市ヶ谷駐屯地で
 衝撃的な割腹自殺をしたのは、
 今からちょうど40年前の今日、11月25日でした。

    今日はここでちょっとCM。
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 三島由紀夫を「私の好きな作家」のひとりにいれるかどうかは
 悩むところですが、
 一時期三島由紀夫は読まないと、と思ったことはあります。
 新潮社からでている三島由紀夫の全集の何冊かを
 漁って読んだこともあります。

 三島由紀夫はあまりにも衝撃的な死で
 私たちの記憶に残りましたが、
 三島由紀夫の文学はもっと純粋なところで
 その頃の私たちを魅了していたのではないでしょうか。
 名作といわれる『金閣寺』、『仮面の告白』、
 たびたび映画化もされた『潮騒』、
 最後の作品となった『豊饒の海』。

 特に『潮騒』は少年から青年一歩手前の私には
 どきどきする物語でした。
 若い主人公たちが焚き火をはさんで裸体をさらす場面を
 少年の私はくいいるように読んだものです。

 三島由紀夫の作品の魅力は
 その技巧のうまさにあるように思います。
 小説とは女子供が読むものかどうかはわかりませんが、
 三島由紀夫はそのことをきちんと理解していたように
 思います。
 だから、物語としてはとても面白く書けています。
 現代の若い書き手は、せめて三島由紀夫ほどの
 面白い物語を描かないといけないのではないでしょうか。

 そんなことを書いていると、
 三島由紀夫の作品を読みたくなってきました。
 あの太宰治に若い三島由紀夫
 「私はあなたが嫌いだ」といったことがあるといいます。
 その時、太宰は照れたように、
 「本当は好きなんですよ」と答えたという
 伝説のような、
 私の記憶ちがいかもしれない、
 逸話があります。

 やはり、三島由紀夫
 「私の好きな作家の一人かもしれません。
プレゼント 書評こぼれ話

  今日紹介する
  香山リカさんの『本を読むってけっこういいかも』は
  書名にひかれて読んでみようかと
  手にした一冊です。
  そうなんです。
  本を読むって結構いいのです。
  結構というか、
  かなりいいのに、
  たくさんの人がその機会を
  なくしています。
  もっと簡単な方法で
  いろんな情報を得ようとします。
  でも、
  本を読むのは一冊の本ときちんと向き合うこと。
  だから、いいのです。
  そんな気持ちで
  読んでみてはどうでしょう。

  じゃあ、読もう。

本を読むってけっこういいかも本を読むってけっこういいかも
(2010/09)
香山 リカ

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sai.wingpen  本に救われる                     矢印 bk1書評ページへ

 本書は精神科医香山リカさんの書評本なのですが、著者自身は「読書の軌跡」と書かれています。といっても、香山さんの個人的な読書の傾向は別のところにあるようで、それはたとえばSFと昭和の文学なのですが、本書では依頼されて書いた書評が集められています。
 どのような形であれ、読んだこと、そしてそれを書いたことには変わらないのですから、ここで紹介されている本たちは香山さんの「読書の軌跡」なのでしょうが、香山さんの読書の嗜好を知ればその方面の書評も読みたかったと思うのは、読者のわがままでしょうか。

 紹介されている本は、クリストファー・レーンの『乱造される心の病』といった香山さんの専門分野である「こころの問題」を扱った本や信田さよ子さんの『母が重くてたまらない』などの家族の問題を扱った本などが主ですが、そのなかにこっそりと香山さんが大好きだというプロレス本などがあったりして、そちらの方が楽しめたりします。
 やはり自分の好きな世界についての本となると、ペンが走るというか、文章に躍動感が生まれます。きっとそういう本を読んでいる時、そしてそういう本の書評を書いている時は楽しくて仕方がないのでしょうね。

 この本のはじめに「日常を離れよ、本を読もう」というまえがきのような文章がついています。これは香山さんの「読書の手引き」のようなもので、このなかで香山さんは「一冊を時間をかけて読み通さななければ得られないものこそが、読書の本来の醍醐味」と書いています。
 そして、精神科医からみての読書の効用を「物質としての本、紙としての本、あの重さと厚さを持った本、という要素が、私たちの心とからだを安心させ、ストレスの解消を促進する」と分析しています。
 本に救われるというのはそういうことなのでしょう。
 だとしたら、書評とは、本に救われたお礼の気持ち、なのかもしれません。

 この「読書の手引き」的な文章だけでも、この本を読む楽しみはあります。
  
(2010/11/24 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日は勤労感謝の日
  この言葉だけで、10文字ありますから
  なかなか俳句になりぬくい行事です。

   野に老いし父母よ勤労感謝の日  石井飛大男

  手元の歳時記には
  この句のほか一句しか載っていません。
  せっかくの祝日ですから、
  ゆったりと俳句でもひねりたいもの。
  そこで、今日は長谷川櫂さんの
  『句会入門』でも読んで、
  そんなゆったりとして気分を
  味わってみてはいかが。
  勤労感謝の日ぐらいは、
  勤労から離れてみるのも
  いいのでは。
  実は私は仕事なんですが。

  じゃあ、読もう。

句会入門 (講談社現代新書)句会入門 (講談社現代新書)
(2010/10/16)
長谷川 櫂

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sai.wingpen  句会からはじめる                     矢印 bk1書評ページへ

 俳句の世界に句会というものがあるというのは知っているし、参加したいという思いはあるのですが、はてさて、なかなか上達しない素人の身にとって、句会のような場にでるのはいかがなものかと尻すごみする人は多いのではないでしょうか。
 かくいう私もそういう一人で、ネットで句会の紹介などを探してみたりはするのですが、はじめの一歩が出ません。
 そういう人にお薦めなのが、この本、俳人長谷川櫂さんの『句会入門』です。

 長谷川さんは「俳句を実践するにはどうするか。句会にゆくのがいちばん」と書いています。そして、その雰囲気を理解するために長谷川さん主宰の俳句結社「古志」のメンバーと実際に句会を開いて、その実況中継? のような形で、春夏秋冬そして新年と、計10回の句会の模様が紹介されています。
 そもそも俳句結社というだけで、なんだかプロ集団のような感じをうけますが、この本の句会に参加しているのは「二十代の大学生から六十代まで、俳句をはじめたばかりの初心者から大ベテランまで入り交じっての句会」ですから、気軽に参加する気持ちで本を読んでいけばいいと思います。
 「句会では世間での地位や肩書は意味がない。句会では社会のしがらみを捨て、自由な「ただの人」になって俳句を楽し」めばいいと、長谷川さんも本書のなかで書いています。

 句会は最後に先生が「講評」という選評を行うのですが、この本では参加者全員の合評がされていて、その評価もさまざまで面白い。時には先生である長谷川さんに盾突く? 参加者もいたりして、その自由さが楽しめます。実際には先生の「講評」だから、そういうことは少ないのかもしれませんが。
 それに、評価を読むとその俳句の出来不出来がわかったりして、俳句上達のヒントともいえます。俳句を詠むというのは、自分の推敲の目を確かなものにする必要がありますが、えてして自分の俳句を過大評価するもの。それを句会という場で、他人の評価を受けることで冷静に作品をみることができるような気がします。

 俳句は「習い事ではない」と長谷川さんはいいます。句会を通じて、自分の俳句を磨く、そのことが大事なのです。
  
(2010/11/23 投稿)

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 昨日佐野洋子さんの『100万回生きたねこ』を
 紹介しましたが、
 そのなかでも書いた11月10日の朝日新聞の記事のなかで
 東京港区にある児童書専門店「クレヨンハウス」のことが
 書かれていました。
 佐野洋子さんの作品が集められ、
 追悼コーナーが設けられているとのこと。

 さっそく先日、その「クレヨンハウス」に行ってきました。

クレヨンハウス 「クレヨンハウス」は落合恵子さんが始められた
 児童書専門店ですが、
 場所は表参道駅からすぐ近く。
 改札を出て、うろうろしていると
 数人のおばさんたちが何やら「クレヨンハウス」のことを
 話していて、
 これ幸いと彼女たちについていきました。

 ありました、ありました。
 「クレヨンハウス」。
 この本屋さんのことはずっと昔から知っていたのですが
 今回が初めての訪問。
 なんだかわくわくします。
 落合恵子さんに会えるかな(はずはないのですが)なんて思ったりしながら
 店内にはいると、
 わぁー、そこはもうクリスマス。
 クリスマスの絵本がずらり。
 もうそれだけで夢の世界に迷いこんだよう。

 その片隅には
 酒井駒子さんの原画展があったりして
 得をした気分。
 いいな、いいな。
 この「クレヨンハウス」は1階が子どもの本の専門店で
 2階がおもちゃの専門店、
 3階が女性の本の専門店、
 そして地下はオーガニックレストランがはいっています。
 一本筋が通っているというか
 この店に込めた思いが感じられる構成になっています。
 えらいな、落合恵子さんは。

 その子どもの本の専門店ですが、
 まったくもって夢の国。
 たくさんの絵本がいっぱいです。
 こんなお店ができたら、
 素敵ですね。
 女性店員のみなさんもてきぱきと仕事をされていて
 店内どこもかしこも気持ちいい。

 佐野洋子さんの特設ミニコーナーもありましたが
 それより目は
 あの絵本この絵本ときょろきょろ
 しっぱなし。
 あ、これ読んだ、あれはまだ。
 こんな本屋さんっていいなぁ。
 子供たちが、おかあさんたちが幸せになれる本屋さんです。
 実際に店内に置かれたテーブルで
 小さな女の子とお母さんが楽しそうに
 絵本を読んでいました。

 すこし幸せになりたかったら、
 「クレヨンハウス」に行ってみたら
 どうかしらん。

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プレゼント 書評こぼれ話

  絵本作家の佐野洋子さんが
  11月5日に72歳で亡くなりました。
  今日はその佐野洋子さんを悼んで
  佐野洋子さんの代表作『100万回生きたねこ』を
  紹介します。
  11月10日の朝日新聞
  「佐野洋子さんを悼む」という記事があって
  その記事のなかで
  この絵本のことを
  「人生で何回も読み返す本」として
  紹介されていました。
  すでに200万部に近いロングセラーですから
  親から子へ、
  そのまた子へと読み継がれているのだと
  思います。
  ぜひ、
  佐野洋子さんが伝えたかったことを
  味わってもらえたと思います。

  じゃあ、読もう。

100万回生きたねこ (佐野洋子の絵本 (1))100万回生きたねこ (佐野洋子の絵本 (1))
(1977/10/19)
佐野 洋子

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sai.wingpen  追悼・佐野洋子-愛                矢印 bk1書評ページへ

 あいする。
 たった四文字なのに本当の意味を見つけることは難しい。
 心が熱くなり、相手のことをおもう。それが、愛することでしょうか。心が音をたて、相手のことを求める。それが、愛することでしょうか。
 たった一冊の絵本が、そんなことを私たちに考えさせてくれます。
 180万部近いロングセラー『100万回生きたねこ』は、愛するとは何かを考えさせて、多くの人たちに感銘を与えつづけています。

 「100万回も しなない ねこ」は、100万人の飼い主が大嫌いでした。彼が好きだったのは自分だけ。「なにしろ、りっぱな とらねこだったので」。
 そんな彼に転機が訪れます。それが、愛。
 相手は、自分の自慢だった「100万回も しんだ」ことに見向きもしなかった、白いねこ。そして、彼らは愛を育み、子を育て、やがて年老いていきます。

 何度でも死に、何度でも生き返ることは仕合せでしょうか。この絵本は、そのことに、いいえ、といっています。たったひとつの愛に生きること、それが仕合せだといっているのです。
 いえ、愛に生きるとは、100万回生きることにも価するぐらい素晴らしいことだといっているのです。

 この絵本の作者佐野洋子さんが11月5日に72歳で亡くなりました。
 たぶんこの絵本のねこのように、「もう、けっして 生きかえりません」。
 哀しいことですが、このねこのように、そこに後悔はないでしょう。そして、私たちはこれからも100万回もこの絵本で、生きる佐野さんに会えるにちがいありません。
  
(2010/11/21 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  「いちご白書をもう一度」という楽曲のなかに
  確か

   もう若くないさと 君に言い訳したね
  
  という歌詞がありました。
  そのフレーズにとても共鳴したものです。
  それを同じようなことを
  学生生活を終えて故郷に帰る時に
  思いました。
  もう青春は終わったんだ、って。
  でも、若いみなさん、
  そんなことはありませんよ。
  いつだって青春はあるものですよ。
  それに私とちがい、
  皆さんはまだまだ若い。
  今日紹介する
  奥田英朗さんの『東京物語』は
  そんな青春をまた味わいたくて
  読みました。

  じゃあ、読もう。

東京物語 (集英社文庫)東京物語 (集英社文庫)
(2004/09/17)
奥田 英朗

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sai.wingpen  長嶋茂雄が引退した日-私の「東京物語」               矢印 bk1書評ページへ

 大阪の片田舎から東京に出てきたのは1974年でした。「神田川」に代表される四畳半フォークが流行し、東京はさしずめ「同棲時代」のように思えたものです。
 しかも、東京には高校時代に憧れていた同級生が住んでいて、東京に着いてすぐ彼女と「銀座」で逢うことができました。東京に出てきてよかった、とうれしくなりました。大学生は高校生や浪人とは違い、なんだか大人みたいな感じです。しかも、そこは東京です。
 でも、すぐにその彼女にふられてしまいました。勤めだしていた彼女には大学生はちっとも大人ではなかったのでしょう。まして、東京にでてきたお上りさんです。
 東京に出てきた夢は数ヶ月でしぼみ、あまり学校にも行かなくなりました。
 その年の10月14日、巨人の長嶋茂雄が現役を引退しました。中継をその時暮していた学生寮の食堂で見ていたことはしっかりと覚えています。例の「わが巨人軍は永久に不滅です」という名セリフを残して、長嶋はグラウンドから去りました。なんだか、「終わっちゃったな」と、淋しくなりました。
 長嶋といっしょに、私のなかで何かが終わってしまったのでしょうか。

 青春にはその時々の思い出があります。それは歌であったり映画であったり事件であったりします。
 まるでそれらのものがあの時代をしっかりととどめるピンのようにして心に残ります。
 この「東京物語」という青春物語もそうです。物語の背景が自分が東京で暮した時代と近いせいもあって(主人公は私より4つ年下の昭和34年生まれという想定です)親近感をもちました。そういえばキャンディーズの解散コンサート(1978年4月4日)は新井薬師の下宿でTV見てたっけ、みたいに。
 その一方で、大学を中退し、広告業で働く主人公とまったく違う生活をしていたのも事実です。
 当たり前ですが、皆がみな同じ生活を営むはずはありません。ただ同じ歌を聴き、同じ映画を観、同じ事件を共有するだけなのです。

 こういう物語を読むと時代の空気を感じます。しかし、それは空気であって、主人公の「東京物語」があるように、私の「東京物語」も別にあるのです。
 主人公のそれが甘くないように、私の「東京物語」もちょっと苦く切ないのです。それが青春なのかもしれません。
  
(2010/11/20 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日紹介する有川浩(ひろ)さんの
  『阪急電車』は
  映画化の話題とともに
  またまたベストセラーになっています。
  映画の方は中谷美紀さんと戸田恵梨香さんが出演して
  来年の夏に公開だそうですから
  今から楽しみです。
  今日の書評にも書きましたが、
  私も阪急電車にはなじみがあります。
  私の主電車は南海電車でしたが、
  関西は、あるいは関東もそうかもしれませんが
  鉄道によって生活の雰囲気が
  微妙にちがいます。
  阪急電車はもっとも格が高く、
  南海電車は・・・。
  それはそれで面白いでしょうが、
  映画化されたら
  こちらは吉本総出演になるような
  気がします。

  じゃあ、読もう。

阪急電車阪急電車
(2008/01)
有川 浩

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sai.wingpen  発車しまーす                     矢印 bk1書評ページへ

 ずっと昔、阪急電車を利用して梅田から西宮北口まで仕事で通っていたことがあります。
 関西では阪急電車はかなりステータスが高い私鉄電車で、もう少し海沿いを走る野球球団と同じ名前の電車とは格差というか、乗客の層がちがうとよく言われます。おそらく電車を舞台にした物語であっても、まったく別な、それはそれでかなり「おもろい」物語ができあがると思います。
 西宮北口からはこの物語の舞台にもあるように、今津線に乗り換えて宝塚に向かいます。西宮北口から二つめの駅が甲東園で、この物語では「有名私立大」となっていますが、K学院大学のもより駅です。いまでもいうのかどうか知りませんが、私が若い頃は関西の四大私立大学のひとつで、芝生のキャンパスのとてもすてきな大学です。高校生の頃阪急電車を使って見に行きましたが、キャンパスだけで行きたいと思ったものです。見事に落ちましたが。
 そんな自分にとってもなじみの電車がこうして素敵な連作集として読めるのですから、阪急電車を知らない読者には申し訳ないですが、かなり得をした気分です。

 「人数分の物語を乗せて、電車はどこまでもは続かない線路を走っていく」と、宝塚駅から発車して西宮北口駅へ向かう前編の最後に、有川浩さんは書いていますが、電車のなかにはたくさんの人がいて、そのたくさんの人がそれぞれに物語を持っています。生活の場への延長として利用する人もいれば、たまたま何かの都合で乗り合わせた人もいます。
 そうやって車内にいる人々をみていると興味がつきませんし、「書く人」をおおいに刺激するのでしょう。
 結婚に失敗した女性がいたり、田舎から出てきたばかりの学生がいたり(大学のある阪急電車今津線を舞台にしたのは物語のふくらみとしては大成功です)、孫を相手にする祖母がいたり、いかにも関西のおばちゃんたちがいたり、主人公たちは乗客の数だけいます。

 電車という身近な乗り物だけに、阪急電車だけでなく読者が日頃利用している色々な路線の、そんな二番煎じや三匹めのどじょうがでてきてもおかしくないのに現れないのは、やはり有川浩さんのうまさが抜きん出ているかもしれません。
 ところで、阪急電車はこれほど電車を有名にしてくれた有川浩さんにお礼をしたのでしょうか。無料乗車券かなにかかな、やっぱり。
  
(2010/11/19 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日紹介する『もしもし下北沢』は
  よしもとばななさんの最新刊ですが、
  期待通り、心が暖かくなる素敵な本でした。
  それに大野舞さんの装丁が
  またいいんです。
  表紙の装丁だけで
  足がとまるというか、
  それだけでなんだか
  わくわくしてきます。
  下北沢という街は
  行ったことがありませんが
  電車に乗って
  でかけてみたくなりました。
  本を読んでいて
  そんな気分になるのは
  楽しいですね。
  下北沢の本屋さんには
  きっとこの本がたくさん
  並んでいるのでしょうね。

  じゃあ、読もう。

もしもし下北沢もしもし下北沢
(2010/09/25)
よしもと ばなな

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sai.wingpen  すばらしい魔法                     矢印 bk1書評ページへ

 物語の冒頭に、著者のよしもとばななさんの決意みたいな宣言が書かれているのは、初出が新聞小説という形態だったからかもしれません。
 それは市川準監督の「ざわざわ下北沢」という映画の、この物語の主人公よしえの感想としてこう書かれています。「人々の心をゆさぶり、励まし、地に足をつかせることができる」ことを「自分以外の人に向かってこんなすばらしい魔法をかけたいと」。
 その宣言とおり、この物語は「心をゆさぶり、励まし」てくれる、「すばらしい魔法」のような作品です。

 下北沢という街によしえと彼女の母親が住み始めたのは父親が女性と無理心中して死んでしまって一年後くらい経ってからです。その間二人は突然の父親のとんでもない死に方に呆然自失となっていました。
 そんな二人を下北沢の街が癒してくれます。よしえの働く料理店も日本茶喫茶店も古本屋さんもどこにでもあるようなコンビニも、生活というやさしい匂いをだして二人を包みこんでくれます。新しい生活の場がいつしか二人を悲しみにきちんと向かい合わせるところまで再生させます。
 それに死んだ父親とつながりのある人たちがまるで下北沢を磁場のようにしてよしえたちの前に集まります。特にバンドマンの父親がしばしば活動していたライブハウスの若い店長新谷くんの登場はよしえに新しい恋の予感だけでなく、閉じかけていた父親との関係を見直すきっかけとなります。そして、父親のバンド仲間だった山崎さんとの出会いへとつながっていきます。

 そういう人のつながりは街の風景にもすこし似ています。街は店と店とつながって、そこに生活の場を持ち、生きる力を与えてくれます。人もおなじです。生きるということはそういうつながりです。
  「ひとりではなかった。私の知らない様々な人たちが同じように出たり入ったりして街は創られていく」と、物語の最後で主人公のよしえを感じます。街が創られていくように、よしえ自身もまた創られているのです。
 この物語は再生の物語だし、生きている人たちの物語です。そして、きちんと生きている人たちは死んでいったものたちへ「もしもし聞こえますか」と交信できるということを教えてくれる物語でもあるのです。
  
(2010/11/18 投稿)

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 ワープロで初めて読書ノートをつけたのは
 1989年でした。
 もう20年以上も前になります。
 その記念すべき第一冊めが
 よしもとばなな(当時は吉本)さんの『哀しい予感』でした。
 最初にこう書いています。

  1988年の文学界は、春樹・龍の両村上の年だったが
  同時に新人吉本ばななの年でもあったという。

 でも、この時にはあまり好きではなかったように
 書き留めています。
 どうも当時の、30代前半の私には、
 「ばなな」なんてふざけた名前をつけた
 文学かぶれの女の子にしか映らなかったとようです。
 ところが、次に読んだ『TUGUMI(つぐみ)』はこう絶賛しています。

  彼女(よしもとばななのこと)はまちがいなく「学習」して、成長してきた。

 なんと、なまいきな読者でしょうね。 
 しかも、この『TUGUMI(つぐみ)』を私はその年の第二位にあげているんですよね。
 そのコメントを書いておくと、

  89年は、昨年からの<ばなな現象>がそのまま続いた年だった。
  数多の彼女の作品群では、『白河夜船』の完成度が一番だと思うが、
  ここではあえて『TUGUMI(つぐみ)』をあげる。

TUGUMI(つぐみ)TUGUMI(つぐみ)
(1989/03)
吉本 ばなな

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 やれやれ。
 お若いの、おぬし、っていう感じですね。
 ちなみに書いておくと、
 この年の私のベストワンは
 丸谷才一さんの『光る源氏の物語』でした。

 その『白河夜船』の読書ノートには
 作品からこんな文章を書きとめていました。

  まるで祈りのような気分だった。
  -この世にあるすべての眠りが、等しく安らかでありますように。

 そんなよしもとばななさんがずっと好きで
 最近の作品を全部読んでいるわけではないですが
 やはり、いまでも気になる「好きな作家」の一人です。
 明日は、
 よしもとばななさんの新しい本、
 『もしもし下北沢』を紹介します。
 お楽しみに。

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プレゼント 書評こぼれ話

  10月24日の朝日新聞日曜の書評欄に
  今日紹介した朱川湊人さんの『かたみ歌』の
  ことが載っていました。
  「7年ごしの恩返し」とつけられた
  小さな記事です。
  その記事によると、
  新潮社の若い営業マンが少し関わったこの作品のために
  文庫化されてもそれほど売れ行きの伸びなかった
  この『かたみ歌』を一生懸命売る話です。
  現在売られている文庫本には
  「涙腺崩壊」という書かれた帯がついていますが
  そういう工夫の積み重ねが
  じわじわと売れることになっていったと
  記事は伝えています。
  本がなかなか売れない時代になったと
  いわれます。
  でも、そういう小さな工夫と
  売りたい、読んで欲しいという情熱が
  たくさんの人に読まれるきっかけに
  なるのだと思います。

  じゃあ、読もう。

かたみ歌 (新潮文庫)かたみ歌 (新潮文庫)
(2008/01/29)
朱川 湊人

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sai.wingpen  時の過ぎ行くままに                 矢印 bk1書評ページへ

 この春、母が亡くなりました。
 満開の桜を見せてあげたかったけれど、それは叶いませんでした。けれど、ようやく咲きかけた桜を母はひとひらふたひら見ただろうかと思うことがあります。
 愛する人がいなくなるということは、そういうささやかな悔いが残る思いがあるものかもしれません。でも、きっとそのあと、満開の桜を見にそっと母は私たちのそばに来ていたようにも思います。なにしろ、賑やかなことが大好きは人でしたから。大きな口をあけて、楽しそうに何度も手をたたいて笑っていたのではないかと。

 昭和40年代の東京の下町。都電の線路そばにあるアーケードのついた「アカシア商店街」。その近くには「何でも、あの世と繋がってるっていう噂のある」覚智寺という古寺があって、そんな街におこる不思議を描いた連作集が『かたみ歌』という作品集です。
 その頃のこの国は成長期にありましたがまだまだ成長段階でしたし、その分どこかにこの作品で描かれているような人情が残っていた時代でもありました。
 そんな時代背景があるからこそ、これらの作品で描かれる不思議がけっして奇想天外なものには思えないというところもあります。
 死者がそこにいてなんの不思議があるでしょう。
 そういうことを人々は純粋に信じていれた時代だったといえます。

 夕暮れになれば、長く伸びた大きな影は人さらいの恐怖でした。子供たちはそんな恐怖にやせ我慢しながらも家路につきました。小さな裸電球のあかりでさえ、恋人たちは温かみを感じてもいました。貧しいけれど、それらはなんとなく幸せだった風景です。
 死者を遠くに追いやらない風景です。
 悲しみを受け入れる風景だったのです。
 「日々誰かが去り、日々誰かがやってくる。時代も変わり、流行る歌も変わる・・・・けれど人が感じる幸せは、昔も今も同じようなものばかりですよ」
 登場人物のこのせりふは心に沁みますが、それからもっと時代が変わり、「人が感じる幸せ」も変わってしまったと思うのは、私だけでしょうか。

 この春、亡くなった母はこんな人情話が大好きな人でした。
  
(2010/11/16 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今でもいうのかもしれませんが
  昔「サザエさん症候群」みたいなことを
  よくいったものです。
  日曜夕方の人気アニメ「サザエさん」が
  始まる頃になると
  月曜からの仕事のことで
  憂鬱になってしまうみたいな症状です。
  会社で働いたことのある人なら
  なんとなくわかると思います。
  今日は月曜。
  そんなブルーな気分で出社した人も
  多いのではないでしょうか。
  そんな人向けに、今日は
  江上剛さんの『もし顔を見るのも嫌な人間が上司になったら』を
  紹介します。
  なんだか、すごいタイトルでしょ。
  私はこのタイトルだけで
  読もうと決めたぐらいです。
  でも、物は考えよう。
  嫌だと思えば相手も嫌だと思っています。
  相手を好きになること。
  これがきっと秘訣なんでしょうね。
  難しいですが。

  じゃあ、読もう。

もし顔を見るのも嫌な人間が上司になったら―ビジネスマン危機管理術 (文春新書)もし顔を見るのも嫌な人間が上司になったら―ビジネスマン危機管理術 (文春新書)
(2010/07)
江上 剛

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sai.wingpen  取扱い注意                  矢印 bk1書評ページへ

 この本はカバーをつけて読んでください。特に通勤途上では。
 なぜなら、この本を読んでいる最中に、嫌いな上司とたまたま出逢ったりして(嫌いな上司とは通勤時に鉢合わせしないようにしているでしょうが)、その上司があなたの読んでいる本にたまたま興味をしめしたりして(嫌いな上司はこういう本も読まないでしょうが)、その書名を知ったらきっと憮然とした顔をするか怒鳴りつけるか、あるいはねちっこい嫌味をいうに決まっています。
 もし尊敬している上司だったとしても、あなたがこの本を読んでいるのを見つけたら悲しい顔をするでしょう。
 だから、この本を読むときは、あなたの数メートル圏内に上司がいないことを確認されることをお薦めします。

 とはいっても、刺激的なのは書名だけで、内容は平凡。
 著者の銀行時代の経験とかで書かれた、部下の立場としての悩みや上司になってからの憂鬱といったビジネスマンの「危機管理術」です。
 銀行マンといっても所詮は会社組織のなかの一員ですから、特段そのことが優秀だととか特殊なものだとかは思わない方がいいでしょう。どんな組織であれ、人とのコミュニケーションの齟齬は発生しますから、あまりそのことに悩まずに(もちろん問題は解決するに越したことはありません)、自身を鍛えることがいいと思います。

 そもそもビジネスマンは組織の一員ですから、起業でもしないかぎり、いろいろなトラブルや悩みはつきものです。それが組織のなかだけで解決するならいいのですが、あなたの身体的トラブルや家庭崩壊(この本ではその点についても触れられています)まで至るならば度を越しています。そうならないためにも、あなたという防波堤をしっかり築くこと(内容は平凡であってもこういう本を読むことも大事です)です。

 もし、あなたが出社するのも憂鬱になるほど嫌いな上司についたら、その上司にさりげなくこの本の書名がわかるように見せるのも効果的かもしれません。少なくとも関係は悪化するでしょうが、異同は近くなります。
 この本はそのようにしてお使いください。
  
(2010/11/15 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日の絵本は
  谷川俊太郎さんの『わたし』です。
  というか、長新太さんの絵本と呼んでいいくらい
  長新太さんの絵がいいんですね。
  絵本は文も大事ですが
  やはり絵の力が大きいのでは
  ないでしょうか。
  文字を知らない
  小さなこどもが夢中になる
  そんな絵本が
  いいですね。
  この『わたし』にしても
  表紙の女の子の絵だけで
  ふふふっていう気分になります。
  いい日曜日になりそうな。

  じゃあ、読もう。

わたし (かがくのとも傑作集―わくわくにんげん)わたし (かがくのとも傑作集―わくわくにんげん)
(1981/02/02)
谷川 俊太郎

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sai.wingpen  おとなの「わたし」が考えたこと                矢印 bk1書評ページへ

 第77回芥川賞(1977年)は三田誠広さんの『僕って何?』でしたが、これほどシンプルでこれほど誰もが問いかけたい言葉であったのに、とても新鮮な感じをうけたことを覚えています。こういうことは案外口にし難いものなのかもしれません。
 でも、きっとあの小説を読んだ人はやはり自分って何だろう、みたいなことを思って読んだのではないかと思います。

 谷川俊太郎さんの『わたし』という絵本にもそんな『僕って何?』的な気分があります。
 ピンクのTシャツに短いスカートをはいた女の子(長新太さんの絵がほのぼのとしてかわいいのです)は「やまぐちみちこ 5さい」の「わたし」です。「わたし」というのは一人称ですが、そんな「わたし」はほかの人からどう見られているのでしょう。
 おとうさんやおかあさんからみると「むすめの みちこ」です。でも、先生からみると「せいと」だし、おまわりさんからみると「まいご?」になってしまいます。「わたし」は「わたし」なのにどうしてでしょう。

 「やまぐちみちこ」は「わたし」なんだけど、その「やまぐちみちこ」って、見る人によって、いろいろな呼ばれ方をします。もしかしたら、「わたし」は「やまぐちみちこ」なんだけど、本当は「やまぐちみちこ」を超えた人格をもっているのかもしれません。
 だったら、「わたし」って何だろう?
 「わたし」は「わたし」で変わらないはずなのに、見る人はいろんな「やまぐちみちこ」を、それは時には名前もないただの女の子だったりする、「わたし」のなかに発見してくれる。
 だとしたら、「わたし」ってたったひとつではなく、たくさんの集まりなのかもしれません。それをひとつに限定してしまうことの方が本当はいけないことのような気がします。

 そんなことをおとなの私が考えました。
  
(2010/11/14 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  昨日書いたように、
  今日は川上弘美さん(大好き!)の
  俳句(大好き!)の本、『機嫌のいい犬』の
  紹介です。
  この本のなかで
  川上弘美さんは「不思議な言葉コレクション」という
  自身の趣味? の話を書いていて
  そんな川上弘美さんのコレクションのひとつを
  書いています。
  それは「権妻(ごんさい)」。
  皆さん、どういう意味かわかります?
  これは「愛人」という意味らしいです。
  川上弘美さんではありませんが、
  なんだかふふっとなる日本語ですね。
  川上弘美ファンにとっては
  ごきげんな一冊です。

  じゃあ、読もう。

機嫌のいい犬機嫌のいい犬
(2010/10/26)
川上 弘美

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sai.wingpen  川上弘美の世界がひろがる俳句集            矢印 bk1書評ページへ

 高級料理でもなく、名物料理でもない。どこにでもあるような食べ物であっても、どこかほっと息をつくようなものは誰にでもあります。
 私の場合は、卵かけごはん。湯気のたつ白いご飯にふっくらとした生たまご。それに醤油をたらして、ざくざくとまぜる。なんともいえない、ごちそうです。
 作家川上弘美さんの、しかも物語ではなく俳句となれば、なんだかそんな卵かけごはんに似て、これ以上のごちそうはないのではないでしょうか。これはそんなごきげんな句集なのです。

 川上さんが「俳句を、つくってみませんか」と誘われたのは、もう十七年前のことだそうです。奇しくも、俳句は十七文字の短詩文芸ですが、もちろんそれは関係ありません。
 で、川上さんはこう思います。「俳句ねえ。でも、俳句って、なんだか古くさい、昔のものなんじゃないの」。このことは若かった川上さんだけの思いではないでしょう。きっと若い人の多くは、俳句と聞けばそんな感想を抱くのではないかしらん。
 そんな川上さんですが、おそるおそる、海開きの頃にまだ冷たい海にはいる心境でしょうか、俳句の世界をのぞいてみます。「うわあ、と思いました。面白かったのです」。
 ちょうど、川上さんが『神様』という作品で小説家になろうとしていた頃です。

 川上さんは「俳句をつくって、わたしはあらためて日本語が好き」になったと書いています。たしかに作家川上弘美の物語の世界には、そういう日本語の魅力が自然に記されていることが多くあります。
 この句集は、1994年の、まだ俳句を始めてまもない頃の作品から2009年に詠んだ作品までが収められていますが、言葉が自由に行き来する様子は、そのまま、川上弘美さんの作品のなかに綴られる文章のようでもあります。

 俳句は定型であったり季語であったり、不自由な短詩文芸です。それなのに、これほどの自由になれるとしたら、川上さんにとって俳句とは「どこかほっと息をつく」文芸のような気がします。
  
(2010/11/13 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  最近川上弘美さんの句集『機嫌のいい犬』が
  刊行されました。
  川上弘美さんの本だけで
  ワクワクするのに、
  しかも俳句集なんですから
  私としては
  ワクワクにドキドキがつくくらいです。
  その本のことは
  明日書きますが、
  今日はその前に俳句とは何かを
  蔵出し書評で読んでみたいと思います。
  この『俳句脳』という本は
  俳人の黛まどかさんと
  脳科学者茂木健一郎さんの
  対談本です。
  俳句を考え、脳を読む。
  そんな一冊です。

  じゃあ、読もう。

俳句脳 ――発想、ひらめき、美意識 (角川oneテーマ21 A 85)俳句脳 ――発想、ひらめき、美意識 (角川oneテーマ21 A 85)
(2008/08/10)
黛 まどか茂木 健一郎

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sai.wingpen  俳句を詠んで脳を活性化させよう            矢印 bk1書評ページへ

 「俳句は助走がいらない稀有の表現形式です」。脳科学者茂木健一郎と俳人黛まどかの共著である本書の、黛まどかによる第三部「俳句脳-ひらめきと余白」の冒頭の一節である。
 五七五のわずか十七文字の短詩でありながら、多くの俳人や有識者が「俳句とは何か」と問い続けている。俳句界の巨星高浜虚子は「俳句は自然(花鳥)を詠い、また、自然(花鳥)を透して生活を詠い人生を詠い、また、自然(花鳥)に依って志を詠う文芸である」(『俳句への道』)という。
 しかし、そのような考え方が歪められて「俳句は年配者のするもの」という誤解や偏見も生んだともいえる。めまぐるしい時代にあって花鳥を愛でるということがゆくりとした行為に見えてしまうのだろう。

 私は「俳句とは創作にかたよった表現形式」という見方をしている。
 冒頭の黛氏の意見に近い。俳句がわずか十七文字の文学であり、しかもそのリズムが小さい頃から馴染んだものであるという点で、黛氏がいう「基礎練習や助走なくしていきなり」創作を愉しむことができる表現方法だと考えている。
 同じ創作でも、読むことを趣味にする人は多いが、誰にでも書けるというものではない小説は「鑑賞に比重をおいた表現形式」といえる。その点、俳句は名句をひとつも読まなくても、それらしき短詩はできてしまう。そして、そのことが俳句の光と影をなしているように思う。
 俳句人口が隆盛を極めているのもそういう俳句の一面からだろうし、新たな潮流が生まれにくいのも鑑賞力が弱いせいではないかと推測できる。俳句とは、読むのに難儀で詠むことにたやすい文芸である。

 しかし誰もが文学者にはなりえないのであるから、多くの人が生活の場で「創作」という機会を作りうるのであれば、俳句は生活により潤いを与えるものとしてもっと評価されていい。
 本書のように脳科学者である茂木氏が自身のフィールドで俳句を語ることはそういう点からしても意味深い。
 では、茂木氏は俳句をどうとらえているかといえば、「一瞬のうちに通り過ぎていってしまう感覚を記憶に留め、言葉によって顕現化するというまさに<クオリアの言語化>」ということになる。
 クオリアというのは脳科学の分野で頻繁に使われて言葉で、「知覚の正体」だという。ふっと何気ない場面で五七五のリズムと言語が浮かぶ時、脳が「俳句脳」となって活発に活動をしていると思えばいいのかもしれない。

 ただ、俳句は極めて不自由な表現形式でもあることは黛氏も本書の中でしばしば語っている通りだろう。
 十七文字の「定型」があり、「季語」がある。そういう不自由さから俳句という文芸が成立していると考えるべきだ。これが俳句を創作する時の最低限のルールだと思っている。
 そのような不自由さをまといながら、名句の数々は限りない広がりをもつものだと知ることが、俳句をより愉しむコツのようなものではないだろうか。
  
(2008/09/28 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  先日作家の村上龍さんが
  電子書籍の製作・販売会社を設立するということで
  大きく報道されていました。
  11月5日付けの朝日新聞によると
  村上龍さんは、
  「コンテンツに音楽や映像をつけるなど、
  電子書籍化は興奮する体験だった
」そうです。
  時代は間違いなく、
  電子書籍化に向かっているのでしょう。
  あと何年したら、
  ひょっとしたら1、2年の話かもしれません、
  私たちの多くは電子書籍を読んでいることも
  考えられます。
  そうなった時、
  私たちが今手にしている本とは
  何だったのだろうと
  改めて考えるのではないでしょうか。
  今日は蔵出し書評ですが、
  少し本について考えてみました。

  じゃあ、読もう。

カラー版 本ができるまで (岩波ジュニア新書 440)カラー版 本ができるまで (岩波ジュニア新書 440)
(2003/06/20)
岩波書店編集部

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sai.wingpen  本の匂い                     矢印 bk1書評ページへ

 私には少し変な癖がある。
 本好きな人なら誰もがしていることかもしれないが、私の変わった癖というのは買ったばかりの本の匂いを嗅ぐことなのだ。本屋さんでお金を払って手にした新刊を、家に帰るのも待ちきれずに、開いたページに鼻を近づけ、すぅーつと匂いを嗅いでみる。紙の匂いなのかインクの匂いなのか、今まで封印されていたものがにわかに立ち上がってくるようで、その新しい本が初めて自分のものになったと思える時でもある。
 もしかしたら、その時が本を読むという行為の、もっとも至福の瞬間かもしれない。

 ルネッサンスの三大発明といえば「火薬」「羅針盤」そして「活版印刷」というのは、若い頃に習った。そして、「活版印刷」の発明がグーテンベルクというのは有名だが、活字を使った印刷はすでにあったというから発明というより技術革新だったといえる。
 グーテンベルクの功績は、活字に用いた金属の開発、木製印刷機の開発、そして油性インキの製造だという。これらにより情報が多くの人に広がるようになったのだから、「活版印刷」は当時の情報革命であったといえる。残念ながらこれらは私の知識ではなく、若い人向きに書かれたこの新書本から教えられたことだ。

 そして、この本はグーテンベルクの発明以後の、多くの人による改良の歴史と現代の印刷技術を東京都文京区にある印刷博物館の探訪と印刷工場の現場見学という手法でやさしく説明している。
 ジュニア新書であるけれど、本好きの人なら読んでおきたい一冊である。私たちがなにげなく手にする本が、多くの人の努力と工夫からできていることを知ることで、もっと本が身近になるのではないだろうか。

 本の匂い。それは紙の匂いでもあり、インクの匂いでもある。
 そして、その本に関わった多くの人の汗のにおいでもあるし、私たちを明日につなげてくれる希望の匂いでもある。私の本の匂いを嗅ぐ癖は治りそうもない。
(2003/07/06 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  作家の写真が好きです。
  中原中也の写真をみて
  詩人になりたいと思い、
  宮沢賢治の姿にあこがれた。
  司馬遼太郎の写真は
  切り取って机に飾ったことがあります。
  まあ私にとっては
  作家たちはアイドル手前の存在だったと
  いえます。
  そんな私にとっては
  この『小説家たちの休日』は
  とても面白かった。
  樋口進さんが撮った作家たちの普段着の写真が
  とてもよかった。
  表紙は三島由紀夫石原慎太郎です。
  二人ともとても若い。
  そんな秘蔵の写真が盛りだくさん。

  じゃあ、読もう

小説家たちの休日―昭和文壇実録小説家たちの休日―昭和文壇実録
(2010/08)
川本 三郎樋口 進

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sai.wingpen  見て愉しむ、読んで愉しむ                     矢印 bk1書評ページへ

 この本のなかで著者の川本三郎氏は「文士」の定義を「私見では」とことわりながら、「締切りに追われる作家のこと」と書いている。その一方で、「文人」は「締切りに関係なく、自分のペースで原稿を書く余裕のある作家」とし、永井荷風は「文人」だったとしている。
 「文士」であれ「文人」であれ、いまやすっかり廃れた言葉になって、この本の表題も「小説家」とされている。しかし、ここで紹介されている永井荷風や谷崎潤一郎、あるいは松本清張などの65人の人たちをみると「小説家」というくくりではおさまらない、一種独特の気配を感じる。彼らはけっして職業としての「小説家」ではなかったのではないかしらん。「文士」「文人」いずれにしても、大きくいえば生活そのものがそう呼んでしかるべき人たちだったように思う。

 この本は文藝春秋で多くの写真を撮りつづけた樋口進の「文士」たちの写真とキャプションがあって、それに川本三郎がその作家にちなんだエピソードを綴る構成になっている。
 樋口のレンズの前で「文士」たちはくつろいでいるようだ。永井荷風は浅草ロック座の踊り子の肩を抱きにんまりしている。久保田万太郎は浜辺で着物姿のまま足を投げ出している。坂口安吾はくわえ煙草をしながら草野球に遊んでいる。山下清は温泉にいる。
 それらは「休日」ばかりの姿ではないが、「文士」たちにとって、くつろげばそこはいつも「休日」だったのかもしれない。

 そんな樋口の写真を愉しむのもこの本の魅力だし、川本三郎の文章もいい。
 特に「文士」たちの小説が多くの日本映画の原作になっていることをていねいに追っている。さすがに川本三郎は映画評論家でもある。それは昭和の文壇がいかに映画や演劇の世界に近かったかという証でもある。
 「川口松太郎」の章で川本は「この時代までは、「文学」と「演劇」がいま以上に近接していたのだと考えることが出来る」と書いている。
 この本はその点でも評価されていい、力作だろう。
  
(2010/11/10 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日紹介する『ひとりの午後に』の著者
  上野千鶴子さんは、
  『スカートの下の劇場』とかで人気を博した
  社会学者、ジェンダー研究者です。
  最近は『おひとりさまの老後』といった作品で
  老後問題も書いています。
  男まさりの強い論客のイメージがありますが
  この『ひとりの午後に』を読むと
  とてもいいエッセイだと感じます。
  こういう本を読みながら
  余生を暮せたら、
  どんなにいいでしょう。
  ゆっくりと。
  ゆったりと。

  じゃあ、読もう。

ひとりの午後にひとりの午後に
(2010/04/22)
上野 千鶴子

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sai.wingpen  ひとりを恐れない               矢印 bk1書評ページへ

 文章はリズムだ。
 社会学者上野千鶴子さんのエッセイ集であるこの本を読むと、そういうことを痛感する。リズムがいいから、文章を読んでいて、とても心地いい。
 本を読むということは、そのテクストの内容に感情を左右されるものだが、いい文章を味わうだけでも吸う空気がちがうように感じる。
 森林浴にいう言葉があるなら、読書浴という言い方があってもいい。

 この本に収められたエッセイのほとんどはNHKの「おしゃれ工房」という雑誌に掲載されたものだ。上野千鶴子さんと「おしゃれ工房」が似合うかどうかは別にして、著者自身「おしゃれ工房」という雑誌を知らなかったくらいである。
 あるいは、「おしゃれ工房」の読者も上野千鶴子さんを知らなかったかもしれない。それでいて、これだけのエッセイを書くのであるから、上野千鶴子さんはすごい。きっと「おしゃれ工房」の読者にとっても、いい生き方の「おしゃれ」ができたのではないだろうか。

 エッセイは「思いだすこと」「好きなもの」「年齢を重ねて」「ひとりのいま」といった四つの章でまとめられている。
 上野さん自身が「おひとりさま」の生き方を推奨しているのでそのことに少しふれておくと、上野さんは「ひとはひとりでは生まれないが、しだいにひとりになっていく。配偶者を失い、子どもが自立し、孫たちもおとなになっていく」「いつかは必ずひとりになる」(「読者」)と書く。
 そして、「ひとりでいることが基本なら、ひとりは苦しくも楽しくもない。たんにあたりまえなだけである」としている。
 そういう上野千鶴子という人は特別強いのだろうか。私には、そういうひとりの生活で、こういうエッセイを読めたら、なんともいえず幸福なように思えて仕方がない。

 上野さんは「あとがき」の最後に、「ひとりの午後」は「日射しが翳るまで生きてきた者に与えられるご褒美のような、人生の味わい」と書く。
 ひとりになることを恐れない。なぜなら、「人生の味わい」はそこにもあるのだから。
  
(2010/11/09 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  秋は読書の秋だけではありません。
  食欲の秋でもあります。
  ただ、私はどちらかというと
  味覚オンチで何を食べても
  おいしさの基準がありません。
  どちらかといえば、
  おなかがいっぱいになれば
  満足します。
  それって結構不幸。
  やはりおいしいものを
  味わい尽くすというのは
  人間の喜びでもあるんじゃないでしょうか。
  だから、せっせと
  東海林さだおさんの「丸かじり」シリーズを
  読んでいるのかな。
  今回は文春文庫になった「丸かじり」の
  紹介です。

  じゃあ、食べよう。

パイナップルの丸かじり (文春文庫)パイナップルの丸かじり (文春文庫)
(2010/10/08)
東海林 さだお

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sai.wingpen  戦車がツマになる                  矢印 bk1書評ページへ

 文春文庫の「丸かじり」シリーズが200万部を超えたそうです。
 慶賀!
 文春文庫の親ともいえる単行本があるわけで、これはこれでたくさん売れているはずで、いやいやそのご先祖様ともいえる「週刊朝日」の連載もあるわけで、ぱちぱち(算盤はじいています)、一体「丸かじり」シリーズにはどれだけの愛読者がいるのでしょうか。
 もちろん、隠れ「丸かじり」ファンもいるでしょうから、いまやその勢力は増すばかりです。
 もしかしたら、和田誠さん絵になる文春文庫を踏み絵みたいに踏まそうという策略が一部出版界から持ち上がっているかもしれませんが、私などは恐れ多くて踏めません。

 何故これほどまでに「丸かじり」シリーズが人気があるのか。
 この文春文庫『パイナップルの丸かじり』の刺身のツマ(文庫解説)を担当された漫画家の吉田戦車さんによれば、「「とりあえず試す。とりあえず食ってみる、行ってみる」という東海林さんのフットワークの軽さに感銘を受けた」ということになります。結局人って火事場の見物みたいなことが大好き。きどっているより、地べたをみているのが性に合っているのだと思います。それは大岡政談や水戸黄門がいつまでも庶民に愛されているのと同じような気がします。

 これは東海林さだおさんの漫画に共通していることですが、どこにでもあるようなことを表現することで多くの愛読者がついています。だって、普段即席ラーメン食べてる人が高級レストランでフランス料理食べてもおいしくないに決まっているもの。
 そういう普段着に魅力があるかぎり、「丸かじり」ファンは増え続けるでしょう。
 慶賀!
  
(2010/11/08 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日は立冬
  暦の上ではもう冬です。

   音たてて立冬の道掃かれけり  岸田稚魚

  今年は夏がとても暑かったですから、
  気分的には、えっもう冬なのって
  いう感じですが、
  短い秋を楽しむのもいいですね。
  私的には冬はきらいではありません。
  寒い日にあたたかくした部屋のなかで
  まるまって過ごす。
  冷たいアイスがそれはそれで
  おいしい。
  クマの冬眠みたいな
  そんな生活にあこがれたりします。
  そう、いわむらかずおさんの絵本なんか
  読みながら。

  じゃあ、読もう。

14ひきのあさごはん14ひきのあさごはん
(1983/07/10)
いわむら かずお

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sai.wingpen  対話ができる絵本                  矢印 bk1書評ページへ

 いわむらかずおさんは多くのファンがいる絵本作家です。
 その人気の秘密はほのぼのとしたその絵、しかもひとつづつがていねいに描かれています、にあると思います。泣いていた子どもも機嫌の悪かった子どもも、いわむらさんの絵をみたら、たちまちにこにこ顔になるのではないでしょうか。
 そんないわむらさんの代表作ともいえる「14ひき」シリーズですが、表紙には一番めの「いっくん」はじめ7ひきしかいません。なんだ、14ひきじゃないじゃないか、と思われた人もご心配なく。ちゃんと裏表紙にも7ひきいますから。

 森の大きな木のねっこに彼らのうちがあります。
 「おとうさん おかあさん おじいさん おばあさん そして きょうだい 10ぴき。ぼくらは みんなで 14ひき かぞく」です。
 現在は核家族化が進んで、こんな大勢の家族はまれになりましたし、これだけの大所帯だと生活が大変だと思うでしょうが、このねずみの一家の楽しいことといったら。朝起きて、あさごはんを食べるまでのことが描かれているのですが、それだけの時間なのに、とっても楽しそうなんです。
 たぶんパパとママとぼく(あるいはわたし)だけの生活では味わえない、にぎやかさです。

 この絵本の特長は、その文章にもあります。
 たとえば、のいちごつみにでかけて森のなかをいくこねずみたちの絵に「あっ、かぶとむしたち あさごはんたべてる。はちも、かまきりも、てんとうむしも いるよ」という文章がついています。きっと、このページを開いたら、てんとうむしやかまきりを探してみたくなります。
 絵本を読みきかせるお父さんやお母さんと子どもたちの会話がここから始まります。ひとつひとつのページがそんなふうにできています。
 対話ができる絵本っていいな。

 そういうことを大切にして、この絵本はできています。
 たぶんパパとママとぼく(あるいはわたし)だけの家族であっても、一冊の絵本で、にぎやかになれそうです。
  
(2010/11/07 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  星野道夫さんの「Michio’s Northern Dreams」と
  名付けられたシリーズも
  今回が最後の巻になります。
  このシリーズはたくさんの写真と
  星野道夫さんのエッセイのなかから
  選りすぐられた文章からできています。
  忙しい人にも短時間で読むことができます。
  通勤時間であっても
  仕事の合間でも構いません。
  水分を補給するように
  星野道夫さんの世界に触れるだけで
  少し気分が変わると思います。
  この世界には嫌なこともたくさんあります。
  でも、星野道夫さんが残したものは
  この世界には嫌なこと以上に
  素晴らしいことがあるんだよ、と
  教えてくれます。
  何度でも星野道夫の世界へ。

  じゃあ、読もう。

大いなる旅路―Michio’s Northern Dreams〈5〉 (Michio’s Northern Dreams 5)大いなる旅路―Michio’s Northern Dreams〈5〉 (Michio’s Northern Dreams 5)
(2002/07)
星野 道夫

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sai.wingpen  彼のいのち                     矢印 bk1書評ページへ

 本書は、「Michio’s Northern Dreams」と名付けられた、写真家星野道夫のたくさんの未発表作品を含むアラスカの写真と透き通るような珠玉の星野の文章で編まれた、シリーズの最終巻の五冊めです。
 写真家星野道夫は1952年に千葉で生まれました。そして、1996年その短すぎる生涯を不慮の事故で終えます。星野は新しい世紀を見ることはできませんでした。
 ただ、星野は彼に継ぐものたちに、たくさんのきらめくようなアラスカの写真と珠玉のような文章群を残してくれました。彼の写真や文章は、星野が見れなかった新しい世紀にも残り、こうして語り継がれています。彼のいのちはまだ脈々とつづいているかのように。

 この巻に「あらゆる生命が、ゆっくりと生まれ変わりながら、終わりのない旅をしている」という文章が収められています。その文章をなぞれば、星野道夫の生命は、こうして写真や文章に生まれ変わって、終わりのない旅をしている、といえるでしょう。
 星野は事故さえなければまだ生きえたかもしれません。そうであっても、いつか彼も肉体をもつ人間の一人として遅かれ早かれ死んでいくのです。
 短い生涯であっても、星野はいつしか伝説になり、その生命はこうして続いているとしたら、それはそれで痛ましく、つらく悲しいことではありますが、星野は充分生きたのではないかと思います。

 「かけがえのない者の死は、多くの場合残された者にパワーを与えてゆく」と、星野は書いています。
 私たちは残された者です。星野道夫の写真と文章はそんな私たちにパワー、それは生命といってもいいでしょう、を与えつづけてくれます。

 彼のいのちがそこにあります。そして、それはいつまでも変わらずに私たちに生きることの素晴らしさを教えてくれています。
  
(2010/11/06 投稿)

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 読書週間に
 またいい雑誌を見つけました。
 そういう頭とか目で見ているせいでしょうか、
 ふっとそういう記事がはいってきます。
 それで、ふわふわしながら本屋さんに走ります。

 今回の「雑誌を歩く」はそんな一冊。
 「男の隠れ家」12月号(朝日新聞出版・680円)です。

男の隠れ家 2010年 12月号 [雑誌]男の隠れ家 2010年 12月号 [雑誌]
(2010/10/27)
不明

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 もう表紙からすてきなんです。
 薄暗い部屋に一冊の本と珈琲。(ここはぜひ珈琲と書きたい)
 そして、「本のある空間、本とある時間。」の文字。
 これがこの号の特集です。
 そしてこうあります。

  本のある空間と時間は人を幸せにしてくれる

 そうそう、その通り。
 まずは、特集のリード文を。

  思いがけない本と出会える場所を知れば知るほど、
  改めてその豊饒な未知の海の素晴らしさに、気づかされるかもしれません。

 では、その「豊饒な未知の海」へ漕ぎ出しましょう。

 まずは松岡正剛さんが語る「本の力、読書の力」というインタビュー記事。
 そのなかで松岡正剛さんはこんなことを話しています。

  自分から探して行かないと本から歩いてきません。

 その通り(と、納得ばかりしています)。
 さて、この「男の隠れ家」12月号の特集は
 四つの章にわかれています。

 第一章が「本屋さんへ行こう!」です。
 たくさんの本屋さんが紹介されています。
 ここでも京都・一乗寺にある恵文社さんがでています。
 今度京都に行ったら、ぜひ行きたいスポットです。
 もう写真がいいんですね。
 本屋さんの棚、棚、棚・・・。
 なんだか写真を見ているだけで、
 幸福な気分になります。

 「書皮」はこんなに面白い、なんていう特集もあります。
 「書皮」というのは、本屋さんがつけてくれるブックカバーのこと。
 ここでは色々なデザインの「書皮」が紹介されています。
 調布駅にある「真光書店」さんのカバーには
 水木しげるさんの「ゲゲゲの鬼太郎」がデザインされています。
 いいな。

 第二章は「図書館を遊ぶ」。
 国立国会図書館探訪なんて記事があります。
 あそこはとても広いので、
 探訪という言葉がぴったり。

 第三章は「古本屋を巡る」です。
 ここでは「古本屋の付き合い方6ヶ条」ということが書かれています。
 ひとつ紹介すると

  お店に入ったならば、安くてもいいからできるだけ購入する

 ことだそうです。なるほど。

 第四章は「本を愉しむ喫茶店」と続きます。
 まったくもって、至福の時間。
 この「男の隠れ家」をもって
 おいしい珈琲をゆっくり味わいたい。

 絶品の一冊でした。

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プレゼント 書評こぼれ話

  新潮社の「クレスト・ブック」は
  海外の新しい文学を紹介するシリーズですが
  ここからはたくさんのいい作品が
  出版されています。
  ベストセラーにもなった『朗読者』も
  このシリーズから出ています。
  映画『愛をよむひと』の原作です。
  この『黙祷の時間』も
  映画になるのでしょうか。
  映画の題材にはとても向いています。
  少年と美しい女性教師の恋愛。
  年上の女性に魅かれる少年の淡い恋愛を描いた
  映画といえば、
  私にとっては『おもいでの夏』(1971年)。
  ジェニファー・オニール演じる若い人妻の
  きれいだったこと。
  そんなことを思い出しながら、
  この作品を読みました。

  じゃあ、読もう。

黙祷の時間 (新潮クレスト・ブックス)黙祷の時間 (新潮クレスト・ブックス)
(2010/08/31)
ジークフリート・レンツ

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sai.wingpen  思い出にするな、愛を                     矢印 bk1書評ページへ

 物語は学校での追悼式の場面から始まる。飾られた遺影は、この物語の主人公である美しい英語の教師シュテラのもの。それをじっとみつめる一人の生徒、クリスティアン。こう書くだけで、この物語がどのようなものかある程度は想像がつく。
 男子生徒と美しい女性教師の恋愛、そして、彼女に死による哀しい別れ。すでにたくさんに物語や映画によって描かれてきた古典的ともいえる構図であるが、この作品はドイツで2008年に発表された新しい作品である。

 こういう作品で大事なのは、美しい女性教師の造形だろう。
 「思いやり溢れるほほえみ」、「淡い色の目」、そして柔らかな姿態。クリスティアンという少年の目を通してとはいえ、女性教師シュテラは魅力的である。
 物語の舞台となった海によく似合っている。彼女に体にふりそそぐ水と光。夜の影。寝室のなかの静寂。ページのなかにシュテラの息遣いが感じられる。

 それにしても、この物語のなかのおとなたちの沈黙はどうだろう。クリスティアンとシュテラ、二人の恋愛以上の関係をほとんどのおとなたちがそれとなくわかっているにもかかわらず、誰も(唯一クリスティアンの母親だけが心配している)口にしようとはしない。
 シュテラが死んだことで、おとなたちはそれを少年の淡い思い出に閉じ込めようとしているかのように。
 おとなたちの無視で、事実が記憶になり、いつか遠い日の物語になっていく。

 少年クリスティアンはおとなになった時、「愛は暖かくて豊かな波のようです」と書かれたシュテラの絵はがきをみて、何を思い出すのだろう。初めての女性としてだろうか。追悼式に掲げられた遺影の女性としてだろうか。
 それとも、愛の切なさだろうか。
  
(2010/11/04 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日は文化の日
  文化勲章の親授式の日でもあります。
  今年の文化勲章で話題になったのは
  安藤忠雄さんや三宅一生さんや蜷川幸雄さんといった
  建築界やファッション界や演劇界で革命児と呼ばれた人たちの
  受賞でしょう。
  ある時代にあっては革命児であっても
  いつかそれは等しく文化となる証のような
  今回の受賞だと思います。
  そんな蜷川幸雄さんが
  昨年メガホンをとった金原ひとみさんの
  芥川受賞作『蛇にピアス』の映画を
  先日WOWWOWで観ました。
  作品的にはどうかな、という感じでしたが
  金原ひとみさんの若い作品を
  70歳を超えた蜷川幸雄さんが監督をしたというのは
  すごいことだと驚きました。
  なかなかできることではありません。
  そういう情熱が
  文化勲章を受賞しても消えないことを
  願っています。
  ということで、今日は
  金原ひとみさんの『蛇にピアス』の書評の
  蔵出しです。

  じゃあ、読もう。    

蛇にピアス (集英社文庫)蛇にピアス (集英社文庫)
(2006/06/28)
金原 ひとみ

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sai.wingpen  がんばれなどとは死んでも言えない              矢印 bk1書評ページへ

 第130回芥川賞受賞作。ピアス、刺青、スプリットタンと、現代の若者風俗はかなり痛みの伴うものであるらしい。そういうものが生理的に合わない人がいるだろうから、この作品の賛否が分かれるのも仕方がない。
 特に冒頭の数行は表現がきつい。読了しても苦い(口腔の中にひろがる血の味のような)思いしか残らないかもしれない。でも、できれば、そんな人にこそもう一度読み直してもらいたい。風俗という衣装をまといながらも、この作品の根底にあるのが、あまりに古典的すぎるほどの純粋な愛の物語だということをわかってもらいたいから。二十歳の作者がそんな世界を描いたということが奇跡のような作品であるから。

 「きっと、私の未来にも、刺青にも、スプリットタンにも、意味なんてない」(80頁)

 芥川賞選考委員の一人宮本輝氏は、この作品の読後に残る何かとは<哀しみ>であると表現している。そして「作中の若者の世界が哀しいのではない。作品全体がある哀しみを抽象化している」と続けた。
 宮本氏がいう<哀しみ>は、青春期特有のどこにも行き場所のない感情の発露だ。もしかしたら、人生でたった一度だけ描ける宝石のしずくのようなものかもしれない。

 かつてドラッグとセックスに溺れる若者風俗を描いた『限りなく透明に近いブルー』で芥川賞の文学性を二分させた村上龍氏が、選考委員の一人として、この作品を絶賛したのも興味深い。
 村上氏はこの作品に反対意見が多いはずだと、事前に良い所を箇条書きにして選考会に臨んだほどの入れ込みようだったようだ(第83回の直木賞の時、選考委員の山口瞳氏が向田邦子の受賞に獅子奮闘したというエピソードを思い出した)。それほどまでに村上氏の心を揺さぶったのも、若さというものだけが持つ才能だろう。
 そんな村上氏がかつて自身の自選小説集の中でこんなことを書いている。「若い年下の世代には興味がない。常に無関心でいたい。悲惨な時期を生き延びようとしている人間に対しては、そっとしておくしかないのだ。言うべき言葉はない。がんばれなどとは死んでも言えない」(村上龍自選小説集1)

 村上氏が芥川賞の選考委員になって四年。初めて彼が認めた作品は、やはり彼のデビュー作のように賛否両論の渦中に巻き込まれている。しかし、それを跳ねのけていくのが作者だけであることを、村上氏自身が一番知っているはずだ。
 金原さんはまだ二十歳。悲惨であるその時期に、奇跡のような作品を書いた。作品を作者自身が乗り越えられるか、静かに見守ってあげたい。

 「がんばれなどとは死んでも言えない」(村上龍)
  
(2004/03/07 投稿)

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 読書週間が始まった先月27日、
 新聞各紙ではさまざまな特集記事がでていました。
 そこで、今回はそんな記事のいくつかを
 紹介します。

 まずは日本経済新聞

  「聞く読書」と「語る読書」が心の中に豊かな森をつくり出す

 というタイトルで斎藤孝さんのインタビュー記事が
 出ていました。
 そのなかで、斎藤孝さんは本についてこんなことを
 語っていました。

   本は、いわば薪(まき)です。自分の心に火をつけてくれ、
     しかも持ちがいい。


 この「持ちがいい」というのが、本の特長でもあります。
 それと同じようなことを
 同じ日の朝日新聞の「秋の読書特集」の記事のなかで
 ノンフィクション作家の佐野眞一さんが言っています。

  忘れられない本は、「冷や酒」のように後からきく。

 けだし名言ですね。

 その朝日新聞には瀬戸内寂聴さんのインタビュー記事が
 掲載されていました。

  人生に いつも本を

 というタイトルでしたが、
 そのなかで瀬戸内寂聴さんは

  子どものうちから、何でも読ませたらいいんです。
    まず、本を好きにさせること。

 と語っています。
 そして、最後にこんなことを話しています。
 少し長いですが、引用しますね。

  運命の一冊なんて、ないですよ。
    本に助けられたこともない。ただ、たくさん本を読んでいるから、
    自分の身に降りかかったことが特別なこととは思いません。
    世の中にいくつもあることです。
    良いことも悪いことも、「すべてあり得る」
    -本を読んだ人は、その当たり前のことが、わかるんじゃないでしょうか。


 本は、いつもそうやって私たちに生きる勇気を
 くれているのです。

 いままさに読書週間のまっただなか。
 本を読まない人も
 本から遠く離れた人も
 せめてこの読書週間だけでも本を開いてみるのも
 いいかもしれません。
 きっと、豊かな世界がひろがるでしょう。

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日から11月です。
  早いもので今年もあと二ヶ月。

   しくしくと十一月の雨が降る  後藤綾子

  月が変わるたびに、
  新しい気分になるもので
  その初めには
  できるだけいい本を紹介したいと
  思っています。
  その点では、
  今日は大満足の一冊です。
  松浦弥太郎さんの『あなたにありがとう。』。
  松浦弥太郎さんの
  「暮らしのなかの工夫と発見ノート」の最新刊です。
  松浦弥太郎さんの本を読んでいると
  ゆっくりした時間と姿勢の良さを
  いつも感じます。
  そして、
  まだまだ自分は未熟だなと
  大いに反省しています。

  じゃあ、読もう。  

あなたにありがとう。 (暮らしのなかの工夫と発見ノート)あなたにありがとう。 (暮らしのなかの工夫と発見ノート)
(2010/09/11)
松浦 弥太郎

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sai.wingpen  人間関係を整える。                     矢印 bk1書評ページへ

 人間は社会的動物、というのはよく聞く言葉です。社会という関係性のなかに生きているということで、一人では生きていけない動物なのでしょう。
 それはいい意味では自分だけではない強い力を発揮することにもなりますが、一方では色々な人間関係のストレスに生きるということでもあります。
 コミュニケーションがうまくいくことには越したことはないでしょうが、人間とはそういうストレスを余儀なくされてもいるのだと思う方がいいのではないでしょうか。そういうストレスがある、そのことを前提に人間関係をとらえた方がもう少しやさしく生きれるような気がします。

 雑誌「暮らしの手帖」の編集長で書店経営者、それに文筆家でもある松浦弥太郎さんの好評シリーズ「暮らしのなかの工夫と発見ノート」の三冊目、『あなたにありがとう。』は、そんな人間関係に焦点をあわせています。
 「友だちに限らず、人とかかわりながら暮らすための覚書」と松浦さんは書いています。そのうえで「近づきすぎてもうまくいかないし、遠すぎてもうまくいかない。ほんのちょっとのことでゆらいでしまう人間関係を整える工夫を」書いてくれています。

 人間関係を整える。
 そうすることで、人間関係から生じるストレスが減少します。
 さしもの松浦さんであっても苦手な人やうまくない関係が存在することもあります。ただ松浦さんは人間関係に色々な障害があることを自覚しています。そのことを自覚することで、それをどう整理していくかということを考えているのです。
 人間関係に悩んでいる人、コミュニケーションが得意ではない人には、多くの示唆にあふれているのが、この本です。

 「友だちをつくる力とは、相手のいいところを見つける力」と松浦さんはいいます。
 友だちだけでなく、家族であったり、恋人であったり、夫婦の関係もそうです。あるいは、会社の上司部下の関係にも同じことがいえます。
 みんな、いいところをもっている。人間関係とは、それをいかに見つけるかということだと、松浦さんはこの本で教えてくれています。
  
(2010/11/01 投稿)

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